古本屋通信

F書店が出版に新規参入した頃

古本屋通信   No 2582    2017年  05月25日


    F書店が出版に新規参入した頃


 前々記事の続きだが、内容は予告した通りにはならなかった。やはり同業のY氏だが、F書店についての私の文を読んでいて、「他に書くひとがいないのなら、書いたら面白いのではないか。こういうのが売れるんですよ」 と言う。「でも、F書店はマイナーだし、面白く書く自信もない」 と言葉を濁しておいた。けれど間に他の文を入れたら、少し書く気になった。

 F書店の書籍部が学術出版部を発展改組するかたちで発足したのは1975年だが、ほぼ同時並行か少し遅れて東京支社で出版3部門が発足する。その辺りの事情を記憶に頼って書きたい。ただし社史ではない。厳密な年月日に自信はない。他の印刷物をも参照しない。

 まずハッキリしていることは、岡山本社の書籍部発足は、F書店が全社的に出版に乗り出す先がけではなかったという点だ。これはF社主の道楽の範囲内だった。いくらか一般書店の棚に並べられる書籍が欲しいとの想いはあったろう。だがFは流通の闇を知りぬいていた。直販に換えて「正常ルート」を使うなどと思ってもいなかった。それどころか「正常ルート」という名前の [正常] が気にくわないと批判し続けていた。

 なのに書籍部を何故つくったか。主要には労務対策だったろう。つまり問題のある人物を隔離して別個に支配したのだ。公式には「岡山本社じゅうから本好きを集めて一流の本をつくらせる」 という建て前だった。メンバーは以下の通りである。ついでに学歴も添えておこう。

所属長(次長) U (中学模試部編集より) 慶応大文 文学中年で太宰治のごとく、会社人間でない。遅刻常習犯。
課長 T
 (学術出版部からの継続) 尾道短大経(学生自治会委員長だった) 1970年に中核派の新入女子に担がれて労組責任者だった。
主任  (高校模試部編集から) 岡大法文 元民青は1970年入社直後にバレテいた。中核派の出版反戦に組みせずによって。
F (中学模試部編集より) 早稲田大一文 会社人間でない本好き 革マル派のシンパを自認していた。
新入社員女子 K 岡大文 漢文は岡大の福田文学部長の推薦。中核派も漢文だった.
新入女子社員 E 奈良女子大家政 当時も革マル派の拠点で、女子寮は民青と共存だったという。



 別にどうということはないが、この書籍部は私が辞めるまで治外法権のような部署だった。F社主も「ここだけは俺の会社じゃあないみたいだ」と嘆くふりをしていた。結局ガス抜きにこういう部署を意識的につくったのだろう。会社の行事への非協力も大抵は見て見ぬふりをして許容された。

 それから書籍部を立ち上げたとき、F社主はこう言った 「出版は必ずやる。書籍部はジャンルを限定しない。好きなものを何でもやってくれ。一年間は研究期間だから、売上・利益は言わない。遊んでくれればよい。然しこれだけは言っとく。ウチは中心は教育だ。これは未来永劫変らない。これに何を加えてもよい。しかし文学だけはやらない。あんな女のため息のような弱よわしい出版はオレの性に合わない」。




 岡山の書籍部発足と同時に、東京支社の出版部門第一弾として、オックスフォード大辞典部が創られた。これはイギリスから版権を買って日本で出版する試みで、F社主の息子の企画だったが、Fも乗り気だった。ブックローンから五十嵐を抜いて事業をすすめたが、結果は全く売れず事業部はやがて閉鎖された。この事業部には岡山の学術出版部から2人が転勤して加わった。彼らは我々岡山の書籍部とは営業で一体だったので紹介しておこう。
F2 (学術出版部から) 東北大文    H (学術出版部から) 名古屋大文

 それから1年後に本格的な出版部門が東京支社に2つ出来る。

 
一つ目東京書籍部である。これは中央公論社から生え抜きの編集者・井上太郎を抜いて大々的に行われた。書けば10枚は書けるが、いっさい省略する。



 二つ目文芸部が問題である。これは一般ジャーナリズムでも話題になって、綺麗ごとは腐るほど書かれているので、書かれなかったことだけを手短に書いておく。F社主があれほどまで「文学だけはやらない。あんな女のため息のような弱よわしい出版はオレの性に合わない」と言っていたのになぜ豹変したのか。アレコレの経過は私も知らないことが多い。結論だけ。

 倒産した文芸出版の作品社に5人の編集者がいた。渡辺哲彦、寺田博、あと3人。彼ら5人全員をF書店で引き受けて、しかも『作品』に後続する文芸雑誌を刊行してくれないかという話が、当時のノートルダム清心女子大学教授・小野東から、ある筋を通じて持ち込まれた。私はある筋の情報を全く持っていないが、あれほど頑なに嫌っていた文学に手を染めるのだから長野県知事か、それとも谷口澄夫元岡大学長ではなかろうか。小野東はそのむかし芥川賞候補になった作家だが、ずっと山陽新聞の記者(そして重役)だった。渡辺哲彦はもともと東京新聞の文芸担当記者だった。渡辺から東に打診があり、東から山陽新聞の筋、つまり長野あるいは谷口を通してF社主に依頼があった(長野はFジュニアの実質仲人であり、谷口はF書店の顧問だった)。間違いないだろう。尚、入社直後の彼らの肩書は、渡辺が部長で、寺田が次長だった。これは編集者の知名度と力量からは逆だが、入社時の貢献度からそうなったのだろう。

 この話はこれまでにしよう。やっぱり鬱陶しい話だ。Y氏によれば、こういう話を書いた本はよく売れるらしい。私も金になれば力が入るのだがーー。小野東については民文岡山の三宅陽介が書いている。右遠俊郎らの仲間だったが、山陽新聞のたたかいでは会社側に立ったそうだ。三宅はサラッと書いている。 『終の栖(ツイノスミカ)』 小野東著 福武書店 1983.11。小野は2年後の1985年には死んでいる。 小野東遺稿集 小野東著 小野東遺稿集刊行会 1985。
  1. 2017/05/27(土) 02:12:03|
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『女人随筆』(創刊号~第40号)

古本屋通信   No 2581    2017年  05月27日


     『女人随筆』 (創刊号~第40号)

 私は「通信 No 2573 詩誌 『日本主体派』」で 古紙業者さんから買った古雑誌の中に『女人随筆』(創刊号~第40号)あったことを書き、それは 「昭和43~55年にかけてのものである。創刊号から纏まって出るのはめずらしい。然し個人的には興味は薄い」と書いた。いずれ郷土雑誌として依頼出品する積りで、店の倉庫に納めていた。つまり個人的には何の魅力もないから早々に離したいと思っていた。

 それで今日、同業のY氏に会う機会があったので、この話を持出してみた。

 そのまえに私の予備検索の結果を書いておこう。岡山ローカルの小雑誌ゆえに、「日本の古本屋」と「アマゾン古本」のサイトでは殆んどヒットしなかった。これは本が存在しないからではなく、売れないから出品していないのだろう。で、肝心の県内図書館だが、コレは県内横断検索で一発で出た。不思議なことに、岡山県立図書館と岡山市立図書館に殆んどない。倉敷市立図書館がいちばん多い。その他では赤磐市立図書館などにある。そこで今度は在庫のある図書館のバックナンバーを調べた。今は第百号を超えている。ところが私が今回入手した創刊号~第40号は何所にもない。これにはとても驚いた。県立図書館と岡山市立にない点も含めて、資料価値がないから図書館が蒐集していないのだろうかもと思った。

 Y氏に戻る。彼はかつて高値で目録で売った経験があると言った。バラ売りである。数冊だけだったそうだ。注文主と売価は此処では書けないが、一冊ウン千円である。これにはびっくりした。私は精々一冊100~200円だと思っていた。

 次はオフレコである。Y氏の発言ではない。天の声である。「ハッキリ言って、そこらのオバサンが書いているゴミだろう。なんで売れるんか分らん。分らんがコッチは商売だから売れればよい。まあ物好きもいるんだろう」。

 この天の声に対する私の見解だが同感である。私は古本屋開店以来 『女人随筆』 を折にふれて見てきた。マトモに読んだことはない。2,3行読んで捨てた。ようこんな下らん文を書くな、女の暇人が鼻の穴を膨らませて書いたんだろう。しかもインテリぶって。箸にも棒にも懸からんワ。

 ここまで罵倒したからにはもう少し書こう。全ての人の文がカスだという訳ではない。たとえが井久保伊登子さんの文など(あったかな?)けっこう読ませる。然し 『女人随筆』 として束ねられると駄目である。そもそも随筆とかエッセイなど、それと意識して書くものではない。暇人の手なぐさみ、はっきり言って雑文なんだが、雑文は雑文で其々の目的があって書くのだ。例えば倉敷の大本さんや岡山エッセイストクラブのように書くものではない。

 珠玉のエッセイというのは確かに存在する。思い付いたのは丸山真男と古在由重だが、文学者や科学者に多い。全集や著作集の後半に収められた論考である。然し、これらはもともと随筆とかエッセイとして書かれた文ではない。ときどきの必要から、またッ出版社(者)や関係者からの求めに応じて書かれた文である。

 そもそも随筆という著作ジャンルはあり得ない。岡山県文学選奨なども、随筆というあり得ないジャンルは廃止すべきである。小説、俳句、短歌、童話、これらと並行するジャンルとして随筆がある訳がない。

 少し古本屋通信を例にとる。古本屋通信は通信であるからジャーナリズムである。然し間違いなく雑文である。この雑文の中から、比較的時事性の薄い文を抜粋して古本屋随筆(集)が編めるか? 出版社が編んでやるから刊行しないかと声を掛けたとする。私は即座にお断りである。日本共産党批判の随筆(エッセイ)集があってたまるか。そこまで落ちぶれていない。

 発表する文は日記ではない。書くことによって自分を磨くのでもない。生きるための戦いである。生きることの同時並行の営みとして書くのだ。だが世の中には文を書かない人の方が多い。書かない人のほうが(随筆と意識して)文を書く人よりずっと真人間である。飾る営みが醜い。

 この稿は何人かの 『女人随筆』 同人を意識して書いた。こういう文になったのはたぶん私に永瀬清子に対する憎しみがあるからだろう。私は戦後の永瀬の全仕事を無効す。そのうえで井久保伊登子 『女性史の中の永瀬清子 戦前・戦中篇』 を評価する。
  1. 2017/05/27(土) 00:36:06|
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革マル派の見解 ボクはちがうな

古本屋通信   No 2580    2017年  05月26日


 以下は革マル派の見解だが、ボクは少しちがうな。

 アメ帝が日「韓」同盟軍といっしょに共和国へ核攻撃・恫喝を加えている最中、反帝反スタのスローガンで「北朝鮮の金正恩政権打倒」はないだろう。レーニンは無条件に「労働者国家擁護」ではなかったか。それに、どう考えても空想的な観念論だ。まあそれは措いて、共謀罪の捉え方は共産党よりマトモに見える。この悪法は革命運動の弾圧を狙った戦後版治安維持法である。それ以外ではない。何よりもそのことをハッキリさせた上で反対闘争をやらなければならない。「解放」編集部さん、転載お世話になります。


  「解放」最新号(第2470号2017年5月29日)首都に朝鮮核戦争阻止の火柱 5・14

戦争と憲法改悪に突進する安倍政権を打倒せよ!

共謀罪法案の衆院強行採決弾劾


「朝鮮核戦争阻止!」の声を轟かせ首都中枢を進撃する全学連・反戦の部隊
(5月14日、東京)

 すべての労働者・学生諸君! 安倍政権は五月二十三日、「テロ等準備罪」という名の共謀罪を新設する法案を衆院本会議において強行採決した。労働者・人民の反対の声をふみにじって強行された共謀罪法案の衆院採決をわれわれは、満腔の怒りをこめて弾劾し、この法案の今国会成立を断固として阻止するために、決意も新たに反撃の闘いをまきおこすのでなければならない。
 全学連のたたかう学生は、共謀罪法案の衆院委員会採決が企まれていた五月十九日のまさにそのとき、国会前に結集した労働者・人民の最先頭でたたかいぬいた。この日、日教組や自治労などの「平和フォーラム」に加盟する労働組合ならびに「全労連」傘下の労働組合が、昼の議員会館前行動に組合旗を林立させ結集した。夕方の国会正門前行動には、これらの労働組合をはじめとして九〇〇〇人を超える労働者・人民が大結集し、国会前を埋めつくした。職場生産点におけるわが革命的・戦闘的労働者の闘いに支えられて、多くの労働者が安倍政権への怒りと危機感に燃えて国会前行動に起ちあがったのだ。その最先頭において全学連の学生は、いままさに北朝鮮にたいして侵略戦争の火を放とうとしている安倍政権が、この〝戦時下〟において「反戦」や「反政府」を掲げるあらゆる団体を根だやしにすることをねらって共謀罪法の制定に突進していることを怒りをこめて暴きだし、この今日版治安維持法の制定を断固阻止すべきことを訴え奮闘したのだ。
 これに先立つ五月十四日、全学連のたたかう学生と反戦青年委員会に結集する労働者は、東京と関西において、朝鮮核戦争の勃発を絶対に阻止するために、緊急闘争に起ちあがった。同日、名護市・瀬嵩の浜で開かれた県民大会において「辺野古埋め立て阻止!」とともに「朝鮮核戦争阻止!」を掲げて奮闘した沖縄のたたかう労働者・学生とかたく連帯して。たたかう労働者・学生は、「トランプ政権の北朝鮮攻撃阻止! 参戦に突進する安倍政権打倒! 日韓人民に核の矛先を向ける金正恩政権を許すな!」を掲げ、日共中央をはじめとする一切の既成平和運動指導部の沈黙を突き破り、唯一、戦争放火者どもの犯罪を暴露し全世界人民に革命的檄を発したのである。
 全学連と反戦青年委員会が緊急闘争に決起したまさにその日、北朝鮮の金正恩政権は、新型弾道ミサイルの発射実験を強行した。いまや金正恩政権がアメリカ本土を核攻撃しうる大陸間弾道ミサイルを手中にする寸前にまで核・ミサイル開発をすすめていることが明らかとなった。このことに驚愕したアメリカ・トランプ政権は、原子力空母カール・ビンソンに加えて、ロナルド・レーガンを朝鮮半島近海に送りこみ、空母二隻態勢をもって、いよいよ軍事攻撃の火ぶたを切る構えをとっている。
 わが同盟・革マル派は不退転の決意で訴える。日本、アメリカ、南北朝鮮人民の総力で朝鮮核戦争を絶対に阻止せよ! 金正恩政権のミサイル発射弾劾! 戦争狂トランプ政権の先制軍事攻撃を阻止せよ! 参戦に突進する安倍政権を打ち倒せ! 日本の労働者階級・人民は反戦・反権力の闘いに起ちあがれ!
 朝鮮核戦争勃発の危機が高まるなかで、日本の安倍政権は、対北朝鮮戦争への参戦にふみだすと同時に、この機に乗じて、「戦争放棄・戦力不保持」を謳う憲法第九条を改悪する攻撃に、ついに現実にふみだした。
 すべての労働者・学生諸君は、いまこそ改憲阻止の決戦に起ちあがるのでなければならない。日本型ネオ・ファシスト政権による憲法第九条改悪の総攻撃を粉砕する労働者階級・人民の巨大な闘いを断固として創造せよ!「『違憲かもしれないけれど、何かあれば命を張ってくれ』というのはあまりにも無責任だ」などというネオ・ファシスト安倍の言にたいして、完全に腰砕けになっている日共の不破=志位指導部の腐敗を弾劾したたかおう! 共謀罪法の制定を断じて許すな! すべての労働者・学生は、反ファシズムの階級的戦列をさらにうち固め、わが同盟とともに前進せよ!

全学連・反戦 緊急闘争に起つ

「共謀罪法案の衆院委員会採決を阻止するぞ!」国会前で全学連が奮闘(5月19日午前11時すぎ)
 五月十四日、決意もかたく東京・港区の芝公園23号地に結集した全学連の学生は、総決起集会に先立って、独自集会をかちとった。決意表明にたった各大学の学生たちは、気迫をこめて訴えた。「日本の学生・労働者は、南北朝鮮人民と国境をこえて団結し、朝鮮核戦争阻止の闘いに起ちあがろう!」「南北朝鮮人民は、いまこそ南北のプロレタリア的統一をめざして起ちあがれ!」パトスみなぎる学生たちの発言に、全学連の学生はもちろん、反戦青年委員会の労働者からも熱い共感の拍手がわきおこった。
 午後一時、満を持して有木全学連副委員長が総決起集会の開会を宣言した。まずはじめに酒井全学連委員長が基調提起にたった。
 酒井委員長は開口一番、「本日早朝、北朝鮮・金正恩政権は、米日両軍が展開する日本海に新型弾道ミサイルをうちこんだ。この反人民的な戦争挑発を弾劾しよう!」と訴えた。そして彼は、全世界の労働者・人民に「ともに戦争放火者どもを打ち倒す闘いに決起せよ!」と檄を発した。アジア人民を核戦争から救い第三次世界大戦の勃発を打ち破る力は、プロレタリア・インターナショナリズムにもとづく万国の労働者階級・人民の団結と、反戦・反権力の闘いの推進にこそある!――このように力強く訴えた酒井委員長の基調提起に、すべての労学が闘志をみなぎらせて「ヨシ!」と呼応した。
 つづいて反戦青年委員会の労働者が決意表明をおこなった。彼は、金正恩の強権的支配のもとにおかれている北朝鮮人民は、われわれと同じく支配者の圧政に苦しめられている労働者だと喝破し、「われわれ日本の労働者は、労働者魂を発揮し、朝鮮核戦争を絶対に阻止しよう! 闘いに起つべきときは今、まさに今をおいてほかにない」と熱烈に訴えた。彼は、「連合」労働貴族と「全労連」中央ダラ幹の大裏切りを弾劾するとともに、今こそレーニン的精神をわがものにしてたたかうべきことを呼びかけた。
 一九一四年に第一次世界大戦が勃発したとき、第二インターナショナルの大部分は、祖国防衛主義に転落し、自国政府の戦争政策を支持した。これにたいして、レーニンは翌一五年、スイスのツィンメルワルトで開かれた国際会議で、革命的祖国敗北主義を掲げてたたかった。「このツィンメルワルト左派は一台の馬車に乗りきるほど少人数であったと言われている。だが、この闘いが、やがてヨーロッパ全土に燃え広がり、そしてついに一七年の偉大なるロシア革命へとのぼりつめていったのだ。」この革命的闘いをひきついでいるという確信に燃えた労働者の熱い決意表明に、すべての労学がふるいたち、満場の拍手で応えた。

全世界人民に「朝鮮核戦争阻止!」の革命的檄

 会場の熱気が高まるなか、わが同盟・革マル派の代表が連帯あいさつにたった。
 「わが党は、日本の労働者・学生、さらにはアメリカの、南北朝鮮の人民にたいして、わが革マル派とともに反戦・反権力の闘いにともに起ちあがることを呼びかける」――わが同盟の代表は、全世界の人民にむけて革命的な檄を発した。そして彼は、わが同盟の「朝鮮核戦争阻止」の檄は、すでに五ヵ国語に訳されて世界各国の人民に届けられていることを誇りをもって報告した。まさにわが闘いはインターナショナルに波及し、熱い共感と反響をよんでいるのだ。
 「すべての諸君、警戒し身構えよ」――わが同盟の代表は、警鐘を打ち鳴らし訴えた。反トランプ勢力による<ロシア・ゲート>の暴露とFBIの捜査に決定的に追いつめられた大統領トランプが、この危機をしのぐために、北朝鮮にたいする先制的な軍事攻撃をいそぐ危険がある。「破廉恥漢トランプの自己保身のための北朝鮮軍事攻撃を許すな!」
 安倍政権が戦争挑発者として朝鮮戦争の危機をみずからつくりだしながら、この危機を最大限に利用して、第九条を完全に破棄するという憲法大改悪に突進していることにたいして、わが同盟の代表は、断固として闘争宣言を発した。「日本をアメリカとともに<戦争をする国>へと飛躍させるための血路をきりひらこうとしている稀代の軍国主義者・安倍にたいして、われわれ日本労働者階級の怒りの鉄槌をふりおろせ!」
 決起集会の最後に、早稲田大学のたたかう学生が決意表明にたった。彼は、全早大生に「朝鮮核戦争を絶対に阻止しよう」と呼びかけ、大きな共感をつくりだしてきたことを自信をもって報告した。そして、いまこそ国会を何重にも包囲する一大闘争をまきおこし、共謀罪法の制定を木っ端微塵に打ち砕こうと力強く訴えた。
 たたかう決意を確固としてうち固めた労学は、勇躍デモンストレーションにうってでた。
 国会、アメリカ大使館、首相官邸にむけて意気高く行進する労学の部隊にたいして、警察権力が憎悪をむきだしにして凶暴な弾圧をしかけてくる。たたかう労学は、この弾圧をスクラム固くはねかえし、「参戦阻止! 内閣打倒!」「改憲阻止! 安保粉砕!」の力強いかけ声を轟かせながら、怒濤のごとく進撃してゆく。こうして赤坂・氷川公園までのデモンストレーションを最後まで貫徹したのだ。

階級的団結をうち固めネオ・ファシスト政権を打ち倒せ

 北朝鮮権力者がアメリカ本土を核攻撃しうる大陸間弾道ミサイルを掌中にすることを阻止するために、トランプ政権は、先制核攻撃の恫喝を加えながら、核・ミサイル開発の「完全放棄」を迫っている。これにたいして、金正恩政権は、五月十四日につづいて二十一日にも弾道ミサイルの発射実験を強行した。〝核武装しないかぎり、アメリカに攻めこまれる〟という恐怖の虜となっている金正恩は、「核は命同然」と叫び、核・ミサイル開発の「放棄」は断じて受け入れない態度を鮮明にしている。トランプ政権と金正恩政権との非和解的で決定的な対立のゆえに、朝鮮半島で核戦力を突きつけ合う米・(日・韓)と北朝鮮との全面的な軍事衝突の危機は日々深まっている。このような未曽有の危機のまっただなかで、全学連と反戦青年委員会のたたかう労学は、日共中央をはじめとする一切の既成平和運動指導部の死の沈黙を突き破り、唯一、米・日・南北朝鮮をはじめとする全世界の労働者・人民にむかって、総力で朝鮮核戦争を阻止せよ、という革命的檄を発したのである。たたかう労学は、日本、アメリカ、南北朝鮮人民にたいして、アジア人民を熱核戦争の劫火で焼きつくそうとしている自国政府を打倒する闘いに断固として起ちあがれ、と檄を発してきた。そして南北朝鮮人民に、いまこそ南北朝鮮のプロレタリア的統一をめざして前進せよ、と呼びかけてきた。日本のたたかう労学の闘いは、世界各国の労働者・人民の行く手をさし示し、かぎりなく鼓舞しているのだ。この画期的闘いの地平にふまえ、さらに前進せよ!
 北朝鮮侵略戦争への参戦にふみだした安倍政権は、一切の反対運動を根絶やしにすることをねらって、いま共謀罪法の制定に血眼になっている。衆院において強行採決した政府・自民党は、維新と結託してこの反動法案を何がなんでも今国会において可決・成立させようとしている。治安弾圧の一挙的強化と国民総監視社会の創出という暗黒支配を断じて許してはならない。共謀罪法の制定を断固として阻止せよ!
 われわれは、声を大にして訴える! すべての労働者・学生・人民は、安倍政権による憲法第九条の大改悪を絶対に阻止するために、いまこそ総決起せよ! 首相・安倍は、みずからの在任中に憲法第九条の改悪をなしとげるために、公明および維新を抱きこむのみならず、民進党を分裂に追いこみ、来年中にも改憲発議にもちこむことを策して突進しはじめた。改憲発議・国民投票を絶対に阻止せよ! いまこそ対北朝鮮戦争と憲法第九条改悪に突進する日本型ネオ・ファシスト政権を打倒せよ! わが同盟・革マル派は、労働者階級の前衛党たるの矜持にかけて、その最先頭に立ってたたかいぬく! ともにたたかおう!
  1. 2017/05/26(金) 00:14:24|
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F書店書籍部のTのことなど

古本屋通信   No 2579    2017年  05月25日


    F書店書籍部のTのことなど


 私が3月1日に書いた「通信 No 2455 F書店時代の後輩Mさん」の拍手が100を超えた。何が面白くて、誰が拍手するのか分らない。F書店時代のことは、私にとって長い間タブーだった。タブーの意味を書くだけでも紙幅を要する。それでも差し障りのない範囲で一寸ずつ書いてみようという気になった。

 F書店のFを初め、固有名詞はいちおう匿名性を確保して書く。これは諸般の理由からだが、実質的には知る人には隠さないという書き方になろう。とりあえず第一回目は表題「F書店書籍部のTのことなど」で書く。


 私がF書店に就職したのは1970年春である。1年目に通信添削部(のちの進研ゼミ)、2年目に高校模試部(のちの進研模試)、そして6年目に、新設された書籍部に配属された。以後10年間同じ部署で働いた。

 この新設の書籍部には前史があった。学術出版部である。これはテスト屋と呼ばれる事業をカムフラージュするために作った社主の道楽だった。然し、それにしては地元の岡大などと連携して良い出版物を作っていた。これは社主Fのアイデンティティでもあった。私は既に書いた通り社主Fについての人物評はしない。ただ、以下で書くT、そして私も、社主Fと最後まで上手く共存できた。

 社主Fのことは書かない。Tのことを書く。

 Tは私と同年の1945年生れである。公立の尾道短期大学経済学部を卒業後に入社した。私は大学でムダ飯を2年食ったあとに入社したから、彼が4年先輩である。Tはずっと学術出版部であり、書籍部として再出発して以後の6年間、私は彼の部下として共に仕事をした。やがて出版部門の主力が東京支社に移ると、彼は文芸部のお目付け役として、東京支社に転勤し、第2代目の『海燕』編集長となる。以後もずっと編集畑だった。やがてF書店から出版が消える。そのごTは支社長、そして岡山本社の社長室長を歴任する。だがF書店の出版事業史に最初から最後まで係わり続けた人物はTを措いて存在しない。だが彼は書かないだろう。

 彼は私が古本屋を開店してからも、何回か店に来た。その頃は2代目社主だった。私もだが、Tも2代目には愛着を持っていなかった。当時の社長室長だが、取締役ではない部長待遇だった。Tは70人程いる部長のちょうど真ん中のランク(序列)だと言っていた。社歴は最長だったろう。つまり出世とは程遠かった。彼は定年を2年残して辞めた。末期癌の細君を看とるためである。神奈川県に中古の豪邸を買った。退職時に持ち株を売って億の金を得た旧社員はかなりいた。Tは5億円だったらしい。

 再び岡山を去ってからのTとは年賀状だけの付き合いになったが、それも数年で途絶えた。ネットで検索すると神奈川県横浜市の教育委員会に関係していた。感心しないが彼らしいと思った。つまり見かけのリベラル実は地金の右が出た。ちょうど石崎みたいなもんだ。彼は情念の人であり、文学の人だった。F書店文芸部の寺田博も、井上太郎も、Tもこの点では同じだったろう。誰からも愛された。私は15年の在職中12年を一緒に過ごした。私は彼とは表面的には仲が良かった。しかし私にとって、彼ほど面倒で確執のある人物はいなかった。つまり感性がまるで違った。私は「文学の人」はトコトン苦手である。

 私の今回の文は冒頭の「F書店時代の後輩Mさん」と違って自己完結していない。つまり書こうと思えば、この10培でも書ける。書けば書くだけ鬱陶しさは募るだろう。F書店時代とは私にとって、そういう時代だった。


  追記

 私が辞めてから少し後にF社主が突然死した。私もショックだったが、Tもショックだったろうと、東京(まだ神奈川の家は買っていなかった)のTの自宅に電話を入れた。Tは帰っておらず、細君がいた。岡大教育学部卒で、Tといっしょに学術出版をやった元同僚である。私も旧知の仲だ。細君が電話でワンワン泣くのである。こっちまで泣いてしまった。F社主とはそういう人物だった。然し敵も多かった。

 この稿は「通信 No 2455 F書店時代の後輩Mさん」で書いた3人Mさん、Oさん、Yさんなら理解してくれるだろう。Tは3人の中にも、それぞれ深く入り込んでいた。みんなTが好きだった。これは間違いなく私のTに対する嫉妬である。

 次回はF書店書籍部が学術出版部から引き継いでいる郷土出版物、そして岡大を中心とする著者について触れたい。
  1. 2017/05/25(木) 06:35:07|
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四国ブロックは吉良佳子で当選を

古本屋通信   No 2578    2017年  05月25日


  四国ブロックは白川よう子に替えて、吉良よし子で当選を目ざせ

 衆院比例四国ブロック(定数6)で、日本共産党が1議席獲得することは殆んど不可能である。先ほど予定候補者の白川よう子のムービーを視聴した。21日の四国集会当日の、たぶん志位の訪高のときのものだったろう。内容は何にもなかった。

 喋っていることは、自分が県議の貴重な一議席を投げて打って衆院に四国から挑むから宜しく頼む、ということだけだった。絶対に落選する。断言する。理由は要らないだろう。典型的な党カルトである。喋りには慣れている。垣内よりは上手い。ただそれだけである。ここまで無内容だと論外だ。自身の経歴では、両親が高校時代に離婚して貧困にあえいだそう。それが記憶に残っている。両親の離婚は大平も同じだが、彼の場合はサラッと喋った。白川には楽天性がなかった。すべてダメだ。よくも自分の仕事である県議を捨てて出られるもんだナ。まるで出世街道を昇るから宜しく、と聞こえた。論外である。いますぐ降ろせ。これは党中央に言っておく。

 で、代打だが、いろいろ考えて四国四県内では、当選可能な玉(候補者)はいない。熟慮した。ここは中央から吉良よし子参議員議員を投入するしか手はないのではないか。吉良は現職の参院議員で、東京選挙区選出である。小池晃が何度も落選した東京選挙区で、吉良ブームを巻き起こして当選した。次期も固いだろう。でも、東京は吉良でなくても大丈夫だ。ウラ選挙では山添拓が楽勝している。そうだ、2年半後の参院東京選挙区には、吉良の代わりに大田朝子を出せ。山添の細君だ。夫婦揃って表裏の参院議員だ。当選するだろう。選挙は経験済みである。

 四国でブームを起こせるのは吉良しかいないだろう。前回の浜川百合子には、まだ輝きがあり、初々しい魅力があった。あわや当選するのではないかとさえ思えた。白川には、自分の仕事を投げ出して上級議員を目ざす不良党員の印象しかない。今のままでは四国ブロックは、たぶん前回得票に遠く及ばないだろう。それは21日の集会に1700人しか集まらなかったことでも明らかだ。白川は四国の党員にさえ支持されていない。党員に持されない候補者が当選すことはあり得ない。

 なぜ吉良よし子か。それはもともと彼女の出身地が高知県だからだ。父親も元高知県議だった。吉良は東京で育って東京の学校に行ったが、南国土佐の熱き血が流れている。そう、比例四国ブロック候補者は高知でなければならない。自由民権運動以来の革新の伝統がある。

 白川は香川県議の仕事に専念せよ。比例候補の活動と両立させようと決意した時点で狂気に陥っている。それ以前に、有権者を愚弄している。コレが分らん奴に何を言ってもムダだろうが、例えば岡山県議の須増伸子を、大平や垣内に替えてブロック候補に立てれるか。気ちがい沙汰である。まあ香川県議は土倉敬)いらい酷かったナ。立身出世主義だったということだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     「通信 No 1602」より

 徳田の評価はこうだった。党東讃地区委員長の土倉敬(のちに香川県議)は指導に入った学生細胞でこう言った。

 わが党の徳田同志は非常に優れた同志でしたが、一面で家父長的指導をするという誤りを犯しました。彼は北京で客死しましたから、自己批判する機会はありませんでしたが、彼の誤りを公然と批判し、極左冒険主義の51年綱領を改めたのが党の六全協でした。

 私はすかさず反論した。「それは違うでしょう。六全協決議には51年綱領は完全に正しかったと書かれていますよ」 と私。この時から土倉は私を目の敵にするようになった。この件もいずれ書きたいと思っている
  1. 2017/05/25(木) 03:27:38|
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藤野に党委員長の座を譲れよ

古本屋通信   No 2577    2017年  05月24日


   志位は藤野に党委員長の座を譲れよ


  「共謀罪」に反対出来る論客は藤野しかいないのか。 けっきょく志位も小池もダメで、「共謀罪」に反対出来る論客は藤野しかいないのか。


 情ないなあ。大切な国会の反対討論である。その討論に党委員長の志位も、書記局長の小池も登壇しないで (自分たちが首を切った) 藤野にやらせる。こんな執行部なんて要らないよ。法案は先週、衆院法務委員会を通過した。今週本会議で強行採決されるのは目に見えていた。なんでそんな大切な時期にドサ廻りして息抜きするんだよ。小池は福山で、志位は高松で油を売っていた。いま選挙中ではない。なんでドサ廻りなんてするんだ? けっきょく逃げてるんだ。自己充足。敵のいない味方だけの空間でサボっていた。小池の顔を河村さんがアップしてたが、フヤケ切っていたワ。

 も、いいから藤野に委員長を譲れよ。(要旨)ではなく質問全文を貼るべきである。それとも藤野を信頼していないのか。




 「共謀罪」法案 衆院本会議
 藤野氏の反対討論(要旨)
 2017年5月24日(水)   赤旗
 日本共産党の藤野保史議員が23日の衆院本会議で行った「共謀罪」法案の反対討論(要旨)は次の通りです。

 自由と民主主義がかかった重大法案であるにもかかわらず、本法案の審議は全く尽くされていません。

 反対する理由の第1は、本法案が、具体的に危険な行為があってはじめて処罰するという近代刑事法の大原則をくつがえし、日本国憲法が保障する思想・良心の自由、表現の自由などを侵害する違憲立法そのものだということです。

 5月18日、国連人権理事会が任命した国連プライバシー権に関する特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏から、本法案がプライバシー権や表現の自由への「過度の制限」になると強く懸念する書簡が総理に届けられました。

 菅官房長官は、この指摘は「全くあたらない。強く抗議する」などと述べましたが、共謀罪が必要な理由として、国際条約の締結や国際社会との連携をあれほど強調しておきながら、「全くあたらない」と切り捨てる。その姿勢はご都合主義そのものであり、到底許されません。

 第2に、本法案について、政府は「テロ対策のため」「一般人は対象にならない」などと説明してきましたが、今やその説明はボロボロです。

 国際組織犯罪防止条約の作成過程では、日本政府をはじめG8のほとんどの国が「テロリズムは本条約の対象とすべきでない」と主張していました。本条約がテロ防止条約でないことは明らかです。

 日本はすでに、テロ防止のための13本の国際条約を締結し、66の重大犯罪について、未遂より前の段階で処罰できる国内法を整備しています。同条約の締結に共謀罪の新設は不要です。

 政府は「組織的犯罪集団」や「実行準備行為」を要件としているから「内心を処罰するものではない」と主張していますが、いずれも判断するのは警察です。

 「実行準備行為」について、「花見と下見は、外形上区別できないではないか」と聞くと、金田大臣は「ビールと双眼鏡など、外形上で区別できる」と強弁しました。しかし、「それでは区別にならないではないか」と聞くと、今度は「計画に基づくかどうかで判断する」と言いだしました。「外形上区別できる」と説明してきたのに、結局は「計画」すなわち内心でしか区別できないことを自ら認めたものにほかなりません。内容も答弁もボロボロの本法案はただちに廃案にすべきです。

 第3に、本法案は、モノ言えぬ監視社会をつくりだす「現代版・治安維持法」であり、安保法制=戦争法、特定秘密保護法、盗聴法などと一体に日本を「戦争する国」に変質させるものです。

 質疑の中で、岐阜県大垣署の市民監視事件や堀越事件など、警察による監視活動の実態が明らかになりました。警察は、違法性が認定されても「適正な職務執行だった」と開き直っています。ここに共謀罪が新設されたらどうなるか。警察がいま以上に大手を振って一般市民の監視に乗り出すことは火を見るよりも明らかです。

 いま安倍政権の暴走に対して、もの言う市民が声をあげ、野党と市民の共同が広がり、新しい日本の民主主義が動き始めています。

 安倍総理による「9条改憲」発言は、本法案が戦争する国づくりの一環であることを改めて浮き彫りにし、広範な市民が怒りの声をあげています。共謀罪は日本の民主主義の発展を恐れ、もの言う市民を萎縮させようとするものです。しかし、この新しい民主主義の流れをおしとどめることは絶対にできません。

 共謀罪法案の採決を強行するならば、虚構の多数で暴走する安倍政権への怒りがさらにわきあがり、安倍政権打倒のうねりとなって広がるでしょう。

 日本共産党は、法案採決に断固反対するとともに、多くの市民と固く連帯して、必ず本法案を廃案に追い込む決意を表明します。
  1. 2017/05/24(水) 10:32:44|
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余江・仁比合同ポスターの怪

古本屋通信   No 2576    2017年  05月24日


  余江雪央衆院岡山一区候補者・仁比聡平(2年半後に改選の現参院議員) 合同ポスターの怪。及びその謎解き。

 先ほど店から自宅に帰る途中の共産党事務所(下伊福)で目新しい奇妙なポスターを見かけた。表題のポスターである。今まで衆院小選挙区のポスターは、共産党の候補者のみ貼られていなかった。ようやく余江さんのポスターが出来たのか。そう思って眺めたのだが、たちまち? となった。なんで抱き合わせの写真が、2年半後に改選の現参院議員・仁比聡平なのか。ふつうは衆院比例中国ブロックの大平を充てるだろう。でも参院は時期が固定されているから、2年半後に改選を迎える仁比でも構わないだろう。

 だが待てよ、おかしいのではないか? 確かに抱き合わせは参院でも構わない。でも何ゆえ仁比聡平となるのか???

 たしかに仁比は前回3年半まえに中四国九州を重点に活動して当選した。間違いない。でも党中央が比例得票目標を850万票に設定した昨年の参院選挙では、重点地区割りを中四国と九州に分割した。中四国は春名を候補者に充てた。結果は周知のとおり、基礎票の少ない中四国の春名は落選した。これは票調整しない限りは落選必至だった。でも春名本人も中四国の党員も春名の当選を信じ切っていた。だから我々の見えないところで、一大混乱があっただろう。おそらく党中央は春名の高知県委員長選出にまで関与していた。でないと納まりが付かなかったろう。

 で、党中央は次期参院選挙比例区では一切の票調整はしないと、中央委員会総会または全国都道府県委員長会議で明言した。結果、参院比例区の中四国票割りを廃止して、中四国・九州一本に戻したのである。なぜなら中四国だけの票割りだと、いつまで経っても、全国最低の絶対得票数だから、850万フルに得票しない限り落選確実である。誰も春名のあとを引き受けて候補者になる者はいない。

 言うまでもなく、これで春名が次期参院比例候補に選ばれる可能性は完全に消滅した。これは既に高知県党会議で彼が県委員長に選出された段階で消えていた。これからは再び仁比聡平が中国路に足を踏み入れることが多くなるだろう。


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 余談だが、垣内京美が中国路で活動している。大平に続く衆院比例中国ブロック候補者である。それは良いのだが 「中国ブロックで2議席目」 など、誰が考えてもあり得ない駄法螺は吹かない方がよい。デマ宣伝はしない方がよい。大平の一議席さえも危ないのは誰でも知っている。垣内も自分の役どころを心得た方がよい。下手な選挙演説を改善するチャンスだろう。

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 上記を私は30分懸けて書いたが、コレを思い到ったのはポスターを一瞥後の瞬時である。連れ合いに話した。然し何のことか全く理解しなかった 「アンタあほじゃなあ、どっちでもええが。それよか、田舎の草刈りをしに帰りんさい」。けっきょく私は共産党趣味者オタクということらしい。納得した。
  1. 2017/05/24(水) 06:59:39|
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春名直章に見る社会運動家の資質

古本屋通信   No 2575    2017年  05月24日


     春名直章に見る社会運動家の資質

 此処では予め結論を書くことから始める。政治党派に限らず社会運動家に求められるの資質は多々あるが、その重要な一つはバランス感覚である。バランス感覚と云う言い方が大雑把すぎるなら、戦略と戦術の使い分けと言ってもよい。つまり当面する戦術を、長期的な戦略的展望に位置づけて駆使する能力である。これは党派の活動家に、とりわけ求められる能力である。つまり、めくら滅法時の党中央の政治方針に盲従していると、知らぬ間に自分が崖っぷちに立たされて、あわや党中央から御用済みとして捨てられるのである。その憐れな元衆院議員が春名直章であった。彼は辛うじて党高知県委員長として生き残ったが、いまでも彼の政治手法は変っていない。これじゃあ地方の県委員長も持たないだろう。そう思って親切心から此処にエントリーを立てた。

 まず至近の春名の記事全文は以下である。


 志位委員長を迎えた四国大演説会に1700名、共謀罪阻止へ緊急集会
 2017年5月23日   春名直章   行っちきち戻んちきち
 21日、高松市で志位和夫委員長を迎えた大演説会を開催、1700名もの参加で大成功し、ほっと胸をなでおろしました。志位さんのお話はもちろん、4県からの激励あいさつも、白川候補、松本一区候補の決意も参加者の胸を打ちました。28台のバスを使って四国各地、香川県の隅々から参加したみなさんに、党の魅力と値打ちに大きな確信を持っていただいたと思います。7名の方が当日入党を決意しました。この成功を力に14年ぶりに、必ずや四国で国会議員を誕生させます。舞台袖で進行を見守っていたので横からの写真とモニター写真しかありません。ごめんなさいよ。
 23日、昼休みに共謀罪衆議院本会議強行採決に抗議した緊急集会。党を代表して島﨑やすおみ二区予定候補が決意、民進、社民、新社会の代表も怒りの決意表明。野党と市民の共闘で安倍ぼろぼろ自公政権を追い詰めよう。


  21日の演説会を高知市ではなく高松市で開催した理由は2つある。比例候補の白川よう子が香川県の候補者であること。それから四国の玄関口の高松でないと、愛媛・徳島の支持者が集わないこと。間違いないだろう。春名は1700名が 「大成功し、ほっと胸をなでおろしました」 と書いている。これは本音の感想だろう。救いがない。私の捉え方は違う。1700名は失敗である。これが如何に少ないか、福山の小池を招いての街頭演説会でさえも700人の聴衆だった。準備なしの福山だけ。全四国の動員なら最低5000人だろう。これで白川よう子の落選は確定的になった。これが普通のバランス感覚の評価だ。でも高知県委員長の春名にはそうは書けまい。なら書かなくてもよい。黙っておけばよい。委員長・志位の演説会をシカト出来まい。ならブログなんかやめてしまえ。現に香川県委員長も愛媛県委員長も徳島県委員長も書いていない。
 高松に志位が来たのは、参院選本番で党候補の田辺が「野党統一」候補となったとき以来である。あの時はもっと多かった。小沢も来た。民進党の安住も来た。今回たったの1700人だった。これでは香川県下だけでも、少なすぎる。その理由は多くあろうが、決定的なのは志位にインパクトがまるでないこと。春名の記事にも、志位が熱狂的に歓迎されたとは書かれていない。大昔の1960年代、高松市に宮本顕治が来たことがあった。松山は彼の高校時代の一時期を過ごした土地だったから、「四国は懐かしい」と言っていた。香川県下だけで3000人集まった。この時代の党の集票力は県下だけで約2万票。いまと変らない。白川は絶対に当選しない。なんで現職県議を自殺させるんだ。春名にはそういう視点はない。とことんカルトである。
 党の演悦会に民進、社民、新社会の代表がやって来て挨拶してもおかしくない。県党会議は党内会議だから絶対に招いてはならない。演説会は大衆集会である。来て挨拶して貰ったらよい。でも来なかったのだろう。春名にはコレを残念がる視点はない。これもバランス感覚の喪失である。つまり展望も総括もない、あるがままを肯定して受容するだけ、これは党の活動家ではない。

 
 春名は昨年の参院選で自分の落選が確定した投票日翌日、悔しさで眠れず、その足で高知市内の街頭に立って選挙報告をした。民進党の統一候補大西そうと民進党高知県連の代表広田一と、3人で御礼の挨拶をした。これは有権者に対する儀礼である。やったらよい。でもこれは党としての総括ではない儀礼のセレモニーである。全く常識では考えられないが、春名はそのユーチューブを、自分のブロヅのトップに貼り付けた。貼り続けた。気ちがい。まるで民進党との共闘が、高知県党にとって永遠不動な真理であるかの如く。


 この破綻は直後から絶え間なく続いている。県内四万十市長選挙での野党共闘の破綻と土佐高知氏の大敗もそうである。春名はこれについても書いているが、自分の都合が悪いことは全てスルーである。

 以下の至近の記事もそうである。


 共謀罪法案強行採決に強く抗議。たたかいはこれからです
 2017年5月20日   春名直章   行っちきち戻んちきち
 昨日は、19日行動の日であり、四国いっせい宣伝の日。加えて共謀罪法案が衆議院法務委員会で強行採決されるという重大な一日となりました。
 早朝、旭地域の後援会のみなさん、中根さち県議とともにスタンディング宣伝へ。久々に私も演説し、へったくそ、になっていることを実感。いままでがよかったわけではありませんが…。とにかく気持ちを込めることが大切と開き直ってごあいさつ。
 夕方から共謀罪法案の衆議院法務委員会強行採決を受けて19日行動の集会へ。その30分ほど前には定例の原発ゼロ金曜日行動も。暴挙に怒った市民が次々参加、みるみるふくれあがって参加者は150名規模に。松本けんじ一区予定候補も決意表明、社民党、新社会党のみなさんも決意表明したのでsが、民進の代表の方がなぜか参加しておらず残念。私たちの運動で安倍政権を追い詰めています。加計学園の問題も火を噴いています。がんばりぬいて解散・総選挙においこみましょう。共謀罪法案を廃案に!心の自由を守れ!



 赤大文字部分だが、こうヌケヌケとシャーシャーと書ける神経に驚愕。統一候補だった大西そうも、民進党高知県連の代表広田一も、共謀罪法案に反対ではないから欠席した。或いは反対であっても共産党と共闘したくない理由があるから、やって来ないのだ。それを 「なぜか参加しておらず残念」 で済ます神経。つまり春名の冒頭のユーチューブは参院選翌日に賞味期限が切れている、それがわからない低脳。こういう県委員長は全国に春名ただ一人であろう。

 アホごとを書いた。くだらないブログなど閉じたらよい。行っちきち戻んちきちからしてイカレテいる。正気に戻れよ。

  春名語録

 野党共闘は、参議院選がホップ、都知事選がステップ、衆院選がジャンプです。

  なら春名君に訊く、東京都議選はなんなら? 民進党は何所にもいない。社民党も、自由党もいない。実質は小池百合子との共闘だな。自民党員にして極右日本会議との共闘だな。
  1. 2017/05/24(水) 02:38:24|
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石原萠記は右翼ゴロツキの総帥

古本屋通信   No 2574    2017年  05月23日


 石原萠記は松前重義と共に日本右翼の総帥である

 私は何故か戦後保守の中で、自民党ゴリゴリの政治家に階級的憎悪を懐くことは少ない。例えば吉田茂、田中角栄、三木武夫、そして安倍晋三も。然し保守本流ではない極右勢力には殺意に近い憎しみを懐く。その原体験は、たぶん高校時代の江田三郎だったろう。つまり日本の革命運動を、極めて卑劣な方法で破壊する輩である。私は今では江田五月に対する憎しみは随分緩和されたが、コレは私が歳をとったせいだろう。

 その江田さんが、きのう以下の表題の文を自分のページに掲載された。短いから全文を転載しようと試みたが、コピー不可だった。どうか直接訪問してお読みください。私は石原萠記という人物については、松前重義ほどには熟知していないのです。しかしウィキペディアを見るかぎりでも、戦後日本の右翼ゴロツキの総帥であることは疑いありません。江田さんも正直に語っています。戦後左翼は棺桶に入ってからの人物評価を間違えないことです。



 「石原萠記先生へ思い出の一言」を掲載しました
 投稿日: 2017年5月22日  江田五月


  石原萠記  ウィキペディア

石原 萠記(いしはら ほうき、1924年11月5日 -2017年2月24日[1])は、日本の社会主義運動家。社会党右派のイデオローグ。ソ連(ロシア)、中華人民共和国、韓国との文化交流、友好親善に努めている。出版社の自由社社長。日本対外文化協会副会長。日本出版協会理事長。STV-Japan取締役。「萠」は俗字で、人名漢字を使用して「石原萌記」と表記されることも多い。

経歴[編集]

山梨県甲府市百石町の染物店の二男として生まれる。1944年、早稲田大学在学中に陸軍に応召。1945年、中国・漢口の第6方面軍司令部参謀部で終戦を迎える。

1946年、上海から博多に復員。その後、東洋大学史学科で考古学を学ぶ。日本共産党員だった渡辺恒雄や河合武(河合栄治郎の長男)らと学生運動を行う。日本共産党の影響下にあった「民主主義科学者協会」(民科)の歴史部会に出入りし、石母田正、藤間生大、松本新八郎ら共産党系歴史学者の研究に傾倒していた時期もあった。1951年卒業。

学生時代から右派社会党の衆議院議員、三輪寿壮の下で革新運動を行い、卒業後は郷里の山梨県に入り、県議や古い党員を次々と除名して右派社会党山梨県連を再建。衆院選出馬を準備していた。河上丈太郎(元社会党委員長)とは、河上の長男・民雄が留学から帰国する際に書籍の整理を依頼されるほどの仲だった。

1956年、「日本文化フォーラム」の設立に参画(当初は事務局長、後に専務理事)。1959年、自由社を設立し、月刊誌「自由」を創刊。

東海大学総長や社会党衆議院議員を務めた親ソ連の代表的人物、松前重義と親しく、「現代の巨星」と絶賛。1966年、ソ連政府の提案によるソ連・東欧との交流組織「日本対外文化協会」(対文協)を松前とともに設立した(現在副会長)。日本対外文化協会、日ソ友好議員連盟、日ソ親善協会、日ソ交流協会、日ソ貿易協会の対ソ関係5団体とソ連の官製対日友好組織が主催して1979年から1988年まで開催された「日ソ円卓会議」では政治部会の座長を務めるなど中心的役割を担った。日ソ円卓会議の内容は「自由」誌上に掲載された。松前は自由社の取締役を務めた。

1972年、新しい社会主義を検討するため「変貌する社会と社会主義 国際セミナー」を社会主義インターナショナルなどと共催。このセミナーを機に江田三郎と親しくなり、江田から社会党離党の相談を受けるなど政治的盟友となった。

社会主義の中でも非共産党の社会民主主義の信念を持ち、社民・中道勢力による自民党政権打倒を目指した。1972年、江田三郎、矢野絢也(公明党書記長)、佐々木良作(民社党書記長)を、西ドイツで大連立を成功させた首相(ドイツ社会民主党党首)、ヴィリー・ブラントと会談させることを企て、8月28日にミュンヘン郊外で実施する準備を進めたが、マスコミに察知され中止となった。1990年には、松前重義とともに、土井たか子(社会党委員長)、永末英一(民社党委員長)、江田五月(社民連代表)や山岸章(連合会長)らに対し、西欧型の社会民主主義政権の樹立を目指す「社会民主主義研究会」の設立を呼び掛けた。

「自由」2008年2月号の座談会で「『自由』の役割は、60年安保、70年安保を闘い、それ以降の70年半ばには、江田三郎さんたちと社会主義インターを日本へもってこようとして、いろいろとご協力し合ってきた。そして、それが社公民という形で一つの運動になった」「『自由』の歴史は1959年発刊以来、一貫して民社主義(民主的社会主義)を理想としつつ、現実をいかに改革するかを、理論・政策と実践の両面から努力してきた」などと発言している[2]。

歴史認識[編集]

政治思想は反共主義を表明し、右派言論人に分類されることも多いが、前述した通り民主社会主義者でもあり、中国や韓国との相互理解を強調し、日中戦争や太平洋戦争の戦争責任は昭和天皇にあると繰り返し表明しており、日韓基本条約や日中国交正常化[3]を推進する一方で反共的で右派的だった民社党と同じ典型的な民主社会主義者である。また、沖縄戦における集団自決についても軍の命令だったとの立場をとっている。これは、自由社が刊行している『新しい歴史教科書』が依拠する自由主義史観と矛盾してる点も少なくなく、新しい歴史教科書をつくる会が教科書の新たな発行元に自由社を選んだことに疑問の声が出ている。

東京電力との関係[編集]

東京電力社長だった木川田一隆と親交があり、その紹介で平岩外四(後の社長、会長)と知り合う。石原および自由社は「自由」への広告出稿など東京電力から財政援助を受けていた。週刊文春の取材に対し「昭和の時代には、カネに窮して年も越せない時、東電の副社長は100万円用意してくれたなぁ」と語っている。東京電力がマスコミ関係者を連れて中国を訪問する日中友好ツアー「愛華訪中団」を主催。東日本大震災による福島第1原発事故が起きた2011年3月11日もツアー中で、東京電力会長の勝俣恒久らとともに中国の要人に面会に行くバスの中で地震を知ったという[4]。

東京電力幹部と民主党関係者をつなぐ懇親会「十人十色の会」を主宰。メンバーには江田五月や海江田万里らがいる[5]。

家族構成[編集]

妻、石原信子は自由社監査役。長男、石原寿記は横浜地方裁判所判事。長女、石原圭子は東海大学教授。寿記の名付け親は三輪寿壮で、「寿」の文字を与えた。圭子は松前重義の縁故で東海大学平和戦略国際研究所の助手として採用され、その後、講師、助教授、准教授となった。また、石原の妹は三輪の秘書を務め、三輪の死後は松前の秘書となった。このように石原と社会党関係者の交際は家族ぐるみだった。

著書・編著・共著[編集]
『江田三郎-そのロマンと追想』(『江田三郎』刊行会、1979年)
『韓国・北朝鮮統一問題資料集』(自由社、1979年)
『三宅正一の生涯』(三宅正一追悼刊行会、1983年)
『追憶-裏方政治家に徹した松井政吉先生』(いわき社会問題研究会、1994年)

訳著[編集]
張香山著『日本回想-戦前、戦中、戦後想い出の記』(自由社、2003年)

参照[編集]

1.^ “評論家の石原萠記氏死去 月刊「自由」発行”. 時事通信. (2017年3月21日)
2.^ 「自由」2008年2月号 p.32
3.^ “民社党訪中代表団と中日友好協会代表団の共同声明”. 東京大学東洋文化研究所. 2016年11月4日閲覧。
4.^ 週刊文春2011年3月31日号
5.^ 週刊文春2011年4月7日号
  1. 2017/05/23(火) 06:56:41|
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詩誌『日本主体派』(前衛文学会)

古本屋通信   No 2573    2017年  05月22日


  詩誌 『日本主体派』 (1950年 第二集 岡山前衛文学会)


 先ほど片付け屋さんから古紙業者さんを通じて、かなり大量の短歌雑誌が入った。一部戦前のものもあるが、主として昭和21~25年発行の短歌結社の小雑誌である。地域は全国にわたる。残念ながら古本としては銭にならない。表題の詩誌『日本主体派』 は18ページの小冊子である。

 他に岡山関係では以下があった。

『女人随筆』(創刊号~第40号)、 『愛生』(第4巻第4号 長島愛生 昭和25年)、 『王山短歌』(国立岡山療養所王山短歌会 昭和25年)

は昭和43~55年にかけてのもので新しいが、創刊号から纏まって出るのはめずらしい。然し個人的には興味は薄い。は共産党員が中心だと思うが、初期ゆえによく分らない。は悪名高い光田健輔が巻頭文を書き、永瀬清子が詩の選者になっている。の巻頭歌は服部忠志である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 此処では表題の『日本主体派』を取り上げ、出来るだけ忠実に再現することを試みたい。尚、岡山県内図書館を横断すると『日本主体派』第二集は皆無だった。岡山県立図書館に一冊在庫する 「日本主体派 前衛文学会 1949」 は第一集であろう。

 


  日本主体派  第二輯  1950年2月刊


  戦後派文学とその開示性(其の一 序) ・・・・・・・・・ 西川一郎 (8頁分3段組の長文評論ゆえに省略せざるを得ない)


 爆心地の鳩    小 野 十 三 郎

土砂ぶりの
雨の中に
ぐーと鳩がないていた。
爆心地にすみついた鳩のなきごえだ。
日暮れまでまだ間があるのに
あたりはうすぐらい。
物産陳列館の円屋根には大きな穴があいていて
雨はそこから
ようしやなくふりこんでいた。



 雲に寄せる抒情     西 川 一 郎

雲は美しい
なかんずく夕映えのなかに浮かぶ雲
だが
一天掻き曇るとき
篠突く嵐を
常に恐れよう

やがてほの暗くたそがれてゆく空

雲はしだいに動きはじめた



日本の居酒屋で ー 中国人民政府樹立の日に ー 吉塚勤治

タワリシチ、今夜は飲め!

アジアのどまんなかに
どかんと開(あ)いたでつかい窓。
窓という窓から開放の歌声わきあがり、
街でも村でも爆竹の音。
そこの四つ辻ではヤンコ踊り
ヤンコ踊りをとりまく民衆の顔・顔・顔。

タワリシチ、今夜は飲め!

ここは日本の小都会。
しめつぽい土間ではこほろぎが鳴く。
だが煤げたはだか天井の下で、
焼酎飲んでるふたりにも、
いま新しいアジアの嵐が吹きつける
なだれる歌声とともに。

タワリシチ、今夜は飲め!

ポケツトの底をはたくがよい。
それから腕を組んで
マントのような風のなかを
すののめくるまで歩こうよ。
明日はまたガリ切り、ビラはり
地味な煉瓦積み仕事の連続だ。

タワリシチ、今夜は飲め!




 世 代   内 田 栄 一

國税滞納処分差押物件とはりがみがされたラジオが音ひくく鳴り

往還をはしる自動車がはけぐちのない商品に砂ぼこりをかけたててゆき

便所の臭ひがふちのない畳で飯を食つてゐる家族のあいだをただよつてゆき

はだか天井からはねずみのふんが思ひだしたやうに落ちてくる家のなかでは

ゆがめられたこのやうな情景が公然とつくりだされてゐる現実に腹をたて

平和で自然な世の中を生みだすためこんなひずみをなくしてしまわねばならないと

ちからいつぱいの仕事を押しすすめてゐる人民の政党の候補者へ

いちにちでもはやくそれが実現されるようにせつせつの願ひをかけながら

総選挙の日そろつて希望の票を投じたちちははのほかに

このやうな矛盾した風景に若い胸をいためつけられてゐるひとりのむすこが

ものの五分もをればからだぢゆうに蚤が喰ひ入つてくる部屋にあぐらをくんで

ともすると全身の力をうばはれどうにでもなれとねころんでしまふ絶望とたたかひつづけながら

なやみになやみいかりにいかつたあらい息と逆流する赤い血のしぶきとを

いちまいの紙片の白に吐きかけ散らしまいてただひとつきりの詩を書きつづるため

かたい鋼ともなりまたそれゆえにもろく崩れさらぬともかぎらぬ若い胸を燃えたぎらしてゐる

(内田栄一は岡山市西大寺町の古書店主。最近30年前まで岡電西大寺町電停前に店があった。古本屋通信


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 雑記 (編集後記に当たる)

とにかく私はゆかねばならない。と同時に耐えなければならない。この錯乱、この絶望の中になお絶望しきれないものを絶叫し、そして自らそれを肯定し得るだけの自信をもたねばならない。と云うことは与えて下さいと手を受けていのる時代でもなく、ましてマルチザン的な藝術への反逆でなければならない。その中間に血まみれになつている私自身を自覚しなければならないと云うことだと私は考える。 (三垣)

「第一回岡山秋の詩祭」は昨年十一月二十六日(土曜日)午後一時から前衛文学会が主催し、岡山市旭東小学校講堂で盛大に行われた。岡山詩話会、東京世紀の会が協賛し、山陽新聞社、夕刊岡山、縣教育委員会が後援した。この日集つた聴衆は約五百、先ず西川一郎氏が壇上に立つて開会の挨拶をし、続いて小野十三郎氏の 「現代詩の諸問題をめぐって」 と題する講演があり、氏は満身に力をこめて批評精神こそ現代詩の抒情をより高めてゆくものであると約四十分間熱弁をふるわれた。引続き金光洋一郎氏が司会に立ち、永瀬清子「散文詩について」、吉塚勤治「詩と生活」、山本遺太郎 「詩と映画」、吉田研一「詩と演劇」、西川一郎「詩と反逆」、内田栄一「詩の勉強」。中務保二「詩人に望む」 の諸氏によるパネル講演があり、次に中間出演として音楽を入れ、詩誌「遠望」会員等によるピアノ独奏、独唱等を行つた。最後に郷土詩人十数名による詩の朗読があり、午後四時半頃閉会した。最初の試みではあり、反省せねばならない点も多々あつたが、全郷土を挙げて、詩人やその他の文化人たちが積極的に動いたことは、大きな意義を持つものであつて、一般に与えた影響も相当大きかつたと思っている。以上極めて簡単に報告する。 (内田)

「日本主体派」は誌名が示す通り、一つの純粋な主張を掲げて文学運動を展開せんとして発行したのであるが、種々な関係で今少しの間あまり純粋でないとしか言えない現状のままで行くことにした。甚だ残念ではあるが追い追い充足した内容をもりたててゆく積りである。絶望の中にあるとはいえ、われわれは先ず何よりも行動しなければならない。僕たちは詩が書けると自分で思いはじめたらもう発展はないと考えねばなるまい。
 それから僕の一身上の都合等あつて、今まで編輯から校正まで全部内田栄一君にやつて貰つていたが、近く同君も上京することとなり、次号より僕がやることにしたから、繁雑を免くため一貫して以後「日本主体派」に関する原稿通信等は直接別記に送られたい。発行所は現在のまま内田書店内に置く。三垣登紀子君にも編輯の方を一緒にやつて貰うことにした。金光洋一郎君のエツセイ「日本的探究」は紙面の都合上次号に廻した。彼のアルバイトによるこのエツセイはわれわれ現代に文学するものにとつて、大いに考えさせるものがある。期待して貰いたい。 (西川)
  1. 2017/05/22(月) 17:36:53|
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