古本屋通信

「アベ政治を許さない」と叫ぶ感性

古本屋通信      No 2131  8月31日


  「アベ政治を許さない叫ぶ感性

 今日の赤旗に総がかり行動岡山実行委員会の「アベ政治を許さない」マツキヨ前行動の折り込み広告があった。ここまでの感性の劣化は共産党系ではなかろう。まだやっているのか。

  「アベ政治を許さない」 については私も書いたから下に貼っておくが、先日の大平さんとの懇談会でも批判した方がいた。私も聞いているし、連れ合いの絵画の会でも激しい憎悪を露わにする方がいたという。自衛隊を退職された方で憤懣の持っていき場ない様子だったという。

  少し考えてみればコレが言論ファッショの表現であることは分かりそうなものだ。叫んでいる人は佳境に入っている。悦に入っているのだ。私はまだ最終認定はしていないが、このスローガンを考案した澤地久枝をスパイ認定しようと思っている。悪意が感じられる。それと大衆蔑視である。

 「アベ政治を許さない」 は容易に 「共産党政治を許さない」 「志位政治を許さない」 「不破院政を許さない」 に置き換えられよう。これも本人たちには理解できまい。これを克服するのは理論学習するしかない。まあ、このレベルなら丸山真男の 『現代政治の思想と行動』 つまり大学の一般教養のテキストで十分だろう。


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  古本屋通信     No 1714  1月4日

 
  「アベ政治を許さない」 はおかしいのではないか。


 前から書こうかどうしようか迷っていたが、「アベ政治を許さない」 という言い回しはおかしくないか。

  政治スローガンとしては、いかがかと思う。デモに行って一時的に叫ぶ位なら構わないが、いまのように持続して使うのには抵抗がある。

  「アベ政治」は「安倍政治」と同じ意味だろうが、カタカナのほうが坐りがいいのと、「安倍的な政治」 という膨らみを持たせたのだろう。

  しかし安倍が総理大臣になって以後の法案で、野党が、とりわけ日本共産党が賛成した法案はなかったのであろうか。あっただろう。だったら 「アベ政治を許さない」 とは言えないのではないか。

  悪いのは安保法制であり、自衛隊の海外派兵、その他、政権の具体的政治だった。なら 「安保法制を許さない」、「自衛隊の海外派兵を許さない」 と言えばよい。悪政が続き我慢ができなくなったとき、スローガンは 「安倍政権打倒!」 となる。これは現実の議会要求としては 「国会解散=総選挙」 となる。

  どこをどう叩いても 「アベ政治を許さない」 など出てこない。まして「野党は共闘」 などチンドン屋である。

  いま国会解散要求など出されていない。いま総選挙をやったら困るのは与野党ともだろう。

  「アベ政治を許さない」 は安倍が政治をすることを許さないと聞こえる。安倍は自公多数の国会で、政治をすることを許されている。かれは与党の首領である。これを許さないというの安倍を総理大臣として認めないということだ。これはファッショに映る。でなくても空威張りだ。犬の遠吠えに聞こえる。

  これがおかしいことは、「アベ政治」を「シイ政治」や「オカダ政治」に置き換えてみても分るだろう。ピンとこないなら「フワ政治(院政)」でも「ミヤモト政治」でもよい。

  自分が言われたらイヤなことを、他人(たとえ安倍であろうと)にも言うなということだ。これは半数ちかい安倍の支持者の神経を逆撫でするだろう。なんの政治的メリットもない。これも政治の劣化である。

  どっちでもよいことかもしれないが、かなり前から気になっていたので書いた。

  下記はたまたま見つかったから貼っておく。ことばを使うとき、自分の陣営が既に使用済みだったら、つい乗ってしまうものだ。敵を撃つ言葉を選び貫きたい。鈍感さが政治を敗北に導くこともある。今回の戦争立法に反対するたたかいが(一定の勢力の圏外では) いっこうに盛り上がらない理由も案外そんなところにあるのではないか。崎本さんだけがアツくなっているのであるアベ政治を許さない は澤地久枝の考案だと知った。ダメな奴はやっぱりダメだった)。


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今年も「毎月3日」は全国で「アベ政治は許さない!」のアピールを!
2016年1月3日  崎本とし子 とし子からの手紙
毎月3日は、「アベ政治は許さない」と行動する日。岡山ではマツキヨ前で今年最初の行動があったようです。
私は参加できないので、ブログでアピールすることにしました。今年こそ安倍自公政権がさる(去る)年にして、新しい政治の幕開けの年に・・・と思いを込めて行動します。
「アベ政治は許さない!」という気持ちをどう表すか考えています。考えれば一人でもできることがあるし、みんなでないとできないこともある・・・。一人でも行動することを忘れないで、体を動かそう・・・と思います。そうすれば、きっとつながる人がいるはずです。
  1. 2016/08/31(水) 14:37:22|
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よくぞここまで低能文が書けるな

古本屋通信      No 2128  8月30日


   まあ、よくぞここまで低能文が書けるな。

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      更新日時 : 2016/08/30   06:41

 ここまで低能文が書けるのは小池晃以外にいないだろう。戦後間もなくの頃から今日まで数限りなく赤旗購読の呼び掛けはあった。それは政党が自党の機関誌を拡大する際に欠かせない訴えである。自党の党員に訴える怪についてブサヨさんが書いているが、現在の党規約では赤旗日刊紙の購読は党員の義務になっていない(規約 第四条 十八歳以上の日本国民で、党の綱領と規約を認める人は党員となることができる。党員は、党の組織にくわわって活動し、規定の党費を納める)。まあ変な話だが、党員に日刊紙購読を訴えるのはよしとしよう。だが、この文面は一体なんだ??? なんだ、なんだ、なんだ。あほうか、キチガイか。戦後71年、赤旗の復刊から70年。いまだかつて、ここまでケッタイナ呼び掛けを読まされたことは一度もない。党員は一体これを異常だと感じる普通の政治感覚はないのであろうか。
 
  初めの数行を読んだだけで、赤旗は天下に向かって自らがデマ新聞だと宣言している。こんな新聞だから、カルト党員で未読の人がいたら読んで下さい、党外の常識のある人は、まさか共感してくださるとは思えませんから、読んでいただかないで構いません、と。



 党員のみなさんに、「しんぶん赤旗」日刊紙の購読を心から呼びかけます。   8月28日   日本共産党中央委員会書記局
 
みなさん。いま日本は歴史的な大激動のさなかにあります。
 戦後最悪の安倍政権によって憲法9条を壊し、「海外で戦争しない」という大原則を投げ捨てる、かつてない危険な情勢が進展しています。
 他方、こうした事態に国民一人ひとりが自覚的に立ちあがる、新しい市民運動がわきおこり、参議院選挙では、この市民の運動の後押しで全国的規模での野党共闘が実現し、希望ある成果をおさめました。今回の野党と市民の共闘は党の歴史でも日本の戦後史でも初めての歴史的な第一歩です。今回の野党と市民の共闘は党の歴史でも日本の戦後史でも初めての歴史的な第一歩です。今回の野党と市民の共闘は党の歴史でも日本の戦後史でも初めての歴史的な第一歩です。

 まさに日本共産党綱領の統一戦線の方針が、国政を大きく動かす、新しい時代を切り開いていることを示しました。
 私たちは、いま、その一日一日が、新しい歴史をつくる、かつて体験したことのない、未踏の領域に足を踏み入れつつあり、このもとで、日本共産党と毎日、毎週の「しんぶん赤旗」の役割はまさにかけがえのないものです。
 みなさん。「しんぶん赤旗」日刊紙は、野党と市民の共闘をリアルに伝え、希望を広げる「共同の機関紙」として、また安倍暴走政治を正面から告発し、政治の根本的転換の道を示し、国民の立場で暮らしを守る新聞として、今ほど輝いている時はありません。
 安倍暴走政治を終わらせ、新しい政治を切り開くうえでも、異常な野党共闘攻撃、共産党攻撃とたたかい、日本共産党の真の姿を広げていくためにも、党員が日々この「しんぶん赤旗」を読んで活動することは欠かせないものです。
 安倍政権には「および腰」といわれる日本のメディア状況のもとで、党員が「しんぶん赤旗」を毎日読むことは、日本と世界の流れを日々正確につかむ何よりの保証であり、党と党員を結びつける連帯のネットワークに参加することです。
 「しんぶん赤旗」日曜版とともに日刊紙の購読を心から呼びかけます。
 また、さまざまな事情で日刊紙の購読にいたっていない党員がおられたら働きかけていただくようお願いします。




  古本屋通信

  色大文字のような現状認識の党員は皆無に近いだろう。岡山では崎本とし子だけだ。あとは選挙中は仕方がないから、こういう論調を黙認しただけだ。これで行かないと選挙はサボれんし、供託金カンパまで取られるからな。しかし全員が「野党と市民の共闘」などマヤカシの選挙スローガンだと知り尽くしていた。岡山で黒石選挙をやった党員はひとりもいない。誰が自民党公認落ちで、日本会議の黒石の選挙をやるものか。黒石は選挙が済んだ直後に東京に戻り、ミニ企業の社長に戻っている。民進党の活動も安保法制反対の活動も全くやっていない。

 デマ宣伝を選挙が済んでも繰り返す。まあ、あれは誤りでしたとは言えんだろうから、日常的な赤旗論調は当面は黙認しよう。然し、これを正面に据えて赤旗拡大を訴える狂気。これは小池晃の鈍感さでなければできない芸当だろう。

 私見では、こういう訴えはふつう赤旗編集局がやる。もっと力が入れば、常任幹部会の訴えとなる。書記局というのは異例ではないか。これ文言が赤旗編集局や常任幹部会ではまとまらなかったのだ。小池が今回の素案を赤旗編集局と常任幹部会に持ち込んだ。その線で赤旗編集局で出せと小木曽に迫ったのだろう。そしたら小木曽がウンと云わず、ちがう文言の対案を示した。対案はもっとオーソドックスな機関誌の役割を云うものであったが、昨今の志位ー小池ラインを袖にした。そしたら小池が怒って書記局でやるとなった。まあ、こんな所だろう。小池なんて党内基盤がゼロだろう。志位の引きがあっても不破の一声でどうにでもなる。
  1. 2016/08/30(火) 08:12:41|
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戸坂潤 『クリティシズム・・』を読む

古本屋通信     No 2126  8月29日


   戸坂潤 『クリティシズムと認識論との関係』 を読む

 私は「通信 No 2115 8・15 をどう捉えるか 宮本百合子『播州平野』を読む」で、百合子の長編全文を青空文庫から転載した。今回はそれに続いて戸坂潤の 『クリティシズムと認識論との関係 を転載する。それに先立って、両作品というより、宮本百合子と戸坂潤という 2人の「巨人」にたいする個人的な想いを少しだけ書いておく。

  百合子を転載したのは8・15終戦記念の記事、一般的には今の進歩派の戦後史把握への不満、特殊的には河村ひろこさんの文への不満からであった。もう一度この戦後文学がいまだ越えることの出来ていない名作を再読してみたいという想いがあった。実は私は百合子文学の愛読者ではない。というより文学そのものにいまだに馴染めない。その想いは最近の石崎徹の文など読んでいるとますます強くなった。私にとって文学は近代文学である。文学は文学史であり、文学史は社会運動史の一分野である。こういう文学の捉え方こそ文学を政治に従属させる通俗政治主義との指弾を受けるだろう。それも知っている。それに対する回答はこうだ。戦後71年、文学は百合子を越えるただ一つの仕事をしたか。否である。だから百合子の 『播州平野』 を貼った。

  こんかい戸坂を転載しようと思ったのは 「通信 No 2117 クリティシズムの精神。いつも最高な坂井希のツイッター」 を立てたとき、すでに思い付いていた。その理由は以下の戸坂の論考が回答だから、付け加えることはない。戸坂本人は戦前の見知らぬ人でありながら、私の師匠であった。2つだけ。私は戸坂の唯物論研究会を通じて大学の哲学科に学んだ。もう一つは戸坂潤から潤の名前を取って自分の子供に命名した。これには多くの先行者がいたから、私が狂信的信奉者というわけではなかったが、わが長男には迷惑を懸けて後悔している。親には子供の世界観をどうすることもできない。

 戸坂について、もうひとつある。詳しくは分からないが彼は党に関係しなかった。少なくとも党籍を持った時代はなかった。だからだろうが、彼は自分をマルクス主義者と規定しなかった。あくまで唯物論であり、唯物論者であった。周知のとおり彼は戦後を生きることなく獄死した。戸坂が戦後を生きていたらと仮定すること自体が形而上的な仮定だろう。しかし戸坂が戦後を生きられなかったからこそ彼は無傷であり得たかもしれない。

  私は18歳以後、かなりのぺースで本を読むようになったが、小中高とマトモに読んだ本は皆無だった。きのう河村さんの以下の記事を読んで肯けるものがあった。少年少女時代の読書は河村さんの今に活きている。ああいう議会質問の文が書けるのはこういう少女時代があったのか。不思議な人だ。何時も褒めてたり、貶したり。だから目が離せない。「私が本を読むのが好きになったのは、小学校6年生から。6年生の時、1年間で200冊以上読んだことがあります。さすがにもう自己記録を超える事が出来ないな~。あの時は、寝るもの惜しんで読んでいました」。


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  クリティシズムと認識論との関係    戸坂潤



  一

 クリティシズムの哲学的意義について、私は前に色々書いたことがある。今これを拡張しようと思う。哲学的意義という規定をもう少し厳密に云えば、夫を認識論的意義と云っていいだろう。なぜ哲学的ということが厳密にいうと認識論的ということになるかは、もっと一般的な先決問題であるが、それは話しを進めて行くうちにおのずから明らかになるとしよう。クリティシズムの認識論的意義とはつまり、認識論に於ける、或いは認識論の上に立っての、クリティシズムの機能ということであろう。この点今の処想像にまかせておく他ないが、もし仮にそうとすれば、クリティシズムが終局に於て認識論そのものの一環で、他ならぬ認識理論の一機能を意味する、という主張を結論しようと企てても、大して異とするには足りないだろう。
 だがこういう結論は単に必然であるだろうばかりではなく、実際問題から云うと、今日大いに必要なのである。特にクリティシズムについての知的省察が甚だ進んでいない日本の文化世界に於ては、之が最も必要なのである。そして文化の大道乃至本道を推し進めるための洞察としては、愈々以て之は切実な必要なのである。

 芸術が一般に表現であるということは今日の常識である。芸術作品は人間性か内部的生命か、生活か生か精神かの、外部への表出であるということを誰しも疑わない。芸術家の苦心は表現にある、と多くの芸術家は告白している(H・マティスの手記の如き)。だが、そういう常識を不作為に受け容れることと、そういう見解を特に取り立てて主張することとは、必ずしも同じことではない。告白と主張とは一つではない。なぜと云うに、或る判り切ったことを特に取り立てて主張するのは、何等かの対立物がそこに意識されているからで、対立物が何であるかによって、その主張の内容も本質が変って来るからだ。主張は一つの敵本主義を仮定する。之はもはや常識の単なる受容ではない。――だが更にそういう主張それ自身が、又やがて一つの常識の内容となることも忘れてならぬ。芸術は表現以外のものではなく正に表現でなければならぬ、という主張それ自身が、実を云うと、口に出すと否と物に書くと否とに拘らず、今日の常識の一つだ。結局、常識はいざとなると主張をし始めるものなのである。云わばそれが、色々の常識を持続させる処の慣性(スコラ学者が考えた実体の慣性)のようなものである。だから右のような常識は、主張でないようで結局は主張なのである。
 一例を挙げよう。スピンガーンは近代のクリティシズムが表現の研究に帰着しつつあることを指摘する(J. E. Spingarn, The New Criticism)。アリストテレスの『ポエティカ』を始めとしスカリゲルやボアローなどに至るカノン(規矩)主義的な批評精神に反抗して、今日の新しいクリティシズムは、作品をば、規格品としてではなく何物かの自由な表現を見るようになって来ている、というのである。芸術は常に表現技術と考えられるようになっている、というのだ。実際、文典やレトリックは勿論、詩論やドラマトゥルギーさえも、文芸作品の裁判官であってはならないということが、今日のクリティシズムの常識である。文章規範的なものは文章の参考とはなっても、勿論今日、文章を裁くことは出来ない。元来クリティシズムには裁くより前に先ず理解してかかるべき義務があるとされる。何を理解するかと云えば、作品に表現された作者やその背後の時代や民族や階級の生活や思想だ。そういう意味で芸術が表現であると主張することは、少しも間違ったことではない。ただその表現とは一体何かという問題が残るだけだ。
 だがこの主張はもう少し検討を必要とする。芸術を一般にこのように表現だと主張するなら、それは何も芸術に限ったことではない筈だ。表現(之は表現物をも指す)と見られるものは芸術品だけではない。科学・哲学・宗教・意識・其の他一切の文化現象、社会現象――経済・政治・風俗・道徳――が総て表現でなくてはならぬ。生活の表現が文化であり又人間の歴史であるとしなければならぬ。現にドイツ的観念論による文化史や歴史主義系統の歴史哲学は、一貫してそういう主張を持っている。スピンガーン自身も自分がそれのアメリカ版に他ならぬことをみずから認めている。ブルクハルトがイタリヤのルネサンス国家を以て一個の芸術品と見なすのは、政治形態を一つの表現と見るからである。又より形而上的に考える人々にとっては、人間の肉体さえが一個の表現であり、行為の本質は「表現的行為」であるとも云われるのだ。
 では、芸術を一般に表現だとする主張は、芸術の観念に何等特別な性質を取り付けるものではない、とでもいうことになるのか。そういう筈はなかったろう。芸術はただの表現ではなくて、表現の技術を意味するというのだった。表現の技術(アート)であるが故に芸術(アート)だったのである。するとさっきからの主張は一つの新しいこと柄をつけ加えるわけだ。芸術は表現の技術である、何となればそれは他のことの技術ではないから、と(この際技術という言葉を単純に手法とか技法とかという意味に取っておく)。例えば芸術は鑑賞の技術でもなく、教化の技術でもなく、慰安の技術でもない、又更に認識の技術にもぞくさない。――であるが故に「表現」の技術だ、というのである。
 之が恐らく、芸術表現説の主張のいつわらぬ心事であろう。だがこうなると、前とは別な横槍が再び這入らぬわけにいかない。一体、科学も亦表現の技術を持たないか。表現されない科学的研究成果などというものは、歴史的に伝承され得ないから、元来存在し得ない。云い伝えたり書き残したりしなければ、科学的業績とはならぬ、それがなくては科学の歴史的発達は全く不可能だ。近代的な科学論文なるものは、恰もこの事情を最も明らかに自覚して書かれるものに他ならない。研究しっぱなしは少しも科学的研究ではない。研究であるためには研究成果を纏めなくてはならぬ。観察や観測、実験・計算・又文献調査、などのしっぱなしは何の意味も持たない。それを纏めることこそが研究の目標である。纏めない内は研究者自身にだって正確な成果は判らない。社会人にとっては尚のことだ。こうして纏めることが科学的研究に於ける表現でなくてはならぬ。
 なる程少し位い文章がまずくても、内容が正確で観点が高ければ、立派な科学論文である。そういう意味で表現の表現らしい点はこの際どうでもいい、だから結局今の表現は本質に於て表現ではない、と云うかも知れない。だが丁度、原稿の字は下手でも、文章がよくて描写が優れていれば、立派な文芸作品であることを妨げないのと、事情に変りはない。手書きの字は又一つの表現技術にぞくするわけで、東洋の書(ショ)はそうした一種の絵画的表現だろう。芸術的表現を描写とばかり見ることは出来ない。小説に於ても描写と説明とが適当に混在することが必要だという考え方もある(小島政二郎の小説『菊池寛』の菊池寛はそう主張する)。学術的レポートが描写を含まないとは云えない。然るに一方、一種の絵画であるらしい「ショ」は一体何を「描写」するのか。
 文芸作品の表現技術としての価値は、何も表現技術それ自体として孤立したものにあるのではなく、作者の如何なる観察・思索・調査・生活・反省・その他その他がそこに如何に表現されるかに存する筈である。科学者の如何なる観察や実験や調査が科学的成果として纏められるか、ということと事情は形式的に変らないのである。少なくとも如何なる種類の表現か――描写か説明かなど――が問題ではなくて、表現であるかないかを問題にする限りは、「ショ」と文章とが斉しく表現であるように、科学成果の発表も亦、芸術作品一般と斉しく、なぜ表現と云って悪いのだろう。
 処で、科学は認識であり之に反して芸術(や文学)は表現である、というような見解は世間に決して珍しくない。そう云いたい気持ちは誰にでも判る処であるが、そういう云い方が云い方としてあまり意味を持たないことは、右の次第で明らかとなる。つまり、そういう考え方からは、色々と困った結論が出て来るのを防ぐことが出来ない。表現というならいずれも表現であるべきだし、認識というならいずれも認識であるべきだ。如何なる意味での表現、如何なる形の表現か、又如何なる意味での認識、如何なる形の認識か、が区別のケジメであるべきだったのだ。
 だが私は今、芸術と科学との区別や又連関、乃至は芸術論などを、ここに展開する心算ではない。今は芸術が世界についての芸術的「認識」であるというリアリズムの伝統的見解を仮定するとしよう。但しここでリアリズムというのは、ただの手法の名ではなく、芸術的認識の認識論上の一見解を指すのだが、芸術をも世界の認識と見ること、認識(又認識論)という観念をばそういう形にまで拡充することは、認識論に対しても芸術理論乃至一般に文化理論上に対しても、現段階に於ける吾々の期待であり、哲学の新段階を画する規模のものと考えられるべきだろう。それであるのに、この点必ずしも人々によって充分考え抜かれているとは見られない。わずかに二三の新しい文芸学や美術論に於てこの提唱を見ることが出来るにすぎない*。

* 武田武志著『美術論』は初めからこういう企図に基いている。ただその美術的乃至芸術的認識の機構分析が充分でないために、リアリズムと写実との原則的区別を読者に首肯させるに充分でない。甘粕石介氏の論文「芸術の写実について」(『学芸』一九三八年第七一号)はこの弱点を指摘して若干の優れた発見を与えている。だが芸術の表現するものが、結局「生命」に帰するという落ちは、実は何等の解決ではなく、常識への還元である。芸術の認識論はかかる「生命」が抑々何を意味するか、という処から出発した筈である。芸術が認識であるという観点を根本に於て強調しない限り、今の処芸術理論の本質的な前進はムツかしいことがわかる。芸術的生命なるものが認識論的に分析されなければならないのである。

 さて芸術を世界認識の一種と仮定すれば、クリティシズムが認識=認識物の一種の検討であることは容易に首肯出来る筈である。クリティシズム=批評(批判・評論)は何と云っても芸術のクリティシズムとして最も発達しているし、重きもなしている。その芸術が一種の認識と見られる以上は、最も屡々芸術作品を論議せねばならぬ処のクリティシズムなるものは、常に認識物を、従って又認識を、検討するものだという自覚を当然持つ筈である。科学的批評と印象批評というような涯しない対立は今どうでもよい。いずれの批評に於ても、クリティシズムという一つのイズム(主義か精神か一纏りの現象かをイズムという)を形成するための心棒は必ずあるので、認識を検討するというこの建前が、クリティシズムというものの心棒でなくてはならない。
 尤も批評家がこの建前を自覚するしないは別問題で、批評家が批評の枢軸を意識しようがしまいが、現実の批評が、而も相当高度の批評が、行なわれ得ることを妨げない。そしてそれにはそれだけの理由があるので、サント・ブーヴは印象批評の巨頭であるとされるに拘らず、彼が芸術作品に於て見たものが常に人格の表現であり、つまりさっきのことを勘定に入れれば、人間による認識をばそこに常に見て取ったのだが、こうした理論が彼のクリティシズムの匿された枢軸をなしている。第一印象は後々の又二次的な印象によって変更を余儀なくされるものであるから、批評がこの枢軸の周りを動揺することは避け難い。動揺は心棒のないことから起きるのではなくて、心棒の周りから起きる。云わばこの匿された枢軸の故に、彼は優れた印象批評家ともなり得たわけだ。
 だが今は、クリティシズムの実行の姿よりも、クリティシズムという観念自身が何かということが問題であったのだから、一種の認識の検討であるというクリティシズムの枢軸は、そういう批評精神は、特に自覚されねばならず、表面に持ち出されねばならぬ。そこにクリティシズムは認識=認識物の検討であると云わねばならぬ必要が生じて来る。するとクリティシズムはそれ自身が一種の認識論的活動であるということになる。或いは少なくとも、一種の認識論を枢軸としない限り、充分の自覚を伴ったクリティシズムであるとは云えない、ということになるのである。
 私が到達したいと考えるのは、正にこういう風な結論である。こういう意味での認識論としてのクリティシズムである。尤も今まで述べて来た処が全く一つの仮定の上に立っていることを、私はゴマ化す心算はない。芸術は認識であるというリアリズム芸術理論を仮定していることを。この仮定を予め全般的に立証してかかることは物の順序から云って恐らく不可能だ。だがそうかと云って之はただの仮定ではない。すでに相当の部分に於て部分的に立証されたことから一般化された科学的な仮説なのである。この仮説を作業仮説とすることによって、却ってこの一般的な命題自身の立証に寄与出来ようというわけだ。


  

 云うまでもなくクリティシズムは批評主義というような何かの一主義を意味するとは限らない。まして哲学的態度の一つとして批判主義とも限らない。批評という一纏りの現象や活動が普通云うクリティシズムである。又従来最も注目を惹いている批評が文芸批評乃至芸術批評であると云ったが、この際批評の対象を文芸乃至芸術に限る理由もないので、社会科学や自然科学、社会や風俗、其の他に対する批評も厳存している事実を知らぬ者はない。クリティシズムが一般に、文化の批評・生活の批評・人生批評・であることは、M・アーノルドを俟つまでもなく、主なるクリティシズム理論家達が力説する処だ。この点後に明らかになるだろう。
 だがクリティシズムが、所謂批評主義乃至批判主義と呼ばれる哲学的態度とすら全く無関係ではないだろう、ということは、今の場合特に配慮に値いする。哲学上の批評主義はカントを以て始まると見られているが、之は大体に於て理性能力の批判のための体系を意味した。厳密に制限された意味での理性批判だけにはつきないとしても人間的理性と直接関係ある諸能力(判断力其の他)の批判を含めて、大体に於て理性能力の批判がカントの批判主義=クリティシズムの仕事であった。
 カントが人間の主体的な能力を批判することから出発したのは、実は社会に現存する文化諸領域を組織的に批判検討するためである。そういう目的がなければ、この体系はただの心理学の一種ともなっただろう。それならばカントの分析の一部は、極端に云ってテーテンスの心理学に解消され得るかも知れない。之がテーテンス心理学の如きものに止まらず、或る論理学的な機能を持ち得たのは、全く現存文化批判という目標を追求したからのことだった。心理や意識の論理的な機能を追求すると云っても併し、再び文化諸領域の批判検討という意図がない限り、今日の純粋現象学(E・フッセルルなどの)の類でも一応の必要は充たされる筈だ。実際カントの行なった分析は極めて近代現象学的なのである。――して見るとカントの批判主義の特色は、心理や意識、又多少能力心理学的な残存物である処の人間の主体的能力やの、ただの検討にあるのではなく、正にそれの批判を目標としたことにあるのだが、更に単にかかる心的能力の批判がこのクリティシズムの最後の目標だったのではなく、正に之によって社会の活きた文化諸世界の批判を企てるのを目標としたのである。そこにこれの特色が横たわっている。数学・天文学・物理学・生物学・道徳・宗教・芸術・人間歴史・更に形而上学、之がカントの見た文化諸世界であった。
 今カントのクリティシズムの個々の点を検討している場合ではない。そういうことは他の人々によってあり余るほど行なわれている。吾々の興味は彼の批判主義に於ける批評的精神、そういう意味でのクリティシズムの意図にあるのである。彼の批判主義が学究的又スコラ的(学校的)概念によって立つものではなくて、世界概念によって立つものであることは、周知の通りだが、こうした世界への関心は、同時に社会への関心をも意味している。啓蒙という課題に逸早く答えたのも彼であるし、世界市民の観念を明白にしたのも彼である。元来カントは新しい角度に於て一切の問題を提出し直し、之に対する一応の組織的な解決の方針を立てた。彼は十八世紀末葉から十九世紀初頭にかけての、最高のドイツ的なアンシクロペディストであった。だが、ロマン派的な世界や宇宙的なものに親しい筈のフィヒテやシェリングに較べて、彼が何故特にアンシクロペディストであったのか、その意味を考えねばならぬ。一般の場合と同じく彼に於ても、諸文化諸世界の組織的連関に関する興味が一個のアンシクロペディストを産み出しているのであるが、処がそのために欠くことの出来なかったのが文人批判的な社会的関心である。文化への真に切実な関心は社会に実在する文化への関心であった筈だ。諸文化に対する社会的関心が旺盛でなかったとするなら、カントの百科的クリティシズムの最後の動機を、一体吾々はどこに見つけ出すことが出来よう。――之がカントの批評的精神である。
 私はカントの先験的観念論なる批判主義に対して殆んど何等の同情を有たない。カントの体系に於ける所謂「嬌羞はにかみやの唯物論」の不徹底さや、非弁証的な形而上学や機械論の欠陥をば弁護することは出来ない。だが少なくともカントに於て可なり高く評価されて然るべきものは、そのクリティシズムの精神だろう。勿論このクリティシズムの精神は、現物としてはカント一流の形態を取って現われているから、ムヤミに之を一般化すことは慎まねばならぬ。第一、ドイツの政治的現実の貧弱さが、政治的実践の代用品として産み出したものが、この「批判」であるとも云わねばならぬ。そういう意味で云えばこの批判とは単にマイナスをしか意味しない。だが批判主義を畳の上の水練と貶したヘーゲル自身が、依然としてドイツ的現実の貧弱さから解放されてはいなかった筈だ。その彼さえが宗教に対する有力な批判的な諸流派を産んだ。「批判的批判」者をさえ産んだ。そして遂に「批判的批判の批判」者までも産むに至ったのである。ヘーゲルこそ或るプラスの意味の偉大な批評精神であったと云われようが、この批評精神の伝統は併し、正にカントのものであったことを見落してはならぬ。ヘーゲルが人間の思想史の内から、直接の格闘相手として好んでカントを選んだ理由は、決して察するに難くない。
 処でカント的批判主義が、後世の新カント派によって認識論と呼ばれるに至ったことを思い出そう。この認識論なるものは結局、主として科学的認識に就いての方法論至上主義のことにすぎず、そうでない場合は反実在主義的な一種の形而上学(?)――価値哲学――の如きものに帰する。恐らく之はカント自身の必ずしも与り知らぬ処であり、又カント自身の認識理論のスケールを著しく縮小したものと云う他あるまい。カントの認識論の最も大規模な文化的特色は、その文化批判を目標とする批評精神にあったわけだが、恰もこの文化的特色の方は稀釈されて、その代りに構成主義や論理主義という哲学教授的概念の方が技巧的に誇張されたのが、この「認識論」なのである。――だがそれにも拘らず、この認識論の唯一の取り柄は、それが依然として文化批判という目標から、あまり目を離していないということだ。斜視と萎縮の裏にではあるが、とにもかくにも、文化哲学を目指しているというのである。新カント派的批判主義が、文化批評の哲学としては、或る程度の文明批評的な仕事をなし遂げたという事実を、思い合わせねばならぬ。この点、批判主義に対する学究的批判によって往々忘れられるのだが。
 勿論この文化哲学はあまり清冽でない体臭を放っている。その体臭を文化主義と呼んでいいだろう。その淵源はカント自身にないとは云えない。例えば彼によれば、啓蒙なるものは政治を文化から捨象して了うことによって、初めて成り立つ。文化のこのアウタルキーは、カント的道徳観に於けるアウトノミー(自律)と勿論無関係ではない。このアウトノミーが後世の新カント派に於ける認識論の方法論主義や、文化価値の超越的妥当の見解やへ導く。するとつまり、こうした文化主義なるものが、新カント派風の認識論を狭隘にし歪めている当のものだということになる。そして夫が又、この認識論の目指す文化哲学そのものの評価をば根本から切り下げているわけだ。だがそれはそれとして、とに角建前だけでも文化の哲学であるという点が今意味のある処だとすれば、例えば「純粋経験の批判」に於ける所謂経験批判論や、イェルザレムの批判主義である「人間理性の社会学的批判」、などに見られる認識論と較べて、この認識論の方が初めから或る高い文化的資格をもつことを忘れてはならぬ。特に経験批判論の如きは、云わば学校概念的に云って批判に耐えないばかりでなく(『唯物論と経験批判論』を見よ)、世界概念的に文化問題の解決というスケールから云って、愈々意味に乏しいものであることが判ろう。
 かくて新カント派流に縮小されたカントの批判主義=クリティシズムが、認識論としての文化批判哲学となっていることは、吾々の問題にとって一つのヒントを与えるだろう。つまり之は、文化諸世界の組織的な原則的な批評体系が認識論だということ、クリティシズムが認識論に帰するという一事実、を示しているものに他ならぬ。ただこのクリティシズム・認識論・文化批判(文化哲学)が、夫々カント風に、且つ又新カント風に、著しく歪められ且つ萎縮せしめられているのである。――哲学的クリティシズムが現に、どういう形を取りつつあるかの一例として、之は注目に値いする事態である。
 尤も今の話は哲学体系としてのクリティシズム(批判主義)のことであったから、必ずしも一般の批評活動と一つにはならない。だが哲学体系としてのクリティシズムと批評活動としてのクリティシズムとが、別々な批評精神に基いていると想像することは、あまり尤もでない。批評活動には顕然又隠然、一貫した批評のメカニズムがあり、体系がなくてはならぬ。組織的な方法がなくてはならぬ。機動的な批評原則がなくてはならぬ。そういう原則を特に精練するものが、哲学体系としてのクリティシズムと直接関係があり得ないというなら、それは少し妙なことだ。哲学体系的クリティシズムと普通の批評活動としてのクリティシズムとの連関は、寧ろクリティシズムの認識論的本質そのものの一部をなすだろう。そういう点を明らかにするためにも、以上の例は一つの類推の役目を果すだろう。だが吾々は何よりクリティシズムが含む諸要素を分析してかからなければならない。


  

 一方に於て吾々は、クリティシズムを出来るだけ常識的なものと考えなければならない。人物や事物の善し悪しを論じる所謂批判・批評・品隲ひんしつのようなものを除外するならば、クリティシズムは嗤うべきスコラ用語となる。日常語と哲学用語とで同じ言葉の意味が全く別な無関係なものになるとしたら、之ほど無意味な哲学方法はないだろう。と同時に、他方吾々は之を出来るだけ科学的=哲学的な言葉に仕上げなければならぬ。クリティシズムは平常の現象である、之を理論的に洗練することが科学的労作なのである。
 さて日常現象としても理論的カテゴリーとしても、クリティシズムについてまず第一に気づく点は、それが言葉によって表現されるという周知の特色だ。字に書かなくてもよい、又実際に発音しなくてもよい、がいつでも言葉に出る用意のないものは批評とは云えない。この言語的特色をば観念という言葉で云い現わしても構わないが、音色や色彩の感覚乃至知覚も観念と呼べるとすれば、観念という言葉はやや明晰なものではなくなる。寧ろ概念とか悟性とか反省とかいう言葉の方が間違いない。一つの感覚的印象についての概念的・悟性的・反省が言葉によって云い現わされるという現象が、あらゆる場合を通じてのクリティシズムの事態である。批判はこういう次第で、(ロック風に云えば)云わば第二次的な性質を有つ。それは芸術作品が与える感性的印象をば、言葉の世界へ翻訳することによって、別の次元へ、別の秩序界へ、持って行く。作品の第一次的性質に対してクリティシズムが第二次性質である所以だ。処が、この第二次性質が同時にクリティシズムという世界の独立性と独自性を産むのである。そこで文芸批評は、往々文芸作品の従者のように見做されると同時に、文芸作品の裁判官や教師とも見られる、というわけだ。
 これは判り切った点であるようで、併しそれが約束する筈の諸結論は、必ずしも世間から過不足なしには尊重されていない。――クリティシズムは創作活動が衰えた時盛んになる、という俗説がある。併しプロレタリヤ文学の台頭と新しい文芸批評の台頭とは、世界各国に於て全く同時期であった。フランス唯物論時代は過去の最もいい例である。フランス文芸批評の伝統が打出されたのは古典作家達の盛大時と同時代であった。ドイツ・ロマン派の時代は批評と創作とが一致した時代だったと考えていい。なるほど批評は近代に至って次第に著しくなって来た文化現象なので、例えば古代ギリシアのプラスティック作品の時代には批評はなかったとも云われる。がその反証は容易に挙げることが出来よう(例えば井島勉氏「批評の芸術史的意味」――『哲学研究』二六八―九)。クリティシズムを創作活動の衰えのように見るのは、クリティシズムを創作活動と全く共通性のない本質から発するものと見るからであり、従って之を創作活動の最も卑屈な奴隷と見るか、又は逆に最も苛烈な刑執行人と見るか、する、からである。だが言葉は凡ゆる人間活動に伴っている。それは最も普遍的な表現形式だ。だから制作活動が旺盛であればあるほど、言語活動としてのクリティシズムも隆盛になる、と考えた方がはるかに自然で公平だとも云える筈ではないか。
 之に反して、この考え方と正反対な極端は、創作即クリティシズム、とするものである。「詩は詩によってのみ批判され得る」、「殆んどすべての芸術批評が余りにも一般的か或いは特殊的かでありすぎる。批評家は彼等自身の制作のうちに新しい中庸を求めなければならない。作家の創作のうちにこれを求めるべきではない。」そうF・シュレーゲルの断片は云っている。ドイツ・ロマン派に特有なこの思想は、クリティシズムと芸術的創作活動(理論的活動ならなお更のこと)との或る必然的な連関を一応示唆する点で、一個の真実を含んでいる。が併し、この連関を節度のない有機制であるかのように同一化して了う処が、ロマン派のロマン派たる所以だ。この種の言葉はアイロニーにすぎないと云ってもいい。クリティシズムと創作活動との事実上の分裂対抗をば、徒らに便宜的な調和に齎すことは誤りだろう。でもしこのロマンティークのクリティシズムのやり方から、創作的批評というような観念を導き出して来て、之をクリティシズムの本道であるかのように強いる者がいるとすれば、その誤りは愈々特徴を鮮かにするのであって、そうすればつまる処、絵画の批評は絵画を以てやる他なく、音楽を批評するには作曲し演奏しなければならぬ、ということになる。文学(ポエジー・詩)の場合だからこそ、創作=批評などと云って澄ましていられるのである。文学が偶々、言葉(概念・悟性・反省・としての観念)を乗具とする芸術であったからこそ、そう云っていられるのだ。
 創作的批評は反創作的批評(と云うのは作品に何等の理解も同情もない批評)とでもいうべきものに対しては意味を有つ言葉だが、クリティシズムというものを個々の作品又は一定限界の芸術ジャンルから自由として之にクリティシズムそのものとしての世界の独自性を賦与することをば、妨げる。つまりクリティシズムの進歩を妨げることにならぬとも限らぬ。折角クリティシズムを向上させようためのこの種の提言が、それの進歩の妨げになるようでは困る。文化に於ては「向上」必ずしも進歩ではない。文化というもののこの二重性の秘密は恰もクリティシズムの機構自身が明らかにするものだが、それは後にするとして、とに角芸術作品とクリティシズムとの間の対立相剋の関係をば一般的に無視する結果になることは、批評そのものの使命を低下することでしかない。この点注意されねばならぬ。
 クリティシズムは作品に対して、作家が実際に追求しようとしたイデーの再追求方を命じ、又、より高い天下りの理想をさえ課題として持ち出す。クリティシズムはそうした理想化を使命とする。かくて批評は創作活動の未来への運動に向かって、示唆ともなり予言とさえもなる。これが時間的な構造に於て見られるクリティシズムと創作との間の意味のあるギャップなのだ。だがそれだけではない。並列的な構造に於ては、クリティシズムは個々の作品を他の作品へ、他の芸術ジャンルの作品へ、媒介する。媒介する側のクリティシズムは、媒介される側の創作自身からは、それだけ否定的な距離を持つ。こうした間隙や間隔が、クリティシズムを創作作品の従者ともし教師ともする。クリティシズムの言語的特色、その概念的・悟性的・反省的・特徴、要するにその思惟的特徴がこれだ*。

* クローチェの『美学綱要』(B. Croce, Grundriss d. Aesthetik)第四章「芸術批評と芸術史」によると、「批評家の仕事は受け取られた印象が保持されると共に超克される処に初めてなり立つ。批評家の仕事は思惟にぞくする。思惟は想像を克服して之に新しい光をそそぐ。それは直覚を知覚へと変え、真実を検討し、真実と虚偽とを区別する」云々。批評=クリティシズムが思惟にぞくすることは、勿論クローチェだけの見解である筈はない。

 思うに、色々の意味での創作的批評の説が、クリティシズムと創作との距離をなしくずしに調和的に埋めたくなる動機は、創造の積極性に較べて批判の消極性が気がひけるからだろう。両者の間のギャップを均らして了わない限り、批判的なクリティシズムは常に消極と否定との精神として、メフィスト的役割を振り当てられる他ないらしいので、それを避けるために無理にもクリティシズムをば創造的で積極的と考えられる創作へ接合しようというのだ。なる程その否定性と消極性との故にカント的「批判」を批難するものは、ひとりヘーゲルには限らぬ。A・コントも亦その有力な批難者であり、彼の所謂実証主義はそれ故に積極主義という字の意味を有っていた。今日批評や批判の態度が特に社会の公式発言に於て嫌われるのも、云いがかりか理屈の形としては正にこの建前に立っている。
 だが或る意味に於て、反省は常に否定的だ。概念や悟性や理性の本質、論理の本質が、否定の大用にあることは、今日の論理学的常識と云わねばならぬ。概念のこの機能が社会的機能となったものがクリティシズムである。処で之が否定的であるということが、直ぐ様夫の消極性を意味するだろうか。決してそうではない。もし本当に消極的なものに過ぎないなら社会の誰が一体特にこの動きを嫌がる必要があろう。――考えて見ると消極的とか積極的とかいう言葉はどんな風にでも使えるので、丁度、良いとか悪いとかいう評価が子供じみたものであるように、之も一種の小児的感傷の形容詞にすぎない。否定の作用は消極と云いたければ消極だし、積極と見たければ積極だ。殆んど無用の形容詞と云わねばならぬ。でクリティシズムに於て消極的其の他と見えるものの実質は、実は否定という思惟の大用の社会的機能に他ならぬ。思惟や知性の否定機能をばただの消極として無視出来ない以上、クリティシズムの否定的機能を消極的だとして貶すことも出来ない筈ではないか。クリティシズムの機能の積極的意義について否定的な或る種の社会人は、やがて人間的知性そのものの否定者として立ち現われねばならぬだろう。否定の大用によって、クリティシズムはそれ自身の独自性を得る。或る意味に於ける否定はクリティシズムの特権である。悪口や批難は、クリティシズムのそういう否定機能の市井に於けるごく末梢的な形なのだ。
 否定にも色々ある。単に吹き消すのはその小用である。否定の大用は媒介することではなくてはならない。この場合の否定は媒介のための否定だ。論理学的抽象に於てはそう云っていいだろう。――諸文化作品の間を、作品と作者との間を、諸文化領域の間を、相互に媒介するものが、クリティシズムに独特な職能であることを注目しよう。私は今一二の場合をとってこれの例証を与えることは出来ない。何となれば総てがその例だからだ。普通、批評は一定既成の作品に関する批評でなくてはならぬと云われている。だが『戦争と平和』の批評は勿論『復活』や『アンナ・カレーニナ』との連関なしに行なわれ得ない。『戦争と平和』の批評はやがてトルストイ自身に対する批評とならざるを得ない。だがそれは又直ちにトルストイとドストエフスキーとの比較ともなる(メレジコフスキーの批評の如き)。人々はこの二人をロシア社会変動の鏡として見較べざるを得なくなる。するとドストエフスキーは又トゥルゲーネフとも較べられねばならぬ。『悪霊』は『父と子』に較べられねばならぬ。すると又更にプーシキン(『大尉の娘』のプガチョフを見よ)の如きを思い起こさねばならぬだろう。等々。かくて『戦争と平和』の批評はいつかロシア文学史の一くさりともなる。ロシア思想の歴史的社会的叙述へと近づく。そう見るとクリティシズム(評論)は芸術史や思想史の季節的な一環に他ならないのである。だからクリティシズムは、一定作品についての批評であるべきでありながら、必ずしも作品批評を終局目標とはしないものだ、とも考えられて来るのだ。
 併しこういう方向を辿っている限り、之は要するに文学史にすぎない。処がクリティシズムは文学史や芸術史のただの一環ではない。それは少なくともまず文芸学や芸術学乃至美学の内容でなくてはならぬ。と云うのはクロード・ベルナールの生理学は如何なる権利を以てゾラのものとなったか、又なり得るか。主観主義化されたヘーゲルは何故G・フロイトと肩を並べて超現実派芸術の哲学となり得るのか。解剖学はルネサンスの巨匠達の手法と思想とを如何に決定したか。P・ヴァレリはダ・ヴィンチの工学的精神を如何に機械化したか。音楽的形而上観が如何にケプラーにとって天体法則発見の動機となったか。其の他其の他。こうなると批評は芸術史や思想史ではあっても、ただのそれではなく、正に同時代の時代精神の内面的連関を探究することであり、そのためには、一つ一つの場合について文学・美術・音楽・哲学・科学・宗教・等々の間の交錯と絡み合いとを解く独特な技術をば用意せねばならぬ。即ち批評は文化史となり又文明批評となるばかりでなく、まず文化諸領域間や芸術諸ジャンル間の認識論的処理に於て、際立った眼光を養わねばならない。批評的な感覚というものがあるなら、正にこの種の眼光のことであり、それが感受を鋭くし正確にし、そこから導かれる反省を敏活にし確実にする。勤勉な歴史家が屡々最も鈍感な[#「鈍感な」は底本では「純感な」]批評家であるのは、この批評的感覚の勘を欠くからで、批評に絶対欠くべからざる教養も之を伴わずにはもはや役に立たない認識論的な分析官能というようなものが批評の最後のことを決定する。それが媒介の官能である。
 クリティシズムは常識として、個々一定の文化作品を以て自分の自然な母胎とするにも拘らず、それとの間隙と距離と対立とを発条として、この母胎を離れて一つの独自な秩序界を展開する。一つの作品から他の作品へ、一つの人物から他の人物へ、一つの時代から他の時代へ(そして歴史叙述をば論理的分析から区別するために最も大切な点となるが、――論理は歴史の要約であるとしてもこの区別は大切だ)、一つの芸術ジャンルから他の芸術ジャンルへ、又一つの文化ジャンルから他の文化ジャンルへ、何等かのエッセンスを運び歩くのが、クリティシズムというものである。花から花へ花粉を運んで歩く蜜蜂であるが、花々の蜜の味を一つ一つ楽しむ点でこの蜜蜂は昆虫よりも多少道楽者であり、花粉を運んで歩いてあわよくば実を実らせようというたくらみのある点では、昆虫よりも知性に富んでいる。文化運搬性ということが、クリティシズムの例の媒介機能の第一の現われであると云える。個々の文化作品の特殊性に基く固着と膠着とを剥離して、文化的普遍性の軌道に乗せることが、クリティシズムの否定作用と考えられたものだ。クリティシズムの合理的本質は、ここから不可避となるのである。


  

 クリティシズムの文化運搬性をもう少し検討する前に、一寸横道にそれねばならぬ問題に引っ懸かる。翻訳ということが矢張り一種の文化運搬であろう。翻訳とクリティシズムとの事実上の縁故については改めて述べるまでもあるまい。ごく卑近な一例を取るとして、ある外国の古典的価値のある文芸作品を翻訳するとする。と忽ち問題になるのはテキスト(本文=原文)である。吾々に与えられている各種のテキストは恐らく多くの文献学者によってテキスト・クリティク(本文批評)されたものだ。併しこの際、この文献学者はすでにそれだけ批評作家であったのだ。で、すでにこの批評の成果から無関係に翻訳しようと思っても、出来ないように出来ているのだ。R・W・チャップマンの The Textual Criticism of English Classics という短文を見ると、誤植の多いシェークスピアのテキストを好例として取り上げながら、校正論や誤植論のようなものを展開しているが、実際本文の誤植(?)は翻訳者にとってはただの誤植以上の重大さを有つことは察するに難くない。少なくとも原文の誤植は翻訳しようとする時の重大な躓きになる。と共に、又翻訳によって誤植というものは最も丁寧に訂正される機会を与えられるものでもある。
 だが翻訳とクリティシズムとの縁故は、もっと論理的な本質のものだ。それは正に認識論的な関係である。翻訳は言語的作品を外国語によって再生すること、或いは複写することであろう。かつて私は「モナリーザ」の複写を見たが、あれは恐らく、鴎外訳のアンデルセン『即興詩人』の場合よりも、原物に近いに相違ない。芸術ジャンルの相違は別としても、作品の古典的権威から云って、現物の「モナリーザ」と現物の『即興詩人』とは較べものにならぬだろう。が併し鴎外の『即興詩人』は複写の「モナリーザ」よりも、その真正さ(Echtheit)が高い。して見ると翻訳の文化的価値は、普通の複写(その道の大家も習作として複写を試みるのが常だが)の複写的近似性にあるよりも、再生的な独自性乃至創造性にあると見ねばならぬ。翻訳を妨げ不可能にさえすると云われる国語の相違が、そういうギャップや距離が、却って翻訳の文化的独自性や創造性を結果している。この点はまず注意されねばならぬだろう。
 文芸を社会科学的思想に「翻訳」するような批評はいけない、と云われる。と云うのは、所謂科学的批評や、文芸作品から思想乃至世界観だけを抽象する批評などが之だ、と或人達は決めてかかっているのである。同様に生まの思想や世界観を文学の形に「翻訳」したような作品は困る、とも云われている。広義の傾向文学や政治主義的作品や宣伝芸術がそういうものだろう。勿論之は言葉通りの翻訳ではないが、併し譬諭としても正確ではない。思想や世界観が文学の形に本当に翻訳されていれば、それは作品の成功なのであって、寧ろ翻訳されずにそのまま――生まのまま――ノサばり込んで来るからいけないのである。元来が漢代の儒教や支那仏教のものであったカテゴリーをば、近代社会のカテゴリーへまで翻訳する労を取らないで(言葉を翻訳しても駄目でカテゴリー体系が現わす思想を近代的に翻訳しなければならぬが)、そのまま現代へ持ち込むことが、現に如何に現代社会の合理的認識を妨げているかを見るべきだ。之を翻訳した上で持ち込むならば、それは東洋文化の古典として、現代人にとって文献学的に絶大な価値のある文化財となり得る。翻訳の労を取るか取らないかで、宝石も瓦礫と化する。広義の翻訳一般はこうした一種の論理学的機能であるが、普通の意味での翻訳も、思想を国語に基づく特殊性から解放し、宇宙的な世界理性による一般性の場所に於て、之を分封するという論理的操作である。場合によっては漢籍はヨーロッパ訳の方が示唆的であったりするのは、ここに原因する。翻訳によって原物は殆んど全く別の姿に変わるのではあるが、その換骨奪胎に於て必ずもののエッセンスは再生され得ねばならぬ。もしそれが原則的に不可能だと云い、本気で翻訳が文学的に不可能だというなら、世界文学などというものはあり得ないということに帰着する。バイブルはユダヤ人の文学でしかなく、ゲーテの『ファウスト』はドイツ人の文学でしかなくなる。だが新約は却ってギリシア=ローマ人の手によって彼等の言葉で書かれたのではなかったか。又イギリスのマーローやスペインのカルデロンの『ファウスト』はどうなるのか。実を云うと、世界文学は翻訳によって可能になるのではない。逆にそれは翻訳に先行し、翻訳を社会的に成功させる文化的条件をなす。世界文学は社会のインターナショナリズムによって必然にされるとも宣言されている。――すると翻訳の問題は文芸に就いて云えば、根本的には世界文学の問題である。文化一般についてはそれは世界文化の問題である。文化を世界的に運搬媒介するという問題だ。すると之はクリティシズムと大同小異の本質を備えていると云わなくてはならなくなって来る。実際、翻訳の社会的目的は文化の紹介であろう。紹介を少し具体的にやろうとすれば、いやでも批評へ赴かざるを得ない。でつまりクリティシズムなるものは、諸文化内部に於ける一切の細胞間の、広義に於ける翻訳のようなものと考えられていいわけである。
 さて話をクリティシズムの文化運搬性に帰えそう。個々の批評対象に即しないものは批評ではあり得ないが、同時に又個々の批評対象から遊離出来ないものも批評ではあり得ない。クリティシズムの文化運搬的性質から云ってそうなるのであるが、処が之によって生じるものは、クリティシズムという一つの王国の独立した秩序だった。――文化はそれぞれのジャンルに分れている。芸術理論や美学体系はこれを縫い合わせたり綴り合わせたりするだろう。だが一つの文化領域について行なわれるクリティシズムは、必然的に他の諸領域に於ける夫と同じ或るエレメントを用いなければならず、諸文化ジャンルを一貫し得るクリティシズム全体の一環でなくてはならぬ。クリティシズムは美学体系というようなものを想定せざるを得ない。アランの Syst※(グレーブアクセント付きE小文字)me des Beaux-Arts(芸術体系)などはこの際示唆に富んでいる。なるほど各文化領域はそれぞれ他の領域では通用しない特有な手法を持っている。文芸の創作手法は絵画の夫とは一見全く関係がないように見える。だから文芸評論に於ける手法の批評と絵画評論に於けるそれとは殆んど無関係なのが当然であるように思われている。そう思っている向きが少なくない。だが例えば心理主義小説の手法も超現実派絵画の手法も、一部は同じく意識と無意識との間の研究から出発している。二つの手法の間は果して無関係だろうか。もしそれにも拘らず絵筆のタッチと文章の描写力とが全然無関係な過程であるという理由から、夫々の技術的批評も亦お互いに無関係でなければならぬと云うならば、結局絵画は画家によってしか批評出来ず、小説は小説作家によってしか批評出来ないという処まで行くほかない。技術批評が唯一の批評であるというような芸術職人的批評観の是非は論外としても、この考え方によるとつまり、絵描きは本当は文芸は判らず、文学者は本当は絵が判らないということになる他ない。一つの専門の芸術家は他の専門の芸術を理解出来ない、まして素人をや。文化諸領域の間には、事実上、社会生活の上でチャンとした連関があるにも拘らず、それが一旦諸文化の批評となると、技術批評というもののまどわかしのおかげで、夫々バラバラなものになる、という次第である。これは全く変なことだ。
 諸芸術(科学も問題外ではない)の手法=技術も実は夫々の間に何等かの一定の連関がなくてはならぬ。芸術家自身がそういうことを理解していなくても、批評家の方は技術相互の関係を出来るだけ一般的な形へと追求しなければならぬ。所謂技術批評はそういう探究を含まなくては真の技術批評の名に値いするとは思えない。元来技術批評なるものは、フンダンに事々に、芸術に於ける技術とは何か、という根本問題に逢着している筈である。批評家が作品の技術的成功不成功を説得的に且つ割合一義的に評価し得るためには、芸術家自身が無意識に駆使している技術の秘密を、或る意味で分析し得なければならぬ。芸術の技術は言葉の通り一つの手先きの獲得物だが、その獲得物の例えば力学や物理学其の他という手法そのもののメカニズムは、自覚されていない。印象派の絵画手法がすでに光線と色彩との自覚的な研究の結果であるとしても、この事情に変りはない。技術は作者にとってこの意味に於ける一個の飛躍であり、因果的説明を抜きにしているという意味では象徴的なものである。それは所与としては秘義である。工芸技術などの奥義には、自分では知っていても他人には故意に隠蔽する場合もあるが(正宗の名刀の秘密の一つはモリブデンが這入っていることだとかいう)、作者自身が物理的操作を知っている限り、隠しごとの意味では秘密ではあっても、必ずしも今の場合の秘密を指さない。本当を云うと技術の秘密を凡ゆる方法を講じて分析することによって、初めてその技術の質の高低を見分けることも出来る筈で、それが最も高い意味での技術批評というものだ(高速度カメラは或る領域で最近そういう役割を果している)。――で、そうなると技術批評というものも、決して各領域の芸術に独特な孤立した秘伝にどこまでも接着しているものではいけないことになる。個々の芸術世界の秘義としての技術の特殊性を脱出して、之をより一般的な悟性領域の舞台にまで引き出すことこそが、技術批評なのだ。そうなると、従来の所謂技術批評という観念自身が相当根本から変えられねばならぬ。
 だが、批評が所謂技術批評に限るということさえ、勿論一つの云い過ぎであった。技術=手法はそんなに孤立化されて取り出されていいものではなかった。技術や手法という方法は、それを産みそれを育て、またそれによって生長させられる処の所謂世界観と、関数関係にあったことを思い出さねばならぬ。勿論文化各領域の背景をなす夫々の世界観は同じものではない。夫々でなければ見出せない世界観だ。丁度一人々々の人間の世界観が、同時代人の同社会層の、而も同じ思想傾向の人々同志の間でも、一つでないと同じである。だがそれと同じ理由で、世界観は又決して個々のバラバラのものではない。そのバライティーにも拘らず、同じ傾向の世界観は各種文化領域を通じて、やはり共通の根本特色を持っている。美術的世界観や音楽的世界観・文芸的世界観・など、世界観が一つの感情的直覚と結びついている限り、一見まるで別な形象を備えているが、それにも拘らずなお同一傾向の同一世界観であるという点がその根本になくてはならぬ。そうでなければ、なぜそれが世界観と呼ばれるのか、理由がわからぬ。世界は一つで唯一だった筈ではないか。
 云うまでもなく、各種文化領域を一貫し、而も夫々の領域の世界像世界観や更に手法にまでも浸透するようなクリティシズムは、一つの理想にしか過ぎない。だが之がクリティシズムの理念であるということは、すでに一つの現実だろう。諸芸術・諸科学・其の他の諸文化現象の間には或る具体的な共通性がある。と云うのは、これ等のものから或る抽象的な部分を抽出しなくても、共通性が活き活きとしているのであり、それが諸文化にとって有力な刺激となっているのである。諸文化領域の間には、丁度諸国民の文化の間がそうであるように、共軛性――翻訳其の他という――が存在する。クリティシズムはこれに基いて、一つの統一を得る。云わば横の一つの統一が生命あるものとなるのである。諸文化領域を一貫する統一=単位性、これがクリティシズムの世界の独立性であり、クリティシズムという独自の単位ある秩序界をなすものである。――クリティシズムの例の文化運搬的特性は、こういうことを説明する。
 だが、クリティシズムのこの云わば宇宙的統一性は、単位としてのクリティシズムは、ただの文化的寄せあつめでは不可能なことだ。クリティシズムはそのために私かに或いは公然と(それはモードやポーズの区別だが)体系を用意してかかる。体系とはシェマ(図式)ではなくて組織力のことだ。批評は動力の枢軸(シャフト)を必要とするのである。その枢軸がどういう種類のものであり、その体系がどういう傾向のものでなければならないかは別の問題としても、少なくとも之がなければ文化運搬力に於て、文化媒介の機能に於て、技術的に――然りクリティシズムは一つの最も普遍的な文化技術である――クリティシズムは動きが取れないのである。アンシクロペディストなるものは(古典ギリシアに於ける哲学者、ルネサンスに於ける普遍人、十八世紀フランスに於けるアンシクロペディスト、それから現代に於て要求される者――どれも文化的大変動期の産物であるが)他ならぬクリティシズムのこうした機構によって成り立っているのだ*。

* 所謂天才は、カントがこの言葉を最も特徴的に用いた処によると、悟性的な有能さではなくて感性的な有能さであった。それはアンシクロペディストのクリティシズム的悟性能力からは割合離れた観念だ。批評主義者のカントが天才を一種の芸術的官能に制限したのは、甚だ首尾一貫している。個々の芸術領域の守護神がジェニーである。アンシクロペディストとクリティシズムとにとっては、守護神は一寸見つからないかも知れない。前に触れた創作と批評とのギャップがここにも現われる。

 時に、クリティシズムの骨肉をなすこの組織や枢軸なるものは、感性理論(エステーティク――そこから美学という意味が出た)としての哲学によって現わされている。そう云う他、恐らく考えようはあるまい。クリティシズムの対象が単なる感性的なるものではなく、もっと悟性的な反省物の所産(例えば科学や哲学の如き)であっても、大体に於てこの点変更を必要としない。クリティシズムから見れば、一切の批評対象が、何等かの感受から始まる。印象から始まるのである。批評は凡て印象批評として始まる。科学的理論についても、この際必要なのはそれに対する一種の感覚や直覚である(範疇的直観という言葉をかりて所謂感性的な感性から区別してもいい)。そういう仕方で事が始まらなければ、それはクリティシズムではなくて、その対象についてのただの理論か何かであろう。クリティシズムが科学的であればあるほど、まず第一に勘を必要とする所以だ。クリティシズムが、一方に於て最も概念的でありながら他方に於て最も感性的である処の文芸を選んで、自分の温床としていることにも、だから意味があったのである(クリティシズムの対象は勿論文芸や芸術に限られてはならぬのだが)。
 だが考えて見ると、一切の哲学は実は感性理論に帰するようだ。少なくとも現実的で生々したリアリティーのある哲学は、概念そのものが極めて感性的だと云ってもいいだろう。そういう哲学に限ってその機能自身が極めて批評的であることを思い出さねばならぬ。批評性を失った哲学は学校的又は僧侶的な教義でしかなくなる。でクリティシズムの機構と哲学原則とは、双方から手をさし伸べる。恰も認識論というものは、そういう処になり立つものであった。


  

 クリティシズムが認識論にぞくするかどうかというような言葉の問題は、今割合にどうでもよい。必要なことは、クリティシズムの機能が何よりも認識論的なものだという根本着眼である。以上述べて来た処から、この点あらためて上塗りを必要としないと思うが、念のために一つの証明(?)のようなものを与えておこう。
 認識論の意義は、その最も約束ある豊富な内容から云って、人間の思想史の要約である。尤も之は人間思想史の史的叙述と一つでない。その要約であるということが大切だ。その意味で之は論理であって歴史そのものではないのである。認識論は論理学であった。で認識論に於ては、人間の思想・認識(又文化)・の歴史的従って又社会的契機と論理的契機とが、のっぴきならぬ経緯となって織りなされる。これは人の云っている通りだ。――処で他方クリティシズムについての理論的常識はどうか。公式儀礼として再びクローチェの如きを借りるのが穏当である。「芸術の歴史的批評と美学的批評とは同一物である」、「真の芸術批評は間違いなく美学的批評である、――と共にそれは歴史的批評だ。」芸術批評が芸術史の一季節であると共に、哲学の一機能である、と云うのである。彼は真の批評をば、分類学的批評・道徳的批評・作者心理的批評・形式批評・修辞観的批評・法則批評(公式批評)・などから区別された歴史的批評であるとする(実際この種類分けは彼の歴史記述の様式の種類分けに基いている)。その歴史的批評が実は哲学的乃至美学的批評であるというのだ。そして哲学は彼に於ては論理的なものだし、歴史的批評は正常ならば当然社会的批評をも意味するわけだから、つまり彼によれば、クリティシズムは芸術の歴史的従って又社会的契機と論理的契機との同一、という処に成り立つ。クローチェは批評の機能を最後に、芸術批評から「生活批評」にまで拡大するのだから、「芸術」の、と今云ったことは、「文化・思想・認識」の、と変えてもいいわけだ。――故にクリティシズムと認識論とが、たとい形式的にしても(何となればクローチェは決してさっき云ったような認識論の充実した意味を知ってはいないから)、全く同じ契機の構造物であることが、証明(?)された。
 クリティシズムとは、結局の処、認識論的文化史、哲学的文明批評、その他その他と云っていいもので、「科学的批評」という言葉は、今まで見て来たようなクリティシズムの全機能を指していなくてはならないのである。科学的批評とは、正にこの認識論としてのクリティシズムの謂であり、或いは少なくとも、認識論的機能を営む筈のクリティシズムの謂である。科学的批評とは評価の計算器のことではなくて、文化媒介の認識論的組織あるものを云うのである。ここでも、ただ漫然と科学的という言葉を使うことは許されないのだ。
 吾々は最後にクリティシズムと文化の意識との関係を考えて見る実際上の必要がある。――或る時代の或る社会に一定度の文化が存在するということと、そこに同程度の文化の意識が存在するということとは、必ずしも一つではない。あれや之やの文化の存在が直ちに文化そのものの観念を産み出すとは限らない。文化のイデーは、量的に或る程度以上の、そして質的に或る水準以上の、文化がすでに存在することによって、文化的精神がハッキリと指導的な旗印となる処にしか、実を結ばない。なるほど今日の世界のどこへ行っても文化のない土地はない。従って文化という言葉、文化という観念、の通用しない処もまずないだろう。だがその文化という観念が、どれほど生活上切実なものとして意識されているか、どれほど社会的リアリティーを認められているか、どれほど社会的権威を自覚されているか、によって、吾々は文化の意識の有無を区別することが出来る。文化があるにはあっても、文化の意識そのものが曖昧な場合には、文化は殆んど何等の社会的力とならぬから、文化の積極的な作用力から云って、それは無に等しいのだ。文化は権威を有つべきものである。と云うのは、文化は政治や社会活動の手段ではなくて、あくまでそれ自身に於て政治的にも一つの力となり、社会活動の一つの動機ともなり得ねばならぬ、というのである。文化が自由があるということも、文化が民衆の自主性に基かねばならぬということも、これ以外のことではない。だから文化という近代的概念は(教養という観念も比較的そうだが)元来、近代民主主義的のものだったのである。
 日本に於ても、今日の文化という観念は、こうした歴史上の本質を持っている。明治以前は今問題外としよう。そこでは専ら諸文化は教化という精神功利的な目標を有っていた。処が明治初年来文化の意識はまず文明開花として[#「文明開花として」はママ]現われた。これはその観念の系譜から云っても、又当時の日本の現実から云っても、ブルジョア的な観念であったことに異論はあるまい。だがルソー的な又はスペンサー的なこの観念も、日本に於ては人間性の進歩という予備観念をあまり深く用意はしていなかった。だから遂にこの文明開化という文化観念は、文化のイデーとしての指導力を充分に発揮することが出来ずに終らざるを得なかったのである。
 文化という言葉が改めて新しく登場して来たのは、世界大戦を契機としてである(文化という字は文明開化の略であるから従前から無かったものではないが)。桑木厳翼博士や土田杏村氏等の数群の文化哲学者が現われ、文化の意識に立脚して文明批評を試みたのはその時期だ。だがこの際の文化という概念は、云うまでもなくドイツ・イデアリスムスの系統のものであって、文化主義の埒を出ることが出来なかった。云わば小市民的インテリゲンチャの世界観の一支柱の類でしかなかった。而も文化なるものが何であれあまり掛けがえのない社会的実在性を認められて来なかった日本の文化伝統にとっては、之は殆んど取って付けたような流行物であったため、一部のアカデミーに於て多少物の役に立った点を除けば(社会科学や文化科学の認識論や科学クリティシズムとして――例えば左右田喜一郎博士の場合)、大衆的には極めて安価な而もやや滑稽なレッテルにさえ堕して了った。「文化」は文化住宅式なものともなり更に文化猿又式のものとさえなって了わざるを得なかった。つまり「文化」は大衆によって批判し去られた。
 文化の観念が小市民的狭隘さを脱し、それだけではなく十八世紀的な市民性をさえ脱却した処の民主性にまで到着したのは、世界を通じてごく新しい現象だが、日本も決して例外ではない。ここに文化の観念が有つ意義が著しく高められたことは、人の知る通りである。日本の現在に於ける文化の諸観念が特有の形で錯雑しているという特色については、今論じる機会ではない。ただ文化の意識(単なる文化の所有ではなくて文化の意識の所有、つまり文化の観念の高水準な自覚のことだ)、が人々にとって重大な問題をなしており、現代の極めてクリティカルな課題を形づくっているということを注意すれば足りる。前にも述べた通り、文化の単なる向上という言葉はすでに多義性を孕むに至っている。文化は単に向上するばかりでなく、進歩しなければならないと云われている。「進歩的」な向上でなくてはいけないということになる。文化の意識そのものがただの文化から抜け出して、それ自身で新しい文化尺度を産み出した結果、観念のこういう複雑さを生じて来たわけだ。
 処で、ただの諸文化自身から抜け出して或る独特な新しい文化的尺度を規正するこの「文化の意識」は、もはや個々の諸文化の夫々の付属物ではなく、そういうものから発達し結実した夫々の或る代表者的エッセンスが集結し独立化し単位化したものとして、或る独立な秩序界を構成する。文化が高いか低いかは、個々の文化面の向上度で計られる以上に、更にこの文化意識の進み方で計られねばならなくなった。今そう云ったが、つまりこの文化意識は、個々の諸文化面から駐在使的に外交団的に独立化したインター・カルチュラルな独自の秩序界をなすのである。この点をハッキリ心に留める必要がある。――今もしそうだとすれば、クリティシズムというものも亦、正にそうした特色のものであったことを吾々は思い出すだろう。諸文化から文化意識が指導的イデーとして抽出され、それが主体化され主題化されることは、諸文化に沿い諸文化に即しながらクリティシズムの組織が横断的に結成されるということに、正確に該当するわけである。で、文化意識とは、その内容から云えばクリティシズムであるということになる。或いはクリティシズムとは文化意識の活動のことだと云ってもいい。実際の処、文化と云うものの意識、近代的民主主義の自覚と文化的自由との発生地であるこの文化意識は、正しく批評精神・批判的精神を以てその著しい特色としているのである。文化意識というような極めて一般的なものの水準になれば、その高低は、クリティシズムの機能の強弱優劣というようなもの以外によっては、恐らく計ることが出来まい。
 文化の理論は認識論に帰する。少なくとも認識論はそういう規模のものであることを必要とする。だが文化の理論の最も活動的な内容は、当然現実の諸文化の批評である。文化批評・文明批判・の類である。之が認識論の季節的な重大使命だ。そしてそれこそがクリティシズムの活動なのである。


底本:「戸坂潤全集 第三巻」勁草書房
   1966(昭和41)年10月10日第1刷発行
   1972(昭和47)年12月20日第6刷発行
初出:「学芸」
   1938(昭和13)年10月
入力:矢野正人
校正:岩澤秀紀
2011年10月10日作成
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  1. 2016/08/29(月) 03:58:15|
  2. 未分類

大平喜信国会報告会に行ってきた

古本屋通信     No 2125  8月27日


   大平喜信・国会報告会に行ってきた


  報告会は我が家の隣の公民館であった。その和室に座布団が敷かれ、30人ほどのこじんまりした会であった。岡山一区の衆院予定候補の余江さんが司会し、午後2時ちょうどに始まった。前半の50分ほど大平さんの国会報告と今後の運動についての話があり、後半の40分ほどが参加者との質疑応答に充てられた。

  私はこの報告会の事を一週間まえ、赤旗の折り込みチラシで知っていたが、行かないと決めていた。大平さんの実物は見たかったが、中国ブロック事務所が噛んでいるようで鬱陶しかったのだ。ハッキリ云うと武田に会いたくなかった。連れ合いもこの日は都合が悪いと言っていたのに、直前になって「一緒に行こうよ」 という。それで直前に出掛けた。しかし「アンタ、今日は黙っとかれえよ」 と釘を刺されていたので、絶対に質問しないと決めて出掛けた。

  大平さんの報告は的確で、まあ満点だったが、その要約は省略する。慣れてきたのだろう、堂々としていた。ただ私的には sollen ゾレン、つまり 「国会報告だから・・・・ねばならない」 という気負いがいくぶん感じられた。しかしたぶん殆どが党員だろうけれど、旧知でない不特定の参加者との懇談だから、こんなものだろうとも思った。

  大平さんの報告を聞いているうちに、今日は喋るまいという自分の決意が脆く崩れるのを感じないではいられなかった。彼の喋りが終わるころ、私は質問の要点を頭の中で整理し終えていた。連れ合いはメモを取りながら話を聴いていたが、私の様子に気が付いたであろう。

  私は自分の質問内容には不安はなかったが、果たして自分の質問がその場にふさわしいか否かについては、大いに不安があった。周囲の関心と著しく懸け離れた発言になるのではないか、それが私が大衆集会に出かけて行かない理由である。最近はブログで好きに書いているが、他人の空間に無理強いしないブログのようなわけにはいかないだろう。

  司会の余江さんが質問を促し、最初に私より少し若い女性が年金の国会議論に就いて質問した。自分たちの生活に密着した切実な質問だった。大平さんが答え、女性が再質問し、大平さんが関連の問題まで説明した。誠実だったが、誠実なだけではなく的確だった。さすがは国会議員と思わせた。

  私の質問は生活要求とは少し違う。大平報告に関する質問だから、ピント外れではないと思うが、質問する背景の事情などにも触れるとなると、少し長くなる。そういう躊躇もあったが、2人目に質問した。言葉はブログの時のように滑らかには出て来ない。自分でも声が少し上ずっているのが分かったが、あとは多弁で乗り切った。

  大平報告がもっとも力を入れたのが野党共闘であった。その成功の具体例を、赤旗の復誦ではなく、大平さん個人の体験も含めて、新潟や山口を例に引いて喋った。私は以前から野党共闘はソモソモ国語的にもあり得ないという持論だが、そういう場所がらをわきまえない発言はしなかった。

32の一人区で野党共闘が成立しましたが、私の意見では沖縄と香川はちょっと違うと思います。実質30の野党共闘です。おっしゃったように、沖縄を除くと10選挙区で当選です。まず当落以前に、30選挙区では安保法制反対と閣議決定撤回を柱にした共闘でした。これが共通した柱でしたが、その他でも合意があり、その実際は様々でした。また合意の度合いも政策協定締結のやり方もまちまちでした。これが実際に当選してどうなるかという問題があります。当選した議員は民進党、無所属、或いは生活の党系列とさまざまですが、さっそく無所属議員の所属で問題が起こっています。このことは赤旗も認めています。民進党と当選議員に鋭意努力を期待したいと。つまりコレは共闘の在り方に現在の議院内閣制を崩壊させる萌芽があるのではないでしょうか。これは参院選ではまだはっきりしたかたちで出ていません。しかし先ほど大平さんは野党共闘を衆院の全295小選挙区で実現させ、その過半数を野党統一候補が獲るということを言われた。全295小選挙区で実現させるという目標も今日初めて聞いた。これは党中央が言っていないことではないか。それが一つありますが、私が言いたいのは、そういう衆院で野党が過半数を獲れるという事態になっても、これは政権交代以前の問題として、今の国会の基本的な枠組みである議員内閣制が崩壊してしまうのではないかということです。だって、日々法案は数多くあります。安保法制の是非なんか日常の法案の賛否と関係ないでしょう。それは各政治党派で対応する問題です。野党共闘の選出母体の政策協定で、いちいちそこに帰って対応できる問題ではありません。

  コレが私の大平さんに対する第1番目の質問でした。実際には第2番目の質問も一緒にしたのですが、それは後回しにして、第1番目の質問に対する大平さんの返答を貼っておきます。結論としては私は満足でした。それは誠実だったからです。私は今の党中央の方針が間違っているから絶対に答えられない質問をしているのです。自信をもって質問しているのです。私が期待したのは大平さんの誠実さでした。かれは言い逃れやごまかしを言いませんでした。かれの返答は私的に要約するとこうです。

大平  いま志位委員長の記念講演の文章を調べているんですが、衆議院選挙での野党共闘はこの道しかない、出来る限りの努力を惜しまないで共闘を多く成立させたい、とは言っていますが、全295小選挙区で成立を目指すとは言っていないですね。全295小選挙区というのは私の個人的見解でした。それと、衆議院選はこれからの事です。かりに野党共闘で多数の議席が獲れたとしても、いま言われたような問題はかつて経験したことのない問題ですから、多く起こりうるでしょう。いまから予測できませんが、その都度、話し合って解決しなければならない事態は起こると思います。

  私はこの答えに満足した。議院内閣制の崩壊を認められるわけがないのである。その範囲で満点の回答である。私が直感的に思ったこと。宮本徹や藤野保史や坂井希でも同じ回答だろうな、と。つまり現在の「野党と市民の共闘」路線の行きつく先は議院内閣制の完全崩壊だと多くの共産党幹部がそれとなく認めているのだ。但し志位ー小池執行部以外の党幹部が。

  帰ってから連れ合いに訊いてみた。「アンタ、議院内閣制って分かるか「分からんワ、高校の倫社で習うたが、大平さんは国会議員じゃから別にして、他の人は誰も分からんじゃろう。赤旗なんかで見たことないワ」 「だからワシ、同じことを言うのに角度を変えて、民進党の岡田代表が政権合意を否定していると言ったんだけどナ」 「まあエエが。あそこまでじゃ。あれでも長すぎた。自分の知識をひけらかしたと思われたらオワリじゃ。ギリギリじゃったナ」。

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  古本屋の仕事で中断していたが、私の第2番目の質問は藤野保史政策委員長の辞任問題と絡んだ5兆円の防衛費問題に就いてである。概要以下のように質問した

 大平さんは防衛費の中の米軍への思いやり予算に触れられました。関連して質問します。5兆円の防衛予算を巡って、党の政策委員会責任者の藤野保史さんのテレビ討論会での発言にたいして、自民党の稲田朋美政調会長がケチを付けました。そのご稲田さんは防衛大臣になりましたが、ここらを見てだろうと思いますが、中核派革マル派の 「前進解放」 が 「日共はネオ・ファシストに屈服した」 と書いています。
  以下の黒字と青字部分は私が大平さんにした質問にない部分です。分かり易い文脈にするため、こんかい補記しました。中核派の 「前進」 というのは間違いでした。革マル派の 「解放」 に訂正します。革共同両派にお詫びします。 [通信 No 2112 革マル派はよく勉強してるなあ] に引用した記事の一部ですが、こう書いています。「同志・山門は、日共官僚が自己目的化してきた「野党と市民の共闘」なるものが参議院選挙とつづく東京都知事選挙における惨敗をつうじて破産が宣告されたと喝破し、さらに批判の矢を放つ。かの政策委員長・藤野の「防衛費は人を殺すための予算」という発言がネオ・ファシストどもからやり玉にあげられたことに完全屈服し、帝国主義日本の軍事費を認め・「自衛隊の段階的解消」という基本政策をも実質上投げ捨てたのが不破=志位指導部だ。「日共官僚どもは、清水の舞台からネオ・ファシズムの濁流のなかへ笑いながら転落しつつある」 と。

 そこでお尋ねしますが、藤野さん辞任に当たって藤野さん本人と小池書記局長が党本部で記者会見をやり、その詳報全文が産経新聞に掲載されています(赤旗や、産経以外の各紙も同日、藤野辞任の記者会見の事実は報道しましたが、一問一答の会見の内容までは書きませんでした。しかし数日遅れで赤旗は一問一答を載せました。ただ赤旗のその記事は産経よりかなり短く編集されています。私自身は産経の全文を引用・転載するかたちで、一問一答ごとに私の揶揄的なコメントを付けるエントリーを立てています。それが「通信 No 2013 藤野保史(やすふみ)政策委員長の更迭を検証する」です)。概要は周知の事実になっていますが、ここで共産党が認めている防衛費と認めていない防衛費の範囲がよくわからないのです。災害復旧に自衛隊員が出ることはよしとしているのですから、この方面の予算を認めているのは常識的に分かります。また人件費をなくすこともできない。しかしそれ以外の防衛費で、認めない部分は分かるが、認める部分が分からない。そのご赤旗には莫大な予算を伴う戦争兵器や米軍への思いやり予算が載りましたから、この部分は認めないのでしょう。それから戦争法がらみの集団的自衛権の発動に伴う予算は認めない。これも分かる。じゃあ従来からある軍備に関する予算はどうなのか。それが個別的自衛権の範囲の予算と一致するのかどうか。そこらへんを明らかにしていない。だから中核派革マル派に突っ込まれるんでしょう。丸ごと屈服だと。私はこの指摘は当っていると思います。逆にはっきり言うと、藤野さんは全く正しい。それは国会周辺では言葉に気を付けた方がよいかも知れない。けど、我々は運動をやっているんですよ。違憲の自衛隊の軍備を縮小せよと戦後一貫して訴えてきました。その文脈の中で考えると、藤野さんは全く誤っていないと思うんですがね。

  これにたいして大平さんは一応の党見解(それは記者会見で藤野さんと小池書記局長が話した内容だからここでは掲載しない)を喋った後、次のような注目に価する答弁をされた。

大平  どこからどこまでがどうでということは実は党の側から言わないということです。(「そうだ、それが正しい」と私)。実はコレ少し(党内で)議論があったんです。それで、そういう結論になりました。こっちから言わないということです。訊かれれば言いますけど。 個別的自衛権はまあ認めま ・・・・ (あいまいに口ごもる)。

  ここで再び私の大平さん評価はピント跳ね上がった。しかしそれは結果である。私はこの答弁を引き出しただけでも、今日の報告会は私にとって大正解だった。つまり党は一時的に藤野さんを切った。記者会見の時の藤野さんも不死身だったが、いまも藤野さんは完璧に健在である。党は集団的自衛権のみならず一切の軍事費を認めていない。それが党の公式見解である。最後に大平さんが口ごもって言った部分は大平さんの個人的見解である。党の正式見解ではない。これはずるいのでも何でもない。運動の弁証法であり、私流の表現では最大限綱領と最小限綱領の問題である。場合によっては藤野さんを切ったように大平さんを切ればよいのだ。その苦痛に耐えれないのは共産党員コミュニストではない。ここで思い出したのが可知正さんだが、これは余りにも脇道に反れ過ぎだろう。

  とにかく楽しい1時間半と、それに続くブログ記事作成の2時間半であった。大平さん、そして司会の余江さん、入り口で目を光らせていた元倉敷地区委員長/現岡山地区常任委員の矢吹矢引さん、今日は本当に有り難うございました。


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  大平喜信 (政治家)  ウィキペディアより

生年月日  1978年2月28日(38歳)
出身地  広島県広島市
出身校  広島大学教育学部
前職  日本共産党職員
所属委員会  文部科学委員会 災害対策特別委員会 憲法審査会
選出選挙区  比例中国ブロック
当選回  1回
所属党派  日本共産党
党役職  日本共産党党広島県委員会常任委員・青年学生部長
大平 喜信(おおひら よしのぶ、1978年2月28日 - )[1]は、日本の政治家。日本共産党所属の衆議院議員(1期)。

政策・主張[編集]
自身のホームページで、以下のように書いている。 「平和を願うヒロシマの心を国会へ」をモットーに「核兵器のない社会を」「戦争する国づくりは許さない」「憲法を守り生かす」の実現へ全力で頑張ります。
安心できる教育環境を作っていくために奮闘します[2]。

2014衆院選 毎日新聞候補者アンケートで、以下のように回答。 アベノミクスを評価しない。
原発は日本に必要ない。
ヘイトスピーチを法律で規制することに賛成。
靖国神社に首相は参拝すべきでない。
村山談話と河野談話は引き継ぐべきだ[3]。

略歴
1978年2月28日、広島県広島市に生まれる。広島大学学校教育学部小学校教員養成課程(家庭科専攻)卒業。卒業後は日本民主青年同盟中央常任委員・広島県委員長や機関紙「われら高校生」編集長等を務める。
2012年の第46回衆議院議員総選挙に比例中国ブロック単独で出馬するも落選[4]。
2014年の第47回衆議院議員総選挙に比例中国ブロック単独で出馬し、初当選[5]。日本共産党が比例中国ブロックで議席を得るのは2000年の第42回衆議院議員総選挙にて当選した中林佳子以来14年ぶりである。

所属議員連盟  子どもの貧困対策推進議員連盟[6]

脚注
1.^ 第46回衆議院議員選挙~12月16日投票~時事ドットコム
2.^ 大平よしのぶ 公式ホームページ
3.^ 2014衆院選 中国ブロック 大平よしのぶ
4.^ 2012衆院選毎日新聞2014年12月20日閲覧
5.^ 中国比例は自5、民・公2、維・共1中国新聞2014年12月20日閲覧
6.^ 子供の貧困対策 超党派議連が発足 しんぶん赤旗記事

外部リンク
日本共産党衆議院議員 大平喜信
大平喜信 公式Facebook
大平喜信 (@tekuteku_diary) - Twitter



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  古本屋通信ブログ内検索

  「大平喜信」と入力してヒットしたエントリーが現在18件あった。実際にはこの3倍はあっただろうが、衆院選挙前に集中して転載した彼自身のブログ記事や、それにつけた私の解題などは時事的なエントリーとして全て消している。また単に「大平」とか「大平さん」、また誤入力の「平喜信」も結構多いんだなあ。最初のうちはパソコン任せだったから、かなりあるかもしれない。



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クリティシズムの精神
古本屋通信    No2117  8月24日  クリティシズムの精神。いつも最高な坂井希のツイッター。 少し落ち込んでいたり、ブログネタに困ったら、私は何時も坂井さんを訪問する。大山奈々子さんの場合もあるし、もっと手近に福山で間に合わせることも多い。しかし坂井さんのはツイッターだからズバリ突っ込みが
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共産党街頭演説会の私的報告
古本屋通信     No1648 11月25日   共産党街頭演説会の私的報告  パソコン操作のミスによって最新記事100本が消えてしまいました。  関係ないけど、まず大阪知事選挙の結果から  自民党の支持者の半分が維新の松井に入れたんだって。  共産党の支持者の2割が維新の松井に入れたんだって。 
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岡山県党会議が開かれる
古本屋通信    No1520   7月13日  日本共産党第78回岡山県党会議が開かれる 昨日、表題の会議が開催された。事後だから場所も公表するらしい。たいていがココだ。私が小耳に挟んだ話では何でも岡山県民主会館はベラボウに会場費が高くて使えないそうだ。松田準一氏がしっかり者だから高い場所は使わな
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大平喜信議員、東奔西走
古本屋通信    No1469  6月09日 大平喜信議員、席が暖まる暇なく東奔西走。河村さんを拝借。  私は昨日は大変忙しい一日でした。古本の入荷があり、その整理とヤフオクへの出品準備に大わらわでした。夕方までに出品代行者さんの所に持ち込み、夜には出品して戴きました。たくさん入荷しても出品できるも
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正森成二と中国ブロック
古本屋通信    No1465  6月05日  正森成二と衆院比例中国ブロック選挙 きのう古本整理中に『正森成二国会論戦集 道ひとすじに』なる全288頁の本が出てきた。言うまでもなく共産党の代議士だった正森の本である。私は一目みて、素人が作った本だと直感した。大部の書籍なのだが、作りがまるで自費出版
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大平喜信議員の質問
古本屋通信    No1447  5月25日    大平喜信議員の質問  きのうの赤旗日刊紙の紙の新聞を今日になって読みました。二面に大平喜信衆議院議員の文教科学委員会での質問の記事が載っていましたので転載します。転載はウェブ版のコピーではなく、手打ちの印字です(古本屋通信)。 「小中一貫」制度化法
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ツイッターは党解体を・・・
古本屋通信     No1347  3月16日   ツイッターは党解体を促進するか  表題のテーマに入るまえに、そもそもネット発信のHPブログ文の有効性について一言しておく。情報として有効か、ということである。この点私は長いあいだ疑念を懐いてきた。それはいまでもある。実在する組織・機関や個人(たとえ
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宮本徹デビュー
古本屋通信     No1327  3月6日  宮本徹デビュー 日本共産党衆院議員新人の宮本徹が4日の衆院財務金融委員会で初登壇した。昨日の赤旗日刊紙から転載する。宮本君、よく頑張ったね。いまの綱領下でもこれくらいはやれる。綱領が間違っているから全部ダメというのは思想的には観念論だが、実践的には敗北
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面白いので本文アップ
古本屋通信     No1324  3月4日  面白いので本文アップ 直前板への投稿ですが、面白そうなので別板を立てました。立てた後でギクリ。これ、ひょっとしたら私のお気に入りの面々のことか?後の祭りだ。とりあえず許せよ、のんちゃん(田中のぞみちゃんのこと)。共産党国会議員が左翼なのは間違いないでし
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歴史に於ける個人(史的唯物論)
古本屋通信     No1323  3月4日  歴史に於ける個人(史的唯物論)  以下の文で等しく敬称を省略して書く。出来るだけ対象化して書きたいからだ。 川上徹が死んで二ヶ月が過ぎた。拙文には多くの「拍手」があったが、その後多くの関連文は書かれていない。たぶん古在由重の死の時のような大部な追悼集は
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大平喜信のバランス感覚
古本屋通信    No1281   2月12日  大平喜信のバランス感覚 人は誰であれ多面的な日常生活を送り、その時どき異なった意識を持つ。それは共産党中央の役員であっても、国会議員であっても変わらない。私は先日、坂井(平野)希が次男の登校拒否にてこずり、パジャマのまま道路に次男を抱えてスクールバス
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これからの日本をどう・・・
古本屋通信    No1238   9月22日 後半は23日日本共産党の現在。これからの日本をどう変えていくのか。 2日前、河村さんが3中総の志位報告を視聴したと書いていたので、私もユーチューブを点けたが、ダルかったので止めた。きのう赤旗日刊紙でザット読んだ。次期の全国選挙の得票目標850万はいい。
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日本共産党への今年の言い納め
古本屋通信    No1201  12月31日 日本共産党への今年の言い納め 今年は11月~12月に選挙があった。私も少しは選挙をやったが微々たるものだ。ネットでも大平喜信氏の応援を通じて共産党ヨイショをやった。大平氏が通ってスカッとした。しかし選挙期間中、日本共産党にたいする批判は抑えざるを得なか
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たたかう大平、サボる武田
古本屋通信    No1196   12月28日  たたかう大平喜信 サボる武田英夫 人間は口クチじゃあない。行動だ。何を言うかではなく、何をするかだ。共産党員なら、どんなにエラそうに言ってても、赤旗の拡大も配達も集金も、ただの一度もやったことのない奴は決して信用してはならない。別に「やった、やった
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今後に注目の6人
古本屋通信    No1188   12月18日    今後に注目の6人  昨日で総選挙関係の記事をいちおう終えた。選挙戦本番に入って削除した記事を含め、大平さん中心にかなり書いてきた。これは古本屋通信のたたかう心意気を党内外に示すためだった。 今後は当選した国会議員について、大平喜信氏を含めて特別
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衆議院選挙を終えて
古本屋通信    No1182   12月15日  衆議院選挙を終えて 選挙の全ての議席が確定した。日本共産党の躍進を心から喜ぶものである。とりわけ中国ブロックでの一議席奪還=大平喜信代議士の誕生は、私の通信の目的の過半を達成したともいえる至上の喜びである。私はこの日のためにブログを続けてきたと言っ
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認識における唯物論と観念論
古本屋通信    No1170  12月9日  認識における唯物論と観念論 選挙まえだが、いくつかの問題について少し横断的に書きたい。 その前に、このブログでは暫らくのあいだ投稿を受け付けないことにした。その主要な理由は投稿を本文に引用する編集上の手間だが、より本源的にはブログで対話したり論争したり
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  1. 2016/08/27(土) 17:14:39|
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シベリア問題で市議の東クンへ

古本屋通信     No 2121  8月26日


   
  岡山市議の東クンへ。

 シベリア抑留問題真実はすでに十分明らかにされています。

 たぶん昨日の赤旗の特番記事を読まれてであろうと思われますが、日本共産党岡山市議の東つよしクンがツイッターで以下のように呟いておられます。


 東 つよし ‎@Tsuyoshi_Azuma
 
私の祖父は終戦直前に応召され大陸へ。戦後2年間シベリアに抑留されていました。五体満足で帰ってはきましたが、ジャガイモしか食べられなかった話以外はしなかったそうです。抑留したソ連、兵を売り渡した日本軍…。真実は明らかにされるべきです。2016年8月24日 12:37





 古本屋通信
 少々長文だけれど、3つ前の私の板を後に再録するから読んで下さい。つまりもう語る事なんかないんですよ。だからキミのお祖父さんは語らなかった。私は自費出版で苦労話を書く阿呆や、寒冷の地の「露スケ」がどんな非人間であったかを恨みがましく語る低能よりは、一切を語らなかったお祖父さんを尊敬します。お祖父さんは終戦直前の招集だったそうですから、満蒙の地での戦争犯罪加担は少なかったでしょう。然しシベリア抑留は関東軍の戦争犯罪の延長線上にあったということは片時も忘れてはいけません。ずいぶん控えめなウィキの記事も貼っておきましたからお読みください。ふつう人は自分が旧満州でどんなに酷いことをしたかは喋らないものなのです。しかし中にはずいぶんバカ正直な人がいて、(そのひとは私が小学校のころ家の改築をやってくれた大工さんなのですが)自分たち日本兵が中国人女性を輪姦して、その味がどうだったかを、子供相手に自慢するのです。その裏返しとしての「露スケ」の日本人酷使だったでしょう。こういう話は参考にもなりません。これをもっと小綺麗に聞き書きのかたちでまとめたのが立石憲利氏の『戦争の民話』です。キミたちの市議の先輩である崎本さんは立石さんを絶賛しています。一切の対象に批判の目を持たないで、なんで市議会質問原稿が書けるでしょうかねえ。

  シベリア引揚者から多くの日本共産党員が生まれています。当時はあちらに大きな党組織がありました。指導していたのはソビエト共産党でしたが、当時の日本の党はまだソビエト共産党の弟分でした。ハッキリした記録は無いのですが、当地にあった党組織は日本共産党シベリア総細胞だったのではないかと思われます。日本の党からも指導的な党員が当地に派遣されていたでしょう。ちゃんとした理論学習も積んでいました。だから引き上げるとすぐに党員として活動できたのです。そのうちの一人が君の先輩議員である竹永光惠さんのお義父さんです。引き上げてきて直後に岡山県北・美甘村会議員です。日本共産党でした。竹永さんが書いていたことです。これもシベリア抑留が結果的に引き起こした落とし物でした。私は竹永さんがお義父さんを誇りに思うことを是としたうえで、不破哲三氏の著作を引いて、「竹永さん、エエ所取りしなさんな、不破を批判しきる科学の目を持ちんさい」 と書いたのです。

  東クンはまだ若い。アタマが柔軟です。しかし今の共産党では、いつの間にかカルト党員になってしまう危険に晒されています。特に党議員がその確率が高い。党公認議員として歳費で生活しているからです。それに岡山は議会質問が決定的に甘い。勉強不足です。福山市議団に学ぶべしです。雲泥の差があります。あのね、羊のような大人しい当り障りのない質問では、市当局は痛くもかゆくもありませんね。福山は共産党議員の質問に限って激しい野次があるんですよ。林くんのヘイト法賛成の質問にせよ、竹永さんの女子会にせよ、岡山市議会共産党の当局との馴れ合いは看過できないですね。

  あたまの柔軟性を保つには、坂井希さんのツイッターを参考にしてください。ツイッターには相手がいります。坂井さんに一度ツイートされてはどうですか。坂井さんを相手にするにはずいぶん勉強が要りますよ。

 アッ、「抑留したソ連、兵を売り渡した日本軍」と呟かれている部分についてのみ。コレは赤旗だけを読んで書くから、情緒的でいい加減なことを書くようになりますね。前半 「抑留したソ連」 は関東軍の戦争犯罪と日本の無条件降伏がもたらした結果だから当然です。だから当時の日本共産党徳田指導部はこれを支持しました。それについて、今日に至るも日本共産党はアレは徳田らの誤りだったとは言っていない。なぜなら党50年分裂の前だったから、徳田分派は存在せず、統一した日本共産党としての見解でした。だから昨日の赤旗を注意深く読めば、赤旗はソビエトのシベリア抑留を非難していないのです。スターリンの誤りだったとする部分を識者の見解としてそれを引用するにとどめています。そこまで読み取らないと議会質問は書けませんね。

  後半はその通りですが、「日本軍である関東軍」が「関東軍兵士」を売り渡したというのは同義反復ですから、「兵を売り渡した日本政府」 というべきでしょう。それは措いて、ソ連が長期にわたって日本兵のシベリア抑留を解かなかったのは、日本の戦後処理の誤りが原因でしょう。天皇制を残したこと、講和を全面講和ではなく単独講和としてアメリカとのみサンフランシスコ条約を締結したことです。つまり今に至る日米安保体制です。これが悲劇の源みなもとです。天皇制も安保も当面は温存する日本共産党では、少なくとも当面は「兵を売り渡した日本軍」を非難できないですね。
 

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  再録


古本屋通信     No 2118  8月24日


    シベリア抑留問題に就いて

 今日の赤旗(3)が1頁を使って「シベリア抑留とは何だったのか」という特報を組み、さらに(15)でも関連時事を載せている。「シリーズ戦後補償」 という特集の一環らしく、そういう視点からの記事と見た。

  問題を全面的に論じる余裕はなく、また時間的に余裕があろうとも、私には重すぎるテーマである。記事を、それも前半だけを読んだ感想に書く。

  事実そのものは繰り返し言われてきたことである。私はシベリア抑留体験の自費出版本も何冊か読んできた。抑留体験そのものはビルマ南方戦線での生死の間を彷徨った過酷な戦争体験とは少し違った記録だった。けれど筆致そのものは私に言わせると変わりなかった。すでに書いたがオールゴミである。なぜゴミか。書かれていることは事実である。過酷な被害体験である。しかし体験に当てられるべき歴史の視点がない。加害者であった自分がない。まったく書かれていないのだ。この典型が立石憲利氏の『戦争の民話』である。

 今日の赤旗特報記事は微妙である。まず真っ当な部分は、シベリア抑留者支援センターの有光健さんの平和祈念展示資料館についての発言部分である。

 他の戦争関連の展示もまとめて、歴史的な視点から再構成し、その中にシベリア抑留も位置付けるべきです。シベリア特措成立法(2010年)のときにそこへ踏み出すべきでした。日本側の悲劇を語る際に、そもそも他国に出掛けて軍事支配し、100万人もの日本の軍隊(関東軍)が中国東北部に常駐していたこと自体が異常な状態で、無理なことだったのではないか? 抑留問題もそこから考えねばなりません。

 私は極端に云えば、この問題はこれでオワリだと思う。有光さんは書いていないが、関東軍の多くは徴兵制で徴用されたのではなく、いわば青雲の志功名を立て、立身出世をしようとする志)をもって志願した兵士たちであった。満蒙開拓団が当時の青年の野心の顕われであったと同じ文脈であった。コレとて農家の三男坊が生きるためにやむをえなかった選択だったという理屈はある。然しそれらは全て侵略を受けた側に通用しない理屈である。

 日本帝国主義は戦争に敗れ、無条件降伏を受け入れた。ソ連軍が日ソ不可侵条約を破って・・云々・・は全て無条件降伏する以前の言い分である。

  ここから先で赤旗は 「シベリア抑留の悲劇がなぜ起こったか」 を書く。識者を引いて、「スターリンの指令」がポツダム宣言に違反だと書く。

  ここから先は読む気がしないし、読まなくても分っている。スターリンひとりを悪者にする非歴史。これはソ連の国家国防委員会の決定であった。日本共産党の徳田指導部は当時これを支持した。そしてその後の日本共産党暫定党史も、これを徳田らの誤りだったと言っていない。

 当時のシベリア抑留はやむを得ぬ侵略戦争の見返りだった。それに対する不服と異議申し立てはあろう。然し歴史を塗り替えることはできない。「50万の旧日本兵はどうにでもしてください」 とソ連に申し出たのは共産党ではない。日本政府であった(実際に申し出ていなくても、捕虜の存在を認めるとはそういう意味でしかない)。戦後の天皇ヒロヒト(および象徴天皇制)を残す代わりに戦犯(関東軍そのものもC級戦犯であった)は好きに料理してくださいと言ったのは日本政府であった。日本共産党は日本兵に赤化教育(マルクス・レーニン主義の正しさ。そしてこれは間違っていなかった。こういう教育を受けて多くの抑留者が戦後に日本共産党に入党した。竹永光恵岡山市議の義父さんもその一人だった)をしてくれるようスターリンの党に依頼しただけである。

  シベリア抑留問題は国際的には全て解決済みである。戦後賠償は国内問題である。

  余談だが、北方領土も竹島も未解決の問題は皆無である。きのう岡山県庁前に巨大な垂れ幕を見た。なんで岡山県庁が北方領土を言うのか。県知事が悪い。共産党の県知事を当選させよう。県議補選は大塚愛さんをよろしくお願いします。

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  参考

  
  関東軍   ウィキペディア


関東軍(かんとうぐん、旧字体: 關東軍)は、大日本帝国陸軍の総軍の一つ(1942年(昭和17年)10月1日以前は軍の一つ)。

概要
旅順の関東軍司令部跡(現・関東軍旧蹟博物館)
大日本帝国の中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島先端)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が前身。司令部は当初旅順に置かれたが、満州事変後は満州国の首都である新京に移転した(現在の長春市であり、司令部跡は中国共産党吉林省委員会本部となっている)。「関東軍」の名称は警備地の関東州に由来し(関東とは、万里の長城の東端とされた山海関の東側、つまり満州全体を意味する)、日本の関東地方とは関係ない。

張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行したことは、1920年代からの外交安全保障戦略を現地の佐官級参謀陣が自らの判断で武力転換させたことを意味し、その後の日中戦争(支那事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)に至る日本の政治外交過程を大きく揺るがす契機となった。なお、これら一連の行動は、参謀本部・陸軍省といった当時の陸軍中央の国防政策からも逸脱していた上、明確な軍規違反であり、大元帥たる昭和天皇の許可なしに越境で軍事行動をする事は死刑に処される程の重罪であったが、首謀者達は処罰されるどころかみな出世した。

歴史
日露戦争後にロシア帝国から獲得した租借地、関東州と南満州鉄道(満鉄)の付属地の守備をしていた関東都督府陸軍部が前身。1919年(大正8年)に関東都督府が関東庁に改組されると同時に、台湾軍・朝鮮軍・支那駐屯軍などと同じ軍たる関東軍として独立した。司令部は同年4月12日、関東州旅順市初音町に設置され、翌日13日から事務を開始した[1]。当初の編制は独立守備隊6個大隊を隷属し、また日本内地から2年交代で派遣される駐剳1個師団(隷下でなくあくまで指揮下)のみである小規模な軍であった。

1919年4月25日、関東都督府旅順陸軍軍法会議を関東軍旅順陸軍軍法会議に、関東都督府遼陽陸軍軍法会議を関東軍遼陽陸軍軍法会議と改称することを決定し同年5月1日に施行した[2]。同年5月16日、関東軍憲兵隊を配置した[3]。

1928年には、北伐による余波が満州に及ぶことを恐れた関東軍高級参謀・河本大作陸軍歩兵大佐らが張作霖爆殺事件を起こす。しかし、張作霖の跡を継いだ息子張学良は、国民政府への帰属を表明し(易幟)、工作は裏目となった。そのため1931年、石原莞爾作戦課長らは柳条湖事件を起こして張学良の勢力を満州から駆逐し、翌1932年、満州国を建国する。当初、犬養毅首相は満州国承認を渋るが海軍青年士官らによる五・一五事件の凶弾に倒れ、次の斎藤実内閣は日満議定書を締結し満州国を承認する。その後、関東軍司令官は駐満大使を兼任するとともに、関東軍は満州国軍と共に満州国防衛の任に当たり、一連の満蒙国境紛争に当たっては多数の犠牲を払いながら、満州国の主張する国境線を守備する。関東軍司令部は、1934年に満州国の首都新京市(日本の敗戦後、旧名の長春に戻る)に移った。

一方で、1917年のロシア革命とその後の混乱により弱体化していたソビエト連邦は、1930年代中盤頃までに第1次及び第2次五カ年計画を経て急速にその国力を回復させていた。当初日本側は、ソ連軍の実力を過小評価していたが、ソ連は日本を脅威とみなして着実に赤軍の極東軍管区の増強を続けていた。1938年の張鼓峰事件で朝鮮軍隷下の第19師団が初めてソ連軍と交戦し、その実力は侮りがたいことを知る。さらに1939年のノモンハン事件では、関東軍自身が交戦するが大きな損害を被り日本陸軍内では北進論が弱まる契機となった[4]。

これらの武力衝突によりソ連軍の脅威が認識されたことや第二次世界大戦の欧州戦線の推移などにより関東軍は漸次増強され、1936年には、関東軍の編制は4個師団及び独立守備隊5個大隊となっていた。そして、翌1937年の日中戦争(支那事変)勃発後は、続々と中国本土に兵力を投入し、1941年には14個師団にまで増強された。加えて日本陸軍は同年勃発した独ソ戦にあわせて関東軍特種演習(関特演)と称した準戦時動員を行った結果、同年から一時的に関東軍は兵力74万人以上に達した。「精強百万関東軍」「無敵関東軍」などと謳われていたのはこの時期である。なお、同年4月には日本とソ連との間で日ソ中立条約が締結されている。

1942年10月1日には部隊編制が従来の軍から総軍へと昇格。関東軍は支那派遣軍や南方軍と同列となり、司令部(関東軍司令部)は総司令部(関東軍総司令部)へ、従来の司令官は総司令官、参謀長は総参謀長、参謀副長は総参謀副長へと改編された。

しかし、太平洋戦争の戦況が悪化した1943年以降、重点は東南アジア(南方方面)に移り関東軍は戦力を抽出・転用され、また日ソ中立条約によりソ連軍との戦闘がなかったため関東軍も進んで戦力を提供した。その埋め合わせに1945年になると在留邦人を対象にいわゆる「根こそぎ動員」(25万人)を行い、数の上では78万人に達したが、その練度・装備・士気などあらゆる点で関特演期よりはるかに劣っており、満州防衛に必要な戦力量には至っていなかった。

1945年5月ドイツ敗北後、ソ連軍の極東への移動が活発になった。6月4日梅津参謀総長は大連に赴き、日ソ開戦時、一部の満州地域を放棄し、防衛線を段階的に大連 - 新京 - 図們の三角線まで南下させ、持久戦に持ち込む作戦を関東軍に命令した。

同年8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し対日参戦。満州に侵攻してきたソ連軍に対し、10日大本営は朝鮮防衛と司令部の移転を命令した。14日関東軍司令部は通化に移転。これによって関東軍は、「開拓殖民を見捨て逃げ出した」と後に非難されることとなった(殖民を守る部隊が全く存在しなかったゆえに葛根廟事件という悲劇まで起きた)。一方で、大連 - 新京防衛ライン(満鉄連京線を指す)では、後方予備として温存していた9個師団を基幹とする第3方面軍が展開して実際に持久戦が企図されていたが、反撃に移るまでに8月15日の玉音放送を迎えた。正式に降伏と停戦の命令が満州の関東軍総司令部に伝えられたのは16日夕方であった。「徹底抗戦」を主張する参謀もいたが、山田乙三総司令官は夜10時に停戦を決定し、関東軍の諸部隊は逐次戦闘を停止した。ただし、一部の前線部隊には停戦命令が到達せず、8月末まで戦闘行動を継続した部隊もあった。

停戦後、関東軍将兵の多くは、ソ連の捕虜としてシベリアへ抑留され、過酷な強制労働に従事させられ、多数の死者を出すこととなる。総司令官の山田乙三陸軍大将や参謀の瀬島龍三陸軍中佐ら関東軍幹部は11年間の長期にわたって抑留される。近衛文麿公爵の嫡男で近衛家当主の近衛文隆陸軍中尉はシベリア抑留中に獄死したため、当主が不在となった近衛家は文麿の外孫の近衛忠煇が継ぐこととなる。また、八路軍の捕虜になった林弥一郎陸軍少佐の第4練成飛行隊は、東北民主連軍航空学校を設立し中国人民解放軍空軍の基礎を築いた。
  1. 2016/08/26(金) 00:16:18|
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シベリア抑留問題に就いて

古本屋通信     No 2118  8月24日


    シベリア抑留問題に就いて

 今日の赤旗(3)が1頁を使って「シベリア抑留とは何だったのか」という特報を組み、さらに(15)でも関連時事を載せている。「シリーズ戦後補償」 という特集の一環らしく、そういう視点からの記事と見た。

  問題を全面的に論じる余裕はなく、また時間的に余裕があろうとも、私には重すぎるテーマである。記事を、それも前半だけを読んだ感想に書く。

  事実そのものは繰り返し言われてきたことである。私はシベリア抑留体験の自費出版本も何冊か読んできた。抑留体験そのものはビルマ南方戦線での生死の間を彷徨った過酷な戦争体験とは少し違った記録だった。けれど筆致そのものは私に言わせると変わりなかった。すでに書いたがオールゴミである。なぜゴミか。書かれていることは事実である。過酷な被害体験である。しかし体験に当てられるべき歴史の視点がない。加害者であった自分がない。まったく書かれていないのだ。この典型が立石憲利氏の『戦争の民話』である。

 今日の赤旗特報記事は微妙である。まず真っ当な部分は、シベリア抑留者支援センターの有光健さんの平和祈念展示資料館についての発言部分である。

 他の戦争関連の展示もまとめて、歴史的な視点から再構成し、その中にシベリア抑留も位置付けるべきです。シベリア特措成立法(2010年)のときにそこへ踏み出すべきでした。日本側の悲劇を語る際に、そもそも他国に出掛けて軍事支配し、100万人もの日本の軍隊(関東軍)が中国東北部に常駐していたこと自体が異常な状態で、無理なことだったのではないか? 抑留問題もそこから考えねばなりません。

 私は極端に云えば、この問題はこれでオワリだと思う。有光さんは書いていないが、関東軍の多くは徴兵制で徴用されたのではなく、いわば青雲の志功名を立て、立身出世をしようとする志)をもって志願した兵士たちであった。満蒙開拓団が当時の青年の野心の顕われであったと同じ文脈であった。コレとて農家の三男坊が生きるためにやむをえなかった選択だったという理屈はある。然しそれらは全て侵略を受けた側に通用しない理屈である。

 日本帝国主義は戦争に敗れ、無条件降伏を受け入れた。ソ連軍が日ソ不可侵条約を破って・・云々・・は全て無条件降伏する以前の言い分である。

  ここから先で赤旗は 「シベリア抑留の悲劇がなぜ起こったか」 を書く。識者を引いて、「スターリンの指令」がポツダム宣言に違反だと書く。

  ここから先は読む気がしないし、読まなくても分っている。スターリンひとりを悪者にする非歴史。これはソ連の国家国防委員会の決定であった。日本共産党の徳田指導部は当時これを支持した。そしてその後の日本共産党暫定党史も、これを徳田らの誤りだったと言っていない。

 当時のシベリア抑留はやむを得ぬ侵略戦争の見返りだった。それに対する不服と異議申し立てはあろう。然し歴史を塗り替えることはできない。「50万の旧日本兵はどうにでもしてください」 とソ連に申し出たのは共産党ではない。日本政府であった(実際に申し出ていなくても、捕虜の存在を認めるとはそういう意味でしかない)。戦後の天皇ヒロヒト(および象徴天皇制)を残す代わりに戦犯(関東軍そのものもC級戦犯であった)は好きに料理してくださいと言ったのは日本政府であった。日本共産党は日本兵に赤化教育(マルクス・レーニン主義の正しさ。そしてこれは間違っていなかった。こういう教育を受けて多くの抑留者が戦後に日本共産党に入党した。竹永光恵岡山市議の義父さんもその一人だった)をしてくれるようスターリンの党に依頼しただけである。

  シベリア抑留問題は国際的には全て解決済みである。戦後賠償は国内問題である。

  余談だが、北方領土も竹島も未解決の問題は皆無である。きのう岡山県庁前に巨大な垂れ幕を見た。なんで岡山県庁が北方領土を言うのか。県知事が悪い。共産党の県知事を当選させよう。県議補選は大塚愛さんをよろしくお願いします。

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  参考

  
  関東軍   ウィキペディア


関東軍(かんとうぐん、旧字体: 關東軍)は、大日本帝国陸軍の総軍の一つ(1942年(昭和17年)10月1日以前は軍の一つ)。

概要
旅順の関東軍司令部跡(現・関東軍旧蹟博物館)
大日本帝国の中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島先端)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が前身。司令部は当初旅順に置かれたが、満州事変後は満州国の首都である新京に移転した(現在の長春市であり、司令部跡は中国共産党吉林省委員会本部となっている)。「関東軍」の名称は警備地の関東州に由来し(関東とは、万里の長城の東端とされた山海関の東側、つまり満州全体を意味する)、日本の関東地方とは関係ない。

張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行したことは、1920年代からの外交安全保障戦略を現地の佐官級参謀陣が自らの判断で武力転換させたことを意味し、その後の日中戦争(支那事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)に至る日本の政治外交過程を大きく揺るがす契機となった。なお、これら一連の行動は、参謀本部・陸軍省といった当時の陸軍中央の国防政策からも逸脱していた上、明確な軍規違反であり、大元帥たる昭和天皇の許可なしに越境で軍事行動をする事は死刑に処される程の重罪であったが、首謀者達は処罰されるどころかみな出世した。

歴史
日露戦争後にロシア帝国から獲得した租借地、関東州と南満州鉄道(満鉄)の付属地の守備をしていた関東都督府陸軍部が前身。1919年(大正8年)に関東都督府が関東庁に改組されると同時に、台湾軍・朝鮮軍・支那駐屯軍などと同じ軍たる関東軍として独立した。司令部は同年4月12日、関東州旅順市初音町に設置され、翌日13日から事務を開始した[1]。当初の編制は独立守備隊6個大隊を隷属し、また日本内地から2年交代で派遣される駐剳1個師団(隷下でなくあくまで指揮下)のみである小規模な軍であった。

1919年4月25日、関東都督府旅順陸軍軍法会議を関東軍旅順陸軍軍法会議に、関東都督府遼陽陸軍軍法会議を関東軍遼陽陸軍軍法会議と改称することを決定し同年5月1日に施行した[2]。同年5月16日、関東軍憲兵隊を配置した[3]。

1928年には、北伐による余波が満州に及ぶことを恐れた関東軍高級参謀・河本大作陸軍歩兵大佐らが張作霖爆殺事件を起こす。しかし、張作霖の跡を継いだ息子張学良は、国民政府への帰属を表明し(易幟)、工作は裏目となった。そのため1931年、石原莞爾作戦課長らは柳条湖事件を起こして張学良の勢力を満州から駆逐し、翌1932年、満州国を建国する。当初、犬養毅首相は満州国承認を渋るが海軍青年士官らによる五・一五事件の凶弾に倒れ、次の斎藤実内閣は日満議定書を締結し満州国を承認する。その後、関東軍司令官は駐満大使を兼任するとともに、関東軍は満州国軍と共に満州国防衛の任に当たり、一連の満蒙国境紛争に当たっては多数の犠牲を払いながら、満州国の主張する国境線を守備する。関東軍司令部は、1934年に満州国の首都新京市(日本の敗戦後、旧名の長春に戻る)に移った。

一方で、1917年のロシア革命とその後の混乱により弱体化していたソビエト連邦は、1930年代中盤頃までに第1次及び第2次五カ年計画を経て急速にその国力を回復させていた。当初日本側は、ソ連軍の実力を過小評価していたが、ソ連は日本を脅威とみなして着実に赤軍の極東軍管区の増強を続けていた。1938年の張鼓峰事件で朝鮮軍隷下の第19師団が初めてソ連軍と交戦し、その実力は侮りがたいことを知る。さらに1939年のノモンハン事件では、関東軍自身が交戦するが大きな損害を被り日本陸軍内では北進論が弱まる契機となった[4]。

これらの武力衝突によりソ連軍の脅威が認識されたことや第二次世界大戦の欧州戦線の推移などにより関東軍は漸次増強され、1936年には、関東軍の編制は4個師団及び独立守備隊5個大隊となっていた。そして、翌1937年の日中戦争(支那事変)勃発後は、続々と中国本土に兵力を投入し、1941年には14個師団にまで増強された。加えて日本陸軍は同年勃発した独ソ戦にあわせて関東軍特種演習(関特演)と称した準戦時動員を行った結果、同年から一時的に関東軍は兵力74万人以上に達した。「精強百万関東軍」「無敵関東軍」などと謳われていたのはこの時期である。なお、同年4月には日本とソ連との間で日ソ中立条約が締結されている。

1942年10月1日には部隊編制が従来の軍から総軍へと昇格。関東軍は支那派遣軍や南方軍と同列となり、司令部(関東軍司令部)は総司令部(関東軍総司令部)へ、従来の司令官は総司令官、参謀長は総参謀長、参謀副長は総参謀副長へと改編された。

しかし、太平洋戦争の戦況が悪化した1943年以降、重点は東南アジア(南方方面)に移り関東軍は戦力を抽出・転用され、また日ソ中立条約によりソ連軍との戦闘がなかったため関東軍も進んで戦力を提供した。その埋め合わせに1945年になると在留邦人を対象にいわゆる「根こそぎ動員」(25万人)を行い、数の上では78万人に達したが、その練度・装備・士気などあらゆる点で関特演期よりはるかに劣っており、満州防衛に必要な戦力量には至っていなかった。

1945年5月ドイツ敗北後、ソ連軍の極東への移動が活発になった。6月4日梅津参謀総長は大連に赴き、日ソ開戦時、一部の満州地域を放棄し、防衛線を段階的に大連 - 新京 - 図們の三角線まで南下させ、持久戦に持ち込む作戦を関東軍に命令した。

同年8月9日、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し対日参戦。満州に侵攻してきたソ連軍に対し、10日大本営は朝鮮防衛と司令部の移転を命令した。14日関東軍司令部は通化に移転。これによって関東軍は、「開拓殖民を見捨て逃げ出した」と後に非難されることとなった(殖民を守る部隊が全く存在しなかったゆえに葛根廟事件という悲劇まで起きた)。一方で、大連 - 新京防衛ライン(満鉄連京線を指す)では、後方予備として温存していた9個師団を基幹とする第3方面軍が展開して実際に持久戦が企図されていたが、反撃に移るまでに8月15日の玉音放送を迎えた。正式に降伏と停戦の命令が満州の関東軍総司令部に伝えられたのは16日夕方であった。「徹底抗戦」を主張する参謀もいたが、山田乙三総司令官は夜10時に停戦を決定し、関東軍の諸部隊は逐次戦闘を停止した。ただし、一部の前線部隊には停戦命令が到達せず、8月末まで戦闘行動を継続した部隊もあった。

停戦後、関東軍将兵の多くは、ソ連の捕虜としてシベリアへ抑留され、過酷な強制労働に従事させられ、多数の死者を出すこととなる。総司令官の山田乙三陸軍大将や参謀の瀬島龍三陸軍中佐ら関東軍幹部は11年間の長期にわたって抑留される。近衛文麿公爵の嫡男で近衛家当主の近衛文隆陸軍中尉はシベリア抑留中に獄死したため、当主が不在となった近衛家は文麿の外孫の近衛忠煇が継ぐこととなる。また、八路軍の捕虜になった林弥一郎陸軍少佐の第4練成飛行隊は、東北民主連軍航空学校を設立し中国人民解放軍空軍の基礎を築いた。
  1. 2016/08/24(水) 04:18:16|
  2. 未分類

クリティシズムの精神

古本屋通信     No 2117  8月24日


  クリティシズムの精神。いつも最高な坂井希のツイッター。

 少し落ち込んでいたり、ブログネタに困ったら、私は何時も坂井さんを訪問する。大山奈々子さんの場合もあるし、もっと手近に福山で間に合わせることも多い。しかし坂井さんのはツイッターだからズバリ突っ込みが問われる。まあ素晴しいワ。解説は要らない。品物がちがう。

  ひとこと追加。クリティシズムとは批評精神、批判精神という程の意味。戦前の唯物論哲学者・戸坂潤が愛用した言葉で、私にとっては戸坂の言葉として定着している。彼はジャーナリズムに求められる精神として主に使った。私はしばしばジャーナリズムを否定的文脈で使ってきたが、このジャーナリズムという言葉は本来は支配権力を撃つ武器なのだ。 ・・・(中途は省略する)。 ・・・ つまり坂井希は戸坂潤の生まれ変わりであり、現代の最高のジャーナリストである。将来は日本共産党の委員長と目されているが、これは偶然の要素もある。しかしかりに坂井が今のままでツイッターを続けたとしても、彼女の名前は日本の左翼運動の歴史に残るだろう。そして彼女にそういう評価を下した古本屋がかつて岡山に存在したという事実も語り伝えられるであろう。



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ささきりょう ‏@ssk_ryo · 10時間10時間前
生前退位に憲法改正は必要ない(南野森) - Y!ニュース
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buu ‏@buu34 · 11時間11時間前
いやね、「日本のキャラクターの力を借りて、日本のソフトパワーを示したいと思った」なら、土管から出て北島選手のところへ赤いボールを運ぶのは、マリオのままでよかったよね、ドラえもんでも、くまモンでもよかったよね。なんで貴方?
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geinou ‏@geinou · 8月22日
@HirokoTabuchi Yesterday I learned why Mario can only run to the right.
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プロモツイート
# Daniel Miessler ‏@DanielMiessler · 5月27日
How to use SHODAN--the Internet of Things search engine.

 プロモーション
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希 nozomi ‏@nozomi_ski · 14時間14時間前
マイナンバーカードに旧姓併記  誰にとっての「朗報」か? http://blog.jjseisakuken.jp/blog/2016/08/post-e139.html … @mitsuru_kurodaさんから
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希 nozomi ‏@nozomi_ski · 14時間14時間前
希 nozomiさんがシン・azukKiをリツイートしました
ほんとだw
どの写真もすばらしいです。それにしても、閉会式のあのシーンを、こんな風に撮ったカメラマンがいるとは。すごいセンス。

希 nozomiさんが追加
シン・azukKi @azukki_ ラストの1枚の美しさに見入ってしまいました。

熱狂、静けさ、歓喜、悲しみ……。リオ五輪の美しすぎる39枚 https://www.buzzfeed.com/matthewtucker/the-beautiful-game-jp?utm_term=.bm9ldjWvO5 … @Matt_Tucker @BuzzFeedJapanより
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希 nozomi ‏@nozomi_ski · 14時間14時間前
希 nozomiさんが希 nozomiをリツイートしました
#夏休みの宿題多すぎ
#中学の宿題多すぎ 
#息子の宿題で母死亡
という感じです我が家。

希 nozomiさんが追加
希 nozomi @nozomi_ski 全教科から出すのマジやめてほしい。いくら40日間休みといったって、主要5教科のワークの他、自由研究・調べ学習・レポート・作文をこんだけこなしたら、ダラダラしたりボーッとしたりする余裕ない。大人だって無理で…
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希 nozomi ‏@nozomi_ski · 15時間15時間前
全教科から出すのマジやめてほしい。いくら40日間休みといったって、主要5教科のワークの他、自由研究・調べ学習・レポート・作文をこんだけこなしたら、ダラダラしたりボーッとしたりする余裕ない。大人だって無理でしょ?
#中学の宿題多すぎ
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 nozomi ‏@nozomi_ski · 15時間15時間前
希 nozomiさんがウサギーズ48をリツイートしました
地下でも採光の確保を条件に…ってどういうことだろう? 外堀をほってあるタイプの地下階のイメージなら、それはそれでお金かかりそう。「1日何時間、日光浴させればよし」とかだったら、こわすぎる。子どもは観葉植物ではないぞ。

希 nozomiさんが追加
ウサギーズ48 @usagipandazou48 1歳児まで育休を 地下で保育所可能に 区長会、緊急要望:日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXLZO06273830Z10C16A8L83000/ …
地下の保育園は断固反対します

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希 nozomi ‏@nozomi_ski · 16時間16時間前
未見なので詳しく分からないけど、五輪閉会式で国家権力トップがプレゼン主役を務めるのは異例のことらしい。
リオ五輪閉会式で安倍首相がアスリートをさしおいて政治宣伝…背後に官邸と組織委のグロテスクな思惑 http://lite-ra.com/2016/08/post-2515.html … @litera_web
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もえ~♡巨大不明生物 ‏@moe_hearts · 8月22日
@CordeliaFAnne この写真見るたびにどう処分したのだろうといつも思います。この状態じゃ全部食べ切るのは恐らく不可能なのでは…
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希 nozomi ‏@nozomi_ski · 8月22日
「中学校のサッカー部。夏休み中は午前6時半~7時半までランニング。その後一時帰宅して再登校し午前9時半~正午まで練習」
ひー😱 うちの子の部活がこんなにハードでなくて良かった。大雨の本日もうちは当然練習は中止。この学校はどうだろ?
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日本共産党 大阪業者後援会 ‏@gyousyakouenkai · 8月21日
参議院選挙で悔しい思いをしたけど、安保法制反対の運動や参院選で奮闘してきた「ママの会」の村川まみさんが箕面市議選で上位当選(5位)。本当に嬉しい。共産党は2人から3人に。維新の現職が落選。猛暑の中で熱い闘いを持続させた候補者はじめ箕面の後援会、支援された方々には頭がさがる
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平野啓一郎 ‏@hiranok · 8月19日
リオ、花束贈呈が消えた理由は(猪瀬聖) (Yahoo!ニュース 個人)
http://npx.me/14fvN/tpDq #NewsPicks
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希 nozomi ‏@nozomi_ski · 8月19日
朽木ゆり子『ゴッホのひまわり 全点謎解きの旅』読了。息子の夏休みの宿題の付き添いで、東郷青児記念美術館に久しぶりに「ひまわり」を見に行ったのが、この本を読んだきっかけ。ゴッホのひまわりは11点存在が確認されてる。1点1点を、じっくり比べて味わうことができ、とても面白かった。
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てりー ‏@carp_terry1 · 8月19日
「吉田沙保里を破った米国人の感動エピソードはデマ」はデマ テレビでNHKの実況が紹介していた http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1608/19/news103.html …
ネットにソースがない⇒この情報はデマと断定⇒本当だったという話。マスコミの取材力の底力を感じる。真の情報は現場にある。 #リオ2016
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はなびら葵 ‏@hollyhockpetal · 8月19日
朝ツイートしたエレベーターの不審者の動画、ネットで公開してくれてる。今後「不審者情報に傷つく俺ら」に絡まれたらこれを貼って返そうと思ったので、共有したいこの気持ち。
子ども安全リアル・ストーリー



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 参考 坂井希の名前が登場する古本屋通信記事一覧

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クリティシズムの精神、いつも最高な坂井希のツイッター
古本屋通信    No2117  8月24日    クリティシズムの精神。いつも最高な坂井希のツイッター。 少し落ち込んでいたり、ブログネタに困ったら、私は何時も坂井さんを訪問する。大山奈々子さんの場合もあるし、もっと手じかに福山で間に合わせることも多い。しかし坂井さんのはツイッターだからズバリ突っ
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日本共産党 今後の展望
古本屋通信    No2113  8月21日     日本共産党。政治に於ける今後の展望。    古本屋通信のランキング    ブログ  285位(昨日:517位)/118376人中     店長ブログ9位(昨日:19位)/3180人中     更新日時 : 2016/08/21  06:41 真夏
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大山奈々子さんのHPから
古本屋通信    No2024   7月06日  大山奈々子さん(日本共産党神奈川県議会議員)のHPから 大山さんは私にとって坂井希さんと共に次世代の共産党指導者として不動の位置を占めている。彼女こそ党派性ある最高の党員だろう。藤野も同じだが彼は少しだけ早すぎたかも知れない。大山さんも2つの試練を受
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防衛費は人を殺すための予算
古本屋通信    No2006   6月26日  「防衛費は人を殺すための予算」は全く正しい。 防衛予算「人を殺すための予算」 共産・藤野氏が撤回 2016年6月26日18時46分 朝日新聞デジタル 共産党衆院議員の藤野保史(やすふみ)政策委員長は26日、NHKの討論番組で、防衛予算について「人を殺
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わが古本屋の日常
古本屋通信    No1984   6月16日   わが古本屋の日常 2ヶ所からざっとダンボール50箱分の書籍と雑誌を含む雑紙が入荷した。持ち込んだのは馴染みの古紙業者である。かれは県内一円の解体屋または整理屋から受けた荷を適所に廻して利ザヤを稼ぐ。古紙はその一部に過ぎない。ダンボール50箱分のおよ
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福山市議選、そして池内沙織
古本屋通信    No1840  4月02日   福山市議選、そして池内沙織さんとヘイトスピーチ    無関係な話を2件ならべてみました。   1件目  福山市議選挙のこと  福山市議選挙が明日4月3日に告示され、4月10日が投票日である。日本共産党は現職4名の再選を目指して奮闘中だ。村井明美さん、
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山尾を政調会長に選んだ民進党
古本屋通信    No1828  3月27日   山尾志桜里を政調会長に選んだ民進党  この女は東大卒の元検事のヒヨコだというのに、下記に再録の保育園問題の国会質問にみられるように、超低脳で悪名を馳せた。何でこんな女をわざわざ選ぶんだ。先の蓮舫といい、今回の山尾といい、この党は「女は若くて顔」だと思
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やれやれデボーリンも忙しいなあ
古本屋通信    No1713  1月 3日   やれやれ、デボーリンも忙しいなあ      古本屋通信のランキング      ブログ382位(昨日:443位)/103769人中    店長ブログ12位(昨日:13位)/2921人中    更新日時:2016/01/0306:41  デボーリンは石崎
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自爆する志位和夫
古本屋通信    No1712  1月 2日自爆する志位和夫、水面下で動き出した27回党大会人事  みなさんはこの間の志位和夫委員長の一連の動きをどう御覧になっただろうか。一連のというのは国民連合政府提言の前後からの動きだ。何処をどう見ても孤独な暴走としか言いようがなく、悲壮感が漂っている。万に一つ
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他人のブログ記事を批評する
古本屋通信    No1701  12月26日  他人のブログ記事を批評する  年の瀬も押し詰まってきたので、今年のブログ批評をしておきたい。対象は私が頻繁に訪問する共産党員のブログである。私の意図を包み隠しなく公表しておく。私は左翼党派は常に批判に晒されるべきだ思う。でないと官僚化し、人民の抑圧者
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小泉今日子書評集
古本屋通信    No1693  12月22日    小泉今日子書評集中央公論新社刊  2015年10月  1,512円(1,400円+税)小池真理子「夏の吐息」、沢村貞子「私の浅草」、荒木経惟「愛のバルコニー」...。10年間に小泉今日子が読んでいたおすすめの97冊。2005〜2014年の『読売新
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大森久雄先生のこと
古本屋通信   No1658 11月30日    大森久雄先生のこと 私は大森久雄先生に一面識もない。「会ったこともない人(坂井希さん)の事を妄想で、妄言を書くな」という島根県のカルト党員のイヤガラセがあった(やっぱ、島根は委員長が委員長だから他県とは事情が違うらしい)。イヤガラセを無視して大森先生
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今回の4中総決定は無効である
古本屋通信     No1649 11月26日   今回の4中総決定は無効である 私は党員ではありませんから、党の重大な決定が如何なる民主的な手続きを経て決定されるかなどということには、本来クチを挟むスジではないのですが、今回の国民連合政府提言が戦争法強行採決から間髪を入れず、その翌日の第4回中央委
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上野千鶴子の鶴見俊輔追悼文
古本屋通信    No1641  10月09日  上野千鶴子の鶴見俊輔追悼文 前板の黒田杏子「追悼鶴見俊輔さん」は、かりに皇后美智子への敬語が無くても、粗末過ぎて全文の引用などできない代物だった。私は鶴見俊輔の死を見落としていたのだが、ほかにも誰か追悼文を書いているだろうと思って検索したら、上野千鶴
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大山奈々子はさすがの見識
古本屋通信     No1622 9月24日  大山奈々子はさすがの見識  きのう私はエントリー末尾に武田英夫氏の文を(なんの批判も付さず)貼ったが、これが典型的な党カルトの文だろう。党が聖戦だと言ったら迷わず人殺しをする人間の文である(戦前の社会ファシストがまさにコレに該当する。何も特異な例ではな
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東京選挙区候補山添拓
古本屋通信     No1598 9月06日  参院東京選挙区候補・山添拓  書こう書こうと思いながら、つい先延ばしになっていた件。 参院選東京選挙区候補(日本共産党)のこと これは地方にいると殆んど情報が入ってこない。党中央の予定候補の頁にも、比例区(第1次)は掲載されているが、選挙区候補は一人も
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一頭地を抜く大山奈々子
古本屋通信    No1549 8月8日    一頭地を抜く共産党県議大山奈々子 今回のエントリーに、多く言う事はない。岡山市や福山市と都市部(東京、神奈川、大阪)は事情は異なるだろう。然し似たような問題があれば、岡山県議会・市議会も、広島県議会・市議会・福山市議会も、神奈川県議会や大山奈々子なみに
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すごいぞ全学連(民青系) 
古本屋通信    No1547 8月8日   すごいぞ全学連(民青系)。 このところ赤旗日刊紙をウェブ版でしか読んでいなかった。やはり紙の赤旗も読まなくちゃあ、と思った。それはキンピーサイトの以下のエントリーを目にした時だった。2015年08月08日00:51まるで生きた化石!全学連、広島で全国交流
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プロフィール欄を更新
古本屋通信    No1529   7月23日    プロフィール欄を更新 プロフィール欄を以下のように更新したので、若干の自註を加えておきたい。 左翼(左派)ブログです。基本的に日本共産党を批判的に応援するサイトです。その政治的・思想的立場はマルクス主義唯物論です。マルクス=レーニン主義でも科学的
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村井明美さんは健在だが ・・・
古本屋通信    No1509  7月03日  村井明美さんは健在だが・・・ 古本屋稼業で不眠不休が続いている。只いま午前4時まえ、5時が来て夜が明けたら作業場で古本の選定となる。僅かの時間をブログに充てている。村井明美さんの奇妙なツイッターが消え、真っ当な記事が復活したことは知っていた。ずっと読ん
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資料・トロツキストの革命論
古本屋通信    No1495  6月26日  資料・トロツキストの革命論 私のデボーリン氏批判(No1491トロツキストの世界革命論)に対して、石崎徹さんのブログに彼から反批判があった。わざわざ丁寧に書いてくれたのだが、石崎ブログでは目に着きにくいだろう。ここに転載させていただこう。これは石崎さん
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トロツキストの世界革命論
古本屋通信    No1491  6月23日  トロツキストの世界革命論 石崎徹さん所にデボーリン氏から投稿があった。単純明快だ。トロツキストの所論の縮図である。まあ、革共同3派のいずれかに入党されることをお奨めする。それぞれに不満があるみたいだが、日本共産党よりマシなのではなかろうか。  以下、全
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つれあい発、田村智子
古本屋通信    No1489  6月22日   つれあい発、田村智子 晩飯を食って店に出てきた。10分で記事を書く。 私はテレビを観ないので、その情報はつれあいの一言二言に依存する。 「あんた、田村智子、ええなあ。国会質問、全くスキがなかったよ」 「そうか、そんなによかったか」 「ええわ、何を言わ
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18歳選挙権を支持する
古本屋通信    No1483  6月18日   十八歳選挙権の国会決議を支持する 選挙権年齢を18歳以上に引き下げる公職選挙法改定案が昨日参院本会議で可決された。全会一致だった。古本屋通信はこの国会決議を支持する。多くの新聞報道を紹介する必要はなかろう。先ほどアップされた赤旗のウェブ記事を貼る。そ
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頑張れ、大山奈々子さん
古本屋通信    No1475  6月13日   頑張れ、大山奈々子さん 今日は早朝から宅買いと業者買取りで、テンテコ舞いだった。後者の初荷の中に世界救世教の岡田茂吉のクチがあった。これは値が付きそうなので、整理して代行出品者に預けてきた。飯を食って再度店に行く。徹夜になる。いくら時間があっても足り
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坂井希クラスの女性党員を発見!
古本屋通信    No1444  5月24日    坂井希クラスの女性党員を発見! キンピーサイトにさっき立てられた板に大山奈々子なる未知の方のツイッターが載り、これをめずらしくKM生さんまで褒めている。私は彼女の素性を知りたくて党神奈川県委員会経由でHPを訪ねた。それが10分前である。キンピーサイ
matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-1677.html


坂井希さんの文を貼りました。
古本屋通信     No1409  4月28日  坂井希さんの文を貼りました。 まえがき 通信No1406で、坂井希さんの「月刊学習」所収文のことを書き掛けましたが、平和書房が閉まっていて先延ばしになっていました。いま入手したので再開します。私の下手な感想文など止めにして、坂井さんの全文を文字入力し
matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-1643.html


坂井希の「月刊学習」所収文
古本屋通信     No1406  4月24日  坂井希の「月刊学習」所収文  風邪がぶり返して調子が悪いので、先ほど自宅に帰って赤旗日刊紙を見ていたら、「月刊学習」の広告が載っており、その中に坂井希の文が入っていることが分かった。18歳選挙権は日本共産党がずっと主張してきたことだという論調らしい。
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村井ツイッターのデタラメ
古本屋通信     No1399  4月19日  村井ツイッターは如何にデタラメか 実に良いタイミングで村井明美さん(日本共産党福山市議)のツイッターに出色の作品がありました。転載しておきます。 どうですか?下記のツイート(とむぎおさん)は日本共産党の議員が無批判に(無管理で)掲載すべき内容ではない
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なぜ坂井希のツイッターは・・・
古本屋通信    No1370  3月30日  なぜ坂井(平野)希のツイッターはこんなに魅力的なのか。  これは私の下手な注釈を付けてはいけない。ただ味わって読んでください。坂井希さんとは、云うまでもなく日本共産党中央委員会勤務員の坂井さんですが、ここではそんなこと関係なく、一人の若いお母さんです。
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性的マイノリティー 補足
古本屋通信     No1338  3月11日 性的マイノリティー 補足 直前板の続きであるにも拘らず別板を立てたのは、私は池内質問を現段階の国会質問として高く評価しつつも、私自身の疑問が全く氷解していない、その点を少し書きたいからである。  池内質問以後、私は多くの関連記事を読んでいない。読んだの
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池内さおりと性的マイノリティー
古本屋通信     No1337  3月11日  池内さおりと性的マイノリティー 宮本徹が4日の衆院財務金融委員会で初登壇して軍事費の問題を取り上げた件は5日の赤旗日刊紙ウェブ版に載ったので、私も6日の通信に掲載して評価した。ところが翌5日の衆院予算委員会での池内さおりの質問は、少なくとも赤旗日刊紙
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等身大の日本共産党
古本屋通信     No1329  3月7日  等身大の日本共産党  私はこれまで、紙の古本屋通信の時代を含めると2000本以上の記事を書いてきた。そしてその半数以上が日本共産党の絡みだった。それで、ずっと気になっていた事がある。私は党のブルジョア議会主義を批判してきたが、そういう批判をする私も、実
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面白いので本文アップ
古本屋通信     No1324  3月4日  面白いので本文アップ 直前板への投稿ですが、面白そうなので別板を立てました。立てた後でギクリ。これ、ひょっとしたら私のお気に入りの面々のことか?後の祭りだ。とりあえず許せよ、のんちゃん(田中のぞみちゃんのこと)。共産党国会議員が左翼なのは間違いないでし
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歴史に於ける個人(史的唯物論)
古本屋通信     No1323  3月4日  歴史に於ける個人(史的唯物論)  以下の文で等しく敬称を省略して書く。出来るだけ対象化して書きたいからだ。 川上徹が死んで二ヶ月が過ぎた。拙文には多くの「拍手」があったが、その後多くの関連文は書かれていない。たぶん古在由重の死の時のような大部な追悼集は
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安倍批判者の劣化を憂える
古本屋通信    No1302   2月21日  安倍批判者の劣化を憂える  私はツイッターなる伝達手段(メディア)を殆んど知らない。時どき覗くのは坂井希さんと村井明美さんだけだ。坂井さんにはいつも教えられる。村井さんはブログをツイッターに切り替えられたので、仕方なく見るようになった。「通信No12
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大平喜信のバランス感覚
古本屋通信    No1281   2月12日  大平喜信のバランス感覚 人は誰であれ多面的な日常生活を送り、その時どき異なった意識を持つ。それは共産党中央の役員であっても、国会議員であっても変わらない。私は先日、坂井(平野)希が次男の登校拒否にてこずり、パジャマのまま道路に次男を抱えてスクールバス
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民主党新代表・岡田克也氏
古本屋通信    No1233  1月19日 民主党新代表・岡田克也氏 民主党の新しい代表に岡田克也氏が選ばれたそうだ。勝った選挙(総選挙で得票数、議席数とも伸ばしている)でブルジョア議会主義政党の民主党が党首を交代する?これは究極の茶番劇だが、それは措いて一言だけ感想を書く。  代表が誰であろうと
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村井あけみのツイートの力
古本屋通信    No1200  12月30日  村井あけみのツイートの力  私は長い間、ツイッターを無視してきた。たまに見るのは坂井希さんくらいだった。坂井さんにはこれしかなかったから。ところが毎日見ていた村井さんのブログが一発では現れなくなった。ツイッターが出るのだ。鬱陶しいのだが、それを見る。
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今後に注目の6人
古本屋通信    No1188   12月18日    今後に注目の6人  昨日で総選挙関係の記事をいちおう終えた。選挙戦本番に入って削除した記事を含め、大平さん中心にかなり書いてきた。これは古本屋通信のたたかう心意気を党内外に示すためだった。 今後は当選した国会議員について、大平喜信氏を含めて特別
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笠井さん、お大事に
古本屋通信    No1166  12月6日  笠井さん、お大事に  昨晩22時41分のキンピーサイト発です。万一の誤報の可能性は否定できませんが、私はまず間違いないという心証を持っています。というのは、こういうのが時々デマとして流されるのは候補者選挙だからです。今回は比例代表選挙です。ブル新聞や選
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古本屋開店20周年記念
古本屋通信    No1159  11月30日  古本屋開店20周年記念 「20周年記念」というのが20年目の最初をいうのか、それとも20年を終えた最後をいうのか分らない。私の店は今日がその最後であり、明日から21年目にはいる。何の感慨もない。たとえあっても読者や客人と無関係であろう。何も書くまいか
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倉敷民商事件に就いて
古本屋通信    No1008  8月24日  倉敷民商事件に就いて、ブサヨさんに答える 倉敷民商事件について、昨日キンピーサイトに以下のようなエントリーが立てられた。ブサヨさんの本記事に続いて既に何本かのコメントがついているが、これは今後も殖えるだろうから、現段階ではブサヨさんの文だけを転載して、
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私にとっての朝日新聞
古本屋通信   No993 8月15日   私にとっての朝日新聞 本日は2014年8月15日である。いまから69年前の1945年8月15日、日本は無条件降伏した。この日を敗戦記念日と呼ぶか、終戦記念日と呼ぶか。それにも多少の歴史観の違いが顕われるが、私は(自分では前者を取るものの)大きな拘りはない。
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挑発に乗せられた共産党区議
古本屋通信   No 955  7月18日  挑発に乗せられた共産党区議 今回もキンピーサイトのお世話になります。ブサヨさん、ありがとう。どうしてこういう区議が生まれるんだろう?まあ、頭にくるのはわかるけど。然しこれきしの事で辞める必要は全くないと思う。 私の結論。下記の赤大文字部分がマズかったのだ
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資料・豆タンク
古本屋通信  No795  4月12日 資料・豆タンク 私が日本共産党福山市議の豆タンクこと村井明美さんをこのブログに取り上げ始めたのは、福山市議会に傍聴に行った3月5日以後だが、その名前は大むかしに広島県の衆議院議員選挙に出た人として、私の記憶にあった。その裏づけになるデータが見つかったので貼って
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河村さんと垣内さん
古本屋通信   No635  1月17日  河村さんと垣内さん 伊豆学習会館からの、河村さんの3日目の報告です。古本屋通信はこれを読んで(見て)本当に嬉しかった。それは河村さんと垣内さんが並んで写真におさまっていたからです。大会三日目の報告 河村ひろ子今日は大会三日目です!私が泊まっている民宿は、網
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吉良よし子さんの登場
古本屋通信   No633  1月17日  吉良よし子さんの登場 私は吉良よし子さんの大ファンである。坂井希さんと同じくらい好きである。ずっとそうである。 なんと、産経新聞が以下のような記事を書いた。ちょっと驚いたが、反共新聞といえども商業新聞だから「売れれば採り上げる」のだろう。こういう記事は赤旗
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特集・宮本顕治
古本屋通信  No575 12月19日  特集・宮本顕治(サンデー毎日) 同業が私のために古い週刊誌をとって置いてくれた。1973年(昭和48年)2月18日の「サンデー毎日」である。衆議院選挙で38議席+2(革新共同)を獲った直後の週刊誌だ。私はこれを無料で戴いて帰った。10頁にわたる記事に読むべき
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坂井希さんのツイッター
古本屋通信    No1525  7月16日   坂井希さんのツイッター 14日、15日の両日、坂井さんは国会周辺の集会とデモの中にいました。私はツイッターの使い方を知らないのですが、雰囲気だけは理解できます。ここにいるのは二人の子供のお母さんです。ワーキングマザーです。 坂井希
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七誌=松田?
古本屋通信  No460 10月10日 七誌=松田? 下記青文字は所謂2チャンネルの岡山版だろう。初めて知った。しかし大半は余り意味のないお喋りなので、私にとって多少とも新鮮な情報だけを抜き取って貼っておいた。書き込みの主は松田準一氏に恨みでもあるのだろうか。そうか、七誌は松田氏だったのか。ならばひ
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坂井希委員長
古本屋通信  No383 8月25日 坂井希委員長 アカハタサカスは日本共産党の動静を紹介したり、独自?の目線で考察してそれをお知らせし、日本の政治・社会について考えることを主な任務(笑)としています。2010-01-17第25回党大会人事から。新中央委員会の特徴―後継幹部づくり その1そうそう、今
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描写と表現の問題
古本屋通信 No366 8月18日  描写と表現の問題ⅰ昨日のブログ「No365 坂井(平野)希‏ツイート」で、私ははだしのゲンを取り上げる羽目になった。はだしのゲンを取り上げようと記事をアップしたのではない。坂井さんのツイートを訪ねたら、たまたまこの問題がツブやかれていたのだ。坂井さんは自分の読書
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坂井(平野)希‏ツイート
古本屋通信 No365 8月17日  坂井(平野)希‏ツイート 既に紹介した秀逸ツイートです。是非とも「お気に入り」にお入れ下さい。吉良よし子さんも登場です。未来の委員長・書記長ですね。テーマははだしのゲン。坂井(平野)希‏@nozomi_ski3時間代々木駅で浴衣姿の若者が多数下車。近隣の飲食店は
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8人の顔
古本屋通信 No324 7月27日  8人の顔 今回の参院選挙、共産党の当選者8人の顔がしんぶん赤旗日曜版に出ている。日刊紙にも出ているが、8人まとめてなら、日曜版のほうがよい。私はそれを河村ひろ子さん(共産党福山市議)の昨日の大写しのブログ記事で知った。私のブログは写真掲載能力がないので、ご覧の
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共産党6中総と人事
古本屋通信 No131 2月11日 共産党6中総と人事  一昨日、昨日と日本共産党の6中総があり、幹部会報告の全文が今日の『赤旗』日刊紙に「別刷り」6頁で掲載された。かなり長文だが、私はブル新の報道など気にしないで、今回はじっくり読むつもりだ。どんなに急いでも2~3時間は懸るだろう。読了するのは数日
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2013 正月
古本屋通信 No101 1月1日 2013正月 大晦日の昼から今日さっきまで、25キロ北の実家で過ごし、元旦の昼帰って来た。実家には週1~2度帰っているが、何時も片付けだ。店に入りきらないで持ち帰った本の整理。それと30年以上前に死んだ祖母と3年前に死んだ父の遺品の整理。気が重い作業を出来るだけ楽し
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思想的・政治的立場
古本屋通信  No89 12月20日  思想的・政治的立場「思想や考え方が違うということは、自分がその人と付き合うかどうかの基準にはならない。思想は違ってもいい。ずいぶん違ってもいい。ただ、信用できるまっとうな人間と付き合う」(No76三浦聡雄氏インタビューより) 先日の三浦氏の発言のなかでも心に残
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革命党派とブルジョアジャーナリズム
古本屋通信   No19  8月17日坂井希は民青中央を経て共産党中央で赤旗記者現在は准中央委員・書記局員ですよ。14.屁の突っ張り2010年11月14日19:33そうでした、全学連は確かに中央委員ではなく中央執行委員、中執って呼んでいましたね。加盟校一人ではなかったような・・・。大規模大学で複数い
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名誉教授 倉庫10
古本屋通信   No18   8月15日 彼女が芸能界という厳しい世界で生き残って放送作家になったことを人間的に評価するだけです。東大民青くんは印税や原稿料をもらえるクオリティを持つ文章を書いたことがないだろうから教えてやるが、Wikipedia見てたら、放送作家ってのは自称で、実際はリサーチだった
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全学連 倉庫8
古本屋通信    NO13  7月30日     スターリンが日本に何をしてきたのか?条約を自分勝手に破棄して満州(正しくは「偽満州」)に攻めてきたのは、当時の人は目の当たりにしていた。などと書いています。これではまるで小林よしのりや「つくる会」です。高校程度の歴史知識があれば、これが誤りであること
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党とは  倉庫7
古本屋通信  NO12  7月28日  党とはなにか  倉庫7 党とは言うまでもなく、いや今日では言わなければ分らないが、共産党のことである。共産主義の党のことである。党が社会民主主義の党であるはずがない。このことは一部のブルジョアマスコミの世界を除いて常識だった。社会科学の世界でも、文学の世界でも
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転向・非転向  倉庫2
古本屋通信  No 3  7月20日 転向・非転向の問題倉庫2 ブログを始めて三日目、共産党のことを書きま  す。今年7月15日で日本共産党が結党90周年を迎えました。絶対主義天皇制の国家権力の弾圧によって戦中の一時期、組織活動が阻まれた時代がありましたが、戦後の再建からも67年、この党を抜き
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倉庫1
倉庫 1 古い時代の脱落分子は、新しく、異質なことが分からない。古本屋通信当blogのエントリをネタにして書かれていのだが、もうね・・・人を馬鹿にするのはいいけど確認くらいしようよw管理人のぼくちん含めて、古本屋通信氏はこうのたまう。私はこのサイトは日本共産党にたいする右からの批判と攻撃を特徴としてい
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  1. 2016/08/24(水) 00:47:10|
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河村さんのオリンピック記事に失望

古本屋通信     No 2116  8月23日


    河村さんのオリンピック記事に失望した。

 せっかく少し褒めたら、凡そ考えられないようなオリンピック賞讃記事を書く。これが私が惚れた共産党の市議会議員だと思うと情けなくなった。直前の私の河村絶賛記事を取り消して、代わりに今回の批判記事を載せることにする。但し情けない河村文は(恥ずかしいから)転載しないし、批判も拙文ではない。牧太郎さんと云って、元 「サンデー毎日」 の編集長の方の文である。これは毎日新聞のウェブ版に掲載されている。

  私は今回のリオの運動会の試合など全く見ていないが、開会式だけは病院の待ち時間に見た。これには参加各国の出場選手数が添えられていた。ハッキリとは憶えていないが、桁はづれに多いアメリカと、それにつづくロシア、日本。コレまさかアフリカの新興独立国が数百名の選手団を送りたいと言っても、予選でハネられて不可能なんだろう。何のことはない。大国の国威を誇るナショナリズム発揚の場ではないか。もっと云えばメタルの数は懸けたカネに正比例するだろう。つまりカネ次第カネでメタルを買う「愚の祭典」がオリンピックである。これブル新聞でタブーになっているだけで、左翼にとっては初歩的常識なのよ。まあ色々の理由からホントの事を言わないのは仕方がない。しかしコレを楽しめる神経は尋常ではない。次回の東京を何としても失敗させたい。頼むぞ、動労千葉。首都圏の交通網をズタズタにせよ。労働者のゼネスト万歳! これ位にしておく。あとは牧さんに任せよう。



 NHKが「オリンピックは国威発揚のため」と言っているのか?
By 牧 太郎 2016年8月23日編集長ヘッドライン日記

22日の日刊ゲンダイの「NHK 五輪憲章と真逆の仰天解説」という記事。NHKの解説委員が21日の「おはよう日本」で「リオ五輪 成果と課題」と題して、五輪開催の5つのメリットを解説。その5つのメリットの最初に「国威発揚」を挙げている、と報じている。(この番組、僕は見ていなかった)

「国威発揚」はオリンピック憲章に反する!と日刊ゲンダイは批判する。

オリンピックを国威発揚に利用したのは、ご存知、ナチス・ドイツ。ヒットラーはオリンピックを「権力維持」に利用した。

だから、ナチス・ドイツの悪事を避けるため、オリンピック憲章はわざわざ「国家間の競争」ではない!と定めている。

日刊ゲンダイの言い分は正論である。

しかし、オリンピックになれば、やはり日本人は日本選手を応援する。外国選手の失敗を祈ったりする。それは人情である。日本人が日本選手を応援するのも「人情的正論」なのだ。

問題は「国威発揚」にも「程度」がある、ということだ。

22日の毎日新聞夕刊のコラム「牧太郎の大きな声では言えないが・4位で良いじゃないか?」で、ちょっぴり「メダル至上主義」を批判してみたが、少々、今回、国威発揚が「度」を超えているような気もする。

強化費に1000億円も使う。税金を湯水のように使うのは如何なものか?

NHKが「オリンピックは国威発揚のため」なんて言うから「カネでメダルを!」という雰囲気が生まれる。

NHKさんは「安倍流のメダル至上主義」を応援しているつもりのようだが、今の日本の経済はメチャクチャ。マイナス金利を巡って、金融庁と日銀が大ケンカ?

アベノミクスの大失敗! このままでは……自民党寄りの日本経済新聞でさえ、最近、「預金封鎖」という記事を書いている。

アベノミクスの失敗を隠すために、安倍政権は「五輪メダル獲得」に必死になる。

NHKさんよ、もう少し、冷静になってくれ!

天下のNHKじゃないか。政権のために五輪憲章を隠すのは、度を越すと「犯罪的報道」になってしまうぞ!

<何だか分からない今日の名文句>

国敗れて、メダル残る?
  1. 2016/08/23(火) 12:45:07|
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革マル派はよく勉強してるなあ


古本屋通信     No 2112  8月20日


     革マル派はよく勉強してるなあ

  以下は革マル派の 8月7日国際反戦集会での山門さんという幹部の基調報告(機関誌「解放」最新号掲載)から共産党批判の部分を古本屋通信が抜き取ったものである。其の編集部さん、お世話になります。ありがとう。なかなか共産党をよく勉強しておられる。日本共産党員も「解放」くらい読もうよ。それと中核派の「前進」もね。ともに主要部分はネットで読めるよ。革マル派の方がケチで出し惜しみするけどね。私に言わせると日本共産党の赤旗を丁寧に読んでいるのは中核派よりも革マル派だね。余談だが緑の党なんて全く読んでいない。せんじつ岡山の事務所に行ったけど、赤旗なんて置いていなかった。ありゃダメだね。まあ民進党を乗っ取るつもりなんだろうが、けっきょく行きつくところは第2自民党だ。大塚愛には期待するけどね。



 「解放」最新号 (第2431号2016年8月15日)
 
改憲・安保強化粉砕の戦列築く
 8・7東京 第54回国際反戦集会が大高揚

  (日本共産党を批判した部分のみを抜粋した 古本屋通信

  同志・山門は、日共官僚が自己目的化してきた「野党と市民の共闘」なるものが参議院選挙とつづく東京都知事選挙における惨敗をつうじて破産が宣告されたと喝破し、さらに批判の矢を放つ。かの政策委員長・藤野の「防衛費は人を殺すための予算」という発言がネオ・ファシストどもからやり玉にあげられたことに完全屈服し、帝国主義日本の軍事費を認め・「自衛隊の段階的解消」という基本政策をも実質上投げ捨てたのが不破=志位指導部だ。「日共官僚どもは、清水の舞台からネオ・ファシズムの濁流のなかへ笑いながら転落しつつある。われわれは、日共系労組の組合員や良心的な党員を道連れにすることを絶対に許さない!」
 「議会主義者の錯誤をのりこえ、たたかうぞ!」 同志・山門は、同志黒田寛一の「憲法改悪と日本労働者階級の闘い」(『スターリン批判以後 下』所収)の一節を紹介しながら、ブルジョア・アトミズムを理念とする市民主義・議会主義におちこんでいる代々木官僚の闘争歪曲をいかにのりこえるべきかを鮮明にさし示したのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
 再録


古本屋通信     No 2013   6月29日

   藤野保史(やすふみ)政策委員長の更迭を検証する 

 一瞬わが目を疑った。まさか、まさかである。藤野のどこが誤りだったのか。どこが党の方針と異なる誤った発言だったのか。いったいどこが自衛隊員を傷つけたのか。そういう個所はまったく見当たらない。あるのは志位執行部の選挙方針にとってマズかったと、執行部がそう見做したという理由だけだ。現在の党綱領を擁護する立場に立っても、藤野は何ら誤っていない。当面の選挙において今回の辞任は(執行部の思惑とは反対に)こころある有権者の党に対する信頼を決定的に裏切るだろう。その結果として党の支持票はおそらく百万票単位で激減するだろう。これが藤野政策委員長更迭の負債である。血をもって賄わねばならない。これとは反対に、党が俗論に惑わされることなく断固として藤野政策委員長を守り切っていたならば、党に対する信頼は強固になり、当面の選挙に勝利していたであろう。いずれにせよ結論は選挙投票日の7月10日に出る。私は志位執行部に抗議の意を籠めて、比例区で日本共産党に投票しないことを表明しておく。田村智子さん、約束違反でごめんなさい。


 共産・藤野政策委員長辞任 「人殺すための予算」発言で
 2016年6月28日22時59分  朝日新聞デジタル
  共産党の藤野保史(やすふみ)政策委員長(46)は28日、防衛予算について「人を殺すための予算」と発言した責任を取り、政策委員長を辞任した。藤野氏は記者会見で「党の方針と異なる誤った発言で、結果として自衛隊のみなさんを傷つけたことを深く反省し、国民のみなさんに心からおわび申し上げる」と述べた。同委員長は当面、小池晃書記局長が兼任する。
 防衛予算「人を殺すための予算」 共産・藤野氏が撤回
 藤野氏は26日のNHKの討論番組で、防衛費が2016年度当初予算で5兆円を超えたことなどを指摘した際、「人を殺すための予算ではなく、人を支え、育てる予算を優先していく」と発言。同日夕には党広報部を通じて「不適切であり取り消す」との文書を出し、発言を撤回したが、自民、公明両党の批判の的となった。安倍晋三首相は26日、甲府市での演説で「自衛隊に対する最大の侮辱だ」と指摘した。公明の山口那津男代表は28日、新潟市の演説で「血も涙もない共産党に、人々の命や財産を任せるわけにはいかない」と指摘した。
 藤野氏は衆院当選1回。今年4月、政策委員長に抜擢(ばってき)されたばかりだった。党関係者は「火が広がりすぎ、どうしようもなくなった」と話した。


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  産経新聞詳報    産経新聞詳報    産経新聞詳報

古本屋通信のコメントを随所( )内に赤字で付すことにした。


  【共産「人殺す予算」発言】 2016.6.29 00:17
 
藤野保史政策委員長辞任会見  詳報
  「人を殺す予算」は誤り  党の方針と異なる


「防衛費は人を殺す予算」と発言したことに対して、政策委員長の辞意を表明し謝罪する共産党の藤野保史政策委員長。右は小池晃書記局長=28日午後、渋谷区・日本共産党中央委員会(納冨康撮影)

 共産党の藤野保史政策委員長は28日夜、党本部で緊急の記者会見を行い、NHK番組で防衛費について「人を殺すための予算」と発言した責任を取り、政策委員長を辞任した。政策委員長を兼務することになった小池晃書記局長も同席した記者会見の詳報は次の通り。

 藤野氏まず私からコメントを読む。NHK討論で、軍事費について『人を殺すための予算』と述べたことについて、多くの方々から厳しい批判をいただいた。この発言は、わが党の方針と異なる誤った発言で、結果として自衛隊の皆さんを傷つけるものともなってしまった。深く反省し、国民の皆さんに心からおわび申し上げる
 「あわせて選挙をともに戦っている野党共闘の関係者の皆さん、支持者と党員の皆さんに多大なご迷惑をおかけしたことをおわびする。発言は撤回したが、党の方針と異なる発言をしたことは政策委員会の責任者として極めて重大であり、責任をとってこの職を辞したいと考える」

 小池氏藤野さんの深い反省と辞任の申し出を尊重して、本日、常任幹部会として藤野政策委員長の職を解くことを決めた。合わせて当面私が政策委員長の代行を務めることも決めた。党としても国民の皆さんに心からおわびを申し上げる


(党の云う事実経過については、百人が百人だれも信用ないだろう。常幹のうち誰ひとり藤野が間違った発言をしたと言うものはいなかっただろう (この傍証として常幹ではないが党中央委員でもある熊本県委員長と佐賀県委員長の産経新聞に掲載されたコメントを貼っておく。これが平均的な党幹部の見方であり、常幹メンバーと大差あろうはずがない)。議論の中心はコレで選挙が戦えるか否か、突っ張るか、それとも折れるか、いずれが選挙に有利か、それだけが問題だったのだ。常幹といっても選挙中ゆえ会議を開いた訳ではない。大半のメンバーは議論を投げて態度を表明せず、志位と小池に一任しただろう。そのほうが後(ポスト志位)がやり易いからだ。2人は藤野に詰め腹を切らせる線で合意した。藤野は抵抗せずアッサリ呑んだ。利口なのだ。あとのセルフは藤野が全部自分で考えて草稿を書いた。それを小池が了承した) 

「不用意な発言だったが、誤解だ。言葉尻をとらえての攻撃には断固反対だ」(熊本県委員会・日高伸哉委員長
「言葉足らずだったかもしれないが、発言に問題は全くない」(佐賀県委員会・今田真人委員長



 --藤野氏は今日、辞表を提出したのか 

 藤野氏今朝、指導部に辞任を申し入れた

 小池氏常幹については今日、選挙中なので持ち回りの形で

 --指導部というのは志位和夫委員長だけなのか。小池氏の代行とは

 藤野氏私から志位委員長に辞任を申し入れた

 (以上は草稿どおり)


 小池氏代行というのはまさに代行だ。当面、兼任をする

 --党本部に来た抗議の数は

 藤野氏具体的な数は把握していないが、かなり多数の電話やメールが寄せられた。多くは批判だ

(批判は多くなかった。ネトウヨ系列ばかり。それもそのはず。すでに発言を取り消しているのだから、自公両党支持者も抗議しようがないだろう。半数以上は党内外からの激励であった。「ちっとも間違っていない、がんばれ」と)


 --藤野氏の発言をめぐっては、志位委員長が「注意をした」「解決済みだ」と言っていたが

 藤野氏注意を受けて、自分でさらに考えて、その後のさまざまな批判もあったので、自分で判断した

 --今回の発言が参院選に与える影響については

 藤野氏ともに戦っている野党共闘の関係者の皆さんにも大変なご迷惑をかけたと思っている。また、支持者や党の皆さんにも本当に申し訳ない影響を与えたと思っている。それが今回の判断につながった

 (草稿どおり)


 --26日のNHK番組では、他党の方から「撤回した方がいいのではないか」という指摘もあった中、沈黙していた。重大だという認識に至ったのはなぜか

藤野氏その場で撤回すべきだったと思っている。党の方針と全く異なる発言なので、その場で撤回すべきだった。それができなかったことを含めて責任を感じて、政策委員長を辞する判断をした

(その時も、今も間違ったことを言ったという認識はゼロだから、撤回などしようがない。ただ、党の方針と異なる云々は今でも絶対にありえないと思っているが、結論の辞任が先にありきだから、落としどころはコレしかない。その点では3人で一致した)


 --そもそもどうしてあのような発言をしたのか

 藤野氏私たちは5兆円を超える軍事費全てが問題だということではなく、海外派兵用の予算を削って暮らしに回せという主張をしている。軍事費の全部を削れとは言っていないが、私の発言は『全部がダメだ』という趣旨になってしまった。これは党の方針と明確に異なる発言だ

(ホントのことだから、思った通りを喋ったまでだ。党の方針と異なる発言ではまったくないが、党の方針と明確に異なる発言だという事にしないと収まりが付かないから、そうしたまでだ)


 --藤野氏は国会議員になって長い年月ではない

 藤野氏そういう意味では、そのことも含めて、責任を感じて今回の決断をした

(出る釘は打たれるという事だろう。若いから何度でもやり直しが効く。出来れば後はサブの宮本さんか、畠山さんにやって欲しかった)


 --政策委員長は空席か

 小池氏政策委員長の代行をするわけだから、政策委員長は私ということになる。当面。書記局長と兼任

 --参院選への影響は

 小池氏今後の参院選での戦いは頑張るしかない。その一言に尽きる

 --発言による影響は

 小池氏 そういったことも含めてこういった形で重い判断を受け止めて。全力を尽くして頑張るしかない

 --発言の内容そのものを問題視したのか。それとも参院選への影響を重視したのか。表現の仕方の問題だったという気もするが、どこが不適切だったか

 藤野氏防衛費全体が削減の対象ではなく、そのうちの専守防衛ではないような海外派兵型の部分について削減して暮らしにまわすべきだと主張している。私の発言はそうした党の方針と全く違う趣旨になっている。中身が問題だ

(こういう理屈で通すという事だが、実際の防衛費は総額5兆円があるわけで、その内訳の明細があるのではない。「防衛費を削れ」が一貫した党の方針である。だから発言はまったく正しい。現実の問題としては全自衛隊員の首が切れるわけではないから、防衛費をゼロには出来ない。しかしわれわれは運動をやっている。人殺しの防衛費を生活費に回せと戦後言い続けてきた。何の問題もない。ちょっと異常である)


 --批判の声があったということだが、「辞任すべきだ」というような声はあったか

 藤野氏そういった声もあった

 (悪意のもの以外は全くなかった)


 --議員辞職は

 藤野氏辞職も含めていろいろな意見があった

(とんでもない話で、これで辞めるのなら初めから選挙闘争などやらない。党内にそういう意見があるわけがない)

 --就任してからわずか2カ月。任命責任は

 小池氏今回、こういう重い判断を受け止めて、われわれとしては辞任という決断をした。今回は本人の深い反省として辞任の決意を受け止めた

 (任命責任などあり得ない)



 --問題があったと思っているのはどこか


 藤野氏 『人を殺す』という表現を使ったことが党の方針を間違って伝えた

(防衛費、すなわち自衛隊員を人殺しのために海外に派遣する予算は人を殺す予算だ。間違いなくそうだし、直截な表現こそベストだと想っている。なんら党の方針との不一致はない)


 --表現自体にも問題があったのか

 藤野氏もちろんだ


 --共産党として防衛費をどうとらえているのか

 小池氏いま藤野氏から話があった通りだが、防衛費を全てなくせ、ゼロにしろと主張したことは一度もない。海外派兵用の兵器、高い殺傷能力を持つもの、敵基地攻撃能力を持つようなものとか、あるいはオスプレイなど、日本の国土を守ることから逸脱したようなものについては削減の対象と、一貫して党の政策では求めている。共産党として削減すべき防衛費は示している。それと今回の発言は矛盾をする。党の方針と違う発言になってしまった

(こうでも云わなければ云いようがないだろう。日本の国土を守る災害復旧費用のみ認めて、そのほかは全部アウトよ。削減すべき防衛費を数字で示すのはあやまりである)


--自衛隊の存在は明確に認め、尊重するということで謝罪をするのか

 小池氏党の自衛隊についての見解について言うと、『違憲である』という立場は変わらない。しかし、国民の合意がない限りすぐになくすことはできない。かなりの長期にわたって自衛隊は存続することになる。万が一、その期間に急迫不正の大災害とかがあった場合は自衛隊には働いていただくというのが、わが党の立場だ。その立場には変更はないし、綱領に書かれている立場から照らしても防衛費全体を『人殺しのための予算』としてしまうのは党の立場とも異なる

 (ああ、しんどいなあ


 --急迫不正の防衛のための自衛隊の役割は明確に認めるのか

 小池氏今は、そういう場合には、自衛隊の皆さんにも働いていただくというのは、この間、何度も申し上げている通りだ。そこは変わらない」

 (ああ、しんどいなあ


 --参院選での野党共闘への影響は

 小池氏
そういうこともあるので、藤野さんもこういう決断をした。われわれとしては誠心誠意、共闘の前進のために力を尽くしたい

 --今まで共産党は自衛隊の解消を訴えてきた。自衛隊の方に謝罪するのは異例だと思う。自衛隊の任務に対しては党としても尊重するのか

小池氏私どもは災害時に自衛隊が大きな役割を果たしているということはこれまでも表明してきている。立場は変わらない。一貫している

 藤野氏私も災害救援などで頑張っている自衛官の皆さんには心から敬意を表している

(だれが自衛隊に謝罪なんかするものか。自衛隊と自衛隊員は分けて考えている。われわれは一般自衛隊員の方を敵視したことはこれまで一度もない。自衛隊員のかたと手を携えて平和な日本を作って行きたい)


 --防衛に関しては

 藤野氏そうしたさまざまな自衛隊で頑張っている方を、防衛というところを超えて、今度の安保法制で海外に送る、危険な任務を加えるということが心にあった。そうした安全保障法制をなくしていくという点については、今後も頑張らなければいけないという気持ちは変わらない

      (終わり)


  古本屋通信
  私の当初の予想通り、藤野の正しい発言を訂正させたのは志位と小池の合議だった。この2人も必死なのだ。しかしよく分かった。あとから来た優れた者が先行者を越える気配がある時、先行者は必死で妨害する。どんな社会でも一緒なんだなと。大体がオカシイ。委員長の藤野がアウトなら、なぜサブの宮本か畠山を後釜に据えない?

 山下を更迭し、藤野を更迭し、宮本、畠山を昇格させない。3人の副委員長(浜野、緒方、広井)は生きているのか、それとも死んでいるのか、ウンともスンとも言わない。志位が疲れているから、小池の独裁である。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  再録


古本屋通信     No 2015   6月30日

   マルクス主義国家論と藤野保史の天才性


  表題のタイトルで書きたいのだが、何か書くとき、読者と共通の土俵を共有するためには前提を断り書きしなければならない場合がある。その作業は私にはかなり鬱陶しいのだが、そういう作業から始めなければならない。

  私は学生時代からマルクスを読んできたが、自分のマルクス理解に自信がある訳ではないから、マルクス主義者を名乗ることはおこがましく、マルクス学徒またはマルクス者を名乗ってきた。しかしマルクス主義者でありたいという気持ちを隠したことはない。その点でいえば、不破哲三の 「マルクスと友達になろうよ」 は私に馴染む言葉なのだ。で、私はマルクスとエンゲルスの理論を自分のアレコレの論稿のベースに据えている。このことを隠したことはない。

  続いて不人気の絶頂にあるかに見えるレーニンだが、その全てではないが、基本的な理論の枠組みは帝国主義の時代のマルクス主義として、今まお有効性を失っていないと考える。レーニン主義の特徴を一言で表現するのは難しいが、敢ていえばプロレタリア独裁(執権)論と国家論だろう。この点の認識で云えば、私の認識は日本共産党綱領の枠組みと大きくは食い違ってない。

  国家論だが、私の典拠はレーニンの 『国家と革命』 および 『国家について』 である。いずれも数種類の邦訳がでている。大月版、岩波版、角川版が一般的である。私くらいの年配の蔵書(古本)からは必ず出てくる。

  国家とは階級対立の非和解的な産物であり、支配階級が被支配階級を支配するときに欠かせない階級支配の道具である。暴力装置である。私はこのレーニン主義の基本的命題を疑ったことは一度もない。レーニンの規定はこの限りで無条件に正しい。

 国家とは権力であるが、各国におけるその具体的な現れは以下である。すなわち軍隊、警察、裁判所、消防、監獄、等。

国家とは、元々階級支配の機関であり、階級が他の階級を抑圧する機関として生まれたものであり、それは階級対立の非和解性の産物である」、「国家は、階級対立の非和解性の産物であり、その現れである。国家は、階級対立が客観的に和解されることができないところに、またその時に、その限りで発生する。逆にまた、国家の存在は、階級対立が和解できないものであることを証明している」、この権力は主として何であるか?それは、監獄等を自由に使うことの出来る武装した特殊な部隊にある。常備軍と警察とは、国家権力の暴力行使の主要な道具である (「国家と革命」)。

 ここに引用した国家論がアレコレの市民的日常感覚と親和性があるか否かは別問題である。具体的事例を挙げれば、われわれは交通事故に出会ったとき警察の手を煩わせる。火事になれば消防を呼ぶ。今回の熊本水害では軍隊である自衛隊が出動した。これらの活動ががいっけん超階級的に見えようと、これは国家の本質を些かも変更しない。

 云うまでもないが、ここで云う国家(権力)とは資本主義の国家だけではない。未来社会に置ける国家、仮説的に云えば社会主義に於ける国家も全く同じである。プロレタリアートが権力を掌握したあとの社会では軍隊、警察、裁判所、消防、監獄、等はプロレタリアートが資本家階級の反革命を未然に防止するための暴力装置になる。

 長すぎた前提になった。具体的な問題に入っていく。今回の藤野問題である。キンピーサイトのKM生さんの投稿を引用させていただく。

11. KM生
2016年06月26日 21:30
藤野は「対米従属の自衛隊は憲法違反。我々は(自民党とは違った意味で)憲法改正・日米安保廃棄して、国防のための自主独立の軍隊を持つ」と言えばよかったんだよ!


  これは私もしばしば書いてきたが全く正しい。日本の軍隊である自衛隊は違憲の存在であるし、日米支配階級の人民支配の暴力装置である。したがって「人殺しの海外派兵」にちょくせつ従事していようがいまいが、日本共産党は自衛隊の増強に反対せねばならない。自衛隊員の増強のポスターの貼りだしなどには共産党は一貫して反対してきた。今後も自衛隊の増強に通じる自公政権の政策を叩き続けねばならない。

 日本共産党を含む民族民主統一戦線政府が樹立された暁には、憲法を改正して自衛軍を持つことになる。これは他国(帝国主義)からの侵略に備える抑止力になるからではあるが、自国の反革命を防止するためでもある。

  ただ、はっきりさせておきたい。日本のいまある自衛隊は民族民主統一戦線政府の自衛軍には絶対に使えない。プロレタリアートが権力を掌握した時点で解体し尽くさねばならない。必ずや反革命軍として作用するからである。これは1965年のインドネシア反革命で明らかである。権力を奪取する直前のインドネシア共産党員 500万人を殆ど一夜にして虐殺してしまった。これが権力の道具としての軍隊の本質である。日本の自衛隊は解体し尽くさねばならない。

  藤野保史がNHK政治討論会で喋ったことは何の問題もないだけでなく、初歩的常識である。コレに反対の日本共産党員など一人もいない。すでに書いたとおりである。こういう常識的認識が反共風土の強い日本で「国民的」合意に至っていないことは何の不思議もない。安倍さんの顔を見れば分かるだろう。

  ここで藤野保史の天才性に就いて一言だけ。いちど喋ったことを取り消したり、「反省」 して政策委員会責任者を辞任したことは藤野の輝きをまるで減じていない。いっそう輝いている。なにゆえ藤野は天才か。民共野合の欺瞞性を見えるかたちにしたからである。自公政権の民共野合批判を活性化し、加えて枝野幹事長の「共産党と組んだのは間違いだった」という発言まで引き出したからである。
  1. 2016/08/20(土) 14:40:52|
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赤旗日曜版に秀逸な記事を発見

古本屋通信     No 2110  8月19日


     赤旗日曜版 8・21号に秀逸な記事を発見した。

 わが家は赤旗日曜版もとっているのだが、私が読むことは殆どない。連れ合いの独占物で、せっせとクイズに投稿して図書券を貰っている。今日はたまたま開いているページに目が行って、その秀逸さに驚いた。全36頁中の32頁目である。

幼子残し夫は命絶った イラク戦でPTSD発症 退役軍人の自殺1日20人

  署名記事である。島田峰隆(ワシントン支局)、坂口明記者とある。島田という人は知らないが、坂口記者には覚えがある。いい記事だが要約はしない。要約しないでも、表題の通りの内容だ。それとは直接関係ないが、赤旗はアメリカに特派員がいたんだなあ。別に構わないが、ある種の感慨が胸をよぎった。アメリカの退役軍人は圧倒的に精神を病み、そのかなりの部分が自殺すると書いている。それは2人の記者の取材による記事だが、このページの記事が殊のほか秀逸なのは取り返しつかない武力行使という市川ひろみさん(京都女子大学教授)の文が添えてある点だ。いい文だと思ったので、全文を文字化して転載する。

日本政府は、「安全保障法制によって集団的自衛権を行使できるようにするのは、日米軍事同盟を強化して日本の安全を高めるためだ」と主張しています。そこには、武力行使される側からの視点はありません。自分たちが加害者になるのだという根本的な認識が抜け落ちています。
  現地の人を殺傷し、社会基盤を破壊することに、私たちは一体どのような責任・結果を引き受けることができるのでしょうか。
  「対テロ戦争」に派兵された米兵にPTSDを発症する人が増えています。手を振っていた女性や子どもまでが自爆攻撃を仕掛けてくるかもしれない状況に、兵士は強い緊張を強いられます。過激な攻撃によって民間人を殺傷してしまうことも頻発しています。無抵抗の人、とくに子どもを傷つけた場合、加害者である兵士自身も深い心の傷を負います。
  ジョンシュア・キー元米陸軍上等兵は「イラク人は全員テロリストだ」と信じていました。しかしイラクで「テロリスト」捜索のため、民家の戸を蹴破って寝室から子どもを追い出すような作戦を繰り返すうちに「自分の家の寝室に武装した外国兵が土足で押し入ってきたら、息子たちはどう感じるだろう」と考えるようになりました。彼は軍から脱走し、カナダに逃れました。
  いったん武力行使すれば、取り返しがつきません。私たちは、その結果について、自分が人間としてどんな責任を負うのかを考えるべきだと思います。
 

  これを読んで思うことは多々あるが、一番強く思ったのは、米兵の病気と自殺はイラク戦争がアメリカの侵略戦争だからだ。抵抗戦争には精神の病は決して発症しないだろう。
  1. 2016/08/19(金) 10:40:30|
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