古本屋通信 No 1658 11月30日 大森久雄先生のこと 私は大森久雄先生に一面識もない。「会ったこともない人(坂井希さん)の事を妄想で、妄言を書くな 」 という島根県のカルト党員のイヤガラセがあった(やっぱ、島根は委員長が委員長だから他県とは事情が違うらしい)。イヤガラセを無視して大森先生について少し書くことにした。しかし書き出したら長くなりそうだ。短く書きたい。 私にとって、大森先生との最初の出会いは渋染一揆の研究者としての先生だった。下記に数人の著作を貼っておくが、このうち大森先生、柴田先生、安原(やすはら)先生は著作以前にも資料の編集など、研究の蓄積はあった。 渋染一揆関係の主な単行本 1 概説・渋染一揆 大森 久雄/著 岡山部落問題研究所 1992 2 概説・渋染一揆 2 大森 久雄/著 [岡山部落問題研究所] 1991 3 渋染一揆論 柴田 一/著 八木書店 1971 4 渋染一揆論 柴田 一/著 明石書店 1995 5 虫明街道 渋染一揆物語 やすはらまん/著 福武書店 1977 6 渋染一揆 川元 祥一/文 解放出版社 1975 7 渋染一揆 ブンとサブ 劇画・部落史シリーズ みゆき てつ/作・画 部落問題研究所 1988 8 渋染一揆・美作血税一揆の周辺 ある墓碑銘への注 岩間 一雄/著 岡山部落問題研究所 1996 古本屋通信 渋染一揆は有名な一揆だから、岡山だけでなく全国に知られており、例えばせんじつ会った元神奈川県の学校教員は社会科の授業で取り上げた言っていた。 岡山では私の小学校時代から教材に使われていた。・・・・・(中途省略)・・・・・・。 僭越ながら、上記の各著者を短評しておく。まあ 史家として評価できるのは大森先生だけだ。 といっても川元祥一氏の本は記憶に薄いし、みゆきてつ氏の劇画は異質だから保留にしておこう。 あとの3人。柴田先生 の本はよく出回っている。八木書店版が絶版になったから明石書店が受け継いだのだろう。私は柴田先生とは 『歴史と風土 谷口澄夫先生古希記念』 の編集の関係で付き合いがあったから、先生の史観などもよく知っている。その研究の中心は「岡山藩郡代津田永忠」だが、まあ小学校の教員上がりの努力賞 だろう。その歴史学を私は高くは評価しない。まあ大森先生のレヴェルではないワナ。大森先生も柴田先生の「渋染一揆論」を批判しているようである。 やすはら まん(安原萬次郎)先生 の本を編集したのはこの私である。これが子供向けの本であるところが味噌である。先生は子供向けだから書けたのではないか。先生は教育委員会の嘱託だった。ちょうど部落解放運動の対立が頂点に達した頃だったので、先生はバランスを取るのに苦労されたようだ。 「私は教育者だから運動には係われない」 が口癖 だった。いい先生だったが、同じ教育者でも水内昌康先生とはちがったようだ。水内昌康先生は決して政治から逃げなかった。 岩間 一雄先生 の本は本書に限らずオール没である。ひどい詐欺本だ。評価以前、何を書いているのやらサッパリ分からない 。これがけっこう出回っているのは岡大の教科書で使ったからだ。でないと、こんなゴミを誰が買うか。それでも装丁が立派だから見栄えがする。編集担当は手帖舎の高田さんだろう。いつかやっつけてやろうと時をうかがっている。これで部落問題研究所のトップが勤まるのが不思議である。岡映さんが死んだとき弔辞をよんだらしい。全くもって私の理解を超えている。名古屋大学の守本順一郎の弟子である。守本が死んだとき丸山真男が彼を高く評価する文を書いている。まあ守本は第一級だワナ。私は守本の追悼文集(非売品)をK先生に売った。その中に岩間先生の一文も入っていた。アッ、小畑隆資先生も岩間先生をヨイショしてたな。名古屋の後輩なんは分るがね・・・・。 休憩しながら書き続けたい。 時はずっと下る。15年ほど前だろうか、私が古本屋を始めてから5~6年後に倉敷市宮前に古本市場花の街店がオープンした。その頃はまだ古本市場に古書が出ていた。私は岡山と倉敷をマメに巡回していた。ある日、オープン間もない花の街店に大量の、たぶん30年間分くらいの 『歴史地理教育』 のバックナンバーが出た。その当時の古本市場の値付けは定価の40%だった。しかし40%で買った記憶はない。私は即座に全てを買った。たぶん3万円位だった。そして本には蔵書印も記名もなかったが、これが全て大森先生からの放出だと分った。私はそのバックナンバーの全てを、半年以内に一括転売した。転売先は30代の高校教員だった。たぶん5万円位で売ったと記憶する。 私が10年ほど前に蟲文庫(田中美穂さんの店)に行ったとき、店の片隅に紐で縛った古い文庫の束が3つあった。文庫の束は珍しくはないが、この時は岩波文庫と国民文庫(大月書店)と青木文庫だった。私はアレッと思った。岩波は珍しくない。国民文庫が混じっていることもよくある。しかし青木文庫は珍しい。私は顔色を変えた。果たしてきこう本 が数冊あった。美穂穂さんは一冊百円で気持ちよく譲ってくれた。同業者でも1割しか負けてくれない蟲文庫だが、「こんな本はほかで売れませんから」 と言って負けてくれた。しかし彼女は小出しにするんだ。「まだたくさんあるんです。オイオイ出しますから」 と。私は文庫本の旧蔵者はすぐに判った。本には大森久雄のゴム印が押されていた。美穂さんにそれを示すと白状した。「先生はご近所なのよ。まだまだ入ると思います」 と。私は以後一年間、大森先生の旧蔵本を買うためだけに蟲文庫に通うことになった。結果的に獲物は古い文庫本だけだったが、私的にはモトは獲った。絶版文庫の宝だった。そこには先生が愛媛大学の学生時代に松山市の坊ちゃん書房 でかったマルクス『聖家族』(岩波文庫)も含まれていたのだ。
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2015/11/30(月) 05:37:59 |
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古本屋通信 No 1654 11月29日 立憲主義とは何か。 江川紹子さんから。 さいきん立憲主義という言葉をしばしば耳にする。安保法制が立憲主義に反するということで、私も文字どおりの意味では異論がないが、反面では抵抗もある。なぜなら、そもそも自衛隊が憲法第九条に違反する存在であるという最大の「立憲主義違反」を放置しておいては議論そのものが成立しないと思うからだ。然しこの議論を端から無視する訳にもいくまい。そこで最近はやや人気が下降気味だがジャーナリストの江川紹子さんを拝借してきた。ジャーナリスト経由の樋口陽一先生である。 「立憲主義」ってなあに? 江川紹子 | ジャーナリスト 2015年7月4日 18時34分配信 「立憲主義」という言葉を目や耳にすることが多くなった。 衆議院憲法審査会に与党の推薦で参考人となった長谷部恭男・早稲田大学教授が、集団的自衛権の行使容認について「違憲である」と批判し、その後の講演などでも今回の法改正について「立憲主義に反する」と断じていることが、大きく報じられた。 学校の教室でも、最近は「立憲主義」が教えられるようになった。高校や中学の社会科公民で使われる教科書の多くが、2012年3月検定に合格し、昨年に使われ始めた最新版から、「立憲主義」を取り上げている。 たとえば、高校の「現代社会」でもっともシェアが高い東京書籍の教科書。最新版では、「個人の尊重と法の支配」というタイトルの章を新たに設け、そこで「立憲主義」について、次のように説明している。 〈「法の支配」と密接に関連するものとして立憲主義という考え方がある。立憲主義とは、政治はあらかじめ定められた憲法の枠のなかで行わなければならないというものである。さまざまな法のなかでも憲法は、ほかの法がつくられる際の原則や手続きなどを定める点で、法のなかの法という性格をもつ(最高法規性)。国家権力は憲法によって権限をさずけられ、国家権力の行使は憲法により制限される。憲法は、個人の尊重が目的とされ、人間らしい生活を保障するものであり、政治権力がそうした目的に違反することは、憲法によって禁止される。そして、国民の権利が国家によって侵害された場合には、司法などによって法的な救済がなされることになる〉 同社社会科編集部によると、2000年代に入って憲法改正論議が盛んになり、2007年に憲法改正のための国民投票法が成立したため、「憲法とは何かを、生徒に考えてもらう機会が必要」との声が、現場の高校教師たちから寄せられた。文科省の学習指導要領でも、「個人の尊重と法の支配」が見出しに立てられるようになった。さらに、司法制度改革で裁判員裁判が導入されたことに伴い、法教育の重視を法務省も後押しする流れがあったことも影響している、という。指導要領にも、「法に関する基本的な見方や考え方を身に付けさせるとともに裁判員制度についても扱う」という一文が入った。 今、もっとも旬なワード「立憲主義」について、早くからその大切さを説いてきた憲法学の泰斗、樋口陽一・東京大学名誉教授に話を聞いた。 樋口陽一・東大名誉教授に聞く 6月6日のシンポジウムで語る樋口氏 ――先日の立憲デモクラシーの会のシンポジウムで講演された佐藤幸治先生(京都大学名誉教授)は、以前教科書を執筆された時に「立憲主義」について書こうとしたら、現場の先生に反対されて載せられなかった、とおっしゃっていましたね。今は、まったく逆の状況が起きていて、ほとんどの教科書で載るようになりました。 「ほお。それはいい話を聞きました。戦後は国民主権になって、民主主義をどんどん進めていく、という路線でしたからね。天皇が主権者とされていた時代ならともかく、今さら『立憲』は邪魔だという雰囲気がありました。民主主義がどんどん推し進められている時には、国民が自ら作り出した権力でも制限するという立憲主義の主張は、なかなか出番がなかった」 「民主」と「立憲」のものさし ――民主主義と立憲主義の関係を教えて下さい。 「民主主義(Democracy)はギリシャ語が語源で、『人民の支配』『人民の統治』ですから、その時々の人民が『これで行こう』という方向に進める。それを邪魔するものは、排除する。1946年の日本国民が選んだ憲法が、2015年の日本をも縛っているというのは、憲法そのものが純粋なデモクラシーには反する、とも言えるわけです。一方、憲法は立憲主義のためにあるのであって、あえて誤解を恐れずに極論を言えば、民主主義を進めるためにあるわけではない。民主主義を一生懸命やるのは政党であり、国民であり、労働組合だったりするわけですが、「それは結構だけれど、それにも限界があるんだよ」ということを示すのが憲法学の立場。このように、『民主』と『立憲』は、純粋論理的に考えると緊張関係にあって、決して予定調和ではないのです。 ここに一本の物差しがあると考えてみて下さい。その一方の端が純粋なデモクラシー、もう一方の端が徹底した立憲主義です。それぞれの国で、国民が知恵を出し合い、歴史や社会的な条件を踏まえて、この物差しのどこかに均衡点を見つけるわけです。 日本国憲法も、ラディカルな立憲主義はとっておらず、この憲法を作ったからには永久に不変という硬直したものでもない。96条で改正手続きを定め、国会の両院で3分の2の議員が賛同するまで議論を尽くしてから国民に提起する、そして国民投票で国民が決めたらそれに従う、という妥協点を持っています」 ――『立憲主義』はどこから出てきた考え方ですか。 「ドイツです。元々は、民主主義がスムーズに展開しなかったドイツで、議会主義化への対抗概念として出てきました。ドイツは普仏戦争に勝って、ようやく1871年に統一します。憲法が作られ、議会も作られる。歴史の流れでは、王権はだんだん弱くなり、議会が伸びてくるわけですが、ドイツの場合は、イギリスやフランスのように議会が中心になるというところまでは、ついに行かなかった。けれど、もはや君主の絶対的な支配ではない。どちらも、決定的に相手を圧倒できないでいる時に使われたのが『立憲主義』です。君主といえども勝手なことはできず、その権力は制限される。けれどもイギリスやフランスのように議会を圧倒的な優位にも立たせない。つまりは、権力の相互抑制です。この時期のイギリスやフランスは『民主』で、ドイツは『立憲主義』。明治の日本は、そのドイツにならったわけです。 ドイツはその後、ワイマール憲法で議会中心主義になり、そこからナチス政権が生まれて失敗した。それで、戦後のドイツは強力な憲法裁判所を作るわけです。やはり議会も手放しではよろしくない、ということで」 権利保障と権力分立があってこそ ――そもそも憲法とは何か、ということなのですが……。 「たいていの教科書に書いてありますが、『憲法』という言葉には3通りの意味があります。 (1)実質的意味の憲法、つまり人間集団の基本的な取り決めとしての憲法 (2)形式的意味の憲法、つまり、憲法と銘打った法典としての憲法 (3)立憲的意味の憲法。これには権利保障と権力分立という中身が必要で、それがあって初めて、立憲的意味の憲法と言えます。 明治憲法を作る時に、首相から枢密院議長に転じていた伊藤博文と文部大臣の森有礼の間で、こんな論争がありました。森は「臣民の権利」に関する条文はいらない、と主張した。それに対して、伊藤はこんな反論をしています。 『そもそも憲法を創設するの精神は、第一に君権を制限し、第二に臣民の権利を保護するにあり。ゆえに、もし憲法において、臣民の権利を列記せず、ただ責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし』 これは、現在でも立憲的意味の憲法についての模範答案ですよね。現在では、制限する対象は『君権』ではありませんが。これに対して、森は再反撃します。 『臣民の財産及び言論の自由等は、人民の天然所持するところのものにして……憲法においてこれらの権利初めて生まれたるもののごとく唱うることは不可なるがごとし』 こちらは、自然権論者です。こうした権利は生来所持するものなので、憲法に書いてしまうと、条文を削れば権利を取り上げることになってしまうから、むしろ書いてはいけない、というわけですね。 明治憲法での権利保障は、あくまで『臣民の権利』としてであって、『臣民たる義務に背かざる限り』であり『法律の範囲内』でした。権力分立も、帝国議会は天皇の立法権限を「協賛」する役割で、様々な面で制約を受けていました。それでも、今から120年前の日本で、枢密院議長と文部大臣がこういう議論をしていたんです。それに比べると、今の政権与党の憲法論議のなんとお粗末なことか……」 ――民主主義を象徴する機関が議会だとすると、権力を縛る立憲主義の役割を果たすのは裁判所、ということになりますか? 「アメリカのように行政府と議会が別々に選ばれている国は、権力分立は見えやすいですよね。一方、日本のような議院内閣制では、『政権与党(議会の多数派)+行政府』と『議会の少数派』の権力分立なんですね。そして、それとは別枠で裁判所がある。 それから、裁判所ではありませんが、内閣法制局という役所があります。これは、企業法務を考えると分かりやすい。法務部は、会社の行政部の一員ではあるけれど、行政部の意向に従った法的判断ばかりしていると、会社を潰すようなとんでもない損害賠償をしなければならない羽目になったりもする。なので、まともな会社であれば、その独立性は尊重します。 日本の内閣法制局は、明治以来の由緒ある役所で、もともとはフランスのコンセイユ・デタ(国務院)をモデルにしたものです。コンセイユ・デタは非常に権威のある機関で、官僚養成学校である国立行政学院(ENA)の一番成績のいい人がいく役所です。国を相手取った行政訴訟の最高裁判所の役割と、政府の諮問に応じて法的な意見を述べる機能をもっています。日本の内閣法制局は、後者の機能だけで、しかも初めからそこに行くわけではなく、他の行政官庁に行って、法律家として優れていると目された人が行く。それでも、長官人事はその組織の中から出すことになっていて、それなりの独立性を保っていました。そこに初めて手を突っ込んだのが安倍政権。こういうことをやると、次の首相が出てきたら、自分の考えに沿った人を長官に据えて、また憲法解釈が変わるとなると、法の安定性が失われますね。そういう道を作ってしまった」 ――今、政府が提出した安全保障法案に対して、多くの憲法学者から「憲法違反」のダメだしが出ています。一方、政府は安全保障環境が変わったからと、この法案の必要性を強調しています。 「確かに、これが必要と考えるかどうかを議論するために、議会があり、ほかにもいろんな場があるわけです。ただ、必要だと思うことを現行法の枠の中でやれるように工夫するのが政治の仕事です。どうにもこうにも現行法のもとでは、自分が必要だと思うことができそうにもないという時には、現行法を変えるための努力をすべき。今回の法案で言えば、憲法には改正の手続きもあるのだから、どうしても必要なら、先に、きちんと憲法改正を提起すべきなのです。 それをやらずに、今回のような形をとっていることについて、『今の政権がやっていることは革命だ』という学者もいるくらいです」 「法の支配」とは、「法治国家」とは 安倍晋三首相(首相官邸ホームページより)安倍晋三首相(首相官邸ホームページより) ――安倍首相は、対外的な演説などでしばしば「法の支配」という言葉を使います。中国を意識して、あちらは「人の支配」だけれど、日本は「法の支配」で、その価値観を共有する国々との関係を強化する、ということのようです。 「『法の支配(Rule of law)』は、歴史的にはイギリスで生まれた英米法の基本原理ですね。イギリスには憲法典はありませんが、実質的な憲法がないわけではありません。19世紀の後半に出たダイシー(Dicey)という学者が書いた教科書で、イギリス憲法の特徴として3つの原則を挙げているのですが、第一の原則は国会主権です。国民主権ではなく、国会主権です。国会が所定の手続きで作った法律が最高法規であることを確認しているわけです。そして第二の原則として、『法の支配』を挙げています。ここで言う『法(Law)』とは、国会が作った法律のことではありません。そうであれば、第一原則と第二原則は同じ意味になってしまう。ここで言う『法』とは、マグナカルタ以来の法の歴史と伝統、慣習などを含めた規範です。 中世ヨーロッパには「国王はすべての人の上にある。しかし、神と法には服するのだ」ということわざがあります。それが、『法の支配』の『法』です。これは何もイギリスだけではなく、ドイツにも『古き良き法』という言い方があります。日本でも『天道』とか『お天道様』と言いますね。およそ何らかの文明を持っている国は、特定の人間がしたい放題何でもやっていい、というのは認めない規範があります。明治時代に、森有礼が財産権や言論の自由を『人民の天然所持するところのもの』と言ったのは、まさに『法の支配』の『法』を言い表したのでしょう。枝葉を取り払って大胆な言い方をすれば、『法の支配』とは『人間の意思を超えたルールがある』ということですね」 菅官房長官(記者会見動画より)菅官房長官(記者会見動画より) ――菅官房長官は、よく「法治国家」という言葉を使います。普天間基地の辺野古移設問題で、沖縄は反対しているけれど、「法治国家として粛々と進める……」と。最近、「粛々」は”上から目線”と言われて、封印しているようですが。 「こちらは、歴史的に言うと、ドイツ語から来ている言葉です。『法の国家』です。これは、選挙によって選ばれた議会が行政権をしばる。そのために、行政裁判所を作る。法律によって王様の権限を制限する合い言葉が、『法治国家』です。ただし、19世紀のドイツでは、まだ憲法を基準にして法律を縛る憲法裁判所の発想はありません。 法律で行政を縛るのが一番のポイントで、法律があれば行政は何をやってもいい、という意味ではありません。 米軍基地に関していえば、通常は、条約で外国の軍隊に基地を提供する場合は、場所を特定するわけですが、日米安保条約はそれがない。全土基地化条約ですから、確かに政府に法的根拠はあるわけです。でも、『法的根拠はあるから、沖縄が嫌がっていてもやります』というのは、『法治国家』の原理を持ち出す話ではありませんね。人民はお上の言うことに従えという文脈で『法治国家』とか『法の支配』という言葉を使っているのであれば、それは歴史的にも、今の用法としても間違いです」 ――『法の支配』と『法治国家』の関係はどうなのでしょう。 「ヨーロッパ統合の合い言葉は『法の支配』『法治国家』でした。Counsil of Europe(欧州評議会)では、英語とフランス語が公用語なのですが、ヨーロッパ人権条約関係の文書を見ると、今では、歴史的経緯は抜きにして『法の支配(Rule of law)』と、『法治国家』を指すフランス語Etat de droit(法の国家)は同義語として扱われています。 『法の支配』『法治国家』は、EUの共通の価値観です。今の政権は『価値観を共有する』という言い方が好きですが、『歴史修正主義』と書いたドイツの新聞に外交官を差し向けて抗議や新聞社を非難させるなど、EUにおける価値観を共有しているようには、とてもじゃないけど見えませんね」 ――そして『立憲主義』が…… 「この3つが重なり合うわけです。 かつては民主主義を押し進めていけば、いい世の中になる、その向こうには社会主義というもっといい制度もある、というのが、知識層のかなりの共通認識でした。だから、『立憲』より『民主』。それは日本だけではありません。他の国々、たとえばフランスやイタリアなどは、共産党も強く、やはり『立憲』より『民主』でした。ところが、民主、さらにはその先にあったはずの社会主義の実態がだんだん明らかになっていく。やはり、権力というのは何らかの制限がされるべきだ、ということになって、立憲主義が見直されていったんですよ。 『法の支配』『法治国家』を包み込む形で『立憲主義』が80年代になって、国際的な会議やシンポジウムなどでも盛んにテーマになるようになっていきました」 このような国際的な潮流に加えて、日本国内でも国民投票法が制定され、さらに自民党の「憲法改正草案」が発表され、そしてこれまでの政府見解では違憲とされていた集団的自衛権の行使を閣議決定によって認めるという流れの中で、国民が憲法を意識する機会が増えたことが、多くの人々が立憲主義の大切さに目覚めるきっかけとなっているのだろう。 もしかすると、今年は日本における立憲主義再生の年として、歴史に記録されるのかもしれない。 江川紹子 ジャーナリスト 神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。
2015/11/29(日) 00:08:40 |
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古本屋通信 No 1653 11月28日 日本共産党岡山県委員会のHPから 2015年10月27日 「立憲主義取り戻そう」 共産党県委員会が吉岡弁護士(岡山弁護士会会長)と懇談 日本共産党県委員会の石井ひとみ県委員長らは10月27日、岡山弁護士会の吉岡康啓祐会長を訪ね、戦争法廃止の国民連合政府の提案を届け、懇談しました。個人の立場で応じた吉岡氏は「立憲主義を取り戻すために野党共闘は必要だ」と提案に賛同しました。 吉岡氏は「村山政権時の自社合同のようになってしまうのが心配」と懸念も表明。松田準一副委員長は「当時は自民党と社会党だけで合意した。今回は国民運動に後押しされ、支えられた野党共闘です」と説明しました。 石井氏はその上で、「岡山では住職が立憲主義を取り戻す会を立ち上げたり、無党派の市民が集会を開いたりする動きがある」と紹介。吉岡氏は「弁護士会も集会に可能な限り協力する」「弁護士会としても、立憲主義および憲法の基本原則を守るという点について、幅広く国民の理解を得られるよう努力したい」と述べました。 (写真説明) 吉岡弁護士(右)と懇談する石井県委員長(左手前)、松田県副委員長(左奥) 古本屋通信 この記事を書いたのは松田さんだろう。文体で分かる。県委員会一の理論家だ。この記事もその立場からすれば間違いはない。石井委員長は表面に出たがらない人だが、党内の人望は抜群だ。私は石井さんは中央の組織局で鍛えたと思っている。この二人に植本さん、森脇さんを加え、私は県委員会3役をみんな尊敬している。これは先日の演説会で森脇さんが(私を見て)シブイ顔をしたので、特に森脇さんに言っておきたい。 私は街頭演説会で初めて吉岡康啓祐会長を見た。弁士のトップだった。弁護士だから当然だが、すべて抑制された言葉で、しかも力つよく訴えられた。寸分のスキもない。それは上記の懇談もそうである。これを記事にする松田さんも満点である。私はこういう党県委員会だと安心して「私は日本共産党の支持者です」と公言出来る。然しそれは党3役にすべてを白紙委任するという事ではない。 上記の村山政権の自社合同は与野党の「翼賛」政権だから確かに違う。しかし安全保障政策の違いを棚上げし、自衛隊を「法的存在」として合理化し、ついには社会党が完膚なきまで霧散した。この教訓からは学ばなければならない。松田さんや石井さんが言う「無党派の国民運動」について云えば皆無ではなかろうが、私は組織された労働組合の運動以外をあまり評価しない。青年の運動にしてもシールズなど評価しないし、それさえも岡山にはいない。私は党内と党外の温度差は歴然としていると思っている。
2015/11/28(土) 09:27:17 |
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古本屋通信 No 1650 11月27日 「岡山の野党協力を応援します」 実行委員会 きのう早朝、岡山市伊福町の清心女子大学の近くにある私の小さな古本屋に一枚のチラシが入っていた。以下、先ずその全文を、できるだけ忠実に写しておこう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岡 山 の 野 党 協 力 を 応 援 し ま す。 各政党議員のスピーチリレーと野党協力を応援する人々のトークリレー 参加政党 : 民主党、 日本共産党、 維新の党、 社民党 会場 : 岡山国際交流センター 参加費 : 無料 (申し込み不要) 託児スペース有り 主催 : おかやまいっぽん 「岡山の野党協力を応援します」実行委員会 事務局 : (これはここでは遠慮して、省略します。古本屋通信) 12月12日(土) 10:30~12:00 おかやまいっぽんは、イデオロギーや党派の違いを超えて、「岡山の野党協力を応援しよう」と結成された市民のグループです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 古本屋通信 私、古本屋通信はこれまで生きてきて、こんなわけの分からないチラシを見たのは生まれて初めてである。政治的な呼びかけだけでなく、商業宣伝のチラシを含めて初めて見た。どこがわけがわからないかと云うと、このチラシの目的とするところがサッパリ分からないのだ。 こういう印刷物がかつて出回らなかったわけではない。それはふつう怪文書の名で呼ばれる文書である。それはしばしば政治的謀略の目的で作成される。まあ、ありとあらゆる陰謀の代名詞なのだ。 あまりもったいぶらないで結論を書くと、これは怪文書まがいではあるが、謀略的な文書ではない。 しかし何所が怪文書的なのか? 目的が 「野 党 協 力 を 応 援」 としか書かれていない点だ。いったい野党協力とは何か。それが全く書かれていない。書かれていなくても来年の参議院選挙である事は分かる。だったら何故そうと書かないのか?じつは書けないのだ。 えっ? いったい協力って何んだ? 共闘とどこが違うんだ? 共闘以前である事は間違いない。でも 協力ならその中身が要るだろう。何にもない? ふつうの意味でなら、協力は助け合いである。野党は助け合いをせよ、私たちは野党の助け合いを応援します? いったいこれが運動になるか? 全くならない。応援の中身をこの市民団体が提示しているわけではないし、またそんな僭越なことができよう筈がない。だから応援できるのは協力の具体を推進する過程での応援に限られる。 上記の民主党、日本共産党、維新の党、社民党の相互間で具体的な協力課題は全く明らかになっていない。つまり順序がまるで逆なのだ 以下は余り書きたくないが、こうまでミエミエをやられると、ひとこと書かざるを得ない。まあ到底実現不可能な岡山での参院候補一本化だが、これは共産党が候補を無条件に降ろして民主党を支持すれば形だけは一本化がなる。然し共産党が云っているのは「国民連合政府」である。こんな虫のよい提言、というより民主党を解体する目的でなされた提案(私は民主党を解体するのには大賛成だが、ここまで姑息な手段は使いたくない。せんじつ共産党の街頭演説会に行って来た。石井県委員長とも30分ほど話してきた。石井さんや植本さんは今回の国民連合政府提言の目的が民主党を切り崩すための戦術である事は熟知しているだろう。しかし下部党員は全く分かっていない風であった)に、岡山の民主党が乗る可能性はない。江田は共産党の票などお断りだろう。これは大阪の自民党で実証済みである。 どこのだれが、どういうレヴェルで考え付いた運動か知らぬが、せっかく立ち上げて、チラシの全戸配布までやったんだ。いまさら引き返すのはつらいだろう。こうすればよい。運動の到達目標を軌道修正するのだ。野党協力を民主党と維新の党の一本化に絞るのだ。これこそ岡山では機が熟している。キーマンは高井崇志さんだ。高井さんも江田と仲直りする絶好のチャンスではなかろうか。 最後に私の提案。「岡山の野党協力を応援します」実行委員会を、「岡山の民主党と維新の党の一本化を応援します」実行委員会に発展的に改組しようよ。
2015/11/27(金) 05:11:15 |
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古本屋通信 No 1649 11月26日 今回の4中総決定は無効である 私は党員ではありませんから、党の重大な決定が如何なる民主的な手続きを経て決定されるかなどということには、本来クチを挟むスジではないのですが、今回の国民連合政府提言が戦争法強行採決から間髪を入れず、その翌日の第4回中央委員会でもって、まさに強行採決されたのを見て、余りにも党内民主主義を無視した暴挙に対して抗議の声をあげねばと思った次第です。 本来党大会に次ぐ党の議決機関である中央委員会総会は事前に幹部会決定が 中央委員会総会決議案として赤旗で発表され、全党討議に付されたのちに開催されるべきものです。総会には全党の意思が反映されるべきです。一夜の事前討論もなかった今回の4中総決定は無効です。 加えて政府構想の提言は中央委員会の領分ではなく、明らかに党大会で議論し決定すべき綱領に関わる課題です。想定される大会の少なくとも数ヶ月前には草案が発表され、全党討議をへて上りの地区党会議、県党会議で選出された代議員で党大会を開催しなければなりません。場合によっては綱領を変えねばなりません。 私はよく党員が黙っているなあと、不思議でなりません。志位委員長や小池副委員長は 「清水の舞台から跳び降りた・・・」 だとか 「共産党は変わらねばならない(から変わった)・・・・」 とか言いますが、いったい誰が彼らにそういう権限を与えたのでしょうか。かつての宮本顕治が独裁者のように言われた時期がありましたが、宮本書記長(および委員長)の時代にはこういう中央委員会総会決定はありませんでした。今はもう無茶苦茶です。想像で言っちゃあ悪いが、朝鮮(北)はこういう決定の仕方なんでしょうね。これで出来上がるのが独裁政権だ。日本共産党の末が思い遣られます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それと、戦争法を撤回・粉砕するたたかいを新政府をつくる運動に収斂させるのが決定的に間違いだということです。かつての安保闘争には安保反対の勢力として政党段階では社共両党がありました。だから安保を粉砕するには社会党と共産党を中心とする国会での議席を増やして、70年段階で民主連合政府をつくるという共産党の提案には一定の根拠がありました。 それに引き換え今日の政治状況はどうでしょうか。たしかに民主党も安保法制にいちおう反対しました。然し其の反対は自民党に対抗して自党に有利な政局の流れをつくりだすためだけのものでした。集団的的自衛権に賛成の議員が多い民主党です。その党の安保法制反対をどう見るかです。一旦可決された戦争法を撤回するつもりが民主党にあると思うのがお人好しです。いや、この点では共産党はお人好しではありません。かれらが共産党の提案に乗る可能性など皆無であることを知り尽くしているからです。民主党を孤立させて選挙票を奪い、民主党を解体させる目的のためだけで国民連合政府を呼びかけているのです。 こんな提案にだ~れも乗りません。だ~れもと言うのは民主党員という意味ではありません。そもそも民主党員などほとんどいないのです。労働者人民も、街行く通行人も見向きもしません。それは先日の共産党の街頭演説会でもはっきりしていました。安保法制撤回の訴えがそもそも通行人の心に響かない、それなのに新政府樹立の呼びかけなどキチガイかと思われるだけです。共産党の武田氏など、「この提言には国民的大儀がある」 と言っています。ならば2000万人署名の課題に「国民連合政府を実現しよう」を加えたらよいのです。署名は共産党界隈以外では全く集まらないでしょう。国民的大儀がなからです。党利党略がミエミエだからです。 そもそも今の「野党」を真の野党と見做して、「野党は共闘を」 だとか、「野党は協力(助け合い)を」 だとか、日本語にならない呪文を口走るのが狂っているのです。ハッキリ言いましょう。日米安保条約に賛成する党は野党ではありません。それは自民党の別働隊です。集団的自衛権に賛成する党は野党ではありません。それは自民党の別働隊です。憲法改悪に賛成する党は野党ではありません。それは自民党の別働隊です。政党でなくても小林節などは自民党の別働隊です。こんな者を講師に選んで講演をするというのだから、これは九条の会の解散宣言にひとしい企画だったでしょう。そうではありませんか、福山の河村市議さん。 先日の共産党の街頭演説会に行って思いました。そこに来ていた日本共産党員たちは決してカルトではありませんでした。しかし国民連合政府に反対の意思をその場で表明したのは私ひとりでした。組織というのは大きな力ですが、反面こわいと思いました。組織の内と外とで大きな温度差が出てくる場合があります。それ自体はまだよいのです。問題は組織が間違っている場合です。これはほんとうにおそろしい。これが究極まで来ると、たぶん組織のメンバーは皆殺しにされるでしょう。権力は安心して弾圧するでしょう。そうなる日が迫ってきている気がします。これが私の杞憂ならよいのですが。 余談ですが、本当にカルト党員というのは救いがありません。先日の数日間、このブログに島根の党員から私をアホウと呼ぶ投稿が続きました。それでも何とか対話の糸口をつかみたいと思って、本文に掲載して反論したのです。この男は完全に行き詰ったら、再度私を「(坂井希さんに好意を示して)みっともない、いい歳をしたおじいさんは恥を知れ」 と云うのです。自分の俗な人間観丸出しです。嗚呼、共産党員でもこういうレベルはいるんですね。ここまでの俗物とは話すことは何もありません。私はだれ憚ることなく他人とくに異性に好意を示します。逢ったことがないから批判や同感を表明できないとは思っていません。だったら政治の言語の大半は無効になります。ネットだからできるという面もあります。このカルトは自分でもウサ晴らしの投稿と認めているのです。それでも理由がないわけではありませんでした。私が志位さんを「裸の王様」と呼んだのが許せないらしかったのです。私のブログの文など碌に読んでいませんでした。だから私が引用した他人の文を批判して、私を批判したつもりになったオソマツでした。けっきょく党批判のブログが許せないという事なのです。「あなたにも言論の自由があるように私にも言論の自由がある」 というのはそのとおりですが、だったら自分のブログで自由にやったらよいのです。私の板で悪態の限りを尽くし、私の言論のすべてが根拠のない妄想に基づく妄言だというのです。3日ほど本気でつきあって勉強にはなりましたが、気分は悪かったです。これ以上は時間の無駄だと思って、コメント欄を閉鎖しました。私は最後の話は党員誰でも党のことを批判されたらカルト党員になる危険性があると思って付け加えました。カルトと云うのは情報の一方通行です。自分にとってのマイナス情報はハナから聞きません。否定的情報も採り入れて自分を豊かにすることがありません。念のため。
2015/11/26(木) 17:16:44 |
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