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古本屋通信

自衛官問題で新エントリー

古本屋通信     No 1582  8月28日

  自衛官問題で新エントリーを立てた。


  直前板が長くなりすぎた。後半の自衛官に関する村井明美市議の2文を再録し、それに私の短文を付して新しいエントリーとした。これは岡山市議の林じゅんを糾弾する文でもある。




高校生の個人情報が自衛隊地方協力本部へ
2015-08-27 00:04:55   村井明美
毎日新聞、8月25日付紙面は、福山市は自衛隊勧誘などを行う地方組織、自衛隊広島地方協力本部に、昨年10月、福山市の高校3年生に該当する住民基本台帳4615人分の閲覧を認めたと報じています。
これまで福山市は、同本部の閲覧要望に対して「市民の基本的人権を守ることは行政運営の基本…」として断ってきました。
なぜこんなことが起こるのでしょう。
それには、安倍政権の集団的自衛権の行使容認と深い関係があると考えられます。
集団的自衛権行使の閣議決定以来、自衛隊への志願者は、大卒者対象の「一般幹部候補生」で昨年度比13・8%、「技術海曹」はほぼ半減したと言いうのです。
そこで、自衛隊員の募集を以前に増して強化する必要があり、これまでにない情報収集と勧誘をする必要があるからでしょう。
自衛隊広島地方協力本部は、個人情報を手にしてその後「高校3年生の自宅とその周辺の家に自衛隊への勧誘募集ちらしをポストに配布したとのことです。
自衛隊の募集要項を受け取った高校生やその家族は、不安に感じたのではないでしょうか。
今回の福山市の個人情報の提供は、プライバシーの侵害・憲法第13条違反であり、きわめて遺憾なことです。
このような動きは、安倍首相が「戦争する国」に暴走する事と深くつながっているということですね。
若者を決して戦場に送らないために、一日一日、戦争法反対の大運動を広げましょう。




自衛隊協力本部に住民基本台帳閲覧 抗議と申し入れ
2015-08-28 00:17:03  村井明美
27日、福山市が自衛隊広島県協力本部に、17歳から18歳(高校3年生相当)の住民基本台帳を閲覧したことについて、羽田市長に抗議し、今後、閲覧に供しないことを申し入れました。申し入れ文を紹介します。

 自衛官募集のための住民基本台帳閲覧に抗議し、撤回を求める申し入れ
 2014年7月1日、安倍政権が集団的自衛権行使を容認する閣議決定を強行し、今国会で安保関連法案が審議されております。
国民は、安倍政権の「戦争する国づくり」への暴走に不安を募らせ、全国で法案撤回の大運動が沸き起こっています。福山市も非核平和宣言都市として、憲法9条を守り、若者の未来を守ることが重要な責務です。
ところが、この閣議決定以降、防衛省が自衛官募集担当者を集めた全体会議の場で、自衛官適齢者の個人情報が載った名簿を提出させるため、市町村への働きかけを強める方針を徹底していたとのことです。
政府は、このような名簿提出は「依頼」であり、応じるかどうかは各市町村次第としてきました。
2014年、自衛隊高知地方協力本部は、高知市に対して「従来方針を変更し、強く提供を求める」と文書で名簿提出を迫っていたことが参院外交防衛委員会で取り上げられ、わが党の井上哲士参院議員に対して、中谷防衛相(元)は、「不適切な要請を行ったことは誠に遺憾だ」と謝罪しています。
新聞報道によると、福山市は自衛隊広島地方協力本部の要請に応え、昨年10月、住民4615人分の閲覧を認めたとのことであります。閲覧要件は「1997年4月2日から1998年4月1日まで生まれた日本人」とのことです。
福山市はこれまで、同本部の閲覧要望に対して「市民の基本的人権を守ることは行政運営の基本…」として応じてきませんでした
プライバシーの侵害は憲法第13条違反であり、自衛隊法に依っても、名簿の閲覧は「依頼」であり義務でもなく、これまで貫いてきた態度を守ることこそが重要であります。住所、氏名、性別、生年月日の個人情報を提供したことは断じて許されません。
広島地本は、その後「募集対象者だけの家でなく、周辺10軒以上に職員の手で募集案内を配った」とのことでありますが、福山市の閲覧許可供が、自衛官の勧誘に使われたことは明らかであります。
今日、自衛隊への志願者は、大卒者対象の「一般幹部候補生」で昨年度比13・8%、「技術海曹」はほぼ半減という状況とのことであります。これは、国民が戦争への道に突き進む状況に対して、強い不安を持っている表れであり、青年への勧誘は、大きな不安や動揺を醸し出すこととなります。
また、昨今の就職難の中、判断力がまだ十分育っていない年代の青年への自衛隊募集の勧誘を行政が手助けすることは許されません。この度の閲覧を撤回することを強く求めるものです。
                   
1、 福山市がこれまで「プライバシーの侵害になる」として許可していなかった自衛隊広島地方協力本部の「適齢者名簿」の提供依頼に対し、閲覧を許可した方針変更について、その経緯と理由を明らかにすること。
2、 閲覧を許した4615人分の名簿について、自衛隊広島地方協力本部と防衛庁に抗議し、その情報の廃棄を求めること。
3、 今後、自衛隊募集に係る住民基本台帳の閲覧及び情報提供は厳に行わないこと。
                                            以上


  古本屋通信

 岡山市議の林じゅんは以下のように書いた。

 アメリカの戦争に参加する集団的自衛権の行使は自衛隊員の初心との矛盾が必ず生じます。

  「自衛隊員の初心」とは何か? もともとの初心はよかったが、途中から集団的自衛権の行使が登場して、国を守るという本来の正しい自衛隊の職務が本道から反れて来たという意味であろう。それ以外に解釈の仕様がない。それなら今までの自衛隊は憲法9条違反ではなかったし、自衛官の募集に各自治体が積極的に協力するのがなぜ悪いのか。今までだったら、高校生の進路に自衛官を積極的に奨めて何の問題があったろう。

 林じゅんは腐りきっている。これは揚げ足を取っているのではない。論理的に筋が通らないと指摘しているのでもない。党綱領がどうであれ、人間としてありえない事なのだ。だから今、6人目のスパイに認定することを熟慮している。岡山でははじめてのスパイである。できればやりたくない。



  付記

 自衛官になりたいという青年は昔からいた。私の高校(県立金川高校)の一年先輩にもいた。町内の警察官の息子だった。勉強がよくできて国立大学に合格する学力はあったが大学を受験せず、防衛大学校に進んだ。I さんと云う。防衛大学校に進んだけれど、どうしたことか半年で中退して翌ねん香川大学教育学部を受験・合格した。私が自治会活動をやっていた大学だ。防衛大学校を中退したのだから自衛隊に批判的になったのかと思ったら、まったく逆であった。以後4年間、反共のチャンピオンとして大学内で活動した。私とは高校の先輩と後輩の関係であり、実家も近かったから、人間的に憎しみ合うことはなかったが、その反共主義による自衛隊賛美には凄まじいものがあった。

 自衛隊イデオロギーはハンパじゃあない。最初はよい就職先だとおもって選ぶ場合もあろうが、たいていは言葉どおり 「国を守る」、「国を護る」 に魅かれて応募するのだ。これが 「初心」なのだ。つまり初心は正しかったのではなく、決定的に間違っていたのだ。騙されていたのだ。ここら辺は支配階級と人民の思想宣伝の総力戦である。村井さんたちはその先頭に立ってたたかっている。これは福山市のたたかいではあるが、一地方都市のたたかいではない。まさに戦争立法を推し進めている安倍政権との戦いである。日本の総保守・総反動との総力戦の先端を行くたたかいいである。


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  付記2

 I さんは右翼ではあったけれど極めて冷めた人だった。熱血漢ぶっていたのは寧ろ私の方だったろう。かれは大阪の小学校の教員になったと思う。

 もう一人ユニークなのが香川大学の同級生にいた。民青ではなかったけれど、一年生後期で共に自治会執行部に入った。彼はろくに活動もしないうちに、ある日とつぜん目ざめて統一協会の活動家になった。N君と云う。毎日授業には出ないで、校庭でボードを立てかけて「共産主義は間違っている」 という原理講論を開講した。とうじは統一協会はレアだった。その20年後には東大でも学生自治会を乗っ取るのだが。N君も大阪で小学校の教員になった。

 もうひとり同学年で平和委員会だったS君という学生がいた。一学年後期で私は教育学部の、そしてS君は経済学部の執行部選挙に出た。ともに民青だった。S君もやがて自治会室に出てこなくなった。引きこもりである。ただし大学には毎日出てきた。授業には出ないで大学図書館で本を読んだ。 『レーニン全集』 を第一巻から読破すると意気込んだ。彼もキチガイ扱いにされた。われわれ学生は理論水準は低いから話にならない、そこで共産党県委員会副委員長の石田千年さんに論戦を挑んだ。とうじ千年さんは毎日のように大学に出入りし、学生の人気者だった。「Sくん、キミはレーニンの読み方が間違っているよ」 と千年さん。その千年さんも今はいない。
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  1. 2015/08/28(金) 10:03:29|
  2. 未分類

岡山平和書房

古本屋通信     No 1579  8月26日

 岡山平和書房



  たったいま当ブログの拍手欄を見たら、今朝3時に 「通信No 33 岡山の新刊書店」 に一件拍手があったことが分かった。日付けは 2012/10/02 だった。3年近く前である。記事は備忘録的なメモである。ところがこれを今書けを云われたら書けないこともあるのだ。つまり3年のあいだに忘れている。

 ところでこの文中に

「・・・・ しっかりした経営理念と絶えざる営業努力に支えられた中型店だけが残った。研文館吉田書店、大森隆文堂、河原書店。それから持ちこたえられなかったとはいえ、山平和書房の30年の奮闘も特筆されよう。これについてはいずれ書くつもりだ」

 
とあった。それで、自分がその後、岡山平和書房について書いているかどうか、自分のブログ内検索で調べてみた。何件かヒットしたが、それらはいずれも岡山平和書房にふれただけの文であって、まとまった文でないことが分かった。
 これも記憶のあるうちに書いておかなければ、やがて書けなくなるだろう。そう思って重い腰を上げようと思った次第である。

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 順を追って書こうかと思ったが、私は岡山平和書房の一顧客であり、その付き合いも時によって濃淡がある。とても全体を俯瞰できる位置にはいなかった。だから今まで書き倦んできた訳だが、じゃあ誰か他の人が書けばよいのだが、知る限り誰一人書いていない。そうしているうちに事情を知っている人は殆んど死んでしまった。実質店主の阿倍さんはじめ、この時代を知っている人は殆んどいないのではないか。そう思って重い腰を上げる。

 嗚呼、2度も「重い腰」と書いてしまった。なぜ腰が重いのか、その辺りから書いていこうか。

 私はずっと後になった知ったのだが、岡山平和書房は本が売れなくなって閉店したのではなかった。いや、それには違いないけれど、実は多額の負債を残して倒産したのだ。その総額も聞いているが不確かだから書かない。負債は取次店にではない。メイン取次の鈴木書店は平和書房より数年前に倒産している。そのあとは共産党系のあかつきの系列と東販、ニッパンだが、これらに負債はなかったと思う。借金と云うより出資者の出資金をまるまる潰した。そしてその多くは共産党員からの金だった。

 だから、岡山平和書房の伝統を受け継いで新しい民主書店ができた時、何年ものあいだ同一の名前が使えなかった。いま岡山民主会館にある岡山平和書房はやはり共産党系の出版物がメインだが、経営は従前の岡山平和書房とは無関係なのだ。そうであっても、いまだに出資者から「金を返せ」と苦情が来るという。

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  時系列で書けば相当長くなりそうだ。
 早くも胃の調子が悪い。これは身体が書くなと言っているのだ。とりあえず休止する。


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 時系列ではなく、寧ろ逆から思いつくままに書くことにする。あとで再編集すればよい。

① まず岡山平和書房の客について。これは当時はよく分からなかったが、最近になって分かった。私はたぶん30年間で数百万円買っているだろう。まあ上得意だ。とうじ他の客がどれくらい買っているか考えてみたことはなかった。私の数倍買っていたのが共産党地区委員長の萩原さんだという以外に知らなかった。
 結論だけ書く。とうじ私クラスに買っていたのは岡山高教組の高校の教員だ。たぶん50~100人いたのではないか。ここらが経営を支えていただろう。私はこれをごく最近、元高教組の活動家で故人の宅買いに行って知った。死後20年になる。現役時代に惜しまれて死んだ数学の教員だ。細君と私の連れ合いが友人だ。その縁で整理を手伝った。いくらも支払えなかったが、本は大量にあった。殆んどが岡山平和書房で買った本であった。私が買って読んだ傾向の本が多くて苦笑いした。こういう客が当時は多かったのだ。私は最近つくづく思うが、本屋にとって本命は常連客である。極端にはいちげん客は来てくれない方がよい。これは同業にしか通用しないだろうが、本当にそうなのだ。以下は省略する。

② 岡山平和書房の店売りと外商について。これは阿倍さんに聞いたことがある。「店で売るのは1割じゃ。だから銭にならんでも雑誌の一冊まで配達する」 と。まあメインは党や民主団体の集会や催事での販売だが、これも ① に比べたら大した事はない。労働者はほんとうに本を読まない。と云うより自分の金で本を買わないのだ。だから組合に売ろうとする。これがまた難物なのだ。阿倍さん曰く 「労働組合くらい金を払わんところはない」。

休止 書き出したらたぶん原稿用紙にして100枚は超えるだろう。今はまだその気力はない。未来に通じない過去の記録は死の直前にならないと書く気になれないのだろうか。
  1. 2015/08/26(水) 06:55:18|
  2. 未分類

立石憲利氏をどう捉えるか

古本屋通信     No 1577  8月23日

 
  立石憲利氏をどう捉えるか



  崎本とし子さんが 「とし子からの手紙」で、「民話の会・・・立石憲利さんの語りは最高!」 なる文を書いている。絶賛する文である。私は崎本さんを特に貶すつもりはないが、やはり私の立石憲利氏批判を書かねばと思った。これは長い間の私の宿題だった。

 結論から先に書く。私は全面否定である。私は立石氏の民話の採取と出版活動を肯定的に評価しない。反動的なものもある。毒にも薬にもならないものもある。その総体200冊の本は膨大なゴミである。どう贔屓目に見ても暇つぶしの趣味の本である。これは古本屋を始めて数年後に氏の 『戦争の民話』 を読んだとき以来の私の確信である。

 当時の私まだブログを開始していなかったが、10枚足らずの原稿を書いて 『戦争の民話』 を批判した。しかしそのままになった。私は立石氏を批判する文を公表することが鬱陶しかった。これは氏が共産党員だったからではない。氏を批判し始めたら、民俗学や柳田國男にまで言及しなければならなくなるからだ。これは私にとっては重荷であり、ストレスだった。


 しかし少しずつ書かねばなるまい。箇条書きにする。
私は古本屋を始めたとき、特に立石氏の本を蒐めようとも、排除しようとも思わなかった。しかし彼には多くの著作があったので、たちまち10冊を超えた。歴史学の棚にではなく、郷土史誌の棚に入れた。まあまあ売れたと思う。それで数年が経過した。あるとき 『戦争の民話』 なる本が入ってきた。これは本の題名からして異常だった。あり得ない本だと思った。直ちに精読した。私の予想は違っていなかった。箸にも棒にもかからない最悪の本であった。ここでは批判を省略する(改めて批判に紙幅を費やす必要のない本だ)。戦争(戦時)体験の「聞き書き」 なら、こういう本になる。戦争はこんなに酷かったという戦争被害の話だ。加害体験の聞き書きは全くない。これに対する著者の批判的な眼差しはない。

私は全ての立石氏の本を即座に自店の棚から降ろして処分した。約30点あった。2束に括って水を掛けてゴミに出した。それ以来15年、私は立石氏の本が入れば即座に捨てた。逡巡したことはない。

私はこれは立石氏だけではなく、民俗学一般の方法に通じると思った。許せないとまで思わなかったが、どうしようもないと思った。救いがたいと思った。

私はそれまでも民俗学を学問と認めたことはなかった。民俗学は他の歴史学や考古学のような歴史科学ではない(少し乱暴を承知で書けば、論理も法則性も認めないのは凡そ科学ではない。まあ迷信の集大成のような範疇だろう)。いわば趣味の雑学である。趣味の雑学が悪いというのではない。一人前の学問づらをするなという事だ。だから多くの国公立大学には今日に至るも民俗学の講座はない。岡大にもない。だから私の店にも民俗学の棚はない。私にとっては柳田國男も南方熊楠も雑本なのだ。

立石氏は落合高校時代に書いた調査レポートが柳田の目にとまって天才少年として認められたそうだ。そのことは、岡山民俗学会初代会長(理事長?)の土井卓治氏(元朝日高校教諭)も、近藤義郎氏(元岡大教授)も知っていた。だから立石氏はふたりの推挙もあって、第三代岡山民俗学会会長に収まる。第二代会長の佐藤米司氏(元朝日高校教諭)はこれに不満だったらしい。私はそれをちょくせつ佐藤氏の口から聞いている。

土井卓治氏について。私は土井氏を研究者(科学者)として認めない。旧東京高師の出身で肥後和男の教え子である。肥後は戦前の右翼だ。戦後も天皇制を賛美し続けている。土井氏の研究は墓の研究 『葬送と墓の民俗』 である。単著はこの一冊だけであろう。これが正常である。佐藤氏については別に書く。

立石氏には研究者としての学歴はないが、もともと研究者ではないのだから学歴は要らない。そのかわり彼には早くから共産党員としての活動があり、その延長に共産党県議団職員(公費の公務員)があった。ここでは彼の文章力がモノをいう。ロクに文も書けない共産党県議に代わって質問原稿を書いたのは立石氏だった。ここらはいくらかの証言と資料があるが、今はまだ具体的には書けない。氏自身は「4人の県議と一緒に仕事をした。それぞれみんな違っていた」 と書いて、付き合いの苦労を臭わせている。

この期間、立石氏は二足の草鞋をやめなかった。つまり民話の採取を続けたのだ。これには氏の意地も感じられる。しかし共産党界隈では酷評だった。好意的に言う党員はいなかった。氏のボヤキの文も残っている。然し私は批判者を断固支持する。「どうしようもない道楽の趣味をやめて党活動に専念したらどうか」 と。これはマルクス・レーニン主義の党としては余りにも当然だった。そもそも共産党員が非マルクス主義の民俗研究(マルクス主義民俗学など在り得ない)に没頭するなど、反党活動とまで言えないだろうが、党員の生き方としては決定的に誤っている。私はそう思う。また、党綱領にマルクス・レーニン主義の規定があった時代には党員の共通認識であったろう。ここらが狂ってきたのが、崎本さんや竹永さんの時代からだ。書いてある文の内容がどうであれ、たくさんの著書があり、党外でも名が知れた党員は党の自慢なのだ。冒頭の崎本さんの記事はまさにそういう文脈で書かれている。「200冊目の出版を記念する会」 もその延長線上で盛大に開催された。

200冊の出版記念会。もはや言葉が見つからない。狂気の沙汰だ。こういう会に出席した面々は出版事情など何も知らないのであろう。毎年10冊の本の原稿が普通の人間、しかも他に仕事を持っている職業人が書けるのか。また仮にトコトン手抜き原稿が書けたとして、それを出版することに何の意味があるのか(間接的に聞いたところでは、各地の古老のはなしを本にしてあげて、喜ばれるのだそうである。どこから金が出ているのやら)。空いた口が塞がらない。

私は日本共産党員は個人として自由な諸活動をすればよいと思う。とりわけ文学芸術活動の自由は保障されるべきだ。しかし政治活動の自由に一定の枠がはめられるように、何を書いてもよいというわけにはいかないだろう。私は立石氏の著作活動は全体として党員失格だと思う(私は「聞き書き」という方法そのものに抜本的な批判があるが、これを書き始めたら数十枚の原稿になるだろう。ひとことだけ。伝承がまるで無意味だとは云わない。しかし科学的社会主義者がうつつをぬかしてやるべき仕事ではない。検証が無理で真偽がはっきりしない証言は学問や科学の対象にはなり得ない。いわば伝承文学として虚偽も含めて文学である。つまり虚構の世界である。冒頭の崎本さんの文には 「語り」 が出てくる。語り継げば継ぐほど「語り」 は変形されていくだろう)。しかし党規約違反ではなかろう。だから崎本とし子さんがこれを持ち上げるのも自由だ。私は立石氏評価は岡山の共産党員の試金石だと思っている。いまのところ立石氏を持ち上げる党員は多くはない。私はこれに安堵している。


試金石 人の力量や物の価値を判定する規準となる物事。


  1. 2015/08/23(日) 01:07:49|
  2. 未分類

長久啓太の「勉客商売」

古本屋通信     No 1576  8月22日

  長久啓太の「勉客商売」



 私が岡山の共産党系大衆組織でいちばん頑張っていると思うのは、ブログ「勉客商売」の長久啓太氏だ。他にも大勢いるだろうが、党地方議員や党専従のように見えるかたちの活動が少ない。それに必ずしも党派性を公表していないから、取り上げるには躊躇いもある。

 今回はたまたま直前板で小畑先生を褒めた。その直後にネット検索したら、長久啓太氏の以下の文が見つかった。貼っておこう。

 
長久啓太の「勉客商売」
岡山県労働者学習協会の活動と長久の私的記録。 (twitterとfacebookもやってます)
2013-04-16
小畑先生 自民党の国防国家構想 講義メモ

さきほどまで、「わかる 明快 元気の出る憲法講座」でした。
(主催:憲法改悪反対共同センター&岡山県学習協)
講師は小畑隆資さん(政治学者・岡山大学名誉教授)。

いやー、めちゃめちゃおもしろかった。
読みがものすごく深い。歴史的。さすが小畑先生です。
同じ話を、4月30日(火)18:30~20:30で
聞けますので(会場勤労者福祉センター、参加費500円)、
ぜひ参加してくださいね!
わたしは受付をしていて、会場の外から
講義を聞いていたんですが、
ツイッターで連続的につぶやいていました。
スマホだったんで、量が伸びませんでしたが。
ということで、そのツイートをメモで。

憲法改悪反対岡山県共同センターの憲法学習会にきています。
これから小畑隆資さん(岡山大学名誉教授)のお話を聞きます。
小畑隆資さんの講義タイトルは「自民党の国防国家構想」。
昨年4月に発表された自民党の日本国憲法改正草案の検討です。

はじめにー あなたは、「日本国家」の一員ですか?

はい・いいえ

まず、自民党草案は、

現行憲法の前文がバッサリすべて変わっている。

こんなにも憲法観が違うのかというぐらい。

自民党草案が構想する国家とは。人権の制約。

たんに条文を変えただけではない。

憲法観そのものが根本から変えられている。

日本国憲法が語る憲法観と、

自民党草案が語る憲法観の比較。

日本国憲法がさす「国家」と「国民」の概念理解の大事さ。

おなじではない。

日本国憲法の「国民」は、「人民」に近い。

日本では、政府と政府の外側の境界が不明確であり、

自分を国家の一員だと思っている人が多い。

「国家」は支配機構である政府を意味する。

自民党草案の最大の問題であり、

その憲法観が凝縮されているのが、99条の改悪。

「102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」。

憲法尊重擁護義務に国民を加えたこと。

そして天皇・摂政が尊重擁護義務から除外されたこと。

国民は憲法制定主体から退けられて

憲法順守義務を課せられ、

他方で天皇は憲法順守義務から解除されて

「日本国の元首」(1条)となり、

「日本国」は「天皇を戴く国家」(前文)となる。

これが自民党憲法草案=国家構想の規定。

日本国憲法改正ではなく破壊。

自民党草案の「国家」概念の出発点は「個人」ではない。

自民党草案ではわざわざ13条の

「すべて国民は、個人として尊重される」の

「個人」を「人」に書き換えている。

「個人」以前に「国家」はあるものと構想。

自民党草案の前文にそれは色濃く表れている。

自民党草案前文のいう日本「固有の」「歴史」と

「文化」の「伝統」であるという規定。

日本の「歴史」や「文化」、

その「伝統」がいかなるものかは、

意見の分かれるところのもの。

一部の人々の頭のなかにある「歴史」「文化」「伝統」

の考えを押しつけている。

日本国憲法は、良心・思想の自由(19条)、

信教の自由(20条)、学問の自由(23条)を

「個人の尊厳」(24条)そのものであるとして、

「個人」として「尊重」(13条)することを

国家に義務づけている。

「国家」の介入を許さない神聖な領域として保障。

日本国憲法は基本的人権を

「侵されることのない永久の権利」と宣言。

前文ではその構想原理を「人類普遍の原理」とする。

自民党草案は、「普遍性」ではなく、日本の「固有性」、

日本の特殊性を前面に謳いあげ、

せまく勝手な「固有性」を権力的に上から押しつけ。

自民党草案の「公」概念は、

基本的人権を秩序=公の基本的視点とする

現行憲法の国家=公の観念とはまったく異なる。

前文にそれが明確。

自民党草案にひんぱんに登場する

「公益及び公の秩序」という言葉に注意。

自民党がこうまでして改憲に執念を燃やしているのは、

それだけ日本国憲法が彼ら(権力)を縛る

すばらしい力をもっているという証。

「朝まで生テレビで『国民に国を守る義務がある』?」の

議論をずっと聞いていたが、

「国を守る」とはどういうことなのか

という議論はいっさいなかった。





  古本屋通信

 かれは(関係ないから自分では書いていないが)日本共産党中央勤務員の理論官僚・長久の息子である。長久その人を私は知らないが、中原猛や武田英夫と同期の学生党員で、ほぼ同時期に岡大を中退して専従生活に入った。岡山地区委員長・萩原の誤った指導があったのだ。まあ、それは時効だが、長久は中原や武田と違って一足飛びに党中央入りした。余ほど優秀な理論家だったのだろう。私はその後の彼の論文は全て読んでいる (と思うのだが、漏れもあるか? 赤旗評論特集版と『前衛』が多かった。うちの丸山真男批判と『葦牙』批判が心に残っている)。

 ありゃ、また話が反れてしまった。長久啓太は親の優秀な血を受け継いでいるように見える(こういう肯定的な文脈で血族を語るのは一向に構わない。安倍が岸信介の孫だからA級戦犯の血筋だと云うのは差別だ。いいかい、武田英夫クン)。その片鱗を上記の短文に読み取ることは難しくないだろう。>
  1. 2015/08/22(土) 07:25:09|
  2. 未分類

資料 朝鮮(チョソン) その2

古本屋通信     No 1575  8月22日

  
資料 朝鮮(チョソン) その2

副題 和田春樹の印税稼ぎのタレント教授本と、姜尚中(カン サンジュン)の超イカレ本を読むのはやめませう。


  引き続いて資料の掲載だが、連続してウィキペディアの引用となる。ウィキは大学生がレポート提出で引き移して「不可」となるくらいだから、多くの問題点がある。生存中の人物なら自分で自分を褒めまくる例も多い。共産党関係で都知事に立候補した弁護士もそうだった。私はそれをあばいて糾弾した。しかしまあソツなく書き上げている例も多い。だから私は重宝してしばしば引用する。以下の2つの記事も公平な「客観記述」といってよいだろう。

 まあこういう一般的なものから紹介していかないと、どうにもならないほどマトモな朝鮮資料が日本には存在しない。研究書も和田春樹のロクでもない本(これは研究書ではない。単なる印税稼ぎのタレント教授本)か、でなかったら姜尚中(カン サンジュン)のイカレ本だ。いま思い出したが、姜尚中のウィキペディアを覗いて御覧。これが自分で自分の事を書いた超イカレ記事だ。こういう男がほんの少し前まで東大で教えていたのだ。

 大学教授キョウジュだといえば、日本では安心して講演会の講師に招く。共産党系の団体もそうだ。私は岡山で、共産党系の学習協だったか「学びの広場」だったかの講師に、ノートルダム清心女子大学の教授(特に名を秘す。近代文学)を招いたチラシを見て、腰が抜けるほど驚いた。このチラシは日刊赤旗に折り込まれていた。あのね、大学のセンセほどアホウはいないんだよ。文学系が社会科学がまるでダメなのは石崎さんを引くまでもなく常識だが、社会科学系の岡山のトップ(学習協や「学びの広場」の事務局ならそうだろう)が文学音痴だとは・・・嗚呼・・・。しかもこの場合、古典文学ではなく近代文学なのだ。この方はもちろん勉客商売の長久さんではないが、長久さん宜しく頼むよ。社会科学は近代文学の評価も含むんだ。あんまりイカレ教授を招かないよう忠告しておいてネ。ああ、また余計な事を書いてしまった。反省。

 脱線ついでに書いておこう。講師に呼ぶなら小畑隆資(たかよし)先生(岡大名誉教授 政治学 自由民権運動など)を呼べば間違いない。人権岡山の中島さんが小畑先生のファンだし、私のつれあいもファンだ。しかしその他にもファンはいる。詩人で文学者の井久保伊登子さんだ。いつも最前列で聞いて的確な質問をするという (つれあいの受け売り)。井久保さんへの批判は少なくない。私はこれを複数の高校国語教師から聞いた。しかし私は井久保さんの味方だ。小畑先生を自分の文学の肥やしにする人は多くないだろう。先生も政治学専攻でありながら古事記をも研究対象にしておられる。もともと文学も哲学も歴史も中国において一体であった。現代政治を語るには欠かせない。



チュチェ思想研究会  ウィキペディア

チュチェ思想研究会(チュチェしそうけんきゅうかい)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)及び朝鮮労働党の公式政治思想であるチュチェ(主体)思想を信奉する北朝鮮国外の団体。略称は「チュチェ研」。

ここでは、特に断りがない限り、日本国内の組織について述べる。 現在のチュチェ思想研究会全国連絡会の会長は、佐久川政一沖縄大学名誉教授。

概要[編集]
チュチェ思想国際研究所事務局編『チュチェ思想国際研究所』によると、1969年4月にアフリカのマリ共和国で組織的に学ばれたのが、チュチェ思想海外進出の嚆矢とされている。

日本においては、1971年に尾上健一が設立した「群馬朝鮮問題研究会」が起源である。その後、日本各地に「チュチェ思想研究会」が多く設立された。1974年には、全国組織としてチュチェ思想研究会全国連絡会が設立されている。大小さまざまな「チュチェ研」があるが、その中でも最大規模の団体が日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会である。

地域単位、職場単位でチュチェ研が組織された。特に影響を受けたのは、日本社会党(現社会民主党)と社会党の支援団体であり、社会党の朝鮮半島政策にも大きな影響を与えることになった。なお日本共産党はチュチェ研を「金日成盲従集団」と定義づけ批判していたため、共産党に対する影響力はない。

関連組織に「自主の会」(機関誌:「自主の旗」「自主の道」、指導者:尾上健一など)を持つ「日本キムイルソン主義研究会」とは別組織。

背景[編集]
1970年代の日本の新左翼運動は、山岳ベース事件や連続企業爆破事件などの不祥事を立て続けに起こしたことにより、次第に行き詰まりつつあった。そんな中、「千里馬運動で躍進中の朝鮮民主主義人民共和国」が大きくクローズアップされ、北朝鮮政府の情報統制と相まって「共和国(北朝鮮)の素晴らしさ」が盛んに喧伝されることになり、急速な組織化が進むことになった。

参考文献[編集]
チュチェ思想国際研究所事務局編『チュチェ思想国際研究所』チュチェ思想国際研究所、1992年
関連項目[編集]
朝鮮民主主義人民共和国
チュチェ思想
日本社会党(社会民主党)
チュチェ思想研究会全国連絡会
チュチェ思想国際研究所
日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会




日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会  ウィキペディア

日本教職員チュチェ思想研究会全国連絡協議会(にほんきょうしょくいんちゅちぇしそうけんきゅうかいぜんこくれんらくきょうぎかい)とは、朝鮮民主主義人民共和国と朝鮮労働党の指導思想であるチュチェ思想を学ぶ教職員の団体。全国各地に組織されており、数百名の構成員がいる。

概要[編集]
チュチェ思想を学ぶ幅広い団体であり、北朝鮮との友好・国交正常化推進やチュチェ思想の宣伝も行っている。

会員には日教組に所属する教職員も含まれており、『産経新聞』によれば、過去には彼らが学校の授業にて北朝鮮の歌を教えるなどの行為が「偏向教育」であるとして日本各地で問題化したこともある[1]など、北朝鮮寄りの行動が目立つ団体である。

2002年、当会の清野和彦会長(福島県教職員組合委員長、日教組副委員長を歴任)が金正日総書記60歳誕生日に合わせて発表した談話の中で、「新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)の歴史教科書は、反共和国的な表記や記述がなされているので問題である」「こうした危険な動きは決して許してはなりませんし、負けてはいけないと思っています」と述べている。

清野会長は2006年9月にも朝鮮総聯の徐萬述議長らと会談し、「現在の2国間をとりまく政治状況は厳しいが、日朝友好親善と日朝国交正常化実現に向けて努力を惜しまずに精進していきたい」と述べた[2]。

脚注[編集]
1.^ 『産経新聞』 2003年1月20日朝刊 『「北朝鮮」賛美、日教組の過去清算されず』
2.^ “日本教職員チュチェ思想研究会 総連中央を訪問”. 朝鮮新報. (2006年9月12日) 2010年2月5日閲覧。



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  以下は予定外サービスです。「客観記述」ではありません。自作自演です。


和田春樹  ウィキペディア

生誕 1938年1月13日(77歳) 大日本帝国の旗 大日本帝国・大阪府
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学文学部
配偶者 和田あき子
子供 和田真保
学問
研究分野 ソ連史・ロシア史・朝鮮史
主な受賞歴第4回後広金大中学術賞(2010年)
公式サイト 和田春樹のホームページ

和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13日 - )は、日本の歴史学者、社会科学研究家、市民運動家である。専門はソ連史・ロシア史・朝鮮史。東京大学名誉教授。

人物[編集]
大阪府生まれ。静岡県立清水東高等学校を経て、東京大学文学部卒業。
大学入学から、退官まで、約50年間に渡って東京大学においてのみ過ごした。研究分野は多岐にわたるが、ロシア・ソ連・朝鮮半島の近現代史及び、それらの地域と日本の関係にまつわるものが多い。左翼運動・市民運動などの実践活動でも知られる。2010年に韓国の全南大学から「第4回後広金大中学術賞」を授けられる。

研究[編集]
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民衆側の共産主義[編集]
日本における共産主義研究は、本家であるソ連における共産主義研究の影響のもと、ソビエト連邦共産党の支配確立の歴史をなぞるか、トロツキーをスターリンに対置する程度がせいぜいであった。[要出典]和田による研究対象は、1905年の『血の日曜日事件』で知られるゲオルギー・ガポン、革命家のネストル・マフノによる農民アナキズム運動、ナロードニキとマルクス・エンゲルスとあいだの政治的偏差などを含んだ。

ソ連崩壊と共産主義の瓦解[編集]
1980年代、ソ連においてペレストロイカが進行すると、和田はそれに共感を表明した。[要出典]さらに1990年代になって「急進改革派」が登場し、社会主義体制への批判を強めるようになると、和田は臆することなくそれを強く支持した。[要出典]

しかし、急進改革派が持っていた負の側面について和田は、それを熟知していながら言及を避けていた。それは政治的配慮によるものであったが[要出典]、ロシア近現代史研究の後輩である塩川伸明や下斗米伸夫からは、かつての「進歩的知識人」の誤りを繰り返すものだとして厳しく批判された[1]。また塩川は、和田がソ連・東欧社会主義の崩壊を、一貫して「国家社会主義の崩壊」と規定していることに対して、その用語の曖昧さとともに、国家社会主義でない社会主義という存在の検討がなされていないことについても批判した。

ソ連及びスターリンについては、「マルクス主義が実現すべき目標としたユートピアはスターリンのソ連においてともかくも実現された」と述べている[2]。

韓国・北朝鮮[編集]
和田は国際的な市民活動家としても知られる。[要出典]和田の研究はインテリゲンツィア(知識階級)にとどまらず、民衆の日常に目を向けるものであり、和田は朴正煕時代の韓国でも民衆との連帯を志向した。市民連帯活動では、韓国の民主化運動において、特に金大中救出運動において広い関心を起こしている。[要出典]

和田による朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)現代史研究については、日本の共産主義研究者にはその学問的功績が認められてはいるものの[要出典]、北朝鮮を『遊撃隊国家』とする規定について曖昧であるとの批判もある[要出典]。ラングーン事件について、事件発生直後には「韓国政府内部の人間がやったことも考えられる。北朝鮮の側が爆弾テロをやるということはありえない」(『世界』83年11月号)との立場を一時はとっていたが、『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(1998年)では、北朝鮮工作員の行為と述べている。また、北朝鮮が38度線を越えて侵攻したことによって勃発した朝鮮戦争先制攻撃については、「あまり本質的な問題ではない。南北の双方に武力統一プランはあった」と述べている[3]。

主義・主張と社会活動[編集]
対・北朝鮮[編集]
拉致問題
北朝鮮による日本人拉致問題について和田は、2001年(平成13年)の時点においても、「横田めぐみさん拉致の情報は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである」として、日本政府も拉致疑惑を認定しないことから「横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである」と述べている。なお、久米裕の事件については拉致された可能性は高いと述べているが、「日本の警察が国外移送拐取罪で立件しなかった以上、行方不明者として交渉するほかない」と述べている[4][5]。
翌2002年(平成14年)、北朝鮮自身が日本人拉致を認めるに至り、『諸君!』『正論』からは、和田に対する激しい批判が加えられた。また、山脇直司からも、北朝鮮による拉致という国家犯罪は絶対に許してはならないし、左翼知識人の過去の言動は徹底的に糾弾されてしかるべきだろう、と批判された[6]。これを受けて和田は、自分は拉致そのものの存在を否定していたわけではないと弁明した。

対・韓国[編集]
在日韓国人
在日韓国・朝鮮人に対する社会処遇の向上や、積極的な戦後補償を行うことを一貫して求めている。
慰安婦問題
慰安婦問題については、当時の日本政府に対して一貫して批判的である。一方、『女性のためのアジア平和国民基金』に係わる活動によって和田は、朝鮮人慰安婦寄りの主張を行う社会運動家からも批判される立場に立った。
竹島問題
竹島問題についは、「竹島が日本の領土と宣言されたのは1905年だ。その時から敗戦までの40年間、 竹島は確かに日本の領土だった。1945年に日本の管轄から脱した後、サンフランシスコ条約でも明確な処理がなされなかった」とし、そのうえで、「植民地支配反省の表現として、日本は独島(竹島の韓国名)を韓国領土として認める」という独自の主張を展開している[7]。さらに2013年10月には、独島問題に関して、日本は韓国側の主張を認めること以外に答えはないとし、韓国は韓日友好のための特別な配慮として鬱陵島と隠岐の島の中間地点に経済水域の境界を設定することを提案した[8]。

また和田は、そのかわりに韓国側が、韓日友好のための思いやりとして、島根県の漁民に島周辺の漁業権を認めるという条件を、竹島を韓国に供与する見返りとして提案している[7]。しかしながら実際には、竹島周辺海は暫定水域として日韓漁業協定による漁業権が確定済みであり、和田の案により日本が得られるものは皆無である[7]。
日韓併合無効論
和田は2010年(平成22年)、日本が韓国を併合するに当たっての韓国併合ニ関スル条約(1910年)は当初から無効であったとして、日本政府がその無効性を認めるよう求める声明を発表した[9]。さらに、内閣総理大臣 菅直人に対しては、同条約の無効を、日韓併合100周年に当たる同年8月に宣言するよう求めた[9]。

歴史教科書[編集]
和田は2001年(平成13年)4月、『新しい歴史教科書』(扶桑社)を批判する声明を、連名で発表した[10]。
翌5月、歴史教科書問題をテーマにしたテレビ討論番組に参加した和田は、同教科書の記載について、「戦前ロシアが朝鮮北部に軍事基地を建設したと書いているが、これは伐採場でしかない」と批判した[11]。同討論に参加していた歴史家・秦はこれに対し、『近代日本総合年表』(岩波書店)にも 『軍事根拠地の建設を開始』との記載があること[12]、しかも同書の編集委員のひとりが、和田とともに抗議声明を出した経済学者、隅谷三喜男であることを指摘して反論した。

北方領土[編集]
和田は、「日本は北方領土の問題にこだわって日ソ関係を非常に悪いままにしている」と、領土問題を問わずにソ連との友好を優先することを主張していた[13]。

論争 - アジア女性基金[編集]
和田は、現代史家・秦郁彦とのあいだで、歴史の事実認定や解釈を巡って何度も論戦を繰り広げたことでも知られる。[要出典]
二人の関係は1995年(平成7年)、村山富市内閣が設立した財団法人 『アジア女性基金』において、ともに資料委員会委員を務めたことに始まる。大蔵官僚出身で官僚や自由民主党関係者との人脈が豊富であった秦は、社会党との関係が強い和田や大沼保昭等の同財団発起人らから、保守人脈をも網羅した国民的運動としての基金活動を展開すべく受け入れられた。
しかし、同基金に拠ってアメリカでも調査を行った秦が同基金への報告書を寄稿すると、和田は秦を激しく批判した。秦による従軍慰安婦に関する報告への、和田による批判は次の様だった。
1.同基金は『村山談話』を根拠としているが、秦の報告には、その趣旨・理念をわきまえないエッセイ的記述が多数ある
2.各自のイデオロギー的立場を越えた資料実証研究を行うという資料委員会の申し合わせに反する
そして、同委員会委員長・高崎宗司と共に和田は、秦に対して文章の撤回を打診した。しかしながら、和田らに撤回要求をするような権限があるかについての疑問を呈し、またそれは打診というよりも査問であったことを秦は訴え、撤回の要求を拒絶した。最終的には、「権限の有無を別として和田・高崎が没を希望、秦がそれを受け入れる」という形で秦論文は未掲載となった。

最終的に取りまとめられたアジア女性基金の報告書、没になった秦の文書で転載されたもの、秦の側の見解表明は以下。
アジア女性基金『「慰安婦」問題調査報告・1999』〔全文ダウンロード可能〕[4]
秦郁彦「『慰安婦伝説』--その数量的観察」『現代コリア』1999年2月〔転載〕。
秦郁彦「天皇訪韓を中止せよ!『アジア女性基金』に巣喰う白アリたち」『諸君』1999年2月号(同『現代史の対決』文藝春秋2005年に大部分が掲載)。

略歴[編集]
1960年(昭和35年)3月 東京大学文学部西洋史学科卒業
1960年(昭和35年)4月 東京大学社会科学研究所助手
1966年(昭和41年) 同・講師
1968年(昭和43年) 同・助教授
1985年(昭和60年) 同・教授
1996年(平成8年)4月 同・所長(1998年3月まで)
1998年(平成10年)3月 東京大学退官
1998年(平成10年)5月 東京大学名誉教授
2001年(平成13年)4月 東北大学東北アジア研究センター 客員教授

著作[編集]
単著『近代ロシア社会の発展構造――1890年代のロシア』(東京大学社会科学研究所, 1965年)
『ニコライ・ラッセル――国境を越えるナロードニキ](上・下)』(中央公論社, 1973年)
『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』(勁草書房, 1975年)
『農民革命の世界――エセーニンとマフノ』(東京大学出版会, 1978年)
『韓国民衆をみつめること』(創樹社, 1981年)
『韓国からの問いかけ――ともに求める』(思想の科学社, 1982年)
『私の見たペレストロイカ――ゴルバチョフ時代のモスクワ』(岩波書店[岩波新書], 1987年)
『北の友へ南の友へ――朝鮮半島の現状と日本人の課題』(御茶の水書房, 1987年)
『ペレストロイカ――成果と危機』(岩波書店[岩波新書], 1990年)
『北方領土問題を考える』(岩波書店, 1990年)
『ロシアの革命1991』(岩波書店, 1991年)
『開国――日露国境交渉』(日本放送出版協会[NHKブックス], 1991年)
『金日成と満州抗日戦争』(平凡社, 1992年)
『歴史としての社会主義』(岩波書店[岩波新書], 1992年)
『ロシア・ソ連』(朝日新聞社, 1993年)
『朝鮮戦争』(岩波書店, 1995年)
『歴史としての野坂参三』(平凡社, 1996年)
『北朝鮮――遊撃隊国家の現在』(岩波書店, 1998年)
『北方領土問題――歴史と未来』(朝日新聞社[朝日選書], 1999年)
『ロシア――ヒストリカル・ガイド』(山川出版社, 2001年)
『朝鮮戦争全史』(岩波書店, 2002年)
『朝鮮有事を望むのか――不審船・拉致疑惑・有事立法を考える』(彩流社, 2002年)
『日本・韓国・北朝鮮――東北アジアに生きる』(青丘文化社, 2003年)
『東北アジア共同の家――新地域主義宣言』(平凡社, 2003年)
『同時代批評――日朝関係と拉致問題』(彩流社, 2005年) 
『テロルと改革――アレクサンドル二世暗殺前後』(山川出版社, 2005年)
『ある戦後精神の形成 1938-1965』(岩波書店, 2006年)
『日露戦争 起源と開戦』(岩波書店, 2009-10年)
『日本と朝鮮の一〇〇年史 これだけは知っておきたい』平凡社新書、2010 
『領土問題をどう解決するか 対立から対話へ』平凡社新書、2012
『北朝鮮現代史』岩波新書、2012
『慰安婦問題の解決のために アジア女性基金の経験から』平凡社新書 2015
共著(和田あき子)『血の日曜日――ロシア革命の発端』(中公新書 1970年)
(前田哲男)『くずれる国つながる国――ロシアと朝鮮日本近隣の大変動』(第三書館, 1993年)
(高崎宗司)『検証日朝関係60年史』(明石書店, 2005年)
『拉致問題を考えなおす』蓮池透,菅沼光弘,青木理,東海林勤共著 青灯社 2010
『韓国併合100年の現在(いま)』前田憲二,高秀美共著 東方出版 2010
『世界歴史の旅 ロシア モスクワ・サンクトペテルブルク・キエフ』中村喜和共著 山川出版社 2013
『東アジア近現代通史 19世紀から現在まで』後藤乾一,木畑洋一,山室信一,趙景達,中野聡,川島真共著 岩波現代全書 2014
編著『レーニン』(平凡社, 1977年)
『ロシア史の新しい世界――書物と史料の読み方』(山川出版社, 1986年)
『ペレストロイカを読む――再生を求めるソ連社会』(御茶の水書房, 1987年)
『ロシア史』(山川出版社, 2002年)
共編著
職のいきさつから東京大学社会科学研究所の研究者との共著が多い。
(高崎宗司)『分断時代の民族文化――韓国[創作と批評]論文選』(社会思想社, 1979年)
(梶村秀樹)『韓国の民衆運動』(勁草書房, 1986年)
(梶村秀樹)『韓国民衆――学園から職場から』(勁草書房, 1986年)
(梶村秀樹)『韓国民衆――「新しい社会」へ』(勁草書房, 1987年)
(小森田秋夫・近藤邦康)『「社会主義」それぞれの苦悩と模索』(日本評論社, 1992年)
(近藤邦康)『ペレストロイカと改革・開放――中ソ比較分析』(東京大学出版会, 1993年)
(田中陽兒・倉持俊一)『世界歴史大系 ロシア史(全3巻)』(山川出版社, 1994-1997年)
(家田修・松里公孝)『スラブの歴史』(弘文堂, 1995年)
(水野直樹)『朝鮮近現代史における金日成』(神戸学生青年センター出版部, 1996年)
(大沼保昭・下村満子)『「慰安婦」問題とアジア女性基金』(東信堂, 1998年)
(隅谷三喜男)『日朝国交交渉と緊張緩和』(岩波書店, 1999年)
(石坂浩一)『現代韓国・朝鮮』(岩波書店, 2002年)
(高崎宗司)『北朝鮮本をどう読むか』(明石書店, 2003年)
『「韓国併合」100年を問う 『思想』特集・関係資料』趙景達,宮嶋博史,李成市共編 岩波書店 2011
『岩波講座東アジア近現代通史』全10巻 後藤乾一,木畑洋一,山室信一,趙景達,中野聡,川島真共編 岩波書店 2010-11
『日韓歴史問題をどう解くか 次の100年のために』内海愛子,金泳鎬, 李泰鎮共編 岩波書店 2013
『慰安婦問題とアジア女性基金 デジタル記念館』村山富市共編 青灯社 2014

訳書[編集]
『金大中獄中書簡』金学鉉, 高崎宗司共訳(岩波書店, 1983年)
アレク・ノーヴ『スターリンからブレジネフまで――ソヴェト現代史』(刀水書房, 1983年)
アレクサンドル・チャヤーノフ『農民ユートピア国旅行記』(晶文社 1984年)のち平凡社ライブラリー 
『資料集コミンテルンと日本共産党』G.M.アジベーコフ共監修 富田武共編訳 岩波書店 2014

家族[編集]

夫人はロシア文学者の和田あき子。長女の和田真保は練馬区区議会議員をつとめた。

脚注[編集]
1.^ http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/wada.htm 塩川による厳しい批判
2.^ 和田春樹 「マルクス主義が実現すべき目標としたユートピアはスターリンのソ連においてともかくも実現された」 『世界』90年1月号
3.^ 和田春樹 「北朝鮮が決定してはじめた国土統一戦争」 雑誌 『世界』 平成10年3月号
4.^ 2001年1月号『世界』「日本人拉致疑惑」を検証する[上]和田春樹[1]
5.^ 2001年2月号『世界』「日本人拉致疑惑」を検証する[下]和田春樹[2]
6.^ 山脇直司「日本外交の哲学的貧困」『論座』 2004年3月号
7.^ a b c ハンギョレ新聞(韓国語)2008年7月27日。
8.^ 和田春樹氏「日本は韓国の主張認めるべき」=独島問題、聯合ニュース、2013年10月1日
9.^ a b 日韓併合、首相談話で無効宣言を 『共同通信』 平成22年7月28日配信
10.^ 扶桑社中学校社会科歴史教科書の近現代史部分(第4,第5章)の問題点 [3]
11.^ 『朝まで生テレビ』 (テレビ朝日)
12.^ 初版〜4版の各版とも1903年5月上旬に『露軍、鴨緑江を超えて竜岩浦に至り、軍事根拠地の建設を開始』と記載
13.^ 『世界』 1986年5月号



姜尚中  ウィキペディア
姜 尚中 (カン サンジュン)

人物情報
全名 姜 尚中 (강 상중)
別名 永野 鉄男(ながの てつお)
生誕 1950年8月12日(64歳)
日本の旗 日本・熊本県(国籍韓国の旗 韓国)
学問
時代 20世紀 - 21世紀
活動地域 日本の旗 日本
研究分野 政治学 政治思想 ナショナリズム
主要な作品
『在日』(2004年)
『姜尚中の政治学入門』(2006年)
『愛国の作法』(2006年)
『悩む力』(2008年)
『母 オモニ』(2010年)
など他多数。

影響を
受けた人物
藤原保信など

主な受賞歴
青丘文化賞(1995年)
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姜 尚中(カン サンジュン。朝鮮語: 강 상중。英語: Kang Sang-jung。1950年(昭和25年)8月12日 - )は、熊本県熊本市出身の政治学者[1]。東京大学名誉教授[2]。専門は政治学・政治思想史。特にアジア地域主義論・日本の帝国主義を対象としたポストコロニアル理論研究。

在日韓国人二世。通名は永野 鉄男(ながの てつお)。姜尚中の日本式の音読みはキョウ ショウチュウ。

来歴
1950年(昭和25年)に、熊本市で在日韓国人二世として生まれる。父は、1916年(大正5年)に旧朝鮮南部の慶尚南道昌原郡南山里(現・昌原市義昌区)に生まれ、1931年(昭和6年)に仕事を求めて自らの意思で日本へ渡った。母は1923年(大正12年)に旧朝鮮で生まれ、1941年(昭和16年)に釜山近くの鎮海(現・昌原市鎮海区)から許嫁の父を訪ねるべく関釜連絡船で渡日した[3]。

熊本県立済々黌高等学校を経て、1974年(昭和49年)早稲田大学政治経済学部卒業、1979年(昭和54年)早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。西ドイツ・エアランゲン大学文学部研究生留学(1979年(昭和54年) - 1981年(昭和56年))を経て、明治学院大学講師、国際基督教大学準教授を経て、1998年(平成10年)東京大学社会情報研究所助教授、2004年(平成16年)東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授(所属:社会情報研究所 情報行動部門)。2010年(平成20年)東京大学大学院情報学環教授 兼 現代韓国研究センター長。

当初、日本名「永野鉄男(ながのてつお)」を名乗っていたが、早稲田大学在学中に韓国文化研究会に参加し、1972年(昭和47年)の訪韓以来、韓国名を使用する。2011年(平成23年)に開催された句会の席上、姜は自らの生い立ちについて「生まれは熊本で本名は永野鉄男です。でも今から三十八年前、二十二歳のときに、思うところがあって姜尚中を名乗りました」[4]と語っている。

1995年(平成7年)、青丘文化賞受賞。

2008年(平成20年)に開設したインターナショナル・スクール、コリア国際学園の理事長に就任する予定だったが、東大の兼業規程に違反するとの指摘があり、辞退している。

2013年(平成25年)3月末、東京大学の定年を3年残し退職。同年4月より次期学長含みで聖学院大学に移籍して[5]、全学教授に就任、同年7月22日の理事会で正式に第6代学長に選出された(任期5年)[6]。同年6月に東京大学より名誉教授の称号を得る。2014年4月より聖学院大学長 兼 総合研究所長 兼 政治経済学科教授に就任。しかし任期途中の2015年3月31日付けで聖学院大学学長を辞任した[7]。辞任理由については「諸般の事情」としている[8]。

近年は『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)をはじめ、多くの討論番組やトーク番組に頻繁に出演している。『朝まで…』における論敵は親米保守の村田晃嗣であり、主に外交問題で対立している。

学歴
早稲田大学政治経済学部卒業
早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了
エアランゲン大学留学

思想・主張
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在日韓国人という立場を、エドワード・サイードの言う「周辺者」あるいは「亡命者」とみなし、日本と韓国という二つの祖国を持つ独自の存在とし、日本社会が歴史的に捉えてきた朝鮮史観、およびそこにあるいわゆる「偏見」に対して批判を加えている。ここでは、日本の戦前の朝鮮史観の始まりは、山縣有朋の「主権線・利益線」にまで遡ると主張。日本の近代化としての理想像が西欧社会であるならば、その反転としての未開地域、停滞地域として朝鮮半島・東北アジアが「発見」されたと主張している。また、戦後の日本の対朝鮮史観については、丸山眞男のいう「悔恨の共同体」を経て、経済復興、高度経済成長を背景に「日本特殊論」などが登場してくる中で、西欧との同一化と差異化のプロセスとして、再び戦前と同様の対朝鮮・東北アジア史観が「再発見」されたと主張している。

ナショナリズム批判についての著作も多い。ただし、現在の世界システムを自由主義経済による支配システムとして考えた場合、その中枢にいる一握りの経済大国と周辺に追いやられた諸国との経済格差はますます大きくなっているとし、有無を言わさず周辺化される力学に反抗する手段としての、いわばイマニュエル・ウォーラーステインのいう「反システム運動」として発現するナショナリズムに対しては一定の理解を示している。また、サミュエル・P・ハンティントンが主張した「文明の衝突」に対しても、世界システムにおける中枢国と周辺国の格差を無視したオリエンタリズム的観点であると批判している[要出典]。

「マガジン9条」発起人を務めている[9]。

政治活動
2016年夏季オリンピックの立候補都市を巡る誘致では、韓国・釜山の共同開催を期待して福岡市の応援活動を行った[10]。

政治評論
日韓・日朝関係
日韓両国が新しい時代に対応するために東アジア共同体を構成する必要があると考えている。東アジア共同体の中心はソウルに置くべきだと主張している[11]。
日米関係ではなく日韓関係を外交の基軸とするべきだと主張している[12]。
日韓関係の改善には5つの障害物(竹島問題、過去の歴史の清算、北朝鮮による日本人拉致問題、在日韓国人の参政権、日韓貿易における韓国側の貿易赤字を取り除く必要があると述べている。この5つの問題の解決のためには、天皇の訪韓や自由貿易協定(FTA)の締結などが必要としている。
2010年(平成22年)現在、日本は韓国に追い抜かれるかもしれないという危機感が高まっていると主張し、この現象を「キム・ヨナ症候群」と呼んでいる[13]。
2012年(平成24年)8月にソウルで開かれた金大中逝去3周忌祈念式典の講演会で、任期末の李明博の竹島訪問と天皇に対する謝罪要求に対する日本の反発について、「特に日王に対する発言が最も大きかった。独島問題だけでは事態はこれほど大きくならなかっただろう」、「李大統領の独島訪問と日王に対する謝罪要求は、韓国に友好的だった日本国内の左派勢力の反発まで招いている」と語っている[14]。なお、「日王」の呼称は、韓国内における小中華思想の観点から、歴代中華王朝に対する日本の自立性を認ずに、韓国と同様に歴代中華王朝の属国であったとする観点から使用されるものであり、「天皇」が持つ漢語の意味を意図的に格下げさせる呼称である[15]。

竹島問題
2010年(平成22年)1月2日、韓国『MBC』の取材を受けて、竹島問題に関して「独島は韓国が実効支配してるじゃないか。だから日本は戦争をしない限り、独島を実効支配することは不可能です。日本が竹島だと主張しても、放っておいてかまいません。私達が我々の領土を実効支配しているからね」と述べている[11]。
2010年(平成22年)3月10日、韓国『中央日報』の取材を受けて、「日本から独島問題をめぐる妄言が出てきても、韓国は実効的支配をしているため感情的に対応する必要はない」と述べている[16]。

北朝鮮による日本人拉致問題
2007年(平成19年)10月1日、ソウル大学での統一政策フォーラムにて、北朝鮮による日本人拉致問題に関して、「日本が拉致問題を理由に北朝鮮を支援しない態度でいれば、国際社会から孤立してしまうので経済支援をするべきである」と主張した[17]。
2006年(平成18年)11月25日の世界海外韓人貿易協会での講演にて、「北朝鮮核問題や拉致問題を取り上げて北朝鮮を批判する日本の世論を変えねばならない。在日同胞たちが過去に日本に連れて来られたことに対しては何も言わず、冷戦時代の拉致ばかり話すというのは矛盾したことだ。私は横に横田夫妻(横田滋、横田早紀江)がいても、これを言うことができる」と、日本社会の対北朝鮮世論を批判した[18]。

日本の政治と政治家評
2007年(平成19年)に、日本の政治家に関する発言としては、「田中真紀子さんに日本の首相になってほしい」[19]と発言している。また、吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄を指して、日本のリーダーは米国におむつを履かされた存在に過ぎないが、金大中はおむつを履いた似非リーダーたちと戦った真のリーダーであり、日本人は金大中を見習いなさいと主張している[20]。

人物
50歳で運転免許を取得。
最近の趣味は登山・ドライブ・絵画。また、俳句の鑑賞も好んでおり、2011年(平成23年)には金子兜太が宗匠を務める句会にも参加している[4]。癌で亡くなった友人を悼む気持ちを布団の情景に重ねた句や、諧謔を凝らした句などを披露した[21]。
絵画趣味に関連して、2009年(平成21年)4月 - 2011年(平成23年)3月には『日曜美術館』(NHK教育テレビ)の司会を務めた。

親族
韓国帰郷時に訪ねた叔父は日本の大学出身であり、その後は日本軍憲兵となり日本人と結婚して子供をもうけ、戦後に妻子を残して韓国に帰郷。良家の韓国人と結婚し弁護士として成功している[22]。叔母にあたる日本人と混血の従妹は行方不明であるとしている[22]。『続、悩む力』を執筆前に長男を亡くしている(26歳)。

著書
単著
『マックス・ウェーバーと近代 合理化論のプロブレマティーク』 御茶の水書房、1986年11月。ISBN 4-275-00710-7。 『マックス・ウェーバーと近代』 岩波書店〈岩波現代文庫 学術〉、2003年1月16日。ISBN 4-00-600096-0。

『アジアから読む日本国憲法』 かもがわ出版〈かもがわブックレット 58〉、1993年5月。ISBN 4-87699-082-4。
『アジアから日本を問う』 岩波書店〈岩波ブックレット no.336〉、1994年3月。ISBN 4-00-003276-3。
『ふたつの戦後と日本 アジアから問う戦後五〇年』 三一書房、1995年12月。ISBN 4-380-95299-1。
『オリエンタリズムの彼方へ 近代文化批判』 岩波書店、1996年4月。ISBN 4-00-000258-9。 『オリエンタリズムの彼方へ 近代文化批判』 岩波書店〈岩波現代文庫 学術〉、2004年4月16日。ISBN 4-00-600119-3。

『ナショナリズム』 岩波書店〈思考のフロンティア〉、2001年10月26日。ISBN 4-00-026436-2。
『東北アジア共同の家をめざして』 平凡社、2001年11月。ISBN 4-582-70234-1。
『暮らしから考える政治 女性・戦争・食』 岩波書店〈岩波ブックレット no.564〉、2002年4月19日。ISBN 4-00-009264-2。
『日朝関係の克服 なぜ国交正常化交渉が必要なのか』 集英社〈集英社新書〉、2003年5月。ISBN 4-08-720193-7。 『日朝関係の克服 最後の冷戦地帯と六者協議』 集英社〈集英社新書〉、2007年5月、増補版。ISBN 978-4-08-720390-5。

『反ナショナリズム 帝国の妄想と国家の暴力に抗して』 教育史料出版会、2003年5月。ISBN 4-87652-430-0。 『反ナショナリズム』 講談社〈講談社+α文庫〉、2005年9月。ISBN 4-06-256946-9。 - 教育史料出版会2003年刊の増訂版。

『アジアの孤児でいいのか』 ウェイツ〈That's Japan 11〉、2003年9月。ISBN 4-901391-39-9。
『在日』 講談社、2004年3月23日。ISBN 4-06-212322-3。 『在日』 集英社〈集英社文庫〉、2008年1月。ISBN 978-4-08-746253-1。 - 講談社2004年刊の増補版。

『在日 ふたつの「祖国」への思い』 講談社〈講談社+α新書〉、2005年3月20日。ISBN 4-06-272306-9。
『姜尚中の政治学入門』 集英社〈集英社新書〉、2006年2月。ISBN 4-08-720330-1。
『愛国の作法』 朝日新聞社〈朝日新書〉、2006年10月。ISBN 4-02-273101-X。
『ニッポン・サバイバル 不確かな時代を生き抜く10のヒント』 集英社〈集英社新書〉、2007年2月。ISBN 978-4-08-720379-0。
『日本人はどこへ行くのか ふたつの戦後と日本』 大和書房〈だいわ文庫〉、2007年2月。ISBN 978-4-479-30079-3。
『姜尚中の青春読書ノート』 朝日新聞出版〈朝日新書〉、2008年4月。ISBN 978-4-02-273204-0。
『悩む力』 集英社〈集英社新書〉、2008年5月。ISBN 978-4-08-720444-5。
『希望と絆 いま、日本を問う』 岩波書店〈岩波ブックレット no.763〉、2009年7月7日。ISBN 978-4-00-009463-4。
『姜流(かんりゅう)』 朝日新聞出版〈Aera mook〉、2009年8月。ISBN 978-4-02-274412-8。
『リーダーは半歩前を歩け 金大中というヒント』 集英社〈集英社新書 0509A〉、2009年9月。ISBN 978-4-08-720509-1。
『母 オモニ』 集英社、2010年6月。ISBN 978-4-08-781444-6。
『トーキョー・ストレンジャー 都市では誰もが異邦人』 集英社、2011年6月。ISBN 978-4-08-780598-7。
『愛の作法』 朝日新聞出版〈朝日文庫 か48-1〉、2011年8月。ISBN 978-4-02-261705-7。
『あなたは誰?私(わたし)はここにいる』 集英社〈集英社新書 0609F〉、2011年9月。ISBN 978-4-08-720609-8。
姜尚中 述 『感動する力』 富山県民生涯学習カレッジ編、富山県民生涯学習カレッジ〈県民カレッジ叢書 104〉、2012年1月。
『朝鮮半島問題と日本の未来 沖縄から考える』 沖縄大学地域研究所編、芙蓉書房出版〈沖縄大学地域研究所叢書〉、2012年5月。ISBN 978-4-8295-0557-1。
『悩む力』続、集英社〈集英社新書 0647〉、2012年6月。ISBN 978-4-08-720647-0。
『自分をあきらめない20の人生の物語』 日本経済新聞出版社〈日経ビジネス人文庫 に1-14 人間発見〉、2012年9月。ISBN 978-4-532-19652-3。
『心』 集英社、2013年4月。ISBN 978-4-08-781523-8。

論説
姜尚中 「9 在日韓国・朝鮮人とその未来」『21世紀韓朝鮮人の共生ビジョン 中央アジア・ロシア・日本の韓朝鮮人問題 槿菴・徐龍達先生古希記念論集』 徐龍達編、日本評論社、2003年3月。ISBN 4-535-58339-0。
姜尚中 「「在日」が語る日本近代史」『在日を生きる思想 『セヌリ』対談集』 朴鉄民編、東方出版、2004年7月。ISBN 4-88591-899-5。
姜尚中 「コリアン・ネットワークの構築と東北アジア共同の家」『朝鮮族のグローバルな移動と国際ネットワーク 「アジア人」としてのアイデンティティを求めて』 中国朝鮮族研究会編、アジア経済文化研究所〈中国朝鮮族研究会叢書 1〉、2006年7月。ISBN 4-903504-02-6。
姜尚中 述 「朝鮮半島と日本の五十年」『ジェンダーで読む 〈韓流〉文化の現在』 城西国際大学ジェンダー・女性学研究所編、現代書館、2006年8月。ISBN 4-7684-6934-5。
姜尚中 「靖国とヒロシマ」『ヤスクニとむきあう』 中野晃一・上智大学21世紀COEプログラム編、めこん、2006年8月。ISBN 4-8396-0200-X。
姜尚中、高橋哲哉・村井吉敬・辛淑玉・内海愛子・李省展 『ちょっとヤバイんじゃない?ナショナリズム 平和をつくる』 恵泉女学園大学大学院国際シンポジウム実行委員会編、解放出版社、2006年10月。ISBN 4-7592-6703-4。 - 収録:「全世界にばら撒かれる奈落の連鎖」、「かくて「テロとの戦い」はペスト撲滅と同義となりき」、「ナショナリズムの克服」。
姜尚中 述 「オリエンタリズムとはなにか」『変わりゆく社会』 リブリオ出版〈いきいきトーク知識の泉 大きな活字で読みやすい本 著名人が語る〈知の最前線〉 第3巻〉、2007年4月。ISBN 978-4-86057-310-2。
姜尚中 「「愛郷」と「愛国」」『資料で読む戦後日本と愛国心』第3巻、市川昭午監修・編集、日本図書センター、2009年2月。ISBN 978-4-284-50108-8。
姜尚中 「近代化とその先」『科学技術と知の精神文化 新しい科学技術文明の構築に向けて』 科学技術振興機構社会技術研究開発センター編、丸善プラネット(出版) 丸善出版事業部(発売)、2009年3月。ISBN 978-4-86345-008-0。
姜尚中 述 「ニッポンには新エンジンが要る」『仕事力』紅版、朝日新聞社編、朝日新聞出版、2009年3月。ISBN 978-4-02-250558-3。
姜尚中 述 「戦争の世紀を超えて――加藤周一が目ざしたもの」『知の巨匠 加藤周一』 菅野昭正編、岩波書店、2011年3月10日。ISBN 978-4-00-023869-4。

共著
『民族の共生をもとめて』 鈴木二郎対談、部落問題研究所〈部落研ブックレット 2〉、1993年7月。ISBN 4-8298-2041-1。
安斎育郎、朱建栄・松井やより・村山晃 『アジア・女性・沖縄が問う日本』 かもがわ出版〈かもがわブックレット 93〉、1996年5月。ISBN 4-87699-243-6。
石田雄 『丸山眞男と市民社会』 国民文化会議 編 5、世織書房〈転換期の焦点〉、1997年8月。ISBN 4-906388-58-2。
中村雄二郎 『21世紀へのキーワード インターネット哲学アゴラ』 岩波書店〈6 文化〉、1999年7月26日。ISBN 4-00-026286-6。
宮台真司、水木しげる・中西新太郎・若桑みどり・石坂啓・沢田竜夫・梅野正信 『戦争論妄想論』 教育史料出版会、1999年7月。ISBN 4-87652-366-5。
宮崎学 『ぼくたちが石原都知事を買えない四つの理由。』 朝日新聞社、2000年7月。ISBN 4-02-257531-X。
吉見俊哉 『グローバル化の遠近法 新しい公共空間を求めて』 岩波書店、2001年2月27日。ISBN 4-00-022602-9。
網野善彦、田中優子・樺山紘一・成田龍一・三浦雅士・小熊英二 『「日本」をめぐって 網野善彦対談集』 講談社、2002年1月。ISBN 4-06-211023-7。
齋藤純一、杉田敦・高橋哲哉 『思考をひらく 分断される世界のなかで』 岩波書店〈思考のフロンティア 別冊〉、2002年2月26日。ISBN 4-00-026437-0。
森巣博 『ナショナリズムの克服』 集英社〈集英社新書〉、2002年11月。ISBN 4-08-720167-8。
キャロル・グラッグ、テッサ・モーリス=スズキ・比屋根照夫・岩崎奈緒子・タカシ・フジタニ・ハリー・ハルトゥーニアン 『日本はどこへ行くのか』 講談社〈日本の歴史 第25巻〉、2003年1月10日。ISBN 4-06-268925-1。 「第2章 日本のアジア観の転換に向けて」『日本はどこへ行くのか』 講談社〈日本の歴史 第25巻〉、2010年7月12日。ISBN 978-4-06-291925-8。

『「だから、戦争」の論理と心理 女性、国民、アジアの視点から アジア女性基金公開フォーラムの記録』 上野千鶴子・加藤陽子述、女性のためのアジア平和国民基金、2003年。 - 会期・会場:2003年3月4日、主婦会館プラザエフ(東京・四ッ谷)。
田原総一朗、西部邁 『愛国心』 講談社、2003年6月。ISBN 4-06-211911-0。 田原総一朗、西部邁 『愛国心』 講談社〈講談社+α文庫〉、2005年7月。ISBN 4-06-256952-3。

酒井啓子 『イラクから北朝鮮へ 「妄想」の戦争』 日本弁護士連合会編、太田出版〈Love & peace 1〉、2003年6月。ISBN 4-87233-762-X。
きくちゆみ、田島泰彦・渡辺治 『「イラク」後の世界と日本 いま考えるべきこと、言うべきこと』 岩波書店〈岩波ブックレット no.605〉、2003年9月5日。ISBN 4-00-009305-3。
内田雅敏 『在日からの手紙』 太田出版〈Love & peace 4〉、2003年10月。ISBN 4-87233-789-1。
宮台真司 『挑発する知 国家、思想、そして知識を考える』 双風舎、2003年11月。ISBN 4-902465-00-0。 宮台真司 『挑発する知 愛国とナショナリズムを問う』 筑摩書房〈ちくま文庫〉、2007年11月。ISBN 978-4-480-42387-0。

佐高信 『日本論』 毎日新聞社、2004年2月。ISBN 4-620-31654-7。 佐高信 『日本論』 角川書店(出版) 角川グループパブリッシング(発売)〈角川文庫〉、2007年2月、増補版。ISBN 978-4-04-377505-7。 - 毎日新聞社2004年刊の増訂版。

テッサ・モーリス=スズキ 『デモクラシーの冒険』 集英社〈集英社新書〉、2004年11月。ISBN 4-08-720266-6。
金子勝、金美齢・小林よしのり・高野孟・西部邁・樋口恵子・森本敏 『「愛国心」「国益」とはなにか。 朝まで生テレビ!』 田原総一朗責任編集、アスコム、2004年2月。ISBN 4-7762-0133-X。
森達也 『戦争の世紀を超えて その場所で語られるべき戦争の記憶がある』 講談社、2004年11月。ISBN 4-06-212669-9。 森達也 『戦争の世紀を超えて その場所で語られるべき戦争の記憶がある』 集英社〈集英社文庫 か48-2〉、2010年2月。ISBN 978-4-08-746534-1。 - 講談社2004年刊の加筆。

井筒和幸、井上ひさし・香山リカ・木村裕一・黒柳徹子・猿谷要・品川正冶・辛酸なめ子・田島征三・中村哲・半藤一利・ピーコ・松本侑子・美輪明宏・森永卓郎・吉永小百合・渡辺えり子 『憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言』 岩波書店〈岩波ブックレット no.657〉、2005年8月2日。ISBN 4-00-009357-6。
小熊英二、村上龍・島田雅彦・網野善彦・谷川健一・赤坂憲雄・上野千鶴子・今沢裕 『対話の回路 小熊英二対談集』 新曜社、2005年7月。ISBN 4-7885-0958-X。
加藤周一 「歴史の分岐点に立って」『歴史の分岐点に立って』 かもがわ出版〈加藤周一対話集 第5巻〉、2005年2月。ISBN 4-87699-861-2。
森達也述 「何が反復されてきたのか」『世界と僕たちの、未来のために 森達也対談集』 作品社、2006年1月。ISBN 4-86182-066-9。
『そして、憲法九条は。』 吉田司対談、晶文社、2006年2月。ISBN 4-7949-6696-2。
佐高信、澤地久枝述 「アメリカ一辺倒と空虚なナショナリズム」『佐高信の丁々発止 佐高信対談集』 七つ森書館、2006年6月。ISBN 4-8228-0621-9。
佐高信述 「精神の鎖国主義をどう脱却するか」『戦争で得たものは憲法だけだ 憲法行脚の思想』 落合恵子・佐高信編、七つ森書館、2006年8月。ISBN 4-8228-0624-3。
姜尚中 ほか 「安倍晋三とナショナリズム」『君、殺したまうことなかれ』 落合恵子・佐高信編、七つ森書館〈憲法行脚の思想 2〉、2007年8月。ISBN 978-4-8228-0748-1。
小森陽一 『戦後日本は戦争をしてきた』 角川書店(出版) 角川グループパブリッシング(発売)〈角川oneテーマ21 A-75〉、2007年11月。ISBN 978-4-04-710115-9。
磯崎新、井筒和幸・黒田福美・澤地久枝・筑紫哲也・中井信介・浜美枝・雅・梁英姫・リービ英雄 『それぞれの韓国そして朝鮮 姜尚中対談集』 角川学芸出版(出版) 角川グループパブリッシング(発売)、2007年12月。ISBN 978-4-04-621158-3。
田原総一朗、姜尚中 述 「北朝鮮問題は政策転換のとき」『日本、変革 ニッポンが見えてくる世界一エキサイティングな授業』 ダイヤモンド社〈早稲田大学「大隈塾」講義録 2007-2008 1〉、2007年11月。ISBN 978-4-478-00269-8。
森達也述 「戦跡で語りあった「正義」とは何か、「善良」とは何か」『豊かで複雑な、僕たちのこの世界 森達也対談集』 作品社、2007年8月。ISBN 978-4-86182-143-1。
寺脇研 『憲法ってこういうものだったのか!』 ユビキタ・スタジオ(出版) KTC中央出版(発売)、2008年10月。ISBN 978-4-87758-516-7。
加藤紘一 『創造するリベラル』 高橋愛子編、新泉社〈シリーズ時代を考える〉、2008年11月。ISBN 978-4-7877-0817-5。
中島岳志 『日本 根拠地からの問い』 毎日新聞社、2008年2月。ISBN 978-4-620-31861-5。 中島岳志 『日本(にっぽん)』 河出書房新社〈河出文庫 か22-1〉、2011年9月。ISBN 978-4-309-41104-0。

網野善彦ほか 「二十一世紀の新しい歴史像のために」『「日本」をめぐって 網野善彦対談集』 洋泉社〈MC新書 29〉、2008年6月。ISBN 978-4-86248-280-8。
C・ダグラス・ラミス、萱野稔人 『国家とアイデンティティを問う』 岩波書店〈岩波ブックレット no.772〉、2009年12月4日。ISBN 978-4-00-009472-6。
「第1章 アジア/日本を貫く〈近代〉批判のために――歴史と現在にどう対峙するか」『壊れゆく世界と時代の課題』 米谷匡史・市野川容孝・小森陽一討論、岩波書店〈思考のフロンティア〉、2009年3月26日。ISBN 978-4-00-022888-6。
寺島実郎編著、姜尚中 述 「次期リーダーに問われる東アジア外交の視点」『時代との対話 寺島実郎対談集』 ぎょうせい、2010年3月。ISBN 978-4-324-08909-5。
野中広務、森達也・北田暁大 述 「信念としての政治」『思想地図』vol.5、東浩紀・北田暁大編、日本放送出版協会〈NHKブックス 別巻〉、2010年3月。ISBN 978-4-14-009348-1。
佐々木毅、マニュエル・シャスタニャレ・上野眞也 述 「パネルディスカッション 20世紀までの世界を総括し,21世紀のゆくえを考える」『地域を創る大学の挑戦』 山村研一・上野眞也編、成文堂〈熊本大学政創研叢書 7〉、2010年3月。ISBN 978-4-7923-9205-5。
田原総一朗、中島岳志 『国家論 僕たちはいま、どこに立っているのか』 中央公論新社〈中公新書ラクレ 346〉、2010年4月。ISBN 978-4-12-150346-6。 - 並列シリーズ名:Chuko Shinsho La Clef。
玄武岩 『大日本・満州帝国の遺産』 青柳正規・陣内秀信・杉山正明・福井憲彦編、講談社〈興亡の世界史 第18巻〉、2010年5月。ISBN 978-4-06-280718-0。
鶴見俊輔編著、姜尚中 述 「核と戦後民主主義」『新しい風土記へ 鶴見俊輔座談』 朝日新聞出版〈朝日新書 246〉、2010年7月。ISBN 978-4-02-273346-7。 - 並列シリーズ名:Asahi Shinsho。
原武史、姜尚中 述 「万物は流転する」『「知」の現場から』 原武史編、河出書房新社〈明治学院大学国際学部付属研究所公開セミナー 2〉、2010年5月。ISBN 978-4-309-24518-8。 - 会期・会場:2009年10月6日-12月15日、明治学院大学横浜校舎。
姜尚中 述 「受け入れれば、受け入れてもらえる。コミュニケーションをとり続けることで思いは伝わる」『NHK「爆問学問」世界が大きく開ける言葉』 NHK『爆笑問題のニッポンの教養』制作班編、三笠書房〈知的生きかた文庫 え14-1〉、2011年11月。ISBN 978-4-8379-7977-7。
松平定知 「「表現力」と「感動力」」『心を豊かにする言葉術』 小学館〈小学館101新書 114〉、2011年8月。ISBN 978-4-09-825114-8。
佐高信 「日本の政治家には俳句が必要!?」『佐高信の余白は語る 省略の文学と日本人』 七つ森書館、2011年11月。ISBN 978-4-8228-1143-3。
田口ランディ、本多弘之 『親鸞いまを生きる』 朝日新聞出版〈朝日新書 = Asahi Shinsho 325〉、2011年11月。ISBN 978-4-02-273425-9。
土方透編著、K・アッハムほか執筆 『現代社会におけるポスト合理性の問題 マックス・ヴェーバーの遺したもの』 聖学院大学出版会、2012年3月。ISBN 978-4-915832-96-3。
保阪正康・雨宮処凛 『ポスト「戦後」を生きる─繁栄のその先に』(講談社)

編著
『ポストコロニアリズム』 姜尚中 編、作品社〈思想読本 知の攻略 4〉、2001年11月。ISBN 4-87893-438-7。
和田春樹、キャロル・グラック・姜尚中 『「日米関係」からの自立 9・11からイラク・北朝鮮危機まで』 姜尚中 編、藤原書店、2003年2月。ISBN 4-89434-319-3。

共編著
『20世紀をいかに越えるか 多言語・多文化主義を手がかりにして』 西川長夫・西成彦編、平凡社、2000年6月。ISBN 4-582-70226-0。
青木保、小杉泰・坂元ひろ子・莫邦富・山室信一・吉見俊哉・四方田犬彦 『アジア新世紀』全8巻、岩波書店、2002-2003。 1.『空間 アジアへの問い』第1巻、2002年11月8日。ISBN 4-00-026831-7。
2.『歴史 アジアの作られかた・作りかた』第2巻、2003年1月8日。ISBN 4-00-026832-5。
3.『アイデンティティ 解体と再構成』第3巻、2002年12月6日。ISBN 4-00-026833-3。
4.『幸福 変容するライフスタイル』第4巻、2003年2月7日。ISBN 4-00-026834-1。
5.『市場 トランスナショナル化する情報と経済』第5巻、2003年3月7日。ISBN 4-00-026835-X。
6.『メディア 言論と表象の地政学』第6巻、2003年4月11日。ISBN 4-00-026836-8。
7.『パワー アジアの凝集力』第7巻、2003年5月29日。ISBN 4-00-026837-6。
8.『構想 アジア新世紀へ』第8巻、2003年7月11日。ISBN 4-00-026838-4。

『日朝交渉 課題と展望』 水野直樹・李鍾元編、岩波書店、2003年1月29日。ISBN 4-00-024217-2。
姜尚中 述 『姜尚中にきいてみた! 東北アジア・ナショナリズム問答』 『アリエス』編集部編、講談社〈講談社文庫〉、2005年5月。ISBN 4-06-275044-9。
『在日一世の記憶』 小熊英二編、集英社〈集英社新書〉、2008年10月。ISBN 978-4-08-720464-3。
『ナショナリズム論・入門』 大澤真幸編、有斐閣〈有斐閣アルマ〉、2009年8月。ISBN 978-4-641-12335-9。

共訳書
『ヘーゲルの政治哲学 課題と展望』 Z・A・ペルチンスキー編、藤原保信ほか訳、御茶の水書房、1989年11月。ISBN 4-275-01361-1。 - 原タイトル:Hegel’s political philosophy.

監修
稲葉茂勝 『韓国』 こどもくらぶ 編、姜尚中 監修、あすなろ書房〈さがし絵で発見!世界の国ぐに 第2巻〉、2011年10月。ISBN 978-4-7515-2672-9。
稲葉茂勝 『中国』 こどもくらぶ 編、姜尚中 監修、あすなろ書房〈さがし絵で発見!世界の国ぐに 第3巻〉、2011年11月。ISBN 978-4-7515-2673-6。

翻訳
강상중; 요시미슌야 (2004-1). 세계화의 원근법 새로운 공공공간을 찾아서. 임성모(任城模)・김경원 訳. 이산. ISBN 8987608352. - 『グローバル化の遠近法』の翻訳。
강상중 (2004-11). 在日. 고정애 訳. 삶과꿈. ISBN 8975946606. - 『在日』の翻訳。

音声資料
姜尚中 『日本とアジアの共生』 日本音声保存〈慶應MCC夕学セレクション〉、2008年10月17日。ISBN 978-4-903478-60-9。 - 商品形態:CD1枚、収録時間:69分43秒。

関連項目
エドワード・サイード
大塚久雄 - 大塚の『共同体の基礎理論』が岩波現代文庫に収録されたとき、解説や大塚から受けた影響を姜が執筆。
杉山光信 - 姜尚中を東京大学社会情報研究所に招聘した。
オリエンタリズム
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
ナショナリズム
ポストコロニアリズム
マックス・ヴェーバー

脚注
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1.^ “「韓国は日本民主党政権とネットワーク構築を」…姜尚中東大教授(1)” (日本語). 中央日報日本語版 (Joongang Ilbo). (2010年3月10日) 2012年10月5日閲覧。
2.^ 平成25年度東京大学名誉教授.pdf
3.^ 姜(2004a)、27-29頁
4.^ a b 金子兜太・F・モレシャン・姜尚中・P・ジローラモ・楊逸・A・ビナード「吉例新春外国人句会--大型新人姜尚中はじめての俳句の巻--『蒲団上げ世界を描くわが粗相』作者はまさかの……」『文藝春秋』89巻3号、文藝春秋、2011年3月1日、160頁。
5.^ 「『悩む力』が100万部の大ベストセラー 姜尚中知られざる「家庭崩壊」 長男の死、妻との「距離」… 本誌記者には「東大を辞め、信仰に身を捧げたい」、『週刊文春』2012年10月11日号、文藝春秋、2012年10月。
6.^ 聖学院大学 次期学長選任のお知らせ 姜尚中全学教授を次期学長に選任
7.^ 毎日新聞. “聖学院大:学長に清水副学長就任 姜尚中氏辞任で /埼玉”. 2015年4月2日閲覧。
8.^ 「諸般の事情」 姜尚中氏、聖学院大学長辞任のわけは、朝日新聞(電子版)、2015年4月9日
9.^ マガジン9とは?
10.^ “市民フォーラム 2016福岡・九州オリンピック計画について考える 招致への期待と懸念”. 西日本新聞 (西日本新聞). (2006年7月11日) 2012年10月6日閲覧。
11.^ a b 韓-日 역사 인식 바꾸자「MBCニュース」2010年1月2日更新、3日閲覧
12.^ 民主党ホームページ:民主党日韓議員交流委員会が設立総会を開く[リンク切れ]
13.^ “韓国に追い越されるかも...日本で危機感増大”. 朝鮮日報 (Chosun Ilbo). (2010年3月10日) 2012年10月6日閲覧。
14.^ “韓中日新冷戦:日本の親韓派議員も「韓国たたき」”. 朝鮮日報 (Chosun Ilbo). (2012年8月20日) 2012年10月6日閲覧。
15.^ 月刊ベルダ2015年1月号
16.^ “「韓国は日本民主党政権とネットワーク構築を」…姜尚中東大教授(2)”. 中央日報. (2010年3月10日) 2010年3月10日閲覧。
17.^ “姜尚中教授、北朝鮮支援不参加による日本の孤立懸念” (日本語). 聨合ニュース (Yonhap News Agency). (2007年10月1日) 2012年10月6日閲覧。
18.^ 2006年12月1日オーマイニュース(韓国語)
19.^ 田中眞紀子、姜尚中「異色対談 格差社会の現実、日本外交の弱点、そして眞紀子総理待望論 田中眞紀子(元外相)×姜尚中(東京大学教授) 安倍政権の"不都合な真実"について」、『現代』第41巻第4号、講談社、2007年4月、 44-53頁。
20.^ 일본은 ‘미국 기저귀’ 벗고 DJ를 배우라 (日本はアメリカ製おむつを脱いで、金大中を見習いなさい)
21.^ 金子兜太・F・モレシャン・姜尚中・P・ジローラモ・楊逸・A・ビナード「吉例新春外国人句会--大型新人姜尚中はじめての俳句の巻--『蒲団上げ世界を描くわが粗相』作者はまさかの……」『文藝春秋』89巻3号、文藝春秋、2011年3月1日、169頁。
22.^ a b 姜(2008a)
  1. 2015/08/22(土) 01:28:54|
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資料 朝鮮(チョソン)その1

古本屋通信     No 1574  8月21日

  
資料 朝鮮(チョソン) その1


 まあ最愛の村井明美さんでさえも 「北朝鮮の運動会のような・・・」 と言って、反北キャンペーンに迎合する時代だ。われらの村井さんがボケる訳がなく、これは不用意に周囲の雰囲気に迎合したのだ。それ程ありもしない「拉致事件」を利用した反北キャンペーンは日本人に浸透しているのだ。

 これに対して我々が単純に北政権を擁護するたたかいを組めばよいのなら、ことは複雑ではない。日本にもチュチェ思想を持ち上げるグループはある。しかし私はこれに同調しない。だがこのグループは低脳たちよりずっとマシである。少なくとも北政権の情報を入手し、それを踏まえて北政権を支持しているからだ。

 日本の低脳たちはひたすら米日帝国主義者の掌で踊らされている。日本における仮想敵国は、かつてソ連であり、次に中国であり、ここ数十年は朝鮮チョソンである。そう、長ったらしい名前を書くことはない。朝鮮チョソンは一つしかないのだ。我々はこの国を非難するにせよ擁護するにせよ、その生ナマの情報を自分の耳で確かめなければならない。

 私は1960年代には平壌放送のリスナーだった。モスクワ放送も、北京放送も、ハノイの声放送も聴いた。また、当時は日本共産党から 『世界政治資料』 が刊行されていた。私は『前衛』よりも 『世界政治資料』 をよく読んだ。日本共産党の翻訳能力は抜群だった。


 今回から少しずつ朝鮮(チョソン)資料を貼っていく。いうまでもなく資料は資料である。コレに対する一々の資料評価はしない。

 東大民青あらためデボーリン氏がまたゴチャゴチャ書いている。外国人の共産党入党(党籍)問題である。私はこれを1848年に遡って論じるつもりはない。日本の現存する左翼党派に外国籍の成員は殆んどいない。規約がどうであれ外国人党員は現実的でないからだ。

 朝鮮を例にとる。朝鮮(チョソン)の民族統一と朝鮮革命は朝鮮人民の手で行われる。その前衛組織も朝鮮人民の問題である。ただ、南の国内に有力な革命党が存在しない現状にあって、私たちはとりあえず朝鮮労働党をこの国の指導政党として認めるしかなかろう。つまり一国社会主義の容認である。

 誤解なきように言っておく。マルクス主義者はブルジョア民族主義者ではない。一国の革命は世界革命に通じなければならない。連続革命である。私は世界革命論者だ。しかしそのことは過渡的な各国共産党の自主独立を妨げない。

 いったい朝鮮革命を成功させるために各国コミュニストは朝鮮労働党に入党すべきなのか。まあ、頭を冷やしてよく考えてご覧。つい脱線してしまった。






朝鮮の声放送  ウィキペディア

朝鮮の声放送  (Voice of Korea)
運営 朝鮮中央放送委員会
設立 1947年3月16日
解散 存続中
在籍国 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮
所在地 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮 平壌市牡丹峰区域戦勝洞
演奏所 朝鮮民主主義人民共和国の旗 北朝鮮 平壌市
特記事項:
1947年3月16日:平壌中央放送局、中国語による海外向け放送を開始。
2001年2月16日:現在の名称に変更。

朝鮮の声放送 各種表記
ハングル: 조선의소리방송
漢字: 朝鮮의소리放送
発音: チョソネソリバンソン
日本語読み:ちょうせんのこえほうそう
英語: Chosŏnŭi Sori Pangsong  Voice of Korea

朝鮮の声放送(チョソンのこえほうそう、英語: Voice of Korea)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の首都平壌から放送されている国外向けラジオ放送(国際放送)。

概説[編集]
現在の名称になる以前は朝鮮中央放送(ちょうせんちゅうおうほうそう・チョソンちゅうおうほうそう)または平壌放送(ピョンヤンほうそう、へいじょうほうそう)とも呼ばれていた。1997年8月から2001年2月まで「平壌放送」(Radio Pyongyang)の名称を朝鮮語以外の言語での外国向け放送で使用していたが、2001年2月より朝鮮語での外国向け放送は「平壌放送」の名称に変更された。現在は、朝鮮語以外の言語での放送を「朝鮮の声放送」(Voice of Korea)と称している。朝鮮中央放送委員会が実施。

送信所[編集]
平壌市:短波、100kW送信機×1台
慈江道江界市:短波、250kW送信機×1台
平安北道球場郡:短波、200kW送信機×10台
咸鏡北道清津市:中波、周波数621kHz、送信出力500kw(日本語放送で使用)

放送言語[編集]
現在は、日本語・標準中国語・英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・スペイン語・アラビア語の8ヵ国語で放送が行われている。
放送開始時には必ず「金日成将軍の歌」を電子オルガンでアレンジしたインターバル・シグナル(IS)と国歌である愛国歌が演奏される。国歌の演奏は放送終了後にも行われていたが、現在は放送開始時のみ。また平壌放送と呼称していた頃は国歌演奏を止めていたこともある。また愛国歌の演奏に続いて「金日成将軍の歌」と「金正日将軍の歌」の合唱を放送する。

日本語放送[編集]
1950年7月10日:日本語放送開始。放送開始当初は、同年6月25日に勃発した朝鮮戦争の戦況を伝える内容が中心だった。
1960年代前半までは、「この国の人民は全てが主人公」といった論調が目立ったが、1967年に唯一思想体系が採択された後は、金日成への個人崇拝が強まり、後に主体思想が確立されると金日成賛美一色となった。
1970年から1972年までベトナムの声日本語放送の中継放送を行っていたこともある。
1990年代後半以降、北朝鮮の電力事情が悪化しているため、頻繁に放送が停波するようになった。すぐに復旧することもあるが長時間、停波している場合もある。放送設備もかなり老朽化しているようである。
2011年4月15日:公式ウェブサイトを開設[1]。

放送表現の変遷[編集]
金日成に言及する際は必ず「偉大なる」あるいは「偉大な領袖・金日成主席(大元帥)」など、最高級の表現が使われる。金正日についても、1980年代以降後継者としての地位が固まると、「親愛なる金正日書記」という表現が固定化、金日成没後には「偉大なる金正日総書記(大元帥)」となった(現在でも単に「主席」といえば金日成、「総書記」といえば金正日を指す)。それに対して金正恩は、最高指導者となったのちも「敬愛する金正恩元帥」と、祖父・父と明確な表現の差異がみられる。

また金正日死去の追悼放送では、「朝鮮労働党党員、人民軍将兵、人民皆に告げる」という冒頭のように、党・軍・政府という先軍政治ゆえの序列がうかがえる。労働新聞とともに、賞賛・非難の方法・文言、個人や機関・役職の序列などに注意すると、幾分かは内情の変化がうかがえる。

1990年代前半頃から、朝鮮の固有名詞(人名・地名など)をアナウンスする際は、全て朝鮮語読みに統一している。このため局名・国名の「朝鮮」も「ちょうせん」ではなく「チョソン」と発音されている。但し、1970年代後半には、「平壌」(ピョンヤン)を「へいじょう」と読んでいた。これは固有名詞が、朝鮮語交じりでは分かりにくい、とのリスナーの声に応えたものであった。ちなみに、韓国大統領府の青瓦台については、2014年現在も「せいがだい」と日本語読みしており、朝鮮語読みの「チョンワデ」は全く用いられない。

また、大韓民国の説明は「南朝鮮」(「共和国南半部」とも)、李明博(イ・ミョンバク)や朴槿恵(パク・クネ)政権[2]はじめ、大韓民国の保守政権は「南朝鮮傀儡(一味・反民族集団)」、アメリカ合衆国は「アメリカ帝国主義」、アメリカ合衆国大統領は「アメリカ帝国主義者」などと放送する場合が、殆どである。

日本の政治指導者についても「日本首相・安倍」などと呼び捨てにするが、訪朝すると「小泉純一郎・内閣総理大臣」「安倍晋三・内閣官房副長官」と敬称・肩書を付ける。また友好訪問や、金父子に贈り物をした日本人も、同様である。

※注(1970年代前半も「チョソン」、「ピョンヤン」の読みを用いていた。当時のIDは『こちらは平壌(ピョンヤン)、朝鮮(チョソン)中央放送局です』。)

現在の放送スタイル[編集]
現在の番組内容は、インターバル・シグナル後「朝鮮の声放送です」が男・女2回繰り返した後で、愛国歌が曲のみが放送(いわゆる「カラオケ」)され、「リスナーの皆さん、只今から朝鮮民主主義人民共和国(チョソンみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく)の首都平壌(しゅとピョンヤン)からお送りする日本語放送を始めます。」と男性アナウンサーが述べた後に、「不滅の革命讃歌」と形容詞が付いた『金日成将軍の歌』と『金正日将軍の歌』の合唱が放送される。

ニュース、労働新聞論評ダイジェストが放送される。その後は牡丹峰楽団による音楽、国内の経済活動等を紹介する番組やリスナーからの「おたよりの時間」、北朝鮮国内の名所案内や放送で使用される用語を解説する「ラジオマガジン」などがある。かつては一日2サイクルの編成でニュースや各番組は別々に構成されていたが、現在は一部番組が異なる場合でもニュースは共通化されており、また2011年11月以降は番組数自体が削減されて音楽中心の内容構成となっている。

朝鮮の声放送の住所は放送中に読み上げられており、日本からも日本語で手紙を送ることができる。「おたよりの時間」では、日本のリスナーが送った投書がよく読み上げられる。コリアウォッチャー辺真一の手紙も「へんしんいちさんから」として読み上げられたことがある。現在は不明であるが、過去には様々な記念品が送られてきたという。また、受信報告書を送ればベリカード(受信確認証)を発行してもらうこともできる(宛先等は後述)。

平壌放送愛聴会(現在活動休止中)などの聴取者団体が存在して、局との交流を行っていた。

1日9時間もの日本語放送は他に例がなく、聴取者は日本人よりも在日朝鮮人を意識した放送だとも言われている。しかし、普段あまり窺い知る事が出来ない、朝鮮民主主義人民共和国の内情を知る上で、唯一の日本語情報源でもある。

かつては深夜24時に放送が終了すると中波(AMラジオ)の周波数により、「工作員向け」で日本人拉致にも使われたと見られる乱数放送(暗号放送、通称:A3放送[3]が行われていたが2000年に終了した[4]。

日本に向けて放送されているのにも関わらず、番組内では、2015年8月15日より対日本時間比で30分遅れとなった所謂「平壌時間」(UTC+8:30)を基準としたアナウンスがなされており、日本時間への言い換え等は一切無い為、注意が必要である。

放送時間(PT) 周波数
06:00-09:00 621kHz、3250kHz、9650kHz、11865kHz
16:00-22:00 621kHz、3250kHz、6070kHz、9650kHz、11865kHz
第1次プログラム 16:00 - 17:00 18:00 - 19:00 20:00 - 21:00 翌朝7:00 - 8:00
第2次プログラム 17:00 - 18:00 19:00 - 20:00 21:00 - 22:00 翌朝6:00 - 7:00 同8:00 - 9:00
周波数:621kHzは中波

※放送時の周波数案内では紹介されていないが短波3250kHzでも放送されている。
季節により、11865kHz 7580kHzの2つの周波がスイッチする。前者が夏季用。後者が冬季用となって居て、同時に送信される事は無い。
621kHzと3250kHzは平壌放送と時間外で共用になっている。

(注)最近の放送では、第1次プログラムではほぼ次の第2次プログラムの放送開始間際(55 - 58分ぐらい)まで放送をしているのに対し、第2次プログラムでは表記終了時間よりも10 - 15分程度早く(45 - 50分ぐらいの段階で)放送を終了している。そのため、第2次プログラム放送終了後から次の第1プログラムの放送開始までの間の休憩(無音)の時間がやや長い。なお、毎日9:00と22:00の放送終了時には第2次プログラム放送終了時のアナウンスが流れ終わってから約30秒後に停波される。
なお、通常は16時を起点として番組を翌日のものに変えるが、12月31日の分に関しては21:00からの放送が最終となり、1月1日は6:00の放送で切り替えている。これは新年特別番組を放送することと元日(新年)になってから大晦日(年末)の話題を取り上げないような配慮となっている。

日本語放送のアナウンサー[編集]
尹昌宇(ユン・チャンウ):元アナウンサーで日本語放送部の責任者。
文政姫(ムン・ジョンヒ):神奈川県鎌倉市出身(神奈川朝鮮高級学校卒業)の元在日朝鮮人である。帰国後、平壌音楽大学卒業。
崔鐘日(チェ・ジョンイル):平壌外国語大学日本語学科卒業。
慎範(シン・ボム):東京都出身の元在日朝鮮人。
呉英淑(オ・ヨンスク)
カン・ソンヒ

過去の日本語放送のアナウンサー[編集]
朴安復(パク・アンブク):1970年代後半にスパイ容疑により銃殺刑となった。
金玉姫(キム・オクヒ)
文春香(ブン・シュンコウ)
鄭セイコウ
リ・へウォン

投書の宛先[編集]
下記の英語・フランス語・朝鮮語の宛先いずれも届く。「D.P.R. KOREA」「R.P.D. CORÉE」は国名(朝鮮民主主義人民共和国)の部分である。
Voice of Korea Japanese service Pyongyang D.P.R. KOREA
Voice of Korea Japanese service Cheonseung-dong,Moranbong district,Pyongyang,D.P.R. KOREA
Voix de Corée service Japonais Pyongyang R.P.D. CORÉE
Voix de Corée service Japonais Pyongyang Cheonseung-dong,Moranbong district,Pyongyang, R.P.D. CORÉE
평양시 조선의 소리 방송 일본어부 D.P.R. KOREA
평양시 모란봉구역 전승동·조선의 소리 일본어부 D.P.R. KOREA
평양시 모란봉구역 전승동·조선민주주의 인민공화국 라지오 및 텔레비죤 방송위원회 일본어방송 D.P.R. KOREA
日本など漢字圏諸国からは下記の漢字や日本語を含む宛先でも届く朝鮮民主主義人民共和国 平壌市 ラジオ・テレビ放送委員会 日本語部
朝鮮民主主義人民共和国 平壌市 朝鮮中央放送委員会 日本語部
朝鮮民主主義人民共和国 平壌市 朝鮮の声放送 書簡係
朝鮮民主主義人民共和国 平壌市 牡丹峰区域戦勝洞・朝鮮の声

受信報告書に対しては良心的な対応である。報告書を送る際、原則として国際返信切手券および返信用封筒の同封は必要ない。場合によっては、日本国内の税関にて開封検査が行われるケースが有る(北朝鮮による日本人拉致問題以降の日本国政府による対朝経済制裁のため、北朝鮮からの国際郵便物は日本の税関によって没収され、返信の郵便物が届かないこともある)が、通常1~2ヶ月間内に返信が届く。

なお、ベリカード受領後も定期的に労働新聞・朝鮮新報・朝鮮日報等の新聞や朝鮮郵票社の切手パンフレット、カード型のカレンダー、朝鮮労働党の歴史について書かれた小冊子『金正日』、年末から新年にかけては、新年の挨拶の手紙と大判の壁掛けカレンダーが送られてくることがある。BCLブームの最盛期も至れり尽くせりで、受信報告書(ただし、金日成を賛美する内容(当時))を送ると、ベリカード(受信確認証)の他に金日成の著書やカレンダーが送られてきた。また、同放送で流される朝鮮歌謡を賛美するとレコードなども送られてきた。当時、日本でもレコード全盛の時代であったが、朝鮮の声放送から送られてくるレコードは、日本のレコードの厚みの2倍程度あり、またケースも薄い紙袋であった。

同放送局は、その放送の特性上受信報告書が「朝鮮民主主義人民共和国 平壌市」だけで届いていた[5]が、平壌放送愛聴会などの聴取者団体が交流を持つに連れ次第に情報が判明し、現在では同放送局の正確な所在地および電話番号も判明し、聴取者とアナウンサーの交流も行われている。

注釈[編集]
1.^ 北「朝鮮の声放送」サイト開設、金主席誕生日に合わせ(聯合ニュース 2011年4月15日)
2.^ 朴槿恵個人に対しては「青瓦台の女主人」という表現が使われる場合もある。
3.^ A3は当時の電波型式の表記法でAMを表す。現在のA3E
4.^ 北朝鮮乱数放送の代表 A−3放送が全廃(アジア放送研究会)
5.^ モスクワ放送が宛先を「Radio Moscow Japanese Section Moscow, U.S.S.R.」とだけ公表していたのと同じ

関連項目[編集]
国際放送
朝鮮中央放送
平壌放送
しおかぜ - 特定失踪者問題調査会が放送する短波放送。

外部リンク[編集]
朝鮮の声放送・インターネット版(公式サイト) - 初期にサイト内のメディア再生に使用されていた"HMSplayer.exe"はマルウェアの疑いがあり(VirSCAN.orgでの"HMSPlayer.exe"問合せ結果)、一部のセキュリティ・ソフトでは駆除対象となっていた。2013年3月頃よりはFlash Playerを使用している。
Discussion of Voice of Korea on North Korea's official website(英語) - 閉鎖。(2008年10月20日時点のアーカイブ)
Voice of Korea(放送全言語の周波数、送信施設など)
北朝鮮乱数放送の代表 A−3放送が全廃(アジア放送研究会)
  1. 2015/08/21(金) 13:21:19|
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臨時業務連絡

臨時業務連絡


   通信 No 1566 『さざ波通信』 (党員用討論欄) のクマさんの論稿
  通信 No 1567 鵜崎義永 (故人 元専従党員)の党中央委員会への意見書
  通信 No 1568 植田さんの父君の党への手紙



  以上の三本の記事は、いずれも 『さざ波通信』 からの転載でしたが、これを倉庫に移管しました。移管先は [通信 No 50 カスタマーレビュー] です。

 これらはもともと資料としての転載でしたが、それにしても長文過ぎてブログとしてのバランスが毀れてしまったのです。これをこのまま放置すると、他の記事が読みづらくなりました。よって以上のようにしました。ご了解を乞う。

 尚、この業務連絡は以後一ヶ月、この場所に残すことにします。

  1. 2015/08/20(木) 01:23:03|
  2. 未分類

永年党員と50年党員

古本屋通信    No 1570   8月19日

  
 永年党員と50年党員



 日本共産党員には入党30年目で永年党員証書が与えられ、さらに入党50年目で50年党員証書が与えられるらしい。私は1965年の入党だから、1970年に「脱落」 していなかったら、ちょうど50年党員で表彰される年に当たる。今日そのことに気が付いた。

 「脱落」の経過は既に詳しく書いたから繰り返さないが、要は離党でも除名でもなかった。転籍の握り潰しだった。形式としては除籍の処理なのだろうが、私は今でも地区委員会事務所に未処理の転籍届けが残っているのではないかとさえ思う。こういう規約違反は当時多くの地区委員会であったと後で知った。私の場合、転籍届けに長文の中間機関批判を添えたのが地区委員会の逆鱗に触れたのだ。私の批判の内容は一昨日転載した「意見書」のようなものだった。つまり機関を批判するような学生上がりの党員は追放するという事だった。私はコレを不名誉なことだと思った事はないから、再申請も再入党もしなかった。

 しかしこれで以後50年の私の個人生活が変わったことはある。ただし私は党と切れてしまうことはなかった。赤旗日刊紙はずっと購読したし、濃淡の差こそあれ、それをずっと読んできた。これは私のブログの読者にはご理解いただけるだろう。赤旗だけでなく、私は社会運動史、とりわけ党派関係の書籍には目を通してきた。だからこのブログの記事も書ける。


 ここで唐突なことを書く。と云っても私の想いである。私はこの50年間、自分がずっと日本共産党員であった気がするのだ。五十年間党費を払い続けてきたら、総額は数百万円になっただろう。倹約できてよかったとつくづく思う。これは皮肉でも当て付けでもない。本当にそう思うのだ。つまり私は自分では50年間ずっと党員のつもりなのだ。

 私は散々党批判の文章を書いてきた。しかし千を超えるこれらの文には、共産党に対する憎しみや怨念は看て取れないだろう。元東大民青さんは「いまだに愛情を失っていない」 と書き、私をアホ扱いにした。私はコレを甘んじて受ける。

 このところ3日連続で 『さざ波通信』 の記事を転載した。こういう文も日本共産党の(傍流ではあるが)財産であろう。私も悪びれることなくその末席を汚したい。

 きょうは栄えある私の50年党員の記念日なのだ。ひとり店でアイスクリームを食いながら、この日を祝った。




  1. 2015/08/19(水) 10:59:20|
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高校野球の思い出

古本屋通信    No 1565   8月17日

  
 高校野球の思い出



  いまの労働者の職場の詳細は知らぬが、1970~1980年代の職場はギャンブルが花盛りだった。私のいたF書店もそうだった。主なものは麻雀、競輪、ボートで、そのいずれもやらず「趣味は読書だ」というのでは仲間に入れて貰えなかった。私は麻雀をせず競輪だった。当時まだゴルフは誰もやらず、賭けゴルフが流行ったのは私が退職して後であった。

 これらのギャンブルは年中絶えることなく続いたが、これとは別にシーズン賭博として高校野球賭博があった。やり方の詳細は省くが、春夏の甲子園大会では必ずやった。組み合わせの発表があったら即座にハンディー表を作成して、それを半ば公然と職場に廻すのである。一試合ごとの勝敗は云うに及ばず、連勝単式、連勝複式、その他あらゆる投票方式があった。男子の殆んどが乗った。職制も乗った。社長はさすがに乗らなかったが、「(職務時間中に) やっても構わないが、俺に見えないようにやってくれ」 と公言していた。私が乗らなかったのは高校野球情報を持たなかったからだ。この賭博は一事業所にとどまらず、関連企業を横断した。つまり母体が大きければ大きいほど、払い戻しは安定した。断っておくが誰も25パーセントのショバ代は取らなかった。掛け金の総額は一シーズンで数十万になっただろう。月給が 5万円の時代だ。
この項は既に30年以上前で時効だから書いたが、こういう遊びは当時じつに多くの職場でされていた。暴力団の資金源になる場合を除いて検挙された例は殆んどなかったろう。賭け麻雀と一緒だ。但し例外は別件逮捕というやつだ。民商の弾圧なんかには持って来いだったろう)。

  野球賭博には既にプロ野球賭博があった。しかし私の職場に限らず、流行らなかった。これは当時は暴力団絡み以外ではなかったろう。こういう恒常的な野球賭博は職場向きではなかったのだ。聞いた事もなかった。

 高校野球賭博を非難する気はない。ギャンブルというのは資本主義の職場では最大・最高の息抜きであろう。経営者も安心して推奨した。

 野球賭博と賭け麻雀はずっと続いた。しかし競輪とボートはやがてご法度になる。Sという営業担当の次長が会社の売り上げを競輪に流用したのだ。使いこみ総額は5千万を超えた。この トバッチリで、玉野競輪前売り券を業務時間中に買う事は禁じられた。

 高校野球の安心な点は八百長がない事である。次の一球がストライクかボールか、誰にも特別な情報はない。 だから賭けに適している。暴力団の資金源にはプロ野球、高校野球ともあるが、後者では暴力団員が選手や監督と「出来ている」事はありえない。

  少しずづ書いていこう。

 何時だったか、岡山大安寺高校があわや岡山県大会(予選)を突破しそうになって職員室がパニックに陥ったことは既に書いた。どうしても負けてもらわなければならなかったのである。幸い負けた。
この記事は既に消えていた。一言で云うと金がなかったのだ。岡山から兵庫の西宮までバスをチャーターしていく。応援団を含めて最低3台、その金がない。岡山でこうだ。東北から幾ら懸かるか。大震災のなか甲子園に出場したのは美談でもなんでもない。キチガイであった)。

 F書店時代の私の営業地域は四国が多かった。高校回りなのだが、進学中心の高校を回ったので、甲子園出場高校に当たることは少なかった。しかし高知県の高知学芸高校、愛媛県の宇和島東高校と今治西高校が出場した記憶がある。私はその練習と野球部員にとても関心があったので、進路指導室で突っ込んで訊いた記憶がある。その辺りの事もいつか書きたい。

 それから組合(高教組)が甲子園大会をどう捉えているかだが、あくまで流れに逆らわない方針らしい。野球部も他の文化部・運動部も変わらない。その県大会と全国大会も同じという考え方だ。私は全ての部活動において全国大会を禁止すべきだと思うが、高校現場にしてみれば、長い歴史のうえにある今を急に変えることには消極的だ。しかし負担は感じている。



  1. 2015/08/17(月) 07:43:23|
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これの何処が問題なのか?

古本屋通信    No 1559   8月13日

 
 
 これの何処が問題なのか、私はまるで分からない



朝日新聞デジタル
在日韓国人男性に「勤務先は北か南か」 採用面接で質問
2015年8月13日03時04分
 岐阜市の外郭団体の理事長が4月、嘱託職員の採用面接に来た在日韓国人の男性(63)に対し、当時勤めていた学校について、「ここは北か南か」と質問をしていたことが12日、分かった。市は文書で「人権侵害」を認め、謝罪した。
 団体は市営施設を管理運営する公益財団法人「岐阜市教育文化振興事業団」。「少年自然の家」で指導補助をする嘱託職員の採用面接だった。
 応募した男性は、履歴書の職歴に、大阪府茨木市にあるインターナショナルスクール「コリア国際学園」を記載。理事長は4月15日の面接で、この学校について「ここは北か南か」「どういうところから生徒が来ているのか」などと質問した。男性は「韓国と北朝鮮のどちらを支持しているのかを聞かれていると感じ、うろたえた」と話す。結果は不採用だった。





   古本屋通信

 まず最初に。採用試験であろうがなかろうが、一般的にひとは他人に国籍を聞いてはならないのか。それは時と場合によっては失礼になることはしばしばあるだろう。然しそれ以上に許されない差別的質問なのであろうか。

 私は欧米人を見て国籍が分からない場合は多い。「あなたはアメリカ人ですか、それともイギリス人ですか」 は許されないのか。朝鮮人が同じ民族でありながら2つの国家に分断されて、いずれかに所属していることは知っている。しかし2つの国家が事実上存在しているという前提に立てば、あなたは「北ですか、それとも南ですか」 は国籍を聞く質問として、欧米人への質問と変わるまい。私は朝鮮人を特別扱いにしなければならない理由が分からない。


  あなたの以前の「勤務先は北か南か」 はその延長で考えたらよいのではないか。私の古本屋が他人を雇用するケースはないが、仮にも規模が万歩書店並みであったら、常に採用を補充しなければならない。在日朝鮮人が採用に応募してきたら、私はさいてい「北ですか、南ですか」とは訊くだろう。私の場合はもともと「南」を国家として認めていない。だからと云って採用に差を設けることはしないが、参考までに必ず訊くだろう。訊いて何処が悪いのか、さっぱり分からない。

 企業採用においては、ふつうは訊かないで調べるのではないか。訊くのは何となくヤバイから。しかしこの方が余ほど悪質だろう。

 同じ民族が2つの異なる国家に分断されている現実は不幸である。その民族にとってはもちろんだが、かれらを受け入れる側にも少なくない戸惑いをもたらす。しかしこの現実はその民族自身によってしか変えることは出来ない。当事者でない日本人は現実を追認するしかない。

 最初に戻る。岐阜市の件は差別ではない。従って謝罪したのはあやまりであろう。

 実はこういう平凡な件を取り上げたのは、直前板のデボーリン氏との論争も関係があると思ったからである。どう関係するか書けば、話は再度混乱だろう。読者への問題提起に留めたい。
  1. 2015/08/13(木) 06:05:34|
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