番外 再録 古本屋通信 No 1372 3月31日 革共同関西派の速見論文について 去る3月25日に通信 No1360で紹介させていただいた速見論文には、その政治的レヴェルの高さにおいて多く教えられた。然し私は掲載に当たってこう断わっている。 「今回の転載も資料としての掲載であることに変わりはない。氏の見解に態度保留する点も多くある ことを付記しておきたい」。 私が違和感というより、とうてい容認できないと思ったのは以下の部分だ。 「自己責任」論と罵倒 湯川さんと後藤さんが「イスラム国」に拘束されていることが判明して以降、「自己責任」論が吹き出した。「危険な場所に勝手に行ったから政府には救出する責任はない。自己責任」という論理だ。ジャーナリストは、ある程度危険が予測される場所にも取材に赴く。それは官製の報道では伝えられない事実を伝えるためだ。 「自己責任」論とは、国家の言うとおりに黙って従っていればいい、という論だ。 自民党の高村副総裁は、国家に従わずに危険地帯に取材に行った後藤さんの行為は「蛮勇」だと罵った。 これは速見論文にとっては枝葉末節、いわば非政治的部分だろう。だから私は掲載時にはやり過ごした。この論文もまた安倍政権の批判に重点が置かれており、後藤健二の行動はいわば犠牲者のそれとして見逃されている、というより容認されている。然しこれは決定的に誤っている。アレコレ書けば私の話は後藤の狂気、つまり健康な精神を失った精神異常者のそれとして糾弾しなければならなくなるのだが、それだと際限がなくなるので、上記引用の赤字部分にかぎって述べよう。 速見文はオメデタイこと限りがない。よくもこんなノー天気な文が書けたなと思う。たぶんジャーナリズム関係をご存じないのだろう。いったい後藤健二がこれまでの「ジャーナリスト」人生でどういう飯の食い方をしてきたか、まるで想像力が及ばないらしい。然しそれは速見氏だけではなく、全ての「善意」の論者がそうだろう。私は怖くて身震いする。 後藤健二に僅か3、4冊の著書がある。汐文社から出版されている児童書だ。これの原稿料・印税が年間どれくらいになるかご存知か。本当に少ないのだ。計算しなくても分かる。中東に出かける交通費が席の山だろう。ならば「ジャーナリスト」後藤はどうやって生きているのだろうか。少しは想像してみたらどうか。そもそも新聞記者サラリーマン以外のフリージャーナリストに、海外で商売がマトモに成立するとでも思っているのだろうか。国内のフリーランス (色々なレヴェルがあるが、一般に雑誌記者、ルポライターなどという種族) なら雑誌に記事を売る。しかし後藤の記事を何処の通信社や雑誌が買うというのか。匿名記事でもあるというのか。絶対にあり得ない。速見氏は決定的な事実誤認をしている。 戦場に出かけるフリージャーナリストやフリーカメラマンは例外なく胡散臭い商売人である。ヤクザ商売以外ではあり得ない。後藤についての具体は分からない。10分間のビデオテープを数百万円で流すとの噂がある。これは殺戮現場や死体写真だろう(これを買うとしたら欧米の情報機関くらいしかなかろう )。これくらいしないと生活できない。立ち居地は必ず殺人者の側である。「正義」の立ち居地などあり得ない。後藤の子供向け著書など全てマヤカシである。欺瞞である。これくらいが見抜けなくてどうして左翼と云えようか。しかしこんなこと、左翼なら容易に想像が及ぶだろうに。 それとも、後藤の存在自体がアメリカもしくは有志連合のいずれかに買われた存在である可能性もある。これは永久に藪の中だろうが、白だというなら後藤の生活費の収支決算を明示してもらいたいものだ。いずれにせよ 「ジャーナリストは、ある程度危険が予測される場所にも取材に赴く。それは官製の報道では伝えられない事実を伝えるためだ 」は究極のオメデタ観察である。中東はもちろんのこと、世界中どこを探しても正義の味方、子供たちの心を伝える不偏中立の戦場ジャーナリストなどあり得ない。 後藤健二は死の商人だった。もちろん湯川春菜も。もともとペニスを切り落として戦地に赴き、武器を売って一旗あげようと企んだ精神異常者と、それにまといついて金儲けを企んだ二人の狂気にマトモに付き合った日本人は余程のお人好しだったろう。二人はそれに相応しい結末を辿ったに過ぎぬ。 然し私が本当のことを書けたのは事件後2ヶ月経った今となってだった。それほどまでに日本の言論をめぐる狂気は進行している。この拙文とて、革共同関西派論文を批判する文脈だからこそ書けた。そういう意味では速見氏に迷惑をかけた。お詫びしたい。 安倍政権批判に後藤健二見殺しを挙げるのは決定的に誤りである。安倍の戦争する国づくりがどうであれ、人質決着それ自体に全く問題はなかったのである。巨悪(安倍)を批判する文脈において、個人悪を免罪すれば巨悪の実像が鮮明化すると思うのは錯覚である。かえって見えるものまで見えなくなったのが今回の人質事件だったと思う。
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2015/03/31(火) 03:33:29 |
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古本屋通信 No 1370 3月30日 なぜ坂井(平野 ) 希のツイッターはこんなに魅力的なのか。 これは私の下手な注釈を付けてはいけない。ただ味わって読んでください。坂井希さんとは、云うまでもなく日本共産党中央委員会勤務員の坂井さんですが、ここではそんなこと関係なく、一人の若いお母さんです。ツイッターの絵には二人の小学生男児があります(古本屋通信 )。 坂井(平野)希 @nozomi_ski 小5・小2の2人の個性派息子の母。政治関係のお仕事してます。関心あるトピックは子育て・教育、雇用、原発、JAL問題、メディア論など。主にニュースや読んだ本の感想、思わず笑った子どもの一言をつぶやきます。 東京都西東京市 2010年4月に登録 坂井(平野)希 @nozomi_ski · 15時間 15時間前 年度末の休日出勤。民放テレビが朝からついてるけど、司会・キャスター・アナウンサーが「今日の放送を最後に番組を卒業します」っていうのが、すごく耳につく。卒業って学校じゃあるまいしと不愉快になる。「〇〇さんに交代します」「バトンタッチします」でいいのでは? 坂井(平野)希 @nozomi_ski · 3月27日 朝から泣いた泣いた…。 Life is an Adventure――この、勇気わくメッセージに貫かれた、すばらしいドラマでした。 半年間、ありがとう! #マッサン坂井(平野)希 @nozomi_ski · 3月27日 前RT。いい傾向。18歳選挙権の実現も近そうだし、若い世代の安倍暴走ノーの声をハッキリ示そうよ。 坂井(平野)希さんがリツイート 辻 慎一 @s_2ji · 3月26日 「サンデー毎日」で「東大合格者810人」の「合格の秘訣」。普段は見ないのだけど、アンケート項目に「安倍政権にひと言」というのがあって読んでみたら、「戦争前々夜くらいの雰囲気がして不快」「集団的自衛権行使は絶対に行使すべきでない」「戦争だけは繰り返させない」というのがズラリ。 坂井(平野)希 @nozomi_ski · 3月27日 唯一読んだことがあるのは『しあわせの書』。このトリックは超びっくりで、この本ほど読後何度も前の方から見返した本は記憶にない。ミステリ好きは必読だと思う。 “@BotKururi44 @tamagawakaoru 豊島区立中央図書館では28日から泡坂妻夫展を開催いたします。” 坂井(平野)希さんがリツイート 海苔王 @nori_bomber · 3月25日 俺も自衛官試験時に「軍」って言ったら担当官に怒られた RT @koyounoyooko: かつては共産党が国会で「軍事費」という言葉を使うと、大臣が「軍事費ではない。防衛費だ」とわざわざ訂正したほどだったのよ。首相が自衛隊を国会で「我が軍」と呼ぶなんてありえないことだったはず。 坂井(平野)希さんがリツイート 坂井和歌子 @waka929 (ありゃ、妹さんだ。古本屋通信 ) · 3月25日 これはあまりにもひどい。今のうちにノーと声に出さないといけない。既成事実にさせてはだめ。ほんとにおかしいぞ、安倍内閣!→菅氏「自衛隊も軍隊の一つ」 首相の我が軍発言巡り - 朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASH3T3TZKH3TULFA00T.html … 坂井(平野)希 @nozomi_ski · 3月25日 月9の「デート」よかった~。最初はみる気なかったけど、友人の強烈なプッシュで2回目から。時間軸が細かく動くんだけど、それが絶妙。とくに最終回の21年前の出来事にはやられた! ドタバタコメディと見せかけ、人を好きになるって何だろうと真摯に問いかける素敵なドラマでした。 坂井(平野)希 @nozomi_ski · 3月23日 全国民必読 国税が笑っている ついに「マイナンバー制度」がスタート この10月からあなたの「収入と資産」は丸見えです http://bit.ly/1bmGqIo 坂井(平野)希 @nozomi_ski · 3月23日 この記事よかった。 "@kosodateikuko: 介護保険のように、利用者と事業者の直接契約を狙っていた。それが破たんしたことはよかったけど弊害はいろいろ 東京新聞:保育必要 認定証来ても 入所不可:社会(TOKYO Web) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015032302000144.html …" 坂井(平野)希さんがリツイート 小曽館 育子 コソダテ イクコ @kosodateikuko · 3月23日 東京新聞の、今年の待機児童の調査結果。認可保育所がこれだけ求められているのに、いまだ少子化だから…というような江戸川区のような姿勢の自治体があることが悲しい… http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015032302000146.html … 坂井(平野)希 @nozomi_ski · 3月22日 おめでとう。しかし、せっかくニュースにするなら、もう少し中身を書いてほしいなあ。 「科学の甲子園」、渋谷教育学園幕張高が優勝 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG22H2N_S5A320C1CR8000/ … 坂井(平野)希さんがリツイート れなれな @1oxjiji07 · 3月18日 実は…高校を卒業する前に、 作家•宮部みゆき先生の新作小説の表紙を 黒板で描かせていただいたんです!! 坂井(平野)希 @nozomi_ski · 3月18日 映画「ソロモンの偽証・前篇」をみた。テンポもよく、緊張感に満ち、面白い。配役をきいたときは原作のイメージと違うと感じたモリリンも、これはこれでうまくはまっていた。 後篇をみるのがとっても楽しみ! 坂井(平野)希 @nozomi_ski · 3月15日 ドラえもんの映画を子どもたちとみてきたんだけど途中うとうとしてしまった。残念。それだけ平和で安心感ある空間だったってことか。ドラえもんのキャラが昔とはずいぶん変わっている。保護者ではなく友だち。幼児にわかりやすい単発ギャグもやや多すぎ。一抹の寂しさを感じるオールドファンです。坂井(平野)希 @nozomi_ski · 3月14日 大塚家具の内紛には興味ないけど、このマンガはうまい。家具屋姫(笑) 2015/3/14 毎日新聞 坂井(平野)希さんがリツイート r i o n @ri_on0044 · 3月13日 翁は究極の「子供に良かれと思って」色んな事をする親だ。姫に対し終始そういう態度で生きる。多分彼を「姫の事を思い、大事にするとても良い親」だと見る人は沢山いるだろうな。そうとしか感じない人には、絶対に見えないものがこの作品には描かれている。 #かぐや姫の物語 #ntv 坂井(平野)希さんがリツイート 追い詰められたエルサbot @e_lsabot · 3月13日 明らかにおかしい急成長を「たけのこみたい」で済ませる子供達の無垢さは見習いたいものがあるわね・・・私も自分の事を製氷機みたいで済ませていれば悩み苦しむ事も無かったのかしら・・・・・・・・ 坂井(平野)希さんがリツイート スタンリー@金曜ロードSHOW! 公式 @kinro_ntv · 3月13日 台詞のほとんどはプレスコで収録されましたが、映像が完成した段階で改めて必要になったセリフはアフレコで収録されました。その際、亡くなった地井武男さんの代わりに翁の声を演じたのが三宅裕司さん。本当に自然な演技に感動してしまいます!
2015/03/30(月) 05:22:17 |
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古本屋通信 No 1362 3月27日 矢木明氏の年賀状(1979年) 元日本共産党岡山市議で詩人の矢木明氏の年賀状が出てきたので貼っておく。宛先は私ではない。古本の宅買いの書籍と一緒に出てきたものである。紙類を一括して買い上げたのだから、所有権はもちろん古本屋にある。年賀状の印刷書面は私信の文書に当たらないと見做しうる。矢木氏の場合は詩表現である。 迎春 1979年元旦 若水を汲んでなど子供は知らぬ 雑煮もほしがらない おせち料理の生活の知恵も 感じない 開けましておめでとう と テレビが教える 何かよい事はないかと 改った顔をする新年 今年は気持の年ではない 平和をまもり、くらしを守り 未来をひらく行動の年 二一世紀をめざす行動の年 一九七九年 おめでとう 岡山市議会議員 国労岡山地本準専従役員 矢木明 岡山市津島本町16-3 あて先 市内津島新野 6-32 松本健次様(仮名) 古本屋通信 3年ほどまえ、河田正一さん(現岡山市議)のブログで、矢木さんが施設に入所されるという話を知り、古本とりわけ詩集を買いに飛んで行った。果たして矢木さんはおられた。しかし書架はすでに空っぽだった。同業者が別々に二人きてもち帰ったということだった。私はそれでも残り物を数冊タダでいただいた。 もち帰った一店が次のシンフォニー古書まつりに出品した。矢木さんの蔵書は蔵書印など押してなかったが、それとすぐわかった。私は詩集に限ってだが、片っ端から買った。本人の数冊のほか、岡山の詩人から贈られた詩集があった。くにさだきみも、沖長ルミ子も。くにさだの詩集には矢木さんのエンピツの書き込みがあり、それは酷評だった。私はそれを宝にしていた。 昨年、私は手持ちの詩集の全てを処分した。同業者に売ったのである。その同業者が再びシンフォニー古本まつりに詩集を出品した。どれだけ売れたかは聞いていない。しかし確かに出品していたと生協の I 田さんから聞いた。私はいま矢木さんの健在を確認できていない。
2015/03/27(金) 03:32:50 |
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古本屋通信 No 1360 3月25日 資料・革共同再建協議会 『未来』 (2月25日掲載分の続き) いわゆる革共同関西派の機関紙に掲載された速見論文を転載させて頂いて、今日でちょうど一ヶ月経った。たったいま 『未来』 を見ると、その続編が掲載されていた(有志連合下で派兵・参戦狙う(上) があったのかも知れないが、今となっては転載できないことをお断りしておく)。 引き続いて転載させて頂く。ありがとうございます。 尚、私は個人的には速水論文に教えられることが多いが、今回の転載も資料としての掲載であることに変わりはない。氏の見解に態度保留する点も多くあることを付記しておきたい。 また、前回掲載から時が経過しているので、後半に前回分を再録した。通しで読んで戴ければ幸いである(古本屋通信 )。 視座 人質2人を見殺しにした安倍 有志連合下で派兵・参戦狙う(下) 速見 賢三 「『イスラム国』対策」は戦争である アメリカも安倍も、「テロリストには屈しない」と言い続けるが、「イスラム国」はひと握りの「テロリストのグループ」ではない。広大な領土を実効支配し、行政機構を持ち、軍隊を持ち、それなりの民衆の支持を集め支配している「一国」そのものだ。「イスラム国」と対峙するということは、「ひと握りのテロリストグループ」を相手にするのとはわけが違う。戦争だ。 安倍は、「2億ドル」発言で、「イスラム国」に宣戦布告をおこなったのだ。安倍政権は果たしてどこまでその認識をもっていたのか、決意と体制を持ってのぞんだのか。そもそもわれわれは、「『イスラム国』との戦争」を聞かされていない。誰が決めたのか。安倍が勝手に決めて良いのか。人道・難民支援を妨害 中東各地で人道支援・難民支援をおこなっているのは安倍政権でもなんでもない。その多くがNGOの活動だ。これまで日本はイスラム世界から、「戦争をしない国」として評価されてきた。従って中東諸国のムスリム(イスラム教徒)は日本に対しては比較的友好的であった。しかし湾岸戦争、イラク戦争あたりから、アメリカ支持を明確化させ始めたことでムスリムの意識も変化し始めている。そして今回の安倍演説で、「『イスラム国』との戦争」を明確化させたことで、NGOなどの難民支援活動に困難が生じ始めている。日本からのNGOスタッフが身の危険を感じざるを得なくなり、活動をセーブせざるをえなくなっている。安倍のやっていることは、人道支援・難民支援ではなく、その妨害だ。 実態はグレーゾーン ところで、安倍のいう「『イスラム国』と戦う周辺諸国への2億ドルの拠出」の実態はどうか。政府の発表によれば、医薬品や食料、仮設住宅建設などの人道支援・難民支援も含まれてはいるが、「テロリストや武器の流入を防ぐための高性能の監視カメラを周辺国の国際空港に設置するなどの国境管理費用」という軍事や治安とのグレーゾーンも含まれている。安倍政権の発表を鵜呑みにすることはできないが、政府発表ですら「グレーゾーン」の部分がかなり含まれているのだ。そして、実際に中東の各国に拠出されたものが、そのまま人道支援・難民支援に使われるかどうかは不明である。 さらに2月17日に岸田外相が発表した「テロ対策支援を1550万ドル(約18億円)に倍増」では、「国境管理、当局の捜査能力の向上、テロ対策装備」に当てるとしている。これは、「人道支援・難民支援の2億ドル」の中の「国境管理費用」と何ら変わらない。「2億ドル」には「テロ対策費用」も含まれていたことがはしなくも暴露された。 本当に人道支援・難民支援に拠出しようと考えるなら、日本が使用目的をあらかじめ明記することはやめるべきであり、また周辺諸国に軍事目的の転用をさせないことが必要であり、そのためにはNGOやイスラム諸国の赤十字に相当する赤新月社などに委ねるしかない。安倍の言う「2億ドル」は、人道支援・難民支援を口実に、「『イスラム国』と戦う周辺諸国への支援」であると多くのムスリムは感じている。「人質殺害」を待っていた安倍政権 安倍は単に何もできなかったわけではない。人質を見殺しにしただけでもない。むしろ「イスラム国」に人質が殺害されることを予期して、それを契機に「イスラム国」の残忍さを最大限アピールして民衆に恐怖心を植えつけ、「イスラム国」と戦うこと、テロと戦うことがあたかも正義で必要であるかのように錯覚させ、安全保障体制を一気に強化しようと企んでいた。二人の命を、安倍がやりたい戦争体制の強化に使ったのだ。実に卑劣である。 そして矢継ぎ早に、 ①邦人救出のための自衛隊派遣 ②日本版CIAの創設 ③海賊対策を口実に設けたアデン湾に面したジブチの自衛隊拠点を、多目的使用に変更し、恒久的海外軍事基地拠点にする ④周辺事態法から「周辺」という地理的概念を失くし、米軍以外の他国軍への支援もおこなえるようにし、給油、武器・弾薬の供給も可能とする ⑤自衛隊の海外派兵を、これまでの「特措法」ではなく、いつでも派兵できるように「恒久法」にする ⑥ホルムズ海峡の機雷掃海 ⑦これまでのODA(日本政府の途上国支援)を見直し、他国軍への支援も非軍事に限って可能とする(人道支援・難民支援と同じ手口)。さらにODAで軍事援助も可能にする ⑧2016年の参議院議員選挙の後に改憲の発議をおこなう ⑨渡航自粛要請、さらにシリアに行こうとしていたフリーランス・フォトグラファーの杉本祐一さんにパスポート返納命令を出し、実質的な渡航制限、取材禁止をおこなった ⑩さらに、「イスラム国」に「罪を償わせる」という「報復宣言」をし、「イスラム国」との戦争に前のめりに突き進んでいる。「自己責任」論と罵倒 湯川さんと後藤さんが「イスラム国」に拘束されていることが判明して以降、「自己責任」論が吹き出した。「危険な場所に勝手に行ったから政府には救出する責任はない。自己責任」という論理だ。ジャーナリストは、ある程度危険が予測される場所にも取材に赴く。それは官製の報道では伝えられない事実を伝えるためだ。「自己責任」論とは、国家の言うとおりに黙って従っていればいい、という論だ。 自民党の高村副総裁は、国家に従わずに危険地帯に取材に行った後藤さんの行為は「蛮勇」だと罵った。しかし一方、日本国家は、兵士が戦争で国家のために命を落としたら、「国のために命を捧げた英霊」として祭り上げるのだ。「靖国」に祭り上げ、「国民は同じように国家のために命を差し出せ」と言うのだ。 安倍は、「最高責任者は私」と豪語し「人命最優先」と言っていたのだから、二人を救出できなかったこと、「国民の命」を守れなかったことに謝罪し、首相を辞任するのが筋である。 後藤さんの母親は何度も安倍との面会を求めたがことごとく拒絶された。いまだに「お悔み」のひとつすら言おうとしない。 なぜ「イスラム国」は伸長したのか なぜ「イスラム国」が伸長し、ムスリムの中に一定の支持を拡大しているのか、そしてついには「一国」にまで勢力を伸ばしたのかを見なければいけない。それは、もはや決死の戦いにしか希望を見いだせないほどにまで、欧米帝国主義諸国がムスリムへの侵略と殺戮をおこなってきた結果であろう。石油資源の宝庫である中東は、アメリカの世界支配にとっては不可欠であり、アメリカはあらゆる手段を使って支配し続けてきた。時には独裁政権に資金や武器を豊富に提供し、従わなければ武力で崩壊させてきた。時には、反政府武装勢力やイスラム主義勢力にも武器や資金を提供してきた。中東支配のために、何度も戦争を仕掛け、無数の人々を殺戮し難民に追いやってきた。 それは、アメリカやヨーロッパに暮らす多くのイスラムの人々が感じている現実でもある。差別と迫害にさらされ、仕事も見つからず、居場所がなく希望を見出せない。3万人とも4万人とも言われる人々が、「イスラム国」に「義勇兵」として駆けつけている現実はそれを物語っている。 欧米帝国主義諸国が言う、「自由・人権・平和・民主主義」はムスリムには適用されない。このダブルスタンダードに対して、「イスラム国」は西欧型の民主主義も人権もことごとく否定する。キリスト教やユダヤ教、欧米の文化や価値観も否定する。アメリカや西欧は、そして今回、日本も加えられたが、ことごとく否定の対象とされた。しかしかれらによる「無差別のテロや殺害」とされるものは、アメリカ(とそれに加担する西欧諸国や日本)が作り出した結果なのだ。戦争とテロの応酬 アメリカのオバマ政権は、「イスラム国」への空爆を強め、地上軍の派兵も含めた戦争の拡大を検討し始めている。日本も含めた欧米諸国が、「テロとの戦い」と称して「イスラム国」や「原理主義勢力」に対して、空爆や地上戦も含めた攻撃を強化すればするほど、それは一般のムスリムに多大な犠牲を強いる。 一人の「テロリスト」を殺害するために、何十人何百人の一般民衆が犠牲とされる。こうした無差別殺戮をおこなえば、それへの報復として「イスラム国」や「原理主義勢力」は、欧米諸国や日本の民衆や、キリスト教徒やユダヤ教徒まで攻撃する。そして空爆や地上戦で家族を奪われた人々は、「イスラム国」に兵士として身を投じる。これらはすべて、アメリカの理不尽な中東支配とそこでのおこないがもたらした結果である。それを改めない限り「テロ」は無くならないのだ。むしろ憎悪の連鎖が拡大し、「戦争とテロ」の応酬が続く以外にない。有志連合下での日本の参戦、空爆と地上戦を許すな アメリカやヨーロッパ各国では「テロ防止」の名の下に、政府に批判的な意見を持つ人々やイスラム教徒に対して、無差別の監視と逮捕・拘禁、射殺が始まっている。 中には全く無関係の人も含まれており、抗議の声が上がっている。「テロとの戦い」に異を唱えるものはすべてテロリストの同調者とみなす弾圧が始まっているのだ。日本でも無縁ではない。公安警察はイスラム教徒への監視を強め、民主党も共産党も二人の人質事件の際に安倍政権への批判を「自粛」した。「テロとの戦い」であれば何をやっても許されるという風潮が始まっている。安倍権を倒せ 今回の事態を通して、我々の住む日本は、安倍の勝手な「宣戦布告」によって、「イスラム国」との戦争に引きずり込まれた。このことをはっきりと認識しなければならない。日本は戦争の当事国になったのだ。「テロとの戦い」の名のもとに、日本は本当に戦争をするのかが問われている。ムスリム殺害の加害者となることを拒否し、そして被害者にならないためにも、安倍政権を打倒し、アメリカや西欧のムスリムへの戦争と殺戮をとめよう。なによりも自国・安倍政権の参戦を許すな。空爆と地上戦を許してはならない。 そして「戦争とテロの応酬」を乗り越える道は、民衆自身の自己解放、自己決定に根ざした「アラブの春」の闘いを、イスラム社会においても、欧米や日本においても、目に見える形で実現することだ。(おわり) 革命的共産主義者同盟再建協議会| HOME > 今号のトップへ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 再録 古本屋通信 No 1310 2月25日 資料・革共同再建協議会 『未来』 視座 アラブの春と「イスラム国」 米帝の中東政策支える安倍 速見賢三 「イスラム国」による日本人人質事件は、アラブ人民、ムスリム人民に敵対する形で、日本が中東情勢に深々とかかわっていることを衝撃的に明らかにした。本稿ではまず、イスラム教系の武装勢力が伸長してきた歴史的経緯を明らかにしていきたい。そして「イスラム原理主義運動」が支持を拡大している社会的背景を考察する。はじめに アメリカがフセイン政権を武力で打倒して親米政権を打ち立てたイラクでは内戦が激化し、その中で「イスラム原理主義」を名乗る「イスラム国」が勢力を伸ばし、北部の油田地域から首都バクダッド近郊にまで迫っている。これにヨーロッパを中心にしてイスラム教徒のみならず、「イスラム国」に共鳴する多くの若者が「義勇兵」として加わっている。こうした事態に直面した欧米諸国は、「テロの脅威・恐怖」を煽り立て、激しい空爆を加えている。 さらに1月7日にはイスラム教を揶揄する風刺画をくりかえし掲載してきたシャルリー・エブドなどが襲撃を受け、17人が死亡する事件が起こり、11日にはフランスで約370万人が「表現の自由を守れ」と叫ぶデモをおこなった。フランス政府が「テロとの戦い」を打ち出すなかで、反イスラムデモ、移民排斥デモがくり広げられ、それに対抗するデモも頻発している。そしてモスクなどのイスラム系の人々への襲撃も相次ぎ、またユダヤ人への襲撃も相次いでいる。ついで1月20日、日本人が「イスラム国」の人質となり身代金が請求される事件が発生した。 「テロとの戦い」の名のもとに、「アルカイダ=イスラム原理主義=テロ組織=イスラム教徒はその温床」という図式が作りだされ、欧米諸国は「イスラム原理主義との戦争」のかけ声のもと、イスラム民衆との戦争につき進んでいる。 本稿では、欧米諸国は中東とイスラム民衆をどのように支配し抑圧を加えてきたのか。その中で、「イスラム原理主義」運動が何ゆえに生みだされ、力を持ち、膨大な武装をなしえたのか。そしてどのような経緯をたどって「イスラム国」は生まれたのか。今起こっている問題の本質は何であり、われわれはどのような態度と立場を取り、何が問われているのかを考えてみたい。Ⅰ 歴史的背景 ソ連のアフガン侵略 ソ連がアフガニスタンへの侵略戦争を開始したのは1979年。当時のアフガニスタンの親ソ連政府に対する民衆の抵抗運動が激化する中で、これを潰すためにソ連は軍事介入をおこなった。しかしそれはアフガニスタン民衆の抵抗運動をより激しくさせ、ムジャヒディン(ジハードを遂行する者)が生まれる。アメリカはソ連を包囲し影響力をそぎ落とすためにムジャヒディンを支援し、武器や資金を大量に援助した。この時に、アメリカの支援を受けてビンラディンなども参加している。戦争は89年まで続いたが、最終的にソ連は撤退を余儀なくされた。 しかし親ソ連政権に代わって新たな政府を樹立する基盤が存在せず、アメリカから供与された膨大な武器を持つグループの間で内戦が激化し、そして「イスラム原理主義」勢力のタリバンが全土の実効支配をおこなうようになったのが96年である。タリバンはビンラディンなどのアルカイダを受け入れ、タリバン政権が「イスラム原理主義」勢力の基盤となっていく。 イラン・イラク戦争 ソ連のアフガニスタン侵略と同じころ、79年にイランで親米政権を打倒するイスラム革命が起きた。欧米各国そしてソ連も、それが中東全域に波及することを恐れ、その圧殺のために動いた。隣国のイラクのフセイン政権に膨大な軍事援助をおこない、80年9月にフセイン政権はイランを急襲したが、イランの反撃にあい、戦争は88年まで続いた。しかしこの過程で欧米の軍事援助を受けたフセイン政権は中東の軍事大国に成長した。 湾岸戦争 8年も続いた対イラン戦争で、経済的にも疲弊したイラクのフセイン政権は、欧米の援助によって軍事大国化した軍事力を使ってクエートに侵攻し、併合することで、石油資源の確保に走った。しかしそれは、アメリカの中東支配を揺るがしかねないものであり、意に沿わないフセイン政権に対して、アメリカは多国籍軍を組織し、91年1月に湾岸戦争に踏み切り、クエートから撤退させ、フセイン政権に多額の賠償と経済制裁を負わせた。 「9・11」 アルカイダがおこなったといわれている2001年「9・11」。ハイジャックした航空機を使った世界貿易センター(ツインタワー)とペンタゴン(国防総省)突入の反米テロは、アメリカをはじめ西側諸国を恐怖にたたきこんだ。アメリカ・ブッシュ政権はその直後の10月、アルカイダの基地になっているとして、アフガニスタン戦争に突入し、タリバン政権を崩壊させた。しかし安定的な政権基盤はできず、いったんは追いやられたタリバン勢力も盛りかえしはじめ、ますます不安定になっている。 フセイン政権の打倒 さらにブッシュ政権は、「イラン・イラク・北朝鮮はテロ国家・悪の枢軸」と世界中に言い放ち、「イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を持っている」と一方的に決めつけて、2003年3月20日にイラク戦争を開始し、フセイン政権を崩壊させた。しかしその後、フセイン政権は大量破壊兵器など所持していなかったことが判明し、まさに戦争を仕掛けるためにこじつけた理由でしかなかったことが明らかになった。しかし、アメリカの庇護の下に形成されたマリキ政権は、フセイン政権の基盤であったバース党を追放し、シーア派重視の姿勢を取リ続けたため、スンニ派やクルド人などの反発は強く、安定した政権基盤を確立できなかった。そしてイラクを武力で制圧していた米軍が2011年12月にイラクから完全撤退するや急激に不安定に陥り、「イスラム国」の伸長が始まった。 「アラブの春」 さらに2010年12月にチュニジアからエジプト、リビア、シリアなどアラブ世界全体に波及した民主化を求める「アラブの春」にアメリカは介入した。リビアでは民主化勢力が弱いので、「アラブの春」に乗じて、反米のカダフィ政権を打倒するために、原理主義勢力に武器と資金を供与して打倒したが、その結果、いまや私兵化した勢力同士が抗争する無政府状態に陥っている。 またアメリカはシリアでも、アサド政権を「アラブの春」に乗じて打倒しようとした。だが西欧志向の民主化勢力といわれる「自由シリア軍」は勢力が弱く、アメリカは原理主義勢力に武器と資金を提供してアサド政権を攻撃させたが、民衆の無差別殺戮をもたらし、アサド政権、「自由シリア軍」、原理主義勢力の間の内戦に突入している。 アフガニスタンも、イラクも、リビアも、シリアも、一定の安定的な政権としてなりたっていたものを(もちろん各々の政権がどれだけ民主的であるのかどうかは問題があるとしても)、アメリカがさまざまな理由をこじつけて暴力的に打倒した結果、権力基盤が崩壊し空白となったなかで、イスラム原理主義勢力が伸長したのである。 こうして今や、中央アジアから中東全域、アフリカのナイジェリア・ケニアに至る広大な地域に、広範な「イスラム原理主義」運動のネットワークが形成され、その領土的基盤がシリアとイラクにまたがる地域を実効支配している「イスラム国」なのである。Ⅱ アメリカの中東政策と「イスラム原理主義」 原理主義の伸長 アメリカの中東支配は中東の石油支配を貫くということであった。そのくさび・拠点がイスラエルであった。パレスチナ民衆が生活する土地を暴力的に奪い取って建国したイスラエルは、イスラム民衆にとっては決して認めることはできないのであり、イスラム諸国は何度も戦争に打って出たが、アメリカの支援のもとにあるイスラエルに敗北し、エジプトのムバラク政権をはじめ中東の各国は和解の道に進み、パレスチナの孤立化が図られた。 もう一方でアメリカは、サウジアラビアなどの王族国家を支援し、親米に回らせ支配を固めていった。そして反米のイラン政権に対抗するために、イラクのフセイン政権も支援し、アメリカの中東支配体制を作っていった。この支配体制を維持するために、原理主義勢力にも武器や資金を提供し、意に従わない政権を攻撃させてきた。 このように、アメリカのいう「テロ勢力」とは、アメリカが中東支配のために、原理主義勢力に武器や資金を提供してきた結果として生みだされたのであり、アメリカの意に従わないとなれば、「テロ集団」と決めつけて、恐怖を煽って攻撃を正当化するという許しがたいものである。 民衆の支持 ではなぜ、多くの民衆が「イスラム国」や原理主義を支持するのか。 第1に、アメリカの石油支配、中東支配のために、イスラエルを徹底して擁護し、イスラエルに歯向かう政権には戦争で屈服させて、アメリカの意に従う政権を打ち立て、従わなければ理不尽な言いがかりをつけて戦争を仕掛けて打倒する。こうした民主主義も基本的人権も守らないやり方に怒りが蓄積している。 第2に、そのためには無差別の爆撃・攻撃を日常的に繰り広げ、膨大な一般市民を犠牲に晒してきた。何万、何十万、何百万もの人々が殺され、あるいは家も土地も奪われて難民となっている。 第3に、アメリカにたてつく人々を見つけだすために、理由なき連行と拷問・殺害をくり広げてきたことである。CIA(中央情報局)が12月9日に発表した拷問の実態報告書で明らかにされたように、ブッシュ大統領の命令のもとでアメリカ国家が、まさに中世を彷彿とさせるような行為をおこなっていたのだ。しかも訴追しないと決定した。 犯罪を犯しても裁かない国家は民主国家・法治国家ではない。最も裁かれるべきはブッシュであるが罪に問われないというのだ。拷問は世界中のアメリカの秘密施設でおこなわれ、この「拷問ビジネス」で100億円も稼いだ者がいる。武器・兵器・銃のビジネス、軍事顧問や傭兵ビジネスなど、無差別の人殺しで富を得ることが当たり前の社会とは異常である。アメリカこそが「テロ国家」なのである。Ⅱ アメリカの中東政策と「イスラム原理主義」(承前) アメリカへの怒り 第4に、アメリカの意に従う時には、独裁政権にも「原理主義」運動にも武器や資金を供与して支えるが、意に従わなくなった途端に手のひらを返したように「テロ集団」といいなして攻撃を加えて叩き潰すやり方に、イスラム民衆の忍耐はもはや限度を超えたのである。 第5に、多くのイスラム民衆が戦争の結果、難民として、あるいは生活のために西欧各地に移民として移り住んだが、イスラムに対する日常的な差別と迫害に晒され続けていることである。フランスなどでは、公共の場でのヒジャブ(イスラム教徒の女性が顔を覆うスカーフ、ベール)の着用が法律で禁止されている。 法も正義も通用せず、今やイスラム民衆全体を「テロ集団」とみなし、侮蔑し、迫害し、平気で殺害する欧米にたいし、他の手段がないなかで、多くのイスラムの若者が「原理主義」運動に共感を持ち参加していったことは容易に想像できる。そしてそれがついに、「一国」を形成するに至ったとき、欧米各国で同じような仕打ちを受け、同じ思いで暮らしてきたイスラム系の人々を一気に惹きつけたのであろう。 そしてアメリカへの怒りと憎しみ、反米の気持ちは、西欧式の文化、宗教など欧米の在り方そのものの否定へと進む。アメリカが無差別殺戮を正当化すれば、「原理主義」勢力も欧米のジャーナリストなどへの無差別テロを加える。こうした連鎖が続いているのである。そしてアメリカをはじめとする軍事介入は、ますます内戦を拡大させ、テロ以外に手段を見い出せない人々はますますテロに傾斜する。西欧各国が「テロとのたたかい」を拡大すればするほど、それは世界中に広がっていく。安倍政権もそこに足を踏み入れようとしている。 「イスラム国」 まずは、数多くのイスラム民衆が、テロに突き進まざるを得ない、強いられた歴史と現実を見据えなければいけない。その上でしかし、「イスラム原理主義」運動は人間の普遍的解放をめざすものではないと言わねばならない。「イスラム原理主義」運動は、西欧やアメリカへの激しい憎悪に基づく攻撃を繰り返しているが、それは根拠をもっている。 しかし、欧米、ソ連、イスラム諸国の利害の結果、国民国家を形成することすら認められず、迫害され続けてきたクルド人に対する攻撃など他民族を抑圧している。また宗派の違う人々への迫害もくり返している。さらには、女性の権利や教育を認めず、外出も制限している。そして女性や子どもの人身売買や、12月16日の子どもたち148人の無差別殺害などは決して許されないものである。 欧米諸国は、こうしたことをクローズアップして、イスラム教への恐怖を煽っているが、「イスラム原理主義」運動のこうした思想や行動はイスラム教の本来の教えでは決してない。この思想や行動は、人種、民族、宗教、出自、性の違いを越えた人間の普遍的解放をめざすものではない。 「イスラム国」には、純粋に「イスラム原理主義」を信奉して集まった人もいるが、必ずしもそうではない。打倒されたフセイン政権のバース党関係者なども混ざっている。イスラム民衆のアメリカや西欧に対する激しい怒りの土壌の上に、それと戦おうと命を投げ出す覚悟を持つ青年たちの結集の上に、イスラム教の教義のもとでイスラム国の建設をめざすという理想を掲げながら、打倒された旧政権の支配層なども集まっているのが実態である。 さらに、「イスラム原理主義」勢力は、「イスラム教的世界の実現」を掲げているが、それはイスラム民衆が強いられている差別と迫害からの解放の本質たりえず、また普遍的人間の解放の道でもない(後述)。Ⅲ 「イスラム原理主義」とアラブの春 「表現の自由」とは 「表現の自由」は近代民主主義社会においては、最も重要な権利のひとつである。なぜそれが大切とされたのか。それは、権力による情報統制と言論弾圧を許さないということに本質がある。「表現の自由」とは、国家権力が表現を奪うことへのたたかいが本質である。その上で、「表現の自由」とは、何を言っても構わないということでは決してない。まず、事実にもとづかないデマや捏造は「表現の自由」ではない。 さらに、人種、民族、出自、性、文化、宗教への冒涜や誹謗中傷は許されない。それは「表現の自由」ではなく「ヘイト表現」である。京都朝鮮第一初級学校への在特会らの襲撃事件において、在特会は「表現の自由」を主張したが、裁判所は「表現の自由」にはあたらず、ヘイト・スピーチと認定した。国連もヘイト・スピーチの法規制を日本政府に勧告している。 在特会のような露骨極まりないヘイト・スピーチまでいかなくとも、ギリギリの表現が「表現の自由」「言論の自由」の名のもとにまかり通っている。週刊誌では毎号のように、「売れれば何でも良い」とばかりに、「反中」「嫌韓」「愛国心」に関わる煽動のセンセーショナルな見出しが踊っている。それらを法規制すべきかどうかは別として、言論人・報道人は社会的責任を負っている。 風刺も然りである。風刺とは、権力者を揶揄することで、民衆がそれを見て密かに笑い溜飲を下げることに意味があり狙いがあるはずである。しかし、力を持つ者に対してではなく、力のない者、虐げられている者、文化や価値観の違う人たちに向けられた時には、それは風刺ではなく、からかい、侮蔑、罵りに過ぎなくなる。風刺画でイスラム教を嘲り、侮辱をくり広げれば、鬱積したイスラム民衆の怒りがそれに向かうのは必然である。もちろん、たとえ「ヘイト表現」であろうと、テロによって「解決」を図ることは許されないことは言うまでもない。 イスラム民衆への差別 今回のテロ事件を引き金に、「テロとの戦い」が叫ばれれば叫ばれるほど、反イスラムデモや移民排斥デモが勃発し、それはイスラム民衆への襲撃や虐殺を深刻化させている。そしてそれへの報復テロはキリスト教徒やユダヤ人に向けられている。 しかし問題の本質は宗教対立にあるのではない。アメリカをはじめとする帝国主義の中東支配とそのためのイスラム民衆に対する差別と迫害である。資本主義諸国による中東と世界の搾取と収奪、その中での差別と迫害に根本原因がある。したがって、大国の利害のためにイスラム民衆におこなってきたすべての歴史への謝罪と清算抜きに問題は解決しない。アメリカや西欧諸国が、イスラムにたいしてどのような仕打ちをくり広げてきたのか、差別し迫害を加えてきた歴史と事実を真摯に見つめ、それを改めることからしか始まらない。 したがって、キリスト教的世界の実現や、ユダヤ教的世界の実現、イスラム教的世界の実現の中に解決の途があるのでもなければ、その中に人間の普遍的解放の道があるのでもない。特定の宗教の原理主義的絶対化は、他宗教の信者への抑圧と迫害に必ずつながるからだ。 「イスラム原理主義」運動が、女性や子どもを抑圧し、クルド人やユダヤ人などへの攻撃を正当化する根拠はここにある。しかしこうした無差別テロや攻撃は、帝国主義による抑圧と迫害の本質を見誤らせ、民族的宗教的対立を激化させ、民衆同士の殺し合いを生み出すものでしかない。民族的、宗教的迫害を加える帝国主義支配の打倒をめざさねばならない。 「社会主義国」の変質 「イスラム国」にイスラム民衆の支持と共感が集まるのは、人間の普遍的解放をめざすこれまでの思想と運動が荒廃した結果ではないだろうか。共産主義への支持が失墜した結果、「イスラム原理主義」がイスラムの民衆にとっての希望と解放の思想になっているのではなかろうか。 かつてイスラム諸国の中には、相当程度、共産主義勢力が影響力を持っていた。パレスチナ解放人民戦線(PFLP)や79年イラン革命の主力となったフェダイン・ハルク(イラン人民義勇戦士)などがそうである。しかし、ソ連崩壊以降、ソ連が「社会主義」の名のもとにおこなってきた農民や少数民族への弾圧、強制移住と抑圧の実態が暴露され、同じく「社会主義」を名乗るカンボジアのポルポト政権による数百万人の虐殺の実態が暴露された。さらに戦後のアジアの民族解放運動の後背地となってきた毛沢東の中国が、「社会主義」とは似ても似つかぬ共産党独裁によって、党の幹部が国営企業などの利権を独占して新自由主義政策を進め、一方労働者農民は飢えに苦しむという驚くべき格差社会の進行の中で、共産主義・社会主義への信頼と期待は失われていった。 われわれは反スターリン主義を掲げてきたから無縁とは決して言うことはできない。共産主義運動全体がその責任を問われているのであり、われわれもその責任を負っているのである。こうした中で、それに代わるイデオロギーとして「イスラム原理主義」に期待が集まり、実際に激しい反米テロを繰り返す中で相当数の民衆の期待を集めてきたのであろう。もちろん、その一方で、他宗教や他民族、従わない人々への残忍な仕打ちは、大きな反感と怒りも買っている。 未完の民衆革命 2010年12月にジャスミン革命と呼ばれたチュニジアの暴動から始まった民衆の抗議行動は、瞬く間にアラブ諸国全域に波及していった。デモなどの動きがほとんどなかったのは、カタールとアラブ首長国連邦ぐらいであった。大学を卒業しても就職できない若者が中心となり、失業、人権侵害、政府の腐敗への抗議行動が火を吹き、2011年2月にはエジプトのムバラク政権が打倒された。イスラム諸国の民衆による、貧困の廃絶と平等、自由と民主主義を求める民衆革命であった。 「アラブの春」あるいは同時期の2011年の「ウォール街占拠」は飢えや貧困を廃絶し、自由と民主主義と平和を求める、民衆の民主主義に根ざしたたたかいであった。権力によって封殺されてしまったこうしたたたかいを、いかにして復権させていくのかが問われている。 こうした民衆運動の力による社会変革こそが、戦争や暴力によって決着をつけようとする社会のシステムに対抗する道ではないだろうか。富の一極集中とその一方で飢えと貧困に苦しむ膨大な人々を生み出す新自由主義を廃絶しなければならない。平和と人権と民主主義を社会の中に打ち立てなければならない。(おわり) 革命的共産主義者同盟再建協議会| HOME > 今号のトップへ
2015/03/25(水) 17:39:52 |
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古本屋通信 No 1358 3月25日 ランキング、ますます??? たった今、今日の古本屋通信のランキングを見てびっくり、もう何がなんやら分からない。急上昇する心当りは全くない。なら他人に何か異変が起こったのか? どうもそうは思えない。気持ちが悪いが、どこからか標的にされているのだろうか? まあ、このまま様子を見るしかないか。嬉しくないのは事実である。 古本屋通信のランキング ブログ 120位 (昨日:236位 ) / 147,234人中 店長ブログ 1位 (昨日:7位 ) / 3,417人中 更新日時 2015 / 03/25 06:47 で、昨日の調子でアクセスを辿っていったら、250 みたいでした。コレ変でも何でもないか。ちょっと安心しました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そのご正常化されましたので報告 しておきます。これが実力です。過去2日間は私のブログに何か突発的な事が起ったのでしょう。例えば党中央委員会が共産党趣味者を総チェックするとか。ならば名誉なことです。 古本屋通信のランキング ブログ 396位 (昨日:120位 ) / 147,651人中 店長ブログ 12位 (昨日:1位 ) / 3,391人中 更新日時:2015 / 03/26 06:48
2015/03/25(水) 08:02:19 |
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古本屋通信 No 1357 3月24日 さっぱり解せないランキング 3日間連続して、手抜きでブログ記事を書いた。そこらへんのネタをひねりもせず貼ったやっつけ記事だ。正直言って、手抜きをやってランキングが何処まで下がるか見てやろうという想いがあった。で、昨日久しぶりに [店長ブログ] が20位を超えた。よしよし、この調子だ。下がれ下がれ。 たったいま今日のランキングを見た。えっ、一瞬目を疑った。史上最高ではないか。一度 9位になった事はあったが、一度きりだった。全体のランキングは300番台までだった。いったいどうなっているんだろうか。 古本屋通信のランキング ブログ 236位 (昨日:652位) / 147,234人中 店長ブログ 7位 (昨日:23位) / 3,417人中 更新日時:2015/03/24 06:48 で、こういう機会ですから、自分のアクセス数がどれほどなのか、ランキングの「お隣さん」を覗いて見ることにしました。だいたい半数の方が他人にも見えるアクセス実数・カウンターをつけているようです。ただしランキングとアクセス実数は一致しませんから、確かな自分の数字は分かりません。まあ、凡その目安を知って納得するだけです。 まずブログから (数字は過去3日の連続) Life,Love,Painさん 226 276 293 サラリーマン900万借金返済さん 108 111 126 やまさんのお気楽雑記帳さん 129 111 126 無料トレンドマップ漫画さん 361 317 298 つぎに店長ブログから フレンド商会さん 368 338 333 ジオな美容師さん 220 212 143 以上を見ても、自分のアクセスは依然として定かではないのですが、まあ150という所 でしょうか。そんなこと気にするならカウンター付ければよいのですが、顧客を増やすための記事は書きたくない想いも強いもんで、今までつけないで来ました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 参考までに日本共産党地方議員の方のブログアクセス数を転記しておきます。表示が現れる方のみです。 田中のぞみさん 6 11 16 須増のぶ子さん 15 10 14 これを見て少ないと思われるでしょう。私の意地悪? いいえ、私がのぞみさんや須増さんに意地悪する訳がありません。更新がマメでない地方議員はこんなものです。その他の岡山市議にはカウント表示がありませんでしたが、更新が多い竹永さんと林君がこの2倍でしょうか。東君はツイッターだけ、河田さんのはもっと少ないでしょう。 ところが更新のマメな方は以下のように増えます。 田辺昭夫さん 昨日 48 田儀公夫さん 昨日 48 福木京子さん 昨日 47 私はずっと見ていますが、この3人は毎日更新の活動報告で、この数字が安定しています。減りも増えもしません。そして私はこの数字が優秀な地方議員の平均だと思います。つまり土佐高知さんのようなハミダシ記事を書かない以上、これから大幅に増えることはないと思います。読者の8割は岡山在住の共産党関係でしょう。これは私のような全国的なテーマで書かれるブログとは違います。これでいいと思います。 あっ、それから福山市議の河村さんのブログは(すでにカウンターを取り除いていますが)一時アクセスが150もありました。ローカルとしてはピカイチでした。で、私は徹底的に褒め上げたのですが、最近では褒めるのを止めています。もしかしてプレッシャーになるのではないかと。だって休もうにも休めない。まあ自惚れだとは思うけれどね。普通に活動報告を書いてたら、どんなに頑張っても100を超えることはないと見るのが常識でしょうね。吉良さんなんかのミーハーファンは別ですが、国会議員だって知れていますよ。 それから別件になりますが、私は村井明美さんのツイッターを観察していて、これの取り扱いに大きな疑念を持つに至りました。これは村井さんを批判するということではなく、徹底的にやります。今日も観る安部批判のデタラメの数々。これは単なるお喋りクラブを超えて、党解体に至る病、いわば 「死に至る病」 を内包していますね。しかも緊急です。出来るだけ早急に取り上げるつもりです。
2015/03/24(火) 08:44:22 |
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古本屋通信 No 1355 3月22日 苅田アサノのハガキ(2枚目) 苅田アサノのハガキの1枚目を紹介したのは通信 No 1307 (2月25日) だった。約1ヵ月後に2枚目が出てきた。前回は県北の勝北町の町長宛だった。今回の宛先は津山市福渡町で、消印は昭和29年1月14日となっている。このころ福渡が津山市だと初めて知った。当時津山はオセをしてたんだな。以下ハガキの文面の全文(印刷) と添書き(万年筆)。 新年おめでとうございます 賀状のついでに失礼でございますが、私どもは去月廿六日に細川嘉六夫妻の晩酌で結婚いたしました。今後とも協力して平和と民主と独立のために働く覚悟でございますから、相変わらず御指導と御厚誼を御願い申上げます。 先は右略儀ながら御挨拶まで。 なお当分の間引きつづき各左記の場所で従来通りの仕事を続けますことを申しそえます。 一九五四年一月一日 東京都世田谷区経堂町六三 堀江邑一 岡山市放送局通西町 江田方 苅田アサノ 今日はお忙しい中をいろいろお世話いただきましてありがとう存じました。遅れて失礼でございますが、挨拶状をおとどけいたします。 十三日夜 表書き 津山市福渡町 前原まさよ様 (仮 名) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ウィキペディア 堀江邑一 堀江 邑一(ほりえ むらいち、1896年12月18日 - 1991年11月24日)は、日本の経済学者。専攻はソ連経済、マルクス経済学。妻は元日本共産党衆議院議員の苅田アサノ。日ソ協会(現・日本ユーラシア協会)顧問などを務めた。 来歴[編集] 戦前[編集] 徳島県の出身。京都帝国大学経済学部を卒業後、同大大学院に進学し河上肇の一番弟子として彼の薫陶を受ける。1926年に高松高等商業学校(現・香川大学経済学部)教授となり、翌年ドイツへ留学しベルリン社会科学研究会(後のベルリン反帝グループ)に参加、ドイツ共産党へも入党した[1]。また、1933年には上海の東亜同文書院に留学するが、この時高商時代の政治活動を理由に検挙、留学から半年足らずで内地へ戻ると共に教授職を辞す。 その後外務省や昭和研究会の嘱託に就任。昭和研究会では尾崎秀実や松本慎一と親交を深めたほか、1930年代後半以降は『中央公論』及び『改造』に中国関連の論文を多数発表する。1939年4月には南満州鉄道(満鉄)調査部の嘱託となるも、唯研事件に関与した疑いで特高に逮捕。同年末まで拘留された後、大連の満鉄本社調査部へ赴任するが、1942年9月治安維持法違反で関東軍憲兵隊に検挙され、約2年間にわたり留置を余儀なくされる(第1次満鉄調査部事件)。1944年5月に内地釈放となるものの上京を認められず、山梨県の疎開先で終戦を迎えることとなる。 戦後[編集] 終戦程なくして日本共産党に入党、1947年の参院選で全国区(同党公認)から出馬するも当選には至らなかった。サンフランシスコ講和条約締結直前の1950年9月4日、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の命により、他の共産党幹部とともに占領政策違反で逮捕される[2]。その一方で日ソ親善活動にも尽力し、日ソ図書館長や日ソ学園理事長などを歴任。日ソ国交回復から20年が経過した1976年、山本薩夫らと日ソ平和条約締結促進のアピールを出したことでも知られる[3]。 1991年11月24日、肺炎のため埼玉県所沢市の病院で死去した。94歳。奇しくも堀江の死の翌月、ソ連邦が崩壊した。 エピソード[編集] 上海留学時に言語学者の陳文彬と知り合い、帰国後も家族ぐるみの付き合いを行う。東京都世田谷区経堂の堀江の自宅で文彬の子が預けられることとなるが、その1人が後にNHK中国語講座の講師を務める陳真である。 ソ連シンパであった堀江だが、1938年11月号の同誌には「国共合作の楔、三民主義」と題し、ソ連が日本と満洲国を包囲する目的で国共合作を遂行したと記している。また1940年2月号の『中央公論』誌に「ソ連対支政策の動向」という論文を寄せ、その中で「ソ連はわが北樺太利権に対して近来益々露骨なる不法圧迫を加え、日ソ漁業条約暫定協定締結についても言を左右にして誠意を示さず、遂に昨年内取り決めを不可能ならしめた」と記している。『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』には堀について、つぎの副題が付けられている 堀江邑一(経済評論家・日本共産党員)“ソ連、日本侵略”の警鐘を乱打 — 『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』全貌社、昭和32年 主著[編集] 単著[編集] 『戦後世界情勢の分析』(研進社、1948年) 『資本主義と社会主義』(ナウカ社、1949年) 『ソヴエト経済論』(研進社、1949年) 『民主主義と社会主義』(労働教育協会、1949年) 共著・訳書・編著[編集] コンスタンチン・ポポフ著『日本の技術的経済的基礎』(ナウカ社、1935年)直井武夫との共訳 エム・エヌ・スミツト著『統計学と弁証法』(ナウカ社、1936年) ヴェ・セレブリャーコフ著『独占資本と物価』(清和書店、1937年)団迫政夫との共訳 エム・イー・カザニン著『支那経済地理概論』(日本評論社、1938年) 中国農村経済研究会編『現代支那の土地問題』(生活社、1938年) ロンドン王室国際問題研究所編『英国の観た日支関係』(清和書店、1938年) 『大英帝国当面の諸問題』(清和書店、1938年) 『囘想の河上肇』(世界評論社、1948年) レーニン著『国家と革命』(国民文庫社、1952年) レーニン著『帝国主義論』(国民文庫社、1952年) ヴァルガ=メンデリソン共著『帝国主義論にかんする戦後の新資料』(大月書店、1954年) 脚注[編集] 1.^ 当時の同志に国崎定洞がいる。 2.^ 日本労働年鑑 第25集 1953年版第二部 労働運動五編 労農政党法政大学大原社会問題研究所 3.^ 平和条約締結促進の取り組み日本ユーラシア協会 参考文献[編集] 『市民・社会運動大事典』(日本図書センター、1990年2月)ISBN 4-8169-0916-8 野田正彰『陳真 戦争と平和の旅路』(岩波書店、2004年12月)ISBN 4-00-023828-0 鶴見俊輔監修『平和人物大事典』(日本図書センター、2006年)ISBN 4-284-10000-9 C0500 大門正克『全集 日本の歴史 第15巻 戦争と戦後を生きる』(小学館、2009年3月)ISBN 978-4-09-622115-0 苅田アサノ 苅田アサノ(かんだ あさの、本名:堀江アサノ(ほりえアサノ)、1905年6月21日 - 1973年8月5日)は日本の政治家、婦人運動家、著述家。元衆議院議員(日本共産党公認、1期)。夫は元日ソ協会副会長の堀江邑一。 来歴[編集] 岡山県津山町(現・津山市)生まれ。生家は代々地主の家系で、学生時代からロシア文学及び社会主義思想に傾倒し、日本女子大学国文科を卒業後の1931年、日本共産党に入る。 入党以降財政面で支援を行うものの、1933年に治安維持法の疑いで検挙。転向の後1935年に出獄すると東洋経済新報社などを経て、1938年には郷里の岡山県に戻り西日本製紙に勤務する。 戦後は日本共産党に再入党し、1949年の衆院選に旧岡山1区から出馬し初当選を果たす。しかし再選を期した1952年の衆院選に落選し、以降2度衆院選に挑戦するも返り咲きはならなかった。 戦前から晩年まで一貫して婦人解放運動に身を投じ、新日本婦人の会や日本婦人団体連合会、国際民主婦人連盟など婦人団体にも参加。1973年8月5日、脳腫瘍のため東京都渋谷区の代々木病院にて死去。68歳。 政歴[編集] 1949年 - 第24回衆議院議員総選挙 岡山1区 43,208票 当選(13名中2位) 1952年 - 第25回衆議院議員総選挙 岡山1区 12,285票 落選(13名中11位) 1953年 - 第26回衆議院議員総選挙 岡山1区 13,125票 落選(13名中11位) 1955年 - 第27回衆議院議員総選挙 岡山1区 15,154票 落選(8名中8位) 参考文献[編集] 「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(日外アソシエーツ、2003年) 細川嘉六 細川 嘉六(ほそかわ かろく、1888年9月27日 - 1962年12月2日)は、日本のジャーナリスト・政治学者。元日本共産党参議院議員。 経歴・人物[編集] 富山県下新川郡泊町泊(現朝日町)出身。小学校の代用教員を経て、東京帝国大学の小野塚喜平次を頼って上京。新聞配達をしながら錦城中学校に通い、第一高等学校を経て1917年に東京帝大法学部政治学科を卒業。小野塚の紹介で住友総本社 に入るも、ジャーナリストの夢捨て難く読売新聞社に入社。 更に1919年、高野岩三郎の紹介で東京帝大経済学部助手となり、高野が大原社会問題研究所設立に伴い所長として招かれると細川も大原社研入りする。 大原社研では1925年から1926年にかけてドイツ・フランス・イギリス・ソ連に留学し、ソ連で片山潜の知遇を得る(この時片山から米騒動の研究を薦められ、帰国後に米騒動の資料収集と研究を始める)。また大阪朝日新聞記者の尾崎秀実や立憲民政党の衆議院議員だった風見章とも知己となり、その後協力して「支那研究室」を運営してもいる。 しかしながら、こうした交友関係は官憲から左翼的・共産主義的と見られることも多く、1933年には共産党シンパ事件の余波で治安維持法違反容疑で検挙、1941年にもゾルゲ事件に絡んで検挙されている。1942年には『改造』誌上に「世界史の動向と日本」を発表、この論旨を巡って陸軍報道部に摘発され、細川は元よりかねてより交際のあった『改造』『中央公論』の編集者や研究者が逮捕された(横浜事件)。 終戦後の1945年9月4日に保釈、9月10日に横浜事件に関して免訴となる(なお同年11月、細川が中心的よぴかけ人となって横浜事件の被害者33名が共同で神奈川県特高を特別公務員暴行傷害罪として告発、1952年4月に最高裁判所で特高警官3名に有罪判決が下った)。 1947年4月の第1回参議院議員通常選挙で日本共産党公認で全国区から出馬、当選して初代の党国会議員団長となる。1950年の第2回参議院議員通常選挙でも当選するが、1951年9月に占領政策に反したとして逮捕される。不起訴処分となったが、公職追放(レッドパージ)を受けた。 同年、風見章の後援を得て「アジア問題研究所」を設立し主宰、また別に「国際事情研究会」(のちにジャパン・プレス・サービス社)を創立。 日中友好協会の設立にも尽力し、日中の国交回復に後半生を捧げた。また、大内兵衛とともに、大月書店版の『マルクス エンゲルス全集』の監訳者としてマルクスの文献の普及に努めた。
2015/03/22(日) 03:52:35 |
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古本屋通信 No 1354 3月21日 朝鮮・臺灣・満洲 一昨日少し買取りがあった。三年ほどまえに大量に売って戴いた方で、まだ残っていた地理の本を売りたいといわれる。さっそく拝見に行ったら、戦前・戦中の古書が2棚残っていた。三年前は戦後の蔵書の約半分を処分されたが、これは書庫(別棟)の本だった。今回は母屋の二階だった。ずいぶん大きな家だろうと思われるかも知れないが、決してそうではない。ごく普通の質素な佇まいである。私は大邸宅の家から本を買った経験はない。たぶん豪華な家の住人は本を読まないのだろう。 売主は旧制東京高等師範学校の戦中の卒業生だった。卒業後は教師にならず、岡山に帰ってT銀行に就職した。そこで縁あって上司の娘と結婚して養子となった。最後は経営幹部となったらしい。地理の本は学生時代にご自分が専攻して読んだ本だった。もう齢だし元気なうちに処分したいということだった。 棚には約300冊あった。三年前の2万冊とは2桁少ない。値が付く本だけ持ち帰ってくれればよいということだった。雨の中バイクで来ていたので、ことばに甘えて、うち100冊だけ抜いた。査定額は7000円。これで不満はなかった。10前なら2倍は払っただろう。売れないから高くは出せない。 持ち帰った地理の本は良書ばかりである。ただし戦中の 「大東亜戦争」 中の地理の本ばかりだから、当然ながら日本の植民地支配を無条件に肯定・賛美する立場である。然しそういうものとして読めば、資料的に貴重ではある。さっそく自店の棚を2棚つくり、以前からある2棚とともに地理本の棚が充実した。 今回購入した本の中から、以下の3冊をヤフーオークションに代理出品してもらった。改造社の日本地理大系シリーズは十数冊あったが、重いので値が付く3冊だけを持ち帰った。このシリーズは植民地プロパーで制作されたものでもなければ、植民地においてのみ販売されていたものでもない。しかし日本の敗戦時(1945年8月15日現在)において、日本に存在する部数はやはり少なかったのであろう。古書価はこれら3冊以外はついていない。 余談だが、日本の敗戦時、旧植民地にあった全ての日本と日本人の所有物は公的財産であろうと私的所有物であろうと例外なく没収された。無条件降伏とはそういうことである。不当に占領していた、だから一切が無効になる。当たり前のことである。これに文句を言って、私的所有物は持ち帰るのが当然だと開き直るバカがいる。向こうで産んだ子供を没収されても文句が言えないのが植民地支配である。 これは従軍慰安婦問題とも関係する。向こうが被害に遭ったと言っている。だったら検証などしなくてもよい。向こうの言い分どおりにする。これが侵略者の側の執るべき態度である。これは今の日本の教科書になにを書くべきかということとは別である。私が従来から言っている 「日本の左翼は従軍慰安婦問題はスルーすべき」 となんら矛盾しない。何時までもアホやってんじゃあない。さっさとケリつけて、ついでに竹島も放棄宣言を出せ。これも向こうが実効支配している。島根県と日本のやっていることは因縁つけているだけ。何にもならない事は極右以外は知ってる。アホか、日本共産党までもが。 ◎ 朝鮮 篇 日本地理大系12 昭和5年 改造社 写真多数 ◎ 臺灣 篇 日本地理大系11 昭和5年 改造社 写真多数 ◎ 満洲 及南洋篇 日本地理大系別巻2 昭和5年 改造社
2015/03/21(土) 20:15:56 |
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古本屋通信 No 1351 3月17日 『戦後左翼たちの誕生と衰亡 ー 10人からの聞き取り』 (川上徹 著 同時代社 刊 2014/01/30) いきなり奇妙な書き出しになる。私は表題の本をまだ読んでない。読まないままここで採りあげようとしている。今までもこういうケースはあった。しかしそれは読むまでもなく酷評するケースだった。この本は違う。読んでないのだから絶賛というのではない。アマゾンレビューで言えば、☆3つか☆4つだろう。 まず読んでいない理由を書く。新刊が出た時から本の存在は知っていた。川上さんの聞き取り記録として同時代社から出たのは知っていた。読もう読もうと思いつつ先延ばしになっていたのではない。ずっと丸善岡山店にもあったし、県立図書館にもある。私は足を運ぶ機会はあった。しかし立ち読みはおろか手に取ることさえしなかった。 要は読まないでも内容の予想が付くのだ。だからわざわざ読むのが鬱陶しい。これは内容がくだらないからというのとは違う。くだる、くだらないではない。くだると思う人にとってはくだる。くだらないと思う人にとってはくだらない。つまり時代の証言集なのだ。そういう出版物として川上さんは自社から出版した。 時代の証言といえば、『査問』 とそれに続く川上さんの本、それから同時代社のいくつかの本(宮崎、樋口、松崎ら)も、すべて時代の証言だろう。それらは川上さんが賛成するか否かではなく、出版物として残すことが大切な本だ。出版業とはそういうものだろう。私は川上」さんに全面的に賛成する。 私が今後この本を読むとしたら、自店に古本として入ってきたときだろう。同業を廻って探す気はない。たぶん入ってこないだろう。それでよい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アマゾンレビュー には4人の書評 があった。予想したとおり評価は高くない。内容もいちいち肯ける。その全てを貼って、それぞれに私の直感的感想を一口だけ赤文字 で付した(古本屋通信 )。 5つ星のうち 5.0 貧困と大衆運動を考える一冊, 2014/2/2 投稿者 タミヲ (東京都) 21世紀になっても貧困はなくならないどころか、より深刻になりつつある。戦後の貧困や差別のために戦った当時の若者たちから学ぶものは多いのではないか。 せっかくの高評価だが、本書を読んでいないので、意味が分りかねる。コメントは控えさせていただく。 5つ星のうち 3.0 >海軍反省会ならぬ左翼反省会?, 2014/9/26 投稿者 ib_pata 左翼青年たちのその後について、ブント(赤軍派)、社青同解放派、協会派、フロント、第四インター、中核派と揃えたとしていますが、なんていいますか人数的には構造改革派の人たちが中心。元日共の人が聞いているから、そのぐらいが適温なのかな…。 印象に残ったのは内ゲバがエスカレートしていった原因について「権力〈警察〉を認めないわけだから、抑止の力は〈当価報復〉という当事者の力ということにならざるをえない」というあたり(p.82)。まあ、なるほどな、とと思うと同時にヘーゲルの重視した現実を軽視して、千年王国を夢見たマルクスがいけないのかもしれないとか読みながら思っていました…。 《神話とは、人々の期待が裏切られたとき、想像と実体がかけ離れていることが人々に知られてしまった時、崩れ消えるものである。私の左翼体験はその全過程を目撃したことであった。それにしても歴史は三段跳びのように消えていく》というのが一時はあったという「左翼幻想」の行く末なんですかね(p.158)。 でも、貧乏が左翼的運動に導いたという体験を語られても、それは戦前の皇道派青年将校の体験談が今となってはあまり意味を持たないのと同じですよね。 まあ、このぐらいの歳になると人間は自分のつくった物語を生きていくしかないんだろうな、と…インタビュアーを含めて感じました。 「海軍反省会ならぬ左翼反省会」というのはちょっと違うんじゃあないでしょうか。もちろん、党派が違うんだから「同窓会」でもないし。なんだか全体が文学的感想ですねえ。 5つ星のうち 2.0 こんなもんですかね?, 2014/11/20 投稿者 Smd1968 民青全学連委員長が1960年代末のサヨク諸流派の活動家にインタビューして、活動家になった契機とその後の生き様を聴き取った書物であるが、正直物足らない読後感が有った。インタビュー相手は10人であるが、革マル派活動家は11人目の未完相手に想定されている。 物足りなさの原因は著者の出生年代に起因していると思っている。団塊の世代の始まりより7年程歳上なので、基本的に10.8(1967年)を起点とした新左翼の爆発的拡大を担った学生層の心情とズレが生じているし、当時の学生大衆(?)は日共民青をサヨクとは全く思っていないし、当時の状況では常に闘争に対する敵対者として出現して来たのは事実だと思っている。唯一の例外として許容出来るのは宮崎学氏位では無いだろうか。彼も同じ土俵の敵対者では有るが、運動論や組織論に独自のものを持っていて、何処かに普遍的な共通項が有って親近感を感じるのだが。 革マル派については、松崎明氏の「松崎明秘録」を推奨する。 インタビュー相手としては、フロントの朝日健太郎氏と中核派の水谷保孝氏が傾聴に値すると感じたが、余り起爆力の有る本ではありませんでした。 評者は 「新左翼の爆発的拡大を担った学生層」 の登場、つまり 1967,8 年を始まりに論じられていないのが不満らしい。然しそういう本は小熊本をはじめ多くあるが、さっぱり面白くない。川上の出発が60年安保闘争であったから本書があった。さらに本書には「ノンセクト」は登場していない。当時、民青を「サヨクとは全く思っていな」かったのは「ノンセクト」だけであり、党派はくちとは裏腹に最大党派と考えていた。だから今回の企画があった。 5つ星のうち 1.0 1960年代から70年代にかけてかつて「時代を切り拓く」政治勢力と目された「戦後左翼」を自称する者たちの、詰まるところは“自己弁護・自己合理化・自己擁護=自己愛」の姿, 2014/2/17 投稿者 Rob Jameson 聞き取りの対象となったのは革マル派を除く往時「活躍」したとされる新左翼(赤軍派、社青同解放派、協会派、フロント、第四インター、中核派)から9名、共産党・民青から1名の10名となっているが、本当の主役は、共産党・民青に起きた「新日和見主義」事件という失敗した「反乱」の首謀者である聞き手の川上徹であろう。 それぞれの「お話」は同時代人として実際に交差して「青春物語」としてそれなりには興味深い点がないわけではないが、検証なき一方的な叙述・言説が繰り返されるのは読むに耐えない。 例えば「60年代から70年代にかけて闘われた光文社闘争で勝利に導いた野村豊秋」p159と好意的に紹介されているが、この男の後ろでは中核派の北小路敏が暗躍し、野村死後もながく今日に至るまで出版労働運動に「現場実力闘争」と称して分裂主義を持ち込んだ事実は消せるものではない。 また「内ゲバ」を論じて「粛清」や「除名」や「反党分子」追及と同根と断じているが、70年代以降の新左翼相互の「内ゲバ」は異次元の事象であろう。ここでは毛沢東の「造反有理」が口火を切ったことを示唆しておこう。 川上は「60年代から70年代にかけて、共産党・民青系学生運動は多様な人材を生み出した・・・早乙女裕の声を、今さらであるが聞き取れないのは残念」p243と書いている。そのような「多様な人材」を消耗させた「歴史的」な責任を自身はどう受け止めているのか問いたいと思う。 まあ、さいてい評価なんだから、こうでも書かなくちゃあね。でもいちいちケチのためのケチ。こういうのを検証しつつ喋ろうと言うのが無理。青春物語が時代史を交差しているところに意義がある。
2015/03/17(火) 16:55:17 |
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古本屋通信 No 1350 3月17日 「八紘一宇 」を礼賛 超低脳・三原じゅん子 (自民党参院議員・国会質問 ) を糾弾。 低脳もここまでくれば天然記念物だが、笑っては済ませられない。だからタレントさんは素敵なのよねえ。とりあえず関係ウェブを貼る。 二度とタレントを議員にするな。 最下段参照 二度とタレントを議員にするな。 最下段参照 二度とタレントを議員にするな。 最下段参照 【悲報】三原じゅん子議員、国会で大日本帝国の政策標語「八紘一宇」こそが日本のあるべき立ち居振る舞いであると熱弁 2015年3月16日19:44 by 深海 21世紀も15年経った現代日本の国会で、大日本帝国が海外侵略を正当化するスローガンとして用いた言葉「八紘一宇」こそが日本の取るべき道であるとの熱弁が振るわれました。詳細は以下から。 発言があったのは3月16日の参議院予算委員会での自民党所属、三原じゅん子議員の質問の際。グローバル化の進む現状での租税回避問題に関する日本の方針についての質問の場面です。 三原議員は租税回避問題はグローバル資本主義の影の部分から目を背け続けることはできないとしながら日本が建国以来大切にしてきた価値観として「八紘一宇」を紹介。そして「この八紘一宇という根本原理の中にですね、現在のグローバル資本主義の中で日本がどう立ち居振る舞うべきかというのが示されているのだと私は思えてならないんです!」 と熱く問いかけています。実際の動画は以下から。 三原じゅん子 日本が建国以来大切にしてきた価値観「八紘一宇」 – YouTube この「八紘一宇」という言葉は日本書紀に記されている神武天皇の言葉を元に、大正期に日蓮宗系の宗教家、田中智學が造語したもの。田中智學自体は戦争を批判していましたが、昭和10年代には軍部や時の内閣によっても盛んに使われるようになってゆきます。 そして昭和15年、第2次近衛内閣によって閣議決定された政策方針である「基本国策要綱」では「皇国ノ国是ハ八紘ヲ一宇トスル肇国ノ大精神ニ基キ世界平和ノ確立ヲ招来スルコトヲ以テ根本トシ先ツ皇国ヲ核心トシ日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル大東亜ノ新秩序ヲ建設スルニ在リ」 として大東亜共栄圏を作り上げるためのまさに根本原理として採用されるに至りました。例えば以下の画像は真珠湾攻撃の翌年、昭和17年のもの。八紘一宇が大東亜戦争によって具現化されていくとしており、この標語が侵略の「根本原理」として用いられていたことが分かります。 こうした第2次世界大戦時の歴史的経緯から、敗戦後には連合国軍最高司令官総司令部による神道指令によって公文書での使用が禁止されました。 戦後の政界においても、昭和32年の松永東文部大臣は衆議院文教委員会で「戦前は八紘一宇ということで、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発しておったようであります」 と発言しており、また昭和58年には中曽根康弘総理大臣が衆議院本会議で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」 との認識を示すなど、肯定的には使われておりません。 しかし2015年の三原じゅん子議員はこの言葉を単に紹介するにとどまらず、現在のグローバル資本主義という社会の中での日本が今後取るべき有り様として強く推しています。 日本書紀の記述や田中智學の思想それ自体は大日本帝国の海外侵略とは結びつかなかったとしても、歴史的に重大な経緯のあるこの「八紘一宇」という言葉を軽々しく、そして熱狂的に使って見せてしまう姿勢は浅はかとしか言いようがありません。ただでさえ安倍政権の右傾化が海外からの大きな懸念事項となっている現時点で、非常に大きな失点として響いてくることは間違いなさそうです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三原じゅん子氏「八紘一宇は大切な価値観」予算委で発言 2015年3月16日21時09分 朝日新聞ウェブ 自民党の三原じゅん子参院議員(比例区・党女性局長)は16日の参院予算委員会の質問で、「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」と述べた。八紘一宇は「世界を一つの家とする」という意味で、太平洋戦争中、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。 三原氏は、企業の国際的な課税回避の問題を取り上げる中で「八紘一宇の理念のもとに、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と語った。 答弁した麻生太郎財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メーンストリーム(主流)の考え方の一つなんだと思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生の世代におられるのに正直驚いた」と述べた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三原じゅん子議員 予算委員会で「八紘一宇」発言。ネットで批判殺到 自民党(自由民主党) 三原じゅん子議員 更新日: 2015年03月16日 三原じゅん子 質問後の “良くできたわ私” pic.twitter.com/yfk9yu6BjZ 八紘一宇(はっこういちう)とは 『日本書紀』巻第三神武天皇の条にある 「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に 日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して 初めて使用し、縮約した語 出典 八紘一宇 - Wikipedia 天下を一つの家のようにすること。 第二次大戦中,大東亜共栄圏の建設を意味し 日本の海外侵略を正当化するスローガンとして用いられた。 出典 https://kotobank.jp/word/%E5%85%AB%E7%B4%98%E4%B8%80%E5%AE%87-115006#E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.9E.97.20.E7.AC.AC.E4.B8.89.E7.89.88 「八紘」は天地の八方の隅、地の果てまでの意。 転じて、全世界の意。「宇」は家の意。 出典 八紘一宇の意味 - 四字熟語辞典 - goo辞書 第二次大戦での日本の降伏後は一転し 連合国軍最高司令官総司令部による神道指令により 国家神道・軍国主義・過激な国家主義を連想させるとして 公文書におけるこの語の使用が禁止された 出典 八紘一宇 - Wikipedia いま出先のテレビ音に椅子から落ちるほど驚愕。 「八紘一宇の理念の下、世界が家族のように睦みあう社会目指し日本がイニシャチブを」 「八紘一宇は世界に誇る日本のお国柄」と三原じゅん子! 侵略戦争のスローガンだった4字熟語で三原が国会で首相に気合い入れるというヤンキー度マックスの風景! 三原じゅん子「八紘一宇」を建国以来の根本原理であると持ち上げる 狂気@参院予算委 八紘一宇って大東亜共栄圏の標語なのか…それを予算委員会で行ったのか… 八紘一宇が素晴しいって、日本がまた戦争起こすんですかね? 戦後70年談話が取り沙汰されてるときに「八紘一宇」って…。東アジアを壊滅させたいのか? 国会議員辞めろ、くそバカ。 三原じゅん子、国会で「八紘一宇」はマジでヤバイでしょ…。 八紘一宇について引用して最後に「いかがお考えになられますでしょうか」といったときの三原じゅん子のドヤ顔。「麻生さん、聴いてくれた? これ素敵でしょ。ね? ね?」みたいなノリ。与党の質問時間を消化するためだけの空しい内輪ノリ、にしてはものすごい危険球を投げたもんだな。。。 国会中継を見ていたら、三原じゅん子議員、「八紘一宇」の精神で「租税逃れを防ぎましょう。」と発言。日本は、このスローガンで前の戦争は失敗しました。 国会中継、自民党の三原じゅん子さんよ、八紘一宇はないんじゃない。得々得々とお喋りになっていらっしゃるが、時代が恐ろしいところに向かっているなー 三原じゅん子が国会で八紘一宇の解説してたが、上っ面の理解なら発言すべきでは無い。 え、三原じゅん子、国会で「八紘一宇」って言ったの? すごいですね、それ。こんな言葉、知ってたのか… 三原じゅん子「八紘一宇!」 アメリカ議会(椅子から滑り落ちる) 三原じゅん子が質疑で「八紘一宇」と発言し紹介?マジか!完全にイッテるな。 三原じゅん子的には「八紘一宇」も「仏恥義理」も同じ特攻服のペイント程度なのだろう。 「テレビをつけたら三原じゅん子が「八紘一宇の精神を今こそ」と安倍総理に繰り返し問い質していた。>ですって。今「八紘一宇の精神」といえば、イスラム国と同盟することだと思うが、違うのか? 三原じゅん子の八紘一宇発言、もう、なんでもありの世界やねんな。 昭和58年03月16日 参院予算委員会 中曽根康弘総理 『これはその人その人の哲学と信条によるので、学説もいろいろあるだろうと思います。しかし、私は八紘一宇という言葉には戦前の限定された意味が非常に強くありまして、私自体はそういうものはとりません。』 中曽根康弘でさえ、戦前の「八紘一宇」の考え方を否定していたんじゃなかった?三原じゅん子、まじで国会で発言しちゃったの?ただただ引くわー。 マジで八紘一宇なんて言ったのか ドン引き ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ウィキペディア 三原じゅん子 日本の旗参議院議員 三原 じゅん子 生年月日 1964年9月13日(50歳) 出身地 東京都板橋区 出身校 明治大学付属中野高等学校定時制中退 前職 介護施設経営者 女優 所属委員会 厚生労働委員会 予算委員会 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会(理事) 世襲 無 選出選挙 比例区 当選回数 1回 所属党派 自由民主党(無派閥) 党役職 女性局長 栃木県連副会長 会館部屋番号 参議院議員会館823号室 ウェブサイト 参議院議員 三原じゅん子オフィシャルウェブサイト 三原 じゅん子(みはら じゅんこ、本名:三原 順子(読み同じ)、1964年〈昭和39年〉9月13日 - )は、日本の政治家、実業家、元女優、元歌手、元カーレーサー、介護施設経営者。以前は本名で活動。血液型はB型。自由民主党所属の参議院議員(1期)、自民党女性局長。東京都板橋区出身。 §来歴・人物[編集] 東京都に生まれる。1971年(昭和46年)4月、私立淑徳小学校入学。翌1972年(昭和47年)、東京宝映テレビ・劇団フジに入団。入団まもなく、劇団フジ定期公演「青い鳥」に出演。続いて「マッチ売りの少女」の主役に抜擢[要出典]。 1975年(昭和50年)、第29回定期公演で「強制収容所の少女」の主役シズエを演じる(大場久美子とのダブルキャスト。4年後の第43回公演で再びシズエ役を演じている)。1977年(昭和52年)4月、私立十文字学園中学入学。1979年(昭和54年)、テレビ朝日系ドラマ『燃えろアタック』(主演は歌手の荒木由美子)へ出演。本格的なドラマデビューとなる。 学校が芸能活動を許可していなかったため、2年2学期に自主退学し、板橋区立志村第一中学校に転校する。 1979年(昭和54年)、『3年B組金八先生』に「山田麗子」役で出演。役柄の「ツッパリ(=不良、非行生徒)」イメージで、人気が急上昇した。中でも同級生へのリンチシーンで仲間を仕切りながら発した、「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを」のセリフは、三原を表す代名詞になった[要出典]。 1980年(昭和55年)、明治大学付属中野高等学校定時制に入学するが中退。同年に歌手デビュー。以降、1986年(昭和61年)までコンスタントにシングルを発表した。長戸大幸が作曲したデビューシングル「セクシー・ナイト」は売り上げ30万枚を超えるヒットとなり、同時期の「マルベル堂・プロマイド人気」では第1位となった[要出典]。1982年(昭和57年)には「だって・フォーリンラブ・突然」のロングヒットで第33回NHK紅白歌合戦に出場。 1984年(昭和59年)、20歳の誕生日を機に本名の「三原順子」から現在の「三原じゅん子」へ改名。また、JUNKOというアーティスト名でハードロックのバンドを組み、ライブ活動をしていた時期もある[要出典]。「山田麗子」の名で作詞も手掛けている[要出典]。 1987年(昭和62年)から1999年(平成11年)にかけては、カーレーサーとしても活動。国際B級ライセンスを持つ。レース中の事故による骨折も7回経験しているという[要出典]。2005年(平成17年)から、二輪レースチーム「weave×MIHARA PROJECT」のオーナー。 1987年(昭和62年)以降、テレビドラマでは主に2時間ドラマでの犯人役や脇役が中心だった[要出典]。 1999年(平成11年)、お笑い芸人のコアラと結婚(2007年離婚)[要出典]。 2008年(平成20年)、子宮頸癌を患い子宮を摘出したが、リハビリを経由して復帰した。この経験もあり、医療や介護問題への関心を強め、がん撲滅等の啓発活動を行うようになった。同年1月、心機一転を図る目的でテレビ番組の企画で「公開整形手術」に臨み、レーザーによるリフトアップ、シミとり、目じりのシワ対策のボトックス注射など、約30分の施術を行った[1] 2010年(平成22年)3月には自ら介護施設の経営に乗り出す[要出典]。 2010年(平成22年)4月8日、第22回参議院議員通常選挙に自由民主党から比例区で出馬すると記者会見で発表。この立候補は党からのスカウトでなく自ら名乗り出たことを明らかにした。また、「二足のわらじを履けるほど国会議員の仕事を甘くは考えていない」として、当選した場合は女優を引退すると表明した[2]。同年7月11日の第22回参院選で約17万票を個人名で獲得し、党内5位で初当選。当選後は女優業をしていないが、例外として2011年(平成23年)3月に放送されたテレビドラマシリーズ「3年B組金八先生」の最終回で過去の出演者達が卒業生として勢揃いで集合する場面では卒業生の一人として特別出演した。なお、国会議員としてのテレビ出演は行っている。 2013年(平成25年)現在、自民党女性局長(10月8日に総務会指名就任)[3]、自民党オートバイ議員連盟事務局長を務める[4]。 §政策・主張[編集] 全てのがん患者とその家族の苦痛の軽減と療養生活の質の維持向上、がんになっても安心して暮らせる社会の構築[5] 予防接種法のさらなる充実[5] 子宮頸がん予防ワクチン接種と検診の無料化を働きかけ[6]。 難病対策のさらなる拡充[5] 介護制度の充実[5] 人口減少問題対策[5] 動物愛護政策の推進[5] 選択的夫婦別姓制度に反対している[7]。 靖国神社には「20代の頃からほぼ毎年参拝していた」と語っており、議員初当選後の2010年(平成22年)から2013年(平成25年)の終戦の日、春季秋季例大祭にも参拝した[8]。 TPP参加の即時撤回を求める会に所属している。 §不祥事[編集] §記者への暴行による逮捕歴[編集] 1987年(昭和62年)4月2日にフライデーの記者二人に暴行し、警視庁目白署に現行犯逮捕されている[9]。この日は午後7時30分から午前4時30分頃まで酒を飲んでいたといい[9]、午前5時15分頃、東京都豊島区高松一丁目の路上でタクシーから降りた所を、フライデーの記者に撮影された[9]。これに激高した三原は、記者に対し膝蹴りを入れ、うずくまった記者に対して馬乗りになり、髪の毛をつかんで路上に打ち付けるなどして暴行した[9]。これにより通報で駆け付けた警察官に現行犯逮捕された[9]。 §借金延滞[編集] 週刊文春などの報道によると、過去に交際していた野球評論家の水野雄仁から1000万円の借金をしたものの、返済が遅れたため2度の督促状を受けたことが判明した[10][11][12][13]。またこの借金が資産等報告書に記載されていないことも判明している[10][13]。 §主な出演作品[編集] §TVドラマ[編集] スパイダーマン第8話「世にも不思議な昔ばなし呪いの猫塚」(1978年7月5日 東京12チャンネル) - 怪猫獣に襲われる女D 役 燃えろアタック(1979年1月5日 - 1980年7月11日、テレビ朝日) - 西井千恵子 役 バトルフィーバーJ第9話「氷の国の女」(1979年、テレビ朝日・東映) - 片山光子 役 3年B組金八先生シリーズ(TBS) - 山田麗子 役 第1シリーズ(1979年 - 1980年) 第2シリーズ第13話「同窓会・贈る言葉」(1980年) スペシャル1「贈る言葉」(1982年) スペシャル3「小さな嘘」(1984年) スペシャル4「イジメられっ子 金八先生」(1985年) スペシャル5「先生の暴力 生徒の暴力」(1986年) スペシャル6「新・十五歳の母」(1987年) スペシャル8「卒業アルバム」(1990年) 第4シリーズ第11話「十五歳の母と父(2)」(1995年) スペシャル9「子供を救え! 大人達よ立ち上がれ」(1998年) 第5シリーズ第11話「金八涙の体罰…3B騒然辞表提出」(2000年) 第6シリーズ第18話「直と政則(1)」(2002年) ファイナル~「最後の贈る言葉」(2011年) 青春諸君!夏(1980年4月9日 - 9月23日、TBS) - のぶ 役 電子戦隊デンジマン(1980年 テレビ朝日・東映) - サチ子 役 第4話「ベーダー魔城追撃」 第21話「死神党を攻撃せよ」 太陽戦隊サンバルカン(1981年、テレビ朝日・東映) - エスパー少女・日見子 役 第36話「エスパー」 第37話「日見子よ」 俺んちものがたり! (1980年10月7日 - 1981年2月24日、TBS) - 春野恵 役 GOGO! チアガール(1980年11月5日 - 1981年10月21日、TBS) - 主演・一ノ木真弓 役 絶唱(1981年3月3日、TBS) - 主演・小雪 役 父母の誤算(1981年5月8日 - 1981年7月31日、TBS) - 結城紀子 役 いま、いのち満ちて(1981年10月8日 日本テレビ) ポーツマスの旗(1981年12月5日 NHK) - 宮本ゆき 役 暴れん坊将軍シリーズ(テレビ朝日 / 東映) 暴れん坊将軍II 第3話「気になるあいつの恋びんた!」(1983年) - おふね 役 第90話「吉宗失脚!?初春一番の大江戸裁き! スペシャル」(1985年) - 尾張藩の姫・雪姫 役 暴れん坊将軍X 第3話「禁じられた恋文! 罪深き女の一途な愛」(2000年) - お登世 役 大奥 第2話「生みの母育ての母」(1983年4月5日 - 1984年3月27日 フジテレビ) - 千姫 役 愛と憎しみの絆(1983年4月14日 日本テレビ) - 主演・吉本ミキ 役 外科医 城戸修平 第8話「捨てた命拾った命」(1983年、TBS) ザ・サスペンス「一億人を敵にした男 復讐するは我にあり」(1984年4月7日 TBS) 新大江戸捜査網 第1話(第641話)「激闘! 御成敗書が闇に舞う」(1984年) - おみつ 役 ※並木版 大岡越前 第8部 第16話「抜け荷暴いた娘掏摸」(1984年11月5日、TBS / C.A.L) - おぎん 役 輝きたいの(1984年5月9日 - 5月30日 TBS) - 原島里美 役 ザ・サスペンス「縄の証言」(1984年5月26日 TBS)主演 土曜ワイド劇場西村京太郎トラベルミステリー 「東北新幹線殺人事件」(1984年7月14日、テレビ朝日) 月曜ワイド劇場「死体持参花嫁事件」(1985年7月8日 テレビ朝日)主演 影の軍団IV 第17話「魔女三人江戸を裂く」(1985年、関西テレビ) - お玉 役 新・いじわる看護婦(1985年9月23日/12月23日 フジテレビ)中原理恵の同シリーズ後の9・10話に主演 特捜最前線 401話「盲導犬バロン号の追跡!」(1985年 テレビ朝日) - 青柳アツコ 役 風雲 柳生武芸帳(1985年1月2日 テレビ東京) - 阿国 役 翔んでる警視(1986年1月2日 TBS) 誇りの報酬 第40話「幸福へのパスポート」(1986年、日本テレビ) 木曜ドラマストリート「展望車殺人事件」(1986年7月31日 フジテレビ) 水曜ドラマスペシャル「にせドンファン」(1986年9月10日 TBS) 土曜ワイド劇場「露天風呂の女」(1987年2月28日 テレビ朝日)主演 水曜ドラマスペシャル「私は二番目の女」(1987年5月6日 TBS) 火曜サスペンス劇場「スキャンダル」(1988年1月5日 日本テレビ) 土曜ワイド劇場 西村京太郎トラベルミステリー「日本海殺人ルート」(1988年4月2日 テレビ朝日) - かおる 役 嫁姑ペット戦争(1988年2月22日 テレビ東京)主演 閉じた窓(1988年8月1日 フジテレビ) 水戸黄門(TBS / C.A.L) 第15部 第34話「女壺振り 仇討ち悲願 -松井田-」(1985年9月16日) - お蝶 役 第16部 第12話「京人形に賭けた芸妓の意地 -京-」(1986年7月14日) - 小夏 役 第21部 第18話「悪を蹴散らす神楽面 -備中松山-」(1992年8月3日) - 由紀 役 第29部 第13話「少年よ大志を抱け! -大聖寺-」(2001年6月25日) - はる 役 第38部 第6話「険しい恋路の吉野山・吉野」(2008年2月11日) - おもん 役 若大将天下ご免! 第13話「お空が眩しいジャジャ馬娘!」(1987年 テレビ朝日) - お甲 役 名奉行 遠山の金さん(テレビ朝日 / 東映) 第1シリーズ 第9話「正当防衛の男?」(1988年) - おすま 役 第2シリーズ 第7話「暗闇に一輪桜小僧」(1989年) - お袖 役 第3シリーズ 第4話「夫を売った女の秘密」(1990年) - お園 役 第21話「奉行に悪女の罠!」(1991年) - おりん 役 はぐれ刑事純情派 (テレビ朝日) 第1シリーズ 第11話「子連れ未亡人の犯罪」(1988年) 第2シリーズ 第9話「父を見殺しにされた娘」(1989年) 男と女のミステリー「しらべる女II」(1989年8月11日 フジテレビ) 父子の対話(1989年11月20日 フジテレビ) 土曜ワイド劇場「京都琵琶湖別荘殺人事件」(1990年5月5日 テレビ朝日) - 野村陽子 役 八百八町夢日記 第1シリーズ 第26話「夢之介が殺した女」(1990年5月29日 日本テレビ) - お絹 役 亭主交換家族(1990年6月9日 TBS) 刑事犬カール・瀬戸内の追跡(1991年3月23日 TBS) 遅すぎた男(1991年3月25日 フジテレビ)主演 土曜ワイド劇場「京都・天の橋立殺人事件」(1992年1月25日 テレビ朝日) - 内川奈美 役 土曜ワイド劇場「牟田刑事官事件ファイル16」ヨコハマ偽装心中(1992年3月28日 テレビ朝日) - 木村和美 役 月曜ドラマスペシャル「華やかな密室殺人」(1992年7月13日 TBS) - 鮎子 役 月曜ドラマスペシャル「西鹿児島駅殺人事件」(1993年1月18日 TBS) - 神田ゆう子 役 金曜エンタテイメント「他殺岬」(1993年7月2日 フジテレビ) 月曜ドラマスペシャル「華やかな密室殺人2」(1993年7月19日 TBS) - 鮎子 役 金曜エンタテイメント「京都ミス映画村殺人事件」(1993年11月5日 フジテレビ) - 朝川真理子 役 金曜エンタテイメント「京都百人一首殺人事件」(1995年1月13日 フジテレビ) 金曜エンタテイメント「京都紫式部殺人事件」(1996年3月15日 フジテレビ) - 六角満里子 役 ホテルiv(1997年3月27日 TBS) 火曜サスペンス劇場「取調室7」(1997年9月9日 日本テレビ) - 小月綾乃 役 月曜ドラマスペシャル「名探偵キャサリン5 胡蝶蘭殺人事件」(1998年6月1日 TBS) - 花岡エミ 役 リンクの魂(1998年 - 1999年 テレビ朝日) こいまち 最終回(1999年3月16日 関西テレビ) - 花形みすず 役 すずらん(1999年 NHK連続テレビ小説) - 北澤みね 役 マッチポイント!(2000年10月6日 - 12月22日 NHK) - 吉岡タマミ 役 月曜ドラマスペシャル 山村美紗サスペンス「検視官江夏冬子5」京都慕い雛殺人事件(2000年3月6日、TBS) - 篠塚真純 役 京極夏彦 「怪」第1話「七人みさき」(2000年、WOWOW) - 涼 役 火曜サスペンス劇場警部補 佃次郎12(2001年5月1日 日本テレビ) - 井上由香 役 女と愛とミステリー「警察医・花井吾郎の殺人カルテ」(2002年2月20日 テレビ東京) 火曜サスペンス劇場緊急救命病院(2003年6月24日 日本テレビ) - 上野雅代 役 土曜ワイド劇場 ラーメン刑事「龍」の殺人推理(4)(2003年9月20日、テレビ朝日) - 宮本沙織 役 女と愛とミステリー「西村京太郎トラベルサスペンス「寝台特急はやぶさの女」」(2004年 テレビ東京) - 原口由紀 役 菊亭八百善の人びと(2004年 NHK) - 高木惇子 役 ファイト(2005年 NHK連続テレビ小説) - 駒田敏美 役 上を向いて歩こう〜坂本九物語〜(2005年 テレビ東京) - 野間照子 役 功名が辻(2006年 NHK大河ドラマ) - 堀尾いと 役 夫婦道(2007年 TBS) - 佐山かおり 役(小料理屋「かおり」女将) 月曜ゴールデン万引きGメン・二階堂雪15(2007年5月7日 TBS) - 加賀美真由子 役 女子刑務所東三号棟7(2008年1月14日 TBS) - 石橋沙也加 水曜ミステリー9 「街占師 〜北白川晶子の事件占い〜」(2008年9月11日、テレビ東京)- 末松浩子役 「日本史7大ミステリー歴史を作った女たちSP 歴史は女が動かしていた!?」(2008年12月23日、テレビ東京)再現ドラマ - 淀殿 役 非婚同盟(2009年1月5日 - 3月27日 東海テレビ制作・フジテレビ系列) - 伊庭圭子 役 陽炎の辻スペシャル〜居眠り磐音 江戸双紙〜正月SP 「海の母」(2010年1月1日、NHK) - おえい 役 §映画[編集] 父よ母よ!(1980年) - 多喜子 役 あゝ野麦峠 新緑篇(1982年) - 主演・中谷タケ 役 ハイティーン・ブギ(1982年) - 未樹 役 人形嫌い(1982年) - 主演・日樫もえ 役 父と子(1983年) - 峰岸トメ子 役 日本海大海戦 海ゆかば(1983年) - 木村せつ 役 あいつとララバイ(1983年) - 相沢リエ 役 キャバレー(1986年) - 英子 役 嵯峨野の宿(1987年) - 主演・篠原良子 役 タフ TUFF 誕生編(1990年 ビデオ) タフ TUFF 復讐編(1991年 ビデオ) 河内残侠伝 軍鶏(1991年 Vシネマ)主演 パチンコ無宿(1995年 ビデオ) 卍舞2 妖艶三女濡れ絵巻(1995年) - おゆう 役 しきじきょうしつ(1995年 ビデオ 大阪府) 哭きの竜 2月3日(1996年 ビデオ) 新 第三の極道 腐敗官僚vs裏盃の軍団(1998年 ビデオ) すずらん 少女萌の物語(2000年) - 北沢みね 役 京極夏彦 「怪」「七人みさき」(2000年) - 涼 役 実録 日本ヤクザ抗争史 鯨道 侠骨 死闘編・完結編(2001年 ビデオ) 実録 最後の愚連隊(2002年 ビデオ) 不思議めがね(2002年) 実録・山陽道やくざ戦争 覇道(2004年 ビデオ) 実録・九州やくざ戦争 九州の義王(ライオン)・2 手打ち無き抗争・完結編(2006年 ビデオ) ロックンロール★ダイエット!(2008年) - 江口弘子 役 魔法のiらんど teddy bear(2008年) - 塚本由美子 役 弁天通りの人々(2009年、アルゴ・ピクチャーズ) - 天璋院篤姫 役 逢えてよかった。(2010年) - ミエの母 役 §舞台[編集] SHINJUKU ウエストサイド・ストーリー(1984年1月2日 - 1月16日 シアターアプル) 人生まわり舞台(1987年10月3日 - 10月30日 藤田まこと公演 新宿コマ劇場) グリース(1988年9月17日 - 9月25日 厚生年金会館) 俄雪(1995年10月1日 - 10月26日 ミヤコ蝶々公演 中座) 雪のぬくもり・金とダンボール・おもろい一族 と蝶々公演に参加(1996年3月2日 - 3月27日 中座 雪のぬくもり・名鉄ホール) 愛愛のれん(1999年4月4日 - 4月28日 名古屋名鉄ホール) 泥棒と目明し(1997年12月2日 - 12月26日 名鉄ホール) 二十四の瞳(1998年8月20日 - 8月23日 大阪厚生年金会館)劇団フジ 主役・大石先生 五木ひろし公演 石松初恋旅(2000年1月2日 - 1月28日) 芸能生活30周年記念ライブ(2002年4月20日 ジャパンホール奈良) 高橋英樹公演(2001年10月2日 - 明治座) 武田鉄矢公演(2002年6月1日 - 6月27日 明治座 9月1日~25 名古屋御園座) 横須賀ドブ板物語(2003年7月10日 - 7月13日 新宿紀伊国屋サザンシアター) 劇団俳協公演 アルプスの少女 ハイジ(2003年7月19日 - 7月27日 三越劇場 他全国公演)ロッテンマイエル役 松平 健公演(2004年10月2日 - 10月29日 新宿コマ) 五木ひろし公演(2007年2月5日 - 2月28日 名古屋御園座) 川中美幸公演(2007年4月29日 - 5月24日 新歌舞伎座) §NHK紅白歌合戦出場歴[編集] 三原順子時代に出場 1982年(昭和57年)/第33回 初 ホンキでLove me Good!! 01/22 シブがき隊 注意点出演順は「出演順/出場者数」で表す。 §テレビアニメ[編集] こちら葛飾区亀有公園前派出所第261話「レッツゴー長崎! 恋しぐれトラック姉ちゃん」(2002年4月7日、フジテレビ) - 春代 役 §ゲーム[編集] 龍が如く(2005年12月8日、セガ) - 麗奈 役 §吹き替え[編集] FBI失踪者を追え(NHK-BS2) 第1シーズン11話「思い出ビデオ」:キャロル・ミラー役 第2シーズン18話「父と母と子」:マーサ・スタンリー役 ジョニー・ハンサム:エレン・バーキンの声 ※声の出演は他にもFMドラマ(NHK)やてれび絵本(NHK教育テレビジョン)「ソクラテスシリーズ」(2006年10月初回放送)、DOWANGOの「いろメロミックス」がある。 §ラジオ[編集] 三原順子ファンタジーロード(TBSラジオ) §テレビCM[編集] カシオ計算機「CASIOデジタル腕時計・デジタルはCASIO篇」(1980年、ちなみに彼女がCMキャラクターに起用される以前は山口百恵がCMキャラクターを担当していた) 日清やきそば UFO(1981年) 日本コカ・コーラ(1982年) 小田急御殿場ファミリーランド(1980年、関東圏で放送) あべのプール(1981年、関西圏で放送) たらみ くだものムース(1996年) サントリー ボス 『農家』篇(2008年)※トミー・リー・ジョーンズ、財津一郎と共演 §ディスコグラフィ[編集] §シングル[編集] 1.セクシー・ナイト(作詞:亜蘭知子、作曲・編曲:長戸大幸) (1980.09.21) オリコン最高位8位 (c/w) ミステイク 2.Let's Go 青春(作詞:亜蘭知子、作曲:青山八郎、編曲:河野土洋) (1980.12.21) オリコン最高位57位 (c/w) 夕暮れはセンチメンタル 3.ド・ラ・ム(作詞:亜蘭知子、作曲:長戸大幸、編曲:中島正雄) (1981.01.21) オリコン最高位13位 (c/w) 泣いてぼっち 4.サニーサイド・コネクション(作詞:竜真知子、作曲:網倉一也、編曲:松井忠重) (1981.05.25) オリコン最高位14位 (c/w) ストップ・ザ・サンセット 5.いとしのサマーボーイ(作詞:竜真知子、作曲:川口真、編曲:萩田光雄)(1981.07.01) コカ・コーラ販促盤(非売品) B面はサイン入りのピクチャー盤 6.真っすぐララバイ(作詞:三浦徳子、作曲:筒美京平、編曲:船山基紀) (1981.09.21) オリコン最高位20位 (c/w) 愛ってなんなの 7.氷河期(作詞:三浦徳子、作曲:幸耕平、編曲:若草恵) (1982.01.21) オリコン最高位35位 (c/w) 心の棘 8.だって・フォーリンラブ・突然(作詞:T.C.R横浜銀蝿R.S.・山田麗子、作曲:TAKU、編曲:中島正雄) (1982.05.21) オリコン最高位11位 (c/w) ほ・ど・ほ・ど・マイ・ダーリン 9.靴音 - STILL LIVERPOOL(作詞:山田麗子、作曲:増尾元章、編曲:松井忠重) (1982.09.21) オリコン最高位90位 (c/w) Still Liverpool (インストルメンタル) 10.ホンキでLove me Good!!(作詞・作曲:TAKU、編曲:中島正雄) (1982.10.07) オリコン最高位28位 (c/w) 身も心も 11.ミスティー・ヒロイン(作詞:来生えつこ、作曲:南佳孝、編曲:松井忠重) (1983.02.21) オリコン最高位52位 (c/w) ダウン・ビーチ 12.悲・GEORGE(作詞:山田麗子、作曲・編曲:井上大輔) (1983.05.21) オリコン最高位46位 アン・ルイス プロデュースのおむつファッションが話題に。(c/w) 危険 13.気まぐれSTING(作詞:山田麗子、作曲:入江純、編曲:木森敏之) (1983.09.01) オリコン最高位86位 (c/w) さよなら BABY FACE 14.夢心中〜MY DESIRE〜(作詞:なかにし礼、作曲:宇崎竜童、編曲:小針克之助) (1984.01.01) (c/w) STAY BY MY SIDE 15.じゃじゃ馬ならし(作詞:及川恒平、作曲:芹澤廣明、編曲:松井忠重) (1984.08.25) オリコン最高位83位 (c/w) 裸足のストレイ・キャット 16.口唇からショット・ガン(作詞:宮原茅映、作曲:NOBODY、編曲:入江純) (1985.03.21) (c/w) 独り Rock’n Roll 17.とてもいけない過去(作詞:阿木燿子、作曲・編曲:かしぶち哲郎) (1985.06.10) (c/w) NITE FLIGHT 18.So Deep(作詞:勝田誠、作曲・編曲:H.Kelly) (1985.10.21) (c/w) City’s Lonely Life 19.Easy 悪 Rock'n Roll(歌:三原じゅん子&嶋大輔、作詞:美衣紫かず美・酒田踊、作曲:木下豊美雄、編曲:入江純) (1985.12.21) (c/w) Be My Baby 20.殺しは LEMON JUICE で(歌:JUNKO、作詞:ANNIE、作曲・編曲:H.Kelly) (1986.08.21) (c/w) TOKYO BLUES 21.Straight from the heart(作詞:リンダ・ヘンリック・作曲:井上大輔 編曲:ハワード・キリー) (1991.03.21) (c/w) CRAZY TOWN §アルバム[編集] セクシー・ナイト(1980年) 時限爆弾(1981年) Top Secret(1981年) ベスト・セレクション(1982年) 乱気流(1982年) Rockin' Road/My Way なんて語れない(ライブ)(1982年) Wash Out(1982年) ベスト・セレクション Vol.2(1983年) Windy City 風都市(1983年) I Love Exiting Mini(ミニアルバム)(1983年) MY DESIRE(1984年) じゃじゃ馬ならし(1984年) I Love Exiting Mini(ミニアルバム)(1984年) Versus(1985年) So Deep(1985年) Rock'n Roll パーティー(ミニアルバム)(1985年) スプレンダー(1986年) §CD[編集] 三原じゅん子 全曲集(1985年11月21日) STRAIGHT FROM THE HEART(CDシングル)(1991年) いつまでも青春してね 「だって・フォーリンラブ・突然」(1991年1月21日) セクシー・ナイト(アルバム再発)(1994年2月5日) いい歌みつけた 「ファースト・ラブ」(1998年11月27日) キング・アイドル・ヒストリー 「だって・フォーリンラブ・突然」(1999年11月3日) アーティスト・コレクション 三原順子(1999年11月26日) おしえてアイドル キング編 「Easy-悪-Rock’n Roll」(2000年12月25日) Super Select Idol Songs 「セクシー・ナイト」(2002年9月4日) 続・青春歌年鑑 1982 「だって・フォーリンラブ・突然」(2002年11月27日) 山口百恵トリビュート Thank You For…part2 「愛の嵐」(2005年5月25日) レディーストランス 愛死天流!「セクシー・ナイト」、「嵐の素顔」、「また逢える」(2006年10月25日) GIFT 「セクシー・ナイト」(2007年10月24日) MOON (バンド 「THE MOTHER」 のボーカルとして)(2009年5月12日) ラブリー・ビーナス 「セクシー・ナイト」(ソニーミュージック、2010年6月30日) ヴィーナス・レジェンド ~無敵の80'sアイドル・ヒッツ 「だって・フォーリンラブ・突然」(キングレコード、2010年7月7日) 三原順子 パーフェクト・ベスト(キングレコード、2010年7月7日) Junko Mihara 30th anniversary complete collection 三原順子 『JUNKO BOX』(キングレコード、2010年12月22日) ラブリー・プリンセス 「だって・フォーリンラブ・突然」(ソニーミュージック、2011年1月26日) Bubbly~バック・トゥ・ザ・’80s(創世期)~ 「セクシー・ナイト」 (ソニーミュージック、2011年4月6日) アイドル黄金時代 「セクシー・ナイト」(キングレコード、2012年5月9日) 筒美京平 GOLDEN HISTORY WAKU WAKUさせて 「真っすぐララバイ」(キングレコード、2012年12月26日) 永遠のアイドル 「セクシー・ナイト」(ソニーミュージック、2013年1月30日) §本・ビデオ等 [編集] 片恋のラブレター 三原順子・著 1980.12.1 ワニブックス KKベストセラーズ 三原順子 激しく そして 心のままに 吹上流一郎・著 集英社文庫 1982.2.15 近代映画ハロー・三原順子特集号 1980 順子 廣済堂出版 1980 写真集 ふりむくな!JUNKO 長友健二・撮影 講談社 1981.10.1 写真集 素顔 野村誠一・撮影 ワニブックス・KKベストセラーズ 1982.11.5 写真集 Windy City Story 荒木英仁・撮影 1984.1.20 武集書房 1984.1.20 写真集 河合肇・撮影 別冊スコラ39 講談社 1987.7.25 もう一度 アイラブユー 共著・コアラ キャンパスシネマ 2000.5.23 ビデオ 熱い夢 シカゴ 1.2 1983.9.21 愛宕書房・東映ビデオ ビデオ 銀幕漂流 パワースポーツ 1986(不思議の国のじゅん子 メリーポピンズ・日映) ビデオ ジャンピング・ジェニー オリーブ 1990.2.25 §脚注[編集] 1.^ “三原じゅん子が「公開整形」したワケ”. J-CAST テレビウォッチ (2008年3月27日). 2014年8月17日閲覧。 2.^ “自民公認・三原じゅん子氏「当選なら女優引退」”. 読売新聞. (2010年5月17日) 3.^ 女性局長に三原じゅん子氏 自民党役員人事 産経新聞 2013年10月8日閲覧 4.^ 自民党オートバイ議連、事務局長に三原じゅん子参議 Response 2013年4月23日閲覧 5.^ a b c d e f “政策”. 参議院議員 三原じゅん子 オフィシャルウェブサイト. 2014年8月15日閲覧。 6.^ 参議院議員 三原じゅん子オフィシャルウェブサイト 子宮頸がん予防ワクチンの危険性に関する問い合わせについて 7.^ “参院選2010 各党候補者アンケート 【比例代表】自民党 三原じゅん子”. YOMIURI ONLINE. オリジナルの2013年5月1日時点によるアーカイブ。 2014年8月14日閲覧。 8.^ “三原じゅん子議員が靖国神社を参拝”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2010年8月16日). オリジナルの2010年8月27日時点によるアーカイブ。 9.^ a b c d e 朝日新聞 1987年4月2日 夕刊 19面 10.^ a b 週刊文春 2014年10月22日 11.^ デイリースポーツ 2014年10月23日 12.^ 「三原じゅん子議員が借金トラブル 元巨人水野氏と“深い仲”」 日刊ゲンダイ 2014年10月23日 13.^ a b 日刊スポーツ 2014年10月23日
2015/03/17(火) 08:36:18 |
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