古本屋通信

古本屋開店20周年記念

古本屋通信     No 1159  11月30日

  古本屋開店20周年記念



 「20周年記念」というのが20年目の最初をいうのか、それとも20年を終えた最後をいうのか分らない。私の店は今日がその最後であり、明日から21年目にはいる。何の感慨もない。たとえあっても読者や客人と無関係であろう。何も書くまいかと思ったが、それも愛想なしだから一寸だけ書くことにする。

 オープンしたのは49歳のときだった。50歳の手前だったのは、世間一般にいわれていた 「何かやるなら定年後の60歳からではなく、その十年前から」 に従ったのだ。といっても起業などという意識はなかった。ハッキリいうと儲かる気がしなかったのだ。潰さないでなんとか楽しくやっていく、つまり道楽商売といわれても返す言葉がないような意識だった。

 実は古本屋になる前の約10年間、私は会社を辞めてブラブラ遊んでいる。これが40代に当る。子供二人の成長期で一番大変な時期だった。つれあいは小学校の教員だったから一定の定収があった。然し私がそれに甘えないというのが会社を辞めるときの、私とつれあいとの約束だった。私はそれを厳守した。「ブラブラ遊んで」 いて何で収入があったのか? 面倒だから説明は省略するが、実はこの期間が私が最も「よく働いた」 時代だった。ともかく家に金は入れた。その点だけでは妻子に迷惑をかけていない。しかしいわゆるルンプロ生活である。塾の英語講師、パチプロ、自費出版の代書・制作編集、校正の下請けと印刷屋との仲介、等々をやった。名刺は作らなかった。それと旧職場のF書店の仕事関係を利用しなかった。で、色々やったが一番儲かったのはスロット&パチンコだった。やめるつもりはなかったが、肩を壊したので諦めた。私は今でも右手が不自由で、パソコンは左手一本の一本指である。それが古本屋を始める2年前だった。

 私は大昔に新刊書店をやろうと思って色々努力したが、到底無理だと分かって諦めた。然し古本屋志向はなかった。自分で買った本が1万冊あった。読んだのは半分くらいだろう。18~48歳の間に溜め込んだ本としては多くも少なくもない。これは全て売り払っても未練のない本だった。それで古本屋開店となるのだが、そのアレコレを語る気にはなれない。耳にたこが出来るくらいその手の本が出版されている。全てくだらない。役に立たない駄本ばかりである。その二番煎じをやる気はない。

 古本の本に書かれていない事をひとつだけ書くことにする。古本屋商売には放っておいても客は寄ってくる。集客に何の苦労もない(売れるかどうかは別問題だが)。しかし寄ってきた客を追い払うのは実に難儀なことだ。客には決して低姿勢で臨んではならない。客を客とも思わない横柄な態度こそが古本屋に欠かせない資質である。これも書けばすぐに50枚くらいの原稿は書けるがやめておこう。顰蹙を買うだけだから。

 然し客を追い払うといっても限度がある。いくら横柄な態度で臨んでも客はお構いなしにやってくる。墨を入れたチンピラもエロ本を立ち読みするためにやってくる。客を差別するなって? 冗談じゃあない。古本屋にとって最も大事なことは客を差別して、望ましくないゴミ客をトコトン排斥することだ。これは本当にシンドイことである。

 古本屋はできるだけお高くとまらなければならない。それにはトコトン難しい本を置くことだ。私の店の入り口は洋書で固めてある。英独仏の研究書がウィンドーに溢れている。これでチンピラは来ない。英語の読めないレベルのあらゆる層は来ない。これで良いのだ。中高6年間英語をやっている。英語が読めない人間は日本語の社会・人文科学の古本もまず読めないだろう。来ても無駄なのだ。

 まあ、これ位にしておこうか。
 3時間ほど眠った。少し同業のことを書き加えよう。

 この20年、主だった古書店は余り潰れていない。店を閉じたのは後継者がいなくて閉店した店であり、潰れたという感じではない。その一方で新しく店を開けた新古本屋は2~3年で閉店するケースが多い。

 ブックオフが岡山に初めてやってきたのは1996年で、すでに18年経っている。表面的には変わりないが各店ともフランチャイズの経営者は何回も変わっている。のみならず本部・本体も変わっている。よく似たような新古本屋が続々出来たが、岡山に関しては全滅している。潰れてない大型店は古本市場と万歩書店だけである。前者はとっくの昔から古本屋ではないし、私は後者については既に何回か書いている。

 
 後継者がいなくて消えた主な古書店を挙げる。民衆文庫。川下書房。北書院。森古書店。すい星文庫。永田書店。奥山書店。内田書店。旧岡山市内以外ではまだあるだろう。みんな先輩で私はよく知っている。

 これ以外の店は今も継続している。私がもっとも新しい。私より新しく古本屋を始めた店で10年続いている店を私は知らない。健在な先輩店を列挙しておく。松林堂書店。南天荘書店。文藝堂書店。長山書店。古書夢や。一風堂書店。隠書泊。ブックスフロンティア。一博堂書店。漏れがあったらごめんなさい。

 このうち、街の中心部の野田屋町にあった文藝堂書店がこの2月で店を閉じて、ネット一本に切り替えた。松林堂書店も12月末に閉店してネット書店となる。岡大医学部まえにあった。山陽町のりんご堂書店は既に閉店セールをやっていて、近々完全閉店する。あとの店は継続中だが、このうち後継者(息子or 娘)がいるのは長山書店だけと聞いている。要は稼業として成り立たないから継承できない。それに尽きる。

 私の店は大家の死に伴って、その長女の方と昨日契約書(旧契約の自動延長)を交わした。あと暫く古本屋を続けることを伝え、気持ちよく了解された。私の気持ちでは、これで死ぬまでここで店がやれる。岡山駅西口近く(一キロ以内)にある。家賃も公表しておこう。20 年間値上げ無しの月5万円だ。それでもこれを古書の売り上げから吸収するのはしんどい。だから文藝堂も松林堂も実店舗をやめたのだ。一言だけ。これは全て客が悪いのだ。ノー天気な客が店を駆逐した。立ち読みだとか、入店して本を買わないなどは許されない大罪である。万死に価する。

 東京に跳ぶ。私は東京にもう20年いじょう行っていない。そんな金を捻出できない。だから石村とも子が駆け廻れる金が何処から出るのか不思議なのだ。まあ暫く監視しなければなるまい。それは措いて東京の古書店情報はいくらでも入ってくる。ただし『古書通信』や業界紙はだめだ。ブル新聞はもっとゴミである。情報は出入りする客人からだ。東京・岡山を定期的に行き来する大学教授が最低5人は来店する。神田村は何とかやっているらしい。早稲田はダメだそう。文京区本郷は壊滅だという。たぶん見かけは変わらないだろう。内実はダメだ。それは30年前から神田の一誠堂書店が数億の累積赤字を計上しながら、在庫で持ち堪えているのと似ているだろう。この辺は大市の様子など見れば頷けるものがある。


  朝が来た。昨夜の大平さんと河村さんの記事は圧巻だった.太平さんはたぶん当選するだろう。私は昨日まで、河村さんの記事に大平さんの名前が出てこなかったのが寂しかった。これでホッとした。それから村井さんの記事はまことに現れ難い。ツイッターからブログに移行し難いのだ。もう少しやってみる。


 大平さんと河村さんの名前を出したついでに、もう少し書き加える。私は二人を褒め上げなければならない義理は何もない。しかし若くても尊敬できる。その理由を(迷惑だろうが)書いておこう。

 つまり一言でいえば、政治的な記述が大半でありながら、それがしっかりと生活に根ざしているということだ。分かりやすく説明するために、石村さんと竹永さんと田中のぞみさんに登場してもらう。

 石村さんは政治レベルを度外視すれば「革命浪人」だろう。まるで現代のローザルクセンブルクである。本人もそのつもりなのだ。これはまるでピエロなのだが大罪である。なぜなら今の日本共産党にはそういうローザは必要ないからだ。吉良よし子でさえもブサヨさんのサイトでからかわれている。吉良は坂井希とセットではじめて値打ちがあるのだ。

 それは措いて、生活感覚のない共産党議員は議員失格である。

 じゃあ生活感覚はあるけれど、政治性が希薄なのはどうか。こういう共産党の議員は実に多い。殆んどがそうだといってもよい。日常生活の中からだけでは政治変革の必要は出てこない。悪いが竹永さんのブログがそうだ。コレだけ書くと彼女を傷つけるだろう。同じ岡山市議の名前を挙げておこう。鬼木のぞみさんと下市このみさんもそうだ。下市さんは政治的なことを全く書かなくなった。竹永さんと鬼木さんは政治的なことも書く。しかしそれは方便として書いているだけである。政治のことばが生活実感に裏打ちされていない。だからしばしば政治がアサッテに行ってしまう。この点で横田えつ子さんはまるで違う。

 田中のぞみさんは河村さんと竹永さんの中間だろう。まだ市議1期目だということもあろうが、亭主の金ちゃんに救われている。しかし一昨日、石村さんに下らないツイートを送った。「いいひと見つけて帰ってきてね」 だと。こういう感覚はパッパーの感覚だろう。政治の言葉を2児の母親として腹のそこから発するべきだ。大衆性とミーハーは違う。


 金ちゃんで思い出した。きのう自宅からブックスフロンティアに行きがけ、高柳の交差点を左折するとき、共産党の旗を立てた4,5人の宣伝隊に出会った。ひとりがハンドマイクで原稿を見て喋っていた。それが金ちゃんだった。喋りながらこっちを見て手を挙げた。信号が青に変った瞬間だったので、私は手を挙げることができず、ヘルメットを被ったままで会釈をした。しかし演説中に、しかもヘルメットの私がよく分かったものだ。

 これが金ちゃんである。演説は原稿の棒読みで下手である。しかし外界の動きに敏感で、あらゆる変化を正確に察知する能力に長けている。その点では嫁さんの方が鈍い。鈍いから劣っているのではない。鈍さもまた必要である。4つ違いのいい夫婦だ。もちろんのぞみさんが姉さん女房である。
  1. 2014/11/30(日) 00:05:03|
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