古本屋通信

アマゾンレビューの哲学書

 古本屋通信      No 1090  10月18日

 
  アマゾンレビューの哲学書


  たまたま必要があって、『ドイツイデオロギー』 (廣松渉訳 岩波文庫)の書評をアマゾンレビューに求めたら、評価が高くない唯一のレビューに 古本屋Aさんの文 があった。ざっと読んだ。此処でレビューの当否を論じようというのではない。私の学生時代はもっぱら古在訳であり、私もその後、数種類の邦訳に目を通したが、私にはとても論じる力はない。それに私はドイツ語の原書(ディーツ版の全集の一冊だったろう)をとっくの昔に捨てていたのだ。
 で、いちおう古本屋Aさんのレビューを貼るが、私が魅かれたのはかれが他にも多くも哲学書を紹介していることだ。実はまだ読んでいないのだが、得意のコピペをさせて頂くことにした。断るまでもないが、私はこの方の文をはじめて読むのだから、賛否は云えない。此処にあげた以外にも多くのレビューがあるらしい。読者の参考に供したい。



  ドイツ・イデオロギー 新編輯版 (岩波文庫) (文庫)

権威主義をそうと気付かせずに蔓延させた問題の本, 2007/4/19   廣松渉存命中は、この訳の元になった河出書房版を参照しなければ、この本を読んだことにならない、というハナシがまかり通っていた。「資本論」や「経済学哲学手稿」より読みやすく、ストレートにメッセージが書かれており、天才に垣間見られる独特の輝きが、その断片性と相俟って、古くから人気のあった本。よく知らない人は、廣松の主張だけ斜め読みして、あたかも他の版や翻訳が、全然違っているかのように思っているが、それは間違いである。配列などが大きく異なったり、確かに少し趣は違うが、出てくる文章やメッセージは、概ね同じ物ばかりだ。もちろん、未完成の遺稿だけに、翻訳の段階で、通常の翻訳よりぶれが大きいともいえるが、もとより、本としての体裁をなす前に放棄されている以上、著者の「真意」なるものを想定することは出来ない。おまけに、そもそも本書は、「ドイツ・イデオロギー」の部分訳でしかない(原本は何倍もある巨大な本である)のだから、断片的なメッセージがきちんと訳されていれば、それ以上の正しさや優劣を競うのは、極めて不誠実な発想である。その上、廣松は原本を見ていないことが判明しており、この点からも、文献学の基本を逸している以上、他の翻訳をとやかく言えないはずである。行間欄外の書き込みを、通常強調に用いる太字を勝手に使用して表記するなど、隠れた意図的な操作さえ行われている。追補書き込みが、強調したい点だとは何の保証もないし、未完成である以上、もし本にしていたら、大きく書き換えがあった可能性さえある。エンゲルスの「フォイエルバッハ論」の中にある本書の該当部分に関する論述から、これが「最終版」である、との根拠を広松は得て、その上で、本書の編纂の精度を問うているわけだが、そもそも、本にしない状態の草稿を以って、「本にする最終状態」と等価に見て話を進めることは、全然理に適っていない。結局、不確定要素が多すぎるのに、とやかく理屈をつけて精度を競うと言うのは、自然科学から見れば信じられないでたらめさで、この分野が早晩一般人から見放される(すでにそうなっている)所以だ。翻訳としては合同出版の花崎訳が最良であり、あれを勧める。古い三木清の翻訳は、小林秀雄に絶大な影響を与えており、「様々なる意匠」の有名な件は、そこから出ている。ほんとうの文化とはそういうもので、偏狭な内ゲバ精神では何も出てこないと思う。



 以下は古本屋Aさんの新しい書評から旧い書評の順。



 哲学の改造 (岩波文庫)  ジョン・デューイ著
達意の名訳、「現代の哲学」入門の傑作, 2014/8/30
 
20世紀の初頭の日本講演の記録を清水幾太郎親子が達意の名訳を編んだ。デューイの英語はとても難解でろくな翻訳はないが、講演記録とあってとても読みやすかったし、内容は現代の我々の普通の感覚に近く、社会活動でも今となってはこういう思考が普通になっているだけに、「哲学書」として読むと却って意外感があり新鮮である。現代の目から見た場合、20世紀にも現存した多くの哲学は、いかに「古典哲学」だったかが見えてきて面白い。同時代のフッサール、ベルクソン、一時代後の西田幾多郎やカッシラーやハイデガーなど、みんな19世紀の哲学のようでヘーゲルやカントの友達に見えてくる。そして講演当時の日本人はとてもデューイの真意を理解できるような社会・精神的な体制ではなかったと思う。
「人間の経験というのは、連想や回想の存在を通して人間のものになるのであり、その連想や回想も、感情の要求に適うように想像力の網で漉(こ)されている。」プラグマティズムとは人間本性の肯定から始まる。感覚は経験の始まり、物事を始める不可欠な端緒である。アプリオリな範疇や概念は真の経験の素材ではなく、行為、習慣、機能、といった適応のコースこそが真の素材である。経験は、調整作用である。確認、確証、検証を伴う積極的でダイナミックな機能に寄与できるか否かが、真偽の判断であり、役に立つ仮説が正しい仮説だと言うことになる。認識する人は行為する人であり、その反作用を受けては作用に向かうダイナミックな変動する世界の中にある。一方で普遍概念の中での議論は正しくてもむなしく、個々の具体的な問題解決の役に立たない、そういう古い哲学は社会思想の中で誤った方向を作り上げる。検証より反証が本質的だと言った実践性においてたいして役にも立たない議論に拘泥しないし、役に立たずかつ実践性を伴わない記号を駆使した不毛議論からも距離を置いた。行為の中で得られる情報や経験やコミュニケーションを重視したデューイの視野は広く現実的である。デューイの偉大なところは具体的な思考と実践を教育学で実行したところにあって、「大哲学者」の中では軽く見られがちだが、それは正しい評価ではないと思う。問題の解決と真理性とをごっちゃにしているという批判も正しい批判ではない。そういう古い真理論を前提にした世界観が既におかしいからだ。



 都市の類型学 マックス・ウェーバー著 単行本
理念型を駆使したウェーバーの典型的な社会学, 2014/8/28
ウェーバーは「支配の社会学」の一部として都市の類型学を展開する。都市ゲマインデは或る程度の自立性を持った法制度行政が存在する西欧特有のもので、見た目は集住があり、或る程度の恒常的な市場がありるといった都市特有の性格を持つアジアや日本に見られる都市らしきものも、西欧の都市とは異なるとして、ウェーバーの「西欧のみ」の特性を追及する一つの研究になっている。この論文を含む大著『経済と社会』は遺稿であって、どうもまとまりは良くないうらみはあるが、総論、思想性を急がずに、個々の事象の説明を確認する楽しみがある。総じて、西欧社会以外の都市に就いての説明は、情報に対して慎重であるすぎ、どうも歯切れが悪く、とくに日本の都市に関する、日本の支配構造に関する言及が出てきても、すぐに話が変わってしまい残念。一方、古代ギリシア、とくにホメーロスの世界の、ウェーバー独自の考察は、たいへん私には興味深く、有史以前の神話的世界の社会構造が、得心できる形で整理されていた。ウェーバーの博学さと慎重さだけでなく、直観力や支店の向け方など柔軟な思考を垣間見ることができて面白かった。日本でも都市社会学というのがあって、一時盛んだったが、ウェーバー流のものではなくシカゴ学派風のもので、現在では行政技術の消化され、それはそれで良いのだと思う。一方、西欧では、西欧社会のエッセンスが都市にあり、都市と都市のつながりが「社会」を形成するが、ゲマインデとして登場しなかった日本の都市は、支配者の、上からの行政リードによるものだから、もとより、本書の方式を模倣することはできないし、その意味もない。その辺に日本と西欧の違いがうかがわれ、ウェーバーの記述に就いて、西欧滞在の経験があれば、見聞の点からも得心できるところは多い。



 縮刷版 ヘーゲル事典   加藤 尚武著   単行本
読み物として読める事典, 2014/7/27
縮刷版でも全然見劣りしない内容。執筆陣がすごい。読んでいて不可解な、suspectしたくなるようなものがないのが無いので教えられることが多い。原本のレヴューには、「辞書という悟性的な手法でヘーゲルの哲学を解説するのは変じゃないか」といったようなことを書いてしまったが、それはそれとして、個々の内容はこの哲学者ならではの委曲を尽くしたものばかりで、示唆する点も妥当で、見るべき点を上手に指差して示してくれている感じだ。ヘーゲルに関係した人々への記述味充実している。ハンディーで、事典と言うより読み物になる本。



 ヘーゲル『大論理学』
  (哲学書概説シリーズ)   海老澤 善一著   単行本

現在までの最良の「大論理学」解説書, 2014/7/22
小著である。が、大著「大論理学」の全てを、流れを重視しながら見事に解説。従来あった、無暗に長い解説書とは一線を画す。従来のそれらは、あまりに長すぎ、そしてわかりずらいので、これでは、原本をあったった方が良いと言う誠に無意味な書物ばかりだった。古くは武市建人のわかりやすい解説書もあるにはあったが、それも、最初の部分だけで、「量」「度」辺りからわけがわからなくなった。「流れ」で把握するなら、いっそ、ヘーゲル自身の「プロペドイティーク」「小論理学」を参考にしたほうが全然良かった。正直、今もその考えには変わりはないが、それでも「悪無限」「真無限」の理解は、難しいところだった。「悪無限」はともかく「真無限」は何をイメージしたら良いか。本書は、やはりわかりやすいとは言えないが、手短に要約的に丁寧に記載しているので、かなり「迫れている」と思うし、参考になった。緻密で丁寧な説明の一方、よいタイミングで存在論や形而上学の背景(学説史)もさらりと触れてくれるので理解の助けになる。一方、イメージを喚起することにも熱心な叙述で、本書を読んでいると、後年「生の哲学」と称する、分けてもベルクソンのそれなどは、あまりにイメージ先行、安易な実在との対応関係に性急な哲学で、本当の意味で、「生の哲学」を語っているのはヘーゲルであることを痛感させられる。小著故に、精神的なストレスもなく、価格もお手ごろだが、内容は決してわかりやすいとは言えない(説明の仕方は丁寧で平易な日本語)。つまり本当の哲学的思索が必要だし、また原典に戻って再読したくなるような促進効果もある。解説書としては、出色だったと言いたい。



  オーギュスト・コント
  (ちくま学芸文庫)   清水 幾太郎著  

懐かしい 清水幾太郎の文章, 2014/7/17   
正直、良くも悪くも「清水幾太郎」の本。良いところは、著者の、機能的で、自分に酔ったような馬鹿らしさがないスピード感ある文章。それでいて情景、雰囲気、思いなど、しっかり残る、やはり名文家だと思う。小林秀雄の委曲を尽くしすぎた懲りすぎた文章、丸山真男の透過率のやたらと高い文章も、やはり名文とは思うが、どこか気恥しくなる「気取り」が今となっては古いけど、清水幾太郎にはそれがない。では良くないところは、要するに、本人の主張や、思いが強く、こんな思想家の解説文でも、清水幾太郎の「感想文」「エセー」であって、全然、コントは分からない。3段階の法則は本書を読まなくてもだれでも知っているし、コントが、自然科学や数学に精通した思想家だったことは知っているが、では、それが例えば、どの程度で、そういう才能が、「社会学」誕生に、具体的にどう影響したか、など肝心なことはわからない。翻訳が、十分あるわけではないから、「実証哲学講義」「実証政治学講義」と言われても、その全貌を清水が語ってくれないから、全然わからない。「世界の名著」の僅かな翻訳と本書の解説から推察するに、数学や自然科学の素養が「生かされている」と思える個所は一つもなく、能力の透明感は、コンドルセにまるで及ばないことは明らかだ。既存の思想や学問を一旦自身の中で解体し、再構成した形跡がないから、案外、レディーメイドな概念を疑いもなく受け入れて壮大らしきことを語りたがる「凡庸な」人物、そのくせ、横柄で、性欲に弱く、世間との折り合いがまるで駄目という、イメージが浮かび上がる本書の「コント」評伝は、何か悲惨で気位だけ高い「奇人」の相貌しかイメージできない。だけど、清水幾太郎は、他の自伝的な著作もそうだが、なにか、人間の気位、期待と、それが裏切られる現実と、そこで右往左往する人間への視点が多く、なにか、そういう物悲しくも恥ずかしい現象に興味が行って、書いてしまう、そういう人なんだと思う。なにか、人々の世界の断面を見るようで、つい読みたくなってしまう。コントの「社会学」がどんなもので、後の社会学との比較で「復権」しうるものは何もないのか?清水の文章を読む限り、彼はそんなことにそもそも関心はないようだ。そこは、残念な気もするが、まあ、時々読みたくなる不思議な本。



 プラグマティズムの帰結
  (ちくま学芸文庫)   リチャード ローティ著   
適正な哲学の見取り図, 2014/7/15
高名な哲学者の著作を初めて読みました。共感したけど、どちらかといえば、「哲学に就いての批評」という色彩が強く、事柄そのものを語りだす手前で終わっている感じがするのは、少し惜しい気がする。でも、自分なりに30年以上、哲学思想系を読んできて、自分の好みに合う哲学書が、どうも系譜的に一般の「学派」「系列」とは関係がないのに不安を持っていたが、ここに、全く同じ系列で過去の哲学を評価する人がいるのを知って、少し嬉しくなった。つまり、自分は、デカルトはつまらない、プラトンはつまらない、カントは偉大だがつまらない、フッサールも満足できない。論理実証主義もラッセルは面白いけど他はつまらないし、ラッセルも少し下らないところがある。一方、ヘーゲル、ジェイムズ、デューイ、ヴィトゲンシュタイン、それと一部のハイデガー、そしてフーコーはたいへん惹かれる思想家である。著者もだいたいそういう評価であり、ここにプラグマティズムの思考系を見ていると思う。とはいえ、フーコーやハイデガーよりデューイは先に言っているんだと言う評価なのだが、これもあながち間違いではなく、デューイの「時代錯誤的な」現代性は、たしかに、彼がベルクソンやフッサールと同年の人とはとても思えない驚きがある。名前は上がっていないが、G.H.ミードや、或る種のロックやモンテスキューも仲間に入るかもしれない。日本人でいえば、或る種の小林秀雄や吉本隆明や清水幾太郎が入るかもしれない。尤も最初の二人は、同時に或る種の「真理」主義者」のところもあるからついていけないところもあるが。一方、プラグマティズムの劈頭を飾るパースは世評高いが、大したことはない、という位置づけも我が意を得た(なぜそうかは本書に的確な指摘がある)。いずれも、プラトン的な「普遍的な」真理概念に侵された哲学者は「終わった概念」に縛られた思考系として、忌避されている。そしてプラグマティズムが、そういう「真理主義者」からみて「相対主義」と侮られるているが、その侮り方が、「真理主義者」の終わり方を示している、という点も共感できるし、「相対」主義、というものはないが、その真意を良く描いていると思う。論文集だから独立して読めるが、「序論」以外に、「プラグマティズム・相対主義・非合理主義」と「方法・社会科学・社会的希望」「今日のアメリカ哲学」は秀作だと思う。「ハイデガーデューイ」は魅力的な表題だが、やや分かりにくくはっきりしなかった。プラグマティズムの伝統を踏まえつつ、英米系の論理主義を彼ら自身のごとくカバーし、且つ、ドイツ観念論に対する豊かな知識やハイデガーの知識など、領域の広さと確からしさは、ハーバーマスに比肩する幅広さだ。一方、物分かりがよすぎるうらみがあって、読んでいると何のために哲学をしているか分からなくなるような皮肉な気分になるユーモラスなところもある。たいへんな才人だと思うが。



 
縮刷版 社会学文献事典   見田 宗介著    単行本
読みやすいサイズになってよかった, 2014/6/15
前は、大きすぎて、わざわざ買う気がしなかったから、図書館で読んでいました。読みたい本を探すときに便利なので、手元に置いておきたかったので縮刷版はよかった。内容的なことですが、改めてこうして社会学のみならず社会思想、社会理論および周辺社会科学や哲学書を網羅したなかに、「社会学」本来の書物が並ぶと、悲惨なほど情けない作品群に、う~ん。。。となってしまう。哲学や社会理論の古典・名著に比して、比肩もしくは凌駕するのが、ウェーバーや、ジンメル、デュルケムらの古典だけで、あとはパーソンズの良く出来た作品とマートンの作品ぐらいだと思った。シュッツやハーバーマスは常識的に哲学、または社会科学方法論で、社会学とは思えないから残念だが社会学側の作品には出来ない。とくに、今となっては、アメリカ社会学のサムナー、クーリーあたりは全然当たり前のことしか言えていないか、それは随分前にヘーゲルが書いてるじゃないか、といったことの焼き直しで、シカゴ学派に至っては、無理に評価されているが、小学校か中学校の社会科並みの内容で厭になる。尤も当時としては実践性がそれなりにあったと思うからあんまりこきおろしはできないけど。まあ、読んでみればわかるけど詰らないよね。むしろ、日本の農村、家族や都市の社会学の研究は、僕には優れているような気がした。お国自慢ではないが、社会学プロパーのことなら、グールドナーとかゴフマンとかイリイチとか、あやしげな理論(?)に感心したり翻訳するより、日本人のそういった個別分野の社会学者の仕事をもっと注釈したり持ち上げた方が良いような気がした。それと、理論紹介の分野でも、まじめできちんとした本を書いているのは日本人だと思うし、「大文字の」理論社会学者でなければ、なにも欧米だからと言って無理に感心することはないんじゃないか、と。紹介書だからといってあんまり軽く見ないで、むしろ紹介書でも良く出いたものは、いろんなことを考えさせてくれるような気がする。吉本隆明とか載ってるけど、個人的には好きで随分読んだし「言語にとって美とはなにか」なんか良いと思うけど、「共同幻想論」は解説者が絶賛するようなものではないと思うし、まあ、懐メロだとおもう。それと、今回の出版で初版時に生きていた人が亡くなっている場合、ちゃんと没年をフォローしてあるようだけど、肝心の翻訳書は旧態依然で、手を抜いたな!という感じです。ありもしない河出書房の加藤尚武監訳「精神現象学」とか(あったら読みたいが初版時に見越してここに書いたが何かあって出来なかったのだろう)、長谷川宏や中山元や熊野純彦の翻訳は載っていない。出版社って他の産業に比べて再販制度とかで守られてるんだから、もうちょっとサービスしてほしいな。アマゾンだとすぐ送られてくるけど(直ぐ来た)、店頭で頼むと1週間や2週間平気で来ないもんね。今のご時世に。



概念と歴史がわかる 西洋哲学小事典
  (ちくま学芸文庫)   生松敬三著   

中世やルネサンスごろまでが良かった、それと今は亡き碩学が壮年に入る頃の力作が, 2014/5/17
古い記述が今となってはつまらないと思う人もいるだろうが、総じて今は亡き碩学の最も筆力のあった頃の手短な叙述が、短いだけに読み物。意外だったのは、廣松渉の叙述が案外に通常の文に近く、内容も余りとんがっていない。「辞書」という性格を配慮したのか、とことん糞真面目な性格なのか、でも力量の重量感は変わらなかった。中世やルネサンスは最近随分、翻訳や解説書も多くなったが、本書の初版時にはそうでもなかったのだろうが、なのに論点は明快で、その後の思想への繋がりを理解させるだけの行き届いた著述が印象的だった。エラスムスとルターの自由意志論争など、カントやヘーゲルの思想にも大きな影を落としているような気がした。「お手頃もの」のようで案外にそうではないというのが好印象の読後感。



イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む
  (講談社学術文庫)    宮本常一著  
3度おいしい, 2014/5/2 宮本常一の典型的な視点が読めて楽しい。バードの「日本奥地紀行」の要点が読めて便利で楽しい。赤坂憲雄の解説が面白い。或る意味、奇怪な近代化直前の日本の風景が垣間見れる。蚤や虱の温床のような日本。近代化以前とは自給自足に近い、自然の過酷さに圧され乍ら辛うじて生きていられるような世界。何処かレヴィ ストロースの「悲しき熱帯」を髣髴とさせるような世界が展開されている。一方で、気高く、他人の迷惑にならないように慎重かつ好意溢れる当時の日本人に、「忘れられた日本人」を見ることになる。惨めな生活環境でも、胸を張って誇りに思える日本人が垣間見ることができる。



日本語のゆくえ 
(知恵の森文庫)  吉本隆明著   

「吉本隆明入門」として読める, 2014/3/12
他のレヴューにもあるように、吉本隆明の或る程度全貌が易しく自身で語られているというのが本書の「売り」。そのうえで、幾つか疑問が出るので述べてみます。まず、「易しく」「本人が」語ったことで、なんだか、多くのものが消えていったような気がすること。「思想」とか「作品」はたとえ本人がそうしたとしても、要約や噛み砕きをやることで、悪戦苦闘した「産物」から紡ぎだされた「創造性」は失われて別のものになるという事。哲学書の概説書があまり役に立たないことと同じだ。それと、以前から思っていた疑問。なぜ文芸批評家の彼が、哲学や社会科学や精神分析にまで入っていくのか。著者なりに「言語美」や「心的現象論」「共同幻想論」のまえがきその他で、その必然性なるもの、文学とのかかわりを語っているが、本音を言うと、あんまり積極的には、得心できないものであったが、本書を読んで、そういう話は「後付け」の理屈で、要は本人が興味があって、面白かったからやったのだ、ということ、もっと言うと、この人は、文芸関係の人ではないように思えた。「言語美」については、本書で一番主題的に取り上げられているが、これも、作品について、敢えて言えば、こういうことだ、と後知恵で言っているわけで、「美学」や「芸術論」といった、そういう後知恵的な学問らしき理屈の世界では、いくらか、作者の立場に立ったものの見方、とも言えるが、著者が信じているような、創作の技術にはならないと思う。良く指摘を受けることだが、彼の理論では小説は分析できない、と言われるが、それもそのとおりだと僕も思うが、では、なぜそうなのか、ということを考えてみるのは、小説の創作に資するとは思えないけど、面白い研究主題に思える。理系的に、単純な概念に基礎をおいて、分子モデルを組み立てるようなしぐさで分析的なことを言ってみるポーズも、古代を対象に「男・男」「男・女」の組み合わせがあって云々とやっているが、男と女しか人間はいないのだから、なんとなく馬鹿らしくなってくる。、本書でもやっているが、どうも空振りの感がある。この方向で一番多少成功したのは「言語美」の指示表出・自己表出ぐらいだと思う。それから、現代詩については、本人も詩作者のつもりらしいので、かなりの入れ込みようだが、萩原朔太郎の存在を相対化できない(たとえば北原白秋についてはなにも語れていない)という事実に意外と無頓着であり、結果現代詩のあり方に対しても全然相対的な位置が採れないままに、「言語美」の延長線であれこれ言っているのは、ちょっと著者の他で示した力量からすると大変物足りない。今にして思うと、「言語美」「カント・へーゲル・マルクスなどドイツ古典哲学に対する独特の理解力と応用力」「世界文学全集的な知識~とくにフランスとロシア文学」「日本の古典や近代文学全般の該博な知識」「言語学一般についての知識」「フロイトに関する造詣」などが、とりわけ見事で、示唆的な見識の生まれる部分で、それだけでも凄いのだが、経済学やマスカルチャー的な言説には時間が経つとやはりつまらなさが残る。総じて「二足のわらじ」の時代の作品が良く、批評家として一本立ちして以降は、今にしてみると思い入れが先行していて良くない作品が多いと思う。



 古本屋通信 
 
 上記の以下に、有名な書物のレビューが延々と続きます。

 読者は上記の書名のいずれかをアマゾンに入力し、その同じ書名の中から該当の本を選び、その ☆印 をクリックしてください。
 そうすると評価の高いものから低いもの全てのレビューが表示されます。その中の古本屋Aさんの箇所の 「レビューをすべて見る」 をクリックしてください。そうすると新しい順に10毎に全て表示されます。古本屋Aさんのものは数百あるみたいです。私はまだその数さえ確認しておりません。(古本屋通信


 
ちょっと追加。ざっと斜め読みしました。私が幾分かじっている本もあります。成程と感心する所がありますが、「偏見と独断」だと思う個所もあります。それに読めば直に気が付きますが文章の拙さも目立ちます。で、私のとりあえずの感想です。大いに役に立ちます。何よりも元本を読んで見たい「刺激」性があります。(古本屋通信)


 で、もうひとつの結論。ブル新の書評、読書ページの記事、出版社のPR誌の紹介記事、いまではなくなったようですが書評紙誌、これらは絶対に読まないことです。特にブル新の新刊案内はヤラセですから百害あって一利なしです。赤旗日刊紙と日曜版もダメ、というより最低です。こんなものを読むからアホウ(自分の頭で物を考えない人)になるのです。こんなものを読むなら、間違っていてもアマゾンレビューがずっと上等です。その理由は評者が掲載媒体から自立しているからです。だってそうでしょう。ブル新から原稿料貰っていてブル新の枠を越えた論評が出来る道理がない、そう思いませんか? (古本屋通信
  1. 2014/10/18(土) 00:01:52|
  2. 未分類

ブル新・毎日新聞発

 古本屋通信      No 1087 10月15日

   ブル新・毎日新聞



  毎日新聞の本日早朝のウェブ記事を転載する。毎日はもちろんブル新だが、朝日と読売・産経の間でよく頑張っています。私は小学校3年生の頃から読者です。いまも我家に配達されています。がんばれ毎日、頑張れ、がんばれ、ガンバレ(古本屋通信)。



  毎日新聞 2014年10月15日
 
秘密保護法:130議会が撤廃意見書 根強い不信感反映

 閣議に臨む安倍晋三首相(中央)。左は菅義偉官房長官=首相官邸で2013年12月13日午前9時31分、森田剛史撮影

 国家機密の漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法の昨年12月の成立の後、同法に対し少なくとも計195の県議会、市町村議会が廃止や慎重な運用を求める意見書を可決したことが分かった。衆参両院が受理した意見書をもとに毎日新聞が集計した。特定の法律に対し、これだけの意見書が可決されるのは極めて異例。成立後、約10カ月が経過した今月に入ってからも5議会が意見書を国会に提出しており、同法への根強い不信感は消えていない。

 可決された意見書のうち少なくとも130市町村議会が、同法の廃止や撤廃を明確に求めた。今月に入ってからは北海道洞爺湖町、岡山県吉備中央町、徳島県佐那河内村の3議会が廃止を求める意見書を国会に提出した。

 茨城県取手市議会の意見書は「国民主権・基本的人権・平和主義という日本国憲法の基本原則をことごとく蹂躙(じゅうりん)する」との表現で強い懸念を表明。三重県亀山市議会の意見書は「まさに国民の目と耳をふさぐものだ」と訴え、撤廃を求めた。また、甲府市議会は「指定される秘密が恣意(しい)的に拡大する恐れがある」と運用に関する懸念を表明した。

 極東最大の空軍基地である米軍嘉手納飛行場を抱える沖縄県嘉手納町議会では「影響を最も受けやすい地域として危惧している。住民が自らの生命財産を守るための実態把握さえもできなくなる」として、米軍の運用や基地政策に関する情報が得られなくなる懸念から、廃止を求めた。

 県議会では同法撤廃を明示的に求める意見書は可決されていないが、慎重な運用を求める意見書が、岩手、新潟、鳥取の各県議会で可決された。

 新潟県議会は「撤廃を求める意見書」や「修正を強く求める意見書」を否決した上で「国民に明確な説明を行い、十分な理解を得るよう強く求める」との意見書を可決した。ある自民党県議は「撤廃や修正までは必要ない」と前置きした上で「支持者の間に反対意見があり、否決して終わりというわけにはいかなかった。何かしらの意思表示は必要だと考えた」と語った。

 意見書は政府や国会への強制力はないが、地方議会の意見を国政に反映させるために地方自治法99条に定められており、一定の影響力を持つとされている。



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 ついでに人民新聞の今日のウェブ記事も転載しておこう。

 2014年10月15日(水)  赤旗
日米戦争体制づくり狙う  秘密法 運用基準を閣議決定
  12月10日施行 国民の懸念切り捨て

 安倍内閣は14日の閣議で、昨年末に成立を強行させた秘密保護法を12月10日に施行するため、特定秘密の指定や解除のルールなどを定めた運用基準と政令を決定しました。運用基準をめぐっては、法の廃止を求めるものも含め、「秘密の範囲があまりに広範」など制度の根幹に関わる約2万4000通のパブリックコメント(意見公募、8月)が殺到。自民党の了承手続きでも問題点の指摘が相次いだものの、政府は根幹にふれない微修正だけで施行へと踏み切りました。同日、日弁連、日本ペンクラブなど各団体が反対・懸念を表す声明などを出しました。


日弁連・ペンクラブなど抗議

 政府は行政機関の長の判断で「何でも秘密にできる」との同法の根本問題をごまかすため、指定対象となる23事項を55の「細目」に細分。不正を防ぐ監視機関を内閣官房(保全監視委員会)と内閣府(独立公文書管理監など)に新設する方針です。

 一方、安倍内閣は秘密法の成立後、集団的自衛権行使を容認する「閣議決定」(7月)、武器輸出推進への転換(4月)などを次々と強行。安全保障に関する事項を指定対象にする秘密法の危険はますます浮き彫りになっています。

 安倍晋三首相は6日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を判断する根拠となる情報が国会に開示されなくなるとの指摘に対し、その可能性を否定しないどころか、「独立公文書管理監に秘密が提供されない場合は限られる」と述べ、監視機関であっても全ての秘密は見られないことを認めました。監視機関は法改正を経ずに設置されるため、不正を是正させる権限も持ちません。

 秘密法は、軍事や外交といった日米安保体制に関わる情報に加えて、スパイ防止、テロ防止といった治安分野の情報も秘密に指定。漏えいや不正取得などによって公務員・民間人を問わず、最高10年の厳罰が科されます。

 一方、運用基準では法律自体に言及がなかった「米軍との運用協力に関するもの」との項目を加え、日米軍事協力の計画や研究が秘密指定の対象となることを示しています。

 安倍政権は日米軍事協力の指針(ガイドライン)再改定で米国と一体の集団的自衛権行使の計画づくりを進めるとともに、武器輸出や大学、独立行政法人の軍事利用、「国際テロ対策」なども推進しています。国会・裁判所の公開原則を踏みにじって国民への情報開示を拒む一方、治安機関や軍需産業を巻き込んで日米戦争体制をつくろうとしています。
  1. 2014/10/15(水) 10:37:21|
  2. 未分類

言いたくはないけれど

古本屋通信      No 1082  10月13日

  言いたくはないけれど、このブログの文体は何とかならないか?


 横田悦子さんリンクで鬼木のぞみさん(岡山市議)を訪問した。かなり前から気になっていた文体が、もはや耐えられないものになっていた。3日連続で引き、私が赤字を入れた。これはもはや左翼の文ではない(古本屋通信)。



ESD推進のための公民館CLC国際会議」が始まりました . 
おにき日記  
 
October 09 [Thu], 2014, 18:31
 「ESD推進のための公民館CLC国際会議」。いよいよ始まりました。30カ国700人が参加予定。外国人の皆さんもたくさんで、ワクワクしてます。
  写真は、お昼のランチタイムのときに、アジア&アフリカからの参加者の皆さんたちと。外国人皆さんのハツラツとした表情がとても嬉しいです☆♪。
 実は決算委員会があったり、他の用事があったりで、出たり入ったりでどっぷり参加はできていませんが、ぎゅーと中味が凝縮されての時間です。頭を使うことばかりの時間のなかに、30秒考えてみてください。お隣の方と想いをシェアしてみてくださいとチョコチョコ。時間の組み方とか、おもてなしなどの工夫もよかったです^^。
 断続的に多様な事例発表を聞いたこともあって整理ができていませんが、それぞれの国・地域の文化背景・歴史・地域としての取り組み(日本も含めて)などなどが話の奥にずっとみえて興味深いです。どの報告も、一朝一夕ではなく、継続的な具体的なとりくみのなかでの成果があがっています。そのための仕組みや意欲の継続に敬意いっぱいです
 ランチをESDでは全国区の皆さんたちといただきました>。☆公民館の人の総合司会がよかったよねぇ。分科会のテーマの決め方がいいよねぇ。雰囲気がいねぇ。……。っ、たくさんほめてくださっていました^^。
 「おもてなしバッグ」のグッズも、どれも思い入れいっぱいで充実です。ジーンズ生地のバッグ、岡山の子どもたちが描いた絵のタンブラー、マイ箸&箸袋(障がい者の方が作られたもの)、FSC認証を受けた木材使用のUSB(個人的にはこれが一番嬉しい)、再生紙ボールペン。大切に使いたくなります。
 明日は、いよいよ京山公民館での分科会です。おもてなし昼ご飯作り、がんばります。




公民館-CLC会議二日目は、私は京山公民館^^。.
おにき日記  
October 10 [Fri], 2014, 12:33
 公民館-CLC世界会議2日目。京山公民館は受入公民館で朝からドキドキ^^。
 まず、ESD活動から生まれた「緑と水の道」へ。最高の青空です。そして、京山公民館 の皆さんで温か~い受入れです。
 私はおもてなしお弁当づくりです。〈フレンドリー京山〉のメンバーも通訳と地域の皆さんと一緒に料理作りにがんばりました。地域に暮らす外国人の皆さんたちもボランティアスタッフとしてともに参加です☆♪。三食弁当は大好評。お茶や絵手紙も楽しんでくださったようです。
 京山のテーマは「リテラシー」。私は料理作りでチラチラとしか参加ができなかったのですが、読み書き算数をこえる広い意味のリテラシーを育むこと、課題解決に向けてクリティカルシンキングの力をつけること、多様な人達で新しい料理を作り、グローバルにつながっていくetcという言葉が耳に残っています。
   *        *        *
 途中で電話が入りました。環境事業課からです。
 岡山市が公共施設の屋根を貸して太陽光発電をしてもらう事業について、9施設を入札に出していましたが、4施設が決まったということです。あとは、採算がとれないからか応募がなかったということ。固定価格が高いころに取り組んでいたら違っていたでしょうかね。とはいえ、一歩前身です^^。
   *        *        *
 夜には、公民館-CLC世界会議参加で岡山に来られた田中治彦さん(上智大学)を囲んでの楽しい夕べです。私が20代~30代の頃。田中さんが岡山にいらっしゃった10年間、月に1度は例会と飲み会。 よく飲み、語り合った、気心通うメンバーとです。情熱もユーモアも気安さもいっぱい。久~しぶりに会ってもちっとも変わりません。
 田中さんは、第2分科会「文化の多様性と対話・世代間交流」のサポートで来てくださいました。地方の国際会議はいいなぁ、あの東公民館で国際会議が行なわれるなんてと感激一入のご様子^^☆。何度も言われていました。
 楽しすぎ~の時間でした^^。



あちこちの運動会 & たんぽぽネットワーク & 公民館-CLC国際会議フェアウェルパーティ
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おにき日記  
October 11 [Sat], 2014, 17:37
 朝から運動会3つ。伊島幼稚園、伊島小学校津島児童学院内派遣学級、つしま幼稚園。子どもたちが一生懸命でかわいいのです。そして、三者三様。それぞれに特色と工夫がありおもしろいです。みんな、大きくな~れ^^☆。
 午後から、たんぽぽネットワークの会合などなど。
 公民館-CLC国際会議もいよいよフェアウェルパーティー(後楽園)です。大ファンになった Dr.Roberto さんと写真をご一緒できてご機嫌の私。国際会議の成功にむけ、心をこめてがんばってこられた皆さんに乾杯です☆♪。
 29カ国650人の 参加者全員の参加型でアツくつくりあげた「岡山コミットメント(約束)2014」のプロセスに、皆さん大感激。最後までどんどん手があがったそうですよ。貴重な体験ですね。そのまとめ役が、Dr.Roberto さんです。
 Dr.Roberto さんは、オーストラリアの大学で教鞭をとるフィリピンの方です。明るい人柄と的確なファシリテート&情熱。私が参加型を学んだのはフィリピンです。
 大森市長が、いろんな国の言葉で「ありがとう」を言われていました。インドネシア、タイ、ナイジェリア、ネパール、…。参加者の多い順番です。海外ゲストの皆さんからパワーと智恵をいただきましたね。これからもつながっていくようにと思います。
 後楽園でのおもてなし。生演奏に十二単の着付けなどなど、海外ゲストの皆さんから大好評でしたよ。☆次への取り組みが大切と、アチコチで話になりました。さぁ、私もがんばらなくては ♡。そう、次は11月のESD世界会議です。



 古本屋通信  

 途中からアホらしくなった。こんな文がよく書けるな? 報告文としての一切が欠落している。「ESD推進のための公民館CLC国際会議」だそうだが、初めて読むものにはESDとCLCの意味さえも分からない。分っているのは鬼木さんだけ。全文が唯我独尊で貫かれている。文が踊っている。鬼木さんが酔っ払っているからだ。

 で、どうしてこうなるかと言うと、左翼魂が完全に失せたから。その速度は日本共産党よりはるかに速い。かつて下市香乃美さんがそうだった。議員になることが転向だった。変わらない。さすがに横田さんは頑張っている。でも、きのう批判したとおりだ。言いたくないけど、次の選挙は落選したほうが自分のためだろう。まだ若いんだ。もう一度、以前の仕事に戻って労働者人民の解放について勉強しなおすことだ。
  1. 2014/10/13(月) 01:42:39|
  2. 未分類

横田さん、いったい何を?

古本屋通信      No 1079  10月11日

  横田さん、いったい何を言っているの? 信じられない。


 久しぶりに訪ねた横田悦子さんのブログで、いきなり下記の文が飛び込んできた。頭がクラクラっとした。俄かには信じられなかった。簡潔に批判しておく。



 
女性の管理職登用
 October 01 [Wed], 2014, 8:51  横田悦子(岡山県議会議員)
 多くの意識ある女性たちが、女性が輝く社会づくりをと念じながらも遅々として進まぬまま30年が過ぎ、少子化・高齢化・労働力不足となり閉塞感が漂う日本社会の変革の要として、今、安倍政権が看板政策にしています。
 県議会でも再三質問していますが、石井元知事も伊原木知事も一言一句違わないような相変わらずの答弁でがっかり。かくなる上はこの臨時国会に提出される法案に女性管理職登用の義務化をと期待していますが、どうやらそれも骨抜きになりそうな気配。 ここで頑張らねば、私たちの社会は変われない、将来が見通せないと暗澹たる思いです。




 古本屋通信

 率直に言う。ここまで転落したかの想いである。横田さん個人ではない。緑の党である。

 50年前にさかのぼる。1960年代前半、社会党右派の江田派が構造改革論を唱えて社会党を資本とたたかわない「改良」の党にしようとしたとき、それは労働者を丸ごと資本に売り渡す階級的裏切りであった。私はまだ高校生だったが、それが政治的目覚めの最初だったと思う。以来、私の中で江田三郎に対する憎しみが消えたことはなかった。それは世襲の江田五月に対する軽蔑となって受け継がれた。この流れは社会党内での江公民路線の策動、それに失敗しての社会党からの脱落、社民連の結成、なりふりかまわぬブルジョア政党との野合をつうじて労働戦線での「連合」結成となって結実する。岡山における江田父子と大亀らの策動は一貫して、たたかう労働運動を破壊してきた。

 岡大時代、私はその憎しみと軽蔑を隠さず語った。特に民学同の学生たちに語った。それを元プロ学同のMに、江田五月に対する軽蔑として語った。Mは「社民主要打撃論じゃな」と言った。


 日本構造改革派の末裔は生きていた。多く言う必要はない。資本家はその労働者支配のために職制 (管理職) を必要とする。その任免は資本家の権限である。労働者はそれに従わざるを得ない。その任免が極端に不当な場合、労働者は異議を申し立て資本家と戦う。しかし職制 (管理職)は資本家の命を受けて労働者支配の末端を担う。その構成のあれこれについて要求を出すことは、資本家の労働者支配に手を貸すことである。ワカランかなあ? いや、ワカルかなあ?

 岡山の女議員たちはかなり前からメゲていた。岡山市議の女たちが超党派でザグザグを訪問した。これはザグザグの女性職制 (管理職)登用を先進的な事例として研究・研修するためであった。完全にメゲていた。今回横田さんが書いている事と同一である。

 猛省を促すが、あんたらの頭では理解できまい。なら分かるまで 『資本論』 を読むことだ。これが狂気に聞こえるなら救いはない。

 と言っても分からんだろうが、女の職制 (管理職)は少ないほうが良い。男だって少ないに越したことはないが、法で定めている範囲で資本家が既に任命している。職制 (管理職)は好むと好まざるに拘わらず、資本家の代弁人の仕事をせざるをえない。折角そういう役割を免罪されている女子労働者を職制 (管理職)に就かす必要はない。言っとくけど、職制 (管理職)は非人間的役割を強制され、そのぶん重労働なのだ。絶対に横田さんは間違っている。安倍の方がまだかわいい。女子が職制 (管理職)になりたくないと言っているからゴリ押しは無理だと言っている。そのとおり。



 
  1. 2014/10/11(土) 01:06:53|
  2. 未分類

筋金入りの活動家

古本屋通信      No 1077  10月9日

  筋金入りの活動家


私は、23歳から福山市母親大会に参加し、25歳から実行委員として大会の要員を担ってきました」。そりゃあ、筋金入りの活動家だ。だから以下のシャキッとした文が書ける。皆既月食の部分もだ。岡山エッセイストクラブのレベルではない。惚れ惚れするワナ古本屋通信)。




母親の願い つむぎ合わせて
2014.10.08 23:03   村井明美

第60回母親大会実行委員会が、分科会で出された対市要望をまとめる会議に参加しました。
本日は、「環境」や「幼い子供」「平和」の分科会の要望について、文章化をしました。
私は、23歳から福山市母親大会に参加し、25歳から実行委員として大会の要員を担ってきました。
市議会議員になってからは、実行委員には入っていませんが、要望書作成時には、市の施策とのすり合わせがありますので、参加しています。

本日は皆既月食です。会議の途中で窓を開けて、進行状況を眺めました。月の内側に地球の影が段々に入り込んでゆきました。淵から光がキラキラこぼれています。
わー、キャーと大騒ぎです。今夜は台風一過、空が澄み渡っていますから、浸食された月の姿がくっきり見えます。

黒い部分が地球の影です。なんか、地球の影がとても愛おしというか、地球を見ることはできませんが、影で地球が丸いということが見えるのですよねえ。
会議の論議沸騰で、オレンジ色に変わる月は見られなかったのですが、帰路に着くと、まだ右端が少し浸食されていました。
帰宅時、10時ちょうどに地球の影が月の右端を去りました。哀惜が募りましたね。
それで、写真ですが、デジカメは電池切れでした。
それでよかったのかもしれない…。

来週も、実行委員は、要望書作成に集まります。
このような粘り強い営みの継続と結んで、私たち日本共産党の議員は、議会で論戦して実行を迫り、福山の子どもや母親の願いをかなえ続けてきたのです。

本日も、実行委員会前に100枚配布終了。街頭からも訴えました。
明日もまた、何かいいことあるだろう
  1. 2014/10/09(木) 02:26:14|
  2. 未分類

TAMO2さんのバランス感覚

古本屋通信      No 1068  10月1日

  TAMO2さんのバランス感覚


  以下は昨夜遅くキンピーサイトに貼られたエントリーだが、これは管理人のブサヨさんが常連投稿者のTAMO2さん経由で立てたエントリーである。いつもブサヨさんには謝意を表明しているので、今日はTAMO2さんにお礼申し上げたい。私は跳び付きましたよ。ありがとう。

 全エントリーを転載させていただくが、その前にTAMO2さんの事。私は今回の彼の従軍慰安婦問題への向き合い方に賛成である。下らんからできるだけノータッチに越したことはないデス。言語学者の田中氏評価でも私はTAMO2さんに近い。

 尚、私はかなり前、自分のブログでTAMO2さんの挨拶を受けたが、彼の本を購入しないままになっていた。その後キンピーサイトで長大な論文が分割して連載された。私はその三分の一しか読んでない。不義理をここでお詫びしておきたい(古本屋通信)。





 2014年09月30日21:16
 あの伝説の言語学者の慰安婦本

TAMO2師匠のコメント
今日、面白い本を購入しました。購入する決め手になった文章を、貼っておきましょうかね。

従軍慰安婦と靖国神社 一言語学者の随想
[単行本]  田中克彦  KADOKAWA/角川マガジンズ 2014-08-09
 P78
 慰安婦たちは、英語で sexual slavery と呼ばれているらしいが、慰安婦を slave と訳すのは、この日本語をつくったときの工夫や配慮が示されていないだけでなく、その semantic な機能上の一面だけを切りとって示した点で適訳とはいえない。描かれるイメージはどのようなものであろうか。などなど、ドレイということばを用いるにはい ろいろ問題がある。だから「性ドレイ」とは、慰安婦をなるべく悲惨なイメージで売り出そうという、英語によって打出した安手のイメージ戦略に奉仕する道具となり、決して公平で、客観的ではない。

知らない人のために書いておくと、この田中先生「フランス万歳」の名台詞で有名なドーテの「最後の授業」のプロパガンダ性を喝破して、日本の教科書からこの小説をなき者にしてしまった豪腕の言語学者。
ことばと国家 (岩波新書) [新書]  田中 克彦  岩波書店  1981-11-20
によって、「最後の授業」は、日本の教育界から葬り去られた・・・感動など政治的に利用されるものだという警告だとぼくちん読んだ当時感じたな・・・読んでいてぞっとしましたよ。
この手の碩学は、下手なネトウヨやバカサヨはもちろん不和志位でも歯が立つわけがない。そんな人が慰安婦問題に切り込んできたと言うことは、この問題の決着がつくのか近いことを予感させるような気がする。
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コメント一覧

1. TAMO2
2014年09月30日 22:52
従軍慰安婦問題、余り関心を持たないようにしているのですが、それでもツイッターで流れて来るリベサヨな方々の言説を見ていると、徹頭徹尾プロパガンダだなあ、と思いますよ。

小生がこの問題で思うことは、ここに記しました。
(多分、既出です)
http://red.ap.teacup.com/tamo2/2008.html

2. 仮)山田二郎
2014年09月30日 23:43
書評欄ではボロクソに叩かれてるみたいですね。

3. busayo_dic@管理人
2014年10月01日 00:50
>書評欄ではボロクソに叩かれてるみたいですね。

ですね。
でも、あの田中克彦ですから、ぼくちん買って読みます。
そのうえで老いたかどうかは判断すべきかと。

4. 仮)山田二郎
2014年10月01日 01:08
内容確認の為に、さっき近くのツタヤ行ってきたんですが、この本売ってなくて他の本を買ってしまいました。

5. 猫宮
2014年10月01日 07:38
ドーデ「最後の授業」と、
「日帝が言葉を奪った云々」はセットでしたね。
しかし、その当時のセンセ方は「慰安婦」のイの字も
言及されませんでした。

きっと子供には刺激がきつ過ぎたからでしょう(棒)

6. TAMO2
2014年10月01日 08:32
仮)山田二郎様

うーん、ぼろくそに叩いている人の書評については「読解能力がないな」としか思えませんでした。サヨなら仕方がありませんが、そうじゃない人なのでとても残念。

7. 仮)山田二郎 2014年10月01日 10:06
TAMO2様

他の人の書評には興味深いのもあったりで、あそこの書評では判断つきかねる内容みたいですねー。






コメント


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 念のため酷評が多いというアマゾンレビューの賛否の全てを貼っておく。否定論にひとこと。こんなん重箱のすみ議論やってたら、かえって目が見えなくなるんだ。 TAMO2さんの「流れて来るリベサヨな方々の言説を見ていると、徹頭徹尾プロパガンダだなあ、と思いますよ」が正解だ。頭に血が上ったらオワリよ。




5つ星のうち 5.0 読みやすいけれど深い, 2014/9/13
2度読みなおしました。文化、しいては心の問題で政治的に決着するのは難しそう。お酒を飲んでじっくり話し合うことしかわかり合えない。


5つ星のうち 5.0 ピエロを演じる言語学者の見事なマイム, 2014/8/14
面白い、いや立派な本です。少し露悪的、でも恥ずかしがりやのピエロが次々繰り出すパントマイムに引き込まれるまま、ページをめくりました。
言語学者の随想がピエロのマイム?!筋が全く通らないと言われそうです。
取り上げた従軍慰安婦と靖国神社といった国家、戦争、死、人の尊厳と性、さらに責任感といった難しいテーマがからみ、傷つけられた人と傷つけた人、過去をできれば忘れて逃げ切りあわよくば居直りたい人、蒸し返して利用したい人々が登場する大舞台に、田中克彦氏はピエロとして登場し、アイロニーたっぷりの語り口の間合いから垣間見える哀調を帯びた所作によって、「あなたはこれを心の問題として捉えなおしてみてはいかが」と訴えかける作品です。
政治家、ジャーナリストや政治、歴史学の先生方はもとより、戦争と無縁の方々にも貴重なメッセージを伝える秀れたパーフォーマンスだと思いました。



5つ星のうち 4.0 田中先生のマンハイム視座からの考察, 2014/9/21
前半だけ読んだ感想ですが。
データとか、資料とか、信頼できる証言などとは
無縁という著者の幅広いl教養に基づく考察であり、
ザット読んだ範囲では、あまりこの問題を扱った
本では出てこない視点から観察されているので、
言語学、地誌学、また民族学からの言及はユニーク
でややうなずけないところも含め面白い本でした
ね。
それに、いま、日本の新聞雑誌では、強制連行の有無など
よく考えれば枝葉末節をとりあげ、また現代史の専門家や
代議士たちも、チェジュ島での強制連行の証拠がなければ
日本政府・軍による強制連行そのものはないのだ、といっ
た一斑をもって全豹を評する虚偽推論を用いているが、
著者はこうした謬論には組しないのだ。
つまり、日本の政治・軍隊の明治以来の歴史的経験から
みて、日本政府・軍部が慰安婦制度を設定し、強制連行を
含めて慰安婦たちを使役したことは当然のことだと言っ
ている。
当然というのは、正しくて良い」という意味ではなく、歴
史的に見て、当然のこと(そうだろう)というのである。
これは本当は、従軍してあの残酷な悪行を実行した、父、祖
父の世代に聞いてみればよいことだ、と。
しかし、戦場に出かけた将校兵士たちは、証言した慰安婦た
ちほどの勇気はなく、歴史の影に隠れているのだ。と。
江戸時代このかた、確かなことは、特に維新以来、帝国日本が
すすめた日本人の文化的後進状態を是正しないまま、支配者
に盲従するだけの国民大衆を作った所為だと、言うのでる。
卓見というべきか。
だからこの問題は、フランスやアメリカでは決して起こらな
いのだ。
もちろん、著者がここで触れていない、アメリカ軍のシステム、
休暇制度や補給制度の問題をも考える必要があるけれど。
これは副次的だ。
慰安婦問題は、明治以来のわが日本社会の特質の表れ、日本
社会そのものなのだ、と。



5つ星のうち 4.0 「日本のための慰安婦さんたちだった」, 2014/8/31
従軍慰安婦をめぐる日韓政治論争は、韓国国内のみならず遠くアメリカにまで普及させた慰安婦像の建設によって頂点に達したかに見える。著者のように、従軍慰安婦問題を調べたことは一度もないという人でも慰安婦像については何らかの見解を持ったことだろう。本書でもっとも深く検討され、説得力のあるのはこの問題に関する著者の判断であろう。慰安婦問題にせよ、靖国問題にせよ、日本国内だけでも意見の対立する相手方を説得することは難しい。著者はこの困難が日本文化に揺るぎなく根差した「ココロ」の存在に発しているとする。「日本憎し!」の念に凝り固まって「憎しみを永久化する」試みに対してはこの両陣営も「小異を捨てて大同につく」のではないだろうか。
著者は、憎しみは韓国人のアイデンティティを固めるものかも知れないが、それは相対的なものにすぎないと指摘する。「言いかえれば、韓国人の価値は、存在意義は、それ自体の中にあるのではなく、日本という敵あっての韓国だということにならないだろうか。」そのことは「どうしても憎しみの対象としての日本が必要なのだという意味で自立せず、かえって日本に依存的なのだ。」この点に関しては、著者が大学で指導した韓国からの女子留学生とのエピソードが効果的に紹介されている。しかし、「愛国的な」日本人はこれで著者に拍手を送るわけにはいくまい。物事には両面があることを著者は次のような言葉で示すからだ。「しかし、そうすることで、ほんとうに心がやすまるだろうか、こんなちっぽけな日本を、大したこともない、みじめな島国にたいする憎悪のために、韓国という国の全身を焼きつくしていいのだろうか。」
言語学者であり、厳密な調査によってノモンハン戦争の真相の解明にも尽した著者にしては、慰安婦問題にしても靖国問題にしても論点の整理が十分とは言えない。言語学は歴史学と対立するものと言い、したがって歴史学者の言説も、いわゆる歴史認識問題にもさしたる価値を認めない。著者流のアプローチでこれらの問題を論ずるには、著者のいう「ココロ」の闡明から始めなければならない。著者は「ウラミ、タタリ、おそれ」の感情が日本文化の基底にあるといい(p105)、それが「通俗の心情」としてココロを支配する力を持つという(p.101)。全般的に日本特殊論に傾いていると見られるが、かといって日本弁護論に走りもしない。著者は従軍慰安婦を賤視する靖国神社に承服できない。「あとがき」には次のように書いてある。著者が本気であることは疑えないが、この結論に至るまでの屈折した論理の筋道は本書を読んでもらうしかない。「…従軍慰安婦は、ほかでもない、日本の父や夫や息子のためにはたらいてくれた、日本のための慰安婦さんたちだったことだ。だから日本人は彼女たちをうやまい、感謝しなければならない。」幸いにして175頁の小著である。これまで注意されなかった新しい論点を提示した刺戟的な論考として読まれるべきである。


5つ星のうち 1.0 なんと傲慢で恥知らずな先生なのだろうか, 2014/9/22
いっさい資料などを調べたこともないど素人のくせに、従軍慰安婦と靖国神社を冠につけた本を出すという無謀さに呆れた。
この先生は、すべての歴史問題について根拠なく印象だけで語っている。自信満々に。
案の定、全く的外れな事ばかり書き連ねている。
伝聞による印象だけで「日本軍だけが慰安婦を設した」「慰安婦の中には日本女性はいなかった」と決めつけ、意見の異なる相手を人格否定している。
自分の無知を棚にあげて、慰安婦問題の識者を批判するなんて、なんと傲慢で恥知らずな先生なのだろうか。

今回、慰安婦問題について解説を付け加えたいと思う。

簡単に言えば従軍慰安婦は戦地売春婦。戦地には4000人ほど朝鮮人売春婦がいた。
戦場で慰安所が作られることは当時世界中で当たり前だった。
それを謝罪しろというのなら万国が謝罪するべき。ポイントは公権力による組織的な「強制」があったかどうかになる。
だがこれまで朝鮮人女性の強制連行があったことを証明する確かな根拠は一切ない。
なかったということを証明することは困難。しかし、実際あったということが証明されなければ、それを非難、罰することはできない。では、あったという証拠はどうすれば証明できるのだろうか?

1、軍・官憲などが強制連行に関与したことを示す文書
2、裏付けのある被害者の証言
3、同じく加害者の証言
4、同じく目撃者の証言

これらの中、一つでも確かなものがあれば事実と認めてもよい。

1 まず、証拠となる文書はない。
そのことはいわゆる「河野官房長官談話」で広義の強制生を認めた河野洋平自身が
「強制的に連行されたものであるかどうかということについては、文書、書類はありませんでした」と明言している。

2 では、被害者の証言はあるのか?
政府は韓国の運動団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」が選んだ16人の元慰安婦の聞き取り調査を行っているが、検証も裏付け調査もしていない。
聞き取りには福島みずほ弁護士などが立会人として同席しており、証言者名も証言内容も全く公開されていない。
強制連行があったということにしたい弁護士は、それらの証言がウソだとバレないように、回答を封じ込めたこともあった。
元慰安婦として韓国政府に届け出た人が155人。その中生存者は平成4年当時で74人で、民間の運動団体、韓国挺身隊問題対策協議会に登録している者は55人。
その中で連絡可能な40人余を対象に聞き取り調査をした結果を挺対協が「証言集」として刊行している。
同書は韓国外務省が「これに全部書いてある」と折り紙をつけた韓国サイドにとって切り札的資料。
ところが韓国の運動団体の調査でも矛盾が多く、省略や混乱、意図的な歪曲などが激しく、実際に同書に採用されているのは19人の証言のみ。
その19人の中、権力による強制連行の証言は4人だけ。
その中の2人は富山や韓国の釜山など、実在しない慰安所に連行されたことになっている。
残る2人は金学順、文玉珠。
しかし金さんは母親に40円でキーセンに売られ、文さんは朝鮮人に「食堂で働かないか」と誘われビルマで慰安婦になったのだ。
文さんは日本を訴えた時に裁判所に提出した訴状にそう書いたのだが「それは強制連行ではない」と非難され証言を変更したのだが、それでは信用性はない。
結局、信用できる証言はゼロ。

3 では、加害者の証言はあったのか?
吉田清治氏(これは偽名。本名は雄兎)のウソ証言があるだけ。
済州新聞の記事や秦郁彦の現地調査などにあってウソがバレた。
吉田証言を取り上げさんざん強制連行を煽った「朝日新聞」ですら否定宣言を行っている。

4 では、目撃者はいたのか?
目撃者はいない。被害者と称する人がいても目撃証言が韓国人の中から全く出てこないのも不思議な話だ。

当時、慰安婦は世界中にいた。それがなぜ日本だけが問題にされているのか?

まず、平成3年8月11日「朝日」の植村隆記者が元慰安婦の証言なるものを報じたのが発端。
当時、韓国内でも一切報道はなされていなかった。
その内容は金さんが「女子挺身隊」として「戦場に連行された」との捏造報道だった。
女子挺身隊は日本国内の軍需工場や被服工場などに動員された人々で「戦場」に出向くはずはないし、もとより将兵の性欲処理とも全く無縁。
さらに金さんは「連行」されたのではなく、貧しい母親に売られたのだった。
つまり「慰安婦問題」は朝日の捏造報道から始まった。
同年12月16日、韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が元慰安婦3人を含む35人を原告として1人2000万円、計3億円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。
これを朝日が大々的に報じた事で一挙に重大問題化。
(このことを報じたあの植村隆記者が太平洋戦争犠牲者遺族会の会長・梁順任の娘さんと結婚。 しかも梁順任は「誰でも日本から金をもらえる」といって会員を集め詐欺で逮捕された)

しかも問題を決定的に悪化させたのは、当時の宮澤首相の姿勢だ。
真相を明らかにし事実に基づいて韓国と対応することをしないで、韓国側に責められるままに非を認め謝罪することで事態を沈静化しようとした。
それが宮内閣総辞職前日に発表された河野官房長官談話。
これによって日本政府自身が「官憲等」による慰安婦の「強制」連行へ「直接」の「加担」を認めたことになり、国際社会における日本の名誉は著しく傷つけられた。
現在のアメリカ下院での謝罪を求める決議は、これを根拠にされている。

次に、戦地売春婦たちは本当に性奴隷のような存在だったのか、考えてみる。
さきほどの話に出てきた、文玉珠さんという元戦地売春婦が起こした、ビルマでの貯金の返済請求裁判。
戦時中のビルマで戦地売春婦として働いていたとき(1943~1945年)3年間で売春業で貯めた2万6145円を郵便貯金にしていたが、戦後の混乱期に通帳を紛失してしまったと言う。1965年に貯金が失効してしまうと、その返還を求めて1992年に裁判を起こした。その金額を現在のレートにすると約一億近くの巨額のお金になる。

当時、大卒の月給が75円であったのに対して、慰安婦の月収は300円。
帰国後、家やビルを何件も建てたりできたそうです。
ちなみに、当時の陸軍大将の年収でさえ6600円。
「戦地売春婦が性奴隷だった」と言うが、どこの世界の奴隷が、使役する側より金を稼ぐことができるというか?

終戦直後の戦地売春婦たちの姿をうかがい知るデータとして、北ビルマのミナチ慰安所を調査したリポートがある。
それを見ると「女性たちはブローカー(および経営主)が、300~1000円の前借金を親に払って、その責務を慰安所での収入で返還している。
経営者との収入配分比率は40~60%、女性たちの稼ぎは月に1000~2000円、兵士の月収は15円~25円。
慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模部屋に宿泊」して営業を行ったとある。
さらに「彼女たちの暮らしぶりは、他の場所と比べ贅沢ともいえるほど。慰安婦は接客を断る権利を認められていた」ほか 「負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された」といった記述も見られる。

少なくとも、日本に対して厳しい目を向けていた米軍のリポートやあるいは秦郁彦のような研究者たちのリポートを読む限り、性奴隷とされた「慰安婦」の姿など、どこにも存在した様子はない。
現在とは異なり売春が制度として肯定されていた時代には、農村の貧しい家の娘が売り飛ばされる、といった貧困のための悲劇は、国を問わずどこでもあったもの。
朝鮮では日本人相手に売春させるため手引きをするコリアンがいた。 慰安婦を高給で募集していた。同胞の「いい仕事があるよ」という甘言に騙されて日本に売り飛ばされた女性がいた。
むしろ、戦地売春婦として生計を立てられなければ、こうした朝鮮人女性はもちろん、その家族ともども野垂れ死にしていただろう。
売春を望んで行う人間はいないだろうが、しかしまたその売春によって得たお金で彼女達自身、あるいはその家族が救われたこともまた、事実だった。

日本は元慰安婦に対して賠償責任はあるのだろうか?
…ありません!
そもそも、軍、官憲等による強制連行の事実が確認できない上に、昭和40年の日韓国交樹立の際に締結された「請求権・経済協力協定」によって「完全かつ最終的に解決された」ことが両国によって確認されているから。
この協定によって無償3億ドル、有償2億ドル、計5億ドルを韓国に供与する巨額の経済協力を行った。(当時の韓国の外貨準備高は1億3000万ドル)

 ●結論● 
慰安婦問題は法的にも史実的にも実在しない。
河野談話による政治的幻影のみが存在し、日本の国益を損ない続けているのだ。


5つ星のうち 1.0 知らないし、知る努力もしようとしない, 2014/8/19
吉田の証言、本に関する記事を朝日が全面撤回しましたね
スタート地点から無理があるし、単純な日本バッシングの手段でしかなかったわけです
それを今更になって 私はド素人でなにも知りません と宣言しながら、参戦してきた言語学者がいたものですわ

いや、本当に冒頭で慰安婦について何も調べたこともないし、完全な素人と自分で言っています。
だのに日本は慰安婦問題で反省せよと、一冊丸ごと主張しているわけですな
読んでいて矛盾やデタラメが多すぎることに、少し慰安婦をかじった人ならば気づくでしょう
日本人も売春婦として戦地にいたんですよ、朝鮮人だけじゃないんです
なんでそんなことさえ知らない、または誰も注意しなかったんですか

東条英機に対する部分は死者に対する侮辱ですな
よくもこれほど自分の祖国を 根拠もなしに貶めることができるものです

こんな学者が日本の第一線にいたわけですね、そりゃ赤く染まりもしますわ
だいぶ耄碌しているようですが、死んだ後は地獄に落ちますよ、このじいさん



5つ星のうち 1.0 饒舌な年寄り爺さんの思い込みによる独り言の本かな?, 2014/8/17
うーん。この著者の知識によると、
従軍慰安婦は朝鮮人(韓国人)だけが従軍慰安婦だった。
日本人女性に従軍慰安婦はいなかったそうです。ではなぜ日本軍は朝鮮人女性だけを求めたのか?
また日本軍以外は性の処理をする相手(慰安婦)が必要なく、なぜ日本軍だけが求めたのか?ということで思いつくままに語っていますね。
20年前くらいなら通用したかもしれない知識で慰安婦問題を語る本を発行する意義が解りません。
道楽かな?

また、東条英機を甦らせて、死者を著者の思い込みで語らせて政治利用しています。
たとえば蘇った東条英機は「安倍君の参拝はめいわくだよ」なんて語ったそうな。死者の言霊を操れる霊媒師ですか

こんな本にどれだけの価値があるんでしょうか? 古本が出回ってから買えばよかった








  1. 2014/10/01(水) 05:19:12|
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