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古本屋通信

丸山真男と江田五月

古本屋通信    No 971  7月30日

  丸山真男と江田五月


 私は毎日と言ってよいほど、江田五月のリンク集を利用させてもらう。十日前その冒頭部分に 7月19日 NHKテレビ戦後史証言プロジェクト「日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち」 『第3回 丸山眞男と政治学者たち』 に出演しました と出ていた。すぐに検索して映像を探したが、観たくない司馬遼太郎しか出なかったのでそのままになっていた。先ほど第3回の丸山が出た。といっても初めから終わりまでNHKの映像に付き合うつもりはなかった。観ないでも分かるのだ。で、5分間だけ観た。予想通りの企画である。タイトルを見ただけで十分だから、レッテル貼りはしない。さらに司馬遼太郎と同居しているというだけで、切り口が通俗的であることも分かる。

 しかし5分間は無駄ではなかった。その一は死の直前だと思われる丸山の二枚の写真を見たことである。よぼよぼの写真だった。然し老醜ではなかった。どう言ってよいか、最晩年の丸山らしい写真だった。それしか言いようがない。感動した。

 その二は江田の短時間のコメントが聞けたことだ。私は江田の話だけが聞きたかったのだ。まず結論。私は大いに満足した。江田が話したことは戦後民主主義についての中学生並みの解説だった。それを丸山が目指していたと。江田は自分と丸山の係わりなどいっさい語らなかった。私は江田が丸山に花を副えたと確信した。私は江田を尊敬するわけには行かない。しかし更に距離がなくなった。それは私にとって、自分の老化の自覚だった。あれほど嫌った江田親子だったのに ・・・ と。

 私は東大法学部について何も知らない。風の噂のそのまた噂である。丸山真男は江田五月の能力を最高級に評価していた。事実江田は法学部をトップで卒業した。以下も江田の親友の浜野博(岡山朝日高時代の同級)から聞いた話だ。学生運動で江田は大学を退学処分になった。その江田をアメリカ留学させたのは丸山である。詳しくは知らぬが一度留学すると東大法学部では退学者も復学できるらしい。丸山は江田が自分の優秀なゼミ生であると証言している。しかし江田は自分が不肖の弟子であるとの想いしかなかったらしい。これには必ずしも江田の謙虚さだけからでない理由があったかもしれない。

 眠くなった・・・・・・ 

 
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  1. 2014/07/30(水) 00:02:11|
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緊急・福山発

古本屋通信    No 969  7月29日

  緊急・福山発


仁比さんの国会報告!元気と勇気がわいてきた!
2014.07.28 21:17  日本共産党福山市議会議員  村井あけみ

仁比参議院議員が福山に駆けつけました。

約60人が出迎えました。
昨日、一昨日、炎天下の平和行進に、のべ200名を超える参加者があり、私たちも行進しましたので、お誘いには手が足りませんでした・・・。

でも、見渡せば、あちこちで足を止め、演説に聞き入る方の姿が見られます。

仁比さんの迫力ある国会報告に、たびたび拍手が起こりました。
仁比・駅前

「辻さんを県議会へ」の意気込みも、高まったと思います。
辻・駅前

通りかかった中学生や高校生も足を止め、熱心に演説を聞いてくれました。

帰り際に聞くと、4人の中学生たちは相談し合って演説を聞くことにしたそうです。
そして「戦争は絶対に嫌です」「僕は(戦場に)行きません」とキッパリ!

子どもたちや学生たちに、戦争の不安を押し付けてはなりません。

日本共産党を大きく大きくしたいものです。
村井・〆

私も街頭から、入党や赤旗購読のお願いをしました。

明日は、赤旗新聞を多くの方に進めたいと思います。




  古本屋通信

 仁比参議院議員は当初は福山スルーの予定だったのに、何とか都合を付けて昨日の国会報告となった。短時間の演説会でも、これに取り組む村井さんたちの意気込みはすざましかった。この日の演説会については、村井さんのブログを直接訪問してください。仁比の顔写真もいいし辻県議もいいが、なんと言っても村井さんの3枚の写真が抜群にすばらしい。



村井さんから投稿

ありがとうです
写真、ほめていただいて、うれしいです。
小4の孫娘が撮ってくれました。

学童保育が小3までなので、一人で留守番はまだ不安なようで、時々、連れ歩いています。

「こんな写真を撮ってね」とお願いしておくと、上手に撮ってくれます。

議会でも、児童館や街なか冒険の森のような(指導員が配置されています)、安心して子どもが集える居場所作りを、気長に提案していますが…。


 
2014/07/29(火) 09:58:14 | URL | 村井あけみ #-



 古本屋通信

 そうですか、お孫さんが撮ってくれたのですか。お父さんとお母さんがお仕事なので、おばあさんといっしょなんですね。時どきそう書かれていますね。写真は3枚のどれもいいですが、今回のものは3枚連続写真として眺めると、特に秀逸です。村井さんの心の動きがよく出ていると思いました。
  1. 2014/07/29(火) 07:44:24|
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ブル新朝日の中国批判

古本屋通信    No 968  7月29日

  ブル新朝日新聞中国批判



 本来は記事にならない or してはならない事件を記事にするのもデッチアゲと変わらない。いやデッチアゲの範疇にはいるだろう。その一例を今朝の ブル新=朝日新聞の中国批判 に見た。


 朝日新聞デジタル

中国が強めるメディア管理 記者への圧力、自殺者も
北京=倉重奈苗  2014年7月29日01時13分
写真・図版
中国版ツイッター「微博(ウェイポー)」上で公開された記者の遺書とされる文書
中国で今月、一人の記者の自殺が波紋を呼んだ。記者は指導者の名前を書き間違えたことを批判され、悩んでいたという。報道への規制が強まる中で、現場の記者が受ける圧力は深刻さを増している。
 自殺したのは、四川省遂寧市に住む地元紙の男性記者(25)。その遺書が7月初旬、中国版ツイッター「微博(ウェイポー)」に掲載された。「お父さん、お母さん、ごめんなさい。でもよく考えた結果なのです」「生きる方が静かに横になる(死)よりも苦痛」
 インターネットの複数のメディアは、記者が自殺する直前に四川省の秘書長の名前を記事で書き間違えたことで内部の批判を受け、悩んでいたと報じた。記者の上司は自殺との関連性を否定した。
 中国メディア関係者は「この記者は間違えたのが地方指導者だから批判ですんだ」と指摘する。昨年、アモイ市の機関紙は中央政治局会議に関する記事で、習近平(シーチンピン)国家主席の名前を1文字間違えたことで、2人の編集者が停職処分になったという。同関係者は「事実を間違えるよりも、指導者の名前を間違える方が批判は深刻と打ち明ける。



 古本屋通信

  ウチの店の客人はたいてい朝日新聞の読者である。これをどう考えるか。私はとんでもない記事だと思う。アレコレの前に私の結論。これは朝日新聞北京支局が閉鎖されても不思議ではない「国際犯罪」である。どう大目にみても記者の即時国外追放は避けられない。中国は余程のお人好しだな。

取材せず記事にしている。「遺書とされる文書 」、「悩んでいたという」。こういう文をよく書くよ。必ずウラをとらねばならない。ウラが取れねば記事にしてはならない。海外だから無理だろう。だからそもそも記事にならない。それを承知でデッチあげ、その言い訳に 「報道への規制が強まる中で、現場の記者が受ける圧力は深刻さを増している」 と、こんどは伝聞としてではなく、事実無根の強弁をする。二重三重の詐術。完全に報道の使命の放棄。

そもそもツイッターなどを報道の根拠にするのが間違っている。 朝日は中国ツイッターの何処までを信頼できるとするのか。「微博(ウェイポー)」なるメディアの信頼性は? いや、それ以前に日本のツイッターはどうなのか。

今日の日本では常識になったが、自殺の原因を特定することは出来ない。精神医学的に不可能である。だから、かつてのように「部落差別によって結婚に反対されて自殺」などと報道されることはない。そう断定する根拠が薄いからだ。したがって日本の自殺をこのように報道することはない。

 遺書が仮に本人の手で書かれたものであっても、自殺の原因が 「秘書長の名前を記事で書き間違えたことで内部の批判を受け、悩んでいた」 からと断定することは出来ない。現にそれは記者の上司によって否定されているのだ。なぜ朝日は「中国が強めるメディア管理 記者への圧力、自殺者も」 というようなデッチアゲをやるのか?

最後の数行は何をか言わんやだ。これのどこがおかしい? ちっともおかしくないではないか。朝日新聞は「安倍」総理大臣の名前を「安部」、「阿部」と書き間違えた記者の責任を不問にするのか? 信じられない。「習近平(シーチンピン)国家主席の名前を1文字間違えたことで、2人の編集者が停職処分になった」 のは当然だろう。


たったこれだけの記事でも、ブル新の歪んだ目は果てしなく有害である。ゆめゆめブル新に騙されないようにしたい。

倉重奈苗の名前は憶えておこう。たぶん若くて優秀な女性特派員だろう。新聞資本の意を汲んでデッチアゲ記事を書いくな。この女の意識にあるのは事実にもとづく真実の報道ではない。時流(釣魚島を日本の領土だと強弁する右翼ナショナリズム)に迎合した朝日の報道姿勢、それを受けての保身の記事送信だ。恥を知らなければならない。
  1. 2014/07/29(火) 01:36:00|
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小川洋子後記

古本屋通信    No 967  7月28日

  小川洋子後記



 No 966 は書き上げるまでに6 時間も懸かってしまった。時間が惜しいとは思わなかった。単純な事実だったが自分の思い違いが分かったことは大きかった。しかしこのエントリーは10分で済ませるつもりだ。

 小川洋子の名前をアマゾンに入れた。まあ、出るワ、出るワ。あきれ返った。私は芥川賞受賞作を最後に目もくれなかった。その後の出版物も 『博・・・』 の名前を聞いただけだった。

 これをみると小川洋子は見事に文学職人に成長している。驚いた次第だ。早稲田出身だけでなく日本の全ての作家志望者のなか、1万人にひとりの成功例だろう。

 アマゾンレビューのいくつかを一瞥した。褒めていようが貶していようが一緒である。これがベストセラーの感想文である。


 私は小川の作品を文庫本で読んだことはない。初期作品の数冊をハードカバーで丁寧に読んだ。各作品について、何か書くことを前提にして読んだ。そして出来るだけ好意的に書評を書いた。

 この頃の小川洋子にベストセラー作家志向は認められなかった。しかし書いていて厭な感じになったのは否定できない。それは私が文芸雑誌 『海燕』 そのものに懐いた感想とほぼ一致していた。

 この雑誌のアレコレについては、田村幸久とのオフレコ含みもあり明かせない。ただ編集長寺田博は保守の編集者であった。反動とまで断じないのは編集者としてのバランス感覚を維持していたからである。雑誌創刊号の目玉が吉本隆明の 「ハイ・イメージ論」 だったのは寺田の編集姿勢をあらわしている。では、田村はどうだったのか。これは先送りする。


 私の結論を書く。こういう文芸雑誌からまともな作家が生まれることは、少なくとも最近30年はなかったのではないか。文壇はやくざの世界である。ユメユメ幻想を持たぬがよし。サークルや同人よりレヴェルが高いことはなく、働かなくても食えるようになりたい道楽者のタムロする特殊な世界であると私は思う。そもそも筆、ペン、ワープロ、パソコンでめしを食おうというのが間違いなのだ。



 下に寺田博の遺作の案内を貼るが、正直にいってこういう予定調和的な回想記は読む気になれない。編集業もまた典型的な虚業であることを再確認するだけである。河出書房が会社更生法にかかって退職を余儀なくされ、移った作品社が丸ごと福武書店に買い取られ、それでも金の心配をせず生き続けられた編集業とは虚業以外ではありえないだろう。寺田博にはその自覚は全くなかった。幸せな生涯だったろう。


 『文芸誌編集実記』 寺田博著
 2014年06月30日   評・尾崎真理子(読売新聞社編集委員)
 戦後派、第三の新人、内向の世代の作家を束ね、よしもとばななや角田光代をデビューに導いた編集者、寺田博(2010年没)を出版界で知らぬ者はいないだろう。
 悠々たる風格をたたえていた氏にも、不安に苛さいなまれた新人の頃はあった。河出書房新社で1962年に復刊した「文芸」の、68年にかけての誌面をたどる回想録は、謙虚で抑制の利いた晩年の円熟を醸しながら、「文学」が時代の中央にあった空気を痛いほど伝える。
 資金不足の中、なるほどこのような人間関係、熟慮と苦心を経て、三島由紀夫の『サド侯爵夫人』、高橋和巳『悲の器』、<全編集者生活の上位を占めると自ら思う収穫>となった長編評論、江藤淳『成熟と喪失』と吉本隆明『共同幻想論』は世に出た。遠藤周作、阿川弘之、大江健三郎氏も参加した「文芸内閣」の閣議(座談会)を掲載する企画も実現したのだった。
 豊富に引用されている平野謙、江藤淳の「文芸時評」の記述も濃密に当時を教える。寺田の先代、坂本一亀かずき編集長と「論争の時代」を振り返る対談も巻末に収録する。
 河出書房新社 2000円


 古本屋通信 
 私は特に詳しい訳ではないが、 「戦後派、第三の新人、内向の世代の作家を束ね」 というのは違うだろう。坂本はともかく、寺田のいた時代の河出 『文藝』 はせいぜい 「内向の世代」 からだ。また高橋和巳の初期作品 『悲の器』 の編集担当は坂本であり、寺田ではなかった。坂本が河出を引いて別会社・構想社を作ると、高橋は後釜の寺田を相手にしなくなった。そこら辺りは高橋和子たかこ 『高橋和巳の思い出』 が詳しい。和子も死んでいる。尾崎真理子のレビューが特にデタラメというのではないが、ブル新の学芸欄担当らしいきれいごとの羅列である。こういう書評は決して信じてはいけない。真贋を見分けるポイントは書評子の文体にある。尾崎の美文調がいけない。古本屋通信の下手糞がよい。
  1. 2014/07/28(月) 08:43:27|
  2. 未分類

小川洋子は武田英夫と同じ

古本屋通信    No 964  7月26日

 
 小川洋子は武田英夫と同じくらい ・・・・・。


 作家について作品以外のことを言うのは遠慮した方が賢明だという思いがある。ましてまがね文学会の人々があす吉備路文学館で合評しようという小川洋子の 『博士の愛した数式』 なら尚更である。合評会まえに外野席から冷や水を浴びせるのはどうかと思っていた。その思いを覆したのは石崎さんのブログでの以下の遣り取りだった。



 コメント
by 笹本敦史
on 2014/07/26 at 08:04:06
 解説を読めばわかりますが、数学に関する助言をしたのは「国家の品格」の藤原正彦です。数学の世界で論理的思考をする人間が社会問題についてはそうとは限らないということでしょうか。
by 石崎徹
on 2014/07/26 at 09:25:43
 彼の書いたものを読んだことがないが、確かにろくでもないことを言っている人物というイメージがあるね。



 古本屋通信

 私は小川洋子が数学者と対談したのを見た(読んだのではない)記憶はあったから、先日のブログにそう書いた。しかしそれが藤原正彦だったことはすっかり忘れていた。笹本さんは文庫解説のことを言っている。私はソレを持っていないし、見たこともない。それとは違う。いま調べたら以下の本だった。

 『世にも美しい数学入門』   (ちくまプリマー新書)   藤原正彦  小川洋子

 端折って書く。藤原が右翼極反動であることは、低脳以外には常識である。うしろに私の過去記事を転載するから、コレについては、それ以上書かない。問題は小川洋子である。結論だけ書く。右翼反動と膝を交えて対談するような女である。それに相応しい文学白痴である。

 これは文学外的な評価ではない。小川自身の文学が人間の実存とは無縁な無機質な「文学」なのだ。私の読んだのは『妊娠カレンダー』 までである。それ以後は知らない。紙の通信よりずっと以前に書評を書いた。それも少しは残っているだろう。もう見る気もしないが、なぜ書いたか。小川の担当編集者だった田村幸久(『海燕』二代目編集長)が退職するまで私の店に来ていたのだ。田村については何れ書くが、典型的な文芸編集者だった。出版者ではなかったという意味である(遠慮なくいえば営業の感覚がなかった、それは初代寺田博も三代目根本昌夫も同じだった)。小川自身も芥川賞候補作について田村の作品評価を気にしている。そういう小川の文も残っている。
 もう一つ、田村から聞いた話。たいていの作家はそうだが、小川も「素人」を極端に嫌ったそうだ。文学同人やサークルに出てこないとか、付き合わないのはもちろんだが、そういう文学修業を自分の文学とは両立しないものと考えていたらしい。

 小川について幼少時から知っている坪井あきこさんの話も聞いたが、作品外のことをこれ以上書くのはやめておく。私には笹本敦史さんのコメントは愉しかった。というのは彼が民主文学の新人賞を獲得したとき、武田英夫氏がまるで自分の手柄であるかのようなことをブログに書いたからである。その武田氏の文と、これを批判した拙文も下記に貼ることになった。

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 再録

古本屋通信   No 577  12月19日

  資料・藤原正彦氏の講演


 『国家の品格』(新潮新書)の著者である数学者の藤原正彦氏の資料、とりわけ氏が昨年はじめに各地でなした講演についての「声」を資料として紹介したい。尚、古本屋通信は講演を聴いていない。拙ブログ「通信 No 571 出版のこと」の一部分を末尾に[参考資料]として付した。


いのしし日記 武田英夫 「国家の品格」と一致するもの
岡山県民公開講座・医療シンポジゥムに参加して その② 藤原正彦氏の講演
 2011年2月 9日 22:16 | 個別ページシンポの記念講演は、「国家の品格」「日本人の矜持」などの著書で知られる藤原正彦氏の「日本のこれからと年寄りの役割」と題する講演。「国柄」といった精神的美意識に関する問題を、数学者らしい大胆な論理で切っていく訳だから、「兎に角面白い」の一言に尽きる。
講演後、ある医療関係者は「数学者としての論理」の面白さを語っていたが、政治家である私はむしろ藤原氏の「政治的見解」に面白さを感じた。
「日本を悪くしたのは自民党だが、民主党はそれ以上に日本を駄目にしている」というところから始まり、「社会保障費削減、格差と貧困拡大の小泉改革の総仕上げ」としての「民主党政権」という見解は、私と完全に一致するものである。
そして圧巻は、「TPP反対」の独特の見解である。
藤原氏が大切にしている「国柄」の中心は「日本的な田園風景」であり「お百姓への思いやり」なのである。それを、破壊するTPPは「国家の品格」を壊すものであり、そんなばかげたことは「日本人の矜持」が許さないというのである。
これまた、完全に一致する見解であり、大いに拍手を送らせていただいた次第である。




防衛大学校同窓会 Home Page 「今、そこにある危機」  
24年度防大同窓会代議員会 講演(藤原正彦氏)
 講師 藤原正彦 先生  演題 「日本のこれから」
 ここ10数年の日本を振り返りますと、改革に次ぐ改革、ものすごい改革がなされてきました。そもそも、改革=改善と信じているのは、アメリカ人だけで、イギリス人などは、改革などしても改善に繋がるのは4つの内1つと思っているようです。ところが、日本人はアメリカ人的になってしまい、とにかく何でも改革する。そして、どんどん悪くなる。更には、改革する能力すら失ってしまった。だからこそ、政治家は、国民の目線に立つ、国民の言うことに耳を傾ける、こういう政治を続けているのです。しかし、国民の目線に立ったら、日本は滅びてしまいます。なぜなら、国民が、国をリードすることは、能力的に不可能だからです。一国を運営する、リードするということは、大変なことです。したがって、圧倒的な真のエリートが日本を率いてくれないと困るのです。真のエリート、その第一条件は、教養を腹いっぱい身に付け、それに基盤を置いた大局観、長期的視野を持っていることです。第二条件は、いざとなったら国家国民のために命を捧げる気概を持っていることです。しかし、この真のエリートが日本からいなくなってしまった。

 小泉内閣の緊縮財政、民主党に至っては何もしないような政策、これらを新聞も、テレビも、エコノミスト達も、皆支持してきたわけです。この間の消費税上げも、大新聞で反対しているところはどこもありません。これは、戦前と同じです。一億火の玉、戦争に日本を導いていったのと同じです。要するに、大衆の意見、国民の意見に耳を傾けるとあっという間に国は戦争に向かっていってしまうのです。世界中のどこの軍人も戦争はしたくない。開戦を促すのは、つまるところ国民なのです。

 しかし、私にとって、一番の問題は政治経済の問題ではありません。私は、あまり政治経済に興味がありませんでした。32年前に亡くなった父(新田次郎氏)が言った、「政治とか経済は醜い世界だから、お前は美しい数学とか文学とかを作っているのがいいんだ。」それを私は、父の遺言のごとく守ってきました。しかし、12,3年前から、しきりに政治経済についても発言するようになってきました。それは、この改革に次ぐ改革が、日本の国柄をも壊し始め、これを憂慮しているからです。国柄は日本の全てであります。

 では、日本の国柄とは一体何か。一番大きな国柄は、圧倒的な初等教育です。初等教育の中心、小学校、中学校の中心というのは、昔も今もこれからもすべての国において「国語」なのです。国語が、圧倒的に重要なのです。ところが、現在の日本ではそうは言っていません。一昨年の4月から小学校で英語が必須になりました。しかも、国民の8割がこれに賛成であるそうです。私にとって、祖国日本の真の敵は、国民であると言わざるを得ません。はっきり言って、小学校から少々の時間を費やしても日本人は英語をしゃべれるようにはなりません。日本というのは、全く植民地になったことがありません。したがって、日本語だけで日本中どこへ行っても話が通じます。しかも、学問も日本語だけで通じます。自然科学を勉強しようと思えば、日本の大学院で世界の最先端領域までできるのです。自分の国で大学院まで出て、そして、そこで研究を継続してノーベル賞までいってしまうことのできる国は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、日本くらいしかないのです。

 英語だけではありません。これからはIT 社会だから小学校の頃からパソコンを教えたりする。これも国民の8割が賛成だと言っています。小学校からパソコンなんかに戯れている場合ではない。パソコンを作たり、ソフトを書くには、キチンとした論理的思考ができなくてはなりません。そのためには、小中高と数学を徹底的に叩き込まなくてはなりません。他にも福祉を教える、国際理解を教える、健康を教えると全く余計なお世話です。最近では、生きる力を育むなどと言っています。或いは、独創性、創造性を育む、学校で教えるようなものではないわけです。

 私は20年前から、初等教育においては、1に国語、2に国語、3、4がなくて5に算数、あとは10以下と言っています。初等教育の中心は国語です。国語が圧倒的です。日本の国語力は、四世紀の間、断トツの世界一だったのです。国語力は、一般的に識字率で表されます。日本は、江戸時代でも50%で、当時、世界で最も進んでいたのです。イギリスのロンドンでは、識字率が25~30%と推測されています。ロシアは、1900年になっても識字率はたった20%です。また、日本が圧倒していたのは、国語だけではなく、算数でもそうでした。1627年、京都に吉田光由という数学者が塵却記(足し算・引き算・掛け算・割り算・鶴亀算)という本を書いているのですが、彼の一番の功績は、数字の読み方を統一したことです。万と億の間に十万、百万、千万を入れ、億と兆の間にも十億、百億、千億を入れました。これにより、世界で最も優れた数字の読み方(桁)が確立され、算数大国が出来上がったわけです。

 それほど初等教育は、日本が圧倒していたのですが、3、4年前には、日本が8位、9位になってしまいました。去年あたりの結果を見ると、4位、5位くらいでした。日本は、大天災の国、台風があって、大洪水があって、大噴火があって、大地震があって、大津波がある。何でもありなのです。しかも、天然資源はほとんどありませんし、国土の70数%が山ばかりで本当に恵まれない国です。あるのは、「脳みそ」だけです。「脳みそ」で戦う以外に生きていく術がないわけです。したがって、断トツの1位をキープしなければいけない。日本は、四世紀の間、それをキープしていたのです。しかし、ゆとり教育を中心として、徹底的に教育は壊されてしまいました。

 更に、日本の心まで壊されています。国柄としての心です。日本というのは、金銭崇拝から世界で最も遠い国でした。圧倒的に遠かったのです。要するに、ヨーロッパで権力支配階級の貴族というのは、権力と教養と金を独占していたのです。ところが、日本の支配階級の武士というのは、権力と教養は独占していたが、金は、からきしなかった。これは江戸時代も、そして、明治になってからもずっと続いていたことです。また、日本人は、どんな宗教のどんな国よりも、はるかに道徳心が高い。私にとって、法律によってしか人間の行動、言動を規制できないとすれば、これは恥ずべき国家です。高貴な国とは、道徳とか倫理によって自分の言動とか行動を自己規制できる国です。

 なぜ私が国柄のことを言うかといえば、日本というのは国柄しかない国であり、国柄だけでもってきたからです。日本には、金をじゃんじゃん稼ぐことよりも徳を重ねる方がより美しいことである、或いは、自分のために一生懸命頑張ることよりも公のために頑張ることの方がより美しいことである、自分の権利を激しく主張することよりも人の気持ちをより察する事の方が美しいことであるという価値感、美醜の感覚があるわけです。このような国柄というのは、一体どこから生まれたのか。国柄の下には、日本人の美しい情緒と形というものがあるのです。花などという世界を華道にしてしまう。字などは書道にしてしまう。お茶は茶道にしてしまう。何でも芸術しないと気がすまない、異常な国民です。異常な美的感受性、これが日本人の最も重要な得意点です。

 日本のあらゆる学芸で最も素晴らしいのは、実は文学です。もうこれは圧倒的です。わび、さび、幽玄という他の国の数段上のこういう美的情緒、その根本には無常観というものがあるおかげで、圧倒的な文学を生み出してきたのです。その次にすごいのが芸術です。例えば、19世紀から20世紀にかけてのヨーロッパの印象派に対する日本の浮世絵が与えた影響がものすごい。次が数学です。行列式は、関孝和という人が最初に発見しているのです。その次は、物理学です。3、4年前には、日本の物理学者が一気に3名も受賞しました。何故、文学、芸術、数学、物理学がそれだけすごいのか。この4つにおいて、最も重要な資質は、知能指数でもない、偏差値でもない、美的感受性なのです。これが日本人のお家芸なのです。

 この美的感受性が、実は日本の道徳の下にもあります、国柄の下にもあります。日本人は、何でも美醜で考えます。日本人は、秋に虫の音を聞き、これを美しい音楽のように聞く。そこに秋の憂愁を感じたりはかない人生を思ったりする。ラフカディオハーンは、「このような感性を持っているのはヨーロッパではたぐいまれな詩人のみである。」と言っています。ところが、日本では、ごく一般の庶民が普通にそれを持っているのです。このような美的感受性、他にも故郷を懐かしむ心、深い高尚な心です。これは実に素晴らしい国際人の資質です。懐かしさというものに基盤をおいた家族愛、郷土愛、祖国愛が、きちんと育っておれば、他国の人々の同じ思いをよく理解できるわけです。他にも自然にひざまずく心、日本人特有の素晴らしい情緒があるわけです。それから、武士道精神です。武士道精神の中でも、とりわけ、卑怯を憎む心、それと惻隠です。この惻隠とは、弱者への同情、共感、涙です。これが中心です。

 私は、こういうものを日本人がみんな失ってしまったと思っていた。ところが、実は失われていなかったのです。2年前の東北の大震災の中でも、ビシッと秩序が保たれており、皆冷静であった。家族と自分の家を流された人が、他の流された人をすぐに助けに行く。そして、略奪が絶対に起きない。更に、惻隠だってとっくに日本からなくなっていると思っていましたが、若者がスポーツ選手とか芸能人が特にショーを開催し義援金を集め、ボランティアをやっていました。震災後1ヶ月間ぐらいはテレビで津波の映像をみて、日本中が皆涙を流しました。新聞はなぜか余り報道しませんでしたが、自衛隊も献身的に命がけの救助活動を行いました。東京の消防隊長がこれから福島の原発に水をかけに行くと奥さんにメールを打つと、奥さんから「日本の救世主になってください。」とただ一行来た。まだ、こういう奥さんが日本にいるわけです。私は、この奥さんが特別な人だとは思いません。このような女性はいくらでもいると思います。日本人は、日本の国柄とか美しい情緒とか形を失ったように見えて、実は遺伝子の中にしっかりと持っている。これは、悲惨な大震災の中で唯一の私にとって光明でした。

 18世紀の終わり頃、イギリスにスマイルという思想家が「歴史を振り返った時に最も実り多い時代というのは、最も苦境にあった時代である。その苦境を乗り越えて初めてさらなる高みに到達することができたからだ。」と言っています。今、日本は、苦境にあります。したがって、この苦境をどうにか乗り越えなくてはいけない。10年後、30年後になって、あの震災の後の数年間の大変な時期が最も実りの多い時代であったと言えるようにしなくてはいけません。そのためには、日本人が美しい国柄を取り戻す、その基盤となる美しい情緒と形をきちんと取り戻す、そして、素晴らしい社会、国家を作ることです。日本人は、欧米から教わった、論理、合理、理性を非常に尊重している。それに加えて、日本人が昔から持っている美しい国柄、そして、その基盤になる美しい情緒と形というものをきちんと取り加えて、付加して素晴らしい社会国家を作れば、なるほどと世界中がそれを真似しようとするでしょう。すなわち、日本人の子供達、大人達、すべての人々が美しい国柄と美しい情緒と形を取り戻して素晴らしい社会国家を作るということは、祖国日本を救うだけではなく、世界を救うことになるのです。ひいては、人類を救うことになるのです。日本人として生まれてきた本当の意義というのは、そのような形で人類に貢献することではないでしょうか。このように私は思うわけです。



平成24年 一般財団法人田部井教育振興会主催 講演会レポート
講演会レポート 【~日本のこれから、日本人のこれから~ 講師:藤原正彦氏】
 2012年3月4日(日)、東京・日比谷の東京商工会議所東商ホールにおいて、ベストセラー『国家の品格』でもおなじみの藤原正彦氏による講演会を開催いたしました。当日はたくさんの方にご来場いただき、盛況のうちに終了いたしました。お忙しい中、ご参加いただきました皆様には深く感謝申し上げます。会場は幅広い年代の方々により満席で、第二会場を用意していましたが、予備椅子を配置するほど多くの方々が来場されました。
ご講演では、まず、今の日本では国柄が壊されている、という警鐘がありました。国柄とは、日本人の美しい情緒とそれを華道・茶道・書道などで表す形、美的感受性、もののあはれ、自然に対する畏怖心、故郷を懐かしむ心などであり、国難の時代を乗り越えるにはそれらを取り戻すことが大事という話。そして、そのためのキーワードが「惻隠(そくいん)」つまり弱者や敗者への涙や思いやりであり、資源のないこの国では人こそが資源と考え、日本人ならではの国柄によってもう一度日本を元気にしようとお話しいただきました。
このためには、すべての基盤として初等教育が必要であると述べられ、特に国語教育の重要性を説かれました。藤原氏のユーモアをまじえた講演に、参加された皆さんは熱心に聴き入っておられました。

なお、今回の講演会では、お申し込みが殺到したため、多くの方々からのお申し込みをやむなくお断りせざるをえなくなりました。お申込みいただいた皆様には、この場をお借りしてお詫び申し上げます。

参加者の皆様よりご感想をいただきました。
●現在の社会にふさわしい講演だったと思います。

●とても有意義な時間でした。ユーモアがあって分かりやすいお話でした。ありがとうございました。

●日本人のこころ、本質、美徳、和、絆、美的感受性について改めて考えさせられた。

●藤原先生の実にわかりやすく、心にひびくお話が聞けてうれしく思います。理屈抜きですうーっと体に入る感じでした。日本人に生まれて本当によかったと認識を新たにしました。ありがとうございました。

●テーマに合った講演内容で感動した。このような企画をされた御社に敬意をはらいます。またすばらしい企画をして下さい。ありがとうございます。

●話題が多岐にわたり、それぞれの分野の話がとてもわかりやすく、又何が今の日本に欠けていて、これから何を重要視していけばいいのかがわかってきました。とても実りのある貴重な時間になりました。このような機会を設けて頂きありがとうございました。

●ユーモアありのお話は充実して居ました。非常に理解しやすい内容で、あっという間に時間が過ぎました。

●シャダツな氏の講演会に参加出来、大変嬉しく思っています。口は早口のようですが、身体からやさしさがあふれ、又大好きになりました。氏がおっしゃるように日本人の心が再びとり戻るように自身(私)も努力したいと思います。

●小学生の子供が3人います。今回、ご年配の方が多くご来場でしたが、今小さな子供達の教育に携わっている同年の方達にぜひおすすめしたい内容でした。子供を連れてきてもよいような託児があればぜひ知り合いにも声をかけたいです。

●惻隠の情の必要性、文理を跨ぐ博識の藤原先生の講演に感銘をうけました。

●内容が深く、短い時間になんと豊富なお話が聞けたことでしょう。録音をして家族みんなに聞かせたいとつくづく思いました。著書を読ませて戴き、今日を楽しみにしていましたが想像以上のすばらしい時間でした。又の機会をお待ちしています。

●著書の通り、共感できる内容について熱心にユーモアも交えながら話して頂いて大変満足している。藤原さんは90分にわたり休まず話したことに感服した。開催者へは、このような場を提供してくれた事に感謝。

●なんとなく自信のない子育てをしていました。子供にどのような教育をしてあげたらよいのかと…。英語も早くからやらなければいけないのかと思ったりしていましたが、本当に親として子供に伝えたり教えたりするべきことが見えた気がしました。本当にこの講演に参加できてよかったです。ありがとうございました。

●先生の著書はこれまでも何冊か中途半端に読んでいますが、初めて肉声でうかがってほんとうに感動しました。最後には涙が出ました。ますますのご活躍、ご健勝を祈ってやみません。

●藤原先生の本は何冊か読んだ事があるので、その中のお話がかなりあったのであらためて思い返すことができました。わかりやすい言葉でお話し下さったので、眠くならずに済み、有意義な時間を過ごす事ができ、楽しかったと思います。

●とてもいい話でした。子供達に聞かせたいと思いました。

●日本人の美的感覚、やさしさを先生の講演で改めて思いかえしました。震災のお話では、客席で涙している人が多くありました。感動しました。

●藤原先生の根本的な考え方にまったく同感です。先ず国語ありきから始まり、歴史、宗教、哲学、芸術、地政学、文学といった先人の知恵に学ぶことの大切さを再認識した次第です。

●今まで何度も講演を聞きましたが、今日ほど心に沁み、感動した日はありません。

●これからもたくさんの先生の新書を読みたくなりました。楽しみにしています。

●感動しました。国家の品格を読み感銘したが、他著作品についても読みたいと思います。

●子どもを育てているものとして伝えなければいけない大切なことを勉強させていただきました。ありがとうございました。

●なかなかものをはっきり言われる藤原先生がよかったです。本をよんでも大変に感銘をうけています。

●非常にわかりやすく有意義でした。講師の著書を読んでいますが、再度考えを理解することができました。またユーモアをまじえたお話はたいへんおもしろくも感じました。

●国語力、日本人の教養すべての土台は幼児期であること、日本語で豊かな感性、改めて考えさせていただきました。そして日本人の言語、いかに大切かを感じました。素晴らしいお時間、ありがとうございました。

●感動的な言葉の重みをしっかり受け止めて、これからの学びと行動につなげたいと思いました。

●とても力になるお話でした。若い世代にも聞かせたい。メモをもとに家人にも伝えます!!

●今の日本の閉塞感の原因が何であるか分かったような気がします。日本人の精神、文化、芸術等のすばらしさを学校教育に反映できる時代が早く来て欲しいと思いました。

●惻隠というキーワードをどういう方法、どういう形で若い人々に伝えていくか、教えていくのかの具体策がほしいと考えました。どうすればよいかの方向性を示していただければ尚よかったと思います。大変勉強になりました。

●日本の経済から教育など様々な角度からお話をして下さって、とても有意義な時間を過ごせました。改めて日本人の美的感受性の素晴らしさを実感しました。

●「国家の品格」の本を読み感銘しました。この様な機会を知り、生の講演を聞くことができ、またユーモアをまじえ、わかりやすくお話をしてくださり、本当によかったです。

●大変良い講演でした。わかりやすく、時間の過ぎるのを忘れてしまうすばらしいお話、ありがとうございました。

●改めて仕事の意欲がわきました。子供にも日本人としてのあり方、すばらしさを伝えたいと思います。ありがとうございました。

●日本の有り様を明快に説いて下さった講師に感謝致します。改めて自分の内なるものに気付かされ、生き方の指針になり、それが国のため、次の世代へ渡すものが何なのか気付きました。有難うございました。

●目からウロコです。捨てたもんじゃない日本と思いました。これからも国際社会等で変動の多い中、東北しかり日本しかり、世界しかり、大きな視野のもと心して美しい日本にしていかなければならないと思いました。それを創る美しい小さな種をまいていきたいと思います。本日は本当にありがとうございました。

●僕は今年から大学生になるのですが、今回の講演で大学でどのように勉強していけば良いのかよくわかりました。今まで古典や歴史はあまり重視してませんでしたが、これを機にもっと深く知りたくなりました。真の国際人になれるよう、これからも精進していきます!

●知識者の意見を直に聴く機会の少ない立場でしたので、この何時間は生活上の指針となります。

●日本の国柄は「惻隠」等に裏打ちされ、平和等すべての事柄の基礎であり、核心に当たるものであることを認識しました。

●とても有意義な時間、勉強になりました。このような機会を作っていただき、本当に感謝しております。また次回もこのような会にぜひ参加したいです。ありがとうございました。

●このような話を子供たちに聞かせたい。田部井教育振興会がこの役割を担っていただけたらと切に願うものです。これまでの日本人よりこれからの日本人に。

●とても良かったです。日頃、経済や政治、日本の今後を考えることがありますが、藤原さんのおっしゃっていた事に同感する部分が多々あった事、またそれ以上に気づきもいただきました。

●教育の重要性を改めて認識した。先生のお話は非常に面白く、興味深かった。ありがとうございました。

●藤原正彦教授の出版された書物の大変興味を持って愛読しております。初めて講演会参りまして感激いたしました。

●情緒素晴らしいこれからの日本に大いに期待したいと思います。藤原先生のお話は、笑いもあり、感動しました。

●世界のトップの方たちを見てきた藤原先生の目を通した日本の姿や歴史のお話は、とても説得力があり、聞き入っておりました。国の事を真剣に考えていて下さる気持ちが伝わりました。改めて、正しい教育の必要性、国語力の尊さを見なおしました。本日は参加して良かった。ありがとうございました。

●久しぶりに大変良いお話を聞かせていただきました。もっと若い人にも聞かせたいお話でした。ありがとうございました。

●藤原先生のお話を一度きいてみたいと思っていました。今日は高校生と小学生の子どもを連れてきました。どのくらい理解できたかわかりませんが、今後子どもたちにもこのようなお話をきく機会があるといいと思いました。子どもは国の宝です。きちんと育てたいと思います。ありがとうございました。

●話の内容もよかったし、係の人の対応もよく、心地よい時間でした。

●初めてこのような講演をきき、これまで考えなかったことなどを今回のお話を通して知ることができました。

●講師の藤原先生のお話は原稿を見ず、笑いも入れ、とても聞きやすくわかりやすかった。美的感覚を持つ必要性が強く感じた。

●母に誘われてなんとなく来ましたが、来てよかったです。わかりやすい言葉で、親しみやすかったです。帰ったら、もう一度“国家の品格”を読みたくなりました。

●内容は著書の「国家の品格」であったが、著者みずからの口できくと力強さが感じられ、納得度が全く違う。

●幼少より国語教育(母国語)の大切さ、再確認しました。もう一度先生の本を読みなおします。ありがとうございました。

●本当にそのとおりと感動いたしました。執筆されている本から本人の生の声を拝聴したかったです。

●藤原先生の講演とても楽しく聞けました。ありがとうございます。1時間半、あっという間の時間でした。先生、お疲れ様です。

●藤原正彦先生のお話はとても解りやすく、息つく間もない程熱心な語り口で、ひとつひとつ納得いたしました。これからの一日一日を心して過ごしてゆきます。ありがとうございました。折々の提言をお願いいたします。

●今回、参加させて頂き大変うれしく思っております。先生のお話すごくすごく楽しくためになりました。またこういう講演に参加してみたいです。

●日本の現状をわかりやすく説明していただき、今後の日本の進むべき道を私なりに理解できました。たいへん参考になりました。ありがとうございました。

●とても有意義でした。自分が日本で生まれたことを誇りに思えるようなお話でした。残念なのはもっと若い方々に聞かせたいと思いました。どうもありがとうございました。

●かたい先生と思っておりましたがとてもおもしろく、これからの生き方、心の持ち方に参考になりました。

●小学校の副校長をしております。本を読ませていただいておりましたが、実際にお話をうかがって大変感銘を受けました。しっかり受け止めて教育をしていこうと思いました。

●時折ユーモアをおりまぜながら、私たちが大切にして考えていかなければならない本質的なことについてお話いただき、とても感銘いたしました。

●よい講師を招へいして頂き、ありがとうございました。藤原先生のような考えの人が教育界で活躍してほしいと願います。

●藤原先生のますますのご活躍、お考えを広めていってください。参加できてとてもよかったです。ありがとうございました。

●本当に有意義な講演で、感動しました。ぜひまた参加したいのでよろしくお願いします。本日はどうもありがとうございました。

藤原正彦氏プロフィール
藤原正彦
お茶の水女子大学名誉教授
数学者・作家
1943年、満州国新京(長春)生まれ。1968年、東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。
コロラド大学助教授、お茶の水女子大学理学部数学科助教授などを歴任。1988年~2009年、お茶の水女子大学理学部教授。現在、お茶の水女子大学名誉教授。
著書に『日本人の矜持』『日本人の誇り』など多数あり、2005年に出版された『国家の品格』は200万部を超えるベストセラーとなる。



 八木経営システム研究所
 藤原正彦氏の講演に学ぶ
先日、12月5日に大阪商工会議所で「国家の品格」の著者である藤原正彦氏の講演が行われたので出向いた。私は以前に藤原氏の著作「国家の品格」「祖国とは国語」を読んでいるので、今回の内容も大変興味深く聞くことができた。
講演内容から主な内容をかいつまんで下記に記します。

★民主主義が上手く成り立つには前提がある。それは「国民が成熟した判断をすることができることだ」。即ち、感情的でなく理性的に、また短期的でなく長期的に、自分のためだけでなく社会全体のために、ということを考えて投票することが選挙において望まれる。民主主義は全能でない。
嘗てのイギリスの首相チャーチルは、民主主義に代わるもっとよいものが欲しいが、今、それに代わるものがないのが残念だといったという。

◆現在、“小さな政府”というものがもてはやされているが、小さな政府もこれが行き過ぎると、地方が荒廃する。
例えば日本においても、大きな企業もなく税収の少ない地方が財政難に喘いでいる。地方の自助努力が必要なことは言うまでもないが、やはり一定のレベルの生活水準を維持できない弱い地方には中央政府が強力な力で支援することも考える必要があるのではないか。

◆規制は撤廃するのはよいが、何でもかんでも規制を撤廃するのは問題だ。弱者にはハンディを与える必要がある。市場原理主義の限界をもっと認識しなければならない。例えば、タクシー業界では規制が進みすぎて競争が激化、タクシー運転手さんの生活が脅かされている。

◆日本も一時は一億人総中流と言われたが、現在はその状態が崩壊しつつある。アメリカと同様に格差が拡大している。また、バブル崩壊後の就職難の時代に仕事にありつけなかった若者がニート、フリーターとしての生活に甘んじている。その数600万人。彼らの将来を考えてあげなければ日本の将来も暗い。

◆嘗て日本の教育のレベルは、江戸時代の“寺小屋”という教育制度の伝統を受けて世界でもトップクラスであった。しかし今は、衰えが目立つ。寺小屋では、読み書き・算数が教えられたように、国語と数学(算数)はあらゆる学問の基礎であり、国家の持続・発展には欠かせない。中国脅威論が叫ばれているが、日本は、中国と比べた場合、数学や理論物理については、まだかなりリードしている。従って、中国の脅威をそんなに心配する必要はないのであろう。英語については、幼少時代からの英語教育の必要が叫ばれているが、一部の外国人と折衝するような人は英語力が必要かも知れないが、大多数の人にとっては、まず日本語を確立し、日本文化、歴史、文学等を学んだ上で、伝達手段としての英語を学ぶべきなのであろう。

◆未成年者の教育は、子供中心主義でなく大人中心主義であるべきである。幼児、小学生低学年の間に、人間社会の守るべき規律や規則などの倫理を徹底的に教え込む必要がある。子供を甘やかしたり、自由を与えすぎると、現在のように、いじめ、暴力が横行し教育現場が荒廃する。



[参考資料] 古本屋通信 No 571 出版のこと より
 今の日本で物書きで飯を食っている人はいないのだろうか。そんなことはない、確実にいる。しかし彼らは売文業者であっても表現者ではない。その区別は微妙だが、峻別しなければならない。基準は真実を書こうとしているか、売れるものを書こうとしているかだ。ベストセラーは後者である。養老などイカサマだろう。藤原正彦の『国家の品格』もイカサマである。

 私が武田君の教養を初めて疑ったのは、数学者の藤原正彦の『国家の品格』を肯定的に紹介したブログを読んだ時だった。へえ~、あれがマトモな本に読めるのかと。いまも彼のブログに残っているだろう。私には数学者としての藤原は分らない。しかし『国家の品格』は2,3ページも読めば、イカレ本だと直ちに判る。右翼本だがそれ以前に、右翼仕立ての売れる本を新潮社がでっち上げたのだろう。本人の藤原ももちろん右翼思想の持ち主だろう。いや、右も左も分かってない単なるアホウだという意見もある。自然科学系の天才にこういう人物が時々いる。困ったことだ。


 古本屋通信
 若干コメントしたくなった。藤原の講演の全文を読んだのは初めてだから。防衛大学校同窓会の基調講演にふさわしいということだ。しかし目新しいものではない。松下政経塾の焼き直し程度だ。典型的な支配階級のイデオロギーである。

 問題は、なぜ武田英夫のような永年党員で、かくもお粗末な人物が現われたかだ。しかしあれこれ言いたくない。日本共産党は武田をクビにするなり何なり、相応しい処置をした方がよい。これではイデオロギー闘争以前に政治闘争になるまい。県党か中央か知らぬが、26大会でケリを着けてほしい。でないと若い党員でヘンなのが続出するゾ。 
  1. 2014/07/26(土) 13:50:31|
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田辺昭夫氏のブログ

古本屋通信    No 962   7月24日

 日本共産党倉敷市議会議員田辺昭夫のブログです。


 私は日本共産党地方議員のブログでは、福山の2人を先ず訪問し、それから岡山に回る。その際いちばん先に見るのが田辺さんのブログである。岡山の議員では彼がもっとも更新がマメだし、内容に於いても信頼できる。然しどうして福山の後回しになるのだろうかと考えた。普通なら地元の岡山を優先するだろう。結論だけ。文章がまずいのだ。私だって、自分の考えを押し付けるような文を平気で書く。だから他人の文章にケチを付けるのは本意ではない。しかし議員は公職だから、そのブログも個人のヨタ文とは違うだろう。田辺さんの最近のブログ記事から、拙い表現を抜き書きしてみた。不当な言いがかりなら、批判は私に返って来るだろう。私のコメントは赤文字である。



2014/7/24
この講演には、仁比そうへい参議院議員が来られます。
久しぶりに、「仁比節」が聞かれると思うと、いまからドキドキです。

自党の国会議員に敬語はなかろう。それとも共産党内でも、国会議員は市議会議員より目上なのか? これは市議会議員は非議員の党員より目上であるという思想の無意識の表出であろう。それに 仁比の喋りは上手じゃあない。彼は感極まると涙声になる。これが仁比節? 共産党の個人に 「・・節」 は戴けない。褒めたつもりだろうが党外では笑われる。「春日(一幸)節」ではないのだ。


2014/7/23
自分のニュースとともに、来月告示を迎える早島町議選の真鍋かずたか町議のチラシづくりに専念しました。
ひとこと説明は要るだろう。党倉敷市議団長としての仕事ではなく、倉敷地区委員会副委員長の仕事なのだからね。それとも前者の立場なら、応援ということになる。文章に細かい気遣いが欠けている。福山ならこういう文は書かないだろう。

2014/7/22
核兵器のおたんこナスと訴えて一緒に歩きました。
一寸よく分からない。田辺さんのトレードマークが茄子のぬいぐるみでしょ? この日だけ茄子は「おたんこナス」?

2014/7/21
これは全文を引用しておく。
>「安倍内閣打倒へ。私の決意」  
日本共産党の志位委員長は92周年の講演会で、声の限りに訴えました。
「安倍政権は、歴代自民党政権のなかでも、戦後最悪の反動政権と言わなければなりません。このような内閣は、1日続けば、その分だけ、日本と国民に災いをもたらすことになることは、もはや明らかではないでしょうか。私は、心からよびかけたい。安倍政権打倒の国民的大運動を起こそうではありませんか」
私はこの訴えを聞きながら体の震えが止まりませんでした。長い間、2大政党論に苦しめられ、日本共産党がカヤの外に置かれながらも、歯を食いしばって頑張ってきた
そのことが昨年の参議院選挙の躍進に結び付いた。そして、今、国民のあらゆる分野の問題の解決に大きな力を発揮しようとしている。
自分がその日本共産党の一員として、議員として活動できていることの誇りと喜びを確信にさせてくれる志位さんの訴えでした。
大学時代、政治を変えたい、社会を良くしたいという思いで日本共産党に入党して、たくさんの仲間と闘ってきました。志位さんの訴えはその当時の自分の情熱を呼び起こしてくれた思いです。
 その時から比べれば年齢も重ね、体力も?弱ってきましたが、今も多くの仲間と今も活動できることを幸せに感じます。
自分の人生をこの党のために、国民のために全力を尽くしたい。そしてこの党を大きくしたい。あらためて思いました。

感極まって泣き出しそうな文である。然し泣き出しそうなのは本人だけ。党内(身内)はともかく、一般にはしらけるだけである。特に青文字部分はカルト的でさえある。できればこういう文は書かないほうがよい。身内の集まりであろうと、喋らない方がよいだろう。こういう大時代フレーズが通用する時代はとっくに終っているのだから。少なくとも私は自分の貴重な時間を、こういうアナクロ文を読むことに充てたくない。何にも得るものがないから。

2014/7/20

岡山県原水協、水島平和委員会主催の2014年国民平和大行進の歓迎会を倉敷駅東ビルの又来軒で行いました。・・・・・・いよいよ平和行進も明日から倉敷入りです。
2団体なら共催だろう。倉敷に入る前に倉敷で歓迎会をしたのか? どうでもよいことにケチをつけているのではない。こういう引っかかりを読者に引き起こすこと自体が文章失格なのだ。だって無駄なことでしょ?


2014/7/19
「すます伸子さんを囲む集い」  
ここにきてようやく完璧な文。すます伸子の写真を見たら、疲れが吹っ飛びました。田辺さん、すますさん、がんばってください。


 古本屋通信の追記
 
どうしてこういう文になるのだろうか? 少し時間を空けて考えてみた。国語力のせいか。断じてちがう。視野と視点が党員のそれに固定されているのだ。読む者は党員や支持者だけではないという思いが欠けている。現在の読者のほとんどは党員と党支持者だろう。だが何時までもそれでよいのか。田辺文は「身内の思想」による文だ。これが高じるとカルトの文になる。もちろんそこまで行っていない。然し兆しはある。どうすればよいか? もっと党外の人と交わる時間を多く取ることだ。赤旗や党文献を読む時間を減らしても、(ブル新ではなく) 良質の一般書を多く読むことだ。日本共産党は現状では余り支持されていない。そのことを身をもって知らねばならない。そしたらこういう自己満足に安住できる筈がない。文章は文章力の問題ではない。思想の問題である。田辺さんの文は敗北者の文である。福山の文は時代と民衆に寄り添った戦闘的唯物論者の文である。すなわち日本共産党員の文である。
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  1. 2014/07/24(木) 22:35:38|
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買い損なってホッとした

古本屋通信    No 961   7月23日

   買い損なってホッとした


 古本商売のことを手短に書く。店にいると昼まえにケイタイに電話が掛かってきた。以前いちど大口の買取りで運搬を世話になった赤帽さんからである。定年退官した大学教授が蔵書を整理すると言っている、見てほしいのだが、とりあえず先方に電話を入れてくれないか、ということだった。名前と電話番号を教えてくれたのですぐに電話を入れた。が、何回掛けても留守だった。

 仕方がないので、大学名と苗字でパソコン検索した。本人はすぐに分かったが、ここから先は本人が特定できないようにボカす。文科系だった。ハナから買えないクチではなかったが、なぜか気がすすまなかった。で、紹介してくれた赤帽さんに電話を返した。

 「本人がどういう人かはすぐに分かりました。専門分野も分かりましたから、本の概要も予想できます。分量はどれくらいでしょうか?」

赤帽 「とりあえず放出したいものがダンボール50 箱です。これは既に箱詰めしています。それとは別に今回は残そうかどうしようか迷っている本がその2倍はあります」

私 「ウ~ン、けっこうあるなあ。みんな持ち帰って貰いたいんでしょうか? だったら安いですよ。殆んどお金は払えないかも知れない。あなたはそれを運び出すとき一緒に行ってくれますか? たぶん赤帽さん代は5万くらいだと思うけど」


赤帽 「いや、そんなに頂きませんよ。先方はお金のことは言わないと思います。片づけてほしいだけみたいだったから」

 「見ていないのに言うのも変だけど、カンで言うとせいぜい5万円までですね。本音を言うと、タダなら受けてもよいが金はビタ一文払いたくない。まあ、そういう線で電話を入れてみますが、先方が断る可能性が半分でしょう。もし受けると言われるなら、あなたと一緒に行くといいますよ。それでよいでしょうか」

赤帽 「それでいいです。行くのは日曜日にしましょうよ」


 私にはこの話は端から嬉しくなかった。普通なら文系研究者の蔵書が約1万冊の処分だから、飛び上がる話である。しかし古本屋的に上クチだと思えなかったのだ。

 最初に引っ掛ったのは、なぜ先方が自分で私に電話をせず、逆に私に入れさせたかである。これは素人目には 「何を面子にこだわっているのか。商人が下手に出るのが当然だろう」 となる。しかしこれは違うのだ。売買は商取引である。商取引は両者が対等である時点から出発する。しかも今回の話は私から依頼したクチではない。先方が処分したいと赤帽さんに持ちかけたのだ。赤帽さんには赤帽さんの立場があって私に掛けさせたのだが、先方がそれを要求しているように思えた。だから私はこの話はうまくいかないだろうと直感した。


 私が留守番電話に入れていたので、夕方に先方から電話が掛ってきた。相互に今回の電話に至る経過を確認したあと、本題に入った。

私 「時間がありましたので、大学のHPなどで先生の専門を拝見しました。文系ですし間口は広いようなので、買取りはさせて頂きます。けど、トコトン安いですよ。その理由は研究者の本がほとんど売れないからです。分量もお聞きしています。全て一括持ち帰れと言われるならそうします。しかしその場合は、選択買いよりも更にお安くなります。まあいくら出しても5万円までです。タダでは持ち帰りませんが、3万円位かも知れません」

教授 「今回整理したいのは段ボール50箱です。あとは今回売る気はありません。それに、残している数千冊も含めて最高5万円ですか? すごく安いなあ。買うときは高かったですよ。とても売れないなあ。段ボール分も売るか売らないか少し考えたい。即答できないです」

 「お気持ちは分かります。しかし即答されないと、古本屋はお断りになったと見做すのです。それは相見積を取られたくないからです」

教授 「やむを得ません。売らないことにします」

  「了解しました。ご紹介くださった赤帽さんには私から報告しておきます。失礼いたしました」



 直後に赤帽さんに電話をいれて報告した。全てを互に了解した。私がひとつだけ観測を述べた。

私 「段ボール50箱、ありゃあ古本屋的には全部ゴミですよ。先生も要らない本ばかり詰めたと言ってましたから」

赤帽 「そうかも知れません。私には本は分かりませんが、間違いないでしょう」

私 「買わないでよかったです。でもお骨折り頂いたのにすみません。今後とも宜しくお願いします」

赤帽 「いいえ、お役に立てず済みませんでした」


 買い損なってホッとした。こういう気持ちは初めてである。清々しい気持ちでパソコンに向かった。





 後記

 こういう話は古本屋の日常には掃いて捨てる程あるだろう。古本屋は対応を熟知しているし、一般には何の興味も湧かない話だろう。私も書こうか書くまいか一瞬迷った。それでも書いたのは、たったこれだけの事でも他の古本屋が書かないからだ。結果古本業界の実情、古本屋の日常とかけ離れた「虚像」だけが一人歩きする。蟲文庫に見たとおりである。ありふれた今日の記事でも、これから古本屋を立ち上げようとする方にはいくらか参考になるかも知れない、そう思って記事を書いた。

 もうひとつ。私が蟲文庫のことを何回もクドく批判的に書くのは、田中美穂さんに恨みがあるからではない。赤旗の蟲文庫紹介のアホウ記事がカンに障って忘れられないからだ。この日の読書欄には、新書ブームを肯定的に書いた記事もあり、なんと右翼出版の幻冬舎まで褒め上げていた。これらの記事の延長線上に 『日本共産党の深層』 (イースト新書 大下英治) 賞賛があった。許せない。




 後記2

 ついでに書いておこう。これは電話広告を大きく掲載している同業の買取の話だ。電話で買取依頼は結構あるという。応じるか否かの基準ははっきりしている。買取価格についての注文が一切ない件だけに対応する。つまり 「いくらでも結構です」、 「場合によっては無料で引き取ってくださって構いません」 という顧客にしか応じないという。

 これが現実的には正解なのだ。つまり裸になって全てを古本屋に任せてもらう。無条件に信頼して貰うことが商取引の前提になる。古本屋が買い叩くと思っている顧客は一目で分かるし、今回のように電話だけでも、いや電話する前から分かるものだ。

 そういう場合はハナから断ると腹を決めて、あとは先方が断るようにもって行くのだ。今回のケースが手前勝手な大学教授だったというのではない。ごく普通である。しかし取引はそもそも無理だった。新刊購入価格の累計は4000万円位だったろう。教授の期待値は100万円以上のはずだ。これは40年前なら折れ合い可能だった。しかし現在ではありえない。絶対に元が取れないからだ。
 
 現実的には本人が生きているうちは、古本屋は商売にならない。奥さんでも商売にならない場合が多い。息子か娘の代になって初めて話になる。これがホントなのだが、これを書くと古本屋は集中砲火を浴びるだろう。だから誰も書かない。私だけが本当のことを書いた。

 最後に自信を持って書く。私を含めて古本屋は決して買い叩かない。精一杯の値を付ける。なぜなら古本屋どうし競争しているのだ。買い叩いた古本屋は例外なくつぶれた。遠慮なく書こう。亭主亡きあとの森古書店。亭主亡きあとの岡大北書院。そう、古本屋は精一杯高価買取り。これは冗談を言っているのではない。むかしも今も変わらない。
 
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  1. 2014/07/23(水) 18:40:25|
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安倍政権を打倒しよう

古本屋通信    No 956   7月18日

  安倍政権を打倒しよう


 日本共産党がようやく安倍政権を打倒を打ち出した。古本屋通信はこれを無条件に全面的に支持する。関連して暫くのあいだ共産党批判は控える。但し個々の党員についてはこの限りではない。


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安倍政権打倒の国民的大運動を
日本共産党創立92周年記念講演会
「亡国の政治」と決別し、未来に責任を負う新しい政治を


志位委員長が講演


 日本共産党は創立92周年を迎えた15日、東京都新宿区の日本青年館で記念講演会を開きました。志位和夫委員長が「『亡国の政治』と決別し、未来に責任を負う新しい政治を」と題して講演。日本と国民に災いをもたらしている安倍政権の「亡国の政治」を、集団的自衛権、暮らしと経済、原発、米軍基地の四つの問題から浮き彫りにし、「安倍政権は、歴代自民党政権の中でも、戦後最悪の反動政権だといわなければなりません。このような内閣は一日続けば、その分だけ、日本と国民に災いをもたらすことは明らかです。安倍政権打倒の国民的大運動を起こそうではありませんか」と呼びかけました。「そうだ」「よーし」、志位氏の訴えの随所で拍手と声援がわき起こりました。「みんなの力で安倍政権を打倒しようではありませんか」との呼びかけに、会場から拍手が地響きのように起こり、しばらく鳴りやみませんでした。

 報道カメラマンの石川文洋さん、漫画家の高口里純さん、聖護院門跡門主の宮城泰年さんが日本共産党への期待のビデオメッセージを寄せました。会場は第2会場まで満杯となりました。インターネットでも全国に中継され、1258カ所で視聴会がおこなわれました。会場には入党コーナーも設けられ、次々と相談者が訪れました。

 志位氏は、安倍政権が強行した集団的自衛権行使容認の「閣議決定」について(1)米国が世界のどこであれ戦争に乗り出したさいに、自衛隊が「戦闘地域」まで行き軍事支援を行う(2)「自衛の措置」の名目で集団的自衛権行使容認に公然と踏みこみ、海外での武力の行使に乗り出す―という二つの道で「海外で戦争する国」づくりを推し進めるものになっていると述べ、国民に事の真相を語らず、ウソとゴマカシに終始する安倍首相の言い訳が通用しないことを痛烈に批判しました。

 そのうえで、1941年12月8日の太平洋戦争開戦の「詔書」を示し、無制限な海外での戦争を「国の存立」「自衛の措置」の名で推し進めることは、かつて日本軍国主義が「帝国の存立」「自存自衛」の名で侵略戦争を進めた誤りを繰り返すものであり、「断じて許すわけにはいきません」と力を込めました。

 失われるものは何か

 志位氏は、「閣議決定」は戦後日本のあり方を根底から覆そうというものだと批判。そのことで失われるものとして以下の三つの点を上げました。第一は、若者の命と人生、第二は、日本が憲法9条とともに築いてきた国際的信頼、第三は、日本社会の人権と民主主義―です。
 志位氏は「それにしても何のために安倍首相はこんなとんでもない暴走をしているのか」と問いかけ、その根底には日米軍事同盟の侵略的強化という日米支配勢力の思惑があるが、「それだけでは説明がつかない」と指摘。「安倍首相の異常な性急さ、乱暴さの根本には安倍首相自身の反動的野望がある」と告発。「それによって失うものははかりしれない。これは文字通り『亡国の政治』そのものではないでしょうか」と訴えました。

 いま日本政治は、戦争か平和かをめぐって、戦後最大の歴史的岐路を迎えています。志位氏が「このたたかいの最終的な帰趨(きすう)を決めるのは国民の世論と運動です」と語り、「『海外で戦争する国』づくり許すな、解釈で憲法を壊すな―この一点で、空前の国民的反撃のたたかいをおこし、安倍政権の軍国主義復活の野望を打ち砕くために、ともに力を合わせましょう」と呼びかけると、「そうだ」の声と大きな拍手がわきおこりました。

 志位氏は、いま何よりも大切なことは、道理にたった外交交渉による解決、平和的解決に徹する憲法9条の精神に立った外交戦略を確立することだと強調。日本共産党の「北東アジア平和協力構想」の提案の中身を詳述するとともに、元外務省高官も「極めて正論で、当然支持を得られるべきです」との感想を寄せていることを紹介。「この構想こそ、地域の平和と安定を守り、未来に責任を負う提案ではないでしょうか」と問いかけると、参加者は大きな拍手でこたえました。

 「逆立ち」経済ただそう

 暮らしと経済の問題ではどうか。
 志位氏は、安倍政権が実行した消費税大増税を「三重の『逆立ち』税制だ」と指摘。(1)「社会保障のため」といって消費税増税を強行しながら、社会保障給付の「自然増削減」の方針を復活させた(2)「財政再建のため」といって消費税増税を強行しながら、大企業には大減税の大盤振る舞いが行われている(3)大企業減税の財源のためとして、赤字で苦しむ中小企業からも税金を取り立てようとしている―の3点で告発しました。

 さらに安倍首相が「成長戦略」の名でやろうとしていることは、「政権を維持するために株価を引き上げることの一点を目的とし、そのためならば何でもあり―これが中身です」とズバリ。株価引き上げのために、法人税大減税、公的年金の株式運用、労働法制の大改悪に血道をあげる姿を厳しく批判しました。株価引き上げメニュー以外には、日本の食と農を破壊する環太平洋連携協定(TPP)推進、原発再稼働、原発輸出、武器輸出、カジノ賭博解禁が盛り込まれていることを指摘し、「これが『成長戦略』とは聞いてあきれます。ここには、国民の命と暮らしを守るという立場はかけらもない。暮らし破壊の『逆立ち』経済、文字通りの『亡国の政治』というほかないではありませんか」と力説しました。

 ただされるべき日本経済の病理はどこにあるのか。志位氏は、この1年間の新しい数値を紹介しながら、「大企業の利益が増えても、株主への配当、役員報酬の引き上げ、そして内部留保に積まれてしまい、労働者の賃金には少しも回らない。ここにこそメスをいれるべき日本経済の一番の病理があります」と強調し、日本経済を再生させるための二つの改革―(1)「応能負担」の原則に立った税制改革(2)大企業の内部留保を日本経済に還流させ、国民の所得を増やす経済改革―を提唱しました。

 原発再稼働断念を

 原発再稼働の問題で安倍政権は、原発を永久に使い続ける「エネルギー基本計画」を決定し、原発再稼働へ暴走しています。志位氏は「この暴走は、被災地・福島の願いに真っ向から背くものです」と述べ、「住み続けられる福島に戻せ」「福島原発の全基廃炉を決断せよ」など「オール福島」の声に連帯してたたかう決意を表明しました。

 原発再稼働差し止めを求める福井地裁判決の画期的意義に言及し、「安倍政権がこの判決を重く受け止め、全国すべての原発の再稼働を断念することを強く要求します」と訴えました。

 沖縄県民の決意に全国が応え

 安倍政権は、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ内で新基地建設の工事に着手しました。
 志位氏は、こうした動きを地元紙が、60年前の「銃剣とブルドーザー」による土地強奪と基地拡大とうり二つだと批判していることを紹介。「県民の7割以上が反対し、稲嶺進名護市長も断固反対しているなかで、この声を一顧だにせず強行する姿勢は、およそ民主主義国家とは言えない。ここでも『亡国の政治』がむき出しになっています」と告発しました。

 「県民の総意を踏みつけにした暴政は、島ぐるみのたたかいの巨大な発展を呼び起こさずにはおかない。『沖縄は屈しない』―沖縄県民のこの決意に全国が応えようではありませんか」と呼びかけると、大きな拍手が響きました。

 「安倍政権打倒の国民的大運動」を提起した志位氏は、日本共産党がこのたたかいの先頭に立つとともに、国政の緊急の四つの転換―(1)「海外で戦争する」国づくりを中止、憲法9条を生かした平和日本への転換(2)くらし破壊の「逆立ち」経済をただし、暮らし第一で日本経済再生をはかる(3)原発再稼働ストップ、「原発ゼロの日本」への転換(4)米軍新基地建設ストップ、基地のない平和な沖縄の実現を訴えました。

 日本共産党を強く大きく 

 最後に志位氏は「日本共産党こそ、未来に責任を負う政党です」と述べ、(1)綱領という未来への確かな羅針盤を持つこと(2)確かな歴史を持つ党でこそ未来を拓(ひら)く先頭に立てること(3)草の根で国民と結びつき、国民とともに未来を拓く政党であること―の三つの角度から日本共産党の特徴を縦横に紹介。「未来に責任を負う党―日本共産党を大きくすることに日本の未来はかかっています。どうか一緒に新しい日本への世直しに取り組もうではありませんか」と呼びかけました。




みんなの力で安倍政権打ち倒そう
緊急街頭演説 山下書記局長訴え

 日本共産党・志位和夫委員長の「安倍政権打倒の国民的大運動」の呼びかけを受け16日、山下芳生書記局長が東京・渋谷駅前で緊急の街頭演説を行い、「みんなの力で安倍政権を打ち倒そう」と訴えました。

 立ち止まって聞いていた男性会社員(28)は、集団的自衛権行使容認を批判した山下氏の訴えに「言っていることが理にかなっている」とうなずきます。「いったん戦場に出てしまえばどうなるか分からない。戦争の放棄をうたった日本国憲法の良さを変えてはいけないと思う」と話しました。

 仕事帰りの東京都世田谷区の男性(39)は「安倍政権は早く終わってほしい。頑張ってください」と山下氏と握手しました。

 演説に若者が足を止め、山下氏に手を振って応援する女性たちも。

 「若者のみなさん、戦場に行きますか」「女性のみなさーん、恋人を戦場に送りますか」と演説で語りかけた山下氏。集団的自衛権行使容認「NO」の声を一緒に上げようと訴えました。原発再稼働問題にも触れ、「国民、若者のみなさんの願いと百八十度反対方向に安倍政権は暴走している。政権が続く分、国民は不幸になります。力を合わせよう」と呼びかけました。


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 参考

憲法を破壊し、「海外で戦争する国」をめざす歴史的暴挙
――集団的自衛権行使容認の「閣議決定」の撤回を求める


   2014年7月1日  日本共産党幹部会委員長  志位 和夫

 (1)
  安倍政権は、本日、国民多数の反対の声に背いて、集団的自衛権行使容認を柱とした解釈改憲の「閣議決定」を強行した。
  「閣議決定」は、「憲法9条のもとでは海外での武力行使は許されない」という従来の政府見解を180度転換し、「海外で戦争する国」への道を開くものとなっている。
  こうした憲法改定に等しい大転換を、与党の密室協議を通じて、一片の「閣議決定」で強行するなどというのは、立憲主義を根底から否定するものである。
  日本共産党は、憲法9条を破壊する歴史的暴挙に強く抗議する。

 (2)
 「閣議決定」は、「海外で戦争する国」づくりを、2つの道で推し進めるものとなっている。
  第一は、「国際社会の平和と安定への一層の貢献」という名目で、アフガニスタン報復戦争やイラク侵略戦争のような戦争を米国が引き起こしたさいに、従来の海外派兵法に明記されていた「武力行使をしてはならない」、「戦闘地域にいってはならない」という歯止めを外し、自衛隊を戦地に派兵するということである。
  「閣議決定」は、自衛隊が活動する地域を「後方地域」「非戦闘地域」に限定するという従来の枠組みを廃止し、これまで「戦闘地域」とされてきた場所であっても、支援活動ができるとしている。「戦闘地域」での活動は、当然、相手からの攻撃に自衛隊をさらすことになる。攻撃されれば、応戦し、武力行使を行うことになる。それが何をもたらすかは、アフガン戦争に集団的自衛権を行使して参戦したNATO諸国が、おびただしい犠牲者を出したことに示されている。

 (3)
  第二は、「憲法9条の下で許容される自衛の措置」という名目で、集団的自衛権行使を公然と容認していることである。
  「閣議決定」は、「自衛の措置としての『武力の行使』の『新3要件』」なるものを示し、
  日本に対する武力攻撃がなくても、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」には、武力の行使=集団的自衛権の行使ができるとしている。
 これについて「閣議決定」は、「従来の政府見解における基本的な論理の枠内で導いた論理的帰結」というが、これほど厚顔無恥な詭弁はない。政府の第9条に関するこれまでのすべての見解は、「海外での武力行使は許されない」ことを土台として構築されてきた。「閣議決定」が、その一部をつまみ食い的に引用している1972年の政府見解も、この土台に立ち、「集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」という「論理的帰結」を導き出している。今回の決定は、従来の政府見解の「基本的な論理の枠内」どころか、それを土台から覆す、乱暴きわまる解釈改憲であることは明瞭である。
 政府・与党は今回の決定について、今回の集団的自衛権行使容認は、あくまで「限定的」なものにすぎないというが、これも悪質なゴマカシである。「明白な危険」があるか否かを判断するのは、時の政権である。「限定的」というが、時の政権の一存で、海外での武力行使がどこまでも広がる危険性がある。また、「必要最小限の実力の行使」というが、いったん海外での武力の行使に踏み切れば、相手からの反撃を招き、際限のない戦争の泥沼に陥ることは避けられない。集団的自衛権にはことの性格上、「必要最小限」などということはありえない。
 さらに、政府は、集団安全保障においても、「新3要件」を満たすならば、憲法上「武力の行使」は許容されるとしている。
 集団的自衛権を名目とした武力行使も、集団安全保障を名目にした武力行使も、ともに許容されるとなれば、憲法9条が禁止するものは何もなくなってしまう。それは、戦争の放棄、戦力不保持、交戦権否認をうたった憲法9条を幾重にも踏みにじり、それを事実上削除するに等しい暴挙である。

 こうした無制限な海外での武力行使を、「自衛の措置」の名で推し進めることは、かつての日本軍国主義の侵略戦争が「自存自衛」の名で進められたことを想起させるものであり、およそ認められるものではない。

 (4)
 「海外で戦争する国」づくりをめざす「閣議決定」は、戦後日本の国のあり方を、根底から覆そうというものである。
 60年前に創設された自衛隊は、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」とうたった憲法9条に反する違憲の軍隊としてつくられた。それでも、60年間、自衛隊は他国の人を一人も殺さず、一人の戦死者も出すことはなかった。それは、憲法9条が存在し、そのもとで「海外での武力行使をしてはならない」という憲法上の歯止めが働いていたからにほかならない。
 「閣議決定」は、こうした戦後日本の国のあり方を否定し、日本を「殺し、殺される」国にしようというものである。それは、日本の国を守るものでも、国民の命を守るものでも決してない。米国の戦争のために日本の若者に血を流すことを強要し、米国と一体に他国の人々に銃口を向けることを強要するものにほかならない。このことによって日本が失うものは、はかりしれない。

(5)
 こうした解釈改憲を、一片の「閣議決定」で強行しようというやり方は、立憲主義の乱暴な否定である。
 政府は、政府による憲法の解釈、集団的自衛権と憲法との関係について、2004年6月18日付の「閣議決定」で、つぎのような立場を明らかにしていた。
 「政府による憲法の解釈は、…それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものであって、…政府が自由に憲法の解釈を変更することができるという性質のものではないと考えている。仮に、政府において、憲法解釈を便宜的、意図的に変更するようなことをするとすれば、政府の憲法解釈ひいては憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねない」。
 「憲法について見解が対立する問題があれば、便宜的な解釈の変更によるものではなく、正面から憲法改正を議論することにより解決を図ろうとするのが筋(である)」。
 今回の「閣議決定」は、「論理的な追求」とは無縁のものであり、政府が過去の「閣議決定」で自ら厳しく戒めていた「便宜的、意図的」な解釈変更そのものである。
 集団的自衛権をめぐって国民のなかで深刻な「見解の対立」があることは誰も否定できない事実であり、そうであるならば、「便宜的な解釈の変更」を行うことは、過去の「閣議決定」にも真っ向から背くものである。
 もともと「集団的自衛権行使は、憲法上許されない」とする政府見解は、ある日突然、政府が表明したというものでなく、半世紀を超える長い国会論戦の積み重ねをつうじて、定着・確定してきたものである。それを、国民多数の批判に耳を傾けることもなく、国会でのまともな議論もおこなわず、与党だけの密室協議で、一片の閣議決定によって覆すというのは、憲法破壊のクーデターともよぶべき暴挙であることを、強く指弾しなければならない。

(6)
 「閣議決定」が強行されたからといって、自衛隊を動かせるわけでは決してない。たたかいはこれからである。
 日本共産党は、憲法違反の「閣議決定」を撤回することを強く求める。
 「閣議決定」を具体化し、「海外で戦争する国」をめざす立法措置をめざす動きは、そのどれもが憲法に真っ向から背反するものであり、断じて許されない。
 日本は今、戦争か平和かをめぐって、戦後最大の歴史的岐路を迎えている。このたたかいの最終的な帰趨を決めるのは、国民の世論と運動である。世界に誇る日本の宝――憲法9条を亡きものにする逆流に反対する、すべての良識ある国民の声を一つに集めよう。「海外で戦争する国」づくりを許すな、解釈で憲法を壊すな――この一点で、空前の国民的共同のたたかいをおこし、安倍政権の軍国主義復活の野望を打ち砕くために、ともに力をあわせることを、心からよびかける。
  1. 2014/07/18(金) 06:19:51|
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挑発に乗せられた共産党区議

古本屋通信    No 955   7月18日

  挑発に乗せられた共産党区議

 今回もキンピーサイトのお世話になります。ブサヨさん、ありがとう。どうしてこういう区議が生まれるんだろう? まあ、頭にくるのはわかるけど。然しこれきしの事で辞める必要は全くないと思う。
 私の結論。下記の赤大文字部分がマズかったのだろうが、相手が糞だったら、コレくらい返しても当然だ。辞任する必要はない。コメントに「そもそもツイッターなんてプラスになるか否かも疑問」とあるが同感。こんなもので相互コミニュケーションできると思ってるのが間違い。コレだけは私は坂井希に批判的。石村とも子見てたら分かる。
 


暴言辞任共産党区議、こういう経緯だったら辞任すべきではなかったな。
2014年07月17日16:10
トピックニュース
スタジオでは、金子氏が暴言に至るまでの経緯を紹介。同番組によると事の発端は、金子氏が一般ユーザーと集団的自衛権についてツイッター上で議論となり、金子氏に対して「働いてないヒキニート(ひきこもりニート)のゴミ屑が国の為に働けるんだぜ?」というコメントが送られたことだという。

このコメントに金子氏は「自分は何様のつもりか?」「人間をゴミ屑というあなたの人権感覚を疑います」などと反論。一般ユーザーはこれに対し、「切り捨てられる弱者が悪いのだ」「戦争に人権なんて無意味なんですよ」「お前らみたいな言葉だけの夢見ちゃってる政治家より、戦場へ向かう自衛隊や兵士のほうが余程マシさ」などと、金子氏に返したと紹介された。

そして、最後に金子氏は問題となったツイート「そう言いながら、自分は行かないで、『ヒキニート』みたいな『ゴミ屑』に行かせようとしているんだろ! おまえこそ人間の屑だ。死ね! 何も罪のない民間人を殺す前に、お前が死ね! 達者でな!さようなら! 生きてたら、また会おうね」を投稿したという。

これは・・・相手の発言をうけての発言で、辞任するべきじゃないな。
ぶっちゃけ「自分は行かないで、あんたの言う『ヒキニート』・・・」とやっていれば何の問題もないケースじゃないかと。

辞任しなけりゃならない共産党区議はほかにいるのにねぇ・・・ .
busayo_dicbusayo_dic コメント( 6 )
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 コメント一覧

1. セルジオ近江 2014年07月17日 17:53
辛口になっちゃうけど、どこの馬の骨かもわからない不見識なアホ(もしくは工作員?)の呟きを真に受けて相手をするのが間違いだったと思うよ。
挑発に乗って墓穴を掘ってしまったんだからね。
そもそもツイッターなんてプラスになるか否かも疑問。

2. けろりん
2014年07月17日 18:59
まんまと挑発に乗ってくれた訳ですね。ツイッターで日共の議席が一個減らせた訳ですから書き込みされた若い(?)方は殊勲賞です。これからも頑張って日共の馬鹿議員を蹴散らして下さい。 と、棒読み(笑)

3. matsuge-ext. 2014年07月17日 20:57
金子氏に「売られたケンカは買わない」という憲法9条の精神が宿っていればこんなことには…

4. 仮)山田二郎 2014年07月17日 22:26
普段ご立派な事言っておられる(ふだん心の中で思っているからそう言った発言が出るetc)のが共産党ですから、辞任ではなく共産党解散ぐらいやってもらわないとwww

5. KM生@管理人様 2014年07月17日 22:40
>辞任しなけりゃならない共産党区議
辞任しなけりゃならない共産党国会議員もね(^^)

6. ラスティ・ネイル
2014年07月17日 22:54
何にしろ議員が「クズ」だの「死ね」だの証拠が残る形で書いたらあきませんわね。そんなことぐらいわかりそうなもんなんだけど。


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 続報

 今日18日の赤旗日刊紙の2面に、党中央委員会「国民の声」室の3段の小さな記事が掲載された。経過は上記とほぼ同一だから、全文の引用はしないが、末尾は以下のように結ばせている。

「・・・・・・・・ ツイッターは未知の相手も含めて発信されるものであり、他人の人格を全面的に否定するようなことは、党の立場からいって許されません。特に問うの議員や候補者の場合、その発言が「党」を代表する見解ととらえられることもふまえて、発信することが求められます。」 (党中央委員会「国民の声」室)

 まあ、こういわざるをえまい。然しブログでもそうだが、未知の相手から、今回のような低脳ともイカレ右翼ともスパイ挑発者とも知れぬ者からの発信があったら、即座に削除するしか手がないのか。しかもツイッターはつぶやきである。論理もクソもないのだ。条件反射的応答が普通だろう。これに理性的対応を求める
ことにそもそも無理がある。「死ね」 は極端だが、相手に応じて言葉を返す、それが自然だろう。
 

 私は数年前、党中央が新しいコミニュケーションツールとしてHPやブログは別にして、ツイッターをも推奨したことに疑問をもった。しかし当時はツイッターの具体が分からなかったので、様子を見守っていた。今回のようなことが起こると、私の不安は的中したと言わざるをえない。結論だけ。未知の相手との意思の伝達は理性的な伝達手段で行われるべきだと思うのだが、同だろうか。
  1. 2014/07/18(金) 00:17:08|
  2. 未分類

河村さん、福島から帰る

古本屋通信    No 954   7月17日

 
 河村ひろ子さん、福島から帰る



  福島滞在の河村さん
 その河村さんからレポートが入っています。毎日このブログに転載していますが、福島滞在中のブログをトップ置くことにします。ご了解ください
7月13日 古本屋通信)。

 河村さんの福島訪問は7月16日で4日間の日程を終了しました。そのブログの文字部分のすべてをコピーしました。しかし今回のレポートの真骨頂は写真にあります。私はそれを転載できません。ぜひともひろ子ワールドを直接訪ねてください(7月17日 古本屋通信)。

 福山へ帰ってからも、報告は続くようですから、写真抜きですが転載を続けます(7月18日 古本屋通信)。 

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 福島からのレポート


前日 (7月12日)

日本共産党の地方議員で、被災地の実態を把握し
 保育や医療や農業の実態、福島の暮らしの聞き取りなどを行ってきます
 新幹線を乗り継ぎ、約6時間の行程
 明日以降は、福島からのブログ発信になります
 さあ、仕事をいろいろ済ませて出発
 頑張ってきます!   (抜粋)



日目 (7月13日)

福島へ到着!
今日はあいにくの雨で、地域の球技大会は中止
参加することはできず残念

さて、午後2時40分の新幹線へ乗り、東北新幹線に乗り換え
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(東北新幹線やまびこの中)

福島駅に到着したのは、夜の8時30分
自宅を出発して、約7時間で現地へ到着!
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(福島駅前にある塔です。日曜日の夜だから人通りは少ない)

ホテルまでの道を、放射能測定器で空間線量を測定しながら歩いて移動
福山市では、0.05~0・10ミリシーベルトぐらいでしたが・・・・
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測定器は0・26㎜㏜となっていました

ホテルのロビーには
「今日のロビーと部屋の線量は0・05㎜㏜です」を書いてありました
これが現実なんだな・・・と感じました

明日は、南相馬市と浪江町に行きます


日目 (7月14日)

放射能汚染の実態
今日は、日本共産党地方議員・福島視察団の調査の一日目
横浜市の古谷市議、豊橋市の斉藤市議、富士宮市の市議の渡辺市議と、私というメンバー
この4人は今日が初対面

朝、あいさつを交わして、いざ、南相馬市へ
国道を走りますが、線量が高くなります
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所々、除染活動をしています

福島市を車で出発し、飯館市に入る前の山道で、放射線測定をしました
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山際の苔の上に測定器を置くと・・・
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なんと、2・372μ㏜

福山市で測定して、0・05~0・10ぐらいなので、どれだけ高いか・・・・
どんどん、南相馬市に向かって車を走らせます
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飯館市を車は走ります
田んぼや畑があったところは草がの伸び放題
作付をすることもできず・・・・
放射能汚染されていなかったら、田んぼと山という美しい風景が広がっていたはず

南相馬市の日本共産党市議の渡辺寛一議員に現地案内をしていただきました
原発から29キロ以内の、警戒区域
人が住んでいない浪江町
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人は誰もいません
除染作業などの車や、調査や視察の人は時に見かけるぐらい
鳥の鳴き声が響きます
人の生活がここにあったのに、今は住む事が出来ない

浪江町駅のすぐそばで線量測定
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先ほどとはけた違いに高い!
なんと、私の胸のあたりの高さで、1・32μ㏜
草地ではどうだろうか・・・・・
測定器二台で測定
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なんと、今回の視察の中で、一番高い数値、7・948μ㏜
間違いなく、放射能がここにある
匂いもなく、何も感じないけど、人体の影響ははかり知れません
間違いなく、私も低線量被曝をしているのでは
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警戒区域を出るところでは、スクリーニング測定
今回は、放射能汚染の実態をご紹介しました

警戒区域は人は住んでいないけど、その周りの地域では人々が暮らしている
将来の健康被害は?安全性は?生活の保障は?
放射能汚染と一緒に暮らす、日本の実態を目の当たりにしました

国をあげて除染を早期に行うことが必要ですが
実態はまったく追いついていない
原発は莫大な被害をもたらす
絶対に再稼働させてはならない、と強く感じました


日目 (7月15日)

福島で生きるということ
今日は福島で暮らす人々の実態を把握するため、3か所の視察です

まず、訪問をしたのは、社会福祉法人さくら保育園
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2011年3月11日の半年前に、新築移転をしていました
震災の時は、子たちは午睡中
先生は職員会議で、たまたま職員がフル出勤でした
地震の強い揺れがあっても、免震基準を満たしている園なので、園舎が倒壊する心配はなかったそうです
子どもたちと先生はホールに集まり、過ごしたそうです
さくら保育園は福島市渡利という地域にあり
震災直後は放射線量が福島市内で一番高い地域でした

春の保育所の付近
すぐ近くには山があり、震災前は子どもたちは山を散歩し
自然をたっぷり味わいながら過ごしていました
しかし、一番放射線量があるということで、文科省が除染の対象としたそうです
あの安斎郁郎氏が5月8日に園にやって来て、測定・除染活動が始まりました
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(現在の園庭)
土壌をはがし、園庭に埋めます
除染作業
また、屋根の真下は雨水が垂れるため、線量が相当高い
そのため、保護者が線量を低くする方法として
水の入ったペットボトルを敷き詰め、その上にすのこを置き
子どもたちが移動ができるように工夫をしたそうです(今は線量が下がったためしていない)

ペットボトル
園庭はしっかりy除染をしたので、園庭内は線量は0・2μ㏜前後になりました
しかし、園庭の外は除染していないので、近くの野山はまったく行くことが出来ないのです
松ぼっくりなど、放射能がしみ込んで、遊べぶ事はできない
放射能汚染の影響で、自然とのふれあいが一切なくなったそうです
しかし、保護者が子どもたちが学校がするため道路を歩かなくてはいけないが
道路を歩く経験もなく、無事に登校できるかも心配

散歩をさせてほしいという要望を受け
安斎郁郎氏を協力も得て、散歩コースを放射線測量をしました
そして、線量の比較的低いところを散歩しています
現在は園庭での外遊びもしている

しかし、ここまでの歩みは、たやすくなかった
保護者と先生が繰り返し話し合い、安斎郁郎氏などの専門家から放射能について学び
一つひとつ、納得・合意を得ながら保育をすすめたそうです

「放射能について、これなら大丈夫という基準が今はない。低ければ低いほどいいに決まっている。線量だけの数字で、いいとか、悪いとか言うのではなく、しかし、現在の線量がどのくらいなのか、事実を知ることは大切。その中で、ここで生きて生活をする中で、自分たちが納得できる基準や、生活スタイルを一つずつ作っていった」

と園長先生
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(園のフェンスのすぐそばにある、モニタリング測定器)

子どもたちに安全な食材を・・・ということで、地元の業者さんや農民連からの食材など
徹底した食材管理をしています
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また、野菜や魚など切り刻まなくてもいい放射能測定器の購入し
毎日、抽出検査、10検体ぐらい検査しているそうです
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園の栄養士さんが、データーを解読しし(不明なときは専門家に聞く)
食品の安全管理をしています
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園長先生は
「何か将来あっても、それに負けないような丈夫な体を作ることが大切、と思っている」と言われていました

私は、福島に来て感じたのは以下のこと
その地域に人が生活をしている、生きているということ
単純に線量の高い・低いではなく、正確な数字を知ることはとても大切だが
数字だけがすべての判断基準ではない
福島ではその地域で生きていくため
できるだけ安全に生活をするための工夫や、並々ならず努力をしているのです
福島県内外の問題のとらえて方が違う・・・・というのを、とても感じました

リスクがないわけではないが、今のリスク・将来のリスクを考え
この地でどう生きていくのか・・・を現地の人は必死に模索しながら生きているということを強く感じました

今日はその後、わたり病院・きりん学童を視察
また後日報告をします


日目 (7月16日)

「生業を返せ、地域を返せ」福島原発訴訟
今日は福島視察の最終日

福島県二本松市の農民連の方から、農業の実態などの話を伺いました
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(浪江町や飯館とは違い、田んぼの風景が広がります)

まず、最初に
「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の原告団の事務局長の服部弘幸さんの話です
服部さんは、地元スーパーの店長さんでもあり、小学校のPTAの会長を務めるなど
地元町内ではそれなりに知られている存在です
震災の時からの話をじっくりしてくださいました

この二本松市の東和地区は一山超えたところが、浪江町で避難区域です
寸前のところで、住むことが可能な地域です
原発事故後は、とにかく物資が入らず、地域の人の食糧確保のため必死に働いておられたそうです

2012年、地域に住むお母さんたちが
小学校のPTA会長をされていた服部さんのところへ、血相を変えたママさんたちが詰めかけました
内容は「小学校の給食に使う米を、県内産にする」という、新聞報道をうけ、子育て中のママさんが猛反発
結局はやめることはできなかったが、気になる家庭はご飯を持参してもいいという事になったそうです
身近な人が「何とかしてほしい」と強く要望することに衝撃をうけられ
「これじゃ、いかん」と、服部さんは放射能の問題を真剣に考えるようになったそうです
2013年5月にウクライナへの視察があり、服部さんも参加
チェルノブイリ事故から約30年経過しても、キエフの人々をホールボディカウンターで検査をすると
何千ベクレルという内部被ばくの人がボロボロと出てきた
何十年たっても被害が出ている

20~30年後の福島もそうなるのではないか
知らず知らず、内部被ばくが広がり、放射能の問題は福島だけの問題とされる
福島が生き埋めになってしまう!
と、強い衝撃をうけたそうです

福島の事故にされてはいけない、日本全体の問題にする必要がある
まず、福島の人間が声をあげなくては!
戦車に槍かもしれないけど、闘おう!
個人の力では無理、という事で、
福島原発訴訟の原告団の一員となり、事務局長に
原告団になれるのは、福島県民とその近隣の4県に避難した人に限定をしているそうです

訴える中身は、国・東電に対し
自分たちの生活をもとに戻せ

すぐに無理なら、戻るまでの間、原発被災者一人ひとり、1か月5万円、すべての人に補償せよ
お金のほしさではなく、国・東電に責任を認めさせることが一番の目的である
避難した人も、避難していない人も、原発の影響で苦しんでいるのは皆同じ
条件の違いで線引きをするものではない、と訴えています
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今、裁判は早いペースで進んでいる
裁判では国は東電は屁理屈ばかり言っているが、土俵は完全に自分たちのものになっている

今後は原告が証言をし、科学者が証人尋問を行う予定だそうです
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(二本松市の郊外の草地の測定・・・0・88μ㏜ありました)

もし、この民事裁判に勝訴したら、すぐ全国から多くの支援者を集め
国や東電が控訴しないよう、人間の鎖で東電は国の動きを阻止したい!
2週間居座って、控訴できないようにしたい
国と東電の責任をはっきり認めさせるような世論をつくりたいんだ!
と、服部さんは強く訴えます

福島県外に避難、移住している人たちは
国や東電に対し、抵抗しこの怒りをぶつけるところがなかった、この裁判が唯一の望みと、県外避難者を励ましています

原発事故の責任をきちんと認めさせ
計り知れない苦しみや将来への不安など
二度と原発事故を繰り返させないためにも、何としても勝利したい
そのために、全国の多くの人に
この裁判がいま国や東電を追い込んでいる事を知ってもらい
多くの人に運動に加わってほしい
具体的に動けなくても、カンパをしてくれるだけでも大きな支援になる、と話されます
私は、服部さんの裁判の闘いを聞き、現地の人の闘いのすごさ
人間の尊厳、生きる権利の闘いなんだと、強く感じました

服部さんは、要請があれば全国どこでも、語りに行くとのこと
福島の闘いは続いています
いや、日本全体の闘
原発の再稼働や絶対に許さない闘いを大きくしよう!

福山に戻ったら、今回の視察内容を地域の人にしっかり伝えたいと思います



福山に戻ってから日目 (7月17日)

原発事故・・・人が住めない町

九州電力川内原発1・2号機の再稼働するため

基準に「適合」していると原子力規制委員会は了承しました

これだけ、原発の被害が広がり、今なお福島第一原発は事故後の処理がコントロール出来ていない状況

原発再稼働は絶対してはならない!

福島視察後、その思いはもっと強くなりました

視察中、毎日ブログで視察内容をお伝えしていましたが

まだまだ、伝えきれないので、これからしばらくはご紹介していきたいと思います

町の状況を目と心で感じいただきたく、写真を多く掲載しました

1日目、レンタカーを借りて、浪江町・南相馬市へ

原発から半径20キロ以内の町の様子などをお伝えします

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南相馬市を車で走り、市街地を抜け、津波が押し寄せた地域に・・・

ガレキがあちこちに点在しています

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国道6号線から海側は津波が押し寄せた

山側は津波を何とか免れた、などその時の様子を、南相馬市の渡部寛一市議が詳しく説明してくれます

家は壊れなくても、イノシシなどが繁殖し、家が荒らされ朽ちて、とても住めない

そのような家も多いそうです

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浪江町、原発から20キロ圏内に入るには、検問で上記の許可書を提示しなくてはなりません

いよいよ、人が住んでいない地域に入ります

防護マスクや防護服の着用せずに入る事ができます

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倒壊した家や塀はそのまま

比較的、安全が保たれているような建物も、草が生い茂り、荒地となっていました

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モニタリング測定器は所々に設置されていました

西に行くほど放射能の線量が上がる、と渡部市議

息をのみます・・・

その時の空間線量は0.8μ㏜(福島市内が平均0.4μ㏜)

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昼間なのに、人の姿がまったく見えない町

本来なら、農業・漁業をしている人の活気ある声

子ども達の姿もあっただろう

しかし、出会う人は取材をしている人か、作業をする人のみです

人が住めなくなる町を直接みて、その異様さを感じます

町がなくなる、人が住めなくなる・・・・放射能の恐ろしさ

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このあたりは、住宅がたくさんあったそうです

津波で根こそぎさらわれ、いまは草が生い茂る

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ものすごい、津波と引き波で、多くの遺体が浮いていたそうです

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遠くに見えるのは福島第一原発

原発から6.5キロの地点からのズーム写真

福島第一原発の方向から風が吹いてきます

この風に放射能は混ざっているのだろうか・・・

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放置されたままのガレキです

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浪江町の沿岸部は津波が15メートルの高さで押し寄せました

その威力と破壊力を、建物の損壊状態から感じます

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放射能と津波という災害にみまわれた地域

津波からどのように避難をするかは、どんな堤防などつくっても自然の力には勝てない

とにかく、早く避難するなどのソフト面の強化も必要だそうです

また、原発事故による放射能物質汚染で、復興すら出来ない

家・土地などの財産を失い

仕事や今までの暮らし・家族を失い

地域やコミュニティーを壊したのが原発です

そして、健康被害の不安も深刻

決して、震災は終わっていません

原発事故は終息したとまったく言えません

原発の再稼働は絶対に許さない闘いを、私も頑張ります



福山に戻ってから日目 (7月18日)



原発から半径20帰キロ以内にある「請戸小学校」に立ち寄りました

津波が押し寄せ、学校はかなり破壊されています

請戸小学校
しかし、生徒は全員助かりました

大きな地震のあと、数キロ先の小山に向かって全力で走ったそうです

上級生が下級生をおぶりながら・・・・

賢明な判断が子ども達の命を守ったのです

時計
時計は、夕方の3時40分を差したまま止まっています

被災地の住宅等にある時計の多くは、この時間で止まっていました

この時間は津波が来た時間なのでしょうか

体育館
卒業式間近

あの日も卒業式の練習があったのです

廊下
高さ15メートルの津波が押し寄せたのです

建物の1階はメチャメチャです

二階は比較的、建物の状態が保たれています

みんなの声
二階の黒板には、いっぱい書かれたメッセージ

被災後、訪れた多くの方々が書いたのでしょうか

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請戸小学校のプールの飛び込み台の一番上から、まわりの写真を撮りました

見渡す限り、原っぱが続く

ここに人が住めるようになるのは、どのくらい先になるのか・・・・

胸が押しつぶされそうになります

福島県南相馬市は、2014年5月28日現在、震災による死者は1093人(うち関連死は457人)

亡くなった方の多くが津波が原因です

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住民の皆さんでたてた慰霊碑(浪江町)

説明をしてくださった、南相馬市の渡部貫一市議は言います

「私はあの草の茂ったところに、生後10後の赤ちゃんの遺体を発見した。出産し5日後に実家に帰っていた、母と子を津波が襲った。赤ちゃんを発見した場所は、どうしても思い出してしまい、私は行く事ができない」

遺体安置所では、犠牲者と家族が対面するため

警察が遺体を出来るだけきれいにしたそうです

しかし、遺体の損傷が激しく、精神的に耐えられず、やめた警察官もおられたそうです

日頃からの、地震の備え、津波から逃げる手段、ハード面・ソフト面の取り組みがとても重要です

日本は地震活動期に入ったと言われています

どこで、どんな規模の地震が起きるか分からない中、原発の稼働は言語道断

また、日頃からの訓練や避難経路の確認など、もっと取り組みを強化しなくてはなりません

自然の力は、頑丈な堤防ですら壊しました

スーパー堤防を国は造ろうとしていますが

海が全く見えず、潮の流れが変わり、漁業にも大きな被害が想定されている

防災・減災という名の、大型公共事業を進める政府の手法に、地域からも疑問の声が出されています

避難の大切さ、原発の恐ろしさが身にしみます

私も地元地域の防災や避難について

もっと細やかに機敏に対応が出来るようにせねば、と強く感じました

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浪江町に咲いていた花

自然はしなやかに、強く生きています


  1. 2014/07/17(木) 10:30:25|
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