古本屋通信

渡辺淳一と江口渙

古本屋通信    No771   3月27日

  渡辺淳一と江口渙

 前日の「吉良騒動」で少しネットを追っていたら、私的には思わぬ副産物があった。夕刊フジのサイトから該当の個所を部分引用しよう。

元党政策委員長で、政治評論家の筆坂秀世氏も「党の規約は好きな男とイチャつくのを禁止していない。お好きにどうぞ」と笑い飛ばす。

 ただ、真面目な共産党らしく、かつて党の雑誌『女性のひろば』で、男女の不倫を描いた渡辺淳一氏の『失楽園』に肯定的な批評が掲載されたとき、「宮本顕治元議長が激怒して、編集長が更迭された」 (筆坂氏)。

 この際、引用の前段はどちらでもよい。 後段が初耳であり嬉しい。これは筆坂しか発信できない面白い話である。この話は本当だろう。それを当時の党中央勤務員は知っていた。しかし大した話ではないので問題にもされなかった。筆坂自身も忘れていたのだろう。それが吉良よし子のチューで思い出されたのだ。

 私は『失楽園』を読んでいない。バカ売れしたのは知っていたが、読まなかった。私が読んだ渡辺淳一の本は、初期作品の『阿寒に果つ』一冊だけである。1970年代に読んで、作者の筆力に脱帽した。ただし2冊目を読もうとは思わなかった。そしてストーリーも忘れていた。で、今回アマゾンレビューを引いてみた。以下に代表的感想を貼る。

 By yasu
 渡辺淳 『阿寒に果つ』
  講談社文庫
一氏の札幌南高の同級生、荒巻義雄氏の作品「ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ」で、
加清純子についてのエピソードと最初に出会った。
その後、十数年して「阿寒に果つ」を読んだのだが、今回、荒巻義雄のもう一つの純子を扱った作品「白き日旅立てば不死」を再読したくなったので、
その前に、この作品で加清純子にもう一度出会うことにした。

初恋の人として彼女と出会った渡辺淳一氏が聞き手となり,
若くして自死した天才美少女画家実像とその愛の軌跡を、氏自身の思い出を含め、
生前に彼女と関係を持った5人の男性と彼女の姉の証言から描いていく。

作品は、個人的な視点から一貫して描かれており、彼女が自殺した当時の、
米軍占領下の日本の状況についての言及は殆ど無い。

初恋の人が自死したというのだから、多感な青年の心にどれほどの深い痛みを残したのか想像に難くない。

皮肉なことに、本書執筆のために取材を進めていく過程で、多くの男性たちが、
同時期に、彼女と恋/肉体関係に合ったということ事実を確認し、
彼一人が当時の彼女の恋人でなかったことを発見する。

これは渡辺淳一氏の心に大変な傷を負わせたようで、特に「ある画家の章」などは、氏の心の揺れがハッキリと表出されており、
飽きれるほど素っ気なく画家と純子の関係が描かれている。

この青春の「痛み」と、男たちの思い出の中で様々な姿を見せる純子を通した「人間の不可思議さ」と「可憐さ」が、
この作品の肝で、リリシズムにあふれた北海道の雪景色と共に、
青春時代に、同様に女性に翻弄された経験を持った男性にとっては、
忘れることのできない深い印象を形作ることになるであろう。

作品を読みながら感じる、心の疼きと、茫漠とした不安、そして突き上げるような欲望、切なさ、
さらに「藪の中」のような人間の不思議さと不確実さが、
少なくとも私にとっては、自分自身の青春の「痛み」を、
まざまざと現在進行形の体験として、思いださせることとなった。

彼女が実際に天才的な画家であったかということは別にし、生前、短い人生の中で、
岡村昭彦氏、春彦氏や渡辺淳一氏、そして菊地又男氏らと交際を持ち、
荒巻義雄氏とは雪像製作や文学活動を介して交流したというのだから、
その交流歴一つをみても、生前の彼女のバイタリティーと男性選びの確かさに驚かされる。

作品の完成度が章ごとに違うという欠点はあるが、
その独自の視点を含めて、彼女が本当は誰を愛していたかという氏の疑問の切実さ、
そして取材を通じて形作られていく純子のみずみずしさと生々しさ、
それらが絡み合い、氏の作品の中で最もpersonalな作品であると同時に、
深い印象を与える作品になっているのではないだろうか。

傑作です。痛い青春の思い出を持つすべての人におすすめです。

尚、ネットの時代になり、実際の彼女の写真や生前に描いた絵を簡単に閲覧することができるようになった。
詳しくはブログサイト、山花咲野鳥語で。


 古本屋通信 

 よく出来たレビューである。私は自分の当時の読後感を思い出した。感動とはちがうが満足したのである。そして2冊目を読みたくなった。私はこれを出張先の金沢の旅館で読んだ。そしてその直後に、江口渙の『たたかいの作家同盟記』を読んだ。そしたらもう渡辺淳一の2冊目を読もうとは思わなくなった。早朝出かける前に旅館に断って置いてきた。おかみさんは喜んでくれた。1970年代前半だった。

 『女性の広場』 はわが家にもずっとある。読もうにも読む所がない雑誌である。これはこれでよいと思う。つまり無料原稿と読者投稿によって超安価でつくられた雑誌なのだ。上記には「宮本顕治元議長が激怒して、編集長が更迭された」とあるが、編集は編集長の一人編集だろう。しかも一人が手間ひま懸けず作っている。だから長く続くのだ。

 宮本顕治の「激怒」は当然である。こんな不見識な党員が「女性のひろば」に配属されていたということ自体がおかしい。即刻辞任である。アホらしいから理由は書かない。コレはじめから文学ではない。読本としても俗に媚びることを本領とする通俗読み物だ。初めから批評の対象にならない。

 エロほんが悪いということではない。そういうものが出回ることに、極端に過敏になる必要はない。しかしそれは一服の清涼剤でしかない。清涼剤も使用を誤ると毒になる。いい本を読まなければならない。渡辺淳一『失楽園』は共産党が取り上げるべき本ではなかったのである。

 えっ、いい本て? 江口渙『たたかいの作家同盟記』は読むに値する本である。渡辺淳一は時間の無駄である。
  
 たたかいの作家同盟記 わが文学半生記・後編 上 江口渙 新日本出版社 1976
 たたかいの作家同盟記 わが文学半生記・後編 下 江口渙 新日本出版社 1976


 これは前編にあたる「わが文学半生記」と共に名著である。旧くは1953年の青木文庫 だったが、講談社文芸文庫で読めるようになった。一読をお奨めしたい。私の近代文学の原点になった本である。因みに江口渙は「日本民主主義文学同盟」の初代議長である。文学歴は蔵原惟人や宮本顕治よりもさらに旧い。漱石門下である。アナーキストを経てプロレタリア文学に辿りついた。

 キンピーサイトの諸氏にも奨めたい。少しは勉強してください。そしたら 「民文からプロレタリア文学の名著がなぜ生まれないか」 なんて、ピントハズレな議論は出来なくなるでしょうよ。コレ両者のめざすものが違うんです。それに、民文からベストセラー作家なんか、生まれようがないじゃあないですか。しかし近頃はそういう道を目指している人もいるんですかねえ。これ東大理Ⅲを目指すようなもんでしょ。



  1. 2014/03/27(木) 00:41:46|
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続・あれこれの対話

古本屋通信    No769   3月26日

  続・あれこれの対話



  「No767 あれこれの対話」の続きです。No767 に対して付けられた元東大民青さんの投稿ですが、長くなりましたので別項を立てました。今回も対話としましたが、前回は私が書き過ぎましたので、今回は元東大民青さん中心で、私は所々に簡単な一言を入れる程度にしたいと思います。




  が投稿者、が古本屋通信
 
部落解放同盟(「解放新聞」派)の岡山県連の3分裂の件、興味深く読みました。解放闘争の原則を投げ捨て、利権勢力に転落した連中がどこまで転落していくかの典型のひとつですね。なお、同じような分裂が兵庫県赤穂市でもあり、原則を守る勢力が部落解放同盟全国連合会播州赤穂支部となりました。しかし支部の規模は小さく、活動は停止に近い状態にあるようです。

 私は全国連が真っ当な組織であることに疑問があります。しかしそういう点では、解放同盟の上記3つだけでなく、全解連も含めて、あらゆる組織を組織として評価することに躊躇します。でも、それだと運動にならない。だから私は口が重くなるのです。不正な取り込みが起こるのは、「部落民」認定が解放組織に委ねられているからです。


「加計学院」の話ですが、検索してみると「学校法人加計学園」ではないですか?http://www.kake.ac.jp/
千葉科学大学というのも経営しているようです。

 そうです。間違えました。加計学園です。千葉もそうだと思います。


岡山理科大は大暴落ですか。地方理系私大でも金沢工業大学なんかはしっかり教えるということでそれなりに評価は高いらしいですが、本来は研究者であるはずの大学教員は教育に大変です。私の知人が伝統の短い某私大法学部に就職しましたが、とにかく公務員試験・就職指導(というかそれしか売りがない)に明け暮れ、教養の哲学などはろくに授業を聴いてくれる学生もおらず、とりあえず答案に一定以上文字が書いてあれば単位を出すしかないようです。大学の宣伝は「警察官●名・消防士●名…合格」というようなものです。

 大学の教員の仕事が従来の研究と教育に加えて、営業が求められる時代になりました。


法政のような伝統校ですら、「キャリアデザイン学部」「グローバル教養学部」などというものを設置せざるを得ない時代です。
医歯薬系なんかだと国家試験合格率という形で明確な評価が下されてしまいますので、歯科医過剰時代に合格率の低い私大歯学部などは潰れるだろうと言われていますが。

私学に関しては、社労党(現「マルクス主義同志会」)が綱領に「私学の廃止」を掲げていましたが、これの意味はよくわからないです。仮に国公立学校が素晴らしくでも、どうしてもそれに満足しないオルタナティブな教育を求める保護者・生徒はいるでしょうから、私学を一律に廃止する必要はないと思いますが…また社会主義革命が勝利しても一定期間は宗教系の学校も認めなければならないでしょう。神道系を皇學館(三重県伊勢市)に集めれば監視も容易でしょうし(笑)。靖国や護国神社は論外としても、伊勢神宮をいきなり廃止するとなると反動勢力が勢いづく可能性があります。

 党の綱領には、遠い未来の青写真を具体的に書いても意味がないでしょうね。


地方国公立大に大学院が設置されだしたのは70年代なのですね。なるほど、それなら研究者を目指すものが2浪・3浪してでも旧帝大などを目指していたのも理解できます。今なら「学部入試なんか入れるところに入っておけ」ということになりますが。
 
 私は出身大学で人を評価すると大きな禍根を残すと思います。然し全く無視もしません。知的能力の目安にはなるでしょう。便利なのです。そう言う点では、世間も大学院より学部を重視するようです。森脇さんの評価は岡大院ではなく、岡山理大卒で評価されます。東大でも学部は難関だけど・・・と(笑)。
 それと、いまや大学院修了はふつうになっています。もちろん研究者候補ではない。教員採用など学部卒より院を採る。然し明誠学院高校は学部を採用します。まあ、いまや岡大や清心の院は全くインパクトはありません。教授たちも「うちの院を出ても研究職はありません」と言っています。



ある数学者が、学部生時代には成績が悪かったので、教授に大学院進学の相談に行ったところ、「この成績ではとても推薦できない」と言われて内部進学をあきらめ、ちょうど新設される他大の大学院数学専攻を受験したが、受験者はその1名と内部推薦1名の2名しかいなかったという逸話を思い出しました。ちょうど大学院が増えていく時期だったんですね。

清心女子大学というのは今は「ノートルダム清心女子大学」のようですが、改称したのでしょうか。カトリック系の大学というのは比較的自由な教育を行っているところが多いようです。カトリック系の男子進学校は「受験少年院」と呼ばれるところが多いですが。

 改称していません。いまも昔も頭に「ノートルダム」が付きます。ただ、長いので岡山ではふつう省きます。それと「ノートル」と言ったり、「NDSU」と書きます。高校は清心学園です。「ノートルダム」は付きません。あっ、清心も暴落です。だからという訳でもありませんが、古本屋には入りません。


学士入学や編入学の件ですが、私大では偏差値を高く見せかけるために指定校推薦・AO入試などで一般入試枠を減らしている、と批判されます。私はそれより学士入学・編入学や社会人入学を増やした方が真面目な学生が増えるし良いと思うのですが。指定校推薦・AO入試などへの批判は一理ありますが、一概に否定はできないと思います。才能があってもペーパーテストに弱い人もいます。中学生の時から大学数学教授を驚かせるような研究発表をしていたが、学校の成績では優等生ではなかった、という人もいます。幅広く受け入れることが大切でしょう。
また亜細亜大学では一芸入試でけん玉で合格したものがいたとバカにする人がいましたが、そのけん玉で合格した学生は優秀な成績で卒業したそうですよ。

>大学入試の過去問でも教学社の赤本と駿台の青本がなかったら、大学事務はパンクでしょうね。

日本のように個別学力試験を行っている国は珍しいようです。入試問題作成は予備校に委託しているところもありますが、学力試験はセンター試験程度で十分です。

 これは疑問です。岡大理学部教授はセンター数学など何の参考にもならないと言っています。岡大クラスでも満点をとってあたりまえ、足切りにしか使えないそうです


 それに私大が受験料収入をあてにして受験者を増やそうとするのも日本くらいのようです。普通は受験料は無料か、純粋な手数料でしかないようです。
学士入学や大学院のように、過去問を出版して利益が出るほど受験者がいない場合は、大学が過去問をウェブで公開すべきです。
また、医学部学士入学を目指す人が増えていますが、大学ごとの募集人員が少ない(たとえば岡山大は5名)ので、受験生はたくさん受験することになり負担が大きいです。文科省は受験生の負担を減らす指導をすべきです。

--------------
「評論員論文」は60年代までのようですね。

 これ、中国のものまねだった?


「赤旗評論特集版」はたまには興味深い記事もありました。脳死・臓器移植に関しては党の立場が決定されていないようで、両論併記ということもありました。東大には「脳死・臓器移植に反対する市民会議」を支持する教員がいましたし、中核派も脳死・臓器移植には反対でしたが。

「民青員」というのは、小山弘健『増補戦後日本共産党史』(芳賀書店1972)の332ページに出てきました。

 誤植ではないでしょうか。調べてみます。


>東京都委員会は各地区にたいし、「四・一七ストには党は三段がまえでのぞむ、第一段階はスト戦術の再検討をよびかける、第二段階は指令を拒否する、第三段階(スト突入の場合)では党員・民青員・『アカハタ』読者は戦線を離脱する」――という文書によらない口頭指令をあたえた。

 これ、2つの敵のうち日本独占資本の過小評価に起因する誤りだったとされています。幹部会員の聴なみ克巳が責任をとって辞任しています。秋元有子の小説のことは知りませんでした。


略称で不思議なことはいろいろあります。在日韓国学生同盟(韓学同)と在日韓国学生会は全く別の組織です。1965年の日韓条約はちょうどあなたの時代だと思います。民団の在日韓国人でも、若い世代は反対が圧倒的だったようですが、反対は一枚岩ではありませんでした。一つは「韓日条約そのものが祖国分断の固定化である」とする絶対反対派、もう一つは「韓日条約そのものには反対しないが、在日同胞の権利が保障されていない点について反対運動をする」という条件反対派でした。在日韓国学生同盟(韓学同)は絶対反対派だったため、民団から排除され、民団は新たに在日韓国学生会を組織しました。在日韓国青年同盟(韓青同)は条件反対派でしたが、後に民団から排除され1973年に「韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)」に結集することになります。民団は「在日韓国青年会」を組織しました。「韓青」というとどちらかわからないので、「韓青同」「民団韓青」という必要があります。
在日本朝鮮人総聯合会は、「朝鮮総聯」と自らを略称してきて、「朝鮮総連」とは書きませんでしたが、最近では「朝鮮総連」でも良くなったようです。しかし「朝総連」は民団や民団系メディア(統一日報)や韓国政府・韓国メディアが使うのでダメなようです。

それに思うのですが、共産主義政党の場合は「地方委員会」「地区委員会」といったものが地方組織の執行機関となりますが、社会民主主義政党や労働組合だと「地方本部」「地区本部」の「執行委員会」が執行機関となるようです。部落解放同盟のような団体だと「県支部連合会」といった名称になりますね。こういった名称の歴史も興味深いです。
2014/03/25(火) 18:31:46 | URL | 元東大民青 #-



 追加投稿がありました。ここに貼ります。私のコメントも。 

>これは疑問です。岡大理学部教授はセンター数学など何の参考にもならないと言っています。岡大クラスでも満点をとってあたりまえ、足切りにしか使えないそうです。

これなんですが、正直いって意外でした。もしかすると日本の受験制度の特異さをご存じないのでしょうか?

大学入学はだいたい次の3つにわけられるでしょう。

1. 無試験で希望者全入
2. 資格試験的な試験を行う
3. 競争試験的な試験を行う

となります。1は大学進学率の低い国で主に行われています。日本でも東京理科大学の前身であった東京物理学校(夏目漱石『坊っちゃん』の主人公が学んだ学校)は無試験であり、入学させてから厳しく勉強させる方式でした。
2が大多数の国に当てはまります。日本で言えばセンター試験のような試験を行い、一定の基準に達した者を合格とする方法です。一定の基準に達している希望者が定員を上回っている場合は、面接や志願理由書などで選抜します。日本は戦後は米国の教育制度の影響を強く受けてきましたが、米国は基本的にこの方式です。またフランスでもバカロレア合格でどの大学にも入れます。官僚や政治家を多く輩出する国立行政学院(ENA)などのいわゆる「グランゼコール」の場合は、大学を優秀な成績で修了することが求められます。
3の方式を取っているのは基本的に日本くらいのようです。聞くところによると、かつてはユーゴスラヴィアもそうだったらしいのですが、連邦解体以後はどうなっているのかわかりません。

それで、「岡大理学部教授はセンター数学など何の参考にもならないと言ってい」るそうですが、それで何も問題はないのです。なぜなら、大学入試というのは大学での学習についていける基礎学力があるかどうかを試すだけでいいからです。ですから、高校の教科書の章末問題が解ければ十分であり、あとは大学できちんと学習すればよいのです。
東大理系入試の数学には良問が多いとされ、『東大入試問題で数学的思考を磨く本』というのも出ています。しかし、日本の難関大のような難しい数学は日本にしか存在しないのです。米国で一番入学難易度が高いMITに、桜蔭(東京の名門女子校)から合格者が出たと話題になりましたが、MITだって個別の学力試験はやっていません。学力試験は日本で言えばセンター試験にあたるSATだけなのです。そしてSATの数学のレベルは日本のセンター試験より簡単なのです。それでも米国は科学技術で後れを取っているわけではないので、はっきり言って受験数学など無意味なのです。
日本の数学教育が歪んでいるのは無意味な受験数学が大きな原因です。数学は基礎から考え理解することが大切なのに、受験数学のせいで、いわゆる進学校では「標準問題を練習して解法を覚える」という、大学に入ってから何の役にも立たない数学の授業が行われているのです。

 ちょっと仰っていることは分るのですが、一定の達成度に到達しているからといって、定員の枠を無視して学生を受け入れることはできないでしょう。そこに選抜試験が避けられない理由があるのでは? ですからセンター試験はベースとしては必要ですが、その成績の自己採点結果は、多くの国公立大学と難関私大では最終的な合否判定には役に立たないと言っている訳です。
 今日も明誠学院高校の先生と話していまして、その話になりました。「センターは関係ない」と。しかしコレあなたが書かれていることと矛盾しませんよね。私も賛成です。センターはあったほうがよいし、なければならないと。
 それにセンターがすっかり定着した理由は、大学の入試事務を著しく軽減したことでしょう。
 ちょっと、私が書いている事はかみ合わないかも知れません。
 まあ、落とすための出題なんて、その場だけで入学後は役にた立たないのでしょう。それで問題にされるのが京大数学らしいです。医学部では、本当に落とさなければならないと。そういう問題を作る秘策はあるという事でした。

 
2014/03/26(水) 18:20:26 | URL | 元東大民青 #-




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  1. 2014/03/26(水) 00:13:18|
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シベリア抑留

古本屋通信    No766   3月24日

  シベリア抑留


 河村さんが昨日の記事に、シベリアに抑留されていた方の体験談をきいて、話の要点を書かれている。こういう体験は語り継がれなくてはならない。福山の会は貴重だと思う。そのうえでだが、私は今回は河村さんの記事をそのまま転載する気になれなかった。語る古木さんがどうこうではない。問題が余りにも入り組んでいて、単純ではないからだ。この問題についての共産党中央の見解も、探せばネット上で見つかるだろう。然し、たぶん時と共に微妙に変化したであろう党見解を追う気にはならない。ここはごく平均的で無難なウィキペディアの記事を貼ることで、この問題を考える自分用のたたき台にしたい。

 シベリア抑留の私の体験と言えない「体験」。1965年盛夏、原水爆禁止世界大会のカンパ活動をした。高松市で個別訪問中、シベリアに抑留されていた引き揚げ者と、死者の家族に出会った。ひとりは本人。かれは仕方なかったと言った。もう一人は「未亡人」。彼女はソ連が憎いと言った。それでも若い学生の私たちに、若いという理由だけで千円のカンパを呉れた。当時の千円は大金だった。当時の私(たち)はシベリア抑留について何も知らなかった。ただ、日本が戦後処理において、アメリカだけと単独講和を結んだのが誤りだと思っていた。然しそんなことが説明になろう筈がなかった。以来、この問題は私の心の重しになっていた。ふだんは忘れているのだ。河村さんが忘れている事を思い出させてくれた。



ウィキペディア記事の全文  シベリア抑留 

シベリア抑留(シベリアよくりゅう)は、終戦後武装解除し投降した日本軍捕虜らを、ソ連が主にシベリアに労働力として移送隔離し、多数の人的被害を被らせた枢軸国側人の抑留と奴隷的強制労働に対する日本側の呼称。

一般的には「シベリア抑留」という言葉が定着しているが、実際には現在でいうモンゴルや中央アジア、北朝鮮、カフカス地方、バルト三国などソ連の勢力圏全域や中華人民共和国に送り込まれていた。

厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、多くの抑留者が死亡した。このソ連の行為は、武装解除した日本兵の家庭への復帰を保証したポツダム宣言、レーニンに背くものであった。ロシアのエリツィン大統領は1993年10月に訪日した際、「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と表明した[1]。

「ラーゲリ」、「グラグ」、および「ソビエト連邦における外国人強制労働」も参照

旧ロシア帝国時代から囚人の強制労働が行われてきたが、ソビエト連邦では1920年後半頃から政治犯などの囚人の労働力が注目され、囚人による過酷な強制労働がより行われるようになった。また当時のソ連では重労働を伴う分野での労働力不足が深刻であり、むしろ労働力確保を目的として囚人を確保する側面もあった[2]。スターリン体制下(ソビエト連邦の歴史 (1927年-1953年)(英語版))の1930年代以降は強制収容所(ラーゲリ)の数が爆発的に増加し、強制労働の対象となる囚人も増加した。初期の労働環境は非常に劣悪であり、白海・バルト海運河建設などに動員された白海・バルト海強制労働収容所では1932年から1941年にかけての10年間で3万人近い死亡者を出し、死亡率が最も高い1934年には囚人の10.56%が死亡した[3]。

スターリンの捕虜観をあらわすエピソードとして、ポツダム会談でウィンストン・チャーチルが炭鉱労働者不足を嘆いた際に「ドイツの捕虜を使えばいい。わが国ではそうしている」と答え、4万人のドイツ人捕虜を本国に移送することをすすめた[4][5]。スターリンは捕虜を労働力としてしか見ておらず、人道的な扱いは望むべくもなかった。第二次世界大戦勃発後、ソ連が獲得した外国人捕虜は当然のごとく強制労働の対象となった。また、ヤルタ会談ではかつてドイツが賠償支払いのための外貨を市場で調達したため、世界的な貿易不均衡を生み出した問題(トランスファー問題)を回避するため、賠償は外貨や正貨支払いではなく、役務や現物による支払いで行われることが合意された[6]。この役務賠償の考え方は、捕虜の強制労働を正当化する理由ともなった。ソ連は1929年のジュネーヴ条約に加わっていなかったため、1931年以降独自規定として戦時捕虜の人道的な扱いを定めていたが、実際にはほとんど守られなかった。ポーランド侵攻以降獲得した各国人捕虜は389万9397人におよび、1949年1月1日の段階で56万9115人が死亡し、54万2576人が未帰還のまま抑留されている[7]。これらの捕虜の多くは内務人民委員部等の各省庁に貸し出され、その監督下で使役された。特にドイツ人の死亡率は高く、スターリングラード攻防戦での捕虜6万人のうち、帰還できたのはわずか5千人であった[8]。

経緯[編集]

ソ連軍侵攻と停戦[編集]

第二次世界大戦末期の1945年8月9日未明、ソ連は日本に対して、日ソ中立条約を破棄して宣戦布告をし、満ソ国境に展開する174万人のソ連極東軍に命じて、満州帝国・日本領朝鮮半島北部に軍事侵攻した(ソ連対日参戦)。8月10日には、モンゴル人民共和国も日本に対して宣戦布告した。日本は8月14日に中立国を通して降伏を声明したが、ソ連は8月16日には日本領南樺太へ、8月18日に千島列島へも侵攻して占領した。樺太では直後に、千島の占守島では8月22日に、日本から停戦命令が下り、降伏した。

これらの行動は、ソ連・アメリカ・イギリスのヤルタ会談に基づくものであった。当時非公開であったヤルタ秘密協定では、ソ連に対して対日参戦の見返りとして日本からの南樺太の返還とクリル諸島の引き渡し、満州においては旅順の租借権の回復および大連港や中東鉄道・南満州鉄道に対する優先的権利の認定が記されていた[9]。

日本がポツダム宣言を受諾したのち、8月16日には大本営から即時停戦命令が出たため、関東軍総司令部は停戦と降伏を決定した。8月17日に派遣された皇族・竹田宮恒徳王が新京に到着し、8月18日には満州帝国が滅亡したため、関東軍総司令官山田乙三大将とソ連極東軍司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥は8月19日に東部満ソ国境ハンカ湖の近くで停戦交渉に入り、8月26日頃にはソ連軍とのすべての戦闘が終わった。満州では停戦会談によって、武装解除後の在留民間人保護について、一応の成立を見たが、ソ連軍がその通りに行うことはなかった。日本軍崩壊後の民間人は何の保護も得られず、多くの被害が出た。また捕虜の扱いについては一切言及されなかった[10]。

抑留の決定[編集]

スターリンは8月16日には日本人を捕虜として用いないという命令を内務人民委員ラヴレンチー・ベリヤに下していたが、8月23日にはこれを翻し、「国家防衛委員会決定 No.9898」に基づき、日本軍捕虜50万人のソ連内の捕虜収容所へ移送し、強制労働を行わせる命令を下した[11]。スターリンの抑留方針決定をめぐってはさまざまな説が唱えられている。

関東軍密約説[編集]

8月26日に関東軍総司令部は「軍人、満州に生業や家庭を有するもの、希望者は、貴軍の経営に協力させ、そのほかは逐次内地に帰還させてほしい。帰還までは極力貴軍の経営に協力するよう使っていただきたい」という内容の「ワシレフスキー元帥ニ対スル報告」を作成した。この報告書は関東軍参謀・草地貞吾の述懐によると、草地が関東軍総司令官・山田乙三と関東軍総参謀長・秦彦三郎の決定を受けて作成しソ連側に送付したものだという[12]。また同日には「大陸方面二於テハ在留邦人及武裝解除後ノ軍人ハ『ソ』聯 ノ庇護下二滿鮮二土著セシメテ生活ヲ營ム如ク『ソ』聯側二依賴スルヲ可トス」ことを記した「關東軍方面停戰狀況二關スル實狀報告」が作成されソ連側に送付された。ただしこれを作成したという大本営参謀・朝枝繁春本人は、この文書が偽造されたものであると主張している[13]。

なおこのソ連軍との停戦交渉時に日本側とソ連側との間で密約が結ばれ、日本側が捕虜の抑留と使役を自ら申し出たのではないかというという疑惑が、全国抑留者補償協議会会長・斎藤六郎や近代史が専門のノンフィクション作家・保阪正康らによって主張されているが、ロシア側はそのような史料を公開していない。またこの交渉に同行した瀬島龍三もフジテレビ出版から上梓した『日本の証言』の中で、停戦協定を結んだヴァシレフスキーと秦にはそもそもそうした密約を結ぶ権限はなかったこと反論している。

北海道代償説[編集]

8月16日にスターリンは、ヤルタ協定で約束されていた千島列島・南樺太の占領のみならず、日本敗戦直後に米大統領ハリー・S・トルーマンに連絡し、北海道の分割占領(留萌町(当時)から釧路市を結ぶ線の北東側と両市町を占領)を申し入れた。理由は、「日本によるシベリア出兵によってソ連は占領されたため、ソ連も日本の領土を占領しなければ、国民の怒りが収まらない」というものであった。しかし、トルーマンはこれを一蹴した返書を8月18日に送った。このため「北海道の代償として捕虜をシベリアに送った」という説があるが、8月23日に決定された「国家防衛委員会決定 No.9898」は非常に細かい内容であり、トルーマンからの回答後に作られたとは考えにくい[14]。

移送[編集]

占領地域の日本軍はソ連軍によって8月下旬までに武装解除された。この際多数の死傷者が出たという。また、このとき、日本人捕虜は内地への帰還を望んだが、ソ連軍は復員を認めず、すでに離隊していた男性も強引に連行した。日本人捕虜は、まず満州の産業施設の工作機械を撤去しソ連に搬出するための労働に使役され、のちにソ連領内に移送された。9月5日の山田ら関東軍首脳を手始めに、日本軍将兵、在満州民間人・満蒙開拓移民団の男性が続々とハバロフスクに集められた。彼らは日本に帰れることを期待していたが、ソ連は捕虜を1000名程度の作業大隊に編成した後、貨車に詰め込んだ。行き先は告げられなかったが、日没の方向から西へ向かっていることが貨車の中からでも分かり絶望したことが伝えられる。抑留された捕虜の総数は、作業大隊が570あったため、当初は総数57万5千名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。一説には70万人近くが移送されたと言われ、最高数としては200万人以上との説がある[15]。モスクワのロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されている[16]。

一般的には「シベリア抑留」という言葉が定着しているが、実際には現在で言うモンゴルや中央アジア、北朝鮮、カフカス地方などのヨーロッパ-ロシア、などにも送り込まれていた。現在でも、それらの地域には抑留者が建設した建築物が残存している。彼らの墓地も各地に存在するが、現存するものは極めて少ない。

収容所での生活[編集]

シベリア抑留では、その過酷で劣悪な環境と強制労働が原因で、厚生労働省把握分では抑留者全体の1割にあたる約6万人の死亡者を出した[17](犠牲者数に関しては後述)。

一方、共産主義の教育が定期的に施され、もともと共産主義的だったり、隠れ共産党員だった捕虜が大手を振い、また「教育」によって感化された捕虜も多数いる。「革命」や「階級闘争」の思想を育てるため、兵卒や下士官に元上官を殴らせる事もしばしばあったため、兵卒や下士官が(もともと農村出身者が多いことも影響しているが)熱心な共産主義者になることが多かった反面、将校クラスではそれが少なかった。共産主義者の捕虜は「民主運動」を行い、革命思想を持たない捕虜を「反動」「前職者」と呼び、執拗な吊るし上げや露骨な暴行を行った(死者も出たという)。

抑留中に起きた事件としてはこの他に「暁に祈る」事件、ハバロフスク裁判がある。

日本側の対応[編集]

1945年11月になって、日本政府は、関東軍の軍人がシベリアに連行され強制労働をさせられているという情報を得る。1946年5月、日本政府はアメリカを通じてソ連との交渉を開始し、同年12月19日、ようやく「ソ連地区引揚に関する米ソ暫定協定」が成立した。

当時ソ連と親しい関係にあった左派社会党の国会議員による視察団が収容所を視察した。視察はすべてソ連側が準備したもので、「ソ連は抑留者を人道的に扱っている」と宣伝するためのものであったが、抑留者の生活の様子を視察し、ともに食事を取った戸叶里子衆議院議員は思わず「こんな不味いものを食べているのですか」と漏らしたという[18]。左派社会党視察団は、過酷な状況で強制労働をさせられていた日本人抑留者から託された手紙を握りつぶし、帰国後、「とても良い環境で労働しており、食料も行き渡っている」と国会で嘘の説明を行った。抑留者帰国後、虚偽の発言であったことが発覚し、問題となる。

日ソ共同宣言をまとめた鳩山一郎は訪ソの前に、「北方領土返還が最大の課題として話題になっているが、ソ連に行く理由はそれだけではない。シベリアに抑留されているすべての日本人が、一日も早く祖国の土を踏めるようにすることが、政治の責任である。領土は逃げない、そこにある。しかし、人の命は明日をも知れないではないか」と語り、シベリア抑留問題の解決を重視する姿勢を示した。

帰国[編集]

1947年から日ソが国交回復する1956年にかけて、抑留者47万3000人の日本への帰国事業が行われた。最長11年抑留された者も居れば、日本に帰国すれば共産主義を広める活動をすると収容所でソ連側に誓い念書し、早期に帰国した念書組と呼ばれる者、満洲国皇帝であった愛新覚羅溥儀やその弟愛新覚羅溥傑、満洲国国務総理であった張景恵など満州国の要人らと共に1950年代に中華人民共和国に引き渡され、撫順戦犯管理所などに収容される者達もいた。しかしさまざまな事情(ソ連当局の勧誘を受け民主運動に関係した、日本に身寄りがなく帰国しても行くあてがなかった、現地の人間と恋仲になった、など)で帰国せずにソ連に残留して帰化した例、記録が紛失してソ連当局に忘れ去られ、後になってからようやく帰国が実現した例もある。

一方、兵卒や下士官を中心に、抑留中の教育によって共産主義に感化された者が多数おり、占領軍による1950年からのレッドパージも、帰国事業が本格化してから彼らの存在を危惧したことが遠因となっている[19]。しかし、多くは帰国後も共産主義に固執しつづけたわけではなく、しだいに政治活動からは身を引いていった。しかし、日本の公安警察は“共産主義の脅威”を理由に1990年代後半まで彼等を監視下においた[20]。

冷戦終結後に、ロシア側から収容所や墓地の所在地リストが日本政府に手渡されたことに基づき、厚生省(現・厚生労働省)や民間の遺族団体などによって、毎年夏季に現地で抑留中死亡者の遺骨収集事業が進められている。

厚生労働省では、2003年より遺族の希望に応じて遺骨のDNA型鑑定が行うこととしており、2010年までに約828名の身元が特定され、遺族に引き渡されている[21]。

犠牲者数[編集]

日本側の調査による死者名簿には約5万3千人が登載されている。ソ連側(現ロシア政府)はこれまでに約4万1千人分の死者名簿を作成し、日本側に引き渡している[22]。従来死者は約6万人とされてきたが、実数については諸説ある。近年、ソ連崩壊後の資料公開によって実態が明らかになりつつあり、終戦時、ソ連の占領した満州・北鮮・樺太・千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後シベリアやソ連各地に送られ強制労働させられたと見られている。アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著『検証-シベリア抑留』によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。

賃金未払い問題[編集]

国際法上、捕虜として抑留された国で働いた賃金と、捕虜の給養費は捕虜所属国の負担となっており、この慣習はハーグ陸戦条約などで確認されているが、日本政府はハーグ会議でもこの規定採用に反対していた[23]。この規定に基づき、捕虜は帰国時に証明書を持ち帰れば、国から賃金を受け取ることができた。日本政府は、南方地域で米英の捕虜になった日本兵に対しては、個人計算カード(労働証明書)に基き賃金を支払った。しかし、ソ連は抑留者に労働証明書を発行せず、日本政府は賃金や給養費の所属国負担が慣習として定着していないと主張していたため、賃金は支払われなかった。1992年12月以後、ロシア政府は旧抑留者の申請に対して労働証明書を発行するようになり、1994年からは正式に日本政府に送付するようになった。未払い賃金については複数の訴訟が行われているが、日本政府は未だに賃金支払を行っていない。

シベリア抑留経験者からなる全国抑留者補償協議会は、2006年10月に未払い賃金の補償を引き続き日本政府に求めることを申し合わせた。

国家賠償訴訟[編集]

ウィキニュースに関連記事があります。
シベリア抑留の国家賠償訴訟で原告側の請求棄却 - 京都地裁


シベリア抑留を巡っては、日本全国で4件の国家賠償訴訟が行われている。このうち、京都地裁では2009年10月28日に、「国による遺棄行為は認められない」などとして、原告の請求を棄却する判決が出された[24]。

シベリア特措法[編集]

旧ソ連、シベリアやモンゴルで強制労働させられた元抑留者に対し1人25万から最高150万円を一時金として支給する、「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法(シベリア特措法)」が、2010年5月20日に参院総務委員会で佐藤泰介委員長により提案され、全会一致で参院本会議への提出を決めた。5月21日に本会議で可決し今国会で成立する運びとなる。法案は抑留された期間に応じて、元抑留者を5段階に分類。独立行政法人「平和祈念事業特別基金」の約200億円を財源に支給される[25][26]。

同法案は、第174国会最終日の6月16日に衆議院総務委員会で可決の後、衆議院本会議で可決成立し、同日付けで法律第45号として公布、施行された。
同日において日本国籍を有する戦後強制抑留者が特別給付金の対象になるが、前日までに死亡していると対象外となるので、支給人数はごくわずかであり、支給されない抑留者の数は膨大なものとなる。支給対象者が、特別給付金の支給の請求をする前に死亡した場合は、相続人が請求できる(本人が前記年月日までに死亡していれば支給されない。)ためにする法律でもある。

なお、2007年4月から2009年3月まで同基金が実施した「特別記念事業」により戦後強制抑留者と認定され、慰労品が贈呈された人には、10月中旬までに直接同基金から特別給付金請求書が送付される予定である。

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  1. 2014/03/24(月) 06:04:22|
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議会と野次

古本屋通信    No761   3月21日

  議会と野次


 私は豆タンクこと村井明美市議「市議会後記」ともいえる毒つき、「No757 福山市議会が終了した」の末尾にぶら下げたのだけど、私が野次について感想を書いていたら、つい長くなりました。そこで、その部分を此処に移して新エントリーとします。



 毒ついてみました  2014.03.20  22:26   村井あけみ

昨日、議会が終わりましたが、本日も控室で、ばたばたばたばた仕事しました。

日本共産党市議団の3月市議会報告ちらしづくりです。
限られた紙面ですので、論戦のすべてを載せることはできませんが、今議会もたくさんの成果を得ることができました。

少数会派でも、市民の皆さんと運動し、論戦に力尽くせば、提案が次々と実るのです。

根本的解決には遠くても、積み重ねの中で、要望を前進させ、政治を動かすことができます。
その成果を、お伝えしますよ。

悔しいのは、福山市議会のひどい様子をチラシにできないことです。あまりにもひどくて…。

議長が、市長や理事者の擁護者となって、「委員会も、時間制限制にしたらどうか」「発言通告制にして、そこからはみ出さないようにしないと、理事者が資料を用意できないので、きちんと答弁できない…委員会も発言通告制にしたらどうか」とかいうわけです…。

私たち日本共産党の発言封じがしたいばかりとしか、思えません。だって、一番たくさん、一番厳しいことを質問するのは、私たちだけで、ほかの会派の議員は、なんだかんだ発言しても、結局何でも賛成するわけですから。

少しは、是々非々であっておかしくないのにですね、是、是、是、是、ぜ~ですから。
人権が…と、かつて主張していた会派も「……ではあるが、やむなく賛成」なんておかしな討論してます。

賛成の言い訳に発言したり討論していると言って何が過言でしょう。
理事者にとって、痛くも痒くもありません。

むしろ「大多数の議員に賛成いただき…」と、福祉削りや税金の無駄遣い、子どもたちを縛る管理教育などに、お墨付きを与えるだけですから。

一部の市民の方は、「福山市議会は、とんでもない議会だ」「福山市政には、おかしいことが多い」など、気が付いて、かわるがわる傍聴に来てくださいますが、本当に、このひどさを大部分の市民の方は、ご存じないのです。

他の自治体では、問題によっては、日本共産党との共同がよく見られますし、問題によっては、市長提案に反対する議員さんもありますが、福山市では、例外なく、日本共産党以外の議員は、全て市長提案に賛成です。

「会派」が分かれているといったって、政治的立場は(利益関係は知りませんよ)全く一緒ですから、仲良しグループに分かれているだけなんでしょう?

だから、あっちの会派に行ったり、こっちの会派に行ったりする議員さんが、何の自己矛盾も感じておられないわけですよ。

19日の議会最終日、かつて、他の自治体の議員をしていたという方が傍聴に来られて、「福山市議会というところは、とんでもなく、ひどいところですね」と、目を真ん丸にしておられました。

このような様子は、チラシにすることはできませんからね。

まあ、とにかく、日本共産党の本会議や委員会の質問日には、傍聴におこしください。
闘技場並みの騒音の中で闘う私たちの姿を、ぜひご覧ください。

そんなこんなで、午後8時前に、チラシ文案を入稿して、帰宅いたしました。

少し、毒づきすぎましたかしら?
明日は、伸び乱れた髪を切りたいと思います。




 古本屋通信

 市議会において、共産党以外の全ての会派=オール与党がよく分りました。そのうえでひとこと。

 私が傍聴した3月5日には、河村さんによると野次は少なかったそうです。いつもは、そしてその後は野次が酷いという事です。まえから河村さんもそう書かれていた。今回も二人とも書かれている。

 私はこれがどうもピンとこない。発言者にとっては、発言しにくい発言妨害なんでしょうが、傍聴席で聞きとれるなら、問題ないと思う。程度の問題もあるんでしょうが、共産党議員の発言に限って野次があるというのは、発言が正当であることを天下に知らせている面もあるのでは?

 私は岡山市議会を傍聴したことはないけれど、聞くところでは共産党の田畑さんも崎本さんも野次の名人だったそうな。当局も他会派議員もピリピリして、議場はシャンとしたと言う。ま、場合に依るんだろうが、共産党に限って野次が飛ぶというのは不名誉でもないと思うが?

 それと動員してでも傍聴席を党の支持者で一定固めておくことは大事だと思った。ここから野次を組織することも欠かせない。密室議会に風穴をアケルことは必須です。

 私は学生時代の経験しかないけれど、野次を圧倒する政治力量も求められました。学生自治会委員長時代が懐かしい。岡大に移ってからは法文学部文科自治会代議員会でした。ここではもっぱら野党でしたから、民学同執行部に対して野次しかありませんでした(笑)。野次のない運動などなかった。牧歌的な時代でした。私は辛うじていい時代でした。スミマセン、自分のことを書いちゃって。



 それと、いま思い出しましたから書きます。1960年代後半、大阪で矢田事件(下に註)が起こって以来、1970年代を通じて関西・大阪を中心にした地方議会で、共産党議員に対する野次を通り越した罵倒、存在そのものを否定する混乱は度はづれなものがありました。議員除名もあったし、裁判もあった。すべて部落解放運動に端を発する混乱でした。そのころの福山市議会は知らない。しかし一般論をすこし書きたくなった。

 部落問題そのものについては、私は書きたくない思いが強い。総括は歴史を俟たねばの思いがあるからだ。ただこの問題で地方議会が混乱したのは当然だとの思いは強い。部落解放運動に限らず、日本の民衆運動のうねりと底力との関連でいえば、ブルジョア議会など屁みたいなもんだ、当時そう思った。いまでもそう思っています。ですから、福山市議会における共産党議員の活躍に脱帽した今回も、この点はしっかり確認しておきたいと思った。

 1960年代後半~1970年代にかけて、太平洋ベルト地帯に次々と誕生した「革新自治体」はなぜ崩壊したか。さまざまな要因はあった。しかしもっとも大きかったのは同和問題での対立でだ。私はここでもアレコレ書きたくない。ただ、「革新自治体」が崩壊した事実を、事実として了解する。崩壊して当然だという事である。それ以前からの確信を再確認した。議会のみを通じて社会を変える途はほとんど絶望であると。これは議会ニヒリズムではない。議会の摘用範囲が極めて限定されるということだ。

 最後は余分のことを書いた。然し今月に入ってから、私は河村さんと村井さんの記事を絶賛した。これにたいする批判もあるだろう。私はレーニン主義なのだ。議会を通じてのみで社会が変えられるなど、夢にも思っていない。


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参考資料 ウィキペディア
矢田事件
矢田事件(やたじけん)とは、1969年に大阪市で発生した同和事件。共産党員である中学教師に対し、部落解放同盟(解放同盟)が糾弾を行い、法廷闘争に発展。いわゆる「糾弾権」の存否が法廷で争われた。

本件の背景には共産党と解放同盟の対立があった[1]。本事件を契機に、1960年代半ばから燻り続けていた解放同盟と共産党との対立関係は決定的なものとなった。八鹿高校事件など解放同盟と共産党の一連の敵対事件の嚆矢であり、戦後同和運動史上きわめて著名な事件である。

別名、矢田教育事件。解放同盟は矢田教育差別事件と呼ぶ。

目次
1 概要
2 経緯 2.1 事件の背景 2.1.1 部落解放同盟による説明
2.1.2 日本共産党による説明

2.2 木下挨拶状
2.3 解放同盟による糾弾と教師による刑事告訴
2.4 部落解放同盟の組織分裂
2.5 刑事判決
2.6 民事判決
2.7 行政の対応

3 脚注
4 参考文献 4.1 部落解放同盟を支持する立場からのもの
4.2 部落解放同盟を批判する立場からのもの

5 外部リンク

概要[編集]
1969年、大阪市住吉区の中学校に勤務する教諭が、大阪市教職員組合の役員選挙に立候補した際の挨拶状を、部落解放同盟(解放同盟)矢田支部が差別文書であるとして糾弾を決定。同教諭と関係者に過酷な糾弾をおこなった。これに対して教諭らは解放同盟役員らを逮捕監禁・強要未遂罪で告訴。解放同盟側は「糾弾権」の存在を主張し争った。

1審大阪地裁は「(糾弾権は)社会的に認められて然るべきもの」として無罪判決、検察側控訴。2審大阪高裁は「監禁行為は限度を超えており処罰に値する」 と逆転有罪判決。最高裁は2審判決を支持し、解放同盟側被告らの有罪が確定した。

経緯[編集]

事件の背景[編集]

部落解放同盟による説明[編集]

この節には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
信頼性について検証が求められています。確認のための情報源が必要です。(2012年3月)

ほとんどまたは完全に一つの出典に頼っています。(2012年3月)

1971年に部落解放同盟の立場から『部落解放同盟・教宣シリーズNo3「矢田教育差別事件」とは何か』を執筆した[2]師岡佑行は、本事件の背景を次のようにまとめている。

1960年代後半、大阪市では、被差別部落のある公立学校を忌避し、天王寺中学校などの「名門」学校に、本来の学区内居住者でないにも関わらず架空の住民登録を使って通学させる「越境入学」が、部落差別の現れであるとして解放同盟が問題として取り上げ、行政側も解放同盟の指摘を受けて解消に乗り出し、教育行政上の大きな問題となっていた。

行政による調査の結果、学校によっては、現生徒数の半数近くが本来の通学校への転校が必要となるケースも明らかとなり[1]、それに見合う教職員の人事異動も必至の情勢となった。このため教師の間には戸惑いや、問題を提起した解放同盟、さらには解放同盟と協調して越境入学解消に取り組み始めた行政当局や教育委員会、教職員組合執行部への反発も生まれた(教師の中には、自身の子息を越境通学させている例も多く[1]、また、名門校への勤務は、出世へのステップや、当時大阪の教育界で取り沙汰されていた「リベート」「アルバイト」などの「教員利権」の獲得に極めて有利な条件だった[1])。大阪市教組内の共産党フラクションに属する組合活動家は、これを勢力拡大の好機ととらえ、教組が越境問題に取り組むのをサボタージュするよう活動を活発化させ、実際に市教組が定数異動の具体案を提示する執行部提案を中央委員会で否決させるなどの成果を挙げていた[1]。

日本共産党による説明[編集]

日本共産党衆院議員の三谷秀治は、全解連の生みの親の一人である和島為太郎の伝記の中で、日本共産党地区委員長の台詞を借り、矢田事件の背景を次のように記している。

「党から除名された志賀義雄に追従した反党分子などが市教組の執行部におります。反党分子は矢田中学にもおります。『解同』府連にもおります。かれらは組合内の党員や活動家に攻撃をかけ、市教組の役員から自覚的な活動家を一掃するために『差別文書』事件をデッチ上げたのです。(略)この攻撃を組織したのは解放同盟のなかの反共反党分子と市教組のなかの反共反党分子です。形の上では『解同』府連や市教組執行委員会に対するたたかいになっておりますが、それはかれらが教組や府連という機関を握り、組織の名においてわが党の活動家や民主的な教師を攻撃しているからで、内容においては反共反党分子とのたたかいといえます」[3]

木下挨拶状[編集]

1969年3月13日、大阪市教職員組合東南支部書記次長選挙において、候補者である木下浄(日本共産党員、大阪市立阪南中学校教諭)が下記の立候補挨拶状を提出。

労働時間は守られていますか。 自宅研修のため 午後四時頃に学校を出ることができますか。 仕事においまくられて勤務時間外の仕事を 押しつけられていませんか。 進学のことや、同和のことなどで、 どうしても遅くなること、 教育懇談会などで遅くなることは あきらめなければならないのでしょうか。 また、どうしてもやりたい仕事も やめなければならないのでしょうか。 教育正常化に 名をかりたしめつけや管理がありませんか。 越境・補習・同和など、 どれをとりあげてもきわめて大事なことですが それにも名をかりて転勤・過員の問題や 特設訪問や、研究会や、授業でのしめつけがみられて 職場はますます苦しくなります。[4]

一見無難に見えるこの内容を、解放同盟は、木下が越境入学問題に取り組まないまま「教員利権」を保持し続けようとする姿勢を明らかにしたものと解釈し、挨拶状を差別文書とみなして糾弾会の開催を決定する。そしてその背景には、木下教諭が共産党員であり、先鋭化しつつあった共産党と解放同盟の対立関係があった。

解放同盟矢田支部は3月18日、木下教諭および同僚である推薦人の2人を地区集会所に呼び出して糾弾を行う。その席上「頭をはり倒したいくらいや!」「竹槍でブスッとやるところや」「お前、それでも教師か、頭悪いな」「認めへんのやったら、今晩帰したらんぞ!」などと指弾した。市教組執行委員会や大阪市教委は解放同盟に同調。また木下らも「みとめれば糾弾からのがれられると思って」[5]一旦はこれを差別文書とする見解に同意する発言をおこなった。

解放同盟による糾弾と教師による刑事告訴[編集]

木下らが差別を認める方向でまとまりつつあったかに見えた事態は、共産党大阪府委員会が組織的な指導に乗り出したことで一転した。大阪府委員会は、矢田支部の指摘に同意した木下らを、党員にあるまじき態度として厳しく叱責、この指導を受けた木下らは、1名[誰?]を除き差別文書ではないと態度を翻した。

再度の糾弾会への出席を約束しながら当日や直前になって欠席を通告するという対応をとり続けた木下とその推薦者たち15名に、矢田支部員らは業を煮やし、4月9日解放会館に実力で連行、深夜まで十数時間に及ぶ糾弾をおこなった。この時、拉致監禁の現場に立ち会った解放同盟員の一人に後の衆院議員上田卓三がいる[6]。当時の被害教師の一人は、この時の体験について

「解同から「差別者」のレッテルを張られた私は、勤務中の学校から力ずくで自動車におしこめられ、彼らが自由に使っていた市民館に拉致連行、その末に「糾弾集会」なる群衆のなかに立たされ、私と同じく暴力で連行されていた矢田中学の教師二人とともに屈伏を迫られました」[4]

と回想している。また、この時の解放同盟の脅迫文言は

「(われわれは)差別者に対しては徹底的に糾弾する、糾弾を受けた差別者で逃げおおせた者はない。差別者であることをすなおに認めて自己批判せよ、差別者は日本国中どこへ逃げても草の根をわけても探しだしてみせる。糾弾を受けてノイローゼになったり、社会的に廃人になることもあるぞ、そう覚悟しとけ」

「お前らいつまでたったら白状するのや、お前らは骨のある差別者や、ともかく徹底的にあしたでもあさってでも続いて糾弾する」

「社会的に抹殺してやる」

「お前たちが認めなければ、女房、子供をここに連れてきて、よめはんにいわしたるぞ」

というものであったことが、のち大阪地裁に認定されている[7]。

1969年4月19日、金井清・岡野寛二・玉石藤四郎の3教諭が解同矢田支部長ならびに同書記長ら4人を逮捕監禁・強要未遂罪で刑事告訴した(矢田刑事事件)[8]。共産党は告訴とともに組織をあげて解放同盟を「暴力集団」と非難する文書の配布をはじめ[1]、解放同盟との敵対は決定的なものになる。5月6日から5月11日にかけて、4回にわたり、木下・金井・玉石の自宅付近に部落解放同盟の署名入りで「部落民を暴力団視する差別教師◯◯を糾弾する」「差別共産党員◯◯を糾弾する」といったステッカーが貼りめぐらされた[9]。

1970年6月17日、大阪地検がこのうち2名を監禁罪で起訴。1971年2月10日、大阪地裁で公判が始まった。

この後、挨拶状を差別文書と位置づけていた大阪市教育委員会は、再三の教委の指導を拒み続けた木下たち11名の教員を左遷し、強制研修を命令。1973年7月17日、木下たち8名はこの処分の取消と損害賠償を求めて大阪市を提訴した(矢田民事事件)。

部落解放同盟の組織分裂[編集]

部落解放同盟の内部にもこの木下挨拶状を差別と認めない支部があったが、それらの支部は順次排除された[10]。

まず、大阪府連は1969年6月29日の大会で堺市、東大阪市蛇草支部らの代議員権を剥奪。ついで両支部長を除名した[10]。

1969年9月には、府連は堺支部の19名の支部執行委員の除名を強行[10]。10月には蛇草支部に対しても幹部4名を統制処分にかけ、さらに年末にかけて堺市、東大阪市蛇草、羽曳野市、箕面市の4支部を組織排除[10]。東大阪市荒本、高槻市、富田林市などの支部活動家の除名をおこない、約1000名の同盟員が組織から排除された[10]。

刑事判決[編集]

部落解放同盟側が本件に関する被告人である。

1975年6月3日、大阪地方裁判所(裁判長松井薫)は木下挨拶状を部落差別解消を阻害しかねない文書と認定、限度を超えない限り、被差別者による糾弾[11]も社会的に認められるべきもので、本件は部分的には行き過ぎではないかとみられる部分もあるものの、木下らの態度にも原因があるとして支部長らに無罪を言い渡した。これに対し、同年6月11日、大阪地検が控訴。

1976年9月28日、大阪高裁で控訴審が開始。1980年2月12日、被告人の1人である書記長が病没。1981年3月10日、大阪高等裁判所(裁判長中武靖夫)は一審判決同様、木下挨拶状を部落差別を助長しかねない文書と認定、差別を受けた際、部落民が抗議行動を行うことは正当で、かなりの厳しさを帯有することもあり得ると判断しながらも、一連の被告人らの行為には行き過ぎがあったとして支部長に懲役3月(執行猶予1年)の有罪判決を言い渡した。同年6月18日、弁護団が最高裁に上告。

1982年3月2日、最高裁判所(裁判長伊藤正己)が上告を棄却。これによって被告人らの有罪が確定した。

民事判決[編集]

木下教諭らが「原告」、部落解放同盟大阪府連の糾弾・確認に加担した行政「大阪市」側が「被告」である。

1979年10月30日、大阪地方裁判所で原告勝訴。大阪地裁は、木下挨拶状を「労働条件の改善を訴えるもので、差別性はない」と認定。被告大阪市は合計1140万円の損害賠償の支払を命じられる。

1980年12月16日、大阪高等裁判所が一審判決を支持し、被告側の控訴を棄却。

1986年10月16日、最高裁判所が被告側の上告を棄却。原告の勝訴が確定。

行政の対応[編集]

法務省は1989年8月4日、法務省権管第280号通達において、「糾弾会は同和問題の啓発に適さない」と解放同盟の「糾弾権」を否定した。

「確認・糾弾に対する法務省の通知」も参照

脚注[編集]

1.^ a b c d e f 師岡佑行『戦後部落解放論争史』第4巻 柘植書房、1985年
2.^ 師岡佑行『戦後部落解放論争史』第4巻、p.300。なお諸岡は同書のまえがきで「私は抗争、論争の渦中に一方の陣営にあって、第三者的立場に居合わせることはなくなる。つよい直接的な愛憎なしにこの時期の資料を手にすることができないし、どこにも記されていない思い出が、二重、三重に重なってくる」とも述べている。
3.^ 三谷秀治『火の鎖』p.412(草土文化, 1985)
4.^ a b 成澤榮壽編『表現の自由と部落問題』(部落問題研究所、1993年)所収 野々山志郎「『長崎市長への七三○○通の手紙』事件と今後の課題」
5.^ 日本共産党大阪府委員会委員長・松島治重による。『前衛』1969年10月号
6.^ 1969年4月19日には上田も逮捕監禁罪・強要未遂罪で刑事告訴されたものの、不起訴となっている。師岡佑行『戦後部落解放論争史』第4巻p.302による。
7.^ 大阪地裁1975年6月3日判決、判例時報782号23頁。
8.^ 『赤旗』1969年4月24日「四暴力分子を告訴、深夜まで監禁、強要」
9.^ 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.127(部落問題研究所、1988年)
10.^ a b c d e 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.128(部落問題研究所、1988年)
11.^ ただし、被害教師の一人は部落民であることを自ら明らかにしている。成澤榮壽編『表現の自由と部落問題』(部落問題研究所、1993年)ならびに諸岡佑行『戦後部落解放論争史』第4巻、p.290による。

参考文献[編集]

部落解放同盟を支持する立場からのもの[編集]
部落解放同盟中央本部編『部落解放同盟・教宣シリーズNo3「矢田教育差別事件」とは何か』(部落解放同盟中央出版局, 1971)
部落解放同盟中央本部編『人間として: 矢田教育差別事件の真実と虚像』(部落解放同盟中央本部, 1982.2)
師岡佑行『戦後部落解放論争史』第4巻(柘植書房, 1984)
『「同和利権の真相」の深層―何がリアルや!』 (解放出版社、2004年1月、ISBN 4759210229)

部落解放同盟を批判する立場からのもの[編集]
三谷秀治『火の鎖』p.405-416(草土文化, 1985)
成澤榮壽編『表現の自由と部落問題』(部落問題研究所, 1993)
部落問題研究所編『「解同」は何をしてきたのか』(部落問題研究所、1994年 ISBN 4829810394)
寺園敦史, 一ノ宮美成, グループK21『同和利権の真相〈1〉』(宝島社, 2003)

外部リンク[編集]
矢田事件とは(部落解放同盟出身で、のち全解連に転じた亀谷吉富によるまとめ)
  1. 2014/03/21(金) 03:34:12|
  2. 未分類

岡山の日本共産党

古本屋通信    No759   3月20日

  岡山の日本共産党


 先の第26回党大会を受けた下りの県党会議および地区党会議において、県党と地区党の役員は改選・決定されていた。ようやく岡山県委員会のホームページにおいて、正式の公表があった。地区委員会のページでは人事は発表されていないようだ。


日本共産党岡山県委員会
日本共産党岡山県委員会は、岡山県内の日本共産党の組織・活動を代表します。会議で活動方針を決め、地区委員会、支部、党員、後援会員、民主団体をはじめ県民のみなさんとともに、暮らしやすい岡山県実現と国政革新の運動にとりくんでいます。
•703-8294 岡山県岡山市中区新京橋1-3-18 電話(086)271-1211 FAX(086)273-3517

•県委員長 石井ひとみ
•副委員長 松田準一
•副委員長 森脇久紀
•書記長  植本完治
 
  014年3月18日、3役の構成を更新


日本共産党岡山県議団
森脇久紀 (岡山市北区・加賀郡選挙区) 086-294-2997 086-294-2997 岡山市北区横井上1523-8
氏平みほ子 (岡山市中区選挙区) 086-276-7934 086-276-7934 岡山市東区金田798
日本共産党県議団 086-224-2111
(内線4056) 086-231-2187 岡山市北区内山下2-4-6 県庁内
日本共産党控室



日本共産党地区委員会の連絡先

岡山地区委員会
703-8294
岡山市中区新京橋1-3-18
086-273-2221 086-271-4472

美作東備地区委員会
708-0013
津山市二宮1294-1
0868-28-7260 0868-28-7263

倉敷地区委員会
710-0065
倉敷市宮前596
086-424-2110 086-424-2103

西部地区委員会
719-1131
総社市中央6-10-105
0866-90-2755 0866-93-0578


  1. 2014/03/20(木) 11:44:19|
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福山市議会が終了した

古本屋通信    No757   3月20日

  福山市議会が終了した


 きのう福山市議会が終了した。長かった。3月5日に傍聴に行って以来、その様子を市議さんの報告を楽しみに追った。まさか一地方都市のブルジョア議会を追う事になろうとは夢想だにしなかった。ひとことだけ。河村代表質問は忘れられない。議会でのたたかいも捨てたもんじゃない。緊張した時間を頂いた(古本屋通信)。

 豆タンクの翌日の「議会後記」を、最後にぶら下げた(3月21日 古本屋通信)。


メラメラ闘志が湧いています   3月19日   河村ひろ子
今日でやっと、3月議会が終了です!
とても長かった~、とてもしんどかった~
今日は3月議会最後の本会議でしたが
予定どおり、予算の組み換え案を「議員発議」しました
商業施設(福山市が所有しているビル)を管理する大和情報サービス株式会社に
管理委託料を引き上げていたことなど
議会に十分な説明もされず、内容が不透明なのに、大事な税金を大和情報サービス株式会社に支払うような契約はおかしい!
・・・ということで、以前の予算にするべき、と修正案を提案しました
以前の契約と、新たな契約の委託料の差額は
なんと126148000円なり!!!
47万人の人口で計算をすると、一人約268円なり!
ものすごい大金です
慎重に審議する必要がありますよね~
修正案の説明を土屋市議が行いました
その後、他の議員から土屋市議に向けて質問です
その内容は、
「予算委員会ですでに審議したものを、最終日の本会議でまた審議するのはおかしい」
「委員会軽視ではないか」などなど
大事な商業施設の予算内容にふれる事もなく
日本共産党からの「発議」そのものへの攻撃です
しかも、古参の議員は
「何回審議すればええんじゃ~!わかっとろうが~!!」
「内容が気に入らんけ~、最後に出すんか~!!」
「パフォーマンスかぁ~!!」
と、汚くヤジる
まるでヤクザじゃないか、と思うぐらい言葉汚い
傍聴にきた人は「福山市議会は、ひどすぎる」と、議員の態度や言葉に相当呆れていました
議員発議は、当たり前の権利です
予算特別委員会で、疑義(疑う内容)があるからこそ
大事な税金を使ってはならない、と修正案を出すのです
このように、ヤジるだけの議会でいいのでしょうか
福祉施設の補助金は廃止し
保育所は民間移管をすすめ
学校の先生は臨時雇用が多く
中学校完全給食も実現せず
こんな冷たい市政でいいのでしょうか
市長提案に何でも何でもな~んでも、賛成の議員ばかりでいいのでしょうか
日本共産党以外オール与党の福山市議会
あまりにもひどすぎます
しっかり市民に事実を伝え
議会も市政も変えなくてはいけません!
チラシや宣伝活動を強め、全力で頑張ろう!
メラメラ闘志が湧いています
負けへんど~!!!


村井あけみ(日本共産党)の奮戦記
予算修正案 発議に 「言いがかり」  2014.03.19 18:56
本日、日本共産党市議団は、新年度の一般会計と、商業施設特別会計の予算について、修正案を発議しました。

それは、新年度、リム・福山をダイワ情報サービス(株)に、年間3億5828万7000円で委託しますが、これまでより1億2614万8000円増額することになっていますが、この増額について、福山市とダイワ情報サービスと委託契約を締結しなおしたのか、どうなのか、

その増額の積算根拠は何なのか、文教経済委員会でも予算特別委員会でも、明らかにしなかったため、これは、道理が通らないと、減額の予算組み替え発議を行ったのです。

一般会計から、商業施設会計へ繰り出す1億2614万8000を減額し、同額を予備費にくりいれること。

商業施設会計からは、1億2614万8000円を減額することの2つの予算組み替えの議員発議を行ったのです。

この二つの発議が、本日の最終本会議の予算委員長報告の後に上程され、土屋議員が提案理由の説明と金額修正の説明を行いました。

「ただ今の説明に、質疑はありませんか」と議長が言いますと、次々、他会派から手が上がりました。

しかし、質問の内容は「予算委員会があったのに、どうして今、発議するのか」とか、

「一般会計の討論の中に商業施設についての記述がないから、反対していないのに、発議をするのはおかしい」とか、(商業施設会計では、きちんと反対の討論をしていますよ。この会計で述べるのが当たり前でしょう。)

「予算委員会の中で、疑義が晴らされなかったから、やっているのか」…そうですよ。まったく疑義だらけだから明らかにしなくてはならないでしょう?

「何で、議会の最終日に、唐突に出すのか」というのですが、発議案は2日前までに提出すればよいのですし、それは最終日に上程されるのが、正常な議会での取り扱いです。

あたかも手続きが不備かのような印象を与える「質問」ですが、まったく不見識です。
議会規則にも、委員会規則にも、きちんとのっとって発議しておりますし、議会手続きも何の瑕疵もありません。

本筋と全然関係のないことばかり「質問」するのです。

討論も、全会派が行いましたが、内容は、私たちの予算組み替えの内容には、まったく!1円も触れないで、発議に対する妨害の討論ばかりでした。

がっかり!
しっかり、質問に答えて、増額の内容を明らかにし、予算の無駄遣いをやめさせたかったのに!
意気地なしめ!

こんな「オール与党議員」に守られているから、福山市は、平気で大金を大手企業に流し込むのですねえ。

一方の福祉削りには、日本共産党以外は何でも賛成ですからねえ。情けないものです。

ところで、昨日、リム・福山に調査に行ったとき、リースされているという椅子が、新しいものはないじゃない!高すぎるんじゃない!という印象を持ったのは、ピンポ~ンでした。


さる古参議員のお話では、廃止された「備後ハイツ」からの椅子も来ているのですって。
こういうの、おかしいと思いません?

リース料なんか取れるんですかねえ?どの椅子が、新しいリースされた椅子でしょう?

何か私たちの知らない世界があるようで、だから、与党議員がみんなして大騒ぎして圧力をかけようとしているのでしょうかねえ。

予算組み替え動議は否決されましたが、これで終わりではありません。
負けませんよ!

3月議会は終わり、私たちは新しい闘いの準備を始めます。

庭のクリスマスローズの花が増えてきました。



予算修正動議・・・  土屋とものり  2014.03.19
本日は、予算議会の修正動議を提出しました。
これは、先週金曜日の商業施設特別会計の委託費の増高に対する契約について、予算の減額をもとめる修正議案です。
残念ながら、オール与党の議員の反対で否決されてしまい、とても残念でした。

提案理由と、議案をお知らせします。
--------------------------------------------------------
 議第1号平成26年度福山市一般会計予算に対する修正案と、
発第4号、議第9号平成26年度福山市商業施設特別会計予算に対する修正案について、一括して、発議者を代表し、提案理由の説明を行います。
 本議案は、議第9号 平成26年度福山市商業施設特別会計予算について、修正を行うためのものであります。
その理由は、次の通りであります。 
福山市が所有するリム福山のビルは、大和情報サービス株式会社と、福山市が管理運営委託契約を締結し、毎月、一定額の委託料を支払っていますが、3月13日の予算特別委員会の質疑で、このビルにテナントを誘致する業務などの、いわゆるPM業務委託料と、建物の清掃や、警備、機械の保守管理などの業務である、いわゆるBM業務委託料を、大幅に引き上げていたことが明らかになりました。その金額は、PM業務委託料は、月額700万円から、
742万7千円へ、BM業務委託料は、月額1350万円から1650万円へ引き上げた、とのことであります。年額4112万4千円の増額となります。
この事実について、これまで、議会には、一切報告がなされていませんでした。
さらに、質疑の中では、多額の増額について、使途を明らかにするための積算根拠など、詳細な資料の提出を強く要求したにも関わらず、それらの説明も行われませんでした。
徹底して説明責任を果たすべきでありますが、いまだそれらが行われていないことは、大いに問題です。
議会に対して、報告を行わなかった理由として、理事者は「議会の議決に付すべき契約に関する条例」を取り上げ、根拠として説明されるかもしれません。
この「議会の議決に付すべき契約に関する条例」の第2条には、「議会の議決に付さなければならない契約は、予定価格1億5,000万円以上の工事又は製造の請負」とあり、このことを根拠に、報告を行わなかったことが推察されます。
しかし、そもそも、この条例は、昭和41年5月1日に施行されたものであり、48年も昔のものです。

 現在、税金の使い方に対する市民の目線は非常に厳しく、1億5千万円以上の工事と製造に関してのみしか議会に報告を行わないというあり方そのものが、時代錯誤と言わざるを得ません。
 
 さらに、総合資料社が発行した、「平成18年増補改訂版 官公庁契約精義」という、解説書によると、「当初契約を随意契約によった場合、その請負金額が250万円を超える契約となる場合は、原則として変更し得ない」と記載されています。
 そして、「増加分は、会計法規に従って新たな契約を締結する」としています。つまり、地方自治法など、契約規則などの解釈では、契約金額の変更は、認めるべきではなく、変更する場合は新たな議案を提出する、と規定しています。
これらのことが、第一の理由であります。
第二に、委託料として、3億5828万7千円が計上されていますが、質疑の中では、そのうちの、3240万円は、「販売促進費」として支払い、清掃業務が増えたことにより「増額した」とのことでした。ところが、月額700万円も支払われるPM業務委託料には、元々「販売促進業務」は計上されています。
2013年、4月25日に締結した、「定期建物賃貸借兼施設運営維持管理業務委託契約」書に添付された仕様書には、施設運営管理業務として、「テナント誘致業務に関すること」と、明記されており、さらに、月額1350万円も支払われる、BM業務委託料にも、施設維持管理業務として、「清掃業務に関すること」が織り込み済みです。
つまり、3240万円は、二重計上と言えるものです。
 また質疑に対する答弁では、「入館者のスペース確保のための家具のリース料と駐車場ゲートの変更」をする、という趣旨の説明がなされました。
しかし、これらの諸経費は、毎月支払う委託料に、上乗せをするべき性質のものではありません。
第三に、これまで議会で答弁してきた内容と異なる予算編成をしているからです。
現在、施設内のテナントは、11月と、12月にそれぞれ、一店舗ずつ、合計2店舗が撤退したと、説明がありました。
このような場合に、新たなテナントを誘致する業務が、PM業務ではありませんか。
 2013年5月30日の文教経済委員会の答弁では、テナント誘致業務が進まない場合には、『不履行業務として、委託金額を減額』すると、説明されてきました。
また、そのことは、翌日の新聞報道でも報じられました。
今回、2店舗が撤退してしまったわけであり、PM業務委託料は、「不履行業務」分として、減額の対象としなければなりません。
それにも関わらず、1億2614万8千円も増額しています。
これは、あまりにも道理のない、税金の過剰支出につながります。
4月から消費税の増税が強行され、子ども達の給食費の引き上げや、民間施設給与等改善費加算の削減などが行われる一方、市民一人当たり、266円も余分に拠出するという、県外の巨大企業へは、大盤振る舞いとも言える支出は、市民理解が得られません。
これらの理由により、予算の修正を提案しました。

 具体的な修正内容は、委託料を、2億4600万円と設定しました。
この根拠は、2013年6月18日の本会議における市長答弁で、
PM業務委託料を月額700万円、BM業務委託料を月額1350万円と示しましたが、その通年分であります。
 文教経済委員会では、テナント誘致が進まない場合は、委託料を減額する、との旨の答弁であり、本来なら、答弁通り、年額2億4600万円から減額すべきでありますが、これまでの説明では、明確な減額金額が、示されておりませんので、やむを得ずこれまでの委託料と、同額とさせて頂きました。以上の前提に基づき、お手元にお配りいたしました修正案のように致します。
修正案にそって説明いたします。
議第1号 平成26年度福山市一般会計予算に対する修正案は、別紙 第1条第2項中の「第1表 歳入歳出予算」を表のとおり修正いたします。
すなわち、歳出において、第7款 商工費の第1項商工費、
70億2720万7千円から、1億2614万8千円を減じ、
69億105万9千円とし、
第14款 予備費 1億5千万円に、1億2614万8千円を加え、2億7614万8千円にいたします。

 次に、議第9号 平成26年度福山市商業施設特別会計予算に対する修正案について説明いたします。
これは、別表 第1条 第1項中の9億6298万9千円から、
1億2614万8千円を減じ、8億3684万1千円とするものであります。
第1表の歳入歳出予算の 歳入 第2款 繰入金
第1項 一般会計繰入金 2億547万4千円から、
1億2614万8千円を減じ、7932万6千円と致します。
そして、歳入合計9億6298万9千円から、
1億2614万8千円を減じ、8億3684万1千円にするものであります。
 歳出について、歳出 第1款施設管理費 第1項 施設管理費
6億5704万8千円から、1億2614万8千円を減じ、
5億3090万円とし、
歳出合計を、9億6298万9千円から、1億2614万8千円を減じ、8億3684万1千円とするものであります。



毒ついてみました
2014.03.20 22:26   村井あけみ
昨日、議会が終わりましたが、本日も控室で、ばたばたばたばた仕事しました。

日本共産党市議団の3月市議会報告ちらしづくりです。
限られた紙面ですので、論戦のすべてを載せることはできませんが、今議会もたくさんの成果を得ることができました。

少数会派でも、市民の皆さんと運動し、論戦に力尽くせば、提案が次々と実るのです。

根本的解決には遠くても、積み重ねの中で、要望を前進させ、政治を動かすことができます。
その成果を、お伝えしますよ。

悔しいのは、福山市議会のひどい様子をチラシにできないことです。あまりにもひどくて…。

議長が、市長や理事者の擁護者となって、「委員会も、時間制限制にしたらどうか」「発言通告制にして、そこからはみ出さないようにしないと、理事者が資料を用意できないので、きちんと答弁できない…委員会も発言通告制にしたらどうか」とかいうわけです…。

私たち日本共産党の発言封じがしたいばかりとしか、思えません。だって、一番たくさん、一番厳しいことを質問するのは、私たちだけで、ほかの会派の議員は、なんだかんだ発言しても、結局何でも賛成するわけですから。

少しは、是々非々であっておかしくないのにですね、是、是、是、是、ぜ~ですから。
人権が…と、かつて主張していた会派も「……ではあるが、やむなく賛成」なんておかしな討論してます。

賛成の言い訳に発言したり討論していると言って何が過言でしょう。
理事者にとって、痛くも痒くもありません。

むしろ「大多数の議員に賛成いただき…」と、福祉削りや税金の無駄遣い、子どもたちを縛る管理教育などに、お墨付きを与えるだけですから。

一部の市民の方は、「福山市議会は、とんでもない議会だ」「福山市政には、おかしいことが多い」など、気が付いて、かわるがわる傍聴に来てくださいますが、本当に、このひどさを大部分の市民の方は、ご存じないのです。

他の自治体では、問題によっては、日本共産党との共同がよく見られますし、問題によっては、市長提案に反対する議員さんもありますが、福山市では、例外なく、日本共産党以外の議員は、全て市長提案に賛成です。

「会派」が分かれているといったって、政治的立場は(利益関係は知りませんよ)全く一緒ですから、仲良しグループに分かれているだけなんでしょう?

だから、あっちの会派に行ったり、こっちの会派に行ったりする議員さんが、何の自己矛盾も感じておられないわけですよ。

19日の議会最終日、かつて、他の自治体の議員をしていたという方が傍聴に来られて、「福山市議会というところは、とんでもなく、ひどいところですね」と、目を真ん丸にしておられました。

このような様子は、チラシにすることはできませんからね。

まあ、とにかく、日本共産党の本会議や委員会の質問日には、傍聴におこしください。
闘技場並みの騒音の中で闘う私たちの姿を、ぜひご覧ください。

そんなこんなで、午後8時前に、チラシ文案を入稿して、帰宅いたしました。

少し、毒づきすぎましたかしら?
明日は、伸び乱れた髪を切りたいと思います。



 古本屋通信からひとこと
 市議会において、共産党以外の全ての会派=オール与党がよく分りました。そのうえでひとこと。
 私が傍聴した3月5日には、河村さんによると野次は少なかったそうです。いつもは、そしてその後は野次が酷いという事です。まえから河村さんもそう書かれていた。今回も二人とも書かれている。
 私はこれがどうもピンとこない。発言者にとっては、発言しにくい発言妨害なんでしょうが、傍聴席で聞きとれるなら、問題ないと思う。程度の問題もあるんでしょうが、共産党議員の発言に限って野次があるというのは、発言が正当であることを天下に知らせている面もあるのでは?
 私は岡山市議会を傍聴したことはないけれど、聞くところでは共産党の田畑さんも崎本さんも野次の名人だったそうな。当局も他会派議員もピリピリして、議場はシャンとしたと言う。ま、場合に依るんだろうが、共産党に限って野次が飛ぶというのは不名誉でもないと思うが?
 それと動員してでも傍聴席を党の支持者で一定固めておくことは大事だと思った。ここから野次を組織することも欠かせない。密室議会に風穴をアケルことは必須です。
 私は学生時代の経験しかないけれど、野次を圧倒する政治力量も求められました。自治会委員長時代が懐かしい。岡大に移ってからは法文学部文科自治会でした。ここではもっぱら野党でしたから、民学同執行部に対して野次しかありませんでした(笑)。野次のない運動などなかった。牧歌的な時代でした。


  1. 2014/03/20(木) 02:21:43|
  2. 未分類

『前衛』第26回大会特集

古本屋通信    No754   3月18日

  『前衛』第26回大会特集


 『前衛』第26回大会特集号を、たったいま岡山平和書房で買ってきた。この民主書店はわが家から100m以内の距離、岡山民主会館内にある。岡山県・人権連の拠点事務所なのだ。色々の団体が入っているが、家賃は安くないらしい。しかし訊いてはならないことだろうから、訊いたことはない(笑)。

 ぺらぺらっと捲って見た。ナンダ、この造本。いよいよ手抜き編集だな。編集の能力不足じゃあない。金不足だ。ここまで究極の安上がりの『前衛』は見たことがない。コレ、すべて既印刷物からのフロッピー印字送りだろう。最新の印刷事情は知らないが、便利になったのだろう。まあ、本じゃあない。不満は言うまい。読めればよい。

 ちょっと『前衛』第26回大会特集号に追加ケチである。オモテ見返しページ。若い大会代議員の写真が載っている。河村さんと吉良よし子さんも映っている。しかしこの頁、写真は一枚だけだ。右ページ(表2)は白紙だ。こんな編集あるかヨ。これ、編集者はクビに値する。だって、右ページに新日本出版社の書籍広告を入れ、左に入れる写真を2枚にしても経費は殆んど変わらない。なに考えているんだ。

 中央委員会人事で、国会議員団ブロック事務所・中国事務所 所長 武田英夫を確認した(P.132)。今後は次期党大会まで、武田氏は岡山県委員会ではなく、党中央委員会所属であることをここに確認した。したがってブログ「いのしし日記」もその立場からの発信と見做して間違いなかろう。石村とも子は中国事務所の国民運動委員長であろう。これもここで(暗黙に)確認した。つまり私は今後は彼らを「モグリ」とはみなさない。正規の職員とみなす。

 今後、武田、石村に対する批判をしないということではない。逆である。しかし党中央所属(直属)の党員であることがはっきりしたからには、そういう存在として厳しく批判するという事である。すくなくとも「用事もないのに党内をウロチョロするな」というような罵倒はしない。まあ愉しみにして下さい。私としては岡山県委員会に気を遣わなくてもよくなって、ずいぶん気が楽になった。

 早速。
 これは党中央常任幹部会へ。党中央の人件費の詳細は知らない。マスコミ中小企業の30 年まえの常識で言う。ひと一人の人件費は年間1,000万円だった。だから売上がないスタッフ部門の人件費は営業部門が補填しなければならなかった。人件費は給料/ボーナス/退職金や保険掛け金だけだ。これとは別に個人の活動費(無茶くちゃ交通費を使う)は人件費なみに要る。武田は議員年金があるから給料は不要なのだろう。まさか二重取りでは? 然し活動費は要る。石村は両方が要る(飛行機は国会議員でもめったに使うまい。それに国会議員は電車は無料だ。石村は金銭感覚ゼロだ)。いったい中国ブロック事務所の予算をどれくらいに見積もっているのか。5000万円位か? これ全て捨て金だと思うが、どうか。金庫番しっかりせえ。

 
  1. 2014/03/18(火) 17:27:13|
  2. 未分類

報告2・福山の教育講演会

古本屋通信    No753   3月18日
 

  報告2・福山の教育講演会

 3月15日福山市で、和光大学教員・山本由美氏を講師に迎えて教育講演会があった。その報告が福山市議の土屋とものりさんの当日記事にあったので、私のブログ16日に転載した。今回はその報告第2弾である。村井明美市議の報告である。文末にはかつての「解放教育」の弊害まである。全文が豆タンクの真骨頂である。村井さん、転載させて戴きます、ありがとう(古本屋通信)。




 福山は管理と統制、競争教育の最先端!
 
2014.03.17 20:04   村井あけみ
「中学生が、飴をなめながら登校してきたので、一週間の部活停止、トイレ掃除の罰則を受けたんだって」…皆さんどう思われます?

福山では、日常茶飯事の生徒指導内容です。

15日、和光大学の山本由美先生を迎え、「競争と選別の教育を乗り越えるために」と題して講演をしていただきました。

この教育講演会をなぜ企画したかと言えばですね、それは次の理由によるものです。

福山市の小中学校で、子どもたちが、様々な罰則を受け、中学生が次々逮捕され、「一体どうなっているの?」という声があがっていました。

全ての学校が「生徒指導規程」に基づき、ゼロトレランス…例外なき厳罰主義で、中学校や高校では、学校から生徒が排除されてゆきます。

「学力テスト」「学校選択制」「小中一貫教育」などなど矢継ぎ早に導入され、これまでの6・3・3制や小学校区を崩そうとするなど、一体福山の教育は、何を目指してどこに行こうとしているのか、疑問の声があげられました。

そして、先生方は、報告書作りや統一カリキュラム作りのために忙殺され、児童生徒を縛る「生徒指導規程」の実行を迫られるなど、親や子どもたちに向き合えず、不祥事や心の病が広がるなどの憂うる状況となっています。

「なぜ、子たちをそこまで管理するのか」「どうすれば、この息苦しい状況を乗り越えることができるのか」教育学の専門家に福山の教育を一緒に考えていただこうと、企画したのです。
(パネルディスカッション)
そこで、見えてきたのは、自民党の教育政策です。

学習指導要領の改悪、教育基本法の改悪、「ゼロトレランス」の導入、小中一貫校教育・一貫校(学校の統廃合と序列づくり)、全て文部省発。

これらは、競争教育で子どもと学校を振り分け、露骨に、一部のエリートと黙って働く従順な労働者をつくるという、財界のための「人材」づくりのプログラムです。

「日の丸」「君が代」の導入、「愛国心」「道徳の教科化」の押しつけの行き着く先は、安倍首相がもくろむ「アメリカと一緒になって戦争する国づくり」に黙って従う忠実な国民づくりです。落ちこぼれても大丈夫!軍隊があるよ!って!

福山市が、全国に先駆けて、物言わぬ人材づくりを推進しているのです。ありとあらゆる反動教育を、日本中で一番熱心に展開している「先進地」だそうです。

あるお母さんは、「私は『人材』を生んだ覚えはない!」と言われましたが、全く同感!
子どもたちは、未来の主権者として、たった一度の人生を、「主人公」として生きるために生まれてくるのですから…。

学校は、子どもと先生の笑いがあふれる楽しい場。
登校時間が待ち遠しいような、いそいそと出かける場であってほしいですね。

先生方が、子どもたちの登校を楽しみに、一人ひとりを愛して育む場であってほしいですね。

そのためには、力を合わせて「軍国主義復活の教育」や「財界のための人づくり」の暗雲を吹き飛ばさなくてはなりません。

私たちは、休眠状態であった「福山の教育を考える会」を再開し、新しい会長さんも決めました。この会は、かつて、福山に吹き荒れていた解放教育・行き過ぎの同和教育から、当たり前の教育を取り戻そうと、保護者、教職員、地域の人々で力を合わせ頑張ったのです。

今、反動的教育から学校と子どもたちを守ろうと、立ち上がりました!

文部省が矢継ぎ早に出している反動的な教育の内容について、今後、個別の報告もいたしますね。

私のかわいい孫を、落ちこぼしや兵士になんかさせません!
  1. 2014/03/18(火) 04:20:20|
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福山の教育講演会

古本屋通信    No750   3月16日

  福山の教育講演会


 先日の村井明美福山市議のブログに以下の案内があった。私は参加は出来ないけれど、村井さんか、河村さんがブログに書かれたら、それを転載させてもらうつもりだった。ところが昨夜は珍しく二人揃って、ブログの更新がなかった。それで土屋とものり市議を訪問したら、万全なレポートがあった。それを転載します。ちょうど教育問題を取り上げているところでした。土屋さん、初めてお世話になります、ありがとう。
 
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和光大学 山本由美 先生を迎えて、教育講演会を行います。
 3月15日(土)午後2時から
 市民参画センターです。
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管理・厳罰教育を問う―福山の教育を考える
2014.03.15  日本共産党福山市会議員 土屋とものり
 福山市内の小・中学校で蔓延している「生徒指導規程」と管理主義、厳罰主義の教育について話し合う「福山の教育を考えるつどい」が開催されました。
「そこまで管理が必要か?」と題した、和光大学の山本由美教授の学習講演会と、保護者、研究者、と山本由美氏を交えたパネルディスカッションが行われました。
   
 一部の講演会では、山本教授が「競争と選別の教育を乗り越えるために」と題して、自民党政権が進める、新自由主義教育改革の詳しい内容と、道徳教育の推進、小中一貫教育が子どもへ与える影響について、講演しました。

 山本教授は、政府が進める新自由主義教育改革は、グローバル企業が海外で、活動をしやすくするために、①英語教育、②理数教育、③ICT教育を徹底して力を入れる、と話します。そして、「一握りのエリート」と、多くの落ちこぼれを作り、落ちこぼれる子に対しては、「排除されても文句を言わない」よう、道徳教育を進める、と話します。

 そして、「福山の教育は、あらゆることに数値目標を導入する、・学力テストを中心にして学習指導や生徒指導を行うこと、・生活面で生徒を縛る、・やる気と規範意識を強調する」などの方針のほか、「トップダウンの施策を地域が下支え」をする体制を作るなど、新自由主義教育改革の先進地といえる、と解説しました。
 さらに、生徒指導規程について「福山の教育は、国の言うことに文句を言わず、『黙って従え』と言わんばかりの雰囲気を感じる」と話しました。

 また小中一貫教育の推進により、地域の学校が統廃合される計画に対し、保護者が結束して反対運動を広げた例を紹介したうえで、「大人たちが子どもに寄り添えた時、学校の統廃合など子どもに大きなショックを与える出来事があっても子どもは乗り越える力を発揮できる」と話し、「保護者と教師が共同することが大切です」と話しました。

 二部のパネルディスカッションでは、中学生と高校生の保護者、教員と、山本教授がそれぞれの立場から発言しました。
 中学生の子をもつ母親は「学校では先生は『黙っておとなしくしろ』という態度で細かな規則を押し付けるが大人の言われるがままに『いい子』のいなっている子を作る教育でいいのか?」「学校は子どもが中心ではないのか」と疑問を投げかけました。そして、「どうやって教育の問題で親同士がづながれるか、考えていきたい」と話しました。
また、別の保護者は、自身の子どもが高校で生徒指導規程により排除された経験を話し「学校が子どもの切り捨てや排除の場所になっている。思春期という最も多感な歳に、学校から排除され切り捨てられていった子どもが無防備に社会に出ていき、犯罪予備軍になっていく。『手におえない子どもは見えない所へ』というあり方に疑問を感じる」と話しまして。

 山本教授は「福山の管理教育の実態を聞いて、八〇年代の教師の体罰を中心にした管理教育を思い出した。ここまでひどいとは」と感想を語っていました。
山本教授は最後に、「日本の民主教育は、管理教育を乗り越えた豊かな実践がある。学習し、つながりをつよめ、新自由主義教育改革を押し返そう」と訴えました。

 参加した保護者は「学校では細かすぎる規則がつくられ子ども達はがんじがらめだが、保護者は『おかしいことはおかしい』と声を上げる決意が大切だと思った」と話していました。

管理・厳罰教育を問う―福山の教育を考える
  1. 2014/03/16(日) 12:04:05|
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頑張った党福山市議団

古本屋通信    No747   3月14日

 頑張った日本共産党福山市議団


 今日は福山市議会予算特別委員会の最終日でした。日本共産党福山市議団は4人で、よく頑張りました! その最終報告をベテランの村井明美さんと、新人の河村晃子さんの本日のブログから転載します。4人の市議さん、連日の深夜までの奮闘お疲れさまでした。少しお休み下さい(古本屋通信)。


 翌朝ひとこと論評。福山の二人の文、上はフォーマルな文、下はインフォーマルな文だろうが、いずれもピリッとしてるんだ。だから忙しくても読めるし、貼ろうという気が起きる。私も自ブログの品位が上がると思うから転載させてもらう。
 ちょっと言いたくないが言う。ここでこんなことを書くと、福山だって迷惑だろうが仕方がない。岡山県下の議員諸氏も少しは転載したい気になるブログを書いたらどうか。私のこのブログ、岡山の議員のだれか読んでるだろう。少しは福山を見習ったらどうか。秘密保護法反対の文でも思った。議員研修で一日とって、ブログの書き方ならぬ文章の書き方教室やるんだね。チューターは党中央で赤旗記者を手配して貰うもよし、それこそ超会派で図書館に斡旋を依頼するもよし(古本屋通信 3月15日)。





2014.03.14 12:54   村井あけみ
3月福山市議会の山場を乗り越え、後は、最終本会議を迎えるのみとなりました。

連日、深夜までの苦闘が終わりました。
市議団4人で、よく頑張りました!

本日は、予算特別委員会の最終日で、各予算案の討論と評決が行われました。
16会計の本年度予算と、12会計の補正予算です。

日本共産党市議団は、そのうちの16会計に賛成し、12会計に反対しました。
その12本の討論原稿を書くために、昨晩は、12時くらいまでかかったのです。

その内の一般会計予算の反対討論をUPします。
一般会計は、総額1646億7900万円です。

市民生活全般にかかわる予算ですから、大部分は賛成できるのですが、見過ごすことのできない問題点があり、その政治的比重から反対しました。

以下、討論ですが、●印は個別の福山市施策と予算編成上の問題点として指摘したものです。
この一つ一つの指摘した部分をただし、市民要望を実現することが求められており、各分野の皆さんと力を合わせて、これからもがんばります。


議第1号 平成26年度福山市一般会計予算について日本共産党の討論を行います。

本年度の国家予算は、第2次安倍政権の通年予算編成で、4月1日からの消費税8%への引き上げ、年金や生活保護基準の引き下げ、教育、農業、地方財政などの軒並み削減を行うなど、国民生活のあらゆる部面で負担増を押しかぶせています。
 
一方、大企業減税をはじめ、「国土強靭化」を看板にした大型公共事業のばらまき、「成長戦略」具体化のための予算などの大企業大盤振る舞いを行い、新中期防衛計画の初年度予算として、軍事費を増額し、「戦争する国づくり」を進める予算となっています。
 
国の借金は膨れ上がっているにも関わらず、「消費税頼み」で、依然として巨額の借金を重ね、財政再建の見通しは全く立っておりません。

福山市は、回復基調にある日本経済が確固としたものになるよう、成長戦略を確実に推進したいと、大型公共事業推進の国に追従しています。
 
本来ならば、このような国の予算編成のもと、福山市政が、悪政から市民を守る防波堤となり、福祉・くらし・教育の充実最優先の予算編成を行うべきであります。
 
大企業優遇、国民負担増の政治の在り方は、福山市一般会計にも色濃く表れ、法人市民税は、7億8000万余の増収を見込む一方、個人市民税は、均等割り額が1人500円引き上げられ、1億700万円の増額となるところ、わずか1000万円余の増額にとどめています。これは、所得の落ち込みや景気悪化の影響を反映したものです。

その上、消費税率引き上げを理由に、使用料・手数料を61件にわたって引き上げ、1部便乗値上げも行い、2億5000万円余の新たな負担増を押しかぶせます。

地方消費交付税は1%から1.7%に引き上げられ、昨年度比10億8500万円増額されます。
安倍首相は「消費税の増収分は福祉予算に」と言ってきましたが、
福山市は、溜め込んだ141億円の財政基金とともに、市民生活全般を支える予算として有効に活用すべきです。

 その他、市民に負担と犠牲を押し付ける数々の問題があります。 

市職員については、行政改革を名目に、新年度50名を削減し、臨時職員を多数配置、職員の自宅に係る住宅手当の削減を行い、住民の奉仕者としての責務や意欲を削ぐものです。

個人番号制度への対応に伴うシステム開発と防犯環境の整備として防犯カメラの増設を図ることは、プライバシーの侵害や市民を監視する体制づくりにつながります。

自助自立、協働のまちづくと称して福祉制度の充実を怠り、敬老行事に関して、長寿祝い金を100歳のみの一回限りとする、冷たいあり方は許せません。

軽費老人ホーム運営費補助の民間施設給与等改善費を今年10月で廃止することは、事業所の運営を不安定にし、職員の処遇も悪化させるもので、取りやめるべきです。

福山市でも、合計特殊出生率の低下で、人口減が懸念される中、子育て支援として、重要な役割を担う乳幼児医療費助成制度の拡充を行なわず、広島県内でも立ち遅れた状況となっています。

今年も、公立保育所の民間委託を進めることは、地域の保育水準引き下げにつながります。

ゴミ処理についてはRDF事業を継続しているため、燃料費の大幅増額や運転委託料が増高しています。一日も早く、分別・再資源化を中心とした、ゴミの減量化を推進する処理方法に改めるべきです。

汚泥処理に関しては、地元住民の合意を得ないまま、新浜し尿中継施設の建設を強行しています。直ちに取りやめ、箕沖処理場に直接搬入するべきです。

企業立地奨励金が、資力を持つ大企業に助成されていることは、問題であり、消費税を価格に転嫁できず、営業難に苦しむ中小企業向けの新たな融資制度や、住宅リフォーム助成制度の創設など、地域の仕事おこしの資金などに振り向けることが求められます。

本年度水路転落死亡事故が続発し、児童が交通事故に巻き込まれる深刻な事態が起こっています。幹線道路建設は取りやめ、その予算を緊急箇所整備や通学路の安全確保の施策に回すべきであります。

教育では、小中一貫教育で、中学区内の児童生徒の指導を一体化するとして、「生徒指導規程」を作成させ、それに反するものは「ゼロトレランス」と称する、別室指導などの厳罰を課し、管理・統制教育を強めています。

また、学校同士を競い合わせ、子どもたちを競争教育に巻き込む学力テストの実施を進めています。
 
本来、正規教職員を配置するべきであるにもかかわらず、臨時教職員を多数配置し、教職員の入退校時間を個別に把握せず、健康管理や多忙化解消を行うべき管理者としての責務を果たしていません。到達度別授業を行い、子どもたちを傷つけていますが、全ての小中学校で少人数学級を実現し、ひとりひとりの心に寄り添った行き届いた教育を実現するべきです。

小・中学校、幼稚園給食費の一食10円、年間1人1900円引き上げは、中止するべきです。

2010年からの国の就学援助制度拡充に伴い、クラブ活動費、生徒活動費、PTA会費を対象とするよう、直ちに拡充することが求められます。

当然のことながら、本会計は市政全般にかかわる有用な予算が組まれており、そのほとんどは賛成できるものですが、以上に述べた諸点における政治的比重から、本予算案に反対して討論といたします。

そのほか、国民健康保険の会計や病院事業の会計など11本ありますが、また別の機会に……。



予算議会が終わりました~!
2014-03-14   河村ひろ子
今日やっと、予算特別委員会が終わりました!
やった~(*≧∀≦*)!イエ~イ
昨夜は遅くまで討論原稿を作成し
寝たのは、夜中の1時すぎ
ところが、2時9分の地震で飛び起きてしまい、しばらく寝付けず・・・・
寝不足でフラフラでしたが
予算特別委員会、頑張りました!
平成25年度の特別会計補正予算・母子寡婦福祉資金・駐車場事業・集水落事業など5件については、日本共産党は賛成
平成25年度の一般会計補正予算・平成26年度一般会計予算・都市開発事業・介護保険特別会計・後期高齢者医療・商業会計・国保会計・食肉センター・下水道事業・上水道事業・福山市民病院
以上の会計予算に、日本共産党は反対しました
他の会派はすべての項目に「賛成」をしました
平成26年度の予算は、消費税の増税に伴う、公共料金の引き上げ
軽費老人ホームの施設補助金(民間施設給与等改善費)を廃止
企業立地奨励金・部落解放同盟への資金など
賛成できない内容も含まれています
市民にとって黙過出来ない内容がある予算には、きっぱり反対をしなくてはいけません
ところが、他の会派の議員は、聞いていて不快に感じるヤジを飛ばします
「共産党は病院も下水も水もいらんのじゃ~!」
「肉もいらんのじゃ~!」
こんなヤジを聞くと、福山市議会の品のなさを痛感します
市民にとって来年度予算がどうなの
真剣に質疑をし
これは許してはならない、という項目があれば
きっちり反対を示す事は大切だと思うのです
こうやってヤジる議員を姿を、ぜひ市民のみなさんに知ってもらいたい、と強く思いました
長かった予算議会が終わり、ホッとしたけど
新聞の集金、生活相談、市の申し入れの立会いなど
休む間もなく、次々と仕事をこなします
明日は、息子のサッカーの試合と学習会
今夜は2人の子ども達に挟まれて寝よ~っと
  1. 2014/03/14(金) 21:54:46|
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