古本屋通信

頑張れ、田辺さん

古本屋通信     No716  2月23日

   頑張れ、田辺さん


 久しぶりに共産党倉敷市議団のホームページを巡回したら、田辺市議さんの所に、2本連続で光る記事があった。それを転載させていただく。田辺さんといえば、先日の倉敷地区党会議で地区副委員長に選ばれたばかりである。垣内地区委員長(男)を、すます伸子さんと共に支えて頑張って欲しい。古本屋通信は倉敷市議団をケナスことのほうが多かったが、他意はなかったのだ。すますさんの県議当選のためにも、市議団の団結した頑張りが期待されよう。


「代表質問内容」   2014/2/21
26日午前10時から行われる私の代表質問の項目です。今、必死に原稿書いています。
1、国政にかかわる重要問題での伊東香織市長の認識を問う
 ①特定秘密保護法について
 ②原発ゼロの社会を
 ③集団的自衛権の行使について
 ④TPPと農業について

2、財政について
 ①将来を見越した市財政のあり方について
 ②地方交付税の削減の反対し、財源確保を

3、公約倒れになっていないか?「子育てするなら倉敷で」
  ①子どもの医療費無料化年齢対象の拡充になぜ背を向けるのか
 ②小中学校へのエアコン設置になぜ踏み切らないのか
 ③なぜ、保育所待機児ゼロを掲げないのか
 ④子ども・子育て新制度に対する市長の認識と対応について

4、新年度からの負担増からどのように住民を守るのか
 ①提案理由説明に、その点が欠如している
 ②国民健康保険料の値上げは避けるべき

5、障害者権利条約の批准、障害者差別解消法の制定を受けて
 ①市の基本的な対応は?市のすべての部局へ趣旨の徹底を
 ②障がい者の一般就労の実態と対策は
 ③倉敷市職員障がい者雇用で、知的、精神障がい者を排除することは許されない

6、市民が安心して暮らせ、環境にやさしく、未来に希望をもって働けるまちに
  ①介護保険制度の大改革にどう対応するのか
 ②生活保護行政について 生活保護法の改正で運用に変更はあるのか
 ③水島清掃工場管理運営事業、派遣法違反問題のその後はどうなったのか
 ④公契約条例の制定について
 ⑤環境行政について 自然エネルギー先進都市をめざせ

7、まちづくりについて
 ①鉄道高架に固執せず、住民本位のまちづくりを
 ②住民合意のない区画整理事業をどう考えているのか
 ③倉敷駅周辺総合整備計画策定事業について
 ④市内全域を見通した均衡あるまちづくりを

8、防災対策について
 ①倉敷市地域防災計画の見直しについて
 ②水島コンビナート防災について

9、地域経済の活性化を
 ①中小企業の現状についてどのように認識をしているか
 ②中小企業地域経済振興基本条例の制定を

10、子どもたちにわかる授業を、楽しい学校を
 ①教師が子どもたちと向き合い、わかる授業を行う環境整備を
  ・テスト漬け、競争教育になっていないか
  ・教員の過重負担の解消を
  ・正規の教員の配置こそ焦眉の課題
  ②いじめ・不登校への対策について
 ③県知事が発表した、
  学校への警察官の配置、頑張った学校への報奨金をだす問題など教育を破壊する政策への対応について
 ④特別支援教育の充実について  投稿者: たなべあきお

「当然の決断」 2014/2/21 
今日の山陽新聞には、岡山県が学力向上やいじめ対策で成果を挙げた小中学校に交付を予定している「奨励金」について、玉野市の黒田市長は「小中学校の足並み乱れる」と辞退する考えを示したことが報道されています。
人参をぶら下げて「ご褒美を上げるからがんばれ」という、こんな、教育とは無縁な無策の方針に「異議」を唱えた黒田市長の姿勢に敬意を表したいと思います。当然といえば当然のことですが、県に堂々と物を申す姿勢は重要です。。
県は、報奨金について「頑張っている学校の取り組みを県内に広げるのがねらい」というが、誰が頑張っていると評価するのか、結局、学力の順位や不登校率をの数字で学校毎に競争させるという、とんでもないものです。知事の肝いりで追加予算で計上されたようですが、こんな、教育の現場に混乱をこ持ち込むような愚策に、全ての市町村が「辞退」を表明してもらいたいと思います。
私は代表質問で、この問題を通告していました。市教委は、「県から説明を受けていないので、答えられない」ということだったので、問題点の指摘に留める予定でしたが、「市長、もしくは教育長」の見解を求めることにしました。
 
投稿者: たなべあきお


ついでに林潤岡山市議さんの真っ当な記事を初めて見た。いいものはいい。やればできるんだ。潤クン、三期目も頼むぞ。ひとこと多いのを改められえ(古本屋通信)。

 全国学力テストの学校別公表の害悪 [保育・教育] 
 2014-02-22 23:47 林潤 

玉野市長は、岡山県が学力向上やいじめ対策で成果を上げた小中学校に奨励金を交付しようとしていることについて、玉野市の学校は受け取りを拒否する考えを示しました。
玉野市で一枚岩となってがんばっているのに県が特定の学校にご褒美を出すと他がやる気を失って足並みが乱れる、というのが理由だそうです。
もっともだと思います。
学力向上で成果を上げた学校、とは全国学力テストで平均点が高かった学校ということになるでしょう。
これまでの県別の公表で「順位の固定化」が言われています。先生たちががんばったからといって学校外での様々な条件も子どもの学力に影響するのでそうそう変化がないのは当然です。
これが学校別の公表になると状況が変わる可能性があります。
学校の順位はだいたい固定化するでしょうが、人数が少ない学校の平均点は大規模校に比べて変動幅が大きくなる可能性があります。
その可能性を示唆する資料が岡山市にありました。教育要覧に載っている生徒の体格の資料です。2013年度版から抜粋しました。
青い菱形が岡山市立学校の平均のグラフです。ピンクの四角が岡山県で、黒い三角が全国の平均です。
14歳男子の平均身長は概ね一定なのに、17歳男子の平均身長は大きく変動しています。体重や座高も同じです。
14歳は中学生で市立中学校の生徒は一学年で38校6,000人以上いるのに、17歳の市立高校は1校だけで140人ほどです。
集団が小さいと一人の変動が全体に及ぼす影響が大きくなります。
全国学力テストの平均点でも同様なことが起きるでしょう。
小さな学校に何年かに一人の秀才が現れたら平均点は跳ね上がります。反対にテストが苦手な学習障害の生徒がいたら大きく下がります。
それで学校の成績に一喜一憂したり、ご褒美を出したりペナルティを科したりすることは百害あって一利なし、です。
  1. 2014/02/23(日) 11:09:23|
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神辺の管茶山

古本屋通信     No713  2月21日

  神辺の管茶山


 すっかり眠って目が覚めたら午後の11時、「 しまった、今日はブログを書いていなかった。困った、書くことを思い付かない」。そういう時、私はひろ子ワールドを訪問し、そこからヒントを得たり、時間がなかったらそれを丸写しにします。果して・・・・・あった。管茶山。近い福山の人だけれど、古本屋的には頼山陽ほどヒットしない人。頼山陽は「日本外史」を見たら捨てますが、管茶山はお目にかかれない。


歴史保存について学ばなくては
河村ひろ子
  2014-02-21

明けても暮れても、質問原稿のことばかりでスミマセン
今日の案の定、原稿を書くため資料読んだり、理事者に確認をしたり・・・
しかし、午後からは、1期の新人議員7人の研修会
当選して、約2年
約2~3ヶ月に1回は、新人議員研修を続けています
今日は、なんと!私の地元、神辺町
管茶山記念館をまず訪問
た~くさんの雛人形が飾ってありました
管茶山は、1781年に神辺に「黄葉夕陽村舎」という私塾を開きました
茶山が34歳の時です
1796年に福山藩の郷塾となり「廉塾」と呼ばれました
廉塾ならびに管茶山居宅は、昭和28年に国の特別史跡に指定されました
さあ、門をくぐりますよ
寺子屋を出た人達を、管茶山は文学・漢学を教えていました
(廉塾の濡れ縁
そして、神辺の本陣
参院交代で、大名が泊まった所
本陣も廉塾も、個人が所有しており
建物を修繕するのが大変と、ボランティアガイドさんが教えてくれました
国からの公費も出るそうですが、個人も修繕費用を負担する必要もあると・・・
福山市は南は鞆町、北は神辺町、それぞれ歴史ある町があります
歴史に触れるまちとして大切にすれば、観光の街として栄える事ができつと思うのです
市側の財源支援も必要なのでは・・・・
歴史保存について学ばなくては、と思いました
(神辺の参勤交代の絵)
さあ、夜は質問書きのため、読書をがんばりま~す


 いつもながら、見栄えのするカラー写真9枚が転載出来ないのが残念。そうか、茶山は河村さんの地元の神辺だった。 「日本の古本屋」へ行ってみよう。これはたぶん和本は出ないだろうナ。

まず著者検索管茶山

新日本古典文学大系66 管茶山/頼山陽詩集
管茶山/頼山陽 水田紀久/頼惟勤ほか校注、 岩波書店 、 1996年、 1冊

新日本古典文学大系66 管茶山/頼山陽詩集
管茶山/頼山陽 水田紀久/頼惟勤ほか校注、 岩波書店、 1996、

管茶山の世界 黄葉夕陽文庫から
管茶山関係書籍発刊委員会 編著、 文芸社、 2009

黄葉夕陽村舎詩
竹岡書店
20,000円
 管茶山、 葦陽文化研究会、 昭56
 函少シミ 附録冊子・補正表付 天腹極少虫シミ


 う~ん、たった4件しか出ない。岩波の新大系に入っていた、これは山陽とセットだった。旧大系102 巻には入ってなかったな。あと、時間があれば、書名検索すればよい。それからアマゾンでも検索。福山の図書館広島県内図書館の横断検索に懸ければ、フルに出るだろう。ダメ押しは国会図書館で。これ便利です。

 午前零時を回ったので、これから店に行きます。夜の夜中にたったひとり2万冊の本の中で生活します。こんな生活なのです。河村さん、お世話になりました。困った時のひろ子頼みです、ありがとうございました。


ウィキペディア
菅茶山
菅茶山(かん ちゃざん(さざん)、延享5年2月2日(1748年2月29日)- 文政10年8月13日(1827年10月3日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人。諱は晋帥(ときのり)。字は礼卿。通称は太仲・太中。幼名は喜太郎、百助。備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身。
農業・菅波久助の長子として生まれる。茶山が生まれ育った神辺は、山陽道の宿場町として栄えていたが、賭け事や飲酒などで荒れていた。学問を広めることで町を良くしようと考えた茶山は、京都の那波魯堂に朱子学を学び、和田東郭に古医方を学んだ。京都遊学中には高葛陂の私塾にも通い、与謝蕪村や大典顕常などと邂逅した。

故郷に帰り、1781年(天明元年)頃、神辺(現在の福山市)に私塾黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)を開いた。皆が平等に教育を受けることで、貧富によって差別されない社会を作ろうとした。

塾は1796年(寛政8年)には福山藩の郷学として認可され廉塾と名が改められた。茶山は1801年(享和元年)から福山藩の儒官としての知遇を受け、藩校弘道館にも出講した。化政文化期の代表的な詩人として全国的にも知られ、山陽道を往来する文人の多くは廉塾を訪ねたという。詩集『黄葉夕陽村舎詩』が刷られている。(復刻版は葦陽文化研究会編、児島書店、1981年(昭和56年))
廉塾の門人には、頼山陽・北条霞亭など多数。墓所は神辺網付谷にある。
「廉塾ならびに菅茶山旧宅」は1953年(昭和28年)に国の特別史跡に指定された。
参考文献
『菅茶山 頼山陽詩集』 水田紀久・頼惟勤・直井文子訳注
 <新日本古典文学大系.66>岩波書店、1996年
『筆のすさび、仁斎日礼ほか』 日野龍夫校注、<新日本古典文学大系.99>岩波書店、2000年
『菅茶山 六如』 黒川洋一訳注、<江戸詩人選集四>岩波書店、1990年、復刊2001年   
『菅茶山 上・下』 富士川英郎 福武書店、1990年  ※大佛次郎賞受賞
『菅茶山』 富士川英郎  <日本詩人選30>筑摩書房、1981年 
『菅茶山と頼山陽』 富士川英郎 平凡社東洋文庫、初版1971年、のちワイド版
『図録 菅茶山とその世界 黄葉夕陽文庫を中心に』 広島県立歴史博物館、1995年
菅茶山記念館では、『特別展図録 菅茶山と頼家の人々』、(刊1996年)他が刊行。
※復刻版『筆のすさび』 <日本随筆大成1巻(第1期)> 吉川弘文館 初版1927年


神辺町
神辺町(かんなべちょう)はかつて広島県深安郡に存在した町である。
福山市と岡山県に囲まれた町で、福山市のベッドタウンであった。また、1975年以降は深安郡唯一の自治体になっていた。2006年3月1日に隣接する福山市に編入され消滅し、合併後の地名は、「広島県福山市神辺町」となっている。
名所・旧跡
吉野山公園神辺城跡 ‐ 戦国時代 - 江戸時代初期の山城の跡。備後福山藩発足当初の居城は神辺城であった。
神辺町歴史民俗資料館 ‐ 神辺城跡の東側にある。(現在は福山市神辺歴史民俗資料館)
吉野山公園 ‐ 神辺城上り口にある公園、桜の名所である。
神辺本陣跡
廉塾・菅茶山旧宅
菅茶山記念館
八丈岩 ‐ 伝承によると、昔々「ごん」と「八」という鬼がいて、四日三晩にわたり喧嘩をしていた時、「ごん」が踏んだ岩とされ、くっきり凹凸が見られる。
備後国分寺跡
堂々公園 ‐ 江戸時代に築かれた砂留が残っている。
6番砂留 ‐ 堂々公園に行く途中にある。伝承によると、大雨に困った住民が作ったという説が最も有力とされる。また、仲直りした「ごん」と「八」が川から水が溢れ困っている下界の人のため、一晩でつくった説もある。
神辺町出身の有名人
菅茶山 ‐ 江戸時代後期の儒学者。漢詩人。
葛原勾当 ‐ 箏曲の名手。勾当日記を著す。葛原しげるの祖父。
葛原しげる ‐ 童謡作詞者。色々な校歌を手がける。有名な広陵高校の校歌もつくる。有名な曲が「夕日」。
箱田良助 ‐ 伊能忠敬測量隊員。榎本武揚の父。箱田地区で生まれ育つ。伝承によると、苗字の「箱田」は、その地域の地名である「箱田」から採ったものであるとされている。また、当時苗字が無く、その地域の人はみんな「箱田」を名乗っていたとされる。
小原春香 ‐ 歌手。AKB48・SDN48の元メンバー。
  1. 2014/02/21(金) 23:06:23|
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林潤君のニュース

古本屋通信     No710  2月19日

 林潤君のニュース
  
 
 林潤君が 02-16 の自分のブログで下(青文字)のように書いていました。すばやい報告です。ニュースとして貼っておきます。

 因みに他の市会議員さんの次期選挙での続投、引退は明らかではありません。地区党会議での候補者内定は、あくまで組織内の決定であって、党公認は記者会見での発表が公表だと思うのですが。

 県議候補の森脇、氏平、すます各氏の発表も、県党会議直後の県庁での記者会見発表の直後でした。いっぽう県党組織の三役は県党会議決定の時点での公表でした。この辺の事も潤君はわかっていないようです。たいした事ではないので叱られませんが。

 潤君は余程嬉しかったのでしょう。引きつづいて頑張ってください。

 次期岡山市議選のポイントですが、共産党が北区で引き続いて2人たてるのか、それとも1人に絞るのか。いま河田さんと田中のぞみさんの複数です。定員が減るし、年齢からいって河田さんが引退する可能性もあります。その場合、田中さん1人に絞って万全を期すのか、それとも新人を立てて現有議席確保を目指すのか、むつかしいところです。竹永さん、東君は事情がないかぎり続投・再選はかたいでしょう。その場合、竹永さんが市議団長です。私は何の不安もありませんが、地区委員会の指導下での活動をお願いしたいと思います。

 緑の党は前回、県議の横田さん、市議の鬼木のぞみさんとも最下位当選でした。ぜひとも頑張って、鬼木さんが再選されて欲しいものです。私はもし共産党が北区安全パイで田中のぞみさん一本で行くなら、鬼木さんに投票します。そして市議会でののぞみコンビの活躍を期待します。その際の注文は、どうか左翼魂を持ち続けて欲しいということです。

文字色
日本共産党岡山地区委員会の党会議が開かれました。岡山地区での活動方針やそれを実現するための体制を決める会議です。
新任や引退、任務の変更があり、来る人去る人がありました。
日本共産党の出会いと別れの季節です。「来年のいっせい地方選挙で岡山市議三期目を目指す」という私の任務に変更はありませんでした。
引き続き、頑張ります。
林潤
 2014-02-16 22:18

??? 「出会いと別れの季節」 ねえ? 初めて聞いた。こりゃ、重症だな。
 
 それと、揚げ足をとる訳じゃないけど、コレ「岡山地区委員会の党会議」じゃないだろ。これだと地区委員会総会だ。岡山地区の党会議だから地区党会議という。支部から選ばれた代議員も地区委員も対等な立場で議決権を持って参加するんだ。キミ地区委員だろ。ちゃんと区別してよ。
  1. 2014/02/19(水) 09:15:22|
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戸坂の全集月報について

古本屋通信     No708  2月18日

  戸坂の全集月報について

 戸坂の全集には、ちょっと別巻は記憶が曖昧ですが、月報は付いています。とても価値があると思います。私はその全てを入力しようと試みたのですが、最初のところでつまずきました。他人の文を入力するのは苦痛で、お手上げです。どうか私に期待しないで、月報完備のものを買ってください(古本屋通信)。



戸坂潤全集について お尋ねします。
「月報」は、1~5巻・別巻のすべてについていますか?「月報」は読む価値がありますか?
「月報」がないほうがだいぶ安いので、月報に価値がないなら安い方を買います。
2014/02/18(火) 17:27:59 | URL | 元東大民青 #-




 戸坂潤全集の月報について   
 定年退職後、本は読まない主義を課している(読まない理由はホームページに書いた)。例外はあってマルクスと戸坂潤である。戸坂潤全集は第一巻と第三巻を持っているはずであるが、なぜか今、手元にあるのは第三巻だけである。そのマルクスも戸坂潤もこのところ読めていない。
 古本屋通信さんが高原のAMAZON書評を紹介されたとき、芝田進午の「人間性と人格の理論」に言及されていた。僕のマルクス主義との出会いも「人間性と人格の理論」だった。理科系に進んだ人間にこれは分かりやすかった。読んだ当時、人にもこの本を勧め、当時の仲間の間で「人間性と人格の理論」は、「何でも書いてある」本として読まれた。
 戸坂潤全集第三巻の月報に、西谷啓治が、戸坂の恩師西田幾太郎が、戸坂はマルクス主義でなく科学哲学をやればいいんだが、と語ったことが紹介されている。始めて戸坂潤に惹かれたのも、科学について論じたものだった。戸坂以後、彼のような固くて同時に柔軟な論理を展開できる哲学者はいなくなったように思う。
 また、戸坂潤全集の月報は、どれも、内容が濃くしかも心がこもっていて胸を打つ。これだけでも読むに値すると思う。戸坂潤全集は揃えたいと思っている。
2014/02/19(水) 10:54:17 | URL |
高原利生 #

 古本屋通信
 高原さんからの投稿をここに貼ることにしました。芝田進午の「人間性と人格の理論」について、ということで別エントリーを立てようとも思ったのですが、私がこの本を読んだのは1970 年前後までです。四国のちいさな大学の大学祭に芝田を呼んだのは懐かしい思い出です。ときはベトナム戦争の真っ只中で、芝田は焼身自殺したアリスハーズ夫人の本を引っさげて、ベレー帽をつけて講演しました。その後のかれの活動も知っていますが、私は哲学論考については残念ながら知りません。合同出版から出された数冊の研究年報に他は。
 芝田も晩年は党にとどまりませんでした。これについても私は言うべき資料を持ち合わせません。ただ、さざなみ通信のサイトで、かなり乱暴な「贔屓の引き倒し」を見るにつけ、何か書かねばとは思っていました。しかしそれは暫くあとになりそうです。
 芝田が戸坂をベタ褒めなのはよく知られていますが、それは自分の子供に潤とな名づけた程でした。私も芝田に倣って息子に潤と名付けたのですが、これだけは大失敗でした。芝田の息子の潤はどうしているのでしょうか。



再録 古本屋通信  No 173  4月6日
戸坂潤全集・月報
 通信 No 166 で予告したように、『戸坂潤全集』( 勁草書房 1966~67年)の月報 を入力する。掲載は順不同とさせていただく。同じ勁草書房から後に出版された『新版・回想の戸坂潤』と論稿が重複していないか気になったので、倉庫を探したが見つからなかった。取りあえず見切り発車する。最後まで行くのに半年くらいかかるだろう。

 第1回目は梯(かけはし)明秀だ。ウィキペディアを繰っても詳しい記事はないだろう。近藤洋逸先生の岡大の同僚だ。レッドパージのとき近藤先生とともに追放にあいそうだとの噂がながれ、立命館大に去った。近藤先生はそのことをずっと気にされていたそうだ。それから、これは梯本人の預かり知らぬ事だが、梯哲学は革マル派の黒田寛一の理論形成に影響を与えたと「いわれている」。「 」を付したのは、私にはその関連がよく分らないからだ。あれやこれやで、梯(かけはし)を冒頭に置くことになった。あとは未定だが、小山弘健はどうだろう? 近藤先生の文は何回も読んでいるので、最後にしたい。

 彼との淡々とした親交   梯 明秀
 戸坂と私が親しい交友関係に入った最初の時期は、何年の何月であったのか、それを想い起こす機縁になるはずの何らかの事実なり挿話については、全く記憶に残っていない。私が一高を出て京大の哲学科に籍をおいたのは、大正十三年の四月であるが、その時に丁度、戸坂は学士になって大学院に籍をおいていた。その頃には、母堂と共の山科に居を構えており、よく十四年には左京区の鹿ヶ谷に転居している。この年の十月に三木清氏が帰朝しており、その前にすでに、三木氏を中心とした哲学一高会を持つ意向を、私は戸坂から漏らされていたのであったから、それまでに、二人の間は或る程度に親しい関係になっていたはずである。ただ彼についての面識の程度まらば、私が入学して間もなく開講となる頃までに遡ることができるであろう。西田、田辺両先生の講義が始まるのを待つ間、教室の前の芝生で、聴講生に取り囲まれた木村素衛、高坂正顕、西谷啓治の各氏と戸坂との相互に談笑する容姿は、私たち一回生の学生にも、将来の哲学科のポストが彼等に約束されているかのように印象づけられていたからである。この印象を私たちに実証いてゆく業績としては、戸坂の場合には、二十五才の卒業の年に早くもヴィンデルバンドの『意志の自由』を翻訳、刊行しており、また、学生時代から取りくんでぃた『空間論』の研究の成果を、昭和三年の二十九歳の時まで続々と『哲学研究』および『思想』に発表してゆき、その論文の数は、六篇に及んでいるのである。
 この理科系の頭脳明晰な若き哲学者の宅を、私が、しばしば訪ねることになったのは、前記の哲学一高会を通じての校友の頃からでなかったかとも推察されるが、私が彼の家庭の雰囲気に溶け込んでいた時には、すでに彼は結婚していたように記憶している。確かなことは、昭和二年四月に三木氏が東京へ去った後の一年近くの間、毎週一回、私が彼の家で共にクールノーを読んでいたことである。この年の三月は、私にとって卒業すべき時期であったが、一高時代をボート部で過してきた秀才ならぬ私は、それまでに辛じて特殊講義の論文「社会への関心」を提出することが出来たにとどまっていた。そして、卒業を一年さきに延すことにして、四月から翌年の三月まで、黄檗山万福寺の或る塔頭に寓居して、そこで卒業論文のための準備をしていたのである。これらの二つの論文のために、私の研究対象としたものは、タルドであった。というのは、デュルケムおよびデュルケム学派の文献よりも、タルドのものの方が哲学的であったからである。タルドの主要著作は一とおり眼をとおしたが、それらが要するに社会心理学的であるにすぎなかった点から、それらを比較して、より哲学的な『モナドロジー・エ・ソーイオロジー』に焦点を絞っていくことになった。この小論文において、ライプニッツのモナドが「その窓の閉されている」のにたいする批判として「開かれたモナド」の思想が、主張されているのではあるが、  
 つづく。あと、この4倍ほどある。悪文だねえ、疲れる。
  1. 2014/02/18(火) 20:19:49|
  2. 未分類

共産党岡山市議団へ

古本屋通信     No705  2月16日

 臨時ニュース
 本日の岡山地区党会議で垣内京美さんが岡山地区委員長に選出されたそうです。夫君の垣内雄一氏は昨日の倉敷地区党会議で倉敷地区委員長に選ばれたということでした。夫婦仲良く別々の部署で頑張ってください(午後4時半)。


  日本共産党岡山市議団へ

林潤君が完全にカルトになりきっているとは断定しません。しかしその兆候は 3・11直後からありました。共産党市議団が市の幹部職員を勧誘して街頭カンパに出ました。山陽新聞が岡山市長が先頭に立って被災者救援募金をしている写真を掲載しました。そしたら潤君は、これは山陽新聞の取材不足であり、この活動を提案したのが共産党市議の崎本敏子さんだと書いたのです。
 
 私は共産党市議団に失望しました。これは震災直後のことです。まだ被災の実情が分ってない時でした。潤君が言うように、いち早く街頭カンパを提起したのは崎本さんだったでしょう。

③ これをどう捉えるかは個人の感性によって違いがあります。共産党市議団ならではの機敏な対応、岡山市が全国に先立って震災被災地を救援しようという共産党の提起に「さすが共産党」と拍手を送った人もいたでしょう。そういう声を期待したからこそ、潤君は山陽新聞の「取材不足」を非難したのでしょう。

 私の感想は正反対でした。共産党市議団とりわけ崎本さんを許すまじでした。イイカッコここに極まりです。この提案を他会派と市当局がどう受け取ったか、心の中までは分りません。共感した人もいたでしょう。しかし圧倒的多数は批判的だった。他の市ではありませんでした。また当日カンパ活動に加わった人は多くありませんでした。

 私が許せないのは万人が反対しにくいこと、しかもホントはすべきでないことを、共産党が点数稼ぎのエエカッコでやることです。人に嫌われるのが分りきっていて、美辞麗句を並べてやることです。私が長年の崎本支持を取り止めたのはまさにこの点でした。福田英子顕彰碑移転問題で書いたとおりです。これは崎本さんの欠点でした。然し一般的なそれではなく、共産党議員なればこそ陥る致命的な弱点でした。

 山陽新聞がこの活動の震源地が共産党市議団であることを書かなかったのは、せめてもの救いでした。それをなんと潤君は書いてしまったのです。それには根拠がありました。潤君は崎本さんからカルト的部分を稚拙なかたちで継承していたのです。ひとは先輩からさまざまな影響を受けることは避けられません。批判的に乗り越えていかなければなりません。

 崎本さんにも言いたかったことですが、潤君にも言いたい。ひとの能力は限られています。あんまり自分が知らないこと、知る気もないことを得意そうに喋りなさんな。エエカッコの背伸びをしなさんな。マルクスもエンゲルスも読んでナインだから、全国区の問題についてまともな事が喋れるわけがないのです。

 それに潤君、今のままでは同年輩の保守市議に負けますヨ。有権者は見ています。潤君の給料も高すぎます。ハローワークへ行ってごらんなさい。20万円を超える求職などないですよ。キミ80 万円貰っています。石村とも子なんか、年中遊び回って「若者の雇用の改善がライフワーク」 なんてヘドが出ますね ( これ犯罪ですよ。党員と支持者がなけなしの金を党に寄せた、その金を湯水のように浪費する)。ああなっちゃ終わりだから、河田さんが産廃問題に取り組んでいるように、市議として目の前の課題に全力で取り組んでください。全国の問題は党中央のムービーを伝えるだけ、それがキミの現在の実力です。もう議員年金は出ないですよ。

 改めて言う程の事ではないと思いますが、3・11直後のカンパの件。あれはカルトがやることでした。被災の規模からいっても、深刻さからいっても、少なくとも市議団や行政当局がやるべき対応ではありませんでした。あれ、党が街頭カンパを訴えるなら何の問題もなかったのです。

 最後に別件ですが、いまの共産党岡山市議団は超会派ということを完全に取り違えていますね。これは竹永さんに著しいです。市議会での他会派との共同(女性)が全て否定されるべきではありませんが、企業訪問、幹部職員との懇談、DV問題での共同は全て共産党議員として誤りでしょうね。完全に階級的視点の欠落です。ホントは地区委員会辺りから批判が出て軌道修正されるべきなんですが、地区委員会も市議団に遠慮しているみたいです。竹永さんはこれは全国でも例がないといって自慢しています。他の自治体の共産党議員団は、こういうのは誤りだからやらないだけです。党中央もこの批判まで手が廻らないでしょう。いつか批判したいと思っています。

 さあ、きょう下りの地区党会議みたいです。強力な地区委員会指導部が選出されることを期待します。そして、いまひとつ曖昧にされていることですが、党岡山市議団は党岡山地区委員会の指導下にあります。このことを名実ともに貫く党運営がなされなければなりません。この点が日本共産党が他のブルジョア議会主義政党と決定的に区別される点です。ここにこそ党の優位性があります。

次いでに最後に石村とも子のことを一言書きます。どう考えても、彼女は共産党の選挙候補にも、党専従にも向きません。なら辞めて出直さなければなりません。過去必ずしも党専従として無能ではない人でも、専従の無給・遅配時代には、辞めて職安に通う例は腐るほどありました。私自身も通いました。元全学連委員長の川上徹氏も通ったそうです。川上さんの場合、東大卒の学歴が邪魔になったといいます。石村もハローワークに通ったらよい。そこを通して職業を得て、初めて「若者の雇用改善がライフワークです」 と言え。こんなん、私が悪意で言ってるんじゃあなくて、それこそ「ブラック企業」で苦しんでいる若者なら誰でも、敏感に感じ取るでしょう。石村が街頭で訴える「ブラック企業規制法案」の訴えそのものが、欺瞞に充ち充ちています。もういい加減にした方がよい。


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  1. 2014/02/16(日) 00:44:01|
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道満誠の第二詩集

古本屋通信     No695  2月11日

  道満誠の第二詩集

 道満誠のことは、半年程まえ倉敷のブックオフで 『道満誠詩集』 を見つけたとき、記事を書いた。その見出しがグーグルで表示されたので、クリックしたら 「消されています」 と出た。そこで、このページ右上のブログ内検索にかけたが、一件も表示されない。私が間違って自分で消したのだろう。

 私は道満誠に会ったことはない。この詩人の名は坪井宗康の関係で知った。坪井の詩集のどれか (手許にないが、たぶん 『さんぽ太郎よ甦れ』 だろう) に文を寄せていたと思う。坪井が死んだ時にも、かれは追悼文を寄せていた。これは「道標」だったと記憶している。『道満誠詩集』 のあとがきにも作者は、「坪井宗康がいなかったら、この詩集は出なかっただろう」 と書いていた。

 道満誠が死んだのは、私が古本屋を開店て間もなく 1994 年夏だったろう。かれが死んだ暫くあと、岡山詩人会議 「道標」 のメンバーが形見分けで、故人の本を持ち帰ったらしい。その残りを古本屋の私に下さった。代表の松田研之さんが、私の店の在庫が少ないのを心配してくださり、坪井あきこさんが山陽町の道満さんの家から運んで下さった。ダンボール2箱は残り物にしては逸品だった。しかしその中には、道満さんの詩集は一冊もなかった。それらは「道標」の人たちが持ち帰ったのだろう。

 道満誠は戦後間もない頃からの詩人で、雑誌やアンソロジーにはかなり詩を寄せていた。しかし単著は3冊しかない。

 1 培土 詩集  新日本詩人叢書   新日本詩人刊行会  1952
 2 囲碁詩集   日本文教出版  1965 10
 3 道満誠詩集   詩人会議出版  1984 07


 いずれも現在では、古本で入手し難い詩集だ。3 冊とも岡山県立図書館と岡山市立図書館にはある。他の県内図書館にはない。国会図書館にはいずれもある。私が半年前の見つけたのは 3 である。こんかい同業の囲碁の本のあいだから 2 を発見した。

 私は詩については全くの素人なので、詩集の詩については書けない。「あとがき」の中の詩人のことばを拾い書きする。

 囲碁詩集   「あとがき」より
 これは詩の二番目の詩集です。
はじめの詩集「培土」は1952年(昭和27年)遠地輝武氏の好意で新日本詩人叢書の第一集として新日本詩人刊行会から出され、壷井繁治氏が序文を、詩友吉塚勤治が跋を書いてくれた。その後遠地さんを通じて中野重治氏に私が次の詩集を出すときにはその序文を書いてもらえるように頼み、承諾してもらったように聞いている。
 しかし私は、この詩集の序文を中野氏に頼むわけにはいかなくなった。私は詩人としての中野氏を尊敬している。もし中野という詩人がいなかったら、そして少年期の私が「浪」や「夜明け前のさようなら」を読まなかったら、私は詩を書くようになったいたかどいかわからぬ。
 あの長くて暗い戦争中、そしてその後の十年にわたる闘病生活中(それは昂進するインフレの中での経済との闘いでもあった)私を支えていたものは、「中野重治詩集」と「齋藤茂吉ノオト」、そして奈良大和の仏像たちだった。・・ 中略

 ・・・・・もう十二、三年くらいになるが、彼は作家の金達寿と一緒の岡山へやってきた。当時の中野氏は確か全国区の参議員だった。駅前で吉塚に紹介され、数人で岡山駅の日本食堂へ入った。・・・以下、略


 古本屋通信  

 ここでは限られた一点だけ、問題を提出する。詩の内容のことではない。

 赤の大文字に変換した部分の理由について、作者は何も書いていない。だから一般にはその理由が分らない。しかし作者は読者が分らないことが分っていても、その理由を書かないし、書けない。それがまず異常である。

 しかし、私もそうだが、この詩集を手に取るだろう読者はたちどころに事情を理解する。それは一年前(1964年)に中野重治が共産党を除名された、だから党員である作者は、除名された中野に序文の執筆を頼むわけにはいかなくなった。或いは(私もそうだったが)、それまで道満が党員であるかどうか知らなかった者は、ああ矢張りかれは党員だったのかと納得する。

 然しこれは一般には、党外の社会では通用しに難いことである。詩を書く、或いは小説を書く、そういう精神の営みが、共産党員としての党生活と切り離せないことは分る。しかしそれは、かなり重複する部分が多いにせよ、完全に一致するものなのか。私は文学 (もっと広く芸術、思想などの表現活動一般も) は、そうではないし、そうであってはならないと思う。

 今でも上記のような部分は残っている。だから時どき「民主文学」あたりで問題が起きる。これは一般社会では通用しないことだ。この詩集の後書きの不自然さを不自然と感じない感性は、少なくとも文学の感性ではないだろう。道満誠がそれを意識して「あとがき」を書いた訳ではないだろう。しかしかれは無意識のうちに問題を提出した。これも詩人の力量だと私は思う。



  1. 2014/02/11(火) 00:58:05|
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続続「前衛」調査依頼

古本屋通信     No 684  2月7日

  続々『前衛』 特集号調査依頼

やはり大会関係です。私の曖昧回答になると思います。

8回大会や9、10回大会では、大会前に「政治報告案」が全党討論に付され、大会当日の報告者は報告案の修正部分の説明のみ、だったということなのでしょうか。自分で調べればいいのでしょうが、赤旗縮刷版を開架で置いてる公共図書館が近くにないもので、古本屋さんに甘えている次第です。
2014/02/06(木) 18:33:26 | URL | 中Ⅱ病デモ #

古本屋通信
いいえ、違います。基本的に今と一緒だと思います。大会決議案は大会の前(多少の差があります)に中央委員会総会決定として発表され、それを全党で討議します。その討議の過程で各級党会議があり、そこでの代議員選出を経て党大会があるのです。大会当日はトップが決議案の全文を(発表された通りに)中央委員会を代表して読みあげます。だって、それに賛成か、反対か、一部修正したいか、それは予め大会前に表明されているのではなく、大会で初めて表明・討議されるものだからです。


ユーゴからの祝電
10回大会の時でもまだユーゴスラビア共産主義者同盟からの祝電は載っていないんですね。古本屋さんが入党した当時はまわりの党員の意見はやはりチトーは修正主義だという考えの人のほうが多かったのですか?
2014/02/06(木) 18:52:52 | URL | 中Ⅱ病デモ

古本屋通信

 ユーゴの党は戦後の国際共産主義運動の中で、仲間はずれにされてきた歴史があります。その当否はいちがいにいえませんが、一定の根拠はあったでしょう。コミンテルンが戦後解散してからも、ヨーロッパの党の情報交換の機関に過ぎなかったコミンフォルムが事実上のコミンテルンとして存続します。ユーゴスラビア共産主義者同盟は戦後まもなくそこから除名されていました。議長はチトーといいます。チトーは裏切り者でした。チトー主義者は修正主義者であり、敵でした。

 これは日本の党にも、世界のすべての党にもあった国際共産主義運動の前提でした。1960年代以降中ソ対立を経て、国際共産主義運動そのものが解体しますから、ユーゴ問題の見直しは事実上、各党に委ねられます。

 日本共産党は1970年代以降、ユーロコミュニズムを評価する文脈の中で、とりわけ非同盟運動を高く評価する機運が高まる中で、ユーゴの評価を手直ししました。しかしその詳細を私は知りません。非同盟運動そのものも暗礁にのりあげます。10回大会の時は祝電をもらう関係ではありませんでした。そのご日本の党はどこの党とも兄弟つきあいを深くしなくなりました。もう懲り懲りだというのが本音でしょう。祝電の歴史をご覧ください。朝鮮労働党とベトナム労働党が最後まで深く付き合った党だったでしょう。

 私が入党した1960年代中頃、日本共産党は『世界政治資料』という資料モノの雑誌を出していました。私は愛読者でした。そこでチトー批判は読んだと思います。しかしそれはイタリアの党のように記憶が鮮明ではありません。たぶん日本にチトー主義者がいなかったからだと思います。イタリアの路線は日本の構造改革派のモデルでしたから、私はトリアッチ同志も一応読みました。

 ひとことだけ関係ないことを。歴史を余り自分に都合よく書き換えないほうがよいと思います。朝鮮労働党は最後まで友党でした。この党に1960年代、金日成の個人崇拝がなかったわけではありません。それを承知で持ち上げていたのです。全面肯定から総否定への転換。これは先方にそれに見合う事実の変化があったわけではありません。そういう日和見の極端な例が萩原氏でした。私自身は共和国が日本に較べて、そんなに悪い国だとは思っていません。住み難いでしょうが、住めば都です。一日も早く日本が米日「韓」軍事同盟条約を破棄し、朝鮮半島の唯一の政権と正常な関係を取り戻すことを望むものです。

 それから原発政策のことです。宇都宮の政策など、私は読みません。オリンピック反対を表明できない全ての候補の「政策」など、都知事候補として失格です。鈴木候補の健闘を祈ります。私は中核派の支持者ではありませんが、他の候補とは雲泥の差があります。とりわけ宇都宮の惨敗を望みます。二度と共産党界隈をうろつけないまでに、叩き潰してほしいです。


 
  1. 2014/02/07(金) 01:37:06|
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青木新書・その3

古本屋通信     No 681  2月6日

 
  青木新書・その3


  「新書・その2」 の続きである。今度は横道に逸れないように努力したい。



「現代のマルクス主義-疎外からの解放」 津田道夫 1963年初版 津田の評価は微妙である。この時点では、平和共存派=フルシチョフ支持に見える。だから武井らと行動をともにした。「こえ」は旗揚げしていなかった。明らかに構造改革派ではない。

「すべてを党に」 呉運鐸著 竹内實訳 1955年初版 中国の革命小説の翻訳 この作品は中国版「鋼鉄はいかに鍛えられたか」といわれていたらしい。作者のその後は知らない。竹内は文革賛美派になった。

「日本マルクス主義史」 小山弘健 1956年初版
 帯のことばを転記する。
日本共産党第6回全国協議会とソ同盟共産党第20回大会は、わが国のマルクス主義理論にとって歴史的転換点となった。・・・・。(主要な内容)片山潜・幸徳秋水・堺利彦の先駆的業績 アナ・ボル論争 山川主義から福本主義へ 高橋・猪俣の理論 (以下、略)。  

「戦後の日本共産党」 小山弘健 1962年年12月初版
 本書の刊行は第8回大会の2年後である。最終章にその生々しい記述があるではないか。事実を下に示すことにする。
日本共産党第8回大会  の記述から私が抽出してメモする。
 1961年7月25日~31日 798名の代議員。神山、中野は代議員に選出されなかったため、評議員として出席。代議員の年齢構成比は30歳代が58%、40歳以上が32%。党員数は7回大会時の2倍で10万未満。「アカハタ」は本紙115,000部、日曜版255,000部。民青同盟員数6万人。
 新中央委員60名、新中央委員候補35名、統制監査」委員8名。前大責を問われて中委候補者リストからはずされた旧書簡派の紺野、西沢、竹中、松本三益、田代、竹内、塚田など、全て」中央委員に復帰。神山、中野も中央委員に。波多、中西功歯入れられなかった。 


「國境の海」 杉浦明平 1955年初版 
  1. 2014/02/06(木) 01:55:27|
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青木新書・その2

古本屋通信    No 678  2月5日

  青木新書・その2



 「通信 No 676 青木新書・その1」 では、青木新書の在庫を列挙するつもりだったが、「資本論随筆」で終わってしまった。私より旧い世代だと誰でも知っているが、長谷部文雄は河出書房「世界の大思想」シリーズの 『資本論』 の訳者である。箱入りの堅ろう本だ。私が大学に入学した1964年には、これがもっともよく使われていたと思う。私も第1巻を買った。すぐに青木が記念セールで特装版を廉価で出したので、そちらに切り換えたが、岩波の向坂訳はまだ出ていなかったと思う。しかし岩波文庫版が出ていたことは確かだし、青木文庫は大昔からあったはずだ。なぜこれらの記憶がなかったかというと、当時は 『資本論 』を文庫で読むという風潮はなかったからだ。当時はブックバンドを十字に絞めで商店街を歩いていた。それが学生の特権みたいな空気もあった。『資本論』 とは 「世界の大思想」 のそれであった。

 つづいて青木新書のことを書こうと、棚から抜いて番台の机の上に置いた。それを列挙するが、その前に、ついでに抜い3冊を先に挙げておく。

「この五十年をふりかえって」 野坂参三 新日本新書159 1972年初版 このとき既に新日本新書は159まで出ている。で、「刊行のことば」を見たら1964年になっている。年ラインアップを見た。広く読まれた本が多い。

「日本革命運動の群像」 志賀義雄 合同出版社 1956初版 戦前の革命家の思い出だが、結構おもしろい。それから志賀は「われわれはマッカーサー万歳といっていない」と書いている。
   
「新訳 ドイツ・イデオロギー」 刊行委員会 2000年初版 中核派の訳らしい。訳者代表は森尾誠。黒田批判と広松批判が巻末に書かれている。私はまだ読んでいない。


 以下、青木新書を列記する。

「構造改革とはどういうものか」 石堂清倫・佐藤昇編 1961 私の知っている執筆者は両氏の他には杉田正夫しかいない。いくつかのグループがあったらしい。
 

「現代のマルクス主義」
 津田道夫 1963 これを検索中に下記のウィキ記事に出会った。また横道にそれる。すみません。

活動家集団思想運動(かつどうかしゅうだんしそううんどう)
は、1969年に結成された、反反ソ派の活動家集団。指導者は武井昭夫津田道夫であったが、津田道夫はのちに離脱した。

東京都文京区本郷に本部事務所および関連団体の「小川町企画」を置く。機関紙『思想運動』(月2回、毎月1日と15日)、機関誌(隔月刊)『社会評論』。(発行:土曜美術社出版販売→スペース伽耶)

機関誌社会評論には作家大西巨人が新日本文学会離脱後、「神聖喜劇」を掲載していた時期があった。

自らの集団ならびに運動に関して以下のように定義している。
わたしたちの課題は、したがって、二重の内容をもつクリティシズムの創造ということになります。第一は、さまざまな衣装のもとに――ある場合は、労働者大衆の味方であるかの衣装のもとに押し売りされてきているブルジョワ・イデオロギーにたいする、あらゆる可能な局面を利用しての、また、あらゆる可能な形態をもってする革命的批判。第二は、……マルクス主義の原理的再建のたたかいということであります。……
……わたしたちは、わたしたち自身のこんにちまでの運動と、ひとりひとりの営為のうえに立って、しかも、それを荒々しくのりこえていくような理論と活動力を、いまここに結集し、流れに抗して、さまざまな困難を克服しながら、わたしたちの大衆的思想運動をつくりだしていかねばなりません。それが総体としての階級意識形成の土壌をきりひらくことになるでしょう。この課題を具体化するために、わたしたちは、いま、一切の支配的思想風俗と対立しつつ、わたしたちの手で、新たな思想形成と伝達のための革命的ジャーナリズムを確立し、それを本来の意味で大衆化するとともに、運動として保障していきたいと思います。活動家集団思想運動>の結成にあたって(1969年3月2日)

活動内容は、近年では国民投票法案に反対し憲法「改悪」に反対する運動、機関紙『思想運動』の作成と配布(手渡しが基本である)、「本郷文化フォーラムワーカーズスクール」(略称HOWS)を開催し、文化運動を含む幅広い社会主義運動の再生・構築を行っている。

また現在もロシア革命を記念する集会を毎年11月に開催している(さらに毎年2月には国際婦人デーの集会を開催している)。国際的な動向に関しては、反朝鮮民主主義人民共和国キャンペーンに反対の立場を固持し、キューバ共産党が進めるキューバ革命を擁護する姿勢を鮮明にしている。また機関紙には、朝鮮民主主義人民共和国の「よど号グループ」からの通信も掲載される。韓国労働運動との連帯も重視しており、新自由主義や自由貿易投資協定、東アジア共同体構想等にも反対の立場をとっている。

新社会党の一部と友好な関係を築いており、新社会党と日本共産党、それに社会民主党も含めた護憲勢力の統一戦線の形成と広範な改憲阻止のための大衆運動の形成を機関紙やHOWSで訴えている。

また近年、武井と大西による対談「二十一世紀の革命と非暴力」等を通して、国家の暴力に対する人民の革命的武装権を原則として承認した上で、抵抗運動における暴力の行使に対して禁欲的でなければならないとして非暴力路線を提唱している。



  古本屋通信
 上記の赤字は紛れもなく全学連初代委員長・武井昭夫(たけい・てるお)の文体である。私がこれを場違いに引いたのは、武井の文を貼りたかったからである。45年前に書かれた文の内容の当否ではない。私はこの文は理論家の文であり、思想家の文であり、文学者の文だと思うのだがどうだろうか。そういう人物は他にいるのか。私に言わせれば大西巨人と宮本顕治なのだが、これは失笑を買うだろう。笑わば笑え(笑)。
 一言付け加える。これはもちろん3人の個性だが、それだけではない。政治の表現と文学の表現が未だ統一を保っていた最後の時代の名残だろうと思う。これに花田清輝を加えてなされた文学論争が懐かしい。



 中Ⅱ病デモさんから 投稿
青木書店
 私にとって青木書店は雑誌「現代と思想」です。というか民主集中制論の本屋さんというイメージです。私が学生になった時にはすでに休刊となっていたのが残念でした。田口教授らの座談会などは単行本にならないので、図書館で借りて読んだものでした。
2014/02/05(水) 21:14:06 | URL| 中Ⅱ病デモ #


 古本屋通信
 そうですか。「現代と思想」ですか。1970年代いっぱい懸けて第40号まで出て廃刊(終刊)でした。私は最後のとき、青木書店編集部に終刊の理由を電話で訊きました。29号辺りから党許思想との違和が目に付き始めたので、そういう事情もあったのではないかと。私が電話から受けた印象は違いましたね。読者、とりわけ若い学生読者が着かなくなったということでした。それは本当でしょう。私は党からの干渉は編集レヴェルではなかったと思います。それは、個々の論者への党側からの批判或いは圧力がなかったということではないでしょう。やはり、あった。だから、書きにくくなった。しかし、あろうがなかろうが雑誌は売れなくなったと思います。私はそのときは残念だと思いました。然し雑誌というのは時代に対応できるスパンは10年が限度だと思います。「現代と思想」は古在らが努力して創った統一戦線雑誌でした。然し統一戦線というのは組織に当てはまるのであって、思想の統一戦線というのはありえない。思想にとっては、思想のたたかいしかないと。そこらへんがこの雑誌の限界じゃあなかったかと思っています。
  1. 2014/02/05(水) 02:17:45|
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青木新書・その1

 古本屋通信    No 676  2月4日

  青木新書・その1

 私は No 674 で、新日本新書、新日本文庫のことを書いた。その末尾に青木文庫と国民文庫のことを、ほんの付け足しに書いた。私はこの両シリーズについては、実物を見ながら書きたいと思っている。それはパソコンのない田舎の倉庫で書くことになろう。国民文庫は私にとってはテキストに過ぎないから、書くことは余りない。青木文庫は宝だから、いくらでも書きたいし、書ける。今パッと思いつくだけでも逸品揃いだ。谷善の日本労働組合評議会史や岸本英太郎の社会政策のシリーズなど奮えがくる。まあ、売れないのだから仕方がないが。

 で、今日は青木文庫ではなく青木新書について書くことにした。これは数は少ない。たぶん30冊くらいだろう。店内においている。しかし青木新書としてまとめてではなく、新書コーナー に入れている。この新書コーナーの品揃えは質から言って、日本一だろう。いずれも値は高いが、ソコソコ売れるのだ。


 昨日、青木新書が一冊売れた。うれしかった。長谷部文雄 『資本論随筆』 を番台に持ってきたのは50位の夫婦づれだ。奥さんは小林秀雄のありふれた文庫本を買った。旦那が 「これ欲しいんですけど、少し値が・・・」 ときた。「どれどれ」 と私。見れば私の字で4,500と付いている。たしかに高い。高すぎる。「日本の古本屋」 を見た。一件もない。アマゾンに一件あった。¥ 18,899 と。無茶クソだ。但し悪質じゃない。高けりゃ買わなきゃよい。私はこの検索結果を示すパソコン画面をみせて、旦那に訊いた。 
 「いくらだとお買いになりますか。遠慮なく言って下さい。あなたの値ごろ感を」
 「そうですね。・・・・1000円」
 「ウ~ン、ちょっと売りたくないなあ」
 「 ・・・・・ 」
 「じゃあ、こうしましょう。200円付けてください。1200円」
 ( 笑顔で頷く )

 この本はほんとは高く売りたかった。いま値付けするとしても4,500だろう。しかし私もそんなに古本屋は長くない。いい客人にめぐりあえたが幸いだ。できるだけ放出することを心掛けている。


 以下、少し書く・・・・・

 一言だけ。 長谷部の資本論随筆なんて、間違って早稲田の均一でも見つけないかぎり、見つかりっこないです。古本屋通信の店だけにあるのです。


 劉 少奇
共産党員の修養について  (1964年)
中古品の出品:1¥ 32,800より
となってますね。この本はかつては読むことが推奨されていたはずですが、宮顕が「外国の指導者の本を読むだけでは十分でない」とどこかで演説していました。その後、宮顕は「品性」とか「市民道徳」とかを強調するようになりますが、宮顕こそが最も品性の欠けた指導者のようにしか思えません。
2014/02/04(火) 14:55:48 | URL |span> 元東大民青 #-

 古本屋通信
 私が入党した頃、地区党の専従が学生細胞にきて誉めていました。全国的に良書で通っていたようです。但し、毛沢東も含め中国の本は「必読文献」ではなく「参考文献」だったと思います。「紅岩」なんかベストセラーでした。
 このアマゾン古本売価は一般的な古本価ではありません。私は100円買い受けです。1000円でも売れないでしょう。
 宮本は保留ですが、今回の大会でも浜野報告に「品性」重視で新役員を推薦したというのを読んで可笑しくなりました。たぶんコレに抵触して落とされた人がいるんだろうなと。
  1. 2014/02/04(火) 05:49:47|
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