古本屋通信 No 662 1月29日 喧嘩を売っているのはどちらか 竹島「我が国固有の領土」に韓国「強力に糾弾」 【ソウル=吉田敏行】日本の学習指導要領の解説書に、竹島が「我が国固有の領土」と明記されたことについて、韓国外交省は28日午後、金奎顕第1次官が別所浩郎駐韓日本大使を同省に呼び出して抗議した。 外交省は声明で、「根拠のない主張であり、強力に糾弾し、直ちに撤回することを求める」と批判した。日本が応じない場合、相応の対抗措置を取るとしている。 外交省の担当者によると、具体的には、中国や東南アジアなど「日本の帝国主義の被害を受けた国々」と、日本による「侵略や収奪」に焦点を当てた国際共同研究を推進し、冊子を発行することを検討している。同省がホームページに掲載している竹島の広報用動画に来月、英語版を追加する。 (2014年1月28日19時28分 読売新聞) 古本屋通信 あれこれの検証は別にしても、少なくともこの島は、あちら様が実効支配してるんだ。それは疑いもない。それを真っ向から否定した学習指導要領の解説書だ。そりゃあ、怒るワナ。これでなにが日韓友好か。すぐに撤回して謝罪せよ。日本共産党はただちに政府に抗議せよ。 あのなあ、HHK会長の従軍慰安婦発言に逃げるな。ボケ会長の発言なんか、どうでもよい。あっさり撤回したではないか。学習指導要領の解説書こそ一大事だ。 赤旗には一行も載らない。日本共産党は日和るな。秘密保護法と同根である。学習指導要領の解説書を撤廃させよう。青少年を戦場に送る教育を許すな。 ようやく赤旗 一面と二面に、解説的だが批判的な記事が掲載された 。たぶん今日ネット配信されるだろう。その場合はここに転載する。 赤旗の記事を転載 2014年1月29日(水) 領土問題で政府見解明記 学習指導要領解説書 政治介入の危険あらわ 文部科学省は28日、沖縄県の尖閣諸島と島根県の竹島について、学習指導要領の解説書を改訂し、「わが国固有の領土」と明記しました。下村博文文部科学相は同日の閣議後記者会見で、今後、学習指導要領を同内容に改める意向を示しました。安倍政権がすすめる教育への政治介入の危険性があらわになりました。 解説書は約10年ごとに行われる指導要領の改訂に合わせて変更されるのが通例。次回は中学が16年度の予定で、前倒しは異例。 現行の解説書は竹島について、中学社会の地理的分野で「日韓の主張に相違があることなどにも触れ、わが国の領土・領域について理解を深めさせることも必要」とし、高校では「中学校における学習を踏まえる」などと記述。尖閣諸島については中高とも書かれていません。 改訂後は、中学の地理的分野、高校の地理で竹島を「わが国固有の領土であるが、韓国に不法占拠され、累次にわたり抗議を行っている」と記述。尖閣は「固有の領土でわが国が有効に支配しており、解決すべき領有権の問題は存在しない」などとし、日本政府の対応をそのまま教えるよう求める内容です。 中高の歴史や公民でも「わが国が国際法上正当な根拠に基づき竹島、尖閣諸島を正式に領土に編入した経緯にも触れる」などと追加しました。 08年に中学社会の解説書で初めて竹島に関して記述した際には、韓国政府が駐日大使を一時帰国させるなど大きな影響が出ました。 竹島、尖閣諸島はいずれも日本の領土ですが、冷静な話し合いと道理にもとづく解決が求められています。そうしたなか日本の側からの一方的な主張を教科書に反映しようとすることは問題解決をいっそう複雑にします。 学習指導要領 文部科学省が小・中・高校、特別支援学校の教科の枠組みやその内容、授業時数の取り扱いなどを示したもの。同省は法的拘束力があるとして、学校・教師への締め付けを強めています。解説書は、同省の学習指導要領の解釈を示したもの。 石崎さんから投稿 がありました。竹島 古本屋さんを支持します。(NHK問題には異論もありますが)。赤旗論調は半分支持します。 2014/01/29(水) 12:04:20 | URL | 石崎徹 # 街の古本屋さんのランキング ブログ 706位 (昨日:744位) / 116,237人中 店長ブログ 19位 (昨日:20位) / 2,848人中 更新日時:2014/01/29 05:55
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2014/01/29(水) 06:48:47 |
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古本屋通信 No 661 1月29日 古い雑誌 3 冊 ときどき深夜になって時間が空白になり、眠くもないので店に来て朝まで過ごす。大抵はそこらにある古本に無造作に目を通す。倉庫(店の奥の2坪)に、記憶にない3冊の古い雑誌があった。 『新日本文学』 (昭和21年 7月号 第1巻4号) 批評の人間性(なかの・しげはる) 新しき文学のために(矢崎弾 鎌倉常三 徳永直) 文芸時評・どこから(荒正人) 東京の一日(壺井栄 中島健蔵) 遺稿・一兵卒の日記(黒島傳治) ゴーリキイとアンドレーエフとの往復書簡(湯浅芳子・訳) 詩・その岩(壺井繁治) 創作・檻の中(佐々木一夫) 町工場(小沢清) 『新日本文学』 (昭和41年 12月号 第21巻12号)特集=反戦の原理と10・21スト ベトナム反戦ストの意義(吉野源三郎) 普遍的な道理にしたがう精神(藤田省三) 人民戦争との連帯(針生一郎) 特集=ブレヒト死後十年 写真と詩による戦争案内(ブレヒト) リアリスティックな書き方についての覚え書(ブレヒト 訳・解説 池田浩士) 詩人ブレヒト(長谷川四郎) われわれはブレヒトにどういう態度をとるのか(座談会 アダーモフ、ブランショ、アリオ 訳・解説 千田是也 ) 評論 井伏鱒二『黒い雨』論(北村美憲) 映像=非映像(江藤文夫) 文芸時評 文学運動と創造(佐々木基一) 演劇辞表 コミニュケーションとメッセージ(津野海太郎) 同人雑誌評 小説への思いちがい(小林勝) 小説 火遊び(野呂重雄) 連載小説(大西巨人) 『民主文学』 (昭和44年 7月号 通巻94号)創作 門(松田解子) 今月の新人 春蚕(荒 ?) 戯曲 無頼官軍(穂積純太郎) 長編連載第七回 明けもどろ(霜多正次) 爆発(赤木三郎) 「新しいリアリズム」について(菅井幸雄) 詩運動の内質(秋村宏) 創作体験(小沢清) 滞ソ日記(七) 一九二八・三0年(宮本百合子) 書評 大江健三郎「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」(右遠俊郎) 観客席 「若者はゆく」(中野健二) 文芸時評 新人の作品をめぐって(飯野博) サークル誌評 もう一歩の壁(上原真) 対談 政治・文学・文学運動(蔵原惟人 佐藤静夫) すこしずづパソコンに入れながら、流し読みしていった。いや、殆んど読んではいない。しかし朝まで掛かった。で、感想なんだが、むかしは充実してたなあ、ということだ。少なくとも読むところがいっぱいある。 悪いんだけど、いまは何でだめになったんだろうと考えた。色々思ったが、決定的な違いは著者の知的レベルに雲泥の差があることだろう。 本も読まずに創作議論をしても仕方がないのだ。ここでいう本とは、文学作品だけではない。むしろ文学以外の読書だ。少しいやな言葉だが、教養といってもよい。教養を身につければよい作品が書けるというわけではない。しかし知の裏づけのない創作などがありえようか。 痴呆作品が文壇で通用しはじめたのは、私見では村上龍や三田誠広あたりからだ。そのころから私は全く小説を読まなくなった。時間の無駄だからだ。で、その先なんだが、この無教養文学の波は情け容赦なく「民主文学」にも押し寄せてきた。それはそうだろう。「教養」がない者ばかりが書いているのだから。 ふつうの「教養」があれば、今回日本共産党が参議院に再提出した例のアホ法案がどんなにアホかということ、また自国領土でない島を自国領土と教えさせる指導要領が如何に下劣かということが分らぬはずがない。そんなことには関係なく、いい作品を生み出すために「民主文学」に結集しようよ? ここで「書かずの横」こと、横畑義久さんを思い出した。結構辛辣な批判をしていた。あれは「批判」だったのか。「批評」ではなかったのか。かれはモグリだったのか。 上記の『新日本文学』と『民主文学』から、創作しない批評家の名前を挙げておこう。荒正人、中島健蔵、池田浩士、佐々木基一、中野健二、飯野博、上原真、蔵原惟人、 佐藤静夫。 創作せずして他人の作品を語るな、と言うのか。それとも、褒める批評だけが批評だというのか。汝の分を弁えなければならないのか。書き手が、たとえ自作にたいする罵詈雑言であろうと、(それに向き合うことも、無視することもできず)口封じに出たら、その書き手は完全に済んでいる。かれの書くものはもはや文学でも表現でもありえない。
2014/01/29(水) 00:56:48 |
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古本屋論叢 No 2 2014年 1月 28日 私の出版論 私の通信のうちの関連論稿 3本を [古本屋論叢 No 2] として1本にまとめた。不統一もそのままにした。 出版のこと 出版のことを少し書きたい。出版は儲かるのか。私が出版業界から抜けて20年以上経っているし、私のいた会社も出版から足を洗って久しい。だから気楽に書きたいと思う。ただし話が少し古いことをお断りておきたい。 出版は儲かるのか? 大は講談社や小学館から、小はひとり出版社まで約3,000社。経営が安泰な出版社などありはしない。儲かる企画・シリーズがあったかと思えば、つぎは大赤字。年中火の車。これが常識なのだ。少し前に秋田書店のことを書いた。あれは秋田書店がブラック企業だという共産党のピントはずれを丁寧に批判したものだった。本音を言えば、私は殺してやりたいほど腹が立った。現場も世間もまるで知らない大アホウ。ここでまた思い出したが、共産党倉敷市議団の玄石文庫の扱いの大失態。あれと一緒の出鱈目。出版についての知識ゼロ。それでいてブラックだと。共産党は中小企業を全部潰す気か? 共産党こそ究極のブラックだ、そう思った。 世の出版物の約半数は新刊書店に並ばない自費出版の本である。これは書いた人が金を積んで出版して貰う本だ。それも数十万から百万円の大金を。これは大出版社から零細出版社までかなり多くがやっている。本の完成と同時に金が支払われるから、出版社は資金回転の上でやめられないのだ。卸屋の取次店を通じて新刊書店にならぶ本は支払いが半年以上さきになる。しかも返品があるから、入金は実売分に限られる。自費出版本は岡山では丸善出版センター、日本文教出版、吉備人出版、手帖舎、かつての山陽新聞出版部、みんな自費出版本で儲けてその金を流通本の制作費に充てていた。でないと出版活動を継続出来ないのだ。 私は自費出版の意義をいちがいに否定しない。なかにはいいものもあるし、社会的意義がなくても本人の生きた証になるなら、それでよいとも言える。でもそれならウェブサイトで同じ文を伝達すればよい。こちらのほうがずっと安上がりだし、読者数は比較にならないほど多い。私が見たところでは、金の使い途がない人が自費出版するケースが多い。ここには書物の物神崇拝の思想があるだろう。 出版社の出版活動は編集と営業に大別される。ところが世間一般も、場合によっては出版社員さえも後者がスッポリ抜けるのだ。今は知らないが、私がいた頃は営業志望の出版社受験者などいなかった。売れない本を作っても意味がない、編集者は全員が営業せよというのが私のいたF書店の社主の口癖だった。私はこの点だけは、社是の「全員営業」に賛成だった。 共産党でもエラそうな御託をならべるが、しんぶん赤旗 の拡大 も配達 も集金 もやらない輩がいる。特に大袈裟に批判しなくても要は観念論なのだ。観念論では出版社も共産党も立ちゆかない。 出版社はちょっと油断すると億の赤字を計上する。経費は莫大だが、単品の本が生みだす利益はまことに薄いのだ。私の経験だが、単価500円の学参問題集10科目を計100万冊売った。しかし卸価350円で計算して粗利、そして人件費、社屋分担金まで吸収させた純利は殆んど出ない。それでも少し売れて儲かったので、厚物学参3冊を刊行した。出版制作経費は約3000万円。これはさっぱり売れなかったのでまるまる損だった。これで100万冊売った利益は消えた。 出版社は売れても売れなくても常に新企画を打ち出す。出版を続けなければ取次店は相手にしてくれなくなるのだ。なあに、2年ブランクで取次の窓口に新本見本を持って行ってごらん。窓口がどう言うか。出版社は立ち止まっては一巻の終わりなのだ。 特に秋田書店の漫画雑誌などは作家の管理も大変だろう。新人を起用して育てなければ他社に負ける。売れなければ漫画作家を降ろさなければならない。10人起用して1人残る。その1人で雑誌が売れればようやく単行本だ。これが売れていくらかの利益なのだ。たまにバカ当たりして社員にボーナスが出る。これが現在生き残っている作家だろう。独占資本の世界とは違うのだ。 著者・執筆者には原稿料・印税が出ると思うだろう。ところがこれが違うのだ。丸善・紀伊国屋に並んでいる本の著者で、執筆にたいして金を受け取っている人はどれ位いるだろうか。だれも正確には分らないが、半分もいないだろう。学術系単行本の初版は印税ゼロというのが相場だ。重版などむしろ例外だろう。名前を出すのは遠慮するが、出版社に著者が金を支払うことも多い。そのかわりちゃんと流通ルートに乗せて新刊配してくれる。出版社も著者もそんなことはおくびにも出さない。しかし分野によっては私は識別できる。国文学関係ははっきりしていて著者が隠さない。「今度○○社から本を出版したら百万円取られた」と。 さいきん新書の書き下ろしシリーズが続いたが、あれは初版から印税が出る。だからありがたいのだが、売れるものしか出版しない。出版社からすれば当然だが。 雑誌は原稿の買取りが普通だろう。金額は千差万別だ。書籍は印税が多い。むかしは初版ゼロなどはなかった。原則は定価の一割×出版部数である。版を重ねる度に加算される。但し支払いは年度末だろう。翻訳は一割ではなく、その半分だと聞いている。 これで計算して見ればよい。物書きで飯が食える人は殆んどいないだろう。さきの民文の作家はそれでもプロなのだ。無料原稿などないだろう。数をこなさなければならないのだ。それから前にも書いたが、不破が本の印税で多額の収入を得ているなどあり得ないことだ。新日本出版の本など印税は知れている。でないと出版社が持たない。かもがわ出版も同様だろう。 むかしは岩波文庫の翻訳を一冊持っていれば(飯が食えるところまで行かないが)年百万円は入るケースもあっただろう。『ドイツイデオロギー』は古在由重の訳であり、『経済学哲学草稿』は田中吉六他の訳である。これは古在にとっても田中にとっても大きかった。いま著作権者に毎年いくら支払われるだろうか。ほとんどゼロだろう。右遠が死んだ。著作権者はいるだろう。しかし増刷はあるまい。 それでは今の日本で物書きで飯を食っている人はいないのだろうか。そんなことはない、確実にいる。しかし彼らは売文業者であっても表現者ではない。その区別は微妙だが、峻別しなければならない。基準は真実を書こうとしているか、売れるものを書こうとしているかだ。ベストセラーは後者である。養老などイカサマだ。藤原正彦の『国家の品格』もイカサマだ。 私か武田君の教養を初めて疑ったのは、数学者の藤原正彦の『国家の品格』を肯定的に紹介したブログを読んだ時だった。へえ~、あれがマトモな本に読めるのかと。いまも彼のブログに残っているだろう。私には数学者としての藤原は分らない。しかし『国家の品格』は2,3ページも読めば、イカレ本だと直ちに判る。右翼本だがそれ以前に、右翼仕立ての売れる本を新潮社がでっち上げたのだろう。本人の藤原ももちろん右翼思想の持ち主だろう。いや、右も左も分かってない単なるアホウだという意見もある。自然科学系の天才にこういう人物が時々いる。困ったことだ。 私は自分に本の識別能力が特にあるとは思わない。あの広いジュンク堂書店やブックオフの売り場。だれでも自分の欲しい本を瞬時に見つけなければならない。本のタイトルだっておかしいものはおかしい。『国家の品格』はプラトンもスピノザもレーニンも読んだことのない者しか手に取らない。池田晶子の『14歳からの哲学』は哲学科の学生は手に取らない。自分がこれまで蓄積してきた総合力で本を選ぶのだ。 岡山の柘野さんが古本屋を紹介した本の中で「古本屋には大量に量産された本の中から、時代に耐えたよい本だけが集められている」と記されている。他の古本屋は知らないが、古本屋通信の店はその通りである。ただし柘野さんの本は、古本屋にある本はしょせん情報が古いという点に触れていない。 新刊の書籍は高い。今は古本が安いから、ザッと古本の10培の値である。しかし新刊書店には足を運び続けたい。上記のジュンク堂書店は来年5月に岡山から撤退するらしい。この撤退はビブレの閉店に伴うものだが、喜久屋書店もジュンク堂も岡山には遂に定着出来なかった。岡山の新刊書店は丸善の単勝不動である。その理由をいつか私なりに書きたいと思っている。 あっ、それから『民主文学』1月号は岡山平和書房で買った。他では売っていない。I木さんではなく、彼の奥さんがいた。奥さんは美術の先生は辞めたのだろうか。不破の『前衛』連載、面白くないので購読を中止している。 出版のこと・その2 ① 私は 「通信 No 571 出版のこと 」で、出版について、あれこれ書いた。その中で自費出版について総じて否定的なことを書いた。一部をのぞいて殆んど意味がない金の無駄使いだと。ネットで発信したほうが余程広く読まれると。それは今も変わらない。しかし舌足らずもあった。少し書き足したい。② まず出版には一般の流通ルートに乗って小売書店にならぶ本と、出版経費の全てを著者が負担する自費出版本がある。これは常識である。しかし流通ルートに乗る本には注釈が要る。流通本が出版経費を100%出版社が負担し、著者が負担することはないと考えるのは誤りだからである。 ③ 私は No 571 で 「出版に際して著者が出版社に金を支払うことも多い」 と書いた。前払いで、或いは本の完成と同時に、ポンと百万円(かどうか知らない)を支払うのである。この点は少々大袈裟でも強調しておきたい。というのは、出版や執筆に関わったことのない一般の読者にとっての「常識」は、出版すれば著者に原稿料・印税が払われるというものだからである。これは(一部のプロの物書きの場合をのぞいて)完全に間違っている。つまり事実に反するのだ。④ しかしこの事実の内実はヤブの中という面もあって、一般には表面に出難い。両者の契約内容はふたりだけのプライバシーである。加えて一般に「今回出版したあの本、じつは金を払って出してもらったんだ」などと言わない。負担の金額も経費比率も分からないのだ。しかし大体の想像がつく。100%著者が負担する場合が多い。これは事実上の自費出版だ。しかし自費出版とは違う点もある。幾らかの部数がちゃんと流通ルートに乗って、小売書店に並ぶのだ(実際には並びはしない。然し注文すればルート経由で入手できる)。⑤ もう一つのケースがある。上記と殆んど変わらない、つまり自費出版や金を積んで出版して貰う場合と事実上は変わらないもう一つのケースである。大学の教員の本、研究書、テキストがそうだ。出版社から著者が出版時に一定部数を買取るのである。研究書の初版500部発行のうち、200部或いは300部を買取る。金額は本によって違うが、百万円を超えるのはザラだろう。残りの部数はルートにのせてくれる。これによって出版社は返品ロス(書店から売れないで返品される本。それは売れなくても出版社在庫、すなわち棚卸資産として税金が掛る)を最少に押さえるのだ。これだと、著者の面子もいちおう立つというものだ。⑥ 最近少なくなったが、「共産党の幹部は本をたくさん出版して、下部党員に無理やり買わして、印税収入で優雅な生活」など、反共右翼がデマを飛ばしていた。これなど無知もいいところだろう。⑦ それでも新日本出版社や党出版局の出版物は著者個人の持出しは少ないだろう。著者・研究者は一般の出版社から本を出せば出すたびに金が懐から出ていくのだ。これが一般的な出版状況である。⑧ 買い取った出版物を著者はどうするのだろうか。短歌や俳句の主宰者は弟子に売りつける。大学の教員はテキストとして学生に買わせる。買わないと単位が取れないようにする。しかし研究書はこうはいかない。⑨ 世の中にはいい研究書がある。ここから先は(実際よく分らない面もあるので)書き辛いが、古本屋の出番がある。私自身の大昔の経験から。神田の一誠堂書店に自社出版物(定価3万円)を数冊買って貰った。とびきりの良書である。一誠堂の棚を一瞥すれば、こういう本がかなりあることに気付くだろう。それが読者が手離した本ではないと分かるだろう。⑩ 自費出版に戻る。民文岡山の鬼藤千春さん がこう書いている。 「 自費出版を勧める出版社が多数あって、インチキくさい会社も少なくない。たとえば、詩や短歌、俳句などに出版社が接して、それらを大層褒めちぎって、自費出版を勧め高額な費用を徴収する、というようなことも起きている。このような場合には悪徳商法とも言えるもので、もちろん自費出版は差し控えるべきではなかろか(1月24日)」 これは誤ったことを言っているのではないが、誤解を生むと思う。インチキくさい企画というのはかつてあった。いまは知らない。 「あなたの文(エッセイ、短歌、俳句)を雑誌で拝見しました。とても素晴らしい。そういう素晴らしい作品が埋もれているのは損失です。まとめて出版し、世界各国に紹介したい。その新聞広告を出す企画があります。百万円を準備してほしい」 これは詐欺である。たぶん摘発されただろう。⑪ 私は寡聞にして自費出版を扱うこういうインチキ出版社を余り知らない。私が鬼藤文に抵抗を感じたのは、詩や短歌、俳句の出版にインチキ出版社が多いと読めたことだ。あるいはそういうインチキがあるのかも知れない。しかしそれは例外だろう。いま自費出版は極めて隆盛だ。競争も激しい。かつては印刷会社の仕事だった。共産党系の光陽出版などそのハシリだろう。これに中小の出版社が加わり、いまや大手の講談社まで加わっている。自費出版の世界には、まがいもの、インチキが参入してくる余地は殆んどない。⑫ 一般に自費出版を扱う出版社が、(かなりの読書家も含めて)これまで出版に縁がなかった人に、しばしばインチキ出版社との誤解を受けるのには理由がある。それは出版経費が一般に考えられているより、はるかに高額であることだ。出版物にも色々あるが、一冊の自分史の本を出していくらかかるか? 私の常識は50~100万円である。刷り部数は300部でも500部でも殆んど変わらない。十三 かつて私の父が郷土史の自費出版をした。このとき母が言った「お父さんが自分の金ですることじゃから、文句は言いたくないけど、私ゃ五万円くらいだと思っていた」と。このとき70万円を印刷所に支払った。私は原稿段階には一切関わらなかったが、編集プロダクションの仕事を受け持った。私は父から一銭も取らなかったが、商売なら200万円が相場だろう。これくらい一般と当事者の認識に格差がある。それが自費出版の世界だ。だから、金持ちの道楽呼ばわりされる。十四 これまで出版された自費出版本には唸るほどよいものもあると書いた。それはその通りだ。だがそれは、いっぱん流通本に唸るほどよいものがもあるのと変わらない。いくらかの違いは編集者という第三者の有無の違いだけだ。十五 私は「(自費出版は)金の無駄使いだ」と書いた。これは突きつめれば「(紙の出版は)金の無駄使いだ」に行き着くだろう。時代は間違いなく印刷が電子化にとって代わる時代だ。私の「古本屋通信」がインターネットで読まれないのに、紙の本で読まれることはあり得ない。私は「古本屋通信」を書籍化する気はないが、それでも無料で引き受けようという出版社があれば拒絶はしない。しかしそれはあり得ない。なぜなら、儲からないからだ。十六 図書館について書いたことはない。いずれ書くが一点だけ。これからは図書館が自費出版本を置いてくれることはなくなるだろう。今ある本もやがて撤収されよう。私は賛成である。殆んど読まれもしない本を、その多くが退職教員か郷土史家の「生きた証」として、公共の図書館になぜ置かなければならないのか。公共図書館は一部の金持ちの自尊心や虚栄を充たす場所ではない。せいぜい同人サークル誌など、個人でない集団の活動の結実を展示し、文化活動の活性化に資するに止めるべきだろう。十七 短歌、俳句の世界は特殊な世界である。その自費出版の世界も特殊である。私にはとても封建的な世界に見える。しかしそれを生き甲斐にして、とりわけ後半生を生きている人々に言うべきはない。しかし古本屋が結社仲間で交換された本を古本として扱う事はない。 自費出版社攻撃を許さない 自費出版専門の出版社が詐欺的である、あるいは詐欺商法であるというネット上の意見が一部にあるらしい。そのことを今回知った。特定の会社名をあげての批判である。私はその一部始終についてフォローして自分の見解を述べようとは思わない。しかし批判する側にたいして、きわめて意図的なものを感じた。これ多分何らかの目的があって、企業攻撃に及んだのだろう。しかしそんなことは知ったことではない。私は一般的に自費出版にたいする不当な言いがかりに反論しておこう。 自費出版が著者を喰いものにした悪徳商法に映るのは(たぶんそう映るのだろう)、出版というものが、著者の原稿を本にして売り出し、その利益を(出版社も手数料を頂くが)著者に原稿料・印税として還元する仕事という先入観があるからである。それがまず絶対的に間違いであることに気付かなければならない。この認識の誤りの根柢には、「本は出版すれば売れる」という、とんでもない事実誤認がある。 一体あなたや私の書いた日記まがいのエッセイや、文芸雑誌の新人賞の予選にも引っ掛らない小説を、だれが金を払って買うというのか。それが売れて著者に金が入って来るなら、一億数千万全てが本の著者になれる。本来は商品としての本に到底なり得ない原稿を、それでも一冊の本にしたいという要望に応えて本に仕上げるのが自費出版の仕事である。その仕事の前提には、初めから商品価値ゼロの認識(これは暗黙の相互の合意)がある。 然しそれでも、著者にとって、店頭に自分の本がならぶのは夢なのだ。だから、たとえ短期のかぎられた書店でも、陳列されたいと熱望する。それに応えるのをセールスポイントにして、どこが悪いのか。言いがかりにも程がある。岡山丸善の自費出版が人気なのは、一般書籍のぐすそばに自費出版コーナーがあるからだ。狂っているのは明らかに、出版というものを既成の観念で、自分の都合のいいように捉えている側だ。これが近年問題になっているなら、問題になっていること自体が問題である。 私はここには、自費出版を依頼する人や世間一般に、現実を知らない誤った認識があると思う。一冊の本を仕上げることがどんなに大変か、その認識がまるでなく、一週間もあればどんな本でも簡単に出来上がるかのような錯覚がある。週刊誌が毎週出るのだから、本だって簡単に出ると。たぶん世間には自費出版業を慈善事業のように考える向きがあるのだろう。そういう人たちには自費出版の世界の足を踏み入れて欲しくない。 自費出版本の書店陳列が全国書店での6ヶ月陳列であるわけがなかろう。そんなことを予め断らないと詐欺になる? いい加減にせい。特定の書店での短期間の陳列であろうと、全国の有力書店での長期の陳列であろうと、売れない本は売れない。たった1店でも、極めて短期(たぶん3日ではなく1ヶ月くらい)でも置いてもらえれば有り難いと思え。私はそちら側に加担するね。大体、新刊書というのは発売して陳列したら、その日から売れ始めるのだ。3日目くらいでピークを迎える。1週間で1冊も売れなかったら、あとはまず売れない。これも一般と当事者の認識の格差だろう。当然ながら当事者が正しい。 書いているうちにだんだん腹が立ってきたので追加。その店はたぶん都市の大型書店だ。3日で1冊売れ、1週間で数冊売れたら、必ず書店員は気が付く。在庫があれば補充して陳列する。たぶんかなりの冊数を預かっているのだろうから、売れ続けたら補充し続けよう。そして在庫がなくなったら必ず出版社に追加配本の依頼がある。いま大型新刊書店の単品管理はほとんどパーフェクトである。売れる新刊書を見逃すことはない。 たった1店の1ヶ月の陳列がもっとも合理的な実験だ。本が売れないのは、陳列が短期で書店数が少ないからでは断じてない。この合理的実験をクリアできない本が、100店で1年陳列して売れよう訳がない。逆恨みは止めて、自らの非力を悟らねばならない。 いや、あなたがが精魂籠めて書き上げた原稿が非力だといっているのではない 。それが新刊書の流通の海に投げ出されたときに、際立って無力だと言っているのだ。当たり前のことだ。自費出版でない一般出版社は出版物に生死を賭けているのだ。道楽でできた本とは本がちがう。私もその世界で生きてきた。甘ったれな自己顕示欲から自費出版するのは止めて欲しい。
2014/01/28(火) 17:29:38 |
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古本屋通信 No 651 1月24日 マルクスは生きている 河村ひろ子さんが昨日のブログで、不破哲三著 『マルクスは生きている』 (のちに平凡社新書 に入る) を読んでいると書いている。そういえば、私がこのブログを始めてから、共産党議員が書名をあげて本の事を書いているのに初めて出会った。新鮮だったので、その部分を引用させていただく。 アッ、その本、5年ほどまえに出版されて、結構読まれているみたいだけど、私はまだ読んでいません(古本屋通信 )。独習タイム 2014-01-23 河村ひろ子 ・・・・・帰宅する頃には、さすがにぐったりなのですが 寝る前に欠かさないのが、独習なのです! 最近はまっているのが「マルクスは生きている」という本 P1070025.jpg 社会の見方や考え方を学習したい人には、お勧めです! 皆さんは、本という物質が目の前に実在しているから 「本がある」と認識しますか? それとも、自分の頭で「本がある」と思うから、目の前に「本がある」と認識しているのでしょうか? 前者は「唯物論」、後者は「観念論」といいます 今は科学が発達して、人間の脳も、それを形作る細胞も、細胞を作る原子は分子 原子は素粒子から成り立ち 素粒子は6種類の基本粒子「クォーク」から成り立っている などなど、自然科学が明らかにされてきました 精神・意識とは何か? それは「物質の高度な発達携帯である脳の働きが、人間の精神作用である」 ん~そうだよなぁ・・・ 目の前にある物や社会を 固定的な物としてみるのではなく いろんな連関があること、発展的に考えていく マルクスの言葉をかりれば 「世界を見る時に、できあがった物事の複合体として見てはいけない。今、進行している様々なプロセスの複合体として、世界をとらえる必要がある。」 つまり「弁証法」の考え方なのですが・・・・ 現代の資本主義社会は、今後どうなる? マルクス経済学は? 社会主義へと、どのように社会は発展すのか? とまぁ、うまく解説でないのですが 社会の見方をしっかり身につけたいと思う私は このマルクスの考え方を分かりやすく講義している本は、とっても面白いのだっ 眠くて、すぐ寝ればいいのですが 今夜も少しもでも読みたい!と、しばしの独習タイム・・・むにゃむにゃ・・・(´O`) 古本屋通信 河村さんの書いていること、唯物論と観念論、弁証法の要点などは私にもよく解かります。ただ、私は自分が読んでいない本については、他人の書評や感想に就いてあれこれ言わない主義なのです。この本はよく読まれたらしく、「アマゾン古本」の通販で数十円で買えます。そして、そのアマゾンのカスタマレビューという書評 欄にたくさんの感想が寄せられています。圧倒的に肯定評価が多いけど、中には例外もあるようです。本を読む前にこういう書評を読むことの是非はありますが、こういうものもあるということで、一応この後に貼っておきました。 このエントリーを立てるとほぼ同時に、藤原隆三さんから投稿 がありました。昨年末に続いて2度目の投稿です。藤原さんが物理学に詳しいとは知りませんでした。私はまるでダメです。お手柔らかにお願いします(笑)。『 川村さんには是非、ミクロ・マクロの物理学の紹介書籍(マルチバース、人間原理などについての)へと、「独習」などと肩肘張らず読書で結構ですからその歩みを進めて欲しい。 安倍さんの「美しい国史観」はもとより、マルクスレーニン主義や科学的社会主義が語る「唯物論」や「唯物史観」などが、過去の、一時期の、ほんの一つの「仮説」、「見解」に過ぎないことが、宇宙・素粒子規模の広大な視野の中から、浮かび上がることでしょう。 2014/01/24(金) 10:37:37 | URL | 藤原隆三 # 』 以下はアマゾンレビュー の全てです。河村さんへのメセージではありません。ブログ読者への資料提供です。余談ですが、私は赤旗も含めて新聞や雑誌、それに書評誌の類のレビューは一切読まないのです。それは予め肯定評価が約束された八百長ですから。それよりか、たとえ稚拙なものが含まれていても、アマゾンレビューのほうがずっと vivid です(古本屋通信 )。 5つ星のうち 5.0 知の巨人マルクスがよみがえる , 2009/6/2 By テキーラサンライズ (hyogo)マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) 「マルクスは生きている」というタイトルに、いわずと知れた共産党の元委員長であった著者。この組み合わせは、人によっては心の底で「今さら…」などと抵抗感を抱くかもしれない。自分は、手をつけなければいけないと思いつつ、その難易度からまだ踏ん切りがつかない「資本論」が解説してあるということで手に取ったのだが、そのポイントを掴んだ解説はもちろん、「弁証法的唯物論」を基礎にした物理学の解説にまで範囲を広げた、期待以上に知的刺激がつまった書に仕上がっており、高い満足感を得ることができた。 第一章は、「唯物論の思想家・マルクス」として、理学部物理学科出身の著者(というのは意外だった)が、唯物論を下敷きに、DNAや素粒子などの発見の解説と共に、2008年日本人ノーベル物理学賞による成果まで論じており、近年の物理学の発展が解説してある。特にエンゲルスは、自然科学にも精通していたことには予想外であった。第二章「資本主義の病理学者・マルクス」第三章「未来社会の開拓者・マルクス」として、資本論の解説や同時にそれを知的武器に現代社会における「格差」と資本主義経済の「搾取」といった病理の分析、もちろん2008年末からの世界経済危機の発生の原因もわかりやすく論じられている。何より補論や語彙の解説が時々に付随されており、マルクスやエンゲルスによる様々な研究成果や日記や手紙の公開といった私的な歴史的背景を同時に追えるので理解が深まりやすい。「社会主義への道」といった未来予想図は、人により感想が異なるであろうが、その理論と展開方法は「食わず嫌い」になる前にまず一目すべきであろう。 また多くの人が考えているであろう「崩壊したソ連はどうなんだ!!」という疑問にも誠実に向き合い著している。これについては一般に広まっている「誤解」を解いているというほうが正しいかもしれない。著者は最後に、「マルクスを、マルクス自身の歴史のなかで読む」を自身の合言葉にしていると述べている。「21世紀世界の混迷を、いま、マルクスに聞く」という帯の文と共に、本書でその役割を果たせたのか、その判断は読者にゆだねられる。 レビュー5つ星のうち 5.0 分かりやすく奥深いマルクス入門, 2009/7/4 By カナリヤ - レビューをすべて見るAmazon.co.jpで購入済み(詳細) レビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) 市場原理主義の構造的欠陥が明らかになったことにより、再び脚光を浴びつつあるマルクスですが、素人にはなかなか難しいのも事実です。しかし、著者は難解なマルクスの思想を決して皮相的ではなく、その基礎となっている唯物論哲学から解き明かし、最後には現代の資本主義の問題や、マルクスの未来社会のビジョンにまで筆を進めています。 唯物論というと、何やら私たち凡人には無関係な思想のように考えがちですが、現代の自然科学の前提が観念論ではなく、唯物論であるということが分かり、非常にスッキリしました。結局、マルクスが言いたかったのは、自然や歴史は単なる偶然や無秩序ではないということです。だからこそ、今どんなに苦難の中にあっても、未来への希望を持って生きることができるのです。 難解なマルクスの思想を、分かりやすく、しかし奥深く紹介している本書は、まさに現代人にとって必読書だと感じました。 5つ星のうち 5.0 僕は面白かったです, 2009/7/21 By 芋虫 (香川県) - レビューをすべて見るAmazon.co.jpで購入済み(詳細) レビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) マルクスに興味があってこの本を読む前に別のマルクスの入門書を買って読んだんですが 入門書という割に内容が難しすぎて途中で読むのを止めてしまっていたんですけど、 この本はとても分かりやすくて読みやすかったです。 僕のようにマルクスについては初心者で軽くマルクスが知りたいという人にはお勧めです。 5つ星のうち 5.0 こんな時代になった, 2009/7/5 By 貧困から "抜け出したい" (宮城県) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) 共産党の元委員長として右から左まで知らない人はあまりいないと思われる彼の著作がこれほど売れるとは、やはり時代の反映なんだろうなあ。 内容的にはいくらかでも資本論あるいは科学的社会主義を学んできたものにとっては平易に過ぎると思うが、今、このような本が一定広く読まれている事実がすごいと思う。新自由主義の破綻が以前の自由主義の逆戻りではないこと、ソ連の崩壊が社会主義の敗北ではないことなど、その説明のしかたは学ばないといけないなあ。さすが国会ですさまじい論戦をはってきた人だけあると納得しました。 5つ星のうち 5.0 知的刺激を受けた, 2009/9/14 By GEN (埼玉県) - レビューをすべて見るAmazon.co.jpで購入済み(詳細) レビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) 科学的社会主義の哲学、経済学、政治学・・・をこんなに明瞭に、簡明に、そして正確に書いた本はホント他にないと思う。マルクスの研究においてはかなり高いレベルではないだろうか。原書より面白い。知的刺激を受けて、脳細胞が活発になってくる。改めて科学的社会主義を学びなおそうと思う。 5つ星のうち 5.0 マルクスの魅力に感動, 2009/7/17 By チャーミー - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) マルクスって過去の人かと思ってたけど、実はとびっきし未来を見てたのですね。 資本主義がまるで永遠のように思われている世の中だけど、それが実は人類の前史だなんて感動しました。不破さんの書き方も、とっても分かり易くグッドです。 5つ星のうち 5.0 目からうろこ, 2009/9/14 By フーミン - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) マルクスの自然観、世界観、経済学、社会主義論を分かりやすく説明しつつ、現代社会を明快に分析している。特に、恐慌論、ソ連邦崩壊の分析が興味深かった。科学的社会主義の真骨頂を見て、未来に希望が持てた。 5つ星のうち 5.0 勉強になった, 2010/2/12 By れん - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) ソ連という「大国」が崩壊したので、社会主義は全面敗北したというイメージが強いから、いまさらマルクス?と思う人もいると思うが、ソ連型社会主義はエセであり、社会主義自体が敗れたわけではないこと、そして資本主義社会における諸矛盾(利益第一主義による、搾取構造、繰り返される恐慌、環境破壊問題)は、資本主義内部では到底解決ができない困難となっているため、社会主義に、マルクスに、可能性があることが、本書では示唆される。 核心をつかんだ叙述でありながら、私のような経済にもマルクスにもうとい素人にとっても、きわめてわかりやすかった(恐慌の説明の簡明さには驚いた)。資本主義国である日本で現在噴出している問題(貧困、格差、派遣切り、環境破壊などなど)っていったいどうすりゃいいの?という問題意識のある人には特におすすめ(支持政党など関係なくよめます)。 5つ星のうち 4.0 マルクスを活かそう, 2009/6/20 By 水田耕作 - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) マルクスの世界観と社会観、資本主義への批判とその変革論、その後の世界の変化と今後の展望などを深い学識に基づいて明快に論じている。最近までの物理学や生物学の成果に基づいて自然現象や社会現象を客観的・階層的に捉えることの正当性を指摘している点、資本主義社会の歴史性とそれがはらむ矛盾を具体的に説明している点、マルクスらによる資本主義批判とその後の社会運動や民主主義の発展により資本主義に対する様々な「社会的ルール」が形成されるようになったことや、かつての帝国主義的な世界支配を打破して自立的な発展を進めつつある途上国が増えているといったことを具体的に説明している点などは、著者の非凡な力量を示すものであろう。 資本主義社会の構造についてのマルクスの説明、その矛盾や弊害に対するマルクスの批判は極めて鋭く深い。それをどのような順序でどのようにして克服していくべきかについては、著者も認めているように、その後百数十年の世界史と、その間における民主主義の発展、北欧諸国をはじめとする福祉先進国での試みなどを踏まえる必要がある。著者にはそうした事柄についての更なる検討を進め、今後の日本がどのように進むべきかを一層具体的に示していただきたい。それがマルクスを現代に活かすということであろう。 5つ星のうち 4.0 誤解を招くタイトルだが優れた内容, 2010/12/20 By SH - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) 19世紀に「資本論」が預言した事柄を現実の社会と比較した良書。執筆者が日本共産党員なだけに、共産党(特に日本と中国の)が現実に行ったことへの記述に甘さはあるが、それを差し引いても充分に読む価値がある。19世紀以降、資本主義は一見大きな発展を遂げたようにも見えるが、実際には複雑になっているだけで、世界規模で見れば、資本主義は今でも、資本論で預言された通りの弊害を世界にもたらし続けていることが良く分かる。もちろん、だからと言って、現実に存在した社会主義(共産主義)国が資本主義の弊害を解決した訳でもない。現存した社会主義(共産主義)体制が、マルクスの預言した「革命(後世の議会制民主主義を預言したとも受け取れる)」とは全く異なっていた事も、マルクス、エンゲルス共に、19世紀後半に起こった暴力的な革命運動には生涯批判的だった点も、本書ではかなりのページを割いて解説されている。エンゲルスは生前、「勝利を得たプロレタリアートは、ほかの民族に対し、どんな「恩恵」をも押し付けることはできない。そんな押し付けをやれば、自分自身が台無しになってしまう」と預言したが、「プロレタリアート」を「自由競争」に置き換えれば、それはそのまま現代の世界に当てはまるかも知れない。 本書はタイトルに「マルクス」という名前が入っているため、学術的(思想論的?)なマルクス論や資本論の立場からの批判的書評も少なくない。それらは学術的には正しいのかも知れないが、本書の主題を踏まえた上での批評なのか?疑問は残る。 5つ星のうち 3.0 素人の感想としてですが・・, 2009/8/16 By mac-s (東京都江戸川区) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) マルクスがとても勉強家であったこと、そしてその時代における社会の問題点に真摯に向き合い、その解決(未来への方向性)について常に前向きかつ柔軟な考え方で思考を重ねていったこと、などが良くわかりました。 後半に日本共産党の立場や旧ソ連の話、地球温暖化の責任論みたいなことが出てきますが、そこはどうもあまりマルクスそのものとは関係が無いような気がしました。 5つ星のうち 3.0 新書より、単行本の講義録のほうがいいんじゃないかな?, 2009/7/1 By 教会の丁稚 (青森県東部沿岸) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) 一般向け書下ろしだけあり、概説的な内容が網羅されています。マルクスと共産主義政権て何?という向きには、まあ一読の価値はあるでしょう。マルクスの若い頃は、人でなしで精神異常スレスレの女たらしで、エンゲルスへのタカリ屋という側面もありますが、その辺をスルーせず、駄目人間マルクスと偉業資本論は別物!という論調をぶちあげたら、不破さんに一生付いていきましたよ、私は。 でも、下手に新書で知識を得るより、新日本出版社(共産党系)から出ている、不破さんの党学校での資本論やマルクス未来社会論の講義録を読むほうが、むしろ分かりやすく、しかも深く学べるように思います。ただ、並製で1000円前後と割合安価とはいえ、並製の大活字ですし、そろえると資本論講義だけで10巻近くあるので、大人買いするには、適度にブルジョアに汚染された財布と、財布のチャックを開ける革命的勇気wがいりますね。 5つ星のうち 3.0 なるほど, 2009/11/2 By cobo "コボ" (東京都杉並区) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) 私は共産主義者(が本当のところ何を指すのか?も読み終えた今でさえ今ひとつはっきりしない)でも社会主義者でもありません。ただ、そういう人たちが何を言い出したのか?ということや、さらにその熱の感染の強さとかに興味があるわけです。で、その親玉マルクスさんはどのような方なのか?を知るにはアウトラインとしてですが、本書はなかなか面白かったです。 導入からして少し不思議な感じだったのは、それが化学の話しから入ったからです。それも唯物論を絡めて。個人的には哲学的疑問を挟めないでもないのですが、マルクスがどう考えていたか?ということについては理解できたと思います。そしてそこから今度は歴史的なものへの考え方や捉え方、そして経済学者、また思想家としてのマルクスがどういう考え方であったのか?を不破さんによる解説とともにみることが出来ましたし、とてもいろいろなことを考えた方なのだ、ということも浅くですが(それは私の読解力の無さです)理解できたと思います。 何も知らないよりは、確かに良かったですし、経済学に対する考え方も面白かったです、私は経済学者だったことさえ知らなかったです。しかし中でも特に面白いと思ったのは、未来のことを考え予想するにあたり『縛らない』ということです。普通思想家としてはこれからこのような世界の動きや考え方があってこのような仕組みや考え方になると考えているなら、その道筋立てを行いそうなものですが、あえてそれを愚策とするマルクス(とエンゲルス)の考え方、つまりその時になってみないと分からないことや理解できない物事に対しての先入観を持たないで置くことの重要性を認識して尊重することに、とてもびっくりしました。 ただ、ちょっと残念だったのは、最後の方は日本共産党のソ連への対応がいかに仕方が無かったか?に重点を置かれていて、そこは実はマルクスとはあまり関係が無く、不破さんの個人的弁解に感じられてしまいました。マルクスのことをもっと知った方が良いのは理解できますが、そのために共産党という組織が正しさだったり、清廉潔白であったりする必要はないはずですし、そうでなかったとしてもマルクスに興味のある人にとってはマルクスへの関心は薄れないのではないか?とも考えました。もちろんマルクスに関することではかなりの自負もあって当然でしょうし、またそうであるべきなのでしょうけれど、マルクスの言う未来を縛らないというスタンスで考えうるならば、来るべき資本主義社会の先にある社会主義の世界を構築するのは共産党ではない可能性も捨ててはいけないでしょうし。 また、貧困や格差の話しも理想としてよく分かりますが(私の理解もかなり甘いとは思いますが、そのベクトルの先にある正しさは理解出来ます)、人の感情、矛盾に満ち、猜疑心強く、妬みある存在であり、同時に慈愛ある、譲り合える動物でもあり、清いものと、汚濁したものの混在である人という存在のことを考えると、仕組みだけでなく、その考え方まで変えていける仕組みでなければ難しいと思います。「瞰制高地(主要な部分や重要な部分を社会主義者が占有すること)」というのは皆が納得できれば可能性もありますが、そこを妬む輩が必ずと言って良いほど(それが正しければ正しいほど!)出現してくるわけで、何かドラスティックな変化がなければ難しいのかな?とも思いました。 マルクス、に興味のある方にオススメ致します。 5つ星のうち 3.0 地球温暖化とマルクス, 2009/7/31 By がっかりーこ (茨城県つくば市) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) 不破哲三氏は本当に現在の地球温暖化論を真剣に分析したのだろうか。温暖化についてのこの本の記述はゴアなど単純な温暖化論者のプロパとほとんど変わりない。資本主義のもたらした大問題だとしているが、いわゆる環境汚染などと違い、温暖化問題は、それが本当かどうかを含めてきわめて次元の高い学術的問題である。政府機関(の一部)やNHK、テレビ朝日などのマスコミが、ほとんど学術的根拠の説明もなく、災害が起これば「温暖化のせい」と宣伝する愚民報道を繰り返している。最近の山口での土石流災害についても、テレビ朝日の「古館」報道などは「これほどの事態は」温暖化のせいしか考えられないなどと、いい加減な報道を繰り返しているが、例えば27年前の長崎大水害の土石流では、今回の災害をはるかに越える299人もの死者が出ているが、これが温暖化のせいだというような馬鹿な人間はひとりもいなかった。災害対策の遅れは資本主義のせいかも知れないのに、それを元共産党の委員長が「温暖化」のせいにし、「温暖化は資本主義のせい」だというようでは、マルクスが生きていたらいったいどう思うのだろうか。現実の温暖化問題が、結局は排出権取引という国家間のマネーゲームに堕そうとしている状況をもしマルクスが生きていてみた場合、どのような「批判」を展開するだろうか、不破氏は考えないのであろうか。 5つ星のうち 3.0 不完全燃焼, 2009/6/8 By 佐野 鷹男 (愛媛県) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) 今の共産党にとって、都合の悪い所は隠蔽するという不破さんの本の悪いところがかなり目につく。例えば、環境問題を資本主義の破滅性と言いながら、巨大排出国の一つである中国を無視していたり、ソ連の壮大な実験を、社会主義の逸脱という言葉で言い逃れしているところなど。かつて「歴史の必然」と喧伝された社会主義国家がどうして逸脱したかを述べないと読者は納得しないだろう。 哲学の解説の最初にはがっかりだ。せめて、フッサールの現象学に至る哲学論争は踏まえて欲しい。今時「観念論」と「唯物論」の勝敗もないだろう。 不破氏の言説の欺瞞については、最近出た本ならば「マルクス『資本論』」の白井聡氏、田崎英明氏の文章を参考にして欲しい。 初心者が入門書として読むのはいいけど、真面目にマルクス主義と付き合っている人には、何らの指針も与えてくれないだろう。 本当の問題は、書物を超え、自分たちの党派以外(他者)とはマトモな知的交流を行い得ない共産党にあるのだろう。田口-不破論争で論理的には田口氏が勝利したし、その後の日本共産党の規約改定も、田口氏の主張を密輸入する形でなされているが、その田口氏が党からたたき出された(形式上は離党届提出)という事実を、読者は踏まえておいたほうがいい。 5つ星のうち 2.0 読みやすい, 2009/6/8 By アサシン - レビューをすべて見るレビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) ただそれだけの本。 一章、不破氏の考えている科学では、科学の発展なんてなかったでしょう。過去を都合良く解説しているにすぎない。 二章、今回の世界不況について、最近の赤旗をみると進歩したようですが、この本の解説では不十分。 三章、ソ連の分析は最後にスルッと逃げます。中国の評価も驚きです。未来社会論についても、まことにつまらない。政治家としての哲学を持っていなかったということでしょうか。 不破氏は学者ではありませんから、その分野で他の著者に劣ることは仕方ないにしても、未来社会論ぐらいは元政治家として大胆に語っても良かったのでは? マルクスは未来社会に青写真は描かなかった。しかしそれは現実の政治を動かす政治家の、つまり不破氏の仕事だったはず。 一言でまとめるなら、マルクスの亡骸を観察しているような本です。 5つ星のうち 1.0 2点の疑義, 2011/3/29 By エモール "ひろし" (北海道) - レビューをすべて見るAmazon.co.jpで購入済み(詳細) レビュー対象商品: マルクスは生きている (平凡社新書 461) (新書) p.37 「、、、百五十億年、、、。」 データが古いと思われる。現在は百三十七億年が一般的。 p.134 火星の表面が高熱だというのが、今のことを言っているなら、明らかに誤り。過去のことを言ってるならその旨書くべき。 また、この本は、あくまでも、不破氏というフィルターを通したマルクスにすぎない。
2014/01/24(金) 09:55:23 |
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古本屋通信 No 648 1月23日 誤解なきよう一言 直前 No 647 でさざ波通信 に掲載された「日本共産党批判 」を転載させてもらった。長文の引用に感謝の気持ちはある。しかしこのウェブサイトを全体として(左翼の合同サイトとして )高く評価するか否かは別問題である。管理者の基本的な時代認識とサイトの運営上の諸問題はあろうが、読者としては投稿された論考の全体を俯瞰して評価せざるを得ない。 結論だが、昨日の転載論考は転載に値するものとして扱った。然し私はこのサイトを全体として左翼の集合サイトだと思っていない。率直に言おう。殆んどが意味のない討論クラブだ。拠って立つ思想は極端な社民思想だが、そんな難しいことを言わなくてもよい。 このサイトが山本太郎の天皇直訴問題 で大真面目に「討論 」しているのを見て唖然とした。言うことは何もない。こんな左翼はありえない。中核派や 緑の党 は 政治的に支持した 。まるで意味がちがう。天皇に直訴する思想が、左翼にとって議論の余地が何処にあろうか。 街の古本屋さんのランキング ブログ 646位 (昨日:710位) / 122,477人中 店長ブログ 17位 (昨日:19位) / 3,002人中 更新日時:2014/01/23 05:55
2014/01/23(木) 06:59:23 |
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古本屋通信 No 645 1月22日 緑の党 も 苦しいなあ 緑の党も苦しいな あ 。東京都知事選挙のことです。とても独自候補は出せないし、細川には行けんし、さりとて中核派に乗れる訳がない。結局いままでやったことのない、共産への相乗りですか。さぞかしシンドかったでしょう。心中お察し申し上げます。ダンマリを決め込んでいたほうがヨロシかったのでは? それもできないか(古本屋通信 )。 名護市長選挙、勝利 January 20 [Mon], 2014, 8:52 横田悦子 国会は当面選挙がないだろう事を担保に右傾化の動きを強めています。 私達は自民党に全権委任したわけでなく、自民党は票数を増やさず得票率も惨敗した前回とほぼ変わらないのに棄権者が多かった為に多数をとっただけです。 安倍政権も望んだものではありません。 結果の権力によって横暴な振る舞いが許されるはずはないのです。 名護市長選挙は地方自治体が国政に影響を持ちうるイイ例ですが、次は東京都知事選ですね。 原発推進派で電力会社の広告塔まで務めた舛添さん相手なら、「脱原発」争点がビッタリのはまり所です。 頑張って勝ち抜きたいですね。 古本屋通信 久しぶりに訪問した横田さんのブログですが、赤字の部分 が全くの意味不明。で、以下に跳びました。フーン、そうなの。そういう事なの。 【選挙】 1/23-2/9 東京都知事選挙、宇都宮けんじさんを推薦します .2014/01/06 緑の党 ◆告示日 2014年1月23日(木) ◆投票日 2014年2月9日(日) ◆東京都知事選挙 ◆候補者 宇都宮けんじ(うつのみや けんじ) ◆新人/67歳/男性 ◆連絡先 TEL:03-3571-6051 E-MAIL:office@utsunomiyakenji.com ◆ウェブサイト http://utsunomiyakenji.com/ ◆決意 いまの日本の政治を見るとき、秘密保護法の強行や原発再稼働に前のめりの安倍政権が象徴する「危険な政治」、猪瀬都知事の5000万 円受領問題などの「きたない政治」がはびこっています。前回の都知事選挙では、貴党を含め、多くの個人・政党・団体から支持をいただきました。猪瀬氏が辞 任した今、再び都知事に立候補し、人にも環境にもやさしい、老若男女みんなが大事にされる東京をつくっていく決意です。
2014/01/22(水) 06:53:39 |
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古本屋通信 No 641 1月20日 共創協定と 宮本顕治 [通信 No 636 野坂参三と岡正芳、その後 ] の末尾に「共創協定、村上重良 について、後で書きたいと思います 」と書いた。その責任を果たしたい。 共創協定は一般には創共協定と言われていますが、どちらでもよいでしょう。私はこれについて、ずっと書きたい思いと、書きたくない思いの両方がありました。で、結論なのですが、なんの資料も見ないで、ウィキペディアさえ見ないで書くことにします。つまり協定の内容のあれこれの事実関係を無視して、私の「心象風景」だけを書きたいのです。村上重良はいずれ取り上げますが、今回は無視します。この宗教学者は創価学会をも 研究したというだけで、共創協定に関わったわけではありませんから。 共創協定は戦後共産党史のうえで決定的な失策だったと私は思います。それも共産党中央の失策というより、宮本顕治の個人責任に帰せられるべき失策です。袴田が反対したそうですから、常任幹部会の席では話があったのでしょう。しかし実際は、池田大作と宮本の両方に知遇を得ていた松本清張のハッタリ提案に池田と宮本が乗った、いわば「大物」3人の政界ショウだったでしょう。 松本清張は売文稼業の目玉として共創協定を設定しました。この男は大作家の詐欺師です。『日本の黒い霧』などで左派に売り込みましたが、本質は俗物です。私も一時はイカレていましたから大きなことは言えませんが、松本の歴史観は典型的な通俗史観です。 池田大作は「大物主義」の典型でしょう。トインビーだろうが、ローマの誰であろうと「世界の指導者」と対談するのです。それで本を出しカリスマ性を高めていきます。新興宗教の教祖はこんなものでしょう。清張はよく知っています。だから創価学会・公明党の出版妨害事件のころから、自分の出番をじっと窺っていたのです。タイミングよく両者に声を掛けました。 池田は難なく乗りました。公明党幹部から多少の苦情が出ましたが、「公明党は関係ない、これは学会の問題だ」で押し切った。 なんでこの話に共産党が乗らなければならんのでしょうか。共産党には創価の会員との果てしなバトルがありました。これがムダなたたかいだという認識が宮本にあったんでしょう。それとヨーロッパ各国の左派共産党が宗教と手を結んでいたという「ユーロコミュニズム」状況もありました。 10年協定ですから、一種の休戦協定です。あれこれは省きます。これによって公明党は伸びました。共産党はヘコミました。これが全てです。結果が全てです。共創協定は共産党にとって誤りでした。宮本の誤りでした。 多くの共産党批判者とちがって、私は宮本顕治を高く評価しています。日本のマルクス主義者として、宮本顕治を高く評価しているのです。1970年以降の党の右傾化の責任が委員長・宮本の責任であることは認めます。ただその全責任を彼ひとりに被せるのはどうかと。レーニン主義の退行は国際的でしたから。だが共創協定ははっきりと宮本の誤りです。これは彼の老いが決定的な処にきたことを示しました。 宮本顕治についての蛇足です。彼が20歳のとき賞金稼ぎの目的で書いた「敗北の文学 」は、私にとって衝撃的でした。私は20歳のとき、これを読みました。天才青年だと思いました。芥川のプチブル文学は雄々しく乗り越えられなければならぬ、と。われわれは芥川を乗り越える野蛮な情熱 を持たねばならぬ、と。 その後この水準を超えた芥川論があったでしょうか。私は以来、文学の泥沼にハマらないで「正道」を歩むことが出来ました(笑)。この読書が以後半世紀の私の歩みを決定したと言っても過言ではありません。若き宮本顕治は私の恩人です。 ( 最後の項、特に関係ないのですが、石崎さん が最新ブログで 「藤中正義と横畑さん」 を書いているのを読んで加筆しました。横畑さんから石崎さんに渡ったいう藤中氏の本、私は横畑さんから、「貸しただけだから、返してもらった」と聞きました。私も横畑さんのことを何時か書きたいと思っています)。 元東大民青さんからの投稿 です。私の対応は少しあとになります 。『 私はまだ読んでいないんですけど、真継伸彦『光る声』(新潮文庫)では、かつて学生党員であった「竹中行雄」という登場人物が、共産党が票にならないがゆえをもって見捨てた釜ヶ崎にも創価学会が入り込んでいた姿を見て感動し、入信して、主観的にはマルクス主義者のまま、公明党大阪府議になっていたという話が出てくるそうですね。 ところで、共創協定の頃には、創価学会はまだ日蓮正宗の信徒団体だったわけですが、その後、「(昭和)52年路線」問題が起きます。これは最終的には池田大作をはじめ創価学会幹部が翌年11月7日に総本山(富士大石寺)に「お詫び登山」することで当時の日達法主が許し決着がつきますが、それでも矛を納めなかった活動家僧侶(正信覚醒運動)が創価学会への攻撃を続けたため、日達の後を継いだ当時の日顕法主が活動家僧侶を擯斥し、擯斥された僧侶・寺院が「正信会」を結成することとなったわけです。 その日顕が、のちに「創宗戦争」で池田大作と創価学会を破門し、「正本堂」を解体することになるのは歴史の皮肉でしょうか。 ところで、私はある人から信じ難い話を聞かされました。その人は熱心な創価学会活動家の家庭に生まれ育ち、自らも熱心な創価学会員だったのですが、創価学会が破門されると宗門側につき、総本山に勤めていたが、その後、日蓮正宗の教義の独善性に気付き、日蓮正宗からも離れたという人でした。その人が言うには、小泉元首相は代々日蓮正宗信徒なのだそうです。 初めて聞かされた時は、「冗談はやめてください」と言ったのですが、「いや冗談じゃないですよ、横須賀の法華講の人はみんな知ってます」と言うのです。まあ、総本山に勤めてた人の話ですからウソではないでしょう。 私は質問しました。小泉は日蓮正宗信徒としてはありえない行動をとっているじゃないかと。まず靖国神社参拝。日蓮正宗では「神天上の法門」により神社参拝は厳禁のはずです。それに国会答弁で「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる」と言っている。これも日蓮正宗信徒としてありえない発言。日蓮正宗の教義では、「本門戒壇大御本尊」を信じ題目(南無妙法蓮華経)を唱えないと成仏できないはずです。この点を聞くと、「神天上の法門」などをうるさくいいはじめたのは戦後に創価学会戸田会長が「折伏大行進」を始めてからで、それ以前はいい加減だったから、古くからの信徒は結構いい加減なのだと。だから日蓮正宗と日蓮宗(身延山久遠寺)の両方を信仰している人すらいるのだということでした。戸田会長が創価学会の宗教法人格を取得した(本来ならば日蓮正宗の信徒団体で、独自の教義などはないから、独自の法人にはなれないはずだった)のは、戦時中に神札を受け入れた総本山への不信感もあったのだと。 しかし小泉が靖国神社参拝という日蓮正宗信徒としてはありえない行為をしている以上は、小泉家が日蓮正宗信徒であることが広く知られれば、総本山としても何らかの対応(信徒除名処分など)をとらざるをえなくなるだろうとのことでした。 昔から「武家の身延に公家の富士」と言われたように、公家や皇族には日蓮正宗信徒がかなりおり、ヒロヒトの母親も日蓮正宗信徒でしたし、今の皇族にも信徒がいるそうです。2014/01/21(火) 11:49:37 | URL | 元東大民青 #- 村上重良が除名されたのは、「世界」1977年10月号で公然と宮顕と「創共協定」を批判したからですが、村上重良ってかなり著名な人ですね。こういう人を除名しなければならなかったという点は宮顕指導部の重大欠点として認識しなければならないでしょう。学者や芸術家であれば、その時々の「党の路線」と衝突することも当然あるわけで、その点に関してはある程度の寛容さが求められます。 なお、党側からの村上批判は、新日本文庫『日本共産党と宗教問題』に収録されています。 2014/01/21(火) 11:58:22 | URL | 元東大民青 #- 』
2014/01/20(月) 23:00:03 |
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古本屋通信 No 637 1月18日 浜野忠夫報告のポイント 本日に赤旗日刊紙2面に掲載された幹部会副委員長・浜野忠夫報告「中央委員会が推薦する中央役員候補者名簿 の提案にあたって 」のポイントを列記しておく。 中央委員153人(前回より10人減) 准中央委員45人(前回より10人増) 新中央委員に20人推薦 新准中央委員に21人推薦 前回准中央委員45人のうち、今回も准中央委員に推薦が24人 前回准中央委員45人のうち、今回は准中央委員に推薦されずが6人 今回退任の中央委員は30人、新しく中央委員に推薦は20人 その後、以下の2件が党中央のHPからコピーできました。 第26回党大会における中央委員会の選出基準と構成について 一 中央委員会の選出基準について (1) 中央委員、准中央委員は党規約第13条にもとづき、党歴2年以上を必要とする。 (2) 品性、能力、経歴を客観的、総合的に評価して選考する。 二 中央委員会の構成について 中央委員会は、第26回党大会決定の任務遂行のため、つぎのような構成とする。 (1) 中央委員会の選出基準にかない、第26回党大会決定を責任と気概をもって実践する同志たちによって構成する。 構成にあたっては、中央役員とその部署は、党規約に定められた任務の分担、機能の分担であって、身分的な序列でないという党の一貫した立場を堅持する。 (2) 激動する内外情勢に対応して、中央委員会の正確、機敏な指導性を保障するため、党の革命的伝統、理論と政治的・政策的水準を継承・発展させる立場から、知恵と経験に富んだ試練ずみの幹部と、有能な活力ある新しい幹部、若い幹部との適切な結合をはかる。 (3) 中央、地方できたえられた新しい幹部、若い幹部の抜てきにつとめるとともに、一定の年齢に達している同志であっても、現在、中央、地方ではたしている役割、蓄積された知恵と経験を生かすため、中央委員会として必要とする同志は、ひきつづき中央委員に推薦する。また、退任を希望している同志でも、健康、家庭などの条件が許す同志は慰留する。 (4) 先の第25回党大会で、党の将来を担う幹部養成の立場から、「准中央委員は、中央委員の候補期間として活動実績を評価し、次期党大会で自動的に中央委員に推薦することはせず、こだわりなく交代をはかる」ことを確認し、新しい幹部、若い幹部を大胆に准中央委員に選出した。今党大会でもこの考えを継承し、新しい、若い同志を准中央委員に推薦するとともに、こだわりなく交代をはかる。 (5) 先の第25回党大会の中央委員会選出で高まった、女性中央役員の比率を維持するよう努力する。 (6) ひきつづき全都道府県委員会に中央役員を配置する。 (7) 中央役員の推薦にあたっては、能力とともに、党規約第5条「党員の権利と義務」の第1項に規定された品性を重視する。 (8) 以上の諸点を重視しつつ、党の現状を考え、第25回党大会選出の中央委員会の構成員数をこえないよう極力努力する。 (9) 健康、家庭など種々の事情で、今回中央役員を退任される同志も、それぞれの条件を生かし、適切な任務につき、積極的な役割を果たしてもらえるようにする。中央委員会が推薦する中央役員候補者名簿の提案にあたって 幹部会副委員長 浜野 忠夫 日本共産党第26回大会3日目の17日、浜野忠夫副委員長が報告した「中央委員会が推薦する中央役員候補者名簿の提案にあたって」は、次のとおりです。 中央委員会が党規約第13条にもとづいて推薦する、次期中央委員会の名簿の提案について報告します。 中央委員会が推薦する中央役員は、中央委員153人、准中央委員45人、計198人であります。皆さんに配布されている中央役員候補者名簿の通りであります。 この中央役員候補者名簿は、先に承認された「第26回党大会における中央委員会の選出基準と構成について」にしめされている選出基準にかない、第26回党大会決定の実践に責任と気概をもってあたる同志たちによって構成することを考え、作成したものです。 そのいくつかの特徴、作成にあたって留意したことについて説明します。 第一に、激動する内外情勢に対応して、中央委員会の正確・機敏・安定した指導性の発揮を保障し、蓄積された理論、政治的・政策的水準を継承・発展させ、第26回党大会決定を遂行できる中央委員会を構成することをなによりも重視しました。 第二に、中央・地方で指導的役割を果たしている、活力ある新しい幹部、若い将来性のある幹部の抜てきに努力するとともに、党の現状に即して、一定の年齢に達している同志であっても、中央・地方の任務上必要と判断し、かつ健康・家庭などの条件の許す同志については、その蓄積された知恵と経験を中央委員会の活動に生かすため、ひきつづき推薦名簿に加えるようにしました。同じ立場から、中央役員の退任を申し出られた同志でも慰留し、辞意を撤回してもらい名簿に加えた同志もおられます。 第三に、今回もかなりの県委員会で、健康・年齢・家庭などの事情で県委員長が交代されます。また、中央の任務に就くため交代される同志もおられます。これらの県委員会については、その県のなかで現に指導的役割を果たしている同志のなかから、次期の地方党機関の指導部の構成を考えて、それにふさわしい同志を、地方党機関の財政状況も考慮し、中央委員に推薦しています。そして今回も全都道府県委員会に中央委員を配置する案になっています。 第四に、党勢や地方党機関の体制、財政問題など党の現状を考慮し、中央役員数は第25回党大会選出数を超えないように努力しました。同時に、地方党組織で活動する同志の抜てきに重きを置き、党本部の各専門部で活動する同志の推薦は最小限にとどめました。その結果中央委員は153人で、前党大会より10人少なくなっています。准中央委員については、前党大会で、党の将来を担う幹部養成の立場から確認された「准中央委員」についての考え方を継承し、可能な範囲で、新しい幹部、若い幹部を抜てきし、新たに21人を推薦しています。准中央委員は合計45人となり、前党大会よりも10人多くなっています。中央委員と准中央委員を合わせた、中央役員の総数は198人で、前党大会と同数です。 第五に、中央役員総数を増やさない努力のなかでも、地方党組織で活動する同志の抜てきを重視した結果、新しく中央委員に推薦している20人のうち18人、また新しく准中央委員に推薦している21人のうち13人が、地方党組織で活動している同志からの抜てきとなっています。 第六に、前党大会で准中央委員に選出され、今回も准中央委員に推薦されている同志が24人いますが、4年間の活動実績からみて、本来なら中央委員に推薦できる同志も少なくありません。また党本部の各専門部で活動する同志のなかにも中央役員に推薦したいと思う同志もおられます。しかし、中央役員総数を前党大会よりも増やさないという立場から、ごく限られた同志の推薦にとどめることにしたため、今回推薦に至らなかったという事情があります。 第七に、前党大会では、党のなかで、女性党員の果たしている役割にふさわしく、中央役員の女性役員比率を高めるために、都道府県議会など地方政治の分野で活動している同志や中央や地方で活動する女性幹部の多くを中央役員に抜てきし、比率を20・2%に高めました。今回もこの比率を維持する努力をおこない、198人の中央役員のうち、女性の中央役員は42人で、前党大会より2人増え、比率も21・2%となり、女性の中央役員は人数も比率も過去最高となっています。 また中央役員候補者の年代構成では、20歳代が1人、30歳代が11人、40歳代が32人となるなど、60歳未満の同志が過半数になっており、若い世代をふくむ構成となっています。 大会決議や大会報告でも「党の世代的継承を、綱領実現の成否にかかわる戦略的課題」として提起しました。党指導部の構成についても、ひきつづき新しい若い幹部、女性幹部の養成、抜てきにいっそう努力し、世代的継承をはかっていくことが求められています。 第八に、選考にあたっては、能力を重視するとともに、党規約第5条の「党員の権利と義務」の第1項で「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」と規定していることを重くとらえ、品性を重視しました。 第九に、中央委員会の構成の検討にあたっては、中央役員とその部署は、共通の事業に携わるもののあいだでの、党規約で定められた任務の分担、機能の分担であって、身分的序列ではないという、わが党の一貫した立場を貫いています。 第十に、今回、退任される中央委員は30人です。健康、家庭、年齢などの事情で、自ら退任を申し出られた同志たちです。中央役員から退かれてもこれまで蓄積された知恵と経験を生かし、条件の許す限り、党機関の要請にこたえて、適切な任務につき、ひきつづき党に貢献していただけるようにしたいと思います。 現在の准中央委員のなかで6人の同志が今回推薦されていません。辞退を希望された同志とともに、第25回党大会での「こだわりなく交代する」という幹部政策にもとづくものです。これらの同志たちは、党の将来をになう幹部の一員であることに変わりはありません。ひきつづき、それぞれの部署で活動されることを期待するものです。 以上が、中央委員会が推薦する次期中央委員会を構成する中央役員名簿についての説明です。名簿をよく検討ください。 つぎに、党規約第28条にもとづき、中央委員会が党大会に報告し承認をもとめる名誉役員の名簿について報告します。 第22回党大会で名誉役員制度の実施要領として「20年以上の中央役員歴をもつ同志のなかから推薦する」ことを決めています。今回1人から辞退の申し出がありましたので、新しく12人の同志を推薦しています。 第25回党大会で名誉役員として承認いただいた53人のなかで、6人の同志が亡くなりました。また4人の同志から名誉役員辞退の申し出がありました。したがって、43人の同志を前党大会にひきつづき推薦しています。 あわせて55人の同志を名誉役員として、党大会の承認を受けたいと思います。 以上で中央委員会が推薦する次期中央委員会を構成する中央役員候補者名簿と名誉役員の名簿についての報告を終わります。
2014/01/18(土) 16:36:15 |
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古本屋通信 No 635 1月17日 河村さんと 垣内さん 伊豆学習会館からの、河村さんの3日目の報告です。古本屋通信はこれを読んで(見て)本当に嬉しかった。それは河村さんと垣内さんが並んで写真におさまっていたからです。 大会三日目の報告 河村ひろ子 今日は大会三日目です! 私が泊まっている民宿は、網代です 漁業が盛んで、店には魚がズラリ たくさんの魚の干物 今日の民宿の朝ごはんは、魚の干物だった~ 買って帰りたいな~、と思いながらも会場へ さて、今日も多くの代議員の地元での活動が、元気よく語られました 私の選挙の時に、応援演説に来て下った 井上哲士参議院議員と記念撮影 私の選挙後、やっとお会いすることが出来ました たくさんの人との出会いや、FBでお友達になった人にも お会いする事ができて、とてもうれしいです岡山の垣内きよみさんと、記念撮影(^^) 明日はいよいよ最終日 志位委員長の結語や、役員選挙などがあります 明日も頑張りますよ~ 古本屋通信 二人ともいいお顔 っです 。河村さんは時々素顔を見せるけど、垣内さんの顔を見たのは選挙後初めてです。そして二人は、私が昨年の参議院選挙中ずっとそのブログを使わして頂いたお二人なのです。じつにいいブログでした。 今回は写真転載が効かないのが残念ですが、「ひろ子ワールド」 をご訪問下さい。 さて、河村さんは大会初参加みたいだけど、垣内さんは何回目なんでしょうか。四年まえに初めて准中央委員にえらばれています。このとき坂井希さんも初めてでした。 准中央委員 (35人) 「古本屋通信 No 626 消えゆく 25回大会人事 」より ○阿藤和之(39) ○鮎沢聡(45) ○石山淳一(44) ○板橋利之(44) ○猪原健(33) ○梅村早江子(45) ○岡田政彦(44) ○河江明美(44) ○小越進(48) ○駒井正男(42) ○坂井希(37) ○椎葉寿幸(33) ○祖父江元希(34) ○田川実(45) ○田川豊 ○田中 俊之(44) ○谷本諭(39) ○田村智子(44) ○中条正実(39) ○辻慎一(45) ○中野武史(35) ○成宮真理子(40) ○西澤亨子(50) ○畠山和也(38) ○藤野保史(39) ○藤原正明(37) ○古川京美(43) ○堀内照文(37) ○町田和史(33) ○宮本次郎(34) ○宮本徹(37) ○村主明子(38) ○山内健(41) ○吉岡正史(35) ○吉俣洋(36) このとき垣内きょうび さんは古川京美 さんでした。河村さんはもう市議会予定候補が決まっていたのでしょうか? 明日は大会最終日です。全党の強力な指導部である中央委員会が無事選ばれることを期待しています。 河村さん、ここまでパソコン持ち込んでいつものように記事を配信するとは、マイッタ。マイッタ。 もうひとつ、写真から新発見。代議員って、広島と岡山は前後して座るんだネ。河村さんの後座席が垣内さんか、ふーん、なるほど。
2014/01/17(金) 20:53:09 |
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古本屋通信 No 633 1月17日 吉良よし子さんの登場 私は吉良よし子さんの大ファンである。坂井希さんと同じくらい好きである。ずっとそうである。 なんと、産経新聞が以下のような記事を書いた。ちょっと驚いたが、反共新聞といえども商業新聞だから「売れれば採り上げる」のだろう。こういう記事は赤旗には載らないだろう。産経新聞さまさま である。異例の声援と口笛も…“共産のアイドル”吉良議員が党大会デビュー 2014.1.16 21:14 [共産党] 共産党大会に初参加し、登壇した吉良佳子参院議員=16日午後、静岡県熱海市の「伊豆学習会館」(共産党提供) 昨夏の参院選で初当選した共産党の吉良佳子(よしこ)参院議員(31)=東京選挙区=が16日、静岡県熱海市で開かれている同党大会で登壇し「民主連合政府樹立に向け先頭に立って全力で頑張る」と決意を表明した。 共産党のアイドル的存在となった吉良氏が党大会に出席したのは初めて。壇上に立つと、代議員たちに「ウォー」「フュー」などと“お堅い”同党の大会では異例といえる大きな声援と口笛で迎えられた。 共産党として東京選挙区で12年ぶりに議席を獲得し「第3の躍進」のシンボルとなった吉良氏だが「共産党の国会議員になって本当によかった」と語った。党大会最終日の18日に発表される幹部人事で、中央役員に抜擢(ばってき)されるとの見方も強い。 古本屋通信 一言だけ。こういうジャンヌダルクは運動にとって欠かせない。私に言わせると1960年代の川上徹以来絶えていなかった。否定されていたのだ。しかし鉱脈から吉良が噴出した。どうにも止まらない。魅力があるんだ。
2014/01/17(金) 04:14:21 |
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