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古本屋通信

来年も宜しく

古本屋通信    No 600  12月31日

  来年も宜しくお願いします


 きょう大晦日から正月3日まで、田舎で母といっしょに過ごします。田舎にはパソコンがありませんから、これが今年さいごの通信になります。来年もペースを落としながら続けたいと思っています。ご愛読のほど宜しくお願いします。
 
 田舎は倉庫ですから古本はありますが、この正月は原稿用紙に向かいます。数年ぶりです。論文でも小説でもなく、雑文ですが、公表のアテはなく、私にとって執筆そのものを愉しむ時間にしたいと思っています。

 原稿用紙は有り余る程あります。何千枚もあります。これは全部、古本を引き取りに行ったさい、いっしょに頂いて帰ったものです。古本価にいくらか上乗せして支払っていますが、不要だから引き取ってくれと言われた余禄です。私は真っ白な原稿用紙を贅沢に使って、大きな字で「古本屋通信」を書くのがとても好きでした。大きな字でエンピツで書きました。長さは今と同じ位です。但し引用文を引くことは殆んどありませんでした。

 私はパソコン操作がとても遅いのです。五十肩から右腕が不自由になり、印字は左の一本指です。しかしエンピツ書きに右手はなんの不自由もなく、文を書くだけならエンピツのほうが速いし、また好きでもあります。しかしそこから先がまるで違うのです。

 紙の「古本屋通信」はコピーして送っていました。部数は一定ではありませんでした。少ないときで10部、多いときで20部くらいでした。送付作業には時間も費用もかかりましたが、いちばん気になったのは送付先でした。望んでもないものを送られると不愉快でしょう。これが古本の目録だったら不愉快ということは少ないでしょう。しかし「古本屋通信」は左翼通信ですから、押し付けにもなるわけです。

 私はパソコンが好きではありませんでした。本の検索だけはパソコンでやっていましたが、そのほかはパソコンに依存すまいと決めていました。ブログの開設はつれあいの「押し付け」です。その頃、つれあいは方々のブログ開設を手伝っていました。商売ではありませんが、何人かのブログを立ち上げたと言っていました。私のブログもつれあいの「練習」だったのです。

 読者などほとんど付かないと思っていましたし、そんなことを意識して書きませんでした。何人かの人に読まれていると意識したのはキンピーサイトに採り上げられた時でした。どうもアクセスが増えたと意識し、アクセスランキングというものがあることを知りました。で、このときピンと順位が上がり、近隣のブログから自分のアクセス数が推定できました。なんと一日最高で200人を超えたのです。その後すぐに下がりましたが、以後はその半分くらいで一定しているようです。これには驚きました。こんなブログ、何処がおもしろくて読まれるんだろうか、と。

 インターネットは驚異的だと思いました。私はこういっちゃあ何ですが、本のプロだったのです。編集には自信がありませんが、紙の本の流通について、つまり本がどういう読まれ方をするか、知り尽くしていると自負していました。まともな本がいかに読まれないか。逆によく読まれている本、いちいち名を挙げませんが、例えば古本についての本、大抵ヤラセなんです。それからブル新の本にかんする記事も「出来レース」です。これに対してインターネットの記事の読まれ方は正味です。つまり読むに値すれば読まれるし、面白くなければ読まれない、と。

 これだけじゃあ、インターネットを褒めすぎだと叱られるでしょう。アクセスランキングを初めて見て気がつきましたが、ある分類では上位にいかがわしいブログがズラリ並んでいました。相互アクセスによるヤラセです。では、そうでない普通のブログの言語水準はどうでしょうか。私の看た結論だけを書きます。7割は紙媒体以下です。2割がそれと同レベルです。1割が紙の本を超えています。超えているだけでなく、はるかに広範囲を網羅しています。それをいかに発見して、上手に付きあうか。それともゴミの中に自らを埋めるか。ネトウヨやニセ左翼の識別は欠かせません。

 母はもうすぐ満94 歳になります。だんだん人間的な感情が薄らいでいます。表情の幅が小さくなっているのです。それなら世話がかからないかというと逆です。赤ん坊みたいなものです。私は母とつれあいの間の緩衝材です。これから3日、鬱陶しい日が続くでしょう。皆様、よいお正月をお迎え下さい。


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  1. 2013/12/31(火) 01:19:40|
  2. 未分類

藤原隆三氏来訪

古本屋通信   No 597  12月29日

  藤原隆三氏来訪


 至近の古本屋通信 No 596 に対して、藤原隆三さんから投稿があった。私が一度キンピーサイト経由で、その短文を引用「通信 No 582 分派活動と査問」を参照のことさせて戴いた方である。ご本人の文章はそのまえにも同サイトへの投稿文として拝見しているが、古本屋通信来訪は初めてである。No 596 のあとに貼ると目立たないし、内容もそれとは独立して読めるので、ここに別エントリーを立てた。全文を紹介し、末尾に私の感想を添える。藤原さん、ありがとうございました。



何故党中央は大衆闘争に真剣に向き合えないのか
君のコメントが転載されてるよと友人に教えられて、最近、貴ブログへの訪問を始めた次第です。よろしくお願いします。
県党会議での発言を拝見し、逐次、同感しました。
以下に私見を述べます。
党は、大衆闘争(運動)の上に「党建設」を据えていますが、その意図と共に、全てはそこに問題があると思います。
党建設 ー そのための大衆闘争となっていること、つまり、福島であれ、保護法であれ、党建設のための道具、機会、手段としてしまっていることが大衆闘争の問題に対し、党中央自身の(ということは、中央集中制のもとでは当然ながら、すべての党の機関の)真剣な目配りの欠如が生まれざるを得ない根幹なのだと痛感しています。
このことは、拡大のための中央委員会決議の文言の必死さや、それに基づくその期間中の上級の息もつかせぬ程、枚挙に暇のない各種指令・指示などに比べても明らかだと思います。
保護法がゴリ押しされてしまった、その際の中央の総括は、赤旗読者、党員など党建設の裾野を広げて捲土重来しよう、ということなのでしょう。
本当に誠実な思いを持っている党員の方々が多くいることを知っているにも関わらず、あえて極言すれば、共産党という組織は「党建設で自己完結してしまっている組織」ではないでしょうか。
党の大衆闘争とは、党建設のための「肥やし」、あるいは選別対象でもある「土壌」としての位置づけなのではないのか、40年前の除籍体験者である私は、その様々なトラウマや憎悪などもすっかり癒えた今、心からそう思っています。
※ 尚、都合上、本コメント中では「大衆闘争」という言葉を使いましたが、私自身は今は使っていません。
 2013/12/29(日) 11:27:57 | URL | 藤原隆三 #-

 以下、古本屋通信
 そうですか、「40年前に除籍」ですか、懐かしいですね。私は1970年秋、除名でも、除籍でも、離党でもなく、いまでもよく分らない「転籍のにぎり潰し」によって党籍を失いました。宜しかったら以下をご参照下さい。

  古本屋通信  No237 党籍消滅前後(その1)  
  古本屋通信  No240 党籍消滅前後(その2)
  古本屋通信  No241 党籍消滅前後(その3)
  古本屋通信  No244 党籍消滅前後(番外)


 お書きになっていることは所謂「新日和見主義」世代にとっては、懐かしく尤もなことばかりです。大衆運動(大衆闘争)と組織建設(党建設)の2本足の活動と口では言いながら、事実上すべての運動を組織(党)に従属させる、これが延々と40年以上続いてきた、それが日本共産党のブルジョア議会主義路線であり、その契機になったのが第11回党大会(1970年)と新日和見主義事件(1972年)だったと思います。

 私はあなたのお書きになっていることに90%以上同意します。そのうえで若干の違和感を書き添えます。大衆闘争を党建設に従属させるのはもちろん誤りです。しかし党建設は相対的に大衆闘争とは区別した課題として、独自に追求する必要があるとは思います。大衆闘争の中からは自然発生的に党建設の必要性が生れてこないからです。この辺は釈迦に説法の類いなのは存じています。要はそれぞれ各人の生きた時代と置かれていた部署などによって、感じ方が微妙に違うだけだと思います。尚、私も現在「大衆闘争」や「大衆運動」という言葉を出来るだけ使わないようにしています。「大衆」という言葉が「前衛」に対置される使われ方をしてきた歴史があるからです。この点でもあなたと一致すると思います。ひとこと添えると、賛否はべつに「組織の革マル派」は40年前と比べて党勢力は衰えていません。これを見て、私は党建設も大事なんだと思いましたね。

 今後ともよろしくお願いします。尚、今までも書いてきたのですが、論争的なブログを管理する自信がありません。同一テーマ(エントリー)での遣り取りは極力抑えたいので、その点はお含み置きください。それと小生の体力と能力の問題です。来年からブログに懸ける時間を三分の一にすると公言しています。どうなるか分りませんが、場合によってはコメントをコメント欄に放置する場合もあろうかと思います。他意はありませんから、その時はご容赦ください。


  1. 2013/12/29(日) 12:36:35|
  2. 未分類

佐賀県党会議

古本屋通信   No 596  12月29日

  佐賀県党会議での発言を公開


 今朝早朝 6 時に共産党赤磐市議の福木京子さんのブログを訪問した。そこに、昨夜 22 時に投稿された佐賀県党の豊島耕一 さんのメッセージがあった。但し福木さんの昨日の記事に付けられたものではなく、一週間前の12月22日の記事「吉備中央町で一日中会議」に貼られている。福木さんは今朝これを読んでいない事はもちろん、下手をすると一週間くらい気が付かないかも知れない。たぶん古本屋通信が一番乗りだろう。福木さんには悪いが、これも優良ブログと見込んで毎朝・毎晩通いつめた古本屋通信の「成果」だ。読んでみると党規約違反ではなさそうだから、安心して転載・公開させていただく。然しこういう投稿、豊島さんが福木さんに信頼を寄せてなければあり得まい。また、こういう情報の伝達はインターネットのなせる技だろう(古本屋通信

30日に福木さんはコメントを見た模様。
12.30  福木京子 @ 08:19:07
コメントありがとうございます。発言は、また見させていただきたいと思います。そして、もっと勉強しなければと思っています。


 
 
尚、下記の豊島発言について、私は大会議案を精読していませんので、福島の問題については保留しますが、第一点目と第三点目は全く同感です。特に第一点目の秘密保護法ですが、可決翌日からの党の対応は到底肯けないものでした。すなわち党中央の「強行可決は安倍政権の終わりの始まり」には吃驚でした。まあ、ハッタリの勢い付けだと思って批判は謹んで来ましたが、全党がこれを大唱和するに至って、近々に批判せねばと思っていました。
 これ、「安倍政権一路退却論」ではないですか。「安倍は敗北必至」だすワ。こんなアホな階級闘争がありますか。私は可決翌日から、この問題での発言を止めました。いまも赤旗の記事はアジテーション一色です。
 とにかく第一ラウンドで負けたんだという事実認識がゼロです。これで第二ラウンドをどう闘うんでしょうか。豊島さんを俟つ間でもなく党は異常です(古本屋通信)。


豊島耕一 @  2013.12.28 21:40:45
もと佐賀大学教員の豊島と申します.佐賀県党会議での発言を私のブログに掲載しています.秘密法敗北の総括をすべきこと,議案に福島原発事故による避難者への対策を盛り込むべきこと,そして尖閣問題と国内右傾化の一体性という問題です.ご訪問いただければありがたく存じます.
 http://pegasus1.blog.so-net.ne.jp/ 2013-12-27


ペガサス・ブログ版 九州は筑後から九条を効かすための情報を発信します.
佐賀県の共産党大会(県党会議)
3つ前の記事で,共産党の大会議案について書きましたが,先の日曜日はまさにこれについて議論する共産党の佐賀県大会(県党会議という)でした.代議員として出席し,ブログに書いたような内容に加え,秘密法反対運動についても発言しました.

このブログで過去にも再三書いたように,議題が「大会議案審議」であるにもかかわらず,ほとんどの発言は議案のテキストそのものに触れません.これだけ多岐にわたり,複雑な問題を扱い,しかも相当に長大なテキストを対象としていて,百人をこえる人が集まっているのに何の疑問もない,異論もないというのは全く不自然なことです.なにか「改まった」場では誰も本音を言わないというこの社会の悪習から,残念ながらこの組織も自由ではないということでしょうか.あるいは「民主集中制」というルールの履き違えということもあるでしょう.ますます重要になって来たこの党の役割に照らせば,この悪弊を急いで改めることはまさに焦眉の急と言うべきです.そうしなければ集団の「英知」を結集するということは出来ません.応援のクリック歓迎

各県の大会はこの日かその一週間前に一斉に開かれているので,党員ブログでその紹介がちらほら見られますが,内容に立ち入ったものはほとんどありません.党の規約の,すでに廃止された公開制限条項に未だにとらわれているためかも知れません(記事「ブログ時代の共産党大会」参照).しかし今日ではこのような会議はほぼ原則公開となっているため,常識的な範囲での公表は可能です.実際,発言をまるごと公開している比例区候補の例もあります(もっとも,その内容は「無難な」ものですが).

というわけで,以下に当日の私の発言を掲載します.文字化に際して,書きことば調に変えたり,文章を少し整理したりしています.また,全国大会の代議員に立候補もしましたが,残念ながら落選しました.

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(以下,12月22日の佐賀県党会議での発言)

「議案審議」と言うことになっていますが,しかし大会決議案そのものに対する議論が少ないように思います.全体的にたいへん素晴らしい内容ですが,2,3問題点を感じていますので,その点を述べたいと思います.

そのまえに本日のこの会議,県委員長にお尋ねしたいんですけれども,メディアへの公開,案内はされたのかどうか.党を世間に露出するたいへんいい機会だと思いますが,どういう政策になっているか,お尋ねしたいと思います.

また,この中央委員会決定ですが,中央委員会の中で何か議論になった点があれば,その点ご紹介いただきたい.議論の内容が全く紹介されませんので,分からないんですよね.もっと透明性を上げる必要があるかと思います.それから,もし採決になったとすれば,それは何対何で可決されたか.そういう情報もよろしければお知らせ頂きたいと思います.

秘密法敗北の総括を

さて,議案に入る前に秘密法の問題に触れたいと思います.残念なことに秘密保護法が可決されてしまいましたが,なぜ阻止できなかったかと言う総括を是非ともやらなければならないと思います.とにかく最後は盛り上がったんだ,たいへんな盛り上がりを見せたんだ,で終わってはいけないと思います.教育基本法が改悪された時が実はそうでした.まともな総括がないんです.(赤旗新聞を)見てもわかります.「とにかく最後は盛り上がった」で終わっているんです.

それだと結局同じことを繰り返してしまう.つまり,とにかく盛り上がったで終わるということは,それを阻止すると言う展望を持ってなかったということになるわけです.もし阻止すると言う展望,戦略・戦術を持っていたとすれば,なぜ負けたのか,その敗因分析を必ずしなければいけないわけです.ですから,それがないと言うことは,ひょっとして阻止すると言う気概,展望を持っていなかったのではないかと疑われてしまいます.ですから是非ともやらなければいけない.教育基本法の敗北の時の総括なしというのは,繰り返してはいけないと思います.

福島原発事故による避難者への対策を
次に,この議案そのものについて,一つ,大きな疑問があると思いますのは,福島の被ばく者の問題,避難者の問題,帰還の問題について,ほとんど触れられていないと言うのは非常に重大です.パンフレットの13ページの下の方に数行,「国の責任で,全面賠償と,命・健康・暮らし・環境を守る対策を徹底することを求める」と書いてあるだけです.14万人にもおよぶ放射能難民の人たちに対する対策,これはとても難しい問題なのです.この人たちを,どの程度の線量まで帰還を勧めるかとか,あるいはもっと大規模な移住を提案するのか,たいへん難しいシビアな問題なのですが,そういうことについて,是非とも責任を持って提案しなければいけないと思います.福島県の会議では当然問題になっているだろうとは思いますが,福島だけの問題ではなく,これは明かに全国民の問題です.

ところが政府・規制庁は,11月20日付けで,「帰還に向けた安全・安心対策に関する基本的考え方(案)」というのを出して来ているのですが,ここの中にはどういうことが書いてあるかというと,結局20ミリシーベルトで線を引こうとしているのです.20ミリシーベルトは避難区域のことだったんですけれでも,20ミリシーベルトだったら帰還していいんじゃないかと言う,そいういう政策を打ち出そうとしています.20ミリシーベルトがどれだけひどい被ばく環境かということを想像して見て下さい.20ミリシーベルトのもとでガイガーカウンターがどれだけけたたましく鳴るか.痛くもかゆくもないから,数字だけではピンとこられないかも知れませんが,自然放射線の数十倍(発言では数百倍と言ったが訂正),とんでもない値です.そういうことを政府が進めようとしている以上,これに敏感に反応しないといけないと思います.それが一点です.

尖閣問題と国内右傾化の一体性

もう一点は尖閣問題です.私は,尖閣問題というのは秘密保護法と全く密接に関係があり,このような日本の軍国主義化,右傾化,極右化というのは,尖閣という危機を煽ることによってはじめて可能になったと思うのです.今回の秘密保護法もそうです.一体のものだと思うのです.ですからどうしたら平和解決が出来るかと言うことをどんどん提案していかなければいけないし,今回の防空識別圏の問題での国会決議というのはたいへん問題があると思います.なぜかと言うと,防空識別圏というのは戦後最初に日本とアメリカが設定したんですよ.そしてそれと同じことを今回中国がやっただけなんです.何十年も遅れて.ですから,相手に撤回しろと求めるのなら,自分たちから設定した防空識別圏をまず撤回しないと,それを言う資格はないわけです.ですから全会一致で国会決議したということは挑発以外のなにものでもない.ほんとに対立を煽る,ナショナリズムを煽ることに加担したと思いますので,これは重大な問題だと私は思っております.そういう意味で,是非見直しをお願いしたい.

この問題では,専門家は非常に少ないんですけれども,反戦自衛官と言われた小西さんと言う方が,ほとんど唯一そういう論陣を張っておられます.ネット上で.彼はもと自衛官ですからそういうことに詳しいわけですね.

実際,飛行計画書を提出すると言うことも,アメリカは認めているわけですから,民間航空会社に飛行計画書を提出するななどと求めているのは日本だけなんですね.そういうことからも,是非とも,ナショナリズムに迎合するような政策はぜひとも止めた方がよろしいと思います.

まだたくさんあるんですけれども,もう時間が一分ぐらいしかなく,中途半端になりますので,これで終わりたいと思います.ありがとうございました.



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  1. 2013/12/29(日) 06:46:44|
  2. 未分類

自ブログの年末調整

古本屋通信   No 594   12月28日

 
 自ブログの年末調整


 すでに書いたように、古本屋通信は通信文であり、アジビラのようなものだから、伝達の用が済んだら逐次消去していく。現在は通し番号 594 で、残っている記事数は 375 だから、すでに 218 を削除している。いま年末の最終調整をしているのだが、一寸考えたことがある。私のブログにもメッセージの類はあるのだが、伝達済みで相手が読んでくれたらオワリの文でも、部分的に残したい個所がある。そのひとつをここに貼る。旧稿は消しても新稿として残したい類だ。これ多分、紙の本の改訂新版などと一緒ではなかろうか。


古本屋通信はジャーナリズムで時事文だから、古くならなければなりません (これは古本屋通信 No 484 の末尾に付した文である。No 484 は今回の調整で削除した)

 雑誌だけでなく書籍も古くならなければなりません。古書というのは結果的にたまたま残ったのであって、残そうと思っても残るものではありません。著者はいまの切実な課題に斬り込むのでしょう。残るものを書こうなどというのは、ブルジョア個人主義でしょう。これは文学作品も例外ではありません。そういう意味からすると、ネットが普及し紙の本が消えていくことは望ましいこととも言えるでしょう。

 古本屋経験から言えば、余程の執着と自信がない限り自費出版は止めたほうがよいと言えるでしょう。短歌・俳句は分からない(ホントはこれ、師匠に貢ぐ奉仕なのです。出版しなければ破門?)が、その他の自費出版の殆んどはゴミ扱いなのです。古本屋には自費出版の本が毎日たくさん入ってきます。無料で貰った人が不要だから捨てるのです。大抵の場合読んだ形跡はありません。300~500部刷って読まれるのはいくらでしょうか。

 30年程前ですが、私は自費出版の制作プロダクション設立の含みで市場リサーチをかけた事があります。結局止めましたが、これは体のいい詐欺商売に思えたからです。流通に責任を持たないので、これは出版業というより印刷業の仕事だと思いました。印刷業なら詐欺ではありません。

 仮に自費出版本を大型新刊書店の平台に積んだらどういう売れ行きを示すでしょうか。ほとんど売れないでしょう。ニーズがないから売れないのです。知らぬは著者ばかりです。いや、出版社志望の学生でも本は作れば何でも売れると思っている人が大半です。

 古本屋は毎日神経を集中して自費出版本ツブしています。百冊に一冊くらいの割合で活かす本があるので、それを見つけなければなりません。これはホントにいい本です。いいから出版されなかったと思う程です。しかし一般的には編集者の目を通っていない本はまず駄目です。雑誌掲載で止めた方がよいでしょう。誰も読まない本など作っても意味がないのではないでしょうか。

 私の拙いブログ記事でも推定で毎日100~130人の訪問者があります。しかも常連さんが9割以上です。だからクリックするだけというのではないでしょう。濃淡の差はあれど、読まれていると思います。これは驚異的なことです。私の文は文字通り私の力量の反映ですから、それ以上のものは書けません。しかし読みやすい文を書くことには細心の注意を払っているつもりです。

 断言できますが、仮に地元岡山の「吉備人出版」さんが単行本『古本屋通信』の出版を引き受けてくれたとして、店売りで1000部売れることは絶対にあり得ません。たぶん100~150部でしょう。吉備人は県内配本ですから、これで100部。あと地方小出版流通センター経由で全国で50部です。これでは私はよいとしても、出版社は大赤字です。制作工程から配本・流通を考えるとウンザリします。8割返品などザラですから。総制作コストはたちどころに想定出来ます。出版社の損益分岐点の実売部数も。自費出版ならその全てを書き手が負担しなければなりません。もうそんな時代ではないですね。ネットの馬力100培です

 一つ追加します。先の参院選岡山選挙区に出た垣内京美さんの選挙中のブログ記事。実にいい文でした。しかし選挙が終われば「済んだ文」(賞味期限切れ)です。再読されないし、私も読もうとは思わない。つまり限定された状況の中でのみ光っているのです。垣内さんはこれを本にしようなど夢想だにしないでしょう。戦いの文とはそうしたものです。十年後二十年後、たまたま垣内さんの旧文が求められることがないとは言えません。その時はその時です。本の復刻なども予め想定できるものではありません。


 今回の追加文
 上記は少しエラそうに書いています。じつはこれ、戸坂潤の「ジャーナリズム」論が記憶に残っていて書いたのです。 戦後にかぎっても、書籍に所収されている論考の過半は各種の雑記を初出としています。純粋な学術論文の「紀要」を別にすると、雑誌に掲載される論考は時々の必要によって(求めに応じて)書かれるのです。後々に読まれることを期待して書かれるのは自費出版本だけでしょう。
 丸山真男と古在由重はふたりとも寡作です。かなり多くの著書がある丸山にしても、その著書の大半は彼の死の前後に出版社(編集者)が「作った」本なのです。丸山には正確には4冊の著書しかないと思います。古在など戦後は論文さえ殆んどありません。

 結論ですが、出来るだけ自分の文など残さないに越したことはないでしょう。それから自分が死んだあと、家族が遺稿集を出さないように遺言しておかなければなりません。これは最悪ですから。

 下記は社会学者で国学院大学教授の野村一夫氏の「ソキウス(Socius)」というサイトからの引用です。野村さんありがとうございます。


 ジャーナリスト的存在としての人間    野村一夫


 元来から云うと、一切の人間が、その人間的資格に於てジャーナリストでなくてはならぬ。人間が社会的動物だということは、この意味に於ては、人間がジャーナリスト的存在だということである。 (戸坂潤)

 
この一節は、1935年に戸坂潤が「ジャーナリズム論」という小論のなかで述べたものです。出典は次の通りです。

 『戸坂潤全集』第四巻(勁草書房1967年)156ページ。

 戸坂潤は、一般に唯物論哲学者であるとみなされていて、その信奉者でさえ(信奉者だからこそ?)社会学者とはだれも見ません。じっさい、かれ自身も社会学を唯物論の敵対者として想定し、ことあるごとに批判しています。しかし、そもそもかれが社会学批判をしなければならなかったのは、かれの思想上のテーマをすでに論じていたのが社会学者(たとえばマンハイム)だったからで、それはとりもなおさず、かれが社会学的問題圏に深く足を踏み入れていたことを意味します。しかも、かれ自身が社会学批判として提示した数々の論点には、かえって社会学の原点を確認するようなものも多く、その意味で、わたしはかれの社会学性をあえて高く評価しています。
 戸坂潤のそうした社会学性のひとつのあらわれが一連のジャーナリズム論です。かれにはアカデミズムとジャーナリズムをひとつの活動のふたつの現れとみなす発想があって、知識社会学的な視点の濃厚なジャーナリズム論になっています。このあたりについては、わたし自身期するところがあって、そのうちきちんとソキウスのなかで説明したいと思っています。
 それにしても、引用した一節は、まさにインターネット時代にふさわしいことばではないでしょうか。ジャーナリストというと、ごく一部の(庶民から見て)特権的な職業ジャーナリストを想像しますが、インターネット時代はマス・メディアというオールド・メディアのように送り手と受け手が固定されていませんから、早晩そのような概念はくずれることになるでしょう。マス・メディアによって行われるジャーナリズムについては受け手でしかありえなかったわたしたちも、インターネットにおいては能動的な送り手としてジャーナリズムに参加することができます。それは身近な地域の問題かもしれませんし、職務上知った業界の問題かもしれませんし、社会運動のなかで鍛えられた主張かもしれませんし、あるいは深い思索の末にたどりついた思想上の決断かもしれません。とにかく、そうしたもろもろの情報や知識を他者に伝えていく潜在能力をわたしたちはもっており、現に今やわたしたちはそれがかんたんにできるようになったわけです。
「見識ある市民」がたえず「ジャーナリスト的存在」であろうとして、それぞれの社会的位置に即したさまざまなコミュニケーションの実践--知る・聞く・見る・考える・言う・伝える--をしていくことによって、社会の「反省作用」が活発に作動することになります。社会は、そうした個人ひとりひとりの自省的行為を媒介としてその構造を変えていくことになります。戸坂潤のことばは、そういう「反省する社会」への展望をあたえてくれる一種の励ましのように思えます。
  1. 2013/12/28(土) 11:42:51|
  2. 未分類

がんばれ、すます伸子さん

古本屋通信   No 592   12月27日

 がんばれ、すます伸子さん


 待望の発表です。倉敷での議席を何としてでも。ひとりに絞って必勝です。がんばれ、須増さん、応援します。これ、たぶん22日の県党会議で正式決定だったろう。間違いない。
 ちょっと今、赤旗日刊紙で確認した。3人は「第1次分」だそう。ということは様子をみて追加もありうると。わたしゃ、倉敷にかぎってはひとりに絞るべきだと思うけどな。



県政へ再びチャレンジ 
すます伸子 倉敷地区政策委員長 前早島町議会議員
2013/12/24 15:15 

(右から氏平三穂子県議、森脇ひさき県議、すます伸子です)
2015年4月にせまった岡山県議会議員選挙に挑戦することになりました。
前回、共倒れで現有議席を失ってしまったこと大変申し訳なくおもってまいりました。この度、再度挑戦する機会をいただき、捲土重来を期して全力を尽くし、日本共産党のかけがえのない議席の奪還を目指しがんばります。
倉敷駅鉄道高架事業のような無駄遣いを許さず、暮らし、福祉、教育が大切にされ県民の願い届く県政めざしがんばります。
本日県庁の記者クラブにおいて、日本共産党の現職県議の二人とともに私も出馬の発表をしました。
(右から、末田市議、住寄市議、すます、田儀市議、田辺市議)
四人の倉敷市議とともにがんばります。
もちろん早島町の真鍋町議ともがんばります。



2013/12/24   たなべあきお
「県議候補に すますさん」  
本日岡山県庁で記者会見が行われ、2015年4月の岡山県議会議員の日本共産党の候補者が発表されました。
岡山北区は森脇ひさき県議(現職)中区は氏平美穂子県議(現職)で、わが倉敷市・都窪郡選挙区はすます伸子さんが挑戦します。
前回共倒れで失った議席をなんとしても取り戻す闘いです。すますさんを先頭に全力を挙げます。
  1. 2013/12/27(金) 07:29:12|
  2. 未分類

安倍政権、遂にここまで

古本屋通信   No 590   12月26日

  安倍政権、遂にここまで


 ここに来てなりふりかまわず暴走の安倍政権だが、公明党にも堪忍袋の緒が切れた。何処まで極右の安倍政権に付き合うんなら。創価学会の基礎票があるから何をしても大丈夫だと思ったら大間違いだ。下記の靖国、なんとか言ったらどうだ。これ、創価学会の死に通じるぞ(古本屋通信)。


毎日新聞  安倍首相:靖国神社に参拝 中韓の反発必至
2013年12月26日 11時40分

安倍晋三首相は政権発足1年を迎えた26日午前、東京・九段北の靖国神社を参拝した。現職首相の靖国神社参拝は2006年8月15日の小泉純一郎首相以来で7年4カ月ぶりとなる。首相は靖国神社参拝に意欲を示してきたが、中国、韓国との関係改善を優先し参拝を見送ってきた。参拝を受け、中韓両国は激しく反発。参拝の自制を求めてきた米国との関係にも影を落とすと見られ、日本外交全体に大きな影響を及ぼすのは必至だ。

 首相は参拝後、記者団に「尊い命を犠牲にしたご英霊に尊崇の念を表し、御霊(みたま)安らかなれ、と手を合わせた」と語った。在任1年となる26日に参拝した理由について「残念ながら参拝が政治、外交問題化している。その中で1年間の安倍政権の歩みを報告した。二度と戦争の惨禍で人々が苦しむことのない時代をつくるとの誓い、決意を伝えるためにこの日を選んだ」と説明した。

 中国、韓国からの反発に対しては「戦犯を崇拝する行為との誤解に基づく批判がある」と指摘したうえで「中国、韓国の人々の気持ちを傷つける考えはない。それは靖国神社を参拝した歴代の首相と全く同じ考えだ」と強調した。首相は外国人も含めた靖国神社に合祀(ごうし)されていない戦没者を慰霊する敷地内の「鎮霊社」にも現職首相として初めて参拝した。

 首相は午前11時半ごろ、首相官邸をモーニング姿で出発。靖国神社によると、首相は献花し、「内閣総理大臣 安倍晋三」と記帳した。首相周辺は「私的参拝」と語った。

 首相は昨年の自民党総裁選で「第1次安倍政権で首相在任中に参拝できなかったことは、痛恨の極みだ」と表明。その後も「国のために命をささげた方々に尊崇の念を表することは当然」などと繰り返し述べ、在任中の靖国参拝に強い意欲を示してきた。

 一方で、靖国神社参拝に強く反発している中韓両国との関係を優先し、4月の春季例大祭、8月の終戦記念日、10月の秋季例大祭とも参拝せず、真榊(まさかき)と呼ばれる供え物や玉串料の奉納にとどめてきた。だが、参拝を1年間見合わせたにもかかわらず、中韓との首脳会談のめどが立たないことから、靖国参拝を決断したものとみられる。

 近年の首相による靖国参拝としては、小泉首相が01〜06年まで計6回、毎年1度参拝。1996年には橋本龍太郎首相が参拝、宮沢喜一首相も92年に参拝している。【古本陽荘】


安倍首相の靖国参拝に抗議!
2013.12.26  福木京子 @ 20:04:40
今年は、この花を買いました。障がい者のみなさんが育てたシクラメン。絵手紙に描こうかな。(写真)
年末の差し迫った中、午前10時から議運。11時半から全協があった。急遽、明日臨時議会が開催される。議案は、控訴の提起について。12月21日新聞報道された件。新聞の見出しで、赤磐・土地購入めぐり名誉損なう  市に600万円支払い命令(地裁判決)とある。詳しいことは、明日お知らせします。

今日、昼のニュースで、安倍首相が靖国参拝したと目に飛び込んできた。何で突然参拝するのか 安倍首相の暴走を止めなければ・・・。強い怒りをもって抗議する!
さっそく、日本共産党の志位委員長は、国会内で記者会見をしています。靖国神社は、過去の日本軍国主義による侵略戦争を「自存自衛の正義のたたかい」「アジア開放の戦争」と美化し、宣伝することを存在意義とする特赦な施設です。
この施設に首相が参拝することは、侵略戦争を肯定・美化する立場に自らの身をおくということを、世界に向かって宣言することにほかなりません。・・・

戦争する国づくりへの暴走が始まっています。この暴走に歯止めがなくなり、やみくもな暴走になっているのが、現状だと思います。・・・

これは国民多数の声と真っ向から逆らうし、アジアと世界の流れにも逆らうものです。国民の世論と運動で大きく包囲して、暴走に待ったをかけ、破綻に追い込んでいきたいと決意しています
。と述べました。



12月26日(木)のつぶやき
@ishimura_t 20:03

ありえない!中国との関係を悪化させようとしてるとしか思えない。

古本屋通信
???  ウ~ン、 ちょっと違うんだな。なにも安倍は中国との関係悪化を自己目的にしているわけじゃあないでしょう。赤旗をよく読みなさい。 ブル新、例えば上記の毎日しか読まないからピントはずれになる。赤旗を読みなさい、赤旗を。 志位さんと違うでしょうが、言ってることが。
  1. 2013/12/26(木) 15:40:04|
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東大五月祭

古本屋通信   No 586  12月25日

  東大五月祭



 東京大学の大学祭は五月祭と呼ばれる。これは本郷の大学祭である。教養部駒場の大学祭もあり、こちらは駒場祭と呼ばれるが、一般には五月祭のほうが有名である。今日は1973年の五月祭パンフレットを紹介する.

 統一テーマ
 奪われた地球を
 そして人間を
 溢れでる歴史形成の
 急流にのって
 とりもどせ
 破壊者の手から
 視よ!
 揺れ動く象牙の塔は
 冷厳なる真実の前に
 朽ちかかり
 われらの大学
 われらの学問をめざす
 建築の営みが
 もう始まっている



Ⅰ 現代世界に歴史的展望を  今こそ聞けベトナムの叫び!

 26日 ベトナム協定の示すもの
  鍛治利秀(弁護士)
   岡倉古志郎(国際政治学者)
   江口朴郎(本学名誉教授・歴史学者)

 27日 国際通貨危機と現代の世界 
   林直道(大阪市大教授
   今宮謙二(中央大学助教授)
   北田芳治(東京経済大教授)

 27日
 大ティーチイン 「ベトナムの生活思想科学」

   第一部 映画  サイゴンの少女ニュン
             あの人の生きたように
             ラオス解放区
   第二部  ティーチイン  (出席者)
             吉沢南(東京都立大)
             睦井三郎(アメリカ研究者)
             芝田進午(法政大教授)
             ベトナムの平和と統一を願う留学生の会
             吉田嘉清(支援センター)


Ⅱ 日本  その巨大な矛盾へ根源的な問いを!

 27日 安保・基地・自衛隊  着々とすすむ日本の反動化 

             長谷川正安(名古屋大教授・憲法)
             藤井松一(立命館大教授・歴史)
             吉原公一郎(作家)
             飛鳥田一雄(横浜市長)

 26日  「日本列島改造」を暴く
             
             金子ハルオ(東京都立大教授)
             川上正道(東京経済大教授)
             重富健一(東洋大教授)
             工藤晃(日本共産党中央委員)



特別企画  東京大空襲と私  ベトナムに思いをよせる   早乙女勝元


Ⅲ  転換をかちとる力 70年代と統一戦線

  大ティーチイン  統一戦線の実現をめざして
         田口富久治(明治大教授・政治学
           伊藤茂(社会党国民運動局長)
           津金佑近(共産党統一戦線部長)
           単産委員長(予定)    

  合同ディスカッション 現代青春論  青年の生き方を考える
           真下信一(多摩美術大学学長)
           竹内真一(明治学院大学教授)
           山田洋次(映画監督)予定
           榊原ユミ(女優)
           大西赤人(作家)
           青年労働者(国労立川)

  五党討論会  政権構想をめぐって
           自民党  西岡武夫
           社会党  高沢寅男が
           共産党  中島武敏
           公明党  渡部一郎
           民社党  永末英一



 まだ延々と続くから、追って加えていきますが、まあよくもここまで、民青天下のやり放題、ホンマに東大民青、強かった。参った、参った。
  1. 2013/12/25(水) 02:38:52|
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上りの県党会議、開かれる

古本屋通信   No 584  12月23日

  上り(のぼり)の県党会議、開かれる


 昨日、日本共産党第26回党大会に向けた岡山県党会議が開かれた模様である。これに地区選出の代議員として参加したらしい福木京子さん(赤磐市議)の昨日のブログ記事から、該当部分を抽出して転載させて戴く。福木さん、お世話になります、ありがとう。


 吉備中央町で一日中会議
 2013.12.22  福木京子
吉備中央町にある吉備プラザの建物。看板が大分古くなっていた。昭和61年3月竣工となっていた。
この周辺の宅地は、20数年も経っているのに、入居率が低いようだ。(写真)

午前10時半から午後5時半まで、吉備中央町の吉備プラザで会議があり、県下各地から代表が参加した。
最初に、I 県委員長から第26回党大会決議案についての報告があり、その決議案に賛成し、実践している立場から、各地でがんばっている同志の発言があった。
わが支部のS同志も、参院選や秘密保護法案反対の運動の経験を語った。たくさんの方の発言から大いに学んで、来年の第26回党大会を成功させるため、引き続いてがんばりたい。

 以下、古本屋通信
 私は福木さんの記事は、こういう党内問題に触れた文でも安心して読むことが出来る。決して党規約違反になるような事を書かないからだ。それでいて、党外に知らせてもよい事は手短に書いてくれる。然しこれ、ほんとは県委員会のHPに即日載せてもよいことではないだろうか。ま、それは措いて、ひとこと感想を。
 引用の前半は関係がないようで私には面白かったので載せた。私は県党会議が何処で開催されるのか知らなかったのだ。写真まで載っている。しかし福木さん、これだけは大丈夫? 石井県委員長に叱られない? それでいて、「I 県委員長」なんだから、ちょっと可笑しかった。でも下りの県党会議は場所を変えるから、盗聴器が仕掛けられる心配はないか。

 
私の希望は大会代議員にだれが選ばれたか知ることだ。しかしこれは党内でも今日の会議の参加者以外には秘密だろう。当然だ。でないと、論理的には大会決議案の賛否で意見が割れた場合、大会代議員個人に向けて多数派工作が可能になってしまう。いや、そうでないと何時まで経っても党大会に少数意見が反映されない、という面もある。石崎さんあたりが民主集中制を批判する意見とも相まって微妙だろう。

 ま、ともあれ党大会の成功を。私は福木ブログに悪乗りしてアレコレは書かない。それが礼儀であろう。

 蛇足
 私が福木さんを誉めすぎだという内々の声があった。おんなに甘いそうだ。言い訳にひとつだけケチをつけたい。引用文の赤文字「実践している立場」は「実践する立場」が正しいのでは? 大会議案は未採択である。間違っているかもしれない決議案をいまから実践してはならない。せいぜい心意気を示すに止めるべきであろう。


 ところで、所変わればひと変わる。もうひとりの市議さん、福山の、いや今日は広島県の河村ひろ子さんということにしておきましょう。女の子ちゃんが可愛い。冒頭の二つの会議、明示するもよし、しないもよし。


やりがいがありますね~
2013-12-22 :  河村ひろ子


今日は会議を二つかけめぐり
今の政治をどのように変えていくか
みなさんと、あれこれ熱く語り合いました
国の政治も悪いのですが
福山市政も、福祉削り・厳しい教育・環境問題などなど
課題は山積み!状態です

(やっと今日、クリスマスツリーを出しました) ここに親子2人の写真

今年から、長寿祝い金が縮小されました
70歳以上の高齢者のがん検診が有料化され
今年の6月で、福山市重症心身障害者福祉年金が廃止
4月から日常生活支援総合事業が始まってしまい(介護保険外サービス)
保育所を公立から私立へと、民営化も進んでいます
学校教育は厳しい「生徒指導規程」のため
窮屈な学校生活になり
学校の先生は超多忙です
スマート・インターチェンジの設置や
福山道路など大型道路建設まっしぐら!
・・・とまあ、あげれば切りがないのですが
取り組むことがいっぱいで、やりがいがありますね~(^^;
さて、今日は娘と一緒にクリスマス・ツリーを出しました
息子の誕生日も間近です(12月24日)
  1. 2013/12/23(月) 05:33:46|
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日朝問題

古本屋通信   No 583  12月22日

  日朝問題


 私の [通信 No 581 土佐高知さんの「北」記事] に対し、元東大民青さんの以下の投稿があった。私の文は土佐高知さんを軽く(皮肉っぽく)批判したものだったが、元東大民青さんの文はこれに止まらない論点があるので、ここに新たなエントリーをたてた。


日本と朝鮮の問題として、「対話の言語が共有されていない」「対話ができる人材がいない」ということが、日本共産党も含めて重要問題なんですね。
かつては朝鮮労働党と日本社会党の友党関係があり、朝鮮労働党の立場を理解する人々がいた。しかし日本社会党が壊滅した後は、そのような人々はいなくなり、ごく一部のチュチェ派や日朝友好運動勢力やアントニオ猪木参議院議員のような友好人士を除けば、みんな「反北」の報道しかなく、日本人が「北」の現実を理解できないという現象が(日本共産党の党員・支持者を含めて)起こっています。
私から見れば萩原遼は最低最悪のプロパガンダ要員で、彼を日本共産党が除籍したのは遅きに失したのだけれども、残念ながら党内でもまだ彼を信用している人々が少なくないようだ。その悪影響が「正気の沙汰ではない」土佐高知さんに見てとれます。
写真集『隣人。38度線の北』(徳間書店)を撮影した初沢亜利さんがインタビューに答えています。

http://diamond.jp/articles/-/33325
ウォッチャーの人たちは、みんな本音のところでは北朝鮮が好きなんですよ。そうでないと何十年と執着し続けないでしょう。一方で、北東アジアの平和と安定についても真剣に取り組んでいるので、「結局は対話以外にあり得ない」という結論になるんでしょうね。ただ、テレビでそれを言っても商売にならないというのも事実で、結果として彼ら自身が反北朝鮮ナショナリズムを煽っている部分があるのかな、と思うことはあります。

この日本における「北」に対する言論空間は、「北」から見れば異様なものとして映ります。
http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090525/1243237413
ひとりの女子学生が、私たちにこんな質問をした。
「私たちは日本と仲良くしようとしているのに、日本のマスコミはなぜ反共和国的な報道ばかりするのですか?」

とこのように、日本側の認識と「北」側の認識が完全に隔絶してしまっている点に問題があります。
最大の問題は、日本のマスコミのセンセーショナリズムとそれに無批判な大衆にあると思います。マスコミのセンセーショナリズムは、どこの資本主義国であれある程度は共通するものでしょうが。

それに、日本と「北」の政治体制が全く異なるものであることを考慮に入れず、日本の大衆が「反北」感情を抱けば、何でもかんでも「植民地主義的差別意識」につなげてしまう「友好人士」にも一定の責任はあるでしょう。
2013/12/22(日) 17:54:15 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]  


 以下、古本屋通信

 はじめに一寸関係ないような私の前おきの文を我慢して読んで下さい。
 昨日、『読売報道写真集』の1967年~1974年、各年度版を手に入れてザッと見たのですが、まるでゴロツキですね。写真は新聞本紙に使用したのを集めて一冊にしたものです。写真を見れば新聞の文を見なくても分かります。とにかく左派的なもの、リベラルな傾向のものに対する嘲笑、憎悪です。『朝日』や『毎日』はここまで酷くはなかった。とにかく『読売』が酷い。で、各年度ごとにずっと見て行きました。1972年版に「ニクソン、世紀の訪中」の写真があり、「世界に登場した中国」があった。まあ、ここまではよい。そのすぐ下に何と・・・・。

 (金日成が四人の朝鮮女性に微笑みかけて手を差し伸べている写真とともに)以下の文がありました。ゴロツキ新聞の『読売』に、です。
 近くて親しい国に・・・・「72年は朝鮮と日本の友好の年にしよう」ー新年を子どもたちと迎えるため平壌の「学生少年宮殿」にやってきた金日成朝鮮民主主義人民共和国首相は、こう力強く語った。新しい年は「近くて遠い国」の雪解けがさらに進むであろう。

 この写真・文がゴロツキの写真・文と共存しているのです。ブル・メディアというのは外国報道において、寝返るのが急速です。中国の呼称はこのちょっと前まで戦後30年ちかくの間ずっと「中共」でした。「中国」なんて呼ばなかった。それは台湾のことでした。日中国交回復でコロッと変わります。朝鮮はそれまで赤い中共の子分の「赤いチョゴリの国」でした。それが日中国交回復の親中国ブームの副産物として上記の写真・文があったのでしょう。

 しかし、上記の『読売』の写真・文は、日本の支配階級の意図を読み違えた一過性のものでした。米日「韓」三国軍事同盟を維持しつつも、日本の支配層は(米のアジア戦略の変更に伴なって)新たな仮想敵国が必要だったからです。日本の敵は中国から朝鮮半島の北半分の国に変わります。それが以来40年続いています。


仰るとおり対話が出来ないことが一番の問題です。かつては朝鮮労働党と日本社会党と対話が出来ていた。いや、その前には朝鮮労働党や朝鮮総連と日本共産党は対話どころか、友誼団体と言ってもよかった。日本共産党系列の日本のすべての団体は朝鮮総連と仲よしでした。私自身も朝鮮大学校に行ったことがあります。「平壌は心のふるさと」は全学連の愛唱歌でした。四国の大学時代、上り下りの地区党会議、県党会議、それに民青の大きな会議にはいつも朝鮮会館の会議室を借りていました。ただ同然に安かった。朝鮮の青年同盟と合同で朝鮮語の勉強をしたこともあります。日朝協会は大学にもあり、やはり朝鮮会館で会議をしていました。しかしそれぞれの立場の違いは認識しており、党や民青の会議に朝鮮の青年が加わることはありませんでした。

 ただこの頃、日本の我々にも朝鮮の青年にも、「本国」についての事実に基づいた正確な認識がなかったのはたしかです。情報が一方的でしたから。私はかれらの国を「地上の楽園」だとは思っていませんでしたが、そういう風に宣伝する人もいましたし、共産党中央の情報でも、毛沢東路線の誤りが明らかになった中で、朝鮮の社会主義建設は自力更生で素晴らしいものだというものもありました。非同盟国という点でも(ユーゴやベトナムと並べて)評価していました。私の近所の民主会館を拠点に今もA・A連帯会議という非同盟運動がありますが、これなど朝鮮の非同盟を高く評価していました。1970年代までそうでした。

 その対話が途切れた主要な責任が日本の党にあるのか、それとも朝鮮側にあるのか私は断定的にいうことは出来ないのですが、その背景の事件はありました。大韓航空機爆破事件です。真由美事件です。これで風向きが大きく変わります。日本共産党は宮本顕治がじきじきに(心証として)「北がやったと思う」と言いました。いま調べたら1987年でした。「北」は怒りました。当然でしょう。当時私は日本共産党の態度を両党間の仁義にもとる許しがたい態度だと非難した記憶があります。「心証」でモノを言うような問題ではないからです。然し航空機の爆破はいったい誰が実行したかという問題は残りました。「北」は「南の自作自演」というものでした。しかし日本ではこれまで「北」に好意的だった人も離れていきます。私もその一人でした。

 さらに私はここで一人のキーパーソンを挙げることが出来ます。萩原遼です。かれの歩みは私にはとても面白かったのです。結論だけいえば、最終的には私は萩原が反共主義者に転落したと断定しました。然しそれはとても遅く、深田祐介と共著の『北朝鮮・狂気の正体 金王朝の謀略と崩壊の行方』を扶桑社から上梓した2003年ごろです。これではどうしようもないと。それまで私はかれの熱心な読者だったのです。朝鮮戦争の発端の責任がそれまでの通説通りではなかったかもしれないなど。この点では日本共産党の朝鮮戦争についての「見解の変更」は、主要には萩原の「研究」に依拠しています。

 現時点でみれば「萩原遼が最低最悪のプロパガンダ要員」であることに私は同意します。しかし萩原が大きく右旋回した、その旋回を促進したものが「北」の体制であったことも事実でしょう。これは一寸金をもらって売文している反共主義者の深田らとは違うと。ただ、それにも拘らずかれが拉致キャンペーンの急先鋒であることには変わりなく、その点では有田芳生や横田さん2人ともども私とは相容れないと思っています。


書き足すことはまだありそうですが、ひとまず休憩します。上記を部分的に修正するかも知れません。またパソコンの印字が困難になってきたのです。店に行かなくてはならなくなりました。
  1. 2013/12/22(日) 18:18:14|
  2. 未分類

土佐高知さんの記事

古本屋通信   No 581  12月21日

  土佐高知さんの「北」記事


 古本屋通信は何時のときにも国際問題には慎重だが、とりわけ朝鮮人民民主主義共和国については口を開きたくない気持ちが強い。それは情報源が殆んどブル・メディアに限られており、私がそれを(とりわけ朝鮮情報に関して)全く信用していないからである。知られる通り今回も「韓国」経由の、いわば敵対国経由の情報が大半である。朝鮮人民民主主義共和国に特派員を派遣していない(派遣できない)のだから、他人の情報の切り売りにならざるを得ない。赤旗だって萩原遼特派員を最後に「北の現地」と切れている。そういう謂わば情報の「空白」の中でモノを言いたくない気持ちが強いのは当然だろう。極端には「処刑の映像」でさえも作為的に合成された、あるいは変形された映像でないという保証はないのだ(古本屋通信)。
 
 これだけイントロを付して、久しぶりに訪問した土佐高知さんの「北」エントリーを、3人の常連のコメントとともに転載する。私の感想は末尾に少しだけ付ける(古本屋通信)。


 獣に支配された北朝鮮を解放せよ  土佐高知 
 北朝鮮の三代目・金正恩氏の叔父で、張成沢国防委員会前副委員長が処刑された。解任・逮捕から上告なしの軍事裁判で死刑判決後即日処刑とは、この国は文明国とは到底言えない。
しかも処刑方法が、公開で機関銃を撃ち込んで原形を止めないほど遺体を損傷させるものだったとか、120匹の猟犬にかみ殺させたものだったとかの情報を聞くたびにおぞましさが募る。
しかもその模様を金正恩氏ら300人が「鑑賞していた」との情報もあるのに及ぶと、この国は野蛮国家との思いを強くする。
政敵の処刑を鑑賞していたことで思い当たるのがヒトラー。
1944年、国防軍の一部がヒトラー暗殺未遂を行ったとき、犯人の一部はピアノ線で吊るされ、時間をかけて絞殺する残虐な方法で絞首刑にされた。
その処刑の模様は映像に記録され、ヒトラーの鑑賞に供されたという。
独裁者の性なのか。
唾棄すべき嗜好である。
そのヒトラーは哀れな末路を迎えたが、金正恩にも似たような末路が訪れるのではないか。
獣のような「指導者」から北朝鮮人民を解放するにはどうすればいいか、国際社会は真剣に考えるべき刻だろう。

*Comment

 NoTitle
 朝鮮民族の遺伝子は変わりません。無駄な努力! posted by 特定日本人 URL 2013.12/17 07:47分 [Edit]


 悪ガキのやることなすことは同じ
 北朝鮮に関する情報については、私の知る限りでは『河信基の深読み』というブログが最も信用がおける内容ですね。週刊誌や新聞社の情報はほとんど当てになりません。
 さて、北朝鮮の現政権ですが、いずれ崩壊の時を迎えるでしょう。北朝鮮の後見人的立場と言われる中国でさえ金正恩政権を見限っているようです。中国も素行不良の部下をいつまでも庇い続けるほど馬鹿ではありませんから。場合によっては米韓ではなく中国が金正恩政権を潰す物理的力を真っ先に行使するかもしれません。「北朝鮮の同盟国の中国がそんなことをするばずがない」と思うかもしれませんが、同盟国だろうとなんだろうと素行不良の政権や全く使えない政権を野放図にしておくほど優しくはないですよ。
 今回の事件の本質は、北朝鮮の経済再建のためには諸外国の経済協力が不可欠と考え、そのためには核放棄もありとする国際協調派とあくまでも核に固執する軍部を中心とする対外強硬派の対立の中で強硬派が協調派を潰しにかかったということでしょうが、協調派とパイプを持っていた中国は黙っていないでしょう。「いきなり」はないでしょうが、軍部独裁の北朝鮮がどうにも言うことを聞かないとなれば、繰り返しになりますが、中国が軍事力で北朝鮮の政権を潰しにいくこともあり得るでしょう。
 ちなみ安倍は金正恩を反面教師にしないといけませんね。安倍は日本を北朝鮮のような国にしようとしている。「アメリカは同盟国だからどんな時でも日本を支持してくれる」なんて思っていたら大間違い。中国が悪ガキの金正恩政権を許さないと思っているのと同様に、安倍も悪ガキぶりの度が過ぎればアメリカも許さないでしょう。posted by 万物流転 URL 2013.12/17 09:25分 [Edit]


 驚きました。
 今回の出来事。
まさに、独裁者ですね。今後も粛正の嵐は吹き荒れるのか、、、。
公開処刑で思い出したのですが、戦時中、日本も中国で数多の公開処刑を行っていましたね。
日本人の軍人、軍属、その家族(日傘をさして見物する婦人、子供を含む)が大勢見物する中で刀で断頭されている数人の中国人?が写されている写真を見た事があります。首筋から血を噴き出している瞬間も写っていましたし、地面に転がっている首も写っていました。
今回の件についても「朝鮮民族」云々というより、そのような体制がそうさせているのであって、ある民族だけを差別して見るという事は、自らも同じ過ちを犯してしまう事になる可能性がありますね。 大げさだけど、人類の歴史を振り返ってみれば、日本人がどこから来たのか、そして、中世(?)以降、大陸〜半島から多くの渡来人が日本に入って来ています。「特定日本人」さんも何代か遡れば半島の血が入っている事だって十分考えられます。 posted by 阿波太郎  URL 2013.12/18 10:39分 [Edit]


 以下、古本屋通信

 土佐高知さんの感情的な反応がいただけない。とりわけ結びの「獣のような指導者から北朝鮮人民を解放するにはどうすればいいか、国際社会は真剣に考えるべき刻だろう」に至っては、「反宮廷革命をこの地に輸出せよ」と呼びかけているように聞こえる。頭に血が上ったのだろうが、正気の沙汰ではない。見てきたような「刑場の様子」の描写も全部不確かな「情報」の伝聞で、「反北キャンペーン」と符合する。だいいち、処刑の方法など2次的、3次的であり、そういう「情報」にこだわっている時点で、既に冷静な分析能力を失っている。まあ、軽薄だね。共産党中央はたぶんもう少し冷静だろう。このレベルだと、いくらアクセスが多くても、古本屋通信は土佐高知さんのサイトのレベルを完全に越えてるね。スミマセン。

 コメントの中では万物流転さんの、私が青字に変換した部分は情報としては傾聴に値すると思います。その真偽は検証してみないと分かりませんが、こういう断片的な情報を収集して蓄積していくしかないでしょう。私は早々に「河信基の深読み」さんを訪問するつもりです。



参考 ウィキペディア記事
萩原遼(はぎわら りょう)
ペンネーム  渋谷 仙太郎(しぶや せんたろう) 井出 愚樹(いで ぐじゅ)
誕生 1937年  高知県  職業 作家、ジャーナリスト
国籍 日本  最終学歴 大阪外国語大学朝鮮語学科卒業
活動期間 1980年 -
主題 北朝鮮・韓国情勢、文学
代表作 『北朝鮮に消えた友と私の物語』
主な受賞歴 第30回大宅壮一ノンフィクション賞
処女作 『淫教のメシア文鮮明伝』
萩原 遼(はぎわら りょう、1937年(昭和12年) - )は、日本のフリーランスジャーナリスト。北朝鮮報道で知られる。また、渋谷 仙太郎のペンネームで金芝河の詩を翻訳したり、井出 愚樹(いで ぐじゅ)の名義での韓国情勢や文学に関する著訳書もある。日本共産党の永年党員(党員歴30年以上)であったが、除籍された。本人は「不当な除籍であり、取り消しをもとめていく」としている。

略歴[編集]
高知県生まれ。立命館大学元教授の木津川計は実兄。17歳の時に経済的理由から地元の高校を中退して上阪、住み込みの牛乳配達などをして働き、1年後に大阪府立天王寺高等学校定時制に編入[1]。その時に同級生となった在日朝鮮人と親交を深めて、朝鮮語の学習を強く希望し、天理大学朝鮮語学科を受験するも失敗。共産党には18歳の時に入党[1]。1963年、26歳の時に、大阪外国語大学に新設された朝鮮語学科に第一期生として入学[1]。大学卒業後、『赤旗』(現「しんぶん赤旗」)平壌特派員として勤務(1972年(昭和47年) - 1973年(昭和48年))する。そのとき、1959年(昭和34年)12月14日から始まった帰国運動によって北朝鮮に帰った在日朝鮮人の親友を捜し回ったことが原因で、北朝鮮から国外追放となる。

以後、『赤旗』外信部で勤務するも、日本共産党指導部の路線と合わなくなり、説明もなく赤旗記者を解任される。これを機に1988年(平成元年)末に、赤旗を退職、フリーとなり、アメリカに旅立つ。

このとき、米国公文書館の資料を(朝鮮戦争のとき、米軍が没収した朝鮮労働党と朝鮮人民軍などの資料を3年の歳月をかけて)綿密に調べ挙げ、まとめた作品が『朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀』である。ソ連崩壊後に出てきた資料よりも前に、北朝鮮だけの資料に基づき、朝鮮戦争が北から仕掛けたということを明らかにした。

1994年(平成6年)2月、1960年から84年にかけて日本から北朝鮮に帰国した10万人の在日朝鮮・韓国人と日本妻(夫)達の悲惨な現状を救おうと、小川晴久元東京大学教授、金民柱元朝鮮総連幹部らとともに北朝鮮帰国者の生命 (いのち) と人権を守る会を結成。現在に至る。1999年には『北朝鮮に消えた友と私の物語』で第30回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

「赤旗」退職後から“元赤旗特派員”の肩書きで共産党を繰り返し誹謗したという理由で、党規違反により2005年(平成17年)除籍。萩原は著書などで金正日政権と日本共産党の関係を批判する等していたため北朝鮮拉致事件が話題を集め東京都議会選挙目前のタイミングでの除籍は物議をかもした。士別市の政治活動家国忠崇史と親交がある。

2010年(平成22年)、「星への歩み出版」から、朝鮮学校で使われている歴史教科書を日本語に翻訳したものを出版。朝鮮学校を「虚偽を教育の柱としている機関」「教育に政治を持ち込んでいるのは朝鮮総連」と批判し、保守派とともに朝鮮学校への日本の公費助成に反対している。

単著[編集]
『淫教のメシア・文鮮明伝』 萩原遼編、晩声社、1980年3月。
『民主主義よ君のもとに 韓国全斗煥体制下の民衆』 新日本出版社、1986年10月。ISBN 4-406-01454-3。
『ソウルと平壌』 大月書店、1989年10月。ISBN 4-272-21054-8。 『ソウルと平壌』 文藝春秋〈文春文庫〉、1998年10月。ISBN 4-16-726004-2。 - 『ソウルと平壌』(大月書店、1989年刊)の増補版。

『朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀』 文藝春秋、1993年12月。ISBN 4-16-348310-1。 『朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀』 文藝春秋〈文春文庫〉、1997年6月。ISBN 4-16-726003-4。

『「朝鮮戦争」取材ノート』 かもがわ出版、1995年6月。ISBN 4-87699-183-9。 『朝鮮と私 旅のノート』 文藝春秋〈文春文庫〉、2000年4月。ISBN 4-16-726005-0。 - 『「朝鮮戦争」取材ノート』(かもがわ出版、1995年刊)の増補版。

『北朝鮮に消えた友と私の物語』 文藝春秋、1998年11月。ISBN 4-16-354590-5。 『北朝鮮に消えた友と私の物語』 文藝春秋〈文春文庫〉、2001年5月。ISBN 4-16-726006-9。

『拉致と核と餓死の国北朝鮮』 文藝春秋〈文春新書〉、2003年3月。ISBN 4-16-660306-X。
『金正日隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く』 文藝春秋、2004年11月。ISBN 4-16-366480-7。 『金正日隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く』 文藝春秋〈文春文庫〉、2006年11月。ISBN 4-16-726007-7。

『北朝鮮 金王朝の真実』 祥伝社、2012年3月。ISBN 4-396-11271-4。

共著[編集]
深田祐介共著 『北朝鮮・狂気の正体 金王朝の謀略と崩壊の行方』 扶桑社、2003年1月。ISBN 4-594-03854-9。
井沢元彦共著 『朝鮮学校「歴史教科書」を読む』 祥伝社〈祥伝社新書 = SHODENSHA SHINSHO 257〉、2011年11月。ISBN 978-4-396-11257-8。

翻訳[編集]
金芝河 『長い暗闇の彼方に』 中央公論社<絶版>ペンネーム:渋谷仙太郎、1971年12月。ISBN ?。
李恒九 『小説 金日成』上、文藝春秋、1994年9月。ISBN 4-16-315090-0。
李恒九 『小説 金日成』下、文藝春秋、1994年9月。ISBN 4-16-315100-1。
黄長燁 『金正日への宣戦布告 黄長燁回顧録』 文藝春秋、1999年2月。ISBN 4-16-354980-3。 黄長燁 『金正日への宣戦布告 黄長燁回顧録』 文藝春秋〈文春文庫〉、2001年4月。ISBN 4-16-765105-X。

黄長燁 『狂犬におびえるな 続・金正日への宣戦布告』 文藝春秋、2000年1月。ISBN 4-16-355960-4。
成蕙琅 『北朝鮮はるかなり 金正日官邸で暮らした20年』上、文藝春秋、2001年2月。ISBN 4-16-357160-4。
成蕙琅 『北朝鮮はるかなり 金正日官邸で暮らした20年』下、文藝春秋、2001年2月。ISBN 4-16-357170-1。 成蕙琅 『北朝鮮はるかなり 金正日官邸で暮らした20年』 文藝春秋〈文春文庫〉、2003年2月。ISBN 4-16-765131-9。

尹大日 『北朝鮮・国家安全保衛部 金王朝を支える恐怖の人民抑圧システム』 文藝春秋、2003年4月。ISBN 4-16-359620-8。

その他出版活動[編集]
関貴星 『楽園の夢破れて』 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会関西支部、1997年3月。ISBN 4-7505-9708-2。 - 1700円。『楽園の夢破れて 北朝鮮の真相』(全貌社、1962年刊)の復刻版。
萩原遼 『米国・国立公文書館所蔵 北朝鮮の極秘資料』上・中・下、夏の書房、1998年。ISBN 978-4-88853-014-9。 - 3巻 30万円 限定50部。自費出版。2008年3月、第2版発行。 上巻「ソ連占領下の北朝鮮と朝鮮共産党」ISBN 978-4-88853-011-8
中巻「朝鮮戦争を準備する北朝鮮」ISBN 978-4-88853-012-5
下巻「南進から平壌陥落まで」ISBN 978-4-88853-013-2

『脱北帰国者』 北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会、2007年。 - 700円、限定2000部。
『光射せ!』創刊1号 北朝鮮収容所国家からの解放を目指す理論誌、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会、2007年12月 - 。 - 900円 限定1000部。 1.2号(2008年10月3日)
2.3号(2009年 4月18日)
3.4号(2009年12月10日)
4.5号(2010年 7月10日)
5.6号(2010年12月 6日)
6.7号(2011年 6月 6日)
7.8号(2011年12月 6日)
8.9号(2012年 6月 5日)
9.10号(2012年12月 1日)

『朝鮮高級学校教科書 現代朝鮮歴史(日本語訳)高級1』1、朝鮮高校への税金投入に反対する専門家の会、星への歩み出版、2010年。
『朝鮮高級学校教科書 現代朝鮮歴史(日本語訳)高級2』2、朝鮮高校への税金投入に反対する専門家の会、星への歩み出版、2010年。
『朝鮮高級学校教科書 現代朝鮮歴史(日本語訳)高級3』3、朝鮮高校への税金投入に反対する専門家の会、星への歩み出版、2010年。
『朝鮮中級学校教科書 朝鮮歴史(日本語訳)中級2-3』3、朝鮮高校への税金投入に反対する専門家の会、星への歩み出版、2011年。

外部リンク[編集]
萩原遼のソウル日記 (萩原本人作成のブログ)
かるめぎ (北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 公式Webページ)
hagiryo 萩原 遼 新研究室へようこそ! (公式Webページ)
hagiryo 萩原 遼 研究室へようこそ!(旧・公式Webページ)
萩原遼氏を除籍 (しんぶん赤旗)
星への歩み出版 - BIGLOBEウェブリブログ
  1. 2013/12/21(土) 06:43:15|
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