古本屋通信

続・大昔の 『前衛』

古本屋通信  No 328 7月30日

  続・大昔の 『前衛』

 あいだにNo 327 が入ったので、新しい項目を立てたが、以下は No 326 の続きである。

第54号 1951年 1月号
平和と独立の全面講和へ (大道寺滋)  当面する労働階級の闘争 (党臨時中央指導部)  大衆行動の新しい発展に当って (木村三郎)  機関紙の問題 (機関紙誌活動について、宣伝・組織活動の統一としての機関紙の方向、細胞新聞の質的発展のために)  戦時体制下の日本経済 (西村恭平)  発展する社会主義・人民民主主義陣営とくずれゆく資本主義陣営 (田中信一)  インド共産党の自己批判  レーニン・スターリン党の組織的陣営強化闘争 (ヴエ・シウラエフ)

第55号 1951年 2月号
ポツダム宣言による全面講和と全占領軍の撤退 (輪田一造)  国民運動としての全面講和投票 (内野竹千代)  国会闘争と大衆闘争 (河田賢治)  スパイ・挑発者との闘争 (党臨時中央指導部統制委員会)  農民闘争における貧農の指導権 (渡部豊治)  部落を基礎とする農民の自衛態勢 (山口武秀)  ビルマにおける反帝民主民族戦線の成立過程 (深澤盛人) 中国人民は要求する (伍修権) 中国人民の自衛闘争の発端 (日比野一策)

第58号 1951年 5月号
平和と独立のため、全面講和とそれによる全占領軍撤退、再軍備反対の闘争を訴える (臨時中央指導部) 分派主義者にかんする決議 (第四回全国協議会)  日本共産党規約草案 (第四回全国協議会)  平和擁護闘争の立ちおくれを克服するために (内野竹千代)  ふたたび全面講和闘争と統一委員会活動について (林浩太郎)  日米経済協力の正体 (風早八十二)

第60号 1951年 7月号
(省略)
古本屋通信より
50年分裂時の所感派の論稿をコピーするのがアホらしくなった。すでに決着済みだからである。その中でも愚の骨頂なのが文学関係なのだが、最たるものが、この号に掲載された「徳永自己批判書」だろう。これは戦前・戦後のかれの文学的業績の全てを一瞬にして無にするような愚行だった。まことに恥しい文だが、証拠物件として少し転載しようか。( けっこう長文なので別にエントリーを立てることにした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・やっぱ、読み返すほどアホらしくなった。これが物書きの文か。とても読めん。
 
同志徳永直の自己批判について   日本共産党臨時中央指導部

私の自己批判      徳永直
  1. 2013/07/30(火) 03:11:48|
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通信No 319 の削除について

古本屋通信  No 327 7月29日

  通信 No 319 の削除について


 古本屋通信 No319 [大阪の辰巳孝太郎クンと京都の倉林明子さんへ] について、左党さんから本日 18:50 に以下の投稿があった。

 倉林さんの父親は町議をしてましたし、孝太郎さんの父親は元市議です。選挙区の3人とも「二世」です。志位さんも。
 あと孝太郎さんはタレント出身ではないです。元芸人の清水ただしさんと混同してます。

 左党さん、どうも有難うございました。前半部分の倉林さんと孝太郎さんのお父さんのことは知りませんでした。吉良さんのお父さんのことは今回の選挙のあとで知りました。志位さんのお父さんのことは知っていました。志位さんが語っていましたから。
 後半は完全に私の間違いでした。孝太郎さんとブログ読者のみなさんに、私の軽率から誤った記事を書いて伝えた事をお詫びします。
 倉林さんについて書いた部分は誤りではありませんが、タイトルにあるように、大阪、京都の当選者2人を纏めて槍玉にあげた記事でした。だから一方だけ残すのではインパクトは薄れてしまいます。熟慮の結果、No319 の記事の全文を削除することにしました。正式のブログからは消しますが、資料としてNo1 のあとの資料収納庫に残します。出入りは自由ですので自由にお入りください。

 以上の私の措置とは別に、こうして見ると、共産党も完全に「二世」の時代に入っていますね。勿論これは保守の世襲とは全く違いますし、両親が党員の子供が党員になることは望ましいことには違いありません。然し党員の供給源が党員の親の子供に限定される時代ということになれば、困ったこととも言えます。岡山で活躍中の議員さんや専従にも「二世」がおられます。日本では、旧社会主義国とちがって、「二世」党員に何の特権がある訳でもありませんが、それでも活動を進めていく時、自分の特殊な出自から自然に出てくる発想を普遍化しがちになることもあると思います。それが、古い社会を変革していく上でどうか。私はこれは、折角党員の子供でありながら「弱点」になる場合もあると思います。それを克服するためには二つの実践が必要だと思います。即ち ①ヴ・ナロード(人民の中へ) ②科学的社会主義の絶えざる学習。この二つを欠いたがゆえに、すでに小スターリン化している「二世」党員も岡山にいます。自分がふつうだと思っていることが本当にふつうで正しいのか、どうか。だれにとっても思想闘争が大切ですが、「二世」党員にとっては、思想闘争はギリギリの生命線だと、私は思います。
  1. 2013/07/29(月) 22:29:36|
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大昔の 『前衛』

古本屋通信  No 326 7月29日

  大昔の 『前衛』


 一昨日、昨日と田舎に帰ってきた。倉庫から大昔の『前衛』 一束を取り出してきた。その『前衛』の号数、年月、主要目次を貼っておく。そんなに珍しくはなく、古書価も付かない。第8回大会(1961年)以後の『前衛』を、私は(大会特集などの臨時増刊を除いて)扱わない。1961年以前はいちおう保存している。

第19号 1947年 8・9月合併号
片山内閣批判 (内野壮児・川崎巳三郎・木村三郎)  再び軍事的封建的帝国主義について (神山茂夫)  党史の見方 (志賀義雄)  最近の反共工作 (平澤三郎)  大地方委員会の性格 (春日正一)  天皇制と笑い (マツヤマ・フミオ)  党活動方法の改善を (野坂参三)  細胞の世話役活動 (松島松太郎)  農村の党活動報告 (沼田秀郷)

第22号 1947年 12月号

産業復興の二つの道 (徳田球一)  農民運動の現段階(松本三益)  組合民主化の法的根拠 (伊藤憲一)  文藝時評 (岩上順一)  ソ同盟の哲学近況 (及川朝雄)  世界史の一考察(下) (志賀義雄)


第23号 1948年 3月号
戦後経済の構造的変化 (守屋典郎)  立法にたいするわれわれの態度 (青柳盛雄)  大臣と親分 (神山茂夫)  社会党の裏切りと政局の動き(徳田球一)  民主戦線の見地からみた地方社会党 (伊藤律)  国連第二回総会における米ソ関係 (堀江邑一)  党風整頓 (北条充一)

第26号 1948年 4月(大会特集)号
第六回党大会特集号 目次

開会の辞 (志賀義雄)  一般報告 (徳田球一)  戦略・戦術に関して (野坂参三)  行動綱領改正について (宮本顕治)  決定 農業綱領    農業綱領について (伊藤律) 決定 農業綱領  規約改正について (山邊健太郎)  決定 改正党規約  文化問題に関して (蔵原惟人) 第六回党大会の経過

古本屋通信
せっかく第六回党大会の特集号が出てきたので、ついでにここで、歴代の党大会について、ウィキペの記事を転載しておく。私も第4,5,6回大会については記録を読んだことはなかった。これらは六全協、第七回党大会で、51年行動綱領とともに廃棄されたから、その後の党文献になかったのである。しかし史料としては目にふれてもよかろう。

創立大会(1922年(大正11年)7月15日)
東京市内で密かに開催(ただし、開催日については異説もある)。
第2回党大会(1923年(大正12年)2月4日)
第3回党大会(1926年(大正15年)12月4日)
山形五色温泉で密かに開催
第4回党大会(1945年(昭和20年)12月1日 - 3日)
合法政党となり、初めて公然と開かれた大会
第5回党大会(1946年(昭和21年)2月24日 - 26日)
第6回党大会(1947年(昭和22年)12月21日 - 24日)
こののち、いわゆる50年問題と占領軍による弾圧のためにこの大会で選出された中央委員会の機能は実質的に停止する。
第7回党大会(1958年(昭和33年)7月21日 - 8月1日)
党の統一を回復、大会議案として提案された「党章草案」のうち、「党規約」部分を採択する。党綱領については継続審議とし、行動綱領を決定する。
第8回大会(1961年(昭和36年)7月25日 - 31日)
綱領を決定する。
第9回党大会(1964年(昭和39年)11月24日 - 30日)
第10回党大会(1966年(昭和41年)10月24日 - 30日)
第11回党大会(1970年(昭和45年)7月1日 - 7日)
規約を改定、第1回中央委員会総会で宮本顕治が初代委員長に選出される
第12回党大会(1973年(昭和48年)11月14日 - 21日)
第7回中央委員会総会で「宗教についての日本共産党の見解と態度」を採択する
第13回臨時党大会(1976年(昭和51年)7月28日 - 30日)
綱領を一部改定、「自由と民主主義の宣言」が採択される
第14回党大会(1977年(昭和52年)10月17日 - 22日)
第15回党大会(1980年(昭和55年)2月26日 - 3月11日)
第16回党大会(1982年(昭和57年)7月27日 - 31日)
第1回中央委員会総会で不破哲三が委員長に、宮本顕治が中央委員会議長に選出される。
第17回党大会(1985年(昭和60年)11月19日 - 24日)
第18回党大会(1987年(昭和62年)11月25日 - 29日)
第1回中央委員会総会で村上弘が委員長に選出される
第5回中央委員会総会で不破哲三が委員長に選出される
第19回党大会(1990年(平成2年)7月9日 - 13日)
第18回党大会第6回中央委員会総会で改定された「自由と民主主義の宣言」を追認する
第20回党大会(1994年(平成6年)7月19日 - 23日)
第5回中央委員会総会で現在の「自由と民主主義の宣言」が採択される
第21回党大会(1997年(平成9年)9月22日 - 26日)
宮本顕治が中央委員・中央委員会議長を退任する
第22回党大会(2000年(平成12年)11月20日 - 24日)
第1回中央委員会総会で志位和夫が委員長に、不破哲三が中央委員会議長に選出される
現在の党規約が採択される
第23回党大会(2004年(平成16年)1月13日 - 17日)
現在の綱領が採択される
第24回党大会(2006年(平成18年)1月11日 - 14日)
不破哲三が中央委員会議長を退任する。ただし常任幹部会委員には留任する。
第25回党大会(2010年(平成22年)1月13日 - 16日)
これまでの中央委員会縮小の方針が転換され、准常任幹部会委員が導入された



第35号 1949年 2月号
農村における党の浸透について (紺野輿次郎)  多数者獲得のために (田悟外之夫)  座談会 党機関と党活動との関連について (前衛編集局篇)  青森における社共合同について (箱崎万寿夫)  社会民主主義の破産 (大曲直)  提案・討議 最低賃金制の斗争のために (吉本惣吉)  世界人民民主勢力の高揚と「平和攻勢」 (堀江邑一)

第37号 1949年 4月号

政権え(ママ)の闘争と国会活動 (野坂参三)  民自党政権の破綻 (風早八十二)  戦術病の根源について (遠坂良一)  < 日本農業における階級支配の構造 (深谷進) 第一次大戦<後の民族問題について (安川保次郎)  鉄の規律と大衆的統一え 「多数派」の責任者として再入党に際して (山本秋)  同志山本秋の自己批判を読んで (袴田里見)  民衆に捧げる知識 (梅本克己) 

古本屋通信
上記の第37号で、古本屋通信は2つの、見過ごしていた文に出会えた。山本秋の自己批判文と梅本克己の雑文である。いわゆる多数派分派については、宮内勇の単行本を読んでいたが、山本秋の文は初めてだった。袴田の感想文まである。ずいぶん儲けた気分だ。ついでにウィキの記事も貼っておこう。梅本克己の文はどうという事はないが、当時の主体性論争の一方の旗頭であった梅本が当時は共産党員であったことの傍証になる掲載だ。

多数派 (日本共産党) ウィキペディアより
多数派(たすうは)とは、第二次世界大戦以前の非合法時代の日本共産党で1934年(昭和9年)3月に成立した分派であり、1935年9月まで活動を続けた。
概要
多数派成立の契機は1933年12月の「スパイ査問事件」後、ただ一人検挙を免れた袴田里見中央委員がスパイ摘発のため指示した「党員再登録」に対し、当時の党組織・細胞の大半が反発したことに始まる。1934年3月、宮内勇ら「全農全会派」(共産党傘下の農民団体)内の党フラクションは、山本秋を中心とする日本無産者消費組合連盟(無消)中央フラクションの支持を得て、宮内の執筆になる「日本共産党△△××細胞会議の声明」を発表、党中央への批判を公表した。彼らは昨年来の党の混乱と指導の逸脱を党中央に巣くうスパイ分子の挑発と考え、中央部で唯一残った袴田をスパイと断定、5月20日には「中央奪還全国代表者会議」を開催し「多数派」分派を結成した。
この分派には無消・全農全会派内部の党フラクションおよび関西の地方組織など、当時かろうじて残っていた党組織の大半が結集していた。多数派は党が上意下達的に下部組織に対して方針の押しつけを行ってきたことを批判し、下部の意思を尊重した上で全農全会派を中心とする大衆運動の建て直しをはかったが、10月から11月にかけて宮内・山本ら中心的活動家が全国で一斉に検挙され、一方、コミンテルンは10月と翌1935年8月の2度にわたり多数派を「党攪乱者」「党分裂者」として非難し、直ちに解散することを求める声明(野坂参三執筆による)を送りつけた。同年7月の第7回大会で反ファシズム人民戦線戦術を打ち出していたコミンテルンに対する多数派の期待は大きかったため、獄中の宮内などはこの声明を知って落胆した。残存していた関西地方委員会の吉見光凡・国谷要蔵も、不満を残しながらもコミンテルンの批判に従い、1935年9月20日に「解体決議」を発し多数派は解散した。
意義
「多数派」の運動は事実上、下部組織から日本共産党の再建をめざす運動であったが、コミンテルンは共産党の無謀な武装方針を拒否した「全協刷新同盟」の時と同様に、あくまで党中央組織のリーダーシップを支持し、分派結成は警察の分裂工作によるものと一方的に断定した。この決定はその後も長く、「多数派は挑発的・敵対的分派である」という誤った評価を定着させることになり、戦後になっても宮内勇は共産党に復帰することはなかった。
関連文献
伊藤晃 『転向と天皇制:日本共産主義運動の1930年代』 勁草書房、1995年 ISBN 4326300957
第四章「「多数派」分派の発生と挫折」 運動史研究会(編) 『運動史研究1:小特集「多数派」問題』 三一書房、1978年
宮内勇 『ある時代の手記:一九三〇年代・日本共産党私史』 河出書房新社、1973年



第48号 1950年 4月号
共産党・労働者党 情報局の決議の意味するもの  民族独立のための農業革命 (伊藤律) 労働戦線の統一について (春日庄次郎)  大衆の統一による地方権力とのたたかい (増山太助)

第52号 1950年 9月号
真の国際主義とは何か 志賀意見書をつらぬく「プロレタリア国際主義」批判 (中村信太郎)  分派の本質とそれとの闘争 (広谷俊二)  労働政策会議の報告と結語 (臨時中央指導部)  労働戦線の統一について 赤色労働組合主義批判(保坂浩明)  農民運動当面の方針(臨時中央指導部)  婦人運動の新らしい段階 (柳井幸子) 党中央のもとに結集統一をまもれ (北京人民日報) 友党の批判にこたえて (椎野悦朗) 

古本屋通信
この号は既に編集が完全に主流派の手中にある。個人的には、後に青年学生部長になり新日和見主義事件に関係した広谷俊二が、当時徳田派だったのは興味深い。また、当時既に党臨時中央指導部は北京から批判を受けている。椎野悦朗(臨中指導部議長)の反批判はえらい腰くだけだ。だいたい「所感派」などという名前から、国際権威に弱いことがミエミエだった。

 ちょっと休憩、まだまだ20冊はある。 続きを読む
  1. 2013/07/29(月) 04:45:36|
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8人の顔

 古本屋通信  No 324 7月27日

 
 8人の顔

 今回の参院選挙、共産党の当選者8人の顔がしんぶん赤旗日曜版に出ている。日刊紙にも出ているが、8人まとめてなら、日曜版のほうがよい。私はそれを河村ひろ子さん(共産党福山市議)の昨日の大写しのブログ記事で知った。私のブログは写真掲載能力がないので、ご覧のなりたい方はひろ子ワールドを訪問されたい。私がちょっとケチをつけたコータローくん(大阪)と倉林さん(京都)を含めて、全員がそれぞれの地域で、じつにいい顔(表情)で写っている。以下、写真をみての古本屋通信の直観的な感想(敬称略)。

 吉良はちっちゃいねえ。紙智子はきれいだねえ、30年まえと変わらない。このふたり同時に議員か。思ってもいなかった。井上はやっぱり京都で倉林と一緒だね。山下小池もあんまり吉良をいじめるなよ。とくに小池は内心おもしろくなかろう(笑)。それは宣伝カーの車上でも表情に出てたゾ。隠しきれないところが小池のいいところだが。コータローは今後は前職のことは忘れろ。山下はたとえ落選していても、次期党大会で書記(局)長だったろうが、当選してよかった。仁比のとなりのヒト、誰? やっぱ、5人目だったんだ。でもよかった。岡山でも広島でも人気あるんだねえ。ただ一点、誰が言い出したか知らないが、「熱血弁護士」、これ抵抗あるねえ。岡山の超右翼(平沼の子分だが自民党)の県議が熱血先生という。熱血弁護士、止めて貰えんじゃろうか。

 参議院の議席が確定したところで、共産党中央の人事を貼っておこう。出所は党中央のHPだ。ポイントは議員中心ではないという点だ。これが共産党が他党にくらべて根柢的に優位な点だ。議員は党内的に何の指導的役職でもない。これを、共産党では選挙の洗礼を受けていない者が指導部にいる、などと言う者がいる。大抵が悪意の反共だが、一部には結社の自由についての無理解もある。いかなる政治組織も、その成員以外から拘束を受けることはないし、受けてはならない。勿論これは最終決定においてだ。特に人事は人気投票ではない。私がどんなに魅かれても、これから『資本論』に挑戦するという吉良よし子が幹部会委員長ということはあり得ない。委員長はやはり志位だ。志位のあとは坂井希なのだ。そもそも政治結社の自由とは、議会の制定以前に、人民が有する基本的人権のひとつなのだ。

 少し長いが、現在の指導部をあげておこう(中央委員、准中央委員は省略。○印は新)。国会議員団ブロック事務所は中国事務所が所長代理の小阪昇だけだ。それから、坂井希の次期委員長、無理かなぁ。


日本共産党中央委員会の機構と人事
 幹部会委員長 志位和夫
 書記局長    市田忠義
 幹部会副委員長  緒方靖夫、浜野忠夫、広井暢子

 常任幹部会委員(22人)
和泉重行、市田忠義、岩井鐵也、上田均、浦田宣昭、太田善作、大幡基夫、緒方靖夫、○笠井亮、○紙智子、小池晃、○小木曽陽司、穀田恵二、志位和夫、○高橋千鶴子、○寺沢亜志也、中井作太郎、西口光、浜野忠夫、広井暢子、不破哲三、○山下芳生


 幹部会 (57人)
赤嶺政賢、○有坂哲夫、石灰睦夫、和泉重行、市田忠義、今井誠、岩井鐵也、岩中正巳、植木俊雄、上田均、浮揚幸裕、浦田宣昭、大内田和子、大久保健三、太田善作、大幡基夫、岡宏輔、岡正信、緒方靖夫、岡野隆、○笠井亮、金子逸、○紙智子、上岡辰夫、河邑重光、小池晃、小池潔、小木曽陽司、穀田恵二、小松崎久仁夫、佐々木憲昭、佐々木陸海、志位和夫、○高橋千鶴子、棚橋裕一、○田村守男、○寺沢亜志也、中井作太郎、西口光、西野敏郭、長谷川忠通、浜野忠夫、林通文、○土方明果、広井暢子、不破哲三、紅谷有二、増子典男、水谷定男、森原公敏、柳浦敏彦、山口勝利、山口富男、○山下芳生、○山谷富士雄、若林義春、渡辺和俊

書記局 (21人)
 書記局長 市田忠義
 書記局次長 ○中井作太郎、○大幡基夫、佐々木陸海
 書記局員
和泉重行、岩井鐵也、浦田宣昭、太田善作、河邑重光、○坂井希、○田川実、棚橋裕一、○田村守男、○辻慎一、○寺沢亜志也
長谷川忠通、○藤田健、○水谷定男、柳浦敏彦、○山下芳生、○山谷富士雄

 訴願委員会(6人)
  責任者 紅谷有二
  委員 有坂哲夫、○岩切幸子、金井武雄、紀氏和男、武村拓三

 規律委員会(8人)
  責任者 上岡辰夫
  委員 ○板橋利之、○今田吉昭、○田邊進、○西田外志光、広瀬潜、福島敏夫、柳沢明夫

 監査委員会(3人)
  責任者 金子逸
  委員 福島敏夫、三羽和夫
中央機関紙編集委員会 (21人)
 責任者 ○小木曽陽司
 委員
○浅田信幸、石渡博明、稲田達、牛久保建男、大内田和子、勝又健、加藤準司、栗田敏夫、昆弘見、近藤正男、坂下清香、○西澤亨子、西田外志光、藤田健、○松井信嗣、松宮敏樹、宮坂一男、○村木博、山沢猛、渡辺健

政策委員会責任者  小池  晃
責任者代理 笠井  亮
副責任者 和泉 重行    
事務局長 寺沢亜志也

経済・社会保障政策委員会
責任者 寺沢亜志也
政治・外交委員会
責任者 山根 隆志
宣伝局局長  和泉 重行
次長  田村 一志

広報部部長  植木 俊雄
副部長  植上 一夫

国民の声室責任者  藤原 忠雄
国民運動委員会責任者  浦田 宣昭
副責任者 紙  智子
 同    仁比 聡平
 同    水戸 正男
事務局長 有坂 哲夫
事務局次長  姫井 二郎
委 員  川田 忠明
 同    最上 清治
 同    梅村早江子
 同    田村 智子
 同    荒川 和明
 同    小泉 親司
 同    昆  弘見
 同    高瀬 康正
 同    堤  文俊
 同    米沢 幸悦

労働局
局長  水戸 正男
次長  米沢 幸悦

農林・漁民局
局長  紙  智子
次長  有坂 哲夫

市民・住民運動・中小企業局
局長  最上 清治
次長  高瀬 康正
 同   堤  文俊

平和運動局
局長  川田 忠明
基地対策委員会
責任者  小泉 親司

女性委員会責任者  広井 暢子
副責任者 高橋千鶴子
事務局長 平兼 悦子
委員  藤田  文

青年・学生委員会責任者  広井 暢子
副責任者  増子 典男
事務局長 坂井  希
事務局次長 工藤  充

学術・文化委員会責任者  足立 正恒
事務局長 土井 洋彦
事務局次長 辻  慎一
 同    改正  充

文教委員会
責任者  藤森  毅
宗教委員会
責任者  足立 正恒
事務局長  平  静丸

スポーツ委員会
責任者  広畑 成志
事務局長  鳥井 健次
選挙対策局局長  大幡 基夫
次長  水谷 定男
 同   金井 武雄
 同   佐藤  登
 同   吉田 秀樹

国会議員団ブロック事務所 
北海道事務所
  所長  島垣 正信
東北事務所
  所長  小野 敏郎
東京事務所
  所長  亀井  寿
北関東事務所
  所長  並木 武雄
南関東事務所
  所長  大森  猛
北陸信越事務所
  所長  山口 典久
東海事務所
  所長  西田 一廣
近畿事務所
  所長  中村一二巳
中国事務所
  所長代理  小阪 昇
四国事務所
  所長  笹岡 優

九州・沖縄事務所
  所長  田村 貴昭
  同代理  江田 昭宏

自治体局局長  柳浦 敏彦
次長  今田 吉昭
 同   金子 邦彦

国際委員会責任者  緒方 靖夫
副責任者 西口  光
  同    笠井  亮
事務局長 森原 公敏
委 員  神田 米造
 同    田代 忠利
 同    田川  実

党建設委員会責任者  中井作太郎
副責任者 岩井 鐵也
 同    太田 善作
 同    山下 芳生
委 員  石灰 睦夫
 同    金子  逸
 同    増子 典男
 同    長谷川忠通
 同    山谷富士雄

組織局
局長  長谷川忠通
次長  土方 明果
 同   吉村 吉夫
局付   稲垣 豊彦
 同   岩切 幸子
 同   和田 一男
 同   板橋 利之

機関紙活動局
局長  岩井 鐵也
局長代理 太田 善作
次長  田村 守男

学習・教育局
局長  山谷富士雄
次長  長久 理嗣
局付  村主 明子

職場(労働)対策委員会
責任者  山下 芳生
事務局長 加藤 清次
委員  石灰 睦夫
 同   小日向昭一
 同   水戸 正男

中央党学校
   金子  逸

法規対策部部長  柳沢 明夫
部長  小林 亮淳
 同    成中 春樹

人事局局長  浜野 忠夫
次長  上岡 辰夫
財務・業務委員会責任者  上田  均
副責任者 岩井 鐵也
事務局長 大久保健三
委員  林  通文
 同   佐藤 正美
 同   結城 久志

財政部
部長  大久保健三
副部長  太田 マサ
 同    齊藤 隆司

機関紙誌業務部
部長  佐藤 正美
副部長  浦野 伸一
 同    神田 正夫

管理部
部長  結城 久志
副部長  熊谷  功
 同    藤野 雅司

厚生部
部長  林  通文
副部長  市岡 正文
 同    佐藤 憲七

赤旗まつり実行委員会
実行委員長 小木曽陽司
事務局長 結城 久志


社会科学研究所所長  不破 哲三
副所長  山口 富男
幹事  足立 正恒
 同   緒方 靖夫
 同   笠井  亮
 同   川田 忠明
 同   小池  晃
 同   田川  実
 同   田村 一志
 同   谷本  諭
 同   辻  慎一
 同   盛  美彰
事務局長 小野 秀明

出版企画委員会責任者  岩井 鐵也
委員  和泉 重行
 同   金子  逸
 同   河邑 重光

出版局局長  河邑 重光
次長  北村 優治

雑誌刊行委員会責任者  河邑 重光

『前衛』編集部
編集長  盛  美彰
『月刊学習』編集部
編集長  庄子正二郎
『女性のひろば』編集部
編集長  藤田  文
『議会と自治体』編集部
編集長  渡邉  幸久
資料室責任者  菅原 正伯
党史資料室責任者  岡  宏輔

中央委員会事務室責任者  佐々木陸海
副責任者 岡  宏輔
 同    平井  昇

国会議員団事務局事務局長  棚橋 裕一
 次長  白石 敏夫
  同   湯浅 和己

赤旗編集局編集局長 小木曽陽司
次長  大内田和子
 同  藤田 健
 同  松宮 敏樹
 同  近藤 正男
 同  西田外志光
 同  宮坂 一男
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  1. 2013/07/27(土) 01:03:06|
  2. 未分類

パソコン余話

古本屋通信  No 321 7月24日

  パソコン余話

昨年七月このブログを始めてから一年たった。私がはじめてパソコンを買ったのは十年まえだが、使用は古本の検索に限定された。標準価格しらべが中心だが、付随して新旧書籍や著者の情報はとても役に立った。しかし、私はパソコンで自分の文を書こうとは思わなかった。それまでにタイプライターやワープロで文を書いたこともなかった。そもそも私は文章を書くことが余り好きではなかったし、それ以上に機器を使って文を書くことに嫌悪感があった。自分の文が自分の文ではなくなる気もした。

それを最初に感じたのは(否定的な例として名前を出して申し訳ないが)、加藤哲郎(当時一橋大教員)の 『東欧革命と社会主義』 (花伝社 1990)を読んだときだった。かれがかなり書き殴っている時だったせいもあろう(その後もかれは多産だ)が、私はこれを読んで、機器を使っての文章は文体が変わると思った。そのあと彼の大著 『コミンテルンの世界像』 (青木書店 1991)も読んだ。本格的な研究書だと感心したが、文は無機質なような文体で、これが気になった。このときの私の感じを文にするのは難しい。加藤だけの文体だったかもしれぬ。しかし私はそうは受け取らなかった。「文学的」でなかった。「論理的」でもないと思った。加藤は編集者出身の研究者である。私は加藤が編集した本も知っているが、それは社会科学のふつうの本だった。こんなことを書いてもたぶん説得力はなかろう。しかし、私はこの頃から、全般に社会科学系の本の文体が様変わりしてきたという印象をずっと持ち続けている。

ここでいきなり私のブログに戻る。といっても私の文のことではない。私が引用した他人の文のことである。梯秀明の文。佐多稲子の文。吉塚勤治の文。私がこれらを転載するさい、ネット上にコピーできる資料はなかった。だから、紙の印刷物をみて自分で印字した。とても時間が懸かった。自分の文を書く数倍は懸った。梯秀明の文は『戸坂潤全集』月報に書かれた文だが、途中で投げ出してしまった。そのうえ私は、梯の文を悪文とまで断じた。然し読み返してみると、実に名文ではないか。
 
はじめから第一級と誉めそやした佐多稲子の文が、パソコン印字でどれだけ難航したことか。私には苦業そのものだった。吉塚勤治の文は、詩人だから文体はパソコンに馴染まないとは言えないが、それでも時間は懸った。そこで結論だが、梯秀明も、佐多稲子も、吉塚勤治も、かりに彼らがいま生きていて、パソコンで文を書くとしたら、同じ文体の文を書くだろうか。パソコンは書き手の個性を殺すのか? 本当のところはよく分らない。小川洋子なんか、完全にパソコン世代だろう。古い世代でも大江健三郎はパソコンだろう。しかし佐多稲子の筆になる好並かおるの追悼文はパソコンでは書けなかった気がする。

さて、パソコン文について、いくらかの疑問を保留しながら、これが便利な道具であることを強調したい。自分の書いた文を何度でも訂正できる、これは決定的な利点だ。誤字・脱字から始まって、文のねじれ、意味不明、表現の不適切、舌足らず、句読点の問題、改行関係、段落、加筆・追補、これが何度でもたちどころに修正できる。これは編集上の革命なのだ。私は粗原稿を自宅のパソコン(光ファイバー)で書く。まあ、ガタガタの文章ですワ。それを店のパソコンでなおす。但しはじめの文から他人の目に晒す。そうしないと、どうしても修正が遅れるからだ。

パソコン以前に、いま振り返ってみて自分でも不思議に思うのだが、私には文章を自分で書いた経験は殆んどなかった。あるのは、学生時代のほんの一時期のビラ、卒業論文、読書サークルの雑文、ミニ新聞の穴埋め記事。これがすべてだ。時間も量も少ない。しかもこれらは目的があって仕方なく書いた文なのだ。だが、なぜか活字の印刷物(本)とは縁が切れなかった。①古本屋をオープンした時の蔵書は一万冊だった。しかし、これは自分が文を書く事とは別だ。②それから職業上の仕事が編集であったことは、他人の文に敏感になれた理由だろう。

人によって文が上手だとか下手だとかは勿論あるが、文筆家以外は初めはみんな下手だと考えたらよい。箸にも棒にもかからない文が、編集者の手で修正されて立派に新刊書店に並ぶ。私は世の出版物の大半はそうだと思っている。だいたいが本を上梓したことのない研究者の文など無茶苦茶なのが相場なのだ。それで一向に構わない。だが、自分が書こうとしている研究対象についての認識、これが浅かったり歪んでいたらどうしようもない。編集者はその分野の素人だから打つ手がない。だから、編集者は原稿の質を瞬時に判別し、駄目な原稿は突き返さねばならない。そうしないとあとが地獄になるのだ。

はなしが抽象的になっては分り難いだろうから、脱線覚悟で具体例を書く。私が退職して間もなく、私のいた会社から一冊の本が出た。私は関係しておらず、ずっと後に古本屋に出廻ってから初めて知った。『正法眼蔵と現代』 (内藤一人 F書店 昭和61)。著者の内藤一人は岡山操山高校の元校長で、岡山の教育筋ではそれなりに有名だ。保守反動と俗物性を兼ね備えた人物が多い中で、内藤はそうではなかったらしい。岡山一女時代からの教員で信望が厚かったという。それで 『正法眼蔵と現代』 を広げてみた。二三頁もよんだ。なんとか好意的に読もうとした。この本を編集したのは私の後輩だし、内藤自身も私の母の女学校の恩師だった。しかしテンデ駄目だった。よくもこんなもん出版したワナ。この本はいまも岡山の古書業界で流通しており、結構な値がついている。私の店の客人でも名著だという者もいる。 

私がここで槍玉に挙げるということは、自信あってのことだ。違っていたら私が恥をかく。私は現代語訳の「正法眼蔵」でさえ歯が立たない。しかし内藤の本が駄目なことはすぐ分った。よくもまあ、こんなのを原稿段階で突き返さなかったものだ(あとで担当編集者に訊くと、それなりの理由があった)。ここで差別的とも受け取れることを敢えて書きたい。高校の退職教員が「正法眼蔵」の研究書を出版したいといってきたら、まず警戒しなければならない。専門の研究者ではないのだ。まず無理だろうと思うのが常識だ。この件、古本も流通していることだし、あとは読者の判断に委ねたい。

もう少し、調子に乗って、本の真贋判定について書く。上記 『正法眼蔵と現代』 はタイトルからしてメゲている。ただし、タイトルは出版社がつけることもあるから、これをもって内藤がメゲているとは断定できないが、どっちにしても狂っている。ためしに「源氏物語と現代」、「道元と現代」、「アリストテレスと現代」、「形而上学と現代」、「純粋理性批判と現代」、「カントと現代」、「資本論と現代」、「マルクスと現代」、以上の書名の本があるかどうか、日本の古本屋アマゾンで調べてみた。雑誌の特集タイトルでそれを含むものはあったが、単行本では最後のふたつを除いてなかった。「資本論と現代」は向坂逸郎だ。これなら了解だ。しかし凡百の研究者が「資本論と現代」「マルクスと現代」などのタイトルで本を出せば、それだけでばかにされるだろう。その他のタイトルはタイトルからして狂っている。一行も内容を読まないでも失格だ。アリストテレス、道元をどう現代に引き寄せて論じようというのか。常人のなせる技か。一応、これで区切りをつけて終えるが、まだまだ書けそうだ。あとは折を見て書きます。 続きを読む
  1. 2013/07/24(水) 21:23:20|
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有本芳水のスクラップ帖

古本屋通信  No 318 7月22日

  有本芳水のスクラップ帖


 二三日まえに入手した雑本の紙袋のなかに、戦前のスクラップ帖が三冊あった。戦後はもとより戦前のものであっても、スクラップ帖はまず使えない。個人が熱心に新聞や雑誌を切り抜いて貼ったものである。

 スクラップ帖がダメというより、新聞・雑誌がダメだから、それをどう貼ろうとダメなのだ。ではなぜ新聞・雑誌がダメかというと、戦前も戦後も再編集されたものが書籍として出版されていて、新聞用紙のオリジナルなどなんの意味もないからだ。私が捨てる前に残して置いたのは、切り抜かれて貼られていたのが、新聞ではなく、『改造』 か何かの一寸珍しい記事だったので、捨てるまえに一瞥したかったからだ。

 今朝、選挙関係の記事に区切りをつけて、紙袋から中味を取り出した。三冊とも表紙に毛筆で「芳水生編」とある。「生」は自分の事を遜って云う時に使う。字はあまり上手ではない。芳水? 待てよ、有本芳水ではないか。

 三冊のうち二冊には、見返しの次ページに歌稿が毛筆で書かれ、「芳水」の落款ともう一つの落款があった。歌稿の毛筆、落款とも、印刷ではなくナマである。

 近頃は、和歌にも書にも素人の古本屋でも、ネットの普及で何とか商売できるようになった。グーグルに「有本芳水」を入れ、画像検索する。すると、関連の画像がズラリ出る。歌碑の写真などに混じって、色紙などに書かれた芳水の筆跡が数点あった。最大に拡大して毛筆の筆跡を見る。間違いない。スクラップ帖は芳水編集のものであり、筆跡は芳水自筆のものだ。

 以上を確認できたので、ヤフオクに出品すべく、出品代行をお願いしている同業のY氏の所に持ち込んだ。今日明日にも出品してくれるという。いくらのスタートかはY氏に任せている。もしもこのブログの読者で御所望の方がいらっしゃれば、ヤフオクの本・雑誌のカテゴリーに「有本芳水」入れて御覧下さい。

 なお、芳水の歌碑は後楽園と関西高校にあった。どちらも自宅から近い。歌碑のことは批判的に書いたばかりだが、いくぶん食わず嫌いの気もあった。涼しくなったら行ってみようか。
  


以下は出品のヤフオク頁の記事の一部
☆有本芳水 直筆詩 落款入 スクラップ帖1 大正14 文芸瞥見
現在の価格 : 5,000 円
開始時の価格 : 5,000 円
最高額入札者 : なし
開始日時 : 7月 23日 23時 5分
終了日時 : 7月 29日 23時 49分
商品説明 巻頭に有本芳水直筆の詩が記されています。画像をご参照下さい。スクラップ帖は当時の新聞、雑誌から、ご本人が関心のある記事を切り貼りされたものです。ダベンポートの「書物の沿革」や、芥川、生田春月などの文芸時評などが散見されます。表紙・裏表紙などには擦れ、シミ、汚れがありますし、一部虫食いによる小穴もあります。用紙も経年相応のヤケ、シミがあります。詳しくはご質問下さい。よろしくお願い致します。

☆有本芳水 直筆短歌 落款 スクラップ帖2 大正14 文壇 現在の価格 : 5,000 円
最高額入札者 : なし
開始日時 : 7月 23日 23時 27分
終了日時 : 7月 29日 23時 15分
商品説明 巻頭に有本芳水直筆の短歌が記されています。画像をご参照下さい。スクラップ帖は当時の新聞、雑誌から、ご本人が関心のある記事を切り貼りされたものです。四コマ漫画や、正宗白鳥、生方敏郎などの随筆、連載小説があります。表紙・裏表紙などには擦れ、シミ、汚れがあります。特に裏表紙にはかなり虫食いによるダメージがあります。用紙には経年相応のヤケ、シミがあります。また、表紙見返しには蔵印と日付があります。詳しくはご質問下さい。よろしくお願い致します。

  1. 2013/07/22(月) 15:26:36|
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吉良よし子さん当確

 古本屋通信  No 316 7月21日

  吉良よし子さん当確


22時20分、吉良よし子さん当確。 万歳。 万歳。万歳。

続いて、大阪選挙区と京都選挙区で勝った。やれ、やれ。23時20分。

吉良さんの得票数は最終75万前後だろう。前回、前々回の55万に20万の上乗せだ。23時40分。 開票率 80%  588,706 (ちょっと甘かった最終70万前後だろう。22日7時50分)。

共産党の比例区は4議席でほぼ確定らしい。小池、山下につづいて紙智子が決定だ。4人目は個人名確定ではないが、仁比らしい。まあ、中国地方は報われたんじゃあないか。井上があおりを喰った格好だが、京都の選挙区が当選したのだから我慢してもらおう。23時50分。なんと、22日0時50分、朝日新聞速報が共産党比例区の5人目の当選確実を打った。なら、井上も当選だ。5人なら古本屋通信は切腹もんだ(笑)。しかし一人落ちると、どうしてもしこりが残る。まさか誤報ではあるまい。ともあれ、よかった。(共産党の比例区得票は最終的に516万前後になろう。22日7時50分)

「15年ぶりの議席増、反転攻勢だ」
 共産・志位委員長 テレビのインタビュー
 共産党の志位和夫委員長は21日夜の日本テレビの番組で、参院選で議席増の見通しとなったことについて「安倍政権の政治の流れについて『これは危ないぞ』と。憲法、消費税、TPPの問題。不安感、危機感が国民に広がっている」と語った。そのうえで「共産党は正面から自民党と対決し、抜本的な解決策を示していくとして戦った。このことが理解を得た。議席を増やしたのは15年ぶりになる。反転攻勢にむけた重要な成果を得た」と語った。
  1. 2013/07/21(日) 22:25:22|
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週刊 『前進』 ( 2013/07/15 )

古本屋通信  No 310 7月18日

  週刊 『前進』 ( 2013/07/15 )

 本日の記事は全て資料記事である。断りもなく転載させていただくが、前進社編集局には遅ればせの謝意を表しておきたい(古本屋通信)。


週刊『前進』(2592号1面1)(2013/07/15 )
 全国の力で山本太郎さんを国会へ
 福島連帯・外注化阻止・被曝労働拒否!
 動労水戸ストを共に闘おう
>(7月16日午前11時勝田車両センター)
 「命を切り捨てにする今の社会は変えなければならない! 命を守れと本気で言う政治家がいないとダメなんです!」。参院選の東京選挙区から立候補している山本太郎氏の熱い訴えは、圧倒的な支持と共感を生み出しています。21日の投票日まであと1週間。極右反動安倍政権への怒りを根底から爆発させ、山本太郎氏の必勝へさらに闘いましょう。被曝車両K544の運用再開阻止へ、動労水戸の7・16~18ストと連帯し、7・16勝田車両センター前に結集しともに闘いましょう。
(写真 NAZENの立ち上げを報告する東京各地の労働者【7月11日 杉並区高円寺北】)
 再稼働狙う安倍を倒せ
 今回の参議院選挙は、世界大恐慌と3・11東日本大震災・福島原発大事故情勢のもと、新自由主義と全面対決し、安倍政権を打倒する選挙闘争です。山本太郎氏の「被曝させない、TPP入らない、飢えさせない」の基本政策は、労働者人民の命と未来をかけた革命的スローガンです。3・11福島原発事故に直面して、芸能界の仕事を失っても闘うことを決意した山本太郎氏の全存在をかけた訴えは、3・11で価値観を大転換させた労働者人民の思いと同じです。山本太郎氏の訴えに誰もが感動し、涙し、熱烈な拍手を送っています。
 青年労働者や学生が次々と選挙ボランティアに参加し、さらに青年労働者や学生のリーダーが多数生まれています。これは労働者人民の団結の力で腐り切った社会と政治を打ち壊し、労働者が主人公の新しい社会をつくりだす自己解放的決起です。
 今、エジプト、トルコ、ブラジルをはじめとして、世界各地で100万人規模のゼネストや大デモが激しく闘われています。このプロレタリア世界革命情勢と一つに結んで、階級的労働運動を闘う労組拠点を打ち立て、首都・東京で100万人の決起をつくりだし、安倍政権を打倒しようではありませんか。
 7月8日、原発再稼働のための新基準が施行されました。北海道・関西・四国・九州の4電力会社が、伊方、川内、玄海など6原発12基の再稼働を申請しました。さらに柏崎刈羽原発の申請も狙われています。絶対に許せません! 福島原発事故をなかったものとし、フクシマの怒りを圧殺し踏みにじる暴挙です。福島原発事故で、今も約15万人が避難生活を強いられています。また観測井戸の地下水のセシウム濃度などが急上昇し、放射能汚染水も海に流れ出ています。放射線量が高いため原子炉にも近づけず、溶けた核燃料の状態も分からず、いまだ事故の収束や廃炉の展望もまったく立っていません。
 そもそも自民党こそ全国に五十数基もの原発を建設し、福島原発事故を引き起こした最大の責任者です。自民党や電力会社が福島原発事故に何の責任もとらず、自分たちの金もうけと延命のために、再び原発を次々に動かすことなど絶対に認められません!
 しかもこの連中がTPP(環太平洋経済連携協定)を推進し、解雇、低賃金、非正規職化を進め、長時間労働、過労死を強制し、医療・介護・教育を金もうけの手段にする一方で、改憲や辺野古新基地建設をもって青年・学生を戦争に駆り出そうとしているのです。
 山本太郎氏は、安倍政権によるこうした新自由主義攻撃の絶望的強行と真っ向から対決しています。山本太郎氏の当選をなんとしてもかちとりましょう。

 解雇撤回10万筆署名を
 JR東日本は今、3・11福島原発事故から半年以上も原発の25㌔圏内に放置されていた被曝車両K544の運用再開を狙い、7月16日に交番検査、17日に入場整備、18日に郡山工場への移送を強行しようとしています。動労水戸は12日には時限ストに決起、16日には組合員の総力でストに立ちます。この闘いと連帯・団結し、7・16勝田車両センター前に大結集し、ともにJR東日本に怒りをたたきつけましょう。これは反原発を真っ向から掲げた参院選と一体の闘いです。
 7月5日に行われた動労水戸とJR東日本水戸支社の団体交渉で、当局側はK544の交番検査をやれば、放射性物質を含んだホコリを吸い込む危険性があることを認めながら、「放射性物質の量は健康に影響を及ぼすレベルではない。K544の交番検査は通常の作業として行う」と言い放ちました。
 これは、労働者の命や健康はどうなってもいいし、労働者に健康被害が起きても放射能との因果関係を認めず、JRは何の責任も取らないということです。安倍政権や東京電力がやっている福島切り捨てとまったく同じではありませんか。絶対に許せません!
 安倍政権は、原発再稼働と一体のものとして福島県の避難区域を再編し、県民を放射能高線量地域へ帰還させて補償を打ち切り、県民の切り捨てを強行しようとしています。福島県民の帰還を進めるために、JR常磐線を現在休止中のJR竜田駅まで開通させ、「放射能は問題ない」「避難者は故郷に帰れ」と言って、福島の人たちをさらに被曝させようとしています。K544の運用再開なしにはJR竜田駅までの延伸や高線量地域への帰還強制もできないと、K544の運用再開を暴力的に強行しようというのです。
 動労水戸のストライキ決起は、被曝労働拒否の闘いであると同時に、政府・東電・JR東日本が一体となった福島県民の圧殺を許さず、外注化も絶対に阻止する闘いです。
 この動労水戸の闘いと同時に、国鉄分割・民営化との闘いが最大の決戦を迎えています。動労千葉の鉄建公団訴訟控訴審は9月25日に判決が指定されています。しかし国鉄分割・民営化の時に、JR設立委員会の指示で動労千葉や国労の組合員が採用差別されたという、決定的な新証拠が明らかになっています。事実調べもせずに反動判決を下すことなど絶対に許されません。
 不採用基準を作成した元国鉄職員局次長・葛西敬之(現JR東海会長)の証人尋問を始め、国鉄分割・民営化にかかわった連中を法廷に引きずり出し、すべてを白状=証言させなければなりません。「弁論を再開し、葛西を証人尋問せよ!」という巨万人民の正当な要求を掲げ東京高裁を包囲しましょう。昨年の6・29判決を出した白石哲裁判長が更迭・左遷させられた「白石事件」を含め、国鉄分割・民営化の「真実」を法廷で全面的に暴く闘いは、安倍政権や大阪市長・橋下徹らによる自治体丸ごと民営化攻撃、公務員360万人の首切り攻撃を粉砕する闘いと一体です。
 動労千葉は6・30定期委員会で、「国鉄1047名解雇撤回、外注化阻止、JR貨物賃下げ阻止」を闘って、新たな組織拡大闘争に総決起する方針を確立しました。動労千葉や動労水戸の決起と固く団結して、すべての職場で「解雇撤回・JR復帰」の10万筆署名に取り組み、反合・運転保安闘争路線で外注化阻止・非正規職撤廃の闘いを前進させましょう。7・17国労組合員資格確認訴訟と裁判報告・国鉄闘争決起集会に大結集しましょう。

 世界単一の労働者党へ
 7月革共同政治集会に大結集し、歴史的な大成功をかちとりましょう。全世界が完全に革命情勢に突入している中で、プロレタリア世界革命に勝利する単一の労働者党の建設と登場が求められています。
 革共同は結党以来、反帝国主義・反スターリン主義プロレタリア世界革命を綱領的立脚点として闘い、60年安保闘争、70年安保・沖縄闘争、反革命カクマルとの内戦、国鉄分割・民営化阻止決戦や三里塚決戦、90年代以降の国鉄決戦を基軸とした階級的労働運動の復権の闘いなどを、全力で闘ってきました。これらすべてが労働者自己解放の闘いであり、労働者階級が自分たちの力で労働者党をつくりだす闘いでした。こうした労働者階級の闘いが革共同を国鉄決戦の党として形成し、内閣情報調査室や公安調査庁という日帝の権力中枢が送り込んだスパイ荒川を摘発・打倒する大勝利を切り開いたのです。
 この偉大な革命的地平の上で、革共同は今次参院選を、100万人の労働者人民を組織する労働者党への飛躍をかけて猛然と闘っています。闘うすべての労働者人民はこの革共同に結集して、革命に勝利する労働者党をともにつくりだそうではありませんか。
 そのためにも、革共同に圧倒的な夏期カンパを寄せてください。夏期カンパこそが13年後半決戦を闘う最大の力となるのです。
 7・29千葉地裁包囲闘争に大結集し、三里塚反対同盟・市東孝雄さんの農地を強奪する仮執行付き反動判決を絶対に粉砕しましょう。8・6広島-8・9長崎の反核反原発闘争に全国から総結集し、歴史的成功をかちとりましょう。

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週刊『前進』(2592号1面2)(2013/07/15 )
 渋谷ハチ公前を数千人が埋めた(7月6日)
 「今国会に必要なのは、なんのしがらみもなく本当のことを言える人間なんです。山本太郎を国会に行かせてください!」
 火を噴くような山本さんの演説は、原発への怒り、TPPへの怒り、ブラック企業に象徴される新自由主義への怒り、そして自民党・安倍政権に対する巨万の人びとの階級的怒りが凝縮されている。この訴えが連日、行く先々で拍手と歓声に包まれ、続々と新たな決起を生み出している。選挙活動を支える大勢のボランティアスタッフも目を輝かせて「一緒にスタッフをやりませんか」と訴える。たちまちスタッフ登録に長蛇の列。山本さんの演説に心を打たれ、泣きながら登録に来る人もいる。
 躍動感あふれる大衆行動がどんどん拡大し、社会を変える力が生み出されている。既成政党の泥仕合とはまったく違う、民衆が政治をその手に取り戻す新しい時代の選挙戦が始まった。
 100万人の決起で山本さんを国会へ! 7・21の投票日まで地域で職場で学園で、労組に分け入り、山本支持を訴えよう。
  1. 2013/07/18(木) 10:55:15|
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党創立91周年

古本屋通信  No 306 7月16日

 
党創立91周年



 私こと古本屋通信は、昨日のブログで、生意気にも以下のように書いた。
・・・・・(党員には)党にたいする信頼がある・・。その信頼のネックは2つある。①・・・・ ② 党の不屈の90年史。 今回はこれに就いては詳述はしない

 昨日は7月15日だった、ところが、昨日が党創立91周年記念日であることを私は忘れていた。私は忘れていたが、忘れていない党員がいた。マイッタなあ、もう。
 いつものように、お二人のブログを貼り、そのあとに党史についての、私の思いつきを少し添える。




日本共産党創立91周年   垣内京美   2013年7月15日  
今日7月15日は、日本共産党の誕生日です。創立91周年を迎えました。
 私たちの先輩は、戦前の暗黒の時代にも自由と民主主義を求めてたたかってきました。その歴史の重みをふまえ、この参議院選挙で日本共産党が躍進したといえる結果を出せるようがんばりたいと思います。
 今日は岡山市東区と中区をまわりました。街頭宣伝は15か所。午前中からお昼前まですごい雨で、雷も鳴って大変でした。
 今日もあたたかい出会いがいっぱいでした。岡山市東区古都地域をまわっていたときには、候補者カーにかけよってきた男性から「がんばれよ。赤旗読んでるからな。野党中の野党が共産党だ」と激励されました。
 あるスーパー前で集まってくれた支持者がいたので、そのお仲間かと思ったらそうではなかったご夫婦が最後まで私の訴えを聞いてくださり、「共産党、今いいですよね。がんばって」と声をかけてくださいました。
 中区平井のスーパー横で宣伝して終わったとき、若い男性が近づいてきて「議席とってください」と握手を求めてきました。

 たくさんの激励を力に、明日もがんばります。
7月16日(火)の予定 岡山市南区、北区
8時~洲崎交差点、8時30分~くすりのラブ三浜町店、9時~若葉町公園、9時30分~福成公園、10時35分~JA藤田、11時~JA興除、11時30分~妹尾大寺、11時55分~コープ大福、14時15分~イトーヨーカドー、15時~天満屋、15時50分~春日町、17時15分~奥田ハピーズ、17時45分~旭本町、18時20分~下内田市営住


いいことがあるぞ~(^^)
 河村ひろ子  2013-07-15
7月15日・・・今日は記念日です
何の記念日かって?
それは、日本共産党が誕生して91年!
今日は日本共産党の誕生日なのです
政党として91年の歴史があるのは、日本共産党だけです
古くて一昔の党なんて言わせませんよ!
だって、ますます日本共産党の存在価値が光っているのだから
誕生したり、すぐなくなったり、クルクル党名が変わるような政党とは、まったく違い
よく報道されているように「筋が通った」日本共産党なのです
その共産党の躍進をめざし、今日も朝から晩まで選挙です!
ある女性との電話での対話
「いろいろ政治に対してご不満がおありでしょう、いかがですか?」私が聞くと
「不満だらけよ!自民党は私たちのわずかなお金さえ、取ってしまおうとしている
海外に大きな企業が行っているけど、日本人の雇用はしなくていいのか?
中小企業の支援こそせんといけんのに、自民党のトップはそんな事もわからんのか?
大企業にまた、税金を安くすると言ってたけど、冗談じゃあない!」
・・・と痛快に、自民党政治の批判をされました
(今日は午前中、どしゃぶりでした)
「これ以上、庶民に苦しみを押し付けてどうするのか!自民党が今後たくさん議席を取るととても恐ろしい」
などなど20分の対話
本当にそうだと思うので
自民党政権が続くと、経済も福祉も、いや、人間も痛めつけられ、生きていけなくなります
ある若いママさんとの対話
「自民党の憲法草案には、憲法9条を変えて、国防軍をつくるとなっているのよ、知ってた?」
「えっ!何!?じゃあ、自分の子どもが戦争に行くって事もあるわけ?」
「そうなんだよ、まさかと思うだろうけど、その危険が間近に迫っているのよ。しかも、自由にモノが言えないような社会にもなりそうなんだよ」
「マジで~!?絶対それは許せん!」
などなど、ママさんたちは自民党の憲法草案の内容を知ると、ビックリもされ、怒りとなります
日本共産党は過去、侵略戦争に反対をし、その主張を貫いたため
国家権力には邪魔な存在となっていたのです
特高警察に捕まり、虐殺もされた先輩党員も多くいます
その一人が、あの有名な作家・小林多喜二です
国にとって邪魔な存在が虐殺されるような政治は許されません
日本国憲法を守り
一人ひとりが大事にされる政治を何としても実現しなくては!
上記の写真は、皆川けいし選挙区候補の宣伝カーに乗っていた時の夕方の空
なんと!縦に虹が出ていました!
ヤッタ~きっと、いいことがあるぞ~




 以下、古本屋通信 党史について

 日本共産党の党史について記述した文、論文、本は数え切れないほど多い。書かれた立場もさまざまだが、歴史の長さを考慮に入れても、他党とは桁違いに多い。

 そもそも党史とは何か。
 哲学は哲学史である、哲学史は哲学であるという。これに倣えば、日本共産党に就いて書かれた記述は、すべて日本共産党史であると言える。日本共産党史は、垣内さんの文、川村さんの文、私の文も含む。

 戦前の党と戦後の党について書かれたものの比率。圧倒的に戦後が多いと思うだろう。そして総量ではたしかにそうだ。ところが研究という側面からは断然戦前が多い。戦後日本共産党史は殆んど研究の域に入っていない。その理由はさまざまだが、歴史学一般で現代史が取り残されている理由と共通するだろう。

 各国の共産党にはそれぞれ党史があり、党じしんが書いた党史の記述がある。日本語に翻訳されているもっとも有名なものは、「ロシア(ソ連邦)共産党史」で、岩波文庫ほかの訳書がある。私はアメリカ、スペイン、イタリアなど10ほどの国の共産党史を持っているが、それは殆んどとるにたりない数だ。大月書店刊の 『コミンテルン資料集』(全7冊) もあるが、これはソ連崩壊後の新資料が入っていないので、誰も見向きもしなくなった。
 
 戦前にかかれた市川正一(戦後の党幹部とは別人)の「日本共産党闘争小史」(大月書店の国民文庫)は私の学生時代に党の必読文献だった。27年テーゼ、32年テーゼも当時の『綱領集』に入っていた。私も歴史文献として読んだ。

 ところで、日本共産党には自ら発行している出版物に「日本共産党史」と名のつくものはない。あるのは以下のものだ。
「日本共産党の45年」(1966年刊)、「日本共産党の50年」、「日本共産党の50年・増補版」、「日本共産党の60年」、「日本共産党の65年」(これは新日本文庫版もある)、「日本共産党の70年」、「日本共産党の80年」。

 「日本共産党の90年」は出されていない。何故出されていないか、私なりの推測もあるが、ここではふれない。最初の「日本共産党の45年」は、私の学生時代に出た。独習のうえ党細胞で学習・討議した。このとき県委員会副委員長の石田千年さんが来て、「党は正式な党史は革命達成ご暫くしてからでないと出さない。それがソ連の修正主義と闘って確立した党の立場だ」と説明した(千年さんには本当に世話になった)。

 それぞれの「日本共産党の**年」の記述は、時々の党の立場、見解の変化・発展を反映して政治用語ひとつとっても異同がある。それはそのようなものとして読むのが唯物論的読み方だろう。そのうえで論難すべきは論難したらよい。余談だが、これらを公安はザッとしか読まないらしい。中核派や革マル派の幹部は精読するという。日本共産党の党員は精読されるのだろうか。

 最後に。私は上記の二人が揃って、7月15日を、選挙活動の終盤で忘れずに採り上げた事に感動した。そして私が冒頭に書いた 「(党員には) 党にたいする信頼がある・・・ 党の不屈の90年史」 をあらためて想った。
  1. 2013/07/16(火) 01:26:54|
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党の革命

古本屋通信  No 306 7月15日 

 
 党の革命

 日本共産党を多くの人に支持されるように変えていかなければという発言には、それが善意のものであっても具体的提言がない。政治方針には触れず、いきなり組織方針の民主集中制に難癖をつけてみたり、甚だしいのは党名から共産をハズせという。これ自体ずっと言われてきたことだし、そのつど理論的に批判され、退けられて今日の共産党がある。しかしソ連東欧の崩壊で自信をなくしたのか、このところ党側からの言及が少ない気がする。党の組織原則を擁護し、いかなる解党主義も許さないという気風が衰えている気がしてならない。

 党が大衆的組織政党として、今後圧倒的に影響力を拡大していくために、多くの組織的課題を抱えていることは言うまでもない。問題はより強固で不抜の党を築くための「方向」性である。即ち解党か、それとも逆か。私が咄嗟に思いついた言葉は 「レーニンの党」 「党のボルシェヴキ化」 だが、これだと待ってましたとばかり、右翼社民派が勢いづくだろう。

 私は「党の改革」でもいいけれど、このさい「党の革命」を提唱する。じつはこれ、中核派から借りてきた言葉なのだ。しかしいい言葉だし、中核派のオリジナルではないので抗議されることもなかろう。

 今回の選挙で私は比例3、選挙区1を予測しているが、下馬評はそれより多いらしい。多くても私の共産党の実力評価は変わらない。比例650万とっての5議席ならともかく、そうでない場合は実力3だ。私は吉良よし子さんの出現は嬉しいが、東京選挙区で吉良さんが公明党党首の山口より上位に来るという予測を了解するわけにはいかない。万一そういう結果が出ても嬉しくない。党の実力ではないのだから。

 ま、それは措いて、今回なんとか吉良さんが滑り込めたとする。大阪その他は無理だと思うけど、他党の失政の組み合わせで、こちらも当選したとする。いったい何故当選したのだろうか。他党に失望し、自共対決が鮮明になり党の政策が支持された。その通りだろう。ではそれを保証したのは何なのか?
 ここではっきりと言わねばならない。党組織が、党の組織力だけが勝利をもたらせたのだ。もっと言おう。党の組織力のかなめである民主集中制が勝利をもたらせたのだ
 「民主集中制の組織原則だけが勝利をもたらせた」。傍証もある。まだ少し早いが、結果は見えているから書く。緑の党(横田悦子さんところ)は今回惨敗だろう。都議選の公認で結果が出た。参院選も変わるまい。なぜだめだったのか。組織が民主集中制でないからだ。

 これと関係した件をもうひとつ。さきの総選挙で緑の党は金がなくて立候補をやめた。共産党は全選挙区で戦って殆んどのところで金を没収された。決定的な違いは金の有無だ。共産党の党員と支持者は金持で、緑の党員は貧乏なのか。そんなことは絶対にない。共産党の党員は60歳以上の年金生活者が多い。むしろ緑のほうが年間所得は多いかもしれない。決定的な違いは何か。共産党員で定年退職時、かなりの額を党に献金する者がいる。なんの見返りもなくだ。なぜ共産党員は100万、場合によっては1000万単位の金を党に出すのか。党にたいする信頼があるからだ。その信頼のネックは2つある。①民主集中制 ②党の不屈の90年史。今回はこれに就いては詳論しない。

 今回のタイトルを中核派から借りてきた理由。革共同では数人の党費で専従一人の生活を支えるそうだ。市民派に真似ができるか。

 最後になるが、マルクス主義も社会主義も放棄して品の悪いサロンでしかなかった共産主義者同盟(ブント)の最終崩壊を報告しておこう。
一時休刊のお知らせ By actio_edit On 2013年6月17日· Leave a Comment · In インフォメーション急ではありますが本誌「Actio」の方向性について会員間で議論することになり、8月号と9月号を休刊させていただきます。 9月20日に発行する10月号で議論の結果をご報告します。場合によっては、発行回数や定価などを変更することがあります。読者の皆様にはご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、ご理解をお願い致します。


参考  ウィキペディアの記事より
ブント (市民団体)
(BUND)は日本の市民団体で元新左翼党派。BUNDとはドイツ語で「同盟」を意味する。1997年に共産主義者同盟(旧戦旗・共産主義者同盟、日向派または荒派)がブントと改称し誕生した。その際「ブントのマニフェスト」が発表されて共産主義革命と武装闘争路線を放棄し、自由主義を認めたうえでの社会変革と環境革命が掲げられた。ワークショップやフィールドワーク、コンサートの開催など、他の新左翼党派には見られない活動をしており、若手の獲得にも成功している。
2008年1月、臨時総会で組織名称を「アクティオ・ネットワーク」に変更。Actioとはラテン語で「活動」を意味する。アクティオ・ネットワークは、「党派」ではなく、各地域の社会運動団体からなるネットワークであると自己規定している。
なお、公安警察はアクティオ・ネットワークを今なお極左暴力集団とみなしており、アクティオ・ネットワークはこれに抗議している。 2010年5月、総会でアクティオ・ネットワークの組織的解消と一般社団法人アクティオへの移行を決定。 2011年8月、事務所を東京都台東区に移転。 2012年5月、水澤努が代表理事を辞任し共同代表理事制に移行。
組織[編集]
代表:年次総会で2名の共同代表理事を選出
機関紙誌:Actio
活動拠点:アクティオ編集部(東京都台東区)
年表[編集]
1995年1月 共産主義者同盟が機関紙の「戦旗」を「SENKI」と改称。荒岱介代表。
1997年3月 共産主義者同盟が名称をブント(BUND)に変更。「ブントのマニフェスト」を発表し共産主義を放棄、環境派へのシフトが行なわれる。
1997年7月 ファシストを自称する元活動家に対し、数名の現役活動家がロフトプラスワンで殴る蹴るの暴行を加えた。ブントは、それ以前に「殴り合い」があり、当日は構成員が「個人的憤激」から殴りかかったものであり組織的なものではないとしている[1][2]。また、2000年6月にも同じ元活動家に対して同じ場所で再び集団暴行を加えた。これもまたブントは「眼鏡を割られて」「思わず手か足を出した」ものであるとしている[3]。さらに、2001年10月には、ブントの参加した集会会場入り口付近に現れマイク情宣を始めた同じ元活動家のマイクコードをひきちぎったとして、構成員が器物損壊罪に問われた[4]。
2007年5月 荒代表辞任。総会で水澤努を新代表選出。
2007年5月 総会で機関紙名の表題をSENKIからActio(アクティオ)に変更。
2008年1月 臨時総会で組織名称を「アクティオ・ネットワーク」に変更。
2009年9月、Actio2009年10月号から発行主体が「一般社団法人アクティオ」に変更された[1]。
2010年5月 総会でアクティオ・ネットワークの組織的解消と一般社団法人アクティオへの移行を決定。
2011年8月 事務所を埼玉県蕨市から東京都台東区に移転。
2012年5月 水澤努が代表を辞任し共同代表制に移行。
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  1. 2013/07/15(月) 02:53:48|
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