古本屋通信

万歩書店平井、最終日

古本屋通信  No 166  3月31日


  万歩書店平井、最終日

 万歩書店の平井店が最終日なので行ってきた 。延長しないらしい。特筆すべき事はない。買った本だけ書いておく。本もまた残りもので、特に書き添えることはないのだが、最後の『戸坂潤全集』について一寸だけ添えたい。

失われた文字の解読 Ⅰ  E・ドーブルホーファー  山本書店   1963年再

国家と変革の思想  榊利夫  大月書店  1976年再

民主主義の思想家シリーズ 山本宣治 下  佐々木敏二  汐文社  1976年

壮年  林房雄  第一書房  昭和11年 初版

津山城および津山の景観  杉山宇三郎  柿木書店  昭和38年 初版

近代作家研究事典  其刊行会  桜楓社  昭和58年 初版

最終講義 分裂病私見  中井久夫  みすず書房  1999年 再版

復録 日本大雑誌 昭和戦前篇  流動出版  昭和54年 改装初版

戸坂潤全集 第三巻  勁草書房  昭和54年 第9刷(第1刷は昭和41年)



 戸坂潤全集』 について思いついたとき( いま )メモしておく。私が最初に買ったのが何時だったか、昭和42年だったろうから各巻とも初版ではなかったことは確かだ。この第三巻を四国の小さな大学の哲学研究会で使った。この巻ではなかったけれど、月報に岡大の近藤洋逸先生が一文をよせておられた。これを読んで私は近藤先生に会いたくなり、哲学研究会顧問の山内重幸先生に相談した。連絡をとってくれたのは別人だが、山内先生は「会いに行ったらよかろう」ということだった。その後のあれこれは省略するが、私は戸坂潤全集』の月報、近藤先生の一文だけでなく、すべてネット化しておきたいと思っている。一気にはいかないが、少しずつすすめたい。しかし著作権法と出版権について少し研究する必要があるかも知れない。

註 山内重幸
「疎外論の構造ー現代「疎外」論の批判をめぐって」( 香川大学学芸学部 研究報告 第1部 第18号  昭39年1月 )
46年度共同研究科目「現代思想と学生」についての総括 ( 香川大学一般教育研究  1973年1月 )
「運動としての一般教育の基本点をどう抑えるか」 附「共同研究科目」中間総括 ( 香川大学一般教育研究  1971年10月 )
  1. 2013/03/31(日) 13:07:39|
  2. 未分類

24時間労働

 古本屋通信  No 161   3月22日


 24時間労働

  たった今、24時間労働を終えて、店から帰って来た。ふろに入ったら、せいせいした。先日残してきた古本。残本のダメ押しチェック。捨てる直前の、再生の試み。回集業者さんとタッグ。

3時間ほど眠ります。

 すっかり眠ってしまった。いま深夜。これから店に行って、蘇生させた古本の整理にかかるが、そのまえに今回のクチについての補足的メモ


いちど殺したのち活かした全集の揃本は、谷崎潤一郎全集、芥川龍之介全集、永井荷風全集、小泉信三全集他10揃本。はじめから活かしていた吉川幸次郎全集、与謝野晶子全集など15揃本と併せて30本。これが重量もあるが重い。どんなに安くしても売れないのだ。だから倉敷の蟲文庫さんなんか、ハナから買わないそうだ。ウチも単独では買わない。与謝野晶子全集の標準売値は10万円だが、買取り価格はいくら出しても5千円だろう。気の毒だがそれ以上出せない。

このことは大型美術本についても言える。今回20函の単品と2揃本を買った。支払ってもよいとおもったのは、大修館の原色浮世絵大百科事典の一点のみ。他は交換会で単独で値がつくことはない。

今回、最終で約500冊の単行本を活かした。それについて。旧蔵者は老夫婦、筋は地方銀行の取締り役だったらしい。保守系の文学書が中心だ。ビジネス書は一冊もなかった。大前研一などもなかった。しかし保守系作家の本はたくさんあった。このうち初版本を復活・再生させたのだ。大江健三郎はなかった。安部公房はあった。有吉、山崎・・・ゴメン、おもいだすのも鬱陶しい。元パラ付きの美本ばかりだ。すでに吉田健一と白洲正子がまとめて売れた。それに気をよくしてのスケベ根性だ。

 午前零時をまわった。これから店に出掛けます。
  1. 2013/03/22(金) 11:14:01|
  2. 未分類

シンフォニー古本まつり

古本屋通信 No 160  3月20日

  シンフォニー古本まつり

 今日はシンフォニー古本まつりの初日だった。私はいつも買う側だ。午後から出掛けて、約1時間かけて10点買った。そのうちの3冊の書名をあげる。

いつも労働者の中に 鴨川俊作さんを偲んで 
 
私が通信 No 30  ふたりの完結 昨9月22日 で書いた本( 買い損った本 )をやっと買うことができた。57人のひとが追悼文を寄せている。追悼文集としては多いほうだろう。いまでは古本でしか読めない。ここでは石井ひとみさんの全文を貼る資料1

カゲロウ異聞 坪井宗康詩集
 この詩集、私は実によく売った。といっても7,8部だが。店に常備している筈なのだが、切らして坪井あき子さんに譲ってもらったこともある。いまも手許に2冊ある。しかし今回は著者署名があったので買った。献呈先は、実名は遠慮するが元国会議員である。色々な事情で献呈された本を手放すことは失礼でも恥でもない。一部にあるかもしれない「誤解」は、この業界にある者としては氷解させたい。
 坪井の本はどれも秀逸だが、この詩集は装釘が飛び抜けてよい。私は宮園洋は凄い装釘家だと思うが、そのかずある作品のなかでも、この装釘はベスト10に入るのではなかろうか。
 それと、私はこの詩人の生前の詩集と、死後の本の区別がつかなくなるときがある。署名があるのは生前の詩集「だろう」。「だろう」と書いたのは死後の本でも、稀に署名があるからだ。ある古本屋から近代文学の大家の初版署名本十数冊がでた。その中に死後初版本数冊が含まれていた。サインは全冊が偽サインと推定される。古本屋はお咎め有りや無しや? 正解は、無しだ。署名は有無をふくめて、古本屋の感知・関知するところではない。「署名あり」と明記していてもだ。理屈をいえば、それが最終販売人の古本屋が書いた「署名あり」である証拠がないからだ。

けだもの考証録 くにさだ きみ詩集  
 この詩集ももっている。なのに買った。理由はひとつ。挟んであった一枚の著者の挨拶文が欲しかったからだ。私は時々、挟げもの欲しさに古本を買う。といっても、出版社の月報や宣伝物は要らない。自費出版またはそれに近い本の挨拶状だ。これは本文の自註もしくは解題に近いものだ。私はこの一枚が欲しかった。やはり貼っておきたい資料2
 くにさだきみは私が最も好きな詩人だ。といっても詩は私には分らない。『ミドウェイのラブホテル』以来のファンだが、詩について言うことはできない。詩集ではない散文集 しなやかな
抵抗の詩想 くにさだきみ詩論集』 が コールサック社から2010年に出版されて読んだ。ただ唸った。そのとき思いだしたのが、三宅陽介氏がまがね文学会で「ひとつ小説をかくには百の小説をよまなければならない」という意味のことを言ったことだ。いい詩は天才がかくと思っていた。然し、くにさだきみは凄い努力の人ではなかろうか。散文を読んでそう思った。詩人は少し近い人になった。


 資料 1
 々しい好奇心・探究         石井ひとみ
 
党中央での新しい任務のなかで、日を経るにつけ、しばしば鴨川さんのことが頭によぎり、一度お訪ねしたいと、かねてから思いつづけていました。
 それは、中央でのしごとにたずさわってみて、あらためて鴨川さんのさまざまな問題への研究、学習への態度や党活動にたいする原則的な姿勢に学ばされていますと、ぜひ伝えたいと考えていたからです。その機会ももてずにおわり、大変残念で心のこりです。
 人柄に直接ふれるようになったのは、私が県常任委員となった1985年。その時、鴨川さんは県副委員長をされていました。同じところで活動することになって、たびたび驚かされました。なにしろそれまでの印象は、「理論性が高くてまじめな方」というものでしたから。
 まず、多彩な趣味。FM 放送からいろんなジャンルの音楽を録音して楽しんでおられたのもその一つです。時々私もそのテープをいただきましたが、「え、こんな歌手も知っておられるの」とびっくりするなど、若いアーティストたちにも通じておられました。
 若々しい好奇心と探究心は、私たちにも刺激的でした。 
 また、みんなが疲れているなと感じられたら「お菓子のカンパ」といって、みんなに甘いお菓子をふるまわれるなど、細かい心づかいも印象的でした。
 なによりも、すごい勉強家。新本が発売されたら、すぐ購入。「全部読まれるんですか」とお聞きすると、「目次を読み、ページをめくっておくと、何かに問題意識をもったとき、いざ、それに関係するものを読もうとするとき、すぐにでてくるから」といわれていました。鴨川さんにこういう資料はありませんか」と尋ねると、翌日には、それが机の上におかれていました。「どんな整理をされているのか、一度みせてください」とお願いしたら、「ダンボール箱にいれるだけで、とてもいま人に見せれる状況じゃないから、また」と言われてしまいました。ダンボール箱が何箱もあるなかで、必要なものがすぐでてくるのが不思議で不思議で・・・・・。
 いま、あたらしい雑誌や本が届くたびに、「鴨川さんはこうされていたな」と思いながら目次をめくっています。鴨川さんから私なりに教わったこと、ぜひ引き継いで、次の人たちにも伝えていきたいと思います
。(日本共産党中央委員会組織局次長)
   


 資料 2
 詩集「圧」をつくってからのち、二十年近い歳月を経ています。第一詩集に「圧」という名をつけようと思ったとき、わたくしは、つづく詩集の題名は、何としても「抗」でありたいと念じて来ました。けれども、日々、心に鬱積し、屈折をつづかるものは、容易に「抗」とはなりがたく、ようやく編み得たものが、この「 けだもの考証録 」です。
 恥しい作品です。
 「 抗 」とはとても名付けがたく、題名のとおり、けだもの臭い作品ですが、わたくしは、この詩集を組むことで、あらめてみなさんのご批判にふれ、「抗」への足どりを確かなものにしていきたいと考えました。
 ハガキを折込んでおります。
 厚かましいお願いではございますが、どうぞ、ご批判、ご感想等、お寄せくださいませ。
 なお、上梓にあたってご援助くださいました、土井大助、滝いく子、坪井宗康、道満誠、沖長ルミ子諸氏をはじめ「励ます会」にご参加くださいました先輩や友人のみなさん、発行の仕事に直接携って下さいました上村利子氏に対し、心から厚くお礼を申し上げます。
 けだもの臭い詩集ながら、あなたの心のどこかで溶かされ、あなたとぢかに触れあえますように・・・・。       くにさだ きみ

 古本屋通信 註 文中の黒字部分は縦組みで傍点が付されていた個所だ。

   
                     
 
   別件  

 古本屋通信


 先日の私の「問題提起」に対して、石崎徹氏がそのブログで短文を書いている。私のリンク集から読める。かれは私の誤解との見解らしい。討論はしないと明言したので禁欲したいが、有難かったのは事実だ。それから氏の頁、私は小説は歯が立たないが評論には目を通す。三浦だとか新船の名がなつかしかった。氏の今後の健筆を期待したい。
  1. 2013/03/20(水) 21:44:33|
  2. 未分類

高額2点

 古本屋通信 No 159  3月19日

 高額2点

 先日オークションに出品していた2点が売れた。

戦ふ朝鮮 写真報道 昭和20年6月 朝日新聞社 朝鮮総督府  15000円

少国民のための大東亜戦争詩 恩地孝四郎装丁 昭和19年 初  20000円


15年戦争末期の昭和16~20年、日本の狂気が最終段階に突入した時代の出版物がどんなに酷かったか、紛れもない証拠物件である。しかし、いま日本が再びその直前まできていることを直視しないではいられない。

いよいよ安倍自民党が改憲の牙をむき出しにして来た。日本の左翼もリベラルも一致して戦おう。日本を戦前の戦争をする国に戻してはならない。狂気の日本に戻してはならない。

日本が大正デモクラシーの時代から満洲事変をへて本格的な侵略戦争に突入していく過程、そこには政治、経済、教育、文化あらゆる分野で改変があった。私は戸坂潤をリーダーとする唯物論研究会に集う哲学者たちを追った。昭和の最後の抵抗だった。機関紙『唯物論研究』の端本を古本屋でかって読んだ。これが哲学科にすすむ契機になった。

戦後ふたたび侵略戦争をする国の危険が差し迫っているとき、街頭に出て改憲反対を訴える、これは大事だ。だがもう一つは自分の日常生活の足もとを固め、合理主義をつらぬき強靱な批判精神を身に付けることもまた必要だ。

私自身は学生時代の前半に左翼活動をした。これは貴重体験だったけれど、いまの時代なんの勲章でもない。今日の時代、バカにされこそされなんの神通力もない。それは吉本隆明(死んでしまったから引く)のいう「擬制の終焉」の遅れ馳せの到来だ。党派はいま一度、個人に解かれねばならぬ。

すぐ直前に書いた記事。じつは書こうか書くまいか迷った。垣内さんがいて、一級の記事を書く。そこにあのコメントが付く。みんな同じ党派だろう。だれも私のような茶々は入れない。私はほんとうに党派はいちど解かれねばならないと思っているのだ。世間は共産党が政権を取ることを恐れている。私もまた同じ心配しているのだ。私がこのブログで否定的にとりあげたひとが権力者だったら日本は旧ソ連よりもひどい国になっただろう、と。

かれらは石原よりも、安倍よりも、橋下よりも確実に悪い。なぜなら3人は少なくとも言語明瞭だが、かれらは言語不明瞭だ。3人は冷めた狂人だが、かれらは酔っぱらった痴人だ。後者は世間に出すまえに、左翼内部で潰さなければならない。ここまで書いてトロツキストの予感に慄いたので中断する。私はまだトロツキストにはなりたくない。
  1. 2013/03/19(火) 22:16:06|
  2. 未分類

乞う、御検討

 古本屋通信 No 158  3月19日

 乞う、御検討

 下記は [通信 No 156] に引用した投稿者七誌氏の短文である。再度引用する。


 イシハラが日本はアメリカの「属州」になるとか言ったそうですが、アベはその方向に進んでいます。
自民等の憲法は、事実上、アメリカの自治国の憲法みたいなものになるのではないかと思います。
日米安保条約を憲法を超えるものとして運用しているように、TPPなども同じになり、アメリカの支配が深刻化するでしょう。
自主的に決められることが著しく狭くなります。
今までアメリカの戦争をやりにくくしていた日本国憲法が取り払われ、アメリカに支配され易い制度に作りかえられると思います。
アベはその方向に進んでいます。
みっともない<従属国家>ですから、それを覆い隠し仰々しく飾る立てるために天皇を使うなど、個々の制度は利用するにしても、それは明治憲法への単純な「復古」ではないと思います。
投稿: 七誌 | 2013年3月16日 (土) 08時55分
  


 以上を読んでほしい。私は特に言う事はないのだ。あきれてモノが言えないというのではない。ただ、よく分らないのだ。少なくとも胸に落ちない。「少し言葉が足りないけれど言いたいことはよく分る」というひとはこの項、パスして下さい。私と同じように???と思ったひとだけ、立ち止まって考えて下さい。

 私はこの人、文章はけっこう達者だと思う。しかし、社会と政治もっといえばあらゆる事物を認識する点で、どこかおかしいと思う。あえて挑発的にいうが、この人がおかしい点において、石原、安倍、橋下はおかしくないと私は思う。晒し者にしてわるいが、何処かで話題にしていただければうれしい。( 弁証法的 ) 認識論の問題としては学習協さんあたりで、表現方法 ( 論 ) の問題としては民主文学会さんあたりで、文章心理学・精神病理学の問題としては民医連さんあたりで話題にされることを望みたい。私は単なる問題提起だけで、討論には参加しない。


若干の補記
 問題提起だけというのは傲慢だと言われそうなので、ほんの一寸だけ指摘。
「イシハラが日本はアメリカの「属州」になるとか言ったそうですが」
「アベその方向に進んでいます」
事実上、アメリカの自治国の憲法みたいなもの
「日米安保条約を憲法を超えるものとして運用している」
「アメリカの支配が深刻化する」
「自主的に決められること」  以下、略。 
 使われている色文字と太字は曖昧語または曖昧使用で、ふつう使わない。使うと腰がふらついて見える。自分の言っている事に自信がないので誤魔化すとき使うのではないか。中高生がちょっと背伸びしたいとき使うが、大人は使わない。
 あとは宜しくお願いします。
  1. 2013/03/19(火) 04:24:37|
  2. 未分類

古本屋の日々

 古本屋通信 No 154  3月14日


 古本屋の日々

 きょう第二木曜日は古本の岡山市会 ( 業者の交換会 )だった。出品していた本の約半数の12点が戻ってきた。つまり最低価格の1000円でさえ、買う業者がいなかった。出品を準備する時には必ず落札されると確信して出すのに流れた。何故だろうと考える。

 古い古書が売れない。郷土史誌が安いのは覚悟のうえだが、古いながらも綺麗でないと値が付かないのだ。疲れていると付かない、経年変化もだめ、使用感もだめ。それにしても赤磐郡関係4冊が流れたのには驚いた。一万円はいく良品だ。こうなると私は古本の存在価値が分らなくなる。

 私の店の柱は社会科学と人文科学だ。綺麗に越したことはない。しかし当店では蔵書印を押していようが、傍線を引いていようが、値引きしない。当然格安の値つけもしない。気に入らなければ買ってくれなくて結構という態度だ。しかし市場はまるで違う。ネット販売の普及で痕跡本はますますゴミになった。

 逆に、疲れた文学関係の初版本 3 箱が1万円の安値で手に入った。信じられない値だ。なかにプロレタリア文学も入っている。すこし痛んでいるだけだ。いまや文学の初版本など見向きもされない。東京のあきつ書店、えびな書店が何で生き延びているのか分らない。私は個人的には、大正と昭和初期の小説本が好きだ。


 話は一昨日と昨日に戻る。一昨日とつぜん書庫に案内された。老齢を迎えての本の整理だ。ざっと1万冊はある。ほんの一部を残して持っていって欲しいとのこと。何のつてもない方だったが、大学の周辺には当店しかないので、前まえから声を掛けようと思っていたとのこと。一昨日まず バイク 3 台分を買った。吉備群書集成、国史大辞典その他。そのとき全書籍の査定を済ませ、翌日の手配をした。運送業者さんへの依頼だ。

 昨日 3 時間で書庫の中の必要な本をすべて買った。つまり持ち帰った。その数は約1000冊、つまり全体の十分の一だ。あとはすべて古紙回収業者さんにタッチした。つまり
ゴミとして処分するのだ。私が持ち帰った本は選び抜いた本だから、それなりに支払った。しかし私は喜びはしなかったし、興奮もしなかった。私が本当にほしい本ではなかったからだ。
 
 今回はオーソドックスな読書家、蔵書家の本だった。研究者ではない。どちらかといえば、経営者の系列にぞくする教養人だろう。90歳に届く手前の老人は精悍かつ温厚だった。これまで集めてきた本を手放すことに多少のさみしさを見せながらも、決断にためらいはなかった。しかし間違ってもブックオフには売るまい。

 本は岩波の古典文学大系全巻、近代文学の大家十数人の個人全集、美術全集など一万冊。すべて新刊での購入だ。古本は一冊もない。彼が購入に要した金額はトータルで三千万円以上だろう。私が支払ったた金額は十万円に満たないたない。それに対する不満はない。気持のよい取引きだった。

 私の役目は古本を活かし、次の世代に継ぐことだ。売買価格は市場原理に拠って決定される。私が恣意的に決定する部分は極めて少ない。

 
  1. 2013/03/14(木) 16:43:21|
  2. 未分類

大東亜戦争詩

 古本屋通信 No 152  3月11日


 少国民のための大東亜戦争詩 

新入庫本中、オークションで既に落札されたものもあるが、現在出品中が26点ある。そのうちの優品6点をメモしておく。

戦ふ朝鮮 写真報道 昭和20年6月 朝日新聞社 朝鮮総督府  
  結果 15000円 落札


石原豪人 装丁 河童の源四郎 栗田信 昭和31初 スワン文庫  
  結果 3000円 落札


感想集 夢と影 水谷まさる 大正13初 交蘭社 希少本 箱付  
  結果 


満州みやげ 絵葉書50枚綴じ 明治39再 奉天 遼陽 金州他  
  結果 3500円 落札


爆裂艦隊 霹靂火 押川春浪序 大正元年 本郷書院  
  結果 10500円 落札
 

少国民のための大東亜戦争詩 恩地孝四郎装丁 昭和19年 初  
  結果 20000円落札 




  については、既に No 148 で書いた。 について少しだけ書いておこう。

少国民のための大東亜戦争詩』 は副題に「北原白秋氏に捧ぐ」とある。戦時末期の狂気の合同詩集で、編者は与田( 與田 )凖一である。百田宗治、広介、犀星、南吉、省吾、雨情、惇夫。純一、柳虹、雪夫、しげる他が詩をよせている。まあ、ここまで書くのかという「見事な」 詩の集成である。戦時中これだけの詩をかく詩人を、私は許すことはできない。心ならずも ・・・・ では済まない。だいたい文学も詩も全身全霊でかくものだ。心ならず書けるものではあるまい。文学界の A 級戦犯である。

 この本、今回の整理で最後までみつからなかった。残り少なくなった未整理の中から取り出して来て呉れたのは、常連の M 学園高校の K 先生である。かれは戦時下の教育に関わる本をかう。で、この本を山の中から抜いてきた。私はすでに何回も見ているのだ。なのに、やり過ごした。

 改めて本を見た。背文字が薄い。とくに最後の「詩」の一字が背文字で消えている。私は「少国民のための大東亜戦争」までしか見なかった。副題は背にはなく表紙字だけだ。最終までに発見しないで捨てた可能性50%だ。危なかった。K 先生に感謝だが、先生は教育の本ではないから、凝りがなかった。私は咄嗟に 38000 と値を付けた。そのあとで、すべてのウェブサイトを見た。どこにも本がない。あるのは国会図書館だけだ。

 戦時末期にかなり売られた詩集が、戦後なぜなくなったか? 戦後も戦後、すでに七十年近く経っている。戦中の詩集は時代の合わなくなったので、捨てられて自然に消えていったのだろうか? 否、断固ちがう。それは戦後すぐに、そして少なくとも戦後二十年にわたって意識的に古書市場から消され続けた。誰の手によってか? ここに詩を寄せた詩人たちの手によってだ。間違いない。これを確信したのは、古本屋をはじめて暫く経ってからだ。戦時のイカレ本はいくらでも出てくる。思想、歴史、美術は腐るほど出る。文学も散文つまり小説、随筆、研究書はいくらでも出る。しかし韻文、とりわけ詩が出ない、ではなぜ詩だけ必死に掻き集められ消されたのか?それは詩がもっとも「迫力」があり、それだけに狂っていることが誰の目にも明らかだったからだ。

 この詩集には詩を寄せてはいないが、同じような詩を戦中の書いて戦後詩壇に復帰した永瀬清子を、私は許すことができない。この一点のかぎっては、私は戦後岡山の全ての詩グループのご都合主義が許せない。尊敬する坪井宗康も含めてだ。詩グループに属さない県北の若い詩人ちゅうたしげるを好ましく思う。

 『少国民のための大東亜戦争詩 』 本当はオークションに出さず持っておきたかった。で、出品代行の Y 氏のところに持ち込んだ。私は出品するとしても 3000 円スタートだと思っていた。ヤフオクはこの分野に弱い。 するとかれは、いきなり2万円スタートで行くという。けっきょく金ほしさに預けた。本は昨夜のうちに出品された。あとは成り行きだ。




 

  1. 2013/03/11(月) 01:06:58|
  2. 未分類

セクト主義とは何か

 古本屋通信 No 151  3月9日


  セクト主義とは何か

 表題の 「セクト主義とは何か」 は、たった今 30 秒まえに思い付いた表題である。しかし懐かしい語句だ。よし、これで行こう。

 セクト主義の語で2つの使用例を思い出した。いずれも1960年代に私が20代の頃、日本共産党員のあいだで、「 二つの戦線での戦い 」のひとつ、「左」翼的偏向の例として使用された。

① 中国共産党の毛沢東らのマルクス主義からの逸脱 (文化大革命) と、日本国内の盲従分子の策動が日本の革命運動にとって主要な危険になった1966年、「アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために」(『 赤旗 』1966年2月4日)の論文が発表された。この中で教条主義セクト主義の語が使われた。

② 宮本顕治が文芸評論選集の中で、50年分裂時の人民文学派=徳田派のセクト主を批判。

 詳述はしないが要するに運動を狭め、敵でない者まで革命運動から遠ざける誤まった傾向のこと。

 私はこれを最近の日本共産党員のブログによせるコメントに見た。せっかくいい記事がある。そこへ、オリジナル記事に匹敵する頻度と量のヨイショ・コメントを投稿する。投稿者が善意であれば拒絶はしにくいだろう。結果、オリジナル記事の他の訪問者は一瞥してうんざりし、足が遠のくこれがセクト主義である。つまり広範な人々を結集すべき運動であるのに、「狭い味方」が垣根を作って、統一戦線を毀してしまう。主観的意図がどうであれ、これは運動の妨害である。

 ブログにも色々ある。大勢の討論の広場、或いは交流の場、ならば無制限の投稿もよい。しかし一般的には他人の庭を訪問しているのだ。たとえ管理人が拒否しなくても節度というものはあろう。たいがいにしたほうがよい。これも一般論だが、常連客であろうとするなら、みずからも他者の訪問を受け入れるブログなりを持つべきだろう。これがネット社会の良識且つ常識だと聞いている。つまり、他人の褌で相撲をとるな!ということだ。贔屓の引き倒しは運動を狭め、いびつにすると知らねばならない
  1. 2013/03/09(土) 23:28:07|
  2. 未分類

上田耕一郎著作集

 古本屋通信 No 150  3月7日

 上田耕一郎著作集  第1巻

 丸善の売り場がリニューアルされたというので出掛けた。棚がジュンク堂なみに高くなっており、本の数が圧倒的に増えた。これが売上にどう出るか、私には分らない。むかしはこういう棚だった。これだと圧迫感があり、万引きも起きやすいということで、全国的に一斉に棚が低くなったのだ。今回はむかしがえりだ。どういう魂胆か分らないが、書店の空間で買物を楽しむ時代はおわり、書店は実務的に本を選択するだけの場所になったのではないか。これからは本の絶対数だけがモノをいう時代、書店側はそう考えたのではないのか。

 店内をざっと一巡してみた。すぐに慣れることができた。私は新刊書店に関しては環境適応力がある。読者としてだけでなく、出版社の営業者として全国をまわったから。う~ん、ちょっと図書館的になった。書店に本を選ぶこと以外を求めるなかれだ。経営者がそう言っているように思った。

 哲学・思想の棚から政治の棚へ。そこに私は上田耕一郎著作集 第1巻
を発見した。第1巻 は 1958 年~60 年代の著作である。ある予感があった。『戦後革命運動論争史』 は当然入っていないだろう。1964年に絶版にして、その二十数年後に自己批判したのだから、ちょっと容れないだろう。
 では マルクス主義と平和運動』 『マルクス主義と現代イデオロギー』 の2著に収められた論文はどうなのか?
 私は、『マルクス主義と平和運動』 は入っていないだろうが、入っていれば大したものだと思っていた。結果は、この労作はまったく容れられていないだけでなく、「序文」も「解題」も上田にこの著作があることさえ触れてない。実に徹底したものである。予想通りである。もうひとつの不破との共著の労作 『 マルクス主義と現代イデオロギー 』 はどうか。これは果たして新著に収められていた。これはイデオロギー分野の論稿であって、現代修正主義批判の政治論文ではないからだろう。私の予想した通りだ。この2つとも消してしまっては、この期のかれの仕事は何も残らない。

 日本共産党第9回大会(1964年)で、上田と不破の兄弟ははじめて中央委員候補に選ばれた。私はまだ入党を許されておらず、民青同盟員で18歳だった。このとき上田は36歳、不破は32歳だった。上田は前2著を、不破は上田との共著と独自の「マルクス主義と修正主義」をひっさげて中央入りしたのだった。いうまでもなく二人は61年綱領の若きイデオローグとして颯爽と現れたのだ。( この続きは折りをみて書くかも知れないが、これだけで十分だとも思う。)

 

参考・古書価
『マルクス主義と平和運動 (1965年)』 上田耕一郎
 * 日本の古本屋  出品・在庫 なし
 * amazonn 中古 ¥5,900から 4点 出品

 面倒だから貼らないが、ここに挙げた他の本も古書価が付いているはずだ。
  1. 2013/03/07(木) 19:10:13|
  2. 未分類

続・整理の途中で

 本屋通信 No 149  3月5日

 
 続・整理の途中で

 やっと日常生活に戻った。然しまだ系統だてた文は書けない。断片的に思い付いた事を書く。

①昨日の『戦ふ朝鮮』は5000円スタートで、すでに最初の入札があった。あと6日でどれだけ伸びるか?2万円はいってほしい。

②入荷初日に出品した学参「傾向と対策」シリーズのうち、幾何2点は8350円と10500円で落札した。まずまずのスタートだと思う。きょう水曜は代行が定休日なので、あす『河童の源四郎』を預ける予定。

③1週間でそこそこ現金で売った。5~6人の客人は全て同業と常連だ。いちげんは一人もいない。そもそも店を開けていなかった。大口が入ると、いつもこんなふうになる。

④岡山の郷土ものは昨日中に3月の市会出品の手配を完了した。郷土史誌はいよいよ安い。『備中誌』等の良品は出品しなかったので、15点で3万円がいいところだろう。10年まえの半額だろう。

⑤明治・大正・昭和戦前の教科書が500冊はある。現状では売り難いが、捨てるには忍びない。分類などひと工夫して他日に期す。もっか思案中だ。いまはダメだが10年後には値が付くという予測がある。それまで生きられるか。

⑥明治・大正・昭和戦前のかたい古書のうち、思想、哲学系は一般教養書で、ありふれている。歴史系も凡百だ。しかし流石に教育書にはいいものがある。いずれ機会をみて書名もあげるが、「日本の古本屋」の付け値が一万円前後の本が10冊ほど。すでに4,5冊売れた。但し、万歩並みに超値引きして売った。あとはじっくり店で売る。市でもオークでも値だつかない。私の専門分野だ。

⑦15年戦争期の本が総じてイカレ本であることは論を俟たないが、明治・大正時代の本がすべて入れ替えられた訳ではない。西田・田辺の哲学本がずっと読まれたように、教育関係にも必ずしも時流に流されない研究書はあった。しかし戦争末期の旺文社の思想戦叢書は酷かった。

⑧近代日本の研究書には、西洋とりわけ独逸の影響が色濃い。今回は洋書は少なかったが、それでもかなりあった。英語と独逸語が半々だ。当時の師範学校はこの2つだったのだろう。仏語と中国語の本は一冊もなかった。英語が敵性語として敬遠された痕跡はない。

⑨郷土関係に地域産業・農業などの資料ものに面白いものがあった。軽便鉄道の決算書の類いもある。これは捻って金にする、私はこれに慣れていない。

⑩以上は殆んど爺さんの本だが、孫娘の本では昭和30年代の学参がよい。自分の使った参考書だから量は知れているが、英語と数学がよい。旺文社全盛の時代だ。
以上、気がついたままに書いた。
  1. 2013/03/06(水) 17:54:26|
  2. 未分類
次のページ