古本屋通信 No 146 2月27日 本が入った 昨日いきなり本が入った。古紙回収業者さんから突然、トラック一杯。5000冊はある。親子孫三代教育家の家のかたずけ。明治・大正・昭和戦後にわたる古書雑本。爺さんのがよい。息子は影が薄い。孫娘が私より少し年上だ。音楽教師だが魅力に乏しい白い本。爺さんのが断然よい。という次第で、不眠不休の仕事が続く。ブログの更新は止るだろう。昨日、今日中に一部は同業に買って貰い、一部はネット業者に委託した。昨日3時間、今日3時間眠った。いま午前零時、これから店に行く。では・・・・・。
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2013/02/27(水) 23:36:40 |
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古本屋通信 No 144 2月25日 備忘録 3 きょう店に生協の I 田さんがきて話していて、彼との会話の内容とは関係なく突然思い出したことがあるので、備忘録 3 として記しておく。 2013年1月4日 (金) 日本共産党岡山県議団と岡山市議団は合同で新春第一弾の演説を行なった。恒例の市役所まえの初宣伝だ。宣伝カーは県委員会にひとつしかない、ぴかいちの大型車だ。乗っている人は県議の森脇さん、氏平さん、市議の河田さん、竹永さん、林さん、田中さん、東さん。それにどういう肩書か知らんが石村さん。計8人の新春そろい踏みである。これが当日の写真ともどもバッチリ、複数のひとのブログに掲載されている。で、問題は宣伝カーに立てられている旗だ。一本は「ストップ消費税10%」の旗。これは宣伝カーに埋まっている字句と同じだ。 もう一本が問題の「期限をきって原発から撤退 」の旗。 私がこれを見たのが誰のブログだったか忘れたが、記事中の文で旗にふれた人はいなかった。私はすぐ気が付いた。そして、笑った。いや、笑えた。決して嗤ったのではない。もちろん頭にきたりしなかった。この時の私の感じを言葉にするのは難しいのだが、ほほえましい光景というのだろうか。で、写真の一人ひとりの顔をもう一度、みた。そしたら再度、笑えてきた。決して馬鹿面に見えて来たのではない。要するに、いい感じだったのだ。 その後、このことはすっかり忘れていた。このブログに書こうと思ったことはない。それは彼らに恥をかかせてはならない、という気持ちが働いたからでは無論ない。だいいち彼らはなんにも思っていないだろう。私は純粋に忘れていたのだ。ここまで書いてきて、自分の文が党攻撃をするときの中野重治のネチネチした文体に似ているのではないかと、ちょっと気になった。いや、気にしなくてもよい。私に中野のような文が書ける訳がない。 何で私は忘れていたことを、I 田さんと話していて思い出したのだろう。I 田さんが帰ってから思った。それは多分、かれが「 古本屋通信さんは共産党が好きなんですよ、通信を読んだ人はそういう感じを持っていると思う」 と言ったからだ。なぜかその時その瞬間、私は竹永さんと田中さんの顔を思いだしたのだ ( 氏平さんはブログを更新しないのでイメージがない ) 。竹永さんだけでもない田中さんだけでもない、二人同時にだ。好きだ嫌いだと言ったところで、しょせん人間をつうじてだ。私には同性をつうじて共産党が好きだという感覚はまるでない。してみると、私の好感は竹永さんと田中さんを通してということになる。そして石村さんに対する「反発」は私の中でバランスをとるため、ということになる。もちろんそればかりではないが。 I 田さんは「古本屋通信は女に甘い」とも言った。どうも余り、かきうち京美さんを誉めすぎるなということらしい。選挙戦は長い。好悪いづれにせよ、感情が先行するのは唯物論とは言えないというのが、I 田さんの言いたかったことらしい。 それから、岡山ではほとんど読まれていないと思っていた私のブログが、予想よりちょっとだけ多く読まれているとの感触を得た。これは嬉しいやら、怖いやら。 補記 原発問題について、私は正面から取り上げることを避けて来た。私はいまでもそうだが、ずっと原子力エネルギーの平和利用の可能性を捨て切れていない。当面の原発再稼働には反対だが、自然科学とりわけ量子力学の知識は全くない。一般論としては、科学技術の進歩そのものは人間を幸福にするというテーゼを捨てきれない。従来の日本共産党の立場と同一だ。だから「期限を切って」が誤りで「即時ゼロ」が正しいとは思うが、さりとて自己批判しなければならないような方針の大転換だとは思っていない。要するに余り違わないのだ。このことは今後益々はっきりりしてくるだろう。この思いは上記のメンバーも変らなかったのではないか? 「せっかく高い金をだして旗屋で作った旗だ、捨てるのはもったいない」とみんな考えた? だから、旗を立てて旗のまえで堂々と「原発即時ゼロ」の演説をぶった? これが本当のところだろう。
2013/02/25(月) 18:28:58 |
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古本屋通信 No 143 2月25日 助っ人・横田さん ネタ不足のときは、他人の記事の引用で-。昨日につづいて手抜きだ。横田さん、よろしく 。 以下、横田さんの文 TPP交渉入り加速か!? 2013年02月24日(日) 昨日からのマスコミ報道では、安倍首相がアメリカ オバマ大統領と会談し、「一方的に全ての関税撤廃を予め約束する事を求められるものではない」ことを確認したので、選挙公約は守られると言っています。 TPP交渉に参加するかどうかは政府の専決事項です。現政府が「交渉入りする」と決めれば、それで前に進むことが出来ます。しかし、TPPの本質が国民に、どれだけ理解されているでしょうか。知らぬ間に後戻りできない国際協定のレールに乗り、私たちは国家主権を失う事になるのではないか・・・私はそれを思った時、全身に戦慄が走ります。 こうしたやり方は、原子力発電の推進にも使われた手段です。危険性には一切蓋をしたまま、情報操作とお金の力で原発推進を強力に推し進めました。原発設置は国民の為と言って多くの税金を使い、さらに電気料金から徴収しながら、リスクは負わない。一体だれの利益だったのでしょうか。「正しい知識がなかった、だまされた!」と多くの人々が反省していますが、また同じやり方で多くに国民に正しい情報を示さないまま、一部の利益の為に多くの国民が犠牲になるTPPに参加しようとしています。私たちはもっと賢くならなければなりません。 安倍首相は「選挙公約は守れる」と言っていますが、TPPで最も心配されるのは、「 ISD 条項」や「内国民待遇」です。ISD条項は投資家体国家間の紛争解決のルールですが、例えばアメリカの投資家が日本の土地・農地などを買おうとした時、特別な保護策を講じている場合は「投資に対して障壁がある」と国際投資紛争解決センターに提訴します。判定は強制力を持っていて、不服の場合でも上訴は出来ません。日本の国内法よりTPP協定が上位です。 これに輪をかけるのが、「内国民待遇」規定です。協定国は「その国の国民と同じ権利を持つ」事が求められます。外国人だから日本国内では売買が出来ないとか権利者になれないなどという事は一切言えません。だとすると、例えば、北海道で森林のかなりの部分が外国投資家に既に買われていること(地下資源・水も)が問題になっていますが、こうした事態が全国に広がって、気がついて止めようとしても不可能になります。日本であって日本でない、私たちが私たちの手で物事を決められない「主権」が侵される事態が起こります。 韓国では、ISD条項の廃止をめぐって、米国との自由貿易協定(FTA)の再交渉を求める声が再び高まっています。マスコミはほとんど報道しませんが…。 TPPの問題は関税撤廃云々ではなくて、こうした内容こそ議論しなくてはならない事です。そして、自民党は先の選挙公約でTPPに対しては、関税撤廃に例外事項だけでなく、ISD条項の撤廃も明確にしています。ここを忘れては大変な事態が起こります。 以下、私の文 上記の引用とはちょくせつ関係ないが、来るべき参議院議員選挙に「緑の党」の候補者として、横田さんに出て貰いたい、私は本気でそう思っている。「通信 No 140 緑の党 参院選候補の募集」の枠は10人中の4人だ。既に1人は、すぐろ奈緒さん(共同代表)に決まっている。予備選挙以外の5人は党の選考委員会がちょくせつ指名する。私はこれに賛成だ。この5人の中に、横田さんにはいってほしい。現在立候補中の人に文句があるのではない。しかし、全体に少し若い気がしないでもない。年齢だけではない。私は「緑と赤の結合」時代の活動家にも、誰かひとりは国会議員になってほしいのだ。県議会議員を放り出すことは出来ない? ならば岡山から誰か、私がパッと思いついた名前は光吉準さんと山田雅美さんだ。いずれ劣らぬ論客だ。三人の内の誰かが出る事を期待する。 それと、焦点は宮部彰さん、白川真澄さんが出るか否かだ。私の知人は宮部さんはともかく、白川さんは出ないだろうといっている。しかし私は出てもいいと思う。その理由は色々あるが、選挙まえに党内問題に踏み込んだ意見を申し述べるのは控えたい。しかし、このままではある種の先行き不安を感じたので、横田さんに引っ掛けて愚見を申し述べたまでだ。
2013/02/25(月) 01:57:06 |
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古本屋通信 No 139 2月22日 民主党のレベル 崩壊寸前の民主党岡山県連の低レベルを露呈したブログ記事がある。先の総選挙で落選したあとも、未練がましく県連リンクで書き続けている花咲宏基のブログだ。しかと、御覧あそばせ。「 維新」という言葉の重み 2013年02月19日 「維新」と聞けば、明治維新を想起します。>span> 欧米列強の帝国主義に、極東の小さな島国日本が、植民地化されてはならないということで、幕藩体制を中央集権国家に造りかえる。 体制一新の事業でした。 その明治維新の運動では、坂本龍馬をはじめ多くの志士が礎となりました。 学校の日本史教育は、昭和にたどり着く前に、終わってしまうことが多い。 そのため、明治維新のように、想起されない「維新」が、昭和初期にもあります。 「昭和維新」も、明治維新と同じように、若者世代が、原動力になりました。 その若者を突き動かしたのが、地方の貧困と政党政治の堕落でした。 「昭和維新」運動の頂点は、二・二六事件と考えられます。 二・二六事件は、昭和11年に起こりました。 この事件が起こる2年前の昭和9年に、東北地方を中心に大凶作が発生しました。 東北6県での水稲の収穫量は、平年の40%減収。 凶作は、水稲だけでなく、麦や粟も獲れず、明日食べるものがない状況でした。 東北6県、70万人以上に、緊急援助が必要な状況が生まれました。 しかしながら、日本は、昭和6年から始まった世界恐慌からようやく立ち直ろうとしている矢先で、日本全体の体力がありませんでした。 また、政友会と民政党の二大政党は、互いに汚職摘発にしのぎを削る政争に明け暮れて、東北の惨状への支援が疎かになっていました。 そのため、援助は遅れ、東北では、欠食児童が溢れました。 また、農家の娘たちは、都会に売られていきました。 昭和9年の東京日日新聞によると、この年、6万人の女性が、東北から離村したとの報道をしています。 二・二六事件を指揮した青年将校たちが、目指した政策転換で最も重要視していたのが、農地改革(解放)でした。 そして、議会政治では、東北そして日本全体の貧困層を救えないという怒りがありました。 青年将校の皆さんは、日本の貧困層を救わなければという正義を持っていました。 そして、命をかけました。 「維新」を名乗ることは、どういう意味か。 権力の座に就くことが目的であれば、それは、「維新」ではありません。 「維新」を汚さない運動をして欲しいと願う。 花咲宏基拝 私のコメント なんとまあ、このおとこ、慶応大学の法学部を出ているという。ほかにも岡山の民主党には東大の法学部と経済学部がいた? 私は高学歴がお利口で、大学を出ていないと政治に向いてないと思ったことは一度もない。しかし、ここまでとは思わなかった。 ナンダ、コレ? 共通一次か、センター試験か知らんが、ようこれで慶応をとおったのう。いや、慶応はセンター使わなかったか? いずれにしても、これで大学入試を突破できるとは、現在の入試制度は早急に改革しなければならない。 上記の文については、なにもいう事はない。ただ、ただ、あきれるばかりだ。従来の自民党筋のオッサンは自分が思った事を言うというより、スポンサー筋の意向に合わせて自分の言動を作ってきた面がおおかった。だからワルではあっても、必ずしも阿呆ではなかった。 なによ、これ? 花咲宏基拝 というおとこ、本気で書いてるんか。慶応もそうだが、これでよう民主党の公募を通過したなあ。いま、「 緑の党」の参院選の公募やっていて7人が立候補してるけれど、このレベルはさすがにいないゾ 。
2013/02/22(金) 02:14:41 |
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古本屋通信 No 134 2月17日 狭山事件と白鳥事件 No 133 で名前を出した2つの事件について、このさい個人的感想を書いておく。事件の検証ではない。私の心象風景だ。 狭山事件 事件は1963年、私が高校3年生のとき埼玉県狭山市で起こった。田舎の町でも舟木一夫の『高校三年生』の曲は流れていた。事件は突然おこった。殺されたのは高校1年生の中田善え(?失念した ) さんだった。今回、この文を書こうと思ってウィキペの記事を開けてみた。中田さんの名が何処にもない。う~ん。これでいいんだ。私が No 133 で書いたように、今も昔も中田さんの名を晒す必要はなかった。 さて、それは措いて記事で見るとうり、事件そのものよりも石川さん支援運動が複雑な経過をたどる。私は事件の1年後には、『赤旗』 (当時はアカハタ) を読んでいた。記憶では捜査段階で見込み捜査があったこと、それが未解放部落 ( 私も共産党も当時この言葉を使っていた ) への偏見にもとづくものだをいう基調だったと思う。国民救援会の名や、弁護士の中田直人氏、青木英五郎氏の名が記憶にある。おとなしい記事だったが、私は石川さんの無罪を確信した。しかし当時の学生運動や共産党系の集会で「石川青年を救おう」と取り上げられることはなかった。この点は白鳥事件への対応とは決定的に違った。冤罪事件という評価だが、運動の中心にいたのは党ではなく国民救援会だった。 運動が妙な方向に進み出したのは、同対審答申が出て数年後に共産党と解放同盟主流の対立が顕在化しはじめてからだ。誰かが石川さんに共産党系弁護団に対する不信を煽った。その結果石川さんが弁護団を解任した。私見ではこれが全てだ。弁護団を選ぶもクビにするも一応は石川さんの自由だ。然し、この事件を政争の具にした最初の犯人は部落解放同盟の一部幹部だ。この頃から解同の運動は狂ってきた。とりわけ大阪が酷かった。ゴロツキ上田卓三の末路は象徴的だった。運動でメシを食うのがどだい間違いだが、それ以上に小学生の同盟休校などもってのほかだ。1970 年頃からトロツキストが運動に参加し始めた。闘争課題に事欠いだのだろう。「社民のハラワタを喰いちぎれ」とばかり。 1970年代に入って、共産党はこの事件に、一般刑事事件として対応するとあらためて宣言した。急な路線転換ではなかった。これは完全に正しかった。それはその後の解同幹部の腐敗・堕落をみても明らかだ。私は日本共産党を批判することでは誰にも負けないつもりだが、「日共差別者集団」などかたはら痛いワ。福山の、誰だったか名前をわすれたが新社会党に行った人、いまからでも遅くないから自己批判してはどうか。哲学的ないい文を書いているんだから。私はこの人を知識人、とりわけ独学で唯物論をモノにした数少ない人として尊敬しているのだ。かれには私腹を肥やす意図がなかっただろうが、解同の運動が同和成金を生んだことの責任はある。 狭山事件を語る組織はいま、解同全国連 ( 中核派からわかれた組織 ) を除いて皆無だ。私は冤罪だと思っているから、再審請求の署名を求められれば今でも応じる。最後だが、国民救援会にはわが家も入っているが、たいせつな運動だと思う。いつ権力から不当な弾圧を受けるかも分らないのだ。 白鳥事件 まず私の通信 No 94 『白鳥事件 偽りの冤罪』 をお読み下さい。痛恨の極みだが、どうしてこんなことになったか。そのまえにこの本がなぜ平田勝さんの花伝社から出版されたか。平田さんも痛恨の想いがあったのではないか。 北海道警の白鳥警部補を殺したのは、極左冒険主義時代の日本共産党札幌地区委員会の党員だった。ディテールはともかく、村上国治は冤罪ではなかった。1964~1967年に懸けて村上の救出運動に末端で関わってきた私は痛恨の極みだ。「国治とそのお母さんの悔しさをバネに、あらゆる闘いを戦闘的に闘おう」 とアジったのは民青時代の私だ。われわれは国治に感動しなければならなかった。一番熱心だったのが、いま文学関係の出版社をやっているH川さんだった。記憶では当時建設された民青会館は白鳥カンパニア運動の時期のカンパで建てられた? といっても1964~1967年当時の日本共産党が組織をあげて白鳥無罪キャンペーンをやった訳ではなかった。熱心だったのは民青だけだった。あとから思ったのだが、当時の共産党主流は早く白鳥事件から撤退したかった? 1964~1967年には既に旧国際派が指導権を確立していたが、まだまだ所感派の勢力も残っており過渡期だった。白鳥事件は党の恥部だった。宮本顕治が当時どう考えていたか分らないが、党幹部の過半は村上クロ説だったのではないか。しかし事件をアメリカ軍による謀略とする説を捨てられなかった。阿呆は「親のこころ、子しらず」の民青だった。私も阿呆の典型のひとりだった。 大部の小説 『小説 白鳥事件』 を書いたのは旧人民文学派=旧所感派の山田清三郎だ。シンヒヨで有名になった広谷俊二も札幌地区委員会出身で旧所感派だ。白鳥事件は旧所感派の最後の砦だった(?)。 村上国治は保釈されて間もなく、精神の変調をきたす。かつての英雄がただのヒトとなったとき、かれの心の病気が発症した。国民救援会の役職についたが、簡単な実務もこなせず、自転車泥棒がばれて会を辞める。かれが失火で焼死したとき、『赤旗』に小さい記事が載った。私は50年党分裂の根は深かったと今でも思う。そして、責任の大半は所感派にあると思う。 朝日訴訟の運動など所感派細胞が担った運動にも先進的な活動は多い。しかし、これらが山村工作隊や中核自衛隊の活動と同時併行的に、いわば任務分担的に行われた事実は押さえておかねばならないだろう。村上国治も朝日茂も同じ時代に日本共産党員だったのだ。 村上国治 1923~1994 朝日 茂 1913~1964
2013/02/17(日) 04:23:11 |
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古本屋通信 No 133 2月16日 断片的感想 ここ一両日おもったことを、断片的にメモする。 ① シンフォーム殺人事件の報道について。事件そのものについては論評のかぎりではない。その報道について。刑事事件の容疑者が逮捕されたら、警察は氏名を発表する。しかし報道機関は氏名を書く必要はない。有罪確定まで推定無罪だ。仮に公表をよしとするにせよ、最低ウラをとるべし。警察発表の垂れながしは報道機関の自殺行為。また、被害者の氏名を書く必要はまったくない。特に今回のような事件は、泥棒にはいられて金が盗まれたと言うのと訳がちがう。猟奇的事件の被害者をいったい何のために公表するのか。被害者の父親まで登場させるとは狂気の極みである。逆に、書いてもよいこと ( 企業名 ) は書かない。狂っている。 ② 裁判員裁判を少し考えた。シンフォーム殺人事件から、狭山事件と白鳥事件へと。それぞれ性格は違うが、3事件とも殺人事件である。昔の2事件はたびたび再審請求がされたが却下され、無期懲役が確定した。しかし保釈になった。前者の石川さんは今でも生きている。たしか結婚して徳島に住んでいる。後者の村上さんは原因不明の失火で90年代に死んでいる。私は自殺を疑っている。私は両事件に関するものは、出版された限りかなり読んでいる。しかし仮にいま裁判員裁判があるとしても、裁判員になるのはいやだ。シンフォーム殺人事件は両者にくらべて単純だ。ほとんど心証だけの判決だ。それだけに余計に怖ろしい。今回、裁判員の判断が死刑判決にどう組みしたか判らないが、常識的には死刑判決の構成部分だろう。殺害した人数が1人であること。前科がないこと。これらは過去すべての事例と比較して、考慮に入れられたのだろうか。私は上告されて、被告が無期刑に減刑されることを願う。どんな極悪非道な犯罪に対しても、国家権力が合法的に人間を殺すことを是とすることは出来ない。 ③ 前市議の田畑さんがブログで「北朝鮮は第2次世界大戦前の天皇制日本帝国主義に酷似している」と書いている。そしてこれは田畑さんだけでなく、死んだ高野山大学の藤森賢一先生もよく言っていた。私はこれに違和感がある。現象的には確かに似ているが、まったく似て非なるものではなかろうか。経済分析など私の領分でないので、誰かがテーマにとりあげてくれればと思う。ここで一つ思いだしたのは、1960 年代の毛沢東の中国について、「日本より30 年遅れた国」という評価があったことだ。赤い中国を戦前の日本になぞらえた論だった。これもそうだが、私はいまの共和国を見る場合、資本主義の価値基準で見ると見誤ると思う。この国には賛成できないことも確かに多いけれど、それぞれの国はそれぞれの発展法則で変化・発展する。将軍様のいる国という点では、日本のほうが先輩だ。戦前の天皇制日本帝国主義だけではない。いまでも将軍さまはいる。憲法で容認しているから違憲ではないが、膨大な予算をつかって、姓も職業も選挙権もない一群の人間がいる国。共和制の国からは、腹の中で馬鹿にされている。かたちだけであろうと選挙で選ばれた将軍をもつ国とどちらが民主主義的か。また、命令いっか右向け右という国であるという点でも、日本企業の朝礼、学校役所の日の丸、どれをとっても日本はひけをとらない。碌に情報も無い他国の、しばしば悪意を持って流される表面の風景だけをみて性急な結論をださないことだ。 ④ 日本共産党の選挙区候補がまだ決まらない。間近に迫った選挙のことだ。中国地方は広島、鳥取、島根と、とっくに決まっている。山口は補欠選挙が決まっている。岡山は何をしているんだろう。当選を目ざさなくても、石井の独走を許すわけにはいかない。それに仁比の当選も絡んでいる。どうせ候補者がいないんだろう。ならば石井さんが出ることだ。石井と石井の戦いだ。男と女の戦いだ。歳は六つ離れている。五分と五分の勝負だ。私は女の石井さんにつく。まちがってもヒョコを出してはならない。だいいち男の石井さんに失礼だ。安倍はいよいよ改憲の牙をむき出してきそうだ。負けてはならない。焦点は姫井さんが千葉から帰って出馬するか否かだが、私のところに連絡がない。出ないのだろう。民主党は絶対にだめだ。県連は瀕死の重傷で、崩壊の一歩手まえだ。HP の更新がない。リンク集の党員でマトモの書いているのは、赤磐市議の樅野志郎と衆議院選挙で落選した花咲宏基くらいだ。どっちも気の毒なくらいお粗末だ。後者は大前研一なんか本気で読んだのか? あとはみんなやる気をなくしている 一井が離れて以来、事務屋もいない。関東でもそうだったが、岡山でも民主党が共産党の票より少なくなるのは時間の問題だろう。 ⑤ 私の私生活。古本屋が超いそがしい。しかし超ヒマにしようとおもえば何時でも出来る。本の中身に無関心になればよい、ブックオフのようにやれば暇になる。そういう古本屋もときどきある。亭主が死んで奥さんが引き継ぐ場合だ。必ず3年以内に潰れる。他人ごとではない。ウチは私が死んでもつれあいは古本屋はやらない。蔵書一代、古本屋一代だ。夫婦円満は適当な距離を保つこと。つれあいが私の店に来ることはまずない。私がつれあいに頭にくるのは、古本をまるで汚物を見るような目で見るときだ。「どこがきたねえんなら」やっぱり、読まない人にとっては汚いか。
2013/02/16(土) 18:55:21 |
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古本屋通信 No 132 2月14日 3件ばかり ブログの更新がままならない。3件ばかり書く。いずれも突っ込みたくはないが、スルーする訳にもいかない件だ。 ① 裁判員裁判 昨日、客人の高校の先生から聞いた。「明日岡山地裁で一昨年のシンフォーム殺人事件 の判決がある。求刑は死刑だ。弁護側は無期だ。死刑求刑の裁判員裁判としては全国で3番目になる。被害者は私のかつての勤務校の生徒」と。この件については明日のブル新に大きく載るだろう。痛ましい事件だが、ブル新情報しか情報源がない一般刑事事件について、私はコメントはできない。これが1つ目。2つ目は裁判員裁判。私はこれに一貫して反対である。理由はかつて「紙の通信」に書いたので省略する。3つ目は死刑制度そのものに反対する。これは被害者の遺族の心情を察するのとは別次元の問題である。私の反対は刑法学者の故団藤重光氏の論に賛成だからだ。2つ目と3つ目については左派でも個人によって意見が割れる。割れてよい。② 芸術家の本 今月に入ってから、芸術家 ( 絵描き ) の本が3件入った。といっても3件とも間接買いだ。岡山では名の通った絵描きだ。本もよく読んでいる。1件目は同業のF書店の段ボール5箱の中から抜いた。超いい本は既に店主がハネている。2件目は古紙回収業者より美術系の古書の束10個を買った。半分が展覧会図録、残りが美学・美術史だった。3件目も同業者からで、I 書店の段ボール3箱から選んだ。なんと1件目と同じ旧蔵者だった。 奥さんが分けて古本屋に売ったらしい。まだまだありそうだという。数軒に試し売りして、高価買取りの古本屋に最終を納める。古本屋は望ましい競争を要求される。こころよい緊張だ。 私は芸術家の本はとても苦手だ。嫌いというのではない。本の良否が分らないというのでもない。いい本なのだが、たじろいでしまう。私には 『 ユリイカ 』 と 『 黄金分割 』 と「横尾忠則の本」を同時に所有する発想がどうしても理解できない。私は想う 「絵描きというのは無思想じゃなあ。でないと絵は描けんのかなあ 」。そもそも芸術の認識方法に科学を求めるのが間違いらしい。結果、いい本は私の手元にはやってこない。ほんとに、いやはや、古本は古本屋を選ぶ。 ③ 朝鮮問題 これは本当にむつかしい。南北2つに分断された国。私は地理的位置をいう場合を除いて、北半分を原則「共和国」と呼ぶが、日常会話では「北」とか「北朝鮮」になる場合も多い。呼び名はできるだけ本人が呼んでほしい通りに呼ぶのがよい。日本のテレビも一時「北朝鮮、朝鮮人民民主主義共和国」と呼んでいた。 かつて拉致があり、今回また地下核実験があった。拉致に反対するのはよい。核実験に反対もよい。しかし、いま日本で進行している事態は、単純に自国人民の感情に依拠して声をあげることを躊躇させるものばかりだ。 まず、そもそも日本が共和国の存在を認めているのかという問題がある。1965年、日「韓」条約反対の運動があり、私も参加したが、条約は通った。その結果、北は「ならず者の国家 」 になった。つまり論理的には存在しない国家なのだ。論理的には存在しないのだから、理屈のうえでは拉致などあり得ないということになる。 次に核実験の死の灰の問題だ。いっさいの国際的条件とは別に抗議してよい。ただし国連の安保理等いっさいを引き合いに出さないことだ。「わたし 」はいかなる国の核実験にたいしても抗議する固有の権利を有する。しかし核大国アメリカの核の傘に深く組入れられている日本にはその権利がない。自分が悪い事をしていて、同じ悪い事を他人にはするなという。これで子供の教育ができるか? 政治のことばでいえば、それを大国主義・覇権主義という。これは半世紀まえに決着済みの問題だ。「いかなる国の核実験にも反対」とそうあっさりいってよいのかという問題があった。しかし、これはその後の原水禁運動や、非核平和宣言都市に取りくむ運動の中などで決着がついていった。 【速報】山陽新聞 元同僚殺害の住田被告に死刑 岡山地裁・裁判員裁判判決 岡山市で2011年9月、元同僚の派遣社員加藤みささん=当時(27)=を殺害したとして、強盗殺人、強盗強姦(ごうかん)、死体損壊・遺棄など五つの罪に問われた大阪市住吉区、無職住田紘一被告(30)の裁判員裁判判決で、岡山地裁(森岡孝介裁判長)は14日、求刑通り死刑を言い渡した。 岡山地裁の裁判員裁判で死刑判決は初めて。起訴内容に争いはなく量刑が焦点だった。 読売新聞 2013年2月14日22時34分 性的暴行・強盗殺人・切断、男に異例の死刑判決 岡山市で2011年、派遣社員加藤みささん(当時27歳)を殺害、遺体を切断して遺棄したなどとして強盗殺人や死体遺棄罪などに問われた元同僚の住田紘一被告(30)の裁判員裁判で、岡山地裁は14日、求刑通り死刑判決を言い渡した。 裁判員裁判で、殺害された被害者が1人の場合に死刑判決が言い渡されるのは3例目、前科がない被告には初めてとみられる。 森岡孝介裁判長は「強固な殺意に基づく冷酷かつ残虐な犯行。反省や謝罪は不十分で、更生可能性は高いとはいえない。死刑の選択をするほかない」と述べた。弁護側は即日控訴した。 判決によると、住田被告は11年9月30日、岡山市北区の倉庫に加藤さんを連れ込み、所持金を奪って性的暴行をしたうえ、ナイフで胸などを10回以上刺して殺害。10月上旬、実家のある大阪市内で遺体を切断し、川などに遺棄した。 朝日新聞 2013年2月14日19時57分 span> 元同僚を強姦・殺害、被告に死刑判決 岡山 岡山市で派遣社員の女性を殺害したなどとして、強盗殺人と強盗強姦(ごうかん)、死体遺棄などの罪に問われた無職住田(すみだ)紘一被告(30)=大阪市住吉区=の裁判員裁判の判決が14日、岡山地裁であった。森岡孝介裁判長は「欲求不満を解消し、証拠隠滅を図るという動機は極めて自己中心的。酌むべき事情はない」として、求刑通り死刑を言い渡した。弁護側は即日控訴した。 裁判員裁判での死刑判決は16人目。うち被害者が1人の殺人事件での死刑判決は3例目とみられる。 判決によると、住田被告は交際相手との関係がうまくいかず、同僚女性3人を対象に、強姦や殺害などを計画。バタフライナイフなどを準備したうえ、2011年9月30日夕、岡山市北区の元勤務先近くで待ち伏せた。退社してきた加藤みささん(当時27)を見かけて倉庫に押し込み、顔などを何度も殴って現金約2万4千円が入ったバッグを奪い、強姦。ナイフで10回以上刺し、殺害した。また翌日から10月5日ごろまでに大阪市内で遺体を切断し、川などに遺棄した。 古本屋通信より 既に書いたように、事件そのものの論評はできない。ただひとつ、ブル新の報道でおもった事。三紙ともシンフォームの名はどこにもない 。これが被害者・加害者の共通の元職場が学校であったり、市役所であったらブル新は書かないだろうか? 私は書くと思う。書いてはならない理由は何もない。社会性を有する企業法人には個人と違って保護しなければならないプライバシーはない。企業名を伏せるのはそこに金が動いたとみるのが常識だろう。領収書なしだから絶対にバレない。企業から広告のアガリをとり、加えて裏金をせしめるブル新に真実の報道など期待できない。このことも私がブル新に依拠して一般刑事事件の論評ができない理由のひとつだ。ブル新というのは体制の飼い犬であり、たかりの元締めなのだ。江戸時代の岡っぴきみたいなもんだ。銭形平次なんかいやしない。ならずもの国家 ウィキの記事より ならずもの国家 (rogue state, rogue regime) とは、 「世界平和に対する脅威を画策する国家(あるいは体制)」という意味合いでしばしば用いられる表現である。 ある種の基準、すなわち人権抑圧を常とする独裁的政治体制の維持、テロリズムに対する支援、あるいは大量破壊兵器の拡散などを行うとされる国家がこの「ならずもの国家」との形容を受ける。 アメリカ合衆国はこの「ならずもの国家」の表現を公式声明中においても最も積極的に用いており、米国の外交政策に反対の立場をとる者はこの表現に対しても批判を行っている。よくなされる批判は、この「ならずもの国家」という表現は米国に対して友好的でない全ての国家を指し、しばしば現実の脅威を伴わない場合にも用いられる傾向があることに対するものである(国民に対し圧制を敷いていても親米であるか、消極的であってもアメリカを批判しない限りは「ならずもの」と名指しはされない)。更に進んで、アメリカの著名な外交問題評論家ウィリアム・ブルムのように、「ならずもの国家」なるレッテルはアメリカ合衆国自身に対してこそふさわしい、とする論者もいる。クリントン政権の任期終盤半年ほどの期間において、この「ならずもの国家」という表現は「懸念される国家」 (state of concern) なる表現に置き換えられる傾向がみられたが、続くジョージ・ウォーカー・ブッシュ政権では再び「ならずもの国家」を積極的に用いている。同政権はこうした国家群からもたらされる脅威を、自らの外交政策、軍事的積極策(例えばミサイル防衛)を正当化するものとみなしており、それはこれら国家の行動が相互確証破壊の概念によって影響されない、とする仮定に基づいている。 1990年代末において、米国政策担当者は北朝鮮、イラク、イラン、アフガニスタンおよびリビアを「ならずもの国家」と認識していた。2001年10月からのアメリカのアフガニスタン侵攻に伴い同国は「ならずもの国家リスト」から除外され、2003年3月からのアメリカを中心とした多国籍軍のイラク侵攻作戦によって、イラクも同リストから外れた。一方、リビアは外交交渉および、その後のアラブの春におけるカダフィ政権の崩壊によって、現在では米国の「ならずもの」認定からは除外されたと考えられている。
2013/02/14(木) 01:03:43 |
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古本屋通信 No 130 2月10日 医者の本 このところブログの更新が渋ったのは、買い出しの疲れが出たためだ。わずか数時間の軽作業なのに、疲れを持ち越すのは歳のせいもあるが、同行者と一緒の仕事で、鈍な自分のペースを守れなかったからだ。 一週間まえ古紙回収業者の Y さんから連絡があった。「廃業する開業医の片付けを頼まれた。本があるが見に行かんかな」。いやもおうもない。一昨日、軽トラに同乗して県南の街に行ってきた。 結果。あるわ、あるわ、然しほとんど医学書ばかりだ。医者の医学書はほとんど買えない。買えるのは、東洋医学と江戸時代の和本くらいだ。問題は医学書以外があるかどうかだ。う~ん、5部屋をまわる。読書家ではなさそう。特に文学の匂いがまったくしない ( 感心している )。歴史関係もせいぜい新人物往来社の本だ。さみしい。せめて科学書一般は? しかし、ない。最後の2階の部屋へ行く。 あった。あった! あったあ!刀剣の本がある、ある。「日本刀鑑定法」「日本刀大鑑」など大小20冊の刀剣の単行本。これだけで2万円は払える。あと刀剣雑誌が2~30年分ある。どうしようか? ひとりで来ていたら、置いて帰るだろう。Y さんに相談した結果、持って帰ることになった。あと、雑本が驚くほどない。しかし寄贈された本などの中から、やっと30冊ほど選んだ。ちゃんと値が付く本は『里庄町誌』の一冊だけだ。絵葉書がたくさんあったが、戦前のものは僅かで値がつかない。結局、2万円+5千円と足代5千円の計3万円をその場で Y さんに支払う。然し無駄足でなくてよかった。 あとで調べていたら、持ち帰ったスクラップ帳のあいだから使用・未使用の切手シートが少し出て来た。未使用のものも額面は10円と20円ばかりだ。これは換金ショップへ持ち込んだ。しかし返却されるかもしれない。あと、昨日一日懸けて刀剣の本、大小20冊の単行本をすべてオークション代行への持ち込みと、2月岡山市会出品の段取りを完了した。なんとか元がとれるだろう。今回買った本の中には社会科学の本、人文科学の本が全くなかった。だから自店用の本は買えなかった。このことも疲れがドッと出た原因だろう。
2013/02/10(日) 09:09:19 |
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古本屋通信 No 129 2月7日 おお、高知県 前回に続いて土佐高知さんのブログ に登場ねがう。後にあるみさん のひと言コメントを付した。みだしの「おお、高知県」はあるみさんのコメントみだしを戴きました。 民主党は立候補辞退せよ! 2月3日に行われた横浜市議の補欠選挙。欠員1人に対し、自民、民主、共産、無所属の4人が出馬した。結果は自民党が1万6867票で当選。共産候補が8277票で2位。民主候補は7252票で3位。3位の民主党候補は元職。それでも当選どころか共産党新人の後塵を拝んだ。 もはや民主党は自民党対抗政党ではないことが証明された。 翻って高知県。 高知県の民主党の実力はいかほどか。 確かに参議院議員は2人もっているが、肝心の草の根の県議0、市議7人、町議1。 党員も二ケタか多くて三ケタ前半だろう。 これをみても自民・公明連合軍に勝てるはずがない。 それに対して共産党は県議5を初めとして市議、町村議合わせて40名余(ゴメン失念しとる)。 党員は4ケタ。 そうそうたる陣容である(民主にくらべれば)。 こちらの方が当選のチャンスが高い。 どうだろう?民主党は潔く立候補を取りやめて、日本共産党の浜川ゆりこさんの応援にまわったら? 自公を利する愚を犯してはならない(^○^) 勧告する。 民主党は参議院高知県選挙区での立候補を辞退せよ!!おお、高知県 改めて高知県の共産党の強さを知り、驚きました・・・すごいなぁ~ posted by あるみさん URL 2013.02/06 23:43分 [Edit] 私のコメント へ~、すげーナぁ。これを読んで 前回 No 128 で解せなかった疑問が解けました。土佐高知さん、凄い! ハッタリ、すごいなぁ~。アジテーションなんだ、前回のも。 私も二十歳前後のとき、少しやりました、アジ演説とアジ文を。しかし、すっかり忘れていました。アジ=煽動は大衆運動に欠かせない大切な要素です。さすがです。 それと、「県党内の労働組合指導部の右翼日和見主義を論駁す」・・・とは書けないもんネ。
2013/02/07(木) 01:38:28 |
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古本屋通信 No 128 2月6日 「土佐高知さんの議会主義」批判 土佐高知さんが最新ブログで統一戦線の問題で記事を書いている。ちょうどいいタイミングだ。メインコメンテーターのバッジさん、それから中核派崩れのあるみさんのコメントともども貼っておく 。土佐高知 統一戦線の基本問題 参議院選挙で「民主党候補に一本化せよ!!」との話が高知県内であるらしいが、それは論外。 護憲にも、脱原発にも役立たない「野合」である。そんなことが「左翼の統一」をスローガンに言われているそうだが血迷うのもいい加減にしてほしい。 統一戦線とは綱領、政治目標を異にする政党、政治勢力、個人が一致点での共同をもとにくむ政治運動である。 その一致点も無条件ではなく、その一致点が反動的、反国民的方向に利用されないかぎりにおいてである。 いまの民主党と日本共産党にその一致点はあるのか? この政党が原発再稼働容認、消費税増税の3党合意に踏み出した時から、皆無になったと言っていいだろう。 もちろん民主党が前非を悔いてマジメにやり直そうというなら話は別だが、「覆水盆に返らず」という故事もあるとおり簡単ではあるまい。 その民主党の候補者を支持するために、日本共産党は候補者を下ろすべきだというのは、一見は統一戦線の体裁はとっているようにみえて中身は似て非なるもの、例によって衣を着せぬ言い方をすれば「みそくそいっしょ」である。 しかし、こんな愚論を労働組合の幹部が唱えているとは…o(;-_-;)o 日本の夜明けは遠いなあ…。*Comment その組合幹部って 「連合」の人でしょ、多分・・・ 「電力総連」ではなさそうですがw まさか、「全労連」ではないでしょうね。 posted by あるみさん URL 2013.02/05 23:51分 [Edit] 旧社会党系の小沢信者だねw 政権交代前は民主党の、有権者を裏切った民主党が政権から転落した後は「生活」や「未来」の、それぞれ隠れ応援団をやっていた旧社会党系、共産党脱落組みの小沢信者ですよ、そんな騎手も問わない「馬の脚」命令偽装論を共産党に押しつけようというのは。高知にも時代錯誤な酷いウマシカがいるんですねぇwww たしかに、09年の政権交代選挙「まで」は共産党は全小選挙区立候補戦術を止めて有権者の民主党幻想早期打破に当面の目標を絞るべきでした。民主党内のよりマシ派候補が立つ選挙区では自主投票で側面支援するなどして、国民が民主党政権を体験することに協力するべきでした。 あの時代に全小選挙区立候補戦術に固執することは、自公政権の延命を結果的に助けるだけで、全国民的な政治学習の機会を奪う左翼小児病でしかありませんでした。 しかし、有権者は既に体験し終わったのです!国民はもう、十二分に学習済みなんです! 民主党という政党が、しょせんは自民党と同じ穴のムジナでしかなかったことを。民主党政権では国民が求める本物の政治変革は実現しないことを。 だから、09年の政権交代選挙で民主党に1票を投じた8桁もの有権者が、「もう、授業料は払いませんよ!」とばかりに昨年暮れの総選挙で意思表示をしたのです。民主党に絶縁状を叩きつけたのです。 それを、今になってまで、今再び、時代遅れになった戦術にしがみつこうなんて・・・・・ こういう人こそ何を学習したのか、したいのかを問いただされるべきでしょう。 「統一戦線」は、恣意的に決められた騎手が他人や他党に馬の脚を押しつけるための便法などでは無いのです。 共産党の左翼小児病を非難する資格なんて無いのです。己の右翼老人病に無自覚な馬の脚論者には。 posted by バッジ@ネオ・トロツキスト URL 2013.02/06 00:13分 [Edit] >2009年総選挙 >まさか、「全労連」ではないでしょうね。 あるみさん。 ノーコメントです(^○^) >たしかに、09年の政権交代選挙では共産党も全小選挙区立候補戦術を止めて有権者の民主党幻想早期打破に当面の目標を絞るべきでした。 えっ? バッジさん。あのときは全区立候補やめたんですよ。 たしか半分一寸しか立てなかった。 あなたの言うとおりにしたんですよ。 それを授業料払った後に、参議院選挙で蒸し返そうとしているのが問題なのです。 posted by 土佐高知 URL 2013.02/06 00:38分 [Edit] NoTitle >バッジさん。あのときは全区立候補やめたんですよ。 「まで」が脱けていたので訂正しておきました。 オレは、共産党が09年の選挙方針を決定する以前から、共産党の全小選挙区立候補方針に反対していました。06年の選挙でも03年の選挙でも。 4トロ板やアフガン板、草加さんのサイトなどに証拠の書き込みやコピペ転載が残っていますよ。 posted by バッジ@ネオ・トロツキスト URL 2013.02/06 00:57分 [Edit] おんなじですね。 どう考えてもおかしい戦術だと思います。 posted by 土佐高知 URL 2013.02/06 01:08分 [Edit] だけど、 オレが主張している「全小選挙区立候補方針への復帰」は、以前の書き込みにも書いたように、06年総選挙までの方針に戻ることではありませんよ。 そう、全小選挙区での候補擁立を、共産党員候補だけでなく、統一名簿候補の擁立というかたちを含めて努力する、ということです。全小選挙区で「真の第3極候補」や「真の第3極になり得るような候補」を、他党や一般有権者から野合だ、選挙互助会だ、などと見下されないまともな統一戦線の結成によって作りだそう、というものです。 民主党の馬の脚になることや小沢応援団に手を貸すことで時代遅れの幻想的統一や幻想的第3極を再販しようとしているのではありません。 本物の、そして情勢や党派間の力関係をリアルに直視した、柔軟な21世紀型統一戦線の結成に尽力すべきだ、ということです。そう、さしあたりは良心的で進歩的な山本太郎のような無党派個人や社民党内の革新統一戦線派的勢力(保坂展人世田谷区長や上原公子元国立市長のような人物)と国政選挙でも協力・共同しよう、ということです。 怪しげな全労連右派活動家や左翼内に潜む小沢応援団の願望方向などとは、そこの区別をしっかり付けなければいけません!(ただし、「政策協定」の締結採否問題や公認・推薦・自主応援のかたちの選択のような問題では共産党の側が柔軟性を発揮してね) 補足 高知でも、統一戦線論・戦術の党内学習・討論会をやった方が良いと思いますね。 土佐ちゃんのような党機関メンバーの側が、「旧型の全小選挙区立候補方針」批判と新方向を主張・提言出来るような自由がある討論会ならば、昔の「高知方式」のような戦術が新たな次元で今日また産み出されるかもよ! posted by バッジ@ネオ・トロツキスト URL 2013.02/06 08:53分 [Edit] 以下、私の文 クドクドいってるけど、要するに二人とも前回参議院選挙と前々回衆議院選挙は民主党と共産党との選挙区候補の調整はよかったけれど、昨年暮の前回衆議院選挙と今年の参議院選挙はダメだと怒っているわけ? とくに今年の参議院選挙はダメだと? そんなの、いつもダメですよ。特に2009年衆議院選挙の選挙区で約半数の小選挙区で実質的に民主党候補に投票したのは、共産党の選挙活動史上前例のない誤りだった。上記を読んでも、これが正しかった根拠はどこにも書かれていない。いまさら何を気色ばんでいるんですか? 地方選挙とちがい、国政選挙では独自候補を立てるのが大原則です。初めから統一戦線の捉え方が大間違いだ。高知は何時だったか、たぶん1989年、参議院選挙で独自候補を降ろして社会党の西岡るり子を推したことがなかったか? あれは大間違いだったのだ。高知で独自路線を採用すべき性格の選挙ではなかった。 日本を基本的に支配している構造は全国的に何処も変わらない。安保条約を廃棄し日本の独立を勝ち取ること、大企業の横暴をやめさせ働く者の生活と権利をまもることが全国的な政治課題となる。そのための代表を国会に送るのが全国選挙だ。政治党派がしのぎを削る国政選挙で、地方レベルの懸け引きは殆んど意味がない。統一戦線は選挙後の問題でしょ。私には、二人がこんなピントはずれの議論をなぜ得意そうにやっているのか、全く理解できない。あるみさんの意見が聞きたい。
2013/02/06(水) 14:55:28 |
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