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古本屋通信

記事の訂正

古本屋通信  No 47   10月31日

 記事の訂正

 [No 41 日本左翼とソ連共産党] の 記事中の以下の部分が問題だと判った。よって、その部分を削除した

  ここに一枚の写真がある。中心にいるのはソ連の哲学者ミーチンである。スターリンの著作『弁証法的唯物論と史的唯物論』の実際の執筆者といわれている人物だ。ミーチンを囲んで(よくもこれだけ集まったものだ)日本のマルクス主義哲学者が20人いる。ミーチンの両どなりにいるのは古在由重と柳田謙十郎だ。ミーチン歓迎レセプションの記念撮影である。著名人でたぶん党員だろう。撮影は1961年、共産党8大会の直後。つまりこの時ミーチンは日本共産党の大会に来賓として参加していたのだソ連共産党の重鎮を迎えるに当たって、日本共産党は党員哲学者を総動員したのだ
 


 この中ではっきり誤まっている部分は影は1961年、共産党8大会の直後。つまりこの時ミーチンは日本共産党の大会に来賓として参加していたのだ」>の部分だしかし、これだけ取り除いたのでは文意が損なわれる従って上記の部分を削除した。 写真は1958年7月のものだっただから共産党8大会とは関係ない。参加者が「たぶん党員だろう」という私の推測も根拠の過半を失ったということになる。個別の名前を挙げてなくてよかった。

 ここで、あらためて1958年7月のミーチン歓迎会の日本側の参加者の名前を挙げておきたい

 松本正夫 三宅剛一 森宏一 山崎謙 松村一人 山田坂仁 広島定吉 樫山欽四郎 出隆 山崎正一 岩崎武雄 高桑純夫 花田圭介 寺沢恒信 沢田允茂 務台理作 荒川幾男 秋沢修二 淡野安太郎 大井正 古在由重 柳田謙十郎 粟田賢三 三枝博音
 こうして改めて名前をみると、豪華絢爛な顔ぶれというほかない。非マルクス主義者も混じっているが彼らを含めて、時代はミーチンを迎える雰囲気にあったということだ。スターリン批判後もスターリン哲学体系が日本のマルクス主義者に影響力をもっていたことは、この写真からも窺える。個人的には (著作のうえでだが) 朱文字の哲学者の世話になった。

 写真の出所は営業上の秘密だ。コピーをとって一枚千円で売ろうか。

 
 
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  1. 2012/10/31(水) 22:45:49|
  2. 未分類

大学中退

古本屋通信   No 46    10月30日

  大学中退

  まず、公表されている事実だけをあげる。

  日本共産党小選挙区の予定候補者
        氏名(敬称略)  最終学歴
 広島 区      大阪経済法科大学 中退
 広島 区    広島大学教育学部 中退
 広島 区    日本福祉大学社会福祉学部
 広島 区 10月30日現在未定の模様
 広島 区    愛媛県立東予工業高校 中退
 広島 区   同志社大学文学部 中退 
 広島 区    高知大学文理学部 中退


 私はいまだかつて日本共産党公認候補者の学歴について書いたことは、一度もない。また記憶する限り、語ったこともない。それは政治を職業にするうえで、とりわけ共産党の議員が議員活動をする場合、さして重要ではないと思っているからだ。これは今後も変わらないだろう。にもかかわらず上記の数行をあげたのは、学歴そのもの、つまり 「~卒」 は問題でなくとも、卒業か中退かは必ずしもどっちでもよいことではないと思うからだ。しかし上記について、それぞれ個人、個別に立ち入って論じようとは思わない。それぞれにはそれぞれの事情があろう。だいいち、それぞれについて私はなにも知らない。しかし上記の数行、つまり6人中5人が中退であることについては思うところがあった。

 以下で書くことはこれとは直接に関係のない私自身のことである。若き日の私の経歴の一部で、今回初めて書く 「青春の覚え書き」である。

 私は1964年18歳で民主青年同盟に加盟し、翌年19歳で日本共産党に入党した。この時、私は四国の小さな大学の学生だった。小さな大学だったが、私が卒業するころ同盟は300人、党は3桁を数えた。いろいろな仲間がいたけれど、総じて自分たちが大学生であることに複雑な想いを抱いていたように思う。それはしばしば同年代の青年労働者にたいする劣等感だったが、同時に自分たちが大学で学んだことは労働者に返さねばならないという気負いのようなものもあった。とにかく一生懸命勉強して卒業し、一日も早く労働者になるんだ。そして階級的労働組合をつくる一端を担うんだ、それが当時の学生党員の共通の想いだったように思う。職業革命家になるんだと言うようなズッコケた学生は四国の小さな大学には一人もいなかった。

 61年党綱領のもと、党の青年学生運動の方針は戦後15年の経験を踏まえて練りあげられたものだった。学生同盟はつくらない、学生運動は青年運動の一翼として労働青年の運動から学んでこそ力を発揮できる、民青同盟で試されたものだけが入党を許される、学生運動 = 騎兵隊論も、「層としての学生」運動論も採らない。党の学生運動の指針は党綱領の採択から数年遅れて、「学生運動の2つの任務」として定式化された。2つの任務とは、平和と民主主義と学生生活擁護のために戦うこと。知識を身につけるために古い学問からも学ぶこと。それは『赤旗』や『学生新聞』に主張や論文のかたちで繰り返し載った。活動と勉強の両立で悩んでいたわれわれはそれを新鮮な感動で受けとめた。それをハンディな一冊に纏めたのが『現代日本の学生運動』(広谷俊二著 青木新書)だった。この指針のもと、60年代後半の民青同盟と民主的学生運動は飛躍的に伸びた。

 私自身は3年生のとき民青の地区委員の役がまわってきて、労働者と一緒に活動する機会に恵まれた。地区委員会ではいつも隅のほうで小さくなってほとんど発言することはなかった。みんな私をかわいがってくれた。これは私がいい子ぶったのではなく、当時の労働青年の、学生に対する優位性から自然な関係だった。日本共産党は綱領で明記しているように労働者階級の党であった。全人民の党ではなかった。ましてや小ブル知識人や学生の党ではなかった。党の構成は出身をふくめて労・農を中心に組み立てられなければならなかった。私は学生であることを恥じたことはない。しかし労働者から学ぶ事は一杯あった。それは主として労働者階級の規律性・組織性であったが、彼らは理論水準も高かった。

 当時の私のいた大学は小さかったので学生間のことはたいてい分った。病気以外で留年する者はいなかった。大学院入試 ( 旧帝大 ) に失敗して大学に残るものも留年しないで、専攻科に進んだ。民青同盟員や党員で大学を中退するものは私の在学中は皆無だった。みんな4年間で卒業した。五回生という言葉はなかった。それが党の方針だった。私自身は専門の英文学・英語学を十分勉強したとは言えなかったけれど、すべての単位を取って、卒業論文を書いて4年で卒業した。そのあと縁あって他大学に学士入学した。

 学士入学した先の大学でも私は組織の成員であることにに変わりはなかった。しかし私は自分の活動を制限した。やるべきはやったつもりだが、いい党員には映らなかったと思う。だから内部批判的な言動は一切しなかった。しかし、卒業して既に40年になる。もう書いてもよいだろう。
 今はじめてこの大学に移った時の驚きについて書く。全部ではないがこの大学の組織は、当時の党中央の指導の到達点とは著しく違っていた。多くは言うまい。留年が何人いたか。数え切れないほどいた。それも1年留年だけでなく2年留年、3年留年が何人もいた。中退は何人いたか。相当数いた。放校はいたのか。いたと聞いた。とにかく五回生から八回生という言葉は日常語だった。私が卒業したあとも、それは続いたらしい。まるで党の50年分裂時代の、学業を放棄しての党活動のように私には思えた。そして驚くべきことに、中退者は次つぎに党関係の仕事に就いていった。それが優秀な党員だけに許された道であり、英雄的な選択でもあるかのように。私は空いた口が閉まらなかった。これは資本主義社会における価値転倒のもうひとつの形態だった。正常と異常の価値転倒。ここで言う党関係の仕事とは党各級機関の専従のこともあれば、民主団体の職員のこともあったが、一般に卒業証明書の要らない職場だった。そのような仕事を経て議員になることも珍しくなかった。戦前ならともかく、また全学連中執などどんなに努力しても就職不可能な場合を除いて、学生党員が就職活動をしないのは闘争放棄だった。というより、そもそも入党の意味を理解してなかったことになる。

 稲沢潤子さんの初期の小説に、女主人公が授業に出ようとしないグウタラな恋人に説教する場面がある。恋人は「あんなつまらない授業に出席するのは時間の無駄だよ。そんな時間があったら自分で勉強するよ」と言う。女主人公は「つまらないって、そのつまらない授業にみんな出ているのよ。どうしてみんながやってることを、あなただけ出来ないの? あなただけどうして例外なの? まして、あなたは活動家を自認しているのに、それではひとを組織するなんて出来ないわ」 ( 引用は要旨 )。稲沢さんの小説は60年安保の頃の大学が舞台なのだが、60年代の学生運動の問題を考えるうえで、高橋和巳の小説とは違う意味で示唆に富んでいた。かの女は男を批判することで、当時の民主的運動の病める部分を抉った。主人公は恋人と別れ、恋人は運動から脱落し、自閉していく。
 稲沢さんには同じような作品が複数あるので、題名がはっきりしないのだが (『紀子の場合』だったか『青麦』だったか)、私は彼女の初期の作品が好きだ。それは宮本百合子の『伸子』との対比において特に好きだ。百合子より男をみる目が優しいから。ただし、読後感の強さでは『伸子』には及ばない。
 稲沢さんの小説で脱落し自閉していく部分がなぜ、実在する学生党組織では職業革命家になっていくのか。そしてそれはなぜ、遠いむかしの60年代70年代だけではなく、その後もずっと続いてきたのか。

 労働しない労働者はいない。労働しないものは労働者ではない。勉強しない学生は本来的に学生ではない。大学中退は、余程の事情がないかぎり怠学であろう。今日では雇用の形態も著しく変わってきたので、いちがいには言えないが、少なくとも60年代、70年代には、中退者は社会的にも怠け者と評価され、就職は著しく不利だった。それは不当な差別とは次元がちがう。そういう部分、いわば学業を放棄した横着者が、社会経験のないまま専従や民主団体職員になり、議員なっていく。当然ながら労働者的規律を身につけていない。それがすべて悪いと言うつもりはない。しかしそれは、当時の社会規範一般から外れていただけでなく、党が戦後作り上げてきた運動の峰を切り崩す試みだった。

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  1. 2012/10/30(火) 08:23:07|
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知事選投票

古本屋通信  No 4 6   10月28日

 
知事選投票   
 たった今、選挙の投票に行ってきた。No 36 で書いたとおりに投票した。
 私は当落は殆んど関心がない。もう一人の男の名前さえ憶えていない。広報もブル新の記事も見ていない。それを断ったうえで、感想を書いておきたい。
① 共産党県委員会が推薦候補を立てたことを評価する。先般の市長選もそうだったが、地方自治体の首長選に候補者を立てることは、公認であれ推薦であれ、必要だ。自主投票など公党の責任放棄だ。これは衆議院小選挙区も同じである。
② 共産党は先般の市長選の候補も力量ある元中央委員だったが、今回も他の3候補を寄せ付けない候補だった。これで敗北したとしても政策的優位は動かない。
③ 女性候補には痛く失望した。[ほっとけん]。ほっといてくれ。[奇跡、女性知事]。何が言いたい? 受けを狙ったイメージ作戦? 頭の中が空っぽ。もう少しは利口かと思っていた。あとの身の振り方だが、若いのだから、司法試験にでも挑戦してはどうか。親父も弁護士時代のほうがよい仕事をしたぞ。
④ 県政の具体的課題については、どの候補もほとんど訴えなかった。私が投票した候補も消費税や原発の訴えが中心だった。これはこれでよい。
⑤まだ結果は出ていないが、当落は大方の予想どおりだろう。新知事に何ひとつ期待することはないが、警戒する必要はあるだろう。
 
 岡山県知事。振り返ってみれば、石井県政は保守が何時もそうであるように、いいことはしなかった。しかし長野県政が極悪反動だったせいか、それよりマシだったような気もする。自分と同年生まれで点が甘くなるかもしれない。同じ中央官僚出身でも、長野に比べると石井のほうが多少とも民主主義の感覚を備えていたと思うのだ。そしてこれは、石井が東大の学生時代に駒場寮で生活したことと無関係ではない気がする。しかし、これは同時代にたいする私の過剰な思い入れか。

 その石井正弘、やめときゃいいのに、自民党から参議院選挙に出るという。相手は姫井由美子サン。石井の姫いじめ、いしいの姫井苛め、イシイのヒメイ虐め、マサヒロの由美子イジメ。どうも今ひとつ決まらない。

 個人的な劇場趣味で言えば、姫井サンと山田みかサンのバトルが見たかった。その三年後、石井と江田の再戦というのが理想だったのだ。江田が引退?そんなことはないよ。あの男、生きてるかぎり出る。権力欲の塊だから。

 余談。極悪反動の長野を最初の選挙で推したのはだれだったか。物忘れなきよう書いておく。それは当時の社会党であり、民社党であったが、自民党ではなかった。少なくとも自民党県連の主流派ではなかった。長野知事誕生の立役者は岡山県社民連書記長の大亀幸雄だった。その大亀が自慢たらしく書いている。「長野勝利の決め手になったのは、最終盤に共産党が独自候補を降ろして長野支持をきめたことだ」と。この時、私は憮然として白票を投じた記憶がある。これは四十年前にさかのぼって共産党にケチをつけているのではない。今回選挙で、あわや女の候補に相乗りか、の声があったなか、独自の推薦候補で戦ったことを評価して書いているのだ。

 深夜に結果が出た。
 伊原木隆太 358,564   
 一井 暁子 188,089   
 大西 幸一  33,577   
   

    


  
  1. 2012/10/28(日) 06:51:41|
  2. 未分類

貼り付け

古本屋通信  No  45   10月24日

 貼り付け 
 このところ忙しくて、記事を書く時間がない。すべて仕入れ、それも余り面白くない仕入れに時間を取られるためだ。本意ではないが、他人の記事を貼り付けておく 

かけはし2012.年10月29日号

 歴史問題を直視しよう

 一〇月一八日、衆議院第一議員会館前で、「領土問題」の悪循環を止めよう―日本の市民アピール世話人呼びかけ、平和のための国会前行動が行われた。ローソクを灯しながらアピールが行われ七〇人が参加した。
 高田健さんが「九月二八日、市民アピールを発表したが今日まで賛同が一九二一人にのぼった。日本全国から期待が寄せられるとともに、韓国・中国・台湾に連帯の動きが広がっている」と報告し、集会が始められた。
 最初に、岡本厚さん(『世界』前編集長)が経過報告を行った。
 「今年の夏から九月にかけて、日韓、日中の争いが繰り広げられ、中国で反日運動が暴動に発展した。政府間で意思疎通がなく、武力衝突も考えられないわけではない。日本のメディアは中国をやっつけろと煽った。何とかこれを止めなければならない。日本国憲法九条で武力の行使・威嚇はできないとしている。こうした状況を打開するためにいっしょになって声明をつくった」。
 「領土問題といってもそれは歴史問題だ。日本の侵略によって起きた問題だ。尖閣問題は石原都知事が火をつけ、日本政府が国有化した。中国から見れば現状を変えたことだ。固有の領土なんてありえない。日本政府は領土問題は存在しないというがこれでは対話さえできない。市民アピールは、大きな反響を呼び起こした。一〇月四日、中国で理性を取り戻そうとアピールが出され七〇〇人が賛同している。一〇月六日、台湾で上海、北京、ソウル、沖縄、そして日本からスカイプで参加した国際会議が開かれた。そこでは平和的、対話で解決をしようと話し合われた」。
 「今後、民間交流やシンポジウムを開きたい。解決のために不戦・互恵の流れを広げていきたい。相互不信があるから領土紛争がある。東アジアを平和で豊かにするためにがんばろう」。

 アジアに信頼される日本へ

 世話人の内田雅敏弁護士が北京からのアピール(①領土問題の悪循環を断とうについて、理解する②理性を持って解決を③偏狭なナショナリズム反対④民間ルートの発展を。子々孫々のために平和的未来を築こう)を代読し発言した。
 「中国人強制連行、西松建設問題で和解が成立し殉難の碑が建てられた。それは日中友好のあかしだ。五回目になるが今年も三〇人が中国から参加する予定だった。しかし、十数人は日本が恐いなどと来られなくなり、一八人が広島にやってくる。その中国人たちを広島の原爆資料館に案内する。強制連行して作られた中国電力水力発電所は今も使われている。中国人たちは末永く使って欲しいと言い、中国電力側は大事に使いたいと述べた。殉難碑が友好の碑に変わる。運動の正しさを確信している」。
 橋本勉さん(民主党、衆議院議員)が「山口外務副大臣は尖閣の国有化をやってはいけないと外務大臣に進言していたがこれを無視して野田内閣は国有化を決めた。この結果、中国の日本企業や日本人の生命が危うくされた。慎重にことを進めなければならない。他の国の国民が平和に生きられるように考えて行動しなければならない」とアピールに賛同する立場を語った。
 服部良一さん(社民党、衆議院議員)は「今回の領土問題は日本の帝国主義・植民地支配に端を発しており、歴史認識の問題だ。日中国交回復の時、棚上げにされ、後世のわれわれに託された。侵略の歴史を教えてこなかったわれわれも反省すべきだ。鳩山政権時は東アジア共同体を呼びかけた。その後の政治が悪い。盧溝橋事件勃発の七月七日に国有化を決めた。中国人の歴史認識をまったく理解しようとしないのが今の政府のやり方だ。今回の勇気ある市民アピール行動は平和構築に大きな力になる。国会は国益に流されているが日本がアジアに信頼されることが国益だ」と述べた。

 軍事的緊張を加速させるな

 在韓被爆者問題を長年にわたって取り組んできた小田川興さんが韓国の五九六人が署名したアピールを読み上げた。このアピールでは、中国・台湾の声明に深く共感し、日本の市民アピールに熱い支持をすると表明している。また、小田川さんは日韓の学生交流事業の経験を通して「正義と信義」が大切であり、それが平和の源泉になると訴えた。福島みずほ社民党首は「領土問題を口実に、オスプレイの配備や沖縄の基地の強化、そして憲法を変え、戦争のできる国をつくろうとする動きに危惧を感じる。中国・台湾・韓国でもキャンドルが行われていると聞いている。人と人のつながりをつくりだそう」と発言した。この他、瑞慶覧長敏衆院議員が連帯のメッセージを寄せた。
 コメディアンの松本ヒロさんほか数人の参加者がそれぞれ熱い思いを語った。最後に高田さんが、世界各国にいる日本人が賛同していること、沖縄からの賛同が多いことを紹介し、①一〇月二五日に内閣府にアピールを提出する。②賛同個人署名を一〇月二四日まで行う、と行動提起した。そして、「米軍と自衛隊が尖閣諸島のすぐ近くで、島の奪還・上陸訓練を行おうとしている。また、中国人民解放軍も同様の訓練をやろうとしている」と、軍事行動のエスカレートを批判し、アピール運動の重要性を再度確認した。  (M)

以下に掲載するのは、日本の市民アピールに触発されて中国の作家、崔衛平さんがインターネットで発表した声明の全文。この声明への賛同は、中国国内で反響を呼び、賛同者は七〇〇人以上に達している。崔さんは、日中市民間の相互交流を発展させることで、相互理解と平和への道を開くよう訴えている。(本紙編集部)
                             
 中国市民のアピール 中日関係に理性を取り戻そう――私たちの訴え

 この間、釣魚島をめぐる日中関係の危機、とりわけ中国社会を揺るがしたことは極めて憂慮すべきことである。そのような折、日本市民が呼びかけた「領土問題の悪循環を止めよう」の署名アピールを読み、日本の人々の善意を感じることができた。この声明は、かつての日本による植民地化の歴史と釣魚島騒動の発端を回避することなく取り上げており、長年来の両国の間で発展してきた友好関係や協力関係に立脚したものである。とくに平和共存の未来に着目しており、これは危機を処理する契機となる良い方法である。私たちは以下の呼びかけを行う。

1、釣魚島の領土問題は、歴史が積み残した問題であるが、先達たちはすでに後々の私たちに堅実な思考を提供している。一九七二年、周恩来先生は「争いを棚上げする」意向を示し、一九七八年には鄧小平先生はこの考えを継承する方針を明確に示した。釣魚島問題が両国の正常な交流の障害にならないようにするためである。今日から振り返ると、この方針は賢明であったといえるだろう。現状においては、一方的な解決案は、どのようなものであっても、武力衝突ないしは東アジアの平和を崩壊させることにしかならない。いったん釣魚島の問題が適された場合、良好な対話や協議の可能性がない状況においては、まずはこのような立場(棚上げ)に立ち返る必要がある。

2、釣魚島の帰属について、最近の日本政府による一連の論証は、人々を納得させるには、こと欠いていると考える。戦後の日本は歴史に対する責任において、周辺諸国の人々を真に納得させることはできていない。中国の社会には一貫して積み重なった不満が存在している。まず、この積み重なった不満を直視しなければならない。そして、それを解消するすべを探らなければならない。そのためには、過去の戦争に対する十分な認識が必要であり、徳をもって人を説得すべきである。かねてより存在する遺恨を煽って新たな争いの発端を作りだしてはならない。

3、中国大陸では、ここ三〇年の急速な経済発展によって、人々の生活レベルは向上した。これは平和の発展の道筋を堅持することと密接な関係がある。達成された成果、そして周辺諸国との安定調和の友好関係を大切にしなければならない。現在の緊張した情況において、可能な一切の方法を通じて対話と協力を実現し、日本及び周辺諸国との平和安定関係を維持し続けなければならない。国家も市民も、平和のなかでしか繁栄することはできない。

4、戦後日本の政治、経済、文化の発展は目を見張るものがある。日本の社会と人々は大きく変化し、多くの日本の人々が戦争に謝罪し、平和の建設に貴重な努力を積み上げてきた。日本は中国の平和的発展に対しても効果的な支援を行った。歴史を正視し記憶するとともに、現在の日本の現実に即した新たな認識と判断を持つ必要がある。

5、私たちは、いかなる利益集団あるいは政治党派が、自らの目的と利益のために領土紛争を引き起こし、民意を弄び、狭隘な民族主義感情を扇動することにも警戒し反対する。領土紛争を解決し、和解を実現することについて、政府は誰よりも大きな責任を有している。いったん危機が発生したら、人々が理性的に認識し行動するよう誘導する責任を政府は有している。

6、二〇一二年九月中旬、中国のいくつかの都市で釣魚島紛争に端を発する破壊行為や放火が激しさを増したことは、私たちにとっても非常に心苦しいことであり、特にここで非難するものである。このような行為が国際社会の誤解を招き、経済面での後退や他の方面での一層の後退を招くことのないように願うものである。

7、この間、日中の文化交流が制限され、日本関連の書籍の出版と発行が一部の都市で影響を受けているが、これは賢明なことではなく、極めて残念な事態である。日中の文化交流の長い歴史には、十分な説得力を持った豊富な成果がある。領土あるいは政治における争いが無制限に他の領域に拡大されてはならない。善隣関係諸国においては、人々のあいだの関係が重要な役割を果たすのであり、ここにこそ深遠な意義がある。現在の状況からすると、双方の民間レベルの経済、文化、生活などで協力や交流を速やかに回復させ、この間の争いによって発生した損失を可能な限り補い、長期的視点を欠いたすべての臨時的措置をすぐに撤回しなければならない。

8、誰もが自らの生まれた故郷で生活し、働き、次の世代を育て、社会活動や国家事業に参与し、国家に対する主権を有し、国家の主権に対する発言権を有している。政府が主権問題を処理するにあたっては、民衆の意見をないがしろにするのではなく、耳を傾けなければならない。

9、中国、台湾、香港、マカオと日本の教科書に、日中両国の全面的で真実の近代史を記載する必要がある。中国の教科書においても、次の世代が思考し、外国やその国の人々を開放的な気持ちで理解できるよう育成するために、そして日中の民衆の間で相互に尊重し、若者が協力関係と友好的観点のなかで育成できるように、異なる民族の協力や融合についての教育に一層ちからを入れなければならない。

10、領土や国家主権等の国際問題については単に両国の政府だけの問題ではない。さらに多くの民間交流のパイプを発展させ、相互理解を深め、子子孫孫のために平和の未来を創造しなければならない。


 
  1. 2012/10/24(水) 23:09:43|
  2. 未分類

日本左翼とソ連共産党

古本屋通信  No 41  10月14日

 
日本左翼とソ連共産党

 No 40 の記事の末尾に水野さんの文を引合いに出したあと、少し考えた。若い党員の中で、かれの認識が特に劣っているということではないだろう、不破氏の古典教室の受け売りだとこんなものだろうと。それで、表題を「日本左翼とソ連共産党 」と決めて少し書くことにした。ただし、古い記憶に頼っただけの備忘録風のものになる。

 戦前の世界共産党 = コミンテルンは、その中心がソ連共産党だった。世界共産党の指導部として、各国の支部共産党を指導する立場にあった。コミンテルン史については各国でこれまで多くの書物が刊行されていて、日本語に翻訳されたものもかなりある。また日本の研究者と革命家の手になるものも刊行されている。私が以前引き合いに出した加藤哲郎「コミンテルンの世界像」もそのひとつである。そしてその全てが、記述の中心をレーニン時代ではなくスターリン時代に充てている。スターリン時代のソ連を「腐敗した労働者国家」と規定したトロツキー派のものもあるが、全体として社会主義ソ連を総否定したものは少ない。
 コミンテルン時代は各国共産党史にとって、その前半の歴史として、スターリンの評価いかんにかかわらず、全体として肯定的に捉えられている。とりわけ第二次世界戦争における反ファシズム統一戦線の果たした役割は大きかった。われわれはコミンテルン書記長・ディミトロフの名を忘れることはできない。
 
 戦後の日本左翼は、社会民主主義者の戦中の裏切りによって日本共産党のみであった。日本共産党はコミンテルンとその盟主であったソ連共産党を全面的に肯定することで、戦後の出発を開始する。「コミンテルンの犯罪」など戯言だった。やがてコミンテルンは解散し、世界共産党は各国共産党になる。各国の党の情報交換の機関としてコミンフォルムが残った。指導機関ではなかったが、引きつずいてソ連共産党とスターリンが影響力を保った。その間、ヨーロッパとアジアのいくつかの国で革命があり、社会主義は社会主義世界体制となった。従来からの社会主義の祖国ソ連、そして新興の中国は、世界の社会主義運動と革命闘争にとって大きな支柱だった。
 
 戦後の日本革命運動は日本共産党の再建によって開始される。戦後数年は日の出の勢いだった。しかし幹部は少しボケていた。獄中18年の徳田と志賀、それに「凱旋将軍」の野坂。平和ボケか、こともあろうに野坂はアメリカ占領下の平和革命を提唱する。アメリカ軍は解放軍だという。これにはさすがにソ連が怒った。コミンフォルムは「日本の情勢について」を発表してこれを公然と批判した。こんどは徳田が怒った。そこで「所感」の発表となる。結局それ自体正しい「批判」を受け入れるのだが、こんどは極左冒険主義に走る。まさに文字通りの右往左往なのだが、コミンフォルムの批判が日本の革命運動に対する戦後最初の干渉になったのは間違いない。これは事実上、ソ連の干渉なのだ。そしてそれが、50年分裂のきっかけになる。

 1956年のスターリン批判のインパクトについては既に書いた。しかしその組織的影響は日本では大きくなかった。日本トロツキスト連盟への参加者は微々たるものだったし、日本ではスターリンの権威が失われることはなかった。依然として、その著作はレーニンの著作以上に読まれた。大月書店の国民文庫の上位にはスターリンの著作がずらり並んでいた。水野さんがしどろもどろ書いているようなことは、最近になって不破氏が言いだしたことであり、共産党員のだれひとりとして言わなかった。ソ連が社会主義ではないなどというのは少数のトロツキストだけだった。最近の不破氏や水野さんの論は、五十年遅れのトロツキストの論なのだ。

 1950年代後半から1960年代前半には、まだ国際共産主義運動という語は生きていた。1957年のモスクワ宣言と1960年のモスクワ声明は国際共産主義運動の綱領的文書であり、日本共産党の必読文献でもあった。そのようなものとして党の綱領集に収録されていた。しかし、古くはチトー・ユーゴの離反があり、ハンガリー事件があり、さらに中ソ対立が表面化するに至って、1962年には各党間の不団結と対立はだれの目にも明らかになった。

 日中両共産党の対立は少し遅れるが、日ソ共産党の対立は早かった。ソ党の干渉がその原因であることに私は同意する。しかし水野さんが言う「日本共産党に対する暴力革命路線の押し付けという不当な謀略」などありはしなかった。「暴力革命路線を押し付け」たのは、のちの中国共産党でありソ連ではなかった。ソ連はアメリカ帝国主義と闘わない「平和共存」路線を各国の党に押し付けたのだ。
 ソ連もソ連共産党もいまはない。死人に口なしとばかり、いいかげんなデマを飛ばさないほうがよい。私が特に悪質だと思うのは、不破氏がその「古典教室」でソ連については口をきわめて非難しているが、中国についてはそれ以上の暴力的干渉を受けたにもかかわらず、何も言わないことだ。狡さを感じざるを得ない。

 ソ連共産党の意を汲んだ分派は「日本のこえ」分派だった。名付け親は中野重治。中央委員でこれに加わったのは志賀義雄、鈴木市蔵、中野重治、神山茂夫の四人。しかし一年後に中野、神山は離脱する。
 岡山でも鈴木の影響下の旧国労を中心に「日本のこえ」の組織はあった。機関紙はある古書店主が約30部郵送していた。しかし組織は2年後に崩れる。中心にいた I 夫妻がすっかりやる気をなくし、短歌の世界に行ったためだ。
 ソ連共産党はこの分派を一貫して手厚く保護したわけではなかった。志賀が落選し、鈴木が立候補を取りやめると、ほとんど相手にしなくなった。そして、共産党内に影響力を残すために、日本共産党内から一本釣の工作を試みる。この辺が謀略的といえば謀略的といえよう。袴田や野坂と個別に接触したこともあった。
 先に除名されていた「社革」と「統社同」のグループから「日本のこえ」に、大同団結つまり単一の党をつくる話がもちかけられる。これに対する志賀の対応がなっていなかった。もっぱらソ連の顔色を窺った。そもそも志賀らは党綱領に反対ではなかった。春日や内藤と組む大義名分がなかった。オロオロしているうちに飯田桃をはじめ若手の多くが志賀を見限って、新党に移る。白川真澄もその一人だった。また、解放同盟の活動家のかなりは「日本のこえ」に所属していたが、社会党に移る。そのひとり上田卓三が後にどういう道を辿ったか、周知のとおりである。

 こうして見ると、日本共産党が60年代そうそうに自主独立の道を確立しソ連型のマルクス・レーニン主義つまりスターリン主義とは別の道を歩んできたような錯覚に陥りがちだ。しかし、実際はそうではない。スターリン「弁証法的唯物論と史的唯物論」はマルクス主義の体系化を特徴としており、一部ではすでに批判もあったが、少なくとも1960年代をつうじて、日本共産党のあらゆる理論の基礎になる哲学だった、疑う向きは当時のテキスト、例えば人民大学のテキストや社会科学辞典1967年版を見たらよい。「弁証法的唯物論と史的唯物論」の影響というより、ほとんどそのままの著述をそこに見られるだろう。つまり、よくも悪くも日本共産党はつい最近までソ連スターリン体系の影響下にあったのだ。

 とりとめのない文になってしまった。まだまだ書き残したこともある気がする。しかし、書けば書くほどとりとめのなさが拡大する気がする。それは書き手である私の弱点に起因する。私はいまだ1991年のソ連邦崩壊を総括する視座を獲得しえてない。そのことを正直に告白しておきたい
  1. 2012/10/14(日) 00:28:25|
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着服

古本屋通信  No 40  10月13日

 着服 
 以下は青文字の部分が、日本共産党 群馬・太田市議 水野正己さんのブログからの引用です。

 渡辺明大泉町議の除名について

 日本共産党東毛地区委員会は9月26日、大泉町の渡辺明議員を除名しました。党東毛地区委員会が発表した声明は次のとおりです。
 9月25日から一部マスコミが報道したように、大泉町の渡辺明議員が生活相談を受けていた人の金銭を着服するという重大な犯罪行為を働いていたことが明らかになりました。被害者の親族の訴えを受けての党の調査に対して渡辺明議員は、790万円余の着服を認めました。 これは絶対に許されないことです。党東毛地区委員会は9月25日、渡辺明議員に議員辞職を勧告。渡辺議員は翌9月26日、議員辞職願を提出し受理されました。9月26日、党東毛地区委員会は党規約にもとづいて除名処分としました。 日本共産党東毛地区委員会は、党公認の議員が町民のみなさんの信頼を裏切ったことに対し、深くお詫び申し上げます。また、被害者とそのご親族のみなさんに計り知れない心痛を与えたことに対して心から謝罪を申し上げます。
  2012年9月26日 日本共産党東毛地区委員会

 これにたいして、水野さんのブログのコメント欄に、キンピーさんほかから 23 のコメントと応答がありました。興味のある向きは水野さんを訪問されたい。以下は私の地の文。

 まず初めに。この種の「事件」に対する、私の基本的スタンスは次のとおりです。
 私は民事事件であれ刑事事件であれ、自民党であれ共産党であれ、大規模な組織がらみでないかぎり、個人の 「事件」 を採りあげること自体に否定的です。その理由は、
①事実関係を見極める材料がブル新の報道にほぼ限られる。
②報道記事自体がエンタテインメントの提供である。
③被害、加害ふくめて関係者の主張や反論が公平に知らされることはない。
以上3点の理由で、私はいわゆる三面記事は不要だし、政党の機関紙は一般事件は不扱いにすべきだと思っています。

 しかしにもかかわらず、ここでこの「事件」に関連して文を書こうと思ったのは次の理由からです。
 共産党は地方議員の生活相談を原則的に廃止すべき、と強く感じたからです生活相談は本来、議員の仕事ではないとおもいます。一般に知られた党の窓口が議員であるから、いろいろな相談が議員に寄せられるのは当然です。だがその場合、議員はいかなる相談も自分が背負わないで、関係の専門分野に渡すことです。それも直接連絡するのではなく、地区委員会または県委員会を通すことが必要です。私は上記の記事をみて、強くそう思いました。
 いままでだって、多くの議員はそうしてきたでしょう。そうしないと本来の議員の仕事が立ちゆかないだろうから。しかし背負い込む議員がいるのも現実です。誠実に対応しようとすればするほど、眠る時間さえなくなり泥沼に入る。それを断つには生活相談を止めるしかない。その時間を理論学習に充てるべです。   
 議員が生活相談をやめなければならない主要な理由はしかし、別にあります。その相談内容の多くは、生活者どおしの利害調整に関わる案件であす。しかも党支持者のあいだの調整だったりする。あるいは他党支持者との調整だったら、どう動くのか。いずれにせよ、議員は自分の頸を絞めることになります。今回の「事件」は交通事故の示談を渡辺さんが引き受けるのではなく、弁護士を紹介していたら、起こり得なかった。そう、そういう問題なのだとおもいます。

 私は今回の「事件」に特にコメントしないが、印象的には渡辺さんに同情的です。790万は多いが、それが3000万のうちの30万だったら、手数料としてどうなのか。もちろん依頼者に断ってのことですが。共産党の生活相談は当然無料、ほとんどがそうだった。だが、受益者に赤旗を売ったことはなかったか。赤旗を売って悪いことはありません。違法では、もちろんない。しかし、生活相談であれ、その他のふれあいであれ、党員が大衆に接する基本は「無償」でなければならない。赤旗拡大は押しつけでなかったか。極論だが着服も押売も無償の奉仕でないという一点で大差ないというのが私の見解なのです。
 
 最後に余談。以下は水野さんのブログ中のかれの文から。

 1960年代からはじまった旧ソ連による日本共産党に対する暴力革命路線の押し付けという不当な謀略と干渉は、“単なる仲たがい”と言ってすまされる問題ではありません。
キンピーさんは旧ソ連について、問題はあったが、社会主義政党として一定の役割を果たしていた旨コメントされています。しかし日本共産党は、たしかにレーニンの時代にロシア革命をなしえた当初のソ連が、一定の役割を果たしたことは評価していますが、スターリンの時代以降の旧ソ連は、社会主義とはいっさい無縁の専制国家と化していったという評価をしています。そのことは、1960年代からはじまった旧ソ連による日本共産党への干渉と謀略に対する日本共産党のたたかいや、91年のソ連崩壊の際の日本共産党の声明でも明らかです。
 
 いちいち論難しないが、党中央の公式見解を是とする立場からも間違いだらけの文と言えます。とりわけ赤字の部分が、思いこみによる間違いの部分です。

その後、水野さんの記述から以下の部分が削除された。
1960年代からはじまった旧ソ連による日本共産党に対する暴力革命路線の押し付けという不当な謀略と干渉は、“単なる仲たがい”と言ってすまされる問題ではありません。
  1. 2012/10/13(土) 00:05:48|
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南の島 資料

古本屋通信  No 39   10月12日

 南の島 資料 
 
 南の島に関する記事をネット上で見つけたので少し古いが、とりあえず貼り付けておく。タイトルの表記は次のようになっている。  尖閣めぐる領土主義に反対する  「人民日報」紙は尖閣諸島の日本帰属を認めたのか?  かけはし/span>>
個人が「かけはし」の記事を転載したものと考え、最近記事の参照を試みたが、ネットで読める範囲では見つからなかった。とりあえず、かけはしへの投稿と見做す。

 外務省・日本共産党の手前味噌的解釈排し国際主義を貫こう 
右翼民族主義ポピュリスト・石原慎太郎都知事による尖閣諸島購入発言から、野田佳彦首相・民主党政権による国有化への動きは、混迷する政局と打つ手なしの金融危機における帝国主義ブルジョアジーの危険な国家戦略へとシフトしている。
 政治的、経済的のみならず文化的、軍事的にも拡張する中国に対する日本帝国主義の対抗的戦略をまえに、「万国の労働者団結せよ!」のスローガンの下で闘ってきた日本、沖縄、中国、台湾、朝鮮、韓国などの労働者階級はインターナショナル―国際主義―の断固たる旗を掲げてオルタナティブを提示しつづけなければならない。ナショナリズムと排外主義をあおる戦略なき帝国主義者の火遊び的外交・軍事路線のために、労働者階級は一滴の血も涙も流してはならない。

 石原都知事の欺瞞と豊下論文
 関西学院大学法学部の豊下楢彦教授は『世界』8月号で石原の欺瞞性を次のように喝破している。
 「『東京新聞』は『横田に基地は必要なのか』と題する長文の社説(5月13日付)において、現在の同基地が、輸送機とヘリがわずかに発着するだけ『過疎』の状況である一方で、一都八県の上空を覆う横田空域が『米軍の聖域』になっている状況を指摘し、『首都に主権の及ばない米軍基地と米軍が管理する空域が広がる日本は、まともな国といえるでしょうか』と問いかけた。まさに石原流の表現を借りるならば、『独立から60年も経って首都圏の広大な空域が外国軍の管制下にあるような国なんか世界のどこにあるんだ』ということであろう。しかし、この威勢のよい啖呵の矛先は、13年前に『横田返還』を公約に掲げて都知事に就任した石原氏当人に向かうことになる。仮に久場島を本気で購入する意思があるのならば、石原氏は一層のこと、久場島と横田基地の即時返還を米国に正面から突きつければよいのではなかろうか」。
 そして同海域における中国や台湾の漁船操業や監視船の活動が根拠のないものではないと指摘する。「2000年に発効した日中漁業協定は北緯27度以北を対象海域としており、尖閣諸島のある以南では排他的経済水域について棚上げをしている、ということである。従って、この海域では協定がない以上、中国が自国漁船を取り締まる権利は否定されていないし、漁業監視船の行動を根拠づけることもできるのである。他方、台湾との関係で言えば、歴史的には日本の植民地時代も米軍の沖縄統治時代も、台湾の漁民は同海域で自由に漁業を行っていたのである」。

 外務省HP掲載記事の問題
中国漁船の操業については、『週刊文春』二〇一二年八月九日号の「尖閣諸島地権者は『借金40億円』 マネーゲームの末に20億円で東京都へ売却合意!」という記事で、尖閣周辺海域をおもな漁場とする石垣島の八重山漁協組合長・上原亀一氏のコメントが紹介されている。
 「尖閣の周辺漁場は豊かですが、天候の変化が激しく、シケで船をかわす場所もなく、無線も届かない。避難港や気象観測・無線施設の整備が進み、安全操業が可能になれば周辺海域での漁業が盛んになり、経済実効支配も進むんですよね。石原さんは基本的にそうした考えをお持ちなので、都の購入自体は望ましい。ただ、パフォーマンスが過ぎて中国・台湾を必要以上に刺激しすぎている。そもそも中国漁船とのトラブルはないんです。尖閣を含む北緯二七度以南は二〇〇〇年発効の日中漁業協定で中国に操業が認められましたから。それと漁法自体が沖縄の漁船と違うので、競合もしないんです」。
 そもそも侵略戦争の過程で一方的・非公開で日本領に編入された同海域を、侵略戦争を反省も否定もせず、「中国の脅威」をあおり、同海域への自衛隊の配備や日本の核開発を放言する人物が「購入」だの「国有化」だのを語ること自体が問題である。腐臭漂うナショナリズムの毒素は中国をはじめ周辺諸国の民衆の思考をも腐敗させる。
 尖閣諸島/釣魚台の領有については、「中国共産党の機関紙、『人民日報』で尖閣諸島は琉球群島の一部だという記載があった」という主張を、右翼だけでなく日本共産党までもが声を大にして叫んでいる。
 「人民日報」による当該記事は一九五三年一月八日付。この記事をもって「中国も尖閣を日本領とみなしていた」という主張を国際的に納得させるには無理があるが、日本政府は外務省のホームページで以下のように紹介している。
 
 参考 一九五三年一月八日人民日報 記事「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」(抜粋・仮訳)
 「琉球諸島は,我が国(注:中国。以下同様。)の台湾東北部及び日本の九州南西部の間の海上に散在しており、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、トカラ諸島、大隅諸島の七組の島嶼からなる。それぞれが大小多くの島嶼からなり、合計五〇以上の名のある島嶼と四〇〇あまりの無名の小島からなり,全陸地面積は四・六七〇平方キロである。諸島の中で最大の島は、沖縄諸島における沖縄島(すなわち大琉球島)で、面積は一二一一平方キロで、その次に大きいのは、大島諸島における奄美大島で,七三〇平方キロである。琉球諸島は、一〇〇〇キロにわたって連なっており、その内側は我が国の東シナ海(中国語:東海)で、外側は太平洋の公海である。」(外務省:尖閣諸島に関するQ&Aより)

「琉球人民」の反米闘争支持
 だが、外務省も右翼も日本共産党も、上記のようにこの記事の冒頭個所のみを紹介するだけで、記事全体を紹介してはいない。国家主義や領土主義に深く根ざした思考の持ち主には、この記事全体が主張する重要性を理解することはできない。この記事は、タイトルの通り米国による軍事占領に反対する沖縄民衆の闘争を扱った国際主義の思想に基づいて書かれた記事であり、民族問題と国際主義を結合させた新中国建国後間もない革命の理念にあふれるすばらしい記述となっている。
 この記事が書かれた二週間余り前の一九五二年一二月二二日は、中国共産党の闘争路線とは別の立場から抗日戦争・革命事業を主張してきた中国トロツキストの同志たちが、権力についた中国共産党の弾圧機構によって一斉検挙された日であり、その後、これらの同志たちは「反革命」などの無実の罪で革命中国の獄につながれ強制労働を強いられることになる。
 それにもかかわらず、日本帝国主義を打倒・駆逐し、反革命の蒋介石国民党を中国大陸からたたき出し、労働者と農民が中心の社会にむけて歩むという革命中国の外交路線として、同じく帝国主義に占領されてきた琉球民衆の闘いを紹介した人民日報の記事の重要性はいささかも減少するものではない。
 尖閣諸島/釣魚台が、明治政府による朝鮮、中国への侵略戦争の過程でどさくさにまぎれて日本領に略奪されたものであったとしても、そしてその領有権が中国のものか日本のものかにかかわりなく、琉球民衆のアメリカに対するさまざまな抵抗闘争に反映される反帝民族主義の闘争の高揚を国際的に支持するという国際主義の原則である。

 日本共産党の民族主義史観
しかし、労働者階級の前衛を自認する政党である日本共産党は、あろうことか「尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当」という主張を同党のウェブサイトに掲載し、「日本政府は堂々とその大義〔尖閣諸島/釣魚台の所有:引用者〕を主張すべき」として、外務省と全く同じように「人民日報」記事の冒頭部分のみを紹介して、次のように主張する。
 「一九五三年一月八日付の中国共産党機関紙『人民日報』は、『米国の占領に反対する琉球群島人民の闘争』と題して、米軍軍政下の沖縄での日本人民の闘争を報道し、そのなかで、『琉球群島は、わが国台湾の東北および日本九州島の西南の間の海上に散在し、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、吐か喇(とから)諸島、大隅諸島など七つの島嶼からなっている』と、『尖閣諸島』という日本の呼称を使って同諸島を日本領土に含めて紹介していた」。
 そして「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった」と主張する。だがもし仮に日本が日清戦争に敗北していたら、講和条約交渉の前年に秘密裏に日本領に編入された尖閣諸島/釣魚台の実効支配は実現していたかどうかを考えるだけで、日本共産党の言う「正当な行為」が「侵略主義、領土拡張主義」と不可分であることが容易に想像できるのである。
 日本共産党は、当該記事に象徴される労働者階級の国際主義とはまったく真逆の、帝国主義民族主義者と同じ立場から、この国際主義に貫かれた歴史的文献を持論を補強する歴史的資料であると持ち出して、自らの一国的、民族主義的歴史観を恥ずかしげもなく披瀝している。これは共産主義者として恥ずべき民族主義、そして帝国主義的歴史観への屈服である。
 しかも「『尖閣諸島』という日本の呼称を使って同諸島を日本領土に含めて紹介していた」と事実を歪曲してこの記事を紹介している。記事全文を読めば「『尖閣諸島』という日本の呼称を使って同諸島を日本領土に含めて紹介していた」という記述は何処にもない。「人民日報」の記事は、尖閣諸島を日本ではなく、アメリカの占領下にある琉球群島の一つとして紹介しているに過ぎないからだ。

 沖縄の人びとと連帯するために
中国はその後、中ソ対立を契機に、その国際連帯の方向性を極端に歪めてゆき(スターリンのソ連に学んだ)、日本共産党を含む各国共産党への介入、ベトナム侵略戦争にまい進した米国帝国主義との「平和共存」、「ソ連社会帝国主義反対」というマルクス主義の理論とは無縁の立場から北方四島に関しては日本領土だと主張するなど、その国際主義を著しくゆがめ、世界革命の進捗の大きな阻害となるが、これは後の話であり、一九五三年「人民日報」の当該記事の重要性をいささかも貶めるものではない。
 「領土問題はなく、有効に支配している」と言う日本政府も、「古来より中国の領土」という中国政府も、どちらも自国民にウソをついている。ほとんどだれも住んだことのない絶海の小島に関する歴史的資料や文献をさかのぼり、やれ「わが国固有の領土である」とか「古来よりわが方の領土である」と吼え合い、偶然でてきた歴史文献の一部を切り取り、それをまるで鬼の首を取ったかのように掲げて領有権を主張することは、グローバルな貧困と格差を何ら解決できない歴史的危機にある資本主義支配に対する労働者民衆の闘争の国際的戦略を民族的一国的に捻じ曲げる階級的犯罪である。
 「原発ゼロ」への転換と同様に、日本共産党が尖閣諸島/釣魚台をはじめとする「日本固有の領土」という問題についても、広範な党内議論を通じて再検証し、労働者階級の国際主義の立場に立つことを改めて願うものである。
 六〇年近く前の「人民日報」に書かれた琉球諸島人民の闘争は現在も継続中である。辺野古新基地建設に反対し、普天間基地撤去を勝ち取り、オスプレイ配備や高江ヘリパッド建設を断念させ、米兵による性暴力被害を絶対に許さない沖縄の人々のたたかいに労働者階級の国際主義で連帯しよう。
 万国の労働者、団結せよ!(早野一)
 

         
歴史資料〕アメリカの占領に反対する琉球諸島人民の闘争(全文)
 「人民日報」1953年1月8日
 
琉球群島は我が国の台湾東北部と日本の九州島西南の間の海面上に散在しており、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、トカラ諸島、大隅諸島など七つの島嶼から構成されており、それぞれ大小の島嶼があり、あわせて五〇以上の名前の付いた島嶼と四〇〇以上の無名の小島があり、すべての陸地面積は四六七〇平方キロになる。群島中、最大の島は沖縄諸島の沖縄島(すなわち大琉球島)で、面積は一二一一平方キロメートル。次に大きなのは大島諸島の奄美大島で、面積は七三〇平方キロメートル。琉球群島は一〇〇〇キロにわたって連なっており、その内側は我が国の東海、外側は太平洋の公海である。
 アメリカは一九四五年六月に琉球群島を占領した後、この島で軍事基地の建設に着手した。アメリカのアジア大陸侵略計画の破産に伴い、琉球の基地建設工事も積極的になっていった。すでにアメリカが朝鮮戦争を発動する以前から、アメリカは琉球群島の軍事工事は琉球の三分の一の土地を占用しており、基地建設に費やした費用は2億ドルを超えていた。その後、琉球の基地建設計画はさらに拡大し、さらなる速度で進行している。
 一九五一年六月二二日、『USニューズ&ワールド・レポート』誌が明らかにしたアメリカの侵略者の野心は次のとおりである。「アメリカの沖縄島での目標は空軍を用いたアジア覇権であり、そこを太平洋最大の基地にすることである。沖縄島から飛び立ったB29型爆撃機はアジアの大部分の内陸地域にまで達することが可能で、爆撃半径は中国全土とシベリア鉄道を含むシベリア地区の大部分を含めることができる。B36型爆撃機はさらに遠距離に達することができる」。

 米国の占領と軍事基地化
 昨年九月八日、沖縄島のアメリカ政府職員は「沖縄島を『太平洋のジブラルタル』にするための総費用は四億八〇〇〇万ドルに達する。建設作業は計画通りに進んでおり、台風よけの道路、飛行場、兵舎、司令部およびその他の軍事設備が島全体に配置される」と公然と宣言した。また、先日の日本の新聞報道によると、アメリカは沖縄島那覇港の入口にある浮島神社の下に、容量八万トンの地下油槽所をすでに建設しており、沖縄島周辺の島嶼には基地が散在し、二〇数か所の大型飛行場が建設されており、奄美大島、宮古島、沖之永良部島などの島嶼にレーダーを設置し、多くの島で滑走路兼用の軍事道路が建設されているという。AP通信社も「アメリカのB29型爆撃機は毎日沖縄島から飛び立ち北朝鮮への爆撃を行っている」ことをこれまで一度ならず認めている。
 琉球における軍事基地の建設、使用とともに、アメリカ侵略者は琉球群島を永遠に占有するために積極的に陰謀をおこなっている。アメリカは琉球を占領してすぐに琉球の一切の政治権力を独占した。
 昨年来、アメリカ侵略者は、「カイロ宣言」「ポツダム宣言」等の国際協定に琉球群島の国際信託統治についての規定がない事を顧みず、ソ連政府と中華人民共和国政府による度重なる声明も顧みず、そして一〇〇万の琉球人民の断固たる反対をも顧みることなく、日本の吉田政府と結託し、一方的に定めた対日「和平協定」のなかで「日本はアメリカが国連に提出した北緯二九度以南の琉球群島を……国連の信託統治のもとに置き、アメリカを唯一の管理当局とした一切の提案について、同意するものとする。この種の建議を提出し、かつこの種の建議に対して肯定的な措置を取るまでは、アメリカは領海を含むこれらの島嶼の領土および住民に対して、一切の行政、立法、司法権力を有するものとする」と規定している。アメリカはこのような卑劣な手段で、ほしいまま無期限に琉球群島を占有する侵略行為を「合法」の外套に包んだ後、去年の四月一日に比嘉秀平を首長とする琉球傀儡政府を樹立した。
 七年来、アメリカ侵略者は極めて乱暴で横暴な手段を用いて、琉球群島をアメリカの軍事基地に変えてきた。一〇〇万の琉球人民はアメリカによる苦役と搾取のもと、生活苦に陥っており、極めて悲惨な生活を余儀なくされている。米軍によって軍事施設の建設に指定された土地では、すべての住民は故郷から追い出され、いまでは沖縄島の三分の二の土地が軍用に供用させられている。琉球人民は土地を強奪占拠されているだけでなく、労働力を有する青年の大部分は米軍基地建設の奴隷労働に強制的に参加させられている。

 米軍による琉球支配の実態
 アメリカ侵略者は銃剣を用いて、琉球人民が生活の基盤としてきた平和な我が家と漁村を荒廃させることを残酷に迫り、全島は田畑が荒廃し、食糧欠乏、漁業不振に陥っており、戦前には大きな規模を誇った製糖業もいまだ回復していない。また、米軍は恐怖の警察統治を用いて琉球人民の抵抗を抑圧している。一九四七年以降、米軍は軍事機密を守るという口実で住民が全島を旅行することを禁止している。アメリカ憲兵とその走狗の琉球警察(かつては日本軍閥の手先で、いまでは米軍に雇われている地元のチンピラ)が全島に充満している。
 村落と村落の間には有刺鉄線が張られ、村民の行き来も先ず警察に報告して許可を得なければならず、そうしなければ「無断で境界を超えた」犯罪となり、幹線道路脇にも有刺鉄線があり、中には電流の流れるものもある。従って琉球人民は対外貿易を禁止され、交通は阻害され、耕作と漁業は制限され、一切の自由の権利が米軍によって剥奪されている。しかも戦争の砲火によって全島家屋の九〇%が破壊されており、いまだ大多数の琉球人民が住む所にも困っている。去年、琉球北部一帯を飢饉が襲ったとき、被災民はトカゲや蛇などを食べて命をつないだ。
 米軍で働く琉球労働者の賃金は、アメリカ人労働者の十分の一しかなく、米軍のバーやホテル、事務部門で雇用されている琉球女性の賃金は多い時でも毎月わずか四ドルである。ふしだらで恥知らずな米軍は、琉球に多数の「ジープ・ガール」も招き寄せ、琉球群島に駐留する米軍は琉球女性を野蛮に凌辱する。米軍が琉球人民をむやみに射殺する暴行行為も珍しくはない。

琉球人民の反米闘争が発展
 かつて琉球群島はアメリカと日本の激戦地域であり、住民の犠牲は深刻で、戦争の傷跡は深く琉球人民の心に刻まれている。琉球人民は戦争を憎んでおり、熱烈に平和を求めている。戦後、琉球を基地と苦役搾取の軍事植民地に変えるアメリカ侵略者の政策は、琉球人民が様々な方法でアメリカの占領者に反対する闘争に身を投じることを余儀なくさせた。
 最初は飢餓に迫られた琉球人民は米軍物資を奪い、その後じょじょに、公然と軍事物資を奪うための米軍攻撃に発展した。日本の新聞報道によると、一昨年の一月二一日に、嘉手納飛行場の航空隊第一八号火薬庫でまた火薬七トン半がなくなった。米軍の武器弾薬庫ではよく「理由なく」爆発が発生する。たとえば一九四八年八月、沖縄島付近の小島にある米軍武器弾薬庫で爆発があり、一昼夜燃え続け、この島に保管していた武器弾薬はすべて爆破された。去年、台湾から伝えられたアメリカニュースの情報によると、琉球人民ゲリラ隊とアメリカ占領軍の間で激しい戦闘が行われ、琉球人民は沖縄島の嘉手納飛行場に潜入し飛行場を破壊したことが明らかになった。

最後の勝利は人民のものだ
 米軍のために働かされている琉球労働者は度重なるストライキやサボタージュで米軍の苦役に抵抗している。昨年六月、沖縄島で米軍基地建設に従事する琉球労働者が、米軍の禁令を顧みず、賃上げ要求の闘争を行い、島ぐるみの労働者の支持を獲得した。七月には、建設会社・松村組の労働者が解雇反対のストライキを行い、全島の各地で連帯ストの示威行動が行われた。
 アメリカの占領に反対する琉球人民の闘争は、戦争に反対し平和を守る運動と結合しており、かつ強力に前進している。昨年のメーデーでは、沖縄島の労働者、職員、市民は、琉球人民党の呼びかけのもと、米軍の弾圧をも顧みず、生活権利保障大会と示威行進を行った。最近では、沖縄島人民は、琉球傀儡政府が日本の吉田政府のために行う徴兵に反対する運動を広範に展開している。
 アメリカによる琉球の軍事基地化と苦役支配に反対し、自由解放と平和をかちとる沖縄人民の闘争は決して孤立していない。それは日本人民が独立と民主主義と平和をかちとる闘争と不可分であり、アジアと太平洋地域の人民および全世界各国人民による平和のための闘争と不可分である。ゆえに、アメリカ占領者が琉球人民に対して野蛮な弾圧を行ったとしても、最後の勝利は琉球人民の側にあるのだ。(以上 小見出しは本紙編集部)


 
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  1. 2012/10/12(金) 04:01:31|
  2. 未分類

万歩書店の金本喜岡さん

古本屋通信  No 38  10月11日

 万歩書店の金本喜岡さん

 
数日前、万歩書店社長の金本喜岡さんさんが死なれたらしいということを、同業者から聞いた。しかし確認がとれなかった。昨日、倉敷 N 書店の S さんが私の店に来られて、ご自分が葬儀に参列されたと言われた。死亡は間違いない。

 私は金本さんとの付き合いはなく、追悼する立場にもないが、それでも万歩書店にはひとりの客として、27年間、たぶん500回以上かよっている。この際、万歩書店について若干のことを書き記しておきたい。金本さんは糖尿病だった。五歳年下で同じ糖尿病の私だって、明日はどうなるか分らないのだから。

 私が岡山市久米の店をはじめて訪れたのは、確か会社を辞めて間もない1985年の夏だった。偶然通りかかって寄ったのだが、中にはいってまずその広さに度肝を抜かれた。しかし、このときの本店の広さが、わずか40坪だったとあとで知ってもっと驚いた。この時は 2 時間かけて、棚の隅から隅まで見た。欲しい本がたくさんあった。少し興奮したように記憶している。いくらか暇ができた時でもあり、これから先ずっと来ようと思った。しかし、その日は金がなく一冊だけ買った。その本は『海へ 小説 千代田丸事件』(秋元有子山中郁子のペンネーム) だった。この本はそれから暫く私が『民主文学』に入れあげるきっかけにななった本だ。

 私の古本屋との付き合いが始まったのは、この時からだと思う。私は元来ほとんど新刊書店一本だった。通勤の途中で川下書房と森書店に寄ることもあったが、新刊屋の紀伊国屋書店や平和書房に行くほうが圧倒的に多かった。神田にいっても新刊屋のウニタ書舗ばかりで買った。それが少し変わったのだ。
 本店の拡張。青江店の開店と閉店。津島店の開店と閉店。倉敷店の開店。平井店の開店。総社店の開店。東岡山店の開店と閉店。平島店の開店と閉店。奥田店の開店と閉店。私は県北の津山を除いて、これらすべてに漏れなくつきあって、その都度いくらか買っている。
 その感想をたった一言でいえば、ずいぶんお世話になったとも言えるし、あまりお世話にならなかったともいえる。「ずいぶんお世話になった」のは大量の本の背文字を見せて貰ったことについてだ。「あまりお世話にならなかった」のは本を安く買うという面で、とりわけ商売上の仕入れの面でだ。つまり高かったので、たくさんは買えなかったのだ。

 27年の長期のあいだ、私は3度だけ金本さんを見た。
たぶん本店を拡張して間もない頃。私は店内からマルクス、エンゲルス関係の教科書本、それもよくあるソ連版の教程ではなく、北朝鮮版の、たぶん朝鮮総連あたりが出している教科書をみつけた。この手の本はふつう値がつかない。しかし、他のどの本もそうだが、しっかりした値が付いていた。買えないほどではなかったので、カウンターに持っていった。このとき金本さんがいた。曰く 「ふん、マルクスかあ、済んでらあ」。客にむかって変わった物言いだ。しかし、不思議にムッとはこなかった。金岡さんは照れていた。顔が笑っていた。
暫くのち、再び金本さんが本店にいた。本店の店長は O さんだった。金本さんが O さんに次々と指示を出した。O さんは百点満点の部下だった。Oさんは本に親しんだ青年時代を送ってこなかったが、仕入れの天才といわれた。とにかくかれの仕入れた本は、ジャンルを問わず売れた。その O さんもやがて店を去る。
 後日、Oさんが、やはり元従業員の若い女性を伴なって、私の店にたった一度だけ現れた。私は話をしなかった。してはいけないように思ったのだ。少し前、元従業員から「万歩では社内恋愛はご法度だ」と聞いていたから。
岡山組合の新年の入札。金本さんが初めて参加した。本の値については知らない人と聞いていたので、注目したが、かたっぱしから落札し、品物は万歩書店に集まった。金本さんはご機嫌だった。

 万歩書店は大きい。しかし大きかろうが小さかろうが、古本屋ほど同業と縁が薄い商売はない。つまり利害が基本的に対立しないのだ。他の岡山の古書店にとって、岡山に万歩があるから良かった悪かったということは、たぶんないだろう。全国に知れ渡った万歩書店の名前だが、金本さんは岡山の同業者、少なくとも私にとっては空気のような人だった。金本さんがいなくなっても万歩書店はいままでどおりだろう。それを金本さんも望んでいると思う。


 備考 1 「古書通信編集部‏」 記事
 神戸の「ロードス書房通信」33号を頂いた。巻末の「ご挨拶」がいつも読み応えがある。亡くなった方の話題が多いのはこの業界の宿命かもしれない。今回は岡山の大型古書店万歩書店金本喜岡さんの訃報だ。10月5日死亡。評価は様々であったが超大型店舗を実践した情熱の人だったとある

 備考 2 郊外型大規模店舗のルーツ 万歩書店  古書流通の〈ニューウェイブ〉の登場   江下雅之 1998-2001ごろ執筆 未完成・未発表
  九〇年代後半には大都市周辺部に続々と誕生した大規模古書店のルーツは、岡山市郊外で八三年にオープンした〈万歩書店〉といわれる。それまでにも「売り場面積が広い」という意味での大規模古書店はあったが、稀覯本以外の古書一般を大量に仕入れ、膨大な数を店頭で販売するような形態は、万歩書店がさきがけと見なされている。
 京都生まれのオーナーの金本喜岡氏はハスラーとして知られた人で、岡山に移ってから、古書ビジネスに興味を抱いたという。そして古紙集積所の近くに店舗を構えて以降、チリ紙交換(チリ交)要員を通じ、古本・古雑誌を大量に仕入れるようになった。規模が拡大してからは、古書市などからも調達するようになったが、チリ交ルートから大量に仕入れ、なるべく多くの商品を店頭に並べるという発想が、大規模店舗という販売形態につながったのである。開始当初は四十坪ほどだった店舗は、一気に百八十坪にまで拡大した。
 その後、万歩書店は岡山市・倉敷市に複数の店舗を開く。MRSのようなフランチャイズ方式の拡大策はとらず、強力な仕入れ・販売力を背景に、岡山県内で確固たる地盤を確保した。ただし、ファミリー店という制度によって、古書店開業の支援はおこなっている。これは万歩書店が初期商品の手当や買い取りのノウハウの提供をおこなうもので、ロイヤリティや加入料などは取らず、経営は各店が独自におこなう。東京の下町にある〈たなべ書店〉はその一例だ。
 大規模古書店のルーツとはいえ、万歩書店の店舗のなかには、小規模のところもある。その点、ひたすら売り場面積の広い店舗展開を進めているのではなく、立地条件に応じ、あるところでは二百坪クラスの店を開くこともあれば、売り場面積が四十坪で駐車場のない店舗もある。
 取り扱う本は新古書の割合が多いとはいえ、稀覯本の取扱も少なくない。古書組合の即売会でも積極的に買い付けている点など、従来型の古書店と同様の経営形態も残っている。店舗によっては骨董品店のような品揃えをしているところもある。



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2012年03月02日13:38

カテゴリ

市田忠義が金正日追悼式に出席していた


市田昨年12月朝鮮総連本部で行われた、金正日追悼式に市田忠義が出席していた模様。クリックしたら拡大します。

写真のキャプションは
「葬儀式には数多くの国会議員や日朝友好団体の代表らが参加した」 とある。

送ってきてくれ方によると労働新聞(北朝鮮)の記事だとのことだったが、翻訳者によると、漢字が使われていることから韓国の新聞じゃないかとの指摘があった。


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コメント一覧
1. 623
2012年03月02日 15:10
事実だとすれば日本共産党は拉致被害者になんと言い訳するのだろうか
威圧でなく話し合いによる解決を。
なんて言い訳や主張は通じまい。



2. QP
2012年03月02日 15:15
写真を拡大すると紛れもなく市田忠義日本共産党書記局長の間抜け顔でした(爆笑)。

日本共産党は「北朝鮮は社会主義じゃなく金親子の独裁国家。党との関係は70年代に終わっている」いるなんて言っていましたが、「朝鮮総連」を仲立ちにして今でも関係は続いているのですね。

それにしても21世紀の世界の指導者の中でも稀に見る独裁者と看做されていた金正日の追悼式によくもまあ、市田書記局長を出席させたもんですね。

大胆と言うか、世間の空気が読めないと言うか、これで日本共産党はなんぼかの票を減らしたことは間違いない。

3. 上野 良樹
2012年03月02日 16:57
葬儀参加は非難するほどのことでは無いと思う。

ただし、参加した事を隠したり、批判に対してごまかすなら、参加しない方がよかった。

ただ出ただけで終わり、では無く次に繋げる戦略が必要です。

4. ブラウン
2012年03月02日 17:31
独裁者とは言え死人ですから、その「葬式」に出たこと自体は咎められるものではありません

 ただ公表していなかったことが問題にあたります


 そういえば金正日の死後のすぐに

 「一国の指導者の死に哀悼の意を表する」とC委員長は表明していましたね。

 私が市田氏の立場でなにか言い訳を考えるなら

 「公人ではなく私人として行った」

 「日本共産党の参議院議員ではなく市田忠義として行った。日本共産党の総意ではない」

 「気づいたらそこにいた」


 逆に「なにが悪いんだ!!!」と逆ギレするパターン

 まぁ当の本人に動きはないだろうからなにを言うか、妄想するしかないのだけれど

5. わくわく44
2012年03月02日 17:38
拉致問題やミサイル発射、核開発など、思い切り共産党が批判しているはずの北朝鮮。
その北朝鮮のトップを尊崇している組織のトップの葬儀に出席とは、日本国民の大部分を敵に回したといっても過言ではない「売国」行為。

もっとも、総連50周年記念大会で不破氏が祝辞を述べたりしたところをみても、本当に、この政党はどうかしている。

6. QP@上野様&ブラウン様
2012年03月02日 17:45
>葬儀参加は非難するほどのことでは無いと思う。
>独裁者とは言え死人ですから、その「葬式」に出たこと自体は咎められるものではありません

まあ、そのような寛容な気持ちで世間が受け止めてくれれば良いがねえ。

日本共産党の代表がドイツを訪問したら、jヒトラーの墓(あるかどうか知らないが)を「死者に罪はない」と詣でてやれば、世間は拍手喝采するだろうか?

日本共産党はよく戦争中に苦しめられた人はまだ生きていると言って、侵略戦争に利用された日の丸・君が代に反対しているが、いくら金正日が「死者に罪はない」としても、拉致被害者とその家族はまだ苦しんでいるんだよ。


7. わくわく44@623閣下
2012年03月02日 17:48
>事実だとすれば日本共産党は拉致被害者になんと言い訳するのだろうか
>威圧でなく話し合いによる解決を。
>なんて言い訳や主張は通じまい。

言い訳や主張が通じるどころではなく、威圧抜きでの話し合いなど、まったく効果はない。

田嶋陽子など「先に国交正常化すれば、拉致問題も解決する」と言っているが、なぜそれを目指さないのかをいえば、「国交正常化しても、拉致問題は解決しない」ことがわかりきってるからです。

北朝鮮は160か国と国交を結んでいるが、大使館員ですら、平壌市内の移動でも必ず監視がつき、平壌から出るときは事前許可制など、まったく動けない。
つまり、「8人は全員死亡した」と2002年9月に言われたコメントを、国交正常化しても言われてしまうのがオチだということがわかっているからです。

つまり、「言い訳や主張は通じまい」どころか、「解決する気なし」と思われるのがオチです。
本当に拉致問題を解決したいなら、日本は憲法を改正して、最低でも集団的自衛権を行使できるようにしたり、通常兵器をもっと増強するなど、「軍事力」も強化しないと、北朝鮮に対しては「通じる言葉」がないことを、共産党は認識しないといけません。

8. のんちゃん
2012年03月02日 17:54
これはいくらなんでも軽率。

これでは対北朝鮮強硬派が勢いづき、やがて北朝鮮に武力行使せよという強力で批判を許さない空気の世論が形成されてしまうだろう。

そうなったら取り返しがつかなくなる。憲法9条改正が確実に俎上に上る。そして拉致被害者奪還作戦が実行されるだろう。

9. pat11
2012年03月02日 19:04
共産党という名前をあんたは愛してないな

世界で共産主義でがんばってるのは
北朝鮮だぞ

ブログをオシャベリと勘違いしてる
あんたは ニーベル賞が欲しい レベルだな

10. ブラウン@3つの事例を比較します
2012年03月02日 19:06
まず今回の市田忠義氏(書記局長=世間的には幹事長に該当するのならNO.2)の総連の金正日追悼式出席

 小泉純一郎(当時は首相)の靖国神社参拝=死者に罪はないという私の持論を当てはめるとA級戦犯や死刑囚も罪が無くなってしまいます(ので少し訂正)


 安倍晋三(当時は官房長官か?)の統一教会教祖の文鮮明への祝電

 本質は違うが市田・小泉・安倍の3氏いずれも叩く部分は見つかる

 

11. キンピー
2012年03月02日 19:29
共産党から出席させる必要性は感じませんが、拉致問題解決のために「対話と圧力が必要」というなら政府から誰か出席させておく必要はあるでしょうね。

12. 猫・トラ吉@ブラウン様
2012年03月02日 20:02
昔、赤旗紙上で靖国参拝した自民党閣僚を非難する時
「東条英機ら軍国主義者たちと、その思想を共有するものです」と書いてましたので
当然ながら市田氏は「人権も自由も一切認めない恐怖政治の独裁者と」その思想を共有することが判りました。

で、「A級戦犯」
米英仏ソ支帝国主義者が決めたリンチ処刑儀式を
正当な裁判だと思い込んでいるところは
「アメリカ帝国主義者とその思想を共有」するものです。

13. ブラウン
2012年03月02日 20:16
ソープの件は全面的には擁護しにくかったですが


 かつての独裁者とはいえ「葬式」の場所に居合わせたことはそこまで問題があるとは思いません


 コキントウ(漢字変換が難しい)や温家宝が急死したとして、その追悼式や葬儀に市田氏がいると問題がありますでしょうか?


 靖国参拝は葬式ではないから本質は違う


 英霊(指導部)という大まかな名称の中に日本の当時の指導部も犠牲になったのだから

 「ご先祖様の供養と安らかな成仏を」という意味合いでは靖国参拝は問題がありません

 そんなに神経質に取り上げることではない

14. 多重債務者のしんのまゆみ
2012年03月02日 20:31
市田忠義様と言えども良い点はないか?考えましょうよ
★ホラ・日本と北朝鮮は
★【拉致問題を話し合う機会すら少ない】ですよね
★これでは埒があきません
☆【弔問外交】という言葉もある通り
【将軍様死去】を機会に
◎優しい市田忠義様は・朝鮮総連を通じた
【北朝鮮との極秘の話し合いのパイプ】⇒作りたかったのかもしれません
A:原発に,唯一日本共産党だげが厳しく厳しく反対したことに加えて
B:唯一!日本共産党だげの活躍で拉致問題解決したら
日本共産党・総選挙・大勝利は確実
◎【民主連合幕府の樹立】は近いかな?違うかな?
◎最後になりますが,私・残念ながら市田忠義様の事・良く,知りません
1☆伊賀篤様は
近鉄電車で通勤する,気さくな,市田忠義様を見かけたのですか
2☆同じく関西圏の
KM生様・若い頃の市田忠義様の魅力・他にありますか?
※参考資料:市田忠義様が【府委員会という・かいしゃ】に
通勤していたころの 近畿日本鉄道様の160000形は・大井川鐵道に在籍してます
※私・昨年乗りました。日本共産党様同様に 傷みが,すごいけれど=http://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=s_takayuki6188&id=7427488

15. TAMO2
2012年03月02日 20:45
北朝鮮と対等に話し合うために、総連のパイプを作ろうとするのが、すでに間違いですよ。

総連は、あくまでも、北朝鮮の道具であり、手下に過ぎません。そこから入れば、日本共産党は、総連と同等の、(北朝鮮から見て)格下、という扱いになります。

最初のとっかかりは、面子が大事です。特に東アジアでは。

16. 猫・トラ吉@ブラウン様
2012年03月02日 21:16
sinaは様々な恫喝外交を展開していますが
今のところは、あくまで「恫喝」です。
その反面、北朝鮮は拉致問題に関しては
テロ実行国家であり、総連はそれの支援団体です。
日本が普通の国ならとっくの昔に解散させられている
でしょう。
「人権」とか「自由」「平和」を標榜しながら
そんな団体の式典にわざわざ出向くのは100%でなくとも
相当部分において「価値観の共有」があると判断され
不見識と言わざるを得ません。

例えば朝鮮労働党が「平和を愛好し(差別も貧困も失業もない)本当の社会主義」を実施し、日本共産党がこれを是として、手本にしていると言うのなら
まだしも理解できますが。

17. ブラウン@猫・トラ様
2012年03月02日 21:48
いかなる人物であれ生前の話であり、もう鬼籍に入った人間の所業についてとやかく言うような下種な趣味は私にはありません


 ただ北朝鮮は異質ですよ、それはそうです


 アメリカ合衆国元大統領の葬儀に自民党の元首相が

 とかなら印象は違いますが(いや仮に元大統領が死んだとしても反米を謳う日本共産党が、アメリカの元大統領の追悼式にはまずいか?)

 金正日が死んだ⇒追悼式にいた

 それだけのことでしょう

18. 猫・トラ吉@ブラウン様
2012年03月02日 22:41
北朝鮮が反日国家だとか、どうとか以前に
あの国は無数の国民
(「人民」と書けば軸足が向こう側に有るかに見えるから「国民」)
を今現在も殺戮し続けている恐怖政治の国です。

そのような国家の政権が延命する事は
その間に何人もの罪も無い人が不当な死を強いられることになります。
「自由」とか「人権」という人間が生きる上で当たり前の主張しただけで殺されるのです。

だから、そんな政権にとって多少でも有利になることを
するのは殺戮に手を貸すのと同じだと言うわけです。

(大昔の三段論法風に)


19. KM生@TAMO2様
2012年03月02日 23:07
>北鮮から見て日共は格下
そりゃそうでしょうよ(^^)。拝金主義の北鮮にとって、日共などどうでもよい「足の裏の飯粒」!!大事なのは、「如何に金のある政権政党=自公OR民主」から金をむしり取ること(^^)!!

20. くろねこ
2012年03月02日 23:39
 素朴な疑問ですが、どうして日本共産党は不破さんが葬式に行かなかったのでしょうか?
理解に苦しみます。

市田さん:「金正日の葬式どうしましょうか?不破所長が行かれる方が、先方も喜びます」
不破さん:「う~ん・・・やっぱり市田君が葬式行ってこい!」
市田さん:「どうしてですか?私のような立場では・・・」
不破さん:「私も年だし、これは業務命令だよ」
市田さん:「承知しました(あ~あ、貧乏くじ引いてしまったよ・胃が痛い)」

な~んて、想像してしまいました。
非常にくだらない投稿で、みなさますいません。

21. 多重債務者のしんのまゆみ
2012年03月03日 00:08
市田忠義様の金正日・追悼式出席問題⇒
事態が大きくなってきました
◎日本共産党様はいつも
【ココのサイトなんて影響力,小さい小さい,ほっとけばよい】と無視
◎でも今回は反論した方が良いのでは?
☆紙智子・常任幹部会委員様の・大論文等にて
★【反論内容】
あの写真は市田忠義書記局長様では絶対にない
日本共産党を恐れる反動支配層の謀略である
(ところで・昔は故・小林栄三常任幹部会委員様・兼・統制委員会責任者・大論文など
すごい長大論文のシナリオライターいたらしいです
また日本共産党の【小林栄三常任幹部会委員様】は
法規対策部長も兼任し
◎法律にも滅法強かったらしいです)
☆例:【故・小林栄三常任幹部会委員様がサポートした裁判】
【創価学会様が・宮本リンチ事件の宮本顕治様邸の電話機を秘聴されるとされる
民事裁判の
昭和60年の東京地裁民事12部の判決
(主任裁判官は若き日の團藤丈士判事補様)】◎尚・團藤丈士裁判官様は・法務省大臣官房参事官・法務省民事局総務課長様等
法務省歴が極めて長い方
でも今年・久々に東京高裁に復帰
どんな裁判官なのかなあ?傍聴に行こうっと)
※参考資料:宮本様宅盗聴事件一審判決(團藤丈士主任裁判官・昭和60年)=http://chie.mobile.yahoo.co.jp/p/chie/qa/view?qid=1245469492
◎ブラウン様・最後に
法律や査問に滅法強かった
日本共産党の小林榮三常任幹部会委員様は
◎福島県立高校の教諭出身
だからブラウン様も化学的社会主義・懸命に学んで下さい
★尚・晩年の小林榮三常任幹部会委員様は哀れ
★なんと兵本のたっきっちゃん査問中
オシッコ漏らされたとか??
※参考資料:日本共産党の故・小林榮三常任幹部会委員様=http://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=uturigi222&id=30997654

22. ブラウン
2012年03月03日 00:24
言いわけのパターンで

 「あれは他人の空似 俺によく似た奴がいたもんだ」と言えるぐらいノーマルな顔なら良いけど


 市田忠義みたいな顔立ちの人なんていないなぁ・・・どう見ても本人


 「ちなみに市田氏出席=金ジョンウン体制の延命」

 なんてのは飛躍のし過ぎでしょう

 衆議院9議席、参議院6議席の政党の議員が行っただけで北朝鮮の金体制が延命されるわけがないでしょう

 日本国内で力がないのになぜ北朝鮮に影響力を行使できましょうか?

 *ジョンウンという漢字、当初発表の正雲なら楽だったが正恩では変換しにくい

 正しい恩ね・・・・・正しい恩って一体?

23. ブラウン@追記
2012年03月03日 01:13
この追悼式に出ていた日本の国会議員は「市田忠義」だけなのでしょうか?

 民主党、公明党、社民党、自民党


 日本にある政党は共産党だけじゃないんですが


 本筋とは関係あるかどうか分かりませんが

 葬式はその人物の生前の性格が反映されるといいます

 出席者が誰と誰だったかでその人物が生前どういう人物だったかが把握できます

24. 政治将校
2012年03月03日 01:49
>くろねこ様

くだらなくなくて、それが真実だと思いますよ。フワズルスケがやりそうなこったw

でも、今後も北相手に丁々発止をやっていくとしたら、キンピーさんの言うように役割分担で誰かが行く、というのは必要なことですよ。

一応、三代目のオヤジであるわけですしね。「わが国民の拉致を指揮した独裁者なんか、哀悼の意を表せない!」と言う人(や国会議員など)だって必要だし、裏で北と交渉する窓口の人は、「相手先との人間関係」で追悼集会に行くというのも必要だろうし…。ある意味、事態を「利用」するということですね、両面で。

日本全体の外交センスが問われますね。しかし、小泉元総理が朝鮮総連本部にサッと行って、真っ先に哀悼の意を表したというのは、街頭演説から途中で引き返した総理の醜態ぶりに比べるとスマートな印象でしたね。

25. QP
2012年03月03日 01:53
俺はヤフー掲示板の共産党カテにちょくちょく顔出しているが、参加している党員やシンパらは不破体制になってから共産党を知ったのか、北朝鮮と親密だったころのことを全く知らない。

あ、一人だけ党歴50年超と言う爺さんがいるが、どうも物忘れが激しいみたいで、都合が悪くなると黙ってしまう。在日朝鮮人の帰国事業等で度々訪朝した宮本顕治が歯の浮くような北朝鮮賛美を語ったことが何度も「赤旗」紙面を飾ったが、それも忘却の彼方みたいだ。

彼らの決まり文句は「北朝鮮は断じて社会主義じゃない。金親子の遅れた封建的な独裁国だ。日本共産党と北朝鮮の関係は70年代に終わっている」

70年代に終わったどころか、特に不破体制になってから密かに関係改善を図り、朝鮮総連を仲立ちに現在も関係が続いていることを知ったら、なんと言うだろう。
ヤフー掲示板にもこのことを書いたが、今のところ反応は無い。

26. 多重債務者のしんのまゆみ
2012年03月03日 02:19
【脱原発】に関し・反党分母の宮地健一様のサイトがダイヤ改正されました
◎市田忠義様がいつの間にか金正日・追悼式に出席され・ギクシャクした日朝関係・改善させた事と同じように⇒⇒⇒◎【脱原発運動】についても・いつの間にか
☆A:日本共産党様と関連深い
【原発をなくす全国連絡会】が
全労連会館内で出発進行されたようです
☆B:その一方・人気ある山本太郎様や
非転向貫いた・志賀一派様と関連深い
原水禁様サイドでは
【さよなら脱原発1000万人アクション】が定着
◎脱原発運動分野もいつの間にか
日本共産党様系の
A:原発をなくす全国連絡会
B:脱原発1000万人アクションに分裂して良かったですね
★お互いに脱原発で
憎み合い・傷つけ合いましょう
※参考資料A:原発をなくす全国連絡会の・比類のない,魅惑。日本共産党様は素晴らしい=http://portable.blog.ocn.ne.jp/t/typecast/138973/145521/38878879
※参考資料B:脱原発1000万人アクションの良い点=http://sayonara-nukes.org/2012/01/0211action_a/
※参考資料C:反党分母の宮地健一様・新規論文=http://gxc.google.com/gwt/x?client=ms-kddi_blended-jp&wsc=tb&wsi=648928e5949497bd&u=http%3A%2F%2Fwww2s.biglobe.ne.jp/~mike/gensiryoku.htm&ei=rfRQT9mzCcrUkgW2m5j8BQ&whp=3Am3

27. 一時しのぎ@政治将校様
2012年03月03日 06:09
24番コメントにて、弔問外交を指しておられると思いますが、西側各国は、どういった立場の方が、どういった形で弔意を表したのかご存知でしょうか。だいたい、イギリス他ヨーロッパの何カ国かが、あーいう国だとわかっていながら国交を結んでいることに理解できません。

特にイギリスなどムカつくのは、死刑廃止国の分際で、カダフィに未必の故意を抱いてトリポリ空爆をしたことです。独裁者に対してのみ、他国が殺人を進んで行うことを例外的に認めるのであれば、北チョンとの国交樹立などもってのほかのはずです。

イギリスは大量殺人犯でも死刑は人道に反するから絶対行ってはいけないということを誇り、なおかつ死刑制度存置国に世界常識として死刑廃止を押し付けるつもりであれば、先に述べた政治的決断(空爆と国交樹立)のみならず、核保有ですら恥じねばなりません。

特にトリポリ空爆については「反体制派の虐殺を回避するための緊急避難措置」と詭弁を弄するのであれば、反体制派を物理的に攻撃するカダフィ派の実働部隊に限定して反撃すべきです。せいぜい、トリポリ市内に軍の出撃拠点となる基地があれば、そこまでの攻撃に限られるはずです。指揮命令所に対する攻撃の必要性をもって、カダフィの居住地区を狙うなど、軍事的には正解でも政治的には間違いだと思います。

もっといえば、自らが死刑廃止国であることを誇るのであれば、何ら虐殺が行われようとも、たとえ自国が侵略を受けようとも、自らの死を持って自らの正義を貫くべきです。ヨーロッパはキリスト教文化圏のはずです。そういう不合理※を受け入れることこそ、キリスト教の本質の一端ではないのでしょうか

※無実のはずのイエス・キリストが磔刑に処せられるにあたり、「神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや」と叫んだのは、神に対する不信の表明であるとはいえても、自分を十字架に追いやったユダヤ人に対する罵倒ではないはずです。


28. 多重債務者のしんのまゆみ
2012年03月03日 09:15
市田忠義様が・何故?故・金正日の追悼式に出席したかというと
◎【野党外交の一貫として・国内の差別問題の解決】が理由なのかな?
◎待てよ【野党外交】の場合
日本共産党様側は大抵
A:市田忠義様以外に
B:緒方靖夫国際委員会責任者
C:西口光・副責任者
D:美人通訳の尾崎芙紀様が随行されるのに・写真には写ってないですね
※参考資料:平成22年の【志位様の訪米】にも随行された美人通訳≒尾崎芙紀・国際局員様=http://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/content?bid=biwalakesix&id=24904152&type=archivelist
☆KM生様!
A:京都の西口克己様は 苦労多い人生らしかったけれど
B:西口光様は→日本共産党国際委員会副責任者まで上りつめ幸せになられ良かったです
◎京都駅西口も
ジェイアール京都伊勢丹等→綺麗な駅ですね
◎さてこんにちも
【A:日本共産党員様への・差別
B:在日朝鮮人の方々へ差別】ございます
◎市田忠義様が朝鮮総連の方々と差別問題で会談したなら良いことです
☆623様
石播様(呉事業所)での日本共産党員様・御差別
平成19年の和解成立まであったそうです
☆623様は【日本共産党員差別の相談】
呉にて優しく相談に乗ってあげたのですか?
★世界中にはまだまだ差別がございます
★特にミャンマーでの 《アパレルヘイト差別》はじめ 着る物での差別等
絶対にあってはなりません
◎最後に朝鮮総連中央本部
現在・RCC≒整理回収機構様から【仮差押え】を受けております
◎これは差別ではありません
<あさぎん破綻>責任取る必要性あり
※参考資料:=http://mobile.okwave.jp/qa/q4079450.html?sid=98f9b0675a69379166d39c74d7375b1eec5a6a82

29. todo
2012年03月03日 10:59
やっぱ共産主義者憧れの地は「地上の楽園」なんでしょう。
 困ったもんです。

30. クマ
2012年03月03日 13:09
自分の身内が拉致されて離ればなれになっている時にこう言うことされたらどうやろぅ?

容認してはる皆さん、人の想いや気持ちを無視してまで出席する意味があったのか。


31. コットン。
2012年03月03日 13:48
>>やっぱ共産主義者憧れの地は「地上の楽園」なん
でしょう。・・・
なるほどな~、上級に文句の有るヤツは、即、抹殺出来る社会なんか、共産党指導部達にとっては、たまらなく魅力的でしょうね。クワバラ、クワバラ、、、

しかし~、共産党指導部の行動を、若いと称するブラウンサンが、一所懸命に庇ったり、小さく見せようとしたり、ナンとか逸らそうとする尊い御姿に、感動し涙するべきか。嘲り大笑いするべきか。誰かのマネしてクックック、、、



32. QP@ブラウン様
2012年03月03日 15:15
死者に罪は無いのなら、不破哲三さんと志位和夫さんにはぜひ東条英機元総理大臣の墓にも詣でてもらいたいね。
考えてみれば、東条英機元総理大臣は日本共産党以上に大日本帝国を消滅されるに尽力された方でしたよ。

33. 反共
2012年03月03日 16:45
私が市田氏の立場でなにか言い訳を考えるなら

 「公人ではなく私人として行った」

 「日本共産党の参議院議員ではなく市田忠義として行った。日本共産党の総意ではない」

 「気づいたらそこにいた」


>>それなら市田は除名でしょ

34. 反共
2012年03月03日 16:45
>>32
A級戦犯の靖国合祀を批判するのもおかしいよね。

35. 胃酸過多満願。
2012年03月03日 16:46
>上級に文句の有るヤツは、即、抹殺出来る社会なんか、共産党指導部達にとっては、たまらなく魅力的でしょうね。クワバラ、クワバラ、、、<

…共産党が与党の某市。東京。市長が最年長。議員も職員もみーんな、年下。内容は兎も角。経験だけは市議含め75年以来の任期だから長い。

昨日、2時間ほど市議会傍聴したが、野党ミドル議員が何を言おうと 市長は何処吹く風。共産党以外の市民の声も”抹殺”へ…。なんか嫌な空気。

36. 反共
2012年03月03日 16:47
>>29
共産圏がそんなにいいところなら、もう日本に帰ってくるな!!


37. todo
2012年03月03日 17:00
>私が市田氏の立場でなにか言い訳を考えるなら

本音なら、「もし、生まれ変われるなら将軍様になりたかった」ですか。
困ったもんです。


38. 政治将校@一時しのぎ様
2012年03月03日 17:21
ご無沙汰ですね。

800字で述べるのが難しい問題ですが、ホンネで言うとアングロサクソンのダブルスタンダードは今に始まったことじゃないですよ。

ただ、160の国だって、北朝鮮の所業は知っているわけですし、なぜ付き合っているのか、何をめざしているのか考える必要があるでしょうね。日本でやった追悼集会には、各国の大使、公使クラスはみんな行っていますよ。

それから、日本にとって意外に重要な相手で北朝鮮と親密な関係にあるのはモンゴル国かな? 

少ないとはいえ2400万弱の人口を持ち、100万の軍隊と核兵器を持った国と何等かのパイプを持つことは、表面上どういう関係があっても必要だし、国交を正常(何が正常かは置いて)な場合、ともかく急速な体制崩壊じゃなく中国が促している「改革・開放」の方向か、周辺国全体が関与したゆるやかな体制転換を進めたいということなんじゃないですか?

ともかく近場が大人口地帯、工業地帯や大都市に富んでいる地域で戦争なんかおっぱじまった日にゃ、世界経済に大打撃となりますよ。

まあ、北朝鮮と国交を結んでいる国の思考はこんなところじゃないでしょうか。その中で日本がどういう道を行くかは、日本国民の問題ですね。

39. QP@政治将校
2012年03月03日 17:40
国と一政党では立場が違いますよ。
国同士なら国の体制がどうであれ、付き合いは必要でしょう。たとえ気に食わない独裁者でも国交があれば葬式や追悼式に代表を送らなければならない事も止むをえません。

しかし、日本共産党の場合は追悼式に出るのならそれ納得させる理由がなければなりませんよ。
1990年前後のソ連東欧の崩壊以後、ソ連や北朝鮮は「社会主義国じゃなかった」と手のひらを返すように糞みそにけなし、党員やシンパには「遅れた封建的独裁体制の北朝鮮とはとっくに手を切った」と思わせておいて、実は朝鮮総連を仲立ちに関係が続いていたなんて笑い話にもなりません。

また、拉致被害者やその家族たちに対しても申し開きができません。

40. QP@政治将校様
2012年03月03日 17:42
前掲の宛先名に「様」を付けるのを忘れました。
お詫び申し上げます。

41. 政治将校@QPさま
2012年03月03日 17:55
>国と一政党では立場が違います。

そういう前提の話です。市田や日共を弁護する気など、さらさらありません。私は、一時しのぎさんと「国」の話題についてやりとりしているのは、一時しのぎさんの問いかけを見て、おわかりになれるのではないでしょうか?

日本共産党は、何につけても最近は中途半端です。私の専従現職時代、中国共産党、朝鮮総連との関係正常化がやられましたが、前者については「シロクロをはっきりさせる」という立場を一応はやったので「仕方ねえな」と思いました。ところが、後者についてはまったく唐突で、私のような中央委員会勤務員にも説明なし。ラングーン事件だの、拉致なのはどうなったの? という感じで党内では公然と怒ってましたよ。

今に至るも、その説明がないままですよね。説明不能なことは、やっちゃいけません。39.のコメントされた内容は、日本共産党については全く同感ですよ。

42. ブラウン@35のコメント
2012年03月03日 19:12
狛江市はなにか特殊な利権団体でもあるんですか?

 東京都であって東京都ではない?


 >>>あと、いつだかのここの書き込みで

 「不破、志位らは韓国に行ったあたりから民団に乗り移り、総連を見限り南(韓国)主導の朝鮮統一を」という書き込みを見た気がするのだが・・・・・・・・


 個人的には緩衝国として北朝鮮の存在は必要

 もし韓国が北朝鮮の国土まで広がると国境が中国

 否がおうにも緊張が高まる

43. 猫・トラ吉@ブラウンさん
2012年03月03日 19:46
Sinaが北朝鮮を必要とする理由、その②

統一韓国の成立がキッカケとなって
延辺朝鮮族自治州も、いや満洲の殆どが本来の
古代朝鮮以来の領土だった・・・と言う「大朝鮮論」
に火が付くのを恐れてるのと違いますか。

44. QP@政治将校様
2012年03月03日 20:49
大変失礼をいたしました。
外出寸前のあわただしい時間でちょっと読みしたまま、理解不足のまま書いてしまいました。
日頃の政治将校様の言っていることと違うなあと思ったら、俺の方が勘違いしたんですね。
お詫び申し上げます。

45. くろねこ
2012年03月03日 23:01
こんばんは。
>政治将校様、レスありがとうございます。

>日本全体の外交センスが問われますね。しかし、小泉元総理が朝鮮総連本部にサッと行って、真っ先に哀悼の意を表したというのは、街頭演説から途中で引き返した総理の醜態ぶりに比べるとスマートな印象でしたね。

小泉さんなかなかですね。驚きました。
私個人的には、どうせ非難されるのならば「不破さんが行けば」と思いました。私個人的には弔問外交は必要と考えております。

 本来一番立場の高い人が行くのが相手に対する義理でもある。「国」だって、「親戚」だって同じではと思います。


>一時しのぎ様
 私自身は、ヨーロッパ諸国が北朝鮮と国交を持つことは不思議に感じません。逆に考えれば、ヨーロッパに北朝鮮のような国があっても、日本も国交結んでいると思います(アメリカがダメと言わなければ)。

46. ブラウン@猫・トラ様
2012年03月03日 23:27
私が危惧しているのは朝鮮半島全体を国家とするものが誕生した場合は、中国よりも日本、アメリカにとって危機的なことだと思います


 「大朝鮮論」なるものははじめて聞きましたのでなんとも言えませんが


 それはそれで中国に「内憂外患」の「外患」の部分が増え

 台湾、チベット、ウイグル、朝鮮と周囲でわあわあやってもらった方が、日本にまで余力を出すエネルギーをさかれますから望ましい。

 ただ・・・・・・やはり半島は北と南に分断されている方が都合がいい


 キンピー問題では河村たかし名古屋市長の発言が誰も題材に取り上げないので私も発言しませんでしたが

 これについて<専門家>の猫翁さまのお話を聞くと長くなるのでスルーしてください

47. 623
2012年03月04日 00:25
どうでしょうか。勝手なエゴのような気がします。
国際情勢は別として、朝鮮民族にとって祖国統一は悲願でしょう。

>ただ・・・・・・やはり半島は北と南に分断されている方が都合がいい


48. 一時しのぎ@政治将校様
2012年03月04日 00:27
38番コメントにてご回答ありがとうございました。

なるほど。いかなる形であれコネクションを持っておくというのが、安全保障上の手段の一つでもあるわけですね。ただ、日韓両国については拉致やテロの被害を受けているわけですから、政府三権の「現役」関係者はやはり慎むべきという印象があります。北朝鮮は近代国家ではなく、タリバン同様の交戦団体とでもいうのか。そうした相手に話をするにあたり、小泉訪朝の際、盗聴されているのを逆手にとって「拉致問題で成果がなければ交渉決裂もやむなし」と意志を固めたことに反応して、ジョンイルがボロを出したという成果がありますので、何も日本「政府」が太陽政策を積極的に取る意味が薄いと思います。

ですので、私個人の精一杯の妥協点ですと、公的性格を持った民間団体ということで、日本赤十字社名誉総裁名にて、朝鮮赤十字会張在彦委員長宛てに弔電を送信するか、どうしても追悼式典に出席というのであれば、日本赤十字社社長が出席のうえ、名誉総裁名の親書を手渡すことです。ご存知でしょうが、去年の震災において日本側が弔電を受け取っていますので、その逆です。名誉総裁が誰であるかを鑑みれば、下手な小役人が追悼式典に出席するより意味が大きいと思います。

それと、話が逆になりましたが、白人のダブルスタンダード(死刑廃止と核保有&武力制裁が併存)について。日共の手下の自由法曹団が、私のような論理でイギリスを罵倒しないあたりが卑怯というか、イギリス以上の嘘吐きダブルスタンダードというか。そういう偽善的体質が透けて見えるから、日共は広く社会に信用されないとも思う次第であります。

49. 623@わくわく44様
2012年03月04日 00:33
>北朝鮮に対しては「通じる言葉」がないことを、共産党は認識しないといけません。

私の認識はこうです。

>日本共産党に対しては「通じる言葉」がないことを、私たちは認識しないといけません。


50. 政治将校@一時しのぎ様
2012年03月04日 00:43
なるほど、赤十字社はそういう役割あり、ですね。というか、過去そういう役割を果たしてきたのですから、もっとクローズアップされてもいいでしょう。

あと、北朝鮮とか中国というと、みんな「一枚岩」というような前提で語られますが、まったくそんなことがないというのが多少接触しての実感です。中に派閥や筋の違う利権というか「生きる筋道」があるんですね。それが内部の意見対立や行動矛盾としてあらわれます。

いろいろ、こちらもしたたかにならなきゃね、というところでしょう。

あと、アングロサクソンのダブルスタンダードと日本共産党のダブルスタンダードは相性がいいですよ。ご都合主義なところなんか、そっくり。極端にいうなら日本共産党なんて、日米安保体制のある意味での補完物といえそうです。

51. 一時しのぎ@くろねこ様
2012年03月04日 00:44
>私自身は、ヨーロッパ諸国が北朝鮮と国交を持つことは不思議に感じません。逆に考えれば、ヨーロッパに北朝鮮のような国があっても、日本も国交結んでいると思います(アメリカがダメと言わなければ)。

ことヨーロッパに関しては、そもそもそういう国が近年あったのかという問題もありますから、おっしゃっていただくには適切とは考えません。

しかし、おっしゃることの大意として理解はできます。それは日本とイランとは国交があることです。そのあたりなどまさに、アメリカは容認しているわけですよね。

あとは、48番コメントで政治将校さんに申し上げた内容と同じなのですが、公的性格を持った民間団体に、もっと政府の代理として機能してもらうべきと思います。それこそ、シナと台湾については、大使館の設置や大使の交換ではなく、民間交流団体が各々の窓口となっているようですし(日台間も似ているがそれは台湾の国際政治上の立場が理由)。

52. 一時しのぎ@政治将校様
2012年03月04日 00:59
こんばんわ、どうやらこのタイミングでこのブログをご覧になっておられたようですね。

中国と北朝鮮が、完璧な独裁国家として機能しているわけではなく、ある種の集団が水面下に併存しているという意味。それと、民間団体どころか、個人的なつながりさえも、政治的な意味を持つ場合があるということ。

これは、政治将校さんがよくご存知の方(?)が、人民解放軍の幹部の方々と友誼を結んでおられることに重ね合わせれば、何となくですが理解できます。それこそ、日本史の教科書の注釈書きに、やっと小さく載っていた程度ですから名前しか存じませんが、まさに「LT貿易」など民間による政府機能の補完の成果の一つだと思います。

53. 一時しのぎ@政治将校様
2012年03月04日 01:09
先のコメントに書き加えればよかったのですが、日共のダブルスタンダードと日米安保体制の補完機能という問題について。

まさに、このブログで何度か俎上に置かれてますね。あげく、ダブルスタンダードという「二枚舌」「したたかさ」という表現を使うより、私のハンドルネームみたいですが、歴代のトップが「その場しのぎ」の発言を重ねてきて、それで古参の党員や支持者が、なまじ昔をよく知っているからこそ、昨今を比較して、その矛盾を感じて、だんだんと離れていった結果、今日の衰退を招いたと考えております。

54. ブラウン@金総書記死去のニュース
2012年03月04日 01:46
http://www.youtube.com/watch?v=7DILrN4iM70

 「全国民の国葬です」

 etc.....この演技はいろんな意味ですごい

55. くろねこ@一時しのぎ様
2012年03月04日 01:50
確かに、現在のヨーロッパに北朝鮮のような国家がないのも事実ですね。申し訳ありません。例えが悪すぎました。

>公的性格を持った民間団体に、もっと政府の代理として機能してもらうべきと思います。

私も同意です。


 そういえば、公的性格を持った民間団体と言えば・・・
「社会科学研究所」は、「日本共産党国」からすれば、「日本共産党国の一民間団体」っすよねw



56. ブラウン@これも貼っておきます
2012年03月04日 01:53
http://www.youtube.com/watch?v=IAo4P2BakCE&feature=related

 とのこと

57. ブラウン@今夜はこれにて最後
2012年03月04日 02:03
http://www.youtube.com/watch?v=sJm5X9lZ8jQ&feature=related

 大川総裁はこうおっしゃっています

58. KM生@くろねこ様
2012年03月04日 07:24
>ヨーロッパの北鮮の様な国
かつてのアルバニアはそうだった。しかし日本と外交関係はあったんじゃなかったっけ?そういえば山口県に、「福田正義」などという、中国が文革否定した後アルバニア派に転向した(世間では「アル中」といわれていた(^^)アナクロニズムの権化(機関紙=人民の星はまだ発行されているのかな??}もいましたねーー。

59. KM生@一時しのぎ様
2012年03月04日 07:30
>LT貿易
L=中国側 寥承志(知日派)
T=日本側 高碕達之介(財界人)
日中国交回復以前の日中貿易でしたね。実務は日本側友好商社が取り仕切って(山口県の福田・原田一派などはその代表格でした)いた。こうした「日中貿易利権」をすっぱり切捨てて「日中共産党間対立」を演出した点では、宮顕は評価できるのではないでしょうか。

60. 一時しのぎ@KM生様
2012年03月04日 08:06
おはようございます。朝の起きぬけにこのブログにログインされておられて少し驚きました(このブログは朝よりも深夜が似合うと思いますが、徹夜明けの朝なら似合うかもしれません)

>山口県の福田・原田一派
ご解説いただくところのこの一派の名前というのが、ウィキペディアでのLT貿易のページには出てきませんが、どなたを指しておられるのでしょうか。私の調べ方がうまくないとも思います。

>日中共産党間対立

たしかミヤケンは次男の公治氏が中共に世話になってたのではなかったでしたっけ。それでも対立を「演出」するのは、やむを得ない事情でしょうか。あるいは次男が世話になっていたという話はガセでしょうか。
●参照元 43番の私のコメント
http://kinpy.livedoor.biz/archives/51973780.html


61. 一時しのぎ
2012年03月04日 08:10
バカサヨクの「その場しのぎ」の一例。朝日新聞というのは、三歩歩いたら覚えたことを忘れるという鶏と同じなのでしょうか。

●参照元
2012年02月27日
朝日新聞社説「日弁連会長選―利益団体でいいのか」
http://blog.livedoor.jp/schulze/archives/51934890.html

62. KM生@一時しのぎ様
2012年03月04日 08:41
私は、毎日4時起床で、日課の一番はINのHP閲覧です。
>福田・原田一派
元日本共産党山口県委員会患部福田正義・原田長司を頭とした一派を指す。66年日中両国共産党対立時に、中国派として除名。日中国交回復以前は(大手貿易商社が進出できないので)、日中貿易目的の友好商社を設立して活動資金稼ぎしていた。国交回復以後はこうした利権も無くなり、取るに足りない超少数派に転落した。
>宮顕
64年部分核停・417スト問題当時、一家して(障害児の次男も含めて)中国に「静養」滞在していた。当時部分核停反対・417スト破りしたのは、「滞在先の中国側の意向に沿った」ともいえる。
>66年日中共産党対立
ベトナム戦争真只中の当時、日中両国共産党怪談で宮顕が「ソ連は敵だ」「日共も武闘すべき」という中国側の評価と対立した(実際65年インドネシア共産党は武闘に踏切って壊滅していた・シンガポールでも同様の事態が生じていた)のが、きっかけでした。当時の党員・議員・赤旗拡大で「日中貿易に頼らなくともよい財政基盤を確立していた」ことが、宮顕をして「日中両国共産党決裂」に踏切らせた要因でしょう。このこと自体は評価できます。

63. 政治将校@一時しのぎ様
2012年03月04日 08:44
北朝鮮をめぐる折衝窓口は、現在さまざまなルートが構築されつつありますが、公益的な民間団体を通じてという方向も検討されていくでしょうね。その点で、おっしゃる方向が無理ないところです。

さて、ミヤケンですが中国で自分の病気の療養をやったことがありますよ。中共幹部用保養施設で。文革直前期だったはずです。次男は重度身障者(これは以前、公表されていました)だったのですが、中国に何か世話になったかどうかは、聞いていません。岩佐恵美さんがいろいろ奔走して、ミヤケンが衆議院候補者にとりたてたという話はありますよ。

64. くろねこ@KM生様
2012年03月05日 00:35
こんばんは。
 あっあっアルバニアでしたか。抜け落ちていた(汗。 ご指摘ありがとうございます。

 日本とアルバニアについて、こっそり検索中なんて・・・
 田舎へタレ保守人間の戯言でしたw

65. 一時しのぎ@KM生様・政治将校様
2012年03月05日 05:57
>62. KM生様

色々と詳しい解説をありがとうございます。LT貿易以前から貿易の実態が存在したとは初耳です。ただ、教科書に載らないような話ですので、何やら密貿易みたいです。また、日共の財政基盤確立が中共との袂を分かった理由になったというお話も初耳です。

>63. 政治将校様

米中国交樹立は「ピンポン外交」が関係していたかと思いますが、サッカーW杯アジア予選の対応を見るに、日朝間は、まだまだ同様ではないと感じますね。どうもありがとうございました。

66. コットン@ひる寝。
2012年03月05日 14:45
62. KM生様・・・分かり易いです。
当時は少年党員時代でしたけど、今思えば激烈すぎる時代でした。
4.17ストでは、党細胞が出勤前に緊急早朝会議を招集、党方針の学習、意思統一、仕事が終わってから公労協党員達と戸別訪問し、スト中止のオルグしました。泣。

中ソ論争では、やはり志賀義男さんの除名。志賀影響下の地域に、二人ペアで党の宣伝に入って、住民達に取り囲まれて、エライ騒ぎになって、地区常任のオッサン達に救出された。と言う事も有った。理論武装(超洗脳)してたから、そう恐怖は無かったと思う。笑。

御紹介の中、特に、毛沢東路線を採ったインドネシア共産党への大虐殺消滅は、中共との決別に多大な影響が有ったはずです。
10代の頃は原水協もやらされていましたから、夏の原水禁大会前には中国物産を売って資金稼ぎしてました。中共との決別で品物が入らんようになっておうじようしたな。ブルガリアのジャムを売った事もある。悲し~。
民主連合政府構想、自主独立路線は、当時全党的に確信が持ててたと思う。党員の積極性が無いと、拡大なんか進まんモンナ。・・以上、私的思い出。

もう、語り尽くされてますけど、党経営に関しては、不破サンと宮顕サンでは「月とスッポン」いや「月とミミズ」以上の差がありますね。
政治将校さんの言う、赤旗日刊紙購読党員50%と言うのには、びっくりしてます。党内で、如何に面白くないか、検証され尽くした新聞を、国民に広めなさい。と言うのはアホと言うしか無いもんな。(ブラウンサン、悲劇、喜劇?)

そんなこんなで不破サンは、共産党がここまで破綻していても、アホみたいな講釈だけタレてる。と言うのは、相当歪んでるかもな。案外、後継のC体制には、「破滅した党組織」しか残さんぞーと言うのが有るかもしれん。

67. todo
2012年03月05日 19:36
渡る世間はシロアリばかり。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/aij/?1330933121

68. KM生@コットン様
2012年03月05日 20:55
過分なご評価恐れ入ります。
>日中共産党対立
参考文献:吉開那津子著新日本出版社刊「旗(66年当時新華社やジャカルタのアンタラ通信からの記事を翻訳・配信していたアジア通信社がモデル)」・「前夜(66年当時の日共山口県委員会がモデル)」
吉開さんて、まだ生きてるの?もしご存命なら、今日の「不破による中国資本主義化を新経済政策と歪曲」をどうひょうかなさってるんでしょーーかねえーー??(^^)

69. 青島丸
2012年03月05日 21:16
日中貿易と言えば徳田球一の公然たる姻戚関係者企業である「五同産業株式会社」がありましたが、その後どうなってしまったのでしょうか?

「友好商社」を通さなければ対中ビジネスができないなんてことがもしも今日まで続いていたら…

トヨタ自動車やパナソニックが「徳球・五同産業ライン」に頭ペコペコしながら中国様にお付き合いさせてもらうなんて情景が想像できて楽しいです。

70. ブラウン
2012年03月05日 21:27
大川隆法(中川隆)の父は徳田球一時代に党員だったというのをちらっと見たような・・・・・・


 このトピックとなんの関係もないが「後醍醐天皇」がなぜ最後まで「天皇」なのかよく分からない

 「上皇」になれなかったのではなく、北朝の天皇を認めない立場だと自分が「天皇」を死ぬまで名乗り続けるしかなかったのだろうか?

 それとも教科書では面倒だから「後醍醐天皇」で呼称が統一されているのだろうか?

71. 信憑性が甚だ疑問な個人ブログ愛読者
2012年03月18日 23:52
共産党の信者はしぶといですね。
現実逃避の能力はずば抜けているようです。


494 名前:河内のおっちゃん :2012/03/18(日) 22:52:10.29 ID:OZ6ovMGS
>>488
信憑性が甚だ疑問な個人ブログの内容を垂れ流すKYチェリー。
この写真、ネタ元には昨年12月の朝鮮総連本部の追悼式だと明記してある。が、あまりにもマスコミ報道の写真と違うのである。あら摩訶不思議。
参考に↓これが12月の朝鮮総連本部がやった追悼式の報道写真。
http://www.oita-press.co.jp/worldSociety/2011/12/2011122901000842.html
http://www.worldtimes.co.jp/special2/kim2/111230-6.html
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1330873855/l50

72. busayo_dic@管理人
2012年03月19日 01:06
信憑性が甚だ疑問な個人ブログ愛読者さま

該当スレにアルジャジーラの動画を貼っときました。
この程度のチェックは、掲載するときにかけています。

でもまぁ、河内のおっちゃんとやらには、このblogの信憑性が疑問に見えるのはわからんでもないです。党員は、何も知らされてませんからね。

そうそう、予定ではたぶん7月か8月あたりになると思いますが、河内のおっちゃんを絶望の淵に落とすネタを仕込んでいると予告しておきましょうwww



73. 信憑性が甚だ疑問な個人ブログ愛読者@管理人様
2012年03月19日 02:18
どうもありがとうございます。
しかし、共産党の人はしぶといですね。
なおも抵抗を継続しています。
根性と執念には学ぶべきものがあるのかもしれません。


http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/giin/1330873855/l50


506 :河内のおっちゃん@アホらしいから寝る:2012/03/19(月) 02:02:07.81 ID:uhxBN2NG
>>498>>501
はぁて?朝鮮総連本部がやった追悼式は12月29日なんだが、>>498は12月25日にアップされている。実に摩訶不思議やね。4日後の追悼式の映像を撮影できたんですか?
それに動画では朝鮮総連に入っていったようだが、追悼式会場は違う場所でやっている。これも不可思議な現象。建物内でワープしたんですかね?
朝鮮総連へ単なる弔問に行った隠し撮りにかワシには見えないが、KYチェリーは>>498に追悼式だとはっきり書いてある。
さて報道が嘘なのか、KYチェリーが都合良く事実をねじ曲げているのかどっちやろうねぇ?


74. 仕事人
2015年10月06日 21:22
1 拉致の真犯人キムジョイルの追悼式に市田忠義が出席ら 拉致事件解決妨害ではないか
一切無視するさらに制裁と圧力をかけるものだ こんな出席とは売国奴だ





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  1. 2012/10/11(木) 05:52:16|
  2. 未分類

かけはし記事

古本屋通信  No 37   10月9日

 かけはし記事
 かけはし2012年10月8日号の記事を転載する。 たまたま当該ホームページをめくって発見した記事だが、ディテールはともかく、大筋では私が書いてきたことと殆んど一致している。しかし、これは驚くに値しない。少しでも歴史に謙虚であれば、これ以外はない。以下、全文を掲載する。
 

 排外主義の波に抗して
九月二八日、参院議員会館で「『領土問題』の悪循環を止めよう!――日本市民のアピール――」に関する記者会見と院内集会が開催された。
 「尖閣(釣魚諸島)」と「竹島(独島)」の領有問題をめぐって、日中・日韓関係が一挙に緊張している。とりわけ「日中国交回復」四〇年の今年、日中関係は最悪の段階に直面している。いま日本の国内では、各政党が「領土防衛」の強硬な姿勢を競い合い、中国各地で吹き荒れた「反日暴動」ともあいまって、マスメディアも例外なく「尖閣」「竹島」への日本の「主権」の「正当性」を何の歴史的検証もないまま断定的に主張し、中国・韓国の反論を一方的に切り捨てて、反中・反韓の排外主義的ナショナリズムを煽っている。
 こうした危機的状況の中で、九月二九日の日中共同声明四〇年記念日を前にして、「反中・反韓」の流れに憂慮する市民運動の中から、今回の市民の共同アピールを準備するための活動が進められた。「呼びかけ」がネット上で発信されてから一週間足らずで、賛同個人は一四〇〇人近くに達し、その数はさらに増え続けている。この声明は中国語、ハングル、英語でも同時に発表された。

 根本にあるのは歴史問題
 ピースボートの野平晋作さんの司会で進められた記者会見・院内集会では、今回のアピール準備に尽力した、岡本厚さん(『世界』前編集長)、高田健さん(許すな!憲法改悪・市民連絡会)、内田雅敏さん(弁護士)、小田川興さん(早稲田大学アジア研究機構日韓未来構築フォーラム)が、経過説明と発言を行った。
 岡本さんはアピールの内容を説明し、政府やマスメディアの「挙国一致的」ナショナリズムではない市民の別の声の存在を、とりわけ中国・台湾・韓国の人びとに伝えることが重要である、と語った。岡本さんは、「尖閣」「竹島」の問題がたんなる「領土」問題ではなく、日本のアジアに対する侵略の総括という歴史問題でもあることを強調し、野田政権の「尖閣」国有化方針が七月七日の盧溝橋事件勃発の日に発表されるという挑発的行為を厳しく批判した。
 高田さんは、当初の予想をはるかに超えて賛同者が続々と集まっており、とりわけ在外日本人や、沖縄からの賛同者が目立っている、と報告した。高田さんは寄せられた声の中から、晴れた日には海の向こうに台湾の高峰が見えることもあるという八重山からの賛同者の「平和の海へ」という訴えを紹介した。
 内田さんは、無責任きわまる「ハーメルンの笛吹き男」=石原慎太郎東京都知事の吹く笛の音に誘われた政治家、メディア、世論の動きに警鐘を乱打し、中国人強制連行被害者裁判の弁護人としての経験から、民衆による平和の実現への希望を語った。
 小田川さんは朝日新聞ソウル支局の記者として在韓被爆者の悲痛な声に接したことを契機に「在韓被爆者問題市民会議」の活動を進めている、と語り「次世紀の子どもたちにどのような東アジアを作るのかが課題だ」と提起した。

 日本のメディアの関心は低いが
 この記者会見には韓国や中国のメディアから多数の人が参加したが、日本のマスメディアの関心は低かった。国会議員として参加したのは消費税増税に反対し「党員権停止中」だという民主党の橋本勉衆院議員(比例東海選出)ただ一人。橋本議員は、野田内閣の「尖閣国有化」決定が非常に大きな間違いだった、と指摘した。
 会場からの意見では「時期にかなった勇気ある呼びかけ」として感謝する意見が多かった。また国会議員の役割が重大だ、という意見もあった。「領土」問題を沖縄へのオスプレイ配備の正当化につなげる主張に反対する声も上がった。
 なおアピールへの賛同署名は一〇月一七日まで継続し、一〇月一八日には首相官邸前での行動も計画されている(時間未定)。
 挙国一致的な「領土防衛」ナショナリズム、「反中」「反韓」排外主義に抗して、東アジア民衆の連帯による平和を実現しよう。「中国の脅威」を口実にした沖縄へのオスプレイ配備や、自衛隊の「離島防衛」作戦に反対しよう。
 まずは日本の側で「領土問題」が存在することを明確にし、日中・日韓両国の対立を平和的に相互の合意で解決する意思を示すことが出発点なのである。(K)



 領土問題」の悪循環を止めよう!span>
  ――日本の市民のアピール
  
2012年9月28日

、 「尖閣」「竹島」をめぐって、一連の問題が起き、日本周辺で緊張が高まっている。2009年に東アジア重視と対等な日米関係を打ち出した民主党政権の誕生、また2011年3月11日の東日本大震災の後、日本に同情と共感を寄せ、被災地に温家宝、李明博両首脳が入り、被災者を励ましたことなどを思い起こせば、現在の状況はまことに残念であり、悲しむべき事態であるといわざるを得ない。韓国、中国ともに日本にとって重要な友邦であり、ともに地域で平和と繁栄を築いていくパートナーである。経済的にも切っても切れない関係が築かれており、将来その関係の重要性は増していくことはあれ、減じることはありえない。私たち日本の市民は、現状を深く憂慮し、以下のように声明する。

、 現在の問題は「領土」をめぐる葛藤といわれるが、双方とも「歴史」(近代における日本のアジア侵略の歴史)問題を背景にしていることを忘れるわけにはいかない。李大統領の竹島(独島)訪問は、その背景に日本軍元「慰安婦」問題がある。昨年夏に韓国の憲法裁判所で出された判決に基づいて、昨年末、京都での首脳会談で李大統領が元「慰安婦」問題についての協議をもちかけたにもかかわらず、野田首相が正面から応えようとしなかったことが要因といわれる。李大統領は竹島(独島)訪問後の8月15日の光復節演説でも、日本に対し日本軍元「慰安婦」問題の「責任ある措置」を求めている。
 日本の竹島(独島)編入は日露戦争中の1905年2月、韓国(当時大韓帝国)の植民地化を進め、すでに外交権も奪いつつあった中でのものであった。韓国民にとっては、単なる「島」ではなく、侵略と植民地支配の起点であり、その象徴である。そのことを日本人は理解しなければならない。
 また尖閣諸島(「釣魚島」=中国名・「釣魚台」=台湾名)も日清戦争の帰趨が見えた1895年1月に日本領土に組み入れられ、その3カ月後の下関条約で台湾、澎湖島が日本の植民地となった。いずれも、韓国、中国(当時清)が、もっとも弱く、外交的主張が不可能であった中での領有であった。

3、 日中関係でいえば、今年は国交正常化40年であり、多くの友好行事が計画・準備されていた。友好を紛争に転じた原因は、石原都知事の尖閣購入宣言とそれを契機とした日本政府の国有化方針にある。これは、中国にとってみると、国交正常化以来の、領土問題を「棚上げする」という暗黙の「合意」に違反した、いわば「挑発」と映っても不思議ではない。この都知事の行動への日本国内の批判は弱かったといわざるをえない。(なお、野田政権が国有化方針を発表したのは7月7日であった。この日は、日本が中国侵略を本格化した盧溝橋事件(1937年)の日であり、中国では「7.7事変」と呼び、人々が決して忘れることのできない日付であることを想起すべきである)

4、 領土問題はどの国のナショナリズムをも揺り動かす。国内の矛盾のはけ口として、権力者によって利用されるのはそのためである。一方の行動が、他方の行動を誘発し、それが次々にエスカレートして、やがて武力衝突などコントロール不能な事態に発展する危険性も否定できない。私たちはいかなる暴力の行使にも反対し、平和的な対話による問題の解決を主張する。それぞれの国の政治とメディアは、自国のナショナリズムを抑制し、冷静に対処する責任がある。悪循環に陥りつつあるときこそ、それを止め、歴史を振り返り、冷静さを呼びかけるメディアの役割は、いよいよ重要になる。

、 「領土」に関しては、「協議」「対話」を行なう以外にない。そのために、日本は「(尖閣諸島に)領土問題は存在しない」といった虚構の認識を改めるべきである。誰の目にも、「領土問題」「領土紛争」は存在している。この存在を認めなければ協議、交渉に入ることもできない。また「固有の領土」という概念も、いずれの側にとっても、本来ありえない概念といわなければならない。

6、 少なくとも協議、交渉の間は、現状は維持されるべきであり、互いに挑発的な行動を抑制することが必要である。この問題にかかわる基本的なルール、行動規範を作るべきである。台湾の馬英九総統は、8月5日、「東シナ海平和イニシアティブ」を発表した。自らを抑制して対立をエスカレートしない、争いを棚上げして、対話のチャンネルを放棄しない、コンセンサスを求め、東シナ海における行動基準を定める――など、きわめて冷静で合理的な提案である。こうした声をもっと広げ、強めるべきである。

7、 尖閣諸島とその周辺海域は、古来、台湾と沖縄など周辺漁民たちが漁をし、交流してきた生活の場であり、生産の海である。台湾と沖縄の漁民たちは、尖閣諸島が国家間の争いの焦点になることを望んでいない。私たちは、これら生活者の声を尊重すべきである。

8、 日本は、自らの歴史問題(近代における近隣諸国への侵略)について認識し、反省し、それを誠実に表明することが何より重要である。これまで近隣諸国との間で結ばれた「日中共同声明」(1972)「日中平和友好条約」(1978)、あるいは「日韓パートナーシップ宣言」(1998)、「日朝平壌宣言」(2002)などを尊重し、また歴史認識をめぐって自ら発した「河野官房長官談話」(1993)「村山首相談話」(1995)「菅首相談話」(2010)などを再確認し、近隣との和解、友好、協力に向けた方向をより深めていく姿勢を示すべきである。また日韓、日中の政府間、あるいは民間で行われた歴史共同研究の成果や、日韓関係については、1910年の「韓国併合条約」の無効を訴えた「日韓知識人共同声明」(2010)も、改めて確認される必要がある。

9、 こうした争いのある「領土」周辺の資源については、共同開発、共同利用以外にはありえない。主権は分割出来ないが、漁業を含む資源については共同で開発し管理し分配することが出来る。主権をめぐって衝突するのではなく、資源を分かち合い、利益を共有するための対話、協議をすべきである。私たちは、領土ナショナリズムを引き起こす紛争の種を、地域協力の核に転じなければならない。

10、こうした近隣諸国との葛藤を口実にした日米安保の強化、新垂直離着陸輸送機オスプレイ配備など、沖縄へのさらなる負担の増加をすべきでない。

11、 最後に、私たちは「領土」をめぐり、政府間だけでなく、日・中・韓・沖・台の民間レベルで、互いに誠意と信義を重んじる未来志向の対話の仕組みを作ることを提案する。
  1. 2012/10/09(火) 13:48:46|
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あれか、これか

古本屋通信  No 35  10月4日

 あれか、これか
 
 このブログも今回で 35 回目、出発から成りゆきまかせでした。
 しかし、出発の前に少し「前史」がありました。3年まえに父が93歳で死にました。死後、かなり大量の未使用の切手が出てきました。特定郵便局との付き合いだったようです。この切手を消化する目的で、手がきの古本屋通信を始めました。内容はいま書いていると同じようなものです。せっせと書いて何人かに送りました。書きっぱなし、送りっぱなし、保存なしなので、誰に送ったか、何通送ったかはっきりしないのです。ひたすら切手を使うことだけに専念しました。切手を使い切ったので止めました。

 私には、自分が書いた文章を残すという習慣はありません。その価値がないと思うからです。ましてそれを印刷して自費出版するなど考えられないことです。では、なぜ自分の書いた文を少数とはいえ他人に送ったか。それはもっぱら個人的な事情なのですが、私にとっての書く行為は、そもそもの出発点から他人への働きかけと一体だったからです。他人の目に晒さない文を書くことの意義を認めなかったからだと思います。ご迷惑をおかけした方に心からお詫び申し上げます。

 少年期から高校時代まで、絵日記から読書感想文に至るまで、私は文を書くことがとても苦手でした。なぜなら、それは自分の内に向かってことばを発することだったからです。いまから考えると、私は文学や哲学ともっとも無縁な少年だったと思います。

 私がはじめて主語・述語を意識して文を書いたのは大学に入ってからでした。ちょうどアメリカ軍の北爆が始まったころで、私は先輩や友人たちと世界や日本の情勢について、熱っぽく語りあいました。そして、それを文章にすることで、更に輪を広げようとしました。それは教宣ビラだったり、学生大会の議案書だったりしましたが、働きかけの文でしたから、何よりも説得力が求められました。なにも独創的な文を書く訳ではなく、たいていは其処らへんの印刷物を底本にして、自分流に装飾を施して終りなのです。しかしこの経験は貴重でした。ひとりよがりだと反応はてきめんでしたから。
 私は四国の小さな大学の学生だったのですが、当時はどこの大学にも、活動家で演説のうまいやつ、字の上手なやつ、文章力の長けたやつがいました。私はどれも駄目だったのですが、止むを得ず文を書く役を受け持ちました。

 学校を卒業してからもさいわい文を書く仕事と近いところにいました。おもに学習参考書の編集というやつで、編集といえばもっともらしいのですが、要は他人の原稿を読み易く修正する仕事です。これを十年ほどやりました。その間にはミニ新聞の編集長 ( ひとり編集部 ) も一年やりました。ほかにどこへ行っても使えないだろう不器用な私に、この仕事をくれた故 F 氏には感謝して余りあり。いずれF 氏のことも書こうと思っています。

 私はいま古本屋です。自費出版の本が入ってくることは実に多い。そのほとんどは著者からの献呈本です。自分の金で自分の気に入った本をつくるのに誰に遠慮が要りましょう。そのとうりです。だが、その本いくらかかりましたか。少し高すぎなかったでしょうか。紙の本だけが表現の形式ではありません。ブログでいいのではないでしょうか。私の書きこんでいるこのブログ、じつは無料なのです。
 もう一つ。自費出版本ほど傍迷惑なものはないという意見もあります。褒めなければならないが、褒め言葉がみつからない、止むを得ず黙殺する。その結果、往来が途絶えるケースが多いと聞きます。あれか、これか、大いに迷うべきときではないでしょうか。




  
  1. 2012/10/04(木) 07:13:17|
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