古本屋通信 No 32 9月29日
一切の責任は日本側にある
表題は南の島をめぐる日中間の対立の件である。日本政府と日本の全ての政党は「狂気」の道を暴走し続けている。自民党の総裁選挙でも民主党の代表選挙でも「国有化」への批判は誰からも出なかった。共産党の志位委員長と中国大使との会談でも、党側が示したのは党の見解 (島の領有権は日本にある) と「双方のねばり強い話あい」の必要性だけで、党側から「国有化」への言及は一切なかった。赤旗は中国大使の発言の要旨さえ報道しなかった。中国は儀礼的に会談しただけだから赤旗の報道など気にしてないが、一昔まえならひと悶着あっただろう。国会まさに翼賛議会。日本はファシズムへの道をまっしぐらだ。
この間、台湾からも抗議が続いた。そして昨日ついに、
ワシントン共同発 28日付の米紙ワシントン・ポストに、中国英字紙チャイナ・デーリーが「釣魚島(沖縄県・尖閣諸島の中国名)は中国領だ」とする広告を出した。同日付の米紙ニューヨーク・タイムズにも同じ広告が掲載された。広告は見開き両面のほとんどを使って尖閣諸島の写真を掲載し「古来、中国固有の領土で、中国は争いのない主権を持っている」と主張した。さらに日本政府による国有化が「中国の主権を著しく侵害した」と訴えた。
日米安保軍事同盟のパートナーの国アメリカの新聞でさえも、広告のかたちで中国領土論と「日本の国有化不当」論を掲載する。国際的にも、日本国内のオール与党の「合意」は孤立している。なんだったら、朝日でも赤旗でもいいから、ワシントン・ポストに「日本の領土」論の意見広告を出稿してみろ。絶対に載らないだろう。
あるいは、朝日や赤旗は人民日報から意見広告の申込みがあったら、それを載せるか?載せないだろう。これは、最早ズレているというより異常な言論状況なのだ。
私のみるかぎり、日本の南の島の国有化は世界のどこからも支持されていない。濃淡はあるけれど、総じて批判的だ。そういうものの顕われの一つが上記の広告だと見るべきだろう。
この問題についての日本左派の対応について、すこしだけ言及しておく。オスプレイ配備はそれとして重要だが、南の島をさけてオスプレイ配備に逃げ込んでいる気配が伺える。革共同も、緑の党も、日本共産党もだ。前ふたつについては、別の機会にゆずる。日本共産党について書く。
この問題にかぎらず、最近の共産党指導部は一枚岩ではない。原発問題についての揺れもそうだ。「五年十年と期限を切って」 といっていたのが突然 「いますぐゼロ」 といいだした。これは民主党政権の 「2030年代末までにゼロ」 に対応して軌道修正したと説明されている。しかし底流には、もともと指導部内と全党に、かなり広範な異論があったとみるべきだろう。それがこの時点で表面化した。野田政権と似たり寄ったりでは、選挙もたたかえないという意見が勝った。その結果の方針転換と考えられるが、これは志位・市田指導部の方針が間違いだったことを認めた敗北宣言なのだ。本来なら自己批判して辞任が妥当なのだ。しかし、いまの共産党にそういう革命党のあるべき「けじめ」を求めるのは無理だろう。とりあえず共産党内に、まだまともな部分がいたことをよしとしよう。
共産党志位委員長と中国大使との会談の直後、不破元議長から半畳が入ったという。出所の発言者は不破に批判的に、そして全体を嘲笑的に言っているが、私はちがう。不破がどういったか定かでないが。志位はいかにも頼りない。バランス感覚にも欠ける。志位が中国に言うべきは、一気に「無主の地」論までいかずとも、「日本政府による国有化」を批判することだった。批判する勢力が日本にも存在することを中国に示すことだった。今回の志位の対応だと、日中間の40年の友好に楔と打ち込むことに資する。そのことを志位はわかっていない。温室育ちなのだ。俗に言う「後さきを考える」能力にかける。筆坂セクハラにとき「党員はそとで酒をのむな」といったのと同じ右翼的偏向だ。不破が常任幹部会委員として残っていてよかった。
最後に。日中国交回復40周年記念式典の中止を支持する。決して残念などとは思わない。一切の責任は日本側にある。恥ずべき日本外交として、野田の名は末代の世界史に残るだろう。志位和夫の名も日中友好運動史上に、その破壊者として刻まれるだろう。
付記 この項を書いたあと、すこし共産党批判が過ぎたのではないかと、改めて党中央のホームページを見た。なんせ選挙のことがあるから他党との違いが必要。そこで考えたのが「日中間に領土問題は存在する」という認識。それを中国大使との会談でも力説している。たしかに政府も自民党も「解決しなければならない領土問題は存在しない」といっているのだから、志位発言は一歩前進のように聞こえる。しかし「解決しなければならない領土問題が存在する」のなら、解決はあるがままの現状のうえに話し合いを継続していくのが基本だ。それを根柢からぶち壊したのが、今回の「国有化」だ。「国有化」こそが踏み込んではならない「一線を超えた」のだ。だから、志位の論でいくなら当然「国有化」を批判しなければならない。しかし、これを批判しない。しみったれた論だ。政治のことばが、どういう文脈でちからを持つか、あるいは持たないか、日本の左派は昨今の共産党の右往左往を材料に、もういちど考えたらよい。 続きを読む
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- 2012/09/29(土) 03:18:31|
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古本屋通信 No 31 9月27日
郷土の詩人たち
棚の本の中から郷土の詩人のものを取り出してみた。詩集ばかりではないが、私のお気に入りの蒐集の一部なので、リストアップした。
*共同詩集 青いデュエット 三澤信弘 坪井宗康
*追悼 詩人三沢浩二 秋山基夫編 和光出版 2007 初版 追悼文
*詩集 存在のなかのかすかな声 三沢浩二 1959 初版 署名 知覚社
*西川緑道 三沢浩二 双書現代詩一千行 手帖舎 1989 初版
*連帯詩集 坪井宗康 平和書房 1975 江草昭治装丁 帯 初版
*詩集胃袋 坪井宗康 青磁社 1979 表題詩は1975年の入選作品
*坪井宗康詩集 カゲロウ異聞 手帖舎 宮園洋装丁 1982 初版
*坪井宗康詩集 その時のために 手帖舎 佐藤定装丁 1986 二刷
*詩集 風景の中の風景 坪井宗康 手帖舎 佐藤定装丁 1986
*郷土人物物語詩編 さんぽ太郎よ甦れ 坪井宗康 佐藤定 1986
*間野捷魯詩集 木犀書房 1971 「体温」全作品と当時の解説2文
*歳月 間野捷魯詩集 泰樹社 昭和62年 栞に永瀬清子と上林の評
*随想星霜記 間野捷魯 日本文教出版 平成5年 石川真佐代版画
*詩集年輪 間野捷魯 本多企画 2000 初版 帯 最後の詩集
*随想静夜抄 間野捷魯 本多企画 2001 初版 帯 遺稿 95歳
くにさだきみ詩集
*木にかえす *写撃者 *ミッドウェーのラブホテル *けだもの考証録
*獏の餌箱 *ブッシュさんのコップ *しなやかな抵抗の詩想
*罪の翻訳 *オリの春 *国家の成分
坪井あきこ詩文集
*白い鳥 *遠い記憶 *アカシアの咲く町で *小さな庭で
*茜空 青井憲一遺歌集 手帖舎 則武真一序文 宮園洋装丁 1998
*歌集 波涛 木島一直 赤木健介選 金光剛画 倉敷民文 1974
*中野重治詩集 1947小山書店 戦旗社版ナウカ社版に続く第3詩集
*永瀬清子詩集 1969年 昭森社 クレンデルの母親 諸国の天女所収
*全患協斗争史 森田竹次 森田竹次遺稿集刊行委員会 帯 1987
*詩集 日本組曲 吉塚勤治 創美社 1955 奥付欠 中津瀬忠彦素描
*苅田アサノ 人と思い出 其刊行委員会 1976 発行人堀江邑一
*岡山県詩集 1959年版 刊行委編 最初の県詩集 詩人の住所録
*凍原 中務保二 文学手帖社 小説作品 献呈本 昭和25年
*片岡いほき詩集 背広 片岡五百樹 1979 献呈本 岸本徹解説
*詩集 木を挽く人 沖長ルミ子 視点社 1999
*亀島山地下工場 沖長ルミ子 手帖舎 1991
*詩集 域 (ムシ偏でikiと読む) なんば・みちこ 土曜美術社 1999
*21世紀詩人叢書 伏流水 なんば・みちこ 土曜美術社 1992
*松田研之詩集 職場からの報告 明治乳業 支援する会 1980
*詩集 ねぶかの花 松田研之 詩学社 帯 初版 2001
*矢木明詩集 消えぬ導火線 矢木明 国鉄詩話会 金光剛画 1967
*駅の刻印 双書現代詩一千行 矢木明 手帖舎 宮園洋装丁 1991
*何をしゃべってきたか十六年 市議会報告集 矢木明 手帖舎 1987
上記は、郷土詩関係の私のコレクションの一部である。古本屋だから値をつけて売っているが、売るためだけに蒐めたものではない。趣味かと問われると返事に困るが、下手な書評を書くより目録的に羅列するのが、趣味と言えば趣味に叶っている。
- 2012/09/27(木) 04:42:39|
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古本屋通信 No 30 9月22日
ふたりの完結
本を買いそこなった話からする。本の題名は"「いつも労働者の中に 鴨川俊作さんを偲んで」。刊行年は1999年だが、私がこの本に出あったのは5年ほどまえで、場所はブックオフ西長瀬店の百円コーナーだった。私はこの手の本は、まず買う。迷うこともないし、立ち読みすることもない。いい本だということは、すぐ分った。しかし、その日はかごに入れないで、立ち読みした。私は古本屋だから、他人が立ち読みするのを嫌う。ブックオフも文句はいわないけれど嫌う。自分が嫌いで、ブックオフも嫌う立ち読みを、自分がした。
本の内容は、石井ひとみ県委員長 (当時は書記長) はじめ鴨川さんと交流があったひとによる追悼文集だ。岡山の社会運動史資料としても確保しておきたい一冊だ。しかし、なぜか買わなかった。次の日もう一度ブックオフに行った。本は消えていた。何ケ月かのち、共産党県委員会に 「行く手を照らして 中原猛さんを偲んで」 を買いに行った。そのとき鴨川さんのこの本の在庫がないかと尋ねたが、保存用しかなかった。そのとき以来この本を探し続けているが、何処にもなくいまだ手に入れていない。
つぎはいつまでたっても本を買えない話だ。いまシンフォニービルで古書市が開催中だ。私は出品はしないで買う側だ。">「ふたりの完結」(鴨川恵美子) は出品目録に掲載されていた。私は同業なので、目録注文はふつう遠慮する。で、初日に跳んで行った。果たしてその本はあった。しかし買わなかった。初日に立ち読み。二日目も行く。またも立ち読み。買わず。そして今日が三日目。今日も立ち読みで、買わず。三日とも他の本はそれなりに買った。だから同業のだれも文句はいわないし、いやな目でも見られない。しかし不思議な奴だとは確実に思われたはずだ。古本屋で立ち読みする奴なんて、全国どこに行ってもいないだろうから。
私は鴨川夫妻とはいよいよ相性が悪いと思う。面識はないが、殆ど無条件に尊敬できる。けれどその人の本を買うことには、なぜか抵抗がある、そういう人はいるもんだ。例えば、その人のことは好きだし尊敬できるけれど、結婚はしたくないというようなタイプだ。そんな小娘のようなことを言っても始まらないので、買わない理由、買えない理由を真剣に考えてみた。しかし本当に何もないのだ。
シンフォニービルの古書市はあと2日ある。私はひそかに、この本を誰かが買ってくれることを望んでいる。しかし今回は誰も買わない気もする。その場合、私は最終日に買うだろうか。そう考えることもまたうっとうしい。
少し時間をおいて、買わない理由をこじつけてみた。①出来すぎている。②善意に過ぎる。③過去を現在の自分に都合よく再編集している。どれも、もっともらしいが、すこし違う気もする。
鴨川恵美子さんは元高校の国語の教師で、近代文学をやっていたらしい。本のタイトルは妖艶でさえある。死をもって男女の関係は最高潮に達し完結する、という意味か。この辺が文学的かどうか、私にはわからない。
- 2012/09/22(土) 14:48:00|
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古本屋通信 No 29 9月21日
グローカル最終号
政治グループ蒼生の機関紙 「グローカル」 最終号を入手して、ざっと読んだ。最終号にふさわしく、ニュース的な記事はなく、6ページの全てが共労党時代 (その延長としての蒼生時代を含む) の総括だ。前半2ページが本葉一成の、後半4ページが白川真澄の署名文だ。
ここでは白川文を一読した直後の感想を書く。私が特に興味を持って読んだのは、この文が1966年11月の結党から2012年8月の解党に至る46年の、事実上の党史だと思うからだ。そして事実そういうものとして書かれている。以下、感想を個条書きにする。
①白川文に先立つ本葉文の冒頭のサブタイトル 「原点としての新左翼」 にあるように、この党史は党の出発を1969年5月の第3回大会をとしている。従って社革の尾を残した構改派時代の党は切り捨てられている。つまり、初代内藤知周議長も民学同もなく、ベトナム反戦は出てくるが 「思想と行動のラディカルさ」 つまり 「68-69年反乱に全力投入」 した運動が党の出発とされる。
②1971年の党の3分裂と73年の再建について触れられてはいるが、その内容は当事者以外にわかるようには書かれていない。この件に限らず、この党史の記述は他派批判を意識的に控えている。つまり分裂よりも共同ということのようだが、私はこれは筆者・白川の人間性にも関係があるように思う。美質な性格だが、運動史の記述としてはどうか。
③この号から離れるが 「よく判らん」 例を身近なところから挙げておこう。岡山は社革の拠点だった。言葉は悪いが、内藤知周や松江澄の息のかかった組織だった。それが第3回大会でなぜ党に残ったのか、また3分裂の後の再建時になぜ全国協議会の中心の一つであり得たか、さっぱり判らん。
④三里塚闘争の位置付けは、党としてはよく判るように書かれている。これが一時の左翼的偏向として自己批判的に総括されていないのがよい。
⑤80年代の世界と日本の捉え方は、私とはずいぶん距離があるが、党史の記述としては一貫性がある。ただし、ソ連・東欧の崩壊以前にレーニン主義と訣別したのなら、そのように明記したほうがよいのではないか。
⑥最後の 「党の組織活動の教訓」 で項目だけ挙げている諸点は、後日詳述されることを望む。この点が深かめられれば②の不満もかなり解消されるだろう。
⑦ともあれ、最終号がこういうかたちで出されたことに、私はおおいに満足している。こういうかたちとは 「緑の党」出発号的ではなく、共労党機関紙の最終号として出されたということだ。総括をウヤムヤにしなかったということだ。
⑧いうまでもなく共労党のかつてのいかなる 「決定」 も、今回の 「党史」 も緑の党の活動を拘束しない。しかし少なくとも私の世代は両者を 「非連続の連続」 とみている。もちろんレーニン型の組織政党ではないが、今まで無数に存在して消えていったエコロジーのグループと違う運動を期待しているのだ。しかし、危惧ももっている。
以上、思いつくままに8項目あげた。この文は、去る7月22日「緑の党」と題して書いたときの約束を果たすかたちで書かれた。しかしグローカル最終号にそくして書いたため、 緑の党について述べる文にはならなかった。新しい党については折を見てふれることになろうが、いま暫く様子を見たい気持ちも強い。
- 2012/09/21(金) 21:45:10|
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古本屋通信 No 26 9月18日
中国人民の怒り
久々の書き入れだが、 9月20日に書いた「南の島」の続きを1ヵ月後に書くことになった。
日本政府がこともあろうに南の島を国有化してしまった。まさに狂気の沙汰、いや狂気そのものである。そしてそれ以上に驚いたことは、この狂気に対して日本国内で異論らしい異論が、どこからも聞こえてこないことだ。ことは中国を刺激するとか、挑発するとか、喧嘩を売るとか、そんな生やさしいしい次元ではない。宣戦布告に等しい決定だ。
これに対して中国の反応は極めて速く、且つ正確だった。「中国は半歩もひかない。これによって引き起る結果の全責任は日本が負わなければならない」と。これはまさに正論であり、狂気と対極の正気である。 そして週末から週明けにかけて、1972年の国交回復以来の大デモストレーションの連鎖である。私はインターネットにへばり付いてデモの動画を追った。ブル新 (日本のメディア) の報道もみた。中国の約100の主要都市で未曾有の規模の怒りのデモである。
そして日本側のその報道で許し難いことは、全てのタイトルと本文記事が「反日デモ」となっていることだ。中国人民のデモは「国有化」を決定した日本政府にたいする抗議であって、日本人民を糾弾しているのではない。だからデモの主要な抗議先は現地における日本政府の出先機関である日本大使館や日本領事館なのだ。怒りが部分的に日本企業に向かうのは、そういう日本政府の決定を許した間接責任が日本企業にもあると見做されるからだ。
そんなことは百も承知でデモを「反日」に仕立て、その視点ですべての記事を書く。そこには当然ながら「国有化」の是非を再検討しようという視点の片鱗さえうかがえない。
しかしどんなに小細工しても映像はそれなりに正直だ。まず、現在の中国には示威行動 (デモ) の自由があること、そして今回の場合とくに強調されなければならないのだが、全体として非常に統制がとれていて整然としていたことだ。
だがしかし、恐らく日本のメディアには各社間で暗黙の合意があったのだろう。「暴徒化した一部」を中心に絵(映像)にするという合意だ。しかしいくらなんでも「暴徒」とは書けないので「暴徒化した一部」とし、その映像を中心に据えて報道した。誠に姑息で薄汚い手口といわなければならない。それでいてデモ参加者の取材は一切なしなのだから、とうてい公平な報道であるわけがない。吊るしあげられて当然だが、むこうはそんな余裕はなかったのだろう。
中国人民、とりわけ青年層がきわめてまっとうな政治主張を持っていて、それを表現する術も知っていることも力強いことだ。この点でも日本のメディアはひねくれている。「多くの失業者をかかえ、格差社会の不満のはけ口として今回のデモがあった」と。わが日本のことにひっかえ何をぬかすかだ。だいたい背景に何があろうと、なかろうと、日本の「国有化」への怒りなくして人が集まるはずがなかろう。
幾千幾万の大デモストレーションを評価する場合、それが全体として破壊を目的とした無政府状態のデモであるか、それとも秩序ある、訴求力を備えたデモかが評価の分かれ目となる。今回のデモは誰の目から見てもあきらかに後者であった。怒りの結集だから、熱くなる部分もいるだろうし、なかには挑発者が紛れこんでいることもある。そういうことも含めて「引き起こされるあらゆる結果の全責任は日本が負わなければならない」のだ。しかも、中国当局は映像で明らかなように万全の警備体制を敷き、可能な限り突出した部分を規制していた。私に言わせれば表現の自由との兼ね合いでギリギリの規制だったろう。デモ参加者に武装した者はおらず、ヘルメットを着用した者さえいなかった。生卵と空のペットボトルが唯一の「武器」で、すべて素手。考えられるかぎりもっとも平和的でしかも戦闘的なデモではなかったか。そう、デモは戦闘的でなければならない。戦闘的と理性的は両立する。ごく少数の突出部分がいたにせよ、「暴徒化した部分」を映像で確認することはできなかった。百点満点に限りなく近いデモではなかったか。
すでに書いたように私の立場は「無主の地」論だ。日本の地でもなければ、中国の地でもないという論だ。というより、どっちでもいいのだ。この島には人が住んでいない。したがって実効支配のない島だ。島のまわりの海で両国の漁民が共存して漁をすればよいし、事実していたのだ。それを根柢からぶつ壊したのが今回の「国有化」だ。私は南の島が中国の地だとは思わないけれど、中国人民の戦いの過半は支持できる。
今回の問題で日中間で際立った差異がある点がひとつある。日本の「国有化」決定に至る諸々には, 一部の右翼を除いて日本人民の支持が全くといってよいほどなかった。一方中国の側の見解には圧倒的な人民的コンセンサスがある (これでさえ反日教育の結果だという) 。これで大勢は決まりだ。日中戦争に発展することはなかろうが、そうなれば勿論のこと、ならない場合に日本が外交的に有利に事を決する可能性はゼロだ。そんな子供でもよめることが何故よめなかったのか。ここに領土問題でのオール与党のピンボケが、そして最末期の民主党政権の惨状がある。
- 2012/09/18(火) 04:11:55|
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