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古本屋通信

全学連 倉庫8

古本屋通信    NO13  7月30日        

全学連


 全学連とは、全日本学生自治会総連合の略である。全学連についてご存知ない方は Wikipedia を読まれたらよい。概略そう間違ったことは書いていない。とくに、1970年代以降については微に入り細に入り書きこまれている。私はここに書かれていることを前提にして、二点だけ書く。

 まず、先ごろ話題になった東大教養学部学生自治会の全学連脱退について。ここでいう全学連は Wikipedia のいう民青系全学連だ。私自身は今回の脱退騒ぎに興味がないし、これを話題にしたキンピーのサイトの書き込みは、あまり意味がないと指摘しておきたい。なぜなら今日、全日本学生自治会総連合=全学連はどこにも存在しないからである。存在しない団体からの脱退など本来問題にならない。こんにち全学連を名乗るすべての団体はその名にふさわしい実体を有していない。つまり全学連を称しているにすぎない私設の学生集団である。このことを一番よく知っているのは当該団体であり、当該団体に加盟しているという単位自治会(東大教養部学生自治会をふくむ)である。これでは、アホウらしくて書けない。多くて全国で10自治会加盟の全学連(革マル)、革マル系以外は学生大会も開かず(開けず)、したがって加盟の継続も確認せず、自治会費だけは新入生から四年間分一括徴収する。これは詐欺的である。

 次に、共産党が介入あるいは引き回したから自治会が混乱し自主性が損なわれたという、もっともらしい嘘について書く。戦後間もない反戦学同や全学連結成のころから、共産党は学生細胞を通じて一貫してこれらを指導してきた。というより、党細胞がなかったら、そもそも学生運動はありえなかった。党中央や都委員会について言えば、正しい指導もあったし、間違った指導もあった。が、共産党の指導それ自体なくしては継続的な学生運動などありえなかったろう。党は戦後、学生運動に限らずあらゆる大衆組織と大衆運動に深くかかわってきた。
 事実と歴史に少しだけ謙虚であればよい。1960年代後半には全国に約500の学生自治会があった。共産党、革共同、その他諸々の党派のイニシアティブとそのせめぎあいの中で運動は推移してきた。無党派の自治会など皆無に等しかった。なぜか。政治的ノンポリが、活動を学内にかぎるべしと主張して、選挙で当選したとする。いったい彼は何をするのか、仮に彼が何かしたとして、卒業後にその活動は継続的に持続されるのか。個人で何ができるのか。私はこういう主張で当選して多少とも持続的に活動した例を、ただひとつ国際勝共連合の活動をのぞいて知らない。
 共産党はこれまで全学連、学生運動、学生自治会を指導してきたし、誤解を恐れずいえば、これからも指導しなければならない。ただし、当該組織所属の党員を通じて、大衆組織に対するに相応しい方法で。しかし、全国の大学で学生支部(細胞)がほとんだ消えている昨今の党事情をかんがえるとき、もはや無理かもしれない。学生運動の前途は険しいといわねばならない。

 最後に、古本屋調べ、各派の「全学連」傘下自治会数を記しておく。
  民青系0、中核派系0、革マル系10、解放派系0。
 Wikipediaの記述等ふまえても、これが実際のところだろう。学生自治会とは原則全員加盟制の組織だということは、かたときも忘れてはならない。中核派の「岡大全学連」などの呼称は本来「マル学同中核派岡大支部」とすべきでなのだ。

 なぜ民青系全学連が1970年代後半に事実上消滅したのか、これについては共産党に責任の過半がある。私は他日これについて書くことになろう。 
 
   

キンピー
 カテゴリたぶん昔の民青の成れの果てここ数日、古本屋通信に立ち寄っていた。そこでハンドルネーム東大民青とおっしゃる方がぼくちんについて言及していたので、ちよっと絡むことにしたw。

すると、荒れると思った管理人氏がビビって削除したのだが、 日共・民青が都合が悪くなったら削除してなかったことにするのを何度も見てきたぼくちんは、自分がコントロールできない他人のサイトに書き込む時は、息を吐くように保存する癖が身に付いてしまっているw

本当はエントリを立てるほどのことではないと思うのだけど、当blogには重症の学歴コンプの方もいらっしゃるので、元東大卒民青VS無名大卒反民青のやりとりを載せておこうと思った次第。
投稿

ブサヨ氏は情報収集能力があるようで、その点は役に立つでしょうが、基本的立場が右からの批判だから結局のところ相容れないわけですね。



党・民青を批判するにしてもちゃんとした何らかの立ち位置がないと結局のところ何も生み出されない。それは筆坂秀世に象徴されている。



そ ういえば、民青埼玉大班の事実上全員(活動している全員)が脱退するという事件があった。詳しくは知らないけど、要するに専従の官僚主義的指導に反発した らしい。そしてウェブサイトを開いて、「これから記事を載せていきます」とあったが、ずっと更新されないまま消滅したようです。これはおそらく、「官僚主 義的指導に反発して脱退する」という点では一致しても、そのあとどうするという方向性が何もなかったので、皆が大学を卒業もしくは中退していくとともに雲 散霧消していったのでしょう。



80年代の古雑誌を読んでいても、何年ごろだったか、大阪のどこかの地区で「官僚主義研究会」という「反 党分派」が摘発され、除名されたというのがありましたが、これも除名されたのちに雲散霧消したのでしょう。「官僚主義に反発する」というだけでは綱領的立 場が欠けているから新たな運動の出発点にはならない。

2014/05/31(土) 06:09:36 | URL | 元東大民青 #-



投稿文



 元東大民青氏へ



思想的に相容れないのはよしとしても、立ち位置がないとの批判は、仮にも東大出身者とは思えない発言ですね。なぜなら貴殿は「右から」と立ち位置を規定しているのですから。



ただ、私に立ち位置がないように見えるのは貴殿だけではないです。それなりに多くの人に言われます。



そう見られる理由は、私が社会の理想型を夢見ておらず、関心も持たず、目の前にある課題をいかに「処理」するかに傾注するからですね。



基本、思想家ではなく実務家なんです。だから赤旗が売れずに共産党が潰れるのを喜びながらも、破綻回避のために党ができることは何かと考えて赤旗モバイル(共産党を新聞屋からMVNOのスマホ屋に再構築する)しか活路はなかろうなんてことも書いたりする。



私はウヨからは左、サヨからは右と見られるのですけど、そういう規定をする人には、実務家なんて言っても理解されないだろうなとは思っております。



今どきウヨサヨで相手を括るなど、化石のやること。化石は博物館で展示するもので、生者は常に進化という名の環境適応をしていき、最初はアメーバでもイソギンチャクや鮫、芋虫やライオンなどと多様に形態を変えていく。



いつまでも自分と違う存在をウヨ規定する、ある一時期の特殊な環境に最適化された価値観のままでいることに安住していると、環境が変わると絶滅するのは生物の歴史が教えるところです。

2014/06/01(日) 00:42:55 | URL | busayo_dic #JalddpaA





 元東大民青さんの投稿



busayo_dic #JalddpaA さま



少々失礼な文になるかもしれないと思いますが御容赦のほどを。

私は貴殿の情報収集能力は役立つと思っておりますが、貴殿との対話にはあまり興味がありません。というのは、一つは貴殿の歴史認識がネトウヨなみであるということです。



たとえば、貴殿は



>スターリンが日本に何をしてきたのか?条約を自分勝手に破棄して満州(正しくは「偽満州」)に攻めてきたのは、当時の人は目の当たりにしていた。



などと書いています。これではまるで小林よしのりや「つくる会」です。高校程度の歴史知識があれば、これが誤りであることはすぐわかるはずです。せめてネトウヨのような歴史認識からは卒業してください。



それと、私は、



>社会の理想型を夢見ておらず、関心も持たず

>今どきウヨサヨで相手を括るなど、化石のやること。



という人とは、共通の対話の地盤が見いだせないと思うからです。ですから、お互い時間の無駄はやめましょう。

2014/06/01(日) 20:29:07 | URL | 元東大民青 #-







 東大民青さま



>少々失礼な文になるかもしれないと思いますが御容赦のほどを。



いや、前コメントで十分に失礼ですよ。無礼上等w

貴殿曰く、立ち位置が明確でない当方の方が残念ながら破壊力も生産力も上です。

貴殿が明確な立ち位置を持っている。それはけっこうですが貴殿は何を生み出しているのですが?



blogには書きませんが

少なくとも当方は、党内のそれなりに多数の方に支持され、一部助言もしております。

貴殿も認める情報収集力を頼ってくるジャーナリストは片手ではすみません・・・・二ケタにはならないか?



わずかではありますが、社会に貢献している自負はあります。

理想などいくら語ったところで、誰も救えない。助けられない。

救える力、助ける力は、実務によって育まれる。



低賃金に苦しむ労働者を救えるのは、そういう人たちに高い給与を払えるビジネスを作り上げる経営者であって、雇用を生み出せない活動家ではない。そんな経営者になれるほどの力が自分にないのが残念ですが、少なくともそれに気が付いていない活動家ほど私はバカじゃない。



あなたは何を生み出しているのですか?自問されることをおすすめします。

ちなみに、人に対し立ち位置が明確でないと言った先からネトウヨ規定するような人と共通の対話が出来る人は。支離滅裂な人だけだと言っておきましょう。

2014/06/01(日) 22:15:51 | URL | busayo_dic #JalddpaA





 もう一つ書いておきましょうか。



社会に貢献するなんて偉そうなこと書きましたが、そうした努力が新たな敗者を生むこともあるんですよね。



たとえば、ブックオフなんて古本屋じゃないなんて考えて、新たな古本ビジネスを考えて、実践して大成功したとしますね。これだけ大成功したらブックオフも苦しいだろうと思って観察していてもブックオフは全く痛痒も感じていない様子。



おかしいな?ブックオフの売上を相当奪ったはずだが・・・と考えていると実際は本を大事に売る従来型の古本屋をさらに苦しめる結果になってたなんてことが、この世には意外と多くあります。



ひどい時は、実際に起こるまでは想像もしなかったところに影響が及んでいたり・・・ケータイの普及がロッテなどのガムメーカーを苦境に追い込んでいたりとかね。



何もしないということは、決して悪いことではないです。

動けば、誰かを助けると同時に、誰かを不幸にもするのです。

2014/06/02(月) 01:06:52 | URL | busayo_dic #SFo5/nok





東大民青さま



それと最後に聞きたいんですが、ハンドルメームから察するに、あなたは東大民青だったんでしょう。その東大民青は何をやって来ましたか?



一般学生から見たら少なくとも30年以上前から民青は大学自治の破壊者でした。特にTCZは党直属で指令が来ていて、学生の総意など全く無視していた上に、民青がいることで自治会から学生を遠ざけてきた。



簡単に言いましょう。あなたは理想を語りながら、党の走狗として学生を弾圧する側にいた人です。それを今でも正しいことをやっていたとお考えか?お考えなら、私の化石呼ばわりは正当です。TCZの全学連脱退によって歴史的決着がついてますからね。



過去の悪行に後悔されているなら、助言しておきましょう。安易なネトウヨ呼ばわりは、あなたが学生時代に叫んでいたであろう「反動」「転落」「分裂主義」「敗北主義」などといったレッテルが「ネトウヨ」に変わっただけで全く進歩がありません。



先に書いたように、歴史の決着はすでについています。いったいどちらが「ネトウヨ」なのか、あなたがこれから何を書こうとも、読者は明白に知るでしょう・・・というか、逃亡されますかな?。

2014/06/03(火) 01:35:36 | URL | busayo_dic #JalddpaA

ちなみにこのあと、管理人しか読めない投稿が一件あり、その後削除が行われた。
この管理人しか読めない投稿が東大民青氏によるものなら、内容は泣き言か?怒りの削除要請か?


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コメント一覧

1. TAMO2 2014年06月03日 22:06
どうしてこの手の手合いは「立場性」を云々するんでしょうね。少なくとも、小生は、科学的社会主義を掲げる人間は、「科学ゆえに」他者の立場性を云々して欲しくないです。科学とは、政治的立場に係わらず、法則が貫徹するのを見るものですから。


2. 仮)山田二郎@TAMO2さま 2014年06月03日 22:34
同じ信仰を盲信する者同士でしたら、自然とタブーや矛盾に触れずに自分達の思い描く流れで議論?も成り立ちますが、立場を同じくしない人間からは簡単に矛盾点を突かれ、論理崩壊・感情にまかせて下劣な罵倒を行い自らを貶める・選民思想が邪魔して謝罪も出来ずとなりますので、自己防衛・党防衛の為には仕方なき事かとw
そしてカルト的立場に安住する事で、さらに科学的思考や立場から自然と遠ざかり、更なる信仰への盲信を深めるとw

3. 庭掃除 2014年06月03日 22:46
busayo_dicさまのコメント、すごいですね。
一つめのコメントは、胸をすくような流れの文章。「化石」のメタファーなんか最高です。
でもこれきっと東大民青氏には理解できないだろうなと思って読み進んだら、その後のコメント、立て続けに、完膚なきまでに。
凄いものを見た気分です。
(でも相手は耳をふさいでしまっているんでしょうね。もったいないなぁ。)

4. K 2014年06月03日 23:05
「すき家やワタミやユニクロなどを批判するにしてもちゃんとした何らかの立ち位置がないと結局のところ何も生み出されない。
それは自らが最低最悪のブラック企業と化している日本共産党=しんぶん赤旗に象徴されている。 」

と読みかえることができますね。

5. ぼやきのおっちゃん。 2014年06月03日 23:16
低級カルトに成り果てたのか、元々そうだったのか……
異論者をみずからのお花畑に引きずり込んで嫐る力はすでになく、お花畑でしか通用しない常識など、世間では世迷い言でしかないことをさらけ出して悶絶している実に見苦しい輩。
お花畑と揶揄した閉鎖空間の中のメンツも、これから加速度的に減っていくでしょう。

ナンマイダー

6. TAMO2@仮)山田二郎様 2014年06月03日 23:47
 神学論争に耐えないセクトなんかは滅びるものですし、そういう過程を日本共産党において我々は見ているのかも知れませんね。

7. TAMO2 2014年06月03日 23:49
内容について。
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たとえば、貴殿は

>スターリンが日本に何をしてきたのか?条約を自分勝手に破棄して満州(正しくは「偽満州」)に攻めてきたのは、当時の人は目の当たりにしていた。

などと書いています。これではまるで小林よしのりや「つくる会」です。高校程度の歴史知識があれば、これが誤りであることはすぐわかるはずです。せめてネトウヨのような歴史認識からは卒業してください。
----

いや、子供の時に満州から命からがら引き揚げてきた小生夫妻の仲人も(ほぼ)そう言っていますが?

確かに条約を自分勝手に破棄したわけではないが(それは証拠がある)、しかし、だからといって満州におけるソ連軍の乱暴狼藉を多くの日本人は忘れないでしょうね。



8. TAMO2 2014年06月03日 23:53
古本屋通信さんも、相変わらず欺瞞的だなあ。
http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-965.html


9. すずらん 2014年06月04日 00:30
>基本、思想家ではなく実務家なんです
すみません、失笑しましたw
なんか盗人猛々しいといいますかね

10. busayo_dic@管理人 2014年06月04日 00:31
>神学論争に耐えないセクトなんかは滅びるものです

いや、それだけじゃなく暴力なり権力闘争なりにも耐えなきゃならないかと。

キリスト教の異端、たとえばグノーシス派なんか、それで負けて消えていったような・・・いや、詳しくは知らないですけど。

11. busayo_dic@管理人 2014年06月04日 00:42
すずらんさま
何が盗人なの?

それと、東大民青と名乗るのが恥ずかしくてすずらんとお名乗りで?それとも別人?

12. ラスティ・ネイル 2014年06月04日 00:44
>理想などいくら語ったところで、誰も救えない。助けられない。救える力、助ける力は、実務によって育まれる。

これはホントに最近強く感じる事の1つです。


13. 623 2014年06月04日 01:05
常に「要求」する事に、ことさら固執し何ら生産、前進しようと努力しない日本共産党・民青らしいコメントに苦笑すること小一時間w

誰かに「要求」するだけで自ら創造しない者に「豊かさ」は語れない。


14. 仮)山田二郎 2014年06月04日 02:04
皆さん古本屋通信をよく読めますね。
あそこ読むぐらいだったら、赤旗の党活動コーナーを隅から隅まで読む方がまだマシ。
古本屋通信の読後感の胸糞悪さは半端ないですわ。

15. キンピー 2014年06月04日 02:30

さっき初めて読みました。
ここのブログを宣伝してくれているのは伝わりますが、全く興味が持てないブログです。

競馬はギャンブルが禁止されているイスラーム国でもスポーツとして存在していますから、見るだけでも楽しいのでしょう。でもスポーツに動物を使うのは動物虐待ではないかという論点もあります。
日本独特のばんえい競馬(重いそりを引いて200m走る)は伝統文化でしょうか?
競輪はスポーツとして極めて面白いと思います。でもわからないのは先導がいることです。
先導がいなければお見合いしながら徐行運転で後半に突如スパートになるでしょうが、それが危険すぎるということでしょうか。

なお、マル労同『資本主義の民主的改良か社会主義的変革か 日本共産党批判』(全国社研社)によると、美濃部都知事が廃止した京王閣競輪場を、革新市政の田無市・三鷹市と他の2市の4市で存続させたことで都知事と市長が批判し合ったとのことです。

立川市の革新市政も競輪を存続させ、より従属させたとあります。

また京都の蜷川府政も、府政与党の共産党を含む賛成により府議会で府営競輪廃止決議が出たのに、蜷川府政はそれを無視して府営競輪を存続させた、とあります。
2014/06/14(土) 00:25:09 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


16. KM生@山田二郎様 2014年06月04日 05:16
>古本屋通信をよく読めますね
いえいえ、「自分の女房に今更やらして貰えない70近いエロ爺が、キラーリンや坂井希の写真見ながらセンズリ描いてる」姿想像しただけでも、愉快ですよ(^^)!

17. はまちゃん 2014年06月04日 08:43
元東大民青さん
>スターリンが日本に何をしてきたのか?
なんかに食いついてどうするんですか。

スターリンたち以降の「社会主義」がどんなふうに今の日本共産党の背骨をつくってきたのか、あなたが考えるべきはそこなのでは?

という私も党員のときは、赤旗の配達・集金、ビラ配り、支持拡大、なんだかんだで毎日追いまくられていて、そんなこと考えたり、調べたりする暇も気力もなかったけど。目の前の課題をこなすだけで精一杯でしたね。

党員やめてから気になっていたトロツキーの著作を最近読みだして目からウロコでしたね。党員の時に感じていた党組織の問題点も1920年から30年代にその分岐点があったんだと気づかされましたね。

党中央に分析や指示を任せきりにして、批判的な意見は反共だと切り捨てていったいどこへ行こうとしているのか、他人事ながら気になりますね。

18. 元事務局員で今は反共 2014年06月04日 09:05
結果じゃなくて過程が大事ですからね。この人たちは。
主張した時点でもう完結。結果がついてこないのは世の中がおかしいから。
なにもせずクレクレしか言わない共産党幹部の指導のたまものだなー。

19. コットン 2014年06月04日 09:41
>元東大民青??
綱領的立 場ですか~。 オエーッ。
賢い人ほどアホと言うのが実に解りやすい。

20. 政治将校@KM生師匠 2014年06月04日 09:48
>坂井希

今日の彼女をオカズにできる男性は、ある意味、相当な深みにはまったフェチではないでせうか? 

生身で彼女に抱きつかれて口説かれるならとにかく、彼女の顔や姿を画像イメージしても奮い立たせるのはどんな党派性のある同志でも無理でつw



21. busayo_dic@管理人 2014年06月04日 12:41
>彼女の顔や姿を画像イメージしても奮い立たせるのはどんな党派性のある同志でも無理でつw

いや、生野ともうみや、のんちゃんなら・・・って、そこまで不細工とは思わないんですけど、ぼくちんの守備範囲が広いだけw?


22. ●胃酸過多満願●@すーちゃん様 2014年06月04日 12:50
>の●ち●んなら・・・<

…「膝を突きあわせる」余裕が出来た様です。まずは「理想の女性像」でも語って頂きますか。

>脱貧困・脱原発・脱官僚 生きるために ‏@ngc7108自分の生活状況について。ある程度の余裕で生活が成り立つようになりました<

>食費、特に外食や娯楽費を抑え東京都心通勤で抑え<

…都心の方が「あふん!」娯楽系は抑えられない気がするが。(個人の見解です)

23. 相武印月齊 2014年06月04日 12:56
坂井希と佐々木希では大違い。

坂井ちゃんご愁傷さまです。

つか、のんちゃんは電車が女体に見えるらしいですから、電車でも抜けるかもしれませんね。

 
競馬はギャンブルが禁止されているイスラーム国でもスポーツとして存在していますから、見るだけでも楽しいのでしょう。でもスポーツに動物を使うのは動物虐待ではないかという論点もあります。
日本独特のばんえい競馬(重いそりを引いて200m走る)は伝統文化でしょうか?
競輪はスポーツとして極めて面白いと思います。でもわからないのは先導がいることです。
先導がいなければお見合いしながら徐行運転で後半に突如スパートになるでしょうが、それが危険すぎるということでしょうか。

なお、マル労同『資本主義の民主的改良か社会主義的変革か 日本共産党批判』(全国社研社)によると、美濃部都知事が廃止した京王閣競輪場を、革新市政の田無市・三鷹市と他の2市の4市で存続させたことで都知事と市長が批判し合ったとのことです。

立川市の革新市政も競輪を存続させ、より従属させたとあります。

また京都の蜷川府政も、府政与党の共産党を含む賛成により府議会で府営競輪廃止決議が出たのに、蜷川府政はそれを無視して府営競輪を存続させた、とあります。
2014/06/14(土) 00:25:09 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


 興味深い話ですが、片方の側からだけの話なので、評価は控えます。事実が噛んでくると、かえってフィクションは作りにくい。事実の全体を把握せねばならないからです。当面純然たるフィクションの世界で遊ぶつもりでおります。いまそれだけがぼくの創作意欲を掻き立てているので。
 なお、自文を二箇所修正しました。「美空ひばり」を「江利チエミ」に。これは記憶違いです。「自己批判」を「自己批評」に。初めからその意味で書いたのですが、「自己批判」は違う意味にとられそうです。
2014/06/18(水) 19:17:15 | URL | 石崎徹 #uE0ZWTE6 [ 編集 ]
>大学民青で地区委員会を名乗っていたのは東大と立命館くらいだろう。テンデ規模が違う。1000人以上いたのだ

日本福祉大もそうではないでしょうか。それも「Ⅰ部地区」「Ⅱ部地区」と1つの大学に2つも地区があった。
2014/06/19(木) 21:28:19 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>文科の細胞は D(哲学6回生)、

あら、「●年生」ではなく「●回生」という言い方をするのは近畿地方独特だと思っていましたが、岡山でも「●回生」という言い方はあるのですね?
2014/06/19(木) 21:43:34 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


つまり不破はマルクス支持でエンゲルス保留だが、これが全党の統一見解だとの認識。なるほど、だから他の幹部はマルエン・レーニンを語らないのか。このジャンルは不破の専売特許か。だったら、党員研究者も理論を語れない。

「不破はマルクス支持でエンゲルス保留」というのはよくわかりません。不破は「多数者革命」などといって晩年のエンゲルスを持ち上げているはずです。

それと、不破の<レーニンと『資本論』>(全7巻)がAmazonで1円になったら買うつもりなのに、いつまでたってもならないばかりか1000円以上するのも多いのはどういうことでしょう?

それと、いわゆる研究者で、不破の議論を正面から批判する人がでてこないのはなぜでしょうか?不破などしょせん研究者ではないから相手にする必要はないと思っているのか、それともまだ研究業界のしがらみとかがあるのか。
2014/06/19(木) 21:40:45 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>>政治党派としてはどのようにして大衆団体において運動を推し進め、影響力を拡大していくのか?という方法論がなければならない。しかし実際にそんなことを議論していたのは革マル派だけではないでしょうか?革マル派の理論が正しいかどうかは別として。
>そんなことはないでしょう。私の頃は民青でもよく話題になりましたよ。

そうなんですか?私のころには、とにかく「自治会役員のなり手をどうするか」「全学連・都学連の役員に誰を出すか」とか、そういう次元の話ばかりで、「学生自治会という全員加盟制団体における運動の進め方とは…」なんてことは一度も聞いた事がありません。
全学連がやる「自治会セミナー」で「自治会のそもそも論」なる講義があったくらいでした。内容は覚えていません。
あ、以前も書きましたが、全学連・都学連の役員になるために東京経済大学聴講生になるということが常態化していました。
2014/06/19(木) 21:50:46 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>出る単、出る熟の寿命はあんがい短かったんですね。

Amazonによるとどちらも新品で入手可能ですね。

試験にでる英熟語―実証データが決定的急所をズバリ公開 (青春新書)
森 一郎 (1997/6/1)

試験にでる英単語―耳から覚える (試験シリーズDX)
森 一郎 (2003/1/1)

しかし、古文や漢文やラテン語や古代ギリシャ語とは違って、英語は新しい表現も出てきますから、改訂しなければすぐに時代遅れになってしまうはずです。調べないと分かりませんが、森一郎さんが亡くなってから出版社が改訂し続けているのでしょうか?
2014/06/19(木) 21:57:58 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
文部科学省は英語の授業を英語でやる方針のようです。
しかし現場の教員がどの程度それに対応できるのか?はなはだ疑問です。
それに英語で授業をするなら、教材も英語のものになるのでしょうか?
English Grammar in Useなどが代表的ですね。

なお、高校の英語教師は最低限ここにある英検1級レベルの資格は必要です。
http://www.eigodejuken.com/level.html

なお、TOEICが非常に広まり、大学生が就職する際にも「受けていて当たり前」という時代になっているそうですが、これはやめさせるべきです。実際に英語教育を専門にしている人に言わせればTOEICはクソであり、大学院入試でTOEICの成績を認めているところがあるのが信じられない、とのことです。
2014/06/19(木) 22:06:39 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
  

>③ 「スパイ」の定義の再確認。極端には野坂を「コミンテルンのスパイ」としたことの是非。これで行くと、スパイは際限もなく拡散するでしょう。日本の警察権力との関係に限定すべきです。

いや、野坂はНКВД(NKVD)のスパイとされたのであって、「コミンテルンのスパイ」ではないです。そもそも野坂はコミンテルン幹部会員だったのであるから、「コミンテルンのスパイ」なんて言い出したら「志位和夫は日本共産党のスパイ」なんてわけのわからないことになりますよ。

で、野坂問題についてですが、私の中で決着はついていません。和田春樹『歴史としての野坂参三』が1996年に出ていますが、私は受験やらなんやらで読むのは後回しにしようと思ったこと、そしてその後に意図的に日本共産党の歴史に絡むことを避けるようにしたためです。しかし、『歴史としての野坂参三』はいまや日本の古本屋でも見つかりませんね。ぜひ増補改訂版が出てほしいものです。

『ソ連共産党、コミンテルンと日本』という史料集が2001年にモスクワで出ていますが、日本語訳は出版が難航しているそうです。
2014/06/19(木) 22:22:19 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


いつだったか、日本共産党和歌山県議のサイトで、学生時代に買った『戦後革命論争史』を大事にしている、という記述がありました。他にも、三浦つとむを称賛するようなことを書いていましたので、「こんなことを書いて大丈夫なの?」と思った記憶があります。三浦つとむは「反党分子」とはいえ、彼の著作をほめても別に党規律違反だ!とはならないのでしょうが、他の問題があれば「反党分子の三浦つとむをほめている」と「罪状」に追加されるのでしょうね。
2014/06/19(木) 22:38:48 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

直接関係ないですが、専従の活動で交通費って結構かかるんでしょうね。昔、「民青新聞」で、島根県委員長が、毎週1回列車に乗って西側の石見地方に行くと。(地区委員会の指導か?)その時に列車内で下校中の高校生に今はなき「われら高校生」を拡大したとありました。
2014/06/19(木) 23:03:39 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


「歪んだ理Ⅲ崇拝の風潮」について書くのを忘れていました。

一例を挙げます。こんなのがいます。
http://www.geocities.jp/gaku_data/ri3.html
灘高校出身で、現役で阪大医に入学したのに、退学して東大理Ⅲを再受験して合格したという者です。

彼のインタビューを読んでいると怒りがわいてきます。
「目的なんかなしに受ける」「最難関は、悪魔的な魅力がある」だそうで。
こんなのが医師になったら患者も迷惑だし、本当に医師になりたい人がこいつのせいで不合格になったと思うとはらわたが煮えくりかえるというものです。
それで、こいつが今何をしているかというと、大阪市内で皮膚科の開業医です。
http://www.fujii-hifuka.com/
大阪市内で開業医になるなら、阪大を中退して東大に入りなおす意味などまったくなく、1年間を無駄にしただけです。また、こいつのせいで阪大に不合格になった人は本当にかわいそうです。

また、こんな奴もいます。
http://usamimi.info/~linux/d/up/up1069.jpg
現役で九大医に入れたのに、2年間も無駄にして京大医に入りなおしたそうです。バカとしか言いようがありません。九大も京大も旧帝であり、環境は充実しているのだから、九大に現役で入れるなら京大に入りなおす必要などないことは自明です。

これが、受験産業や自称進学校が作り出してきた歪んだ学歴信仰のもたらした喜劇です。
2014/06/19(木) 23:35:45 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

柳田謙十郎は党員のまま死んだはずです。それは

スターリン主義研究 : 柳田謙十郎遺稿
柳田謙十郎 著.
日中出版
1983.2

を見ても分かります。この「遺稿」でも「プロレタリアート執権」という、党員でなければ絶対に使うはずのない用語を使っています。
なお、三浦つとむはどこかで、私は自分の頭で考える者を相手にしているのであって、柳田謙十郎のような「お雇い説教師ははじめから論外である」と言っていました。

日中出版から『原水協で何がおこったか: 吉田嘉清が語る』が出版されて、完全な「反党出版社」となったのは1984年8月ですから、柳田謙十郎遺稿はそれより以前に出ていますが、当時すでに党の統制の及ばない出版社になっていたのでしょう。
なお、ソ連崩壊後に野坂参三問題の暴露があって、その後、日本共産党調査団がモスクワで文書を調べ、『日本共産党にたいする干渉と内通の記録―ソ連共産党秘密文書から』(上下)にまとめられましたが、その中で吉田嘉清も「内通者」「残置諜者」と決め付けられています。しかしその根拠は、要するにソ連側のものと話し合い、宮顕指導部に反する意見も述べた、ということにすぎません。これが「内通者」「残置諜者」とか言われるのなら、そもそも党中央を通じない連絡や話し合いはするなということになるほかはないでしょう。

それとちょっと驚いたのですが、

消せない記憶 : 日本軍の生体解剖の記録 -- 増補版 湯浅謙追補.
吉開那津子 著.
日中出版,
1996.9

これが出ていることです。「反党出版社」から著作を出しているということは、吉開那津子も党を離れたのか?

「新日本出版社」のほかに「新日本出版」という会社もありました。もちろん日本共産党とは無関係です。私の記憶が正しければ、右翼的書籍を出していたが、エロマンガに転向した会社であったはずです。しかし検索しても見つからないのは倒産・消滅したのか?

検索してみると面白いものがみつかりました。
http://www.jja.or.jp/society/member/kigyou.html
公益社団法人全国学習塾協会の賛助会員に新日本出版社が入っています。これは何でしょう?
2014/06/20(金) 16:48:46 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

英単語・英熟語集ですが、まともな出版社や予備校から出ていて、新しいものであれば何でもいいです。いまはどこも入試問題をコンピュータで分析して重要な頻出単語・熟語を集めていますから、内容に大差はありません。どれでもいいから、きちんとやることが大切です。予備校によっては生徒全員に英単語集を無料で配ったりしていますが、その場合はそれをやればいいです。
2014/06/20(金) 16:53:38 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
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ああ!間違っていました!「新日本出版」ではなく「日本出版社」でした。
http://www.nihonshuppansha.net/
ちゃんと健在ですね。サイトを見るとエロマンガだけでなく猫や旅・温泉書籍などにも手を広げているようです。

それと日中出版が100%商業出版というのもその通りなんでしょうね。かつては日中友好協会(中国派から「ニセ日中」と呼ばれた方)の出版社でしたが、党から完全に離れてからはペマ・ギャルポとか酒井亨とかの反中国本を出していますね。

それと医学部の話ですが、岡山大は旧六ですから旧帝の次にレベルが高いです。入試難易度はともかく、広島大や神戸大とは格が違います。それに中国四国には旧帝がありませんから岡山大が一番であり、わざわざ地元を離れて旧帝に行く必要もあまりなかったのでしょう。
そういうことだからかつては香川大あたりに入っても岡山大を再受験する人がいたというのはわかるんですが、最近では以前より風通しが良くなっており、香川大あたりを出てから岡山大で研修・入局というのも難しくなくなっているようですよ。だから今ではわざわざ再受験する必要もないでしょうね。

それと私は医学界の人間ではありませんから本当かどうかわかりませんが、倉敷の川崎医大の躍進は目覚ましいとのことです。川崎医大は私大医学部の底辺校ですが、経営陣がやり手であり、陣地をどんどん拡大しているとのこと。

それより考えるべきことは、医学部入試のあり方です。医学部は臨床医もしくは基礎医学研究者を育てるところです。基礎医学研究者は医学部以外からなることもできますが、臨床医は医師免許が必須ですから必ず医学部を出なければなりません。
臨床医に大切なのは患者とのコミュニケーション能力ですが、受験秀才の中にはそれが欠けているものが多いと指摘されます。
そして医学部入試では数学が重視されますが、医学部に入ってから数学を使う機会はほとんどありません。
そして何の役にも立たない受験数学が得意だったことで変な優越感を持ち、「中学程度の学力しかないくせに医者と対等なつもりになってるアホ看護師」なんていう発言をするものが出る始末です。現在の入試制度は、たかだか受験学力があっただけでこんなバカげた優越感を持つ人間を作ってしまうのですね。
医師もしくは基礎医学研究者に適性のあるものを選抜するにはどうしたらいいかを議論すべきでしょうが、発言できる立場の人からも「アメリカ式のメディカルスクール導入」といった提案がでるくらいであまり発言がないのは、それだけ難しい問題だからでしょう。まあ、とりあえず医学部の学士入学枠を増やしてほしいですね。岡山大は確か5名だったかな?これを25名くらいにしてほしいです。
2014/06/20(金) 18:35:47 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]   

>そして、長女の難病の研究にはこの大学が最適だったので、ここ一本に志望を絞っていたと言った。

なるほど、おそらくその分野の権威の方が医科歯科大にいたのですね。それならわかります。しかし、学部段階では「研究」どころの話ではないですよ。医師国家試験に合格するための膨大な勉強だけで、特定分野の研究などできません。「研究」ができるのは医学部を卒業してからでしょう。だから、岡山大を出て医科歯科大の大学院に行くといったことも考えられたはずです。
もちろん、臨床医ではなく基礎医学研究者になる場合は、必ずしも医学部を出る必要はありませんが。

>東京医科歯科大学医学部は東大理Ⅲ、慶応大医学部とならぶ最難関ではなかったか。

難関ですが、いわゆる「お得でない」ところと一般には認識されます。
入学難易度に比べて大学の力が強ければ「お得なところ」、入学難易度に比べて大学の力が強ければ「お得でないところ」ですが、医科歯科大医学部は後者の代表格です。難易度は非常に高いのに大学の力は旧帝・旧六より下ですから。
2014/06/22(日) 00:25:24 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


あの、貴殿の橋下徹に対する評価は全く理解しがたいのですが…
まず、橋下徹は政治家としては典型的なデマゴーグ、つまり知的水準の低い層に論理ではなく感情で訴えかけ支持をかすめ取るタイプの政治家です。これは左翼が絶対に採用してはならない手法であり、その意味からも橋下徹を左翼が活用するなどありえない話です。もちろん、デマゴーグとしても程度が低いので、彼はすでに「賞味期限切れ」となっており、市長再選はありえないでしょう。国会選挙なら比例代表で当選できるかもしれませんが。
それに「とくに従軍慰安婦問題では立派だった。」とはどういうことですか?書いてあることが率直にいって全く理解不能です。何が立派なんですか?発言が問題になると、論点そらしとごまかしで逃げただけ。吉見義明教授からの公開質問状にも答えられず逃亡したじゃないですか。一体これの何が立派なんですか?
2014/06/25(水) 12:31:08 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

選挙に出ることの最大の問題は、選挙に出ることが自己目的化してしまい、党組織自体が変質してしまうことです。宮顕指導部の歴史はまさにそれを証明しています。選挙闘争のために、経営支部の党員は居住支部でも活動の義務を負うという規約改正がなされたり、影響下の労働組合に対しても選挙をやりやすくするために支部を選挙区ごとにせよという指導が行われたり。

中核派ですらこんなことになっています。
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no01/f1998.htm
都議選は「革共同が真の労働者党に飛躍するための挑戦」であり、「都議を擁した党として衆院選に勝利する。革共同と労働者階級人民の未来はここにかかっている」と都議選決戦の死活性を強調した。
---------------------------

たかがブルジョア選挙が「死活性」を持っているなどという錯乱した地点にまで変質してしまうのです。ここに選挙の魔術があります。要するに使い方を間違えたら死ぬかもしれない劇薬であるということです。
2014/07/02(水) 13:04:03 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



14/07/16
元東大民青

差別問題は、決して確信的差別者だけの問題ではなく、誰も無縁でいることができないものです。 以前紹介した『石田郁夫記録文学選集1 沖縄闘争誌』でも、次のような場面が出てきます。 全軍労のピケに対し、「お前らが米軍に歯向かうから、店はあがったりだ。こっちも生活がかかっている」と文句をつけにきた女に対し、ピケ隊から「ピイチクさえずっていると強かんするぞ」というのです。闘争の最前線ですら、こういう問題があります。 しかしあなたがやっていることは闘争の中で出た文句ですらない。差別暴言の被害者である塩村都議の、何ら法律にも政治倫理にも反しない過去をあげつらって、差別暴言を発した自民党議員ではなく被害者である塩村議員に辞職を要求する。これは正気の沙汰とは思えません。 「これは戦前から一貫して続いてきたアカ攻撃のたぐいですね」とはなんという言い草でしょうか。あなたは差別者を援護しているのですよ。しかも自民党ですら建前上は反省の態度を示さざるを得ない問題で。(「まるで犯罪扱いの報道だ」「問題視されるほどの発言なのか」が本音だとしても。) あなたはそもそも差別問題について触れる機会も考える機会もなかったのではないかと思わざるを得ないです。 » 返信

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14/07/16
元東大民青

自律神経失調症は「日共民青の専従病」と言われていたそうです。 自殺はともかく、行方不明は別に日共民青に特有の現象ではありません。他の政治団体だって宗教団体だってありうる話です。二度と組織とかかわりをもたないと決心すれば自分を知っている人のいないところに行かなければなりませんから。 大学院生が失そうしたこともありました。本当の原因は分かりませんがおそらく不倫関係の清算のためだろうとか言われていました。 » 返信

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14/07/16
元東大民青

私は武村正義は政治家ではなく地方行政・地方自治の学者になるべきだったと思いますけどね。 >@参考資料:金日成様は >A:日本帝国主義と闘ったらしいけど,実際は >太平洋戦争中 >【ソ連大尉】として訓練中に過ぎなかったそうです これは全然間違っています。金日成は実際に東北抗日聯軍の指揮官でしたよ。金日成部隊の討伐に赴いた前田部隊を返り討ちにして全滅させたことで名を上げ、金日成の首に高額の賞金がかけられています。 その後1940年にソ連に逃亡し、極東地方でソ連軍の訓練を受け、金正日もそこで生まれたのは事実ですがね。 » 返信

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14/07/16
元東大民青

「可愛い奥様」というのは2ch既婚女性板ですね。あそこは非常にネトウヨ率が高いところです。そこからネトウヨというのがどういう階層かということがかなりわかります。つまり「ネトウヨ=低学歴=貧困層」というステレオタイプとは異なり、実際には専業主婦のような中上流階層(現代において専業主婦がいる家庭は中上流階層でしょう)が多いことを示していると思います。 もちろん、このような勘違いした若者の右翼もいますが。 >毎日新聞の2014年06月25日付け東京夕刊に、「特集ワイド:集団的自衛権、どこか人ごと!? なぜ議論が盛り上がらないのか」という記事が掲載された。まず、その一部をここで紹介したい。 >別の日、今度は慶応大湘南藤沢キャンパスへ。3人の総合政策学部生に話を聞いた。行使容認にも解釈改憲にも賛成。「護憲派の上の世代の理想主義って既得権を守ろうとする人と同じにおいがする」という。 » 返信

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14/07/16
元東大民青

私は現在の日本共産党指導部の路線(選挙政策を含めて)に根本的に反対ですが、その点を抜きにすれば山下は別に変なことは言っていないと思いますよ。 >「集団的自衛権行使容認の閣議決定に有権者がノーという意思表示をした」 これは間違いではないと思います。当初は自公候補が圧倒的に優勢だったが、閣議決定を境に流れが変わったという報道も多いですから。 選挙の候補者選びとか選挙戦術とか意味不明な点が多いですけどね。それはつまり、他党との協力が成立せず、党専従を立候補させるなら、なぜ前県議(前回落選、次回で復活めざす)で衆議院滋賀1区候補もやった節木三千代を党公認で出さないのか、とか。 別に坂井希が書記局長になっても良くなることはないと思います。いや、むしろ悪くなるかもですね。私の記憶では、坂井希が民青中央委員長になったとき、急に民青中央の方針の非政治化が進んだ(たとえば3 on 3バスケでつながりをひろげようとか)ように記憶しています。まあ、かつては指導する側だった工藤充を指導する立場になっているわけですから、工藤充よりは常幹から評価されてるんでしょうけどね。 党中央の方針も、「ヘラブナ釣りの仲間に拡大」とか、非政治化が進んでいますが、民青がその先駆けだったのでは? » 返信

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14/07/15
元東大民青

なぜあなたは花田のデマを信用するのか。「報道ステーション」が音声解析した結果、「産めないのか」と聞こえるヤジが確認されています。 http://news.livedoor.com/article/detail/8993012/ もちろん、「産めないのか」というヤジが仮になかったとしても、他のヤジを総合すれば明確な言葉による性暴力であることは自明です。 » 返信

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14/07/13
中Ⅱ病デモ

ブルジョア国家の軍隊に対する態度 » 返信

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14/07/13
元東大民青

私の文章も悪かったかもしれませんが、誤って伝わったようです。 私が書いた >「誰が書いたのか」を隠してあなたの文章を読まされて、これが左翼の書いたものだと理解できる人がいるでしょうか? というのは、あなたが塩村都議を攻撃している文章を、誰が書いたものかを知らせずに他の人に読ませて、「これは誰が書いた者だと思う?」と質問すれば、たいていの人は自民党支持者が書いたものだと思うだろう、という意味です。 >あなただけではないが、女性差別だとかフェミニズムだとか言った途端に片目が見えなくなる人種がいます。 ですから、問題が理解できていないのはあなたの方だといい加減に気付いてください。あなたのやっていることは典型的なvictim bashingです。それを続けていれば誰も相手にしてくれなくなりますよ。 » 返信

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14/07/12
元東大民青

久保井規夫『「日本共産党」への鎮魂曲 部落解放運動の更なる前進のために』を私が読んだのは、私の宮顕への憤りがもっとも高まっていた時期でした。私は宮顕の言うことはことごとくウソだと考えました。部落問題にしても、善隣会館事件にしても、宮顕の言うことはすべて真実の正反対だと考えました。その態度が表面に出ていたから、私の入党申請は却下されたのです。 宮顕の言うことがことごとくウソだという判断は変わっていません。八鹿高校事件でも、動員された民青部隊が解放同盟員に対して露骨な差別語を叫んだのを多くの人が聞いているではないですか?私は八鹿高校における差別教育糾弾は正しかったと考えます。 差別と闘う教育実践をしてきた教育労働者にも、誰一人宮顕側の言い分を支持する人はいませんでした。このことから答えは出ていると思います。 » 返信

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14/07/12
元東大民青

>1970年代以後のアレコレは榊利夫が北原泰作の融和主義と和合して、それを党の方針にしたに過ぎません。それを承認したのが小林栄三だった。小林は宮本の秘書出身でしたが、このとき宮本に相談などしなかったでしょう。 そんなことありえませんよ。小林栄三は宮顕秘書団だから権力を持っていたのであって、ただの茶坊主です。宮顕の了承なしに小林栄三が決定なんかできるわけがないでしょう。 それと部落問題については、私は日本共産党の言うことは全部ウソだと思っています。なぜならば当事者の生々しい証言を読んだからです。党員だった小学校教諭の久保井規夫さんが自費出版した『「日本共産党」への鎮魂曲 部落解放運動の更なる前進のために』がそれです。私はこれを古本屋で立ち読みたのですが、国会図書館にもなく現在は入手不可能で、買わなかったことを後悔しています。 久保井規夫さんは1970年に部落解放同盟との話し合いで口論が起き殴られ軽傷を負ったのですが、党大阪府委員会はこれ幸いと党員医師に重傷の診断書を書かせ、解放同盟員を検察に告訴しました。しかし久保井さんはあまりのでっちあげのひどさにあきれ、党を離れ真実を自費出版で暴露したのです。それ以来、日本共産党のいう「解放同盟の暴力」は全部この類だろうと思っています。 » 返信

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14/07/09
元東大民青

教師聖職論について、当時教職員支部で起きた混乱について当時党員だった人から聞いたことがあるので述べます。 小学校での水泳の話です。当時、25m泳げない子どものために夏休みに特別教室をやっていました。教組は、社会党も共産党も「夏の水泳教室は専門コーチを雇うべきで、教員に負担を押し付けるな」という方針でした。そして市もそれに応じる姿勢を見せていました。 しかし、宮顕の教師聖職論が出て、共産党支部では、「子どもが泳げるようになることは親の要求であるから、民主的教師としてそれに協力すべきだ」ということになり方針が転換されたのです。これで教組内での社会党と共産党の対立をはじめ大混乱が起きたと聞いています。 » 返信

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14/07/09
元東大民青

あなたの以下の認識にはびっくりしました。 >これがネジレた形で、共産党と社会党の主張が1970年代と逆転した形で顕れたのが、大阪の矢田事件だったろう。このときは共産党のほうが教師労働者論だった。要は双方がご都合主義なのだ。 これは矢田教育差別事件の何が差別なのかをまるで理解されていないのではないですか? 宮顕の教師聖職論は、教育労働者の階級性を否定し、ブルジョア国家・地方自治体(私学の場合は学校法人)への屈服を教育労働者に強要するものだった。 それに対して、矢田教育差別事件は、共産党員の組合員が、組合役員選挙立候補にあたって、 >進学のことや、同和のことなどで、どうしても遅くなること、教育懇談会などで遅くなることはあきらめなければならないでしょうか。また、どうしてもやりたい仕事をもやめなければならないのでしょうか という文書を配布したんですよ?これを部落解放同盟が、 同和教育が「教師の苦しみの原因」であるとし、「部落解放運動に反対し…教師の古い意識を同和教育に反対する基盤として結集することを訴えている」 と糾弾したのは100%正しい。「教師聖職論」とは何の関係もない。社会変革のために戦う教育労働者ならば、部落解放闘争と連帯すべきことは当然であり、「部落のことなどやっていれば帰宅が遅くなる」などというのは到底許されるはずもないことです。 この事件では、解放同盟矢田支部長が起訴され、一審無罪ながらも高裁で逆転有罪となり、判決は確定していますが、大阪高裁判決すら、上記文書が差別文書であること、ある程度の厳しい糾弾も是認されることを認めています。但し、「手段、方法が限度を越えている」として有罪になったのです。共産党教員による差別であることは裁判所すら認めているのです。 » 返信

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14/07/07
元東大民青

沖縄県知事選の興味深いニュースです。 ------------------------------ 辺野古反対で知事選共闘=山下共産書記局長  共産党の山下芳生書記局長は7日の記者会見で、沖縄県知事選(11月16日投開票)への対応について、「(同県名護市)辺野古の新基地建設を強行しようとする日米両政府と、屈服した仲井真弘多知事に対し、反対を掲げる新しい知事を誕生させるため、一翼を担いたい」と述べ、米軍普天間飛行場の辺野古移設反対を唱える翁長雄志那覇市長の擁立を念頭に、共闘を優先する方針を示した。 (2014/07/07-18:12) ------------------------------ 翁長雄志那覇市長は元自民党県議です。共産党が自民党と共闘するということはこれまでも地方選挙ではあったことですが、最近の流れから考えると、都知事選で細川支持者から共産党に対して「一本化」要求が出されたことと関連しているのかもしれません。あるいは、沖縄県党組織にもはや独自候補で選挙を戦う力が残っていないのか。 「一点共闘」という言葉が「赤旗」に盛んに出ていますから、選挙でも辺野古で「一点共闘」してもおかしくはありません。 » 返信


14/07/22
元東大民青

>それをテープレコーダーを再生して犯人探しだと。前例がない狂気だろう。議事録にも残らない不規則発言を女性差別などある種のコンプレックスの塊でないと言えない。こういう世の中が怖ろしいのだ。 まったく意味がわからないです。不規則発言であろうが発言には変わりませんから、政治家には責任を取ってもらわなくてはなりません。テレビ朝日が音声の分析を進めているそうですから、声紋で発言者が特定されるでしょう。発言者は当然辞任すべきです。もっとも、共産党もなぜか腰が引けた対応になってきているのは不可解ですが。 » 返信

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14/07/22
元東大民青

>早稲田の文学部は入試に数学はなかったでしょう。 そうです。外国語・国語・選択科目で、選択科目は日本史・世界史だったかな? しかし、ある時から、選択科目がなくなって小論文に変わりました。「学生の成績を調べた結果、入試での選択科目の得点と入学後の成績にほとんど変わりがないことがわかり、小論文のほうが適切」ということだったと思います。しかしなぜか現在では選択科目が復活しています。 なお、早稲田一文は英語で不適切な出題をしたので、早稲田院出身でアカポスがないことに不満を持っている予備校講師が必ず嬉しそうに毎年その話をしていました。 » 返信

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14/07/22
元東大民青

60年安保当時は早稲田一文は数少ない日共民青系の拠点だったはずです。二文はわかりません。 革共同第3次分裂以後は、革マル派が中核派より圧倒的に強かったはずです。なにしろ、マル学同のほとんどは革マル派に行ったので、都内のマル学同中核派は11人しかいなくなった、と本多延嘉が証言しているからです。 » 返信

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14/07/22
元東大民青

>早稲田には文学同人が200あるとも聞いていた。文学部でありながら、近世以前の国文学のカリキュラムがないそうだ。吉開も文芸学科だったろう。 文芸学科ではなく文芸専修だったでしょうが、近世以前の研究なら国文学専修に進むべきだったはずです。 » 返信

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14/07/22
元東大民青

>吉永小百合も早稲田の文学部(二部)だった。 これですが、早稲田の場合は学部自体が「第一文学部」「第二文学部」に分かれていました。現在では第一文学部が「文学部」に、第二文学部が「文化構想学部」になっています。 » 返信

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14/07/22
元東大民青

えっと、少しでも長い文章だと、すぐに「不正投稿」になるので、少しづつ書きます。 >まさか東大文学部を併願してた? これは無理です。というのは、東大の場合は、最初の2年は全員が教養学部前期課程だからです。本人の希望と最初の3学期(1年半)の成績によって進む専攻が決まります。 » 返信

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14/07/20


偶然、吉開那津子氏をGoogleで検索していて、このコラムを見つけました。昔のパチンコは完全にバネ仕掛けの手動で自分のペースで遊べました。就職してから、何回かパチンコをし、すこしは換金できる程度の出玉がありました。しかし、時間の無駄だと思ったことと、タバコの煙のすごさにたまりかね、それ以来止めました。パチンコが健全な娯楽だとは思いませんが、他の競輪、競馬、競艇のようなギャンブルとは違っていると思います。その違いの1つは、自分が操作して当たるか当たらないかという結果がでる点、2つ目は、自分で、パチンコ1つのレートを変えられない点、3つ目は負けても、勝ってもとにかく1つ1つの玉を自分で打たないといけないので、自ずと負ける金額、やっている時間に限界がある点です。そうはいっても、パチンコ依存症で、借金や失業や家庭崩壊になった方は数限りなくいると思います。まあ、だからと言ってパチンコ禁止法で無理やり禁止すべきだとは思いませんが。知人、友人でもパチンコ好きはいますしね。まあ、自分のこずかいの範囲で楽しむ分にはいいのかなと思います。  ではまた。 » 返信

14/07/19
高原利生 集団的自衛権など » 返信

>早稲田の文学部は入試に数学はなかったでしょう。

そうです。外国語・国語・選択科目で、選択科目は日本史・世界史だったかな?
しかし、ある時から、選択科目がなくなって小論文に変わりました。「学生の成績を調べた結果、入試での選択科目の得点と入学後の成績にほとんど変わりがないことがわかり、小論文のほうが適切」ということだったと思います。しかしなぜか現在では選択科目が復活しています。

なお、早稲田一文は英語で不適切な出題をしたので、早稲田院出身でアカポスがないことに不満を持っている予備校講師が必ず嬉しそうに毎年その話をしていました。
2014/07/22(火) 01:58:53 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

偶然、吉開那津子氏をGoogleで検索していて、このコラムを見つけました。昔のパチンコは完全にバネ仕掛けの手動で自分のペースで遊べました。就職してから、何回かパチンコをし、すこしは換金できる程度の出玉がありました。しかし、時間の無駄だと思ったことと、タバコの煙のすごさにたまりかね、それ以来止めました。パチンコが健全な娯楽だとは思いませんが、他の競輪、競馬、競艇のようなギャンブルとは違っていると思います。その違いの1つは、自分が操作して当たるか当たらないかという結果がでる点、2つ目は、自分で、パチンコ1つのレートを変えられない点、3つ目は負けても、勝ってもとにかく1つ1つの玉を自分で打たないといけないので、自ずと負ける金額、やっている時間に限界がある点です。そうはいっても、パチンコ依存症で、借金や失業や家庭崩壊になった方は数限りなくいると思います。まあ、だからと言ってパチンコ禁止法で無理やり禁止すべきだとは思いませんが。知人、友人でもパチンコ好きはいますしね。まあ、自分のこずかいの範囲で楽しむ分にはいいのかなと思います。
 ではまた。
2014/07/20(日) 10:46:10 | URL | #oigea2w2 [ 編集 ]
>それをテープレコーダーを再生して犯人探しだと。前例がない狂気だろう。議事録にも残らない不規則発言を女性差別などある種のコンプレックスの塊でないと言えない。こういう世の中が怖ろしいのだ。

まったく意味がわからないです。不規則発言であろうが発言には変わりませんから、政治家には責任を取ってもらわなくてはなりません。テレビ朝日が音声の分析を進めているそうですから、声紋で発言者が特定されるでしょう。発言者は当然辞任すべきです。もっとも、共産党もなぜか腰が引けた対応になってきているのは不可解ですが。
2014/07/22(火) 02:28:09 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
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  1. 2012/07/30(月) 19:15:08|
  2. 未分類

野坂補足 倉庫6

古本屋通信  No 11  7月28日

 野坂補足 倉庫6

 もう書くまいと思っていましたが、書かなければならなくなりました。
一昨日、ウロ憶えの文を書いたのち、自分の文が表示されているのを確かめるため、グーグルを潜ってみました。 野坂参三スパイ論。出るわ、出るわ、他人の記事がたくさん。みなさん、よく調べてお書きになっていること、本当に驚きました。私の記事も表示されましたが、二十年も前の記憶だけで書いた文の見劣りすること、一瞬さみしい気持ちになりました。
 しかし、待てよ。これらの力作、どこかおかしくないか。いっけん千差万別にみえるこれらの力作、ちょっと丁寧にみると共通項あり。それは例外なく、野坂をスパイとして、いかがわしい人物として描いていること。「ソ連のスパイ」と書いているものも。ちょっと待ってよ。ソ連は当時コミンテルンの盟主だったのだから、これって「コミンテルンのスパイ」ってこと? 「スターリンのスパイ」ってこと? 何だかおかしくないですか。
 世界共産党を一国の共産党に移して考えればいい。たとえば日本共産党でもいい。いまは知らないが、戦後の共産党にはしばしば公安のスパイが潜入していました。これが摘発された記事がアカハタに載った。党員どうしが疑心暗鬼になったこともあった。そういう中、ある党員が他の党員が怪しいと、たとえば徳田書記長に手紙を書いたとする。その訴えを採りあげて査問が行われ、結果、訴えられた党員がスパイとして除名処分にされた。しかし後年彼はスパイではなく、処分はあやまりだったことが判明する。しかし、とき既に遅く、党に自分の全生涯を捧げるつもりだった彼は自殺したあとだった。この場合、訴えた党員は自分の保身のために同志を売った「共産党のスパイ」ということになるのか。「書記長のスパイ」ということになるのか。
 これがおかしいことは誰でもわかるだろう。訴えた党員は党規約に基ついて党員権を行使したのだ。スパイから党を防衛するという前衛党員の責務を果たすために。主観的にはそうであっても、訴えられた党員がシロで、しかも、自殺を余儀なくされたのだから、訴えたこと自体も誤りだった、などという者はいまい。個人の認識が限定的だから組織があるのだ。組織もまたしばしば誤まるけれど。
 そもそもスパイというからには敵がいなくちゃあ、話にならない。アメリカ帝国主義のいないスパイなんて。スターリンの大粛清のを理由に、没階級的 没論理的ないい加減なことを書かないほうがよい。

 グーグルに表示された野坂参三スパイ論をみて思った。みなさん、商売なんだと。そして商売でない拙文を書けるわが身のしあわせを想った。
 
   
 

広島大学は東広島市のド田舎に移転して酷い状況になっているようですね。やっぱり大学は交通の便がよくないとダメですね。
書き込めるかな?
2014/04/13(日) 10:17:23 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>女子歯科大の草分けの神奈川歯科大出身です。

昔は関西医大も女子大(旧女子医専)だったのですが、今では共学ですね。現在、女子大の医学部は東京女子医大だけになってしまいました。
早大は、慶応に対抗するため医学部がほしく、そのため同じ新宿区内の女子医大との合併を目指したこともありますが、女子医大側にあまりメリットがないため実現しませんでした。
2014/04/14(月) 02:39:47 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



「大学生日記」については、貴殿とかなり違う印象を持ちました。
確かに、貴殿が指摘するような誤解もあるし、「在日北朝鮮人」というような間違った表現も使っています。何より理解できないのは、この筆者がいまだに帝国主義の手先に転落した日本共産党に期待している理由です。
しかし、朝鮮の核問題、ウクライナ問題など、右転落した日共や元日共(加藤哲郎など)とは違う立場を表明しており好感が持てます。ひょっとして複数で執筆しているのでしょうか?
表示できるかな?
2014/04/15(火) 18:03:52 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
なお、れんだいこは以前はまともなことも言っていましたが、最近ではユダヤ陰謀論にはまって完全にトンデモ化しています。なんと西岡昌紀(!)の否定論を真面目に信じているらしく、ここまでくるともう治療不可能と思われます。
2014/04/15(火) 18:05:44 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



(修正が「パスワード不正」で、できないので二版にします。大きくは変わりません)、
高原のAMAZON書評を引用、紹介していただいたことに感謝しています。
それが、大学生日記 2013-06-23の目にとまり、古本屋通信さんの批判をまねき、要らぬご迷惑をおかけしました。

大学生日記の高原評に曰く、
「しかも、その内容は反共左翼にお決まりの
「日本共産党はすべて間違い!」
「だから本物のマルクスを復活させる!」
「つまり俺のマルクス理解が完全正義!」
という幼稚なスローガンで、営業妨害どころか
明らかに政治的なネガティブ・キャンペーンだ。

こういう手合いの輩は普段は無視するのだが、
ご丁寧に本名で投稿していたので、哲学者かと
思い、検索をしたところ、プログラマーだった。」
とあるところについて一言。

「日本共産党はすべて間違い!」
「だから本物のマルクスを復活させる!」
「つまり俺のマルクス理解が完全正義!」
というのは、最初は半分正しい、二番目と三番目も表現が下品ですが、ほぼ、合っています。
「哲学者かと思」っていただいたのは光栄でした。「プログラマーだった」ことはありませんので、間違った検索をされたようです。

下品なのは、ネット右翼だけで、これは右翼の評判を落とすための策略かと思っていた時期も昔あったのですが、ネット左翼も品はあまりよくないのがあるのですね。これも、言っている内容の評判落とすための策略ではないでしょうが、同じ機能を果たします。
2014/04/18(金) 13:31:13 | URL | 高原利生 #mRB1KL6Y [ 編集 ]



マルクス主義と共産党
マルクス主義と共産党
 古本屋通信No802 20140416 http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-894.htmlについてのコメントです。

 今の日本共産党の全体についての意見は、多分、古本屋通信さんより元東大民青さんにやや近いところがあるような気がします。しかし、おそらく違うところも大きいです。

 高原利生のホームページhttp://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/
の最初のほうで、共産党の反原発、国家主義,民族主義、労働観を批判しています。今はこの三つが大きな問題だと思っています。あともう一つの問題は、弁証法ですが、弁証法云々以前に、共産党の言うことが論理の体をなしていないのが気になります。

 ホームページの少し後に、「マルクス主義とは何か?そして問題は?」に、現在の、マルクス主義とは何かについての意見を書いています。ホームページの作り方を知らず、日付けが入っているため見づらいと思います。これらは、僕のノートで、常に変わっています。なにとぞ、ご容赦のほどを。

 なお、「大学生日記」については読んでいませんのでコメントしません。
2014/04/16(水) 08:36:26 | URL | 高原利生 #mRB1KL6Y [ 編集 ]
> れんだいこ氏と宮地健一氏については、私は既に「苦手であるので引用を避ける」と表明しています。前者は最近まったく読んでいませんが、後者はあなたが触れられることもあって、ときどき訪問して部分的に精読します。2つ疑問があります。データの入手経路です。「この件の転載については、石堂清倫氏の了解を頂いています。・・・」は嘘ではないでしょうが、膨大な資料をどうやって発掘するのでしょうか。それから、この方の情熱の源泉が怨念であるのは理解できます。然し政治思想は何なのでしょうか。それは史資料の取り扱いに関わって重要な問題だと思うのです。

宮地健一はそんなに膨大な資料を発掘していますか?そのようには見えませんが。
不破の「臨時党大会での新綱領策動」が党中央社会科学研究所からあったという通報については、たぶん本当だろうけどもちろん証拠はない、と言うしかありません。その通報者が党にいるかぎり名前を明かすことはできないでしょうから。

>「大学生日記」ですが、あなたがデタラメなかれの言葉の集積の中から、少しでもマシな部分を掬い取ろうとしているのは分ります。然しどう贔屓目に見ても、古本屋通信を現役の共産党員と読む読解力はマトモではないでしょう。私がこの男を激しく糾弾するのは当然の権利だと思います。

確かにマトモではありません。ところで、彼は男性であると明らかにしていますか?
それはそうと、彼は現在の不破指導部の国際問題についての政策に極めて批判的です。にもかかわらず不破党指導部支持者である。ここがわからない。ひょっとしたら批判派党員をあぶり出すための不破指導部の罠サイトなのかもしれません。
蛇足ながら、不破指導部の国際問題での急激な右傾化が始まったのは「野党外交」からです。不破は、おそらく反共国家のマレーシアやシンガポールやサウジアラビアなどで国賓扱いしてもらい、おいしい料理が食べられたことがうれしくて仕方がなかったのでしょう。だからそのために国際問題で急激な右傾化をした。
さらに、志位はオバマ大統領への手紙に返書がきたことに有頂天になって、米帝に忠誠を誓うことにしたのだと思います。そのことが志位の最近の国際問題での立場にもよくあらわれています。

浅井基文さんからは、次のように冷静に批判されています。
http://www.ne.jp/asahi/som/pojke/test/thoughts/2010/331.html
率直なことをいえば、私は志位委員長の相手をしたのがメアだと知ったときには、「アメリカは共産党にはずいぶん横柄、失礼だな」と思った。もっとも、2009年に志位委員長がプラハ演説をしたオバマに書簡を送ったときに、アメリカ政府から返書が来たとして共産党は大きく扱ったが、あのときも返書の差出人は課長クラスであり、私は、小なりとはいえ、日本の公党の党首に対してアメリカ政府はずいぶん失礼な対応をするな、と思ったのであり、しかし同時に、アメリカ政府における共産党の位置づけはこの程度のものかと認識した。今回もそういう対応だったのだ。私は、共産党はこのような失礼なアメリカ政府の対応に怒るべきであったと思うのであって、決して大喜びをすることではなかったと思う。オバマ、クリントンは無理だとしても、最低限、日本の外務省でいえばアジア太平洋局長に当たるキャンベル国務次官補が志位委員長の相手をすることを要求し、それを受け入れないならば、会談を拒否する共産党であってほしかった。
以上のことから私が何を言う必要を感じているのかといえば、志位委員長の訪米の「成果」を全面に押し出して共産党に対する国民の支持を広げよう、参議院選挙で躍進しようと共産党は頑張っているが、国民の多くにとってはそれほど目をむくほどのこととは受け止められていないのであって、私としては、共産党の躍進に結びつくとはとても思えない、ということだ。私が、共産党の目線と国民の目線とは大幅にずれていると指摘する所以である。
----------------------

要するに国際政治に無知な志位は「アメリカ政府が相手にしてくれた」というだけで有頂天になって、アメリカ万歳に転向してしまったのです。それがさまざまな国際問題での立場にも表れています。


>松岡正剛も同じですが、松岡の場合はじめから読む気がないのです。もしかして「大学生日記」もそうかも知れません。こういうタイプ、東大にはいませんでしたか? 言葉遊びでひとを煙にまくのです。事実はどうでもよいのです。チョット相手にしたくないですね。共産党との距離に関係なく鬱陶しいです。

松岡正剛のサイトは一応名著の紹介という形を取っているので、一定の「先入観」を植え付けられることがなければ、有益なサイトではないでしょうか?


>えっと、それから「右転落した日共」はいいとして「帝国主義の手先」はキツイですね(笑)。それはともかく加藤哲郎氏の評価をお聞かせ下さい。私の理解では田口氏に近いんですが、政治的な論稿を発表していないでしょう。川上徹『査問』筑摩文庫版の解説はミスキャストだと思いましたが、川上さんの評価も聞かせて戴ければと思います。

不破・志位らが完全に「帝国主義の手先」に転落していることは、朝鮮をはじめさまざまな問題で明確になっています。それこそ「大学生日記」のレベルでもわかることです。
加藤哲郎は「阿呆学者・税金泥棒」と考えております。
2014/04/17(木) 14:02:13 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
浅井基文さんは、領土問題でも不破指導部の主張を厳しく批判していますよ。
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2013/541.html

それと不可解なのが、彼が名誉教授でないことです。
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/profile/
1963年3月 東京大学法学部中退
1963年4月 外務省入省

これは学部3年で外交官試験に合格したから中退して外務省入りしたということですね。

1988年4月 文部省出向(東京大学教養学部教授)
1990年3月 外務省辞職
1990年4月 日本大学法学部教授
1992年4月 明治学院大学国際学部教授
2005年4月 広島市立大学広島平和研究所所長(2011年3月31日退職)

文部省出向で東京大学教養学部教授になったのをわずか2年で辞職したのは、より自由な言論活動を行いたかったからであると推測できます。
日本大学を2年で辞めた理由はわかりません。その後、明治学院大学に13年間勤め、広島市立大学に6年間勤めていますが、どちらの名誉教授でもありません。
東京大学・日本大学は2年間しかいなかったから名誉教授の要件を満たしていないのでしょう。しかし明治学院大学は13年間も教授をやっていながら名誉教授でないのはなぜでしょうか?
また広島市立大学でも広島平和研究所所長という要職を6年間つとめていたのに名誉教授でないのはなぜでしょうか?
2014/04/17(木) 23:00:14 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
そりゃあ確かに名誉教授の経済的メリットはほとんどないでしょうね。しかし肩書としては意味を持つ。「国際政治学者」と名乗ろうと思えば誰でも名乗れるが、「名誉教授」は誰でも名乗ることができるわけではない。浅井基文はなぜ明治学院大学と広島市立大学の名誉教授でないのか理解できない。

英語圏なんかだと、博士や教授かどうかが銀行のカードに書いてある。銀行のカードの名前がMRあるいはMSの人と、DRやPROFの人で銀行員の対応もぜんぜん違ってくる。

中村静治は横浜国立大学教授でしたが、名誉教授になれなかったので、「元横浜国立大学教授」として紹介されていました。中村静治が名誉教授になれなかった理由は知りませんが、マルクス主義同志会の林紘義の兄の林道義(元東京女子大学教授)が名誉教授になれなかったのは、教授になってからトンデモ化して、大学にとって不名誉になったからです。

以前、話題になった佐々木力(東大科学史・科学哲学)も在職中に停職処分を受けたので名誉教授になれませんでした。

宇野派の伊藤誠は、東大を退官して名誉教授になった後、国学院の教授になって定年退職しましたが、国学院の名誉教授ではありません。理由はしりません。
2014/04/19(土) 02:15:26 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


della Volpeの邦訳、最初のものしか知らなかったのでご教示ありがとうございました。彼については日本に限らず研究は多くなく、欧州でもD. McLellan "Marxism after Marx" 1979 (邦訳『アフター・マルクス』新評論)が出るまでほとんど関心を持たれない存在であったから日本でも無視に近い扱いを受けていたのは不思議ではありません。

しかしそれとは違って、日本ではグラムシに対する明らかな過大評価とトロツキーおよびボルディガに対する明らかな過小評価(あるいは無視)が存在します。これは明らかに政治的思惑によるものです。


>伺いたいのですが、片桐薫・湯川順夫『トロツキーとグラムシ』社会評論社をどう評価されますか。

この本は、率直に言って「ひどすぎる」と言わざるを得ません。かつて右翼スターリン主義者が自らの転向を正当化するためにグラムシからの引用を利用したのと同じことを「トロツキスト」が行っているのです。

アマゾンのレビューを引用しておきます。

トンデモ本 2001/12/1
By カスタマー
形式:単行本
残念ながらこの本は「トンデモ本」であると判断せざるを得ない。そもそもトロツキーとグラムシという問題設定自体が奇異である。グラムシは、1924年以降コミンテルン内部において常に主流派の側にあり、トロツキーと非和解的に対立し、イタリア共産党の「ボリシェヴィキ化」を実行した人物である。同時代を生きた人間であるから何らかの影響を与えあった点があったにせよ、トロツキーとグラムシを思想的に結び付けるなどとは全くできない相談である。トロツキーとグラムシ、ではなくて、トロツキーとボルディガおよびイタリア共産主義左翼の関係こそ追究されなくてはならない。

ある人が言っていたことですが、「逃げ場としての翻訳」ということをやっていた人がいます。ある日共党員学者なのですが、盛んに毛沢東を称賛していたけれども、日共と中共の関係が決裂すると、どうすればいいかわからなくなって、時事的発言をやめて古典の翻訳に逃げ場を求めた、と。古典の翻訳それ自体は悪くないですが、現実との対決からの逃げ場として翻訳を選ぶというのはほめられたことではありません。

それと同じことがグラムシについても言えるのではないでしょうか。「グラムシ業界」が、グラムシの歴史的重要性に比べて明らかに異常すぎる大きさで存在するのは、多くの人々が「逃げ場としてのグラムシ」を選んでいるからではないのか?ということです。グラムシはスターリン主義を正面から批判していないから、グラムシを研究しても「共産党」官僚と衝突することはない。また彼の「獄中ノート」はさまざまな解釈を許す余地を残すあいまいなものなので、サロン的学者談議にふけることができる。それに対して、トロツキーやボルディーガのようなあいまいさを残さない真の革命家は、そのような「逃げ場」となることを許さない。だから学者たちはトロツキーやボルディーガを不当に無視してきた。このように言ってさしつかえないと思います。

なお、『左翼小児病』におけるレーニンの議会主義についての議論については、歴史的決着がついたと考えています。「革命的議会主義」という名称であれなんであれ、議会主義を否定しなかったものは、例外なしに議会主義的堕落を逃れることはできなかった。この点でボルディーガの正しさは歴史が証明したと言えます。
2014/04/17(木) 13:28:28 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
JIGENさま。
私が持っているグラムシ関係の本は、
『新編 現代の君主』(ちくま学芸文庫)
『グラムシ「獄中ノート」解読』(こぶし書房)
『グラムシ政治論文選集(全3巻)』(五月社)
『トロツキーとグラムシ』(社会評論社)
です。
私の先輩は、グラムシに対しては政治的には非常に否定的でしたが、『現代の君主』は読む価値がある、と言っていました。
読むべき本、どこから読み始めるか、またこれ以外に買うべき本はあるか、などご教示願います。
2014/04/18(金) 00:35:51 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
 元早大党員JIGENです。
 元東大民青さま。ご返答有難うございました。申し訳ありませんが、あなたとの意見の相違は仕方ありませんので、ひとまず触れないことにします。さて、ご質問の点についてです。所持されている書籍の中では、グラムシ・上村忠男編・訳『新編 現代の君主』ちくま学芸文庫がやはり定評もあり、読むに値するものとして、推挙できます。片桐薫氏は、トリアッティ版から一歩も出ず、ジェルラターナ版を検討されていないので有名な方で、読まれる場合には、その点を割り引いてお読みください。なお、こぶし書房にはいろんな思いがよぎります。現在では貴重な学術文献を発行していますが。それから、石堂清倫編『グラムシ政治論文選集(全3巻)』五月社は書籍としては貴重です。現在入手不可能だとおもいます。ただ、過去の文献になりました。あなたが所持されている文献については、以上です。
 あと、推挙できる書籍を挙げておきます。
 松田博編訳『グラムシ『獄中ノート』著作集Ⅲ、『知識人論ノート』注解』明石書店
 松田博『グラムシ研究の新展開』御茶ノ水書房
 竹村英輔『グラムシの思想』青木書店
 もう1冊挙げるならば。
 竹村英輔『現代史におけるグラムシ』青木書店
 です。
 私の方からご教示願いたいのは、トロツキーの著作です。これだけは是非、のリストを挙げていただけないでしょうか。
                                                       JIGEN
2014/04/18(金) 11:48:29 | URL | #- [ 編集 ]


「旧六」という言葉は、もう一つ意味があるんですね。


私立東京歯科医学専門学校(1907設立) 現東京歯科大学
私立日本歯科医学専門学校(1909設立) 現日本歯科大学(東京)
私立大阪歯科医学専門学校(1917設立) 現大阪歯科大学
私立九州歯科医学専門学校(1921設立) 福岡県に移管され、現九州歯科大学
私立東洋歯科医学専門学校(1916設立) 現日本大学(東京)
官立東京高等歯科医学校(1928設立) 現東京医科歯科大学
2014/04/23(水) 23:13:04 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
こうすると、医学部とは逆に歯学部では私大の勢力が強いのは理解できます。
日本歯科医師連盟という私大歯学部卒の歯科医・政治家を中心とする圧力団体が、事実上公益社団法人日本歯科医師会を牛耳っており、私大の利益を守るため圧力をかけているので、文科省は私大の定員より国立大の定員を削減しているのです。
東大に歯学部がないのも一因と言われています。いつ頃の話かわからないですが(おそらく戦後すぐのころでしょう)、東大に歯学部がないのは問題ではないかとして、東京医科歯科大との合併が検討されたそうですが、東京医科歯科大の医学部が反対して潰したそうです。東京医科歯科大の医学部の側から見れば、東大に吸収されれば不利になりますからね。
2014/04/23(水) 23:15:43 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
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そりゃあ確かに名誉教授の経済的メリットはほとんどないでしょうね。しかし肩書としては意味を持つ。「国際政治学者」と名乗ろうと思えば誰でも名乗れるが、「名誉教授」は誰でも名乗ることができるわけではない。浅井基文はなぜ明治学院大学と広島市立大学の名誉教授でないのか理解できない。

英語圏なんかだと、博士や教授かどうかが銀行のカードに書いてある。銀行のカードの名前がMRあるいはMSの人と、DRやPROFの人で銀行員の対応もぜんぜん違ってくる。

中村静治は横浜国立大学教授でしたが、名誉教授になれなかったので、「元横浜国立大学教授」として紹介されていました。中村静治が名誉教授になれなかった理由は知りませんが、マルクス主義同志会の林紘義の兄の林道義(元東京女子大学教授)が名誉教授になれなかったのは、教授になってからトンデモ化して、大学にとって不名誉になったからです。

以前、話題になった佐々木力(東大科学史・科学哲学)も在職中に停職処分を受けたので名誉教授になれませんでした。

宇野派の伊藤誠は、東大を退官して名誉教授になった後、国学院の教授になって定年退職しましたが、国学院の名誉教授ではありません。理由はしりません。
2014/04/19(土) 02:15:26 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
コメント

>私、この方面には疎いし、興味をもって眺めたこともないんですが、認定は学部教授会でしょうか、それとも評議会でしょうか? まさか文部科学省という事はないでしょうが、それだけに大学間格差があるんではないでしょうか。

名誉教授という称号は法律で定められていますが、どのように決定するかはそれぞれの大学・短期大学・高等専門学校の定めるところによるとされています。なので、普通は教授会が決定しますが、そうでないところもあるかもしれません。

>佐々木さん、名誉教授になりたかっんたでしょうかねえ。

それは知りません。しかし、彼がもし「反原発のゆえに原子力ムラの東大から名誉教授がもらえなかったんだ」というのなら自慢話にしたかもしれませんが、「セクハラ」の罪をなすりつけられた結果なら納得できないでしょう。
2014/04/19(土) 04:12:38 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>10年程前うちの店に女子高校出身の女子大生がきていました。彼女に聞いたところ高校が厳しく処分してたら生徒はいなくなってしまうという。つまり大半の女生徒は「経験者」だった。われわれの時代にも不純異性交遊というのはあった。それで停学だという処分もあった。しかし売春というのは聞かなかった」

財団法人日本性教育協会の調査でも女子高校生の性交経験率は23.6%(2011年)とあります。おそらく卒業時なら半分くらいになるのでしょう。大半が経験済みの高校というのもそりゃあるでしょうが。


>古本屋 「異性関係があれば、例えば学力が低下するとか?」

>T先生 「いや、私、進学校の場合ですが、必ずしも相関関係はなかったと思います。家庭から逃げ帰って、精神的に安定するケースだってありました。だから画一的に対処することは出来ないんです」

私は予備校で教えた事がありますが、異性関係は男子受験生にとってはたいてい有害です。理由は深くはわかりませんけれども。高校でも、同級生が関係を持っている場合、女子だけが志望校に合格し、男子は落ちる場合が多いでしょう?

>古本屋 「売春だったら即座に止めさせるでしょ? 性的関係を断ち切る手立てを取らないんですか?」

本人が自由意思で売春しているかぎり、止めさせる必要はありません。

>T先生 「そのこと自体では問題にできませんね。すくなくとも犯罪性は薄いですから」

>古本屋 「売春の範疇に入れないというのは先生個人のお考えですか、それとも・・・」
>T先生 「これは殆んど問題になりませんね。仮に売春だったら、罰則があろうとなかろうとも犯罪ですね。そしたら理屈の上からは警察に突き出すか、それとも自首をすすめるかしなければなりません。そういうことをしていないし、警察からもそれを求められていません。売春だたらそれを隠蔽したら罪になるでしょう」

いや犯罪ではありません。売春防止法で売春が禁止されていますが、罰則はないから犯罪ではないのです。ですから、「警察に突き出すか、それとも自首をすすめるか」する必要はまったくありません。売春を隠ぺいしても罪にはなりません。
2014/04/20(日) 01:47:11 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
「買売春」と「軍事性奴隷制度」の混同がかえって「軍事性奴隷制度」の犯罪性・非人間性をあいまいにしてしまうような記事が赤旗に載ったので指摘しておきます。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-09/2014040915_01_1.html

この記事なんか典型的です。橋下の性奴隷制正当化発言と、「愛人囲って」発言を同列に置いて「女性蔑視」としています。しかしこれこそ日本軍の軍事性奴隷制の犯罪性を軽視するものです。

「財界のみなさんは愛人を囲って」という発言は、いかにもブルジョアな発想であり嫌悪を覚えますが、愛人を囲うこと自体は犯罪でも何でもない。明確な戦争犯罪である日本軍軍事性奴隷制正当化発言を同列において「女性蔑視」とすることこそ、日本軍軍事性奴隷制の犯罪性を深く認識していないのではないかということになってしまいます。

また中国の法律では買売春は違法であるとはいえ、実質的には黙認されていますし、当事者が合意しているのならば処罰の対象とすべきでないのは当然です。当事者が自由意思でやっている買売春と日本軍軍事性奴隷制を同列に並べることも、これまた日本軍軍事性奴隷制の犯罪性をあいまいにする議論にほかなりません。日本軍軍事性奴隷制を「売春」としてしまえば、その犯罪性がわからなくなってしまうということです。売春でないからこそ犯罪なのです。
2014/04/20(日) 17:25:04 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


元東大民青さんは余程の事がない限り選挙はやるべきではないと言う。

確かに「選挙をやることが当たり前」になってしまえば、党組織自体が選挙党に変質してしまいますから、基本はやらないでいいと思いますが、国政選挙の比例代表、特に参議院は全国の労働者人民に訴えかけることができる貴重な機会であるかもしれません。社労党ですら15万票取ったのですから。
2014/04/22(火) 05:55:42 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

すみませんが質問にお答えする前にもう少し。
D. McLellan 『アフター・マルクス』新評論をもう一度見てみました。グラムシの紹介はありますが、そこではボルディーガをはじめとする左派については、極めて簡単にかつ不正確に言及されているだけです。
ボルディーガの流れをくむ人々の著作を読むと、グラムシは単に政治的に「改良主義者」「スターリン主義者」などとされ、『獄中ノート』は無視されています。どちらの側も狭い意味での政治的評価を抜け出ていないようです。
なお面白かった点としては、1912年にボルディーガはTascaという人物(詳細はわかりません)の「文化主義」と闘ったという点です。Tascaのグループは党機関紙をより「文化的」「教育的」なものとし、党を青年の学習サークル化を唱えたということになっています。これとのちのグラムシの思想に何らかの関連があるかもしれません。
2014/04/22(火) 22:50:55 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
コメント


ジョン=グレイとはこの人でしょうか?
自由主義の二つの顔―価値多元主義と共生の政治哲学 (シリーズ・現代思想と自由主義論) ジョン グレイ、John Gray、 松野 弘

>フェミニストにも売春を女性のビジネスと称して
>合法化せよと叫ぶ凄い感性の人もいるが、どうも
>同じレベルの人間なのではないだろうか?

これは面白いですね。この人は自発的な売春の何に反対なんだろう。

2014/04/22(火) 06:04:47 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



>まして松本といわさきの恋愛と結婚は日本共産党員としてのそれぞれの活動と全く関係ない。これ常識なのだ。

えっと、そうではないのではないでしょうか?松本善明といわさきちひろが出会ったのは党活動でのことであったはずです。

『思い出のちひろ―二人で歩んだ日々』(1988/6)に載ってますよ。Amazonで中古が1円です。丸木夫妻との別れについて触れた部分はあまりに悪い意味で政治主義的でへどがでますが、初めて読んだ当時の私は当時の状況について不破指導部の言い分しかしらなかったので違和感を感じなかったことを覚えています。
2014/04/23(水) 22:42:24 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>ちひろと松本の最初の出会いが東大かなにかの組織活動の中であったのは事実でしょう。

紹介した『思い出のちひろ―二人で歩んだ日々』によると、松本善明は大学卒業後、党専従(国会秘書)となりました。地区細胞で活動する義務はなかったのですが、「党を下から支える活動もしたいと思った」とのことで地区細胞にも所属し、そこでちひろと知り合ったそうです。
党が国会議席を失った結果、松本善明も職を失い、司法試験の勉強をはじめたとのことです。
しかし本当なのかな?国会秘書をやっている者が居住地区で活動する余裕があるでしょうか?
2014/04/24(木) 00:12:38 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
コメント

>小森龍邦氏の息子が市議に出ていることを今回初めて知った。過去に共産党とも共闘しているらしい。これもけっこうだ。しかし世襲については許しがたい。

これについては多少知っているので言わせてもらいます。
小森龍太郎は「世襲」で市議になったわけではありません。地元の新社会党と部落解放同盟で、他に適当な人がいないとして推されたのです。父親の国会議員時代の秘書経験もありましたし(父親の秘書をやっていたのは「世襲」に近いものがあるかもしれませんが)。
それと「過去に共産党とも共闘している」とは?到底信じ難いのですが?他の地域なら別ですが、広島県では新社会党と日本共産党の共闘はありえません。広島県では依然として「日共差別者集団糾弾!」をやっていますから。90年代には全教組合員の中学校教諭による差別事件で17歳の女子高生が自殺し、解放同盟広島県連が大々的に糾弾キャンペーンをやったこともありましたしね。
広島県の新社会党の支持基盤は解放同盟・広島県教組が主で、他には自治労の一部です。
2014/04/23(水) 22:50:41 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>政治党派としては議員は避けさせるべきです。しかし個人の次元で職業選択の自由を認めるにせよ、最低広島県以外を母体にすべきです。

それだったら志位和夫だって世襲になりませんか?父親が船橋市議(中選挙区制時代の千葉1区)で、志位は千葉1区から当選していますから。

志位は、東京都委員会から中央委員会に取りたてられたもので、千葉1区はただ住んでいただけで地盤を父親からうけついだわけでもなんでもないので、世襲とは思いませんが。
2014/04/24(木) 01:37:18 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

芝田進午著作集が出されない理由はなんでしょうか?
また、見田石介著作集が絶版なのはなぜでしょうか?
上野俊樹ですら出たのに。(読むには値しませんが。)
2014/04/25(金) 04:24:00 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>アマゾンレビューのイカサマ書評から、今回の赤旗記事まですべて計画されたことだった。

アマゾンレビューって結構影響力ありますね。私もまだレビューがない本に好意的レビューを書きこんだら、中古価格が跳ね上がってしまいました。ほしかった人、ごめんね。
2014/04/25(金) 21:11:40 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>私は不破の全集など絶対に出ないと思います。

「宮顕・上耕著作集は不破哲三全集の準備」説は宮地健一が唱えていますが、私は十分ありうると思います。

根拠としては、不破以後のカリスマがいないこと。現在党内序列2位の志位の著作の中に「理論的」なものはわずかです。不破綱領の「綱領教室」を出しているのは不破の後継者としてなんとかはくをつけるためでしょうが、それでも足りない。黒田寛一死後の革マル派が、依然として黒田崇拝をせざるを得ないように、不破死後の日共も不破の神格化に頼らざるを得ないとお思います。

それに不破の誇大妄想。以前、グラムシ派の元早大党員さんが言及されていた『史的唯物論研究』(1994)や、1982年に出した『スターリンと大国主義』を2007年に新装版で出したこと。特に後者は引退前の宮顕を連想させる老人特有症状です。

こういう理由から、不破哲三全集は十分ありうると思います。ただし、収録できない著作はあるでしょうし、紙の本かどうかはわかりませんが。

>見田(甘粕)の著作集は大月書店でしたね。増刷ムリでしょう。

これですが、絶版名著のPOD版での再刊が相次いでいますから、できないことはないはずなのですが…
2014/04/25(金) 16:13:21 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>芝田進午は今後も出ないでしょうね。著作集を編むほどの論稿はありません。また、生前にもそういうことを考えていなかったと思います。芝田が仮に晩年に共産党と決別していなくても、事情は変わらないでしょう。

これはおっしゃることがわかりませんが?芝田は50年党員として死んだはずです。不破指導部と決別などしていません。

>見田(甘粕)の著作集は大月書店でしたね。増刷ムリでしょう。大月の販売力はいよいよありません。マル・エン(紙)がなくなったのが最終でした。版権を引き継ぐとしたら、こぶし書房辺りでしょうね。

そうですね、こぶし文庫から『ヘーゲル哲学への道』が出ましたからね。
でも大月書店でもPOD版にすれば可能なはずなのに?

>文学者の霜多正次の著作集が刊行されたときも、募金を集め予約を取ったと記憶しています。こうでもしないと過去の集成本はまず出版されないでしょう。

霜多正次著作集には「ちゅらかさ」は入っていますか?また、霜多正次著作集完結後、死ぬまでに彼は何か重要なことを書いていますか?

それと突然話が飛びますけど、集会・デモに動員するために弁当を配るってどう思います?

http://blog.livedoor.jp/a_homeless_man/search?q=%E3%83%87%E3%83%A2
これ山谷の日雇い労働者のブログですけども。
2014/04/26(土) 01:37:13 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
それと、芝田進午で読む価値のある著作を教えてください。
2014/04/26(土) 01:37:56 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
POD版とは、電子出版のことではないのです。プリントオンデマンド版のことで、注文に応じて印刷する方式のことです。
たとえば不朽の名著『研究者のための統計的方法』がPOD版で復刊されました。
http://www.morikita.co.jp/books/book/2641
そういえば京大から慶応に移った大西広も地道に統計学に専念しておればよかったのに、『資本主義以前の「社会主義」と資本主義後の社会主義―工業社会の成立とその終焉』(1992)以後、完全なバカ学者と化してしまいました。

芝田進午の
『人間性と人格の理論』青木書店 1961年
『現代の精神的労働』三一書房 1962年
これは民青(特に教育大・教育学部班)で読むことが勧められた本ですね。あ、1965年以前は教育じゃなくて学芸だったか。
2014/04/27(日) 17:43:20 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
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それと、芝田進午で読む価値のある著作を教えてください。
2014/04/26(土) 01:37:56 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>つまり読めばだんだん知脳が低下する本です。もともと俗に迎合して売る目的で作られます。だからベストセラーになるのです。

これについて、良いことを言っている教育者がいますので紹介しておきます。
http://www.geocities.jp/seakurosaki/kirisuto.html
「読書が出来るようになれば半分教育が出来たことになります。読書によっていくらでも勉強できます。読む本ですが、ベストセラー等読ませる必要ありません。十年たっても尚読まれる本はよい本です。五十年たっても読まれる本は尚よい本です。百年たっても尚読まれる本は尚よい本です。」

「今の教育は○×式になっている。学問にしたがって教育すれば時間がかかるので学問をする人をしめだしている。丸暗記や受験技術に走って学問のできない人をいれている。考えるなという教育をしている。ものを見て考えて真理を探究するのが学問の目的である」
2014/04/27(日) 19:05:43 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


私とかなり認識が違うことに驚きました。
まず小畑中央委員がスパイだったかどうかについてですが、スパイでなかったことは立花隆『日本共産党の研究』ではっきり決着がついていると思います。
宮顕は「犬は吠えても歴史は進む」という大キャンペーンをしましたが、小畑=スパイの証拠はついに出せませんでした。私は小畑よりも宮顕のほうが疑わしいと思います。
また、「異常体質によるショック死」ではなく「外傷性ショック死」であることも疑いの余地はないと思います。
2014/04/28(月) 02:50:07 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>戦後の刑事訴訟法でも時効はあります、これはこの限りで合理的な制度です。

それは全然別の問題です。宮顕には有罪の確定判決があり、そして宮顕はそれに対して再審を請求していないという明白な事実があるのです。

>そもそも日本近代史において、日本共産党の成立を社会進歩と捉えるのか、それとも歴史反動と捉えるのか。世界史のなかで各国共産党は第三インターの各国支部としてしかあり得なかった。コレ歴史の事実でしょう。

これにはびっくりしました。1933年に、第3インターは「社会ファシズム論」によってドイツでの歴史的敗北をもたらしたことによって、もはや革命の世界党ではなくなったことをご存じないのか?そして1935年の第7回大会での「人民戦線」によりあらゆる意味で共産主義組織でなくなったことをご存じないのか?
そしてスターリン主義に反対した勢力は、トロツキーが率いた国際左翼反対派―第4インターナショナルや、イタリア共産主義左翼を源流とする勢力があったことをご存じないのか?
福本イズムがコミンテルンによって却下された後に、福本和夫が国際左翼反対派―第4インターナショナルに加わっていれば、その後の日本史は大きく変わっていたであろうことを私は疑いません。
2014/04/28(月) 08:13:07 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
まず宮顕の復権ですが、

>「将来にわたって刑を受けざるものとする」をいう趣旨の司法判断があった

これは司法判断ではなく、「公民権を回復する」という行政判断です。刑事裁判の判決は取り消されていません。ここにまとめられています。http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/nihon/miyakenco/rinchizikenco/zikenco10_1.htm

>一言だけお聞きします。不破哲三はいつから第三インターを否定的に言い出したのでしょうか?

すでに宮顕時代から、第三インターの「社会ファシズム論」への否定的評価などがありましたが、不破時代になってから、「単一の世界共産党という組織形態そのものが誤り」だったという風に総括されることになりました。それなのに戦前からの「一貫した闘い」を自画自賛するのは完全に矛盾ですが。
2014/04/28(月) 09:32:11 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
ところで、些細なことですが、第一インターナショナルの執行機関は「総評議会」でした。
第二インターナショナルの常設執行機関はなんだったでしょうか?
第三インターナショナルは「国際執行委員会」でした。しかし、マルクスとエンゲルスが組織した共産主義者同盟の執行機関が中央委員会だったことから、第三インターナショナルの執行機関が中央委員会でないことは不可解でした。
革命以後、ロシア共産党中央委員会に「政治局」「書記局」「組織局」が作られ、それはその後の共産主義組織にも受け継がれていきます。革マル派の場合は「政治組織局」ですが。
違和感を感じるのは、「岡山県委員会」「関西地方委員会」といった機関名称です。社会民主主義政党や労働組合などの場合は「岡山県本部執行委員会」「関西地方本部執行委員会」などとなるのでしょうが。
「岡山県委員会」「関西地方委員会」のような名称を見ると、たいていのひとは最初は違和感を抱くのではないでしょうか?
中核派と革マル派に「中央学生組織委員会」があるように、「岡山県組織委員会」のようにすれば違和感がないですが。「岡山県組織委員会」なら岡山県組織を指導する執行機関というのがわかりやすくなりますから。
それに、日本共産党では宮顕が廃止した中央統制監査委員会が必要です。英語ではCentral Control Commissionが普通です。しかし「委員会」と訳してしまうと、中央委員会(Central Committee)の「委員会」と区別がつきませんん。「中央統制監査役会」「岡山県組織統制監査役会」といった名称でいいのではないでしょうか。
支部(細胞)の責任者は、支部が小さい場合には書記1名、大きい場合には複数の書記を選出し、そのうち1名を責任書記とする。

なぜこんなものが掲載に値すると判断されたのでしょうか?
私は「弁護士 市川守弘、弁護士 河内謙策」が何者か知りませんが、最後の[私が参考にした文献]を見るだけで、「ああ、読む価値はないな」とすぐわかるではないですか。あなたも『日本共産党の深層』を読まずに読む価値なし、と正しく判断されたではないですか。どうして同じ判断ができないのでしょう?
2014/04/30(水) 18:10:38 | URL | 元東大民青 #- [ 編
気が向いたらまた書きます。
2014/04/28(月) 20:24:26 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>たしか1960年代のある時期まで「日本共産党香川県党大会」でした。それが香川がけだったのか。これは誤りだと言う事で「日本共産党香川県党会議」になりました。大会は全国大会だけだと言う事でした。

いや規約に基づく正式な会議ですから香川県だけということはあり得ません。規約が改正されて「党会議」になったのでしょう。
なお、民青では「全国大会」「都道府県大会」です。

>ここでグッと話が変わるのですが、高校野球甲子園全国大会は廃止すべきです。高校野球岡山県大会があります。二つも大会があるのはおかしい。だから前者をなくすべきです。

これ、何かの皮肉なのでしょうか(笑)
よくわからないのですが、野球の本場である米国では高校野球の全国大会はありません。州大会までしかなく、見に来る人は関係者・スカウト・よほどの野球狂くらいだそうです。
高校野球は独自の全国大会をやめてインターハイに加盟すべきですね。
2014/04/29(火) 23:40:31 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
ところで、高野連と阪神と朝日・毎日と甲子園の地元のゆ着はひどいものがあります。1988年の兵庫県開催の高校総体では、常識では考えられない事態が起きました。「赤旗」は報道したのかな?
2014/04/29(火) 23:57:50 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
それはそうと、民青にいた時に東京都委員長が中央常任委員を兼ねていたこともあり、「東京都委員会を廃止して、中央委員会直轄にすればどうか」と意見を出したこともあります。
日本共産党では「第●回中央委員会総会(●中総)」といういい方をしますが、民青では「第●回中央委員会(●中委)」といいますね。これもよくわからないです。
2014/04/30(水) 00:05:20 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


以前、「教師は勉強をしない」と書かれていましたね。仕事がきつすぎて勉強時間が取れないことが多いでしょうが、本当にやる気がなくてただ数十年間同じことの繰り返しという教師も多いです。
出版社が、学校採択用教材の見本を送っても見てももらえず、「これまでこれを使ってきたから…」と同じものを使い続ける。
英和辞典はジーニアス(大修館書店)を指定する。この辞書が悪いというわけではありませんが、大学受験には必要ありません。収録語数が多すぎ、解説が詳しすぎるからです。大学生が専門書を読むのではなく、試験時間内に合格点を取ることが目標なのだから、それにあった辞書が必要です。

それはそうと、中学校の体育大会なんかはさぼる生徒は多いのでしょうか?知人の出身校では、「運動会さぼってカラオケ行こうぜ」とか言うのが普通だったそうですが。
2014/05/01(木) 22:08:22 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



>だから我々にとって、「社会民主主義者の裏切り」はありましたが、「コミンテルンの裏切」りという認識はありませんでした。そして皮肉にもそれは、共産党界隈に限っては不破が言い出したことです。

この「不破が言い出したこと」というのは理解ができません。不破はスターリン批判・ハンガリー革命以後に学生党員たちがスターリン主義と決別した時に、スターリン主義を擁護する論文を書いているではありませんか?

>然し私は今となっては百年近く前のことより、いま現在の日本、そして岡山の現実を注視したいのです。上記のような現実があります。党中央もですが、岡山にも共産党界隈で不当に生息し続ける一家がいます。私はこういうのを潰すことこそ反スターリン主義だと思っているのです。

これもわけがわかりません。「岡山にも共産党界隈で不当に生息し続ける一家…を潰すこと」に意義があるとすると、共産党の再生が可能だという前提がなければなりません。しかし不破綱領ほぼ反対なしにが採択されたことに見るように、共産党の再生はすでに全く不可能な地点に達しています。社民党のように、歴史のゴミ箱に捨てるしかないのです。「岡山にも共産党界隈で不当に生息し続ける一家」はどうでもいいと私は思います。
2014/05/01(木) 08:35:51 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>これは私があなたに教えて貰ったことですよ。

いや、貴殿が、

>「コミンテルンの裏切」りという認識はありませんでした。

と書いてあったので、当然、その「裏切り」は社会ファシズム論や人民戦線のことを指すと考えたのです。不破はもちろん人民戦線は今日でも肯定しています。


2014/05/01(木) 22:36:38 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


お久しぶりです。BordigaがTascaの「文化主義」と闘ったというのは、ここに出てきます。

http://www.left-dis.nl/uk/gci/gci1.pdf
At the youth congress of 1912以後のところを読んでください。"youth congress"とは社会党の青年同盟の大会でしょうか?
2014/05/04(日) 02:48:20 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


 元早大党員JIGENです。
 元東大民青さま。
 ご質問への返答が遅れて申し訳ありません。関連文献をあさって時間がかかりました。ご指摘の件「1912年にボルディーガが、タスカの『文化主義』とたたかった」についてです。
 タスカとは、アンジェロ・タスカ(以下、タスカ)のことだと思います。彼は1921年に、リヴォルノでイタリア共産党が社会党から分離して後、ボルディーガ、グラムシ、トリアッティらと共にイタリア共産党の幹部でした。彼は、雄弁で多才ではあるが、感情的で性急な行動が目立ち、そのために、イタリア共産党では常に少数派だったようです。 
 ご指摘の点を調べました。1912年の年号ですが、調べた範囲では、そのような事実は見当たりません。次に、年号は別にしても、ボルディーガがタスカの「文化主義」とたたかった事実も、見当たりません。調べた範囲で間違いなく言えることは、グラムシがタスカの「文化主義」とたたかったことです。
 事実関係は、以下のようになっているようです。なお、可能な限り評価は避けています。
 グラムシは、1911年にトリーノ大学文学部近代言語学科に、奨学生として入学します。このトリーノ大学でパルミーロ・トリアッティ(以下、
トリアッティ)やタスカらと出会い、親交を結ぶことになります。彼ら学生は、フィアットを中心とした工業都市であるトリーノで、強力な労働運動・社会主義運動の洗礼を受けました。
 第一次大戦後の革命的危機の時期に、彼らの手によって、社会主義理論を労働者に教化・宣伝するために、週刊誌「オルディネ・ヌオーヴォ(新しい秩序)」が発行されることになります。1919年5月1日のことです。グラムシが編集者で、タスカが資金集め係りでした。同誌の性格は、はじめは漠然としたものでした。そしてタスカは、「文化主義」を唱えました。「文化主義」の内容は判然としませんが、グラムシの酷評を借りれば、「労働者思想のがらくたを『記録』する」以上を出るものでなく、ソヴエトの萌芽をイタリアで発見しようとする意思も持たなっかたものであったようです。それに対して、グラムシは、戦時に作られた工場内部委員会(日本で言う職場委員会)に注目しました。それを、工場評議会(生産点での労働者自治機関で、プロレタリア権力の萌芽形態。ソヴエトと共通項あり)に転化させることを追求し、「オルディネ・ヌオーヴォ」誌を工場評議会運動の機関誌にすることを、目指したのです。グラムシらによりタスカの「文化主義」が退けられた結果、第7号から同誌は工場評議会運動の機関誌になりました。なお、ボルディーガは同誌を無視していたようです。(グラムシ「『オルディネ・ヌオーヴォ』の綱領」1920年。山崎功監修『グラムシ選集5』合同出版社、所収)。<まだ後があるんですが、長くなるのでここまでにしておきます。また別の機会に触れることができればやってみます。>全体としての参考文献は、河野穣『イタリア共産党史1921-1943』新評論、山崎功『イタリア労働運動史』青木書店です。後者は名著です。前者は山崎功氏から酷評されたものですが、便利です。なお、山崎功氏は、日本共産党の蔵原惟人と終生親交がありました。
2014/05/04(日) 00:21:02 | URL | #- [ 編集 ]


ああ、わかりました!石田郁夫でした。

石田郁夫記録文学選集(全3巻)御茶の水書房1993

1 沖縄闘争誌 : 新たな沖縄闘争の構築へ
2 天皇制国家と海外侵略 : 排外主義を撃つ思想的原基
3 差別の重構造と階級支配 : 狭山闘争の歴史的勝利へ

1962年『新島: 工作者の伝説』(未来社)が出ており、これが共産党系の何かの賞をもらっていますから、党除名はそれより後でしょう。
2014/05/03(土) 04:34:16 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
石田郁夫さんについて詳しくは知りませんが、70年代は中核派の同伴者作家的な存在だったのでしょう。

>私はここに、レーニン組織論の修正を感じていた。「ユダヤ人ブントを解体し、1人1人党に入れ。ユダヤ人は地方の党組織の指揮下に入れ」――レーニンの党は、ここから出発したはずだ。

これですが、私のおぼろげな記憶では、レーニンはユダヤ人の党組織を否定したのではなく、ユダヤ人ブントがロシア社会民主労働党の指導部のもとに活動しなければならないと主張したのだと思います。


2014/05/04(日) 02:33:51 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
『石田郁夫記録文学選集』は是非読まれるべきです。

『1 沖縄闘争誌 : 新たな沖縄闘争の構築へ』では、「復帰」以前の人民の闘争に触れられていますが、革マル派(「復帰」以前は沖縄マルクス主義者同盟)以外に戦闘的左翼がない、と嘆いています。沖縄社会大衆党と沖縄人民党(「復帰」後に日本共産党に合流)は「復帰を目標とする復帰統一戦線党であって、社会党のみが、一応、労働者階級に依拠する政党で平均年齢も若い」とあります。この本では触れられていませんが、沖縄人民党の背後には非公然・非合法の日本共産党琉球地方委員会があったはずなのですが、現在の党史からは抹殺されています。その理由は不明です。

『2 天皇制国家と海外侵略 : 排外主義を撃つ思想的原基』では、沖縄「返還」政策のなかに自衛隊派兵、天皇訪沖と三位一体の釣魚台略奪の本質をつかみきることを力説しています。当然のことですが、反革命の日共は「『尖閣諸島』は日本の領土だ」と堂々と公言し、元日共国会秘書の「政治将校」も釣魚台略奪を平然と支持しています。「政治将校」を見ていると、右転落には歯止めはないのだなあ…と痛感させられます。

『3 差別の重構造と階級支配 : 狭山闘争の歴史的勝利へ』では、狭山差別裁判糾弾闘争や、八鹿高校差別教育・日共のおぞましい差別扇動が糾弾されています。やはり八鹿事件は宮修の本性が最も明確に表れた事件でした。
2014/05/10(土) 14:42:12 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


「予備校の優秀な講師」についてですが、現代文の優秀な講師(たとえば田村秀行とか堀木博禮)のような人は、現代文を語学として論理的に読む方法を教えるのです。
英語で生まれ育った人が英文法など学習しなくても英語が読めるように、地頭がよく子供のころから読書量が多い人は現代文の勉強などしなくてもできるのです。優秀な講師というのは、現代文の勉強などしなくてもできる人が無意識のうちにやっていることを分かりやすく説明して「読めない」生徒を「読める」ようにしてくれる人の事です。
2014/05/04(日) 03:10:16 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


元早大党員JIGENです。
 元東大民青さま。
 早速のご返答有難うございました。ご指摘の英文を見ました。間違いなく1912年に、ボルディーガはタスカの「文化主義」とたたかって勝利しています。1912年のthe youth congressとは、社会主義青年同盟(社会党系の青年組織)の全国大会のことです。もう一度文献を調べ直したところ、有名なフィオーり『グラムシの生涯』平凡社のP.114にサラッと触れていました。本当に、申し訳なくまた情けなく思っています。短い英文なので、翻訳を試みます。なお、このタスカとは、アンジェロ・タスカのことで、彼の「文化主義」が後にグラムシにも叩かれたのは、私が触れた通りです。なお、トロツキーの基本文献は『裏切られた革命』(岩波文庫)、『永続革命論』(現代思潮社)『スペイン革命と人民戦線』(現代思潮社)だけでよろしいでしょうか。追加があれば、ご教示ください。
2014/05/04(日) 22:28:50 | URL | #- [ 編集 ]
まず、トロツキーの『裏切られた革命』は、スターリン主義論に関する古典ですから、絶対に読む必要があります。この本は、どの古典もそうであるように、大変に論争的な著作でもあります。

トロツキーの「独自の理論」とは何か、と言われると、彼はスターリン主義を分析した最初のマルクス主義者であったがゆえに、スターリン主義批判の観点から取り上げられることが多いです。

ただ、晩年のトロツキーには理論的後退がみられると思います。晩年のトロツキーの著作は過度に危機論的であり、第二次大戦が人類の運命を決すると考えていました。

ここでいったん切ります。
2014/05/05(月) 22:01:23 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
とりあえずBordiga関係の史料をWikipediaから貼ります。De Clementiの著作は信頼性が高く基礎文献とされています。貴殿の知り合いにはイタリア語が読める人が多そうですから、これらの文献についての感想を聞いてください。

Andreina De Clementi, Amadeo Bordiga, Einaudi, 1971.
Onorato Damen, Bordiga, EPI, 1977.
Franco Livorsi, Amadeo Bordiga, Editori Riuniti, 1976.
Liliana Grilli, Amadeo Bordiga: capitalismo sovietico e comunismo, La Pietra, 1982.
Luigi Agnello, voce "Bordiga" nel Dizionario biografico degli italiani, vol. 34, Istituto dell'Enciclopedia italiana, 1988.
Redazione di n+1, La passione e l'algebra - Amadeo Bordiga e la scienza della rivoluzione, Quaderni di n+1, 1994.
Arturo Peregalli - Sandro Saggioro, Amadeo Bordiga 1889-1970, bibliografia completa, Colibrì, 1995.
Arturo Peregalli - Sandro Saggioro, Amadeo Bordiga, la sconfitta e gli anni oscuri, Colibrì, 1998.
Luigi Cortesi e altri, Amadeo Bordiga nella storia del comunismo, Edizioni Scientifiche Italiane, 1999.
Luigi Gerosa L'ingegnere 'fuori uso'. Vent'anni di battaglie urbanistiche di Amadeo Bordiga. Napoli 1946-1966, Fondazione Amadeo Bordiga Edizioni, 2007
Elvio Ciferri, Bordiga Amadeo and the Italian Communist Party, in «International Encyclopedia of Revolution and Protest», 2, Malden (MA), Wiley-Blakwell, 2009.
2014/05/12(月) 03:59:56 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


白鳥事件については、『流されて蜀の国へ』という本が出ているそうですが、「日本の古本屋」でも見当たりませんね。http://www.netlaputa.ne.jp/~rohken/kawaguchi.htm

それはそうと、藤田若雄というキリスト者の労働問題学者(東京大学社会科学研究所教授)についてどう思われますか?三一書房から著作集が出ているので左翼であったことは間違いないのでしょうが。


2014/05/06(火) 05:11:02 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


当事者性の問題?
 小森氏や部落解放同盟の活動家の皆さんは、
矢張り「部落問題は、部落に生まれた人やその
子孫にしか分からない」という当事者性を強く
持っているのではないかという印象を受けました。
だからこそ、部落解放運動は部落の血を受け継ぐ
人が主体であらねばならないと。

 同性愛者解放運動においても、雑民党の東郷健
氏は、異性愛者(ノンケ)の伊藤文学氏が編集する
「薔薇族」を「ノンケのくせに、勝手にゲイを語るな」
と猛批判していました。

 新社会党については、廿日市市長選では自民党
候補を推薦するなど、広島では所謂「オール与党」
の一翼を担っている側面もあります。

 部落解放同盟岡山県連が3つに分裂してるのを
知った時は驚きました。しかも思想的な路線対立
が理由でないというのが何とも…。因みに本部派
の県連(県庁近く)の事務所には、入口に自民党
の逢沢一郎氏への投票を呼びかけるポスターが
デカデカと貼ってあります。

2014/05/07(水) 14:55:26 | URL | しょむ研 #ZQMeTpW2 [ 編集 ]


『流されて蜀の国へ』というのは、まず題名からして失敗ですね。自費出版だから売れなくてもいいと思ったのかもしれませんが。
まず「蜀」は常用漢字ではない、つまり多くの人は読めない。「蜀の国」がどこを指すのかすぐにわかる人は中国古典か中国史に詳しい人に限られる。
それと、やはり毛沢東は無学で粗暴であり、指導者の器ではなかったのは中国人民にとって大きな不幸であったと再確認せざるを得ません。中国共産党から托派(トロツキー派)が追放されたのは仕方がなかったとしても、劉少奇のほうが毛沢東よりはるかにすぐれた指導者であったでしょう。劉少奇『共産党員の修養について』が1964年に新日本出版社から出ていますが、その後(正確にいつかはわすれた)に宮顕が、「外国の党指導者の本を読むだけで十分ではないのです」というようなことを言って、宮顕流の「修養」を作りはじめ、それが70年代にはグロテスクな「青年の退廃とのたたかい」とかに結実していきます。
2014/05/06(火) 22:35:15 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
『流されて蜀の国へ』
実は、当方持ってたりしてw
著者の関係筋からいただいたのか、買ったのか忘れましたけどw

ちなみにあてにならない記憶によると、当初これは自費出版ではなく、商業出版で出るはずだったのですが、商業で出すにはどうしても白鳥事件の真相に触れなきゃならないわけで、そこを拒否したので自費出版になったと・・・
2014/05/07(水) 22:55:00 | URL | busayo_dic #3/VKSDZ2 [ 編集 ]


>私がはっきりと解放同盟側を非難できるのは大阪の矢田事件と兵庫の八鹿高校事件だけである。

これには驚きました。私は矢田事件も八鹿事件も宮顕指導部の議会主義への転落がもたらした差別事件そのものだと認識していたからです。そりゃあ、選挙で票を取るには被差別少数者の運動を支持するより、多数派の差別意識に迎合したほうが都合がいいですよね。この件については再論したいと思います。

なお、busayoは歴史認識からして完全にネトウヨでお話にならないですから、相手にしないほうがいいですよ。日共に敵対する者は、革命的左翼の立場から批判するのではなく、右翼の側から批判する方が圧倒的に多いですからね。こういう連中は日共よりはるかに有害だと思います。
busayoは領土問題でも、「ソ連が勝手に日ソ中立条約を破棄して攻めてきた」だの「尖閣諸島は日本の領土だ」などというヨタ話を堂々と書いていますね。少しでも歴史を知っているものならbusayoを嗤うでしょう。

busayoのサイトに書き込みしている政治将校も、完全に反共に転落し、日本の釣魚台(「尖閣諸島」)略奪を支持しているありさまです。
2014/05/09(金) 05:35:41 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>私は今日では部落解放運動は不要だという考えなのですから。

これは、おそらく激化する今日の部落差別の現状をまったくご存じないということだと思います。
2002年に同和対策事業特別措置法が終結してから、年々激化し噴出する部落差別。それに対して、腐敗した利権集団となって全く戦えない部落解放同盟(こえ派)。もっとも、広島県連や奈良県の一部支部など、戦っている組織もあるにはあるのですが。
岡山においてもそうですが、部落解放同盟の県連が3つに分裂してたたかいを放棄して利権争いをしているようでは差別の実態そのものが隠ぺいされてしまっているのでしょうね。
ぜひ、大阪府東大阪市荒本を訪問して、年々激化し噴出する差別の実態を知ってください。
2014/05/09(金) 08:46:17 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>私は今日では部落解放運動は不要だという考えなのですから。

これは驚くべきです。

貴殿の認識は、革マル派や社労党=マルクス主義同志会、あるいは米国で黒人解放闘争の意義を事実上否定した社会党(ユージン・V・デブス)の経済主義そのものではないですか。

あるいは、「血債主義・糾弾主義を放棄」し、「労働運動で革命やろう」といって動労千葉崇拝運動を押し付けている今日の中核派(前進)と同じともいえます。これが誤っていることは言うまでもありません。

>「宮顕指導部の議会主義への転落がもたらした」という論法だと、すべては社会ファシズム論(社民主要打撃論)に転落した第三インターの裏切りということに行き着きます。テンデ話(個別の議論)になりません。

この「社会ファシズム論(社民主要打撃論)」というのは、「人民戦線」の誤りですよね?そうじゃないと話が逆で理解できません。

>以前書いたことの繰り返しになりますが、一寸だけ書きます。差別がなくなったと言っている訳ではありません。人民内部の問題として(革命達成後も)相当長期にわたって残るでしょう。私が「部落解放運動は不要」と言っている意味は、革命運動の一環としての解放運動は終ったという意味です。だって階級敵である日本独占を打倒する戦いと解放運動がどう結合できますかねえ? 日本独占資本はその階級支配を強化するために部落差別をますます強化しますかねえ?

これは疑問のレベルではなく、事実として「階級支配を強化するために部落差別をますます強化」という現実が明白ではないですか。2002年に同和対策事業特別措置法が終了してから激化し噴出する差別。部落における労働者の非正規化・ブラック化は一般地区を大きく上回るペースで進んでいる。部落解放同盟(本部派)の一部の腐敗を利用した大差別キャンペーン。同和住宅に対する家賃値上げ・追い出し策動。長野県で起きた結婚差別を堂々と合理化した裁判所判決。ネットでの24時間365日の差別書き込み。「在特会」などのファシスト連中が、次に部落に襲いかかってくることは明白です。差別が強化され噴出している現実が見えませんか?

>それと、「こえ派」など上田卓三を最後に誰もいません。

これは党派としての「日本のこえ」を指すのではなく、部落解放同盟(機関紙「解放新聞」)の主流派を指すのですが、ややこしいので使わないほうがいいでしょうか。「こえ派」などと今でも言っているのは革労協くらいですからねえ。部落解放同盟全国連合会は「本部派」といっていますが、部落解放同盟全国連合会にも「本部」があるのだからおかしな呼び方です。そもそも「部落解放同盟全国連合会」もかなりおかしな名前ですが。

>また、上記のしょむ研さんによると、広島の解放同盟も岡山の解放同盟3派と余り変わりませんね。まだ岡山の人権連のほうが自民党と共闘しないだけマトモです。自民党と組んで資本家と戦えるんですかねえ。地域人権連も早く解散しなければなりませんが、解放同盟が残っているうちは、解散したくても出来ないでしょうね。

そんなことはないです。確かに、「オール与党」に加わるような支部もあることは事実ですが、県連レベルではそんなことはありません。それに地域人権連=日共のほうが地方自治体レベルでは悪質ですよ。兵庫県芦屋市で部落解放同盟つぶしのために自民党と市長選挙で共闘したくらいですから。芦屋市のとなりの神戸市では全解連も部落解放同盟も仲良くオール与党でしたが。
2014/05/10(土) 09:37:38 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
busayo_dicは反共でネトウヨなだけでなく、人を判断する力もありませんね。
私はbusayo_dicに日共党員と決め付けられましたよ。

>ま、その程度のオツムでキミが共産党やってるのはすでにわかってるけどなw

>典型的な痴呆系日共党員の1タイプに酷似しているんだよw?

>タイプ名 コングロマリット橿淵

ま、「ソ連が勝手に日ソ中立条約を破棄して攻めてきた」なんてほざく、戦後の国際秩序の根本から分かってない痴呆系反共がbusayo_dicですねwwwww
2014/05/10(土) 22:54:12 | URL | #- [ 編集 ]


『石田郁夫記録文学選集』は是非読まれるべきです。

『1 沖縄闘争誌 : 新たな沖縄闘争の構築へ』では、「復帰」以前の人民の闘争に触れられていますが、革マル派(「復帰」以前は沖縄マルクス主義者同盟)以外に戦闘的左翼がない、と嘆いています。沖縄社会大衆党と沖縄人民党(「復帰」後に日本共産党に合流)は「復帰を目標とする復帰統一戦線党であって、社会党のみが、一応、労働者階級に依拠する政党で平均年齢も若い」とあります。この本では触れられていませんが、沖縄人民党の背後には非公然・非合法の日本共産党琉球地方委員会があったはずなのですが、現在の党史からは抹殺されています。その理由は不明です。

『2 天皇制国家と海外侵略 : 排外主義を撃つ思想的原基』では、沖縄「返還」政策のなかに自衛隊派兵、天皇訪沖と三位一体の釣魚台略奪の本質をつかみきることを力説しています。当然のことですが、反革命の日共は「『尖閣諸島』は日本の領土だ」と堂々と公言し、元日共国会秘書の「政治将校」も釣魚台略奪を平然と支持しています。「政治将校」を見ていると、右転落には歯止めはないのだなあ…と痛感させられます。

『3 差別の重構造と階級支配 : 狭山闘争の歴史的勝利へ』では、狭山差別裁判糾弾闘争や、八鹿高校差別教育・日共のおぞましい差別扇動が糾弾されています。やはり八鹿事件は宮修の本性が最も明確に表れた事件でした。
2014/05/10(土) 14:42:12 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>旧社会党向坂協会派(現新社会党)

これは明確に間違いです。
まず戦後に社会主義協会ができて、それから1967年に太田派が分裂したのはご存じでしょう。太田派は現在では「進歩と改革研究会」(機関誌「進歩と改革」)となっています。もちろん、社民党所属です。
向坂協会派が新社会党となったわけではありません。むしろ、向坂協会派は新社会党結成の動きに後れを取り、どういう対応を取るかで分裂したのです。多数派(佐藤協会、機関誌「社会主義」)は社民党に残り、少数派(坂牛協会、機関誌「科学的社会主義」)が新社会党に参加したのです。
ただし、ごく少数ながら、佐藤協会で新社会党の人もいます。また、佐藤協会は北海道では民主党です。これは北海道では旧社会党のうち新社会党に行った部分以外がほぼ完全に民主党にいったことによります。私は北海道民主党の金田誠一衆議院議員(社会党除名)が集会に社民党・共産党とともに参加してあいさつしようとしたときに、彼からマイクを奪って「民主党のゴキブリ帰れ!」と叫んだことがあります。
社青同は分裂せず、社民党・新社会党・北海道民主党が共存しています。
2014/05/10(土) 14:56:03 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>その一つが革共同全国委員会(中核派)だということである。ただしこれには条件があった。すなわち内ゲバを中止するということであった。さいわい中核派は90年代、対革マル派、対社青同解放派のゲバをやめた。だから私は中核派を敵視しない。

古本屋通信    No833   5月4日

 継続・日本の学生運動からグラムシ、そしてトロツキーへの旅

 ひさしぶりにお二人のやり取りがあった。過去エントリーの継続だが、最新の投稿を冒頭に配置した。そのあとに過去エントリー(No778)をそのまま付けた。記憶が薄れた方は過去文から再読してください(古本屋通信)。




 元早大党員JIGENです。
 元東大民青さま。
 ご質問への返答が遅れて申し訳ありません。関連文献をあさって時間がかかりました。ご指摘の件「1912年にボルディーガが、タスカの『文化主義』とたたかった」についてです。
 タスカとは、アンジェロ・タスカ(以下、タスカ)のことだと思います。彼は1921年に、リヴォルノでイタリア共産党が社会党から分離して後、ボルディーガ、グラムシ、トリアッティらと共にイタリア共産党の幹部でした。彼は、雄弁で多才ではあるが、感情的で性急な行動が目立ち、そのために、イタリア共産党では常に少数派だったようです。 
 ご指摘の点を調べました。1912年の年号ですが、調べた範囲では、そのような事実は見当たりません。次に、年号は別にしても、ボルディーガがタスカの「文化主義」とたたかった事実も、見当たりません。調べた範囲で間違いなく言えることは、グラムシがタスカの「文化主義」とたたかったことです。
 事実関係は、以下のようになっているようです。なお、可能な限り評価は避けています。
 グラムシは、1911年にトリーノ大学文学部近代言語学科に、奨学生として入学します。このトリーノ大学でパルミーロ・トリアッティ(以下、
トリアッティ)やタスカらと出会い、親交を結ぶことになります。彼ら学生は、フィアットを中心とした工業都市であるトリーノで、強力な労働運動・社会主義運動の洗礼を受けました。
 第一次大戦後の革命的危機の時期に、彼らの手によって、社会主義理論を労働者に教化・宣伝するために、週刊誌「オルディネ・ヌオーヴォ(新しい秩序)」が発行されることになります。1919年5月1日のことです。グラムシが編集者で、タスカが資金集め係りでした。同誌の性格は、はじめは漠然としたものでした。そしてタスカは、「文化主義」を唱えました。「文化主義」の内容は判然としませんが、グラムシの酷評を借りれば、「労働者思想のがらくたを『記録』する」以上を出るものでなく、ソヴエトの萌芽をイタリアで発見しようとする意思も持たなっかたものであったようです。それに対して、グラムシは、戦時に作られた工場内部委員会(日本で言う職場委員会)に注目しました。それを、工場評議会(生産点での労働者自治機関で、プロレタリア権力の萌芽形態。ソヴエトと共通項あり)に転化させることを追求し、「オルディネ・ヌオーヴォ」誌を工場評議会運動の機関誌にすることを、目指したのです。グラムシらによりタスカの「文化主義」が退けられた結果、第7号から同誌は工場評議会運動の機関誌になりました。なお、ボルディーガは同誌を無視していたようです。(グラムシ「『オルディネ・ヌオーヴォ』の綱領」1920年。山崎功監修『グラムシ選集5』合同出版社、所収)。<まだ後があるんですが、長くなるのでここまでにしておきます。また別の機会に触れることができればやってみます。>全体としての参考文献は、河野穣『イタリア共産党史1921-1943』新評論、山崎功『イタリア労働運動史』青木書店です。後者は名著です。前者は山崎功氏から酷評されたものですが、便利です。なお、山崎功氏は、日本共産党の蔵原惟人と終生親交がありました。

2014/05/04(日) 00:21:02 | URL | JIGEN #-


 元東大民青さん
お久しぶりです。BordigaがTascaの「文化主義」と闘ったというのは、ここに出てきます。
http://www.left-dis.nl/uk/gci/gci1.pdf
At the youth congress of 1912以後のところを読んでください。"youth congress"とは社会党の青年同盟の大会でしょうか?

2014/05/04(日) 02:48:20 | URL | 元東大民青 #-



 元早大党員JIGENです。
 元東大民青さま。

 早速のご返答有難うございました。ご指摘の英文を見ました。間違いなく1912年に、ボルディーガはタスカの「文化主義」とたたかって勝利しています。1912年のthe youth congressとは、社会主義青年同盟(社会党系の青年組織)の全国大会のことです。もう一度文献を調べ直したところ、有名なフィオーり『グラムシの生涯』平凡社のP.114にサラッと触れていました。本当に、申し訳なくまた情けなく思っています。短い英文なので、翻訳を試みます。なお、このタスカとは、アンジェロ・タスカのことで、彼の「文化主義」が後にグラムシにも叩かれたのは、私が触れた通りです。なお、トロツキーの基本文献は『裏切られた革命』(岩波文庫)、『永続革命論』(現代思潮社)『スペイン革命と人民戦線』(現代思潮社)だけでよろしいでしょうか。追加があれば、ご教示ください。
2014/05/04(日) 22:28:50 | URL | JIGEN#-



 元東大民青さん
 まず、トロツキーの『裏切られた革命』は、スターリン主義論に関する古典ですから、絶対に読む必要があります。この本は、どの古典もそうであるように、大変に論争的な著作でもあります。

 トロツキーの「独自の理論」とは何か、と言われると、彼はスターリン主義を分析した最初のマルクス主義者であったがゆえに、スターリン主義批判の観点から取り上げられることが多いです。

 ただ、晩年のトロツキーには理論的後退がみられると思います。晩年のトロツキーの著作は過度に危機論的であり、第二次大戦が人類の運命を決すると考えていました。
 ここでいったん切ります。
 
 2014/05/05(月) 22:01:23 | URL | 元東大民青 #-

 元東大民青さん
とりあえずBordiga関係の史料をWikipediaから貼ります。De Clementiの著作は信頼性が高く基礎文献とされています。貴殿の知り合いにはイタリア語が読める人が多そうですから、これらの文献についての感想を聞いてください。
Andreina De Clementi, Amadeo Bordiga, Einaudi, 1971.
Onorato Damen, Bordiga, EPI, 1977.
Franco Livorsi, Amadeo Bordiga, Editori Riuniti, 1976.
Liliana Grilli, Amadeo Bordiga: capitalismo sovietico e comunismo, La Pietra, 1982.
Luigi Agnello, voce "Bordiga" nel Dizionario biografico degli italiani, vol. 34, Istituto dell'Enciclopedia italiana, 1988.
Redazione di n+1, La passione e l'algebra - Amadeo Bordiga e la scienza della rivoluzione, Quaderni di n+1, 1994.
Arturo Peregalli - Sandro Saggioro, Amadeo Bordiga 1889-1970, bibliografia completa, Colibrì, 1995.
Arturo Peregalli - Sandro Saggioro, Amadeo Bordiga, la sconfitta e gli anni oscuri, Colibrì, 1998.
Luigi Cortesi e altri, Amadeo Bordiga nella storia del comunismo, Edizioni Scientifiche Italiane, 1999.
Luigi Gerosa L'ingegnere 'fuori uso'. Vent'anni di battaglie urbanistiche di Amadeo Bordiga. Napoli 1946-1966, Fondazione Amadeo Bordiga Edizioni, 2007
Elvio Ciferri, Bordiga Amadeo and the Italian Communist Party, in «International Encyclopedia of Revolution and Protest», 2, Malden (MA), Wiley-Blakwell, 2009.

2014/05/12(月) 03:59:56 | URL |
元東大民青 #-


元早大党員です。
 元東大民青様へ。
 メールを見るのが遅くなり、申し訳ありません。トロツキーの著作を読んでみます。有難うございました。さて、ご依頼の件ですが、申し訳ありませんが受けかねます。確かに、かってはイタリア関係の研究者との接点は有りました。しかし、いろんな事情が重なり(具体的には言えません)、今は全く接点はありません。悪しからずご了承ください。しばらく、グラムシやトロツキーの文献を読んで充電したいので、ひとまず投稿を打ち切ります。
2014/05/17(土) 16:36:12 | URL | JIGEN#- #-

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 古本屋通信    No778   4月 1日

  日本の学生運動からグラムシ、そしてトロツキーへの旅


 元早大党員さんの投稿を受けて、私は No773 で [ブントとマル学同両派] を立てた。そのご元東大民青さんから投稿があり、ごらんのような経過を辿っている。はなしは私が付した原題とは違った方向に進んでいるが、今後どうなるか分からない。原題を一応「日本の学生運動からグラムシ、そしてトロツキーへの旅」と変えた。場所にここに移したのは、No773 の場所では読者の目に触れ難いからだ。私はこのやり取りを多くの読者の目に晒したい。お二人が今後どう対応をされるかは其々の自由だが、私は二人の論稿については無条件にこれを掲載する。そして私自身はこれに介入する文を書かない。また短文のコメントもしない。
 第三者の投稿についてだが、当ブログは誰かれの独占的・排他的性格を有しない。大枠は「新旧左翼ブログ」という事だけである。そういう条件に適う文は基本的に掲載したい。ただ議論の流れがあるから全く別テーマというのは交通整理させて戴くだろう。つまりお二人については私の交通整理はあり得ないが、その他の方については掲載しない場合もあり得るという事だ。そして不掲載の理由はいちいち書かない。但し別のエントリーにて復活させて戴くことはあり得る。この点を予め了解のうえ投稿いただきたい(古本屋通信)。




 早大元党員です。
 ご無沙汰しています。先日のけんか腰の投稿にもかかわらず、寛大に受け入れて頂いたことに感謝しています。今回のテーマは学生運動についてです。このテーマは、これで最後にしたいと思います。取り上げることをお許し下さい。取り上げる党派は、ブント、及び中核派・革マル派です。後者にはトラウマもありますので、部分的にのみ触れます。いわば、実感を交えた私見です。
 ブントは一人一党の性格があり、善し悪しは別にして自分の頭で考えますし、文化水準も高かったという印象を持ちました。私は、彼ら・彼女らに人間的魅力を感じました。大学周辺の酒場では、ブントの連中はモテました。逆に総スカンの状態だったのが、民青でした。ブントはその政治的ないい加減さも含めて、学生に愛されたような気がします。以上は長所です。
 問題はここからです。彼ら・彼女らの決定的な誤りは、日本の新左翼(フロントなど構造改革派は含めていません)に共通した民主主義否定論(例えば、谷川・吉本・黒田など『民主主義の神話』現代思潮社やその俗流化したもの)とレーニンの政治理論の一面的・極左的な理解に基づくゲバルト至上主義です。そして、政治的にいい加減で、簡単に日和るのも彼ら・彼女らの体質です。民青が主張する民主主義と、民青に抜きがたく存在したセクト主義・権威主義は、ブントの体質の極北です。だからブントの連中は、大学を卒業して何年たっても民青をきらっていました。この嫌悪感とゲバルト至上主義が結びつくと、民青への残忍なテロになるのでしょう。それは、勿論免罪の余地のない犯罪行為ですし、糾弾されなければなりません。それにつけても希土さん兄弟のこと、本当に気の毒に思います。当時の京大教養部がそんなひどい状態だったことは、希土さんに教わりました。加害者の一人であろう男は京大教授になり、かってグラムシ研究者の一員だった時もあります。左翼に見えれば何でもよかった、さらには、より左に見えればより良かった70年代前半の学生の気分が、残忍なテロを容認したのだ、と実感的には思っています。希土さんはその犠牲者です。もう、こんな大学の荒廃状態は、再来させてはなりません。いかなる事情があっても、反対者を暴力的に抑圧することは、民主主義に敵対するものです(立命館大の民青も同罪です)。
 中核派・革マル派については、まず、民主主義否定論とレーニンの政治理論一面的・極左的理解に基づくゲバルト至上主義(革マル派は組織温存のためにはこれをも一時的には捨てますが)はブントと共有しています。それに加えて、悪しき「前衛主義」に基づくセクト主義、「反革命」のレッテル張りが(スターリニズムとも共通します)人間不在をもたらしました。これは、複数の人から聞いた話ですが、マル学同によるテロは、ブントよりもはるかに残忍で執拗だったようです。現に殺人にまで至っています。
 いずれにせよ、いやな時代でした。学生運動がほぼ姿を消してしまった今、私たちの世代は学生運動解体への第一歩を踏んだ者として、根底的な自己批判をしなければなりません。民青も含めて武装したのは、根本的な誤りでした。理論的な原因は、レーニンの政治理論(1921年のドイツ革命敗北以後のものと、『共産主義における左翼小児病』を除く)を前提にした運動論構築にあった、と考えています。今は、エンゲルス、レーニン、スターリンになく、マルクス、グラムシに存在する「市民社会論」から物を見ようとしています。
2014/03/27(木) 23:08:00 | URL | Jigen #-


 元東大民青さんの投稿文
 Jigenさま
 はじめまして。まず一点質問ですが、

>民青が主張する民主主義と、民青に抜きがたく存在したセクト主義・権威主義は、ブントの体質の極北です。

これの意味がよくわかりません。「極北」という表現を目にしたことがないもので…

それと、私は貴殿が経験したような時代を知りません。私はブント系列の活動家を東洋大の活動家しか知らず、「彼ら・彼女らに人間的魅力を感じ」るほど知らない、というのが実情です。

また、日共民青・中核派・革マル派はカルトだと認識しています。私自信、民青高校班にいた時はカルト思考の典型的民青でしたので、カルトの発想・思考様式はわかるつもりです。

解放派については、出会ったことがほぼありません。青ヘルをみかけたことがある、という程度です。先輩から、「選挙運動で駒沢大に行くと、解放派に蹴散らされてねえ…」というような話を聞かされた程度で、実際解放派がどんな党派なのかは実感として知りません。

貴殿の、「民主主義否定論とレーニンの政治理論」や「エンゲルス、レーニン、スターリンになく、マルクス、グラムシに存在する『市民社会論』」については、私はむしろ逆の感想を持ちます。日共民青が堕落していったのは、ブルジョア民主主義に屈服したからです。あなたのおっしゃる「民主主義否定論」については、どちらかというと共感を感じます。民主主義の結果、日本の首相は誰でしょうか?「民主主義」の名のもとでどれだけの帝国主義戦争が行われ、どれだけの人々が殺されたでしょうか?

また、あなたはマルクスとエンゲルスを切り離し、エンゲルスをレーニン・スターリンに結びつける議論をしています。宇野派の降旗節雄は、「エンゲルス主義」という言葉まで使っていますし、リュベル『マルクスへ帰れ』(こぶし書房)といった著作も出ています。論争を概観するには、
Engels and the Formation of Marxism [S. H. Rigby]を読む必要があるでしょう。ただし著者が中世史の専門家であってマルクス主義の専門家ではないという点で弱さをまぬかれませんが。
このような議論は決して新しいものではなく、文献のリストをつくるだけで数日ではすまないでしょう。だからこのような議論に長々と付き合うことは避けたいですが、最小限は触れざるをえません。
このような議論には、「古典的マルクス主義者」を名乗る党派活動家は嫌悪を示す場合が多く、私も「そんなくだらない学者趣味の本を読んでるヒマがあれば、まずメーリングの『マルクス伝』や『ドイツ社会民主主義史』を読め」などと言われたものでした。確かに、『ドイツ社会民主主義史』などは、少なくとも政治的にはエンゲルスなしにマルクス主義がありえなかったことを示しています。
レーニンが理解した「マルクス主義」は、プレハーノフを通じてであり、プレハーノフはエンゲルスを通じてマルクス主義を理解したのですから、エンゲルスとレーニンを結び付けるのはあながち間違いではありません。そして、ヘーゲルをはじめ哲学を真剣に研究(『哲学ノート』)する以前のレーニンが、極めて素朴な形態の唯物論を信奉していたことは、後に観念論者として生涯を終えることになるヴァレンチノフ『知られざるレーニン』(風媒社)などの証言からも明らかです。しかし、それとスターリン主義の哲学(ミーチン主義)をそのままつなげることは、ソ連におけるデボーリンをはじめ多くのマルクス主義哲学者の論争などをまるごと無視するものでしかないでしょう。
そしてエンゲルスがスターリン主義に責任があるといった誇張された議論は、はっきりいって度を越したものであると感じます。
また、スターリンへの批判からレーニン批判へと短絡する人々もいますが、極めて事実的に不正確です。たとえば日共専従を解任され、そのことで訴訟を起こしたため除名処分となり、現在は反共主義者となっている宮地健一は、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninsinwa.htm
>レーニンの党内犯罪理論の中心の一つ〕は、「外部注入論」である。

と書いています。確かに、レーニンが、第2インタナショナルの中心的理論家だったカウツキーの影響下で、「外部注入論」を『何をなすべきか』(1902年)で展開したのは事実です。しかし、レーニンが1905年革命以後、これを繰り返さなかったのも事実です。
貴殿は、レーニンの『共産主義における左翼小児病』を高く評価されているようですが、私はそうは思いません。『共産主義における左翼小児病』も、『何をなすべきか』と同様に、当時の政治的文脈において理解しなければならない論争的パンフレットであり、マルクス主義の古典ではありません。既成左翼(「新」左翼を含む)が右翼的堕落を深めている今日(日本だけの現象ではありません)、むしろ「左翼小児病」こそが求められているのではないかと考えます。

また、

>マルクス、グラムシに存在する「市民社会論」

とおっしゃっていますが、マルクスとグラムシの間にどういう共通点があるのかを教示してもらいたいと思います。マルクスとグラムシには「市民社会論」があったがエンゲルスにはなかった、などというのはそれこそ学者の衒学趣味の議論以外のなにものでもないと思います。
私はグラムシを全面否定するものではありません。読む価値のある人物ではあると思います。しかしグラムシをマルクス主義者だったとは思いません。彼は一国社会主義論を支持したスターリン主義者でした。また、彼が獄中ノートで展開した「陣地戦・機動戦」といった概念は、右翼スターリン主義を正当化するためのものでしかない、と理解しています。グラムシは繰り返しトロツキーに中傷を加えていますが、それが彼の政治的本質を表していると考えています。

中途半端ですが貴殿に答えさせていただきました。
2014/03/28(金) 20:28:25 | URL | 元東大民青 #-



 元早大党員です。
 元東大民青さんから、質問と反論をいただきました。本来ならば全てにリプライしなければならない重要な質問と反論だとは、思います。一つ分かったことは、元東大民青さんがトロツキーを思想的立脚点にされているであろうことです。ありうる立脚点で、それはそれで尊重するつもりですし、このブログで元東大民青さんが不可欠な存在であることも、分かっているつもりです。しかし、私には「上から目線」に思われる元東大民青さんの論法(議論の中身ではありません)に、とても消耗させられるのです。投稿するたびに重い反論では、書く気力がなくなってしまいます。そこで、私は投稿をやめます。ただ、グラムシに関して一言。トリアッティ版に基づく合同版ではなく、グラムシ『獄中ノート1』大月書店、「グラムシ『獄中ノート』著作集」(刊行中)明石書店をよろしかったらご覧ください。国際的スタンダードで、トリアッティによるテーマ別の編集ではなく、グラムシの執筆順に編集されています。 JIGEN                      2014/03/30(日) 09:05:48 | URL |
Jigen #-



 元東大民青さん
 JIGENさま
返答をいただいていたことに長く気付かず申し訳ありません。

>しかし、私には「上から目線」に思われる元東大民青さんの論法(議論の中身ではありません)に、とても消耗させられるのです。

これは他の人から言われたこともあり、自戒したいと思っていることです。批判されてこそ改善できますので、できれば消耗しないで批判していただきたいものです。

>ただ、グラムシに関して一言。トリアッティ版に基づく合同版ではなく、グラムシ『獄中ノート1』大月書店、「グラムシ『獄中ノート』著作集」(刊行中)明石書店をよろしかったらご覧ください。国際的スタンダードで、トリアッティによるテーマ別の編集ではなく、グラムシの執筆順に編集されています。

率直に言いまして、私はグラムシを「読み込む」というほど読んでいません。先輩から『現代の君主』を勧められただけです。おっしゃる明石書店版獄中ノートは読んでいません。まず読むべき重要な論点をお教えください。

今後ともよろしくお願いします。
2014/03/31(月) 13:25:00 | URL | 元東大民青 #-


 元早大党員です。
 元東大民青さんへ。
 丁寧なご返答を有難うございました。こちらこそ今後とも宜しくお願いします。申し訳ありませんが最低限の論点のリプライにさせていただきます。というのは、私は持病持ちで知的生産力が極度に低下しているのです。
 グラムシに関してですが、不破哲三が大昔に一知半解のグラムシ論を発表しただけで、日本共産党は、グラムシに関しては黙殺し続けています。さりとて、切り捨てることもできないようです。新左翼(特にブント)とグラムシとの関係も微妙です。スターリンはトロッキーもグラムシも危険視しました。言えることは、二人とも公式的ではないことです。だから微妙なんでしょうか、わかりませんが。一つだけ、良くある誤解ですが、グラムシは一国社会主義論者ではありません。それに批判的です。だから、スターリンはグラムシを「トロッキスト」と扱ったようです。これは、研究者から聞いた話ですが。
 グラムシを検討されるとのこと、有難く思います。私もイタリア語の勉強が成功していませんので、翻訳やプロの研究者に依拠している状態で、どれぐらいお役に立つかわかりませんがやってみます。グラムシの基本的なカテゴリーは、国家論にかかわって市民社会とヘゲモニー、サバルタン(従属諸集団が訳語ですが、イメージ的には先住民や在日韓国・朝鮮人、さらには被差別部落住民などです。一筋縄ではいかないカテゴリーです)、知識人、コンフォルミズモ(順応主義)、アソシエーション(私の理解では、個人の横のつながりに基づく協同組織?)、有機的危機(ファシズムを経験したグラムシならではのカテゴリー)、それから難問なんですが受動的革命(革命主体なき革命。多分ファシズム論に通じます)、以上が挙げられます。グラムシに関しては、なんといっても大月版・明石書店版の編集責任者でもある松田博氏(立命館大学名誉教授)が第一人者です。私の列挙したカテゴリーを取り上げた著作としはまず、松田博『グラムシ研究の新展開』御茶ノ水書房が、高度の理論水準でありながらわかりやすいものとして推挙できます。もう一冊は、松田博『グラムシ思想の探求』新泉社です。後者は、サバルタンと受動的革命、安倍晋三批判などにページを割いています。前者は、基本カテゴリーを章別に扱っていますので、「つまみ読み」できます。次いで、小原耕一氏(松田博氏の共同研究者で、元「赤旗」ローマ特派員の経歴の人です)。それから、鈴木富久氏(桃山学院大学教授)の著作も2冊でています。いずれにしても、補助的には役立つものの、トリアッテイの編集になる合同版に依拠する時代は完全に終わりました。それから明石書店の「グラムシ『獄中ノート』著作集」は松田博氏・小原耕一氏(後者は多分)の編集・翻訳になる、グラムシ執筆順によるジェラターナ版に基づくものです。現在刊行されているのは、知識人論とサバルタン論です。今後の続刊を期待しています。今度こそ完成して欲しい、の思いです。かって、大月書店からジェラターナ版『獄中ノート』の翻訳を出す計画がありましたが、第1巻だけ翻訳されて頓挫しています。政治的理由によるものだというものを含めて、いろんな噂が飛びましたが、深入りしません。それから、構造改革論的読みから解放された学問的なグラムシ研究の記念碑的な著作は、竹村英輔『グラムシの思想』青木書店で、ジェラターナ版に依拠した最初の著作は、同じく竹村英輔『現代史におけるグラムシ』青木書店です。氏は、ご存知の通り『現代と思想』の常連執筆者で、生涯、構造改革派と一線を画しました。言わば、「講座派プラスグラムシ」の人です。それから、マルクスとグラムシの市民社会論の接点に位置するのは、私見ですが、『フランスにおける内乱』です。市民社会論は平田清明氏以来百花繚乱の観がありますが。つまらないことを、書き連ねました。何らかのお役に立てば幸いです。
 JIGN
2014/04/01(火) 00:06:44 | URL | Jigen #-


 元東大民青さん
 
 JIGEN様
>グラムシに関してですが、不破哲三が大昔に一知半解のグラムシ論を発表しただけで、

これは『史的唯物論研究』(新日本出版社1994)に収録されているものですね?

>日本共産党は、グラムシに関しては黙殺し続けています。さりとて、切り捨てることもできないようです。新左翼(特にブント)とグラムシとの関係も微妙です。スターリンはトロッキーもグラムシも危険視しました。言えることは、二人とも公式的ではないことです。

一点指摘を。「トロッキー」ではなく「トロツキー」です。
Троцкийのцは、促音(ッ)ではないです。
それと、トロツキーは、少なくともレーニン死後に「ボリシェヴィキ・レーニン主義者」と名乗るようになってからは、「レーニン主義の遺産を、スターリン主義から防衛する」ことに徹するようになり、良くも悪くも極めて「公式的」であったと思います。

『ヨーロッパとアメリカ』で、レーニンとかなり異なる帝国主義理解を示したりはしていますが。

>だから微妙なんでしょうか、わかりませんが。一つだけ、良くある誤解ですが、グラムシは一国社会主義論者ではありません。それに批判的です。だから、スターリンはグラムシを「トロッキスト」と扱ったようです。これは、研究者から聞いた話ですが。

それは事実関係としておかしいのではないでしょうか?というのは、もともとグラムシはイタリア共産党初期には党内で右翼少数派であったが、ジノヴィエフが推し進めた「コミンテルンのボリシェヴィキ化」で、ジノヴィエフ・カーメネフ・スターリンに反対するボルディガ派に代わってイタリア共産党指導部につけられたわけだからです。一国社会主義論に反対であればこのようなことはなかったはずだし、スターリンが「トロツキスト」扱いしていたのならボルディガと同様に排除されたはずではないでしょうか?

>グラムシを検討されるとのこと、有難く思います。私もイタリア語の勉強が成功していませんので、翻訳やプロの研究者に依拠している状態で、どれぐらいお役に立つかわかりませんがやってみます。グラムシの基本的なカテゴリーは、国家論にかかわって市民社会とヘゲモニー、サバルタン(従属諸集団が訳語ですが、イメージ的には先住民や在日韓国・朝鮮人、さらには被差別部落住民などです。一筋縄ではいかないカテゴリーです)、知識人、コンフォルミズモ(順応主義)、アソシエーション(私の理解では、個人の横のつながりに基づく協同組織?)、有機的危機(ファシズムを経験したグラムシならではのカテゴリー)、それから難問なんですが受動的革命(革命主体なき革命。多分ファシズム論に通じます)、以上が挙げられます。

特に知識人論、そして革命党論が重要と聞いています。

>グラムシに関しては、なんといっても大月版・明石書店版の編集責任者でもある松田博氏(立命館大学名誉教授)が第一人者です。私の列挙したカテゴリーを取り上げた著作としはまず、松田博『グラムシ研究の新展開』御茶ノ水書房が、高度の理論水準でありながらわかりやすいものとして推挙できます。もう一冊は、松田博『グラムシ思想の探求』新泉社です。後者は、サバルタンと受動的革命、安倍晋三批判などにページを割いています。前者は、基本カテゴリーを章別に扱っていますので、「つまみ読み」できます。次いで、小原耕一氏(松田博氏の共同研究者で、元「赤旗」ローマ特派員の経歴の人です)。それから、鈴木富久氏(桃山学院大学教授)の著作も2冊でています。いずれにしても、補助的には役立つものの、トリアッテイの編集になる合同版に依拠する時代は完全に終わりました。

一つ質問ですが、イタリア語が読めるはずのこれらの研究者はどうしてボルディガ派やデラ・ヴォルペを検討しないのでしょうか?後者に関しては日本以外でも研究は少ないので仕方ないかもしれませんが、ボルディガ派がアカデミズムの世界から無視されてきたのは、トロツキーと同様の政治的動機が働いていると思います。

>それから明石書店の「グラムシ『獄中ノート』著作集」は松田博氏・小原耕一氏(後者は多分)の編集・翻訳になる、グラムシ執筆順によるジェラターナ版に基づくものです。現在刊行されているのは、知識人論とサバルタン論です。今後の続刊を期待しています。今度こそ完成して欲しい、の思いです。かって、大月書店からジェラターナ版『獄中ノート』の翻訳を出す計画がありましたが、第1巻だけ翻訳されて頓挫しています。政治的理由によるものだというものを含めて、いろんな噂が飛びましたが、深入りしません。それから、構造改革論的読みから解放された学問的なグラムシ研究の記念碑的な著作は、竹村英輔『グラムシの思想』青木書店で、ジェラターナ版に依拠した最初の著作は、同じく竹村英輔『現代史におけるグラムシ』青木書店です。氏は、ご存知の通り『現代と思想』の常連執筆者で、生涯、構造改革派と一線を画しました。言わば、「講座派プラスグラムシ」の人です。それから、マルクスとグラムシの市民社会論の接点に位置するのは、私見ですが、『フランスにおける内乱』です。市民社会論は平田清明氏以来百花繚乱の観がありますが。つまらないことを、書き連ねました。何らかのお役に立てば幸いです。

いえ、竹村英輔氏の名前ははじめて聞きました。私は『現代と思想』の世代ではないのです…
『フランスにおける内乱』が書かれたのはマルクスとエンゲルスが一体となって活動していた時期であり、マルクス死後のエンゲルスについていろいろ議論はあれど、『フランスにおける内乱』に依拠して「マルクスには市民社会論があったがエンゲルスにはなかった」と主張するにはかなり無理があるのでは?
疑問ばかり書き連ねましたがお許しください。
 2014/04/01(火) 13:37:29 | URL | 元東大民青 #-


それはちょっとおかしいと思います。暴露された公安文書で、中核派と革マル派の最高指導部が密会して停戦を確認したとありましたが、それはおそらく事実でしょう。しかし人民に対する公然とした自己批判がないと話になりません。これは革マル派も同じです。『革命的暴力とは何か?』(1971)を読みましたが、革マル派は内ゲバを正当化する「理論」を構築しています。ですからいまはなりをひそめているといってもいつ復活するかわかりません。
2014/05/10(土) 23:23:16 | URL | #- [ 編集 ]
  1. 2012/07/27(金) 15:19:19|
  2. 未分類

野坂 倉庫5

古本屋通信   No 9  7月25日

 野坂 倉庫5 

 野坂のことを初めて書こうと思ったのはもう十数年まえ、除名された時だったか、死んだ時だったか、記憶は定かでない。しかし気が重く、資料を集める気さえしなかったのを憶えている。私はこの男が鬱陶しいのだ。本人が鬱陶しいだけでなく、除名されたという事実も鬱陶しい。自分の記憶だけで書く。記憶違いもあろうが。

 野坂はコミンテルンのディミトロフに手紙を書いただけだ。これだけで、何故スパイとされねばならなっかたのか。これが、なぜ山本懸蔵をスターリンに売ったことになるのか。当時コミンテルンは世界共産党であり、日本共産党もアメリカ共産党もその支部だった。野坂は日本共産党員であり、同時にコミンテルンの執行委員だった。スターリンもディミトロフも野坂の上級だった。上級に組織の成員が手紙を書くことが、その内容がどうであれ、なぜ同志を売ることになるのか。私は全く理解できない。

 次に、当時の野坂の行動が、仮に人道的に許されないものであり、それが崩壊後の旧ソ連の機密文書のファイルの中から発見されたとして、日本共産党が五十年前にさかのぼって、野坂を処分することにいかなる妥当性があるのか。五十年前にさかのぼって、だ。
 日本共産党は野坂を除名処分のすることによって、彼を議長という最高幹部に据え続けた戦後の党史を全否定することにならないか。野坂の議長はなかったことしようというのか。彼の戦後の全活動は、人民を欺いた上での活動だったので、なかったことにしようというのか。それは科学的な歴史認識といえるのか。
 私はずっとこの男をすきではなかった。1966年に一度演説会で見ただけだが、ウサンクサイものを感じた。スパイだとまでは思わなっかったが、二重人格者を感じた。私は宮本顕治を尊敬していたし、袴田里見をすきだったが、野坂を尊敬することは出来なかった。

 私の知るかぎり、野坂スパイ説を唱えたのは共産党を除名された袴田里見だった。そして皮肉なことに、それを妄想として否定し野坂を擁護したのが宮本だった。言うまでもなく、この時、野坂は党内にあり議長だった(名誉議長だったかも知れない)。袴田が正しかったことになるが、野坂除名後に袴田説の正しさにふれた党の発言はなかった。いまは三人とも死んでいる。
  
 つぎの野坂スパイ説が、加藤哲郎「コミンテルンの世界像」だったか、それとも「週刊文春」の加藤某(哲郎とは別人)だったか、記憶は定かでない。いずれもソ連・東欧の激動の1990年前後だった。 哲郎の本は高価だったので、倉敷の図書館で借りて読んだが、全体の評価はともかくこの部分には甘さを感じた。「週刊文春」の記事は野坂除名の発端になったわけだから、スクープといえばスクープだったのだろう。これを読んで赤旗記者がロシアの文書旧蔵庫に飛んだのだから。

 私の結論を書く。日本共産党は、赤旗記者をロシアに派遣したのはよいが、その調査結果は封印すべきであった。仮に公表するならば、事実の徹底検証は欠せないが、五十年の年月を経てそんなことができるはずもない。現行法にも「時効」の制度がある。関係者が全て死亡、唯一の生存者が野坂本人、証拠が外国語の文書だけ。とうてい断罪するには無理がある。
 
 このとき野坂は生きていた。生きていたことが不幸だった。死んでいたら「週刊文春」は書なかっただろう。では、赤旗はどうだったろうか。やはり書かなかっただろう。でも、歴史上の事実は曲げられないという今回の立場を貫くなら、書ねばなならなかっただろう。

 最後に。これは、資料を見たひとの話ではなく、見たひとから話を聞いた人の話だが、片山潜が野坂と同じような手紙を書いたという話がある。久米南町の片山潜の碑はどうなるんだろうか。これについても、私の結論を書いておきたい。碑など作るのがそもそも間違いだったのだ。

 この項、たったこれだけ書いただけで疲れた。もう野坂のことは、二度と書かない。



古本屋通信     No734  3月04日

  友人、同志、党中党


 引き続いてことばについて、自説を展開する。ネチネチやる。こういうのが一番きらわれるし、とうぜん拍手もない。然し私がもっとも得意とする分野だ。ことばといっても、それを文学的に、あるいは哲学的に語るつもりはない。修辞学的議論は私のもっとも苦手とするところだ。出来るだけ下品にやりたい。ふたたび武田英夫の一文をたたき台にする。

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 参考転載

 一つの出版賞、一つの新人賞、一つの文学賞

  
2013年6月 2日   武田英夫  いのしし日記

 私の友人の「お祝い」が続いています。
一つは、先輩の中元輝夫さんの「海の墓標 父の最期の地ベトナムへ」が自費出版コンクールの「個人誌」部門の最優秀賞を受賞し、その祝賀会がありました。
この本はノンフィクションで、中元さん66年かけてお父さんが戦死したベトナムの海を捜し出し、そこを訪ねて慰霊するという物語です。

もう一つは、友人の笹本敦史さんの小説「ユニオン」が、日本民主主義文学会の民主文学新人賞を受賞しました。生協の配送請負会社で働く若者たちの実態と組合づくりを描いたものです。

さらにもう一つは、友人の三つ木茂さんの「伯備線の女ー断腸亭異聞」が、内田百閒文学賞優秀賞を受賞しています。終戦間際に勝山に疎開していた谷崎潤一郎夫婦と岡山市三門に疎開していた永井荷風の交友を描いたものです。

その内容の紹介は省きますが、それぞれの本からあらためて「本の大切さ」を感じいっています。

読書量は人に負けないと思いますが、近年目がしんどくなり活字を追うのが苦になっています。「それでも本を読みたい」と意欲を掻き立てられる友人の受賞でした。感謝。
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 古本屋通信


 この武田文は「No732 友人という言葉」の引用と同一であるので、重複しないように書きたい (何処からどう見ても、文句の付けようのないである。文学的に、あるいは哲学的に、あるいは修辞学的に。だからスッと入ってくる。これにケチをつけるほうが、何か個人的な恨みでもあるのではないかと、好奇の目で見られる)。

 この文を、一般的な国語理解で読むなら何の問題もない。しかし一般的な国語理解で読む読み手は、こういう特殊な世界を理解する点において読み手として完全失格なのだ。それは書き手の武田、そして書かれている中元、笹本、三木のそれぞれ、いずれをも理解できないという一点で完全失格なのだ。

 結論をさきに書いておこう。これは党文献として、上記四人全員を日本共産党員と断じたうえで読まないと必ず誤読する。しかしこういう断定は (ごく初歩的な知識で可能なのだが) ネット上でないと不可能である。だから実在空間で武田のようなペテン師がびゃっこする事になる。


 まず武田は中元、笹本、三。木それぞれの受賞をどういう経緯あるいは経路で知ることになったのだろうか。すでにここにペテンがある。注意されよ。こういう賞の受賞を知るのは、①知人友人の場合は本人から知らされる。②新聞等の媒体発表を見て知る。

 武田の場合、其々との関係が先輩後輩の関係、友人関係だというから、直接本人から受賞の連絡が電話であったのだろうか。それとも祝いの会の案内が届いたのであろうか。或いはそういうこともあろうから、保留にしておく。



>これは疑問です。岡大理学部教授はセンター数学など何の参考にもならないと言っています。岡大クラスでも満点をとってあたりまえ、足切りにしか使えないそうです。

これなんですが、正直いって意外でした。もしかすると日本の受験制度の特異さをご存じないのでしょうか?

大学入学はだいたい次の3つにわけられるでしょう。

1. 無試験で希望者全入
2. 資格試験的な試験を行う
3. 競争試験的な試験を行う

となります。1は大学進学率の低い国で主に行われています。日本でも東京理科大学の前身であった東京物理学校(夏目漱石『坊っちゃん』の主人公が学んだ学校)は無試験であり、入学させてから厳しく勉強させる方式でした。
2が大多数の国に当てはまります。日本で言えばセンター試験のような試験を行い、一定の基準に達した者を合格とする方法です。一定の基準に達している希望者が定員を上回っている場合は、面接や志願理由書などで選抜します。日本は戦後は米国の教育制度の影響を強く受けてきましたが、米国は基本的にこの方式です。またフランスでもバカロレア合格でどの大学にも入れます。官僚や政治家を多く輩出する国立行政学院(ENA)などのいわゆる「グランゼコール」の場合は、大学を優秀な成績で修了することが求められます。
3の方式を取っているのは基本的に日本くらいのようです。聞くところによると、かつてはユーゴスラヴィアもそうだったらしいのですが、連邦解体以後はどうなっているのかわかりません。

それで、「岡大理学部教授はセンター数学など何の参考にもならないと言ってい」るそうですが、それで何も問題はないのです。なぜなら、大学入試というのは大学での学習についていける基礎学力があるかどうかを試すだけでいいからです。ですから、高校の教科書の章末問題が解ければ十分であり、あとは大学できちんと学習すればよいのです。
東大理系入試の数学には良問が多いとされ、『東大入試問題で数学的思考を磨く本』というのも出ています。しかし、日本の難関大のような難しい数学は日本にしか存在しないのです。米国で一番入学難易度が高いMITに、桜蔭(東京の名門女子校)から合格者が出たと話題になりましたが、MITだって個別の学力試験はやっていません。学力試験は日本で言えばセンター試験にあたるSATだけなのです。そしてSATの数学のレベルは日本のセンター試験より簡単なのです。それでも米国は科学技術で後れを取っているわけではないので、はっきり言って受験数学など無意味なのです。
日本の数学教育が歪んでいるのは無意味な受験数学が大きな原因です。数学は基礎から考え理解することが大切なのに、受験数学のせいで、いわゆる進学校では「標準問題を練習して解法を覚える」という、大学に入ってから何の役にも立たない数学の授業が行われているのです。
2014/03/26(水) 18:20:26 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>脳死・臓器移植に関しては党の立場が決定されていないようで、両論併記ということもありました。

これで思いだしたことがあったのですが、確かチェルノブイリ原発事故の後に、脱原発派の団体が発行した書籍(名前は忘れてしまいました)に、国会議員全員へのアンケートがありました。その中で、日共以外はすべて議員個々人からの回答でした(もちろん無回答の議員も多くいました)が、日共だけは、矢島恒夫が党国会議員団の原子力・エネルギー政策の責任者ということで、矢島恒夫が代表して回答し、他の議員はすべて「矢島恒夫に同じ」と回答していました。それを見て、私は不思議には思いませんでした。重要政策について公然と討論が行われてもいいですが、国会議員団というのはあくまで党中央委員会の指導下にあって党の立場を代弁する存在であるから、議員個人の立場を答えないというのは自然なことと思ったのです。
しかし、おそらく「共産党議員は個人の考えを持つことが許されないのか」という感想を持った人も多かったらしく、それ以後に出た同じような本では、議員個人が回答しています。
2014/03/27(木) 23:23:24 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


貴殿の感想は私にとってかなり意外でした。貴殿の以前の書き込みを読むと、貴殿が官僚的手段で事実上党から追放されてから深まっていった議会・選挙主義に批判的だったにも関らず、選挙に参加することを当然と考えておられることが意外だったのです。
私は、選挙に参加するのは特別に意味がある場合だけでいいと思います。そうでなければ、現在の日共のように、選挙が自己目的化してしまいます。そのため、経営支部の党員は居住支部でも活動する義務があると言う風に党組織自体が選挙団体へと変質してしまいます。それどころか、影響下の労働組合や大衆団体にも、選挙区に合わせた組織に変更することを求めるように、本末転倒なことが起きてしまいます。
今回の大阪市長選に対してどういう立場で臨むべきだったかどうかは分かりません。大阪市の政治状況に詳しくないですから。維新以外の主要政党が候補者を擁立しないのなら、日共は候補者を出してハシズム攻撃に専念するのもありだったかもしれません。

ただ、貴殿のおっしゃる「コレ大阪の共産党の解体宣言である。」というのには賛成します。大阪に限らず、京都府城陽市や兵庫県神戸市・芦屋市などで「保守との共同」を行ってきたのは「共産党の解体」につながってきました。

それに首長選挙で、他党との共闘が成立しない場合、日共は自前の候補を立てるわけですが、党員を無所属で立候補させるのはどうかと思います。
他党派との共同で立候補させるのなら、確認団体を作りその団体の公認で立候補すべきです。独自候補なら党公認にすべきです。
2014/03/27(木) 23:14:10 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


Jigenさま

はじめまして。まず一点質問ですが、

>民青が主張する民主主義と、民青に抜きがたく存在したセクト主義・権威主義は、ブントの体質の極北です。

これの意味がよくわかりません。「極北」という表現を目にしたことがないもので…

それと、私は貴殿が経験したような時代を知りません。私はブント系列の活動家を東洋大の活動家しか知らず、「彼ら・彼女らに人間的魅力を感じ」るほど知らない、というのが実情です。

また、日共民青・中核派・革マル派はカルトだと認識しています。私自信、民青高校班にいた時はカルト思考の典型的民青でしたので、カルトの発想・思考様式はわかるつもりです。

解放派については、出会ったことがほぼありません。青ヘルをみかけたことがある、という程度です。先輩から、「選挙運動で駒沢大に行くと、解放派に蹴散らされてねえ…」というような話を聞かされた程度で、実際解放派がどんな党派なのかは実感として知りません。

貴殿の、「民主主義否定論とレーニンの政治理論」や「エンゲルス、レーニン、スターリンになく、マルクス、グラムシに存在する『市民社会論』」については、私はむしろ逆の感想を持ちます。日共民青が堕落していったのは、ブルジョア民主主義に屈服したからです。あなたのおっしゃる「民主主義否定論」については、どちらかというと共感を感じます。民主主義の結果、日本の首相は誰でしょうか?「民主主義」の名のもとでどれだけの帝国主義戦争が行われ、どれだけの人々が殺されたでしょうか?

また、あなたはマルクスとエンゲルスを切り離し、エンゲルスをレーニン・スターリンに結びつける議論をしています。宇野派の降旗節雄は、「エンゲルス主義」という言葉まで使っていますし、リュベル『マルクスへ帰れ』(こぶし書房)といった著作も出ています。論争を概観するには、
Engels and the Formation of Marxism [S. H. Rigby]を読む必要があるでしょう。ただし著者が中世史の専門家であってマルクス主義の専門家ではないという点で弱さをまぬかれませんが。
このような議論は決して新しいものではなく、文献のリストをつくるだけで数日ではすまないでしょう。だからこのような議論に長々と付き合うことは避けたいですが、最小限は触れざるをえません。
このような議論には、「古典的マルクス主義者」を名乗る党派活動家は嫌悪を示す場合が多く、私も「そんなくだらない学者趣味の本を読んでるヒマがあれば、まずメーリングの『マルクス伝』や『ドイツ社会民主主義史』を読め」などと言われたものでした。確かに、『ドイツ社会民主主義史』などは、少なくとも政治的にはエンゲルスなしにマルクス主義がありえなかったことを示しています。
レーニンが理解した「マルクス主義」は、プレハーノフを通じてであり、プレハーノフはエンゲルスを通じてマルクス主義を理解したのですから、エンゲルスとレーニンを結び付けるのはあながち間違いではありません。そして、ヘーゲルをはじめ哲学を真剣に研究(『哲学ノート』)する以前のレーニンが、極めて素朴な形態の唯物論を信奉していたことは、後に観念論者として生涯を終えることになるヴァレンチノフ『知られざるレーニン』(風媒社)などの証言からも明らかです。しかし、それとスターリン主義の哲学(ミーチン主義)をそのままつなげることは、ソ連におけるデボーリンをはじめ多くのマルクス主義哲学者の論争などをまるごと無視するものでしかないでしょう。
そしてエンゲルスがスターリン主義に責任があるといった誇張された議論は、はっきりいって度を越したものであると感じます。
また、スターリンへの批判からレーニン批判へと短絡する人々もいますが、極めて事実的に不正確です。たとえば日共専従を解任され、そのことで訴訟を起こしたため除名処分となり、現在は反共主義者となっている宮地健一は、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninsinwa.htm
>レーニンの党内犯罪理論の中心の一つ〕は、「外部注入論」である。

と書いています。確かに、レーニンが、第2インタナショナルの中心的理論家だったカウツキーの影響下で、「外部注入論」を『何をなすべきか』(1902年)で展開したのは事実です。しかし、レーニンが1905年革命以後、これを繰り返さなかったのも事実です。

貴殿は、レーニンの『共産主義における左翼小児病』を高く評価されているようですが、私はそうは思いません。『共産主義における左翼小児病』も、『何をなすべきか』と同様に、当時の政治的文脈において理解しなければならない論争的パンフレットであり、マルクス主義の古典ではありません。既成左翼(「新」左翼を含む)が右翼的堕落を深めている今日(日本だけの現象ではありません)、むしろ「左翼小児病」こそが求められているのではないかと考えます。

また、

>マルクス、グラムシに存在する「市民社会論」

とおっしゃっていますが、マルクスとグラムシの間にどういう共通点があるのかを教示してもらいたいと思います。マルクスとグラムシには「市民社会論」があったがエンゲルスにはなかった、などというのはそれこそ学者の衒学趣味の議論以外のなにものでもないと思います。
私はグラムシを全面否定するものではありません。読む価値のある人物ではあると思います。しかしグラムシをマルクス主義者だったとは思いません。彼は一国社会主義論を支持したスターリン主義者でした。また、彼が獄中ノートで展開した「陣地戦・機動戦」といった概念は、右翼スターリン主義を正当化するためのものでしかない、と理解しています。グラムシは繰り返しトロツキーに中傷を加えていますが、それが彼の政治的本質を表していると考えています。

中途半端ですが貴殿に答えさせていただきました。
2014/03/28(金) 20:28:25 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


JIGENさま

返答をいただいていたことに長く気付かず申し訳ありません。

>しかし、私には「上から目線」に思われる元東大民青さんの論法(議論の中身ではありません)に、とても消耗させられるのです。

これは他の人から言われたこともあり、自戒したいと思っていることです。批判されてこそ改善できますので、できれば消耗しないで批判していただきたいものです。

>ただ、グラムシに関して一言。トリアッティ版に基づく合同版ではなく、グラムシ『獄中ノート1』大月書店、「グラムシ『獄中ノート』著作集」(刊行中)明石書店をよろしかったらご覧ください。国際的スタンダードで、トリアッティによるテーマ別の編集ではなく、グラムシの執筆順に編集されています。

率直に言いまして、私はグラムシを「読み込む」というほど読んでいません。先輩から『現代の君主』を勧められただけです。おっしゃる明石書店版獄中ノートは読んでいません。まず読むべき重要な論点をお教えください。

今後ともよろしくお願いします。
2014/03/31(月) 13:25:00 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
    元早大党員です。
 元東大民青さんへ。
 丁寧なご返答を有難うございました。こちらこそ今後とも宜しくお願いします。申し訳ありませんが最低限の論点のリプライにさせていただきます。というのは、私は持病持ちで知的生産力が極度に低下しているのです。
 グラムシに関してですが、不破哲三が大昔に一知半解のグラムシ論を発表しただけで、日本共産党は、グラムシに関しては黙殺し続けています。さりとて、切り捨てることもできないようです。新左翼(特にブント)とグラムシとの関係も微妙です。スターリンはトロッキーもグラムシも危険視しました。言えることは、二人とも公式的ではないことです。だから微妙なんでしょうか、わかりませんが。一つだけ、良くある誤解ですが、グラムシは一国社会主義論者ではありません。それに批判的です。だから、スターリンはグラムシを「トロッキスト」と扱ったようです。これは、研究者から聞いた話ですが。
 グラムシを検討されるとのこと、有難く思います。私もイタリア語の勉強が成功していませんので、翻訳やプロの研究者に依拠している状態で、どれぐらいお役に立つかわかりませんがやってみます。グラムシの基本的なカテゴリーは、国家論にかかわって市民社会とヘゲモニー、サバルタン(従属諸集団が訳語ですが、イメージ的には先住民や在日韓国・朝鮮人、さらには被差別部落住民などです。一筋縄ではいかないカテゴリーです)、知識人、コンフォルミズモ(順応主義)、アソシエーション(私の理解では、個人の横のつながりに基づく協同組織?)、有機的危機(ファシズムを経験したグラムシならではのカテゴリー)、それから難問なんですが受動的革命(革命主体なき革命。多分ファシズム論に通じます)、以上が挙げられます。グラムシに関しては、なんといっても大月版・明石書店版の編集責任者でもある松田博氏(立命館大学名誉教授)が第一人者です。私の列挙したカテゴリーを取り上げた著作としはまず、松田博『グラムシ研究の新展開』御茶ノ水書房が、高度の理論水準でありながらわかりやすいものとして推挙できます。もう一冊は、松田博『グラムシ思想の探求』新泉社です。後者は、サバルタンと受動的革命、安倍晋三批判などにページを割いています。前者は、基本カテゴリーを章別に扱っていますので、「つまみ読み」できます。次いで、小原耕一氏(松田博氏の共同研究者で、元「赤旗」ローマ特派員の経歴の人です)。それから、鈴木富久氏(桃山学院大学教授)の著作も2冊でています。いずれにしても、補助的には役立つものの、トリアッテイの編集になる合同版に依拠する時代は完全に終わりました。それから明石書店の「グラムシ『獄中ノート』著作集」は松田博氏・小原耕一氏(後者は多分)の編集・翻訳になる、グラムシ執筆順によるジェラターナ版に基づくものです。現在刊行されているのは、知識人論とサバルタン論です。今後の続刊を期待しています。今度こそ完成して欲しい、の思いです。かって、大月書店からジェラターナ版『獄中ノート』の翻訳を出す計画がありましたが、第1巻だけ翻訳されて頓挫しています。政治的理由によるものだというものを含めて、いろんな噂が飛びましたが、深入りしません。それから、構造改革論的読みから解放された学問的なグラムシ研究の記念碑的な著作は、竹村英輔『グラムシの思想』青木書店で、ジェラターナ版に依拠した最初の著作は、同じく竹村英輔『現代史におけるグラムシ』青木書店です。氏は、ご存知の通り『現代と思想』の常連執筆者で、生涯、構造改革派と一線を画しました。言わば、「講座派プラスグラムシ」の人です。それから、マルクスとグラムシの市民社会論の接点に位置するのは、私見ですが、『フランスにおける内乱』です。市民社会論は平田清明氏以来百花繚乱の観がありますが。つまらないことを、書き連ねました。何らかのお役に立てば幸いです。
 JIGN
2014/04/01(火) 00:06:44 | URL | Jigen #- [ 編集 ]


古本屋通信    No773   3月28日

 ブントとマル学同両派



 
元早大党員さんから2度目の投稿がありました.全文を貼ります。なんらかのコメントや注釈を必要としない文です。この文に関する投稿は勿論構いませんが、並列的な扱いとさせていただきます。異論や異説をもって討論する内容の文ではなく、実感を述べられた文だということです(古本屋通信)。


 早大元党員です。
 ご無沙汰しています。先日のけんか腰の投稿にもかかわらず、寛大に受け入れて頂いたことに感謝しています。今回のテーマは学生運動についてです。このテーマは、これで最後にしたいと思います。取り上げることをお許し下さい。取り上げる党派は、ブント、及び中核派・革マル派です。後者にはトラウマもありますので、部分的にのみ触れます。いわば、実感を交えた私見です。
 ブントは一人一党の性格があり、善し悪しは別にして自分の頭で考えますし、文化水準も高かったという印象を持ちました。私は、彼ら・彼女らに人間的魅力を感じました。大学周辺の酒場では、ブントの連中はモテました。逆に総スカンの状態だったのが、民青でした。ブントはその政治的ないい加減さも含めて、学生に愛されたような気がします。以上は長所です。
 問題はここからです。彼ら・彼女らの決定的な誤りは、日本の新左翼(フロントなど構造改革派は含めていません)に共通した民主主義否定論(例えば、谷川・吉本・黒田など『民主主義の神話』現代思潮社やその俗流化したもの)とレーニンの政治理論の一面的・極左的な理解に基づくゲバルト至上主義です。そして、政治的にいい加減で、簡単に日和るのも彼ら・彼女らの体質です。民青が主張する民主主義と、民青に抜きがたく存在したセクト主義・権威主義は、ブントの体質の極北です。だからブントの連中は、大学を卒業して何年たっても民青をきらっていました。この嫌悪感とゲバルト至上主義が結びつくと、民青への残忍なテロになるのでしょう。それは、勿論免罪の余地のない犯罪行為ですし、糾弾されなければなりません。それにつけても希土さん兄弟のこと、本当に気の毒に思います。当時の京大教養部がそんなひどい状態だったことは、希土さんに教わりました。加害者の一人であろう男は京大教授になり、かってグラムシ研究者の一員だった時もあります。左翼に見えれば何でもよかった、さらには、より左に見えればより良かった70年代前半の学生の気分が、残忍なテロを容認したのだ、と実感的には思っています。希土さんはその犠牲者です。もう、こんな大学の荒廃状態は、再来させてはなりません。いかなる事情があっても、反対者を暴力的に抑圧することは、民主主義に敵対するものです(立命館大の民青も同罪です)。
 中核派・革マル派については、まず、民主主義否定論とレーニンの政治理論一面的・極左的理解に基づくゲバルト至上主義(革マル派は組織温存のためにはこれをも一時的には捨てますが)はブントと共有しています。それに加えて、悪しき「前衛主義」に基づくセクト主義、「反革命」のレッテル張りが(スターリニズムとも共通します)人間不在をもたらしました。これは、複数の人から聞いた話ですが、マル学同によるテロは、ブントよりもはるかに残忍で執拗だったようです。現に殺人にまで至っています。
 いずれにせよ、いやな時代でした。学生運動がほぼ姿を消してしまった今、私たちの世代は学生運動解体への第一歩を踏んだ者として、根底的な自己批判をしなければなりません。民青も含めて武装したのは、根本的な誤りでした。理論的な原因は、レーニンの政治理論(1921年のドイツ革命敗北以後のものと、『共産主義における左翼小児病』を除く)を前提にした運動論構築にあった、と考えています。今は、エンゲルス、レーニン、スターリンになく、マルクス、グラムシに存在する「市民社会論」から物を見ようとしています。
2014/03/27(木) 23:08:00 | URL | Jigen #-


 元東大民青さんの投稿文
Jigenさま
はじめまして。まず一点質問ですが、

>民青が主張する民主主義と、民青に抜きがたく存在したセクト主義・権威主義は、ブントの体質の極北です。

これの意味がよくわかりません。「極北」という表現を目にしたことがないもので…

それと、私は貴殿が経験したような時代を知りません。私はブント系列の活動家を東洋大の活動家しか知らず、「彼ら・彼女らに人間的魅力を感じ」るほど知らない、というのが実情です。

また、日共民青・中核派・革マル派はカルトだと認識しています。私自信、民青高校班にいた時はカルト思考の典型的民青でしたので、カルトの発想・思考様式はわかるつもりです。

解放派については、出会ったことがほぼありません。青ヘルをみかけたことがある、という程度です。先輩から、「選挙運動で駒沢大に行くと、解放派に蹴散らされてねえ…」というような話を聞かされた程度で、実際解放派がどんな党派なのかは実感として知りません。

貴殿の、「民主主義否定論とレーニンの政治理論」や「エンゲルス、レーニン、スターリンになく、マルクス、グラムシに存在する『市民社会論』」については、私はむしろ逆の感想を持ちます。日共民青が堕落していったのは、ブルジョア民主主義に屈服したからです。あなたのおっしゃる「民主主義否定論」については、どちらかというと共感を感じます。民主主義の結果、日本の首相は誰でしょうか?「民主主義」の名のもとでどれだけの帝国主義戦争が行われ、どれだけの人々が殺されたでしょうか?

また、あなたはマルクスとエンゲルスを切り離し、エンゲルスをレーニン・スターリンに結びつける議論をしています。宇野派の降旗節雄は、「エンゲルス主義」という言葉まで使っていますし、リュベル『マルクスへ帰れ』(こぶし書房)といった著作も出ています。論争を概観するには、
Engels and the Formation of Marxism [S. H. Rigby]を読む必要があるでしょう。ただし著者が中世史の専門家であってマルクス主義の専門家ではないという点で弱さをまぬかれませんが。
このような議論は決して新しいものではなく、文献のリストをつくるだけで数日ではすまないでしょう。だからこのような議論に長々と付き合うことは避けたいですが、最小限は触れざるをえません。
このような議論には、「古典的マルクス主義者」を名乗る党派活動家は嫌悪を示す場合が多く、私も「そんなくだらない学者趣味の本を読んでるヒマがあれば、まずメーリングの『マルクス伝』や『ドイツ社会民主主義史』を読め」などと言われたものでした。確かに、『ドイツ社会民主主義史』などは、少なくとも政治的にはエンゲルスなしにマルクス主義がありえなかったことを示しています。
レーニンが理解した「マルクス主義」は、プレハーノフを通じてであり、プレハーノフはエンゲルスを通じてマルクス主義を理解したのですから、エンゲルスとレーニンを結び付けるのはあながち間違いではありません。そして、ヘーゲルをはじめ哲学を真剣に研究(『哲学ノート』)する以前のレーニンが、極めて素朴な形態の唯物論を信奉していたことは、後に観念論者として生涯を終えることになるヴァレンチノフ『知られざるレーニン』(風媒社)などの証言からも明らかです。しかし、それとスターリン主義の哲学(ミーチン主義)をそのままつなげることは、ソ連におけるデボーリンをはじめ多くのマルクス主義哲学者の論争などをまるごと無視するものでしかないでしょう。
そしてエンゲルスがスターリン主義に責任があるといった誇張された議論は、はっきりいって度を越したものであると感じます。
また、スターリンへの批判からレーニン批判へと短絡する人々もいますが、極めて事実的に不正確です。たとえば日共専従を解任され、そのことで訴訟を起こしたため除名処分となり、現在は反共主義者となっている宮地健一は、
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/leninsinwa.htm
>レーニンの党内犯罪理論の中心の一つ〕は、「外部注入論」である。

と書いています。確かに、レーニンが、第2インタナショナルの中心的理論家だったカウツキーの影響下で、「外部注入論」を『何をなすべきか』(1902年)で展開したのは事実です。しかし、レーニンが1905年革命以後、これを繰り返さなかったのも事実です。
貴殿は、レーニンの『共産主義における左翼小児病』を高く評価されているようですが、私はそうは思いません。『共産主義における左翼小児病』も、『何をなすべきか』と同様に、当時の政治的文脈において理解しなければならない論争的パンフレットであり、マルクス主義の古典ではありません。既成左翼(「新」左翼を含む)が右翼的堕落を深めている今日(日本だけの現象ではありません)、むしろ「左翼小児病」こそが求められているのではないかと考えます。

また、

>マルクス、グラムシに存在する「市民社会論」

とおっしゃっていますが、マルクスとグラムシの間にどういう共通点があるのかを教示してもらいたいと思います。マルクスとグラムシには「市民社会論」があったがエンゲルスにはなかった、などというのはそれこそ学者の衒学趣味の議論以外のなにものでもないと思います。
私はグラムシを全面否定するものではありません。読む価値のある人物ではあると思います。しかしグラムシをマルクス主義者だったとは思いません。彼は一国社会主義論を支持したスターリン主義者でした。また、彼が獄中ノートで展開した「陣地戦・機動戦」といった概念は、右翼スターリン主義を正当化するためのものでしかない、と理解しています。グラムシは繰り返しトロツキーに中傷を加えていますが、それが彼の政治的本質を表していると考えています。

中途半端ですが貴殿に答えさせていただきました。
2014/03/28(金) 20:28:25 | URL | 元東大民青 #-



 元早大党員です。
 元東大民青さんから、質問と反論をいただきました。本来ならば全てにリプライしなければならない重要な質問と反論だとは、思います。一つ分かったことは、元東大民青さんがトロツキーを思想的立脚点にされているであろうことです。ありうる立脚点で、それはそれで尊重するつもりですし、このブログで元東大民青さんが不可欠な存在であることも、分かっているつもりです。しかし、私には「上から目線」に思われる元東大民青さんの論法(議論の中身ではありません)に、とても消耗させられるのです。投稿するたびに重い反論では、書く気力がなくなってしまいます。そこで、私は投稿をやめます。ただ、グラムシに関して一言。トリアッティ版に基づく合同版ではなく、グラムシ『獄中ノート1』大月書店、「グラムシ『獄中ノート』著作集」(刊行中)明石書店をよろしかったらご覧ください。国際的スタンダードで、トリアッティによるテーマ別の編集ではなく、グラムシの執筆順に編集されています。 JIGEN                      2014/03/30(日) 09:05:48 | URL |
Jigen #-



元東大民青さんの再投稿文
JIGENさま

返答をいただいていたことに長く気付かず申し訳ありません。

>しかし、私には「上から目線」に思われる元東大民青さんの論法(議論の中身ではありません)に、とても消耗させられるのです。

これは他の人から言われたこともあり、自戒したいと思っていることです。批判されてこそ改善できますので、できれば消耗しないで批判していただきたいものです。

>ただ、グラムシに関して一言。トリアッティ版に基づく合同版ではなく、グラムシ『獄中ノート1』大月書店、「グラムシ『獄中ノート』著作集」(刊行中)明石書店をよろしかったらご覧ください。国際的スタンダードで、トリアッティによるテーマ別の編集ではなく、グラムシの執筆順に編集されています。

率直に言いまして、私はグラムシを「読み込む」というほど読んでいません。先輩から『現代の君主』を勧められただけです。おっしゃる明石書店版獄中ノートは読んでいません。まず読むべき重要な論点をお教えください。

今後ともよろしくお願いします。
2014/03/31(月) 13:25:00 | URL | 元東大民青 #-


 元早大党員です。
 元東大民青さんへ。

 丁寧なご返答を有難うございました。こちらこそ今後とも宜しくお願いします。申し訳ありませんが最低限の論点のリプライにさせていただきます。というのは、私は持病持ちで知的生産力が極度に低下しているのです。
 グラムシに関してですが、不破哲三が大昔に一知半解のグラムシ論を発表しただけで、日本共産党は、グラムシに関しては黙殺し続けています。さりとて、切り捨てることもできないようです。新左翼(特にブント)とグラムシとの関係も微妙です。スターリンはトロッキーもグラムシも危険視しました。言えることは、二人とも公式的ではないことです。だから微妙なんでしょうか、わかりませんが。一つだけ、良くある誤解ですが、グラムシは一国社会主義論者ではありません。それに批判的です。だから、スターリンはグラムシを「トロッキスト」と扱ったようです。これは、研究者から聞いた話ですが。
 グラムシを検討されるとのこと、有難く思います。私もイタリア語の勉強が成功していませんので、翻訳やプロの研究者に依拠している状態で、どれぐらいお役に立つかわかりませんがやってみます。グラムシの基本的なカテゴリーは、国家論にかかわって市民社会とヘゲモニー、サバルタン(従属諸集団が訳語ですが、イメージ的には先住民や在日韓国・朝鮮人、さらには被差別部落住民などです。一筋縄ではいかないカテゴリーです)、知識人、コンフォルミズモ(順応主義)、アソシエーション(私の理解では、個人の横のつながりに基づく協同組織?)、有機的危機(ファシズムを経験したグラムシならではのカテゴリー)、それから難問なんですが受動的革命(革命主体なき革命。多分ファシズム論に通じます)、以上が挙げられます。グラムシに関しては、なんといっても大月版・明石書店版の編集責任者でもある松田博氏(立命館大学名誉教授)が第一人者です。私の列挙したカテゴリーを取り上げた著作としはまず、松田博『グラムシ研究の新展開』御茶ノ水書房が、高度の理論水準でありながらわかりやすいものとして推挙できます。もう一冊は、松田博『グラムシ思想の探求』新泉社です。後者は、サバルタンと受動的革命、安倍晋三批判などにページを割いています。前者は、基本カテゴリーを章別に扱っていますので、「つまみ読み」できます。次いで、小原耕一氏(松田博氏の共同研究者で、元「赤旗」ローマ特派員の経歴の人です)。それから、鈴木富久氏(桃山学院大学教授)の著作も2冊でています。いずれにしても、補助的には役立つものの、トリアッテイの編集になる合同版に依拠する時代は完全に終わりました。それから明石書店の「グラムシ『獄中ノート』著作集」は松田博氏・小原耕一氏(後者は多分)の編集・翻訳になる、グラムシ執筆順によるジェラターナ版に基づくものです。現在刊行されているのは、知識人論とサバルタン論です。今後の続刊を期待しています。今度こそ完成して欲しい、の思いです。かって、大月書店からジェラターナ版『獄中ノート』の翻訳を出す計画がありましたが、第1巻だけ翻訳されて頓挫しています。政治的理由によるものだというものを含めて、いろんな噂が飛びましたが、深入りしません。それから、構造改革論的読みから解放された学問的なグラムシ研究の記念碑的な著作は、竹村英輔『グラムシの思想』青木書店で、ジェラターナ版に依拠した最初の著作は、同じく竹村英輔『現代史におけるグラムシ』青木書店です。氏は、ご存知の通り『現代と思想』の常連執筆者で、生涯、構造改革派と一線を画しました。言わば、「講座派プラスグラムシ」の人です。それから、マルクスとグラムシの市民社会論の接点に位置するのは、私見ですが、『フランスにおける内乱』です。市民社会論は平田清明氏以来百花繚乱の観がありますが。つまらないことを、書き連ねました。何らかのお役に立てば幸いです。
 JIGN
2014/04/01(火) 00:06:44 | URL | Jigen #-


古本屋通信    No789   4月 8日

  
検証・かわかみよしこ


 かわかみよしこ『詩集 流れ橋』 (詩人会議出版 2004年)から 「韓国旅行」 (初出は「詩人会議」 2000年3月号掲載) を引く。ただし私の意図は詩評ではないので、一部分しか引かない。


   韓国旅行

  
連休を利用してソウルへ行った
  日本語を話す人が多い

  ガイドさん
  「日本語と韓国語は語順が同じですから
  勉強の初めは やさしいです」

  南大門市場で
  「ハンドパク 安くしますよ
  何円 買いますか?」

   中略

  ガイドさん
  「日本語はやればやるほど難しいです
  韓国人には出来ないハチオンがあります」

  一番きれいな日本語をはなしたのは
  『ナヌムの家』の元・従軍慰安婦のはるもに(おばあさん)

  「無理やり連れて行かれたのは
  十六歳のときでした
  ここにくるまで五十年近く
  日本語を使わなかったのに
  ちゃんと覚えていましたよ」

  言葉が通じる相手なのに
  わたしは何も言えなかった
  話さなければならないことが
  いっぱいあるのにー




 古本屋通信

  まあ、人間ここまでノー天気になれたら、長生きするだろう。かわかみよしこは元小学校教員らしいが、おなじ元小学校教員でも、くにさだきみや坪井あき子は、こういう「詩」は書くまい。

 旅行社がセットした「韓国」観光コースが、向こうさんに都合が悪い場所があろうはずがない。だいいちそういうツアーでの見聞でモノを書こうというのが物書き失格である。この点は坪井あき子も同罪である。

 何の疑念も抱かず、よう「従軍慰安婦」のしゃべりを聴いたのう。ニセ者だとは思わなんだんか? やっとれんのう。

 私は女がニセ者だと言っているんじゃない。ホンモノかも知れない。偽者かも知れない。

 然し「韓国」政府が日本人観光コースに、元売春婦の従軍慰安婦を設定するはずがなかろう。

 こういう所に出す女は事前に教育されて、「模範解答」しか喋りはしない。分らんかなあ?

 「五十年近く 日本語を使わなかったのに ちゃんと覚えていましたよ」? 出来すぎだと思わなかったのか?

 私はかわかみは石原慎太郎の同伴者だと思う。モノを書くのを暫くやめたらどうか。



 かわかみよしこ(本名 藤井佳子)
  1940年岡山県小田郡矢掛町うまれ
  岡山大学教育学部卒業
  2000年までしょうがっこうに勤務
  岡山詩人会議「道標」所属
  岡山県詩人協会会員
  中四国詩人会会員
  住所 省略    ( 『詩集 流れ橋』 奥付けより )



 能天気とは
 
呑気で軽薄なことや安直なこと。またはそのような人をさす。更にそれが転じ、生意気な人を指しても使われる。能天気が普及したのは古く、江戸時代の書物には既に使われている。のうてんきには実に様々な表記があるが、一番多く使われるのは能天気。以下、脳天気、能転気、のーてんきがある。更に最近ではノー天気という表記もあるが、どれも意味は同様。脳天気という表記は昭和時代後期から使われるようになったもので、小説家の平井和正が広めたといわれている。




 参考 石崎徹氏のブログを転載します。
 慰安婦  政治 - 2014年04月05日 (土)
 慰安婦問題での古本屋さんとぼくとの距離は、微妙というよりももっと拡がってきているようです。この問題を書き始めるとかなり厄介な議論に巻き込まれそうなので、とりあえず古本屋さんからこのブログに転載した「共産党声明」を支持するのがぼくの立場だとだけ言っておきます。
 橋下発言や石原発言を女性が不快だと感じるのは正常な反応でしょう。また彼らの発言を単に事実を述べたものととらえることができるのか。その発言が社会に与える影響を考えると、危険な発言だとぼくも考えます。そこには正当化のニュアンスがあるからです。



下記のデタラメ (上記の石崎さんの文後半がいけませんねも含むのルーツを探したら、上記の「詩」が見つかったと言うわけ。やっとれんね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

再録  No783 より
再録にあたって、(中略)としていた部分を起して完全文にした。

 
古本屋通信


 次いでだが名指しで糾弾しておく。岡山詩人会議 『道標』(2013夏)の「編集のあとで」のかわかみよしこの一文である。橋下徹・日本維新の会共同代表の発言「従軍慰安婦は必要だった」「風俗業を活用するように」。石原氏は「軍隊に売春はつきもの」とも。(中略を復元前号で従軍「慰安婦」を題材にした詩「地獄からの声」で書いているように、私は実際に韓国で従軍「慰安婦」だった女性に会ったことがある。女性の人権を認めていない この考え方は許されるものではない 

 かわかみよしこは今直ぐ編集委員を辞任せよ。厳しく抗議する。かわかみはこれでも詩人か? 自分の書いている事の意味が判っているのか? 耳にタコが出来る位聞かされた「従軍慰安婦は必要だった」批判、「軍隊に売春はつきもの」批判に加え、出所不明の「風俗業を活用するように」だと。極め付けは「この考え方は許されるものではない」ときた。これは橋下や石原の引用ではない。かわかみよしこの文である。極左であろうと極右であろうと、「考え方は許されるものではない」と言えるものなのか。橋下や石原どころではない。かわかみは橋下や石原以上にファシストである。えせ民主主義者の本音が露呈した。よくこれでモノが書けるな。日頃「状況」にもたれかかって「詩」を書いてきたツケが出た。こういう輩こそ、教科書改悪の影の推進者なのだ。いますぐ編集委員を辞任せよ。このブログ、岡山詩人会議のだれか読んでいるだろう。会としても自己批判せよ。



 古本屋通信
 先日の志位和夫の党見解発表が精一杯なのだ。かわかみにキツく当ったが、ド素人が「韓国」の歴史館など見学して、いい加減な事を書かない方がよい。何度も書いたけれど、かわかみが見た女が従軍慰安婦であった証拠など何処にもない。とりわけ「韓国」史資料を何の検討・検証もなく使うなど狂気の沙汰だ。以前に石村が韓国に行ったときにも言ったが、こういう所に入るのが間違いだし、仮に入るにせよ、絶対に書いてはならない。これ左派の常識なんだけど、それが通用しない時代になった。とりわけ私が驚いたのは、かわかみの詩が「詩人会議」に載ったことだ。ちょっと考えられない。リアリズム精神の風化としか言いようがない。民文の四月号事件どころの話ではないぞ。



 元東大民青さんの投稿の一部

あなたが「慰安婦」問題についておっしゃっていることを正直言って理解しかねています。全部読んでいないからかもしれませんが…一体あなたの問題意識がどこにあるのかよくわからない、というのが本音です。
以前、「強制されない売春など社会科学的にありえない」と書いておられましたね。それは、資本主義社会では労働者階級は必然的に賃労働を強制されるものであって、「真に自由な労働」などではありえない、という意味でしょうか?それなら私にも異議はありませんが、同じことは資本主義における賃労働すべてに言えることです。戦時犯罪としての性奴隷制を問題にしている人々の中には、確かに売春一般の否定者もいますが、大多数は売春一般を問題にしているのではなく、当時の国際条約や日本の国内法にすら反する人身売買といった犯罪行為を問題にしているのです。

 古本屋通信の返信の一部
 「慰安婦」問題については、私のほうこそ、あなたを含めて「慰安婦」を売春と区別する人々が分らない。「慰安婦」は典型的な売春でしょう。私は思うのです。最近の性の売買(それは完全に女性の自由意志による売春なんでしょうね?)のイメージで「慰安婦」を想像しているのではないでしょうか。コレ(いまの性のやりとりは)売春ではないですね。売春は基本は管理売春です。その形態は世界各国、時代によって様々ですが、そこに管理者による収奪が必ずあります。日本軍管理下の「慰安婦」は、特殊ではないでしょう。売春は等しく人身売買です。資本主義下では資本主義的搾取の究極のかたちでしょう。(それに私はこの議論が現代資本主義の労働力商品論を歪める気がしてならないのです)。



元早大党員です。
 元東大民青さんから、質問と反論をいただきました。本来ならば全てにリプライしなければならない重要な質問と反論だとは、思います。一つ分かったことは、元東大民青さんがトロツキーを思想的立脚点にされているであろうことです。ありうる立脚点で、それはそれで尊重するつもりですし、このブログで元東大民青さんが不可欠な存在であることも、分かっているつもりです。しかし、私には「上から目線」に思われる元東大民青さんの論法(議論の中身ではありません)に、とても消耗させられるのです。投稿するたびに重い反論では、書く気力がなくなってしまいます。そこで、私は投稿をやめます。ただ、グラムシに関して一言。トリアッティ版に基づく合同版ではなく、グラムシ『獄中ノート1』大月書店、「グラムシ『獄中ノート』著作集」(刊行中)明石書店をよろしかったらご覧ください。国際的スタンダードで、トリアッティによるテーマ別の編集ではなく、グラムシの執筆順に編集されています。
                          JIGEN
2014/03/30(日) 09:05:48 | URL | Jigen #- [ 編集 ]
国勢調査への協力は任意ではなく強制であり、拒否した場合に罰金刑が定められていますが、これまで起訴された例はありません。国勢調査を拒否する最大の理由は、ブルジョア国家権力による個人情報の管理+税金の無駄遣いということです。
2014/03/30(日) 13:17:20 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>しかし「安倍首相は戦犯の祖父の孫らしい靖国キチガイ」「安倍首相は戦犯の祖父をもつ靖国キチガイ」「安倍首相は戦犯の祖父をもつゆえに靖国キチガイ」「安倍首相は戦犯の祖父に相応しい靖国キチガイ」はいずれもアウトでしょうね。コレしょっちゅうやってます。これは差別というより、DNA 論として誤りなんですが、結果として差別でしょう。

これについては、私は「出自を批判や中傷の理由として用いることは通常は差別である」というのには同意します。ただし、「天皇制支持者にたいしては許される」とも考えています。なぜなら、天皇制支持者は、生まれによる差別を肯定しているのだから、自らが生まれによって差別されても文句を言う資格はないと思うからです。ですから、「安倍首相は戦犯のDNAにふさわしい靖国キチガイ」と呼ばれても、安倍には抗議する資格はないと思うのです。
2014/03/31(月) 13:28:50 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


岡山明誠学院がどのような教育をしているのかしりませんが、受験生に無駄な努力を強いてほしくないので、少し書きます。
日本の高校では古文漢文が必修です。大学入試でも、センター試験で出ますし、東大などは理系でも二次試験で必須にしています。これが無駄であることは論をまたないでしょう。大学では古文漢文が必要になる専攻もあるので、そういう専攻で出題することは否定しませんが…しかし慶応の文学部ですら入試で古文漢文を出していないのですから、必要な学生は大学に入ってからやれば十分間に合うということです。
それはともかく、高校で古文漢文を教える先生は、大学で専攻している人がほとんどですので、どうしても学問を教えるという感覚で教えてしまいます。だから、漢文の教師が、「漢和辞典は2冊そろえて比較しなさい。辞典の編集者の学説によって違いが出てきたりしますから」なんていいますが、大学入試で合格点を取るのにそんな難しい勉強が必要なわけがない。だから将来大学で専攻したい生徒を除いて、そんな無理な負担をかけないでほしいのです。
古文の先生は分厚い古語辞典を買うように生徒に勧めますが、はっきりいってそんなものはいらない。大学入試に対応するだけなら、次のような辞典で十分です。

旺文社高校基礎古語辞典
http://www.obunsha.co.jp/04/077708
MD古文
http://www.asahipress.com/bookdetail_norm/9784255980225/

アマゾンで中古なら旺文社高校基礎古語辞典は1円、MD古文は390円です。
しかし、これらは簡潔すぎるので、困る場合がありえます。なので、学校の図書室に調べる用の辞書を置いておくべきです。生徒に買わせる必要はありません。

『岩波古語辞典 補訂版』(岩波書店)
『古典基礎語辞典』(角川学芸出版)
『基本古語辞典 新装版』(大修館書店)
『例解古語辞典 第3版』(三省堂)

これらのどれか1冊があれば十分です。

漢和辞典についてはよく知りません。

>私立歯科大出の凄く優秀な女の歯医者さんもいます。女子歯科大の草分けの神奈川歯科大出身です。

確かに歯科医の腕は、外科医の手術の腕と同様に、受験学力とはあまり関係ないでしょうね。神奈川歯科大はよく知りませんが、松本歯科大は「学費はダントツ1位、国試合格率はダントツ最下位」などとバカにされますが、松本歯科大卒で名手と呼ばれる歯科医もいるそうです。天皇の心臓手術を執刀したのは3浪日大の心臓外科医でした。こういう分野はどういう方法で適性を見極めるべきか、私は医学とも歯学とも無縁なのでよくわかりません。しかし、発言できる立場の人からもあまり積極的な発言がないのは、それだけ難しい問題だということでしょう。

>防衛大学校は自衛隊員養成機関であって、大学ではありません。

防衛大学校も一応は学士がもらえるようになりましたよ。
文部省管轄外でお勧めなのは、気象大学校です。気象オタクが集まるので東大の理Ⅰ・理Ⅱ並かそれ以上に難関です。他の大学の気象系専攻と違って、学費無料のうえ給料がもらえるし、気象庁での将来が保障されています。

>佐藤優について何時か評価を聞かせて欲しいです。

それは「佐藤優現象」で調べてみれば分かるのではないでしょうか。
http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-1.html
これなど、彼の本質を明確に浮き彫りにしています。

>一度訊いて見たかったんですが、東大理Ⅲって、常人じゃあ合格が無理だというイメージなんですが、天才の集まり?

確かに天才もいると思いますが、天才がそんなところに行く必要は全くありません。
東大理Ⅲの合格者数は灘がずっと1位を続けていますが、それは灘の生徒が優秀だからではなく、灘に歪んだ理Ⅲ崇拝の風潮があるからです。関東の進学校の生徒は、医学をやるためには別に東大に行く必要がないからわざわざ理Ⅲを目指してガリ勉しないだけです。開業医になるなら(特に親を継ぐなら)どこの医学部でも同じですし、研究医になるにしても(前も言ったように思いますが)旧帝で一番簡単な北大医学部に進むのが一番賢い道なのです。岡山大も旧六ですからなかなかよいところです。東大理Ⅲに受かるために一生懸命勉強する必要などまったくないのです。
東大は入学後に専攻を決める制度をとっているため、理Ⅲから医学部医学科に行かない人もいますが、大多数は医学部医学科に進学します。しかし、いくら受験秀才であっても医学にはほとんど役立ちません。理数系の才能を持つものが東大理Ⅲから医学部に進学することによって、本来理工系の研究者としての才能があったはずのものがただの医者になってしまい、才能を無駄にしているのではないかと思います。数学好きの高校生向けの月刊誌「大学への数学」(東京出版)というのがありますが、これに名前を載せている数学好きが東大理Ⅲにかなり入ります。しかし医学部に入ってから数学の才能はほとんど役立たない。

>飛び入学の是非以前に、天才を大学に入れる必要があるのか。

そうですね。確かに大学に行く必要もない天才もいるでしょう。モーツァルトなんて5歳で交響曲を作曲したくらいですから。しかし才能があっても適切な教育がなければ開花しない場合も多いでしょう。朝比奈隆さんのような人は例外的で、名指揮者でも正規の音楽教育を受けた人が多いです。

>臨床医って、技術者なんですか?

技術者の側面が強いでしょうね。しかし、医者になっても勉強し続けなければいけません。
2014/03/30(日) 23:03:35 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>それは違います。旧岡山医専から岡山医大です。いまでも医大という人もいます。市内バスは医大前です。

ええ?岡山大医学部は旧六に入りますよ。
旧六医学部とは、

千葉大
金沢大
岡山大
熊本大
長崎大
新潟大

のはずです。

ところで、山崎豊子『白い巨塔』が書かれて長くたちますが、依然として医学部のなかには古い体質を引きずっているところもあるようで、秋田大医は学力試験で優秀だった女子生徒を、面接で0点にして不合格にさせるということをやっています。不合格の理由について、大学側は「総合的に判断した」としか答えていませんが、この女子生徒が中学時代に持病のため高校に進学しなかった(ただし、受験の時点では回復しており問題なかった)ことと女性であることに対する医学部教授の不当な偏見があったと想像してもおかしくないでしょう。
2014/03/31(月) 13:36:08 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


JIGEN様

>グラムシに関してですが、不破哲三が大昔に一知半解のグラムシ論を発表しただけで、

これは『史的唯物論研究』(新日本出版社1994)に収録されているものですね?

>日本共産党は、グラムシに関しては黙殺し続けています。さりとて、切り捨てることもできないようです。新左翼(特にブント)とグラムシとの関係も微妙です。スターリンはトロッキーもグラムシも危険視しました。言えることは、二人とも公式的ではないことです。

一点指摘を。「トロッキー」ではなく「トロツキー」です。
Троцкийのцは、促音(ッ)ではないです。
それと、トロツキーは、少なくともレーニン死後に「ボリシェヴィキ・レーニン主義者」と名乗るようになってからは、「レーニン主義の遺産を、スターリン主義から防衛する」ことに徹するようになり、良くも悪くも極めて「公式的」であったと思います。

『ヨーロッパとアメリカ』で、レーニンとかなり異なる帝国主義理解を示したりはしていますが。

>だから微妙なんでしょうか、わかりませんが。一つだけ、良くある誤解ですが、グラムシは一国社会主義論者ではありません。それに批判的です。だから、スターリンはグラムシを「トロッキスト」と扱ったようです。これは、研究者から聞いた話ですが。

それは事実関係としておかしいのではないでしょうか?というのは、もともとグラムシはイタリア共産党初期には党内で右翼少数派であったが、ジノヴィエフが推し進めた「コミンテルンのボリシェヴィキ化」で、ジノヴィエフ・カーメネフ・スターリンに反対するボルディガ派に代わってイタリア共産党指導部につけられたわけだからです。一国社会主義論に反対であればこのようなことはなかったはずだし、スターリンが「トロツキスト」扱いしていたのならボルディガと同様に排除されたはずではないでしょうか?

>グラムシを検討されるとのこと、有難く思います。私もイタリア語の勉強が成功していませんので、翻訳やプロの研究者に依拠している状態で、どれぐらいお役に立つかわかりませんがやってみます。グラムシの基本的なカテゴリーは、国家論にかかわって市民社会とヘゲモニー、サバルタン(従属諸集団が訳語ですが、イメージ的には先住民や在日韓国・朝鮮人、さらには被差別部落住民などです。一筋縄ではいかないカテゴリーです)、知識人、コンフォルミズモ(順応主義)、アソシエーション(私の理解では、個人の横のつながりに基づく協同組織?)、有機的危機(ファシズムを経験したグラムシならではのカテゴリー)、それから難問なんですが受動的革命(革命主体なき革命。多分ファシズム論に通じます)、以上が挙げられます。

特に知識人論、そして革命党論が重要と聞いています。

>グラムシに関しては、なんといっても大月版・明石書店版の編集責任者でもある松田博氏(立命館大学名誉教授)が第一人者です。私の列挙したカテゴリーを取り上げた著作としはまず、松田博『グラムシ研究の新展開』御茶ノ水書房が、高度の理論水準でありながらわかりやすいものとして推挙できます。もう一冊は、松田博『グラムシ思想の探求』新泉社です。後者は、サバルタンと受動的革命、安倍晋三批判などにページを割いています。前者は、基本カテゴリーを章別に扱っていますので、「つまみ読み」できます。次いで、小原耕一氏(松田博氏の共同研究者で、元「赤旗」ローマ特派員の経歴の人です)。それから、鈴木富久氏(桃山学院大学教授)の著作も2冊でています。いずれにしても、補助的には役立つものの、トリアッテイの編集になる合同版に依拠する時代は完全に終わりました。

一つ質問ですが、イタリア語が読めるはずのこれらの研究者はどうしてボルディガ派やデラ・ヴォルペを検討しないのでしょうか?後者に関しては日本以外でも研究は少ないので仕方ないかもしれませんが、ボルディガ派がアカデミズムの世界から無視されてきたのは、トロツキーと同様の政治的動機が働いていると思います。

>それから明石書店の「グラムシ『獄中ノート』著作集」は松田博氏・小原耕一氏(後者は多分)の編集・翻訳になる、グラムシ執筆順によるジェラターナ版に基づくものです。現在刊行されているのは、知識人論とサバルタン論です。今後の続刊を期待しています。今度こそ完成して欲しい、の思いです。かって、大月書店からジェラターナ版『獄中ノート』の翻訳を出す計画がありましたが、第1巻だけ翻訳されて頓挫しています。政治的理由によるものだというものを含めて、いろんな噂が飛びましたが、深入りしません。それから、構造改革論的読みから解放された学問的なグラムシ研究の記念碑的な著作は、竹村英輔『グラムシの思想』青木書店で、ジェラターナ版に依拠した最初の著作は、同じく竹村英輔『現代史におけるグラムシ』青木書店です。氏は、ご存知の通り『現代と思想』の常連執筆者で、生涯、構造改革派と一線を画しました。言わば、「講座派プラスグラムシ」の人です。それから、マルクスとグラムシの市民社会論の接点に位置するのは、私見ですが、『フランスにおける内乱』です。市民社会論は平田清明氏以来百花繚乱の観がありますが。つまらないことを、書き連ねました。何らかのお役に立てば幸いです。

いえ、竹村英輔氏の名前ははじめて聞きました。私は『現代と思想』の世代ではないのです…
『フランスにおける内乱』が書かれたのはマルクスとエンゲルスが一体となって活動していた時期であり、マルクス死後のエンゲルスについていろいろ議論はあれど、『フランスにおける内乱』に依拠して「マルクスには市民社会論があったがエンゲルスにはなかった」と主張するにはかなり無理があるのでは?
疑問ばかり書き連ねましたがお許しください。
2014/04/01(火) 13:37:29 | URL | 元東大民青 #- [ 編


どう考えても「バカじゃないの?」としか思えない議員ですね。
30代以下の党員数が減ったので、こんな議員が出てきてしまうまでになったわけですね。
党議員でも、ベテランで個人票が相当あるような人なら、除籍されて無所属立候補しても当選することはあります。しかし、個人の地盤があるわけでもなく党組織の力で当選した新人議員が、無所属立候補して当選できるわけがないじゃないでしょう?それともこの議員は独自の地盤でもあるのか?
それと、「除籍」と「除名」の区別ですが、規約では「除籍」があいまいに定められているうえ、上級機関への再審査請求ができないため、不破一派にとって目障りな党員を排除するために「除籍」が乱用されてきた歴史があります。「除籍」と「除名」をわけるのはかまわないですが、「除籍」の場合でも、中央委員会から独立した中央統制監査委員会を復活させ、そこに再審査を求めることができるようにするべきです。
なお、右翼団体の世界では、「除籍」と「除名」は明確に区別されているようです。「除籍」は様々な理由から離脱し、他の右翼団体に加わったり、カタギになるものの場合、「除名」は明らかに運動の精神に反することを行った場合で、「除名」の場合には他の右翼団体にも「右の者といっさいかかわりを持たないようお願い申し上げます」という絶縁状が配られるそうです。
2014/04/07(月) 20:06:03 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



ヤクルトはいらない商品の典型ですね。多種多様な健康食品の宣伝が毎日のように送られてきますが、バランスの取れた食事さえしていれば無意味なものばかり。資本主義が衰退するに従って、資本家はいらないものを売りつけて延命を図るしかなくなるわけです。クルマは50年以上乗れるのに、必要もなく新商品を次々と発売させ、莫大な広告宣伝費をかけて「クルマは数年で乗り換えるもの」という洗脳をしている。それでもクルマが売れなくなると「エコカー減税」とかでとにかく新しいのに乗り換えさせようとする。テレビが売れなくなると、何の必要もない地上波デジタル化をして新しいテレビを買わせる。どうしてもものが売れなければ軍事費にカネをつぎ込んで戦争を起こす。
2014/04/07(月) 20:21:23 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
コメント

記事の内容と関連するかどうかわかりませんが、最近では政治学・国際関係学・歴史学・国際法学・軍事学などの学際的分野として「平和学」なるものも生まれているようですね。レーニンが聞いたら「小ブルジョア的妄想!」と一喝しそうですが。しかし、「平和学」においても、戦争の究極の原因は何かというところを追及する中で資本主義批判の視点を獲得することも可能だと思います。
2014/04/07(月) 20:51:33 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



じゃあ、わかっていただくために、逐条的に述べさせてもらいます。

>「慰安婦」問題については、私のほうこそ、あなたを含めて「慰安婦」を売春と区別する人々が分らない。「慰安婦」は典型的な売春でしょう。

いいえ、売春ではないからこそ戦争犯罪として問題になっているのです。
2014/04/10(木) 07:17:55 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>私は思うのです。最近の性の売買(それは完全に女性の自由意志による売春なんでしょうね?)のイメージで「慰安婦」を想像しているのではないでしょうか。コレ(いまの性のやりとりは)売春ではないですね。売春は基本は管理売春です。その形態は世界各国、時代によって様々ですが、そこに管理者による収奪が必ずあります。日本軍管理下の「慰安婦」は、特殊ではない でしょう。売春は等しく人身売買です。資本主義下では資本主義的搾取の究極のかたちでしょう。(それに私はこの議論が現代資本主義の労働力商品論を歪める気がしてならないのです)。
2014/04/10(木) 07:21:00 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
あなたは、現代において行われている管理売春ではない自由な売春を、勝手に「売春ではない」と定義して、「売春は基本は管理売春です。」「売春は等しく人身売買です。」などという。現代の売春のことをまったくご存じないのではないでしょうか?
2014/04/10(木) 07:25:47 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
1999年に児童買春・児童ポルノ禁止法が成立した背景にもこれがあります。多くの18歳未満の少女たちが、管理売春でない自由な売春をするようになったので、
2014/04/10(木) 07:32:00 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
長いコメントが投稿できないのであきらめますが、
2014/04/10(木) 07:54:44 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
歴史専門家に質問してみることをお勧めします。あなたの主張は「殆んど取るに足りない暴論」ですから、どこが間違っているか教えてくれるはずです。
2014/04/10(木) 07:56:12 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
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古本屋通信    No796  4月13日

 やっぱり、種々検討の結果、このエントリーをこのまま放置することは、私にとって非常に精神的ストレスになるとの結論に達しました。然し削除するのではなく、三日後に倉庫5に収納します。閲覧もコピーも自由ですが、引用・転載はご遠慮いただきたいです。

 また元東大民青さんの投稿が出来なくなったみたいです。練習板として、暫く残しておきましょう。



 私立歯科大
 


 元東大民青さん

 広島大学は東広島市のド田舎に移転して酷い状況になっているようですね。やっぱり大学は交通の便がよくないとダメですね。
書き込めるかな 2014/04/13(日) 10:17:23 | URL |


 元東大民青さん
以前、歯科大の話がでましたが、底辺校の松本歯科大は学費値下げと特待生制度で学生が集まったようです。また、・・・・・大は他の・・・・を・・になったような学生を拾い集めているようです。・・合格どころか・・もできない学生を拾い・・めて・・を取るのでしょうか。
 
2014/04/13(日) 14:18:24 | URL |

 古本屋通信
 なにかの間違いでしょう、絶対にそう言う事はありません(怒)。なんということを(涙)。・・を飛ばさないでください。虫歯が痛みます。

 元東大民青さん
いや、情報をきく限りデマではないようですよ。歯科医過剰時代で、私大歯はどこも厳しいのです。上位4校つまり東京歯科大・昭和大・日本歯科大(東京)・日大(東京)以外はどこも潰れる危機にある。東京歯科大はなんだかんだ言っても名門校で実績がある。昭和大も医療系総合大として評価されている。日本歯科大も伝統・実績がある、ただし新潟校は潰されるだろう。日大も総合大だから経営陣が潰す決定をしない限り残る。おそらく2つも歯学部はいらないということで松戸のほうは潰されるだろうが。
開業していて息子に後を継がせたい歯科医師会が自民党に圧力をかけて、私大より国公立のほうをより定員削減させてきました。国公立なら歯科医の跡継ぎでなくても入れますから。
2014/04/13(日) 16:36:56 | URL |

 元東大民青さん
奥羽大は、もともと底辺校でしたが、原発事故が追い打ちをかけて悲惨な状態です。歯学部は出願者が定員の半分にもならない。編入を入れても入学者が定員の1/3くらいです。薬学部も定員を超える志願者はいましたが偏差値35とかいう数字が出ています。「原発事故で潰れた大学」として語り継がれることになるでしょう。
 2014/04/13(日) 16:53:56 | URL |


 古本屋通信
 けっこう刺激的なので消さない事にしました。但し一部を伏字にすることをご了解ください。それがイヤなら前約束通り全面削除も止むを得ません。

 元東大民青さん
××××××の××歯科大の×××さんに真相を尋ねてください。私も歯科関係の世界にいる者ではありませんから、ネット情報だけで真実かどうか判断できません。
歯科医師会が政治家・官僚に圧力をかけて国公立の定員を削減させてきたこと、それと私大歯が4つしか残らないというのも真実かどうか確かめてください。
なお、私大歯はどこも学生集めに必死のようで、私が某私大の大学院の資料を請求したら、電話がかかってきていかにすぐれた研究教育環境であるかをさんざんアピールされました。

 2014/04/13(日) 20:02:06 | URL |


 元東大民青さん
・・・歯科大の草分けの・・・・です。
昔は関西医大も女子大(旧女子医専)だったのですが、今では共学ですね。現在、女子大の医学部は東京女子医大だけになってしまいました。
早大は、慶応に対抗するため医学部がほしく、そのため同じ新宿区内の女子医大との合併を目指したこともありますが、女子医大側にあまりメリットがないため実現しませんでした。
2014/04/14(月) 02:39:47 | URL |

 古本屋通信
 もう大丈夫みたいですね。直前は「No777 続・教育と学校」に付けられた投稿ですが、ここにもは貼っておきました。


元早大党員JIGENです。 元東大民青さま。返答が非常に遅れて申し訳ありません。知的生産力の極度の低さもありますが、テーマの大きさに戸惑ったあげく、こんな有様になりました。 まず、人名の誤りについて。グラムシ『獄中ノート』の校訂版は正しくはジェルラターナ版です。それから、正しくはトロツキーですね。ご免なさい。 ついで、基本的な理論問題の誤りについてです。こんな誤りを犯したら、研究者だったら失格です。本当に情けない。これと言うのも昔から(特に民青だった時から)思い込みが激しかったことの、所産です。昔よりも大分改善されましたが。 まず、旧ソ連の一国社会主義論争へのグラムシの態度についてです。ご指摘の通り、グラムシはスターリンのグループの側についています。ただ彼は、トリアッテイとは異なって、トロツキーらのグループを排除するんではなく、党内の団結を守ることを、主張しています。グラムシは、モスクワあてに手紙を出すんですが、ブハーリン止まりで、スターリンにまで届きませんでした。この直後にグラムシは逮捕されました。なお、グラムシのモスクワあての手紙は、デイヴィド・フォーチ編『グラムシ・リーダー』御茶ノ水書房に収録されています。私の判断ですが、グラムシは理論的判断からではなく、政治的判断でスターリンの側についています。 ついで、マルクス・エンゲルス問題についてです。『フランスにおける内乱』をとりあげたのは、グラムシの「政治社会の市民社会への再吸収」という命題の萌芽と思われる命題が、マルクスに見られるからです。ただ市民社会の問題、マルクス・エンゲルス問題は軽率に論ずるべきではありませんね。ご指摘の通りです。研究者によって現在指摘されている両者の差異は、『資本論』第1巻24章と『反デューリング論』との所有論の差異です。 グラムシが一国社会主義論に批判的だと言いましたのは、松田博『グラムシ研究の新展開』の順応主義論によります。ご参照いただいたら幸いです。 グラムシに関して、知識人論・革命党論が重要だとおっしゃいました。私見ですが、両者とも極めて重要なテーマです。知識人論はグラムシの全理論の中枢になります。私の拙い解説よりも明石書店の既刊本をご覧ください。ついで、革命党論ですが、グラムシは「現代の君主」(マキャヴェリ『君主論』が用語のルーツ)と名付けています。これに関しては殆ど知識がありません。ただ、知識人が自立した存在であるならば、「集団的知識人」が党であると言うグラムシの指摘は含蓄ある言い方だと思います。少なくとも元クレムリンや現在の北京の政党とは異なると思います。 不破論文について。ご指摘のとおり、彼の『史的唯物論研究』新日本出版社に収録されています。ただ、原論文『文化評論』1964年5月号に、ルチアーノ・グルッピ『グラムシのヘゲモニー論』合同出版の見解が補論として追加されています。余りにも阿呆にしてしまいました。彼は、実はグラムシをトリアッテイ版ではよく理解していたと思います。校訂版(ジェルラターナ版)はいざしらずですが。彼は、宮本顕治(所謂マルクス・レーニン主義)から逸脱しない範囲で、グラムシを評価したのではないんでしょうか。私見ですが、彼が槍玉に挙げた竹内良知氏や石堂清倫氏のグラムシ評価は、真っ当で彼の方が誤っています。更に、彼の論文で致命的なのは、知識人論が欠落していることです。それでは、市民社会論も政党論も国家論も誤ってしまいます。 竹村英輔氏に関してですが。氏は東大教養学部卒業後、合化労連書記に就かれます。氏の非凡さは、グラムシなどの研究を構造改革派と一線を画して(おそらく党員として)、継続されたことです。そして、『現代と思想』青木書店に華麗なるデビューをされたのです。私にとって、同誌は学生時代の知的刺激の源泉でした。その後、グラムシ研究書を氏は相次いで出版され、日本福祉大学の教員として、研究者の道を歩まれました。 ボルディーガとデッラ・ヴォルペについて。ボルディーガですが、私はレーニン『左翼小児病』の彼への批判やグラムシ(というよりトリアッテイ)サイドの知識しかありませんので、語る資格がありません。日本で取り上げられないのは、トリアッテイのサイドから、グラムシ研究者が入ったためでしょうか?次にデッラ・ヴォルペに関してですが。翻訳は出ています。ヴォルペ・、竹内良知訳『ルソーとマルクス』合同出版(1968年)、ヴォルペ、ガロディ、サルトル、シャフ・中村丈夫訳『マルクス主義における人間の問題』合同出版(1969年)、グルッピ、ヴォルペ、バリェステーロ・藤沢道郞訳『マルクス主義の新しい道ー2ー』現代の理論社、以上です。 最後に、グラムシとトロツキーについてです。私は、コミンテルンから異端とあつかわれた二人に、感情的な反感は全くありません。ただ、理論的にはかなり距離があると思っていました。しかし、そうでもない気も今はしています。伺いたいのですが、片桐薫・湯川順夫『トロツキーとグラムシ』社会評論社をどう評価されますか。 » 返信 拒否する

  1. 2012/07/25(水) 01:24:47|
  2. 未分類

党戦後史  倉庫4

倉庫4


古本屋通信  No 8   7月24日 

 日本共産党の戦後史 

 No3の続きです。党史のたぐいは恐らく数百点は出版されているので、いちいち参照しないで、私の頭の中に蓄積された知識をもとに書きます。
 戦後の再建からコミュンフォルムの干渉がらみの分裂を経て、一応の統一の回復がなるのが1955年の六全協です。しかしこれは、所感派と国際派の妥協の産物というより、理論的総括のないままの緊急避難みたいなものでした。だから、党の統一は1957年の七大会とみるのが常識でしょう。このとき宮本顕治の指導権が確立します。旧国際派の全面勝利ですが、党分裂の責任のほとんどは所感派にあったのですから、七大会は大会代議員はもとより、全党の圧倒的支持を受けます。
 所感派と国際派の対立について、一言だけいいますが、まあ所感派が圧倒的に悪かったですね。理論がないこともありましたが、それ以前に共産主義者の感性じゃあない。徳田をみればよく分りますが、自民党よりある意味で保守的です。書記長、書記長と呼ばれ、俺は一級の政治家なんだと胸をはる。日本の家父長の典型でしょう。とりまきを侍らせ、恣意的な組織運営をする。まあ、官僚主義の典型ですね。
 岡山なんかオール所感派細胞だったでしょう。当時の活動が不問にされているのをよいことに誰も反省しなかった。朝日訴訟はたしかに画期的ですが、のちの関係書は都合のいいとこ取りというか、都合の悪いことはかいてない。朝日茂らの王山細胞が所感派に属していたこととか、ね。歴史のリアリズムが欠けているのを感じます。
 で、七大会で初めて戦後共産党のかたちが整った。1956年に国際的にはスターリン批判があり、まあ後のソ連・東欧の崩壊に匹敵するくらい衝撃的な出来ごとだったにも拘らず、党から落ちたのはごく一部のトロツキストだけでした。その数せいぜい十数人でしょう。のちに、学生たちがブントを結成して、これにはかなり参加しますが、当初の日本トロツキスト連盟には微々たる参加でした。
 七大会は、日本の現状規定と変革の道すじ、つまり日本革命の展望を示した綱領草案を準備しました。これが後の八大会出採択される綱領の元になるものです。しかし、七大会は綱領草案を多数決で採決することはしませんでした。反対が多く無理に採決すると再び分裂という事態になることを避けるためでした。私はこの七大会から次の1961年の八大会までが、九十年の党史上もっとも党内民主主義が発揚された時期だとおもいます。前衛別冊「団結と前進」には綱領草案反対派が意見を寄せています。
 この時、三分の一が反対派だったといわれていますが、実際はもっと多かったのではないでしょうか。この時の反対派は、のちに分派を結成する春日庄次郎や内藤知周らばかりでなく、上田・不破兄弟らの若手活動家、現代マルクス主義派と呼ばれる理論家集団等、それに全学連の反主流派内のフラクションも綱領反対派でした。これらの人びとはのちに構造改革派の名で呼ばれますが、実に活発な理論活動を展開します。岡山は所感派でしたが、どうしたことか構造改革派の拠点になってしまいます。私の入手した資料には社革(社会主義革新運動)の中心だった内藤や松江澄と岡山の共産主義者の交流が記されています。
 宮本顕治がよく独裁者のように言われますが、私の見方はちがいます。戦後の党史上、宮本ほど我慢強い指導者は袴田里見を除くと、いなかった。党分裂時もそうですが1960年代を通じてもそうです。多くの分派が出来たけれど、共産党を超える党派は一つもできなかった。多くは内部対立を露呈し、あぶくのごとく消えました。残っているのは革共同第三次分裂(1963年)以来の革マル派と中核派、それに三分裂(1971年)後の共労党プロ革派くらいのもんでしょう。後者は90年代半ばに「政治グループ蒼生」に、そして今回 「緑の党」に合流するので、単一組織ではないように見えます。しかし私は、白川真澄を指導者とするコミュニストの党の継続だとおもいます。
 いちばん駄目だったのが、いわゆる盲従分子だった。志賀義雄と西沢隆二(笑)。主体性がぜんぜんないから、組織が持たなかった(笑)。



古本屋通信     No728  3月01日

 
  当たり前のことを言ってなぜ悪い?

 下記の大文字はキンピーサイトのブサヨ管理人の言葉である。前後関係に関係なく、当然のことを言っている。この当然のことがタブーになっている。ブサヨさんは光っている。キンピーサイトの評価はまちまちだろうが、こういうマトモなことを、誰に気兼ねすることなく言う管理人さんが運営している以上、全体として日本の民主主義に貢献していることは疑いない。ぼくちん経営系で文学部の西洋史専攻でもなんでもなかったけど、昔から軍隊に慰安婦は付きものだってことくらいはことは知ってるぜw

 もうひとり圧力に屈しない人がいる。「 ワタシ、なにか間違ったこと、言いましたかねえ?」

 いいえ、おっしゃっていません。NHKの会長さんです。私はマジでこの人、立派だと思います。だって報道機関のトップにある者として、どんな圧力にも屈しないで、間違ってないことを間違ってないと言っているのですから。


 私は日本現代史のある局面では、奇妙なネジレ現象が起こることを知った。私はこの人物の経歴も思想信条も知らない。しかし骨のある人物である。この人物を保守が擁護し、左派が「辞めろ」と言う。辞めなければならぬことを何にも言ってない。ブサヨさんが言っていることと同じことを言ったに過ぎぬ。

 私だって言う。昔から軍隊に慰安婦は付きものだった。何度でも言う。昔から軍隊に慰安婦は付きものだった。これ、どこが悪い? これが悪いと言ってるひと、狂ってるね。従軍慰安婦は侵略戦争のあるところ、侵略軍の行く先々、どこにでもあった。これ常識でしょう。だれが侵略軍の行為を正当化しましたか? これがダメだと言うの、言論ファッショね。左翼ブログにこんなことまで書かなくてはならないのか。情けない。


以下の投稿が少し遅れて、元東大民青さんからあった。私はちょっと間違っていたかもしれない(いや、やっぱり間違っていない。元東大民青さんのほうが間違っているような気がする。然しもう一度考えてみます)。ブル新の中であっても、本人の地の文を読んでいないからだ。とりあえず投稿の全文を此処に貼り、プロフィール欄を 一時撤去することにした。

あなたはNHK会長籾井の発言をちゃんと読んでおられますか? >籾井氏は従軍慰安婦問題について「今のモラルでは悪いんですよ」としつつ、「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げた。「なぜオランダにまだ飾り窓があるんですか」とも述べた。飾り窓はオランダなどにある売春街を指す。(朝日新聞デジタル)
籾井は「戦争をしているどこの国にもあった」と言っているんですよ。しかしこれが間違いであることは明らかです。たとえば朝鮮戦争で朝鮮人民軍に「慰安婦」がいましたか?
あなたは
>従軍慰安婦は侵略戦争のあるところ、侵略軍の行く先々、どこにでもあった。
とおっしゃっている。確かに「侵略戦争」ならそうでしょう。しかし籾井は「侵略戦争」などと限定していない。日本の戦争は侵略戦争ではなかったという立場だから当然だろうが。逆にオランダの「飾り窓」を例に挙げている。オランダの「飾り窓」は自発的に行われている合法的な売春であり、「従軍慰安婦」とは根本的に異なる。籾井がこれを意図的に混同させていることがわかりませんか?勘違いから出発しないで、問題を正確に理解してください。
それとキンピーサイトのブサヨ管理人はお話になりません。なにしろ東京裁判のこともまったくわかっておらず、「ソ連は日ソ中立条約に違反した」などというヨタ話を主張するくらいですから。
2014/03/02(日) 10:24:48 | URL |  元東大民青 #- 

私の文、過去の古本屋論叢 No3 の一部を再録します。
河村さん 「NHKの籾井会長は、慰安婦の問題について [戦争をしているどこの国でもあった] と発言」
古本屋通信 これは間違ったことを言ってはいませんね。公人として場違いなだけです。これにたいして「慰安婦は日本とドイツしかなかった」などは、いい加減なことです。侵略軍のあるところ何処にでも売春はあった。現に沖縄にも岩国にも、米軍のための日本人女性による「慰安所」()があります。一寸追加。侵略戦争に限って、というべきでしょうね。祖国防衛戦争、例えば中国人民解放軍やベトナム解放民族戦線軍は「慰安所」を必要としなかったでしょう。なぜなら、越境する必要のない正義の戦争でしたから。 

 今回の古本屋通信の文
 元東大民青さんの今回の投稿をよんで改めて思った。元東大民青さんにも、それからいつか投稿があった女性にも、そしてたぶん河村さんにも、従軍慰安婦というのは強制連行によって強いられた性奴隷であって、自発的な売春とは全く異質だという(前提になる)認識があるんだと思います。私はオランダの飾り窓というのは聞いたことはありますが、現在合法的に売春が行われているとは知りませんでした。ちょっとそれは措いて、いつか訪問してきた女性は沖縄の米兵相手の売春を自発的な売春と見做し、朝鮮植民地下の慰安婦と峻別しているようでした。私はこれに異議があったのです。

 米軍占領下の日本には公娼制度が残っていました。日本の基地あるところ、「パンパン」が米兵に「自発的に」群がっていました。私も女学生の日記を引用しましたが、米兵はハイカラで親切でやさしく、道行く女学生にチョコレートを配ったそうです。いまの沖縄にも強制的な管理売春は少ないでしょう。日本全土にも・・・・。これがもっと、もっと公然と合法的に行われているのがオランダなんでしょうね。

 朝鮮植民地下の従軍慰安婦に、それ以前からの売春婦がいたか、いなかったかは決定的に重要です。その比率はよくわかりませんが、どうやらかなり高い比率でいたと見て間違いなさそうです。ならば少なくともその部分については、戦後日本の売春と変わりなく、自主的自発的な売春と見做しうる性格のものです。強制による売春ではなかったと。

 私が元東大民青さんを含めて、殆んどの方に違和感を持つ点は、売春を(そもそも自主的自発的な関係は売春とはいえないでしょう)強制的と自発的に分けること、あげくはオランダをもちだして合法的な売春が自発的であることをもって、売春の非人間性が喪失するかのごとく言われていることです。 

 籾井のオランダ引用の意図は分りませんが、戦前の日本植民地下も、東北日本の山村も、戦後の日本の米軍基地も、現在の沖縄も、性の売買が公然と行われているという一点で全く変りがありません。そして、その其々の表面的は顕われの相違にも拘らず、それは本質的に等しく強制された売春です。これは社会科学的認識においてそうだと思います。それは行き着くところ合法的な家族制度における男女関係にまで適用されるかもしれない性関係です。

 どうもすっきり反論できたとは思いませんが、また籾井の意図は分りませんが、従軍慰安婦とオランダの飾り窓が売春の一点で共通性があるというのなら賛成です。

 籾井にせよ橋下にせよ、戦前の日本の戦争を侵略を認めていないから、間違っていない部分まで非難しなきゃならない。話がこんがらがる。

 いっそのこと、階級社会、戦争、国家などを取り払って、生態系、男女雌雄の配置地図としてみれば分りやすいのでは? 男ばかり、女ばかりの社会がそもそもオカシイのです。

 少し追加です。私が部分再録している文ですが、やはり赤文字部分をあとで追加しています。それは左翼にとっては当然の認識ですが、一般には近世・近代以降の戦争は自国から出てたたかう帝国主義戦争なのです。それが一般的な日本語だと思います。だから私が河村さんに言った「これは間違ったことを言ってはいませんね」はこれでよいと思います。前提になる籾井の戦争認識の不十分を言うなら、そもそも生粋の左翼以外公職にいない事になります。私にはココゾとばかり因縁をつけてポイント稼ぎをする側が鬱陶しいです。
 



古本屋論叢 No 3   2014年 2月 1日   慰安婦タブーの出現    

   
 至近の通信3本をまとめて1本にした。古本屋論叢 No 3 「慰安婦タブーの出現」と題した。別々の時間に書いたので、表記は不統一だが、そのままにした。いずれの日かに統一する予定である。

河村ひろ子さんへ NHK、従軍慰安婦、そしてジャーナリズム  

古本屋通信 「あのなあ、NHK会長の従軍慰安婦発言に逃げるな。ボケ会長の発言なんか、どうでもよい。あっさり撤回したではないか。学習指導要領の解説書こそ一大事だ と、まあ、私はこう書いた。これは河村さんに書いたのではない。いつまで経っても政府の学習指導要領の解説書を批判しない赤旗記事を皮肉って書いたのだ。然しその後、赤旗には指導要領の解説書批判が掲載された。改めて「NHK、従軍慰安婦、そしてジャーナリズム」を書こうと思った。河村さんの、何時もながらの歯切れのよい記事があった。使わしていただくことにした。タイトルを「河村ひろ子さんへ」としたが、これは手紙のかたちを借りた私のアピールである。河村さん一人に宛てた手紙ではない。

 河村さんの一昨日のブログに一言ずつ書くことで、日頃の党活動への敬意の表明に代えたい(古本屋通信)。

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河村さん 「NHKの籾井会長は、慰安婦の問題について [戦争をしているどこの国でもあった] と発言」

古本屋通信 これは間違ったことを言ってはいませんね。公人として場違いなだけです。これにたいして「慰安婦は日本とドイツしかなかった」などは、いい加減なことです。侵略軍のあるところ何処にでも売春はあった。現に沖縄にも岩国にも、米軍のための日本人女性による「慰安所」(下記註)があります。一寸追加。侵略戦争に限って、というべきでしょうね。祖国防衛戦争、例えば中国人民解放軍やベトナム解放民族戦線軍は「慰安所」を必要としなかったでしょう。なぜなら、越境する必要のない正義の戦争でしたから。 

河村さん 「国内外に批判が広がっています」

古本屋通信 じつはそんなに広がっていないんですよ。目をよくあけてごらん下さい。米韓中の皮相なジャーナリズム状況に限定しないで下さい。民衆レベルでは全く問題にもされません。それと、ジャーナリズムの先進国のヨーロッパ(英、仏、独)で問題にされたでしょうかね。

河村さん 「また [政府が右という事を左というわけにはいかない] とも発言」

古本屋通信 これは当然でしょう。NHKは公共放送という名の国営放送ですからね。本音を語ってくれてありがとうですね。


河村さん 「公共放送の立場ではなく、まさしく政府の代弁者」

古本屋通信 存在自体が政府の代弁者なんですが、建前の公共放送を振りかざして視聴料金を取るのですから、建前どおりに公正に報道せよ、でよいと思います。政府の御用放送をするな、でよいと思います。


河村さん 「ジャーナリズムって何だろう?と、とても考えさせられます」

古本屋通信 あまり深く考えなくてもよいのではないでしょうか。支配階級の人民支配を支える主要な道具のひとつです。そこで働く労働者の努力や読者世論によって、一定程度は人民の声を反映させることは可能です。しかし階級的本質を変えることは、革命によって以外では不可能です。編集権は資本家にありますし、独占資本の広告で経営が成り立っているのですから。


河村さん 「マスコミの報道は、私たち国民に大きな影響を与えます」

古本屋通信 私は2つのことを思います。支配階級の番人としてのマスコミの階級的本質が変えられない以上、われわれはその具体的な反人民的あらわれを、日々批判し続けていかなければならないこと。然しこれには限度があります。より重要なのは、ブルジョアジャーナリズムに抗して、人民的ジャーナリズムを創り広げていくことだと思います。ここにこそ共産党機関紙赤旗の役割があります。しかし赤旗だけでは限度があります。市議さんたちの議会報告その他、ミニコミ、それからネットによる情報発信など、工夫して人民ジャーナリズムを広げていきたいものです。古本屋通信はその端末のつもりです。


河村さん 「真実を伝えることが一番の役目と、私は思うのです」

古本屋通信 私はいつもブル新、ブル新と軽蔑した言い方をしていますが、もういっぽうでマスコミの社会的役割を否定しているわけではありません。真実はともかく、事実を報道するのは報道機関の社会的責務でしょう。だから、共産党も取材には応じるし、選挙だといえばテレビにも出ます。この最小限の役目を果たしていないなら、厳しく追及しなければなりません。


河村さん 「英国放送協会は [政府の見解を批判的に紹介することが、公共放送、放送ジャーナリズムの信頼と権威を高めることになる] と語っています」

古本屋通信 これはよく引かれるのですが、私は余り感心しませんね。イギリスのジャーナリズムには、放送であれ新聞であれ、18,19世紀からの長い歴史と伝統があるからです。日本と全く歴史がちがいます。これと正反対の例ですが、私たちは(少なくとも私は)旧ソ連や中国や朝鮮(北)の報道機関を(政府広報だといって)非難しません。私はモスクワ放送も、北京放送も、平壌放送も聴いていました。政治権力との距離はそれぞれの国の歴史によってちがいます。


河村さん 「日本のジャーナリズムは、どうなのでしょうか・
・・・・」

古本屋通信
 もう三十年以上前になりますが、ジャーナリズムについて、かなり多くの本を読んだことがあります。それはかたい本ではなく、週刊誌や放送に関する本でした。ここ(主に雑誌ジャーナリズムの世界)に多くの左翼人士が生息していました。私自身も週刊誌の記者(とうじトップ屋と呼ばれていました)になる可能性がありました。日本のジャーナリズムを底辺で支えているのはこの人々です。この世界は皮相な世界ですが、彼らはしぶといです。そう簡単にファシズムのお先棒を担がないと、私は信じています。


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 註記について 沖縄に米軍兵士のための売春はあるのか、ないのか。これはいま現在の問題である。これを措いて70~100年前の事実の有無を問題にするむなしさ。しかもひとりの発言を。
 日本はかたちの上では独立国である。沖縄は日本の土地である。アメリカの属地ではない。日本には売春防止法がある。それはアメリカのハワイでは適用されないが、沖縄県では適用される。なぜ売春を摘発しないのか。
 それは余りにも明白である。売春がないからである。政府も、自民党も、公明党も、民主党も、みんなの党も、維新の党も、社民党も、日本共産党も、沖縄に半公然の売春があることを認めていない。認めたら困るのだ。
 籾井の発言? 何をぬかすかだ。今すぐ手をつけなければならぬ、ヤマトナデシコの陵辱・凌辱 【りょうじょく】問題に目をつぶり、沖縄から米軍をたたき出す安保条約廃棄のたたかいを放棄して、なにがNHK会長の発言か。



投稿への批判

 前掲記事に関連して、直後に投稿がありました。私は既に従軍慰安婦問題については、橋下発言のとき十二分に書いており、その本質は売春であるという確信を持っている。再論するつもりはないのだが、今回の投稿は分りやすい形の俗論=謬論であるので、ちょっとだけ批判しておきたい。尚、この問題について討論するつもりは全くなく、関連投稿はどなたであろうと即削除することを断っておく。その理由は、そういう議論そのものが従軍慰安婦問題の歴史的認識を妨げ、この問題を政治的に利用しようとしている似非人権派に加担する結果になるからだ。


 
売春とは違う
慰安婦を、普通の売春と同一視するのは、どうかと思います。
人身売買で親に売られた事例の他に、看護婦の仕事があるといわれて着いていったら、慰安婦にさせられた事例、
そして軍に強制された事例もあります。
軍が慰安婦の移送、慰安所の営業時間・価格も決めていたし、軍直営の慰安所までありました。
このようなことを、例えば現在の沖縄の米軍が行っていますか?
個人が自由意思で売春していたのなら、そもそも問題になっていません。
これらの問題を認識できないなら、自由意思だろうと強制だろうと性産業従事者はいやしいと内心で思っているセクシズム(性差別)を持っていると非難されてもしょうがないと思います。
2014/01/31(金) 04:54:07 | URL 古本屋通信があえてハンドルネームを削除した




 古本屋通信

 売春と全く変わらないどころか、売春そのものである。売春のもっとも悪質なかたちは管理売春であろう。その意味ではもっとも悪質な売春である。典型的な売春である。 

 だいたい論者は何をもって「普通の売春」と言うのか。どういう意味で、「普通の売春と同一視するのは、どうかと思います」と書くのか。古今東西の売笑史に精通しているのか。経済上の貧困もなく、自らの完全なる自由意志で選択した職業とでもいうのか。テンデはなしにならない。戦前の東北農村の身売りも、朝鮮半島の売春も、現在の沖縄基地におけるそれも、本質において全く変りない。

「人身売買で親に売られた事例の他に、看護婦の仕事があるといわれて着いていったら、慰安婦にさせられた事例」。いったい何処のことを言ってるのか。売春があるところ、どこにでもある。「軍が慰安婦の移送、慰安所の営業時間・価格も決めていたし、軍直営の慰安所までありました」。いったいなにを寝ぼけたことを言っているのか。世界中どこでも、管理売春の在るところ、管理者がいる。軍のあるところ軍が管理者になる。それとも沖縄の売春が米軍管理下に置かれていない? 何をぬかすか。アホウか。一応日本は独立国だ。それに売防法がある。あのね、沖縄の実態、米軍に代わって米兵のために日本人が売春の管理してやってんの。もっと悪いワ。ソープランドでも。売春宿でも、営業時間はあるだろう。なにを言っているのか。

 もう余り不勉強を晒さないほうがよい。墓穴を掘るぞ。朝鮮半島における従軍慰安婦の8割が、元々売笑婦だっという統計もある。これは右から出た資料だが必ずしもいかがわしい資料ではない。こういうものを検討していけばいくほど、従軍慰安婦の「普通の」売春が浮き彫りになっていく。それでも彼女たちが日本天皇制軍隊の犠牲者であることに変わりない。だから彼女たちに不利な事実をあえて暴かない。今回の投稿者のようなのがいると、言わないでよいことまで言うとになる。

 私は本来なら、従軍慰安婦のことばは使いたくない。「日本植民地下における朝鮮人売笑婦」が正しいだろう。

 今回の投稿文は不勉強で稚拙の標本としてあえて掲載したが、同レベルを二度と貼ることはしない。低レベル以上に腹立たしいのは、この投稿者が「時流」を意識して、俗に媚びている事である。たぶん若くも古くもない女性だろう。同一人物からの別の投稿は即時削除する。このエントリーも消去するかもしれない。投稿者はこころして掛られよ。

追補 投稿文の最後2行は意味不明。このひとの文、一寸時間をおいて再読した。ある種のカルトだろう。つまり双方向の情報がない、あっても聞く耳を持たない。情報の一方通行。こんなの怖いんだ。


 日を空けて、最後の3行を無理やり読み込んでみた。

これらの問題を認識できないなら、自由意思だろうと強制だろうと性産業従事者はいやしいと内心で思っているセクシズム(性差別)を持っていると非難されてもしょうがないと思います

 これは古本屋通信を非難しているらしい。私は最初、「性産業従事者」というのを慰安所の管理者=日本軍のことだろうと読んだ。そしたら、チンプンカンプンだった。ところがそうではなく、これは慰安婦のことらしい。なるほど。それで、私は女性差別者になる? 内心では慰安婦を、売春婦だからいやしいと思っている? そうか、そういうことになるのか。参ったな、こりゃあ。こういう認識方法だから「元従軍慰安婦のかた」というような言葉が飛び出すんだな。従軍慰安婦はただの売春婦ではない、だから、これを売春ととらえるのは性差別になる? 参ったな、こりゃあ。感情移入だな。目の前にある事象を対象化できないだけでなく、対象化して捉える者を感情移入していないと言って非難し、挙句のはて差別者に仕立てるんだな。ウン。よく分った。左翼運動の中でも、かなり頭の悪い女のなかに、こういうのがいた。困ったなあ。理屈じゃあないんだから。「わたしが従軍慰安婦のかたの気持ちに寄り添って運動しているのに、どうしてあなたは私たちの気持ちが分らないんですか?」ということだ。これ、やっぱりカルトでしょうね。
 私の経験で言うと、どういう運動にも、こういう部分は必ずいます。左翼運動は彼女たちを排除するのではなく、運動の高揚のなかに巻き込んでいく、それしかないと、私は思ってきました。しかしこういう部分に運動のイニシアティヴを執らせると必ず運動は挫折する、私はそう思います。あとは読者の判断ということで終わります。


 

 入念  細かいところまで行きとどいていて、丁寧なこと

約100年前、絶対主義天皇制国家である日本は、大東亜共栄圏の野望を持ち、東アジア諸国で蛮行の限りを尽くした。これは紛れもなく日本が一方的に引き起こした侵略戦争であった。

日本軍は海外各地で殺す、犯す、奪うの行為を行ったが、これは侵略戦争がとうぜん引き起こした結果であった。わけても日本軍兵士の現地での婦女暴行=強姦(ごうかん)は烈しかった。犯すとすぐに刺し殺すこともあった。しかし記録は多く残っていない。

とうぜん対策措置はとられた。慰安所の設置である。日本軍兵士の性欲の一括処理のための施設だ。これには現地の女中心に、日本の売春婦も加えて延べ1万人が当てられた。

これは侵略戦争をつつがなく遂行する上で欠かせない処置だった。侵略軍のあるところ世界各国、かたちは多少違っても何処にでもあった。おそらくヨーロッパ絶対主義列強にもあった。性欲は誰にでもあるからである。その衝動を抑え続けて長期の日常活動を継続することは不可能だからである。このことも我々が戦争に反対する隠れた理由である。戦争は人間の摂理に反すると。人間的自然に反すると。

慰安所の女がどのような方法で集められたかは、この文脈の中では問題にならない。納得づくであろうとなかろうと、ここでは大した問題ではない。騙されてきた女もいるだろう。今までより稼ぎが増えると喜んできた女もいるだろう。そんな一方の例を100引いても始まらない。またこの方法は、「内地」の「女郎」集めと大差あろうわけがない。

問題になっているのは、日本の植民地支配下の朝鮮人女性である。そもそも韓国併合から始まる(前史があった)日本の侵略に付随して発生した、すべての先方にとっての不利益については、すべての責任は日本側にある。日本は謝罪して賠償に応じなければならない。

侵略戦争が犯した戦争犯罪でよいものはひとつもない。性病の蔓延と強姦の頻発の防止にいくらかの貢献をしたからといって、慰安所が侵略戦争の産物であることは疑いない。その存在は憎んで余りある。

然しそれは過去に存在すべくして存在した歴史的事実である。その事実について、「戦争のあるところ何処にでもあった」と言うのに、何のやましさもない。まさに「存在するものには合理的な理由がある」(ヘーゲル)から存在したのである。これがだめならモノが言えなくなる。私はここで「慰安婦タブー」という言葉を提唱しておこう。日本政治史、或いは日本ジャーナリズム史に今回、あたらしいタブーが発生したのである。過去もいまもある菊タブー。鶴はどうか。解同タブーは消えたか。新たなタブーをつくりだしたのは右ではない。左である。これが民主主義の自殺だと気が付かない。恥じを知れ。

橋下やNHK会長の発言に問題があるとすれば、かれらが先の戦争をはっきりと侵略戦争とは言ってないことだろう。然し「迷惑をかけた」くらいの前提はあった。そういう表現は使っている。場違いはあっただろうが、発言内容自体になんの問題もない。

まあ、選挙というのは下劣だねえ。橋下がたった一言喋っただけで維新はあれだけ凹んだ。味をしめた側がNHK籾井に跳び付いた。そりゃ行け、逃がすな、と。政府と自民党がビビった。で、お詫びとなる。これ、ひどいね。

日本共産党が創立されて91年半である。この党は戦前の侵略戦争に身をもって反対した輝かしい歴史をもっている。党としては如何なる弾圧にも屈しない非転向の党であった。それを獄中で体現した共産主義者は有名と無名を含めて僅か百人と言われている。すこし大袈裟に言う。私は自分がこんにち生きているのはこの人々のおかげだと思っている。

宮本顕治が死んだ時、加藤周一が弔辞で「宮本さんは身をもって日本人の誇りを守った」と言った。これは私流に言えば、非転向共産主義者が日本近代史を創ったということだ。戦前の日本共産党がなかったら、そして戦後の民主主義のすべての運動に繋ぐ正当な継承者が存在しなかったら、日本の近代史も戦後史もずいぶん貧しいものになっていただろう。

⑩③ 今回の問題をこれに引き寄せて言えば、いちど侵略戦争の銃をとって戦地に赴けばオワリだということだ。ギリギリで踏み留まれなかったら、人間は落ちていく所まで落ちていく。私がまだ小学生だった頃、戦地から引き揚げてきた人で「戦争自慢」する男がいた。朝鮮人の女の首を刎ねたという。そのまえに女を抱いたのだそうだ。その男は大工だった。左官が訊いた「味はどうだった?」と。以下略。子供好きのいいおじさんだった。

⑩④ 従軍慰安婦議論をふりかえって想う。悪乗りしないことだ。特に共産党に言いたい。NHK会長発言関連。赤旗のあの報道は何だ。そりゃあ、プロパガンタもあろう。然しいいかげんにせえ。何んにもまちごうた事をいうとりゃあせん。



 ネットで見つけた異論をひとつだけ貼っておこう。標準的な異論だろう。おそらくこの方の方が圧倒的多数派であろう。  

「狂犬病、この個人的なるもの」 1月28日・火曜日(雪)   星置 風狂散人

   NHKの籾井勝人会長の「慰安婦」発言に対して国内外から批判と怒りの声が広がっていると今朝の新聞に
  書いてあった。これに対して菅義偉官房長官は昨日(27日)、「個人として発言したと承知している」とかばい、
  辞任の必要はないとの認識を示したということだ。
  まあ、そういうものだろう。「政府が右ということを左というわけにはいかない」と可愛いことを言う愛犬ポチを飼
  い主がかばうのは別に不思議なことではない。しかし、その犬が小型の愛玩用であればともかくとして鎖で繋い
  でおかなければ飼い主とて制御できない大型犬であり、しかもその上に狂犬病であったとしたらどういうことにな
  るのだろう。その犬が狂犬病であることは海外のメディアの反応を見ても明らかである、それが分からないのは
  今のところ飼い主だけである。なぜ分からないのか、答えは簡単に出てくる。飼い主その人が狂犬病であるため
  に飼い犬の症状の異常に気づくことが出来ないということである。つまりは感覚麻痺ということである。
  だから「個人の発言」などという意味不明な言葉が出てくる。
   三省堂『大辞林』によれば、個人の意味は「国家や集団に対して、それを構成している個々の人。私人。また地
  位・身分などと切り離したひとりの人間」となっている。
  辞典によらずとも一般の常識内では、人がその言動について「個人の、または個人的な」というような断りを入れる
  ときというのはその言動が私的な時間及び場所で発せられたものであることを約束事としている。
  しかし、籾井さんの発言は近所の居酒屋や散髪屋でのものではなくNHK会長として記者会見の場で述べられた
  ものである。これはいかなる意味でも一個人の発言とは受け取れないだろう。誰がどのように聞こうと間違いなく
  公共放送であるNHKの代表としての、地位も身分も切り離されていない公人としての発言である。
   問題となるのは、以下の3点である。
  1、歴史認識の根本的な誤り。
  2、女性蔑視とその国家観。
  3、政権からの独立・自立を必須とするジャーナリストとしての資格。
   結論、即刻辞任すべし。
  公共放送と国営放送の違いも分からぬ者が会長や委員に名前を連ねていることが最大の誤りなのだ。
   その昔、私が少年だった頃だ。
  『ひょっこりひょうたん島』という人形劇があった。原作者は井上ひさしである。
  そんな昔もあったのだ。
  今の少年・少女はNHKの何を観ているのであろうか。
  あの季節、そこにあったものは、文化の香りである。


戸坂潤全集の月報について  高原利生
戸坂潤全集の月報について  高原利生
 定年退職後、本は読まない主義を課している(読まない理由はホームページに書いた)。例外はあってマルクスと戸坂潤である。戸坂潤全集は第一巻と第三巻を持っているはずであるが、なぜか今、手元にあるのは第三巻だけである。そのマルクスも戸坂潤もこのところ読めていない。
 古本屋通信さんが高原のAMAZON書評を紹介されたとき、芝田進午の「人間性と人格の理論」に言及されていた。僕のマルクス主義との出会いも「人間性と人格の理論」だった。理科系に進んだ人間にこれは分かりやすかった。読んだ当時、人にもこの本を勧め、当時の仲間の間で「人間性と人格の理論」は、「何でも書いてある」本として読まれた。
 戸坂潤全集第三巻の月報に、西谷啓治が、戸坂の恩師西田幾太郎が、戸坂はマルクス主義でなく科学哲学をやればいいんだが、と語ったことが紹介されている。始めて戸坂潤に惹かれたのも、科学について論じたものだった。戸坂以後、彼のような固くて同時に柔軟な論理を展開できる哲学者はいなくなったように思う。
 また、戸坂潤全集の月報は、どれも、内容が濃くしかも心がこもっていて胸を打つ。これだけでも読むに値すると思う。戸坂潤全集は揃えたいと思っている。
2014/02/19(水) 10:54:17 | URL | 高原利生 #mRB1KL6Y [ 編集 ]

バッジ@ネオ・トロツキスト氏の反原発  高原利生
バッジ@ネオ・トロツキスト氏の反原発  高原利生
 ここにコメントするのは適当でないかもしれないが、簡単に一言。
 一点共闘についての既存政党などへの極めて優れた批判であると思う。優れた意見である点はここでは触れない。
 賛辞は、根本的な何点かを除いて、である。そして、この何点かで彼の道も地獄への道である。「地獄への道は、善意で敷き詰められている」。優れているが故により「地獄への道」が徹底的なものになるのは皮肉である。
 バッジ@ネオ・トロツキスト氏の、「放射能による全人類的被害の撲滅、放射能被害からの解放」という反核運動の原点とか、「核兵器廃絶運動」と「反原発運動」は、「反核運動」の同じ一つの屋根の下にある二つの部隊に過ぎないとかが、第一に違っている。
 芝田進午が、あるところで、科学技術万能と受け取られることを述べたことがある。それはもちろん違っている。しかし、科学技術の可能性とその現実の問題点は区別しないと、将来の可能性を失ってしまう。今は、こういう当たり前のことをいうのは左翼ではないらしい。なお、反原発について左翼で比較的にまともな意見を持っているのはマルクス主義同志会だけのように見える。高原の原発についての意見は、http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-257.html http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-257.html#comments
などで述べた。
 第二に、「日本民族に放射能被害を与え得る米軍核艦船の来港や中韓の原発稼働に物も言えない日米安保容認や中韓排外主義右翼の立場では、日本でも今後は反原発運動の隊列に残れまい。」というのも、国際主義、他国との関係の在り方の点で問題がある。
2014/02/19(水) 15:40:06 | URL | 高原利生 #mRB1KL6Y [ 編集 ]

田中一『自然の哲学』(上下)ですが、前にも書きましたがエンゲルスの「自然の弁証法」以後、否定されたはずの「自然の哲学」が復活していることに興味を持ちました。
なお、黒田寛一の『何をどう読むべきか』という薄い本では、ソ連では「自然の哲学」が復活するという混乱が起きている、とあります。
2014/02/23(日) 03:55:37 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
自然科学系の人がエンゲルスを高く評価することは多いですね。しかし逆に、哲学系の人が晩年のエンゲルスを「実証主義者」と否定的に見る例が多い。ルカーチなどは自然の弁証法を否定するところまで行った。
マルクスとエンゲルスの関係については、論者の数だけ説があるといえるくらいなので、ある研究者は「そんな難しいことをやる自信がないから、私はマルクスの晩年のロシア研究について研究することを選んだ」と言っていました。
あまり関係ないですが、東大民青の活動家は理学部地球惑星物理学科が結構多かったかな。地球惑星物理学科が卒業がそれほど厳しくなかったからだろうと思います。東大では専攻を選ぶにあたって特に党の指導はありませんでした。教養学部自治会さえ握っていればよいということだったのでしょう。
2014/02/23(日) 11:36:23 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


あなたはNHK会長籾井の発言をちゃんと読んでおられますか?

>籾井氏は従軍慰安婦問題について「今のモラルでは悪いんですよ」としつつ、「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げた。「なぜオランダにまだ飾り窓があるんですか」とも述べた。飾り窓はオランダなどにある売春街を指す。(朝日新聞デジタル)

籾井は「戦争をしているどこの国にもあった」と言っているんですよ。しかしこれが間違いであることは明らかです。たとえば朝鮮戦争で朝鮮人民軍に「慰安婦」がいましたか?

あなたは

>従軍慰安婦は侵略戦争のあるところ、侵略軍の行く先々、どこにでもあった。

とおっしゃっている。確かに「侵略戦争」ならそうでしょう。しかし籾井は「侵略戦争」などと限定していない。日本の戦争は侵略戦争ではなかったという立場だから当然だろうが。逆にオランダの「飾り窓」を例に挙げている。オランダの「飾り窓」は自発的に行われている合法的な売春であり、「従軍慰安婦」とは根本的に異なる。籾井がこれを意図的に混同させていることがわかりませんか?勘違いから出発しないで、問題を正確に理解してください。

それとキンピーサイトのブサヨ管理人はお話になりません。なにしろ東京裁判のこともまったくわかっておらず、「ソ連は日ソ中立条約に違反した」などというヨタ話を主張するくらいですから。
2014/03/02(日) 10:24:48 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


『アンネの日記』やホロコースト関連本の切り裂き問題ですが、ファシスト「維新政党新風」が、「ヒトラー生誕125周年記念パーティ」を予定していることから見ても、単なる個人の仕業ではなく、日本極右のナチズムとの思想的・組織的接近が背後にあると見るのが自然でしょう。日本右翼が「ユダヤ人を救った」と称賛する杉原千畝に関する本も対象となっていることから見ても、日本の伝統的極右ではなくナチズムとの関係を疑うのが自然です。

それはそうと、貴殿は共産主義者の服装・正装についてどう思われますでしょうか?
ある党派の幹部追悼集会に出たことがありますが、出席者は正装ではなく普段着でした。形式なんかにこだわる必要はないでしょうか?
江沢民来日の際、宮中晩さん会で人民服を着用したことで、一部のバカな右翼が「非礼だ」などと騒ぎましたが、これは日本外務省が「民族服の着用を」と要請したので、中国側が人民服を選んだもので、中国側を非難するのは全くのお門違いです。
金正恩は人民服を着用し、金日成バッチをつけていますが、正式には人民服にはポケットが4つあるはずなのに金正恩が着用しているのには2つしかありません。ひょっとしたら中国は4つだが朝鮮は2つなのかもしれません。
金正日の作業着のようなものは、国内では他の誰も着用が許されなかったものだとのことです。朝鮮では女性の民族服(チマ・チョゴリ)は現在も普通に着用されていますが、男性の民族服(パジ・チョゴリ)はすたれてしまって、特別な祝いなどの時しか着ないようです。普通の正装は背広・ネクタイになっているようですね。
日本共産党幹部も背広・ネクタイを着用していますね。夏は開襟半袖を正装とすべきと思いますが。
2014/03/01(土) 12:49:22 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>黒田寛一のときはやったんでしたかね。

黒田寛一が死去したときは、「革共同政治集会」で発表されましたが、特別な追悼集会などはありませんでした。しかし「解放」で追悼キャンペーンが行われました。黒田崇拝運動は現在にいたるまで続いています。やはり革マル派は黒田であり、黒田なしに存在しえないということでしょう。
2014/03/02(日) 10:37:39 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


いいや、革マル派全学連の拠点についての情報は不正確です。どこかからのコピペで誤りが入り込んでしまったのでしょう。

まず、
>北海道教育大学旭川校(全学自治会)

これですが、革マル用語では「旭川教育大学」と言います。しかし「北海道教育大学旭川校」であるのは事実なのでこれは誤りではありません。

>早稲田大学(文化連盟・歴史学研究会・現代思想研究会・国際問題研究会

「文化連盟」ではなく、「文化団体連合会」です。

>専修大学(文化学術連盟・国際問題研究会)

「文化学術連盟」ではなく「学術文化会」です。

>鹿児島大学(全学自治会)

全学自治会ではなく、「共通教育自治会」です。最初の2年間が共通教育です。

このように、誤りが多いので、公安情報ではありません。
2014/03/03(月) 23:44:13 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



和光大学が出てきましたが、和光って理事会が日本共産党支配だというのは事実なのでしょうか?私の友人が和光大に2年間通って、3年から法政大に編入して卒業しましたが、和光は「代々木カルト学園だった」と言っていました。朝鮮語の教員は「代々木に担がれて朝鮮大学校を裏切った人物」だったそうで。学生運動は、民青和光班と革マル(闘う和光)だったそうですが。
彼が法政にいた時は、まだ当局の露骨な弾圧はなく、中核派・ノンセクト・民青・新社会党が活動していました。新社会党の学生支部はおそらく法政だけだったのではないかと思います。武蔵大・中央大・東大にも党員はいましたが。いまの法政はひどすぎます。
予備校に勤めていた時、和光のパンフレットを見ましたが共産党色は感じられませんでした。まあ大学紹介パンフレットなんかではわからないものかもしれません。
2014/03/08(土) 07:30:34 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


ついでですが、貴殿は党を官僚的に追放されたにも関わらず党への愛情を捨てていないように思われ、これは完全に反共化した宮地健一さんなどとは好対照をなしています。私も戦後の共産党全体を否定する立場に到達し、貴殿とはかなり認識を異にすると思います。
ところで日本共産党に限らずですが、専従活動家というのはどういう人物がなるのがふさわしいと思われますか?職業革命家というのは使命感に燃え、かつ優秀な人物でなければならないと思いますが、共産党や民青ではむしろ「一般社会でやっていけない」人が専従になっている例が多すぎます。
私が民青高校班にいた時の県委員長は「会社がつまらないから辞めて専従になった」人でした。その人は国立大化学科を出て、本当は教員になりたかったのですが、教員採用試験に受からなかったので、一般企業に就職しました。その企業では、毎日が実験実験の繰り返しでした。出勤すると白衣を着て終業時間まで実験・実験また実験。それで実験ばかりで専門的な勉強もできないし、つまらないということで教員採用試験をもう一度受けましたが、受からなかったので、ちょうど民青の後任県委員長を決める時だったので自分がなりたいといった、ということでした。しかしそんな人が専従でいいのかと疑問に思いました。個人的には悪い人ではありませんでしたけどね。
2014/03/08(土) 10:40:14 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
ちょっと誤解を与えてしまったようですね。教員採用試験に受からない人がダメだとは思いません。おっしゃる通り、向き、不向きということはあります。それに一般社会でやっていけない人が必ずしもダメだともいえません。太宰治なんて、一般社会では人格破たん者でしょう。(「民主文学」方面から太宰治研究が出てこないのを不思議に思います。)

>これはまあ東大なんか、特に党中央に、頭の柔らかい職員を例外的に採用するのを認めない訳ではないけれど

これですが、私はむしろ東大の学生党員について逆の感想を持っています。東大の学生党員はいわゆる「ゴリゴリ」系であり(田川豊は典型です)、まったく使えない連中という感想を持ちました。一橋や早稲田や東京学芸に面白い党員がいました。


それと、

>ここでは専従に党議員も加えます。

これですが、議会主義政党でない共産党であれば、党議員というのは党専従の一形態であるのは当然であると思います。それなのに、党議員が専従より高い収入を得ているのはどういうわけなのか。都道府県議員は月給40万もらっているのですよ。非議員の都道府県委員会専従との格差はどういうわけなのか。

日本福祉大についてですけど、福祉系の大学は他にもいくつもありますよね。しかし日福だけが民青拠点となったのはなぜなのか。日福には他党派もほとんどいなかったそうです。わずかに民学同がいただけだそうです。愛知大学(豊橋)は革マル拠点だったのにどういう理由でこういう差が出たのか。

ところで民青とは全然関係ない人ですが、ある研究者は早稲田を中退して日福の経済学部に入りなおし、研究者になったそうです。早稲田を中退した理由は教えてくれませんでしたが、革マル派への憎しみは相当なものでした。
2014/03/09(日) 17:54:46 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
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>教師ほど視野の狭くなりがちな職業はない。これは仕方がないのです。

確かにそういう面はあります。生徒を殴ることが教育だと思い込んでいるものすらいる。兵庫県での神戸高塚高校事件では共産党が執行部を握る教組がそういう教育を問題視していなかった。
http://www4.plala.or.jp/kawa-k/hihyou/TAKATU~2.HTM
だから新自由主義者が教組破壊のために唱えている任期制導入といったことも一定の説得力を持ってしまう。

>教師というのはいよいよ勉強しませんね。これは教員採用試験合格をかなり能力評価の基準にしている元東大民青さんにも、学校教師の過大評価を言いたいです。学校教師ほど勉強しない職業はないと。これは大学の研究者は別ですが、この50年間身にしみて思い知っています。

私が「教員採用試験合格をかなり能力評価の基準にしている」というのは濡れ衣ですが、それはさしおいても、教師のなかに勉強しない者が多いのも事実です。
授業の準備もせずにビデオを見せて、「分からなかったところは?」と生徒に質問するだけの教師、教師用指導書に書いてあることをしゃべるだけの教師…政府が40人以上ものクラス編成を放置し、教師にろくに勉強する時間も与えないできた責任が重大だから、教師だけを批判するのは公平性に欠けますけどね。
予備校などの受験産業を罪悪視する風潮があります。確かにそういう側面はあります。しかし予備校講師で本当にすごい人は本当にすごいのです。それに予備校では勉強せず、授業もきちんとできない人は淘汰されます。英語教育の基礎を築いたといってもいいような伊藤和夫(英語)とか、元東大全共闘議長の山本義隆(物理)とか、いかに日本語を読解するかを明快に教える田村秀行(現代文)とか、たくさんいるのです。もちろん、実力もないのに虚名を得ているような講師、たとえば荻野文子(古文)とか経歴詐称のハッタリ屋の吉野敬介(古文)といった者もいますけどね。

それと以前孫がいらっしゃるというようなことをおっしゃってましたね。いくつか知りませんが、もし中学受験を考えておられるなら、次の記事を読んでください。中学受験が悪いとは言いませんが、やり方によっては大きな弊害があるということです。
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/da/27/index1.html
他にも、「中学受験 弊害」といった言葉で検索するとよくわかると思います。

開成と灘の校長が対談しています。
http://yukata-diary.seesaa.net/article/364867730.html
開成は30数年間連続で東大合格者数1位です。ただし、生徒数に対する東大合格者の割合では筑駒(筑波大附属駒場)より下ですが。
開成校長の柳沢は言っています。

>開成では手取り足取りの受験指導や知識の詰め込みをするわけではない。
>興味深く思うのは、筑波大付属駒場、麻布などの伝統的な進学校の先生と話をすると、自主、自立の方針は共通していることです。

これはウソではありません。確かに開成や筑駒や麻布や灘といった名門校では「手取り足取りの受験指導や知識の詰め込み」はしていません。

かつて東京では「開成・麻布・武蔵」が男子私立御三家と言われた。麻布は私学教労運動の拠点の一つですが、麻布・武蔵はよく言えば自由、悪く言えば放任です。特に武蔵はそうで、受験対策や進路指導はいっさいしません。そのため合格実績は落ちて、「御三家」から脱落しましたが、その教育方針を支持する保護者(特に卒業生)はまだまだいるのでそれほど人気は落ちていません。

しかし重大な欠落があります。開成や筑駒や灘に入るような生徒は、多くが小学校4年くらいから塾通いして、それこそ「手取り足取りの受験指導や知識の詰め込み」を受けているのです。そして多くの生徒にその反動が来ます。開成や筑駒や灘に入っても、「自主、自立」と言われても何のことかわからない。結果、また中高一貫校の生徒を対象にした予備校に通うようになったりする。(平岡塾・鉄緑会・SEGといったところ)河合塾大阪校では灘の生徒が高2で東大コースを受けるので、彼らが3年になった時のための「エンリッチコース」というものまで作った。

それにこれらの学校は人生の目標を見つけるような教育をしていない。中等教育の目的は、大学で学ぶ基礎学力をつけることだけではなく、人生で何がやりたいかを見つけさせることでもあるはずです。しかし小学生から塾通いし、名門校に入っては「東大や医学部がすべて」という価値観で育っていれば、「東大にはいっても何の専攻をやればわからない」という者が多く出てきてしまうのもやむをえません。東大の場合は、入学時には専攻は決まっておらず、最初の3学期(1年半)の成績で進振り(進学振り分け)が行われ専攻が決まるのですが、何の専攻をやりたいかわからないのでとりあえず就職のよさそうなところを選ぶ、という学生が非常に多い状態です。これではしょうがない。

また、開成や筑駒や灘はそうでないにしても、「受験少年院」と呼ばれる学校はあります。岡山でいえば岡山白陵がそうですし、他にも洛南・西大和学園・ラサール・愛光・桐蔭学園といったところがそうです。こういった学校の出身者は、「手取り足取りの受験指導や知識の詰め込み」を受けているので、仮に東大や京大に入っても何をしていいかわからない。結果として留年や中退が非常に多い。

それにそれなりに良心的な学校はそうではないですが、とにかく合格実績を追い求める学校はたくさんある。洛南・西大和学園といったところは、京大の工学部が難しそうなら農学部を受けなさい、法学部が難しそうなら文学部や教育学部を受けなさい、とかいう指導をしている。大学で何をやりたいかなんてどうでもよくて、とにかく京大何名合格というのを追い求めているのです。清風を出た有名な某氏(多くの人が知っている人ですが、特に必要ないので名前は書きません)は、中国古典・中国思想に興味があり、北大に良い先生がいたから北大を受けて合格した。当然入学するつもりだったが、学校から「浪人すれば京大に受かるから浪人せよ」と強力に指導され、結局折れて浪人し、京大文学部に入って中退です。これなんて生徒の将来のために指導してるわけじゃないですよね。こんなひどい学校もあるということを知っておかないといけない。

それに東大が易化していると言われますが、多くの受験生や保護者が東大に無理して行かせることの無意味さに気付き始めたことの表れだと思います。灘では「理Ⅲ崇拝」があり、理系のトップクラスの生徒は東大理Ⅲに行きますが、ぶっちゃけ行く意味なんてないのです。理Ⅲはほとんどが医学部医学科に進学しますが、国立大の医学部なんて(文科省管轄外の防衛医大を別にすれば)大した違いはないのです。コストパフォーマンス(合格に擁する勉強量と、卒業してからの卒後研修や就職といったこと)を考えれば北大医が一番なのです。なぜなら北大は旧帝であり研究教育水準も高く卒後研修の選択肢も多いのに、北海道にあるせいか易化し、千葉大・東京医科歯科大・神戸大などより入りやすいからです。それに医学部卒業後、医学博士を目指すとすれば東大大学院に入るのはそう難しくはないのです。岡山大医学部だって伝統あるから北大には及ばないにしても伝統・実績ある学校なのです。

それに東大と京大の差が開き、京大が入りやすくなっているといわれる。ならば京大のほうがお買い得なのです。東大と京大は実績・伝統などから言っても差はない。東大には東京にいることの地の利はありますが、それくらいです。京大が入りやすいなら京大に入ればいいのです。それに一橋大も易化しているといわれる。なら一橋大に入ればよい。

また追加したいことがあれば書きます。
2014/03/15(土) 09:47:40 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

慰安婦 志位発表
 すぐれた論考だと思います。共産党の、資料を見出し論理づける能力を見直しました。また、河野談話当時の日本政府、そののちの日本の司法の能力も確かなものであったと感じます。
 広く読まれることを期待します。
2014/03/16(日) 00:32:43 | URL | 石崎徹 #uE0ZWTE6 [ 編集 ]


ところで、記事内容と全く関係がありませんが、「共産主義者と慈善事業」についてどう考えられますか?

ある党派の党員が、「就学率の低い国の子供たちが学校に行けるよう、給食費や教材費などをカンパしよう」というキャンペーンに募金していました。

そのことを組織に報告すると、「没階級的慈善事業はブルジョア的欺まんである。カネは革命党にカンパせよ」と言われ、機関紙に「慈善事業――ブルジョアジーの罠」という記事がのりました。

このようなことについて深く議論がなされたことはあるでしょうか?
2014/03/20(木) 17:39:48 | URL | 元東大民青 #-


マル学同はどうなんですか。イタリア左翼の理論を検討しましたか。
 私は、早大に69年から73年まで在籍した元党員です。革マル派の当局との馴れ合いに基づく他党派へのテロ支配(勿論、当局容認の上で)は、京大の赤ヘル集団と同じく卑劣でひどいものでした。法政大での中核派も同様です。そして、動労の革マル派は国鉄「分割・民営化」賛成に転じました。なぜ、彼らマル学同がブントよりましなんですか?私は、彼らに憎悪の感情しかありません。彼らは、左翼の仮面を被った殺人集団としか思えません(現に革マル派は川口大三郎君を殺しましたし)。私の経験の範囲では、ブントのほうが、いい加減でしたが人間味がありました。反帝学評は本当にお人好しの集団でした。今、数人とは友人です。と言っても、たまにあるクラス会で仲良く飲食する程度ですが。
 それから、あなたと元東大民青さんとの対話で気になったことがあります。田口富久治氏への評価とも関わるんですが。あなたがたは、イタリア左翼の理論(まずはトリアッテイ根源的にはグラムシ)をまともに検討したことがありますか。ないでしょう。あなたがたの議論は「さざなみ通信」と同様の左翼主義に私には写ります。特に「れんだいこ」の議論と同様に。ついでに、ユニクロがブラック企業でなぜだめなんですか。こういう企業こそ、若者を食い物にしているのです。このような企業に対しては、法律によってその横暴を取り締まるべきです。かって、マルクスが『資本論』で工場法について論じたように。なお、希土くんのブログは何度も拝見しました。「早稲田と同じだなあ」というのが、感想です。最後に、京都の共産党・民青の宿痾はセクト主義と権威主義です。学生が最も嫌う体質です。恐らく立命館大の民青がそうであったように。
 藤本敏夫はそんなにダメなんですか。加藤登紀子の歌うポーランドのパルチザン・ソングを、私はこよなく愛しています。ブントの長所は「人間としての温もり」なんです。政治的にはナンセンスですが。
2014/03/22(土) 02:19:18 | URL | Jigen #- [ 編集 ]

イタリアのマルクス主義で、検討に値すると思われるのは3つの潮流があります。しかし、そのうちグラムシとその流れしか日本では研究されていないようです。

一つはグラムシの流れ。グラムシの遺稿をトリアッチ(エルコリ)が編集したことで、特にスターリン批判・ハンガリー革命でスターリン主義の権威が失墜してから右翼スターリン主義者によって持ち上げられました。ネットで検索してみると、「党の創立者はA・グラムシとP・トリアッティ」とか「イタリア共産党創立者グラムシ」といったような誤解もしくは歴史偽造が見つかります。実際には、イタリア共産党を創立したのはボルディガ派(左翼共産主義者・反議会主義者)であり、A・グラムシとP・トリアッティは右翼少数派として参加したにすぎないのですが。

もう一つはデラ・ヴォルペ(Galvano della Volpe)とその弟子のコレッティ(Lucio Colletti)の流れで
す。コレッティは政治的には常に誤った選択をし、最後には右翼反動政党の議員となりましたが、彼らの著作(特にルソーとフランス革命とマルクスに関するもの)は検討に値するし、日本語でも翻訳されてしかるべきものです。デラ・ヴォルペ学派はルソーとマルクスの関係を重視する一方で、マルクスに対するヘーゲルの影響を否定するという立場であり、ヘーゲルが軽視されてきたイタリア的風土とも何らかの関係があると思われます。

最後にはイタリア共産党の創立を主導し、後にスターリン主義によって追放されたボルディガ(Amadeo Bordiga)とその後継者たちです。この左翼共産主義の流れは、ボルディガ本人が逮捕後、政治活への意欲を失っていたこともあり、第二次大戦後は忘れられたも同然でしたが、1968年のフランス・1969年のイタリアといった階級闘争の大規模な盛り上がりのなかで、いわば「再発見」された形になりました。この潮流は大学の世界からは意図的に無視されてきましたが、今日では真面目な研究も表れるようになってきています。
2014/03/22(土) 19:17:29 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>植本さんは山口でも下関はちょっと独立しているというような事を言っていましたが。

そうですね、下関はもともと山口県の中でも異質な風土です。山口県の県庁所在地の山口市よりも北九州市のほうが近いですし、映画「チルソクの夏」に出てくるように釜山との交流もあった。

>県副委員長 森脇さん 岡山理科大学卒業、岡大大学院修士課程修了、後期博士課程中退

その当時の岡山理科大学の評価はどうだったのでしょうか?昔は学部と違う大学の大学院に入るのは今よりはるかに難しかったそうですが。宇野派の降旗節雄は信州大から東大院、鎌倉孝夫は埼玉大から東大院ですね。
(なお、以前の投稿で降旗節雄を「節夫」と誤記していましたので訂正お願いします。)
仲本章夫は東大文学部哲学科から、許萬元は中大文学部哲学科から、都立大院で寺沢恒信のもとで学んでいます。よろしければ貴殿のこれらの人々への評価をお聞かせください。
閉鎖的な大学もあります。京大など、大学院入試の過去問は窓口まで出向かないと入手できないのです。沖縄県や北海道からも窓口に出向けと言うのでしょうか。
大学の中でも学部・研究科によって違ったりします。東大なら経済学部は他大からの学士入学も行っていますが(ただしかなり難関)、医学部保健学科(現在は健康総合科学科)は以前は他大からの編入も受け入れていたのに、現在では受け入れなくなってしまいました。健康総合科学科は定員割れなんだから受け入れればいいのに。
慶應はすべての学部で、学士入学は他大から受け入れません。

>これは共産党系ではないが、3つある解放同盟系ひとつ。

これは部落解放同盟(機関紙「解放新聞」)と部落解放同盟全国連合会(革共同再建協―いわゆる関西派と関係がある)と全国水平同盟(中核派中央派―いわゆる動労千葉派)のことでしょうか?
部落解放同盟(機関紙「解放新聞」)は、主に民主党・社民党支持ですが、地域によってはいろいろですね。広島県は新社会党と関係が深いですし。地方選挙では自民・公明を推薦することもあります。

>私は共産党系の解放運動にダーティーな部分がないと断言する自信はない。

これは京都であったことが寺園敦史(元「京都民報」記者)が明らかにしていますよ。
部落解放運動というのは、部落の物質的状況を改善する運動ですから、当然カネをめぐって腐敗が生まれることは避けられない。だからといって運動そのものを非難することが間違いであることは言うまでもありません。宮本・不破がやってきたように、部落叩きで票をかすめ取ろうなどというのは論外です。

>地域人権連岡山が一日も早く解散できる日が来ることを切望する。

これはさっさと解散すべきでしょう。なぜならば、「すでに部落問題は解決した」として「解放運動卒業」で全解連から地域人権連になったのですから。地域人権連は何のために存在しているのか全くわからない組織です。
オール与党時代の神奈川県や神戸市では選挙の時に候補者事務所に部落解放同盟と全解連の推薦状が両方貼ってあったりしたそうですが。

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まったく異なる質問ですが、「赤旗」では、昔「評論員」の論文がありました、が、「評論員」がなくなったのはいつごろでしょうか?
また、昔は「民青員」という呼び方をしていましたが、今はしなくなり、「民青同盟員」と言わなければならなくなったのはなぜでしょうか?
それに「民青同」という略語は公安などが用い、民青はこの略称を嫌がるのはなぜでしょう?「社青同」は別に問題ないのに。
また、日本共産党はなぜ「日共」という略語を嫌がるのでしょうか?
2014/03/25(火) 02:26:34 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


性関係でいえば、かつて常幹・書記局次長・参議院議員をつとめた市川正一が不倫問題で除名されましたね。しかし、ただの不倫であれば個人問題であり、民法上の責任はともかく党規律の問題ではないはずですから、不倫相手が政治的敵対勢力であったのでしょうか。公安の色仕掛けに引っかかったとなるとこれは党規律上の問題となってきます。
2014/03/25(火) 17:20:55 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>私は組織が個人的問題に関与することに否定的です。

私はそれほど否定的ではありません。性関係の問題は所属組織に報告すべきだと思います。宮顕が好んで言っていたことですが、性関係の問題は個人的問題ではない、なぜなら「スパイと恋愛し、結婚してしまったらどうなるのか」ということもありうるわけです。
それに、近年ではテレビドラマなどで恋愛洗脳がなされていますが、恋愛などしなくてもいいのです。もちろんしてもかまいませんが。
結婚にしたって「組織委託」でもいいと思いますよ。党組織が適切な相手を探して見合い結婚させる。
これを組織への忠誠度を高めるために利用する党派もあって、それは健全ではないと思いますけどね。
2014/03/27(木) 23:42:32 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


早大元党員です。
 ご無沙汰しています。先日のけんか腰の投稿にもかかわらず、寛大に受け入れて頂いたことに感謝しています。今回のテーマは学生運動についてです。このテーマは、これで最後にしたいと思います。取り上げることをお許し下さい。取り上げる党派は、ブント、及び中核派・革マル派です。後者にはトラウマもありますので、部分的にのみ触れます。いわば、実感を交えた私見です。
 ブントは一人一党の性格があり、善し悪しは別にして自分の頭で考えますし、文化水準も高かったという印象を持ちました。私は、彼ら・彼女らに人間的魅力を感じました。大学周辺の酒場では、ブントの連中はモテました。逆に総スカンの状態だったのが、民青でした。ブントはその政治的ないい加減さも含めて、学生に愛されたような気がします。以上は長所です。
 問題はここからです。彼ら・彼女らの決定的な誤りは、日本の新左翼(フロントなど構造改革派は含めていません)に共通した民主主義否定論(例えば、谷川・吉本・黒田など『民主主義の神話』現代思潮社やその俗流化したもの)とレーニンの政治理論の一面的・極左的な理解に基づくゲバルト至上主義です。そして、政治的にいい加減で、簡単に日和るのも彼ら・彼女らの体質です。民青が主張する民主主義と、民青に抜きがたく存在したセクト主義・権威主義は、ブントの体質の極北です。だからブントの連中は、大学を卒業して何年たっても民青をきらっていました。この嫌悪感とゲバルト至上主義が結びつくと、民青への残忍なテロになるのでしょう。それは、勿論免罪の余地のない犯罪行為ですし、糾弾されなければなりません。それにつけても希土さん兄弟のこと、本当に気の毒に思います。当時の京大教養部がそんなひどい状態だったことは、希土さんに教わりました。加害者の一人であろう男は京大教授になり、かってグラムシ研究者の一員だった時もあります。左翼に見えれば何でもよかった、さらには、より左に見えればより良かった70年代前半の学生の気分が、残忍なテロを容認したのだ、と実感的には思っています。希土さんはその犠牲者です。もう、こんな大学の荒廃状態は、再来させてはなりません。いかなる事情があっても、反対者を暴力的に抑圧することは、民主主義に敵対するものです(立命館大の民青も同罪です)。
 中核派・革マル派については、まず、民主主義否定論とレーニンの政治理論一面的・極左的理解に基づくゲバルト至上主義(革マル派は組織温存のためにはこれをも一時的には捨てますが)はブントと共有しています。それに加えて、悪しき「前衛主義」に基づくセクト主義、「反革命」のレッテル張りが(スターリニズムとも共通します)人間不在をもたらしました。これは、複数の人から聞いた話ですが、マル学同によるテロは、ブントよりもはるかに残忍で執拗だったようです。現に殺人にまで至っています。
 いずれにせよ、いやな時代でした。学生運動がほぼ姿を消してしまった今、私たちの世代は学生運動解体への第一歩を踏んだ者として、根底的な自己批判をしなければなりません。民青も含めて武装したのは、根本的な誤りでした。理論的な原因は、レーニンの政治理論(1921年のドイツ革命敗北以後のものと、『共産主義における左翼小児病』を除く)を前提にした運動論構築にあった、と考えています。今は、エンゲルス、レーニン、スターリンになく、マルクス、グラムシに存在する「市民社会論」から物を見ようとしています。
2014/03/27(木) 23:08:00 | URL | Jigen #- [ 編集 ]
  1. 2012/07/24(火) 15:22:40|
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備忘録1 倉庫3

倉庫3

古本屋通信  No 6       7月23日
 
 備忘録 その1
 
 自分が忘れないためだけに書いておきたいこともある。
 姫井さんが県議から参議院に出る、そして横田さんが市議から県議にうつる選挙の頃だったから、5年前ということになろうか。私は同業の南天荘書店の店頭ワゴン車の古書を漁っていた。すると、同年輩のネクタイの男が近ついてきた。
 「今度、民主党から市会議員の選挙に出る ××× といいます」
 「あ、僕は店のもんじゃあないよ。店主はいないけど、奥さんがいるよ」
 男が1、2分して奥から戻ってきた。そして、私の手にしていた古本を覗きこんで言った。
 「あれっ、これゴータ綱領批判じゃないの。懐かしいなあ」
 「なんで? なんで、民主党が、ゴータ綱領批判なんよ?」
 「学生時代によく読んだよ。レーニン批判もやった」
 「レーニン批判?」
 「ゴータは基本文献ですよ。レーニン批判をするうえでも」
 「あんた、ひょっとしてローザ・ルクセンブルグの青解? 解放派?」
 「社青同ですよ。大学、いられなくなって中退したんだけど」
 「大学って、中退って、どこ?」
 「国学院ですよ」
 「ひぇっ。すると追い出されたの、中核派に?」
 このとき、国学院と聞いて私は装丁家のMを思い出していた。たしか国学院出身の元中核派だったはずだ。
 「いや、中核じゃあなくて、革マルですよ」
 「へえ、そうだ。国学院は革マルじゃったなあ。でも青解さんは最近たいへんじゃなあ、命がいくらあっても足らんじゃろう」 
 「いや、もう離れているから、その心配はありません。離れた理由?それは言えない」 

 「ところで、岡山の民主党、今度、姫井さんが参議院にでるそうじゃが、横田さんが県議に移るのは、その後釜いうことかなあ?あんたら、みんなで横田さんを推しとんかな?」
 「いや、それは違います。姫井さんは党公認じゃから、みんなで推しとるけど、横田さんの選挙は関係ないよ。市議でもH君なんか横田さんを推しているけど、ぼくは関係ない」 
 私は選挙には余り興味がなかったが、いい機会だから、少し厚かましくきいた。
 「横田さんと下市さんが、党員でないけど民主と同一会派を組んでるのは知っとる。でも二人はどこかほかの党派に属しとん?」
 「あ、プロ青のこと?それなら、とっくの昔にやめてますよ」
 「へえっ、それは初耳じゃ」
 私は信じたわけではなかったが、市議会で同一会派の彼の認識がわかったので頷いた。そこでもうひとつ、知りたいことをきいてみた。
 「最近、横田さんと下市さんのあいだに何かあったん?えらい、離れているみたいじゃけど」
 「何もないじゃろう。もともと母体もちがうし」
 彼が欠伸をした。本当に何もないと思っているのか、それとも面倒な話はまっぴらだと思っているのかわらなっかった。
 私は話を切り上げることにした。
 「ところで下市さん、学校はどこでしたっけ?」
 本当に忘れていたので訊いた。
 「ヨココクだよ」
 今度は彼が、私に訊いた。
 「ところで、あんた、えらいくわしいようだけど、何派なんで?」
 「高校はK川高校、大学は省略するけど、あんたと違って二つ出とる。二つとも駅弁じゃけどな。それから、むかしの所属は平民学連。わかりますか、平民学連。わからんでしょう?」
 「いいえ、わかります。民青全学連をデッチあげた平民学連だ。われわれは平民全学連と呼んでいた。あのころの民青はえらい羽振りがよかったなあ」
 そして、付け加えた。
 「いまの民主党には、なんでもござれじゃ。極左から極右までおる。でも一点だけ一致しとることがある。反日共でじゃ。たとえ口に出さんでも、みんな腹の底では日共を嫌うとる。あんたも、ちいと自分らが何で嫌われとるか、考えたほうがええぞ」
 
 彼が手を差し出した「こんどの選挙はよろしく」。
 私は彼の手を握りかえした「必ずあんたにいれるよ」。
 
 因みにここ三十年、私は学生運動の潮流としての平民学連を知っているひとに会ったことは、彼をのぞいて、ない。そのかれもいまは議員を引退している。市議会に傍聴に行って「1930年代と現代の類似性」の弁を聴かなかったことだけが心残りだ。


念のため確認したいのですが、

>11回大会 議長(常任幹部会委員7人の中にいない)

常任幹部会だけでなく、幹部会委員にもいないんですね?

>党内派閥、党内人脈というものが私にはよく分らない。

党大会のたびに、"AERA"あたりがそれに触れたりしますよ。特に宮顕の引退前はよくやってましたよね。

>だって理論派閥ならともかく、不破に付くか志位につくか? そんなことが問題になるでしょうか? これ、エンタテインメントではないでしょうか?

そういう問題はないでしょうね。というのは志位には自分の部下といえるような幹部はいないでしょう。志位は不破に反抗できるだけの力はない。
袴田の証言によると、袴田は「共創協定」に反対したが、常幹は宮顕秘書団で占められていたからどうしようもなかった、と。あ、そういえば「共創協定」問題で党員宗教学者の村上重良が除名されてますね。
2014/01/18(土) 10:39:48 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
大会特集号調査依頼
はじめまして。せっかくの機会なので質問させてください。
(1)今大会の中継を見ていましたら、大会の閉会あいさつの後、拍手で終了していました。しかし、以前は、大会終了時にインターナショナル合唱をしていた記載があったと思うのですが、何回大会まで合唱していたのか、調べていただけないでしょうか(須藤五郎議員が指揮していたような)?もしかしたら「団結ガンバロー」かも・・・。
(2)10回大会?あたりまでの前衛大会特集号では、大会への祝電を全部掲載していたと思います。それを眺めて私は、独占経営細胞などが会社の実名をそのまま載せていてびっくりしたり、女子大の細胞を見つめてにやけたりした記憶があります。そこで、古本屋さんが今それらを見て、"これはこれは"と思える組織を探しだしていただき、コメント付きで紹介していただければうれしいのですが。
(3)古本屋さんは、11回大会の時、委員長、書記局長、副委員長に誰がなると予想していましたか?まさか不破哲三が書記局長に、上田耕一郎が幹部会委員になるとは思っていなかったでしょ?
(4)私は学生時代、東京中野の都丸書店で、50年前後からの前衛のバックナンバーが無造作に山積みになっている(裏表紙には早大津金佑近のサインがありました)のを見つけ、「スターリンは我らが胸に」と表紙に書かれた追悼特集号など少部数を、記念に購入したりしていました。当時は金がなかったのですが、今なら大人買いができます。前衛の古いバックナンバーを揃えている古書店がありましたらご紹介いただけまでんでしょうか?
2014/01/18(土) 22:06:54 | URL | 中Ⅱ病デモ #BgCG/k.M [ 編集 ]



なぜこんなに変化が少ないのか?と思える人事ですね。
予想通り不破はトップの座を維持した。
また予想通り山下が書記局長になったが、党内序列は何位なのか?3位に昇格したのか、それとも依然として市田が3位で山下より上なのか?
浜野忠夫は引退と思っていたが、留任ですか。
上田均は引退したが、後任は誰なんだろう?ウェブには財務・業務委員会責任者が書いていないから分からない。岩井鐵也が副責任者から昇格したのか?
それと川田忠明は書記局員になったが、幹部会委員への昇格はなしですか。
2014/01/20(月) 01:01:27 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
それはそうと、日本共産党の場合には、副委員長が複数いる場合に「第一副委員長」というようなのはないですね。
もしあれば、袴田は第一副委員長になっていたでしょうから、袴田粛清の衝撃はもっと大きかったかと。当時の袴田の「反共毒素一掃キャンペーン」では、袴田が「6人いる副委員長の1人でしかないことに不満を持って…」などと述べられていましたがね。
引退とか定年という概念のない組織では、新しいポストを新設しなければならないことがあります。たとえば、議長と第一副議長が高齢になり、ナンバー3が実務の最高責任者にならなければならない時、「責任副議長」なんていうポストができたりなんてね。
2014/01/20(月) 02:18:39 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
田川豊が准中央委員に選ばれなかったのは、東大の全学連脱退問題の責任を負わされたのでしょうね。
2014/01/20(月) 02:20:27 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>共産党が党内序列をボカし始めたのは7大会の野坂議長就任からでしょう。8大会でも形式的には議長が党代表ですが、この頃から幹部の配列はアイウエオ順になりました。私はこれはこれでよいとおもっています。戦後から6全協まで、党内序列があり、これはソ共や中国の物真似でしたが、なにかとブル新ネタになるだけでした。

私はむしろ、党内序列を公表しないほうが一般党員にとって不透明な党運営になると思います。
誰の責任で何が行われ、誰が責任をとるのかがわからないからです。

袴田失脚の予兆として、赤旗1976年1月8日の葬儀記事で、不破が袴田より先に書かれ、不破と袴田の序列が逆転したことが察知されました。

朝鮮労働党では、要人の葬儀のたびに「葬儀委員会」が組織され名簿が発表されるので、その名簿の順位で政権内序列の変動などが察知できます。なお、朝鮮労働党では党の実務官僚のトップは組織指導部第一副部長で、日本共産党でいえば浜野副委員長に、日本政府でいえば官房副長官に当たるのかな。

今回の党大会でも、不破がトップに留任しましたが、常幹の序列を公開していないから、一般党員でも「議長の座に固執した宮顕とちがって不破さんは偉い」なんて思いこんでいる人がいる。不破が序列を公表したくない理由はこれに間違いありません。
2014/01/20(月) 07:48:37 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>書記局長はナンバー2でしょうね。党はそう明言しない、外部がそう見做す、それに党は異論を挟まず追認する、そういう立場でしょうね。

いや、ナンバー2はどう見ても志位委員長でしょう。新書記局長の山下と市田のどちらが3位かということが問題です。市田は参議院議員の任期が残っているから引退していないだけと考えれば市田はかなり順位が下がっているでしょう。市田は依然としてトロイカを構成しており、山下はまだ見習い書記局長なのだとすれば市田が3位でしょう。
2014/01/20(月) 07:52:32 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


ありがとうございます。前衛のバックナンバーや流通事情など部外者には分からないことをご案内いただき、とても参考になります。今後のマイ作戦に活かせそうです。
11大会の不破氏の抜擢人事について、あまり印象に残ってない、と言う古本屋さんの感想はごもっともという感じです(自分から尋ねておいてすいませんが)。確かに私も志位氏が書記局镸になった時どう受け止めたなんか覚えてないです(笑)。
2014/01/20(月) 07:59:15 | URL | 中Ⅱ病デモ #BgCG/k.M [ 編集 ]
規約の常任幹部会について調べてほしいことがあります。
手元にある資料では、第8回党大会の規約で、「幹部会は、必要なばあい常任幹部会をおくことができる。」となっていますが、第8回党大会ではおかれていないようです。「常任幹部会を(必ず)おく」ことになったのは第何回大会からでしょうか?
第9回党大会で、野坂・宮本・袴田・岡正芳の4名からなる常任幹部会が選出されています。これは、幹部会員のうち宮顕派でないもの(春日正一、米原昶、河田賢治)を除名して、宮本・袴田・岡正芳の3名による実質的指導部ということでしょう。第10回党大会でも、同じ4名の常任幹部会員が続いています。
第11回党大会で宮顕が幹部会委員長というポストを新設して就任し、第16回党大会で不破に交代するまで務めるわけですが、「常任幹部会委員長」でなく「幹部会委員長」だった理由がわからないのです。不破委員長時代になってからならわかりますよ。不破が「常任幹部会委員長」だと宮顕より上になってしまうからです。現在では、不破が同じ理由から志位を常任幹部会でなく「幹部会委員長」にしています。
幹部会委員長・副委員長が常幹でなかった例はこれまでありませんが、規約では常幹兼職は定められていないのは、かつて金子満広が書記局長退任後に副委員長になった時のように、お飾りの副委員長の場合は常幹に属さないこともありうるということでしょうか。あるいは、野坂を常幹に属さない幹部会委員長とするという可能性も考慮したのでしょうか。

現在の常幹は明らかに多すぎます。22人もいたら徹底した議論をつくすことなとできないでしょう。22人もの幹部が毎週会議を開くというのも無駄が多いことです。巨大な中国共産党ですら政治局常務委員会は7名です。

私が思うに、議長・副議長(複数の場合は1名を第一副議長とする)・書記長の3~7名が常幹を構成すればいいでしょう。
2014/01/22(水) 02:32:22 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


川村さんには是非、ミクロ・マクロの物理学の紹介書籍(マルチバース、人間原理などについての)へと、「独習」などと肩肘張らず読書で結構ですからその歩みを進めて欲しい。
安倍さんの「美しい国史観」はもとより、マルクスレーニン主義や科学的社会主義が語る「唯物論」や「唯物史観」などが、過去の、一時期の、ほんの一つの「仮説」、「見解」に過ぎないことが、宇宙・素粒子規模の広大な視野の中から、浮かび上がることでしょう。
2014/01/24(金) 10:37:37 | URL | 藤原隆三 #- [ 編集 ]


私はまだ読んでいないんですけど、真継伸彦『光る声』(新潮文庫)では、かつて学生党員であった「竹中行雄」という登場人物が、共産党が票にならないがゆえをもって見捨てた釜ヶ崎にも創価学会が入り込んでいた姿を見て感動し、入信して、主観的にはマルクス主義者のまま、公明党大阪府議になっていたという話が出てくるそうですね。
ところで、共創協定の頃には、創価学会はまだ日蓮正宗の信徒団体だったわけですが、その後、「(昭和)52年路線」問題が起きます。これは最終的には池田大作をはじめ創価学会幹部が翌年11月7日に総本山(富士大石寺)に「お詫び登山」することで当時の日達法主が許し決着がつきますが、それでも矛を納めなかった活動家僧侶(正信覚醒運動)が創価学会への攻撃を続けたため、日達の後を継いだ当時の日顕法主が活動家僧侶を擯斥し、擯斥された僧侶・寺院が「正信会」を結成することとなったわけです。
その日顕が、のちに「創宗戦争」で池田大作と創価学会を破門し、「正本堂」を解体することになるのは歴史の皮肉でしょうか。
ところで、私はある人から信じ難い話を聞かされました。その人は熱心な創価学会活動家の家庭に生まれ育ち、自らも熱心な創価学会員だったのですが、創価学会が破門されると宗門側につき、総本山に勤めていたが、その後、日蓮正宗の教義の独善性に気付き、日蓮正宗からも離れたという人でした。その人が言うには、小泉元首相は代々日蓮正宗信徒なのだそうです。
初めて聞かされた時は、「冗談はやめてください」と言ったのですが、「いや冗談じゃないですよ、横須賀の法華講の人はみんな知ってます」と言うのです。まあ、総本山に勤めてた人の話ですからウソではないでしょう。
私は質問しました。小泉は日蓮正宗信徒としてはありえない行動をとっているじゃないかと。まず靖国神社参拝。日蓮正宗では「神天上の法門」により神社参拝は厳禁のはずです。それに国会答弁で「日本人の国民感情として、亡くなるとすべて仏様になる」と言っている。これも日蓮正宗信徒としてありえない発言。日蓮正宗の教義では、「本門戒壇大御本尊」を信じ題目(南無妙法蓮華経)を唱えないと成仏できないはずです。この点を聞くと、「神天上の法門」などをうるさくいいはじめたのは戦後に創価学会戸田会長が「折伏大行進」を始めてからで、それ以前はいい加減だったから、古くからの信徒は結構いい加減なのだと。だから日蓮正宗と日蓮宗(身延山久遠寺)の両方を信仰している人すらいるのだということでした。戸田会長が創価学会の宗教法人格を取得した(本来ならば日蓮正宗の信徒団体で、独自の教義などはないから、独自の法人にはなれないはずだった)のは、戦時中に神札を受け入れた総本山への不信感もあったのだと。
しかし小泉が靖国神社参拝という日蓮正宗信徒としてはありえない行為をしている以上は、小泉家が日蓮正宗信徒であることが広く知られれば、総本山としても何らかの対応(信徒除名処分など)をとらざるをえなくなるだろうとのことでした。
昔から「武家の身延に公家の富士」と言われたように、公家や皇族には日蓮正宗信徒がかなりおり、ヒロヒトの母親も日蓮正宗信徒でしたし、今の皇族にも信徒がいるそうです。
2014/01/21(火) 11:49:37 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
村上重良が除名されたのは、「世界」1977年10月号で公然と宮顕と「創共協定」を批判したからですが、村上重良ってかなり著名な人ですね。こういう人を除名しなければならなかったという点は宮顕指導部の重大欠点として認識しなければならないでしょう。学者や芸術家であれば、その時々の「党の路線」と衝突することも当然あるわけで、その点に関してはある程度の寛容さが求められます。
なお、党側からの村上批判は、新日本文庫『日本共産党と宗教問題』に収録されています。
2014/01/21(火) 11:58:22 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


おつきあいいただき恐縮です。
「関西夜学連」なんてあったんですね。中Ⅱの私は都夜協フェス(東京都夜間部学生自治会協議会のお祭り)に行った経験がありなつかしく思います。
「愛生細胞」…昔も今も公然居住支部ってすごいです。
「社学同」と「長周新聞」は冗談としか思えない。
「全逓岡山笠岡細胞」というのも理解できない。全逓笠岡支部執行委員会党グループなのか、単なる郵便局細胞なのか。
2014/01/21(火) 20:31:37 | URL | 中Ⅱ病デモ #- [ 編集 ]
社学同は第7回大会の時点ですでに党指導下にはなかったけど、まだ公然と決別していたわけではなかったですからね。
長周新聞も党系列の地方紙だった。宮顕日共に反乱するのは文革が始まってから。
他にも、遠坂良一の「新いばらきタイムス」なんてのもありましたね。
それはそうと、共闘関係にある組織からの祝電というのはわかりますが、党組織からの祝電というのは意味がわからない。自分の党の大会になぜ祝電を出すのでしょう?
2014/01/21(火) 22:07:41 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


規約の常任幹部会について調べてほしいことがあります。
手元にある資料では、第8回党大会の規約で、「幹部会は、必要なばあい常任幹部会をおくことができる。」となっていますが、第8回党大会ではおかれていないようです。「常任幹部会を(必ず)おく」ことになったのは第何回大会からでしょうか?
第9回党大会で、野坂・宮本・袴田・岡正芳の4名からなる常任幹部会が選出されています。これは、幹部会員のうち宮顕派でないもの(春日正一、米原昶、河田賢治)を除名して、宮本・袴田・岡正芳の3名による実質的指導部ということでしょう。第10回党大会でも、同じ4名の常任幹部会員が続いています。
第11回党大会で宮顕が幹部会委員長というポストを新設して就任し、第16回党大会で不破に交代するまで務めるわけですが、「常任幹部会委員長」でなく「幹部会委員長」だった理由がわからないのです。不破委員長時代になってからならわかりますよ。不破が「常任幹部会委員長」だと宮顕より上になってしまうからです。現在では、不破が同じ理由から志位を常任幹部会でなく「幹部会委員長」にしています。
幹部会委員長・副委員長が常幹でなかった例はこれまでありませんが、規約では常幹兼職は定められていないのは、かつて金子満広が書記局長退任後に副委員長になった時のように、お飾りの副委員長の場合は常幹に属さないこともありうるということでしょうか。あるいは、野坂を常幹に属さない幹部会委員長とするという可能性も考慮したのでしょうか。

現在の常幹は明らかに多すぎます。22人もいたら徹底した議論をつくすことなとできないでしょう。22人もの幹部が毎週会議を開くというのも無駄が多いことです。巨大な中国共産党ですら政治局常務委員会は7名です。

私が思うに、議長・副議長(複数の場合は1名を第一副議長とする)・書記長の3~7名が常幹を構成すればいいでしょう。
2014/01/22(水) 02:32:22 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
大会について調べてほしいことがあります。
宮顕の「冒頭発言」が始まったのは第何回大会からでしょうか?
私はこれにひっかかりがあるのです。というのは、私が民青高校班でまだ宮顕・不破を信じていたころ、かつては熱心な非専従活動家で高校班なども世話していたが、官僚主義にあきれ果てて党を離党・民青を脱退した人が、最初に疑問を抱いたのが、「なぜ宮顕は党大会で冒頭発言をするのか?」ということでした。そして宿舎で冒頭発言を読んでいる代議員が「宿舎で学習する代議員たち」と紹介されていた。これから討論するのに「学習」とはどういうことか?と思ったそうです。
「中央委員会総会なら、中央委員会総会から直接選出されている議長が冒頭発言をするのは理解できなくもない。だがどういう資格で党大会に対して冒頭発言するのか?」と質問したところ、党の民青担当は答えてくれなかったそうです。それが始まりだったとのこと。
2014/01/31(金) 21:54:33 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
大会での冒頭発言は、宮本氏が委員長になって初めて迎えた第12回大会からだと思います。
まあ、冒頭発言の存在する意味は、「あいさつ」を決議にするのは憚られるので、「決定」に格上げさせるための方便にすぎないとは分かっていましたけど。
まあ、せっかくだし付き合ってあげようという感じでした。
冒頭発言は、大事なことやトピック的なことをまとめてしゃべってくれるので、時局の話題として大衆との会話のネタにするには結構使えました。
元東大民青さんのいう"官僚主義にあきれ果てて党を離党・民青を脱退した人"というのは、キンピーサイトで"xyz"氏としてコメントされている方と同じ方とお見受けしました。リアルの知人がネット上にいる…という経験が私にはないのでとても興味深いです。
http://kinpy.livedoor.biz/archives/52078789.html
のコメントNo.5です。
2014/02/01(土) 00:05:18 | URL | 中Ⅱ病デモ #BgCG/k.M [ 編集 ]
もう少し質問があります。
第7回党大会では、野坂第一書記が「政治報告」を行っています。
「政治報告」という用語がつかわれなくなり、「中央委員会の報告」となったのは第何回大会からでしょうか?
また、第7回党大会特集号では、外国諸党からのメッセージは、ソ連共産党が最初で、次が中国共産党となっていましたが、3番目以下はどのような順番でしたでしょうか?またその後の党大会ではどのように変化したでしょうか?
2014/02/06(木) 03:09:16 | URL | 元東大民青 #-

8回大会や9、10回大会では、大会前に「政治報告案」が全党討論に付され、大会当日の報告者は報告案の修正部分の説明のみ、だったということなのでしょうか。自分で調べればいいのでしょうが、赤旗縮刷版を開架で置いてる公共図書館が近くにないもので、古本屋さんに甘えている次第です。
2014/02/06(木) 18:33:26 | URL | 中Ⅱ病デモ #BgCG/k.M [ 編集 ]
ユーゴからの祝電
10回大会の時でもまだユーゴスラビア共産主義者同盟からの祝電は載っていないんですね。古本屋さんが入党した当時はまわりの党員の意見はやはりチトーは修正主義だという考えの人のほうが多かったのですか?
2014/02/06(木) 18:52:52 | URL | 中Ⅱ病デモ #BgCG

ちょっと書き間違いすみません。

>これは、幹部会員のうち宮顕派でないもの(春日正一、米原昶、河田賢治)を除名して、

除名ではないですね。幹部会員のうち宮顕派でないものをを除いた宮顕派+野坂で常幹を構成した、ということです。

>(春日正一、米原昶、河田賢治)は第8回大会の幹部会員だったのでしょうか?

春日正一、米原昶、河田賢治は第9回大会で幹部会員ですが常幹ではありません。第8回大会はわかりません。

>「幹部会委員長」と「常任幹部会委員長」とどちらがエライのでしょうか?

これなんですが、私の感覚とすると、中央委員会の執行部が幹部会、幹部会の日常的執行部が常任幹部会であるとすると、幹部会に委員長がいて、幹部会より上位の常任幹部会の序列は不明、というのはおかしい気がするのです。現在の執行部は不破と志位のどちらが上位かを意図的にあいまいにするために常任幹部会の序列を公表していない。これは問題だと思うわけです。

それと今日では幹部会は実質的にはやることがなく、ただ常幹の選出、初期局員や中央機関紙編集委員会の任命、といったことしかやることがないようです。沖縄県委員長が幹部会委員ポストであるように、党内序列を示すためだけに存在しているに過ぎないようです。
2014/01/22(水) 10:25:32 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


舛添要一は元東大教授ではなく、助教授では?
彼は東大法学部卒の「学士助手」ですね。普通、研究者になるためには大学院で研究するわけですが、かつて東大法学部の場合は学部卒業で助手(現在の助教)として採用される道があったわけです。
日本共産党では渡辺治(一橋大学名誉教授)がそれです。ただし、渡辺治は政治コースを卒業後、4月に公法コースに学士入学して翌年3月に中退し、その後4月から東京大学社会科学研究所助手となっています。公法コースに入学して中退した理由は何なのでしょうか?なお、学士入学は通常3年からになり、卒業に2年かかりますが、東大の同じ学部の別のコースの場合は1年で卒業できます。経済学部で経済学科と経営学科のどちらかを卒業し、もう一つの学科に学士入学する場合も同様です。
渡辺治は新日和見主義事件で自己批判した一人です。もうそろそろ、自分が40年以上前に体験したことについて公然と語ってもいいはずです。

なお、藤井一行『民主集中制のペレストロイカ』(大村書店)によると、1922年のソ連共産党第11回大会では、中央委員会のメンバー数は25名です。権力を取った後でも中央委員会の規模がこの程度なのですから、現在の日本共産党は極めて異常といえるでしょう。

2014/01/24(金) 03:12:08 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>村上重良の「除名」のところで思ったのですが、ふつう研究者党員は非公然党員でしょう。だったら除名も公表されるべきではないでしょう。

いや、村上重良の時も、「党から除名する」などという露骨な発表はなかったですよ。
私の記憶の限りでは、「村上重良氏は、数少ない民主的立場に立つ宗教研究者であったが、日本共産党を公然と批判する論文を発表した。わが党は、村上氏と対話を重ねたが、党と村上氏の合意には至らなかった…」というような書き方でしたよ。(新日本文庫『日本共産党と宗教問題』)

もちろん、読む人が読めば、「党員学者の村上が宮顕指導部を『世界』で公然批判した。党は自己批判と撤回を求めたが、村上が応じないので除名する」という意味であることはあきらかですが。

村上除名後は、党中央の宗教対策は、党員僧侶の中濃教篤(日蓮宗)、宗教学者の日隈威徳(鹿児島出身、東大卒、参院選比例にも立候補)などによって担われていきます。日隈威徳さんの兄も党員で、日本ベトナム友好協会の専従役員で、ベトナムにも長く滞在して「社会主義国の否定的側面」に批判的になっていったと聞きましたが、それで党を離れたのかどうかは知りません。
中濃教篤を検索すると、2003年に亡くなっていますね。中濃教篤は日蓮宗現代宗教研究所所長という要職にありました。日蓮系をはじめ鎌倉仏教は、末法思想(釈尊入滅後2000年で末法になり、新たな仏教が必要とされる)の上にたっていますから、現代仏教学において鎌倉時代に信じられていた天台教判が否定され、これからの仏教はどうあるべきかというのを模索している段階だと思います。
犀角独歩(いわたちせいごう)さんも中濃教篤の著作について感想をブログに書かれています。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50313232.html
また、現代における日蓮仏教については、
http://iwatachi.com/kumon.html
こちらを見てください。

日蓮宗はカルトではありませんから、学問的成果を否定したりせず、日蓮の教えの根幹を否定するような学問的成果にも誠実に向き合っています。
それに対して、日蓮正宗(富士大石寺)とそれから分裂した諸派(創価学会、正信会、顕正会)はカルトですから、学問的成果なんか認めません。あくまで日蓮大聖人の教えは絶対、の一点張りです。創価大学に仏教学部がないのも、カルトは学問的批判に耐えられないからです。
2014/01/24(金) 17:28:33 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


マルクス主義同志会の2002年以前の「海つばめ」論文  高原利生
マルクス主義同志会の2002年「海つばめ」論文  高原利生
 古本屋通信2014年1月22日№646 http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-711.html に資料として転載された2002年以前の「海つばめ」論文について

 今は、マルクスの解釈で政治集団の方針を決める時代ではなくなっている。100年前ならマルクスの解釈は大いに意味があり、50年前でも多少の意味はあったろう。しかしマルクスから150年経っている。マルクスが言ったかなりの部分は古くなり、その弁証法も適用範囲は極めて狭い。時代は150年経って多少は変わった。今、マルクスを無視し全くゼロから事実を分析し問題の解を求めたほうが良いのかもしれない。しかし折角、マルクスが固定観念の粒度を見直し続け、その極限として作った理念がある。適用範囲が極めて狭いとはいえ弁証法もある。マルクスの事実に対する態度と弁証法を見直し、集団と個人の生き方としてのマルクス主義再生が可能である。これが第一である。
 第二に、マルクス主義の理念の実現手段構築が実務的には左翼の最大の課題のはずだが、マルクス主義同志会もその実現方法を知らない、と言うより、知らないという自覚がない。これはどの左翼も同じであるが、左翼としては致命的である。
 資本主義の利益第一主義に代わる推進力を求める努力を左翼は行っていない。行っているように見える不破哲三氏も、150年前のマルクスを解釈するだけで、しかも労働軽視のため全く的外れである。
 これを提起できないのは、マルクス主義同志会も共産党と同じである。今のままなら代わりの推進力は分からないままである。
 これらの二つの致命的弱点を除くと、マルクス主義同志会の言っていることは、全体として今の共産党よりまともである。大きな問題から、(今回の論文では触れられていないが)原発に対する考え方まで筋が通っているように見える。
2014/01/25(土) 09:20:12 | URL | 高原利生 #mRB1KL6Y [ 編集 ]


都知事選。
 名簿の人士を見るに、元々民主・社民支持者と
いう印象が強いので、共産党が支援する宇都宮
氏に乗ってこなかったのは不思議ではありません。
もし宇都宮氏でも、共産党が支援してなければ
乗ってきたでしょうし、細川氏でも共産党が支援
してれば乗ってこず、逆に「新保守主義に屈服
した共産党」と猛非難していたでしょう。

 名簿にある高見圭司氏は、労対派(解放派
全協)代表ですね。かつて参院選に全国区から
出馬して落選してます。

 橘民義氏は元岡山県議ですが、現在は「第一
総合研究所」なる会社を東京で経営。菅源太郎
氏の就職先でもあります。

 杉並「無所属区民派」は、前回参院選でも山本
太郎氏ではなく民主党系の大河原雅子氏(元
生活者ネット東京代表)を支援してました。既に
かなり民主党寄りのスタンスです。

 因みに、都知事候補の中川智晴氏は倉敷市
玉島在住、水島工業高校出身です。スローガン
は「トップガン政治」。主な政策は、知事の裁量で
個人の預貯金を差し押さえてホームレスにする
「どんぶり勘定政策」、議会出席者全員に酒を
飲ませて発言させる「酔拳議会」など。

http://www.nnakagawaa.com/
http://www.tamatele.ne.jp/~hare/
http://twitter.com/wahahachanjp
http://www.youtube.com/watch?v=t6IjYGHH01M

2014/01/30(木) 10:22:22 | URL | しょむ研 #ZQMeTpW2 [ 編集 ]
アッテンボローさんが「無所属区民派」を弾劾しているのは理解できます。
しかしながら、革共同(中核派)の選挙における日和見主義はいまに始まったことではなく、かつては「みのべ革新都政をまもれ」と叫んでいましたし、参議院選挙で元沖縄県知事の大田昌秀を支持したりしていました。それから考えると革共同(中核派)が選挙において無原則なのは新しいことではないのです。
革共同政治集会で、「今年の革共同は都議選決戦がすべて」などという驚くべき報告がなされたこともあります。
2014/01/30(木) 15:02:25 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

>本物の左翼は本来寡作であるべきだろう。私には著書を量産する研究者に不信感がある。ここでまた、渡辺治を思い出したが、それは別稿に譲る。

そりゃそうですよ。左翼だけでなく、まともな知識人は寡作であるのが当然です。
ある党派で、新指導部を決めるときに、ある有力「理論派」について、長老的人物が、「彼は読んだ論文よりも多くの数の論文を書く」と苦言を呈していたのを思い出しました。
2014/01/30(木) 15:07:44 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

ところで、古本屋で50円で面白いものを見つけました。

田中 一
『新版 自然の哲学』(上下)新日本新書443,444
上 1992年初版、2005年第4刷
下 1992年初版、1995年第3刷

著者の経歴は北海道大学名誉教授・札幌学院大学社会情報学部長となっています。経歴からしても新日本新書で出ていることからしても党員でしょう。中身はまだ読んでいませんが、「弁証法的唯物論のユニークな手引き書」とカバーに書いてあります。でも、あれ?「自然の哲学」というとらえ方自体、エンゲルスの自然の弁証法研究いらい退けられてきたはずでは?なぜ「自然の哲学」が復活しているのか?
この著者について何かご存じでしょうか?
2014/01/30(木) 15:14:35 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

河田忠明じゃなく川田ですよ。
不破は社研所長にも留任ですね。
坂井希の配置換えの意味はよくわからない。
財務・業務委員会は予想通りというか岩井鐵也が責任者に昇格ですか。
しかし、川田忠明が書記局員になってますが、書記局の仕事というのがいまいちわからない。
党本部を取り仕切っている浜野忠夫は書記局員ではない。書記局長の役割が今一つわからないのですが?それとも公表されている書記局の構成は外向けのもので、党内事務を取り仕切る秘密部署の長が浜野忠夫なのか?
それに「国民運動委員会」というのがあるのがいけない。左翼政党なら、「国民」という言葉を使うべきでないのは当然だが、「人民運動委員会」でもおかしい。
労働組合に「労働運動委員会」があったらおかしいでしょう?「労働組合は労働運動以外に何をするんだ?」ということになる。「国民運動委員会」なるものと「党建設委員会」が別に存在すること自体、宮顕時代に陥った「大衆運動と離れた拡大主義」の悪弊を感じます。
2014/01/30(木) 15:25:35 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

>1位  志位和夫  2位 不破哲三  3位 浜野忠夫  4位 小池晃  でしょう。

そんな!志位が1位だったら、不破が常幹にも社研所長にも留任している意味がわからないでしょう。
志位が不破のクビを切れますか?不破は志位のクビを切れると思いますが。
それに小池晃はそんなに上位かな?まあここら辺りは外部からの想像しかないですけど、中選挙区制の時代には医師や弁護士の議員がかなりいましたが、彼らの党内序列は高くなかったですよね。正森成二は国会では党の顔のような働きをしましたが、党内では幹部会にも入れなかった。他にも医師とか弁護士の議員で、党内序列は都道府県委員でしかなく、秘書よりも下だったものがかなりいた。しかし小池の場合は医学連・全学連・民医連役員を経ており、その意味で地元から推された候補とは違い、中央でそれなりに地位があるのかもわかりません。

>山下というより書記局そのものが、意味のない飾りでしょう。だから坂井希さんは「わたし降ります。降ろしてください」で降りた。山下じゃあ、持たんでしょう。まだ小池のほうがマシです。しかし、こうしてみると「強力な指導部」とはいえませんねえ。だから不破がめだつんでしょう。田村守男って、香川で県委員長やってた男でしょう。

坂井希が降りた理由は貴殿の想像でしょう。小池と山下のどちらが有能かはわかりませんが、山下は不破の「野党外交」に同行していることからも不破の信任が厚いはずです。
書記局が飾りかどうかは、外部から見る限りなんともいえません。書記局次長の佐々木陸海が中央委員会事務室責任者というよくわからない部署についていることもよくわかりません。新人議員の辰巳孝太郎が書記局員になっているのもよくわからないし。
内閣官房みたいに、官房長官は政治家で、官房副長官は政治家と官僚からという風に、書記局長は国会議員で、書記局次長は国会議員と非議員の党官僚というのならわかるのですが。

どこかで読んだのですが、マスコミが党本部を訪問して、書記局の部屋は学校の職員室みたいだった、と書いてありましたが、私が経験した学校の職員室はあまりにイメージが違うものが多すぎてどれにちかいのかぜんぜんわからないです。小学校のときの職員室は教諭たちが顔を向けて座っている形でしたが、中学校の時の職員室はすべての机が離されて一方向を向いており、教諭同士の会話などなかなかできなさそうな感じでした。

なお、貴殿の好きな革マル派にも政治組織局と書記局があります。
2014/02/01(土) 22:55:26 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

津田道夫さんは直接知っています。夜型人間で、夜中に読書・執筆をして昼間は寝ているので、昼間に電話をかけてこないようにと言われました。
活動家集団思想運動を結成したのは、もちろん共産主義運動の再建のためでした。津田道夫と武井昭夫が中心でしたが、国際共産主義運動の路線問題について津田道夫と武井昭夫の間に意見の違いが生まれました。内部論争を繰り広げるのが本来の姿でしょうが、津田道夫と武井昭夫は話し合って、小さな組織内部で論争をしてもあまり意味がない、平和的に決別してそれぞれの道を歩もう、ということで津田道夫は離脱したのです。
その後、障害者教育運動などにかかわり、狭い意味での政治から離れた時期があります。
三浦つとむを非常に高く評価しているのは、
『弁証法の復権―三浦つとむ再読』(2000)からもわかるでしょう。
こぶし文庫の神山茂夫『天皇制に関する理論的諸問題』(2003/6)にも解説を書いています。三浦つとむもなぜか神山茂夫の復党のために奔走した経緯があると聞いていますが、詳しいことはあなたのほうがご存じでしょう。

『鋼鉄はいかに鍛えられたか』は有名な革命文学ですが、実は私は読んでいません。1980年代にはまだ新日本文庫にあったと思いますが、私が民青に入ったころにはもうなかったのです。

革命文学といえば、『アリランの歌』が必読ですね。

私が小説家だったら、こんな筋を考えてみました。

主人公(男)は母子家庭で貧困の中で育つ。母は一生懸命育ててくれ、貧困の中、主人公を大学に送ってくれる。しかし、弾圧で大学を退学になる。そして主人公は、地下に潜ることになるのだが、その前にどうしても母に会いたかった。そして母は、別れるときに、小林多喜二『党生活者』での別れの場面とおなじことを言う。
地下活動の中、ひょんなことから主人公は銃刀法違反で検挙されてしまう。そして公安刑事がせん滅された事件の濡れ衣を着せられ長期投獄される。
主人公は20年に及ぶ獄中生活の末、無罪釈放をかちとり、地下活動を共にした女性同志と再開するのだが、そこで知らされたことが、母が亡くなっていたことだった。いてもたってもいられなかった主人公は、母と暮らした狭いアパートに向かう。アパートはすでに取り壊されていた。しかし、そこには党中央の使者がおり、党中央が主人公と女性同志を小さな料理店に招待しているという。そこに連れて行かれた主人公には、党中央から、母がいつも作ってくれていたタケノコの炊き込みご飯とお吸い物が出された。主人公は党中央の祝膳に涙を流した。そして、すでに子供が産める年齢ではなくなっていた女性同志と主人公に、乳児2名(男女)が贈られる。「恵まれない環境で産まれた子供たちです。名前はあなた方が決めてください。血はつながっていなくても、あなた方の子供です。幸せにしてあげてください。」との党中央の手紙があった…
2014/02/06(木) 03:00:43 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



>しかし私は最晩年は党の隊列に復帰して死を迎えたいのだ。その条件はいまのところ全くないが。

気持ちはなんとなくわかります。しかし「党員である」ということがそんなに重要なことでしょうか?福本和夫は人生の後半はどこの党派にも属さないで「人間性・自主性の回復を目指して」生きました。彼も立派な革命家だと思います。

それに「党」というのは物神崇拝の対象ではないですよ。かつての革命党は、いまや「常幹の生活が第一」になり果てたのです。日本仏教の大部分が寺請制度によって堕落したように。

あなたの人生の残りの部分は、真の世界共産党の再建のために向けられるべきでしょう。

でも、「党」って私も結構好きなんですよね。南朝鮮の非転向長期囚が獄中で必ず10月10日と4月15日を祝っていたこと。そして送還された彼らに総書記から誕生日の祝膳が贈られていること。私は個人崇拝にはちっとも共感できませんが、こういうのは心温まるものです。もっとも、私の理想とする指導者は、「党中央」というコードネームで呼ばれ、姿を現さない指導者ですが。そして、たとえば長期弾圧囚(日本でいえば星野文昭さんかな)が釈放されると、党中央が食事に招き、そこで養子の赤子が贈られる。

第二次大戦ではソ連では大量の犠牲者が出て男が少なくなったので、当然の結果として父親のいない子供が多く生まれました。そういう子供たちは「スターリンの子」と呼ばれて差別されずに育てられた。恵まれない環境で生まれた子や反革命分子の子は「党中央の子」として党の手で立派な革命家に育てられる。そして誕生日に党中央から祝膳が贈られる。なんて空想したり。

あんまりまとまりのない文になってしまいました。
2014/02/02(日) 11:42:36 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


これはありますか?

論題 世界の共産党・労働者党の現状<特集>
請求記号 Z1-24
雑誌名 前衛 : 日本共産党中央委員会理論政治誌.
出版者等 東京 : 日本共産党中央委員会, 1946-
巻号・年月日 (通号 584) 1989.12
巻号・年月日 (通号 584) 1989.12
2014/02/08(土) 23:28:35 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>第7回大会
>ニュージーランド
>イスラエル
>オーストリア
>アイスランド

ニュージーランド共産党は毛派でしたよね。それでソ連派が離脱して社会主義統一党を作った。社会主義統一党は労働組合連合に影響力を持っていたが、労働党(社民)によって影響力を奪われた。
イスラエル共産党ですか…これは複雑な歴史がありますね。現在のイスラエル共産党は「平和と平等のための民主戦線」で国会に議席を持っていますが、左翼の中には棄権主義者(イスラエル国家を認めないので選挙にも参加しない)もかなり多いです。
オーストリア共産党は、ソ連軍が占領した際に接取した企業の所有権を与えられたので金持ちです。しかし政治的な力はあまりありません。
アイスランド共産党が活動していたんですね。近年ではアイスランド共産主義者同盟(米国社会主義労働者系)再建のニュースがありましたが、また活動停止状態になっているようです。


>第8回大会
>ドイツ共産党
>マラヤ

ドイツ共産党は、当時非合法だったKPDのほうですよね。後に合法政党としてDKPが結成され、KPDは「解散」しました。哲学者ロベルト・ハーヴェマンの『私は亡命しない―東ドイツ・コミュニストの発言』(朝日選書)にこれに関連することが載っています。
マラヤ共産党がこのころまで健在だったのですね。近年の日本共産党指導部は、武装闘争をする毛派共産党は弾圧されて当然というような発言をしていてあぜんとした覚えがありますが。
2014/02/08(土) 23:43:34 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

>48年のあいだに参政権を持たない在日外国人が応援演説をするのを見たことは一回もなかった。間違いない。演説だけではない。日本の選挙運動に在日が関わったはなしを聞いたことも一度もない。

1955年以前は、多くの在日朝鮮人が日本共産党員でしたし、あったはずですよ。面白かったのが、当時の社会主義協会機関誌「社会主義」に、日本共産党の活動のかなりの部分が在日朝鮮人によって担われていることを非難するような記事があったことです。1970年代以後、この関係は逆転するわけですが。

>断わっておくが、在日(主に共和国)と一緒に政治運動をしたことはしばしばある。例は省くが共同の政治課題はいくらでもあったし、いまもある。しかし彼らが日本の選挙に関与したことはなかった。選挙になったら、彼らはサッと引いたし、こちらから応援を求めることはあり得なかった。理由はそれが内政干渉だからだ。これ初歩の初歩の常識なのだ。

いやぜんぜん常識じゃないですよ。内政干渉というのは国家権力が武力などを用いて自らの意思を押し付けることをいいます。外国人個人が選挙運動をすることが内政干渉になるはずはありません。また、共産主義者はそもそも国際主義者だから、「内政干渉」などありえないはずです。

なお、朝鮮総聯は「外国人地方参政権」に反対しています。理由は同化につながるということです。言っていることが理解できないわけではありませんが、日本社会の中で生きていく中で、参政権がほしいという感情を否定するのは困難に思えます。

2014/02/09(日) 00:03:50 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

このあたり、よくわからないことがあります。
一つは、民青系が再建した全学連機関紙が「祖国と学問のために」という題名だったこと。「祖国と学問のために」というのは、徳球系の「日本青年祖国戦線」の機関紙名ではなかったのですか?なぜ宮顕指導部がこのような機関紙名を付けたのでしょうか?
蛇足ですが、私が大学に入ったころは、「祖国と学問のために」は加盟自治会執行部に送られてくるだけで、購読している学生などほとんどいませんでした。学生に対して「祖国と学問のために」を拡大しているのは東京学芸大くらいしかなかったと記憶しております。あとは賛助購読費が年間1万円で、全学連元役員などが賛助購読してくれていたそうです。

それと民青ですが、Wikipediaによると、

戦後になり、1946年2月に日本青年共産同盟(青共)として再建された。1949年には民主主義学生同盟(民学同)、全日本民主青年同盟(全民青)と合同して日本民主青年団(民青団)が結成され、1956年11月の民青団第5回大会で日本民主青年同盟に改称

となっていますが、民青出版物で日本青年共産同盟(青共)と日本民主青年団(民青団)以外について触れられたものが全くありません。民主主義学生同盟(民学同)と全日本民主青年同盟(全民青)は宮顕系にとって都合が悪い存在だったので歴史から消されたのでしょうか?

新日和見主義事件ですが、これを扱う論者は宮顕の悪辣さという観点のみが目立ちます。しかし、袴田・不破・上田も当然関与していたはずです。党中央が出した『新日和見主義批判』(1973年)には上田の論文も載っています。不破・上田が彼らの望む議会主義路線を貫徹させるため宮顕をけしかけたという見方ができないでしょうか?

>東大教養部の全学連脱退と田川君の中央役員降格だったのだ。私は田川君の指導力は知らないが、責任を取らされたのは賛成だ。

細かいことですが、東大の場合は「教養部」ではなく「教養学部」です。教養課程しかない場合は「教養部」ですが、東大の場合は最初の2年が教養学部前期課程であり、教養学部には後期(専門)課程もあったため、「教養学部」となっていたと推測されます。
田川豊に指導力などありません。上級に言われたことを繰り返すことしか能がなく、指導部がどのような方針を出そうとも絶対にそれに従う人物です。
志位はそれなりに指導力を発揮したこともあったそうですがね。志位は専従になってから早大を担当しましたが、それまで早大では民青は革マル系執行部の自治会を「自治会と認めない」、また革マル系が主導する「早稲田祭」を「革マル祭」と呼んでいましたが、志位の指導によって「革マル系執行部の自治会も自治会と認め、自治会民主化をよびかける」「『革マル祭』という表現をやめ、『早稲田祭実行委員会の正常化』をよびかける」ということになりました。これが正しかったのかどうかは私にはわかりません。
2014/02/09(日) 16:03:04 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


「民族」が好きなのは上田・不破に共通することではないでしょうか?
昔、民青事務所にあった上田『青年の未来と社会主義』(新日本新書)を読んでいると、「高校進学率が9割を大きく超えている…これは日本民族の未来にとって大きな希望である」とか言っていて、びっくりしました。普通、共産主義者がこういう文脈で「民族」を使うか?と思いました。
「自由と民主主義の宣言」を執筆したのはおそらく不破でしょうが、「3つの自由」の一つに「民族の自由」というのがあります。普通の左翼文献でこういう言葉が出てくれば、マイノリティ抑圧とか先住民問題とかが出てくると思うでしょうが、なんとここで出てくるのは「日本民族の自由」なのです!
2014/02/12(水) 14:29:45 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


活動家集団思想運動の話がでたついでに、彼らが発行した書籍について触れておきます。

的場徳造『ソ連とはどういう国か』(発行=小川町企画・発売=新読書社)1984年発行

著者はソ連農業の専門家で、日大教授を務めています。この本は、活動家集団思想運動機関誌「社会評論」に連載されたものを一冊にまとめたものです。親ソ派のソ連に対する見解が理解できます。なお小川町企画は活動家集団思想運動の本部事務所の別名、新読書社は親ソ派の出版社ですね。この本は彼らの学習会に出た際に購入したものです。学割料金にしてくれてありがとう。

別の本です。

『悲劇の目撃者 雪山慶正・その人間と時代』(国書刊行会)1975

雪山慶正は、専修大学教授であり、真継伸彦の小説『光る声』(新潮文庫)に登場する中川一雄教授のモデルです。
小説では、中川一雄教授は、ハンガリー事件に衝撃を受け、大学の党細胞会議でソ連非難決議を提案しましたが、教え子に党を守るためそういう決議は出すべきでないと説得され、党を離れたことになっています。
本の中身はまだ読んでいませんが、対馬忠行・西田勲が登場しているように、思想的には「反スターリン主義」に移行したようですが、対馬忠行がそうであったように、「内ゲバ」に代表される「反スターリン主義左翼」の退廃にも極めて批判的であったようです。(対馬忠行は、「内ゲバ」の惨状を見て自決しようかと悩んだと書いています。)こういう知識人を獲得できなかったという点に日本の「反スターリン主義左翼」の弱さを見ることができるでしょう。
2014/02/14(金) 00:18:36 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


党府委は、2014-02-14 の16:18 にHP上に声明をアップしていますね。
http://www.jcp-osaka.jp/2014/02/post_1304.html
ご参考まで。
林氏がこのページを見たかどうかは不明ですが。
2014/02/15(土) 10:45:38 | URL | 中Ⅱ病デモ #BgCG/k.M [ 編集 ]
大阪市長選対応決定プロセス
大阪市内には9つの地区党組織がありますので、大阪市政に関する方針を決定するのは本来なら大阪市委員会という中間指導機関になろうかと考えます。
しかし、市委員会が機能していないため、市政対策を党大阪市会議員団が代行しているように感じられます。
そう感じてしまう理由は、ニュースなどで府委員会と"大阪市議団"との間で意見に相違があるとの報道や、それらの記事で大阪市会議員団の山中智子幹事長がマスコミにリークしたと思われる文章が散見されるからです。
以前は、大阪市委員会という組織が実態として機能していたかどうかはわかりませんが、大阪市委員長という肩書で、緋田吉郎氏が市長選挙に出たり、神崎敏雄氏も衆議院選挙の経歴に掲載していました。
今回の大阪市長選挙に対する方針決定にあたって、大阪市内の地区党代表者会議が開かれたり支部レベルの意見の集約がなされたりする場があったのであれば良いのですが、もっぱら府委員会と大阪市議団とのやりとりだけで最終判断がなされたのであれば、好ましくないなあと思います。議会主義への転落とまでは言いませんが...。

2014/02/15(土) 11:17:42 | URL | 中Ⅱ病デモ #BgCG/k.M [ 編集 ]


ちょっと質問です。
田口富久治(名古屋大学名誉教授)が、宮顕指導部の「丸山批判キャンペーン」に抗議して離党した経緯を公表したとのことですが、どこで公表したのですか?
それと、私は整理が悪く、必要な本がどこにあるか見つからないことが少なくありません。どのように本を整理すべきですか?
最後に、貴殿は古本屋だから、本を買いすぎても売ればいいかと思いますが、私は古本屋ではないので、本を買いすぎたら部屋が狭くなるだけです。「買うべきか、買わざるべきか」の決断はどうするべきですか?
2014/02/16(日) 19:55:14 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
それと新日本出版社の民青版で、「日本青年出版社」というのがあったと思いますが、あれはなぜつくられ、そして潰れたのでしょうか?潰れたのは純粋に経営的な理由でしょうか?
私が民青に入ったころには、民青中央発行の書籍にはろくなものがありませんでした。民青事務所で購入した『反共諸潮流批判シリーズ1
ニセ「左翼」暴力集団批判』は突っ込みどころ満載で笑えたのですが、友達にあげてしまいました。なお、「反共諸潮流批判シリーズ」はこの1巻だけで終わりです。
2014/02/16(日) 20:02:59 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


田口富久治が離党を公表したのは事実ですが、どこで公表したのかはいま調べられません。たぶん、葦牙同人会に問い合わせれば分かるのではないでしょうか?
「文化評論」は1993年に廃刊になっており、田口の離党はそれより後ですので、「文化評論」に批判が出たということはないはずです。
高橋彦博は『左翼知識人の理論責任』を出したことで除籍、後房雄は小選挙区制を支持し、「政権交代のある民主主義」を唱えたことで除籍となりました。後房雄は完全にいかれてしまって、民主党による政権交代を賛美しましたが、その結果がどうであったかは言うまでもありません。なお、後房雄支持者の川口泉という人物がいましたが、彼のサイトは10年以上更新されていません。http://www2u.biglobe.ne.jp/~ikawag/
川口泉は、「人権」とか「民主主義」とかいった概念のブルジョア性への批判的視野を失うとどこまで転落してしまうかの典型例のようなものです。

>「日本青年出版社」はどちらか一寸忘れましたが、中国分派の系列だったか、シンヒヨ系列だったか、いずれかだったでしょう。

1973年に潰れたようですので、親日和見主義事件に関連するのではないでしょうか?

>田口は日本共産党中央委員会付属社会科学研究所での自己批判に追い込まれた。

これは私が直接見たわけではないので確言できませんが、先輩の党員の社研非常勤研究員が言っていたので間違いではないと思います。その党員はいまでは准教授になっていますが、読むに値する論文は一つも出していませんが。

>それから、もうひとつ。私に言わせると「共産党による丸山眞男批判の大キャンペーン」などありはしなかった。せいぜい数本の批判論稿だった。

いや、宮顕が号令をかけて行われたではありませんか。きっかけは「葦牙」で久野収さんが丸山を引用したことでした。それに対して宮顕が「共産党戦犯論」などというめちゃくちゃなことを言って、理論幹部に論文を書かせました。土井洋彦・足立正恒・山口富男『変革の立場と傍観者の論理―丸山真男「史観」批判』という単行本にまとめられました。

>ソ連共産党が日本共産党を批判・攻撃したとき、いっしょになって日本共産党を批判したと思います。ところがどうしたことか、一時仲直りして、赤旗がアメリカ共産党の活動を盛んに伝えた時期がありました。たしかこの党、非合法下にあるのでは?

いいえ、米国共産党は合法政党です。結成時(ちょうど、『金のないユダヤ人』に描かれた時期)は党員の多数が東欧系ユダヤ人移民だったりして、外国人は国外追放になるなどの激しい弾圧は受けましたが。
ソ連共産党が健在だったころは日刊紙People's Daily Worldを出していましたが、ソ連共産党からの資金援助がなくなってから週刊紙People's Weekly Worldになりました。
ソ連共産党崩壊後、宮顕指導部は「もろ手を挙げて歓迎する」という驚くべき記事を出し、「いかにソ連とたたかったか」というキャンペーンが行われた時、赤旗日刊紙で、米国共産党がソ連秘密資金を受け取っていた、という記事を一面トップに載せたことがありました。こんな記事を一面トップって何を考えているんだろ?と思いました。
「前衛」1993年9月号にも、「買収された外国諸党の腐敗と末路--ソ連覇権主義の秘密基金」という記事が載りました。
私はそもそも「プロレタリア国際主義」を掲げる政党が、外国の兄弟党から資金援助をうけて何が悪いのか全く理解できません。私は「日本共産党だって戦前はソ連から資金援助を受けて活動していたではないか」と質問すると、「それは自主独立の立場を確立する以前の話」とか言われました。

それとちょっと前の話ですが、戸坂潤全集は古在が編集を遅らせたため最後の1巻が欠けているのが多いという話がありましたね。そういう風に、完結していないもので有名なのはあるでしょうか?
中核派の清水丈夫議長の著作集は途中で刊行が止まったままです。おそらく、清水議長が実質的に指導権を失っていることと関係しているのでしょう。
埼玉大学社会科学研究所(鎌倉孝夫など)が編集した『現代と朝鮮』(緑風出版)は上下が出るはずでしたが、上しかでませんでした。
私が東大経済学部のゼミに出た時、宇野派理論の基本文献として、降旗節夫の『宇野理論の現段階』を読むように勧められましたが、全3巻の予定のうち2巻が出ませんでした。
ブルース・カミングス『朝鮮戦争の起源』(シアレヒム社)は全3巻のうち2巻までしか翻訳が出ていませんでしたが、長い時を経てようやく明石書店から全3巻の翻訳が出ました。
そのほかいろいろ。
2014/02/17(月) 11:57:55 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
戸坂潤全集についてお尋ねします。
「月報」は、1~5巻・別巻のすべてについていますか?「月報」は読む価値がありますか?
「月報」がないほうがだいぶ安いので、月報に価値がないなら安い方を買います。
2014/02/18(火) 17:27:59 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
ヴォルフガング・レェート『弁証法の哲学』(以文社1984)は2巻の予定が第2巻が出ませんでしたね。
『ヘーゲル左派論叢』(御茶の水書房)は全4巻の予定が第2巻のみ出ず、編集者の良知力・廣松渉とも亡くなったのでもう出ないと思っていましたが、なぜか長い遅れのあとに出て完結しました。
『資本論体系』(有斐閣)も一部の編集者が極端に編集を遅らせたため完結しないかと思われましたが、完結しました。逆に遅れたおかげで研究の進展を反映させることができた、と言われました。
2014/02/18(火) 17:49:59 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
『グラムシ獄中ノート』第1巻(大月書店・1981年)も2巻がでませんでした。
2014/02/18(火) 21:52:12 | URL | 中Ⅱ病デモ #BgCG/k.M [ 編集 ]
  1. 2012/07/23(月) 05:25:30|
  2. 未分類

倉庫2

倉庫2

古本屋通信   No 3  2012年  7月20日

 転向・非転向の問題      倉庫2


 ブログを始めて三日目、共産党のことを書きます。今年7月15日で日本共産党が結党90周年を迎えました。絶対主義天皇制の国家権力の弾圧によって戦中の一時期、組織活動が阻まれた時代がありましたが、戦後の再建からも67年、この党を抜きに日本の近現代史は語れません。
 私は、学生時代から読み貯めていましたが、古本屋を開いてからはとりわけ、共産党関係の書籍を熱心に蒐めてきました。このなかには新左翼文献や公安資料も含まれますが、八割以上は党出版局と新日本出版社発行の本です。これに現代史、社会運動史関係の本で共産党を扱ったもの500冊をくわえて、約2000冊、いまでは田舎の倉庫に移しましたが、古本屋として所有しています。大月書店の国民文庫や、青木書店の青木文庫はこれとは別にありますから、左翼文献は古本屋としては多いほうだと思います。
 しかし私の持っている本以外にも多くの文献があるのです。日本共産党には、他のどの党よりも、自民党や旧社会党の恐らく十倍、百倍の関連文献があるのではないでしょうか。なかにはいかがわしいものもありますが、全体的に質は悪くありません。党の側から見る党攻撃の本も他党にくらべて圧倒的に多く、これは見方によっては他党にはない共産党の財産(名著を挙げろと言われたら私は、単著では立花隆の「日本共産党の研究」を、敵対党派では革マル派のものを挙げます)だと私は思っています。
 私は政治政党の力量を見る際、議会における議席数を力量の主要な評価基準にはしません。特に革命党派のばあい、議席数は副次的です。いろいろな基準があると思いますが、自前の機関紙誌や出版物をどれだけ持っているかも大切な評価基準だとおもいます。外国の古典文献の翻訳能力も重要です。真面目な研究対象として研究され、それが書物になっているかどうかも、政治史の上で大切です。巷に溢れている自民党や民主党を採りあげた本の売らんかなの商魂逞しい本など、日本人民の将来と何の関係もないでしょう。

 さて日本共産党について、その歴史が日本近現代史上で燦然と輝いている理由のひとつは、戦前、戦中ごく少数だったけれど獄中で非転向を貫いた党員がいたことです。非転向党員は党の名誉を守りましたが、同時にその時代と戦後生まれのすべての日本人の誇りを守りました(このことについては、加藤周一が宮本顕治の弔辞で触れています)。転向・非転向の問題は、共同研究「転向」以来ずっと論じられてきた思想史上のテーマであり、文学の問題としても語られてきたわけですが、私は難しく考えることはないと思っています。権力による思想の変更の強要です。当時これに屈することは、日本の植民地支配を正当化し自国民を戦地に送り、アジアの人民を殺害することに、ほとんどストレートにつながったわけです。講座派マルクス主義の理論家・平野義太郎が戦中どんな酷い文を書いてきたか。また、転向とはいえないけれど岡山の詩人の永瀬清子が戦時中どんな詩を書いたか。平野は戦後、平和委員会の会長などやるべきではなかったし、永瀬も詩人協会の役職を辞退すべきだったと思います。

 転向、非転向は決して揺るがせに出来ない問題です。徳田球一や志賀義雄や西沢隆二が、戦後の党指導者としてどんなに問題があろうと非転向の事実は消えません。転向にもいろいろあった。佐野、鍋山の転向があった。中野重治の転向があり、蔵原惟人の転向があり、佐多稲子の転向もあった。開き直りがあった。当然ながら自己批判もあった。戦後世代は後者を論難しない。だが「非転向という転向」などの小理屈で非転向者の優位性を否定するいかなる試みにも私は組みしません。「戦後思想界の巨人」吉本隆明を、文学の名でする日本浪曼派の亡霊の復活を私は許さない。

 書きはじめたらきりがないので、きょうはもう止めますが、共産党の90年目の到達については、こんにちなぜここまで凋落したか、できるだけ醒めた目と熱い心で、これから少しずつ書いていきたいと思います。



私は貴殿よりはるかに若く、また党内問題にも通じていないので詳しく論評できませんが、私は「民主集中制」それ自体は正しいと考えています。しかし、日本共産党のいう「民主集中制」は、「宮本集中制」であって民主集中制ではないと考えることができます。
党除名後、エリツィンの称賛者に転落した藤井一行は、『民主集中制と党内民主主義 レーニン時代の歴史的考察』(青木現代叢書)を1978年に出版し、これによって党から除名されたと聞いています。この本を読めばわかりますが、日本共産党の「民主集中制」は、本来のそれとは似ても似つかぬものです。
なお、『民主集中制と党内民主主義 レーニン時代の歴史的考察』の増補改訂版が『民主集中制のペレストロイカ: レーニン時代の組織原理』(大村書店1990年)です。
また、元赤旗ルーマニア特派員のいわなやすのりは、マイケル・ウォーラー著『民主主義的中央集権制 歴史的評釈』(青木書店)などを翻訳出版しています。彼はエンゲルス晩年の社会民主主義政党を理想としているようです。彼は離党届を出しましたが、受け付けられず除籍となりました。
日本共産党の「民主集中制」の実態はすでに十分暴かれていると思います。党大会が選出した中央委員である袴田が、中央委員会総会でも党大会で自らの意見を述べることを「権利停止」で禁じられるなど、およそいかなる「民主集中制」とも無縁であると述べることができます。

>党員優生思想が根強くある。党員は非党員より世界認識において優位にあり、従って非党員は党及び党員を批判してはならないという思想だ。

このような思想がいつから存在したのかはわかりませんが、これには宮顕流の「認識論」がかかわっていると考えておかしくないでしょうか。宮顕は良く言っていました。真理は一つであり、それは唯物論的に認識できるから、党内が満場一致になるのは当然だし、一国に一つの前衛党しか存在してはならない、と。しかし、真理を完全に認識することが不可能であることはGödelの不完全性定理を引くまでもなく、唯物論者にとっては自明のことでしょう。人間の認識には限界があるから、複数の意見が存在して当然だし、複数の革命党が存在して当然だというのが唯物論的立場です。

民主集中制に関しては、1921年のロシア共産党第9回大会での「分派禁止の秘密決議」は重大な誤りであったことが認識される必要があるでしょう。党員は、党内闘争を正規の機関を通じて行い得ないと考えるときは、当然ながら分派闘争を行う権利があります。
2013/11/25(月) 10:42:59 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


強力な指導部を選出し、中央集権体制を構築せよ   
 日本共産党第26回党大会に向けて、上りの地区党会議、府県党会議が開始されつつある。9中総で既に大会議案は発表されている。
 私は今大会の目玉はいかに強力な指導部を選出するか、つまり焦点は人事だと思っている。大会議案にはザッと目を通しただけだが、これといって目玉はなく長文の感想を書く気にならないのは精読しても変わるまい。人事について書くが、ここでは坂井希さんがどうのこうのという話は一切やらない。もう少し党の精神みたいなことを書きたい。

 党大会の最重要任務のひとつが全党の指導部、つまり中央委員会を選出することであるのはいうまでもない。党中央委員会は党支部と直接結びついて、もって全党を指導する指導部である。正確にいうと中央委員会以外は指導部ではない。各段階の中間機関、つまり都道府県委員会も地区委員会も指導機関ではない。比例区選挙に対応して設けられたブロック事務所など選挙事務所にすぎない。党の各級議員は党員任務のひとつの遂行であり、その意味で経営、居住の支部活動と同列である。各級議員が党内で指導的権限を有することは一切ない。対外的に各級議員が党の窓口になる場合はあるが、正式には県委員会、地区委員会がそれぞれのレベルの党を代表するのであって、党所属の議員はその橋渡し役に過ぎない。この点をまずはっきりさせておきたい。

 党中央委員会だけが全党の指導部である。言うまでもなく、中央委員会は各県委員会や、党がさまざまな大衆組織や民主団体に設けている党グループの組織(党フラクション)の代表からなる組織ではない。それとは完全に独立した組織である。そしてそれらを指導する組織である。

 具体的に述べる。現在の岡山県党からは石井ひとみさんが党中央委員に、垣内京美さんが准中央委員に選出され、それぞれ岡山県委員長、岡山県委員会常任委員の任務に就いている。しかし二人は何ら岡山県党を代表した中央委員ではない。現に石井さんは江草県委員長時代に准中央委員だったが、中央役員に選ばれると同時に党中央組織部に配属されたし、岡山から中央委員会勤務になった故中原猛さんは党中央での仕事のあと、島根県委員長、岡山県委員長を歴任した。つまり党中央委員は全党の指導部であり、その配属は中間機関や党フラクションの意向と無関係に中央委員会で決定される。

 党中央指導部(中央委員会)は党のあらゆる支部に指導に入ることが出来る。私が学生細胞に所属していた時、いきなり党中央組織部が指導に入った。いわゆる「テコ入れ」だった。恐れ入ったが、党中央とはこんなものかと、その権威を認めざるを得なかった。時々の党の重点課題を末端の学生細胞に至るまで徹底させるために大オルグ団を全国に派遣させたのだろう。

 中央委員会の規模の大きさは問題になろう。多くしたこともあったし、抑えたこともあった。私にはよく分からないが、古い幹部の経験と新しい有能な若い幹部の登用はいずれも欠かせない。ただ、有能でない准中央委員の登用もあった。これだけは絶対に困るということを行っておきたい。無能な女子を選挙候補として担いだ勢いで、中央役員にしてしまった例があったし、これからもその危険がある。基準は党員としての任務に耐えうるか否かだろうが、さいてい公務員試験に受かる学力がないと話にならない。特にこれからは、労働者として勤まらないルンプロ分子が党を滅ぼす恐れがある。つまり仕事がないから、党議員になったり中央委員会に勤務したいという分子だ。

 党中央委員会の各セクションは後回しにする。中央委員会が党大会と党大会の最高決定機関であり、指導部であっても、日常的な指導的な役割を果たすのは、もう少し小規模の機関となる。




>1935年のコミンテルン第7回大会の反ファッショ統一戦線戦術の採用は誤りだったのか。世界革命への裏切り戦術だったのでしょうか。G・ディミトロフは帝国主義の手先だったのでしょうか

はい。もちろんコミンテルン第7回大会の決議は全面的に誤りです。それは当時のトロツキーの批判を読めば誰にでもわかるのではないでしょうか?また、フェリックス・モロウ『スペインの革命と反革命』を貴殿はお読みになったでしょうか?人民戦線こそスペイン革命を敗北させたことはまったく疑いがありません。
ディミトロフは帝国主義の手先ではなくスターリンの手先です。
2013/11/25(月) 10:50:59 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


2人の横田氏。
 横田悦子氏は日本聖約キリスト教団、横田
早紀江氏は日本同盟基督教団という、どちら
も福音派系プロテスタント教会に所属する
クリスチャンです。

 福音派というのは、カトリック教会や既存の
プロテスタント教会を「世俗主義」「自由主義」
と批判し、キリスト教発祥の頃に戻ろうと主張
する保守派の潮流で、政治的には反共・親米・
親イスラエル・反イスラムで保守的な事が多い
です。イラク戦争についても、「イスラムと戦う」
と戦勝祈願をする教会もありました。

 福音派教会で反中・反朝的傾向が強いのも、
両国で共産党・労働党政権が崩壊すれば、
教会の伝道活動を活発化し、信者を増やせる
という思惑があります。

2013/11/28(木) 18:26:07 | URL | しょむ研 #ZQMeTpW2 [ 編集 ]



>掲載文で感動した点をひとつだけ揚げる。年末一時金の3割をカンパせよとの文だ。これは大衆的呼び掛けのかたちをとっているが、実質は組織を対象にした呼び掛けだろう。他の党派も学ぶべきだ。当り前のことだが、ここまで正直には書きにくい。3割というのが具体的だ。職業党員へのボーナスも出さねばならぬし、印刷会社への支払いもかさむ。

これについてですが、まず革マル派は自前の印刷会社「東京工芸社」を持っていますので、印刷会社への支払いという問題は生じません。かつて早稲田祭実行委員会を革マル派が握っていた時は、入場の際に早稲田祭プログラムの購入が義務付けられていましたが、このプログラムは東京工芸社で印刷されたもので、革マル派の収入源になっていたことは言うまでもありません。なお、東大教養学部自治会(民青執行部)は、印刷を光陽印刷でやっていましたが、これも同じようなことです。光陽印刷は他の印刷会社よりはるかに高かったとか。

それと「3割カンパ」の対象ですが、これは「LF(左翼的フラクション)」レベルのシンパへ向けたものです。

革共同革マル派の組織構成は次のようになっています。

革共同革マル派の党員…数は限られている。通常は革マル派の指導下で労働運動を10年以上やったものが党員になれる。党員の場合は3割ではなく10割カンパ。

革命的フラクション(RF)…革共同革マル派の指導下にある活動家組織で、JRの場合は、革共同革マル派交通運輸労働者委員会の指導下にある「マングローブ」と呼ばれていたのがそれ。これも3割ではなく10割カンパ。「解放」新年号に各産別・地方組織の決意表明が載るが、そのうち「東海地区反戦労働者会議」というのもこれだろう。

左翼的フラクション(LF)…革マル派の支持者ではあるが、まだ活動経験や学習が十分でなく、RFに入れない段階。毎週「解放」読者会(L読)を行う。これは3割カンパ。JRでは「JR労研(JR労働運動研究会)」と呼ばれていたのがそれであろう。JR労研中央幹事会事務局長の坂入充(党員名は「南雲巴」)が革マル派に拉致された事件がありました。
2013/11/30(土) 04:24:10 | URL | 元東大民青 #-


「解放」に載る3割カンパの訴えには、解放社の郵便振替番号が載っています。しかし、組織とつながりがある人は組織を通じてカンパするはずですので、郵便振替でカンパを送るという人がはたしていたのかは疑問です。郵便振替の加入者名は、今は「解放社」となっていますが、かつては「吉田正雄」となっていました。吉田正雄って誰?となりますが、おそらく公然面(解放社)の財政責任者(日本共産党でいえば財務・業務局長の上田均)なのでしょう。
「解放」購読のよびかけのちらしには、解放社の本社だけでなく、各地方支社の振替番号も載っていますが、北海道支社は振替加入者が依然として「飯田善一」となっています。
2013/11/30(土) 10:44:11 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


すみません。この前に書いたことで、ちょっと確認が取れてないことがありました。それは革共同革マル派指導下の「革命的フラクション(RF)」メンバーも一時金は10割カンパ、と書いたことです。左翼的フラクション(LF)の3割より多いことは確実でしょうが、10割かどうかはわかりません。

>もう一つは共産党相模原市議の大田市議の問題。大田市議の問題は少し記憶も薄れかかっていますので、当時のことで金の部分だけを引用します。
>『党の大田浩相模原市議(37)は、党への寄付金やカンパなど年間300万円余も事実上強制され、生活に支障が出ていると読売の取材に答えた。結婚して子供もできるかもしれないので、議員報酬約1090万円ではやっていけないとしたという。・・・・読売サイトで記事が配信されると、ネット上では、高額な「上納金」に驚きの声が上がるとともに、共産党本部などへの疑問の声が続出した。・・・・大田市議は、年収の1%に当たる年10万円余の党費のほかに、毎月15万円ほどの寄付金、8、12月の夏冬カンパ各17万円、年2回のボーナス時カンパ各40万円を支払い、国政選挙でも臨時のカンパがあるとした』
>これについての私の感想は、寧ろ少なすぎる位だということです。この二つを私の執筆のバネにして、さらに少し発展させて書きたいと思ったのです。取りとめのないエントリーになると思いますが、あしからず。

「少なすぎる位」というのに賛同します。
昔、共産党の都道府県議が、月給40万円をもらっていることを聞き、「なぜ都道府県委員会専従と同じにしないのか?」と質問をしたことがあります。回答はもらえませんでした。

>1970年代から中核派と革マル派があれだけ組織が疲弊する「内ゲバ」を繰り返しながら、ついに崩壊しなかったのは、党財政つまり集金能力があったからでしょう。社青同解放派が政治党派としてもたなかったのは金がなったからでしょう。共労党の3分裂(1970年代初頭)でプロ革派だけが残ったのも白川氏に党財政の思想があったからでしょう。飯田氏にも樋口氏にもこれがなかった。

革労協=社青同解放派が衰退の一途をたどり、ついに陰惨な内々ゲバにいきついたのは、確かに労対派(革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会)の分裂で、定収ある労働者が減ってカネがなくなったことが確かに大きい要因であるように思います。それに対して、解放派全協は、東水労など一定の労働者の基盤を維持し、財政的にももっているように思われます。

>日本共産党の党財政について。これは元東大民青さんが宮本顕治をいくら悪く言っても、宮本時代が徳田書記長の時代と決定的に違う点がひとつあります。徳田時代は党専従は飯が食えなかった。みんな女のヒモ生活だった。宮本自身も金がなく,百合子に食わしてもらっていました。極左冒険主義だとか言えば、政治方針の偏向のように聞こえるけれど、内実は「トラック部隊」に代表されるブッタクリだった。それを真似たのが連合赤軍のM作戦だったでしょう。左翼のやることじゃあない。とにかく宮本は飯が食える共産党にした。赤旗拡大至上主義も、議会主義偏向も間違いだけれど、党史のそういう文脈で見ないと公平じゃあない。政治路線として批判するだけでは片手落ちです。

これはちょっと違うのではないでしょうか。「トラック部隊」などをやっていたころは、徳球は北京で病床に伏していたはずです。それに「女のヒモ生活」というのは革命家として不健全とは思いません。定収入のある党員と職業革命家を組織推薦で見合い結婚させるというのは健全なあり方だと思います。

>いま赤旗は日刊紙、日曜版とも採算ラインの部数を切っていると思う。将来、党の機関紙誌、出版物が党財政に貢献する可能性はなくなりました。私はこれはこれでよかったと思います。いまでも拡大は言っていますが、一時の十分の一以下です。本来機関紙誌の収支はプラマイ0でなければならない。これで儲けてはいけないのです。党は営利企業ではありませんから。

日刊紙は赤字ですが、日曜版はまだ利益が出ています。日刊紙を赤字を日曜版で埋め合わせていますが、それも限界にきているとのことです。近い将来、日刊紙は廃刊で電子版に移行するかもしれませんが、党員・支持者が高齢化しているため、電子版が読めない人が多い可能性があるのが難点でしょう。

>私は共産党が地方選挙に力を入れること自体に異論はありませんが、これは半分は議員からの献金があるからでしょう。私はこう思います。議員は最低限の生活給だけ受け取って、あとはすべて党に納入するべきだと。本来はそれでいいのではないでしょうか。でないと今回の大田市議のような人物が出てきます。この人にとって、議員は党内のエリートなんですね。これはたぶん革マル派や中核派では考えられないことでしょう。

中核派は東京都杉並区をはじめ積極的に選挙闘争に取り組み、長谷川英憲を都議に当選させたこともありましたが、議員が党内のエリートなどということはまったくありえませんでした。長谷川英憲も党内地位はおそらく地区委員会委員でしかなかったはずです。もちろん、議員給与は全額を組織に納入していたはずです。
革マル派が公然と選挙に立候補したことはありません。JR総連組織内議員の田代郁(参議院・民主党)が革マル派かどうかとりざたされていますが、私には何ともいえません。


>少し具体的なこと。岡山において党議員が利権が絡んで、不正に金銭を受け取ったという話は(最近は)聞きません。然しずっと以前にはあったと聞きました。全解連を支持母体にしている人でした。具体的な事実は知りません、すべて噂です。しかし「敵」の流す噂ではなく「味方」内で囁かれた噂でした。また、私が本人から直接聞いた話ですが、彼の最後の選挙において「党自身の手で落選させられた」ということでした。本人曰く「あの300票がどこに消えたかさっぱりわからん」と。この方のお父さんは戦後の有名な部落解放運動の活動家でした。私はすっかり忘れていたのですが、例の松本龍議員で思い出したのです。この議員は勉強していませんでした。私の家の近所の解連会員の家でマージャンばかりしていました。すでに二人とも亡くなったので書きました。

これはぜひ具体的に自治体名と議員名を挙げてほしいものです。

>一寸話が横道に逸れますが、先日民青の大会があったそうです。拡大目標を同盟員1500人と決めたらしい。HPの更新がないので、詳しく知りようがないのですが、感無量でしたね。1960年代後半でも「数十万の同盟建設」のスローガンでした。シンヒヨ切って42年になるいま「数百万人の青年同盟を建設しよう」の間違いでは?

現在の民青同盟員は1万人を大きく割り込んでおり、おそらく5千名程度でしょうか?だから1500拡大というのはほとんど達成不可能だと思います。
2013/12/01(日) 11:42:18 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



>これはユニークなご意見をお聞きしました。政治情勢にもよりますが、「ハウスキーパー」(戦前の小林多喜二の小説『党生活者』に出てきます)もいちがいに否定すべきではないと。それから、結果的には色々のケースが生まれて来るでしょうが、少なくとも見合い(結婚。恋愛でも)に組織(共産党、青年同盟とも)が絡むのはとっくの昔に否定されたはずです。これだと何処かの宗教組織のようになりますから。「トラック部隊」については、昨日「週刊サンケイ」(1957年)を買いました。徳田も死んで六全協が済んでも、徳田時代の傷は残っていたということでしょう。

『党生活者』に描かれたハウスキーパーは、極左冒険主義の時代に階級から浮き上がった党活動の一面が表れたもので、一概に肯定するわけにはいきません。
「少なくとも見合い(結婚。恋愛でも)に組織(共産党、青年同盟とも)が絡むのはとっくの昔に否定されたはずです。」というのは、日本共産党の話ですよね?他党派では今でもやっていますから。
中核派を除名された郵政労働者の「アッテンボロー」という人のブログには、若い女性同志が、だいぶ年上の古参労働者同志や地下の同志と見合いをさせられるのを嫌がっていた、という記述があります。
また、革マル派では、JRの夫と教労や自治労の妻というのが多いです。これは組織推薦なしにありえないでしょう。なお、革マル派では子供はつくらないことになっています。
また、特定されるようなことは書けませんが、私の友人はある党派に属していましたが、指導部の推薦で大学卒業と同時に結婚しました。しかし、結婚相手の親が日本共産党員であったこともあり、反対されて、その結婚相手は勘当状態になってしまいました。
それと、日本共産党でも、組織推薦の見合いまではしないかもしれませんが、上級が指導することくらいはあるようですよ。どこかのブログで読みましたが、学生活動家が、交際相手について、精神的に問題があるので交際をやめるよう指導されたというのがありました。また、私の知っている男性は、日本福祉大4年で、日本福祉大短大2年の女性と交際しており、卒業後に民青専従となることになっていたが、その交際相手の女性の実家が、ちょうどその民青専従になる地区の中小業者であったため、家業があるなら食っていけるということで党愛知県委員会の青年学生部が「早く結婚しなさい」と指導し、卒業直前に結婚してから民青専従となったとのこと。
2013/12/04(水) 01:28:25 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


私はこの記事について全く違った感想を抱きます。
まず、現在の自民党政治では世襲が当たり前だということです。世襲政治家の中にも、鳩山由紀夫元首相や小沢一郎のように、政治家の家系に生まれなくても政治家になる実力のあったものもいます。しかし、安倍などは明らかに無学低能であり、世襲でなければ政治家になることはできず、せいぜいどこかの「靖国大好きおじさん」で終わっていたはずの人物です。
また、自民党は天皇制を積極的に支持し肯定している党です。つまり、血筋による差別を肯定している党なのです。だから、自分たちが血筋で差別されてもそれは自業自得というものです。
ですから、自民党政治家の血筋について明らかにすることは何もおかしなことだとは思われません。
2013/12/04(水) 16:46:18 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


エガリテ氏の文章には見るべきものもありますが、彼が根本的に宮本・不破の議会主義(多数者革命)を肯定しているので、根本的な批判にはなっていません。仮にエガリテ氏の批判が受け入れられたところで、今日の日本共産党を革命党に変革できるわけもない。

なお、

>我々よりも左派の人々に言わせると、議員は党が議会に派遣しているメンバー以外のものではない。したがって党の下に位置し、党の指令に基づいて行動すべき存在である。

というのは当たり前です。「共産党は、議会という敵階級の機関を破壊するために、この機関内に偵察部隊を持つことに強い関心を持つ」とコミンテルンのテーゼにあるとおりです。
2013/12/10(火) 00:23:03 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
中国を資本主義国と規定することは非常に重要だと思われます。というのは、宇野派の伊藤誠名誉教授のように、中国を市場社会主義として美化する論者が何名もいるためです。また、不破が「市場経済を通じて社会主義へ至る」と言っているのを正当化するために中国の例を持ち出しているという点もあるでしょう。
中国の国内において社会主義制度が解体されただけではなく、中国が貿易の国家独占を廃止し、自由貿易を原則とするWTOに加盟したという点が重要です。WTOの加盟資格を見るならば、資本主義国でなければ加盟できない組織であるということが理解できるはずです。

なお、社会主義と市場に関しては、日本共産党専従で評論家でもある人と討論したことがありますので参考にしてください。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/sijou-haizetu1.html‎
2013/12/10(火) 00:32:38 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>①「賃上げで経済危機を打開する」という決議案に対し、エガリテ氏は「賃上げは経済危機打開のためではなく、働く者の権利である」と批判している。どうもエガリテ氏には原則論にこだわるところがある。権利であると言われても労働者には「でも不況だからねえ」という思いがある。それに対して、「この不況を解決するためには国民の購買力を増やさねばならないのだ」と訴える必要があろう。決議案の表現は問題ないと考える。

「賃上げで経済危機を打開する」というのは、「過少消費説」という典型的な俗流理論そのものです。「過少消費説」(需要不足)というのは、かつてマルサスが、その後ケインズが唱えたものです。賃上げは好況の結果であって原因ではないことは初歩の初歩です。現在の不況は、まさに典型的な「過剰生産恐慌」であって、それに対する労働者階級の回答は社会主義革命しかありえません。
2013/12/10(火) 00:38:58 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>おそらく今回書いたような内容は、ぼくよりも左に位置する人たちからは決して支持されないだろう。エガリテ氏の見解とも食い違いがあるかもしれない。しかしこれがぼくのこの問題に対する考えかたである。
>また比例代表制度は長年支持してきたが、最近これにも疑問を感じている。

私の立場はむしろまったく逆です。ブルジョア議会に送られた革命党議員は、ブルジョア政治家やブルジョア官僚と接する機会が多いがゆえに、変質・堕落する可能性がより高いから、党内においては議員はより慎重に取り扱う必要があります。各級党機関のトップは非議員でなければならないこと、議員になるものは決して堕落しないであろうと思われる活動家であること、等々が必要です。
また、ブルジョア議会の選挙制度は拘束名簿式比例代表制が最善であることは明白です。
2013/12/10(火) 01:47:15 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


Gödelの不完全性定理についての一般向け入門書は、
高橋昌一郎『ゲーデルの哲学』講談社現代新書1466
だそうです。数学教授がそういっていたから間違いありません。
ゲーデルは28歳で不完全性定理を証明した超天才でしたが、晩年はおかしくなってしまい、神の存在を証明することに熱中していました。そして餓死しました。

ところで、古本の見方なのですが、ある本を「日本の古本屋」で検索したところ、

79年5月 四六版、初版、帯イタミ、カバ、三方経年ヤケ、天ヨゴレ、並

これは、79年出版としてはごく普通と理解してよろしいのでしょうか?
2013/12/10(火) 21:45:51 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


ちょっと質問です。

>中里喜昭と吉開那津子は純粋に党が生み出した作家である。長崎の造船所のトロツキストとの党の闘いと、反党盲従分子から党を守る闘いと。

中里喜昭って沖縄県出身ですよね?高校を出て三菱長崎造船に就職したのでしょうか?
「長崎の造船所のトロツキスト」って、長船社会主義研究会ですよね?『新左翼労働運動10年—三菱長崎造船社研の闘争』という2巻本が出ています。昔は持っていたのですが、人にあげてしまいました。
2013/12/13(金) 20:57:03 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


> 袴田処分の最終段階の党大会で、本人が(大会代議員に選ばれなかったという理由で)大会に参加できず、従って弁明の機会が与えられなかったことについて、元東大民青さんが批判的に書いていた。日本共産党の民主集中制は「宮本集中制」ではないかと。これについての私見。

> これは第8大会での春日(庄)、内藤ら、第9大会での志賀、鈴木、神山、中野も同様だったと思います。それぞれ党大会まえの中央委員会総会に出席・弁明の機会があり、にも拘らずそれ以前に記者会見して「離党声明」を出し、総会に欠席したので、そこで除名決議がなされたのです。党大会は規約によって除名を承認した訳です。だからこれら自体は「宮本集中制」=民主集中制の破壊とは言えないと私は思います。

これについては、春日(庄)らの声明(どこに載っていたかな?)が語っています。

「宮本・袴田・松島らの党規約を踏みにじる非民主的党内運営により、正常な党内討論が不可能となった」がゆえに「一時離党」する、とし、声明は「日本共産党万歳!」で締めくくられています。

袴田については、中央委員であるにもかかわらず、常任幹部会により「権利停止処分」が決定され、中央委員会総会に出席できなくなるという異常な手段が取られました。このような党運営を「党内民主主義」と呼ぶことは不可能でしょう。袴田は自己の見解を述べる機会を不当に奪われたがために、党外のメディアにおいて発表することとなったのであり、これ自体は正当だと思います。
2013/12/15(日) 09:59:39 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

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「理論部長」の発想ですが、かつては「理論委員長」がいたのですね。
榊利夫が理論委員長と「赤旗」編集局長を兼任していました。「理論委員長」という役職はいつなくなったのでしょうか?
2013/12/20(金) 10:17:34 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]




革マル派が勢力を維持しているといっても、どのように維持しているかが問題です。プロレタリアの闘争の先頭に立って、反動期にもかかわらず勢力を維持しているというのなら、それは大したものです。しかしそうじゃないでしょう。
革マル派が国鉄分割民営化に対して取った行動を忘れることができるでしょうか?
「組織を温存するために戦わず屈服し、御用組合になる」というのは本末転倒ではないですか。
ただし、JRとそれ以外の組織に違いがあるということはいえるでしょうがね。JRは故・松崎明の領分であり、黒田寛一や他の政治組織局員といえども口を出せなかった、ということはありえます。
別の例でいうと、沖縄県委員会の独立性があります。もともと革共同革マル派沖縄県委員会は、山里章が沖縄マルクス主義者同盟を創立し、その後、「沖縄復帰」後に革共同革マル派沖縄県委員会となったという経緯があります。沖縄県は革マル派の一大拠点であり、学生自治団体のすべてを支配し、数百名の労働運動活動家を擁して県労協では社会党につぐ第2勢力でした。しかし、その時ですら革共同革マル派沖縄県委員会の党員は3名しかいなかったとのことです。おそらく山里章の私党的支配があって、党員の拡大を嫌がったのではないでしょうか。

引用されている「解放」記事では、

>世界最大の農業保護国アメリカ
>イラン核合意に苛だつシオニスト

の2つに興味があります。革マル派の機関誌では、これまで農業問題についてまとまった論文を見た事がありません。マルクス主義同志会の林紘義(東大大学院で農業経済学専攻)が日本共産党批判の形で繰り返し農業問題について書いてきたことと比べても、農業問題についてまとまった論文が出ていないのは残念に思えます。
2013/12/20(金) 22:14:27 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



>1971年6月に琉球大の革マル派マル学同の学生・町田宗秀君が死んでいます。民青とのトラブルによってです。この「手打ち」の内実が分からない。

当時、民青は町田宗秀を虐殺したことを否定する大宣伝を行っています。私は大学の自治会室で、当時民青が発行した宣伝パンフを見ました。しかしやはり説得力がなかったので、世間的には民青が虐殺したと認識されました。立花隆『日本共産党の研究』でも民青が虐殺した、と書かれています。
その後、革マル派が矛を収めた理由ですが、やはり一番大きかったのは中核派・解放派とのゲバで、民青どころではなくなったことでしょうが、高いレベルで手打ちが行われた可能性は高いと思っています。というのは、この事件後、民青は琉大学生会長選挙に立候補しなくなるからです。「琉大学生会の革マル派支配を認める代わりに、町田虐殺をこれ以上追及せず平和共存する」という手打ちがあったのかもしれません。
2006年に、琉大ではノンポリ学生が革マル派に対抗して学生会長選挙に立候補して敗北しています。その人物のブログが卒業後も残っていますので見てみてください。http://20060615.seesaa.net/
このブログによると、革マル派は、このノンポリ学生の背後に民青がいる、と宣伝したようですが、このノンポリ学生は、そのような事実はなかったと言っていますし、事実なかったのでしょう。
2013/12/21(土) 13:27:05 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


日本と朝鮮の問題として、「対話の言語が共有されていない」「対話ができる人材がいない」ということが、日本共産党も含めて重要問題なんですね。
かつては朝鮮労働党と日本社会党の友党関係があり、朝鮮労働党の立場を理解する人々がいた。しかし日本社会党が壊滅した後は、そのような人々はいなくなり、ごく一部のチュチェ派や日朝友好運動勢力やアントニオ猪木参議院議員のような友好人士を除けば、みんな「反北」の報道しかなく、日本人が「北」の現実を理解できないという現象が(日本共産党の党員・支持者を含めて)起こっています。
私から見れば萩原遼は最低最悪のプロパガンダ要員で、彼を日本共産党が除籍したのは遅きに失したのだけれども、残念ながら党内でもまだ彼を信用している人々が少なくないようだ。その悪影響が「正気の沙汰ではない」土佐高知さんに見てとれます。
写真集『隣人。38度線の北』(徳間書店)を撮影した初沢亜利さんがインタビューに答えています。

http://diamond.jp/articles/-/33325
ウォッチャーの人たちは、みんな本音のところでは北朝鮮が好きなんですよ。そうでないと何十年と執着し続けないでしょう。一方で、北東アジアの平和と安定についても真剣に取り組んでいるので、「結局は対話以外にあり得ない」という結論になるんでしょうね。ただ、テレビでそれを言っても商売にならないというのも事実で、結果として彼ら自身が反北朝鮮ナショナリズムを煽っている部分があるのかな、と思うことはあります。

この日本における「北」に対する言論空間は、「北」から見れば異様なものとして映ります。
http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090525/1243237413
ひとりの女子学生が、私たちにこんな質問をした。
「私たちは日本と仲良くしようとしているのに、日本のマスコミはなぜ反共和国的な報道ばかりするのですか?」

とこのように、日本側の認識と「北」側の認識が完全に隔絶してしまっている点に問題があります。
最大の問題は、日本のマスコミのセンセーショナリズムとそれに無批判な大衆にあると思います。マスコミのセンセーショナリズムは、どこの資本主義国であれある程度は共通するものでしょうが。

それに、日本と「北」の政治体制が全く異なるものであることを考慮に入れず、日本の大衆が「反北」感情を抱けば、何でもかんでも「植民地主義的差別意識」につなげてしまう「友好人士」にも一定の責任はあるでしょう。
2013/12/22(日) 17:54:15 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
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何故党中央は大衆闘争に真剣に向き合えないのか
君のコメントが転載されてるよと友人に教えられて、最近、貴ブログへの訪問を始めた次第です。よろしくお願いします。
県党会議での発言を拝見し、逐次、同感しました。
以下に私見を述べます。
党は、大衆闘争(運動)の上に「党建設」を据えていますが、その意図と共に、全てはそこに問題があると思います。
党建設 ー そのための大衆闘争となっていること、つまり、福島であれ、保護法であれ、党建設のための道具、機会、手段としてしまっていることが大衆闘争の問題に対し、党中央自身の(ということは、中央集中制のもとでは当然ながら、すべての党の機関の)真剣な目配りの欠如が生まれざるを得ない根幹なのだと痛感しています。
このことは、拡大のための中央委員会決議の文言の必死さや、それに基づくその期間中の上級の息もつかせぬ程、枚挙に暇のない各種指令・指示などに比べても明らかだと思います。
保護法がゴリ押しされてしまった、その際の中央の総括は、赤旗読者、党員など党建設の裾野を広げて捲土重来しよう、ということなのでしょう。
本当に誠実な思いを持っている党員の方々が多くいることを知っているにも関わらず、あえて極言すれば、共産党という組織は「党建設で自己完結してしまっている組織」ではないでしょうか。
党の大衆闘争とは、党建設のための「肥やし」、あるいは選別対象でもある「土壌」としての位置づけなのではないのか、40年前の除籍体験者である私は、その様々なトラウマや憎悪などもすっかり癒えた今、心からそう思っています。
※ 尚、都合上、本コメント中では「大衆闘争」という言葉を使いましたが、私自身は今は使っていません。
2013/12/29(日) 11:27:57 | URL | 藤原隆三 #- [ 編集 ]
コメントの


中核派は分裂しました。「前進」を発行しているのは、政治局を制圧した安田一派(安田=故・中野洋動労千葉委員長)ですので、「中核派安田派」と呼びます。
中核派安田派は、加速度的に分解に向かっていると感じます。それは経済主義に転落したこと、部落解放闘争に敵対し、解同全国連を分裂させて「全国水平同盟」なるものをつくったこと、動労千葉崇拝運動を全戦線におしつけていること、などからも必然といえます。動労千葉にしても、わずか200名程度の組合で、それもあと10年もすれば現職の労働者は無に近くなります。「マル青労同1千名建設」のスローガンもまったく達成できていません。
続きをまた書きます。
2013/12/29(日) 14:41:54 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


岡正芳について記憶違いがありませんか?
岡正芳は第7回党大会では中央委員候補にも選ばれていない。だから、宮本綱領の採択に貢献したということはない。
第8回党大会で中央委員、第9回党大会で幹部会員・常任幹部会員に2階級特進しています。第10回党大会でも常任幹部会員に留任。それ以後の資料はいま手元にありません。
2014/01/07(火) 18:08:20 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



この「批判」も底の浅い、くだらないものですね。
「かけはし」に執筆していた連中が「さざ波通信」を発行していたことは容易に理解できますが、「かけはし」も右転落の道を真っ逆さまに転げ落ちていますから、どうしようもありません。

唯一興味があるのは、「不破社研所長のエンゲルス批判との関連で幾つかの検討すべき問題」ですが、なぜこれについて書いてくれないのでしょうか?私は最近の不破の書いたものを全く読んでいないですが、調べてみると「前衛」で「連載 スターリン秘史――巨悪の成立と展開」なるものを連載しているようですね。不破はどういった内容を書いているのでしょうか?

不破の『スターリンと大国主義』では、まだレーニンの「最後の闘争」において彼が頼ったのがトロツキーであったことは隠されていますが、今回の連載では?
2014/01/05(日) 01:32:50 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



ところで日本共産党第26回大会が近付いているので人事のことについて質問させてください。
1970年の第11回大会で、幹部会委員長のポストが新設され宮顕が就任し、野坂は中央委員会議長にとどまりました。野坂は引退前は幹部会に属さず、事実上は名誉職だったと思いますが、野坂が幹部会に属さなくなったのは何回大会からでしょうか?
それと、第11回大会で宮顕が「幹部会委員長」になり、「常任幹部会委員長」ではなかったのは、当時の規約では常任幹部会の権限がそれほど明確ではなかったからでしょうか?
2014/01/06(月) 22:16:35 | URL | 元東大民青 #-


続きと言っては何ですが…。
 新右翼「一水会」岡山支部の結成30年記念集会が市内で行われるとの事
です。鈴木邦男前代表(元生長の家学生連合)と、木村三浩現代表(元日本
青年社)が揃い踏み。

http://www.issuikai.jp/event_20140118.html
http://kunyon.com/shucho/img/140118event.jpg

2014/01/05(日) 18:56:02 | URL | しょむ研 #ZQMeTpW2


構改派。
 当時からのグダグダっぷりを見るに、某反スターリン主義系新左翼の活動家
の人が数年前に「構改派なんて所詮は日共の右派。」と切って捨てていたのが
思い出されます。

 松江澄氏は共産党除名後も広島県議を続け、晩年は「新民主主義連合」を
結成して社会党を中心とした社民主義政権を目指す運動をしてましたね。

 岡山の社会主義者といえば、衆院議員として戦後唯一懲罰委員会による議員
除名処分で失職し、後に再選して議員として復帰した川上貫一氏も岡山出身
でしたね。

 岡山は政治的には福田英子(女性運動家)、大原孫三郎(大原社会問題研究
所創設者)、石井十次、留岡幸助、金友隆幸(維新政党新風、排害社)の各氏
など、宗教的には法然、栄西、赤沢文治(金光大神)、黒住宗忠、山室軍平
(救世軍)、小野兼弘(釈尊会)の各氏など、社会思想・運動的に面白い土地
です。

 好並隆司氏(部落解放研究所)、坂本守信氏(翻訳家、雀荘経営)なんて
特異な人もいましたが。

2014/01/05(日) 18:20:45 | URL | しょむ研 #ZQMeTpW2 [ 編集 ]


>共産党では金の不正が問題なることは殆んどない。

こうおっしゃっていますが、不正があることは漏れ伝わってきます。
たとえば袴田問題の時です。

1977年の第14回党大会直後、袴田は「素朴な手紙」を党中央に送りつけた。「一党員として委員長に素朴な質問を致します」との書き出しから始められて、全13カ条に及ぶ質問状になっていた。この「素朴な手紙」は、常任幹部会の席上で、戎谷統制委員会責任者によって報告された。その骨子は次のようなものであったと伝えられている。

1972年1月、宮本委員長邸が東京都多摩市に新築された。その時、党中央財政から幹部防衛費という名目で3千万円が支出されている。その使途の明細を承りたい。

1977年2月、党東京都委員会会館建設援助金として、党中央財政から1億3千万円が支出されている。ところが、実際に都委員会に渡っているのは、その半分にも満たない金額である。その差額はどこに行ったのか、あなたが一番よくご存知のはずです。その支出先を受けたまわりたい。

1976年総選挙の際、党は1党員あたり平均1万円カンパを全党で集め、約24億円が集まった。このうち8億円が党中央財政に入り、同額を総選挙で費消したことになっている。ところが、実際に使ったのは約6億円である。残りの2億円は常任幹部会特別資金という名目でどこかに消えている。その分配先の内訳を承りたい。


また、宮地健一のサイトによると、津久井の不破邸の建物のいくつかが「未登記」であるようです。これが本当なら違法でしょう。
2014/01/10(金) 10:41:47 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>井上美代が比例区(広域)で出なかった件について、私はこう思います。岡山の新婦人の末端は井上美代なんて知らないし、名前だけ知っていても全然お呼びではない、つまり新婦人はそういう選挙には向いていないと思います。 それならなおさら井上美代を東京から出した理由が分かりません。そもそも大衆団体のトップを在職のまま党議員にするということも異例でしたし。比例で当選した岩佐恵美は、衆議院議員を4期も務めていて知名度があったわけで、明らかに井上より集票力があったはずです。 2004年の参院選で、1998年に当選した15人が改選になるとき、比例で8議席確保するのは逆立ちしても無理だということ、また非拘束名簿になったため市田書記局長を確実に当選させることが必要だということで、岩佐は引退させられましたが、どうして東京に回さなかったのか?東京では今村順一郎という無名の新人を立てて惨敗していますが、若林都委員長がよほど今村を気に行っていたのでしょうか? » 返信


貴殿は、以前どこかで、レベルの低い女性幹部を高い地位につけてしまったというようなことを書かれていましたが、それは小笠原貞子副委員長・参議院議員でしょうか?
新婦人出身にはろくなのがいない、という話を耳にしたことがあります。
民青では、歳の割におばさんっぽい者が「新婦人予備軍」などと言われていました。
そうそう、「婦人民主クラブ(再建)」が「(再建)」をとって、「婦人民主クラブ」になりましたが、この組織を新婦人とは別に維持し続ける理由はなんなのかな。

2014/01/10(金) 10:51:58 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
私が@nozomi_skiについて気に入らないことは、日本共産党中央委員会書記局員・青年学生委員会事務局長というれっきとした政党公然幹部でありながら、「政治関係のお仕事してます」などとあいまいに名乗るところだ。これはまったく意味がわからない。
2014/01/10(金) 11:01:19 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



樋口芳広さんに賛同します。
 元東大民青さんは切って捨てておられますが、ぼくは樋口さんの指摘は、(部分的に異論もありますが)全体としては的確な内容だと思います。結局自分の考え方との距離によって評価が違ってくるということでしょうか。
 文章の最後で指摘されていること、現象に惑わされずに本質を見るという言葉によってなされる状況の単純化、パターン化、恣意化によって的確な行動指針を打ち出せなくなっているということ、文章の全体はこれに対する批判を目指したものとしてとらえることができます。
2014/01/05(日) 16:27:30 | URL | 石崎徹 #uE0ZWTE6 [ 編集 ]
マルクス、エンゲルスの矛盾批判、不破氏の矛盾批判  高原利生
マルクス、エンゲルスの矛盾批判、不破氏の矛盾批判  高原利生
 樋口芳広さんの文に、不破氏のエンゲルス批判というのがある。マルクスにせよエンゲルスにせよ、歴史の中で、概念や方法、知識の体系を作ってきたので、それぞれに今から見れば欠陥が多いのは当然である。
 マルクス、エンゲルスの矛盾概念、弁証法については、高原の「「世界構造の中の方法と粒度についてのノート」
http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2013Papers/Takahara-TRIZHP-1307/Takahara-TRIZHP-Paper-130727.html
で批判した。このノートの最後で、マルクス、エンゲルスの矛盾、弁証法批判を述べている。
 現実の近似モデルである矛盾は、1. 対立項、2. 外部、3. 対立項の運動の生成力、推進力からなる。今回の不破氏のエンゲルス批判は、資本主義経済の矛盾について、エンゲルスは対立項の運動の推進力を考慮していないという点に関する。前の高原のコメント「不破氏のエンゲルス批判 高原利生」は、正確には、主にこの推進力に関する「エンゲルスを批判する不破氏に対する批判」である。
 マルクス主義(「科学的社会主義」)の目的、理念を実現する道、態度、自分と対象を変える弁証法的方法、論理構築力が、決議案最終章だけでなく、決議案全体に欠けている前提と考える。
2014/01/07(火) 17:28:49 | URL | 高原利生 #mRB1KL6Y [ 編集 ]


私の祖父は、すでに亡くなっていますが、自費出版をしました。
一つは郷土史についての研究であり、もう一つは短歌集でした。
郷土史研究は、なかなか質の高いもので、献本した専門の学者に論文で触れられました。
しかし短歌集はまったく売れず、全国の図書館に寄贈しただけで終わりました。
2014/01/06(月) 22:09:38 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


マルクス、エンゲルスの矛盾批判、不破氏の矛盾批判  高原利生
マルクス、エンゲルスの矛盾批判、不破氏の矛盾批判  高原利生
 樋口芳広さんの文に、不破氏のエンゲルス批判というのがある。マルクスにせよエンゲルスにせよ、歴史の中で、概念や方法、知識の体系を作ってきたので、それぞれに今から見れば欠陥が多いのは当然である。
 マルクス、エンゲルスの矛盾概念、弁証法については、高原の「「世界構造の中の方法と粒度についてのノート」
http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2013Papers/Takahara-TRIZHP-1307/Takahara-TRIZHP-Paper-130727.html
で批判した。このノートの最後で、マルクス、エンゲルスの矛盾、弁証法批判を述べている。
 現実の近似モデルである矛盾は、1. 対立項、2. 外部、3. 対立項の運動の生成力、推進力からなる。今回の不破氏のエンゲルス批判は、資本主義経済の矛盾について、エンゲルスは対立項の運動の推進力を考慮していないという点に関する。前の高原のコメント「不破氏のエンゲルス批判 高原利生」は、正確には、主にこの推進力に関する「エンゲルスを批判する不破氏に対する批判」である。
 マルクス主義(「科学的社会主義」)の目的、理念を実現する道、態度、自分と対象を変える弁証法的方法、論理構築力が、決議案最終章だけでなく、決議案全体に欠けている前提と考える。
2014/01/07(火) 17:28:49 | URL | 高原利生 #mRB1KL6Y [ 編集 ]


どこかで読んだのですが、新婦人が結成される時、宮顕自ら婦人民主クラブに出向いて、新婦人に合流してほしい、共産党の下部組織のようには扱わず、そちらの立場は十分尊重するから、と言っています。
私は民青界隈に居た時、婦民(再建)の人とは1人も出会いませんでした。ですからどういう組織で、どんな人々がいるのかもまったくわかりません。「赤旗」に登場することもめったになかったしね。
新婦人関連で理解できなかったことは、1998年参院選で、新婦人会長の井上美代が東京都から立候補して当選したことです。(1期で病気を理由に引退。)その時、岩佐恵美は比例で当選しました。どう考えても普通は井上が比例で岩佐が東京だろうと思いました。井上は新婦人を除いて知名度がなかったわけだから、東京からではなく比例に出て新婦人票を掘り起こすべきだっただろうと。このことを専従に質問すると、「まあ、常幹には深い考えがあるんだろう」と言われました。
2014/01/11(土) 08:45:55 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


どこかで読んだのですが、新婦人が結成される時、宮顕自ら婦人民主クラブに出向いて、新婦人に合流してほしい、共産党の下部組織のようには扱わず、そちらの立場は十分尊重するから、と言っています。
私は民青界隈に居た時、婦民(再建)の人とは1人も出会いませんでした。ですからどういう組織で、どんな人々がいるのかもまったくわかりません。「赤旗」に登場することもめったになかったしね。
新婦人関連で理解できなかったことは、1998年参院選で、新婦人会長の井上美代が東京都から立候補して当選したことです。(1期で病気を理由に引退。)その時、岩佐恵美は比例で当選しました。どう考えても普通は井上が比例で岩佐が東京だろうと思いました。井上は新婦人を除いて知名度がなかったわけだから、東京からではなく比例に出て新婦人票を掘り起こすべきだっただろうと。このことを専従に質問すると、「まあ、常幹には深い考えがあるんだろう」と言われました。
2014/01/11(土) 08:45:55 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
  1. 2012/07/20(金) 05:24:27|
  2. 未分類