古本屋通信

律についての私の喪われた記憶

古本屋通信   No 3457    2018年  07月22日


    伊藤律についての私の喪われた記憶


 キンピーサイトの最新板の冒頭、太宰ファン様とKM生様の間で、以下の遣り取りがあった。私は介入できるような知識はないし、その意欲もないのだが、目にした直後の実感だけを書くならば、伊藤律は実質的には党に切られたと思った。これは最終的にである。律が日本に帰ってきたとき、党は 「今後は律の個人生活に関与せず」 とした。これは灰色決着だが、つまりこれまでの党見解(=律スパイ説)を訂正せず、だったろう。私はこれを基本的に支持した。それと関係するが、KM生様が、そして太宰ファン様も、(伊藤律が冤罪だったのは今日的に明らかです) とされていることを、私は論理的にはともかく、実感として、どうしても素直に受容できない。以下は下で。



1. 太宰ファン @同じ穴の貉
2018年07月21日 22:17
>「徳球北京客死後の日共党内の後継党首争い」
徳球とスターリン、同じ年に亡くなっていますね。
で、ソ共:よってたかってスターリンの腹心・べリアを粛正、
日共:よってたかって徳球の腹心・伊藤律を(事実上)粛正、
って、同じことやってます(大笑い)!

3. KM生@太宰ファン様
2018年07月22日 05:43
>徳球とスターリン、同じ年に亡くなっていますね。
で、ソ共:よってたかってスターリンの腹心・べリアを粛正、
日共:よってたかって徳球の腹心・伊藤律を(事実上)粛正、
って、同じことやってます(大笑い)!

日共で真の意味で粛清されたのは、(伊藤律が冤罪だったのは今日的に明らかですから)志田重男ですよ(^^)。




  古本屋通信

 私は律が北京から帰ってくる前後、それ以来の資料を、もちろんご子息が書かれている本も精読している。なのにどうしてもスッキリ胸に落ちない。つまりいまだに灰色なのである。そしてハッキリ云えば、灰色が正しいと思っている。更に云えば、コミンテルンと戦後スターリン時代、日本で云えば徳田時代(主に北京機関時代)の歴史的検証は困難であるうえに、余り意味がないと思い至ったのである。それには野坂参三の除名が重く圧し掛かってきたという背景がある。私は野坂を除名した時点で、日本共産党史は無化した、つまり検証することの意味を喪ったと見ている。ただ、それは党にとってであり、日本近現代史にとっては無意味とは云えないだろう。でも私にとって律は歴史の藻屑となって消えている。だから、かつて精読した文献の記憶は最早ない。

 だが、かつて精読した本の書評のトップに太宰ファン様の文を見つけて、驚き且つ思い出したこともある。優れた書評だと思った。が同時に、書かれていないこともあると思った。引き続いて他の方の書評を読んだ。太宰ファン様の書かれていない事も発見した。そこで何点かをここに転載して、私の喪われた記憶を甦らせたいと思う。資料としての転載である。



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  父・伊藤律 ある家族の「戦後」 伊藤淳 2016/7/12

 以下はすべてアマゾンレビューの評価5です。



5つ星のうち5.0
伊藤律夫人と息子さんの真摯な生き方に感動。日本共産党はなぜ謝罪しない?
投稿者太宰ファン 2016年7月16日
一気に読了。伊藤淳さん、文章がうまい。本の構成もバランスが取れていて、帰国をめぐる騒動、律とキミ夫人の個人史から母子家庭の様子、思い出など、多くのことがよく分かった。印象深いのは日本共産党の対応だ。本当に非人情な組織だな。いくら伊藤律に欠点があろうと、北京機関内で戦前の活動のスパイの嫌疑をかけ、中国に依頼して30年近くも監獄に入れっぱなしにしたんだから、まず、この非人道的な措置を反省し、伊藤律と家族に謝罪すべきだろうが!中国の党の方がよっぽど人道的だ(帰国に際し、伊藤律の生活を気遣い、50万円をくれたそうだ)。

日共は、謝罪しないどころか、帰国前から家族を恫喝し、帰国後は、伊藤律への誹謗中傷を党幹部が率先して行っている。野坂の所業はスパイのそれだ。宮顕も「伊藤律は、党幹部になるような優秀な人材じゃない、せいぜい地区委員長レベルだ」などと党員大衆(地区委員長多数含む(笑))の前で薄笑いで演説。こういうところに本性がでる。薄汚い権威主義、差別主義、俗物趣味には伊藤淳氏も苦笑している。

それにしても伊藤夫人の信念と愛情と党員としての節操には、しみじみ感じ入った。素晴らしい人じゃないか!マジに涙が出てきた。伊藤淳氏も、母親の生き方を尊敬し、入党したのに、スパイの子と「党員から」陰口され、監視され、落ち度がないのに「査問」されるなど、党の村八分的、封建的体質のせいで、想像を絶する目にあっている。本当に信じられる素晴らしい党員も見出しているのだが。

日本共産党ほど、謝らない、謝罪しない政党も珍しい。伊藤淳氏が北京で中共側の通訳の女性と、文革で弾圧され失脚した主人公が文革後に名誉を回復されて死ぬ映画を見たが、通訳女性は自らも文革経験もあり、泣いて訳せなかったそうだ。中共だって、文革犠牲者には謝罪している。なぜ日共はそれができない?おまえら世界最低の党に確定だ!


5つ星のうち5.0
スパイ説の実像
投稿者クロダ 2016年7月17日
政治的な亡命で家族を振り切って中国に亡命し、日本国内では生死不明とされた伊藤律。本人のいない間にスパイ説は拡がり定着した。そのことを、本人は良く分かっていた。中国の獄中でも日本共産党の新聞を読むことができたからだった。情報は整理し記憶されていた。やっと日本に帰国できたが、スパイ説はすっかり定着しており、共産党に近い家族に対しても全面的に心を開くことができなかった。戦後、家族は懸命に生きたが、母子に対し絶えず警察の尾行がつき、幼い息子を買収しようと菓子を与えようともした。律の元の友人知人には、スパイ説を信じない人も存在し、律の息子を式典の席で宮本委員長に紹介してくれる人まであった。ゾルゲ事件で尾崎秀実と全面的に対立していたわけではなく、獄中で律と尾崎が生存を確認し再開を喜んだことも紹介されている。律の妻は尾崎の妻とは親交が続いていた。こうしたいくつかのことは通説がかなり脚色されたものだったことを語る。目も耳と不自由で息子が自分を探っているという妄想に時々律はとらわれ、家族をはらはらイライラさせた。それでも友人故郷いろいろな再会を喜び、好奇心豊富で、意欲を持った律の実像がつづられ、一気に通読することができた。


5つ星のうち5.0
共産党の酷さが分かる本だ
投稿者古本虫がさまよう 2016年9月5日
 この方は書評魔ですが、一貫して書評力がないと見做して、削除しました。つまり古本マニアはまずダメです。


5つ星のうち5.0
伊藤律の次男の手になる「伊藤律=スパイ説」への反論の書
投稿者 榎戸誠ベスト100レビュアー 2016年10月7日
『父・伊藤 律――ある家族の「戦後」』(伊藤淳著、講談社)は、伊藤律の次男の手になる「伊藤律=スパイ説」への反論の書です。

「父・伊藤律は戦前来の共産党幹部でありながら、さまざまな方面からレッテルを貼られた男でもあった。いわく『生きているユダ』(尾崎秀樹)、いわく『革命を売る男』(松本清張)、いわく『ゾルゲと尾崎秀実らゾルゲ事件の関係者逮捕の端緒をつくった男』、いわく『権力のスパイ』(日本共産党)などおどろおどろしい表現が並ぶ」。

「しかし、父の死後、渡部富哉『偽りの烙印』、『伊藤律回想録』、『生還者の証言 伊藤律書簡集』などの発行がつづき、松本清張や尾崎秀樹、共産党などによって広く流布されてきた『伊藤律=スパイ説』はほぼ崩壊した。2010年になって占領下米軍情報部資料も発見されると、もはや伊藤律に貼られたレッテルの数々は消滅したに等しい状況となった。伊藤律冤罪説が通説になった」。

27年ぶりに中国から帰国したばかりの律と淳の会話から、淳の衝撃が伝わってきます。「『淳君、ぼくはどこにいたと思う? 監獄だよ。ぼくを投獄したのは野坂(参三)で、最後の査問にきたのは袴田(里見)だった』。私の身体を意味不明の衝撃が走った。・・・『ぼくらは野坂さんからお父さんが死んだって聞いた』」。

「父は他国の牢獄に27年間投獄された末に、中国政府によって釈放され帰国した。もとはといえば日本の(共産)党が査問をし(国家権力側の)『スパイ』と断定し除名した。その結果として監獄に入れられた。おそらく中国の(共産)党に依頼したのだろう」。このことを著者が知るのは、律の帰国後、暫く経ってからのことです。スターリンの虎の威を借る狐・野坂が、中国を動かして、律を監獄に送り込んだのは、自己保身のためでした。

本書には、私にとって非常に興味深いことが3つ記されています。

第1は、「伊藤律=スパイ説」を覆すのに大きい役割を果たしたのが、『偽りの烙印』という著作だったこと。若い時分、ゾルゲ事件に関心を抱いていた私はゾルゲ事件の研究会に出席し、そこで同書の著者・渡部富哉の講演を聴き、いろいろ質問した経験があったからです。

第2は、私の愛読書の一つである松本清張の『日本の黒い霧』中の「革命を売る男・伊藤律」について、出版元の文藝春秋が従来の見解を改めたことです。「3回にわたる交渉の結果、文春側は、この作品の歴史的位置づけ、時代の制約について『伊藤律回想録』や『朝日新聞』の記事などから引用、スパイではないという証拠が出てきているという説明、『偽りの烙印』や『伊藤律回想録』等を参照してほしいという断り書きを添付した文庫本を作成し、現行の文庫本は回収すると回答した」。

第3は、ゾルゲに協力したスパイとして死刑になった尾崎秀実の妻・英子と律の妻・キミが、戦前も戦中も戦後も非常に親しかったということ。「母(キミ)にしてみれば言いたかったのかもしれない。つらい時代をこれほど親身になって助けあって生きてきた両家族が、互いを裏切ることなどありえようか――。実際、秀実の異母弟・尾崎秀樹は伊藤律を『生きているユダ』としたが、尾崎英子は毅然としてそれに同意することはなかった」。

キミが語った次の話は、秀実と英子の熱い夫婦愛に憧れを抱いてきた私にとって意外なものでした。「尾崎(秀実)さんが捕まったあと、奥(英子)さんが私に言ったことがあります。私は尾崎(秀実)を嫌いになっていました。私はそのとき、どうしてですか、って聞かなかった。理由(秀実の派手な女性関係)がわかっていましたから。でもね、その後、また好きになりました、とも言っていました。あの手紙を読んでいく過程で変わったんでしょうね。命をかけてあれだけのことをやった人なんだから、とも言っていました」。『愛情はふる星のごとく』の手紙のことだろうと著者が確かめると、キミは頷いたと記されています。


5つ星のうち5.0
「スパイ」の汚名を着せられた男の、妻と子どもの物語。その凛とした生き方。
投稿者呆け天ベスト1000レビュアー 2016年11月30日
伊藤律(1913~1989)の次男・淳が、父の没後27年、母キミ没後13年の時を経て著わした、父と母への鎮魂の書です。
「生きているユダ」(尾崎秀樹)「革命を売る男」(松本清張)「権力のスパイ」(日本共産党)などの、おどろおどろしいレッテルを貼られた男。とっくの昔に死んだと思われていたのに、29年の時を経て生存が確認され、1980年9月に北京から日本に帰って来た伊藤律。
伊藤を監獄に入れておくように依頼した日本共産党(当時の最高幹部・野坂参三など)は、いわば「よみがえった亡霊」である伊藤に、帰国後もスパイの汚名を貼りつづけた。今も日本共産党による伊藤と伊藤の家族への謝罪はなされていない。
しかし、伊藤律の死後に発表された『偽りの烙印』(渡部富哉、1993年)という一冊の本が、伊藤律スパイ説を根底からひっくり返してしまった。
「ゾルゲ事件=伊藤律端緒説」を、膨大な特高資料を読み解き、関係者への執拗な取材をつづけ、腕利きの探偵でもできないような推理と実証で、突き崩していく。「事実をして語らせる」渡部の執念は、数十年にわたって「常識」とされてきた伊藤律=スパイという烙印を、あざやかに崩落させた。
文芸春秋は、2013年に松本清張『日本の黒い霧』(文春文庫)所収の「革命を売る男・伊藤律」について以下の措置をとると発表した。
・現行の文庫本は回収する・新たな版では、伊藤律の冤罪を証明した『偽りの烙印』や『伊藤律回想録』等を参照してほしいという断り書きを添付する。出版界に君臨する大会社が、自社の出版物について全面敗北ともいうべき態度をとるのは極めて異例です。渡部の著作が、いかに優れたものであったか。常識とされてきた「伊藤律スパイ説」が崩壊し、やがて日本共産党は「野坂参三除名」という結論を出さざるを得なくなる。一冊の本がもつ力を、まざまざと見せつける事件でした。
本書の著者伊藤淳は高校3年のときから、日本共産党の党員です。自分の父について「スパイ」「革命の裏切り者」と烙印をおす政党の党員であり続ける。そこには、常人には理解が及ばない深い陰影があります。
伊藤律の葬儀の場で、出棺の時がきたとき、渡部富哉は当然のように用意した赤旗で棺を覆った。律の長男・徹がその赤旗を剥ぎ取った。渡部は黙ってもう一度赤旗をかけた。徹はいささか気色ばんで、もう一度その旗をひきはがした…。
共産党が葬儀に出席しないようにお触れを出したにもかかわらず多数の地区党員が参列した葬儀。共産党から「反党分子」とレッテルを貼られている渡部たち旧所感派(徳田派)に連なる人々が居ならんでいる葬儀。その場で、渡部富哉と律の長男・徹との間に散った火花。
著者の伊藤淳は「兄は単純に、父の周囲からすべてのものを引き剥がしてあげたかった…身辺にはなにも付着しない状態、どこにも誰にも気がねせずに眠れる状態、要するにきれいなゼロのかたちで旅立たせてあげたかった…それは兄から父に捧げる痛切な哀惜の念ではなかったか。」とこの場面を結びます。
渡部の、この激しさがあればこそ、律の冤罪は解かれた。二人の息子の、父・律への敬意と愛があればこそ、律のおだやかな晩年があった。長男・徹と、渡部が火花を散らすこの場面、まるで映画の一シーンのようです。


5つ星のうち5.0
「ある家族の戦後」から浮かび上がる権力者の腐敗
投稿者白河夜舟 2016年10月26日
ゾルゲ事件との関連でその名を知られる伊藤律が北京での27年に及ぶ亡命、幽閉生活から解放されて帰国したのは1980年9月3日のことであった。今ではゾルゲ事件の全貌はほぼ解明され、「生きているユダ」という消しがたい烙印を押された伊藤律の冤罪も明らかにされている。
ただし本書はゾルゲ事件を扱うものではない。それは1951年にレッドパージを受けた伊藤が姿を消したもう一つの事件、政権の弾圧下に展開した日本共産党内部の権力闘争である。伊藤はスパイの容疑によって、北京で極秘裏に野坂参三らによる査問を受け、そのまま北京の監獄で呻吟する羽目に陥った。そしてその27年後、北京での幽閉から釈放された知らせを受けて迎えに来た次男の淳に述べた最初の言葉は以下のようなものだった。
「淳君、僕はどこにいたと思う?監獄だよ。ぼくを投獄したのは野坂(参三)で、最後の査問にきたのは袴田(里美)だった。」
伊藤はすでに党を除名されていたが「野坂の疑惑について」党に報告するつもりでいた。「ミヤケン(宮本顯治)に話せばわかる。わかってもらえるはずだ」と言う。スパイ物語によくある。上司として信頼していた男が敵と通じていることを知らなかったのだ。
第三者を介して伊藤律からの手紙を受けた妻のキミはまず中国大使館と連絡を取り、次いで共産党本部に知らせた。キミは筋金入りの党員であった。その夜、病身のキミを訪れた野坂は開口一番、「キミ同志はなぜ律と離婚しなかったのか」と詰問した上で「なぜ党に事前の相談もなく中国大使館と連絡をとったのか。これは党にたいする裏切り行為であり許されないことではないか」と続けたという。
すでに周知の通り、野坂こそがソ連のスパイとして弾劾されるべき身であった。彼はその後100歳にして共産党名誉議長を解任され、除名処分を受けた。明らかになっていることは山本懸藏ほか数名の同志を不当に告発してスターリンの粛清に手を貸したことであるがもちろんこれがすべてとは思えない。野坂自身は「残念ながら事実なので処分を認めざるを得ない」と述べた以外は何も語っていないがその酷薄さは伊藤律の処分だけでなく、その家族へのこのような処置にも現れている。野坂にしてみれば党内で対立する徳田球一が病に倒れたのを好機として、その右腕であった伊藤律をうまく権力の座から追い落としたのである。
同じような酷薄さは宮本顯治についても言える。にわかにメディアの注目を集めた伊藤律問題に対する「赤旗」の反応は、執拗な報道批判に次いで伊藤に対する人格批判へと矛先を向けていった。宮本委員長みずからも9月11には全国都道府県委員長を招集し、そこで「伊藤律の問題」を報告し、伊藤がいかに節操のない小物であるかを力説している。伊藤の妻キミも次男の淳も依然として忠実な共産党員であった。息子である淳は重度の身障者に等しい父に対する党を挙げての嘲弄にともすれば平衡感覚を失いそうになったという。
本書の本来の主題は「ある家族の戦後」、具体的には北京から帰国後の伊藤律、さらには彼の生涯の伴侶であったキミの人生記録である。しかし評者の心に最も強く響くのは、サギをカラスと言いくるめて恥じない権力者たちの恐るべき人間像である。
淳によれば、律断罪の典拠はまだ中国に保管されているはずの「二千頁に及ぶ律文書」であり、共産党によってその「中心的部分」から「引用されている箇所も恣意的で党に有利な部分ばかりである。」伊藤律を北京で査問した野坂も袴田もその後、党の除名処分を受けているにも拘わらず伊藤の死後の名誉回復の訴えはすげなく退けられた。
過ちを認めないのはこの政党に限ったことではない。本書の「あとがき」には1999年10月29日号の『週刊朝日』が、伊藤律が「キャノン機関の協力者」であったという疑惑を報道し、それを撤回させるのに2年に及ぶ交渉を必要としたことが述べられている。(朝日新聞がかつて「伊藤律架空会見記」で世間を騒がすという汚点を残していたにも拘わらずである。)松本清張の『日本の黒い霧』の「革命を売る男・伊藤律」についてもゾルゲ事件についてのその後の研究成果を付した「断り書き」を添付した文庫本を旧版と差し替えさせるまでに多大な労力を必要とした。
本書を読んで「伊藤律問題」についてさらに詳しく知りたい人には伊藤律本人の手になる『伊藤律回想録―北京幽閉二七年』を最良のものとしてお勧めしたい。


5つ星のうち5.0
革命の裏切り者は家族からも追放せよ!日本共産党がけしかけた“嵐”
投稿者エトピリカ 2016年7月28日
何故離婚しなかったと迫る野坂、文切りの対応と情報の秘匿を迫る党中央。批判から嘲笑に代わる機関紙の論調。一読してまず思ったのが日本共産党という組織の厳しさである。

そんな中、YouTubeで動画を見た。
2016年東京都知事選で、日本共産党の戦車みたいな街宣車が大音量の演説を流すことで、桜井誠候補の演説をかき消し妨害する、いわゆる脱法行為の動画である。
動画に映る笠井亮、吉良よし子、池内沙織、米倉春奈の顔を見て、評者は愕然とした。
こんなことを平然とした顔でやるなんて。

やはり日本共産党の体質は今も変わらないのだろうか?
若い人、日本共産党という組織を知らない人こそ読んでほしいと思った。
文中に日本共産党離党前の川上徹が出てくるが、党内にも面従腹背してる人がいたのが、ちょっと意外だった。


5つ星のうち5.0
日共批判を超えて
投稿者くまちゃん
2016年7月18日
伊藤律問題についての宮本顕治や不破哲三をはじめ日本共産党の対応を批判するだけで本書を読むのは、著者や著者の母キミさんにとって不本意だろう。本書はゾルゲ事件をめぐる様々は問題についてこれまで知られていなかったことを提示している。尾崎秀実の妻と著者の母が、世間では夫を売られた妻と売った妻なのに親しい交流があったこと、それこぞ権力側のスパイだった川合貞吉の子女が著者と同じ高校だったこと。こんなことから伊藤律スパイ説を広く広めた異母弟・尾崎秀樹に子供がいたとしたら彼ら・彼女たちの歳月はどのようなものであるのか、歴史とはなんと過酷なものかと、読後慄然たる思いにとらわれた。




  古本屋通信

 全体を通読して。太宰ファン様をはじめ多くの論者はなぜ日本共産党を非難して、中国共産党を非難しないのか。日本の党が中国の党に伊藤律を売ったというのは当らない。これは野坂が山本懸蔵をスターリンに売ったというのが当らないと同様である。兄弟党だが、律に長期の獄中生活を強制したのは中国の党である。お荷物だから日本に送還した。冤罪だったか否かは中国の党が明らかにせねばならない。日本の党は中国の党の決定に責任はない。まして30年前のことである。

 まあ史的唯物論の立場からは、日本共産党は正しかったと思うよ。いつもそう思う。


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  書いたことさえ失念していた旧稿を再録する。


  
古本屋通信     No 1960   2016年  6月05日

   復習・伊藤律問題

  キンピーサイトの最新エントリーで教えられたが、伊藤律の息子さんがやがて新刊書を出すそうだ。詳しくはそちらを訪問してほしいが、私はこの機会に伊藤律問題を復習しておきたいと思う。日本共産党史における伊藤律については、准公式の党史(『日本共産党の45年』~『日本共産党の80年』)に書かれていただろうし、ゾルゲ事件でのスパイ説は松本清張 『日本の黒い霧』 に書かれていた。それが律の北京からの帰国の頃から怪しくなってきた。私は帰国前の数冊も、帰国後の記事や単行本も、当時刊行された限りで読んでいると思う。しかしいまでは記憶が薄れているので、律はスパイではなかったと断定できない。2年ほどまえ元東大民青氏とのやり取りの中で、かれが 「伊藤律はスパイではなかった」 と断定するのを聞いて、やや違和感を覚えた記憶がある。私の中では依然として律は灰色だったのだ。伊藤律問題についての日本共産党の見解も灰色決着に近かったのではないか。すなわち従来の党見解を変えるには及ばないが、帰国後の律の個人生活には関わらないという立場だった。しかし律の側で色々な事実を発表した際には最低限の党としての対応を迫られたと思う。それらを総合しても、日本共産党はやはり灰色決着だったのだろう。私もその影響を受けているかもしれない。私は今でもよくわからないというのが正直なところだ。そう思って自分の過去記事を検索してみたが、何もヒットしなかった。とりあえず復習のための資料として2本を貼っておこう(古本屋通信)。

 (ウィキペディアをざっと読んで)
  その後ウィキをざっと読んでの私の感想を記しておく。私は律シロ説に、ほぼ同意する。ただし現在の日本共産党の対応はやむを得ないというのが私の見解である。その理由に限って書く。
  伊藤律スパイ問題は党の戦後の混乱期に、主要には党の革命路線を巡る所感派と国際派の対立を背景にして起きた。律が所感派の首領・徳田の右腕だったことも周知の事実だ。だが律スパイ説は主要には国際派が関わらないところで、所感派内部の権力闘争として推移した。ウィキに書かれている通りである。律の中国行きも、その後の処理も、所感派内部の北京機関が関わっている。中国共産党は日本共産党に協力しただけであり、律の白黒に関与していない。これは基本的には最後まで変わっていない。だから最後はお荷物として放り出した。
  問題はここからである。確かに日本共産党は分裂時代に律をスパイとして断罪する党決定をした。そしてそれは統一を回復した6全協や第7大会でも承認されている。しかしこの統一回復自体が所感派と国際派の妥協の産物であった。具体的には6全協は宮本と志田の手打ちの産物であり、第7大会は宮本と野坂のバランス人事だった。私は宮本擁護の立場だが、これは良いも悪いもコレしかなかったのである。実質のトップは宮本だったが、かたちのうえのトップは議長の野坂だった。これは何を意味するか? 伊藤律問題での従来の党決定を変更しないことを意味する。で、律の帰国まで何の変更もなく律スパイ説を踏襲してきた。
  律が中国から帰国したとき、野坂はまだ失脚していなかった。私は宮本の心中は複雑だったと思う。だからこのときの党の対応は極めて中途半端でへっぴり腰だった。しかし律の名誉回復できる党内状況にはなかった。一度スパイとして断罪した以上、疑いが残っていれば、スパイでない確かな証拠がない限りスパイである。名誉回復と口で言うのは簡単だが、これには当然ながら律の復党問題が絡んでくる。とうぜん復権させた律は党の常任幹部ということになる。日本共産党は触らぬ神に祟りなしの態度を貫徹した。私はこれは非難できないと思う。
  やがて野坂はコミンテルン時代に山本懸三をスターリンに売って死に至らしめた罪で党を除名される。私はこの除名を認めていないが、それは措いて、このとき、党は律の名誉を回復すべきチャンスだった。然しやらなかった。理由は色々あるだろうが、この時点での名誉回復の基準はスパイ説の白黒だけではなく、戦後党史の上で律がはたしてきた功罪の総体が問われたのではないだろうか。そしてやがて宮本は引退し、ボケがはじまり、鬼籍に入る。
  あとは不問である。私はこれはこれでよい、というより仕方がないと思う。遺族にすればたまらないだろう。しかし歴史とはそういうものだ。かなり日本共産党を擁護する文になってしまった。これが正直な感想である(古本屋通信)。
  1. 2018/07/22(日) 13:43:32|
  2. 未分類

豪雨災害余話3題

古本屋通信   No 3456    2018年  07月22日


     豪雨災害余話 3題


 (1) 岡山立憲民主党設立

  これは7日の設立大会が大水害のために延期になっていたのだが、ようやく昨日になって創立大会というかたちではなく、県連合設立運営委員会のかたちで、実質的に立ち上げたものである。正式な大会は県下全体が落ち着いてからになる。何も重要な議題がある訳ではなく、要は人事である。それを昨日の江田五月の日記から抜粋する。たったこれだけの実務報告でさえも江田以外はできないのである。


投稿日: 2018年7月21日  江田五月
枝野立民代表被災地訪問
11時半過ぎに出て倉敷まで走り、12時半から30分強、鳥井良輔県議と藤原薫子市議の共同事務所に設置された立憲民主党豪雨災害対策本部の会合に出席しました。昨日の衆議院本会議の大演説を終えたばかりの枝野幸男代表が阿久津幸彦代議士とともに現地視察に来県し、被災地訪問の合間を縫って、連合岡山の金澤稔会長らとともに、昼食懇談を行ったもので、短時間ですが密度の濃い意見交換ができました。

18時から2時間弱、立憲民主党岡山県連合設立運営委員会に出席しました。7日の設立大会が大水害のために延期になりましたが、設立は急がれるために設定した会合で、鳥井県議の開会挨拶に続いて森山幸治岡山市議の司会で、高井崇志県連代表予定者、羽場頼三郎岡山市議が規約、活動方針と予算の提案説明をし、活発な質疑の後に、拍手で承認されました。さらに役員等の案も承認され、高井代表、高原俊彦代表代行、難波奨二副代表、羽場副代表、鳥井幹事長、森山副幹事長ら役員が決まり、私は顧問に就任しました。最後に難波副代表が閉会挨拶をし、立憲民主党県連が立ち上がりました。



 (2) 中国ブロックいっせい行動忌み嫌われる大平喜信

 これは好んで報告するような話題ではないが、知る限りの事実を伝える。時系列で書こう。

17日(18日だったかも知れぬ)の赤旗日刊紙にチラシが入っていた。党岡山地区委員会ではなく党岡山県委員会発行のチラシだったろう。内容は20日(金)17時30分から岡山駅前(正確な場所は失念)で、中国ブロックいっせい行動を行うが、今回は豪雨被害の被災者救援活動として実行するというものだった。街頭カンパのことも明記されていた。大平喜信前衆議院議員が参加するとも書かれていた。

このことを確認しようと思って、党関係のHPとブログに当ったが見つからず、ようやく19日になって党中国ブロックの頁に以下があった。
 中国ブロックニュース №7 明日7月20日は中国ブロックいっせい宣伝です。今回は豪雨災害の救援募金として取り組みます。

私は20日にバイクに乗って出掛けて行った。参加するつもりはなく、だからといって妨害するつもりはなかった。さりとて単なる野次馬でもない、偵察である。まあ取材である。街の空気も含めて古本屋通信に書こうと思っていた。結果はまったく人影無しであった。街の空気もまるで通勤時とは思えない静けさだったが、共産党のだあれもいないのである。高島屋の前から、西口まで回ったが、宣伝もカンパも、その気配さえなかった。

20日夜から21日の党関係のブログ・ツイッターを片っ端から見た。岡山駅前の中国ブロックいっせい宣伝に触れたものはなかった。それが中止になったと報告しているものもなかった。その代わり党赤磐市議の福木京子さんの頁に以下があった。連続して2日分を貼る。ただし無関係な個所は割愛する。

大平よしのぶ前衆院議員赤磐市へ 2018-07-20
今日は、日本共産党前衆院議員の大平よしのぶさんが、赤磐市に来てくれ、街頭宣伝やつどい、訪問など一緒に行動していただきました。午前9:36瀬戸駅着で迎えに行き、桜が丘のマックスバリュー店へ。・・・災害救援募金箱も用意し訴えました。まず、私がマイクで、赤磐市での災害の状況や他自治体への支援など報告し、前衆院議員の太平さんを紹介。大平さんは、広島や岡山での被災の状況やその声を聞き、すぐに市や県、国に要望して、避難所などの生活環境改善をと訴えました。1日も早い復旧、復興を党派を超えて取り組もうと訴えました。さらに、国会でのカジノ法案の撤回など訴え、軍事費を削って命や生活優先の政治を、子どもたちには、学校でのエアコン設置を早く実施すべきと訴えました。宣伝カーの周辺では、よく目立つ横断幕、旗、災害募金箱など持ってスタンディングしました。赤磐市役所前でも、大平さんが訴えている横で、横断幕を持って立ちました。昼食を近くで済まし、わが家に。午後2:00~3:30、つどいを開きました。K同志が始めてFさんに声をかけ、参加していただきました。8人でざっくばらんにつどいを開き、いろんな疑問点を出し合いながら、理解が広がりました。
共産党の災害ボランティアセンターに感謝 2018-07-21
20日の大平よしのぶ前衆院議員を迎えての活動が終わったので、初めて岡山市平島団地の共産党事務所に顔を出すことが出来ました今回、兄夫婦の家で私の実家が、床上浸水で災害に会い、共産党のボランティアセンターからの何回もの支援に助けられ、2週間でやっと落ち着くことが出来ました。7日から12日間ほどは、必死で片付けに追われ、しんぶんを読む暇もなく忙しい生活でした。

肝腎の大平のツイッターには悪びれることなく、当日の報告がなされている。すばらしい写真を添えて。
大平喜信‏認証済みアカウント @tekuteku_diary · 7月20日
中国ブロックいっせい宣伝!今月は岡山県赤磐市。福木京子市議、ネオポリス地域の皆さんとともに。豪雨災害のお悔やみとお見舞い、募金の呼びかけ、カジノより被災者支援を、軍事費削って教育予算にまわせ(学校のクーラー設置を!)などうったえた。
大平喜信‏認証済みアカウント @tekuteku_diary · 7月20日
福木市議の地元で久々のつどい、さらには赤旗読者の訪問活動も。「自民党議員をなんとしても落とさんといけん!」「実家が倉敷。災害では共産党の皆さんがいち早く動いてくれた」など、怒りと激励の声が次々寄せられた。期待にこたえてがんばらねば。


  以上が時系列の報告だが、私が言うべきは多くない。その前に、掲載されている写真だが、福木さんの写真は凡百の写真である。カンパの様子はない。大平の掲載写真が超傑作である。転載できないので是非実物を見てください。宣伝のあとの福木宅での8人のつどいの写真。大平は参加した婦人同志全員に睨み付けられている。あるいはソッポを向かれている。ひとりなんかは凄い形相だ。よくもこんな写真を載せたもんだ。よほど鈍いんだ。

 福木さんは同志の悪口は絶対に書かないが、その彼女にして、大平の来訪が負担になったと正直に告白している(赤字)。

 
大平のわずか数行の文章を読んでほしい。これは被災地訪問の文ではない。タスキを懸けて演説する姿ともども、次期衆院グロック候補として、党と自分を押し出して宣伝している。こういう人物は、被災地であろうがなかろうが、人民大衆に受け入れられることは絶対にない。そもそも同志にさえも嫌われている。でも、どうしようもないんだ。これが党のブルジョア議会主義の終着駅なんだから。

 中国ブロックいっせい行動というのは武田英夫の発想である。もともとが無用の長物・中国グロック事務所のアイデンティティの為にデッチ上げられた行動提起である。考えても見よ、そもそも豪雨災害に対処するのに、一斉行動などという発想が出てこようわけがなかろう。被害はすべて個別的であるからだ。なら対応も個別的でなければならぬ。個別被害に対するサボとしてしか、中国ブロックいっせい行動などありえない。腐り切っているのだ。

 今回の豪雨災害は党と人民の乖離を一段と進行させた。のみならず党中央および大平らカルト党員と、一般の生活者感覚を有する党員との亀裂を、決定的な段階に押し上げた。その証拠物件が大平が掲載した福木宅の写真である。



 (3) 大山奈々子さんへ



 以下は大山さんの活動日記から

救援募金用の貼り紙もあっという間に地域に配布されて、私が参加する区内のどの駅頭宣伝でも募金箱が用意されました。朝の慌ただしい時でも多くの方がカンパしてくださる光景は、党の組織力とみなさんのご厚意に本当にありがたいという気持ちになります。

ネット上では共産党の募金に対するデマをみかけますが、我々はお金に関して潔癖な政党であることを自負しています。以前、港北の反原発のパパママのグループが共産党がんばれとカンパを下さった時も、いったんありがたく受け取ったのですが、いかんいかん、これは企業団体献金の団体に当たる、と慌てて追いかけてお返ししたこともありました。

ここに東日本大震災の時の募金の使途が紹介されています。大手の募金と違って被災地のすみずみまでいきわたるよう東日本に設営された11の救援センターを通じて細かく配分されました。私たちは港北区から南相馬に支援に入りましたが、商店街組織等から感謝状がセンターに寄せられていたのを見ています。この時も党の組織力がこういったきめ細かな支援を可能にするのだと誇らしく思ったものでした。




 大山さんもこういうズブズブの文を書くようになったら終わりですよ。ズブズブとは手の指の間から幾らでも水が漏れる文という意味です。

 ここに書かれているのは、過去に論破され尽くした共産党の詐欺カンパのことですから、反論する気にもなれません。あなたが書かれていることは、要はわが党は清潔な党だから信じてくれと言っているだけです。それで問題が起ったのが過去の共産党のカンパ問題だったのですよ。

 とにかく少し前に志位委員長のツイッターに付いた数百の返信をお読みください。玉石が混じっていますが、大半はまっとうな批判です。支持は1割前後でしょうか。批判の中には匿名の共産党員のものも入っています。

 一言でいえば、不特定多数から集めたカンパは、被災先に完璧に届く保証がないのです。かりに全額が被災者に届いたとしても、その公平な配分はどこでどう保証されるのでしょうか。つまり、私を信用して私にお任せくださいなのです。現にあなたの文では、お届け先が党のシマだと透けて見えるじゃありませんか。そういう幼稚な方便はすぐに見破られるのですよ。賢明なあなたが分からないはずがない。

 こういうカンパ活動はむかし統一教会がやっていました。いまやらないですよね。いまの共産党は統一教会以下なんです。もちろん創価学会以下です。詐欺なんですから。

 党内と後援会、それに民主団体内でこっそり集めたらよいのです。幾らも集まりませんよ。今回の未曾有の被害金額はわかりませんが、岡山で1000万円以上の被害だったお宅は5万軒を超えるでしょう。これだけで5000億円ですね。韓国は日本政府に1億円を送るそうです。日本共産党も党内カンパを党中央で集約して1億円を安倍政権に手渡したらよい。なぜしないのですか。

 街頭募金は金を集めるのが目的ではなく、運動の自己宣伝です。じっさいいくらも集まらない。原水禁運動の募金ならよいのです。豪雨被災カンパだと詐欺になります。

一般論だとわかりにくいでしょうから、具体例で。

 今回の豪雨ですます伸子さんの連れ合いさんの実家が真備町で被災されました。写真を見ましたが、復原はあり得ず、新築建て替えでしょうね。車も3台ダメになりました。これ総費用は3000万円を超えるでしょうね。

 福木京子さんの兄夫婦は平島で被災されました。再建費用は同じく3000万円を超えるでしょうね。

 二人の実家の再建費用が岡山県党で集められますか。たぶん党員とその親戚の家の再建だけで10億円を超えるでしょう。新京橋の県委員会事務所のふき替え工事のカンパが1000万円でしたね。

 大山さん、寝言を書かないほうがいいよ。まだ被害の全容が分かっていないという段階でさえなく、いまだ生死の間を彷徨っている。そういう段階ですよ。倉敷市はまだ義捐金を募ってはいません。いま中途半端な金など不要です。邪魔と党の宣伝だけはしないでください。

 大山さん、以下のニュースをご覧になって、共産党がやっている被災募金の欺瞞を、お感じになりませんか。まったく金銭的な生活支援の段階ではないんですよ。家を修復したり建て替えようにも、大工さんも土建屋さんも仕事にならない。いくらお金があってもね。


 西日本豪雨 真備の死者9割が自宅で高齢で2階上がれず
 
毎日新聞  2018年7月22日 10時00分
 小田川の決壊で水に覆われた真備町地区。奥は高梁川=岡山県倉敷市で2018年7月7日、本社ヘリから加古信志撮影
 西日本豪雨による岡山県倉敷市真備(まび)町地区の浸水で、亡くなった人のほぼ9割が自宅で見つかっていたことが県などへの取材で分かった。被害を受けたのは高齢者に集中しており、足が不自由な人も多い。発見場所は寝室や居間、台所などで、ほとんどが1階で水にのみ込まれたとみられる。上階に逃げる「垂直避難」ができない災害弱者が犠牲になった可能性が高い。
 真備町地区では、今月6日に大雨特別警報が出された豪雨により、1級河川・高梁川の支流・小田川など4河川計8カ所の堤防が決壊。地区の27%にあたる約12平方キロが浸水し、約4600棟が水につかった。短時間に水かさが増したため、多くの人が家に取り残され、自衛隊や消防に救助された人は約2350人に上る。

 一時浸水した真備町地区

 県や県警の関係者によると、この水害で死亡したのは男性22人、女性29人の計51人。検視の結果、死因の9割以上は溺死だった。自宅で遺体が見つかったのは全体の9割にあたる45人前後。多くが1階で亡くなっており、2階建て以上の家に住んでいて上階へ避難できれば助かったケースも少なくなかったという。

 死者のうち65歳以上の高齢者が45人と9割近くに上り、平均年齢は73.8歳だった。年代別では、90代3人▽80代18人▽70代20人▽60代4人▽50代1人▽40代3人▽20代1人▽未成年1人。最高齢は92歳の男性で、最年少は5歳の女児だった。

 毎日新聞の取材では、死亡したのは多くが1人暮らしのお年寄りや2人暮らしの高齢夫婦で、車椅子を使うなど体が不自由な人も目立った。ある男性(91)は1人暮らし。外出時は手押し車を使うなど足が悪く、家の中では1階で生活していた。また、ある高齢夫婦は夫(82)が半身不随で、妻(77)は足腰が弱かった。2人の遺体は、2階建て住宅1階の階段付近で見つかったという。今回亡くなった高齢者の遺族の一人は「2階にさえ上がれれば助かったのに」と話している。【益川量平、林田奈々、高橋祐貴】
  1. 2018/07/22(日) 02:34:29|
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ウジムシ(成様)を殲滅しよう

古本屋通信   No 3455    2018年  07月21日


 ウジムシ(中核派のことではありません。洞口さんゴメンね)を殲滅しよう

 合同投稿サイトの宿命とは云え、また凄い新入り(成様)が湧いたナ。コレが一寸我慢できないのは、独立文だとハナから死文なのに、他人の真っ当な投稿に冠せて投稿することだ。その点ではにゃんチャンの二番煎じだが、マア文章はにゃんチャンの方がずっと上手だ。こりゃ、にゃんコよ、褒めてやったゾ、うれしいか?  

 アホ文の批判だけではさみしいから、上にKM正様の玉稿を貼っておく。昨日の投稿の御礼も兼ねて。

 ありゃ、そうしているうちに常連のひろゆきの様の投稿、これまたデタラメな日本語に加えて時空を超えた、つまり戦前と戦後の時代認識皆無の低脳文だが、今回はシカトする。コッチが阿呆になるからナ(ひとつだけ教えてやる。劇団民藝は民芸ではない。固有名詞だから必ず民藝だ。この誤用は文字にした瞬間に分からねばならぬ)。



1. KM生@管理人様
2018年07月21日 00:44
>こんな大事件の資料で、まだ非公開(というか、出版時に見つからなかった?)のものがあったのかと驚きを禁じ得ない。
特高資料などいまだ大部分が非公開ですよ。近代史研究者は、戦後70年以上経た今日尚(わざわざ渡米して)米国議会図書館で(占領時に押収された)旧特高資料を参照しているのが現状です。むろん日本への返却は度々求められてきましたが、(日本政府への返却という形になるが、日本政府側の公開の意思が確認できないため)見送られてきたのです。
>内容的には驚くような新事実は出そうにもないが・・・。
今回の文書に関してはそうかも知れませんが、例えばゾルゲ事件など(常識的に考えてゾルゲ機関内部に特高への内通者がいたはずですから)、「従来いわれたような伊藤律端緒説が崩壊した現在、果して誰が内通者だったのか」特高資料が公開されれば一目瞭然な筈です。むろん国際的歴史的大スクープになります。
結論的にいえば、特高資料は国民的歴史的財産なのですから、(特高資料に限らず)一定期間を経た政府関係秘密文書は国民の前に公開されるべきです。

4. KM生@管理人様(追伸)
2018年07月21日 08:48
(成やひろゆきのの下らん御託は無視して、(^^)
さらに付加えるなら、特高資料は大部分が(敗戦後特高解体が決定された時点で占領軍に押収される前に)特高関係者によって焼却裁断処分されたことでせう。米議会図書館に残るものも、辛うじて処分を免れた(特高資料全体の)ほんの一部分というところでせう。
空白の歴史を埋めるには、あとは(90年頃に赤旗「日本の暗黒」シリーズでとられた様な)「旧特高関係者への聞取り」という手法しかないでしょう。しかし戦後70年以上経た現在、旧特高関係者も大部分が鬼籍に入り(またたとえ生存しているにせよ)まともに答えられるかすらあやふやな年齢ですから、最早この手法も実質不可能でせう。



2. 成
2018年07月21日 05:11

そもそも共産党は指示通り内戦起こそうとした最悪の連中。党員はアホだから騙されてるが調べてれば分かるのに。ソ連の内戦転換論に従ったのが連中。戦後に対立するまで日本支部として手足だった。内戦が最も死者でるのは歴史が示してる上に、連中の望んだ路線の歴史だと冷戦下よ東欧のような有り様に日本がなってた。民主主義国家の左翼は利益を全て得ながら最悪のことをしてきた連中。スターリンの各地域の連中粛清すら民主主義国家にいたのは民主主義国家のおかげで守られた。それを破壊しようとしてたのにな。



  古本屋通信
 あほらしいけど、原則的に批判しておく。
 まず内戦云々だけど、これは 「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」 をコミンテルン(国際共産党)のスローガンに見立てた言い掛りだろう。だがコレはそもそも第一次世界戦争を内乱に転化させて革命を成功させた1917年のロシア革命に端を発する。その後のコミンテルンに受け継がれたが、そもそもレーニン主義の基本テーゼであり、スターリンに特有なスローガンではなかった。

 阿呆に訊きたい、戦前の絶対主義天皇制、その圧倒的な侵略戦争に対する日本共産党の正しいスローガンは何か。貴様は屈して権力にひざまづき罪なき大陸の民衆を皆殺しにした天皇制賛美者(社会ファシスト)を是とするのだな。死ねや、百年おくれのファシストめ。当時の日本共産党は弾圧によって根こそぎ監獄に繋がれたから、帝国主義戦争を阻止する力はなかった。それでも獄中にあって、帝国主義戦争反対の旗を降ろさなかった。それが帝国主義戦争を内乱に転化せよであった。これは全く正しいスローガンであった。コミンテルン各国支部で、このスローガンが当てはならない共産党など皆無であった。嗚呼つかれた。なんで阿呆にこういう高校生向けの説教をせにゃならんのだ。

 後半はキチガイじゃな。内戦で死者が出るだと? 残念ながら日本は帝国主義戦争を内乱に転化できなかった。だから多くの死者は出なかったのか? 15年戦争中に限ってでも、何百万人の日本人が死んだか。そして何千万人のアジアの民衆を殺したか。それにしても自分の書いた文を声を出して読んでみろ。
 内戦が最も死者でるのは歴史が示してる上に連中の望んだ路線の歴史だと冷戦下よ東欧のような有り様に日本がなってた。民主主義国家の左翼は利益を全て得ながら最悪のことをしてきた連中スターリンの各地域の連中粛清すら民主主義国家にいたのは民主主義国家のおかげで守られたそれを破壊しようとしてたのにな

 読めるか? 意味が分かるか? 自分では分かるんだろうな。よいから自分のサイトを自分の力で作ったらよい。果たしてお客様が訪問して下さるでせうか?

 コレちょっと例があるので紹介しておきますね。高原さんと仰る方で、石崎さんの常連さん、私の拍手欄にも投稿がありました。かれのHPブログは以下ね。意味分かる? たぶん年間の訪問者ゼロね。

現実論理への道
技術,制度,生活の背後にある「価値」と「方法,論理」
高原利生(安井利生)
ugg21948@outlook.com
http://www.geocities.jp/takahara_t_ieice/
ホームページの作り方に不案内で、見づらい。平文の羅列の形でしか、今のところ作れない。
前の方だけ、タイトルをカラー化し大きくした。
最近のブログコメントと関連するブログ  
突然、2018年1月、石崎徹さんからブログmaganetoru.blog.fc2.comのコメントを削除するという通告があった。あちこちで引用していたので非常に困っている。
コメント729:石崎徹『ジョージ・オーウェル「1984年」』へのコメント 高原利生 2017.10.20-12.24
http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-1075.html#comment729
https://plaza.rakuten.co.jp/mozu0017/diary/201711030001/comment/write/#201711062359123621
https://plaza.rakuten.co.jp/mozu0017/diary/201708250000/comment/write/#comment これがミスで消えたらしいので、上のコメントを送った。
コメント701:「物々交換から始まる全体」(三版まで「物々交換をめぐる全体」):石崎さんブログ「マルセル・モース「贈与論」 2017.07.24」へのコメント四版 高原利生 by 高原利生 on 2017/08/11
http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html#comment701
コメント696「物々交換をめぐる全体」:石崎さんブログ「マルセル・モース「贈与論」 2017.07.24」へのコメント
http://maganetoru.blog.fc2.com/blog-entry-1046.html#comment696



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  冒頭で洞口さんの名前を出したのは、彼女が前進チャンネルのナレーターをしていて、その最新版・質問コーナーを私が見ていたからだ。きのう前編の録画があった。数日中に後編もあるだろう。

 前編に限っての感想。面白かったのでお勧めですが、いくらか気がついた。

 「前進」の名前の由来は了解したが、「中核(派)」は逃げていた。1963年の革共同第三次分裂で、「カクマル」(中核派の用語)が脱落して、そのご中核になる組織という意味で北小路敏が提案して決まったそう。ウソではなかろうが、いい加減である。中核は極左時代の日本共産党の非合法組織・中核自衛隊から採った命名である。また1963年の分裂時は革共同全国委員会であった。今もそうである。中核派というのは学生組織のマルクス主義学生同盟(中核派)に由来する。親組織の革共同全国委は中核派とは言わなかった。もともとはマスコミの便宜的な呼称だった。それがたぶん立花隆の本のころから、中核派になってしまった。当初はいやな顔をしていたが、面倒になったのだろう。いつの間にか 「中核派で構いませんよ」 となった。それが経過である。まあ後は視聴してください。大衆化路線ですね。斎藤君によると 「党の革命」 というそうです。洞口さん、よく勉強してますよ。まったくボロを出していません。アッ、ほらぐちと読みます。「二世党員ですか」 という質問には、口を丸めて誤魔化していました。二世なんです。


付記 ねんのために再視聴した。上記は間違いではないが、洞口さんは中核派の呼称の始まりを、学生戦線で最初に(北小路の提案で)使われたとしていた。この点では正確であり、私の書き方が誤解を生んだかも。後編は別の青年がナレーターだった。
 
 全体に分かりやすく、難問にも的確に答えていたが、ただ一点、革マル派については全く説得力に欠けた。まあ無理もないが。

 それと中核派のオウム真理教についての見解を別のチューチューブで見た。なんと何時もはスラスラよどみなく喋る洞口さんが原稿の棒読みである。これは他人の書いた原稿の棒読みだろう。つまり中核派の対オウム見解など間に合わせなのだ。権力によって育成された・・云々も説得力がなかった。「カクマル」共々盲点だな。

 後編を見ての感想。分かり易いが、疑問があった。自衛隊員を革命のために獲得する、というより獲得可能らしい。かつての小西を思わせる。解体の時期も遅く設定している一方で、警察権力は革命後ただちに解体するらしい。これは逆ではないか。理論問題ではなく現実の問題として逆であろう。

 それから 「早稲田の革マル派はいつ解体できますか」 という質問に、「近いうちに必ず解体してみせます」 と答えたのには爆笑してしまった。いまだ早稲田の革マル派は健在、法政の中核派は絶滅。まあ京大と広大で頑張れよ。それと沖国大でもね。「カクマル派」 とは平和共存の時代なんよ。民青ともね。
  1. 2018/07/21(土) 06:23:40|
  2. 未分類

小池晃は党中央書記局長失格

古本屋通信   No 3454    2018年  07月20日


   小池晃は党中央書記局長として完全失格である

小池晃は党中央書記局長失格  投稿者 : KM生
スレが消えていますので、ここにコメントさせて頂きます。井上成美海軍大将については、日共は従来から評価してきますた。宮顕時代から度々赤旗で「開明派軍人の井上成美元海軍大将は、戦前日共を合法化しておけば戦争は起らなかったと述べた」と度々持上げていますた。何も今回の件に限らず、日共としては(以前から)余程井上成美の発言が嬉しかったのでしょう。考えようによっては、松本善明は海軍兵学校出身の弁護士だったし、柴田睦夫元衆院議員も陸軍士官学校出身の弁護士だった。元軍国少年が、戦後は日共代議士という代表例。「侵略戦争への反省の結果」などといえばそれまでですが。ある意味(戦後まで生延びた)旧職業軍人(候補も含めて)の中に、「自分達が生業とした球日本軍は惨敗し、歴史的には侵略軍として解体された」がゆえに、「戦前命懸けで戦争に反対した日共」に対するある種のシンパシーが起ったのかも知れませぬ。

古本屋通信 井上成美について立てていた板をすでに削除していたので、KM生様から、ここに投稿がありました。3つほど消去しましたので、すでに記憶は薄れていますが、天皇ヒロヒトに引っ掛けて、天皇制海軍の将校を評価することのケッタイを書いたのだと思います。べつに誤ったことを書いたから消したのではありませんが、自分の書いた文に奇妙なねじれを感じたのは事実です。そしてそのねじれは、KM生様ご指摘の事実を私が知らなかったこととも関係があったでしょう。どうも有り難うございました。で、この新しく知った事実についての私の感想を一言でいえば、やはり共産党の「歴史のねじれ評価」ということになります。宮本には、奇妙にそういう所があったように思います。科学的社会主義の党にあるまじき反史的唯物論だと。それはともあれ、この新事実を私が知らなかったことは不覚でした。コメントしないと言いつつ長いコメントになりました。この冒頭の遣り取りは少なくとも暫らくはこの場所に残して置きます。



 まず公平に順を追って書いていく。暫らく訪問していなかった党県委員会書記長の垣内京美さんのツイッターを先ほど訪問した。小池書記局長をリツイートしたものが連続して3つあり、その三番目が以下だった。


垣内京美さんがリツイート
小池晃‏認証済みアカウント @koike_akira · 7月15日
日本共産党は以前から高梁川、小田川の堤防の危険性を指摘。合流点の付け替えを求めていました。また、木や草で荒れ放題の小田川河川敷の伐採も求めていました。しかし国交省は耳を貸さず。これは3年前の田辺昭夫倉敷市議のニュースです。
河川管理を怠り、甚大な被害を出した政府、与党の責任は重大。


  あれっと思った。瞬間的に4つ思った。

第一番目。小池が如何に秀才でも、岡山の一地方の高梁川・小田川の堤防の危険性など知っているわけがないから、これは3年前の田辺倉敷市議発行のニュースをそのまま是認してツイートしたのだろう。コレは無理からぬことだ。

二番目に思ったのは、リツイートした垣内京美県書記長の責任問題である。このリツイートは形式的に党中央の幹部の発言を拡散したものではない。事情に疎いだろう小池の発言に、県委員会書記長としてお墨付きを与えたものである。いわば実質は県委員会の見解の表明である。

三番目。ここで問題になるのが、田辺倉敷市議のニュースの内容である。これは拡大すれば読める。小池書記局長が要約していることで、概ね間違いない。問題はこれが正しいか否かである。もし間違っていても、3年前の市政ニュースを出した田辺市議の責任は重大ではない。だが一旦事故が発生した今の段階での、小池ツイッターと垣内リツイートは責任重大である。あえて格差を云う。小池はヨソものだから書記局長といえども阿呆で済ませられる。だが小池発言をリツイートした垣内書記長は決定的である。即県書記長辞任に価する。たぶんそういう自覚はないだろうが。

四番目も重要である。私はこれまで小山通博元倉敷市議をケチョンケチョンに罵倒してきた、が今回だけはアレッと思った。良い事を書いていると思って評価した。その部分は以下である。

この豪雨・洪水被害は未曽有のもので、倉敷市で死者50人を超え、甚大な住宅被害は7月14日現在全容がつかめていません。その対策は多面的に探究されなければなりませんが、気になるのは、マスコミに登場した「専門家」曰く「建設省が、高梁川と小田川の合流点を南に下げる」工事を早くしていたら被害が防げた、と述べていることです。洪水対策は単純ではありません。もしも、真備町地内で堤防決壊が起きなければ、どこか他所で決壊・洪水が起きていた可能性があります。本流・支流合流点での水位上昇をどう処理するかは、水利土木工学の要です。抜本的な探求を求めたいと思います。何よりも、小田川が、矢掛町分は県管理で、平坦化工事が進んでいるのに対して、真備町側は、1級河川で国管理ですが、川の中は雑木ジャングルが放置されています。かつては、食糧増産で、川床に稲田をつくり、農家が河川管理していたのを、国が追い出したのです。2018/07/13 13:21:15


 これはよく分からぬが、市議経験のある小山さんの従来からの持論であり、この機会に表明したものだろう。田辺ニュースとは明らかに異なる。経緯は知らぬが、私は直感的に小山さんの方が正しいと確信した。だからきのう 「大本よりも小山がマシだ」 と書いた。

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 さて、ここから小池ツイッターに対する返信だが、冒頭の夏はつとめて‏さんを転載する。特に言うことはない。私には下の投稿が完全に正しいかどうか分からない。だが小池と垣内が100パーセント誤っていたことは確かだ。検証する時機でないという以前に、自然災害を政権の失政のせいにする、ならば失政がなかったら災害は起りようがなかった、そう断言できるのか。この調子なら、たぶん今回の災害で日本共産党の支持率は低下するであろう。党中央、党県委員会ともアウトだから。そのアウトだとの自己認識でさえもない。残念な事である。


夏はつとめて‏ @yoursmins · 7月16日
返信先: @koike_akiraさん
夏はつとめてさんが小池晃をリツイートしました

は?何を寝ぼけたこと言うてるねん。デマはやめなさいよ。恥ずかしくないの?あなたが出してる新聞にも書いてあるやろ
国交省の平成19年に100年に一度の氾濫に備える計画って
平成22年からはじめて、40年に完了する予定で工事始めるって。
読めないですか?
古本屋 私、これ当初は赤旗のことだと勘違いしてた。これ田辺ニュースのことでした。ならば完全に小池のデマ。小池はネタ元も碌に読まずにデマ。垣内もこれじゃあ書記長は無理じゃわ。

夏はつとめて‏ @yoursmins · 7月16日
共産党は、嘘やデマを、垂れ流すのをやめましょう。

国交省、中国地方整備局、岡山河川事務所のホームページ貼っとく。
本当にいい加減にしなさいよ。
http://www.cgr.mlit.go.jp/okakawa/kouhou/seibi/odagawa/odagawa_seibi_index.html …

夏はつとめて‏ @yoursmins · 7月16日
小田川の洪水対策は長年の懸案 国交省が秋にも付け替え着工(山陽新聞デジタル) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180710-00010005-sanyo-l33 … @YahooNewsTopics

今から8年前には既に計画立ててるねん。共産党は嘘も、ええ加減しなさいよ。

夏はつとめて‏ @yoursmins · 7月16日
更に、この地域では、倉敷市船穂町が、付け替え工事に反対してきた経緯が説明されてるからよくよく読みなさいよ。船穂町は、かつて河川工事で上流の真備町などのために自分たちの地域が沈んだ事があり、上流にしかメリットないと反対したとある。付け替えで他に我慢してもらうべき地があれば説得も必要

夏はつとめて‏ @yoursmins · 7月16日
50年も頓挫してきた付け替え工事の歴史。片方の正義しかみない共産党らしい姿勢よね。

とにかく共産党はデマはやめなさい!

真備町浸水、50年間棚上げされた「改修計画」



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   参考


 井戸端会議・瓦版  2018-07-11

倉敷市真備町に大きな洪水被害を引き起こした小田川の治水対策はどのような状況だったのか

西日本の各地を襲った大雨で岡山県倉敷市真備町では小田川の堤防が決壊し、大きな被害が発生しました。

該当の地域は「治水の必要性」が指摘されており、そのための工事が開始される予定となっていました。被害を軽減できた可能性もあっただけに、治水対策に関する時系列を確認しておく必要はあると言えるでしょう。

小田川(および高梁川)の治水事業に関する時系列

小田川の治水事業に対する時系列は下表のとおりです。

1997年4月
柳井原貯水池を堰として利用する『高梁川総合開発事業』が着手

2002年12月
(小泉内閣)
水道需要の低下などを理由に『高梁川総合開発事業』の中止が決定。ただ、「高梁川並びに小田川の治水対策は必要」との今後の方針が定まる

2007年8月
(第1次安倍内閣)
『高梁川水系河川整備基本方針』が策定される

2007年11月
(福田内閣)
国交省が第1回『明日の高梁川を語る会』で「柳井原貯水池を利用した小田川合流点付替え案」を公表。共産党倉敷市議団が「地元の反対」を理由に反対運動を始める

2010年10月
(菅内閣)
『高梁川水系河川整備計画』が策定される

2014年
(第2次安倍内閣)
国交省が事業を予算化。事業が動き始める

2017年
河川整備計画(変更原案)が作成。公聴会などを経て、事業評価監視委員会に報告される。2018年秋に着工予定

『基本方針』が発表されてから、実際に『着工』が始まるまで10年以上を要する結果となりました。今回、洪水が発生した原因は “当時から指摘されていたこと” です。そのため、この点は要改善と言えるでしょう。

なぜ、小田川で「バックウォーター現象」が起きるのか

小田川で「バックウォーター現象」が起きたことが甚大な洪水被害を引き起こした有力な理由と見られています。

小田川は高梁川に合流しますが、洪水時の合流水位は高梁川の方が高い状態です。そのため、洪水時は高梁川の河川水が “水の壁” として機能し、小田川の流れが阻害され、水位が高くなる(=バックウォーター)の特性を保持する結果になっているのです。

また、高梁川と小田川の合流点付近が「高梁川の流下能力の最小地点」という指摘(PDF)を見落とすべきではないでしょう。

画像:高梁川が抱える問題

“流下能力が最小” ということは「その地点の水位が最も高くなる傾向がある」と考えられます。つまり、高梁川の水位が最も高くなる(と考えられる)地点でバックウォーターが起きる因子を持った小田川が合流していたのです。

指摘されていた危険性が現実のものになったと言えるでしょう。

国は小田川に対するどのような治水事業を実施しようとしていたのか

危険性が指摘される点に対し、行政が何も反応を示していないなら、それは怠慢と言えるでしょう。しかし、小田川の件については国交省が「小田川の流下能力不足」について対策計画(PDF)をまとめています。
1.高梁川からの背水影響による水位上昇 ◦小田川との合流地点の付け替え
◦固定堰の改築

2.小田川の河積不足 ◦河道の掘削
◦河道内にある樹林の伐採

共産党は「付け替え工事に反対、河道の掘削をすべき」との主張を展開していました。この主張は治水対策として不十分で、逆効果になるでしょう。

高梁川の背水影響によって水位が上昇したところに河積能力を増強した小田川の河川水が流れ込むのです。「ラッシュで人が溢れているターミナル駅に従来より車両編成を増強した列車を支線から到着させるとどうなるか」を想像すると理解できるはずです。

もし、現・野党の支持者で「民主党政権時に計画があった」との理由で「安倍政権の問題」と批判している人がいるなら、すぐに主張を止めるべきです。

なぜなら、民主党政権は計画を策定しただけで、予算は付いておらず、事業は具体化していないからです。しかも、基本方針は第1次安倍政権時に発表済みなのですから、ブーメランになることは確実です。

むしろ、公共事業を敵視した批判を受ける結果になることでしょう。『コンクリートから人へ』と主張し、社会福祉でバラマキを行った “ツケ” が公共事業などに予算削減という形で現れたことを自覚する必要があると言えるのではないでしょうか。
  1. 2018/07/20(金) 12:15:36|
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豪雨災害、現場からのレポート

古本屋通信   No 3452    2018年  07月19日


    豪雨災害、現場からのレポート


トップ この方、誰でしょうね、福山市在住なんですけど。正解は石崎徹さんでした。河村さん、やっとれんね。
全然知らなかったのだが、広島・岡山両県の豪雨災害で、道路も鉄路も寸断され、大変だったようで、一部回復したが、未回復のところも多い。




  河村さん、福木さん、須増さんの報告は、安心して聞けます。それだけで、どんなに助かることか。超階級的な災害ですから、党の自慢だとか自己主張は不要です。河村文の太字に注目してください。当たり前の自己認識ですが、たぶんこれが書ける共産党員は多くないでしょう。そうなんです。精確な自己認識というより自党評価ですね。ここの3人を含めて一老人政党がやれる事など知れています。せいぜい自党内の相互援助です。それが分かっていれば、自然災害の復興で政権批判など出来ようはずもない。いちばん幻滅は辰巳孝太郎の「自民党亭宴会」批判でした。ここまで狂うかの標本でしたね。

  全国民復興の力添えなど不可能です。その自己認識を欠落させたとき党は人民から見放されます。小池晃や大平喜信のように。後は義捐金詐欺をやめろという大合唱です。党の次期参院選挙での敗北は必至でしょう。それが分かっていながらの小池と大平なのです。


大平喜信‏認証済みアカウント @tekuteku_diary · 7月13日
今日の成果? 何のこと? キミ、成果を上げたの? キチガイだな をただちに現場に返し、支援の充実へといかすとともに、引き続き被災者の皆さんの声を集め、また届けに来ねば。国会議員団(秘書、事務局の皆さん含め)の資料提供など様々な形での支援にも心からの感謝。まだ若いのに官僚作文か、まいったねえ。

 上記の石崎と大平は、顕われ方こそ違うが、基本的に同じである。他者の苦悩に驚異的に無関心であるという一点で近似である。


対策会議に参加しました!
2018年 07月 18日  日本共産党福山市議  河村ひろ子
今日は、日本共産党の議員団が集まった「豪雨災害被災者支援の交流・対策会議」に参加しました
広島県内の各自治体の市議・町議をはじめ、岡山県議や倉敷市議、山口県議なども参加です
災害救助法など、さまざまな支援制度について学び、各自治体の現状や取組について報告し合う
被害の大小はあったとしても、どの自治体も深刻な事態です
今回の豪雨災害は、とにかく被害地域が広い!
広島県内は、ほぼどの自治体も被害が発生しています
山を削り住宅地を造成したため、土砂災害の危険個所がとても多い広島県
川の土砂を取る浚渫や、樹木を切るなど治水の対策の遅れ
非難場所の問題や、被災者に情報がきちんと伝わっていない
猛暑の中の断水で、片付けや日常生活にも大きな支障になっている
国や県や市などの救済制度があるのに、住民には十分知らせ切れていない
自治体職員も十分把握できていない、もちろん私たち議員も

岡山県の須増県議によると、真備町の浸水は最大5メートルだったと・・・岡山からの報告も衝撃的でした
今回の被害が大きくなった問題をしっかり検証し、防災減災について考え対策を講じなくてはなりません
頑張らなくては!
さて、今日もと~っても暑かったですね
夜、仕事を終えて帰途についたのは夜の9時ごろ
車の温度計を見ると、何と気温30度!
市街地から北へどんどん車を走らせる間に、気温はどんどん上がっていく
自宅近くになると、ついに33度!
え~!!田舎なのに?!
夜の9時で、まだ33度とは・・・・
被災された方の暑さとの闘いは夜も続く
せめて夜はぐっすり休みたいですよね
私も寝苦しい夜になりそうです
# by kawamura0827 | 2018-07-18 23:35




大型の食器棚を運ぶため最後のボランティアを
2018-07-18 22:05:09   日本共産党赤磐市議  福木京子
浸水被害にあった牛さんたち元気でした。

 今日、兄夫婦が12日目にやっと自宅に帰れました。7日に床上浸水にあい、私の家に避難してから17日までの11日間、一緒に過ごし、家の片付けに明け暮れました。
 今日は、大型の食器棚を元に戻していただく最後のボランティアをお願いすると、昼頃、力持ちの男性4人が来て、さっと運んでくれました。大助かりでした。一人の方は、神奈川県から来ているとのことでした。全国からの支援に感謝します。

 食器棚が収まったので、義姉の大切にしているたくさんの食器を次々棚に並べました。これで安心です。後、こまごました片付けや拭き掃除、夕食の買い物などしてあげました。

 義姉は、1週間休んでいたリハビリを再開し、気持ちも少し楽になったようです。

 矢井には酪農家がいて、牛たちがこの水害で首まで24時間浸かったままだったと書きましたが、今日、牛たちを見に行きました。飼い主の方にお聞きすると、生まれたばかりの白い子牛がいますが、他の3びきの子牛たちとともに、いち早く牛舎の2階に連れて行ったとのことで、元気にしていました。
 大きな牛たちは19ひきもいてみんな元気でした。安心しました。(写真)

 暑い中、必死に片付け、多くのボランティアの方に助けられ、やっと見通しが立ちました。まだまだ片付けは残っていますが、早く元に戻った生活になるよう兄たちにはがんばってもらいたいと思います。明日は、赤磐平和行進です。



稗田地域の土砂崩れ現場
2018年7月18日
日本共産党岡山県議 同倉敷地区委員会副委員長 
 すます伸子

児島の稗田地域の土砂崩れの現場を調査しました。
ここは、スカイラインの道沿いに残土捨て場が散見され、土砂崩れがよく起こる地域です。
今回はスカイラインの道路が完全に分断されています。
土砂崩れの下には民家があり二次災害が起きないかということを県民局に確認したいと思います。



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 避難所に段ボールの簡易ベッド設置 岡山 倉敷
 2018年7月19日 4時13分   NHK
今回の豪雨で避難生活を余儀なくされている人に少しでも体を休めてもらおうと、岡山県倉敷市真備町の避難所に段ボール製の簡易ベッドが設置されました。

日本赤十字社は、倉敷市真備町にある3つの避難所に段ボール製の簡易ベッドを順次提供していて、18日は、二万小学校におよそ130個のベッドが設置されました。

ベッドは、長さがおよそ1メートル90センチ、幅が90センチあり、下のスペースには荷物を収納することもできます。

この小学校に避難している人たちは体育館の床にふとんを敷くなどして寝ていましたが、このベッドを使うことで床のほこりを吸い込むのを防ぐことができるほか、起き上がるのが楽になるなどのメリットがあるということです。

自宅の片づけ作業などから避難所に戻った人たちは、早速ベッドに座ったり寝そべったりして、くつろいでいました。

自宅が全壊したという60代の女性は「高さもちょうどよくて快適です。あたたかい支援をいただき、とても感謝しています」と話していました。

石巻赤十字病院の植田信策副院長は「避難生活が長引く中、ゆっくりと体を休めてもらうとともに、腰掛けて話をするなど、コミュニケーションにも活用してもらえれば」と話していました。


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 末尾になったが、石崎の秀作があったので貼っておく。これだけ書けるから、私は追っている。見事なものだ。オウムと神国日本を、こんにちの野党共闘に置き換えて読まれたい。カルトであることに寸プンの違いもない。


オウム事件から
雑文 - 2018年07月14日 (土) 石崎徹
 恥ずかしながら歴史の知識に欠けていて、日本古代史だけは何冊か読んだことがあったが、それも半世紀も前のことだ。現代史も、ベトナム戦争以前のことはほとんど知らない。第二次大戦以前の日本など、ぼくにとっては江戸時代のようなものだ。
 そんな状態だが、最近なんとなく気にかかることがあった。
 第二次大戦敗北前に少年少女だった人たちが、ほとんど例外なく、自分は軍国少年、軍国少女だった、と告白することだ。
 ぼく自身は辛うじて敗戦後の生まれで、ここに決定的な断絶があるように感じた。あまりにも例外なく軍国少年、軍国少女なので、「そうなのか。子供をだますということはそんなにも簡単なことだったんだ」と、にわかに納得してしまった。
 考えてみればそうかもしれない。人間が持って生まれた本能は、ただ動物として生きるのに必要なことだけで、それ以上のことは全部生れてから学ぶのだ。嘘を教えられても判断する方法がない。信じこんで当たり前なのだ。
 大人はどうだったのだろう。軍国少年少女たちの口から聞くのは、敗戦後大人たちがコロッと反対のことを言い始めた、大人は信用できないと思い軽蔑した、ということなのだ。
 だが、軽蔑するには当たらない。大人は子供たちのように心の底から嘘を信じてなどいなかった。ただ長いものに逆らうとやばいので、賢くふるまって嘘を信じているふりをしただけだ。というか、そもそもそれが嘘かほんとうかなど、彼らの人生には何の関係もなかった。そんなことは生きていく上で、考慮に値することではなかった。それが正しいと言われればそうですかと言えばいいし、じつは反対のことが正しかったのだと言われればそれもそうですかと言えばいい。
 大人は何も信じない。信じる必要がない。生きていければいいのだ。
 だが、子供は違う。生きていく上で必要なことをまだ何も知らないから、教えられたことを信じるしかない。これは決定的な違いだ。
 だから敗戦後の変わり身は大人たちの方が早かった(らしい)。
 とはいえ、大人たちも大戦前の教育から完全に自由だったわけではない。子供たちのように無邪気に神国日本を信じることはできなかっただろうが、信じているようにふるまわねばならなかったのだから、ふるまっているうちには自分で自分をだますようにもなる。どこまで信じていたか、どこまで疑っていたかは微妙な問題だ。
 そして信じていたにせよ、疑っていたにせよ、多くの大人が子供たちに嘘を教え、嘘を信じ込ませ、人を殺させ、また自殺させた。それが現実であった。
 こういうことが気になっていたときに、オウムの元幹部たちの死刑執行があった。
 オウム事件はぼくの子供たちから少しだけ上の世代が引き起こした事件だ。下手をすれば子供たちが巻き込まれていたかもしれない事件である。だから無論関心はあったが、知識はほとんどない。麻原本人に対してはまったく興味がなく、麻原に騙された人たちに関心があった。なぜ騙されるんだろう、と考えていた。
 それが今回、軍国少年、軍国少女たちとぴったり符合した。ちょうどそういうことを考えていたときだったので、これはまったく同じ構図じゃないかと、つくづく得心したのだ。
 なぜ騙されるのか。なぜあんなくだらない嘘を信じることができたのか。――だが、70年以前には、日本中が嘘を信じていたではないか。子供たちは本気で信じていたし、大人たちはどこまで本気か知らないが、少なくとも信じているようにふるまっていた。それもオウムに劣らない、下らない嘘だ。あんな嘘をなぜ信じることができたのかと首をひねるような嘘だ。70年以前には日本中がオウム信者だったのだ。
 オウムは少しも不思議な事件ではない。たしかにオウムに騙されたのは子供たちではない。もう少し上の世代だ。しかしいずれ未熟な若者たちだ。人生経験の少なすぎる年代だ。インテリの卵ばかりだったから、社会的により未成熟だったかもしれない。
 だが、誰が彼らを馬鹿に出来るのか。70年以前天皇制政府の馬鹿々々しい嘘を信じ、もしくは信じるふりをして、それを子どもたちに教え込んだのも、我々の祖先なのだ。
 同じ構図じゃないか。
 そんなことを考え、文章化したいと思っていたら、高橋源一郎に先を越された。今日の朝日新聞に、ぼくがここに書いたのと同じことを書いている。
 だからぼくは書く必要がなかったのだが、後出しジャンケンみたいだが、まあ、書いてみた。朝日新聞をご覧ください。>
  1. 2018/07/19(木) 05:58:16|
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