古本屋通信

南北朝鮮の心はひとつだ

古本屋通信   No 3136    2018年  02月24日


   南北朝鮮の心はひとつだ、北の選手と応援団ありがとう

 オリンピック閉会式への北の代表団参加をめぐって、米帝国主義者の手下どもが醜い策動を開始しました。如何なる代表団を送るかは主権国家の権限の問題であり、これに干渉することは主権の侵害です。代表団長の人選にクレームを付けるなら、そもそも南北統一のチームなど有り得なかったでしょう。北の選手も応援団も朝鮮民主主義人民共和国国籍の人間だからです。いまだに「制裁」 「制裁」と高飛車に繰り返す米日帝国主義者と一体の「韓国」の反動たちを糾弾する!

  「韓国を訪れたなら、すぐに拘束して軍事法廷に立たせるべきだ」 だって。オリンピック破壊分子をこそ××せよ。

 産経新聞では野党議員が「(金英哲氏が)韓国の地を踏めば射殺すべきだ」と発言がしていると報じている。当局はこの議員の身柄を拘束して直ちに××せよ。でないと、「韓国」政府は世界に顔向けできない。オリンピックは最終の閉会式で大爆発を起こすだろう。



五輪閉会式での北朝鮮高官受け入れ 韓国国内で抗議集会
2月24日 17時13分
  NHK
北朝鮮がピョンチャンオリンピックの閉会式にあわせて派遣する高官に対して、韓国国内では2010年に起きた韓国の哨戒艦沈没事件に深く関わった人物だとして、遺族が抗議集会を開くなど、受け入れに反発する声が上がっています。

北朝鮮は25日に行われるピョンチャンオリンピックの閉会式にあわせて、2010年に北朝鮮の攻撃で韓国海軍の哨戒艦が沈没して兵士46人が死亡した事件に深く関わったとされる、朝鮮労働党のキム・ヨンチョル副委員長をトップとする高位級代表団を韓国に派遣します。

これを前に、事件の遺族などおよそ60人は24日午後、大統領府の前に集まり、受け入れの撤回を求める抗議集会を開きました。

遺族の代表は声明文を読み上げ「北は事件を認めて遺族と韓国国民に謝罪せよ。韓国政府も遺族の心を切り裂くような苦痛を与えることはやめるべきだ」と訴えて、遺族への事前の説明がないまま、受け入れを決めた韓国政府の対応を批判しました。

また、ソウル駅前の広場では保守系の団体が集会を開き、参加者たちは会場のステージでキム副委員長の写真や北朝鮮の国旗などが印刷された布に火をつけ、北朝鮮代表団の韓国訪問に反対する声を上げていました。

韓国政府は南北関係の改善や非核化の問題を話し合うためだとして、キム副委員長の訪問に理解を求めていますが、受け入れに反発する声は続きそうです。



北朝鮮応援団 韓国宿泊先で感謝の歌と踊り
2月23日 20時05分 NHK
ピョンチャンオリンピックに合わせて、北朝鮮から派遣されている応援団は、23日、宿泊している施設がある地域の住民への感謝として、公演を行い、多くの人が集まりました。

北朝鮮の応援団の一行は、23日午後、宿泊している施設がある韓国北東部のインジェ(麟蹄)で、滞在中の支援に対する住民への感謝として、地元の体育館で公演を行いました。

自治体の関係者によりますと、会場には地域の人口のおよそ1割に当たる3000人ほどが集まったということで、応援団の女性たちが朝鮮半島の民謡「アリラン」や北朝鮮の曲などを演奏し、曲に合わせて踊りを披露すると、会場からは大きな声援と拍手が送られました。そして公演の最後に、応援団と住民たちは、「私たちは一つです」と何度も声を合わせていました。

地元の20代の女性は、「南北は分断していますが、公演を聞いて、心は一つだと感じ、感動しました」と話していたほか、70代の男性も「早く統一できたらいいと思いました」と話していました。

韓国統一省によりますと、北朝鮮の応援団と選手団は、25日行われるピョンチャンオリンピックの閉会式の翌日に、北朝鮮に戻る予定だということです。



北朝鮮高官の閉会式派遣問題 韓国最大野党や新聞が反発
2月23日 18時42分  NHK
ピョンチャンオリンピックの閉会式に合わせて、北朝鮮の朝鮮労働党で韓国との関係を統括するキム・ヨンチョル副委員長が韓国を訪問することについて、韓国最大野党で保守系の自由韓国党は、23日、大統領府の前で抗議集会を開きました。

集会では、キム・ソンテ(金聖泰)院内代表が、2010年に相次いで起きた韓国の哨戒艦沈没事件やヨンピョン(延坪)島砲撃について、キム副委員長が主導したものだと強調したうえで、「このような人物を受け入れることなどありえない」と述べ、受け入れを決めた韓国政府の対応を批判しました。

そのうえで、「韓国を訪れたなら、すぐに拘束して軍事法廷に立たせるべきだ」と主張し、ムン・ジェイン(文在寅)政権に対し、キム副委員長の受け入れを撤回するよう求めました。

23日付けの保守系の韓国各紙も、キム副委員長の韓国訪問を批判的に伝えていて、このうち、保守系の大手紙「朝鮮日報」は、1面で「『哨戒艦沈没の主犯』がピョンチャンに来る」という見出しを掲載し、社説で哨戒艦沈没事件の遺族の感情をないがしろにするものだと主張しています。

また、別の保守系の有力紙「東亜日報」は、哨戒艦沈没事件で死亡した兵士の遺族の声を掲載し、「韓国政府は遺族のことなど考えにないのか」として、キム副委員長の韓国訪問に反対する意見を伝えています。

哨戒艦沈没事件の遺族も抗議声明

韓国の哨戒艦沈没事件で死亡した兵士46人の遺族会は23日、受け入れに抗議する声明を発表しました。

声明では、キム副委員長が事件を主導したと強調し、「言葉で表せない悲しみと傷をもたらした」として、韓国への訪問は絶対に容認できないと訴えています。

そしてキム副委員長のオリンピック閉会式への出席について、「ムン・ジェイン(文在寅)大統領は、即刻、受け入れを撤回し、遺族の心に苦痛をもたらさないことを求める」と要求しています。

遺族らは24日、ソウル中心部の広場でキム副委員長の訪問に抗議する集会を開く予定で、韓国政府に対して受け入れを撤回するよう重ねて要求することにしています
  1. 2018/02/24(土) 08:34:23|
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その名は鬼藤千春

古本屋通信   No 3135    2018年  02月23日


   その名は鬼藤千春

(日本共産党の選挙応援で) 候補者を描かないで自分を描きまくるエッセイストをはじめて見た。



2018年2月23日(金)晴れ   ついに拍手が1に激減

♪ ご訪問いただき誠に有り難うございます。

♪  市議選の
   ビラを配りて
   あかときに
   潮の香のする
   村をゆくなり

♪ この短歌は「新日本歌人」という歌誌に掲載されたわたしの歌です。

♪ わたしの町の市会議員選挙が迫ってきました。4月8日告示、4月15日投票でたたかわれます。告示まで50日を切るところまできました。

♪ 4、5人の現職が引退し、4、5人の新人が立候補する予定です。これで推移すれば無投票となるわけですが、そんなに甘くありません。定数が18から16に減るので2、3人のはみだしの選挙になりそうです。

♪ この選挙にわたしの知人の39歳の女性が立候補する予定です。「母と子の願いを市政に!」と、彼女は連日、宣伝、訪問活動で頑張っています。

♪ わたしは微力ながら、彼女を市議会へ送ろうと、手伝っています。わたしの知り合いの家に彼女を紹介したり、宣伝を手伝ったりしています。

♪ しかし、なかなか大変な選挙です。他の新人候補は地区の推薦をもらったり、知名度のある会社の息子であったりするからです。

♪ わたしの知人の女性は地区推薦もなく、これといった支持団体もないのです。したがって、いかに彼女の名前を知っていただくか、がとても大切になってきます。

♪ そこで彼女の半生の物語を作成して、市民の皆様に配っているのです。新人ですから知名度の不足が、決定的な弱さとなっています。

♪ わたしは自分の住む漁師町を担当して、潮の香のする町の明けぐれに、彼女の半生の物語を配って歩いているのです。

♪ 肺年齢90歳と言われているわたしですが、坂道を上り一軒、また一軒と有権者の皆様に届けているのです。また、膝の痛みをかばいながらのビラ配りです。彼女をぜひ市議会へ送りたいと思っています。




 ところが、この鬼藤さん、昨年11月には以下のように書いて私に批判されているのです。


  古本屋通信    No 2970   2017年  11月22日

 本日付けの鬼藤文のデタラメを批判しておく。

市議選挙の勝利をめざして。わたしの住む街で来春、市議選挙が行われます。現在、JCPの議員は一名ですが、二議席めざして新人が立候補する予定です。立候補予定者は、知人の沖原ゆみさんで、三十九歳の女性です。とても明るく、溌剌とした子育て中のシングルマザーです。母と子の願いを市政に届けようと、日々頑張っています。いま沖原さんは、地元や支持者の家庭を訪問して、市民の要望を聞いたり政策を訴えたりして、精力的に活動しています。先日、わたしは沖原さんを案内して、地域の支持者宅を回りました。どこの家でも温かく迎えてくれました。「消費税の10%の引き上げはやめて欲しい」、「子どもたちの給食費を無料にして」、「保育料の軽減を」などの願いが出されました。沖原さんは、「財源はありますよ」と言って、「皆さんの声を必ず議会に届けます。実現に向けて一緒に力を合わせましょう」と呼びかけていました。わたしは衆院選で一八〇人余の支持拡大をしてきましたが、それ以上の支持を広げようと頑張っています。



 自分一人で180人余りの共産党票を獲ったという大うそ。これは寄島の党得票の殆どすべてだろう。たとえ町内の党員が鬼藤一人だったにせよ(町内には党議員が既に一人いるのだから、少なくとも党員が鬼藤だけということは有り得ない。鬼藤は同志の活動成果の全てを自分の独り占めしているのだ)、党得票は95年党史と活動のすべてに対する評価であって、一党員(鬼藤)の活動の成果に還元できよう筈がない。傲慢を通り越して狂っている。まあ狂気というより単なるアホウだろう。然し何故こういう文になるかと言うと、党員というより自分の優生思想に因るだろう。つまり客体である有権者にエリートの自分が働きかけて世界を変える、人民大衆は歴史の主人公(主体)ではなく客体なのだ。プチスターリン主義思想である。書けば書くだけボロが出る名エッセイなことか。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 昨年の文には少なくとも赤字のJCP沖原ゆみさん三十九歳の女性があった。なのにきょうの記事からはすべて消えている。要するに自分のことばかりで、候補者の沖原ゆみさんのこともなければ、共産党のこともない。もうよい。
  1. 2018/02/23(金) 21:58:50|
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伊藤詩織から出版を考える

古本屋通信   No 3134    2018年  02月23日


   伊藤詩織から出版を考える

 低脳とキチガイと動員によるレビューは少なくなったようだ。

5つ星のうち4.0
美女
投稿者 kojiro 2018年2月20日
美人で魅力的だと性的好奇心の対象になります(近親者を含む)。そうでなければ就職の世話などしないし、高級店で奢ったり、下着を欲しがったり、またこの本がベストセラーになったりしません。女性に対する性暴力などと一般化しないでください。100人中99人はこんな目には会わないのでご安心を。


5つ星のうち1.0
元キャバクラ女の強弁

投稿者 三内丸山縄文人 2018年2月20日
ひつこくメールして就職させてもらった。ホテルでゲロ吐きまくった。「避妊しないでやっちやった」Tシャツ返せ。一発やらせるくらいがなんだ。


5つ星のうち1.0
仕方なく★1つ
投稿者 Amazon カスタマー 2018年2月23日
私は女性ですが全く共感出来ません。
別の思惑がありレイプ被害者という過激な立場をとったのでしょうが、伊藤詩織さん、まっとうに生きた方がいいですよ。
レイプ被害というものは殺人と同じなのです。人間の尊厳を根底から覆すこと。
評価が高いのも動員の結果かな。




  古本屋通信

  一番上だが、私は伊藤詩織が美女など反吐が出る。だが好みもあろう。伊藤は美人でないし華もないが、娼婦の妖艶さはある。私に云わせると高級コールガールである。マア単なる田舎のオバサンとは違うだろう。つまり正邪を抜きにして「絵になる」のだ。私は「就職の世話や、高級店での奢りや、下着を欲しがったり」 が如何なる基準でなされるのか興味がないが、「本がベストセラーになったり」 には、ひとこと言いたい。

 伊藤の著書「Black Box」が伊藤の持ち込み原稿であった可能性はない。つまり文春が書かせたのである。直接か人を介してか分からないが、文芸春秋社の編集者は伊藤に会った。その段階で編集者から出版企画を持ち出している。伊藤が切り出して編集者が乗ったのではない。逆である。編集者が切り出して伊藤のアレコレの体験を聞いた。その上で企画の詳細を伊藤に提示した。

  後は伊藤に書かせたのではない。共同執筆というより伊藤の話を聞いて編集者が執筆した。あるいは編集者が別のゴーストライターを起用したかも知れない。然しコレは永久に藪の中である。なぜなら3者の間でそういう契約(お互いに口外しない契約)になっているからである。コレは原稿料印税のペイを含めて税務関係に違法性はない。

 その前段階の出版が成立するに当っての前提だが、出版社はペイすると踏んで伊藤と話を進めた。そのさい編集者が、伊藤が準強姦の被害者であると確信したとういうことは絶対に有り得ない。「よし、山口が姦ったという線で押し通そう」 となった。「伊藤さん、嘘でもいいから、強姦されたというラインで話を進めてください、辻褄はこちらであわせるから」 となった。伊藤はホロリとしただろう。本当に犯された気分になったのだ。

 もうひとつ大切なことは女の外見。本が売れるか、売れないか、この場合は性犯罪は嘘なんだけど、H 話である。ブスがいくら H されても本は絶対に売れない。恐縮ながらKM生様流に言えば、本を読みながら伊藤詩織の顔から体躯まで想像しながらマスターベーションし、しかもフィニッシュに至る過程、その十分条件を充たしている本でなければならぬ(コレを世間ではアダルト本またはエロ本と呼ぶ)。

 編集者も文春出版人も山口がシロである(クロでない)と知っている。だって刑事事件としての結論が出ているのだ。万にひとつも民事で逆転する可能性はない。誰にでも聞いてみよ。逆転の可能性があれば、「民事裁判の伊藤詩織さんを全力で支援しよう」となっているだろう。そういう声は皆無である。したがって本の出版はデマの拡散でしかない。そのことを出版社も編集者も知り尽くしている。嘘でも売れればよい。それが出版業である。「週刊文春」に書けば名誉毀損で負ける可能性もある。個人著作とりわけ単行本では、著者も出版社も責任を問われることはない。

 以上は出版業界のイロハである。だから私は伊藤の本など一瞥もくれない。いまだに読んでないのは、読まなくてもすべて読めるからだ。

  数日前に超党派国会議員の第4回目の検証会があったが、何の新証拠も挙げられず霧散した? アホ女に混じって柚木がひとり。田村智子は中座している。瑞穂も準強姦を実地で体験したらよい。そんなアホがと思うだろう。

  二番目と三番目にコメントする時間がなくなりました、ごめんなさい。

 日本共産党の有志諸君、とことん山口強姦で押していったらよい。アベ政治を許さないってね。山口夫妻の結婚式に安倍の写真が写っててよかったね。山口は強姦したんですよ、安倍の許可を貰って伊藤を犯したんですよ。
  1. 2018/02/23(金) 17:36:29|
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2チャンネルはにゃん様専用板に

古本屋通信   No 3133    2018年  02月23日


   2チャンネルはにゃん様専用板にして下さい。


 久しぶりに覗いたら、下があり、その前後でにゃん様をめぐって盛り上がっていました。この調子だったら古本屋通信なしでも1000行くでしょう。

 私は降ろして下さい、お願いします。マル彦さんはもう来ないでしょうし、デボーリンは東京××ですから、ちょっとレベルが・・・。

 私ももう読みません。どうか皆さんでシアワセにやって下さい。


297革命的名無しさん (ワッチョイ)
2018/02/20(火) 12:57:56.610
にゃん様に話題奪われて古本屋先生の元気が無くなってるね
  1. 2018/02/23(金) 16:20:40|
  2. 未分類

KM生様のコメントに ・・・

古本屋通信   No 3132    2018年  02月21日


   キンピーサイトのKM生様のコメントに・・・

・・・・に正面から異論があるわけじゃあないのですが、(「資本論」は措いて)、 私のコメントを夫々の後に赤字で点けてみました。




5. KM生 @受験生の認識は正しい
2018年02月21日 15:41
1)たすかにマルエンレーニンを字面通り読めば、社会主義は暴力革命。一方「時代が変り社会状況も変化したから、議会を通じた社会主義を目指す」というのが、日共の61年綱領制定以後の主張。

マルエンレーニンはおっしゃる通りでしょう。一寸違和感あるのですが、61年綱領制定時(1961年)には「議会を通じた社会主義を目指す」という表現ではなかったのではないでしょうか? 微妙なちがいで恐縮ですが、最大限議会を通じて、革命(民主主義革命から社会主義革命への2段階連続革命)を目指すというような表現だったとの認識です。これは61年綱領の報告集である宮本の『日本革命の展望』を精読しての私の認識なのですが、ここら辺があったから後の中国分派も61年綱領に賛成したのでしょう。その後、60年代後半に入って、おっしゃるように変化し、最終的に70年代初頭、上田・不破によってブルジョア議会万能になったという認識です。


2)むろん今の時代に暴力革命なんぞあり得ない。実際日共も、50年代前半には暴力革命を目指して結果壊滅的打撃を蒙った。

私は61年綱領支持の立場です。その立場からは、そもそも「暴力革命」という用語と云うより、概念は存在しません。51年綱領の件は別にして、61綱領では、革命の形態は党が選べる性格のものではなく、あくまで権力側(敵)の出方に因るでしょう。今(今後)の時代も「暴力革命」はあり得えます。そういう意味でレーニン(主義)は生きています。新左翼諸党派は革命に暴力は避けられないとの立場でしょう。私も大袈裟に考えるのではなく、あさま山荘銃撃戦程度の暴力は避けられないと思います。必ずと言ってよい確立で、自衛隊の一部がCIAと結合してクーデターを画策するでしょうから、彼らの反革命は実力行使に拠って合法的に武装解除する必要があります。それを悪意ある政府公安当局は「暴力革命」と呼んでいます。まあ全てまる腰で革命が達成できるというようなオメデタイ夢想家にはなりたくありませんね。


3)問題は、「議会を通じた社会主義革命」などというのが果して存在し得るのか?特に現在のような(ソ連東欧旧社会主義国崩壊以後の)世界中で共産党労働党が崩壊している時代に。

私は「議会を通じた社会主義革命」などは幻想だと思います。基本的に議会はおしゃべりの機関ですから。これは今の国会を見れば明らかです。革命は議会を利用することがあっても、基本的には議会外、たとえば人民評議会というような場所が主体になります。これを何重にも民族民主統一戦線勢力が支えます。世界にいまだかつて議会を通じてのみで、革命を成功させた例は皆無でしょう。みんな議会外の人民蜂起です。これは物騒なことでも何でもなく、逆にソ連・東欧の国家が崩壊した時を考えればイメージがわくのではないでしょうか。


4)結論的に言えば、「議会を通じた社会主義」が「高度資本主義国におけるマルエンレーニンの今日的発展形態」などといえるのか?世界中で何一つ実現せず、むしろ衰退の一途を辿っているのに。むしろ「マルエンレーニン主義は資本主義分析の武器ではあっても、資本主義変革の武器とはなり得なかった」のではないのか?

マルエンは資本主義分析の武器でしょう。レーニンは今もなお資本主義変革の、つまり世界革命と日本革命の武器でしょう。国家の性格はまったく変わらず、帝国主義も、国家独占資本主義も生きていますからね。マルエンもですが、レーニンも百回以上殺されています。日本では共産党と前後して、共産党よりも徹底的にレーニンを殺したのが共産主義労働者党(共労党プロ革派)でした。これは岡山が拠点のひとつでしたから観察できました。今の緑の党ですね。環境政党というより選挙互助会です。やがて絶滅します。横田悦子の時代は何とか面目を保っていましたが、今の鬼木市議は江田に取り込まれています。希望の党に近いでしょう。レーニンを放棄したら党自体が崩壊するしかありません。日本共産党もそうなりつつあります。何ら日本革命を目指さず、議員と党専従がメシを食べる組織になりつつあります。デボーリンやマル彦さんはそれが完成したと看ています。私はまだ再起の可能性を否定し切れないので、こうしてブログを発信し続けているのです。だから党内の駄目な部分にはトコトン言葉が厳しくなるのです。



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  加筆

 いま、23日になった時点で、拍手が8個付いています。どちらかと言えば特殊な議論なので、読まれた方は年配の党員または元党員だと思います。ちょっと気分をよくして、少し書き加えます。ただし文献が手元にありませんので、記憶による事をお断りしておきます。赤字から黒字に変えます。


  論点ですが、上記のKM生様の 1)に対する多少の違和感は、61年綱領の策定時から60年代前半に於ける党綱領の捉え方に関わるものです。つまり1966年中国文革から毛沢東盲従派の発生までの時期、党中央はいわゆる議会主義路線ではなかったということが言いたいのです。

  その頃つまり私が入党した1965年の細胞会議を鮮やかに思い出します。

  主要には党綱領の理解に関わるのですが、当時のメインは志賀派(日本のこえ)との論争でした。それと関係して、綱領論争での反対派(春日庄次郎派、内藤知周派)との対立点も議論されました。

  以下は党中央の見解として香川県委員会副委員長(理論分野の県のトップ)の石田千年氏が明言したことです。

われわれは平和革命唯一論ではありません。革命がどういう形態をとるかは国家権力つまり敵の出方による、これはハッキリと党綱領に明記してありますから間違えることはありません。これは綱領論争の過程で反対派との激しい論争を経て確立された党の見地です。然しいまになって志賀は党が平和革命唯一論であるかのごときデマを振り撒いています。春日や内藤らへの屈服です。これがひとつ。

 もうひとつは日本革命の方法に関してです。春日や内藤が革命を議会を通じてやろうという見解であることは広く知られています。これは、ブルジョア議会で党と統一戦線勢力が過半数を獲得することに拠って革命が達成できるという誤った議論です。ブルジョア議会は革命を有利に導く上で活用すべきですが、それ自体で革命が達成できるとするのはブルジョア議会主義です。これは誤った幻想であるだけでなく人民大衆の多様なたたかいをブルジョア議会に押し込めてしまう、極めて有害な反人民的な議論です。ところが最近の志賀はこの議論に同調するまで転落しています。



  石田副委員長が言ったとおり一年後に志賀と春日と内藤は大同団結をめざします。結果はそれぞれの思惑の違いから失敗しますが、いわゆる修正主義者が平和革命唯一論とブルジョア議会主義の2点で一致していたことは特筆されるべきでしょう。このことは裏を返せば、1965年当時の党中央が平和革命唯一論とブルジョア議会主義をハッキリと否定していたことを意味します。

  さて、これが微妙に、そして天下に明白に変化していく過程を辿るのが本稿の目的です。マア裏切りの跡付けですね。

  微妙な変化さえも表面に現れなかった、しかし深刻な出来事が1965年9月のインドネシアの政変(反革命)でした。下に私の過去記事を貼ります。4年前の記事ですが、当時は読者が少なかったのでしょう、拍手は7個しか付いていませんでした。何とここでもKM生様を枕にさせて頂いていました。


  再録

  
古本屋通信    No809   2014年  4月20日

  インドネシア反革命と日本共産党

 私は「No798 4月13日 キンピーサイトの最新エントリーを絶賛する」で、自分の文を書かないまま放置ていました。遅れ馳せながら少し書きたい。まず私が目を見張ったKM生氏のコメント全文を再引用しておく。

KM生

 実は1965年のインドネシア政変を(半世紀近く経てなお)総括していないのは、日共自身ですよ。
1)65年当時スカルノ政権の親中路線の下で庇護されて「非共産圏最大の共産党」と言われていたインドネシア共産党のアイジット議長は、度々日共党大会にも祝電をよこし、両党は友党関係を保っていました(この辺りは新日本新書「今日のインドネシア」蔵原惟人著に詳しい)。
2)政変の真相は今なお不明ですが、中国に唆された共産党員軍人が軍内保守派を攻撃した→反撃を喰らって殲滅された→軍隊の共産党員シンパ・華僑への虐殺が開始された→建国の父スカルノは追放するわけにもいかず軟禁処分とされ、事実上実権は保守派のスハルトに移った(余談ながらデヴィ夫人も国外逃亡した(^^)→対中断交・マレーシアとの国交樹立等、親中路線から反中親米路線に外交転換した。以上が政変のあらましです。裏でCIAが暗躍していたのは間違いないでしょう。
3)インドネシア失政は当時の中国政権中枢だった劉少奇・トウ小平らの威信を低下させ、大躍進の失敗で上海に蟄居していた毛沢東の反撃を招きました。これが翌66年の文化大革命に繫がります。劉トウらが「実権派」として迫害されたのは、周知の通りであります。
4)映画案内の指摘のように、当時の日本ではこの事件はほとんど報道されませんでした。当時のアカハタや日共党の公式文書ででも、国際情勢は大部分がベトナム戦争であり、インドネシア政変はスルーしています。しかし政変の日共に与えた衝撃は、決して小さくなかったはずです。
5)イン共壊滅の原因として、党財政を親中華僑資本の寄付に頼ったこと・政権の一角をなすことによってスカルノ・華僑への労働者農民の不満を取上げられなくなったこと等が、研究者の間では指摘されています。
6)当然日共宮顕は、イン共壊滅の原因を検索したはずです。恐らくその中から、「中国の武闘路線を受入れれば党壊滅に繫がる。党財政は中国に頼らず、独自の財政基盤を確立しなければならない」との教訓を引出したはずです。そしてこれが、翌年の日中両国共産党会談決裂(武闘路線の拒否)→日中両国共産党対立・文革批判へと繫がりました。宮顕に対する批判は多々ありますが、このあたりの政治的嗅覚の鋭さ・決断力は正当に評価しなければなりませぬ。
7)66年の10大会では、不破上田兄弟の幹部会抜擢・人民的議会主義路線への転換等が行われました。多くの日共ウォッチャーが指摘するように、「10大会以前は日共もそれなりに大衆闘争に取組んでいた。しかし10大会以後は、選挙党勢拡大一本槍の議会主義政党に転落した」というのが、この間の党の根本的性格変化を物語っています。


古本屋通信
私は1965年インドネシア九・三〇反革命の時のことをまるで昨日の事のように思い出す。私は革命は武力でもってしないとまず無理だと思っていた。500万インドネシア共産党は大目標だった。それがたった一夜で壊滅した。ほとんど全員が即日虐殺された。武装蜂起が失敗して皆殺しになった。私はすっかりビビッて寝込んでしまった。私はこのとき学生自治会の執行部にいたが、同時に民青高松地区委員になったばかりだった。地区委員長は小豆島バスから専従になったばかりのTさんだったが頼りにならなかった。そこで県委員長の上杉さんと話した。上杉さんは(これはたぶん党中央の見解は出ないだろうと断ったうえで)率直に自分の見解を話してくれた。
アイジットは毛沢東に言われるままにやった。するとこのザマだ。日本共産党は20万人だ。インドネシア共産党は500万だ。人口はあまり変らない。スパイも相当入っていただろうが、そんなことは何処も同じだろう。俺もショックを受けたが、党中央も民青も大変な騒ぎだろう。だがそれが率直なかたちで党見解として現れないだろう。民族主義的偏向の手直しは、既に4・17問題の自己批判というかたちで顕れている。今後はいっそう民族革命路線の否定が強められるだろう。中国路線の全面否定だ。いやも応もない。中共方式の結果がこのザマだからね。

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  古本屋通信


  ここから再度、私の今の記事です。KM生様の言われているように党は今日に至るもインドネシア反革命について明確な総括も、評価さえもしていません。それは余りにもショックが大きすぎたことと、世界の共産党・労働者党に関わる、自党と直接関係ない事件の評価は慎む、の2点があったと思います。だが党中央が宮本を中心に深刻な自己検討を重ねていたことは明白です。その内容の詳細はわかりませんが、KM生様の文と、民青香川県委員長上杉さんの評価と一致しているでしょう。

 で党はインドネシア政変の評価こそ表だってしませんでしたが、殆ど間髪を置かず、アッと驚く重大論文を発表します。矢継ぎ早にです(但し、この前に日中両共産党会議の決裂がありました)。中国共産党批判です。毛沢東路線の批判です。これにはアッと言いました。インドネシアのことなど全く書いていません。また日本国内の毛沢東盲従分子など、当初は出て来ないのです。いないのですから書けません。したがって50年分裂時の志田派の残党を挙げるしかない代物でした、今もネットで読めるでしょうか。『さざ波通信』です。

●アメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線を強化するために (『赤旗』1966年2月4日)

●大会決定を全党的に学習し、アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線の強化と国際共産主義運動の真の団結のために奮闘しよう (『赤旗』1966年5月11日)

●ふたたびアメリカ帝国主義に反対する──国際統一行動と統一戦線の強化について (『赤旗』1966年8月8日)

●志田一派の反党撹乱活動を粉砕するために (『赤旗』1966年8月10日)

●極左日和見主義者の中傷と挑発 (『赤旗』1967年4月29日)

●撹乱者への断固とした回答──毛沢東一派の極左日和見主義集団とかれらに盲従する反党裏切り分子の党破壊活動を粉砕しよう (『赤旗』1967年8月21日)



 つまりインドネシア政変が1965年9月30日で、最初の赤旗の2・4論文が1966年2月4日ですから、4ヶ月しか経っていないわけです。党の対応というより宮本の対応は早かった。然し表題を御覧のとおり、最後のひとつを除いて、毛沢東や中国は全くありません。とにかく我々は長大な無署名論文を、赤エンピツで棒線を引きまくって熟読し、細胞会議で数回にわけて討議しました。読まなかった党員は皆無だったでしょう。それは今まで中国共産党の毛沢東と言ったら宮本や野坂より党内で権威があったのですから、読まざるをいなかった。そして全員がその後の党論文と、中国共産党批判をよしとしたのです。

 いま考えても不思議なのは全国の大学で中国分派が全く発生しなかったことです。山口大と下関市大だけでしょう。あれくらい構造改革派分派が広がって、安保闘争後には全自連の多数は彼らが占めていたのです。ところが中国派はカスリもしなかった。

 ただ党中央は対ソ連分派に対しての数倍、対中国分派に対してたたかったでしょう。これもよく分からない。

 休憩 1970年代初頭に上田 『先進国革命の理論』 と、不破 『人民的議会主義』 によって、党が最終的にブルジョア議会主義に転落するまでを素描します。といっても、二人にとっては元巣の構造改革論への里帰りだったでしょう。これは時期的にはシンヒヨとほぼ一致します。ただ幸か不幸か、党の議会での一時的躍進と重なっていました。
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