古本屋通信

民青京産大班はものすごいね

古本屋通信   No 3338    2018年  05月22日


    民青京産大班はものすごいね

 親(共産党中央)の心を子(民青京産大班)はよく知っている。安倍に勝てる方法は 「国民を感情論で上手に騙すこと」 はまさしく正解。ズバリ最近の共産党のデマ(セクハラでない福田次官をセクハラに仕立てて辞任させた)の本質を衝いている。だが、やめときゃよいのに、麻生財務大臣を深追いして自滅した。最終は「セクハラ罪という犯罪はありません」 という前代未聞の閣議決定となって終結した。コレ笑い者になったのは政府ではありません。セクハラでない者をセクハラに仕立てた野党に対する最終的な断罪でした。

 民青京産大班はものすごく冴えていますね。叱ったのが共産党京都府委員会ではなく、スパイの有田芳生だったというのも傑作です。このまま遣り過ごすのは勿体ないので、ここに記録として留めました。民青がんばれ、応援してるゾ。



9. 真美
2018年05月19日 23:33
民青京産大班がTwitterで口を滑らし謝罪しました。
https://twitter.com/dyljksu/status/997780008620904458

元Tweetは削除されていますがこの通りです。

「共産党を含む野党が、安倍首相に必ず勝てる方法が1つだけあります。
それは大事な政策を前面に出すことではありません。組織を大きくすることでもありません。
ただ1つの方法は、国民の生活感情に訴えること。つまり国民を感情論で上手に騙すことです。これを必要悪として引き受ければ必ず勝てます。」


有田和生さん他に怒られたりしています。
https://twitter.com/ka1206/status/997635069526265856
有田和生@ka1206
「これを書いている君!
共産党の導きを受ける民青が「感情論で上手に騙せば安倍総理に勝てる」と発言をするということはそれが共産党の導きなのか?」



  古本屋通信
 そこのけ、そこのけ、セクハラが通る、セクハラが通る。セクハラは絶対悪だ、女性差別だ。セクハラに賛成の者は名乗り出よ、どうだ、一人もいないだろう。もしいたら、女の敵だ、国民の敵だ。そういう勇気のある者がいる筈がない。これが世論だ、国民感情だ。この一点で政府自民党を追い込んでいきませう。福田次官を許すな! セクハラ次官を一貫して擁護し続けた麻生大臣は辞任せよ! 辞任するまで国会の審議を拒否して、たたかうゾウ!
  1. 2018/05/22(火) 12:11:19|
  2. 未分類

三浦聡雄氏のこと

古本屋通信   No 3337    2018年  05月22日


    三浦聡雄氏のこと

 さきほどキンピーサイトを覗いたら、思いがけず三浦聡雄さんの名前があった。まずブサヨ管理人様の「応援する市長候補の関係で離党されています」を見た。コレ違うだろうと思った。党ともめたかどうか分からないけれど、自主的に離党している。その詳しい事情は書いていなかったが、「もうやめてもよいだろうと思って離党した」と書いておられた記憶がある。次にKM生様の投稿を見た。こちらが正解だ。でも 「三郷市長選には無所属で立候補、善戦」 というのは知らなかった。

 で、自分の古い記事を検索してみた。離党のことを書かれた文も引用した記憶があるのだが、見つからなかった。下に再録した一件だけがヒットした。見るとブログを開始した直後の記事で、拍手は一つしかついてない。

 三浦さんの名前は東大闘争の中で聞いていた。彼は鹿児島ラサールから東大理Ⅲコースの天才だから、私とは偏差値は違うが、同世代の民青で、しかも新日和見主義事件に連座していなかった。だから私はかなり注目していた。離党を知ったとき、「嗚呼、やはり離党だな」 と納得した。でも彼は医者仲間の小池晃が党幹部に納まったことにエールを送っていた。私は党への最後のリップサービスだなと思った。こういう離党のかたちもあるのかと納得した。

 下はシンヒヨ世代のメッセージだろう。私も数年ぶりに読んでみようか。



3. busayo_dic@管理人 2018年05月22日 01:31
地方選挙監視隊員 さま
滝口市議が無所属と言うのは、何か地元の都合からそうしたんじゃないでしょうかね?

というのも、選挙区の都合で離党するってあり得る話と言うか、どこかで聞いた覚えが。。。思い出せない。

全共闘に対抗した東大民青リーダーだった三浦聡雄氏なんかも、別に党ともめたわけじゃなく、応援する市長候補の関係で離党されています。

4. KM生@管理人様 2018年05月22日 03:43
>元東大民主化行動委員会議長三浦聡雄医師
たしか95年頃「NHKスペシャル(NHKフェラチオではありません(^^)ドキュメント東大闘争」では、「自らの意思で離党した」と語っておられた記憶があります。後に(御自分の病院=三郷健和病院=の地元)埼玉県三郷市長選には無所属で立候補、善戦されていますた。 (以下、略)


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   再録

  古本屋通信   2012年   No 76  12月7日

  三浦聡雄氏 インタビュー

 私のまえがき
私は
通信 No74 の文中で 「同世代の運動参加者が何も語らなかったわけではない」と書いた。その一人、三浦聡雄氏のインタビューを掲載する。これは 08駒場祭企画 『今語られる 東大,学生,全共闘』 の中で三浦氏が学生のインタビューに答えたものの文章化だ。文責は主催者の立花ゼミにある ( 2008-2009 東京大学 立花隆ゼミナール )。公開企画であり、事後ネット化されているので、著作権上の問題はないと見做して転載した。私の意図は通信No70 、No72、 No74 とつづく連続の中での掲載だが、それとは無関係に読まれてもよい。また、ここには掲載しないが、同じ駒場祭企画の中で干場革治、若松孝二、最首悟、鈴木邦男、塩見孝也の各氏がインタビューに応じている。読みたい方は 「'08 駒場祭企画『今語られる 東大,学生,全共闘』」で検索されたらヒットするだろう。三浦聡雄氏のインタビューについては最後に私のコメントを付
ける予定だ


以下は全てインタビュー記事

三浦聡雄氏(元・東大民主化行動委員会議長)インタビュー

東大民主化行動委員会議長として,民青(共産党系の青年組織)の側から,東大闘争の過激化に反対した三浦聡雄氏にインタビューをおこなった。代々木系(共産党系)の民青は,反代々木系の新左翼・全共闘と,闘争のあいだ,長きにわたって激しく対立していた。三浦氏は『東大闘争から地域医療へ志の持続を求めて』(三浦聡雄,増子忠道著,勁草書房)の著者であり,東大医学部を卒業後,みさと健和病院の建設など地域医療の発展に尽力してきた。全共闘運動の裏に隠された,「革命運動化への暴力的な転換」について,氏は語る。


エスカレートする暴力
──東大闘争の天王山は,1969年1月18日・19日の安田講堂攻防戦であるというのが一般的な認識だと思うのですが,三浦さんは『東大闘争から地域医療へ』の中で1968年11月12日・14日に大きく局面が変わったと仰っていますね。12日は全共闘の学生たちが本郷の中央図書館を封鎖しようとして民青と衝突,14日には駒場封鎖を巡って,同様の衝突が起きています。まずお聞きしたいのは,闘争の中でゲバ棒や鉄パイプが登場し,武装もだんだんと先鋭化していきます。内ゲバでは死者まで出るわけですが,エスカレートする暴力について,三浦さんはどのようにご覧になったのでしょうか。

全共闘の中心になっていた,社学同,中核派,革マル,社青同解放派などの過激派は,誤った「革命理論」にもとづいて,「非和解的実力闘争」,ゲバルトによる暴力的革命運動を進めようとしていた。1970年安保闘争が決戦の時だとあせっていたわけだ。そこに,1968年1月以来の医学部ストライキが起きた。卒後研修の要求や不当処分撤回,医学部のわずかな過激派が時計台を占拠したのに機動隊を導入したことの大学当局の自己批判などを求めて,全学の学生たちがストライキに立ち上がった。こうした,医学生や研修医,東大や全国の学生たちの現状への不満,改革へのエネルギーを,強引に自分たちの暴力革命路線に流し込もうとしていた。

学生たちの激しい怒りや混乱に乗じて一定の支持を得た秋頃になると,全共闘は「東大を破壊せよ。全学バリケード封鎖で解放区を」と,学生の真の要求とは無縁な過激な方針を提起する。こんな方針が学生たちに支持されるわけはない。そこで,本来は権力への抵抗手段のはずだったゲバルトが,彼らに反対する民青や一般学生に向けられるようになる。当時の東大全共闘の機関誌「進撃」は,「バリケードの向こう側に立つ者は敵だ。『敵は殺せ』…これは,権力の論理であり,僕たちの論理でもある」と書いています。自分たちの過激な戦術,「全学バリケード封鎖」に反対する者は,ゲバルトでやっつけろという公然たる宣言だ。自分たちの考えを暴力で押し通そうとした。

この段階で,全共闘が,急速に一般学生の支持を失い孤立していく。当初,全共闘に幻想を抱いて支持した人たちも含めて「クラス連合」,「有志連合」などのノンセクト学生の組織が各学部につくられ,僕たち民主化行動委員会(駒場では,東大闘争勝利全学連行動委員会)と連帯していく。

こうして,11月12日には,ヘルメット,1メートル位の木や竹の棒など,正当防衛のための最小限の装備で本郷の中央図書館前に座り込んだ僕たちが,長い角材を持って突入してきた全共闘をはね返し,図書館封鎖を阻止することができた。14日には,僕たちと圧倒的な数の一般学生や教官たちが,非武装・ハチマキ姿で,駒場のバリケード封鎖に反対して座り込んだ。全学バリケード封鎖は,学生たちに支持されず,どこの学生大会でも決定されていない。封鎖に反対し,阻止する闘いには大義名分があった。全共闘は,長い角材を林立させて襲撃して来たが,まわりで見ていた学生たちも怒って一斉に取り囲んだ。

お互いの身体が密着すると,角材は役に立たないんだ。「多勢に無勢」の全共闘は,ボコボコにされ,角材もヘルメットも取り上げられ,武装解除されて退散した。それから後は,この民青・ノンセクト連合が東大闘争の主導権を握り,各学部で学生大会を成功させ,七学部代表団(+医学部代表はオブザーバー)をつくって東大当局と1月10日,秩父宮ラグビー場で全学集会(大衆団交)を行い,学生参加・大学民主化を認める歴史的な「十項目確認書」締結へと進んでいく。全共闘は,学生大会粉砕,大衆団交粉砕,「確認書」粉砕といって押しかけてくるが,相対的に少数なのでことごとくはね返されたというのが真実だ。

1月9日には,翌日の全学集会を妨害しようと,僕たちが本拠にしていた教育学部の建物に,全共闘の,それも日大全共闘などが中心で武器をエスカレートした激しい襲撃があり,第二次の機動隊導入があった。

1月18日・19日の安田講堂(時計台)攻防戦は,ほとんどが他大学の過激派によるもので,孤立した一部の東大生と共に,暴力革命の実験・演習を行い,最期の散り花を咲かせようとしたものだ。テレビ映像では安田講堂の正面中心に中核派の旗が目立つが,当時,東大内の過激派は,社学同,革マル,社青同が中心で,中核派はほとんどいなかった。

彼らの派手な暴力,耳目衝動戦術にマスコミが乗り,政府権力・機動隊の大学自治へのさらなる介入,入試中止を呼んだ挑発行為で,全東大生の意志とは全く反するものだった。絵になるビデオが何度も報道され,多くの国民が,時計台攻防戦が東大闘争の頂点だと勘違いさせられてしまった。

あの頃,全共闘が派手に暴力的に騒ぐと,マスコミが大々的に取り上げ,政府自民党は「大学は自治能力が無いではないか」といって「大学法」など介入・管理を強めようとするという状況があった。実際,中曽根氏は,「暴力学生があばれると,反射的に,国民の支持が自民党にまわる」と言い,保利茂などの自民党幹部も,日本共産党への対策上,「三派系(過激派)は泳がせておいたほうがいい」などと本音を語っていた。

全共闘諸派は,孤立しても暴力で自分たちの方針を押し通す,運動内部でも,学生相手でも暴力を行使する,そして,やられればやりかえす。そうした考えでゲバルトをやるから,東大闘争の終盤では,武器がエスカレートし始めた。彼らが1月9日教育学部の建物を襲ってきたときには,鉄パイプだとか,建築現場の工具などいろんな危険な物を持ってくるようになった。そんなことをだんだんと進めてやっていくと,東大闘争では鉄砲や殺人まではいかなかったけど,そこまで行き着くこともあり得る。お互いにやりあっていれば,軍拡競争と同じで,武器も戦術もいつの間にかエスカレートしちゃう。

だから,そんな土俵に乗るとまずい…と考えて,僕たちの側は,戦略的な転換をした。そういう局面では武力で対峙するようなことはやらないと。その場は逃げてもかまわないから,時間をかけて,とにかく圧倒的な多数の学生で包囲してやっつける。武器や暴力の先鋭度で戦うんじゃなくて,大衆の支持で,政治的に封じ込める。そうなると,完全に孤立した方は,実際にはなかなか暴力を振るうことができなくなるから。だから,11月14日の駒場での戦い方がそういう方法論だったわけだ。その場でこちら側の頭数が多くても,やばい状態で来たときにはいったん逃げてもかまわないから…と。激しい,エスカレートした武器を持って来られたらやられちゃうっていうような,そういう喧嘩はしない方針に変えたんだ。そしてそれは正しかったと思う。事実,東大闘争以後のいわゆる内ゲバの拡大は,全共闘諸派の内部で行われ,われわれ共産党・民青系は巻き込まれることが無かった。

──その転換は民青側の学生たちが話し合う中で,ということでしょうか?

共産党や先輩活動家の助言も含めて,僕ら民青・ノンセクト連合の学生自身が話し合い,その方がいいっていう判断をしたんだね。暴力を先鋭化して行く路線に巻き込まれれば,そのうち際限のない内ゲバになっていくわけだよ。そんな闘い方だったら,別に人数が少なくても,より強力な武器を持っているほうが勝ってしまうからね。鉄パイプを持っている方がね。

事実,東大闘争の後では,彼ら全共闘系過激派の内部で,各セクト対セクト,また四分五裂するそれぞれのセクトの内部で,ひどい内ゲバが日常化し拡大していった。ヤクザの暴力よりひどい陰惨な殺し合いでたくさんの人が死んだ。ついには,1972年の連合赤軍事件のような凄惨なリンチ殺人・浅間山荘の銃撃戦に至ってしまったのは,周知の事実だ。その後の学生運動が沈滞することにもつながってしまった。全共闘や過激派の幹部,リーダーだった者たちには,重い責任がある。自分たちの運動が内包していた何がこうした事態を招いたのか,自分はその過程にどうかかわり,どう自己批判するのか,一人一人明確にしなければならない。実際は,ほとんどの人が無責任にほおかぶりして,自分に都合のいいことだけを語っている…許されないことだ。

ただ,東大闘争で過激派,全共闘とけんかしていろいろやったけれど,一面,彼らも,今井澄,鎌田実両氏がリーダーになった「諏訪中央病院」や「ゆきぐに大和総合病院」などの地域病院では,私たちと似たようなことをしている。また,かつての全共闘や全共闘シンパで,まじめな問題意識を持っていた人たちのなかには,南北問題のボランティアや格差社会を変えるNGO活動など,面白い生き方をしている人もいる。「諏訪中央病院」の「日本チェルノブイリ連帯基金」の活動なども優れた先進的な取り組みだ。

あの時代の空気と大衆的な高揚の中で,多くの学生が,当面の要求実現だけでなく,個々人の生き方,社会変革の理念や自分のかかわりといったことを,セクトの思惑をこえて,真剣に考えたことは間違いない。これは,民青系の運動でも,全共闘や小田実の「ベ平連」系の運動でも同じだ。全共闘運動は,武装・軍事行動のエスカレート,人間的退廃へとつながる危険な本質を内包していた。それでも,多くのノンセクトラジカルたちが,全共闘の呼びかけに触発され,その流れに加わりながら,視野を広げ誠実に自分の生き方を変えていったことも事実だ。<かつての敵>とも,志を持ってまじめに生きている者どうしなら連携協力していけるのではないかと思っている。かつての<暴力>についての誠実な総括の要求を譲る気はないけれどね。

──民青の中で,「ある程度は武器を持っても戦うべきだ」といったようなことを主張する人もいたのではないですか?

「武器をもって戦うべきだ」というと,ちょっとニュアンスがちがう。11月12日の図書館封鎖を阻止した時が典型的だ。こちらから先に武装や暴力は行使しない。しかし,相手が武器を持って襲撃して来るのが明らかなとき,最小限の正当防衛は許されると考えた。ゲバ棒が登場した初めの頃は,こちらは素手の無抵抗で,彼らのゲバ棒でおどされ蹴散らされることが多かったのでね。暴力に屈してはならないと考えたんだ。とにかく,こちら側からは手を出さなくても,むこう側からゲバ棒で突っ込んでくるんだから…ヘルメットをかぶり,一番初めは1メーターくらいの竹の棒だったけれど,身につけた。それから木の棒,鍬の柄みたいなやつね。大体それくらいが僕たちの限度だったけど。後では,そんな物も使わない方針に転換した。

民青の一部やノンセクト一般学生たちの有志連合には,どんなときでも暴力は一切使っちゃいけないっていう,ガンジー主義者のような人,クリスチャンだとか,非暴力・不服従主義者もいて議論した。今から考えると,ガンジー主義などは,運動の人間的な堕落を防ぎ,道徳的な輝きで人々を結集するので,そういう思想はなかなか正しいと思うのだけど。その頃の僕は正当防衛論者だった。とにかく,あの11・14駒場封鎖阻止・全共闘の武装解除の闘いや,1月9日教育学部周辺での激しい闘いを総括し教訓にして,エスカレートする暴力の土俵に乗らないという正しい決断をした。本当に良かったと思っている。軍拡競争と一緒で,相互の恐怖と怨念をバネにした暴力は際限なくどんどん行ってしまうものだからね。

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共産党について
──三浦さんは学生時代,20歳前後に共産党に入党されて,1967年春の「61日間スト」の頃に一度離党されている。それからまた復党され,かなり経ってから離党されている。その心理というか,やはり運動の中で共産党に対して違和感を覚えたのでしょうか? また,今の世の中における共産党の存在意義についてもお聞かせいただきたいのですが。

当時の社学同や新左翼というのが,民青とは相容れない立場で,駒場では生協の牛乳を盗んで「革命のためには許される」と開き直ったりしていた。信用できないおかしな連中だと思った。しかし,本郷に来てみると,東大医学部の社学同なんかは,広汎な学生・研修医を結集して大衆的な,立派な運動を進めていた。人間的にも結構まともなんじゃないかと感じて,彼らのどこが本当に悪いのかよくわからなくなってきた。それで,1967年,「61日間スト」の頃に離党届けを出した。医学連や青医連の運動,「インターン制度廃止,卒後研修改革要求」のストライキなどを,彼らと一緒に,先頭に立って思い切りやるために共産党から離れたわけ。ただ,このときには,先輩党員が僕の届けを預かったままで待っていてくれたので,正式の離党にはなっていない。

「春の医学部61日間スト」が終わって,鹿児島県人寮の同学舎に引っ込み,寮委員長をやりながら冷静になってよくよく考えたら,やっぱり共産党は大切だと思い直した。しかも,1968年1~3月頃,東大闘争序章の医学部ストで過激派の本質が見えてきた。彼らの落とした内部文書に「非和解的実力闘争」,「70年安保決戦」(後には「武装行動隊の創出」)などといった言葉があってね。彼らの隠してきた本音が表れてきたわけだ。それまで迷い考え抜いてきたからピーンときた。やっぱり誤った,観念的な革命理論による挑発者集団であると確信した時点で,彼らと闘う決意をして共産党と民青に復帰したわけだ。

こうして僕も医学部の民青も,理論的政治的にしっかり団結して東大闘争を戦い勝ち抜くことができた。東大闘争後の医学部自治会の活動は活発で,文字通り広汎な学生が参加し,医学部の根本的改革や反戦・平和・民主主義の課題にも取り組む素晴らしいものだった。全学連の中の拠点校として,大学法の問題などでストライキをやろうというと,中心になってストライキを打つような強力な自治会になった。僕は,卒業前には,崩壊した医学連の再建に取り組み,一年間全学連の中央執行委員もやった。

卒業後は,相棒の同級生医師増子忠道君と一緒に足立区北千住の民医連の小さな柳原病院に就職して,住民と共に民主的な地域医療づくりを進めてきた。東大闘争でかかげた理想を実現しようと,共に闘った後輩の青年医師たちが次々と合流して,病院は拡大発展していった。そして,1983年に開院するみさと健和病院の建設を医療過疎地域の住民運動として進めた。三郷市80町会の過半数の町会長を含む,保守革新の広汎な層の人々が参加し,住民が多額の出資をする大きな運動になった。こうして「みんなでつくるみんなの病院」が誕生し,発展した。

ここで協力関係のできた自民党反主流派の幹部を市長選の統一候補としてかついだが惜敗した。その次の選挙で,この統一協定がうまくいかず分裂した。その混乱をひきずる中で,1994年7月,最終的に,私も共産党を離党したという経過だ。幕末,薩長連合をつくった坂本龍馬は,脱藩していたから,自由にあんな統一戦線工作ができた。自分も,そんな立場に身を置きたいという感じだったね。いつまでも国際共産主義運動の負の遺産を背負っていきたくはないという考えもあった…南方系の開放的な自由人だから,体質的にも,窮屈な組織は肌に合わないところもあったのに,よく30年も続いたものだ。それだけ,より良い世の中をつくりたい,困った人を助ける,人々の役に立つ人間になりたいという情熱はあったと思う。その後,僕自身が,保革の広汎な市民と共産党の推薦を受けて1998年10月の三郷市長選挙の候補になり,現職市長にわずかの差で敗れた。住民参加の市政・町づくりの市民運動を前進させるのに,一定の貢献はできたと思っている。

共産党については,今でも大事で,存在理由はあると思っている。自分の勤務する組織をほめるのはおこがましいが,民医連(全日本民主医療機関連合会)の医療・福祉活動も良くやっている。今の格差社会で,困窮してどこにも救いが無い人たち,健康保険も無い外国人労働者,公害や労災・職業病の患者,そんな患者さんたちに寄り添い,支援する運動を続けてきた。自殺や孤独死の危険から救えたと思う人が,僕がかかわっただけでも何人かいる。民医連という組織が,議員や弁護士,行政などと協力し,全国規模でどれだけのことをしているかということを見れば,その実績は大きいと思うよ。共産党や支持者の人たちはその中心になって献身的にがんばっている。

昔の共産党は,分裂した一方が犯した1950年代の極左冒険主義の誤りもあって,狭く暗いイメージがあった。その後,宮本顕治や上田耕一郎,不破哲三兄弟らがソ連や中国の干渉と闘って,自主独立路線を確立して上げ潮に向かった。それでも,まだまだ,身内だけが納得するような議論をしてね…私たちは正しいと言ってるだけで,世間の人があんまり信頼して相手にしてくれずに孤立している面もあった。今も,壁にぶつかって一進一退しているね。ただ,今,活動の中心になっているのが,僕らのような東大闘争,医学部闘争以後の世代の人間だから。あの時代の,学生運動で磨いたセンス,思想信条の異なる幅広い層の人々と連帯協力して多数派を形成していく柔軟なやり方を身につけた人も少なくないからね。

──共産党自体も変わってきているということでしょうか。

変わってきている。最近もテレビなんかでよく見る,僕らの十年くらい後輩の小池晃共産党議員なども,よく聞いていれば,結構説得力あることを言っているよ。共産党は,僕が見る分には結構変わってきていて,民主的な開かれた政党になって,幅広い人々と協力してやりましょうという方向に動いている気がする。実際に,自公が少数派になったときに,民主党や社民党などと手を組んで政権をとるのか,そこには入らないで外から協力するのか,共産党としても微妙だとは思うけど,結果的に日本の政治が一歩前に進むようなことをしたほうがいいと思うけれどね。その辺が共産党の正念場だろうとは思う。

報道の分野でも,値打ちのあることをしていると思うよ。最近はNHKが批判されて少しは良い方向へ変わってきたようだけどね。日本のマスコミっていうのは,程度の差はあっても,みんな権力にぶらさがり,そこから情報をもらって伝えているという側面が強い。自立した立場で,独自に調査して報道するっていうのが弱いように思う。本当の自立は,ミニコミやブログのレベルでしか存在しないんで,主要なマスコミはある意味みんな体制側に飼われているような感じだ。それからすると,やっぱり共産党の機関誌「赤旗」の存在は大きいからね。そういう権力から独立した貴重なメデアだから。世界を見渡せば,最近でこそアルジャジーラのような一方通行的でないメディアが出てきたけど,アメリカがアラブを攻撃しても,アラブの立場からの情報なんていうものは,本当にごく限られたものでしかないわけだ。マスコミが「国際社会は」と言うときは,実は「アメリカと一部の同盟国は」という中身にすぎないことも多い。そういう,内外の強い権力の側から操作されない報道をやっているということは,やっぱり大きい。

ただし,うんと変わってきたけれども,日本共産党も,そもそもの出発点はスターリンたちが作った国際的な組織の一部であった。そういう体質が,どうしても少し残っている。少数意見や異端の人が言うことを大事にしようというのが,足りないわけだよね。懐(ふところ)の深さが足りない。なにかのことで意見が分かれて共産党から出ちゃった場合が問題だ。傷が浅く,それまで勤務した組織に残り,是々非々の協力関係も続けば幸いだ。ところが,党関係やそれに近い企業の勤務員だとか,議員とかが党の決定に刃向かったということになれば,党からも仕事からも外されて生活にも困ってしまうことがあった。今まで仲良くしていた人たちも付き合わなくなってしまったりね。

1972年の「新日和見主義事件」というのがあって,分派事件として大量の民青や全学連関係の共産党員が処分追放された。僕は関係しなかったが,何人かの友人が処分を受けた。その取り調べのやり方(いわゆる査問)が,古い共産党の体質を感じさせるものだった。また,民青や共産党の専従といった経歴の友人たちは,一般企業への再就職も難しくて,生活していくのに大変な苦労をした。スターリン時代とはちがうけど,そういうゆがんだ形の部分が,体質的にちょっとは残っているんだよね。そういった点が,一般の人が共産党と付き合っていてどうも違和感を覚える部分,何か匂いを感じる部分があるのだろうし,そのために共産党が大きく広がらないのかもしれない。まあだんだんと良い方向に行っているとは思うけれどね。

僕は,今後の共産党は,過去にあった共産党というものについてもっとキチンと総括したほうがいいと思うのだけどね。日本で唯一,侵略戦争に反対して,弾圧された政党。「蟹工船」を書いて虐殺された小林多喜二も共産党員だ。天皇制軍国主義の時代に敢然と戦争に反対した政党なんて他にはないわけだから,それは確かに立派で貴重なことだと思う。

しかし,逆に言えば,そのときスターリンが命令すればその命令どおりに,日本を引っ掻き回したかもしれないという限界をもった未熟な政党だった。終戦の時,仮に共産党が政権を取っていたら,宮本顕治は消されて,かつての東欧社会主義国のような悲惨なことになっていた可能性が強いと思う。だから,そこのところを,いっぺんもっと徹底して総括しないといけないと思う。もちろん今までにも総括しているんだけど,僕は不十分だと思う。徹底してやってしまうと,今までの蓄積を維持しにくいから,なかなか難しいのだろうけれど。イタリアなんかは左翼民主党といってそういう風に別れちゃった政党と,昔ながらの共産党とがあるけれどね。

僕らの場合,昔の学生運動やっていたころの共産党員の仲間では,三分の一以上はまだ共産党に属してがんばっている。三分の一近くは対立,三分の一は離れて協力している。大雑把に言えば,そんな感じだね。だけど,僕らの世代は,誰か昔の仲間が死んだとか言うと,今共産党とケンカしている人も,僕みたいに離れて協力している人も,今も共産党の中でやっている人も,みんな集まって来る。一致点での運動にも協力する。まっとうな人間らしい関係ができていて,それはいいことだよ。少なくとも,そういう時代にはなった。

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医学部というコミュニティー
──東大で学生たちが最初に声をあげたのも,医学部からでした。東大医学部は100人弱程度の定員で他学部に比べると小規模であり,組織内の関係も密であるように思います。また,インターン制度への反対など,教育制度や社会制度のゆがみがまずはっきりと現れたのも医学部であったように思われるのですが,医学部というコミュニティーについてお話しいただけますか。

家族主義的な部分は大きかったんじゃないかな。そういう点で言えば,東大闘争でも,医学部の中でやっている最初の段階では,社学同が主導権握っていて,僕ら民青は医学部の中では少数派だったから,「民青の裏切り者,腕の一本もへし折ってやるぞ」なんて野次られたり脅されたりしたことがあったけど,実際にそんなことされるのは医学部生の中ではなかったね。そこにはやっぱりある程度,お互いによく知り合っていて一緒に運動もしてきた家族意識みたいなものがあるんだよね。とくに,東大闘争の前半,東大医学部の中では,最低限の良識・遠慮はあったのだと思う。秋頃から,過激な暴力的衝突が日常化する中で,一部の学生たちの心にも,すさんだやくざのような気分が生まれていったと思う。

闘争も最終盤になると,暴力がだんだんとおさまり,ぼくら民青・ノンセクト連合が学校側と交渉をまとめ,ストライキも終わって授業再開となった。それまでゲバ棒振り回して襲ってきた医学部の全共闘の連中も,あきらめて授業に出て来るでしょ。すると,それまでの衝突のなかでその全共闘メンバーに殴られた人間がいて,結局民青なんかよりもむしろノンセクトの殴られた人たちの方が怒っているから,出て来た全共闘を素手でポカポカ殴るということはあったけれど,手加減はしていたと思うよ。まあそれも一度殴れば気持ちがすんで,それでおしまいという形で収拾だよ。その程度のことだね。

僕も,紛争の最後あたりでも大学構内を平気で一人で歩いていたけど,東大の法学部のM君なんてリンチされた人もいたし,安田講堂で,中に他大学の学生がいっぱいいるところでつかまってやられた人もいたよ。逆にこっちも,同じ東大の中で顔を知っている相手どおしだったらやらないけども,全学連の支援部隊,他大学の外人部隊のような連中は,全共闘の迷い込んだのを捕まえて,殴ってほっぽり出したとか,そういう話はあるよね。

──医学部というコミュニティーのある種の特殊さというか,東大の中でも際立っているような気がします。学生たちの間の関係は今仰ったようなものだとして,教授たちとの関係はどのようなものだったのでしょうか。やはり家族主義的な面があったのでしょうか。

そりゃあやっぱり,あったね。同じ医学部同窓会,鉄門の先輩・後輩という感じ。一学年100人足らずの小さな所帯で,ほとんどの卒業生が東大病院と系列病院という共通の職場に就職して長期間仲間として暮らす。他の学部とちがうところだね。戦前戦後,学生運動・政治活動で逮捕され処分された者も,後でみんな許されて復学している。教授たちが,いろいろと不肖の弟子たちの面倒をみているんだ。

先生たちとの関係でいうと,東大闘争の経過の中で,切羽詰まった状況に置かれて,その人間がどういう人間なのかがわかってくる。要するに,信頼できる人間と,そうでない人間がいる。人間的に信頼できるかどうか,これが一番であって,今に至るまで,僕はこれがすごく大事なことだと思う。

思想や考え方が違うということは,自分がその人と付き合うかどうかの基準にはならない。思想は違ってもいい。ずいぶん違ってもいい。ただ,信用できるまっとうな人間と付き合う。だから教授とか助教授なんかでもね,学生なんかがワアッと押し寄せて来ると,多少へつらうようなタイプの人間っているわけだよ。そして,なにかあるたびにくるくる意見が変わるような人間。それに比べると,簡単には妥協しないで,自分の考えを頑固に主張するけれど,しかし学生のことは一生懸命に思っている,そういう先生がいるでしょう。まあ要するに古い侍みたいな,直球一本でくるような人。結局,そんな人が学生に一番信頼されるし,愛される。

──たとえば文学部の林健太郎文学部長のような教授でしょうか。彼は173時間に渡り革マル派によって軟禁されましたが,学生側も強情で一貫した態度に敬意を示したそうですが。

そう,僕は医学部で直接は彼を知らないし何とも言えないけれど,林健太郎もそうかもしれない。医学部の中では,中井準之助医学部長(解剖学教授)や学生委員長の津山直一整形外科教授がそうだった。本当に古い侍みたいな気骨のある人。結局,全共闘でも民青であっても,やっぱり認めるのはそういう人だよね。わかったようなことを口で言っていてもだめだ,本気で体張って,自分ひとりでも真剣勝負しに来るような,肚のすわった人間じゃないとね。何か,ものをまとめようとしたり解決したりというのは,そういう人じゃなきゃできないからね。

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ノンセクトとの共闘
──ノンセクトと民青との連合によって7学部,及び医学部代表による大学との交渉が行われ,1969年1月10日には秩父宮ラグビー場での10項目確認書が取り交わされることになりますね。

自分なりの信念と考え方を持ち,肚を据えて真剣勝負するやつが物事をまとめられるという点では民青・ノンセクト連合というのもそうだった。医学部の中のノンセクト有志連合は,富坂のセミナーハウスを拠点にしていたので僕らは「富坂派」と呼んでいた。何人か主要なリーダーがいたけど,頭が切れて,情熱とエネルギーのある素晴らしい人たちだった。

柴田洋一君という中心人物がいた。彼は,2・26事件の将校の所にお墓参りに行くような男。別に頑なな右翼っていうのじゃ無いけれど,変わっていてね。全共闘に言わせれば右翼なんだけれど,それがノンセクト側のリーダーで,僕は民青のリーダーで,お互いに3人くらいの代表で会って,統一戦線結成の話をしたわけ。骨のある男なんだ,これが。

ついこの数年間もね,文部省を相手に裁判をして,ついに勝った。彼の名前でインターネット検索すれば出てくるけど。これは今の官僚政治っていわれるものの実態だけど,文部省っていうのはとんでもないことをしているわけ。全国医学部長病院長会議を不当に牛耳ったり,国会で,その記録が無いと真っ赤な嘘の証言をしたり…世間の人は知らないだろうけど…ひどい話だ。文部省の一官僚が,大学の事務長とか東大病院の事務長とか,そういうポジションに出向してきて就いている。東大病院長といえば偉くて事務長はその配下なのかと思うと,事務長は自分の出世を左右する文部省上役の方を伺っているわけ。しかも,文部省の課長というのは,大学病院でえらいはずの東大教授に対しても,どういう研究にどんな予算をつけるかという主導権をみんな持っている。だから教授たちはこれが怖いんだよ。文部省がなにか変なことしたときに,正面切ってこれはおかしいと言える教授は少ない。東大教授といえども,「これはちょっとなんとかした方が…」というくらいしか言えない。よっぽどの人間でもそのくらいで,後の仕返しを恐れて何もいえない人も多い。そんな中で,文部省と正面切って喧嘩したのが,学生時代に「富坂派」の幹部で,東大輸血部の教授だった柴田君。僕の政治思想とはちがうところにいる人間だけど,不屈に闘う民主主義者でありたいという点では一致している。まっとうな人間,もっとも信頼している友人だ。

若井晋君は熱心なクリスチャンだ。優秀な脳外科の教授で台湾に2年間移住して指導にもあたった。JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の中心になって活躍し,東大の国際保健学の教授になった。加我君孝君は耳鼻科の教授になったが,一貫して医学教育の改革に取り組んだ。廣川信隆君は,解剖学の教授で,世界のトップレベルの業績を上げ,アジア各国のリーダーになる若手研究者を育てている。素晴らしい人物が一杯いて一々あげきれない。

東大闘争の時期,彼ら「富坂派」が,「フェニックス通信」という小さな機関誌を出していた。レーニンの「社会民主党の二つの戦術」とか,デイミトロフの「反ファシズム統一戦線」などを研究して,過激派の「エセ革命論」は,社会変革の理論としてもおかしい,レーニンの理論に照らしてもおかしいと,反論していたんだ。僕らも協力したんだけど…本当に,面白い時代だったし,今日まで続く多くの貴重な友人を得た。

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体感した貧しさ
──続いて今の学生についてお伺いしたいと思います。私のような今の学生からみると,今の世界情勢が学生運動の興隆期に似ていると思うようなところもあって,たとえばベトナム戦争によってアメリカによるアジアへの侵略戦争が始まったという40年前の状況と,イラクなど中東の国々に,様々な理由でアメリカが進駐していくという状況が,ある種パラレルで,すごく似ているという気がします。同時に日本国内でもアメリカナイズされた資本主義やネオリベラリズムが広まり,格差が広がっているという実感があります。

それにもかかわらず,学生が主体となって政治的に声を上げるような動きというのはあまり無いように思います。そしてシラけていること自体に,あまり違和感もない。そのことについて三浦さんはどのようにお考えになるでしょうか。それはやはり40年前の全共闘運動が,運動として総括をなされないまま終結し,さらに一部の過激な組織の登場によって悪印象を残してしまったことが原因なのでしょうか。

直接的にはそれもあると思うよ。連合赤軍のような過激化した組織の中で内ゲバだとかリンチがあって,学生運動というのは怖いものだと,それが非常に印象づけられたというのはあると思う。もうひとつは,やっぱり,いろんな格差の問題はあるにしても,時代として豊かになってしまって,若者が子供の頃にひもじい,とかそういう思いをあまりしていないんじゃないかと思う。テレビやゲームなんかの,画面を通した感覚で,自分の実感としてではなくてアフリカの人たちはかわいそう,イラクの人はかわいそう,とは思うかもしれないけれど,自分の共感する原体験というのがちょっと少ないのかなあ,というのがありますね。

──実感としての貧しさがないと。

そうそう。いくら理屈だとか,テレビとかゲームとかで知識として知っていても,体の感覚としてそういうものを共感しないとなかなか動きにくいのかなと思う。そういう意味では,自己責任とかで不当な責任追及をされたけど,イラクで捕まった高遠さんや郡山君,ああいう青年たちのような存在が貴重なのだと思うけれどね。インドやアジア,アフリカでもイラクでもいいけど,若者が実際に行って体験するっていうことは非常に大事なんじゃない。

──現場を見るということですね。

そう。例えば,テレビでバングラデシュを見て,ああ貧しい国だなってただ見ているのと,実際に行って何人かの人たちとしゃべったり,子供としゃべったり,その中に自分の友人もいて,中のことをいろいろ知っていて,それで,何かが起きたときに,「あ,あの子がこういう目にあっている」と思うのとは,全然違うんだよね。

たとえば誰かが線路に飛び込んでね,「人身事故がありまして電車が何分遅れます」というアナウンスがある。みんな「あ,会社に遅れる」とか,「困ったやつだ」とか,そんなに気の毒な人がいるのに,人間が一人死んだっていう重みなんて伝わってこないでしょ。

それが,もし,自分の家族・親戚とか友人とかだと,すごい重みを感じて心が動くよね。そういうところが,みんな表面的な受け取りかたをして流している場合が多いんじゃないかと思う。

僕らの世代の場合はどうだったかというと,1950年代,小学校のときに,弁当を持ってこれないとか,持ってきてもサツマイモだけとか,そういう友だちがいたわけ。頭にはシラミが沸いていて,目はトラホームというやつもいる。とにかく,みんなが裸足で,いつも腹が減っているわけ。そんな体験があるから,貧しいということが,今の世代の若者がテレビでみて,気の毒だね,というのとは違いがあるのだと思うよ。自分の中に,相手の苦しみに共振・共感する弦の響きが聞こえてくる。

イラクとベトナムが違ったのは,まあベトナムが地理的に身近だということもあるけど,ほら,中国や韓国,ベトナムなんていうのは,みんな黄色人種で顔かたちも自分とそっくりなやつがいるってこともあると思う。そういうところに,爆弾がボカボカ落ちる。そして,それがアメリカによってやられている,ということに反発する意識ね。

僕は,今の若い人たちは,外国や国内の今まで知らないいろんな所に行って友達をつくったほうがいいって思う。自分の足で歩いたという感覚以上のものを人間は考えられない,勉強をいくらしてもね。その感覚の上で,自分の知識もより深いものになるだろうけど,とにかく,体で動いて見て感じるってことが大事だと思う。

あとは,日本は今のままの状況であれば,間違いなく将来大変な落ち込みがあるんじゃないかと思う。どうせ来るなら早く来たほうがいいと思うけどね。そうするときっとみんなが必死に動き出す。日本人はなんか,明治維新も黒船だけど,目の前に大きな危機が迫らない限り,このままではいけないとは思っていても,なかなか自分から根本的・本質的な改革をやろう,というふうになれないところがある。まして,今,一部では格差が広がって,ホームレスになったり困ったりしているとは思うけれど,なんとか食べられないことはない。一応,大多数は,食うのには困っていない状況だろうから。

最近すこし反省期に入ってきたけれども,アメリカ型の勝ち組負け組のような枠組みで,セレブがいいとか,社会がホリエモンみたいなのをもてはやした時期もあったわけでしょう。これは僕らの責任でもあるけれど,思想や哲学なんかの文化的なリーダーが力を発揮していないからだよね。そういうものも,世の中が本当に困って,みんなが求め始めれば出てくるのかもしれないけれど,みんなを気づかせ動かすようなものが足りない。

それで,若い学生のあなたはどうなんですか? この時代をどうしようとしているんですか?

──私にも漠然とした違和感みたいなのがあって,日本が末期ヴェネチアみたいに没落していくのじゃないか,みたいな漠とした危機感はあるのですが。東大に入って思ったことは,今の世の中で40年前と同様に学生運動するべきであるとか,そういう風には思わないのですが,それにしても今やっている以上にやるべきことはあるのではないかとは思います。サークル活動のようにそれぞれの組織がやりたいことに特化して,分派して集まることは多いのですけれど,異分野の人間どおしが関わることも少ないし,やっていることも多くの場合,自分の好きなスポーツをやるというレベルに留まっている。もちろん,その中でいろいろな葛藤や思想のぶつかり合いはあるのですが。

 取材の中で,全共闘運動に関わった人たちの話を聞いていると,学生時代に本気で色々なことを考えて,友人や敵から色々な話を聞いていく中で自分を醸造した人というのは,40年経って大人になってからも立派だな,と思うことが多いんです。私自身はジャーナリストとして,将来何かを伝える人間になりたいと思っていますが,そういう点から「異邦人」の話を聞くことはまず大切なのだと思います。全共闘運動に,様々な立場から関わった人達にどうしてあの時あのように振舞ったのか,そして今あの頃をどのように振り返るか,そして次世代に何を残そうとお考えなのかというお話を伺うのも,そういった意識から,という部分が大きいです。

東大闘争に関心をもってくれたってだけでもうれしいけれどね。そういう人はなかなか少数だから。例えばジャーナリストっていうのも,ジャーナリストになって何をしたいのか。どういうことがしたいんですか?

──僕はやっぱり,人が言わないようなことでも言えるようなジャーナリストになりたいです。必ずしも反体制である必要はないと思うんですけれど。お話を伺った,ある警察官僚の方が「体制内改革主義」ということを言っていらして,それが今の心情として自分のなかではしっくりくるように感じました。日本の社会政策にしろ,経済政策にしろ,相当ガタは来ているけれども一応は回っているわけじゃないですか。「東大解体」,「日本解体」といったように全てぶち壊して作り直すのは,まだ早いのだと思います。その中で,周りがあまり言わないようなことを言えるジャーナリストになれればと思います。

NHKでも民放でも,国際社会はどうだこうだ,という。それはほとんど8割方はアメリカがこうだというのを,「国際社会はこうだ」と言っているんだよね。だから一方にはアルジャジーラがあるけれど,日本だったら,アジアの民衆の立場から,独自の視点で真実を報道するということもできる。中国なんかでも,権力に捕まって弾圧されても犠牲を払って自分の報道をする人がいるし,現場を調べて,中国共産党としては隠したいものを告発している人もいるじゃない。やるからには,アレくらいの根性をもってやって欲しいと思うね。本当に少ないと思うよ,それくらいの人は。

僕が非常に有利だと思うのは,今の時代にはインターネットがある。確か,韓国かどこかで,市民のための放送局を作りかけて潰れてしまったものがあった。そういうものを,頭がよくて,ネットワークを持っている人が工夫して作れば成立すると思うよね。インターネットで調べて色んなつながりをつけようと考えれば,韓国で同じことを考えている仲間だとか,中国,インド,タイ,インドネシア,フィリピンなどで,それぞれ同じ意識を持った人間と連絡を取って,アジアにおける放送局を作るとかね。

僕らのころは貧乏で,飛行機で外国に行くってことすら考えにくい時代だったからね。だから,僕も学生時代までずっと,飛行機に乗ったことがなかった。東大闘争が終わって,その報告をするように招待されて,四国にYS11で行った。そのとき初めて飛行機というものに乗った。外国に行くなんてとんでもない。カメラだって持ったことのない貧乏人だから。医学部の中でも,一部の医者の息子とかはカメラ持っていたけど,車に乗って学校に来るやつなんてほとんどいない。僕ら民青の活動家の仲間でもバイク乗りが少しとかね。あとはみんな,そういうものないわけで。今はやろうと思えば,手段はいっぱいあって恵まれている。特にインターネットというのはすごい。だから,「赤旗」に負けないようなものを作ってくださいよと,あなたや今の若者に言いたいですね。ジャーナリストになりたいと言うならそれくらいの志をもってほしい。

大体,年を取ってくると,みんな,世の中に妥協しなきゃいけないとか,女房子供を食わせなくちゃいけないとか,もうちょっと広い家がほしいとかさ,いろんなことも考えてしまう。僕自身,二十歳前後に,日本の世直し・民主的変革の運動に,自分の一生を捧げようと決意した頃から比べると,今は大分堕落して隔たってしまったと思う。だけど,若い頃,それだけ高い志を立て命を燃やした,その残り火で後の人生を生き,今もこうして生きている。僕の「東大闘争から地域医療へ」という本に,「志の持続を求めて」というサブタイトルをつけたのもそんな気持ちからだった。

だから,若いうちから,そこそこのジャーナリストになって売れたらいいとか,ほどほどに金ももうけたいとか,そのくらいの志だったら,起業しても,どっかのお偉いさんに「お前なかなか見所あるじゃないか,俺は口は出さない,金を出す」って言われたらね,ほいほいと金をもらって,行く先はホリエモンの二の舞と,見えているようなもんでね。だから,それはやっぱり,いろんな世の中の現実を見て,自分の志を相当高くもたないと。

その志は,年をとれば鈍り,すり減ってくるんだから。

今年亡くなった土本典昭っていう監督がいる。ずっと水俣現地に入って,記録映像を撮っていた。「医学としての水俣病」だとかいろんな素晴らしい作品があるけれど,是非,インターネットで調べて,DVDを見たほうがいい。彼は,それこそ自分自身で疑問を抱いたり,反対したりしながらも,武装闘争時代の共産党に入っていた。それで挫折して,迷い迷った上でこの映画の世界に入ったわけだけど。それで水俣にずっと入り込んで,水俣病を撮り続けた。彼が書いている文章に,「自分が多少のことをできたのだとすれば,若いときの高い志の余韻が残っているからだ」というくだりがある。だから,誰でも,いろいろと間違えたり,後から考えるとお粗末なこともしていたりするけど,しかし若いときの志の高さがね,残りの人生を導くんだ。だから若いときに高い志がなかったらもう次がないよ。

将来の日本が行き詰ったときに,それを切り開く情報を提供するのは私だ…くらいの気構えがほしい。でもそう思ったとしたら,結局それは後から考えるとうぬぼれだから,恥ずかしいこともお粗末なこともあるんだけど,それはしょうがないんだよ。

幕末・明治維新の時代には,西郷,勝海舟,高杉晋作も吉田松陰もいるけど,あの連中は文字通りいつでも自分の命をかけてやっている。すごいよね。これをやれば生きるか死ぬかっていう場面で決断するときも,「死んだら,それでよい。もし,時代の神様が俺を必要としているなら,俺を殺しはしないだろう」と言って飛び込んでいくわけだよね。そしてそんなのがいっぱいいたわけだよ。いっぱいいたから,明治維新ができた。逆に言うと,そういう連中は,俺がやらなくて誰がやる,俺は時代を切り開く男なんだっていう,うぬぼれがあるわけ。うぬぼれがないとそんなことできない。俺は平凡で,お粗末な人間で,別にたいした男じゃございませんと思っていたら,そこまでやれない。だからそのくらいのうぬぼれと,志の高さっていうものが若い人には必要だと思う。そしてそれを生むような,それを固めるような原体験が必要なんじゃないか。それは実感としての人間的感動だとか,そういったものに違いないだろうと思う。

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思想の血肉化
──三浦さんは『東大闘争から地域医療へ志の持続を求めて』の中で「思想の血肉化」ということを仰っていますね。頭で考えたことをしっかりと自分の中に取り込んで,体現するように行動する。今の若者に「足りない」かもしれないもの,そして「思想の血肉化」について,学生へのメッセージと共にお話しいただけますか。

自分が学生時代のときにも思ったけど,都会の人っていうのはしらけているのよ。田舎で育つと違うんだよね。「都会は人間がつくった。田舎は神様がつくった」という言葉がある。自分の子供の教育もそうだけど,人間は,山とか川とか田んぼとか,そういう豊かな自然があるところで育てた方がいいという気がする。やっぱりテレビゲームとか仮想体験の比重が大き過ぎるのはまずい。土に触れたり石に触ったり木や風のざわめきを聞いたり,いろんな生き物に触れたりっていう豊かな実体験,それが人間の根本的な情熱とか,エネルギーを生むんじゃないかって思っているよ。今日の時代によくあるような状況,塾とか受験とかに時間も遊びもすっかり奪われて自由に伸び伸びと生きられない…というのが,子供や若者の感性や心のエネルギーをすり減らしているんじゃないかっていう気がする。だから,自然に触れるキャンプや登山,スポーツ,アジア貧乏旅行とか国内の自転車旅行でもいい,あまり金を使わず,自分の身体を使って思い切って好きなことをやってみるのがいいんじゃないかと思う。多少のリスクや失敗を恐れずにやってみないと。いろんな人や物,国,環境にぶつかってみて,自分がどんな存在なのか,どう生きたらいいのかもわかってくるのだと思う。

イラクで捕まった高遠さんや郡山君,彼らのように,思い切って飛び回るとリスクもあるけど,リスクを恐れていたら何もできない。もちろん,無謀では困る,賢く頭を使わなければいけないが…とにかく,行動しなければ何も始まらない。いろんなところに行って飛び込んでみないと,本当のことはきっとわからないんじゃないかと思う。

学生時代に木元君という仲間の演説をきいて,気に入った文句がある。僕も「過激派の正体がわかった」という演説によく使った。リンカーンの言葉にこんなのがあるんだ。「一人の人を長い間だまし続けることはできる。大勢の人を短期間だますこともできる。しかし,大勢の人を長いあいだだまし続けることはけっしてできない」。

このリンカーンの言葉と同じようにね,僕らが学生時代にいろいろやっているときにしばしば考えたことは「思想の血肉化」ということなんだよね。口でぺらぺらといろんなことを言っても,ちょっとした態度でその人が本当にそうした人間であるか,それとも理屈を覚えてただ口先で喋っているだけか,本当に自分のものにしているかどうかはわかってしまう。日々の行動ににじみ出て現れるくらいやらないと,それは本当の思想じゃないということをよく話し合ったけれどね。茶店や食堂でなんか食べても,どっかの中華料理屋に入って店のおばちゃんから料理をもらっても,「俺は金払ってる客だ」という調子で店員を馬鹿にした尊大な態度をとるやつがいるよね。こういう人間は評価できない。民主主義を説いても,それはニセモノで,最低の人間。人の思想は,日常の行動や言葉にも表れるものだ。

僕は若い世代の動きで,ひとつ希望を持っているのは,参議院議員の川田龍平君。あれは市民運動家で国会議員にもなったけど,もともと自分も被害者である薬害エイズの運動が原点でしょう。エイズの運動で,ラップをやりながら若者がみんなでデモ行進してた。

非常に今らしいね。だからああいうセンスで,何らかの運動に参入していったらいいと僕は思う。

──今日は長い間,ありがとうございました。

2008-2009 東京大学 立花隆ゼミナール

  1. 2018/05/22(火) 05:49:14|
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資料・低脳新聞記者・望月衣塑子

古本屋通信   No 3336    2018年  05月21日


    資料・露出狂の低脳新聞記者・望月衣塑子

 人権岡山がロクに調べもせず望月衣塑子に飛びついたのは、以下のような望月の派手なパーフォーマンスに幻惑されたが為であろう。加えて、赤旗に望月の名前が肯定的な文脈で掲載される、そうするともうカルト党員はイチコロである。望月の新書本の一冊も読まないで 「民主的ジャーナリスト」 になってしまう。かりに読んだとしても、批判の眼が曇っているから、望月のペテンが見えない。あとは「岡山の歴史に残る」講演会となる。コレ岡山の共産党員の末代の恥である。嗚呼、恥かしい。

 下の藤原かずえさんの記事をご覧ください。政局の動きは、追い詰められた自公安倍政権に対して、まるでその延命を助けるかのような稚拙な野党の動きが圧倒的でした。モリカケの追及の不発に加え、伊藤詩織問題から、麻生財務大臣に対するピントはずれな攻撃まで、まるで政権の援護射撃の趣きでしたね。

 望月の菅義偉官房長官会見は、その文脈で捉えるべき典型だと思います。私は望月は単なるアホウだと思いますが、場合によっては権力のスパイである可能性も否定し切れないでしょう。まあ、さいごまで味読してください。藤原さんが紹介されている望月と森ゆう子の共著のレビューは最後に貼っておきます




東京新聞・望月衣塑子記者の追及パターンを追及する
2018年02月06日 06:00   藤原 かずえ
喫緊の課題が山積する中、今年も通常国会が開会し、野党による森友・加計問題を中心とする政権スキャンダルの追及が始まりました。この野党の主張をマスメディアが一方的に報道し、再び昨年と同じような非生産的な国会が再現されようとしています。国の政策を議論する国会の注目トピックがスキャンダルの追及であり、国会が野党とマスメディアのプレゼンスをアピールする舞台として利用されていることは、国民にとって極めて不幸なことと言えます。

そんな中、菅義偉官房長官会見における政権スキャンダルのヒステリックな追及で知られる東京新聞・望月衣塑子記者が自由党の森ゆうこ議員と共著で「追及力 権力の暴走を食い止める」という対談本を出版しました。本書の評価についてはあえて避けますが、上から目線で政府の倫理を批判するマスメディアの記者と野党議員のトホホな思考プロセスを把握する上では非常に興味深い書であると言えます(笑)。

官房長官会見で望月記者が行っていることは、一定の注目を集める政府とマスメディアの情報伝達の場を利用して、個人的な倫理観で政権を罵倒するものであり、ジャーナリズムをエクスキューズにして国民のための会見をジャックしています。ジャーナリズムが政権を論理的にチェックすることは、民主主義社会にとって不可欠な要求機能と言えますが、政権の追及自体を目的化する似非ジャーナリズムが政権を非論理的に悪魔化して信頼低下させることは、民主主義社会に不必要な政治の停滞をもたらすことに他なりません。この記事では、そんな望月記者の質問パターンに着目し、その不合理性を指摘したいと考えます。

過去における望月記者の質問を分析すると次の3つの類型に大別できます。

・不当な根拠に基づく質問
・不要な回答を求める質問
・政治的主張のための修辞的質問

以下、これらの基本パターンをそれぞれブレイクダウンして詳しく見ていきたいと思います。

1.不当な根拠に基づく質問

まず、東京新聞・望月衣塑子記者の質問に特徴的なこととして、政府を追及する論拠に客観性がほとんど保障されていないことを挙げることができます。事実であることが確かめられていない情報を官房長官に一方的に提示して、それに対する感想を強要するというダメモトの質問メソッドは、ジャーナリズムの公正性を逸脱したものであり、けっして「追及」には値しないものです。実際、誤謬という観点から見れば、彼女の論証方法は【個人的直感に訴える論証 appeal to intuition / truthiness】【個人的憶測に訴える論証 confident speculation】【個人的確信に訴える論証 personal assurance】【個人的先入観に訴える論証 apriority】【個人的懐疑に訴える論証 argument from personal incredulity】という個人の勝手な考えを根拠にするハチャメチャなものです。このパターンの質問は、主として(1)主観的憶測に基づく質問、(2)真偽不明情報に基づく質問、(3) 虚偽情報に基づく質問の3つに細分類することができます。

(1) 主観的憶測に基づく質問

望月記者は、しばしば客観性を伴わない個人的主観に基づき事態を勝手に憶測し、その憶測に対する菅官房長官の考えを聞く質問を行います。以下にいくつかの例を挙げます(Qは望月記者の質問、Aは菅官房長官の回答とします)。


Q:共有ホルダーの調査を行う必要がないことを文科省が判断したというよりも安倍総理・菅さん達が判断したと思うが、どうなのか。
A:ありえない。



Q:和泉補佐官が色々な形で動き回るのは、独自の判断というよりは菅氏や総理の意向を受けていると推察するが、どうなのか。
A:まったくない。



Q:報道では杉田副長官の留任という話が出ている。内閣の改造とともに杉田氏の留任と併せて和泉補佐官の留任、及びあれだけ叩かれた甘利氏の大臣就任という話も出ている。こういう骨格とする人々が代わらないということであれば大臣をいくら刷新しても何一つ安倍政権の体制を変えようという気はないのではないかという批判も出かねないと思うが、その点に関してどうか。
A:憶測による質問には答えない。



Q:概算要求で攻撃型ミサイルの研究開発費が計上されていることは、政府としてより攻撃型の装備を積極的に進めていく必要があると認識をしているのか。
A:そうした主観の下の質問に答えることは控える。

「~と思うが、どう思うか」という型式をとるこの質問パターンは、回答者が認めていない主張を前提に含めた曖昧な質問に回答させることによってその主張を回答者に自動的に肯定させるものであり、【多重質問/複合質問 complex question / loaded question / double-barreled question】と呼ばれます。すなわち、望月記者の「~と思うが」に対して、「どう思うか」を菅官房長官が回答した場合、菅官房長官は望月記者の「~と思うが」を自動的に認めることになります。

そんな中で、菅官房長官は、見事なまでに「~と思うが」の部分を否定し、絶対に「どう思うか」を言及しません。【多重質問】を寄せ付けない極めて論理的な対応であると言えます。

(2) 真偽不明情報に基づく質問

望月記者は、しばしば政府が悪徳な意図をもっていることを示唆する真偽不明の情報をまことしやかに述べて、その真偽を問います。


Q:前川氏によれば、審議会の人事に関して、官房長官が、政権批判する者については、人事を差し替えるように要望することがあると聞いている。
A:100%ない。そんな簡単なものではない。
Q:新国立競技場の建設にあたって和泉氏が現場を仕切っていた。和泉氏から隈氏を検証委員会の委員から外してくれと前川氏に要請が来た。前川氏は、最初から大成建設が選ばれ、隈研吾氏が指名されるということがあったから、和泉氏が隈氏を検証委員会の委員から外してほしいと言ってきたのではないかという話だった。いろんな場所に和泉氏の名前が文科省に限らずたくさん聞こえてくる。官僚の間では影の総理という噂を聞いている。想定していたからこういう発言が出たのかと思われるが、どうなのか。
A:事実関係が明らかでないことを憶測だとか、誰から聞いたとかで、この記者会見の場で質問するのには疑問を感じる。答えられるわけがない。少なくとも自身で質問する時には事実関係をしっかり取材してその上で発言をすべきではないか。
Q:私は証言者である前川氏から聞いた話をそのままあてているわけだ。和泉氏がどういう見解なのかはわからない。
A:文科省は莫大な建設費になって処理ができなくなったから専門家の和泉補佐官に依頼した。そこはひどすぎる。結果的にもよかった。工期も金額も少なくなってみんな納得している。



Q:再三こちらの取材の結果をぶつけているにも拘らず、推測に対して答える必要はないと回答するのはやめていただきたい。こちらは取材に基づいてこういう話を聞いたと。なぜ加計氏を呼べないのかという話も再三出ている。きっちり説明する気があるのであれば、どういう場を設けてどう安倍首相が対応するということなのか。具体的な道筋もないまま昨日のような発言をしたのか否か。具体的なものを言っていただきたい。
A:総理は自らの至らない点を認める中で丁寧に説明していきたいと申し上げているのではないか。

「~と聞いているが、どう思うか」という型式をとるこの質問パターンも【多重質問】であり、「どう思うか」について回答すると、自動的に「~と聞いている」という内容を認めることになります。

菅官房長官はこの質問パターンにおいても多重質問に誘導されることなく、真偽が確定していない事案に対してけっして答えません。「推測に対して答える必要はないと回答するのはやめていただきたい」と非論理的に逆ギレする望月記者とは違い、極めて論理的な対応です。客観的な証拠となり得ない「こちらは取材に基づいてこういう話を聞いた」とする単なる証言を根拠にして、発言に責任を伴う行政機関に見解を求めるのは極めてナイーヴです。

ただし、望月記者と同様に「政権は嘘をつく」と無条件反射で考えるような一部大衆は、たとえ官房長官が完全否定してもその真偽不明な情報を信じることになります。「悪は嘘をつく」と信じているからです。すなわち、会見において真偽不明の情報の真偽をダメモトで問う望月記者のメソッドは、政権を不合理に貶める効果がないとは言えません。望月記者は、官房長官がいくら注意してもこの質問パターンを繰り返すことから、望月記者は確信犯的にこの手の質問を用意している可能性があります。

ちなみに情報ソースはほとんどが同業他社の記事やワイドショー報道であり、仮にその情報が官房長官から否定されようと東京新聞の望月記者にとっては痛くも痒くもありません。そもそも情報の発信元を差し置いて望月記者が質問すること自体が不思議です(笑)

(3) 虚偽情報に基づく質問

望月記者は、しばしば完璧な虚偽情報にとびつき、ワイドショー情報を無批判に信じる情報弱者のように政権を批判します。


Q:フジテレビの報道で8月15日の日米電話会談のやりとりの一部が報道された。安倍総理の「北朝鮮との戦争は絶対にやめてほしい。有事になれば甚大な被害が及ぶ。」という話に対して、トランプ大統領が「現状では戦争する気はないが、核兵器・ICBMを放棄してもらいたい。嫌なら迷わず我慢しない。そのころには攻撃準備が整っているだろう」と詳細な内容が出たが、この点について政府の見解が聞きたい。
A:テレビの報道に答える場ではない。
Q:報道に出ていることが会見での質問に含まれることは問題か。
A:首脳間の電話会談が表に出ることはあり得ない。そうした報道に政府の立場として答えることはすべきではない。



Q:イヴァンカ基金に対しても57億円とかなりの金額が費やされるという話が出た。本来あてるべき国内の教育費の無償化に対する予算が削られてでもそういうものに出すと見受けられる。政府としては、無償化に財源を与える以上にイヴァンカ基金、防衛装備品のさらなる拡大が必要だという意見なのか。
A:事実に基づいて質問してほしい。イヴァンカ基金なんかない。サミットで世銀と各国が立ち上げた女性起業資金だ。各国と同じように拠出するだけだ。質問の趣旨が違う。



Q:11月に国連人権委員会の特別報告者のデイヴィッド・ケイ氏が官房長官や総務大臣と面会したいというときも政府側がドタキャンをしたという経緯があった。国際的に高く評価されている方々と政府の要職にある方々がきっちりと会って話をして世界にメッセージを発信していくということの必要性をどの程度真剣に考えているのか。
A:ドタキャンなんかしていない。事実に基づいて質問してほしい。

日米電話首脳会談をお見通しのワイドショーのトンデモ報道、イヴァンカ基金、デイヴィッド・ケイ氏に対するドタキャンなど、報道記者の常識を持ち合わせていなくとも、一般常識さえ持ち合わせていれば、質問に値しない情報であることは自明です。このようなナイーヴな人物が虚偽情報を基に官房長官に喰らいついている状況は日本国民にとって不幸であると言えるかと思います。

2.不要な回答を求める質問

ジャーナリズムの本来の目的を逸脱し、国民を混乱させる回答、国民にとって無意味な回答、国民に損失を与えかねない回答等を官房長官に求めるのも東京新聞・望月衣塑子記者の質問の特徴と言えます。このパターンの質問は、主として(1)仮定に基づく質問、(2)筋違いの質問、(3)悪魔の証明を求める質問、(4)秘匿事項に関する質問の4つに細分類することができます。

(1) 仮定に基づく質問

望月記者は、しばしば不確定な事象を仮定して質問します。「もし~したとしたら、どうするか」という型式をとるこの質問は、行政に将来予測をさせて不必要に社会を混乱させたり、行政のオプションを減らして特定の人物に不当に利益・損失を与えかねない回答を要求するものです。


Q:稲田大臣が説明を果たした上で辞任も含めた検討をするべきだという考えか
A:仮定のことについて話すべきでない。



Q:今後近畿財務局が報告した上であのような答弁をしていたとしたら非常な大問題となると思うが。
A:仮定のことについて答えることは控える。



Q:9条改正論議が国会で熟す前に先んじて敵基地攻撃能力の保有とも見られるような巡航ミサイルや護衛艦いずもの空母化も検討ということだ。9条改憲論議が煮詰まらない中で先んじて防衛装備の拡大だけが急ピッチに行われているという批判の声が野党からも出ているが、この点に関して政府としての意見は。
A:仮定の質問に対して答えることは控える。

国民に対して行政機関が最適なサービスを行うためには、ときの情勢に最適なオプションを選択するのが基本です。このため、国民の権利を保障することが目的の案件でない限り事前に裁量の選択肢を狭めることは不合理であり、不要不急の政府見解を事前に宣言することは国民の利益損失リスクを高めることになります。また、法治国家において行政は法に従って執行されるものであり、望月記者がしばしば質問するような立法を伴う仮定の話に対して官房長官が回答することは越権行為になってしまいます。望月記者のナイーブな質問ぶりは、「朝生」での某漫才師の発言といい勝負です。

(2) 筋違いの質問

望月記者は、しばしば答える立場にない官房長官に対して好き勝手な質問をします。これは望月記者が、民主主義における行政や立法の役割を理解していないためであると考えられます。担当大臣の案件、国会の案件、自民党の案件、米国の案件などについても臆することなく、官房長官に質問してしまいます。


Q:(自民党は)都議選の総括を都議選後にやるという話だったが、まだ出ていない。
A:政府として答えることではない。党でやる話だ。



Q:個人的に菅官房長官自身は加計幸太郎理事長がしっかりと説明した方がよいと考えているか。
A:私はこの場に個人的立場で立っているわけではない。

望月記者は、このような非常識の他に、国会で政府が既に答弁している内容を官房長官に再質問するという「国会軽視」の常習犯でもあります。

(3) 悪魔の証明を求める質問

望月記者は、しばしば典型的な【悪魔の証明 probatio diabolica】を政府に求めます。


Q:加計学園サイドへの取材で、ほとんど総理と理事長の間での飲食・ゴルフの代金は、加計理事長の方でもっているとの話をいくつか聞いた。本当に奢ったり奢られたりなのか、まったく饗応を受けていないということが証明できるのか。客観的証拠で立証できるようなものを長官は見た上で通常の交際なので問題はないと発言したのか否か。
A:総理が発言した通りだ。
Q:国民感情としては疑念を払拭できない。

「ないこと」の証明は不可能なので、事案の挙証責任は望月記者にあります。矛盾しているのは、「加計学園サイドへの取材で飲食・ゴルフの代金を加計理事長の方でもっているという話をいくつか聞いた」という望月記者が「あること」を証明できていない点です。論理的に考えれば、望月記者に対する疑念を払拭できません。

(4) 秘匿事項に関する質問

望月記者は、しばしば国益損失の回避や法律上の制約などで官房長官が答えることができない質問を投げかけ、官房長官が質問に答えないことを批判します。


Q:北朝鮮のミサイル発射について、前夜にある程度の状況を把握していたとなると、なぜそれを事前に国民に知らせていないのか。事前に通知することの方が国民の安心・安全を保つためには必要ではないか。
A:言葉の性質上答えることは控えるが、政府としては万全の体制で臨んでいる。こうした挑発行動を国連決議にも従わずに繰り返す無謀な国家があるのは事実だ。そうした中で私達は万全の体制をとっている。それに尽きる。
Q:公邸に泊まった日だけ次の日発射されている。今後政府が何も言わなくても首相動静を見て公邸に泊まると思ったら次の日はミサイルが跳ぶのかと。9月9日建国記念日にまた発射の情報が流れているが、今回もそのような情報が入れば公邸に前夜に泊まることになるのか。
A:政権として万全の態勢を整えて国民の安全安心を守ることが何か悪いことのような質問に聞こえたが。政府としては常日頃から冷静に国民の安全・安心を守ることに万全を尽くしている。それにすべてが尽きる。

敵に自分の戦略を事前に通告することは敵に有利なオプションを選択する機会を与えることに他なりません。日本の戦略を丸裸にすることなど、日本国民の安全に何の責任を取る必要もない望月記者にとっては何でもないことかもしれませんが、この質問は日本国民の安全を大きく脅かす重大な危険行為と言えます。仮にミサイル発射の前日に、政府が北朝鮮のミサイルに備えるよう国民に伝達すれば、北朝鮮はそれを日本の挑発的行為とみなしたり、ミサイルの発射時間や軌道をより過激に変えてくる可能性すらあります。このような質問をすること自体が北朝鮮を利することは間違いありません。このやり取りは、望月記者が国民の不利益よりも政権追及を優先していることを示唆するものと言えます。

ちなみに、望月記者は、しばしば警察で捜査中の事案に対しても官房長官のコメントを求めます。当然のことながら、仮に官房長官がコメントすればそれは行政の介入にあたり、捜査に影響を与える可能性がありますが、望月記者にはそんなことお構いなしのようです。その一方で官僚の忖度を問題視しているわけですから本末転倒と言うより他ありません(笑)。勿論、官房長官はこのような質問に対して一切回答しません。

3.政治的主張のための修辞的質問

もう一つ東京新聞・望月衣塑子記者の質問に特徴的なのは、ほとんどの質問が広義の【レトリカル・クエスチョン rhetorical question】であるということです。望月記者の質問の目的は、菅官房長官に事案の真偽を問うことではなく、質問を行うことで自らの政治的メッセージを情報受信者に示すことであるものと考えられます。このパターンの質問は、主として(1)レトリカル・クエスチョン(狭義)、(2)政治的要求、(3)繰り返し質問の3つに細分類することができます。

(1) レトリカル・クエスチョン

望月記者は、しばしば質問の形式をとった反語表現である【レトリカル・クエスチョン】を使って政治的主張を繰り返します。官房長官会見はインターネットを介して毎日動画で配信され、テレビのニュースでも頻繁に参照されます。すなわち、会見の質問者が【レトリカル・クエスチョン】を使えば、政治的プロパガンダを効率的に社会に拡散することが可能となります。


Q:都議選での秋葉原の声を有権者の疑惑解明に対してもっときっちり説明するべきだと言う声という受けとめは政府・安倍首相もしていないということか。



Q:「このような人には負けるわけにはいかない」という発言は、有権者を軽視している発言とも思える。発言自体に問題があると思わないか。



Q:秋葉原であれほどの歓声の中であのような声が出てくること自体、国民の政権に対する怒りの声だという受け止めは特にないという理解でよいか。



Q:二階幹事長は、都議選の前に(マスメディアに対して)「落とせるものなら落としてみろ」という強気の発言があり、その発言を含めて批判を浴びていた。まったく自民党として「反省してないじゃないか」ととられかねない。極めて重い発言だ。これについて問題がないという認識か。

これらの質問について、官房長官が額面通り質問に回答したとしてもほとんど意味はありません。望月記者が質問を終えた段階で既にプロパガンダとしての政治的主張は反語表現として成立しているからです。国民の負託を受けてもいない私人が、記者であるという特権を使って、あたかも国民の代弁者を装いながら公の場で堂々と政府批判を行っていると言えます。

(2) 政治的要求

望月記者は、しばしば質問という行為を逸脱して、レトリカル・クエスチョンを使うなどして官房長官に政治的要求を行っています。


Q:例えば菅官房長官が出会い系バーに行ってそこでどういう女の子たちがああいうバーに通い、その背景事情、教育の実態がどうなのかを聴くなどの対応をとることはないのか。こういうバーに実際に官房長官が足を運んでどういう実情が背景にあるのかを知ることが必要だと思う。



Q:文科省の共有ホルダーを第三者によって適切に調べてもらいたい。



Q:昭恵夫人の100万円の受け渡しについて、逮捕された籠池理事長は証人喚問という場できっちりと説明した。昭恵氏自身にもきっちりと説明する必要があると思うが。



Q:総理の口から、加計理事長との関係に問題がないというのであれば、その根拠となるものもさし示しながら説明していただきたいが、明日は期待できると考えてよいか。
A:この会見場は貴方の要望に応える場所ではない。事実に基づく質問に答える場所だ。



Q:金正恩委員長は、北朝鮮の基地を叩いたり、金委員長の斬首計画を行ったり、レイダーに映る飛行はしないよう再三にわたって米国に求めている。このようなことを米韓合同演習を続けていることが、金委員長のICBM発射ということを促していると言える。米国側・韓国側との対話の中で、合同演習の内容をある程度金委員長側の要求に応えるよう冷静になって対応するようにとの働きかけを日本政府はやっているのか。
A:我が国は対話と圧力、行動対行動の基本姿勢の下に日米の強力な同盟の中で国民の安全を守りきっていく万全の体制に取り組んでいる。その内容については、北朝鮮の委員長に聞かれたらどうか。

望月記者は、金正恩の要求に応えるよう日本政府が米韓に働きかけているのかを疑問文で聞いています。望月記者はこの疑問文を「質問」と主張していますが[記事]、これは明らかな詭弁です。このような極めて具体性に富んだ仮定条件と限定された対応内容を含んだ文言の最後の部分だけが不自然な疑問形になっている構文を、普通の国語能力を持った人が聞けば、それを「要求」と解釈するのが普通です。そもそも、あのヒステリックな大声で官房長官を威圧するように疑問文を提示すれば、ほとんどの人はそれを【レトリカル・クエスチョン】による「要求」と解釈するものと考えられます。

(3) 繰り返し質問

望月記者は、しばしば同じ質問を何度も繰り返します。


Q:本当に文書がないのか、第三者による調査をやるべきだ。
A:今の質問はこの場で何回したのか。何回も何回も繰り返されている。自分自身が納得できないからと言って説明していないと断じることはいかがかと思う。担当大臣が委員会で説明していることに尽きる。
Q:何回も聞いているのは何回聞いても同じ回答しか出てなくて、その結果私だけではなく、国民の世論調査で説明責任を果たしていないという数字が出ている。都議選の結果を含めて重くとらえないといけない。答弁の内容が納得できないという結果が都議選の惨敗に繋がっていると各紙の分析から見える。そのことに対する認識があまりにも弱い。貴方が思っているからではないかではない。この世論調査の結果を以下に真摯に受け止められるか。そこを政府としてどう考えているのか。
A:同じ答えだ。

繰り返し質問には、質問に含まれるメッセージを情報受信者に深く記銘させる効果と、官房長官が望月記者の質問に答えない印象を造る効果があります。今では虚しい「小池劇場」はメディアが主導して造ったものですが、それが最高潮に達した都議選後に、望月記者のヒステリックな声も最大のヴォルテージに達したと言えます。

思考停止のルサンチマン

記者会見に参加している記者が、国民の負託を受けた代弁者であるかのように振る舞い、実際に国民の負託を受けている政権を完全否定するのは極めて理不尽な構図であると言えます。望月記者の大きな勘違いは、2017年7月の都議選後に投げかけられた次の【レトリカル・クエスチョン】に象徴されます。


Q:メディアからの政府に対する批判の声というのは、国民の声を代弁していると思わないのか。

望月記者は、メディアは国民の声を代弁する存在であり、政府を糺す社会的ミッションを持っていると理解しているものと考えられます。しかしながら、論理的に見れば、国民から実際の負託を受けているのは現在の政府であり、望月記者は国民から何の負託も受けていないメディアという単なる特権階級の一従業員であるに過ぎません。

ニーチェは、権力者は悪の存在であり、権力者に対峙する者は善の存在であると勝手に断定することで道徳的に優位に立って権力者を不合理に見下す【畜群 herd instinct】という本能が人間に存在することを指摘しています。この【畜群】の原動力となる妬み・憤慨の感情は【ルサンチマン ressentiment】と言い、この感情に基づく価値判断の規範を【奴隷道徳 slave morality】と言います。

望月記者が普段から口にしている「このままではどんどん日本が危ない国家になっていく。ここで何とか私達が止めなくてはいけない」という思考停止のステレオタイプの【畜群】本能こそが、官房長官会見で【奴隷道徳】を振りかざした不当質問を行うモティヴェイションになっていて、もっぱらヒステリックな言動は【ルサンチマン】が顕在化したものであると推察されます。

残念ながら、望月記者と親和的な日本の革新勢力(朝日新聞・毎日新聞・TBSテレビ・テレビ朝日・立憲民主党・共産党・社民党・自由党等)には、この【奴隷道徳】が蔓延しており、【ルサンチマン】を毎日発揮しては政権批判を繰り返しています。すなわち、強い【憤慨 re-sentiment】の感情を前面に出して相手の【倫理】を批判することで、政権側に悪、反政権側に善を割り当てた構図を造り、「悪の言う事は偽であり、善の言う事は真である」という【信仰 belief】を原理として【人格論証 ad hominem】を行い続けています。【多様性】を主張しながらも実際には自論以外を一切認めず論敵を悪魔化する偏狭なイデオロギーが強固な【ノイジー・マイノリティ loud minority】を形成して日本社会の生産性を大きく低下させています。彼ら彼女らは反論されると、それを邪悪な意図に基づく言論弾圧と認定してより結束力を高めます。これは【カルト cult】の行動パターンと類似しています。

そもそも物事の【真・偽 true/false】は関係者の【善・悪 good/evil】とは無関係です。物事の追及に必要なのは真・偽を見極める【論理】であり、個人の価値観に基づき善・悪を割り当てる【倫理】ではありません。望月記者のようにヒステリックで恫喝的な大声を浴びせて関係者の【倫理】を問う必要はまったくないわけです。逆に菅官房長官を罵倒する望月記者の極めて攻撃的な口調は望月記者の「追及力」の低さを露呈していると言えます。

私達国民にとって重要なのは、論理を欠いた扇動者の扇動パターンを共通の知識とすることで、けっして騙されないことです。

編集部より この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2018年2月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。


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 追及力 権力の暴走を食い止める (光文社新書) 2018/1/17  望月衣塑子、 森ゆうこ のアマゾンレビュー 低評価


5つ星のうち1.0
読むのは時間のムダ。箸にも棒にもかからない本。
投稿者mfhtyベスト500レビュアーVINEメンバー2018年3月8日

形式: 新書

 私は、正直、本書のお二人がどんな活動をされているのか、全く知らずに本書を手にとりました。でも、気鋭の政治家と新聞記者が「追及力」というタイトルで対談されるのですから、現在の政治や社会の問題点をエビデンスを示しながら鋭く論評してくれるものと期待して読んだのです。
 しかし、これほど期待外れの本もめずらしいです。発言内容にエビデンスがないし、問題を追及するメソッドについての記述もないし、「そんな知られざる問題点があったのか」という点もありません。要するに、良いとこなしの本なのです。

 二人の対談内容は、井戸端会議や飲み屋の雑談かというほどの、決めつけ、思い込み、好き嫌いに基づく無責任発言ばかりです。単に安倍政権や菅官房長官が嫌いでこき下ろしているだけとしか思えません。私は是是非非の立場であり、そうであればこそ、現政権の問題点に切り込んだ内容を期待したのですが・・・・・。
 腹立たしいのは、そんな内容の発言ばかりなのに、二人ともお互いの発言をヨイショしあう醜悪さ。本書には「安倍政権はえこひいき政権」という批判がありますが、この二人こそ、お互いに健全な批判力をもって相手の発言を聴くべきなのではないでしょうか。

 この記者(望月氏)の発言(P71~72)には、「テクニカルに難しい質問をして攻めていき、新たなニュースを引き出すという人もいますけど、私はあれこれ考えられないほうなので、自分目線ですけど、シンプルにここが問題ということを何度も聞いて、毎度おなじみの答えをもらう。それはそれで必要なのかな、という気もしています」という部分があります。忙しい政治家や官僚は、こんなことを言う新聞屋に真摯にお相手をしなければならないのでしょうか。
 本書では、望月氏が「質問回数を制限されるようになった」旨自慢げに発言していますが、頭のない不勉強な記者の同じ質問に対応するほど、ヒマな人はいません。発言回数制限は当然でしょう。
 
 この本を読んで、政治の劣化と新聞記者の能力の低さを改めて認識できました。日本の危機は、二人の嫌いな安倍政権にあるというよりも、健全な批判力のある野党やジャーナリズムがないことにこそあるのかもしれません。
 そして、光文社新書は一流の出版メディアと思っていましたが、こんな対談を本にするようではダメです。出版社に猛省を促します。


5つ星のうち1.0
わざわざ買って読むものではない
投稿者蒟蒻畑でつかまえて2018年4月10日

形式: 新書

正直Twitterのリプ欄以下の内容です
わざわざ自腹を切って買うものではないですね


5つ星のうち1.0
追求力はともかく この記者さんの取材力は無いですね
投稿者エナジーチャージ2018年3月14日

形式: 新書

 追求力っていうけど、根拠は他マスコミの記事なわけで、散々独りよがりの意見ばっか言って、追求される側をイライラさせるだけ。
「怒らせたときに相手の本音が出る」とのたまう落合信彦氏ならいざしらず、所詮小物観だけがただよう。
自分もイライラしたい、官房長官の苦笑いの元凶の研究にしたいなら、どうぞお読み下さい。


5つ星のうち1.0
追及力ではなく
投稿者遠藤里織2018年4月20日

形式: 新書

攻撃力ですね。分かります。聡明で人望がありまともな人の評価が高い総理を嫉妬心から攻撃したくなる気持ち。


5つ星のうち1.0
望月衣塑子に「追及力」? ねーよそんなもん!(笑)
投稿者白川のび太くん2018年3月2日

形式: 新書

他の人のレビューで「井戸端談義」のようだとの指摘があったが、全くそのとおり!(笑)

望月衣塑子記者の大活躍(?)は「政府インターネットテレビ」の「官房長官記者会見」で、すべて視聴させていただいています!(笑)
常に、望月は菅官房長官に「返り討ち」に遭っている!(笑)望月は「官房長官記者会見」に関して、記事を書いたこと(戦果)があるのでしょうか?(笑)誰か、望月の書いた記事を教えてください!よろしくお願いします!(日付を教えていたたければ図書館で探して読ませていただきます!知ってる方は、ぜひコメント欄に日付を記入してくださいね!)

「森 ヤジって大事なことですよ。ヤジはやめろって言われるけど、とんでもない話。ヤジがなきゃ駄目なんですよ。議会というところは。
望月 やっぱりヤジがあるのとないのとでは全然違う?
森  全然違いますよ。記者さんの質問にはヤジはないかもしれないけど、やっばりヤジっていい意味でも悪い意味でも相当効くよ。応援のヤジはやっぱり盛り上がるし、逆に批判のヤジは「うわぁ」、この人にやられると困るわ」ってものあるし。結構大事なんですよ。」(本書34頁9行目から15行目) 
とヤジの効能を良いものだと、「国会のおんなヤジ将軍」と異名を取る「森ゆうこ」は言っていながら、
「予算委員会で福島瑞穂参議院議員が質問したときの自民党議員のヤジは醜かったですね。」(本書47頁2行目から3行目)
と言っているのは大いなる矛盾だ!(呆)「野党のヤジは良いもので許されるが、与党のヤジは醜く許されない!」ってこと?(笑)

「森 「国家の私物化3点セット」の森友・加計・(※伊藤詩織事件の)逮捕状執行停止問題についての疑惑は全部明らかにしましょうよ。」(本書35頁後ろから2行目から後ろから1行目)
これって「安倍一強」とか「安倍は独裁者だ!(安倍は)ヒットラーだ!」と言われている割には、この3点のどれもが、「シャビイ」(みすぼらしい)事件過ぎないか?(泣)天下の「独裁者」がやるにしてはなんだかな~!(笑)

「森 たいていの法案は自民党と民進党の間で話ができていて、いつこの法案を通して終わりにするという段取りも決まっているんですよね。そして、常にその予定どおりに終わると。ましてや一強多弱の国会で、自民党の思惑どおりに事が進まないはずがないわけです。」(本書51頁5行目から7行目)
おいおい!森さんよ、こんなことバラしたら、野党の議員たちに睨まれるよ!(笑)
仄聞だが、なんでも、このような国会運営を行うために、与党は野党に対して「内閣官房報償費(内閣官房機密費)」を使用しているのだとか・・・!(笑)

「望月 国会議員の方があの場(※官房長官記者会見)にいれば、バンバン追及すると思うんです。その意味では議員の方の目には、「ぬるい会見だな」と映るかもしれません。だって、皆さんは、国会ですごくきっちり追及するじゃないですか、菅さんに対してだけでなく、安倍首相とか、ほかの大臣も含めて。日々あれを見ている政治部の記者の皆さんには、もっと追及力を高めてくださいと思うんですけどね(笑)。」)(本書64頁1行目から5行目)
「森 いつか出入り禁止になるかも、みたいな気になったりはしない?
望月 官邸にですか?
森  そうそう。
望月 あるような、ないような(笑)。でも、その出禁の指示がどこから来るか、が問題ですよね。官邸から「望月は来るな」って言われるか、内閣記者会から「もう来ないでくれ」って言われるか。すでに質問は制限されていますからね。ちょっとした出禁状態かな(笑)。
森  記者さんの間でも望月さんの質問は、けっこう問題視されているよね?
望月 あるとき政治部の記者から「正直言うと、あなたには(会見場の外に)出ていってほしいとみんなが思っている」って言われたんです。すごく正直すぎる(笑)。たまたますれ違ったときに聞いたんですけど、やっぱり私のことは認めてくれないのかと聞いたら、「まぁ、そうだよね」みたいなことを言われまして。そういえば、どこかの Web サイトに、「うち(※東京新聞)の政治部記者も望月と同じと思わないでください」とかいう見出しの記事が出ていたこともありますね。誰が書いたかわからなかったのですが(笑)。
森  むしろ同業者のほうに排除の論理が働いている感じよね。
望月 排除の論理(笑)。やっぱり政治部の記者は政治家との距離にはすごく気を遣うみたいですね。東京新聞も政権批判の激しい紙面展開だけど、政治家との間で記者がバトルするということはないですから。」(本書72頁4行目から73頁6行目)

望月の官房長官記者会見のデビューは去年(平成29年)6月6日(火)ですが、望月は質問に、前川喜平の出会い系バー通いの「貧困調査」を取り上げ、「菅官房長官も出会い系バーに行き「貧困調査」を行う考えはないのか?」という、とても失礼で非常識な質問などを行い「内閣記者会」の記者たちを唖然呆然とさせてしまい、同日中に、東京新聞を除く「内閣記者会」加盟の各社は集まり、東京新聞政治部に対して抗議を行うことを決めたが、結局抗議を行うことを見送った(理由は不明、たぶん東京新聞政治部も同様に感じていると判断し、また、東京新聞「社会部」所属の望月に関して、東京新聞政治部に苦情を申し立てても無駄と判断したからでは?)とのことです。(平成29年6月13日(火)付け「日刊ゲンダイ」記事)※望月の著書「新聞記者」(角川新書 2017.10)167頁11行目から171頁6行目の「記者たちからの(※望月衣塑子に対する)クレーム」にもほぼ同内容の記述が有ります。(呆)

①「外様」
望月は依然として「政治部」ではなく、官邸(官房長官記者会見)に無関係の「社会部」所属。なんでも東京新聞政治部が、望月の「政治部」入りを頑強に断固阻止しているらしい!(笑)もっとも、望月も「政治部」に所属したら、東京新聞官邸キャップ(政治部次長)の指揮下に入ってしまい、自分勝手な行動(質問)ができなくなるため、「政治部」入りはしたくないのだろう!(笑)

②「新入り」
官房長官記者会見に去年6月から出席

③「新聞記者としての能力欠如」

①から③の望月が、「「内閣記者会」の各社政治部記者たちは菅官房長官(官邸)に取り込まれていて、やるべきことを全然やっていない!」とか、特に「政治部の記者の皆さんには、もっと「追及力」を高めてくださいと思うんですけどね。(笑)」(本書64頁4行目から5行目)とか言ったり、態度で示しているから、「内閣記者会」の記者たちから、嫌われ、呆れられ、バカにされ、無視されるんだよ!(笑)

望月は「新聞記者」として失格だが、その前に「社会人」としても失格です!(呆)「内閣記者会」の各社政治部記者たちはプライドを持って仕事に取り組んでいるのに、そこにとてもおバカなオンナ記者が勝手にちん入して来て、「現場」をかき乱し、しかも「内閣記者会」の記者たちは「官邸に取り込まれ、やるべきこと(仕事)をしていない!」「政治部の記者は、「追及力」を高めてほしい。」などと、とても人をバカにしたことを言い放ち、「内閣記者会」の記者たちの気持ちを傷つけているのがまったく理解できないらしい!(呆)

一体全体、「内閣記者会(各社政治部記者たち)」は菅官房長官(官邸)に取り込まれているとは思えない!(怒)
というのは、望月が「東京新聞も政権批判の激しい紙面展開」(本書73頁5行目)と言ってるように、朝日新聞、毎日新聞、特に東京新聞の紙面は「政権批判の激しい紙面展開」になってるし、菅官房長官(官邸)に取り込まれているのなら、なんで「内閣記者会」の各新聞社は相当な量の紙面で、各テレビ局は毎日相当な時間を、「モリ・カケ問題」を報道(放送)しているんだよ!(呆)

それに、どこの新聞社も「政治部」記者は仕事ができ、能力があると認められたエリート(社長、幹部の輩出率が高い)に対して、「社会部」記者は「一山いくら」扱いだ!(笑)そんな「一山いくら」扱いの「社会部」の望月がエリートの「内閣記者会(各社政治部記者たち)」に、「政権に取り込まれて、やるべきことをやっていない!」とか、(自称・元「トッブ屋」である優秀な新聞記者である」(笑))「望月に続け!(望月の質問の仕方(追及力)を参考にして、官房長官記者会見で、質問しなさい!)」なんて言ってるから、「内閣記者会(各社政治部記者たちで、当然東京新聞政治部記者たちも含む)」に呆れられ、嫌われるんだよ!(笑)※望月の著書「新聞記者」(角川新書 2017.10)に「衣塑子は元トップ屋」との記載がある!(笑)


5つ星のうち1.0
破廉恥極まりない 
投稿者権兵衛2018年1月21日

形式: 新書

官房長官記者会見で意味不明な質問を連発して心ある人の失笑を買っていた
エセジャーナリスト望月衣塑子と、同じくエセ保守派政治家森ゆうこの対談だそうです。
この表紙のドヤ顔どうですか?私は見るだけで吐き気を覚えました。
ページをめくっても内容空虚なことおびただしい。

望月衣塑子ってキムジョンウンの要求に答えろとかなんとか言ってた人だよね。
かなりヤバイ人だと思うんだけど、話題性だけでこういうおかしな人の本を
出版する会社もどうかと思う。まさに炎上商法ですね。独裁国家を支持する偽善者の
本を出版しなければならない裏事情でもあるんだろうか、光文社?

レビューの都合上、ひとつでも星をつけなければならないわけですが、今回ほど
星0にできないかと切望したことはございませんでした。

追記

アマゾンが意図的に星5つのレビューを削除しているなど戯言を弄しているレビューアーがいるようですね。
もしアマゾンが特定のレビューを削除しているとしたら、それはガイドラインに抵触する内容と見なされたからで
星の数とは何の関係もありません。事実無根の内容を臆面もなく書き込むなんてホントヤバイですね、パヨクって。


5つ星のうち1.0
官房長官会見
投稿者まっくん2018年1月24日

形式: 新書

菅官房長官の話を聞いてると
追求力なんてみじんもないのが、まぁ判りますよね。
森ゆうこなんか語る必要ないし。


5つ星のうち1.0
勘違いな人達
投稿者さと2018年1月20日

形式: 新書

自分を権力に立ち向かう救世主みたいに思っている人達なんだと思うけど、普通の日本の国民から見たら邪魔な事しかしない人達しか見えないのですが、気付いていないのでしょうか


5つ星のうち1.0
不愉快です
投稿者伊藤准将2018年2月4日

形式: 新書

amazon様。有益な「おすすめ商品」の情報メールの中に、当該書籍が結構な頻度で入ってきます。情報全般は気に入っておりますが、これについては全くあてはまりません。
表紙の画像を目にするだけでも不愉快ですので、今一度精査の上、当該書籍のおすすめを止めて頂きたいです。
  1. 2018/05/21(月) 16:48:01|
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低脳新聞記者・望月衣塑子

古本屋通信   No 3335    2018年  05月21日


     露出狂の低脳新聞記者・望月衣塑子(もちづき いそこ)

 今日の赤旗にチラシ 「人権と文化のつどい 2018」 が入っていた。瞬間ギクッとした。やはり、であった。

 6月30日、天神山プラザ。講師望月衣塑子主催人権岡山

  ここで全ては決まった。私は、今後は人権岡山を岡山の民主団体とも、人権擁護団体とも見做さない。単なる共産党の翼賛団体としてカルト団体である。したがって私は以後、この団体との関わりを個人的に持たない。但し古本屋通信の批評の対象として肯定・否定の文脈で論じることはある。

 理由は一つ。望月衣塑子を人権岡山の「人権の部」の講師に決定したことである。許せないとか論外であるとか、そういう次元の問題ではない。そもそも望月を招ぶという発想が何処から出てきたのか。そこには多少とも、望月を人権岡山の講師にふさわしい人間であるとの認識があったのだろう。

 この認識という以前の人権感覚が私には信じられない。半世紀以上にわたって部落差別とたたかってきた全解連運動を継承した人権岡山。その組織の人の政治感覚とはとうてい思えない。失望をはるかに越えている。人権岡山と心中したい気持ちである。

 望月について正面から論じる気にはなれない。ほんとうに、ほんとうに人権岡山は、望月衣塑子を人権をたいたいせつに思うジャーナリストだと思っているのか。だとしたら私は、一刻も早くこの団体はなくなった方がよいと断言する。

 たしか半年ほどまえ、同じ団体が前文科省役人の前川を招んで講演会をしたことがあったた。連れ合いは参加したが、私は行かなかった。マアマア良かったそうだ。時の人である。公明党の岡山市長の大森と旧知の間柄らしい。俗物の典型だが、こういう人物でも、場合によっては一定の権力批判に使える場合がある。だから私は前川講演それ自体を批判しようとは思わない。だが、このときの主催か後援が人権岡山だという話には、無条件に嫌悪を覚えた。スジが違うでしょうが、と。こういう人物はいつ寝返るか分からない。そいう認識はないのだろうか。


 望月衣塑子について、何も書かないでは済ませられないだろう。伊藤詩織に絡んだ望月。私は伊藤については何回も書いている。その伊藤を支援するジャーナリストなどありえない。

 望月の仕事をできるだけ丁寧にたどった。つまり単なる露出狂。出たがり屋。著書の出鱈目をレビューで紹介するが、タイプとしては、有田芳生の若いタイプ。

 過去半世紀、日本には何人かスター記者だとか、ジャーナリストだとかいた。田英夫は共産党員だった。本多勝一や鳥越俊太郎もスター記者だった。だが彼らはスターを目指したのでは決してなかった。時代が彼らをスターにした。

 望月衣塑子はなぜ東京新聞で地道に仕事をしないのか。なぜ無内容な講演をしてドサ回りまでするのか。今回の入場料が大人1000円で、定員270人だから、半分の15万円が講師料であろう。なぜ東京新聞の賃金だけで仕事をしないのか。結論だが、退職してフリーになるつもりだろう。その前講演であろう。

 この低脳女に引っ掛かる阿呆が岡山から出現するとは夢想だにしなかった。


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新聞記者 (角川新書)2017/10/12 望月 衣塑子 のアマゾンレビューの低評価です。私もまだ読んでいませんから、個々の評価の当否は分かりませんが、かなり当っているでしょう。引き続いて他の著書についても貼ります。これを読んでから講演会にお出かけくださいね。 


5つ星のうち1.0
読後に不快感があります
投稿者Yam92018年4月29日

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行動力に興味があったので読んだのですが、共感できませんでした。社会人としての品がない行動は不快です。下品な行動は見習えないし尊敬できません。プロフェッショナルとしては格が下。読んでいてだんだん不愉快になります。


5つ星のうち1.0
自分を客観視できないのですね
投稿者遠藤里織2018年5月16日

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貴方は、出過ぎた杭ではなく、ただの目立ちたがり、自己顕示欲の塊、自分よりレベル高い人を見るとイラッとせずにいられず、しかもそれをわざわざ本にする詐欺師。


5つ星のうち1.0
望月に萌えるおじさんたちの聖書
投稿者Amazon カスタマー2018年5月6日

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まず、まともなジャーナリストは自伝なんて出しません。
それから本人の語る過去は妄想です。望月を学生時代から知る人はこれ読んで、もっちゃん大丈夫?と思うはずです。誇張とか盛るというレベルではないです。まあ宗教本なので仕方ないか。


5つ星のうち1.0
勢いと使命感だけでやっている人の限界
投稿者haraharadokidoki2017年12月17日

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著者の会見を見ていると、「ディベート」になってしまっている。相手からよい答えを引き出すためには、よい質問が必要。それができていないのがこの著者。別に他人に媚びる必要はないし、準備ゼロというわけではない。しかし、他人を攻撃することで他人から何かを引き出すためには、それなりの戦略が必要。それができていないから何も引き出せない。権力の弾圧という次元の話ではなく、著者のやり方が下手なだけ。

この本でそのことがよくわかった。事件記者だけなら、これくらい行動力がある人がいいのかもしれない。しかし、人から話を聞くだけではできることに限界がある。著者はろくに本を読まず、勉強もしていない。だから、勢いでできる以上の仕事ができない。著者はもはや有名人なので、支援者からの声援が励みになっているのだろうが、自分に都合のいいことしか言わない人達の賛辞はあまり役に立たない。

著者を持ち上げている人達は、事実を知るために何が必要なのかをよく知るべき。著者は、行動力以外の財産を何も持っていない。それだけでは大事なことはわからない。ジャーナリストの陥りやすい罠。著者のような人が持ち上げられているのは、本当に困ったもの。


5つ星のうち1.0
なぜこの題名?
投稿者リラックス2018年2月18日

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重要な情報源として取り上げている、菅野完氏の、女性に対する性的暴行訴訟は取り上げず、詩織さん騒動の山口氏を、まるで犯人のように扱うのはフェアではないのでは?
本書執筆時でも、菅野完氏が性的暴行訴訟を争っていたのは解っているはずでは?
異論はあったとしても、本書でも記述しているように、少なくとも山口氏は不起訴処分になっているのだが。

前川氏に関しても、"「貧困調査」には納得できない"の章題まで付けて語っているのに、その後の調査はどうなったのだろうか?
政権に対する攻撃材料を提供してくれるのなら、女性に対する人権は、棚上げになってしまうのだろうか?
詩織さんには、これだけ同情しているのに。

幼少期は、舞台女優を目指して、演劇に夢中だったようだが、筆者はまだ舞台の上に未練があるのでは?
自身の中で夢想する脚本を、日本中、もしくは世界中が注目するステージの上で演じる恍惚を感じたいのでは?

「新聞記者」という題名の著書で、自分の幼少期からの半生を、ページ数の半分を使って語る価値観は、題名の「新聞記者」という職業とは相反するものに感じるのだが。


5つ星のうち1.0
ゲスニックマガジンの西条記者の方がマシ
投稿者Amazonサポートセンター2018年3月5日

形式: 新書

西条記者は結構痛いところをジワジワ突いているが、この本の著者は自分の思い込みで突っ込んでいるだけなので、相手は痛くも痒くもなさそう
周りの空気も読まない人なので、ウザいだけ


5つ星のうち1.0
感情で取材をする記者
投稿者パパぱふぅ2018年2月3日

形式: 新書

著者は、東京新聞社会部記者の望月衣塑子氏。父親は業界紙の記者をしており、イデオロギー的に読売新聞が嫌い。母親は演劇関係者で、「肉体は滅びても魂はずっと存在していくと信じていた」方で、気功や断食をしていたという。両親とも癌を煩い他界。

小学校の頃は漫画『ガラスの仮面』に夢中になり演劇を志していたが、中学2年生の時に読んだ『南ア・アパルトヘイト共和国』に興味を持ち、ジャーナリストを目指したそうだ。
慶應義塾大学法学部を卒業後、中日新聞社に入社し、愛知県内の新聞専売店で新人研修がスタートする。この研修について、「男性社員の大半はげっそりしていた」とコメント。
千葉支局、横浜支局を経て社会部で東京地方検察庁特別捜査部を担当するが、日本歯科医師連盟のヤミ献金事件をスクープしたことで特捜から事情聴取を受け、取材経費を使いすぎていることもあり、内勤に回されたと嘆いている。手元にこのときのスクラップ記事が残っているが、そうした事実があったのかは分からない。そして、望月さんは、「下を向いてばかりもいられない。スクープを抜かれたら抜き返さなければ」(82ページ)と決意を新たにする。
内勤の不満から転職も考えたと書いているが、「移籍をほぼ決めていたときに、父から『読売だけは嫌なんだよ』と言われた」(101ページ)ことにより、現職に留まったという。「学生運動にのめり込んでいた父へのちょっとした抵抗」(37ページ)もあったはずなのに、大いなる矛盾である。そして、転職することを「移籍」と記していることにも注目――スポーツ選手か芸能人の気分なのだろうか。

2017年2月、森友学園を巡る朝日新聞の記事を見て、日本歯科医師連盟の事件の時に社会部長をしていた編集局長にメールで直訴。政治部の取材チームに合流した。社内人脈を使うのは得意のようだ。
本書で紹介されている取材源は、活動家の菅野完氏、天下り斡旋で辞職した文部科学省事務次官の前川喜平氏、レイプ告発が安倍政権によってもみ消されたと話題の詩織さん、等々、どう控えめに見ても偏っている。加えて、取材源の秘匿が微塵も感じられない。

菅義偉官房長官との質疑応答はネットでも話題になっているが、望月さんは「最終的に会見時間は37分を超え、私は23回の質問を重ねていた。思いに駆られて夢中で聞いたら結果的にこうなった」と自慢げに記している。だがしかし、具体的な回答を得られたかの記述が一切無い。
感情で取材をする方だという印象を強くした。
望月さんは、「昼夜を問わず取材ができるかどうかは、熱意があるかどうか。パッション、情熱をぶつけられるかどうか」(65ページ)、「インタビュー取材の経過とともに、前川さんが抱く思いに対して感情を移入させていく自分がいた。なにかが自分の中で燃え盛ってくる。こうなってくると、もう私のぺースだ」(138ページ)などと書いているが、ここに、読者の「知る権利」を守るジャーナリズムは微塵も感じられない。

本書の前に産経新聞社が著した『新聞記者 司馬遼太郎』を読んだ。そこには15年間、新聞記者を務めた経験のある司馬氏が、自身の理想の新聞記者像として、「職業的な出世をのぞまず、自分の仕事に異常な情熱をかけ、しかもその功名は決してむくいられる所はない。紙面に出たばあいはすべて無名であり、特ダネをとったところで、物質的にはなんのむくいもない。無償の功名主義こそ新聞記者という職業人の理想だし同時に現実でもある」という一文を紹介している。
望月さんを司馬遼太郎氏と比較するのは酷かもしれないが、同じプロである。『新聞記者』というタイトルは、何か壮大な皮肉のように感じる。残念なことである。


5つ星のうち1.0
「追及力」欠如し「鈍感力」を持つ望月衣塑子・東京新聞「社会部」記者!
投稿者白川のび太くん2018年2月5日

形式: 新書

「ただいつからか、広報官が「あと1問でお願いします」「あと1人でお願いします」と、明らかに質問を切ってくるようになった。答えは得られていないので、無視して手を上げ続けていると、おどろいたことに、内閣記者会の幹事社のある記者が、「以上で終わります」と勝手に会見を打ち切ってしまった。なぜ同じ記者が・・・・・・?」(本書7頁13行目から8頁1行目)
「記者たちからの(※望月衣塑子に対する)クレーム」(本書167頁11行目から171頁6行目)
「官邸会見でのひんやりした空気(※記者たちの望月衣塑子に対する白眼視)は相変わらずだったが、質問を続けた」(本書172頁11行目)
「「望月に続け!」と記者たちが会見場に乗り込んでくれればと思うが、私は相変わらず浮いていた。官邸番の記者たちも目を合わせてくれない。」(本書173頁3行目から4行目)
「広報官が質問数を区切った後、私が質問し、菅さんにいつもどおりの返答をされ、質問を重ねようとすると、記者クラブの幹事社の記者が、「以上で終わります」と打ち切ってしまったのだ。なぜ質問を打ち切るのか。しかも同じ記者が。」(本書184頁5行目から9行目)

さあ、どうしてでしょうねぇ?(笑)本書発売時点で望月が官房長官記者会見にデビューして約四ヶ月経過しているが、どうしてこのようなことになるのか、(今現在も)ご理解出来ていないらしい!(呆)内閣記者会の記者たち(当然、東京新聞政治部記者たちも含む。)は、この原因を教えてくれないとは、冷たいよな!(笑)でも、この理由は社会人一年生で、すでに理解していなくてはいけなのでは?(呆)もっとも、社会に出る前の学校生活で理解できていないとは!(呆)いかに人間社会に揉まれていない人(記者)なのか呆れてしまう!望月は、短気、軽薄、思い込みの激しさといった性格や「裏とり調査」しないので一番新聞記者にふさわしくない人物だと思う!(呆)また、望月は、官房長官記者会見では、政府の高官であり、かなり年上の菅官房長官に対して、とても失礼な態度だ!(怒)けんか腰の質問、明白な根拠・証拠もなしに菅長官を「容疑者」と決めつけ質問している!(怒)望月の「牛のしょんべん」のように、だらだらと長く要旨不明瞭な質問に対応できる菅長官は、とても凄いと思う!(笑)そんな望月を見て、周りの記者たちが、どう感じ、どう思っているか、自己中心的な望月には全く理解できないらしい!(呆)

本書に、前川喜平や伊藤詩織のインタビュー内容が記載されているが、「裏とり調査」は行っているのか?特に前川喜平の話に!(怒)とても疑問だ?(呆)
「(※前川喜平に対する)インタビュー取材の経過とともに、前川さんが抱く思いに対して感情を移入させていく自分がいた。なにかが自分の中で燃え盛ってくる。こうなってくると、もう私のペースだ。深刻な危機感と熱い思いを共有し、いざ文字にするとき冷静沈着になる。翌日の朝刊にインタビューの核心となる内部文書の件を一面でニュースとして、翌々日の朝刊では主な一問一答が大きなスペースを割いて掲載された。」(本書138頁11行目から139頁1行目)
これって、完全に前川に取り込まれているということだろう!(呆)また、「裏とり調査」を実施した旨の記載はなく、インタビュー取材からその記事が新聞に載るまでの間が短すぎて、「裏とり調査」は行われていないのではないのか?(呆)

本書では「菅野完」を信頼できる人物のように書いているが、伊藤詩織の「事件」については記載があるものの、伊藤詩織の「事件」より、やや遅れて「週刊金曜日」に暴露された菅野完の「事件」に全く触れていないのはなぜか?(怒)「週刊金曜日」の暴露は当時、パヨク同士の内ゲバだと話題になり、菅野完が被害女性から220万円の慰謝料を要求されて、「「先っぽ」がちょっと入いっただけだから、5万円にまけてよ!」と被害女性に発言したそうで、被害女性が激怒し220万円の慰謝料を求めて告訴、結果東京地裁判決(2017.8.8)で「110万円の慰謝料の支払い」を命じられたが、それを不服として菅野完の方が控訴(2017.8.12)した。(呆)菅野完は「日本会議の研究」(扶桑社)の印税収入がたんまり入っているのに、220万円ケチるとは、ドケチな野郎だよ!(呆)ケチらなければ、この「事件」は表沙汰にならなかったのではないのか?(笑)この裁判結果は、朝日新聞、毎日新聞等でも広く報道された。また、被害女性は東京地裁結審当日の意見陳述で、伊藤詩織の「事件」に言及しているのに、なぜか望月はこの件について全く触れないのはなぜだ?(怒)

それから、本書の和泉補佐官の記載についても、前川喜平の話だけで記載し、和泉補佐官に対して「裏とり調査」など行っているのか?しなくて記載しているのか、とても心配です!(呆)
「前川さんと和泉補佐官は面識があった。昨年9月上旬には官邸に呼び出され、獣医学部新設への対応を早めて欲しいと要望された。
今年7月に行われた衆議院予算委員会の閉会中審査で和泉補佐官自身は全面否定しているが、その際にはこんな言葉を残していると前川さんは証言している
「総理が自分の口から言えないから、自分が代わって言うのである」」(本書135頁3行目から7行目)

これは一方的に前川の主張を全面的に採用しているではないか!(怒)望月はちゃんと「裏とり調査」を行えよ!(怒)この前川の「獣医学部新設への対応を早めて欲しいと要望された。」という発言だって、「加計学園の獣医学部新設」と和泉補佐官が言ったのか?と閉会中審査で前川が自民党議員に聞かれて、「加計学園の獣医学部新設」とは聞いておらず「獣医学部新設」とだけ聞いたと前川は答弁し、前川は「加計学園」の理事長と安倍総理とが友人関係にあると知っていたので、安倍総理が「加計学園」の理事長に便宜を図るため、和泉補佐官を使って言わせたのだろう!だから、「獣医学部新設」とは「加計学園の獣医学部新設」のハズだと(勝手に)思ったと前川は答弁していたが、これって都合の良すぎる話だよ!(怒)
いずれにしても、和泉補佐官は全面否定!望月のこの本は「裏とり調査」不足が目立つ!(呆)「反安倍」の前川喜平の主張は「裏とり調査」せず、全面的に採用し、本書に記載するのは如何なものか?(呆)

「加計問題の背後では官邸の人間たちが暗躍しているのは、もう明らかだ。」(本書140頁1行目)とあるが、前川喜平が話す「疑惑」だけであり、なぜ「もう明らかだ。」なのか?(呆)エビデンスを明らかにしろ!(怒)エビデンスを!(怒)「エビデンス?ねーよそんなもん!」なのでしょうか?(笑)

望月が「質問はするものの、記事は全く書かない(書けない?)記者」として超有名になった「官房長官記者会見」ですが、望月の質問は非常識すぎる!(呆)何でもかんでも詳細なことまで、官房長官が知っていて、答えられると思ってる大いなる勘違いバカ女記者!(怒)官房長官は全知全能の神なのか!(呆)たとえば伊藤詩織「事件」なんか、官房長官が知っている訳ないだろうが!(呆)関係している警察官僚に直接聞けよ!(怒)官房長官は当然全知全能の神ではないので知らないことを答えるときは秘書官等の用意したペーパーを読むのは当然だ!それを望月は失礼にも「事前に準備されたペーパーを読み上げているのですか」(本書186頁12行目)と呆れたように非難しているが、ご自分望月は最近では官房長官記者会見会場で、呆れたことに堂々と新聞を広げ、その記事に基いて質問し、菅長官から「新聞広げてますね!(呆)その新聞記事に基いて質問していますね?(呆)」と言われる始末!(呆)(※なお、ネットでは、この時、望月が広げていた新聞は沖縄の新聞だとのこと。)

本書はツッコミどころ満載で、その他にも、書きたいことが大量にあるのですが、ぼくがレビューすると、大量のつまらない内容のものになる(笑)ので、このくらいにして、明らかに事実を曲げて、望月自身の都合のよいように「嘘」内容を書いてあるのを指摘しておきます!(怒)

本書110頁8行目の「菅野完さんが持っていた受領書」から本書114頁8行目までで、実際は

平成29年3月17日(金)夜、元しばき隊の「ノイホイ」こと菅野完の家で、籠池側から菅野完に渡された安倍政権が倒れる決定的な明確な証拠が(2つ)あるとのことで、マスゴミたち(東京新聞、共同通信、朝日新聞、毎日新聞、日刊スポーツ、テレビ朝日、フジテレビ、NHKの各社記者たち)が集まりツイキャス(ネット生放送)が実施され、修正テープで「安倍晋三」との文字が消された「振込用紙」を鑑賞するなどした・・・・

その中で、東京新聞記者の望月衣塑子は「(安倍政権は)これはもう逃れられない!(嬉)これで官邸が爆発!(嬉)(安倍政権は)これは言い訳ができない!(嬉)」などと大興奮・大歓喜して発言、なぜか大興奮・大歓喜の「勝利モード」に!(笑)

望月は、ツイッターでも「メディアの流れを大きく変えてる!(嬉)」「これで(安倍)政権は昭恵夫人が100万円を渡していないとは言えなくなる!(嬉)」などと大興奮し、喜々としてツイートしていたが、現在なぜか削除されている。(笑)

望月衣塑子‏@ISOKO_MOCHIZUKI - 2017年3月17日
ツイキャスで、#菅野 氏 @noiehoie が #籠池 氏 長女ちなみさんが、
#安倍 #昭恵 夫人から貰った百万 について生告白。私はそこで取材中。
メディアの流れを大きく変えてる。いやはや。これで政権は 昭恵夫人が
百万を渡してないとは言えなくなる、絶対。昭恵さん正直に告白を!

望月衣塑子‏@ISOKO_MOCHIZUKI- 2017年3月18日
一夜たつも取材の興奮冷めやらず、
昨日@noiehoie こと#菅野 完氏方で
籠池氏長女の町波氏らが#昭恵 夫
人が「記憶にない」とした2015年9
月5日について語る。籠池家族や幼
稚園職員らが百万円に関しどう記
憶し口座に納めたか

望月衣塑子 @ISOKO_MOCHIZUKI - 2017年3月18日
#籠池 町波さん「9月5日塚本幼稚園三階和室で現金百万円の封筒を理事長が昭恵夫人から
受け取り、すぐ妻諒子さんに伝え、諒子さんが『(安倍夫婦)お二人からの気持ち有難いね。
学校建設頑張ろうね」と職員室の町波さんや他の職員にも伝えた」という

(※望月のツイート内容、その後削除して逃亡!(笑))

※籠池側は、次のように説明していました。
平成27年9月5日(土)に、塚本幼稚園で行われた講演会の際、安倍総理昭恵夫人から「どうぞ、これお使いください」「安倍晋三からです」と言って100万円を現金で渡(寄付)されたということだった。(※安倍総理夫人は100万円の寄付を否定)
週が明けた平成27年9月7日(月)に郵便局に持ち込み、依頼人の欄を空欄で寄付金口座に振込入金した。

依頼人欄が空欄だと入金できませんが、このときは、なぜか入金できてしまったそうです。(※これって絶対に嘘だろ!(笑))

入金後、森友学園の会計担当の職員が依頼人欄に「安倍晋三」と記入したが、中間決算で会計士に指摘されため(※どう指摘されたの?)、修正テープで書き直し、今度はそれを再び郵便局に持ち込み、修正印を押してもらったのではないかと籠池側は経緯を調べているとのことでした。(※郵便局が当日その場でならまだしも、後日、こんな修正印を押すようなことは考えられない!(呆))

公開された振込票だが、受領証の「ご依頼人」の欄には手書きで「(学)森友学園」と書かれている。しかし、その上部には修正テープが貼られており、「淀川新北野郵便局長印」という訂正印が押されていた。

※これは当初「安倍晋三」名義で籠池側が振り込もうとしたところ、郵便局にマネーロンダリング防止対策で「安倍晋三」本人でない者が「安倍晋三」名義で振り込むことは法律上出来ない旨言われたので、仕方なく「安倍晋三」の名を修正テープで消し、その上に、「森友学園」名を書いて振り込んだのであろう!(笑)

この資料が意味するのは、平成27年9月7日(月)に森友学園の人間が森友学園の寄付金口座に100万円を振込入金したということだけです。(笑)

真実を百歩譲って、安倍総理夫人が籠池側に100万円渡(寄付)していても、法律違反、道義的責任、何らかの問題などが生じるのでしょうか?(呆)

ましてや、どうして、これで安倍政権が倒れる証拠となるのか、全く理解不能です!(呆)望月さんは、世間をこれだけ(※安倍政権はもう逃げられない!安倍政権は言い逃れできない!官邸爆発!など)お騒がせしたのだから、きちんと国民に説明する義務と責任があると思う!(怒)それをしらばっくれて、ツイートを削除して逃亡するとは・・・!(呆)望月さんは、主婦など一般人ではなく、東京新聞社会部のれっきとした「新聞記者」なのに!(呆)

そのツイキャスを見たネット民たちの代表的な感想・意見
・娘(※籠池の娘)の言ってることが本当かどうか全然実証されてへんやん
・裏取りなしで、この確証得た感
 マジでマスコミって終わってるんだな
 学生サークルみたい
・新聞記者ってこんなレベル低いんだな
・錯乱サヨクが軒並み籠池de真実やってくれて実に面白い
・ノイホイと祝杯あげて上機嫌だった昨夜のツイキャス見て狂気を感じたわ
・ 籠池の娘の証言だけで拡散して良いのかよ?もし間違いだったら、どう責任取るの?
・誤報だった場合のメディアの責任についてはどうお考えでしょうか?

なお、東京新聞社会部・望月衣塑子記者には、ぼくが最近読んだ読売新聞社医療部の高梨ゆき子記者の「大学病院の奈落」(講談社 2017.8)のような本を書く立派な新聞記者になって欲しいです!(笑)でも、「裏とり調査」しない人なので絶対に無理だろう!(呆)

※高梨ゆき子記者は群馬大学医学部附属病院の腹腔鏡手術後連続死亡事件の一連の報道で、2015年度の「日本新聞協会賞」を受賞しています。この一連の報道がなされなければ、未だに腹腔鏡手術後死亡者が続出していたでしょう!なお、個人的に驚いたことに、この腹腔鏡手術を執刀した医師(群馬大学から解雇)が近所のクリニックに勤務(一切手術は行っていないとのこと)していることを、ひょんなことから最近知りました!(驚)


5つ星のうち1.0
自意識過剰
投稿者asahisinnbun様だぞ2017年11月11日

形式: 新書

内容を一言で言うと、自画自賛本です。
自分の講演会には、反論される恐れのある人間(例えば産経新聞の記者)は、絶対入れないそうですし、自分に批判的な意見は、極力シャットアウトされるそうです。それでも叩かれると「言論弾圧」になるそうです。自分が国民の代表で、国民の声を代弁していると信じておられるようです。


5つ星のうち1.0
頭は良いのかもしれんけども…
投稿者アマゾネス2017年12月3日

形式: Kindle版

ちゃんと真実を根拠を追求し、まとめて理論的に把握する。そういう訓練をしてこないと、こういう感情むき出しで、お馬鹿丸出しな残念な人になる。この人の記者会見の様子の動画を見ても、ただのヒステリーにしか見えない。彼女は慶應大学に外部生として入学してます。伝統的に大学から入って来たヨソ者は、幼稚舎から入ってる慶應歴の長いベテランの内部生からは激しく差別されるようですが(笑)大学入試は難しいので努力家だと思います。
しかーし!思想とか哲学とかその辺の勉強、してこなかったんだね。フツーに就職してサラリーマンとして記者になり、センパイのサヨク風の中で純粋培養されちゃった。そんな感じの人、と文章を読んでて感じました。だってテキトーな憶測で官房長官に堂々と説明するんだよ?全国に生放送されるのに、今のネット時代は勝手にアップされて残るのに恥ずかしいわ(笑)
勉強、学問てのは、社会人ほど必死にやらないと世間に取り残される。しかも記者だろお前。毎日毎日、本を読みまくり新聞も各社のものを読み比べ、実際に現場取材しこの目で確かめ、で、初めて真実の記事をしたためる、て人生を送るのが本来の記者です。文明社会の人間の人生の目的は勉強だからね。目の前の生活だけを追われるのは原始時代の人間だ。いや、原始時代でも新しい器具を発明したり、神々に祈るとか精神活動をしていた。原始時代以下ですわ。彼女は頭の性能は悪くないのだから、ちゃんと勉強すべき。やればできる子だよ、きっと。


5つ星のうち1.0
慶応っぽい女性
投稿者アマゾネス愛子2017年11月12日

形式: 新書

わたしがんばりました

慶応っぽいなぁ。
それはたぶん事実だし、こういう人はメディアには必要です。
けど周りにいたらウザいかな。そして彼女が正しさを証明し続けるために否定され続ける人がいる。
対話とか空気とかそもそも読む気がない。
僕は新聞も対話のコミュニケーションだと思ってる。
だから彼女のスタイルは指示できない。


5つ星のうち1.0
言い方は悪いが、こういうのも【自慰行為】なんだろうね
投稿者マグナかるたベスト500レビュアー2017年11月21日

形式: 新書

「菅官房長官がうっかり口を滑らすか逆切れするまで、大きな声で質問し続けることしかできない新聞記者それが私」

そんなの中学生でも出来るよ。

望月衣塑子「イバンカ基金に57億円ガー!(怒)」
菅官房長官「まず事実に基づいて質問してほしい。イバンカ基金なんかありませんよ」

官邸会見で、こんな自分の無恥を晒す質問する人間の書いた本。


5つ星のうち1.0
800円は高過ぎる
投稿者サザエボン2017年11月20日

形式: 新書

どうしても読みたいならブックオフで売りに出るまで待った方がいいですね自画自賛するだけの本なら自費出版でも良かったんじゃ無いですかね、因みに新聞が社会に影響力が無くなり発行部数が減ってるのは、こう云う記者がジャーナリズムを騙ってるからじゃないですかね


5つ星のうち1.0
倒閣活動家の方ですよね
投稿者渡邉2017年11月11日

形式: Kindle版

新聞記者の仮面を被り、選挙の民意を否定する倒閣活動家が書籍に新聞記者を定義したわけですね。
後で読みます。


5つ星のうち1.0
日本一の捏造記者による、最低の差別本
投稿者ぷく2017年11月25日

形式: 新書

捏造記者の王者として、市民から忌み嫌われている差別主義者、望月による駄作。
自分の思い描いた『嘘』を事実化させようと、世論操作を企み菅官房長官を始め各方面から叱責、罵倒、批判される著者。
どのような教育を施されると、このような悪質な記者になるのかが興味深い。
もうこのような日本人差別主義者による捏造は、絶対に通用しない。
このような悪い記者を、消していかなければならない。


5つ星のうち1.0
「打倒安倍政権」をスローガンに掲げる人向け
投稿者本屋巡り虫2017年10月29日

形式: 新書

紀伊国屋で購入。「権力に立ち向かう」と言うよりは反政府活動に傾いた新聞社の暴走した自己満足。
反権力であれば自分が身を置くメディアの歪んだ権力構造についてはどう考えているのだろう。
事実の一部を隠し世論を歪め、真実の追求より倒閣運動に精を出す新聞記者の欺瞞に満ち満ちた正義の形。
政府に臆せず立ち向かう事は記者の姿勢として否定しないが偏り過ぎた政治思想に基づいた目線から脱することが出来ずに一方通行の報道になっている事に気付いてない。
身内の不祥事や誤った報道姿があってもNOと言えず、政権の賞賛すべき姿勢にも正しいと言えないのもある意味新聞記者として「腰抜け」と言われて仕方ないのではないか。
国民は冷静に政局を眺めている。「打倒安倍政権」の集会に足しげく通う自称新聞記者望月さんは果たして中立に事実を、真実を伝える事を放棄していやしないか。
読み終えて次の日には売却。


5つ星のうち1.0
反日反政府の人なのか・・?
投稿者風鈴亭2017年11月14日

形式: Kindle版

何か違和感を感じる本!新聞記者がと言うより・・・工作員が新聞書いてるそんな気がした著作で有ったなぁ・・・( ̄▽ ̄;)
意図的にいやらしさを感じた!日本に住んで日本の恩恵にあずかりながら、反日・反政府は如何なものかと思う・・。


5つ星のうち1.0
“安倍心臓記念小学校”って何だよ? そんなものはありませんよ! “捏憎奇者”さん!
投稿者マキャベリ大将 つなぐぜ!願い!!ベスト500レビュアー2018年3月15日

形式: 新書

たいへん有意義で素晴らしき書籍ですので、☆1として遺したく再録します。
どうやら、こちらは、“害度LINE”の基準バーのようなモノが相当高めのようです。
何回も何回もあれやこれやといろいろと引っ掛かってしまったので、
NGワードに注意しながら再々々々々投稿しました。
“暗号”みたいで読み難くなってしまったこと、何卒ご容赦ください。
なんで正しいことを書いているのにNGワードに気をつけないといけないのかな~。

しかも、自分はギャーギャーと“ナイコトナイコト”を思いつきのまま喋りまくって、
言論の自由というものを謳歌しているクセに、他人に“事実”で“真っ当”で“真実”で、
“正しいこと”を言われると怒りだして手段にでるというのはいけませんやね!

以下は、2017.11.10 “捏憎奇者”さんの大好きな産経さんの記事です。
(↓ここから)
菅義X官房長官、連日の事実誤認の東京新聞記者にまたも苦言「事実に基づいて質問して」
認可前の加計獣医学部を「認可」と質問
菅義X官房長官は10日の記者会見で、学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画をめぐり、
誤った前提で質問した東京新聞の望月X塑子(いXこ)記者に対し
「この前のあなたの質問に対して申し上げましたけど、事実に基づいて質問してほしいんです」
と述べ、2日連続で苦言を呈した。
獣医学部新設計画は、文部科学省の大学設置・学校法人審議会が10日に「可」と答申したの
を受け、林芳正文科相が近く認可の可否を最終判断する。
望月記者は「認可を受け、政権として、加計学園の加計X太郎理事長にしっかりと説明責任を
果たしていただきたいというお考えが…」などと「認可」が決定したとの間違った前提に立ち
質問を繰り広げた。
菅氏は「認可、下りたんでしょうか。まだ下りてないと思います」と一蹴した。
菅氏は9日も、トランプ米大統領の長女、イバンカ補佐官が関わった世界銀行グループの基金
を「イバンカ基金」と呼んで質問した望月記者に対し
「事実に基づいて質問してほしい。イバンカ基金なんかありませんよ」と指摘していた。
(↑ここまで)

おいこら!“イバンカ基金”なんてーのも、ねーーーよっ!

内容は、変わっているというか、健全なる“自覚賞状”が無いというか、
空気を読むもへったくれも無いというか、自己分析やらも長所でもなんでもねーやね。
“痰所・短暑・単所”のオンパレードだと思いますよ。
一般のサラリーマンなら、一発で“秒印”送りか、“懲怪”でも食らっちゃうかも、
ってな感じ。

ガチョリーヌヤマおやツジモと、レンホう、イケウちあたりと同類なのかもしれんけど、
「キーキーカーカー」とうるさいです。言動が“お菓子い”ので、
これまた同類かもしれないけど、“征侵科”の“カヤま痢蚊”先生にでも、
早急に診てもらったほうがいいよ。

これさ、もう手遅れかもしれないけど、政治家やらマスゴミは資格制にして、
“お菓子い”人は、あらかじめ“しゃっとあうと”させて欲しいよ。


5つ星のうち1.0
反安倍政権、メディアの正義を固く信じている人だけが読めば良い本
投稿者Kkitada2017年10月14日

形式: 新書

私は、紙の新聞を読んでいない。もちろん、東京新聞も紙で読んだことがない。
本書は、例の菅官房長官の記者会見で執拗に質問する姿によって一躍有名になった、東京新聞社会部の望月衣朔子氏の新著である。
本書のメインは、菅官房長官の記者会見についての記述だろう。
この辺について、反権力、反安倍政権なとが「正義」である、と信じて疑わない人にとっては、そうだ、そうだ、と
唸るかもしれないけれど、メディアの報道のあり方について、疑っていた私はそうは思わなかった。
本書にも、彼女が書いているのだが、小さい頃、演劇少女で、女優を夢見ていたらしく、何かに感情移入しやすい性質のようである。また、59歳という若さで亡くなった、団塊世代の父親は、ある業界誌の記者をしていたらしく、学生運動もしていたそうで、反権力志向だったようである。望月氏もその気質を受け継いだのだろう。
兎に角、本書は、反安倍政権、そのような報道をするメディアが「正義」である、と固く信じて疑わない人だけが読めば良い本である。
なお、同じ東京新聞ならば、長谷川幸洋氏の報道姿勢を支持している。

「絶対的正義ほど危険なものはない。一切の反論を封殺するからだ。さらにそれが恣意的に発動されるとなると、この上もなく危険になる。(以下、略)」(思想家 呉智英)


5つ星のうち1.0
質問とは
投稿者77352017年10月19日

形式: Kindle版

相手の意見を傾聴したうえで(発言の遮りや話題のすりかえをしてはいけない)、
理解しようと試み(望む回答が得られるまで何度も大きな声で同じ質問をするのではなく)、
真実に基づき(推測や妄想や伝聞は極力避けるように)、
するべきである。


5つ星のうち1.0
新聞記者?
投稿者アマゾンジロウ2017年10月15日

形式: 新書

多分、官房長官への質問同様、自分の妄想、願望の垂れ流しなので、読む価値がない。
大体、こんな人が新聞記者を堂々と名乗っているが、同業の方々がよく許容しているなと思う。


5つ星のうち1.0
記者を名乗るレベルにあらず
投稿者文音2017年10月15日

形式: 新書

せめて取材をして裏を取ってから記事にするのが記者ではないのか?
本書も自己満足のポエムで記事を書く姿勢と同じなのでしょうね
中日新聞も解約させて頂きました


5つ星のうち1.0
汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を亡ぼす
投稿者マッハ2017年10月25日

形式: 新書

彼女には山本夏彦の箴言を贈りたい。

今更反省するような御仁ではないとは思うが。


5つ星のうち1.0
自称新聞記者
投稿者Amazon カスタマー2017年10月16日

形式: 新書

タイトルからして真面目に仕事している新聞記者が見たら憤慨するであろう。取材や裏取りもせずクレームつけるだけの活動家。


5つ星のうち1.0
内閣情報調査室や公安警察
投稿者Amazon カスタマー2017年10月17日

形式: 新書

「内閣情報調査室や公安警察」にチェックされはじめたという情報があるそうです。
  1. 2018/05/21(月) 07:37:38|
  2. 未分類

アマスポーツの報道について

古本屋通信   No 3334    2018年  05月21日


    アマチュア・スポーツの報道について

 スポーツのことは守備範囲外なので、あまり書きたくないのだが、先日からの日大と関学大のアメフトの試合をめぐる報道が延々と続き、ホトホトホトホトいやになった。ひとこと書くことにした。

 いやになったのは、日大の反則のことでも、反則を見て見ぬふりをし、寧ろ指示したらしい日大の監督のことでもない。重大と云えば重大な違反だが、たかが2大学間の試合上の出来事である。これを執拗に報道することの異常を言いたい。

 私的には、トラブル以前に、すべてのアマチュア・スポーツの報道が無効なのだ。

 スポーツは労働の余暇に、労働の再生のために、人間にとって欠かせない条件である。日本共産党のスポーツ政策に賛成である。

 国民 (ここでは人民でも市民でもない) があらゆる機会にスポーツが楽しめるよう、施設等を整える政治にすべきである。また学校スポーツは、小学校から大学まで、勉学の条件を損なわない範囲で、大いに推奨したらよい。ただ問題なのは行き過ぎである。異常な対外試合、プロ要請の下請けになっている高校スポーツ大会は廃止すべきである。高校野球に限らず、高校スポーツの全国大会が負担が大き過ぎる。しばしば商業ベースの餌食にされている。対外試合は県内限定がのぞましい。

 私は大学スポーツ全般に疎い。六大学野球がどうの、ラグビーがどうの、サッカーがどうの、アメフトがどうの、これらを知らない。知らないが、それぞれ伝統があるらしいから、やったらよかろう。だが、たかが大学のサークル活動をなぜメディアが報道しなければならないのか。いっさい不要である。

 反論は見え透いている。人気があるから、要望があるから、多くのファンがいるから、テレビ中継するのだと。これが商業主義の温床であり、アマ・スポーツを歪めている。観たければ、ちょくせつ観に行けばよい。テレビ中継にはスポンサーがつく。金の世界だ。

 私は日大と関学大のアメフト部は試合をすればよいと思う。だがその試合が岡大と香川大の試合に較べて、大きく扱われねばならぬ理由がわからない。水準が違うと言いたいのだろう。だが、全国の大学水泳部で、岡大と鹿屋大は毎年優勝を争う。水泳大会がテレビ放映された話を知らない。

 日大と関学大のアメフトの試合だが、最初、私はちょっとした反則だろうと思った。攻撃の勢い余って無防備な選手にアタックすることはよくあることだろう。だが、その後の報道によれば、極めて悪質な違反だと言う。私は納得した。だから関係者の間で伝えられるような抗議と謝罪があり、今なお最終的な決着が付いていない。私はそのすべてを了解する。みんなが納得できるまで話しあえばよい。

 だが、これらの一部始終をメディアが追うことに何の意味があるのか。何の意味もない。メディアの商売である。つまり日大と関学大の試合のみをスターダムにデッチ上げた。スポンサーから金を巻き上げ、虚構の英雄を作り、プロスポーツへの橋渡しをした。まさに究極の営利主義だった。だからこそ、その延長で、悪質だがたかが違反プレイを、延々と2週間も報道し続けている。

 大学間のスポーツ試合は、大学数×スポーツサークル数×5 あるだろう。その試合の中で、多くの反則がある。怪我もある。2大学間の試合ではアタックされた選手は軽傷だった。入院していない。これは両大学のアメフト部のあいだ限定の問題でしかない。

 この問題がスポーツのフェアプレイを論じるうえで報道が欠かせないというのはウソだある。そんな議論をしなくても危険きわまりない悪質プレイであることは自明である。報道はまさしくエンタメとしてなされている。トコトン腐りきった商業主義である。

。。。。。。。。。。。。。。。。

 別件だが、北海道の何処かの高校で、監督かコーチが所属部の女子高校生にパワハラ指導をしたという報道があった。選手はオリンピックにも出場していたらしい。監督とコーチの全員が辞任し、選手のうちの10人が退部したという。これも報道する必要があったのか、疑問である。それから、部活の指導にパワハラという概念は入り込む余地はない。暴力はダメだが、厳しい指導とパワハラの線引きなど不可能だ。これはセクハラも同じである。ヘンな日本語が一人歩きしている。
  1. 2018/05/21(月) 01:12:34|
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