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古本屋通信

林選挙をサボタージュせよ

古本屋通信   No 3887    2019年   3月25日


冒頭 ありゃ、ご健在で。投稿し捲くってくださいよ。
1. KM生
2019年03月25日 04:48
何しろ、(最高患部が人妻に手を出しながら)公然と政敵招いてパーティー開くような破廉恥な党ですからねー(^^)。




   林選挙をサボタージュせよ! 


 結局、無能だから市議の仕事が出来ない。だから暇で仕方がなく、阿呆ツイートする。しかし、その内容が中学生レヴェルな上に、間違いだらけである。一介の市議が国際問題で、訊かれもしないのにデタラメを喋りまくる。虚栄心からというより、或る種のビョーキだろう。あのなあ、日本共産党においては、国際問題は党中央委員会の専決事項なのよ。党中央委員なら誰が喋っても良さそうなものだが、事件が起きても、志位以外は滅多に見解を表明しない。緒方が云う場合はあるが、小池さえも発言しない。これは至近のベネズエラ問題でもそうであった。なんで低脳市議の林がデタラメをツイートしまくるんだ。もう×すしか手がないだろう。現に今は岡山市議選挙の公示直前である。暇で暇で仕方がないのだろうが、それでも中区の党員は、昨日林当選のために休日を返上して選挙活動をしていたぞ。いったい自分を何様だと思っているのか。断固許さない。

 下に赤字でコメントしておく。


林 潤‏ @hayashijun · 9時間9時間前
ロシア革命後のソ連も、ベネズエラも変質し、平和や国民を踏み躙るようになったら、批判するのは当然です。そんな政権は支持しません。
テメエ、×されたいのか。ロシア革命は1917年である。それから一世紀経っている。新生ロシア=ソ連は何時変質したんだ。その時期を言ってみろ。文脈では革命直後だな。でも以後、少なくとも1960年代中葉まで、日本共産党はソ連共産党と兄弟党の関係にあった。もちろん部分的には意見の違う場合もあったが、全体的に仲がよかった。そういう半世紀以上の日本共産党史を全否定するんだな。まあ最近トロツキストに成り下がった不破のコピーなんだろうが、ならば 『スターリン秘史』 の数行でも引用してみろ。読んでないからで出来ないだろう。×ねやキチガイ。ベネズエラについては、変質もあるだろう。だが南米政権の失政に乗じてクーデターの策動に便乗した志位見解には同意できない。それは措いても、情報はほとんどない。末端の党員に赤旗以外の何の情報があるのか。皆無であろう。黙っていろ。

ソ連やベネズエラに対して「日本共産党が手のひらを返した」と悪く言う人は「日本共産党は、あんな政権を支持するのか」と言えなくて悔しいのでしょう。
なにを妄想しているのか。林の脳内だけの寝言。私は 「手のひらを返した」 と言われても仕方がないと思う。国際問題は予測不可能な問題が多いから、党の不明とばかりは言えないが、それでも結果責任はある。それをすべて避けることは出来ないが、ベネズエラ問題に関して云えば、当初から政権支持など表明すべきではなかった。これはオバマ政権に期待を表明したのも同様な誤りだった。志位は尻ケツが軽過ぎるのだ。

誰でもコメンテーター‏ @sgsdogrun · 5 時間5 時間前
返信先: @hayashijunさん
当初ベネズエラを日本共産党が礼賛したということは、ベネズエラの経済政策を支持したのでしょう。そうでもないでしょう。全体として期待を表明したのです。この経済政策がほどなく過度なインフレを招き破たんしたことを見抜けなかったわけで、他国の経済の一部始終を予測することは、いかなる経済学者と言えども無理です。だから日本共産党を責めるのは無茶です。それに言うなら、アメリカの経済封鎖が最大の要因でしょう。これをシカトしたのでは、貴方自身が反革命分子ですよ。日本で共産党が政権をとると、似たような経済政策を行って日本経済を破たんさせる可能性が大きいということでしょ。ここらになると、貴方は反共の本性をさらけていますね。だいたい 「似たような経済政策」 って何ですか、キチガイに返す言葉はありません。

bookroad‏ @bookroad1 · 5 時間5 時間前
返信先: @hayashijunさん
チャウシャスクとは最後まで友好関係でしたが。チャウシャスクはルーマニアですね、ソ連の文脈と区別すべきですが、それは措いて、最後はルーマニ政権の人権侵害を批判しましたよ。一時期ユーロコミニズムの一党として評価していたのは事実ですが、コレを見通しの甘さとして責めるのは酷でしょう。いわゆる白い共産主義というものは、あの時期一定の評価に価しましたよ。対外関係で党に千里眼を要求すること自体が形而上学です。
てかソ連やチャベスはいつの時期からダメになったという判定なのか。質問はわかりますが、党は極めていい加減ですね。というより時々に依って違います、私的には今でもダメになっていませんよ。スターリン存命時代は忠実な部下でしたね? 質問自体が悪意です。ソ共のフルシチョフ秘密報告 「スターリン批判」 の時期まで万国の共産党はソ連を社会主義の母の国として無条件に擁護していました、トロツキスト以外はね。それが歴史ですよ。貴方のような人が革命の後に処刑されるんだと思います。私は助けませんよ。

muramura‏ @1275thanks · 9 時間9 時間前
返信先: @hayashijunさん
悔しくないしwww 逃げるのが得意なようで。皆が返事を待ってますよwww 事案にはきっちり答えないと。低脳市議など相手にしないで、党中央に絡んでください。林に絡むネット右翼の方は、全体として志位に絡むネット右翼よりも偏差値が低いようです。

頭痛の人‏ @kachimaru22 · 2 時間2 時間前
返信先: @hayashijunさん
なんで日本共産党の歴史勝手に変えるの?歴史修正主義?最悪。
スターリンが自国民殺しまくってたとき日本共産党はソ連支持だったろ? とにかくレヴェル低いね。いや林以上に貴方がです。貴方、スターリンの粛清の正確な歴史資料を持っていますか?

林 潤‏ @hayashijun · 10時間10時間前
林 潤さんが橋本 猛をリツイートしました
私は岡山市議で、次も市議を目指していますが、県議に間違われるのはまだツイートが足りないのかもしれません。ええ加減にせえ。

林 潤さんが追加
橋本 猛 @TAKETAKE7217
返信先: @wild7hibawild7さん、@i234go678q10さん、他9人
この先生暇なの?しょっちゅうツイートしてるけど、県議さんは気楽ですね!

誰が見ても、そう見えるでしょうね、とにかく岡山市議会議員としての仕事をまったくやっていないのですから、ネットで暇をつぶすしか、する事が皆無なのです。今回の市議選挙でも林潤をどうか宜しくお願いします。
  1. 2019/03/25(月) 04:19:03|
  2. 未分類

日本共産党のデマ宣伝を斬る

古本屋通信   No 3886    2019年   3月24日


   最低限日本共産党のデマ宣伝を指摘しておこう


 本日の赤旗日刊紙(4)「野党共闘の分断をもくろむ日本共産党へのいわれなき攻撃 下」 の中に含まれている、看過できないデマ宣伝の部分のみ指摘しておこう。私はこの部分に就いては何度か書いているが、その都度消しているので、改めて必要最小限を赤で指摘する。

 1950年から55年にかけて、徳田球一、野坂参三らによって日本共産党中央委員会が解体され党が分裂した時代に、中国に亡命した徳田・野坂派が、旧ソ連や中国の言いなりになって外国仕込みの武装闘争路線を日本に持ち込んだことがあります。
  しかし、それは党が分裂した時代の一方の側の行動であって、1958年の第7回党大会で党が統一を回復したさいに明確に批判され、きっぱりと否定されました。
  日本共産党が綱領路線を確立した1961年の第8回党大会では、日本の社会と政治のどのような変革も、「国会で安定した過半数」 を得て実現することをめざすことを綱領上も明確にしました。これは外国の干渉者たちが押し付けてきた武装闘争方針を排除したことを綱領上はっきりと表明したものでした。 ・・・・ 以下、省略。




   再録 と 批判


1950年から55年にかけて、徳田球一、野坂参三らによって日本共産党中央委員会が解体され党が分裂した時代に、
ここまでは概ね間違いではない。

中国に亡命した徳田・野坂派が、
少なくとも野坂除名までの時期には「徳田・野坂派」 という言い方はしていなかった。時期によって言い方は多少違っていたが、ブル新聞は所感派(私はこの所感派という言い方が気に入っている。なぜなら、この言い方には当時の徳田主流派がコミンフォルムと対立の関係にあった事が命名でもって明示されているからだ。つまりソ連や中国を含む国際共産党の情報局は極左方針の日本共産党主流派と対立していたと)、党内では「徳田書記長ら分裂した一方の側」 が一般的であった。また 「中国に亡命した・・・」 も適切な表現ではない。いわゆる徳田機関をさすのだが、これは徳田らが進んで中国に亡命したのではない。レッドパージによって党中央委員会の全員が公職追放になったため、やむをえず北京に逃れたのである。国内に椎名臨時中央指導部を残して、党内反対派を斬り捨てた徳田らのやり方が間違っていたのは事実だが、亡命の名は適当ではなかろう。それと野坂自身は北京機関に行っていないから、この点でも「中国に亡命した徳田・野坂派」は誤解を生むだろう。

旧ソ連や中国の言いなりになって外国仕込みの武装闘争路線を日本に持ち込んだことがあります。
これはトンデモナイ誤りというより、後になってデッチ上げたデマ宣伝である。この時期、ソ連も、中国も、コミンフォルムも、極左の武装闘争路線を日本共産党にまったく押し付けていない。押し付けていたというなら、その根拠を明示せよ。まったく明示できない筈である。党51年綱領は党5全協の決定に拠る方針だが、これは日本共産党内の徳田主流派の極左主義あって、コミンフォルムの評論員論文 「日本の情勢について」 はコレを明確に否定(批判)したものであった。もちろんスターリンが日本共産党の極左方針に関与していた事実もない。また徳田らを北京に受け入れた中国共産党だが、正直に云えば迷惑この上ない存在であった。このことはその後の経過で明らかになる。つまり最終、中国が伊藤律を日本に送り返した経過の中で、そのことが隠しようもなく証明されただろう。もちろん中国が徳田ら極左方針を支持したとか、ましてそそのかしたという事実は皆無である。中国が他国の共産党に中国式の武装闘争方針を押し付け始めたのは1960年代に入ってから、晩年の毛沢東の時代である。インドネシア共産党(アイジット議長)はその最大の犠牲者であった。


しかし、それは党が分裂した時代の一方の側の行動であって、1958年の第7回党大会で党が統一を回復したさいに明確に批判され、きっぱりと否定されました。
この2行の表記自体が、書かれている事のでたらめを立証している。極左冒険主義の武装闘争方針の党51年綱領が 「党が分裂した時代の一方」 の綱領でなかったからこそ、それを6全協を経て、第7回党大会で大会として自己批判して廃棄した。いいですか、徳田派を批判したんじゃあないのです。全党が自己批判して廃棄したのです。だからこそ第7回党大会で、徳田主流派の生き残りの領袖であった野坂参三の中央委員会議長選出があったのだ。ここに至るまでには宮本の自己批判書の提出もあった。とにかく党史のご都合主義的改竄がヒドイ。極左方針を徳田主流派の責任にしたのは、殆どの旧徳田派の幹部が鬼門に入って後である。とにかくやることが穢い。

日本共産党が綱領路線を確立した1961年の第8回党大会では、日本の社会と政治のどのような変革も、「国会で安定した過半数」 を得て実現することをめざすことを綱領上も明確にしました。
この新綱領には日本革命の形態が平和的なかたちをとるのか、それとも非平和的なかたちをとるのかは、敵の出方によるとハッキリ書かれている。これは当然のことだ。民主連合政府が国会の過半数を獲得して、樹立されたとき、あるいはその可能性が圧倒的であるとき、国家権力がそれを指をくわえて見ていてくれればよい。しかし革命をぶっ潰す反革命のクーデターに決起したとき、革命勢力は必要な正当防衛の権利を有するものだ。常識中の常識である。インドネシアの反革命では革命前夜に共産党員数百万が一夜にして殺された。私は、昨今のベネジェラを見ていても、またコレまでの世界革命の経験からも、国内の反動分子が自衛隊の一部をそそのかして、あるいはアメリカ帝国主義と結託して、日本革命を流産させる企ては必ずあると確信する。ただ、その場合も流血の惨事を極力避けて、合法的に反革命分子を逮捕できるよう、国民世論でもって包囲すべきだろう。でも国家権力の一部が武器をもって襲撃してくる時、当然ながら武力でもってそれを鎮圧する局面はあるだろう。まさに敵の出方である。ただ警察権力に全面的に依存することはできない。当然ながら自衛軍を組織しなければならない。だが大袈裟な武装組織を想定する必要はない。大学闘争の正当防衛の経験を想起すればよい。民主化棒である。それと八鹿高校事件(よくも解同丸尾派は八鹿高校の教師の大半を半殺しにしてくれたな。しかも警察や行政の目の前の凶行だった。つまり但馬地方には殺人集団しかいなかったのだ。なら殺人集団を武力でもって打倒するしかない)の教訓である。私はあのときの民主派の武装が丸尾の一命を救ったと思っている。武装していたからこそ、丸尾は抵抗できず、したがって殺されなかったのである。

これは外国の干渉者たちが押し付けてきた武装闘争方針を排除したことを綱領上はっきりと表明したものでした。 ・・・・ 以下、省略。



。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


 むつかしい、微妙な質問が5チャンネルであったので、最低限答えておく。


496革命的名無しさん (ワッチョイ)
2019/03/24(日) 20:14:55.240
それで、五全協、51年綱領ってのは党が分裂していたのが統一されてできたものだよな。

五全協が正式の党機関であったと認めることには、私は疑問がある。だが51年綱領はここで決定されているから、51年綱領を正規の党綱領と認める以上、五全協を認めないわけにはいかない。これは六全協の評価とも関わるのだが、宮本ら当時の反主流派は五全協、51年綱領を認めていない。私は誰彼が五全協に参加あるいは不参加だったのかの確定資料を持っていないが、六全協には全員が参加している。そこでは「51年綱領は完全に正しかった」 と確認されている。ということは、五全協あって六全協だから、五全協も認めざるを得ないということだろう。マアここらの矛盾を言い出したらキリがないワ。

ミヤケンの自己批判書は国際派が分派と認めたってこと?

私は実物の文言を確認していないが、形式的なものだったろうとの認識である。宮本だけ無傷であったのでは主流派は収まりがつかなかった。だから妥協して自己批判書を提出して、主流派と手打ちしたのだ。当然ながら、8大会以後に、その文面は闇に葬られた、そういうことだろう。当時は分派として認めた上で、統一を回復したということだろう。宮本らはコレをトコトン隠しているけどね。
  1. 2019/03/24(日) 13:19:15|
  2. 未分類

ぴかな氏の玉稿を転載する

古本屋通信   No 3885    2019年   3月24日


   ぴかな氏の玉稿を転載する


 キンピー板の長文投稿が何やら古本屋を挑発されているようだ。だが私はこれから連れ合いの使い走りで、岡山平和美術会の会計の清算のために、早島に走る。まだ詳細に読んでいないのだ。だがたぶん反論はしない。というのは論者のぴかな氏がマルクス主義者を名乗っておられないからだ。私は非マルクス主義者と論争しないというのではない。でもそれは政治的現実を切開し変革する上でいずれが有効かという文脈において、である。そうでなければ所謂神学論争になってしまうだろう。

 という次第で反論はしないが、せっかくの長文はそれなりの力作だと思うので転載する。こういう論稿が寄せられるのもキンピー板ならではのことであろう。玉石の石が圧倒的なだけに転載の衝動にかられてしまった。

  一点、文中の 「見苦しい言い訳はやめて、自分のブログじゃなくてこのサイトに来て対等の資格で堂々と論戦しろや。どうせそんな事は出来ないヘタレだけどね」 だが、これは既に答えている拙文を末尾に再録しておく。たぶん5チャンの投稿も同氏であったのだろう。





9. ぴかな
2019年03月24日 05:27
このサイトは、たまに来て適当な話をぶちまけるだけにするつもりだったけど、割と重要な指摘があったから、珍しく短い間隔で重要な話を投稿しておく。今回はBGMを指定しておく。というかこれを聴きながら書いてたから文章がセンチメンタルになったんで状況は察してくれ。聴きたければ別のタブを開いてループ再生にして流しながら読んでくれ。嫌なら無視してくれ。
https://www.youtube.com/watch?v=dKStPAmch8E

パヨクの教祖様・マルクスの引用をしましょう。誰かの思想を元にしたナントカ主義とかいうものは、必ず典拠主義に陥る。原典にこう書いてあると指摘すれば、それは錦の御旗だ水戸黄門の印籠だ。(でも実はそうじゃないという話になるんだけどね。)本来ならマルクス主義者と称するやからは、マルクスの引用には決して逆らえない。本来なら…。カール・マルクス著「ゴータ綱領批判」より。どの訳本の何ページかまでは書かないよ。そのくらい自分で読んで確かめてね。

10. ぴかな
2019年03月24日 05:28
「ここで問題にしているのは、それ自身の基礎のうえに発展した共産主義社会ではなくて、反対に、資本主義社会から生まれたばかりの共産主義社会である。したがってこの共産主義社会は、あらゆる点で、経済的にも道徳的にも精神的にも、それが生まれてきた母体である古い社会の母斑をまだ身につけている。それゆえ、個々の生産者は、彼が社会に与えたのときっかり同じだけのものを――あの諸控除をすませたあと――とりもどすのである。彼が社会に与えたものとは、彼の個人的労働量である。たとえば、社会的労働日は、個人的労働時間の総和からなる。個々の生産者たちの個人的労働時間は、社会的労働日のうち彼が給付した部分、すなわち社会的労働日のうちの彼の持ち分である。個々の生産者は、(共同の基金のための彼の労働を控除したのち)これこれの量の労働を給付したという証書を社会から受け取り、そしてこの証書をもって消費手段の社会的な蓄えのなかから、それとちょうどひとしい量の労働がついやされている消費手段をひきだす。個々の生産者は、ある形態で社会にあたえたのと同じ労働量を、別の形態でとりもどすのである。」

11. ぴかな
2019年03月24日 05:29
一読してわかる筈だが、マルクスが言う社会主義(共産主義の初期)では、貨幣を廃止して労働証書制が行われる。これは商品を廃止するためだ。周知の通り(かどうか不明だが)マルクスの主著「資本(論)」は商品の分析から始まる。商品の廃止は、この理論の必然的帰結と言うべきか。自明の事なんだが、ソビエトロシアや毛沢東時代の支那で労働証書制は実行されてなかった。冷戦時代の東欧諸国やユーゴスラビアや金正恩時代初期までの朝鮮民主主義人民共和国やホーチミン時代のベトナムなども同様だ。これらの国はマルクスが言うところの社会主義ではない。では何かと言えば、全ての資本を国家が所有する体制、つまり国家資本主義なのである。(官僚制集産主義云々の議論はここでは省略。)
なおマルクスが言う社会主義社会とは、生産手段が国有という社会じゃない。国家は廃止されて全人類が共同体となり、生産手段は全人類の共有になる。つまり「社会主義国」という言葉自体がマルクス主義に反するのだ。まあマルクス主義の基礎の記述は面倒だけど、近頃は誰も知らないからいちいち書いておく必要はある。でもマルクス主義の余計な知識のない若い世代の人の方が、マルクス主義の本当の落とし穴に気付き易いかもしれない。これを読んで、マルクスという人は随分空想的な社会の構想を描いてたんだなという感想を持つ人もいるかもしれない。そういう直観が大切だと言っておこう。

12. ぴかな
2019年03月24日 05:33
昔はレーニンやスターリンやトロツキーといった連中の本人の言説も調べたけど今回は省略で概要だけ書く。いずれ引用する機会があるかもしれないしないかもしれない。レーニンはマルクス本人の言説は意識してたから、ソビエトは国名に社会主義とかつけていても目標みたいなもので実際は国家資本主義だと言ってた。そもそも国家なんて廃止対象な訳だしね。それがスターリン時代になって社会主義国と称するようになった。そしてライバルのトロツキーは労働者国家だと称した。要するにスターリンやトロツキーといった2流の人間が、マルクス主義に反する出鱈目を世界に撒き散らした。但し周知の通りマルクス主義者の大多数はスターリン派やトロツキー派やその亜流(毛沢東派も含めて)だ。日本は勿論アメリカやヨーロッパ諸国でも、ソ連(など)=国家資本主義説の支持者は極小党派の域を出なかった。科学がいかに政治に屈するかの見本を提供してるね。水戸黄門の印籠は踏みにじられ、助さん格さんともども悪党どもに切り殺されてしまった。なおトロツキーは暗殺されたので世界的に判官贔屓の同情論が強かったが(私も自分で調べるまではそうだった)、実際はスターリンと全く同じ穴の狢だ。スターリンより悪質な部分すら多い。
ソビエトロシアや共産支那が、マルクスが言う意味での社会主義じゃないというのはこれで確定するのだが、もしかしたら縄文時代や弥生時代かもしれないという問題も生じる。マルクスの資本主義の定義は、資本と賃労働の分離(企業に雇われて労働者が働くという事)だから、ソ連や支那はその条件は満たしてる。ただポルポト政権は、貨幣を廃止して給料は現物支給だったから、労働が賃労働じゃない訳で、あれは国家資本主義とは言えない。じゃあ何かと言えば古代国家だ。この辺も一番基礎的な話なんだけどマルクス主義者の多くは忘れてるね。

13. ぴかな
2019年03月24日 05:36
あと私は右派でマルクス主義とは敵対するから、普通にものを言う時はマルクス主義の用語は使わないよ。つまり「マルクス主義に則る場合にはソビエトロシアや毛沢東時代の支那は国家資本主義だ」とは言うけど、一般人向けにはソビエト体制などについて社会主義という呼び方はする。あと今の支那(ベトナムや朝鮮なども)は、資本の国家所有を解体して私企業が資本の主体になってるから、スターリン主義やトロツキー主義や毛沢東主義の基準からしても社会主義国や労働者国家じゃなくて普通の資本主義国家だ。(朝鮮は自由化の途上だが方向性は見えている。)そして支那は対外政策も帝国主義そのものだ。ベトナムは地域小帝国主義だったが、今は支那に対して防戦一方だ。支那帝国主義とアメリカ帝国主義とどっちがましか、マルクス主義者はよく考えてみるんだね。
折角だから馬鹿の見本の古本屋を挑発しておこう。私は一応性的少数派なので、こいつの物言いにはムカついた。だから攻撃する。マルクス本人の社会主義の定義は上に書いた通りだ。それでお前はどういう理由で支那やベトナムや朝鮮を社会主義国(そもそも自己矛盾用語だが)と呼ぶんだい?どういう理由で日本は支那や朝鮮と仲良くしろと言うんだい?お前はもう死んでいる。いや生きてるけどマルクス主義者じゃなくなっている。自分はマルクスに敵対する人間だときっちり書いといてね。一番不誠実なのは、マルクスに敵対しながらマルクス主義者を自称する事だからね。というか見苦しい言い訳はやめて、自分のブログじゃなくてこのサイトに来て対等の資格で堂々と論戦しろや。どうせそんな事は出来ないヘタレだけどね

14. ぴかな
2019年03月24日 05:38
この馬鹿の見本の古本屋は、マルクスに逆らうばかりか、レーニンにもスターリンにもトロツキーにも毛沢東にも逆らってるんだけどね。要するに本質は左翼的な気分だけ残った脳味噌すかすかな愚か者だ。ただこのレベルの人間がどういう阿呆らしい口上を並べ立てるかは30年以上前から知ってるから、ここで何を言っても無駄だけどね。馬鹿の言い訳を見るのは楽しみだとだけ言っておく。
実は私は学生時代、ソ連(など)=国家資本主義説と官僚制集産主義説の理論の系列と発展をまとめて所属サークルの機関誌に書いた事がある。学祭で何十部か売ったけど今でも持ってる人がいるかな。当時はインターネットなんてないから個々の理論家について調べるのも大変で、主要な理論家で最初にソ連=国家資本主義説を唱えたパンネクークについても名前しか書けなかった。美味しそうな名前(英語だとパンケーキ)だけど天文学者だったんだね。
それで社会主義が崩壊した後で、スターリニストやトロツキストなどの中から、ソ連(など)=国家資本主義説に転向する連中が少し現れた。火事を出して家を丸焼けにしてから、豚の丸焼きの作り方を習いましょうという話だ。まあそれでも転向しない連中よりは多少ましかもしれんが、それは社会主義の崩壊前に言わなきゃ意味はなかったんだよと言っておく。(実は私自身も国家資本主義だろうと確信したのは1988年頃だから滑り込みなんだけど、年代的には仕方ないのだよね。)

15. ぴかな
2019年03月24日 05:39
若い世代は同時代の事として体験出来なかったけど、まともに勉強すれば結論は自明な筈だ。だが香西某の議論を見てもゴータ綱領批判を読んでるとは思えない。それに共産党は崩壊前の社会主義国を、社会主義と呼んでいて、決して国家資本主義だとか官僚制集産主義だとか呼んでなかった。今になって社会主義じゃなかったと喚き散らすのは、盗っ人の居直り以外の何物でもない。香西某は自分の塔が何を言ってきたかは何も調べてないだろう。
ただね、相武印月齋には悪いんだけど、今ここでマルクス本人がどう言ってたかを議論しても、そんな事は政治的には何の意味もないんだよ。当時私は既に右派(まあ現在の基準だと中道左派だろうけどな)だったが、左翼の知り合いもそれなりにいた。で、「マルクス本人はこういう風に言ってるんだけど」といった話は何人にもしたんだけど、誰も自分でマルクスの本を読んで考える事はしなかった。スターリンやトロツキーといった2流の中間教祖、いやそれ以下のもっと低級な連中(宮本とか黒田とか本多とか西とか太田とか荒とか塩見とか向坂とか狭間とか)の文章の人間録音機をする連中ばかりだった。これが日本で一番偏差値が高い大学の実態だった。(それでももっと偏差値の低い大学だと、このレベルの連中の本もまともに読めない馬鹿ばかりだったけどね。)

16. ぴかな
2019年03月24日 05:41
だから私は人間の知性なんてものに一切の信頼を置かない。そんな事よりずっとずっと大切なな事がある。それは基本的な事柄をいちいち自分で確かめていく誠実さなんだ。それは知能の高さや知識の量とは何の関係もない。知能がいくら高くても、知識がどんなに多くても、こういう誠実さがない人間は、必ず錯乱した知識の迷路に迷い込む。ゴータ綱領批判なんて別に高い本じゃないし内容も難しくはない。(岩波文庫は訳がひどいものが多いという話は置いといて。)そういうものを自分で読んで確かめて考えていく事が本当に本当に大切な事なんだ。相武印月齋は、そういう事をする人間が人口の何パーセントいるか見積もった事はあるかい?そして往々にして頭のいい人間の方が知識の迷路にはまり込み易い。そうなる位なら知識などない方がましだ。だからな、本当に珍奇なのは、反知性主義の批判を喚いてるような連中だ。こいつらは全員と言っていいが3流・4流の人間の文章で判断してる連中だからな。自分たちこそ知性というものがいかに信用ならないかを身を以って示してるのにね。
ゴータ綱領批判と同じような体験はコーランや三国史記でもした。イスラム教や古代朝鮮を持ち上げるパヨクに対して、原典にこう書いてあると言っても、誰もそんな事は見向きもしない。このサイトでも必要があればコーラン(正式の発音の話は置いといて)やハディースの引用はするだろうけど、そんなの見たくない連中に「クルアーンやハディースに書かれていることを援用して批判を加える」なんていうのは無意味なんだ、少なくとも政治的には。同様に三国史記を引用して日本や韓国の古代史を論ずる事もね。

17. ぴかな
2019年03月24日 05:43
パヨク運動だけじゃなくて、右派や中道も含めた全ての政治運動や宗教運動やその他の社会運動についても言えるんだが、参加者の多くが自分に酔っていて、自分のしてる事が本当に正しいかという反省が欠如してる。だからマルクス本人が何を言ったかにも無関心でいられるんだろう。そしてこんな連中が権力を握ったら、自分の妄想を社会全体に押し付けるようになる、つまり全体主義化するのは必然なんだ。ロシア社会民主労働党多数派(後の共産党)は、10月クーデターで権力を奪った後、選挙はしたのだが不正選挙の挙句惨敗して、制憲議会を1日開いただけで潰して独裁権力を確立した。国民社会主義ドイツ労働者党でも権力奪取と独裁化は、選挙の勝利と国会の議決でやったが、共産党はクーデターに次ぐクーデターで権力奪取と独裁化をやった。ナチスと共産党はどっちもどっちだけど形式上は共産党の方が凶悪だからね。
因みに何故社会主義(マルクス主義で言うと国家資本主義)が崩壊したかの理由の核心を書いておく。それは統制経済では商品のまともな価格決定が出来ないという事なのだ。これは計算が不可能という意味ではない。これについても一応調べた事がある。理論上は価格計算が可能な事は証明されている。ただ当時の計算機の性能では無理なんだが、それは本質ではない。消費財の価格が低過ぎる事は計算するまでもなく自明だった。スターリン体制のような強固な独裁体制でも、国民への迎合で消費財価格が市場での均衡価格より必ず低くなるのだ。価格体系の歪みは各所に発生して計画経済は機能しなくなる。これを解決する方法は価格自由化しかなくなる。

18. ぴかな
2019年03月24日 05:46
但し企業は国有だが価格決定は市場で行う社会主義もあった。ユーゴスラビア型社会主義である。これが崩壊した最大の原因は、政治的自由化に伴って民族間の抗争が発生したためで、直接には経済的崩壊ではない。ただ赤字の国有企業の倒産を抑えたための財政赤字の増大という問題はあった。政治的崩壊がなくても、最後には経済的崩壊を招いた可能性は高いだろう。なおマルクスの言う社会主義でも問題の本質は同じだ。商品は廃止されてるといっても、労働証書制での消費財の価格相当分の決定は人為的に行われる。となると必然的に消費財の不足が発生する。ここからマルクスの社会主義も国家資本主義諸国と同様に崩壊すると思われる。
マルクスの構想(妄想)では、生産手段を全人類の共有にすると人間はみな利他的になると考えられていた。正気を疑うような議論だが、マルクスはそもそもの最初からダーウィンを批判しており、生物の本質が利己性であるという事実から目を逸らしていた。マルクスの妄想では、マルクスの言う社会主義になると、人民はみな適切な消費財価格相当分を受け入れる筈だった。余りにもお目出たい想定だとしか言い様がない。マルクス主義の科学への敵対の核心は、生物学の否定にある。そしてマルクスの同時代の科学の水準から言うと、既に正解が登場してたにもかかわらず、マルクスはわざわざ間違った立場を採用していた。

そんな訳で最後の締めは、星神エルク・ハルクステンではなく、太陽神ヨピョピィルメナムティに狂信的な信仰と忠誠を捧げて長話を終えておく。


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    再録


   古本屋通信   No 3882    2019年   3月22日


   如何にすれば最もよく戦いうるのか


 5チャンネルに、古本屋通信の方法(私がこのブロから離れないこと)に就いて、以下の投稿があった。それに答えるかたちで、私の方法論に関して少し自論を述べる。



485革命的名無しさん (ワッチョイ)
2019/03/21(木) 19:03:59.120>>486
なんで古本屋通信のダンナはキンピーブログに直接参加してちくまくみやbosiの取締りをしないんでしょうか?

486革命的名無しさん (ワッチョイ)
2019/03/21(木) 20:45:02.150
>>485
単に古本屋がヘタレだからだろ。
この話題、概出。
下らん書き込みすな。




 486が私のことをヘタレと言うのは臆病者との意味であろう。そういう見方は当然ありうるし、ある意味で当っていないことはない。また、「この話題、概出」 というのは、なにやら上に書き込みがあったのを指すらしいが、ピントはずれで私は関知しない。

  485の疑問は当然である。以下、それに答える。

 私はネットを始めて約7年になるが、いまだ一度も自分の場(庭)から離れたことはない。他所に投稿したことはない。したがって其の方法さえも知らない。またハンドルは架空の古本屋通信だが、とっくに実在リアルの名前と店名はバレている。別に差し障りはないが、それでもバーチュアル空間からは離れない。その方がよく情報を発信しうると思うからだ。また、私は出来るだけ実在リアルの日本共産党と関わらない方針である。各種の集まりにも最小限しか出掛けない。

 それでも私の中心は日本共産党批判である。だが少し丁寧に読んで貰えば分かるが、私の批判対象は実在リアルな党では決して無い。殆どがネット上に顕われた文言への批判である。石村智子、武田英夫、大平喜信、林潤、崎本とし子ら、すべてネット文言への批判である。反対に評価する論者、河村ひろ子、大山奈々子、坂井希らも同じである。

 つまりネットといふバーチュアル空間からは離れない。で、もしここから離れて、私が党批判を開始すればどうなるか。たぶん共産党岡山県委員会も黙ってはいまい。粉砕に掛かるだろう。当然な自衛措置である。

 私の本名をこのさい明かしておく。石川あつみ(穆海)。先方がどう思っているか知らないが、実在の石川は党岡山県委員会の人々と良い関係にある。いくらかの協力もしているし、頻度は少ないが会えば立ち話もする関係である。だが先方は古本屋通信のことは決して持ち出さないし、私も別人格として対するのである。

 それから私に対して、いくらかのお勧めもあった。ネット配信をベースに据えつつ、リアルな出版も手掛けては如何かという話である。まったく売れる自信がないこともあるが、そういう発信の無力は、出版社にいた私が一番よく知っている。1000部印刷して完売は有り得ないが、仮に完売しても、古本屋通信の一週間の読者数にも及ばないだろう。それでも出版の有効はあるが、実際にやってみれば、如何にシンドイ仕事か分かるだろう。私の父に二冊の著書がある。編者は私である。数百万の赤字である。もうマッピラなのだ。

 他所に私が投稿しない件に戻る。キンピーサイトは有効というより、極めて優れた投稿サイトである。管理人様の設定も優れているし、何人かの優秀なコメンターもおられる。だが私は如何なる他人に対しても、批判の自由を確保する者である。その批判はキンピーサイトの内側から可能な場合もあるが、それは管理人様が設定された枠組みの中でしか可能でないだろう。それを私が窮屈に感じるということだ。言論の自由とは自分の土俵の上でしか発現しない、そういう見解である。長々しい弁明になった。



495革命的名無しさん (ワッチョイ)
2019/03/24(日) 12:44:40.580

「長々しい弁明」??

「痛々しい弁明」と変換を間違えたか?w



あのう、この弁明、2日で9個も拍手がついてるんですげど。イケマセンか?
  1. 2019/03/24(日) 06:30:00|
  2. 未分類

2つの投稿が並んで仲良く共存

古本屋通信   No 3884    2019年   3月23日


  マア2つの投稿が並んで仲良く共存してるわけだ


 これらがいっけん同レベルに見えるところがキンピー板の懐の深さだろうね。でもKM生様はあほらしくなったのかも。見事な対称だからコメントしておこうか。



4. 太宰ファン@濃い「共産趣味本」発見
2019年03月22日 23:43
「神なき国の科学思想: ソヴィエト連邦における物理学哲学論争」金山浩司著、ちょっと高価(アマゾンにあり)。

1920~40年代にソ連の雑誌「マルクス主義の旗のもとに」で繰り広げられた、最先端の現代物理学(量子力学、相対性理論他)の解釈をめぐって、ソ連の物理学者たちと党の「弁証法的唯物論」を担う哲学者たちとの間で繰り広げられた厳しい論争の詳細。

当時スターリンの大粛清時代で、論争に負けると冗談でなく失脚、処刑がありえた状況。事実、若き党哲学者や物理学者が何人か逮捕、処刑されている。ひええ。

この本、万人向きでないけれど、昔レーニンの「唯物論と経験批判論」を読まされた世代には得るものもあるかも。

下に太宰ファン様のレビューの全文も貼ったが、例によって政治的断罪が先行する論法は感心しない。哲学論争は何処まで行っても哲学論争である。それは私が知るかぎりでも無数にあった。ソ連の哲学界よりも寧ろ東欧に多かっただろう。日本の唯物論研究にも論争はつきものだった。加藤ー三木論争とか、デボーリン批判を巡る論争もあった。旧社会主義圏に於いても、それが権力闘争と結び付いて弾圧の口実になる場合は多く無かったというのが私の認識である。また、これはマルクス主義者の間だけの議論ではないが、レーニンの「唯物論と経験批判論」が哲学の政治への従属を招いたという事件があったら教えてほしい。ところで金山浩司という人はずいぶん若いが、東京大学出身の科学史家らしいので是非読んでみたい。私は理科系ではありませんが、恩師である岡大の近藤洋逸先生脚注が科学史の第一人者でしたし、その関連で東京大学の科学史の系列には興味があります。廣松渉脚注から佐々木力脚注でした。著作はほぼ読んでいます。晩年の近藤先生は自分よりずっと若い廣松の中にマッハ主義を看られたようでした。私は初期マルクスとエンゲルス関係で、廣松にはずいぶん世話になりました。ブントの哲学者でしたが。

金山浩司 九州大学の科学史研究者。現在、二つのテーマに主に従事している。1)スターリン時代のソヴィエト連邦における物理学者集団と権力との相互関係、物理学をめぐる哲学・イデオロギー論争 2)20世紀中盤の日本における科学論・技術論の展開。




5. ちくまくみ
2019年03月23日 01:11
ツイッター界の共産党アホツイートといえば、京都第一法律事務所の渡辺輝人弁護士もひどいですよ。一言でもひどい点を書いてよ。この人、とにかくツイートが全部上目線の高飛車で、しかも論理的に崩壊してるので左翼の論客に批判されまくってんですが、彼のリプライは信者ばかりで共産党というのはロジックも糞もないバカ政党さらしてます。

上智大学卒業だと自慢ツイートうざいから英語でリプライしまくってたのですが、あなたの英語もいちど拝見したいです。完全ムシです。英語話せないんだと思います。話すと書くは別では? 上智大学卒業したのに、調理師学校卒業の女に英語でからまれて赤っ恥もいいとこ。すごい差別主義ですね。いや、貴女が。
どうも法学部卒業で英語話す人あまりいないらしく、そんなことはないでしょう。東京大学法学部卒業弁護士も、私がFacebookで英語で共産党ディスりまくってたところ何ディスられてるのか気になったらしく、最近英語の勉強始めたそうです。アホですね。


何処をどう読んでも、貴女の妄想としてしか読めないです。オープンスペースの悪用はやめましょうや。ご自分でサイトを開設したら分かるでしょうが、地球上の誰一人貴女の話など聞いていませんよ。ばかりか迷惑なんです。



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アマゾン・レビュー

神なき国の科学思想: ソヴィエト連邦における物理学哲学論争
2018/9/26 金山浩司 著
¥ 7,560

太宰ファン
5つ星のうち4.0
緻密で優れた本である。ただ「論争の内在的分析」だけで良いのだろうか。政治的敗北(失脚・粛清)の恐怖など、心理的・心情的葛藤の分析も必要ではないか。 2019年3月22日
「神なき国の科学思想」といっても、現実は「弁証法的唯物論」という教義、「自然の弁証法」「唯物論と経験批判論」という経典、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンという「現人神」までいる、がんじがらめの「疑似宗教」世界で、客観的に見れば、ガリレオの宗教裁判もどきの厳しい論争という異常な事象の詳細に、衝撃を受けた。著者には見慣れた世界のようであるが。

「論争の内在的分析」を中心とした書だ。確かに量子力学、特殊・一般相対性理論、熱力学第二法則、宇宙論等々、従来の素朴実在論や因果律、永続する宇宙観を覆すかに見える物理学の革新が相次いだ時期で、世界的にも解釈や世界観で論争や混迷が見られており、党と国家の公認哲学たる「弁証法的唯物論」で最新の物理学の成果をどう解釈し、位置づけ、物理学者をどう指導するかは、政治的イデオロギー的に極めてcriticalな問題であり、その論争の内実の解明は、科学哲学・科学思想史上の重要課題である。ロシアでの一次資料の緻密な分析が展開される、優れた本と言えよう。

しかし、一方、この論争の背景には、ブハーリンの失脚・処刑、スターリン政権による「大テロル」、物理学者・科学者(哲学者含む)の多数の粛清(逮捕・処刑、本書の登場人物でも、ゲッセン、ブロンシュテイン、シュービンほかの犠牲)があった。そういう政治的・社会的背景がもたらす「恐怖」或いは「嗜虐的・攻撃的な異常心理」、そういうものが、当事者の意欲、論理、レトリック、攻撃の矛先と共闘相手の選定等に、深く影響しているはずである。著者は、論争の様態の短期間での激変に、その可能性を指摘するのだが、具体的な心理、心情に踏み込んだ分析はあまりない。あくまで記録に残った半ば公的な書簡、発言、原稿、雑誌等刊行物を中心とした分析だ。論争の内在的な論理やその展開をpureに浮き彫りにするにはそれが有効であり、また資料が限られている側面もあろう。しかし、裏にある恐怖、葛藤、邪心など、人間の心の動きを見ないで、綺麗ごとの公式見解のみの分析では、起きていることの本質、与えた影響の全体像や重要な本質が、掴みきれないのではなかろうか。

党イデオローグの一角を担ったコーリマンには、戦後、当時を振り返った(後悔だらけの)述懐があるそうだが、著者は戦後の述懐よりも当時の発言を重視する。果たしてそれで良いのか。少なくとも、ゲッセンやブロンシュテインたちの逮捕の詳細、同僚が感じた恐怖、不安、葛藤、絶望感など、より広範に資料を集め、分析すべきではないのか。逮捕の具体的原因や様子、周囲の反応など、本書では触れられていない。

物理学者(さらに党哲学者)まで巻き込まれた大粛清の歴史的事実への私の驚き、怒り(最近も「ニュートン」誌に斯波弘行氏による、犠牲となった優れた物理学者シュブニコフの長文の紹介記事がある)を著者に向けてもしょうがないのだが、著者の、裏で展開された、かかる悲惨、受難への「不感症」に違和感を覚える。研究書だから焦点を絞っているのだろうけれど、少し引いて俯瞰して見れば、宗教裁判的な圧力や恐怖が、物理学者(機械工学含む)や党哲学者を覆っていたのは明白な事実で、強硬なイデオローグ・マクシーモフ自身にとっても、ゲッセン(1937年、逮捕、裁判当日処刑)のような目にあいたくないという葛藤が、攻撃的な政治的レッテル貼りで溢れた言説への急激な傾斜の一因になっていないと言えるだろうか。半ば失脚したデボーリンやエゴルシンの、日々感じていた恐怖や絶望感も、もっと掘り下げたらどうだろう。

結論的に、著者は、定説と異なり、この論争には意義があったと書くが、負の側面ももっと見ないとバランスを欠く。事実、ソ連の理論物理学の国際的権威は次第に下降し、革命後の世代のノーベル賞は激減だ。党公認哲学の重しが、物理学や基礎科学の研究において自由で多様な発想を奪い、マイナスの効果を与えたことがあるだろう。もちろん、根深いユダヤ系学生・研究者への迫害もあるだろう。

以上、著者の掲げる「スピノザの箴言」と真逆の反応で恐縮だが、「論争の内在的論理の世界に耽溺する科学哲学者」(著者)には、ゲッセンに成り代わり、私が倫理的、人道的な(マクシーモフのように粘着した)批判を加えておかないと、悲惨な粛清の犠牲者が浮かばれないと考える次第(笑)。



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  脚注  ウィキペディア

 近藤洋逸

近藤 洋逸(こんどう よういつ、1911年(明治44年) - 1979年(昭和54年))は日本の数学史家、科学思想史家。1946年(昭和21年)にゲーデルの赤い本[1][2]を翻訳して出版した[3]。

略歴[編集]
1911年(明治44年) 岡山県に生まれる[4]。
京都帝国大学文学部哲学科に入学する。
田辺元に師事する。
東北大学に理科学生として在籍する。
岡山大学法文学部教授。
岡山大学名誉教授。

著書[編集]
単著[編集]
『幾何学思想史 非ユークリツド幾何学リーマン幾何学を主題として』 伊藤書店、1946年。
『数学思想史序説』 三一書房、1947年。
『近代数学史論』 白東書館、1948年。
『初等数学の歴史』 岩崎書店〈学生の数学文庫 1〉、1952年。
『デカルトの自然像』 岩波書店、1959年。
『新幾何学思想史』 三一書房、1966年。 - 近藤(1946)の改訂版。 『新幾何学思想史』 筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2008年10月8日。ISBN 978-4-480-09163-5。
『数学の誕生 古代数学史入門』 現代数学社、1977年6月。

共著[編集]
黒田孝郎、近藤洋逸共著 『科学史大系 第10巻 数学史 数と図形の研究』 菅井準一ほか編、中教出版、1953年。
近藤洋逸、藤原佳一郎共著 『科学思想史』 青木書店〈現代哲学全書〉、1959年。
近藤洋逸、好並英司 『論理学概論』 岩波書店、1964年。
近藤洋逸、好並英司 『論理学入門』 岩波書店〈岩波全書 311〉、1979年1月。

論説[編集]
「数学と社会」『新初等数学講座 第5巻 数学の応用第2』 生活百科刊行会、1955-1956。 「数学と社会」『新初等数学講座 第7巻 数学の応用第3』 ダイヤモンド社、1962-1963。
「十八世紀自然観の性格」『十八世紀の自然科学』 小堀憲編、恒星社厚生閣、1957年。
「科学革命における数学の役割」『科学革命』 日本科学史学会編、森北出版、1961年。
「幾何学と空間」『現代哲学における人間存在の問題』 三宅剛一編、岩波書店、1968年。
「リーマン幾何学成立の背景(抄)」『戦後日本思想大系 9 科学技術の思想』 星野芳郎編集・解説、筑摩書房、1971年。
「解説」『小倉金之助著作集 1 数学の社会性』 勁草書房、1974年。

編著[編集]
『数学の歴史』 近藤洋逸編、毎日新聞社〈毎日ライブラリー〉、1953年。
「近代の自然観」『岩波講座哲学 第6 自然の哲学』 坂田昌一・近藤洋逸編、岩波書店、1968年。
『数学の歴史』 近藤洋逸編、毎日新聞社、1970年。

翻訳[編集]
クルト・ゲーデル 『数学基礎論 撰出公理及び一般連続仮説の集合論公理との無矛盾性』 近藤洋逸訳、伊藤書店〈翻訳学術論叢 4〉、1946年4月15日。 - Gödel(1940)の日本語訳。日本語訳の表紙は赤くない。
リーマン 「幾何学の基礎をなす仮説について」『世界の名著 65 現代の科学 1』 湯川秀樹・井上健[要曖昧さ回避]責任編集、近藤洋逸訳、中央公論社、1973年。 リーマン 「幾何学の基礎をなす仮説について」『世界の名著 79 現代の科学 1』 湯川秀樹・井上健[要曖昧さ回避]責任編集、近藤洋逸訳、中央公論社〈中公バックス〉、1979年7月。

著作集[編集]
『近藤洋逸数学史著作集 第1巻 幾何学思想史』 佐々木力編、日本評論社、1994年7月。ISBN 4-535-60801-6。
『近藤洋逸数学史著作集 第2巻 数学思想史序説』 佐々木力編、日本評論社、1994年7月。ISBN 4-535-60802-4。
『近藤洋逸数学史著作集 第3巻 数学の誕生・近代数学史論』 佐々木力編、日本評論社、1994年9月。ISBN 4-535-60803-2。
『近藤洋逸数学史著作集 第4巻 デカルトの自然像』 佐々木力編、日本評論社、1994年9月。ISBN 4-535-60804-0。
『近藤洋逸数学史著作集 第5巻 数学史論』 佐々木力編、日本評論社、1994年10月。ISBN 4-535-60805-9。

脚注[編集]
1.^ Gödel(1940)
2.^ 弥永&佐々木編(1986), pp. 166, 187.
3.^ ゲーデル(1946)
4.^ 近藤(2008)

参考文献[編集]
『現代数学対話』 弥永昌吉・佐々木力編、朝倉書店、1986年11月。ISBN 4-254-11045-6。
Gödel, Kurt (1940-09-01). The Consistency of the Axiom of Choice and of the Generalized Continuum Hypothesis with the Axioms of Set Theory. Annals of Mathematics Sutdies. 3. Princeton University Press. - 表紙が赤いためゲーデルの赤い本と呼ばれた。 Gödel, Kurt (1970). The Consistency of the Continuum Hypothesis. Annals of Mathematics Sutdies. 3 (Eighth Printing ed.). Princeton University Press. ISBN 0-691-07927-7. - Gödel(1940)の改題。




 廣松渉

廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。
筆名は門松暁鐘など。妻の妹は加藤尚武夫人。

略歴[編集]
福岡県柳川市蒲池出身。出生地は山口県厚狭郡(現在の山陽小野田市)。1946年、中学1年生の時に日本青年共産同盟に加盟。 1949年4月、高校進学と同時に日本共産党に入党する。1950年の50年分裂では国際派に所属し、 1951年に国際派の「全国統一会議」が解散した後は、党に戻らず全日本学生自治会総連合(全学連)などで活動。

福岡県立伝習館高等学校中退後、大検に合格して大学進学資格を得て、東京学芸大学に入学するも、中退して東京大学文学部哲学科に再入学をする。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めもあってカント研究に専念することになる。その後、東京大学大学院に進学。1965年に博士後期課程を単位取得退学している。

1955年7月、日共第六回全国協議会(六全協)を受けて復党するも、翌年に出版した共著書『日本の学生運動』が問題とされて離党した。1958年12月、共産党と敵対する共産主義者同盟(ブント)が結成されると以降、理論面において長く支援し続けた。1967年創刊の『情況』は、廣松が当時の金で100万円援助して、創刊されたものだという。創設者の古賀暹によれば、いったん断ったが、喫茶店で上半身の服を脱ぎ、さらしから100万円を出し、「男が一度出した金を引っ込めることはできない」と言われたことから、創刊を決意したと言う(荒岱介『破天荒な人々 叛乱世代の証言』(彩流社2005)古賀暹インタビュー)。 ソ連・東欧の社会主義体制が崩壊しつつあった1990年にはフォーラム90sの発足にも関わった。

1965年から1970年まで名古屋工業大学及び名古屋大学でドイツ語、哲学などを教えた。1965年名古屋工業大学着任、1966年助教授、1967年名古屋大学講師、1969年助教授。1970年、学生運動を支持して名古屋大学を辞職。法政大学講師や、1973年に大森荘蔵の要請で東京大学教養学部の非常勤講師となり、1976年に助教授、1982年に教授に就任した。1994年3月に東大を定年退職。河合文化教育研究所の主任研究員となったが、既に病床にあったため一度も出勤しなかった。1994年5月22日、肺癌にて死去。

思想[編集]
廣松渉の政治思想には、共産党員であった母の影響が強いと言われる。マルクス/エンゲルスの思想における物象化論を中心に、マッハ、フッサール、ハイデッガー等と対質しながら、特異な文体を用いて、主観-客観の二項対立図式を止揚すべく独自の哲学を展開した。

マルクス、エンゲルスが草稿として残し、後の時代に編集されて出版された『ドイツ・イデオロギー』に関しては、1932年にマルクス・エンゲルス・レーニン研究所がV・アドラツキー編集で刊行した『マルクス・エンゲルス全集』(Marx/Engels historisch-krirische Gesamtausgabe いわゆる旧MEGA)第1部5巻に収録されたアドラツキー版が長らく決定版と見なされていたが、廣松渉はこの版の問題点を指摘。事実上の改竄に当たることを証明した功績は大きい。その後、独自に編集した『新編輯版ドイツ・イデオロギー』やその他の研究著書を発表し、現代でも高く評価されている。また、『ドイツ・イデオロギー』において、マルクスの思想がそれ以前の『経済学・哲学草稿』の疎外論から、後期の物象化論へ思想的転換が起こっているとの独自の見解を展開した。当時マルクス・エンゲルスの思想を疎外論を中心軸として解釈する立場を取る者が多かったため、後期物象化論を軸にしてマルクスを読み解こうとする廣松の見解は賛否両論の大きな反響を呼んだ。1960年代から1970年代にかけて出版された『マルクス主義の成立過程』『マルクス主義の地平』『マルクス主義の理路』は、マルクス主義三部作と呼ばれる。

マルクス、エンゲルスの研究の一方で、主観・客観図式による伝統的な認識論を批判。主観・客観とされているいずれの側も二重になっており、全体として世界の存在構造は「四肢的」だと指摘した。また、実体があって関係があると考える物的世界観に対し、関係があってこそ実体があると考える事的世界観を提起した。1970年代以降には、独自の哲学体系を構築することに力を注ぎ、1982年に主著となる『存在と意味』第一巻を発表した。これは全三巻の予定だったが、1993年に第二巻を出版したところで病に倒れることになった。

1994年3月16日の朝日新聞夕刊において、「東北アジアが歴史の主役に——日中を軸に“東亜”の新体制を」と題した論説を発表し、「アメリカが、ドルのタレ流しと裏腹に世界のアブソーバー(需要吸収者)としての役を演じる時代は去りつつある。日本経済は軸足をアジアにかけざるをえない」と主張した。また、日中を軸とした東亜の新体制が「日本資本主義そのものの抜本的な問い直しを含むかたちで、反体制左翼のスローガンになってもよい時期であろう」とも唱えた[1]。

著作[編集]
『エンゲルス論 その思想形成過程』盛田書店、1968年 のちちくま学芸文庫 
『マルクス主義の成立過程』至誠堂、1968
『マルクス主義の地平』勁草書房、1969年 のち講談社学術文庫 
『現代革命論への模索 新左翼革命論の構築のために』盛田書店 1970
『青年マルクス論』平凡社、1971年 のちライブラリー 
『唯物史観の原像』三一書房、1971年
『世界の共同主観的存在構造』勁草書房、1972年 のち講談社学術文庫 
『現代革命論への模索』新泉社 1972
『科学の危機と認識論』紀伊国屋新書 1973
『資本論の哲学』現代評論社 1974 のち平凡社ライブラリー 
『マルクス主義の理路』勁草書房 1974
『事的世界観への前哨 物象化論の認識論的=存在論的位相』勁草書房、1975年
『もの・こと・ことば』勁草書房、1979年 のちちくま学芸文庫 
『<近代の超克>論 昭和思想史への一断想』朝日出版社 エピステーメー叢書 1980 のち講談社学術文庫
『マルクスの思想圏 本邦未紹介資料を中心に』井上五郎補注 朝日出版社 1980
『新左翼運動の射程』ユニテ 1981
『相対性理論の哲学』日本ブリタニカ 1981
『存在と意味 事的世界観の定礎』第1巻、岩波書店、1982年
『唯物史観と国家論』論創社、1982年 のち講談社学術文庫 
『物象化論の構図』岩波書店 1983 のち岩波現代文庫 
『生態史観と唯物史観』ユニテ、1986年 のち講談社学術文庫 
『資本論の哲学』勁草書房、1987年
『新哲学入門』岩波新書、1988年
『哲学入門一歩前 モノからコトへ』講談社現代新書、1988年
『心身問題』青土社、1989 
『表情』弘文堂、1989年
『弁証法の論理 弁証法における体系構成法』青土社 1989
『今こそマルクスを読み返す』講談社現代新書、1990年
『知のインターフェイス 広松渉学際対話』青土社 1990
『マルクスと歴史の現実』平凡社 1990 のちライブラリー 
『現象学的社会学の祖型 A・シュッツ研究ノート』青土社 1991
『ヘーゲルそしてマルクス』青土社 1991
『哲学の越境 行為論の領野へ』勁草書房 1992
『存在と意味』第2巻、岩波書店、1993年
『近代世界を剥ぐ』平凡社 これからの世界史 1993
『東欧激変と社会主義』「東欧激変と社会主義」刊行委員会 1994
『フッサール現象学への視角』青土社 1994
『マルクスの根本意想は何であったか』情況出版 1994
『広松渉コレクション』全6巻 情況出版 1995
『広松渉著作集』全16巻 岩波書店、1996-97
『広松渉哲学小品集』小林昌人編 岩波書店 同時代ライブラリー 1996
『哲学者廣松渉の告白的回想録』小林敏明編 河出書房新社 2006
『事的世界観への前哨 物象化論の認識論的=存在論的位相』ちくま学芸文庫 2007
『廣松渉哲学論集』熊野純彦編 平凡社ライブラリー 2009
『廣松渉マルクスと哲学を語る 単行本未収録講演集』小林昌人編 河合文化教育研究所 2010
『役割理論の再構築のために』岩波書店 2010

共編著[編集]
ヘーゲル(世界の思想家)平凡社、1976 
哲学に何ができるか 現代哲学講義 五木寛之対談 朝日出版社 1978.12 Lecture books のち中公文庫 
仏教と事的世界観 吉田宏晢共著 朝日出版社 1979.12 エピステーメー叢書
マルクス・エンゲルスの革命論 マルクス主義革命論史1 片岡啓治共編 紀伊國屋書店、1982 
唯物史観と国家論 山本耕一共著 論創社 1982.2
メルロ=ポンティ 港道隆共著 岩波書店 1983.7 20世紀思想家文庫
共同主観性の現象学 増山真緒子共著 世界書院 1986.10
資本論を物象化論を視軸にして読む 1986.7 岩波セミナーブックス
相対性理論の哲学 勝守真共著 勁草書房 1986
ヘーゲル左派論叢 第1-4巻 良知力共編 御茶の水書房 1986-87 
歴史的実践の構想力 小阪修平共著 作品社 1991.11
『記号的世界と物象化』(丸山圭三郎対談)情況出版、1993年

訳書[編集]
エルンスト・マッハ『感覚の分析』須藤吾之助共訳、法政大学出版局、1971年
エルンスト・マッハ『認識の分析』加藤尚武共編訳、法政大学出版局、1971年
カール・マルクス/フリードリヒ・エンゲルス『手稿復元新編輯版 ドイツ・イデオロギー』編訳、河出書房新社、1974年 のち小林昌人補訳で岩波文庫

脚注[編集]
1.^ 廣松渉著作集』第14巻(1997年、岩波書店)pp.497-500、前田年昭「アジア主義を考える」および、小林敏明「廣松渉」講談社,2007



 佐々木力

佐々木 力(ささき ちから、1947年3月7日[1]- )は、日本の科学史学者、科学史研究の第一人者、元東京大学教養学部教授[2]、大学院総合文化研究科教授[3]。中国科学院教授[4]。専門は科学史・科学哲学、とくに数学史であり[4]、日本オイラー研究所名誉所長なども務めたが[3]、「反時代的な社会主義者」を自称するトロツキストでもあり、日本陳独秀研究会会長も務めた[5]。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めている[6]。

経歴[編集]
宮城県加美郡小野田町(後の加美町)出身[7]。宮城県古川高等学校、1969年東北大学理学部数学科卒業、同大学院理学研究科博士課程中退、1976年からプリンストン大学に留学、80年Ph.D.[8](歴史学)[9]。

東北大学在学中に学生運動にかかわり、その経験から「形式的・構造主義的な思弁的近代『数学』」ヘの懐疑をもち、「近代科学をとらえ直す『科学史』へ転向した」という[10]。1969年、東北大学理学部数学科を卒業し、大学院理学研究科数学専攻に学んだ後、プリンストン大学に留学してトーマス・クーンなどの下で学び、ルネ・デカルトの数学思想を扱った「Descartes’s Mathematical Thought」によって歴史学専攻のPh.D.を取得した[4]。

1980年に東京大学教養学部講師となり、1983年に助教授、1991年に教授となった[4]。長らく東大の「看板教授」であった。2010年3月に、東京大学を退職した[3]。その際、東京大学名誉教授の称号は得られなかった[11]。

佐々木は、フランスなどの外国を引き合いに出して日本を批判する手法から、和田春樹から拝外主義者とレッテルされており、この場合、外国を崇拝するという意味の拝外主義者だという。これに関して本人は、「それほどまちがっていない」と述べている[12]。

2012年から、中国科学院教授[4]。

事件[編集]
東大教授時代の2005年にセクシャル・ハラスメントを理由として2か月の停職処分を受けた[13]。これに対して佐々木は著書『東京大学学問論』において、植草一秀と同じように自分は「御用学者」ではないから排除されたのだと釈明している。これに対して、小谷野敦は「しかしそれなら、小森陽一とか石田英敬とか、そういう人はなんで罠にはまってないんでしょうねえ。」と疑問視している[14]。

なお、『週刊新潮』からセクハラ疑惑を報じられたが本人は、「悪名高い」「世間ではハイエナ誌という評判」「ハイエナ週刊誌」と罵倒している[15]。

著書[編集]
単著[編集]
『科学革命の歴史構造』岩波書店、1985年/講談社学術文庫(上下)、1995年
『科学史的思考 小品批評集』御茶の水書房、1987年
『近代学問理念の誕生』岩波書店、1992年 - サントリー学芸賞受賞[7]
『生きているトロツキイ』東京大学出版会、1996年
『科学論入門』岩波新書、1996年
『学問論 ポストモダニズムに抗して』東京大学出版会、1997年
『マルクス主義科学論』みすず書房、1997年
『二十世紀数学思想』みすず書房、2001年
『科学技術と現代政治』ちくま新書、2000年
『デカルトの数学思想』(コレクション数学史)東京大学出版会、2003年
『数学史入門 微分積分学の成立』ちくま学芸文庫、2005年
『21世紀のマルクス主義』ちくま学芸文庫、2006年
『数学史』岩波書店、2010年
『ガロワ正伝 革命家にして数学』ちくま学芸文庫、2011年
『東京大学学問論 <学道>の劣化』作品社、2014年
『反原子力の自然哲学』未来社、2016年

共著[編集]
(中村幸四郎との共著)『数学史対話』弘文堂、1987年
(川喜田愛郎との共著)『医学史と数学史の対話』中公新書、1992年

共編著[編集]
(弥永昌吉との共編著)『現代数学対話』朝倉書店、1986年

訳書[編集]
(I.ラカトシュ著、J.ウォラル、E.ザハール編)『数学的発見の論理:証明と論駁、共立出版、1980年
(D.ブルア(英語版)著、古川安との共訳)『数学の社会学:知識と社会表象』培風館、1985年
(ヴィーコ著、上村忠男との共訳)『学問の方法』岩波文庫、1987年
(トーマス・S.クーン著)『構造以来の道:哲学論集1970-1993』みすず書房、2008年

編訳書[編集]
(マイケル・S・マホーニィ(英語版)著)『歴史における数学』勁草書房、1982年/ちくま学芸文庫、2007年
(山本義隆、桑野隆 との共編訳)『物理学者ランダウ:スターリン体制への叛逆』みすず書房、2004年

脚注[編集]
1.^ 『著作権台帳』
2.^ “生きているトロツキイ 佐々木力著 社会主義再生に向け検証(書評)”. 朝日新聞・朝刊: p. 15. (1996年3月17日). "ささき・ちから 47年生まれ。東京大学教養学部教授。著書に『近代学問理念の誕生』など。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧:書評自体は上野俊哉によるが、引用箇所は上野の著作範囲外にある。
3.^ a b c “和算ノ研究 方程式論”. 海鳴社. 2015年8月14日閲覧。
4.^ a b c d e “マルクス主義科学論”. みすず書房. 2015年8月14日閲覧。
5.^ 西岡三夫 (2003年5月4日). “『デカルトの数学思想』 佐々木力さん(著者に会いたい)”. 朝日新聞・朝刊: p. 11. "東京大学教授として数学史を専門とするほか、トロツキズムの研究家としても知られ、「日本陳独秀研究会会長」の肩書をもつ。「反時代的な社会主義者」を自ら称し、政治思想面での「最硬派」でもある。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
6.^ 「九条科学者の会」呼びかけ人メッセージ (2005.3.13)
7.^ a b “東大教授・佐々木力さん(ことば抄)”. 朝日新聞・夕刊: p. 2. (1993年12月17日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
8.^ 『駒場2001』東大教養学部
9.^ “歴史と伝統”. 宮城県古川高等学校. 2015年8月14日閲覧。
10.^ 西 (1997年4月14日). “佐々木力さん 癒しの術で真の脱近代主張(テーブルトーク)”. 朝日新聞・夕刊: p. 5 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
11.^ 折原浩 (2014年4月23日). “佐々木力著『東京大学学問論―学道の劣化』への「あとがき」補遺(折原浩) [4月23日、改訂]”. 折原浩. 2015年9月22日閲覧。 “そこからさらに、(他の教員には通例、おおかた異論なく認められる)「名誉教授」の称号が、佐々木氏には拒まれ、そうした一連の不利益処遇の随伴結果として、国内における再就職の道が断たれたことも、ほぼ確かでしょう。”
12.^ 佐々木力『東京大学学問論』作品社、2014年、ISBN 978-4861824753、p262
13.^ 『週刊新潮』2005年1月27日号49頁『「セクハラ」で停職2カ月になっちゃった東大「看板教授」の実名』
14.^ 小谷野敦 (2014年5月6日). “佐々木力”. 小谷野敦. 2015年9月18日閲覧。
15.^ 佐々木力『東京大学学問論』作品社、2014年、ISBN 978-4861824753、p156、p296、p322
  1. 2019/03/23(土) 02:16:30|
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東つよしを処刑することに決定

古本屋通信   No 3883    2019年   3月23日


   東つよしを処刑することに決定

 ブル新聞情報に軽薄コメントして悦に入る東つよしも政治的に処刑するしかないな



 以下だが、一介の市議が何を知ったかぶりして、寝言をほざいているのかね。処刑しか無さそうだね。林もダメだが、林にはネットウヨとの遣り取りがあるだけ、まだ通路がある。でも東は万事休すだナ。


東 つよし‏ @Tsuyoshi_Azuma
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ゆさぶりでしょうか?北朝鮮は対話による解決しか生き残る道はない(戦争などできない)のですから、今さら瀬戸際外交に戻る意味はないでしょうに。対話の道を堅持すべきかと。 
 
北朝鮮、南北連絡事務所から撤収=韓国との対話拒否か(時事通信) - https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190322-00000099-jij-kr … @YahooNewsTopics




 やいチンピラ、てめえ朝鮮情報を、ブル新聞と赤旗以外に持ってるんか? 皆無だろう。×してやろうか、基地外や。

 腐りきったブル腐敗分子よ、てめえ 「北朝鮮は対話による解決しか生き残る道はない(戦争などできない)」 って、どういう意味だ? なんで朝鮮が韓国やアメリカと対話するしか生きる道はないのか? ホントにそう思っているとしたらトコトン腐りきった低脳野郎だ。

 じゃあ聞くが、韓国やアメリカは朝鮮と対話しなくても生きられるんだな? えっ、言ってみろ。生きられるんだな。そう顔に書いてあるゾ。

 いったいこの差別感(差別意識)は何だ? 何処から出ているんだ。言ってみろ。言えはしないだろう。貴様のトコトン腐りきった脳みそからだ。ブルジョアイデオロギーに侵された、救いのない脳みそからだ。

 朝鮮は建国以来の半世紀、さまざまな問題を抱えつつ武装中立を堅持して祖国建設に邁進してきた。米韓日の3国軍事同盟に包囲されながら、ソ連とも中国とも軍事条約を締結していない。これはヴェトナムも同様だが、自力で祖国防衛に努めた。それを貴様、何をほざくのか。

 あのなあ、朝鮮に限らず一国が他国と和平のテーブルに就くのは就かないと生きられないからではない。国際緊張は双方にとって好ましいことではないからだ。戦争の危機を絶えず回避して双方が平和共存して生きることが国内平和にも通じるからだ。

 言っとくけどな、最近の朝鮮の平和外交はな、朝鮮が国際的に追い詰められたからではまったく無い。逆である。韓国は韓国の都合だが、アメリカのトランプ政権が国内外で追い詰められた結果だ。でも貴様のようにブル新聞と赤旗だけの情報では分からんだろう。情報はいくらでもあるゾ。ピョンヤン放送もあるし、朝鮮総連もある。カルトは救いがない。

  「瀬戸際外交」 って、貴様、ほんとうに朝鮮が国際的に孤立しているという日本国内のデマを信じてきたのか? 目を大きく開いてヨーロッパの新聞でも読めや。朝鮮は過去も今もまったく孤立していない。日本の朝鮮情報は世界中の嘲笑のマトになっている。朝鮮が瀬戸際外交などと無縁なことは、朝鮮と中国の関係、朝鮮とロシアの関係、朝鮮とヴェトナムの関係を一瞥しただけで、あまりにも明らかであろう。東よ、とにかく貴様×ねや、落選しろ。許さん。処刑だ。こういう低脳ウヨ議員は岡山には要らんのだ。

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 北朝鮮、連絡事務所から撤収=南北融和に暗雲 
  3/22(金) 16:40配信
  時事通信
 【ソウル時事】韓国統一省は22日、北朝鮮が南西部・開城に設置された南北共同連絡事務所から撤収したと発表した。
 2月末のハノイでの米朝首脳会談が物別れに終わり、韓国は米朝交渉の継続を目指して働き掛けを強める方針だったが、北朝鮮が対話を拒否した形だ。南北融和の流れに暗雲が漂い始めた。
 同省の千海成次官によると、北朝鮮は22日午前、韓国側に「上部の指示に従い撤収する」と伝え、全職員を引き揚げさせた。千氏は22日午後、記者会見し「撤収の決定は遺憾だ」と述べ、北朝鮮側に早期に復帰するよう要求。韓国側職員には勤務を続けさせ、北朝鮮側の様子を見守る方針を示した。
 連絡事務所は、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が昨年4月、板門店での首脳会談で設置に合意し、同9月に開所。南北対話の象徴的な役割を担っていた。だが、ハノイ会談以降、週1回の開催が定められていた事務所長の定例協議は、一度も開かれなかったという。 
  1. 2019/03/23(土) 00:13:36|
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