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古本屋通信

やれやれ、また多重ハンドルか

古本屋通信   No 3554    2018年  09月19日


   やれやれ、また多重ハンドルか。やっとれんな


  午後 3 時過ぎまで連れ合いに付き合って、いま病院から帰ってきた。と云っても認知症外来ではない。さしたる病気でもない。ちょっとしたボケが災いして、こじれて、処方された薬をもらい損なった。その後始末でトコトン振り回された。やっとれん。帰りに県委員会に行って、石井ひとみさんに挨拶してきた。と云っても私は会っていない。励ましてくれたそうだ。アリガトさん。

 帰ってキンピーサイトを見ると、またしても多重ハンドルらしき投稿である。ちょっと気分転換に、そしてストレス解消の八つ当たり、たたいておきたくなった。太宰ファン様の投稿は敬遠します。それから、とある地区の出張所長様の投稿、お気持ちは理解しますが、委員長直接選挙は理論的には有り得ないと思いますよ。最近の拙ブログを再録しますのでお読みください。

 2 3 とやらを赤字で簡単に批判しておきます。

2. 傘
2018年09月19日 13:57
執行部に意見する人達を追放してきたのは誰だ?
すこし真面目に批判しておこう。戦後の党史に限定して、50年分裂は除いて、党執行部に対して組織的分派で対抗したのは、トロツキストと、社革と、統社同と、日本のこえと、長周新聞一派と、毛沢東思想研究会くらいだろう。それと組織的対抗手段を採らなかった新日和見主義派だろう。それぞれのケースは文字通りそれぞれである。党執行部が不当に意見を抑圧して、ウムを言わさず除名してきたわけではない。個別を捨象して執行部を抑圧者と強弁する貴様きさまは公安警察の回し者だな。ええか、よそ様がせっかく準備した庭に野糞を垂れるな。きたねえ、クセエ、消えろ。

3. 傘
2018年09月19日 13:58
委員長は何で出世したのか機関誌はわざとだが、支持派も知らんのな。特大ブーメランなのに。
まあ、よくもこんな日本語が書けるな。サイトと読者をなめるなよ、私が管理人だったら、これだけで出入り禁止だナ。


4. とある地区の出張所長
2018年09月19日 15:38
笑ってしまうのは、死意が首相を3期9年もやるなんて独裁者だと言ってること。
その倍の年月を選挙もやらないで、ずっと委員長やってるのはどこの独裁者でしょうか?死意さん(笑)(建前上は選挙やってるけど、完全にできレースw)

志位は独裁者でもなければ、できレースに拠って選出された委員長でもありませんよ。無能委な員長ですが、無能者しか選出できなかった党の力量は問われるものの、指導部の選出方法が間違っているわけではありません。間違っていると言うのなら、ベターな組織方針(幹部会委員長の選出方法等)を提示すべきですが、私は各級議員であろうと全党員であろうと、党員の直接選挙が民主的だなどと、夢にも思いません。それは、党の幹部は人気投票に拠って決めるべきではないという通論に拠るものありません。委員長をはじめ各級幹部の、党決定に於ける責任の問題です。即ち日本共産党という組織政党に於いては、最高の決議機関は党大会であり、ついで中央委員会であり、日常的な指導は常任幹部会に拠る集団指導体制だからです。いかなる幹部も集団指導体制の下に組み込まれた一幹部に過ぎません。だからホントは幹部会委員長なんか、党大会の時だけ幹部会を代表して報告をすれば、後は党員の間に姿を現さなくてよいのです。中核派の清水丈夫なんかそうですね。書記長の天田もまったく「前進」に登場しません。議員政党でないのだから、それのよいのです。私は党の民主主義的中央集権制こそベストな前衛党の組織論だと思っています。むしろ今の党は民主主義的中央集権制を緩めて失敗していると思っています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


    再録


   
古本屋通信   No 3489    2018年  08月14日


  日本共産党の指導部選出方法こそ、近代政党としての唯一の、民主主義的選出方法である


  近代政党において、その構成員全員が平等な権利を有するとするのではなく、ブルジョア議会の議員とりわけ国会議員に圧倒的な(差別的、特権的な)権利を持たせる政党組織など、民主主義の風上にも置けない前近代的ボス支配政党である。これ常識以前。諸外国を見てご覧。それから多少ともマトモだった旧社会党の党首選挙はどうだったかな?

 今の自民党から立憲民主党、それから低脳の岡山の津村啓介が立候補するらしい国民民主党まで、人間のカスの集合体だからこそ、茶番の党首選挙をやる。これがいっけん民主的に見えるから救えない。少なくとも公明党はやらない。まだマシである。

 あのね、近代政党というのは、政治目的を共有する個人全てが、対等に参加資格(権利と義務)を有する政治結社なのよ。議会はその活動の一分野に過ぎない。議会があって政治結社があるのではない。議会などあろうがなかろうが、政治結社はその政治目的のために厳然と存在する。

 日本共産党は明治憲法下で、帝国議会に議席を持つための活動をしなかった。非合法だったから労農党の名前で議席を目指したこともあったが(山本宣治)、非合法でなくても、議会活動は中心ではなかったろう。これは天皇を国家元首に戴く帝國憲法下の帝国議会では、人民要求など勝ち取れる条件がなかったからだ。議会の演壇は支配階級のイカサマの暴露の場でしかなかった。

 今日でも、早いはなしが議会活動をしない政治政党はある。革共同両派は議会活動を否定していないが、現状では国会議員はおらず、地方議員も殆どいない。だったら指導部は選出できないのか? 日本共産党だってレッドパージで公職を追放されて国会の議席を失った。非合法にされたから地下に潜ったが、合法部分は臨時指導部として活動した。合法・非合法は国家権力の都合でやったこと、政党の成立要件に何の関係もない。

 国会議員がいないと政党でない? 骨の髄までブルジョア思想に冒された低脳のオツムである。私は将来の日本革命は国会議席ゼロの革命党派が中心になって遂行する可能性を否定しない。外国にその実例はいくらでも存在する(革命ではないが、ソビエト・東欧の崩壊は概ねその経過を辿った。これを持って非民主的なクーデターとする見解は世界中に皆無ある)。中核派の前進チャンネルを見れば、その気配が感じられる。国家権力をブルジョアジーの手から労働者階級の手に奪う道はひとつとは限らない。日本共産党は可能な限り議会で多数派を形成することを目指しているが、国家権力の出方次第では暴力革命になる可能性も否定していない。中核派は前進チャンネルではっきりと暴力革命を宣言しているようだ。それにしても前進チャンネルは凄いアクセスだな。数万回だそうな。民青は負けている。

 国民民主党は阿呆が2人、党首選挙に出る。2人とも、それから今回あきらめた大塚も、3人とも東大卒である。安倍のCランク卒で、東大卒も朽ちたなあ。党首選挙は争点がなくて困っている。いっぽう自民党は安倍の圧勝である。派閥力学が民主的かどうかは置いて、野党が安倍3選を後押ししたことは間違いない。「アベ政治を許さない」 と言い続けた低脳よ、石破を応援してやれよ。

 
林潤君も最近ずいぶん成長した。

 これは長年にわたる古本屋通信の指導もあったが、他にも見るに見かねた地域のベテラン党員が懇切丁寧にブログをチェックしたからだろう。とにかく改良されている。きょうの記事なんかも合格点の70点である。まずはよくできました、と褒めたうえで、若干の指摘を赤字でしておこうかと思ったが、止めた。文句を言う程ではないからだ。


日本共産党の役員と方針の決め方
日本共産党岡山市議
  林潤
日本共産党は、異なる方針を掲げる複数の候補者で代表選挙を行い、当選した人によって方針が変わる、というやり方は取っていません。
役員は日本共産党規約で定められた選挙で決めます。
日本共産党規約第十三条で、
「党のすべての指導機関は、党大会、それぞれの党会議および支部総会で選挙によって選出される。中央、都道府県および地区の役員に選挙される場合は、二年以上の党歴が必要である。
選挙人は自由に候補者を推薦することができる。指導機関は、次期委員会を構成する候補者を推薦する。選挙人は、候補者の品性、能力、経歴について審査する。
選挙は無記名投票による。表決は、候補者一人ひとりについておこなう。」
とされています。
しかし、誰が党首他、役員になったかで、方針が変更されるのではありません。

党の方針は党大会で決められます。
大元にある日本共産党綱領に沿って、政治情勢を分析し、活動方針として党大会決定をまとめます。
幹部や議員だけでなく一般の党員も参加し、3日ほど掛けて討議します。
党大会に先立って党全体に方針案(大会決議案)が示され、党員は誰でも意見を出すことができます。党大会はそれをまとめる最終の会議になります。
そうしてまとめられた方針を実行する執行部の責任を負うのが全国、都道府県、各地区の単位での役員であり、前述の選挙で決められます。
個々の党員が党首に付いていくのではなく、全体で決めた方針(綱領や党大会決定)に基づいて活動するから、ぶれない政党として活動できます。

方針の決め方はそれぞれの政党の自由です。代表選挙をやって、方針を決めるのも一つのやり方です。
方針決定のやり方を含めて、日本共産党を評価して頂ければ、と思っています。
2018-08-11 21:49
  1. 2018/09/19(水) 16:48:21|
  2. 未分類

核兵器禁止条約、批准わずか11

古本屋通信   No 3553    2018年  09月18日


    核兵器禁止条約、批准わずか11国・地域
  



 核兵器禁止条約って、国連内での政治的駆け引きの産物だろ。自国政府に署名せよなんて間抜けな運動、いったい何処の国の誰がやってるんだ。共産党の大平君その他の70人だけだろう(赤旗 広島県原水協と県被団協(佐久間邦彦理事長)は15日、広島市の原爆ドーム前で「核兵器禁止条約署名開始1周年」の集会を開きました。小雨が降る中、約70人が参加)

 下の毎日新聞の記事を読んでごらん。ポシャる寸前だね。

 私は核兵器禁止条約に関心がない。それは、いま日本で核廃絶の運動をするとすれば、米軍の沖縄基地への核兵器持ち込みを糾弾せずして、いかなる核兵器廃絶の運動も有り得ないと思っているからだ。

 近年、日本の原水爆禁止運動は絶滅一歩手前まで衰弱したが、それを決定的にしたのが、大平らの運動だった。もう死ぬしかないナ。





大平喜信‏認証済みアカウント @tekuteku_diary · 9月15日
核兵器禁止条約署名開始一周年の原爆ドーム前集会。条約発効にむけせめぎ合いの情勢(大うそ言うな。絶滅必至の国際情勢)。被爆地ヒロシマから「核兵器のない世界を」の圧倒的な世論をつくりだそうと参加者一同、あらためての決意。集会後はそのまま署名活動。たくさんの声が寄せられた。




  核兵器禁止条約 米圧力か、批准わずか11 採択1年.
  毎日新聞  2018年7月6日
 【ウィーン三木幸治】史上初の核兵器禁止条約がニューヨークの国連本部で採択されてから7日で1年になる。これまでに条約に署名した国・地域は59、批准は11。発効には50カ国の批准が必要で、発効まであと2~3年かかるとの見方もある。一方、核保有国や米国の「核の傘」の下にある日本、北大西洋条約機構(NATO)加盟国は条約への消極的な姿勢を崩していない。関係国に署名しないよう求める核保有国の「圧力」もあるようだ。
 核兵器禁止条約は昨年7月7日に122カ国・地域の賛成で採択され、9月20日に署名が開始された。しか…



  古本屋通信

 正常なバランス感覚が少しでもあれば、大平君らの運動が頓馬で、狂気であることは誰でも分かる。仮にだ、仮にアメリカが署名して、それに追従して日本政府が署名したとしようか。そしたら何が変わるのか。日本の米軍基地から核兵器は撤去されるのか。また沖縄の新基地は白紙撤回され、全ての米軍基地は沖縄から撤去されるのか。だとすれば、その国際法的根拠は?

 基地外もいい加減にせえ。">>×してやりたい、それほど腹がたつといふことだ。


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 核兵器禁止条約は、50カ国目の批准書が国連事務総長に寄託されてから90日後に発効します。

核兵器禁止条約に調印した国一覧(9月4日現在、60カ国 ★は批准した国

アルジェリア、★オーストリア、バングラデシュ、ボリビア、ブラジル、カーボベルデ、中央アフリカ共和国、チリ、コロンビア、コモロ、コンゴ、★クック諸島、★コスタリカ、コートジボワール、★キューバ、コンゴ民主共和国、ドミニカ共和国、エクアドル、エルサルバドル、フィジー、ガンビア、ガーナ、グアテマラ、★ガイアナ★バチカン市国、ホンジュラス、インドネシア、アイルランド、ジャマイカ、カザフスタン、キリバス、ラオス、リビア、リヒテンシュタイン、マダガスカル、マラウイ、マレーシア、★メキシコ、ナミビア、ネパール、★ニュージーランド、★ニカラグア、ナイジェリア、★パラオ、★パレスチナ、パナマ、パラグアイ、ペルー、フィリピン、セントビンセント及びグレナディーン諸島、サモア、サンマリノ、サントメ・プリンシペ、南アフリカ、★タイ、トーゴ、ツバル、★ウルグアイ、ヴァヌアツ、★ベネズエラ、★ベトナム




   古本屋通信

 見ての通りである。私はこの条約が国際平和と核廃絶のうえで、効果が皆無だと言い切る積もりはない。だが現実の問題としては、発効の可能性は極めて低いだろう。さらに云えば、仮に発効したとして、全ての核保有国が(旧ソ連と中国を含めて)調印する可能性が無い以上、条約の拘束力は核保有国に及ばず、絵に描いた餅でしかない。つまり国連内部各国のカンパニア運動 (政治的かけひき) としてしか意味を持たない。それも殆ど国際的な傍流である。

 まあそれはよいとしようか。だがこの条約を各国政府に署名・批准させる大衆運動など、いったい何処の国の誰によって行われているのであろうか。早い話が日本に馴染みの深いアメリカ、中国、ロシア、韓国、朝鮮、イギリス、フランスなどで、大平君たちのような基地外の大衆運動をやっている国はあるのか? 皆無だ。それは国際条約の署名・批准が政府の専決事項だという以上に、国連にそもそも国際平和の実効力が無いからだ。形式的な大国の駆け引きの場でしか無いからだ。そういう場所に人民の要求を反映させることが可能だと考えること自体が、幻想であるという以上に、国際平和のための闘争を破壊する試みなのだ。こんな初歩的な認識さえない日本共産党員は、おそらく大平君だけであらう。
  1. 2018/09/18(火) 14:31:44|
  2. 未分類

病気のこと。病院のこと

古本屋通信   No 3552    2018年  09月17日


      病気のこと。病院のこと。


  通信 No 3547 認知症の予感」 の続きです。一週間遅れの金曜日に行く予定だった T 病院の認知症外来ですが、予め様子を見ておくのも悪くないと思い、実家からの帰り途だったので、立ち寄ってみました。

 そこで驚いたのですが、当日飛び込みで行っても、診て貰えないということが判りました。つまり患者が多いので、予約が必要でした。で早速予約を入れました。3週間後の10月5日(金)午前 9 時に決定です。当日は血液検査の他に脳の M R I 検査もするそうです。その結果を見ての診察だとのこと。午前中いっぱい懸かるだろうと言われました。まあ命に別状ない悠長な病気なのでしょう。

 それで帰ってきたのですが、本人は相変わらずです。台所、洗濯、車の運転はパーフェクトで、何の不安もありません。手を使う作業が完璧なのですから、認知でない可能性もあります。然し頭を使う記憶となると、極めて曖昧という以上に、記憶が完全にプッツンしてしまうのです。例えば病院に行かなければならない日と時間だとか、診察券、保険証の行方だとか。ですが、財布の現金は決して離さないのです。マアどちらかと言えば、忘れても決定的にはダメージにならない件での物忘れのようにも見えます。

 私自身の物忘れに就いて言えば、私はブログを毎日更新しており、日によっては数本の記事を書くのですが、実は書いた端から何を書いたか、ほぼ完全に忘れています。3日前の記事なんか、全く記憶にないのです。後から読み返すのは、拍手やコメントが付いた時だけです。これで私の日常生活も、次の記事執筆も、何の支障もない。だから安心して忘れられるとも言えるでしょう。ここら辺が連れ合いの症状と、どうかということです。

 物を忘れるのは自己防衛機制と言えないこともないでしょう。忙し過ぎて助けてくれのSOS信号かも知れません。まあ連れ合いは、年齢にしては多くの仕事を引き受け過ぎているようにも思えます。つまりボケるが勝ちよ、と。

  この話はこれまでにします。話を私のことに移して病院の各種検査のことを書いてみたい。但し他人の病気のアレコレを聞かされることほど不愉快はないでしょう。検査に限って、幾らか参考になるかも知れないことを書いてみたいと思います。

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 病院は病気を治療する場所であり、病気でない器官の検査はしてくれません。するとしたら百パーセント実費負担の保険外検査でしょう。それは普通は病院ではなく、市役所の成人病検診です。

 私の罹りつけの内科医はA病院、主治医はH先生です。1985年ごろから、ずっと同じです。糖尿病は早期に発見されて、その検査と治療が定期ですが、糖尿病の詳細はここでは書きません。鬱陶しいだけですから。ただ最近検査の画期的新兵器が発見されました。腕に付着したボタンに器械を当てれば、瞬間に血糖値が表示されるようになりました。血糖コントロールの動機づけに最適です。

 胃と腸の内視鏡は、胃や腸が少しヘンだと訴えたら、即検査をやって貰えます。癌の検査です。私は腸はこれまで3回のみです。けっこう大検査ですから、基本的に避けます。替わるものは便の鮮血検査と直腸指診ですが、後者は鮮血検査も兼ねます。ただし痔があると陽性に反応しますから、痔病がないことが条件です。

  胃の内視鏡検査は30回くらいやっています。今では楽になりました。しかもパーフェクトです。癌の疑いのない時には、組織検査(細胞診)は遠慮しましょう。鬱陶しいだけですから。

 超音波エコー検査は、肝臓、すい臓、腎臓、胆のうの検査です。アバウトです。とくにすい臓がガスに隠れて見えないのですが、ここに癌が発見されたらまずアウトですから、見えなくて正解でしょう。
  
 レントゲン写真は肺だけです。癌が写る肺の部署は約半分です。糖尿病患者は肺癌罹患率が高いそうです。私は毎年レントゲン検査をしています。疑いがあれば M R I 検査でしょう。

 (以下は内科以外)

 眼科は私のような文字を見ることが命の仕事だと欠かせない。女医のM先生が恩人です。今まで何とか持ちこたえてきましたが、白内障の手術は避けられそうもありません。

 心療内科クリニック。これはA病院の系列ですから抵抗なく利用させて貰っています。検査など無く、気が向いた時に行って15分ほど話すだけです。何の効果があるの分からないが、気持ちが安定するのです。かつてかなり重い神経症で悩んで以来の付き合いです。いまや精神科領域に神経症の病名はなく、私は病気の自覚は全くないのですが、気分転換に精神科医(50歳台の女医さん)と話をするのは快適です。一回が800円くらいです。保険診療です。

 歯科医。もはや残歯は数本のみ。それでも痛むことがあるのです。最近の歯科医は秀逸です。今さら過去を悔やんでも仕方が無いが、旧式の歯科医はかたっぱしから抜歯しました。東京歯科大出身の愉しい歯医者さんでしたが。

 皮膚科。これは実名で。番町の大森先生です。先代の大先生から半世紀お世話になっています。帯状疱疹にはマイッタなあ。2ヶ月に一度くらい。痒み止めは欠かせない。

 耳鼻咽喉科。とにかく患者を患者として扱わない、それが良いのです。つまり大した病気ではないと。鼻にできものが出ても、喉が腫れても吸引です。いちど疑って済生会病院の耳鼻咽喉をたずねたら、検査をして、癌の疑いナシで、追い返されました。二度と耳鼻科には行きたくないです。

 まあ各科にお世話になっています。このこと自体が心気神経症なのでしょう。つまりパーフェクトな体調でないと安心しない、裏を返せば病気でないと安心しない。病気が欲しいというより、病名が欲しい。そういう自分に向き合うのをコーチしてくれるのが精神科医でしょう。
  1. 2018/09/17(月) 21:20:32|
  2. 未分類

削指導。イデオロギーとは何か

古本屋通信   No 3551    2018年  09月16日


    添削指導。イデオロギーとは何か。


沖縄知事選挙が13日(に)告示されました。30日が投票です。
2018年9月16日
  崎本とし子   とし子からの手紙
(安倍)政権は必至必死で、新基地建設反対の玉城デニー候補に負けまいとあらゆる人と物の動員をしているようです。

権力が総出で沖縄県民の意思を抑え込もうとしている・・・ように見えます。これまで何度も選挙で沖縄県民は新基地建設NO!を発信してきました。国政選挙でオール沖縄の候補が勝利し、自民党(沖縄県連)幹事長だった翁長知事誕生でも新基地建設NO!を発信しました。「イデオロギーでなくアイデンティティーだ」 と。感動したことを忘れません。

今度の選挙は、沖縄の将来を見据えて、「もう基地がないほうが沖縄にとっていいのだ」という確信を発信する選挙です。この間沖縄県民は学び、私心なく沖縄県のことだけを考えて献身した翁長知事の言葉や行動を見てきました。世界の情勢も踏まえて、将来にわたり基地がない沖縄こそが繁栄の道だ・・・と考えるに至っているのです。

オール沖縄の玉城デニー候補は出馬表明以来、足を地につけた新興政策振興政策?を訴えています。権力は未来永劫沖縄をアメリカの基地にしようと力づくで抑え込もうとする選挙戦をしています。

公明党は創価学会総出で基地建設候補を応援しているようです。でも名護市議選では新基地反対を言わざるを得ませんでした。反対を言って当選したのです。

無理が通れば道理が引っ込む・・・。創価学会の皆さん、嘘はいけません。

沖縄県知事選挙で玉城候補が勝利することを心から願っています。

安倍政権の言う通りの県知事では県民にとっての幸せはやってこないのではないでしょうか。

選挙権のない私ですが、沖縄の皆様の良識を信じています。




  古本屋通信
 沖縄県知事選挙には基本的に不介入の方針ゆえに多くは言いたくないが、翁長の云う 「イデオロギーでなくアイデンティティー」 に一言。受けを狙った妄言である。そもそもイデオロギーとアイデンティティは並べて比較すべきことばではない。イデオロギーが通俗的に使われ、偏向の代名詞と化しているのがそもそも間違いである。これは一言で思想といっても間違いではないが、正確には「主要な社会意識」という意味である。沖縄をめぐっては、かつても今もイデオロギー闘争が盛んだし、今後もますますイデオロギーに於いて米帝と日本独占と果敢に戦っていかねばならない。オール沖縄のアイデンティティーなど幻想である。そんなものは木っ端微塵に粉砕しなければ、沖縄の解放は有り得ない。


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  イデオロギー   ウィキペディア

イデオロギー(独: Ideologie, 英: ideology)とは、観念の体系である。文脈によりその意味するところは異なり、主に以下のような意味で使用される。観念形態、思想形態とも呼ばれる。意味内容の詳細については定義と特徴の項目を参照。

通常は、政治や宗教における観念を指しており、政治的意味や宗教的意味が含まれている。
世界観のような、物事に対する包括的な観念。
日常生活における、哲学的根拠。ただ日常的な文脈で用いる場合、「イデオロギー的である」という定義はある事柄への認識に対して事実を歪めるような虚偽あるいは欺瞞を含んでいるとほのめかすこともあり、マイナスの評価を含むこともある。主に社会科学の用法として、社会に支配的な集団によって提示される観念。殊にマルクス主義においては、階級的な立場に基づいた物の見方・考え方

歴史[編集]

デステュット・ド・トラシー
イデオロギーという用語は初め、観念の起源が先天的なものか後天的なものかを中心的な問題とする学の名であった。この用法はデステュット・ド・トラシー(英語版、フランス語版)(Destutt de Tracy)『イデオロジー原論』(1804-1815)に見られる。

彼に代表される活動家達はイデオローグ(idéologue)と呼ばれ、1789年のフランス大革命以降、怪しげなものとして見られていたアンシャン・レジーム時代の思想のなかで啓蒙主義的な自由主義を復興させようとし、革命期から帝政にかけてフランスリベラル学派の創始者、指導的立場となった。

当初は人間の観念に関する科学的な研究方法を指していたが、やがてその対象となる観念の体系そのものをいうようになった。


定義と特徴[編集]

イデオロギーの定義は曖昧で、また歴史上その定義は一様でない。イデオロギーの定義には認識論を含むもの、社会学的なものがあり、互いに矛盾している。しかし、それぞれが有意義な意味を多数もっている。そのためディスクールや同一化思考などの類似概念と置き換え可能ではない。以下イデオロギーの定義の重要な意味内容について、主に認識論や社会学的成果をもとに解説する。

大正デモクラシーの政治的イデオロギーともいえる天皇機関説を述べた美濃部達吉イデオロギーは世界観である。しかしイデオロギーは開かれた世界観であり、対立的な世界観の一部を取り込んでいることがある。イデオロギーは何らかの政治的主張を含み、社会的な利害に動機づけられており、特定の社会集団や社会階級に固有の観念である。にも関わらずイデオロギーは主張を正当化するために自己をしばしば普遍化したりする。またほかのイデオロギーに迎合したり、それを従属させたりする。イデオロギーは極めて政治的である。
同時にイデオロギーは偏った考え方であり、何らかの先入観を含む。イデオロギー的な見方をしている人は何らかの事実を歪曲して見ており、その主張には虚偽や欺瞞を含んでいることがある。イデオロギーは非合理的な信念を含んでいるが、巧妙にそれを隠蔽していることが多い。また事実関係や社会状況の一部を偽り、自己に都合のいいように改変していることがある。
イデオロギーは闘争的な観念である。イデオロギーは何らかの立場を社会において主張、拡大しようとする。また実際ある政治理念が違う立場に立つ政治理念を批判する場合、相手の政治理念が「イデオロギー的である」と指摘することがおこなわれる。イデオロギーはその意味においても何らかの価値観対立を前提としている。またあるひとがある種の政治理念を「イデオロギー」として定義している場合、そのひとはその政治理念とは異なった立場に立っていることが多い。
ある政治理念がイデオロギーであるかそうでないかは多くの場合、理念の内容それ自体よりもその理念が拡大しようとしている立場やその理念の社会状況に対する評価の仕方によって判断される。大抵の政治理念はイデオロギーになりうる。またある政治理念に「イデオロギー的である」という評価を加えた場合、それはその政治理念がある種の問題解決において本質を誤った見方をしていることを示す。
日本において戦前はリベラルな思想とされ、リベラリストから支持されていた天皇機関説は、戦後天皇主権を認めるその立場が同じリベラリストの側から保守主義を擁護するイデオロギーであると批判された。戦前は天皇主権であることは当たり前であったから、国体論や軍国主義といったイデオロギーに対抗する上で天皇機関説は正当でリベラルな思考様式であるとされたが、戦後天皇主権が自明のものでなくなったとき、天皇主権を前提とする天皇機関説によって天皇制を擁護することはイデオロギー的行為とされたのである。
以上のことから、イデオロギーは表面上中立的な政治理念を装っていることがあるが、実際は政治理念それ自体とは別個に隠蔽された政治目的を持っていることがある。イデオロギーは政治理念と政治目的が何らかの形において結合したものということができる。中立的な政治理念とイデオロギーはこの限りにおいて明確に区別される。また何がイデオロギーか何がイデオロギーでないかは立場や時代状況により一定ではない。

マルクス主義による定義[編集]

階級闘争とイデオロギー研究を結びつけたマルクス
以下はイデオロギーの定義で代表的なものと考えられるマルクスの定義をあげる。

マルクス主義におけるイデオロギーとは、観念そのものではなく、生産様式などの社会的な下部構造との関係性においてとらえられる上部構造としての観念を意味している。マルクスは最初、ヘーゲルとその後継者たちによって示された観念の諸形態について、社会的な基盤から発しながらあたかも普遍的な正当性を持つかのようにふるまう、と批判したことからイデオロギーの階級性について論じるようになる。

マルクス=エンゲルス共著『ドイツ・イデオロギー』(1845年)においてはじめてイデオロギーという用語が登場し、階級社会におけるイデオロギーの党派性が分析された。すなわち、階級社会では特定の階級が利益を得るための特定のイデオロギーが優勢になり、上部構造と下部構造の相互作用が生じて、必然的に自らを正当化するというのである。マルクスはイデオロギーのこのような性質を虚偽意識としてのイデオロギーと呼び、階級的な利害に基づいて支配体制を強化するものであると考えた。

この分析に従えば、階級制度は必ずイデオロギーを伴うものであるから、イデオロギーを批判することは階級闘争の中で最も重要な活動である。

科学技術とイデオロギーの関係[編集]

イデオロギーを含む政治行為が科学技術の目的合理性にしたがうと述べたハーバーマス
ユルゲン・ハーバーマスは、現代社会では科学技術が個人の思想とは関係なく客観的に体系化されており、目的合理性において科学技術の体系は絶対的な根拠を持っているとした。ゆえにあらゆる政治行為の価値はまず目的合理性において科学的あるいは技術的に正当なものであるかどうかの判断抜きには成立せず、イデオロギーが何らかの制度を社会に確立するときに目的合理性に合致しているかどうかということは大きな影響を持つとされた。ときにはこのような目的合理性がそれ自体で支配的な観念となり、人間疎外をもたらすと指摘した。すなわちこのような目的合理性が支配的な社会では、文化的な人間性は否定され、人間行動は目的合理性に適合的なように物象化されていくと警告したのである。これは後述のシュミットに通じる考え方である。

しかし一方でトーマス・クーンのパラダイム理論が示唆するように、歴史的には科学理論も技術的に十分検証可能でないときは、必ずしも目的合理的でない、思想的な理論信仰によって主流な科学理論 —したがって科学の方向性も— が決定されてきたということが指摘されている。

このような見方に従えば、歴史的には科学とイデオロギー(と呼びうるような思想信条)の間に相補的関係が成り立ってきたということもできる。たとえば天動説はキリスト教信仰と密接に結びついていたし、地動説についても太陽崇拝であるヘルメース信仰との関連性を指摘する説がある。技術的な進歩によって地動説の正しさが裏付けられたが、技術的に完全な検証が不可能な段階では、どちらの説をとるかは思想信条によって判断されたという見方である。実際にダーウィンの進化論を否定して、聖書的な創造論を学校で教えるべきという運動がアメリカ合衆国で広汎に存在するが、これは進化論が技術的には必ずしも完全に検証されているわけでなく、—たとえばパウル・カンメラーによるサンショウウオやサンバガエル、ユウレイボヤの実験[1]のような--現在のダーウィン的な進化論で説明がつかないとされる実験結果が報告されていたり、宇宙物理学や心理学の立場からダーウィン的な進化論と対立するような目的論的な見解 —サイバネティクスによるコンプトン効果の説明[2]や心理学的な目的論など--が提示されていることによる。もちろんこれらの事実はダーウィンの進化論に懐疑を促す事実であっても、創造論を積極的に支持するような内容ではない。とはいえ、科学理論に対して技術的に検証不可能である場合、思想信条により科学理論が選択されうることは多くの科学史家が認めるところである。

したがってあらゆるイデオロギーが科学技術のような、客観的な目的合理性の上に成り立っているならば、その次元での正当性を論じることによってイデオロギー的政治行為と正しい政治行為の間に判別が可能であると考えられる。目的合理性において明らかに欺瞞を含む政治行為が、正当な政治行為であるわけはないから、社会的なコミュニケーションのレベルでのイデオロギーの摘出には十分効果を期待できる分析であるといえる。

しかしハーバーマスも指摘しているように[要出典]、このような見方の欠点は、イデオロギーが目的合理性に則った社会的なコミュニケーションの場のみで成り立っているかという点に盲目なことである。上述したように、イデオロギーの核心をなす信条や信仰は目的合理性とはほとんど関係ないから、イデオロギー的政治理念が目的合理性に則った政治行為を主張するということも成り立つため、このようなイデオロギーの分析にはあまり有効ではない。

また技術的発展によってイデオロギー的な観念支配から脱却できるかという問題がある。

カール・シュミットはハーバーマスが目的合理性と呼んだような、技術を中立的で、したがって中性的であると見なす考え方を技術信仰と呼んで非難している。技術信仰の立場に立つと、中立で中性的な技術の進歩により、あらゆる思想的な対立は解消されていくとされる。しかしシュミットによれば、このような技術は中立的であるがゆえに、さまざまな政治理念に武器として奉仕することができる。技術は中立的ではあるが、政治的に中性的ではない。技術は道徳的な目的に奉仕することもあるが、逆に非人道的な目的に奉仕することもできる。それゆえに技術的進歩は道徳的進歩ではない。したがって技術の進歩が政治的な対立を解消して、何らかの非政治的な解決をもたらすとは考えられないとした[要出典]。

シモーヌ・ヴェイユは技術のもたらす生産性の発展が必ずしも約束されたものではないこと、ある種の濫費形態が排除されても別の濫費形態が生じてくることを指摘している。ヴェイユは具体例としてエネルギー源をあげ、石油や石炭が枯渇した場合、代替されると予想されるエネルギー源が生産性において石油や石炭に勝っているというようなことは簡単に予想されず、社会がエネルギー的に優れた方向へ進化し続けるということを疑問視している。社会の生産力の発展が抑圧を必然的に解消する —なぜならマルクスによれば階級社会が消滅すればイデオロギー的抑圧なるものは存在しなくなるから— というマルクスの見方にも否定的である。またヴェイユは抑圧を批判しているはずのマルクス・レーニン主義が抑圧を生み出していることを指摘し、このことは抑圧がどのような政治体制のもとであれ存在していることを表しているとした。したがって社会発展がどんなに進んでも抑圧は存在し、その抑圧の根拠となるイデオロギーは常に存在することになる。ヴェイユによれば抑圧の形態に対し常に注意を払い、研究を怠らないことでイデオロギーの潜在を明らかにしていくべきだと述べている[要出典]。

日本におけるイデオロギー研究[編集]

日本におけるイデオロギー研究の先駆としては幸徳秋水の『廿世紀之怪物帝国主義』が注目される。この著作において幸徳は、当時の政府の膨張政策を愛国主義と軍国主義の産物であると分析し、おもに道徳的立場から批判している。当時の膨張主義が非合理な野性に発していること、国家生存の原因を領土の広狭であると偽っていること、挙国一致の名のもとに政治闘争を封殺していることなど、そのイデオロギー的性格を指摘している。

大正期の哲学者である左右田喜一郎は『文化価値と極限概念』のなかで当時の官僚的な政府の哲学を宗教的非合理的であると批判し、あらゆる文化価値を同等に尊重する文化主義・人格主義を主張した。すなわち日本の独自性という欺瞞を掲げ、学問・政治の自由を抑圧している藩閥政府イデオロギーに対して大正デモクラシーを擁護した。しかし同時にプロレタリア独裁を掲げる「社会民主主義」を階級主義的な「限られたる民主主義」と定義し、イデオロギー的に抑圧した(左右田のいう「社会民主主義」は社会主義一般を指すものと考えられ、今日的に言えば共産主義の語感に近い)。

戸坂潤は『日本イデオロギー論』を著し、日本におけるイデオロギー批判を初めて体系的にまとめあげた。日本の特権階級のイデオロギーを哲学的観念論にあるとし、その社会的適用を通じて復古主義的な日本主義が出現し、ファシズム的軍国主義と結びついて日本イデオロギーが形成、発展してきたとする。また自由主義思想がたやすく日本主義に転化しやすいという点を指摘し、自由主義を中間的な勢力とみる当時の風潮を偽りであるとした。彼はイデオロギーを客観的現実(すなわち下部構造)の歪曲された模写であり、独自に発展法則をもつと指摘している。

丸山眞男は『日本の思想』のなかで、日本社会においては伝統的にイデオロギー批判が理論的・政治的立場でおこなわれることがなく、現実肯定という形で既成の支配体制への追従が繰り返されてきたと述べた。この現実肯定という形である種の理論を無価値化することを丸山は「実感信仰」とよび、西洋の「理論信仰」と対置させているが、これは論理より感覚を重視するという意味での単なる感覚主義ではない。「実感信仰」は事実主義や伝統主義を含み、「理論信仰」は科学主義あるいは理論主義的な立場を念頭に置いていると考えられる。

藤田省三は『天皇制国家の支配原理』において、天皇制を支えたイデオロギーとしてヨーロッパ的な社会有機体説と東洋的な儒教政治論が矛盾しながら結合した「家族国家論」を措定した。この「家族国家」は内面的には政治・学問の分野において官僚主義的立場を徹底させ、外面的には「家」の拡大という形での膨張主義を伴うとされた。またこのような「家族国家論」は天皇制国家を家と同質に自然的なものと見なす非政治的な本質を持っており、このことによって天皇制それ自体は日本社会のあらゆる利害を中和する象徴としてイデオロギー的に祭り上げられたと説いている。

現代への課題[編集]

冷戦の終結後、イデオロギーの終焉を説く声が強まっている。社会民主的な中道・福祉政党が世界の大勢を占め、かつてのようなイデオロギーをふりかざすことなく職業的・専門的な政治家・官僚によって純粋に生活向上が図られる世界に向かっているのが現代である、という分析である。また思想の面からは主に構造主義者によってイデオロギーはディスクールに還元可能であるとされた。

しかし、これらの事実はイデオロギーの終焉を必ずしも意味しない。以下代表的なイデオロギー終焉論について簡単な内容を記すとともに、その問題点を指摘する。

マルクス主義的な見方の限界[編集]

資本主義社会はその経済論理をすべての階級に及ぼし、同化吸収的に階級社会を消滅させたと説かれた。ゆえにこのような社会では階級闘争は終結し、それに伴って深刻なイデオロギー的対立は解消したとされた。

しかしマルクスの見方には大きな欠陥がある。階級的な利害がイデオロギー的であることはもちろんであるが、イデオロギー自身は必ずしも階級的な利害を必要としない。つまりイデオロギーは何らかの階級制度や階級闘争を前提としない。前述のヴェイユの立場からも階級社会が解消されてもイデオロギー的抑圧がなお存在するであろうことはおそらく確実であると思われる。そもそも社会を階級闘争的にみる見方でさえ、社会的抑圧の形態を偽っているという意味でイデオロギー的であるといえる。

構造主義によるイデオロギー終焉論[編集]

またフーコーら構造主義の哲学では制度や権力に結びつく言語表現としてのディスクールによってイデオロギーは置き換え可能だとされた。彼らは実際生活上あらゆる言語は意識的にしろ無意識的にしろ権力や政治と結びついていない言語はないし、またあらゆる言語は政治的になりうることを主張し、そのような言語ないし言語的コミュニケーションをディスクールと名付けた。

構造主義者のディスクールに対しては定義でも記述したように、イデオロギーはただ政治的なだけではない。なんらか固有の見方、世界観を含み排他的である。意味的に中立的なディスクールとは代替不可能であり、イデオロギーはディスクールに還元できない固有の意味を持つ。

経済学におけるイデオロギー終焉論[編集]

さらに冷戦終結後、国際経済における資本主義の影響力が完全なものとなったため、意識的に資本主義の根本システムを改変することは事実上不可能なものとなっており、無条件で受け入れざるを得ないものとなっている。全ての経済・社会上の問題は資本主義的全体の一問題とされ、イデオロギーを介在させずに技術的に解決可能とされる。たとえば南北格差問題や紛争問題を経済上の利害に還元し、市場経済の範囲内でさまざまな調整をすることによって解決可能だとする見方である。この立場では資本主義的経済原理をすべての人が受け入れている以上、イデオロギー闘争のような根本的な思想対立はありえないと主張された。

しかし民族的な問題や宗教的な問題がしばしば国際紛争に発展することを見ても明らかなように、たとえ資本主義の原則を全ての人が認めたとしてもイデオロギー対立は存在しうる。イデオロギーの根本は信条や信念、あるいは党派的利害であって、経済原理や社会問題から出発してその思想を形成するのではない。

多元主義的立場からのイデオロギー終焉論[編集]

エルサレム
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であるこの都市は、古代の時代から民族問題、宗教問題などのイデオロギー闘争にさらされてきた。エルサレムを巡る問題はいまなお解決されていない
最後に現代のような価値の多様化を認めている時代状況においてはイデオロギーは相対的に合理化して眺めることが可能で、政治的正当性の根拠は不毛な観念論争ではなく現実生活に即した実利にあるという主張がある。現代の知識人は自己のイデオロギーを諧謔的に意識化することで偽りの信念を見抜くことができ、それが行動に結びつくことはないと説かれた。

これに対しては主に二つの観点から誤りを指摘することが出来る。まずイデオロギーは語られていることだけにあるのではなく、行動や社会状況にも含まれている。つまりイデオロギーは人々がどう考えるかという問題ではなく、現にある社会状況に刷り込まれ事実関係を偽っていることがあり、イデオロギー的信条を実際は信奉していないのにもかかわらず、イデオロギーに奉仕していることがある。たとえばある種のイデオロギーを掲げた政策にそのイデオロギー性を認識しつつも実利を優先して迎合することはイデオロギー的目的に奉仕していることであり、イデオロギーから自由になっているとは言えない。また実利を最優先するこのような考え方それ自体がイデオロギー的である。実利や観念、社会状況、経済原理などはそれぞれ別次元の問題である。たとえばイデオロギーの含む世界観、倫理観は現実生活の実利とは関係ない場合が多いし、実利を優先するかそれとも他の何らかの観念を優先するかは個人のイデオロギー的な問題である。イデオロギーが価値の多様化の中でほかの何らかの価値の間に埋没するという主張は正しい見方ではないといえる。

現代の国際情勢を鑑みても民族紛争などが激化しており、戦争や紛争の問題点を明らかにするためにイデオロギー的背景を明らかにすることは有意義であると考えられる。現代社会のイデオロギーはより複雑で感知しがたいものとなっていると考えられているため、時代に即したイデオロギー分析が必要とされている。

年譜[編集]
1801年 - デステュット・ド・トラシー『観念学要理大綱』
1841年 - ルートヴィヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質』
1844年 - カール・マルクス『経済学・哲学草稿』
1846年 - カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』
1867年 - カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『資本論』
1895年 - エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』
1916年 - ヴィルフレッド・パレート『社会学大綱』
1922年 - ジェルジ・ルカーチ『歴史と階級意識』
1929年 - カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』、V・N・ヴォロシノフ『マルクス主義と言語哲学』
1947年 - テオドール・アドルノ、マックス・ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』
1975年 - ミシェル・ペシュ『言語、意味論、イデオロギー』
1979年 - ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン』

脚注[編集]

1.^ カンメラーの実験についてはアーサー・ケストラーの『サンバガエルの謎』による。しかし、実験結果を捏造であるとする見方も根強い。
2.^ コリン・ウィルソンの『オカルト』によると、1969年ロンドンのインペリアル・カレッジで開かれた国際サイバネティクス会議において、デイヴィッド・フォスターが物理学的発見の哲学的意味について講演した中でコンプトン効果に言及したという。
  1. 2018/09/16(日) 18:25:47|
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キンピーサイトにウジ(蛆)虫一匹

古本屋通信   No 3550    2018年  09月16日


    キンピーサイトに湧いたウジ(蛆)虫一匹

 云うまでもないが、共産党批判サイトであれば如何なる批判でも構わないというわけではない。然し集合サイトの場合、勢いに乗じて根拠の無い(誹謗中傷を超えた)スパイもどきが現れる。そういう場合、管理人様も他の投稿者も、それを咎めにくい雰囲気はあるだろう。スパイもどきにも一部の妥当な理屈があるからだ。それ(スパイ投稿)は、全ての読者が語られる事の真偽を知ってはいないという情況を巧みに利用して、尤もらしく登場する。

 かつて古本屋通信を語る2チャンネルにおいて、如何なる批判でもOKという2チャンネルの特性を利用して、ありとあらゆる誹謗中傷がなされた。それは構わない。私は自分のサイトに引き寄せて逐一反論して粉砕した。つまり敬意を払って対応したのだ。無視しなかったのである。そしたら、多分その一人だろうが、私を発達障がいだと言い募り始めた。私は精神障がいの知識に通じていないが、多くの私の読者も通じていないだろう。つまり論駁すべき相手に太刀打ち出来なくなると、相手を障がい者にデッチあげて、自分を正当化したのである。

 下の寺院とやらの投稿は卑劣である。とりわけ3の 「内戦起こそうと活動して・・・・」 は、ごく最近、何処かで見た覚えがある。名前を変えての投稿であろう。長いとボロが出るから一、二行なのだろうナ。


2. 寺院
2018年09月15日 20:33
共産主義者で転向してないのは頑固を過ぎた化石

3. 寺院
2018年09。月15日 20:34
内戦起こそうと活動して、党内で独裁してきた連中なのに、共産党支持するのはクレイジー
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  古本屋通信

 いまキンピーサイトのオリジナル記事と、私の批判記事を探したが、共に見つからない。私の記事は消したのだろう。改めて数行で批判しておく。

 2、3 とも管理人様が立てた 「沖縄知事選、厳しい選挙予測」 とは何の関係も無い。横スレでさえも無い。共産党も、共産主義者も、なんら問題になっていない。こういうのを板破壊行為と云ふのだろう。左翼板だったら確実にスパイに拠る党攪乱である。

 2 は何の意味も無い。ああ、そうかと云ふだけである。百年繰り返されてきた古典的フレーズである。

 3 は既に私が批判し尽くした、コミンテルンの戦術 「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」 を意識した共産党批判らしいが、残念ながら戦前の日本共産党の場合、この戦術はカスリもしなかった。だから 「内戦起こそうと活動して」 どころではなかった。帝国軍隊にたった一人のシンパさえも獲得できなかったのだから、論外である。「党内で・・」 以下は統合失調症、おっと、こう言っちゃあ駄目だったな、支離滅裂の意味不明。共産党に対する悪罵だけ。こういうのを許してたら、共産党批判のサイトは自滅するんだ。つまり板破壊のスパイ投稿である。
  1. 2018/09/16(日) 03:46:13|
  2. 未分類
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